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生きている人間などというものは、どうも仕方のない代物(しろもの)だな。 何を考えているのやら、何を言い出すのやら、仕出来(しでか)すのやら、自分の事にせよ他人事にせよ、解(わか)った例(ため)しがあったのか。 鑑賞にも観察にも堪えない。 其処(そこ)に行くと死んでしまった人間というものは大したものだ。 何故(なぜ)、ああはっきりとしっかりとして来るんだろう。 まさに人間の形をしているよ。 してみると、生きている人間とは、人間になりつつある一種の動物かな「無私の精神」 小林秀雄 文藝春秋
2014年08月29日
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先づ第一にヨーロッパだ。 ヨーロッパ大陸の共産主義革命実現のために、何としても邪魔なのはヒットラーのナチ独逸だ。 ナチ独逸は思想的には共産主義排撃の立場を取つてゐるが、政治的、経済的には欧州の覇者-といふよりも世界現状維持陣営の二大支柱たる英、米と対立してゐる。 そこで先づ、独逸と英、仏と噛み合はせ、次でアメリカをこの戦争に引込むことを考へる。 独、英、いづれが負けても欧州の地図は一変するし、戦後の混乱は共産主義革命進攻の温床となる。 第二は極東だ。 中国共産党は急速度で実力を備へて釆たが、極東革命のためにどうしても叩きつぶさねばならないのは日本と、米、英をバックとする蒋介石政権だ。 だから、こゝでは先づ支那大陸に野心を持つ日本と、米英の番犬的存在たる蒋介石軍閥政府を全面的に噛み合せる。 この日華戦争には蒋政権の背後にある米英が必ず乗り出してくるにちがいない。 いな、その方向に誘導することだ。 そうすれば、支那大陸と南方米英植民地を舞台として日、華、米、英が三つ巴、四つ巴となり、血みどろの死闘を演ずるだらう。そして日本軍閥がへとへとに疲れたとき、機を見て一挙に兵を進め襟首を取つて押へとどめを刺すことだ。 この極東戦争で、日本帝国も蒋政権も必ず崩壊するであらう。後は中共を中心に極東革命を前進せしめればよい。「戦争と共産主義」 三田村 武夫 民主制度普及會
2014年08月28日
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「輓近世態漸く以て推移し」、もはや大正の、のどかな状態はをはつた。世態風俗は変化しつつある。 その変化の要因を、思想と経済にみいだしてゐる。 「思想は……趣舎相異なるあり」といふ。 何を取り何を捨てるか、その取捨選択の基準が、もはや従来とは違つてきてゐる。 アジアの草花の匂ひのする、極東における最初の近代国家が六十年まへに創設されて以来、思想、それはみなカッコつきの西欧外来の「思想」ばかりであるが、近代国家の形成に役立つ思想の摂取といふ一つの基準は動かなかつた。 しかし、それはいま動揺してゐる。 それは大正といふ近代の成熟がもたらした必然の帰結である。 さういふ思想状況が、「経済は時に利害同じからざるあり」といふ社会経済情勢と対応してゐる、といふのである。 思想といふとき、ここで最も有力な、持続的な力をもつのが、マルクス主義であるのはいふまでもない。 オイケンもベルグソンもニイチェも、これほどの力をもつたことはない。 外にソヴェト・ロシア国家の出現と、内に第一次大戦後の好景気のあとの恐慌が、マルクス主義の影響の大きさと持続性をもたらした。「昭和精神史」 桶谷秀昭 文芸春秋
2014年08月27日
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国家という政体は、十八世紀末のアメリカ独立とフランス革命で初めて出現したものである。 国民国家は、兵士をほとんど無限に徴発できる利点があり、この点ではいかなる君主も太刀打ちできない。 ナポレオンの国民軍があまりに巨大な成功を収めたために、いずれの君主も生存のために、国家の体裁を採らざるをえなくなり、こうして国民国家化が全世界に波及することになった。 この国民国家化が、いわゆる近代化(modernization)の本質である。近代化の本当の動機は、俗説のような工業化という経済的な事情ではなく、防衛という軍事上の必要であった。「岡田英弘著作集 歴史とは何か1」 岡田英弘 藤原書店
2014年08月26日
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さらにウエーバーは、別の角度から指導者としての資格を三つあげて、こういうこともいっています。 第一に、情熱があること。 情熱といっても、カッカと頭に血をのぼらせて、暴虎馮河(ぼうこひょうが)の勇をふるってやみくもに力で押していくという、そういう情熱ではない。 仕事に対していつでも絶えることがない火が燃えているような、そういう情熱。持続力のある情熱。 これがなければならない。 第二に責任感が強いこと。 これは指導的な役割をになう人間にとって当然要求されることですが、ぐあいが悪くなったから投げ出すというような責任のとり方、辞職するとか、腹を切るとかいうような単純な責任のとり方ではだめなのです。 自分が手がけた仕事に対して、あくまでも責任をとりつづける。 毀誉褒貶(きよほうへん)にかかわらず責任をとりぬいて、自分の手がけた事業の保全をはかり、目的を達成しようとする。 そういう責任感が必要である。 第三番目に最も大事な徳性として、ウエーバーは目測ということをいっています。 目測というのは、周囲に次から次へと起こりつづけるさまざまな現象と、自分が現に達成しようとしている仕事との距離をつねに正しく計測して、ものごとを客観的に眺められるようにしておく。 自分を他人の眼で外側から眺められるようにすること。 それが必要だといっています。 つまり目測とは情熱を裏づける冷静さ、悪い言葉でいえば打算であります。 この冷静さと打算がなければ、ものごとは現実にしっかりかみ合わず、好ましい結果を生まない。「考えるよろこび」 江藤淳 講談社
2014年08月25日
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鶏が鳴くときに太陽が登る、だから鶏が鳴くのが太陽が登る原因である--というふうに、時を同じくしておこつた現象を結びつけて因果欲望を満足させることは、ともすると人がおかしやすいあやまりである。 昭和のはじめに左翼運動が彈壓された。 そして、「その一方に一九三〇年前後は、エロ・グロ・ナンセンスといわれる、頽廢をきわめた愚民政策が系統的に行われた」 このようにファシズムの進行とエロ・グロ風潮とを結びつけるのは、鶏と太陽を結びつけるようなものであろう。 むしろ、あの風潮が、それへの反撥としてファッショを煽つた一つの因であつたのであろう。 昭和初めの日本が、多くの點でアンバランスを孕み、政治経濟に危機と弱點を蔵し、人心にも長いものに巻かれる屈従性や附和雷同性があつたことは、たしかである。 理想的な近代性にはなお遠く、たくさんの古いものが残つていた。 そして、ある面からいえば、上層官僚首腦は「民主主義には無感覚で社會的には保守的で技術的には能率的な機構をつくりあげ、帝國主義の刃を研ぎ鍛えるように設計された国家機構を用意した」(ノーマン)といえるのであろう。 しかし、右のような状態があつたことを認識し、それをいかにくわしく分析しても、なおそれだけではまだ何故に日本がファッショ化したかということの解明にはならない。 右のような條件をふまえ、そこにいかなる意志がはたらいて動きだしたかが、間題である。「昭和の精神史」 竹山道雄 新潮叢書
2014年08月21日
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朝(あさ)にして食(くら)わざれば、則(すなわ)ち昼(ひる)にして餓(う)え、少(しょう)にして学(まな)ばざれば、則(すなわ)ち壮(そう)にして惑(まど)う。 餓(う)うる者(もの)は猶(な)お忍(しの)ぶ可(べ)し。 惑(まど)う者(もの)は奈何(いかん)ともす可からず。 朝食事をしなければ、昼には空腹を感ずる。 同じように、少年時代に学問をしておかないと、壮年になって、物事の判断などに惑(まど)うことになる。 空腹であることはまだ辛抱(しんぼう)が出来るけれども、知識がなくて事の判断に惑うのはどうにもしてやれない。「言志四録 (四) 言志耋録」 佐藤一斉 講談社学術文庫
2014年08月21日
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みなさんもご存じのように、「人類」という概念はそう単純なものではありません。 ヨーロッパで流れる時間と同じ時間を生きるようになったことによって、いかなる運命が日本人を待っていたでしょうか。 日本人は二つの時間を同時に生きざるをえなくなったのです。 一方では大文字の「T」で書かれる西洋に流れる時間(Temps)。 もう一方では小文字の「t」で善かれる日本に流れる時間(temps)。 しかも、日本に流れる時間は、そのときを境いに、西洋に流れる時間との関係の中に存在するよりほかはなくなってしまった。 日本に流れる時間は西洋に流れる時間と独立したものではありえなくなり、それでいて、同じものになることもなかったのです。 日本人である私は、この新しい歴史的な状況に、どこか哀しいものを見出さざるをえません。 そしてそれは、日本人が、二つの時間を生きなくてはならなくなったからではない。 それは、日本人が、この二つの時間を生きなくてはならなくなったことによって、近代という時代の根本にある、非対称的な関係の中へと足を踏み入れざるをえなくなったからです。 普遍と特殊との非対称的な関係です。「日本語が亡びるとき」 水村 美苗 筑摩書房
2014年08月20日
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松本 この本は、私がこれまで書いてきたものと違って、全体史、通史です。結局、歴史を動かしているものとは何か、突きつめなければならなかった。 マルクス史観や皇国史観、民衆史観や英雄史観でもいいんですけれど、それで歴史を「解明」するのは楽なわけです。 図式にあてはめればいいのですから。 だけど違う。 一人一人の人間の言動、歴史の原史料、そのときの歴史情勢を一つ一つつぶしながら踏み込んでいく。 そうすることで、歴史が変化していくことがわかる。 動きを掴まえる……。 そのあたりにかなり苦心しました。岡崎 要するに、物ごとをくわしく、公平に公正に見ていると、見えない筋が見えてくるんですね。 そしておそらく見えない筋が見えてこないようじや駄目なんですよ。松本 そうなんですね。岡崎 はじめから筋を決めておいて、そこに当てはめるんじゃ歴史じゃありませんよ。 おのずから見えない筋が見えてくる歴史がいいんですよ。「日本の近代 1」 松本健一 中央公論 付録1
2014年08月14日
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だいじな点は、特定のある一つの能力を革新することが残りの全能力階層に射程の長い影響をあたえうる、ということである。 変化は能力階層のうえに向かって伝播することができる。 すなわち最初に変化した能力を使用できるもっと高レベルの能力は、この変化と中間レベルに生じた変化とをうまく利用できるようにいまやふたたび組織立てられる。 また一方、変化は能力階層の下に向かって伝播することもできる。 これは高いレベルに生まれた新能力ともっと低いレベルに潜在する変更能力とがもたらす結果なのである。 これらの潜在能力は以前はもちいることができず、より高レベルの新能力のおかげで使用可能になったと推量される。 ユーザーが自分の能力階層において、筆記機械とその柔軟な複写能力に関連する有用な技術革新の連鎖反応をすべてつくそうとすれば、このために長時間釘付けになってしまうだろう。 この一つの技術革新は広範囲にわたる能力階層の再設計をひきおこす可能性がある。 ユーザーが種々の仕事をするための方法は、かなり変更されるだろう。 実際、このプロセスは、最初の人類の頭脳があらわれて以来、われわれの知的能力の補強増大手段がへてきた進展の様子を特色づけるものである。「組織とグループウェア」 西垣通 NTT出版
2014年08月13日
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一九三○年といへば、その二年前アメリカのウォール街から捲き起つた経済恐慌の嵐が、全世界を吹きまくつてゐた時だ。 そこで先づこの経済恐慌は、世界資本主義の末期的症状が露呈されて来たものと見る。 そして世界の資本主義諸国家はこの経済的危機打開のために必然に帝国主義政策を露骨に強行するであらうことを前提として考へる。 その結果は、 (一) 経済的鎖国主義の強化 (二) 米、英、日、独などの強大国を中心としたブロック体制の強化 (三) 植民地、半植民地の獲得競争 (四) 資本主義列国間の対立激化 (五) 帝国主義諸列国の軍備拡張義争 となり、結局は第二次世界大戦となる客観情勢が強まつて来た。 これがコミンテルンの立場から見た当時の客観情勢の認識だ。「戦争と共産主義」 三田村 武夫 民主制度普及會
2014年08月12日
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ちやうどその頃、新進作家として仕事をはじめた横光利一は、のちに自作をふりかへつた或る文章で、関東大震災は彼がそれまで信じた美にたいする信仰を破壊した、といつてゐる。 「眼にする大都会が茫々とした信ずべからざる焼野原となつて周囲に拡つてゐる中を、自動車といふ速力の変化物が始めて世の中にうろうろとし始め、直ちにラヂオといふ声音の奇形物が顕れ、飛行機といふ鳥類の模型が実用物として空中を飛び始めた。……焼野原にかかる近代科学の先端が陸続と形となつて顕れた青年期の人間の感覚は、何らかの意味で変らざるを得ない。」 横光利一は、さういふ強ひられた感覚から、古い自然主義の情緒纏綿たるスタイルへの反抗をはじめたが、そのとき早くも、唯物史観といふわが国に最初にあらはれた実証主義が襲つてきて、「天日ために暗澹となるかと思はれた」といふ。 昭和はその延長のうへにはじまつた。それは明治憲法体制をひきつぎながら、明治国家とその文明を創造した主体の空洞化のはじまりをもひきついだのである。「昭和精神史」 桶谷秀昭 文芸春秋
2014年08月11日
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多くの心理学的現象は普通一般に考えられているように、目的的で動椒づけられた学習による変化ではなく、欲求の充足に伴って起こる動機づけられていない随伴現象であることが明らかにされた。 このことは小さな誤りではないということは、全部または一部が欲求充足による現象といわれているもののリストを見れば直ちに判然とする。 欲求充足による現象とは、たとえば心理療法、態度、興味、嗜好と価値、幸福、良き市民としての振舞い、自己に対する態度、種々の性格特性、その他多くの心理的効果などである。 欲求充足によって、比較的動機づけされていない行動が起こることがある。 それはたとえば「飽和状態に至ると、人間は圧迫、緊張、強要、必要の度をゆるめ、遊び暮らし、怠惰になり、くつろいでつまらぬことをやり、また受動的になり、日光浴を楽しむようになる。 そして(鍋や釜を使うよりは)飾ったりみがいたりし、遊んだり戯れたり、つまらぬことにうつつをぬかしたり、不注意で目的を意識しない状態となる」。「人間性の心理学」 A・H・マズロー 産業能率大学出版部
2014年08月08日
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『史記』、『漢書』に始まったシナ文明における歴史の伝統、すなわち「正統」を叙述する「正史」は、歴代の王朝が、自分が取って代わった前代の王朝の正史を編纂して、自分の正統を証明するという定例を生み出した。 唐代になって科挙出身の官僚が史官に任ぜられると、一代の皇帝の治世が終わるごとに、その皇帝の「実録」が編纂されるようになる。 さらに王朝が自分の「国史」を紀伝体で編纂するようになり、王朝が倒れると、それらを基礎として前王朝の正史が編纂される。 中華民国は『清史稿』を編纂したし、中華人民共和国は『中華民国史』を編纂している。 こうした皇帝の歴史は、いかにも完備したもののように見えるが、じつは核心に触れる部分がすっぽり欠落している。 正史の窮極の史料である「実録」は、中央政府の公的な最高機関から皇帝に提出されて決裁を受けた文書に基づいて編纂されるものである。 しかし皇帝の生活には私的な面もあり、実質的な決定手続きではそちらのほうが重要であることが多い。 たとえば軍事は国家の最高機密であって、表の政府機関を通さずに決定される部分があるが、こういうことは記録に残らず、したがって正史には記載されない。「岡田英弘著作集 歴史とは何か1」 岡田英弘 藤原書店
2014年08月07日
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ツールはそれをつかいこむうちに、その人の仕事や思考のスタイルに大きな影響を及ぼす。 ツールは仕事のやり方と独立ではない。 ツールは仕事のやり方を変える。 WinogradとFloresは名著Understanding Computer and Cognition(邦訳『コンピュータと認知を理解する』)の中で「デザインとはツールそのものを設計することではなく、そのツールの使用を通してひきおこされる仕事のスタイルの変化を設計することだ」という意味のことを述べている。「組織とグループウェア」 西垣通 NTT出版
2014年08月06日
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読むという行為を通じ、日本人はやがてヨーロッパ人の人生をあたかも自分の人生のように生きるようになりました。 ジュリアン・ソルルの野心、ジェーン・エアの幸福、ウェルテルの哀しみ、アンナ・カレニナの絶望――そんなものを、あたかも自分の人生のように生きるようになったのです。 かくして日本人は新たな時間を生きるようになりました。 一本の線のように直線的に流れる、歴史的、そして世界的な時間です。 すなわち、日本人は、ヨーロッパで流れる時間と同じ時間を生きるようになったのです。 そして、ヨーロッパで流れる時間と同じ時間を生きるようになることによって、ヨーロッパ人が「人類」(Humanite)と呼ぶものにも参加することになったのです。 「人類」に参加することができるようになった私の先祖たちに拍手を贈りましょう。「日本語が亡びるとき」 水村 美苗 筑摩書房
2014年08月05日
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歴史の事象を判断するには、まずそのおかれた條件の中に入つて一起一伏を共に歩いてあとづけて見るべく、それが保守であつたか進歩であつたかというような判断は、その歴史の外の絶対的價値をあてはめてはかることはできない。 (そしてまた、歴史の必然的發展段階を主張する立場からは、封建制の次に絶封主義がつづいたことは、むしろ歴史の流れにそつたものとして認めるべきであり、それがフランス革命のようでなかつたことを責めるのは、矛盾なのではないだろうか?) 明治以來の日本ははげしい進歩的衝動にかられて、世界史にまれな轉身をとげた。 これをただ反動的志向のみによつて左右されていたと考えるのは、條件を無視したあやまつた尺度をもつてはかつているのである。 すでに有利な地位をしめた先進國のように國民に大幅の自由があたえられていなかつたことは、右の意味での進歩のためにこちらの側の進歩が犠牲にされていたのであり、ことに戦時體制となつて極度に逼迫した日々のことは別の話であろう。 あのころのくるしかつた印象に壓倒されて、それへの怨嗟から歴史に對するセンスを失つている判断が多いと思われる。「昭和の精神史」 竹山道雄 新潮叢書
2014年08月04日
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価値の観点から見れば、手段に気をとられていたために、目的に対する関心が排除されてしまったといえるかもしれない。 共存と相互依存を強調するために因果関係の理論、殊に原子論的な諸理論の系列に加えて、全体論を重視する必要があると指摘された。 デューイの価値の理論に見られるように、連鎖因果律ではあるものは別のものを導き、そしてそれはさらに別のものを導くというように発展する。 これは、そのもの自体重要なものは何もない理論には自然に相伴うものである。 因果関係理論は達成とか技術的な業績を重視する人生にとっては適切であり、必要な道具であるとさえいえるが、高度の完成、美的経験、究極的な価値の熟視、楽しみ、冥想にふけること、鑑識眼、自己実現などを重くみる人生のためには全く役に立たない。「人間性の心理学」 A・H・マズロー 産業能率大学出版部
2014年08月01日
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