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創世記には、アブラハム・イサク・ヤコブの 3代の族長の物語も続いて記されています。 アブラハムはバビロニアから出発して、 カナン(現在のイスラエル/パレスチナ)に やってきた遊牧民の族長で、 神から祝福を受け諸民族の父になるという 約束を与えられました。 イサクはアブラハムの息子であり、 彼にも子孫が栄える旨が神から約束されています。 さらにその息子がヤコブで、 彼と契約を結んだ神は ヤコブとその子孫にカナンの土地を与えると約束しています。 ヤコブはこの契約でイスラエルと改名し、 彼の子孫はイスラエル人と呼ばれるようになりました。 ヤコブは12人の男子および数人の女子をもうけたが、 男子それぞれがイスラエル十二氏族の長とされています。 つまりヤコブがイスラエル/ユダヤ人の始祖です。 創世記には、この族長の3代記に続けて ヤコブの末子のヨセフの物語が記されています。 兄たちに殺されかけて エジプトに奴隷として売り飛ばされながら、 夢占いと実力で立身出世してエジプトの宰相にまで登りつめ、 飢饉に苦しむようになった父と兄たちを エジプトに呼び寄せて救う話です。 創世記では、 これらの他に悪徳の町であるソドムとゴモラの滅亡、 ヤコブと神の使者との格闘などの話が有名です。
2021年09月30日
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旧約聖書の冒頭が創世記です。 そこでは神が7日間で世界を創り、 楽園に男と女(アダムとイブ)を住まわせたが、 彼らが蛇の誘惑によって禁忌を犯したので 楽園を追放されたという、 神による天地創造と人間の堕落が語られています。 ちなみに西欧の労働観は、 この旧約聖書の創世記にあるアダムとイブの 罪に対する罰にさかのぼることができます。 労働は人類創造のときより 「苦役」として背負わされるというのです。 この労働観は根底的に転倒していています。 人間は動物です。 動物は生存のために動きまわります。 つまり働くことは欲望を満たす当たり前のことです。 気持ちのいいことなのです。 創世記には以下、 最初の殺人であるカインとアベルの兄弟の話、 ノアの箱舟、バベルの塔などの物語が続いていきます。
2021年09月29日
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エンペドクルスは世界の成り立ちを、 火・空気・水・土の4元素によって説明しました。 言い方を変えれば、 この4つの材料によって世界は構成されている、 という考え方です。 これに対してアリストテレスは、 この4元素がいかなる状態になっているか が重要であると考えました。 具体的には熱・冷・乾・湿の 4種の性質の組合せです。 火の性質は熱と乾、 空気の性質は熱と湿、 水の性質は冷と湿、 土の性質は冷と乾です。 アリストテレスは、 この4性質を森羅万象から 人間の性格にまで対応させて、 壮大な体系をつくっています。 4元素については、アリストテレスは、 元素として取り上げるというよりは、 4つの材料として取り上げるのです。 彼の4性質説は、 エンペドクルスの4元素説以上に、 ヨーロッパの社会に大きな影響を与えました。 奇(く)しくも、 このアリストテレスが考えた4性質説と 支那の陰陽五行説は、 たいへんよく似ています。
2021年09月28日
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アリストテレスは宇宙論もまとめています。 宇宙の中心に不動の地球があり、 その中心に対して同心円状の階層構造になって 諸惑星が各層を構成していると考えました。 天動説です。 同時にこの地上における生物の世界についても、 詳細に観察してその成果を発表しています。 特に動物学では数百種類の動物を、 観察し、分類しています。 そして動物は自然発生的に、 いろいろなものから生まれるとしています。 たとえばミジンコはゴミから生まれる、と。
2021年09月27日
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中庸という用語は儒教からの借用です。 ギリシャ語ではメソテース(mesotes)、 英語ではゴールデンミーン(goldenmean)といいます。 人間の行為や感情における超過と不足という両極端の中間に、 徳が存在するとアリストテレスは説きます。 たとえば、ある日、鬼が表戸を破って侵入してきたとき、 素手で殴りかかるのは食われるだけの蛮勇にすぎません。 しかし、怖がって隠れてしまうのは臆病なだけです。 やはり武器を持って知恵を絞り、 勇気を持って鬼と戦うことです。 そこに徳(エートス)があり、 幸福へつながる道があるのです、 とアリストテレスは中庸の大切さを説いたのでした。 さらにこのゴールデンミーンの延長線上に 望むべき政治の姿もあるのだと、 アリストテレスは考えました。 人間の幸福は民主政の都市国家においては、 中庸の道を採って政治を行うことで 実現されるのだと。 すなわち実践学を「政治学」と「倫理学」に分類し、 倫理学上の善は中庸によって共同体に実現されるといいました。 ちなみに「倫理学」という訳語は、 哲学者、井上哲次郎の発案です。 支那の古典(礼記)に由来しています。 「人間の秩序だった関係(倫)を定める(理)学問」、 といった意味合いです。
2021年09月24日
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これは、アリストテレスの講義録を、 息子の二コマコスが編集したものです。 プラトンは感覚を五感に制限せず、 「精神の目」と呼ばれる内的感覚を認めていましたが、 アリストテレスはこれを否定し、 広い意味での経験によって得られるもののみを知と見て、 知の諸形式を知覚、記憶、経験、学問に分類しました。 さらに、アリストテレスは、その学問体系を、 「論理学」をあらゆる学問成果を手に入れるための 「道具」(希:organon)であるとした上で、 「理論」(テオリア)、 「実践」(プラクシス)、 「制作」(ポイエーシス)に三分し、 理論学を「自然学」と「形而上学」、 実践学を「政治学」と「倫理学」、 制作学を「詩学」に分類しました。 アリストテレスによれば、形而上学は 存在するものについての「第一哲学」であり、 始まりの原理についての知であったのです。 アリストテレスは実証的であり、 経験論を大切にしました。 さまざまな経験の中から真実を導き出すために、 アリストテレスは経験による結果を分析し、 理論化することを重視し、 そのために論理学を体系化しました。 たとえば三段論法があります。 「AはBである、BはCである、それゆえCはAである」 という論理展開です。
2021年09月22日
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アリストテレス(前384年―前322年3月7日)は、 プラトンより43歳ほど年下ですが、 アリストテレスの思索の深さはプラトンをしのぐほどで、 かれは観念論的な思索を突きつめた人ですので、 経験的な視野をどんなに広げても、 根は観念論者だったのです。 さて周知のように、アリストテレスは、 ありとあらゆる事柄について、 整理し、分類し、列挙した哲学者です。 その分類や列挙は、 時に何の脈絡もないように思われるほど、 ただ膨大なだけに見えます。 このやりかたによってこそ、 さまざまな側面が完全に取り上げられるし、 みずから脈絡を探索し発見する気にもなります。 この配列から、配列の思想的考察へと論はすすみます。 そこでは、対象がさまざまな側面から定義づけられ、 そこから概念が、哲学的概念が、 単純な定義として浮かびあがってきます。 この場面こそ、 アリストテレスの哲学の本領をなすもので、 かれの最高度の思索が示されます。
2021年09月21日
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エピクロスは欲求を、 自然で必要な欲求 (たとえば友情、健康、食事、衣服、住居を求める欲求)、 自然だが不必要な欲求 (たとえば大邸宅、豪華な食事、贅沢な生活)、 自然でもなく必要でもない欲求 (たとえば名声、権力)、 の三つに分類し、 このうち自然で必要な欲求だけを追求し、 苦痛や恐怖から自由な生活を送ることが良いと主張し、 こうして生じる「平静な心(アタラクシア)」を追求すること が善だと規定しました。 こうした善の理想を実現しようとして開いたのが 「庭園」とよばれる共同生活の場を兼ねた学園でしたが、 そこでの自足的生活は 一般社会との関わりを忌避することによって成立していたため、 その自己充足的、閉鎖的な特性について ストア派から激しく批判されることになりました。 このように彼による快楽主義は、 自然で必要な欲望のみが満たされる生活を是とする思想です。
2021年09月17日
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倫理に関してエピクロスは 現実の煩わしさから解放された状態を「快」として、 人生をその追求のみに費やすことを主張しました。 「快楽こそが善であり人生の目的だ」 という考えを中心に置いた主張を行っており、 彼の立場は一般的に 快楽主義という名前で呼ばれています。 後世、 エピキュリアン=快楽主義者 という意味に転化してしまいますが、 エピクロス自身は 肉体的な快楽とは異なる精神的快楽を重視しており、 肉体的快楽をむしろ「苦」と考えました。 エピクロスは、幸福を人生の目的としました。 これは人生の目的を徳として、 幸福はその結果に過ぎないとしたストア派の反対です。 ここで重要なのは、 彼の快楽主義は帰結主義的なそれであって、 快楽のみを追い求めることが 無条件に是とされるものではない点です。 すなわち、 ある行為によって生じる快楽に比して、 その後に生じる不快が大きくなる場合には、 その行為は選択すべきでない、 と彼は主張したのです。
2021年09月16日
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快楽主義などで知られる古代ギリシャの ヘレニズム期の哲学者(前341年 - 前270)で、 エピクロス派の始祖です。 エピクロスの自然思想は、 原子論者であったデモクリトスの 「それ以上分割できない粒子である原子と空虚から、 世界が成り立つ」とする説に負っています。 そうした存在を把握するのは感覚で、 エピクロスはこれは信頼できるものであり、 認識に誤りが生じるのは この感覚経験を評価する際に行われる 思考過程によるものだとしました。 こうした彼の認識論は、 彼の倫理学説の理論的基盤となっています。 たとえば彼は「死について恐れる必要はない」 と述べていますが、その理由として、 死によって人間は感覚を失うのだから、 恐怖を感じることすらなくなるのであり、 それゆえ恐れる必要はない といった主張を行っています。 このように 「平静な心(ataraxiaアタラクシア)」を追求すること を是とした彼の倫理学説の淵源は、 彼の自然思想にあると言えます。
2021年09月15日
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ヒポクラテス(紀元前370年ごろ)は 古代ギリシアの医者で、 エーゲ海に面したイオニア地方南端の コス島に生まれ、 医学を学びギリシア各地を遍歴しました。 最も重要な功績のひとつに、 医学を原始的な迷信や呪術から切り離し、 臨床と観察を重んじる経験科学へと 発展させたことが挙げられます。 ヒポクラテスは、 病気とは自然に発生するものであって 超自然的な力(迷信、呪術)や神々の仕業ではない と考えた最初の人物です。 哲学(イオニア自然学)に対しても、 『古い医術について』という論文では エンペドクレスのような 空気・水・火・土を四大元素とする哲学的傾向や、 クロトンのアルクマイオンのように 熱・冷・乾・湿をそれぞれ対抗する力ととらえ、 病気の原因や治療をそこから説こうとする傾向を 医学から排除しようとしています。 医学を宗教から切り離し、 病気は神々の与えた罰などではなく、 環境、食事や生活習慣によるものであると信じ、 主張しました。 さらに医師の倫理性と客観性について 『誓い』と題した文章が全集に収められ、 現在でも『ヒポクラテスの誓い』として 受け継がれています。
2021年09月14日
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ムセイオンとギリシャ科学の繁栄は、 プトレマイオス朝が滅んだのちも続きます。 古代の最も偉大な科学的発見や発明の数々は、 ローマ時代のギリシャ世界(おもにアレクサンドリア)で 成し遂げられたものです。 しかしアレクサンドロス大王の死後、 彼の大帝国は複数の王国に分裂しました。 その中で、 科学史にとって最も重要だったのがエジプトです。 エジプトを支配したのは、 ギリシャ人の王朝であるプトレマイオス朝です。 プトレマイオス朝は、 アレクサンドロスの将軍の一人だった プトレマイオス一世から、 クレオパトラと(おそらくは) ユリウス・カエサルの息子 プトレマイオス十五世まで続きます。 アントニウスとクレオパトラの連合艦隊が 紀元前三一年にアクティウムの海戦で敗れてまもなく、 プトレマイオス朝最後の王は殺され、 エジプトはローマ帝国に併合されました。
2021年09月13日
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ヘレニズム時代の科学の中心地は、 プトレマイオス朝エジプトの首都 アレクサンドリアです。 アレクサンドロス大王によって ナイルの河口に築かれたアレクサンドリアは ギリシャ世界最大の都市となり、 のちのローマ時代にはその大きさと豊かさで ローマに次ぐ帝国第二の都市となりました。 紀元前三〇〇年頃、 プトレマイオス一世はアレクサンドリアに 王宮の一部としてムセイオンを創建しました。 「ミューズの神殿」という意味を持つムセイオン (諸学芸を司る九柱の姉妹神ミューズは、 ギリシャ語ではムーサという)は、 元々は文学及び歴史研究の殿堂でした。 しかし、 紀元前二八五年にプトレマイオス二世が即位したのち、 ムセイオンは科学研究の中心地となりました。 その後も文学や歴史の研究はムセイオンと アレクサンドリア図書館で続けられましたが、 ムセイオンで最も盛んになったのは 天文学研究でした。
2021年09月10日
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紀元前三二三年の アレクサンドロス大王の死とともに アリストテレスはアテネを去り、 その翌年この世を去りました。 マイケル・マシューズは彼の死を、 「歴史上最も輝かしい知性の時代の黄昏を告げる死」 と表現しています。 確かにそれは古典期の終焉でした。 しかしそれは、科学にとっては、 遥かに明るい時代の夜明けでもあったのです。 以下で、 そのヘレニズム時代について述べることにします。 ギリシャ人が支配したエジプトでは、 以後十七世紀まででも最高の知が花開いたのです。 万物を包括する理論の追究から撤退し、 実用的技術に取り組んだことが、 アルキメデスの比重や円の面積などの 傑出した成果を生んだのです
2021年09月09日
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プラトンは、 イデアを想起することについて、 次のような論理を展開します。 人間の魂はかつて天上の世界にあって イデアだけを見て暮らしてきました。 しかし、 人間は汚れたので地上に追放されました。 その途上、忘却の河を渡ってしまったのです。 そのときに、かつて魂が見ていたイデアを、 ほとんど忘れてしまいました。 しかし地上の世界で、 イデアを真似てつくられたものに接するときに、 忘れていたイデアを思い起こすのです。 たとえば、ここに普通の机があります。 これをみんなが机と共通して認めるのはなぜでしょうか。 それはみんなの魂の中に 「机」というイデアがあるからなのです。 「板があって、それを3、4本の足で 平行に支えているもの」という理想型、 そのイデアを雛形にして誰かがその机をつくつたので、 見る人も「机」のイデアを想起するのだと、 プラトンは説きました。 「ものごとには本質がある。それがイデアである。 我々が現世で見ているのは本質の模造品である」 それではイデアはどこにあるのか。 イデア論も難解で、考えれば考えるほどややこしくなります。 「イデアはいわば魂の眼によって洞察される純粋な形象である」 とプラトンは教えてくれます。 天上のイデアと地上の実在の二元論です。 おそらく、 ピエタゴラス教団の輪廻転生思想 (魂は不滅で人は何度も生まれ変わる) の影響を受けたのでしょう。 パルメニデスの影響を見る学者もいます。
2021年09月08日
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「現実の世界に存在するものは、イデアの影である。 物事の真の姿は、別のところに存在する」とする説です。 物心ついてから大人になるまで、首や手足を固定され、 地下の洞窟の壁面に向かって 椅子に腰かけている人がいたとします。 彼の後方の、はるか上部に当たる場所で、 明るい火が燃えさかっています。 燃えさかる火の前には一本の道があり、 そこをさまざまな動物や人間や馬車が通ると、 椅子に固定されている人は、 眼前の壁面に映るウサギやロバや人間などの影絵を 真実の姿と考えてしまいます。 仮にその人が自由になって、 明るい火に眼を向けたとします。 火を見た瞬間は目がくらみますが、 まぶしさに慣れてくると、 影の本体が見えるようになる。 そして、「洞窟の中で自分が見ていたものは、 実体の影にすぎなかった。 自分は影を実体だと思い込んでいた」 ことを理解するようになります。 そこで明るい火のもとに存在する実体 (ものごとの真実の姿)を知った人が、 ずっと暗闇の影絵を見ている人に 自分が見た真実を語っても、 実体を見たことがない人は到底信じられず、 かえって火を見た人を疑うことになります。 現実のわれわれも、 洞窟の中の人と同様の間違いをしていて、 「壁に映る影を真実と見誤っている」 とプラトンは説いたのです。 ではどうすれば、 人は影を真実と見誤らなくなるのでしょうか。 私たちが思考の光を外界から 魂の内面に向け直すことだとプラトンは説きました。 プラトンは光をイデア界の太陽と見立て、 最高のイデア「善なるイデア」の表象としました。 それがあるから、 さまざまなイデア(ものごとの真実)が見えてくると。 これがプラトンの有名な「洞窟の比喩」と呼ばれる イデアについてのたとえ話です。
2021年09月07日
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ピュタゴラスの死後、 プラトンが輪廻転生の思想に興味を抱きました。 そして彼は。わざわざイタリアを訪れ、 ピュタゴラスの弟子であった哲学者 フィロラオス(BC470頃.BC385頃)の 著作を買い求めたと伝えられています。 プラトン哲学を理解するためには、 イメージによる語り、 とくに、 哲学理念を神話によりかかって表現したものと、 哲学理念そのものとを区別しなければなりません。 プラトンのイデアは観念上の直観です。 論理で「イデアがある」と 論証しているわけではないのです。 「世界にはイデアがある」ということを前提として、 論理を展開しています。 なるほど「洞窟の比喩」はわかりやすいです。 しかし、なぜイデアがあるのか、 その点が論証されていません。 神の世界にイデアがあった、 その前提から論理が始まります。 プラトンの哲学は観念論でした。
2021年09月06日
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アテナイの貴族の生まれ(紀元前427年 - 紀元前347年)。 20歳の頃ソクラテスに出会い、決定的な影響を受けます。 彼の死後、各地を遍歴しますが、 前387年アテナイに ソクラテスの精神に基づく学園アカデメイアを創設し、 研究・教育活動に専念しました。 晩年二度にわたってシラクサに赴き、 理想国家の実現を図るが失敗しました。 彼の教説はイデア論を中心に展開されます。 イデアとは理性によってのみ認識可能な 事物の原型・本質・範例、 すなわち感覚的世界を超越した永遠不変の真実在として 事物を事物たらしめている当のもののことであり、 イデア界においては善のイデアを頂点に 無数のイデアが位階秩序を形成していると考えられます。 他方、感覚界に属する個々の事物は イデアという原型の不完全な模倣(影)で、 イデアを分有する限りにおいてのみ存在する はかないものだとされます。 イデア界と感覚界という、 この典型的な二世界説は後世に多大な影響を及ぼしました。
2021年09月03日
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万物の根源を追求した哲学者の最後にくるのは、 デモクリトス(BC460頃-BC370頃)です。 彼はソクラテス(BC469頃.BC399)よりも 10年ほど後の人物で、 自然科学や倫理学、さらには数学や 今日でいうところの一般教養も深く学んでいました。 そしてエジプト、ペルシャ、紅海地方、 さらにはインドまで、学究の旅に出ました。 膨大な著作があったという記録が残されています。 デモクリトスは、 アルケー(万物の根源)はアトム(原子)であると考えました。 物質を細分化していくと、 これ以上分割できない最小単位の粒子(アトム)となり、 そのアトムが地球や惑星や太陽を構成していると考えました。 そしてアトムによって構成された物体と物体の間の空間は、 空虚(ケノン)である、すなわち真空であると。 彼は天上界を地上の世界と区別せず、 そこもまた通常の物質世界であると喝破したのです。 すでに現代の唯物論に近い発想が 生まれていることに驚かされます。
2021年09月02日
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ソクラテスに論破された逆恨みから、 彼に深い憎悪を抱いた人々は、 ついにソクラテスを告訴しました。 以下のような罪状です。 「アテナイの国家が信じる神々とは 異なる神々を信じ、若者を堕落させた」 これに対してソクラテスは、 公開裁判で堂々たる反論を行いますが、 死刑が確定します。 ソクラテスには 刑の執行を逃れる機会もあったと伝えられていますが、 法の裁きを遵守し、 毒ニンジンの杯(さかずき)をあおり刑死しました。 ソクラテスは死刑を宣告されたとき、 逃げられる可能性があったのに 毒ニンジンの酒杯をあおいで死にました。 彼は脱獄を勧める人たちに 「ただ生きるのではなく、 よく生きることが大切なのだ」と言い残した、 とプラトンは書いています。
2021年09月01日
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