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『英霊の声』三島由紀夫(河出文芸選書) 先日、なんとなくぶらっと図書館に行って、なんとなくぶらぶらっと本棚を見ていましたらこんな本がありました。 『世界最高の日本文学』許光俊(光文社新書) この筆者はドイツ文学がご専門の方だそうですから、その専門方面でも著名な方なのか、わたくし、寡聞にして存じ上げないんですが、ただクラシック音楽が好きなものとしては、あ、知ってる、という感じの方であるのは間違いないと思います。 この筆者の、クラシック音楽関係の本が結構出ているんですね。わたくしも何冊か買いまして、とっても楽しく読ませていただきました。 で、この本の中に、三島由紀夫の『憂国』について触れてあったものだから、また、上記に記したタイトルにも興味が持てましたもので、借りて帰って家で読みました。 えー、まず、いわゆる「苦言」から申させていただきたいんですけどー。 本のタイトルと内容が、これ違うんでないかい、と感じてしまう本は、わたくし今までにもけっこう読んだことがあります。そして、そんな一冊を読んだ時に、実は本のタイトルは(特に新書なんかは)、筆者の意向ではなしに、主に出版社の販売促進を担当する方たちの意向でつくことが多い、ということを知りました。 本書でも、後書きに筆者が、はっきり言ってかなり苦しいタイトルについてのエクスキューズを書いていらっしゃいます。 実際本書について、タイトルと、内容に取り上げられてある小説は、どう考えても異なります。(ちょっとついでに書きますと、もちろん世の中の事柄はほとんどすべて、屁理屈をこねればなんだって理論だてはできましょうけれど。) えー、わたくしは、たいがい世間のことを知らない人間でありますゆえ、何そんな寝惚けたことを言っているのかと言われれば、ははぁ、世の中というものはそんなところで回っているんですね、と、まぁ、納得してもいいんですが、何と言いますか、すっごく悲しい思いが残っちゃうんですね。 「銀が泣いている」といったのは将棋指しの坂田三吉氏であったと思いますが、あたかも「本が泣いている」というように感じる私は、惚けた文学老人故でありましょうか。 ……いえ、つまんないことから、書き始めてしまいました。 そもそもの話に戻ります。 現在慶応大学法学部の教授でいらっしゃる筆者は(ただし奥付による2005年現在の話ですが)、大学の授業で『憂国』を取り上げたところ、学生のほとんどみーんながこの作品のファンになってしまい、中には、この作品に登場するような軍服姿で成人式の写真を撮影したと得意げに見せてくれた男子学生もいた、と報告されてあります。 ……なるほどねぇ。 対象の学生が慶応大学法学部で、授業で習った後に成人式があったようですから、大学二回生、十九歳か二十歳が中心ですか……、ぼんやりと学生集団のイメージが分かるような、分からないような、そんな感じではありますね。 しかし、確かに短編小説『憂国』には、それくらいの力があるだろうなということは、今回、たぶんわたくしこの作品はかつて3回くらい読んだとなんとなく思い出すのですが、思いました。 新潮文庫の、三島由紀夫短編集の解説は三島自身が書いていたと思いますが、その中に『憂国』に対する筆者の偏愛は書かれていました。 実は今回読んだ古い河出文芸選書の最後にも、本書収録の3作品に対する自作解説が書かれています。 三島由紀夫は、様々な文学ジャンルに優れた業績を残した方ですが、どのジャンルの作品が最も優れているかについて、ちょっとうろ覚えなんですが、「一に戯曲、二に評論、三四がなくて、五に小説」と、まぁ、戯れ文みたいなものでしょうが、そんな言い回し(だったかな)を思い出します。 今回取り上げた冒頭の本には、この三作が収録されています。 『英霊の声』『憂国』『十日の菊』 そもそも古いこの本を、私は四十年ぶりくらいに再読したのですが、なるほどそういうことであったかと、筆者の後書きにあたる『二・二六事件と私』を読んで、たぶん四十年程前の私にはきっとよくわからなかっただろうと思うのですが、とてもすっきりと理解することができました。 三島の自作解説がとってもうまいんですね。 実に論理的に冷静に、へんに謙遜したりすることもなく、堂々と書いています。もちろん三島由紀夫の文章ですから、とても明晰です。 ただついでに触れますと、三島作品は、トータルとしてとてもすっきりと理解することができ、それは一般的には優れた点でありましょうが、「文学」的に論じた場合には、時に物足りない一面と評価されてしまうところでもあります。 ともあれ、今回の報告、もう少し続きます。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2015.05.31
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『祭りの場』林京子(講談社文庫) 上記文庫本には、3つの短編小説が収録されています。 そのうち、総タイトルにもなっている『祭りの場』は、昭和50年に発表され、その年の芥川賞を受賞しました。 私が、今さらながら感心するのは、筆者は昭和20年に長崎で被爆し、(自筆年譜によると)本作品発表まで表だった文学活動はなく(同人誌活動はあったようですが)、しかし実に30年間にわたって同一テーマを心の中にひたすら反芻し続けていたことであります。 それはもちろん被爆体験というものが、現実にその対象の生殺与奪を伴うものであるからでありましょう。しかし、例えばこのような表現における筆者の心情(信念)の在処はいかなるものでしょう。 突然急降下か急上昇か、大空をかきむしる爆音がした。空襲! 女が叫んだ。物音を聞いたのはそれだけである。文字にすれば原爆投下の一瞬はたったこれだけで終る。ピカもドンもない。秒速三六〇米の爆風も知らない。気づいたら倒壊家屋の下にいた。 爆心地付近の被爆者は原爆炸裂音を殆んど聞いていない。急上昇の爆音は聞いている。 原爆投下後、逃げる態勢をとるためB29「ボックスカー」は慌てて急上昇した。彼らは人並みに死にたくなかったらしい。 原っぱは閃光で一瞬に消えた。草つみ幼女の中にオカッパ頭の色白の子がいた。連れの老婆は小がらな人で、孫に似て肌が白かった。老婆は草が燃えている原っぱに孫を抱いて坐っていた。幼女はオカッパ頭が半分そぎとられて、頬にはりついていた。ほっかり唇を開いて眼をあけて死んでいた。白い前歯が光って、口もとだけに幼女の可愛さが残っていた。老婆の体は肉がぼろぼろにはがれて、モップ状になっていた。 女子挺身隊の少女たちもモップ状になって立っていた。肉の脂がしたたって、はちゅう類のように光った。小刻みに震えながら、いたかねえ、いたかねえ、とおたがいに訴えあっている。「滅私報国」の日の丸のはち巻きをしめて、ベソをかいていた。戦争劇の演出家たちはたくまずしてピエロをふんだんに生みだすものである。 2つの引用部の最後にある「捨て台詞」のような一文は、実は本作品中に呪いのごとく散りばめられています。 それは、筆者が30年間、心の中で黒く硬く固めてきた心情の塊であり、おそらく「私は絶対に許さない」宣言であろうと思われます。 さてそのようにして読むと、本作品には確かに異様なリアリティーがあります。 例えば私は、夜に本書を読んで翌日職場に行くと、その平和な空間に微妙な違和感と不安を感じたほどでありました。 しかしこの「リアリティー」は本来の小説のリアリティーなのでしょうか。 私はそれがどうも分からず、ちょっとネットで調べてみたんですね。 何を調べたのかというと、この作品は本当に芥川賞がその対象にしている小説作品であるのかという疑問であります。 これはドキュメンタリーではないのか、という疑問です。 当時の芥川賞選者による選評がありましたが、やはり私と同様の疑問を持った選者がいたことを知りました。 ところが、それは一人だけなんですね。(少なくとも選評の中に残している選者は。) もとより、小説とは何をどのように書いても可とするジャンルです。 フィクションだというのが大枠の基準でありましょうが、日本近代文学史上の作家の中には、堂々と「嘘は書けない」と宣言した方もいらっしゃいました。 一方、ドキュメンタリーを書くサイドで考えても、事実を文字にまとめて切り取る過程の中で、フィクション化とは言わないまでも、筆者の主観・判断を避けるわけにはいきません。 両者の境界は、文字への定着ということに対して意識的であるほどに曖昧であります。 ……と言うことも考えつつ、しかし、本作は「小説」なんだろうかという疑問が、私にはどうしても残りました。 さらに考えれば、原爆を扱った小説作品は数あれど、その多くは「遠景」として被爆体験を据えて人間や社会を描くというのが主流だったような気もします。(例えば有名な井伏鱒二の『黒い雨』とか。しかし原民喜の『夏の花』は微妙ですか。) そもそも最もシンプルな被爆体験というものは、(誤解を恐れず思い切って単純に言えば)フィクション化は可能なのかという気もします。 上記の文章は、我ながら、作品の感動をそのまま受け止めず枝葉末節にこだわった感想だと感じますが、しかし一方で、少し大げさに言えば、私の「小説観」にも関係する疑問のようにも思います。 ともあれそれは、本当に優れた作品のみが我々に訴えかけてくれる、数多くの疑問のひとつではあるのですが。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2015.05.19
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『花火・雨蕭蕭』永井荷風(岩波文庫) ……えーっと、あまりこんな話から書きたくはないのですが、すみませんが、一言断っておきますね。 「雨蕭蕭」の「蕭蕭」は、サンズイ篇が付いてるんですが、文字に出ないもんで、付いてない字にしています。気になるお方は、付いてあるつもりで字面をご覧ください。 さて先日、私は大学時代の友人と一緒に一杯飲んでいたのですが、共に文学部出身ということで、まー、今となってはほとんど唯一の、「えー年をしながら青臭い文学論」を語り合うことのできる友人となっています。 考えれば、何となく悲しい話でありますね。 いえ、この度の話題はそんな呆けたような話ではなく(呆けているのはその通りですが)、その時友人に思いがけない指摘を受けたという話です。 その指摘とは、「あなたはコレクターだな。」というものでして、去年の夏に、彼をわが家にお呼びしたことがあったのですが、その際に感じたと彼が述べました。 なるほど、言われてみれば私の部屋にある雑本といい雑CDといい、私にしてみれば質量ともに遥かに「激しく」収集している人を知っているもので、自分は「コレクター」の名には値しないとなんとなく思っていたのですが、その趣味のない人から見れば、わが貧弱なコレクションもその範疇に含まれるということを知りました。 何の話を振っているのかといいますと、個々人の趣味の話であります。 冒頭の荷風の短編集ですが、4つのお話が入っています。上記総タイトルの2作に加えて『二人妻』『夜の車』という作品が入っているのですが、私が読んでいる時に感じたのは、まず見事な文章だなということでありました。例えば、こんな部分。 涼しい風は絶えず汚れた簾を動かしてゐる。曇つた空は簾越しに一際夢見るが如くどんよりとしてゐる。花火の響はだんだん景気がよくなつた。わたしは学校や工場が休になつて、町の角々に杉の葉を結びつけた緑門が立ち、表通りの商店に紅白の幔幕が引かれ、国旗と提灯がかかげられ、新聞の第一面に読みにくい漢文調の祝辞が載せられ、人がぞろぞろ日比谷か上野へ出掛ける。どうかすると芸者が行列する。夜になると提灯行列がある。そして子供や婆さんが踏殺される……さう云ふ祭日のさまを思ひ浮べた。これは明治の新時代が西洋から模倣して新に作り出した現象の一である。 この引用は『花火』からのものですが、この『花火』には荷風の人生を大きく変えた大逆事件に絡む有名な一文が入っています。この部分ですね。 わたしはこれ迄見聞した世上の事件の中で、この折程云ふに云はれない厭な心持した事はなかつた。わたしは文学者たる以上この思想問題について黙してゐてはならない。小説家ゾラはドレフュー事件について正義を叫んだ為め国外に亡命したではないか。然しわたしは世の文学者と共に何も言はなかつた。私は何となく良心の苦痛に堪へられぬやうな気がした。わたしは自ら文学者たる事について甚しき羞恥を感じた。以来わたしは自分の芸術の品位を江戸戯作者のなした程度まで引下げるに如くはないと思案した。 この有名な部分ですが、この度ちょっと調べてみますと、大逆事件は1910年に起こり、この時荷風は31才です。この『花火』は、本文最後に「大正八年七月稿」とありますから1919年、荷風39才の作品です。この間荷風は、教師と作家は両立しないと述べて慶応義塾の教員をやめました。 そして「芸術の品位を江戸戯作者のなした程度まで引下げる」といった荷風の書いたそれらしい作品が、この短編集で言いますと『二人妻』になるでしょうか、これがまた、文章表現や趣向としてはとてもうまい。 江戸情緒漂う下町や花街の話が多い荷風にしては珍しく、大正モダニズム溢れる山の手の二軒のブルジョワジー夫婦の、「浮気」をめぐる様々なやり取りを描いた作品ですが、読んでいるととっても面白いんですね。 まったく趣向の違う『雨蕭蕭』などからも読めますが、あれだけの西洋文化ならびに江戸文化について教養溢れる作家が、持ち前の文章表現力を駆使して描くのですから面白くないわけがないといえば、まー、その通りなんですね。 しかし読み終えてみると、何と言いますか、ちょっとあほらしい。そもそもストーリーが尻切れトンボであります。 それは、おそらく作者に内容を突き詰めようという気がまるでないからであります。 当人達以外は実に愚かしいと誰もが思っている夫婦の痴話喧嘩の話を、興の赴くままに書き進め、そしてこれ以上の野暮は言いっこなしとばかりに唐突に終える。 つまりはこんな作品との距離の取り方こそが、荷風の説く「江戸戯作者のなした程度」でありましょうか。 しかしそうだとすれば、我々はそれまで楽しく読んだ分、なんだか少し馬鹿にされているような気がして、現代のはやりの表現でいえば「上から目線」を受けているようで、ちょっと「違和感」(これもはやりの言葉)が残るのを如何ともしがたい。 そんなこと、ないでしょうか。 あるいは、それこそが「趣味」を描くということなんでしょうか。 趣味の価値判断をなす愚かしさは、例えば森鴎外の『興津弥五右衛門の遺書』に、茶道が無用の虚礼というなら国家の大礼も悉く虚礼であるという趣旨の一文があったように、また、わたくしも文化とは趣味の総体であると理解しつつ、しかし、ふとそのはかなさに思い至った読後感でありました。 ……いや、待てよ。 この一抹のはかなさこそが、「趣味」の醍醐味であるのかも知れません。 とすれば、やはりなかなか奥は深いですね。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2015.05.06
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