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小アジアのエフェソスの王家に生まれ (BC540頃-BC480頃)、 世俗に対する辛辣な批判および逆説的な言表から 「暗き人」「両頭の怪物」という異名を持ちます。 彼は万物の根源(アルケー,arche)を 「永遠に生きる火」とし、 一切のものが反対物との対立・抗争を通じて火から生成し、 火へと遠帰する様を「火の交換」と呼びました。 これによって起きるのが 絶えざる流転を繰り返す動的世界で、 ここにおいて「同じ河に二度はいることはできない」 という蔵言に代表されるかれのいわゆる 「万物は流転する(panta rhei)」という説が登場します。 万物が対立・抗争によって生成する以上、 戦いは「万物の父、万物の王」です。 しかし、生成全体は決して無秩序なものではなく、 神的かつ永遠なロゴス(1ogos)によって支配され、 常に調和・統一の内に保たれておりロゴスの声に耳を傾け、 「一切において一なる世界」に服することが 賢明かつ最善の在り方だとされています。 彼は「万物は流転する」(パンタ・レイ) という言葉を残しています。 本人の言葉かどうかの確証はありませんが、 プラトンがヘラクレイトスの言葉として書き残しています。 「アルケーは水だとか火だとか数字だとか言っているが、 万物は流転するのだ。どんどん変化していくのだ」 これがヘラクレイトスの思想です。 もっともへラクレイトスは、 変化と闘争を万物の根源とみなし、 その象徴を火としました。 ここには近世になってドイツの哲学者、 ヘーゲル(1770ー1831)が提唱した、 正反合の弁証法の理論につながっていく発想が すでに芽生えています。
2021年07月30日
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孔子(こうし)(前552/551―前479)の言行録で、 孔子の死後、曽参・有若の弟子によって編まれ 10巻20篇あります。 英国オックスフォード大學の教授として、 支那學の講座を持つていたジェイムス・レッグが、 儒教と耶蘇教とを比較して、 次の如き批評を下したことがあります。 「孔子は己所不欲、勿施於人(『論語』顔淵十二)といふ。 これをキリストが己の欲する所を人に行へ といふ教訓と比較すると、キリストの方が積極的で、 孔子の方が滑極的である。 キリストは正義を行へと命じ、 孔子は不正を行ふなかれと禁ずるので、 兩者の間に大なる差別がある。」 また「孔子と弟子たちとの対話が残されていますが、 そこにあるのは通俗道徳です。 それは、至るところ、どんな民族にもあるもので、 特筆すべきものではありません。 孔子は実用的な知恵のもちぬしで、 思索的な哲学はまったくなく、 あるのはただ、善良な、有用な、道徳の教えで、 そこにはなんら特別のものはありません。 キケロの道徳教訓書『義務について』のほうが、 孔子の全作品よりも有益です。」 とヘーゲルは言いました。(『論語』のページ参照)
2021年07月29日
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孔子(紀元前551年‐紀元前479年) を師とする学派は「儒家」と呼ばれ、 その教えは儒教と呼ばれました。 西漢時代に儒教が事実上の国教となってからは、 歴代の王朝も概ねそれを踏襲してきました。 それ以来、中華人民共和国の成立時や 文化大革命時に批判されたこともありましたが、 支那の政治・倫理思想の軸となって生き続けてきました。 今日の支那共産党も、「儒教社会主義」を提唱しています。 孔子の思想が弟子たちによって発展していく中で、 「修身斉家治国平天下(しゅうしんせいかちこくへいてんか)」 という言葉が『大学』という書物の中に残されています。 「天下を治めようとするなら、 まず自分が努力して立派な人となれ。 次に家族を愛し平和な家庭をつくれ。 その次に国(地域)を治めよ。 そして次に天下を平(たい)らかにせよ。 この順序が大切なのである。」という意味です。 祖国の乱れを嘆き、 古きよき時代に戻れと訴えた孔子の教えは、 このように理解され、 言えば権力者サイドに重用され続けてきました。 孔子の一生は 必ずしも恵まれていなかったかもしれませんが、 子孫には精神的にも物質的にも豊かなものを残しました。 彼の考え方は『論語』によく表われております。
2021年07月28日
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知の爆発は支那ではどうだったでしょう。 孔子や老子がこの時代の人です。 また、陰陽五行説(いんようござょうせつ)が この時期に台頭します。 陰陽五行説は、 陰陽説と五行説が一体化して形成されたもので、 支那における宇宙生成の理論です。 まず陰陽説とは、世界には天と地、 日と月などの 2大元気(げんき)があるという考え方です。 この陰と陽が交わることによって、 5元素が生まれると考えます。 すなわち、 木(もく)・火(か)・土(ど)・金(こん)・水(すい) の5元素です。 肉眼で見える木星、火星、土星、金星、水星の 5惑星に対応します。 この5つが宇宙に存在する一切のものを構成し、 5つが同調したり反撥しあったりしながら (エンペドクルスの愛憎と同じ発想です)、 世界を循環させていくという考え方が、 陰陽五行説のおおまかな概要です。 後に、支那の思想や人々の生活にも 多大な影響を与える陰陽五行説は、 知の爆発の時代に形を整えていきました。 支那の伝承では、 陰陽という理念を生み出したのは 原始の聖王と呼ばれている伏義(ふっき)と、 その妻の女嫡(じょか)であったといわれています。 2人とも人頭蛇身の神です。 また五行説を唱え始めたのは、 これもやはり神話に近い世界ですが、 夏(か)という王朝の始祖、 禹(う)であるといわれています。
2021年07月27日
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ピュタゴラス(紀元前582年 - 紀元前496年)は タレスと同じくイオニア地方の出身ですが、 青年期に学問のため、古代オリエントの地を遍歴しました。 諸国を遊学した後、故郷に戻ってきますが、 やがてイタリア半島の南部にあった ギリシャの植民都市クロトンに移住し、 その地でピュタゴラス教団を創設します。 クロトンは現在のクロトーネです。 ピュタゴラス教団は、 数学的な原理を基礎にして 宇宙の原理を確立することを目指しました。 彼は万物の根源は数であると考えたのです。 これも鋭い発想です。 コンピュータの原理はすべて0か1の数字です。 ピュタゴラス教団の才能ある数学者たちは、 数々の現代に残る数学の定理を発見しました。 またビュタゴラスは一絃琴(いちげんきん)を用いて、 音程の法則を発見しています。 そのことによって、 音階を数字で表すことを可能にしました。 彼は教祖のような地位に祭り上げられ、 その神秘的な側面が強調されていました。 が著作物で現存するものはなく、 弟子たちが書いたものや数学関係の書物の注釈によって、 彼の学説や思索が残されています。 ピュタゴラスが宗教的に信じていたのは、 インドの輪廻転生思想でした。 その信仰のために彼は故郷のサモス島を離れて、 イタリアに渡ったのです。 哲学と宗教は、その誕生から発展の過程において、 多くの類似点があるといわれているのですが、 ピュタゴラス教団はその好例でです。
2021年07月26日
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タレス、アナクシマンドロスと共に ミレトス学派(イオニア学派)の代表です。 アナクシマンドロスよりも少しのち、 やはりミレトス人のアナクシメネス (紀元前585年 - 紀元前525年)は、 「万物はある一つの一般的物質でできている」 という考えに立ち戻りました。 ただし、アナクシメネスにとってそれは水ではなく、 空気でした。 彼が書いたのは、 「空気であるわれわれの魂がわれわれを支配し、 息と空気が全世界を包み込んでいる」 という一断片だけです。 アナクシメネスをもって、 ミレトス学派は終焉(しゆうえん)を迎えました。 ミレトスとその他の小アジアのイオニア諸都市は 紀元前五五〇年頃、 拡大するペ~シャ帝国の支配下に入ったのです。 紀元前四九九年、ミレトスは反乱を起こし、 ペルシャ軍に蹂躙(じゆうりん)されました。 その後再建されて 重要なギリシャ都市としての地位は回復したものの、 二度とギリシャ科学の中心地には戻れませんでした。
2021年07月23日
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老子は万物の根源は道だと考えていましたが (原理が)単一のものであって動いており、 無限定なるものだと述べている人々のうち、 タレスの弟子にしてその後継者となった、 ミレトスの人プラクシアデスの子アナクシマンドロスは、 この無限定なるものは この世に存在する事物の原理にして 基本要素であると言いました。 彼は、それは水でもその他のいわゆる元素でもなく、 これとは別の無限定の性質を持つものであり、 天と天の内なる世界はそれから生じた、 と述べています。 また、存在する事物を生成する元となるものは、 それらの必然に従って消滅して還元されるものです。 というのも、 それらは時の定めに従って互いの不正に対して罰を受け、 償いをするものだからです、 と彼はいささか詩的な言葉遣いで述べています。 また、四元素が互いに入れ替わるのを観察して、 彼がそれらのうちの一つを根源的物質とするのは 不適切だと考え、 それら以外の何かを根源的物質としたことは明らかです。
2021年07月22日
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ミレトスに住んでいたアナクシマンドロス (紀元前610年頃 - 紀元前546年)は、 タレスとともに最初の哲学者とされており、 自然哲学について考察しました。 万物の根源(アルケー)が “無限なるもの”(アペイロン)であることを論じました。 彼は「事物の起源は、限りのないものである。 事物がそこから生まれたものへと、 その死も必然的に帰っていく。 なぜなら、事物はその不正の償いとして、 時の秩序にしたがって、互いに正しい返報をするからである」 と記しました。 つまり、有限なもの(ペレス)はこれより生じ、 寒熱をもち、罪によって滅び無限なものに再び帰する としたのです。 この発想の画期的なところは タレスが「水」という自然界に存在する要素を用いて 世界の起源を説明しようとしたのに対し、 「火」や「水」といったあらゆる対象物の 根源を抽出するために「無限なもの」を概念化したことです。 タレスは、「地球」が空に浮いており 地球の下側にも空が広がっていること、 動物や植物は環境の変化に対応して進化することなど、 現代人に共有されている 世界を理解するために必要な基本原理を築きあげました。 しかしタレスの弟子アナクシマンドロスは、 これとは異なる結論に至ったのです。 彼も単一の基本的物質が存在すると考えましたが、 タレスとは異なり、 それを一般的な物質とは結びつけませんでした。 彼はそれを神秘的な物質だとして、 「無限定なるもの」あるいは「無限なるもの」と呼びました。
2021年07月21日
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日本人が黒船におどろいてから、 まだ30年くらいのころです。 長岡半太郎は、大学を休学して 「東洋人が、科学的分野において、 西洋人に対抗することができるのか?」 ということを自身で調べました。 近代化といっても まだ猿真似程度しかできなかった頃に、 理系の分野で東洋人がやっていけるのか? と考えたのです。 その結果、 「支那における渾天儀(天文観測機)、 暦法、指南軍(黄帝)、北光の観測(山海経)、 有史以前に属します。 ○戦国時代恒星表(石氏、甘氏)、太陽黒点(楚辞)、 天の蒼々たる、これ本色か(荘子)、微分の観念(恵施)、 共鳴の実例(荘子)、雷電の説明(荘子)、 エネルギーの概念(荘子)(二千三百年前)、 金属の研究、 ○銅錫の合金(礼記、周公、二千九百年前時代)、 鉄製刀剣(二千二百年前)。 大砲と解釈される霹靂車、 すなはち火薬の利用(千七百五十年前)。 ことごとく支那独創的のもの。 ギリシャ、ローマより渡来せるにあらず。」 かくして得られた結論は、 「これほどの研究があるからには 東洋人でもこれに専念すれば終に 欧米に遜色なきに至らんと確信を得るに至りました。 これが私をして物理学に執着するに至らしめた根源であります」 (湯川秀樹著「長岡先生の休学」より引用。)
2021年07月20日
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人類誰もが考える「空がなぜ青い」という問いから 「遠い空からみれば、地球もきっと青い」 というところまで考えた人は、 紀元前では荘子だけでしょう。 数十年前にガガーリンが言うまで ほとんどの人が気付かなかったことです。 そうです。 陰陽説をとなえた荘子は地球は青いと考えたのです。 長岡半太郎の文章を読んでみました。 「これと前後して明瞭になつたことは、 原子が陽電氣を帶ぶる核と、 陰電氣を帶ぶる電子の或る數からできてゐて、 陰陽相均しき場合に普通の状態に在ることである。」 とあります。 これは、老子の考え 『道は一を生じ、一は二を生じ、三は万物を生じる。 万物は陰を負いて陽を抱き、冲気以って和を為す。』 (「老子」四十二章)に似ています。 本来の陰陽説では陰陽というのは、 +と-ではなくて「奇数」と「偶数」です。 しかし、 長岡は今の「陰性」「陽性」と同様に普通に、 陽子のプラスと電子のマイナスを陰陽と表しています。
2021年07月19日
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「最高のもの、究極のもの、 根源的なもの、第一のもの、 万物の根源は、無であり、空虚であり、 まったくわけのわからぬもの(抽象的普遍) であるわけで、それがまた、 道(理性)と名づけられます。 ちなみに、 ギリシャ人が、絶対者は一である、といい、 近代人が、絶対者は最高の実在である、というとき、 ここでもすべての概念規定が抹消され、 たんなる抽象的実在だけが残って、 肯定の表現は取っているものの、 道教と同じ否定の思想が述べられているにすぎない。 哲学がそういう表現にとどまるかぎり、 それは初歩の哲学です。」 「道」とは何かということについての 概念的把握が乏しい道教は、 まだまだ初歩の哲学だとヘーゲルは言うのです。
2021年07月16日
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タオイズムという考えは、 「人為(あらゆる人工物、 すなわち思想、社会制度、技術、美術も含む)」 というのもが、人間を幸福にはしない、 という思想です。 これは「人間は自然の一部であり、 自然もまた人間と同化している」 という考えから始まって、 大きくいうと自然とともに生きるという思想です。 儒教のように政治に積極的に関わるのではなく、 自然の法則「道(tao)」にしたがって 人間の本性や自由に目覚めて生きていくと 社会なんてどうでもよくなって、 「道」を理解していくために、 身体や精神の修練のため山の中に隠居してしまう。 老荘思想は、日本人にとっては、 食塩水のように実体の見えない思想 と言えるかも知れません。 まさに、自然とそうなった、 というような印象があります。 一番体現しているのが、日本では、夏目漱石です。 「智に働けば角が立つ。 情に棹させば流される。 意地を通せば窮屈だ。 とかくに人の世は住みにくい」というところです。 その上で「則天去私」 (天の法則に則って、私心を忘れ去る)ということです。 これは、「道(tao)」の法則に則って、 人為的なものを退けて自然と共にあることで 意識として超越した存在になる」、 つまり、真の意味で自由になるくらいの思想が 「則天去私」です。
2021年07月15日
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紀元前6世紀の支那における老子にとって、 そもそものはじめから 天地のあいだにあった自然の調和は、 だれもがいつでも見出しうるものでした。 といっても、 儒教のきまりにしたがっていては無理です。 『道徳経』にもあるように、 地は、その本質において天を映しだしており、 おなじ法則によって営まれているます。 この法則は、遠い惑星の回転ばかりでなく、 森の鳥や海の魚の活動にも影響をおよぼしています。 老子によれば、宇宙の法則によってつくりだされ、 支配されている自然のバランスに 人間が介入すればするほど、 その調和は遠のいてしまう。 無理をすればするほど、問題が大きくなる。 軽重、乾湿、遅速にかかわらず、 万物はその内に独自の性質をもっており、 それを無視すると面倒が起こらずにはすまない。 観念的で一方的な規則が外から押しつけられれば、 どうしても軋轢が生じる。 人生がすっぱくなるのはそのときだけです。 これすべてひとまとめにして、 道教(タオイズム)と呼びます。 けれど、タオイズムの基本は、 あらゆる日々の営みの真価を充分に認め、 それから学びとり、それとつきあっていく、 ひとつの特別なやり方にすぎません。 タオイストの見方では、 この調和のとれた生き方が おのずから幸福をもたらす。 明るい落ちつきこそ、 タオイストの人格の いちばん目立つ特徴といっていいのです。 それに微妙なユーモアのセンス。 これなどは、 たとえば二千五百年前の『道徳経』のような、 もっとも深遠なタオイストの書物にさえ見られます。
2021年07月14日
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BC624年頃にはギリシャの地に 最古の哲学者タレスが生まれました。 タレス(紀元前624年頃 - 紀元前546年頃)は エーゲ海の東海岸(現トルコ)、 イオニア地方の都市ミレトスの出身です。 そのために彼につながる初期の哲学者たちを、 「イオニア派」と呼びます。 また自然を探求する自然科学の立場を取っていたので、 後世になると自然哲学者たちとも呼ばれました。 さてタレスは、 この世のアルケーは何であると考えたのでしょうか。 答えは水です。 今日では人間の身体の約7割が水であることも、 地球上の生命の根源が水であることも判明しています。 そう考えると、 このことを一言で喝破したタレスの直観力には 恐るべきものを感じます。 タレスは特に測量技術や天文学に通じていました。 「半円に内接する角は直角である」という定理を、 中学生の頃に学んだ記憶があると思いますが、 彼が発見した定理であるといわれています。
2021年07月13日
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紀元前7世紀後半、 ペルシャ人の長で ハカーマニシュの息子テイスペス(チャイシュピ)は、 アッシリアに圧倒され衰退しつつあった エラム王国の都市アンシャンを征服しました。 テイスペスの子孫は アンシャンを支配した一族とペルシャに残った一族の 2つの系統に分岐したのです。 アッシリアの衰退と共にメディア王アステュアゲスは、 バビロニアを除くアッシリア北部の領土を すべて征服しました。 この時代のペルシャはメディアに服属していたのです。 紀元前550年、 アステュアゲスの孫(アステュアゲスの娘マンダネの子)で、 メディア人(英語版)とペルシャ人の混血である アンシャン王キュロス2世(クル)は反乱を起こし、 メディアの将軍ハルパゴスの助けを得て メディアを滅ぼしました。 イラン高原を掌握したキュロスは、 さらに小アジアのリュディア、エラム、 メソポタミアの新バビロニアを滅ぼしました。 紀元前525年にキュロスの息子カンビュセス2世(カンブジャ)は エジプト(エジプト第26王朝)を併合して 古代オリエント世界を統一したのです。
2021年07月12日
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ギリシャを発達させたのは エジプト人(黒人、アフリカ人)でした。 エジプト第26王朝(紀元前664年 - 紀元前525年)は、 第3中間期、または末期王朝時代の古代エジプト王朝は サイス朝と呼ばれアッシリアがエジプトを征服した後、 エジプトの管理を委ねられた サイスの王家による王朝を指します。 サイス朝は後にアッシリアの弱体化に乗じて独立を達成し、 オリエントの四大国の1つとして大きな影響力を発揮しました。 美術面ではサイス・ルネサンスと呼ばれる 古王国を手本とした伝統回帰の動きが見られました。 エジプト軍は黒海沿岸まで進出し、 その結果そこに黒人が多く残ることになったのです。 ギリシャ文明は エジプトやレヴァントの影響を受けていることを、 マーティン・バナールは言語学的あるいは 考古学上の情報を踏まえて提示しています。 ヨーロッパ列強時代の白人至上主義により、 ギリシャを発展させたのは白人ということになっていますが、 バナールはギリシャ文明のルーツを エジプト文明に求めることで、 ヨーロッパ至上主義な〈アーリア・モデル〉に異を唱えたのです。 つまり古代ギリシャは、 日本と同じように海の向こうからやってきた 文化を吸収し受け入れながらも、 自分たちの文化を捨てることなく、 オリジナルとして発展を遂げたのです。
2021年07月09日
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「孫子(そんし)」という本があります。 兵法の書で、春秋のころ呉(ご)の国にいた 孫武(そんぶ)が書いたものとなっています。 「うまく軍隊を統率する者は、 例えると率然のようなものである。 率然とは、常山にいる蛇のことである。 その首を攻撃すると尾が助けに来て、 尾を攻撃すると頭が助けに来る、 胴体を攻撃すると 頭と尾の両方ともが助けに来ることになる。 軍隊を率然のようにさせるにはどうしたらよいでしょう」。 そもそも呉の人と越の人は お互いに憎み合っていましたが、 たまたま同じ船に乗り合わせて渡る時に 大風が吹いてきたならば、 お互いに助け合う様子は 左右の手のような協力関係でしょう。 呉人と越人はとても仲が悪いが、 たまたま同じ船に乗り合わせた際に、 突風にあって船が転覆しそうになったときには、 まるで左右の手のように協力し、 危機を乗り越えるものです。 仲の悪いものでも、 共通の敵(孫子においては強力な大国)が現れれば、 協力してこれを退けようとする という事を諭したのです。
2021年07月08日
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長江流域では呉・越という 2つの新興勢力が興っていました。 呉は闔閭・夫差の2人の君主と名臣孫武・伍子胥、 越は君主勾践と名臣范蠡の力により 急速に勢力を拡大しました。 呉は楚の首都を陥落させ、 滅亡寸前に追い込むほどの力を見せています。 さらに越を撃破して服属させ、 黄河流域に進出して諸侯の盟主の座を 晋と争っていました。 しかし、 一旦屈服した越は入念な準備に基づいた 反撃をおこなって、呉を滅亡させました。 越も勾践の死後は振るわず、 後に楚に滅ぼされてしまいました。 完全な異民族が中原の覇者となったことで 周王朝を中心とする秩序が無意味化したこと、 呉越は製鉄の先駆地でこの頃から 本格的に鉄器時代に入ること等から、 呉越抗争の直後からを戦国時代とする説もあります。
2021年07月07日
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古代支那における 周王朝の後半期に位置する時代で、 周が東西に分裂した紀元前770年から、 現在の山西省一帯を占めていた大国「晋」が 三国に分裂した紀元前5世紀までの、 およそ320年に渡る期間を指します。 この春秋時代の呼称は、 周代に成立した儒家経典の一つである 歴史書「春秋」から取られています。 紀元前771年に発生した反乱から 周王朝は東周(洛邑)と西周(鎬京)に分裂し、 その二十年後に 東周が西周を下して王権を一本化するも 往年の勢力はほぼ失われていました。 周王朝の下での秩序が喪失した事で、 支那全土に割拠する大小合わせて 二百以上の諸侯は独立状態となり、 自国の存続と他国の克服を目指して 互いに争うようになりました。 なお、 周王の権威は依然重視されていたので、 周王の名代として諸国を束ねる 「覇者」の座に就く事が諸侯たちの目標となりました。
2021年07月06日
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カントの著作である本書は 永遠平和を確立するための 予備条項と確定条項から構成されています。 予備条項の章では 将来戦争を留保した講和条約、 買収、贈与などによる国家の取得、 常備軍の維持増強、 政策戦争のための国債発行、 諸外国に対する軍事的な内政干渉、 外国に対する相互信頼を不可能とする行為、 以上を禁止するための条項が列挙されています。 これら予備条項は 平和をもたらすための準備的な段階であり、 確定条項では具体的な平和の条件が示されます。 確定条項では各国の政治体制が共和政であること、 また国際法は諸国家の連合体に基づくこと、 世界市民法が有効をもたらす条件に 限定されなければならないことが定められています。 さらにカントは海洋進出した欧州諸国の アメリカ・アフリカ・アジアにおける 侵略・簒奪的姿勢を批判しつつ、 清と日本の鎖国政策に言及し、 賢明な措置と評価しています。
2021年07月05日
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田沼時代の日本にやってきた、 オランダの植物学者ツェンベリーは 「ツンベルグ日本紀行」において 「日本国民が人間の尊厳ということを自覚し、 平等や自由の観念をもっている と判断してはならない」と批判しつつも 「日本人は、科学的工業的発明力は乏しいが、 好奇心が旺盛で、 鎖国していながら愛国心と歴史意識がつよく、 ヨーロッパのような「くだらぬ庇理屈」ではなく 「簡にして明瞭な綻」に従って行動を律し、 諸階層間また種々宗派間にさえ 完全な協和をつくり上げている。 片よった奪惨が見られぬかわりに、 国民全般が安定した生活を営み、 「自国産の上等の布と清潔な衣服と 健全で味よい食事と秀れた武器」をえて満足している」 と安定を支えていた幕藩制の機能や、 その下での国民生活の ささやかながら充実した幸福というものに共感を示しています。 これも一つのユートピアであったでしょう。
2021年07月02日
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③休暇が多く、バランスのある働き方 家族で過ごす時間を重視します。 定時には帰り、子供を迎えにいき、 家で団らんを過ごします。 また、休暇も多く、 長期はまとめて1カ月程取れるため、 多くの人が夏には、バカンスを満喫します。 その間の経済活動は遅れがちになりますが、 みんなそれを理解しているため、 特に気にする必要はありません。 人は興味が移り変わるものと認識されており、 次の職に就きやすくするため、 大人のための学校や教育機関が しっかりと用意されています。 人の心の自然な流れに沿う社会制度があるので、 無理なく生きられるのです。 ④女性も生きやすい、多様性ある社会 女性は「何も諦める必要がないのよ」といい、 活き活きと生活を謳歌している。 ⑤「個」を重視、社会につながる教育 教育で重視するのは「個」を伸ばすこと。 教室を見ると、みんなバラバラなことをしている。 「一番大切にしていることは、 一人ひとりの個性を伸ばすこと」 今生きるために必要なことを教えます。 ⑥エコ活動を楽しく、経済的に エコ活動をし、経済とうまく連携させることで 活発化しています。
2021年07月01日
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