全23件 (23件中 1-23件目)
1

日本には稲の野生種がないため 稲作は他の地域から伝わったと考えられており、 その伝播の経路として、 ①南方説(南島経由、黒潮ルート)、 ②直接渡来説(支那大陸から直接)、 の2が唱えられました。 ②に関しては支那長江下流域で 1万年前の稲作遺跡(河姆渡(かぼと)遺跡等)が発見され、 その一方で雲南省からは それほど古い遺跡がみつからないため、 アッサム・雲南起源説は説得力を失い、 現在では稲作は長江下流域で始まった という説が有力になっています。 長江下流域が世界の稲作の起源だとすると、 それがいつどのように日本に伝わったのかが問題になります。 考古学の観点からは、 八幡一郎が「稲作と弥生文化」(1982年)で 「呉楚七国の乱の避難民が、 江南から対馬海流に沿って北九州に渡来したこと により伝播した可能性を述べており、 「対馬暖流ルート」とも呼ばれます。 ①の南方経由説(黒潮ルート)は、 柳田國男の最後の著書「海上の道」で提唱した 支那の長江下流域からの南西諸島を経由して 稲作が日本に伝播されたとする説です。 石田英一郎、可児弘明、安田喜憲、梅原猛などの 民俗学者に支持され、 佐々木高明が提唱した照葉樹林文化論も 柳田の南方経由説の強い影響を受けています。
2021年03月31日
コメント(0)

日本刀の材料となる鋼を和鋼(わこう) もしくは玉鋼(たまはがね)と呼びます。 玉鋼は日本独自の製鋼法である 「たたら吹き」で造られます。 諸外国の鉄鉱石を原料とする製鋼法と異なり、 原料に砂鉄を用いることで低温で高速還元を実現し、 さらには近代的な製鋼法に比べて 不純物の少ない砂鉄を原料として使うため、 良質の鋼を得ることができます。 弥生後期(100~300年頃)になると、 出土品に鉄製の長剣や大刀・鏃などが出現し、 依然として矛も見られます。 原料は砂鉄を用い鍛造法で作られ、 後期の終わりになるに従い、 鋭利で強靭な1m程度の大刀も多数できるようになりました。 これは、製鉄技術が砂鉄の多い 山陰や近畿各地に導入されたためで、 大倭王部族の鉄器独占が終わったことを意味するもので、 また、祭儀用または部族の象徴として用いられた 広幅の銅矛と銅剣が西日本で 乱雑に棄てられた状態で発見されており、 鉄剣・矛の普及に伴う銅矛と銅剣の敗北を示すものです。
2021年03月30日
コメント(2)

ヤマタノオロチを退治して、 そこから出てきた鉄剣を奪う、 という物語は、出雲族を征服して 製鉄技術をまるごとヤマトの支配下におさめた、 という歴史を、比喩として表しているのです。 草薙剣は、もとは天叢雲劔といい、 おそらく出雲族の王権の象徴だったものが、 降伏の証として差し出されたのではないかと思われます。 これを天皇家が代々保持するということは、 日本が 「ヤマト朝廷が出雲王国を吸収合併した連合国家である」 ということを象徴的に示していると考えられます。 三種の神器のほかの二つは、 鏡と勾玉ですが、鏡がヤマトの象徴だとすれば、 勾玉はもうひとつの被征服民の象徴なのかも知れません。 これはズバリ「さきたま」つまり関東王国埼玉 (ヤマトタケルに出てくるエミシ)の象徴である と考えてよいでしょう。
2021年03月29日
コメント(0)

スサノオのヤマタノオロチ退治の話は、 ヤマト朝廷による出雲征服を 象徴的に表していると考えるのが一般的です。 出雲は、鉄の産地として知られます。 鉄鉱石の採取場となる山は、 鉄分を含む土砂が流れて枝状になり、 あたかも山全体が、 多くの頭のある 巨大な蛇のように見えたのではないでしょうか。 製鉄を力の源とした出雲族は、 その山を神として崇めていたのでしょう。 または、氾濫する河川の象徴だ、 というのも、もっともな説であると思われます。 製鉄業のおかげで禿山になり、 自然破壊を起こしていた、 この暴れ川を治水した物語がヤマタノオロチ退治である、 というのは、とても妥当な説明です。 「ヤマタノオロチ」が製鉄を主産業とする 出雲王権を象徴した存在であるいうことです。 だとすれば、「スサノオ」というのは、 ヤマトから遠征してきた軍勢の象徴になります。 鉄は国家なりの言葉通り 製鉄は古代から現代まで、 国力を表す重要な指標でした。
2021年03月26日
コメント(0)

2期:弥生時代後期~末期(紀元後1世紀~3世紀前半)の段階は 武器の変遷過程の上では, ほぼ一つの時期としてまとめることができます。 この時期の特徴は, 主として矛・戈といった 長兵の衰滅に具現化される武器の種類の減少と, それと併行して進む武器の鉄器化です。 鉄製武器には、鉄鏃(てつぞく)・鉄刀・鉄剣などがあります。 鉄鏃は、鉄でつくられた弓矢の矢の先につける鉄のやじりです。 弥生時代に石鏃の形をモデルとして作りはじめられました。 さらに古墳時代になると 様々な形のものが作られるようになります。 鉄刀は片側だけに刃のついたもので、 両側に刃のついたものを剣と呼んでいます。 刀の中でも、現在のナイフのような小形で短い刀を刀子と呼んだり、 長い刀を大刀と呼んだりすることもあります。
2021年03月25日
コメント(0)

原爆の発明が、人類史を変えたように、 鉄剣の発明が日本の古代史を変えたのです。 1期:弥生時代早期~中期 (紀元前5~4世紀から紀元前1世紀)の第1波では 弓矢+短剣という組み合わせが, 第2波ではそれに加えて長兵(矛・戈)が発明されました。 攻撃用武器の種類としては, 古墳時代までの約1千年間で この時期がもっとも豊富であることには注意すべきです。 従来の縄文時代にはなかった 「対人用武器」という道具の種類が 列島各地で多様に発生し,醸成される源になったのです。 そういう意味で, 列島の武器史全体の中で総体的に捉えた場合, この時期は, 武器の定着と進化の時期として評価することができます。
2021年03月24日
コメント(0)

神社・古典に造詣の深い三島氏は、 伊予大三島神社に奉職し、 昭和2年12月に発行した 『天孫人種六千年史の研究』で、 「日本人シュメール起源説」を論じています。 三島氏の日本人シュメール起源説は要約すると、 「古代の日本列島にはさまざまな民族が渡ってきたが、 建国の大業を経営統一した中心人種は、 世界の諸文明の祖であるシュメール系民族だった。 彼らは今から数千年前その大宗家たる皇室を奉戴して、 人類文明の揺りかごである西の豊葦原の瑞穂の国から、 日出ずる豊葦原の瑞穂の国に移住し、 シュメール人本来の大理想を表現するために この日本を築いた」 ということになります。 そしてパレスチナ生まれの考古学者セガリア・シッチンは、 発掘されたシュメールの粘土板(古文書)を解読して、 シュメール人たちは高度な知識や文明を、 太陽系の第10番惑星「ニビル星」からやってきた 「アヌンナキ」という神々の集団から教えてもらった とのべました。 アフリカでの金の採掘作業で、 労働力を確保するために地球にいた類人猿と アヌンナキのDNAをかけあわせて、 人類を誕生させたとのことです。 人類はアヌンナキの「労働者」として作られた ということですね。
2021年03月23日
コメント(0)

言語の系統を調べていけば、 その民族がどの系統に属する民族なのか が凡そわかります。 人類最古の文明を築きあげたシュメール人は、 西アジア一帯の民族とはまったく違う 言語形態[膠着語]を使用していました。 その中でも同系統の言語が見つからないため、 「孤立言語(アイソレイテノトランゲーノ)」 などと呼ばれていますが、 じつは日本語もシュメール語と同じ、 膠着語系の孤立言語です。 言語系が同じと言うだけでなく、 シュメール人と日本人は、 神話(天孫降臨)や三種の神器(鏡・勾玉・剣)、 さらには帝号(スメル) ・国名(葦の国)・王室紋(菊花紋)など、 多くの共通点を見出すことができるため、 そこから北アジアに発祥した民族が 東へ移住して日本人となり、 西へ移住してシュメール人となった、 つまり‟同祖”と語られることがあります。
2021年03月22日
コメント(0)

ドラヴィダ族というのは、 かつて北部インドにいたのですが、 前二〇〇〇年ごろにアーリア人の南下によって 追い払われてしまいます。 その中のタミール語がいちばん日本語に近いのです。 ここから北回りだと蒙古語、満州語などの 北方モンゴル語系につながり、 西へ向かうとトルコ語、ハンガリー語などになって、 形質のいろいろな値でも日本人に近いのです。 ですからドラヴィダ語を基にして考えると、 モンゴル語系は北回りと南回りとが あることに気がつきます。 パプア語は南回りの最も南端であって、 山の上に孤立して残った。 こういうグローバルなとらえ方もできるのです。 日本語を考える場合に、 まず母音終わりの言語があり、 そこへドラヴィダ語系統の、 たとえばタミール語のようなものが入ってきた。 それが粟や稗の時代だった。 最後に稲が来て、そのあとで弥生期になって、 日本語が文化語としての朝鮮語にかぶさっていった。 この三重の層が考えられます。
2021年03月19日
コメント(2)

インドのドラヴィダ語は 「が」と「は」の使い分け方まで 日本語とそっくりです。 ドラヴィダ語族のテルグ語の語順は 日本語と同じです。 しかも、ほとんどが母音で終わります。 語頭にrが立ちません。 語頭に複雑な子音群が立たないし、 濁音のb、d、gも立ちません。 後置助詞を使います。 代名詞が近・中・遠の区別をもっています。 修飾語が被修飾語の前にあって、 動詞が文の終わりにきます。 ドラヴィダ語は 一〇〇〇年以上も前から文献がありますが、 これが分裂し始めたのは 四〇〇〇年前だといわれています。 単語をみると、 噛(か)むがカブ、亀(かめ)がカべ、 来(き・くる)がキ、数がカズ、 食らうがクブ、凍るがクリル、 狩りがカル、殺すがコル、 寝るという意味の臥(ふ)すがクスなどと kの部でちょっと拾ってみても、 こんなに似た単語があります。 これは近畿大学の藤原明さんたちが すでに研究されているのですが、 日本語と相当に濃密な関係があるのではないか と思われます。
2021年03月18日
コメント(0)

日本語の仲間として 動詞がよく対応し、 しかも音節構造が似ていて、 さらに修飾語の後に被修飾語、 そして動詞が最後にくる語順の言語は どこかにないだろうかと考えてみましょう。 支那語は 単語の位置を変えれば意味も変わりますが、 ラテン語などは複雑な語尾変化が付いているので、 単語の位置を変えても意味は変わりません。 日本語は、ちょうどその中間ですが、 これと同じような性質の言語が どこかにあるのでしょうか。 江実(ごうみのる)先生は、 パプア・ニューギニアの高地 パプア語が母音も五つで、 日本語の特徴とそっくりだと言われています。 これら南のほうの言語は もっと注意して調べないといけないでしょう。 ただしインドネシア語は 語順の配列がまるで違いますから、 たぶんだめです。
2021年03月17日
コメント(0)

日本語は、音節が母音で終わり、 音節に含まれる子音の組織が簡単です。 こういう発音の傾向は、 最も持続しやすい根本的な性質です。 文法や語彙(ごい)が変わっても、 発音の傾向は原則的には変わりませんから、 これが日本語のいちばん古い性質だ と考えざるを得ません。 ではそれは、どこの言葉と仲間になるのか。 朝鮮語、満州語、トルコ語、フィンランド語、 ハンガリー語などのウラル・アルタイ系言語は、 すべて音節が子音終わりだったり、 複雑な子音組織をもったりしています。 しかし、 朝鮮語との関係は明らかにあると思います。 同じ字をlで受けるもの、 rで受けるものというふうに 音韻法則がきちんと対応するものがいくつかあります。 だから密接な関係があるには違いないのですが、 朝鮮語は文化語として日本語を取り入れたてきたのです。 ちょうど日本語が文化語としてアイヌ語に入った場合と、 非常によく似ているのです。 ところが、同系の言語として 日本語が朝鮮に入ったのでもないようです。 なぜかといえは動詞が対応しないからです。
2021年03月16日
コメント(0)

一万年以上の周期で眺めると、 支那は日本列島よりも ずっと後れて文明化しました。 人口密度が長い間、低かったからです。 しかし農業化したのは逆に早かったのは、 農業が西方から伝わってきたからです。 支那中原の大平原は、 狩猟採取には適しませんでしたが、 湿地帯が乾燥化してからは農耕には最適になり、 農業化による大帝国の出現に適合していたのです。 治水によって大帝国の条件を作ったのが 尭、舜、萬でした。 一方日本列島は、 むしろ前農業文明にとって好適でした。 海幸、山幸に富んでいたからです。 海によって大陸と隔てられたことは、 大陸からの本格的農業技術の伝播を遅らせました。 農業文明に関するかぎりでは、 支那は優れた大文明を興しました。 しかし日本の縄文新石器文明は、 それなりの深い精神文化を育てていました。 日本の長い文明の期間に比べにくらべると 支那では文明の期間が、いちじるしく短いのです。 このことは、人間性、精神性の深さにおいて、 彼らは日本人に譲るところのあることを示し、 この点では、 日本人以外のあらゆる人種、民族が、 日本人とは隔たりがあります。
2021年03月15日
コメント(0)

太古に人間が住むのに もっとも好適な自然条件 の中で自然に育ってきた日本人は、 ヒトの持つ本然の姿を開花させました。 ゲルマンのアニミズムは 中途でヘブライ思想によって根切られましたが、 日本のアニミズムは幸いにも生き残りました。 注意すべきはゲルマン至上主義、 尚古主義を鼓吹したヒトラーが、 キリスト教に敵対的であったことです。 ゲルマンの思想的闘士マーチン・ルーテルは、 宗教改革によって ローマ・カトリック教会の桎梏からの離脱を 進めましたが、 彼の興したプロテスタントも たいして代り映えはしません。 ヒトラーは一挙にヘブライ思想、一神教宗教の根源、 ユダヤ人の絶対的排除にまで踏み込みました。 ヒトラーを狂人視することはたやすいですし、 現実に狂気であったのかも知れません。 しかし気狂いだとしても、 それは太古のゲルマンの根から出ていたのです。 ハーケンクロイツつまり逆まんじ(卍)を ナチスの徽章にした彼は、 本能的にアニミズムへの回帰を指向していたのです。 日本でも国家非常の際には、 神ながらの道への回帰が叫ばれますが、 この神ながらの道というのは、 一見、天照皇大神に関わると見えて、 実はヒトの始原本然の心に連なっているのです。
2021年03月12日
コメント(0)

キリスト教の洗礼を受ける前の ゲルマン民族の世界では、 山川草木の中、いたるところに精霊が住み、 悪魔が巣くっていました。 原始アニミズムだと今日の人は言いますが、 実はそこに人間本然の深い精神性が隠され、 有機物も無機物も一体としての宇宙があり、 調和の天然があるのです。 日本ではこの原始ゲルマンと同様の世界が、 そのまま洗錬され、高度化され、 今日に至っています。 もとより支那、インド伝来の思想、宗教によって 大きい影響を受けましたが、 日本の精神的核心部分は、 幸いにも今日残されているということです。 今日なお祭祀が絶えていないことが、 そのことを明らかに示しています。 今日の日本には 縄文以来の原始神道の流れが 貫流しているのです。 超ハイテク工場の起工式には 必ず神官が祝詞(のりと)を上げる。 これが古来の日本が今日生きている証拠です。 神道の世界では万物は調和して生々発展するので、 一神教の跼(せぐくま)った世界とは まったく別種のものです。
2021年03月11日
コメント(0)

日本列島の住民は 異民族によって支配されたことがなく、 異思想、異宗教によって 制圧されたことがないため、 人間の持つ本来の性質が 柾(ま)げられないで育ってきています。 西洋でも東洋でも、 日本人以外は民族移動、 異民族、異宗教、異思想支配を経験し、 とくに西洋は ヘブライ一神教による 強い精神支配を蒙りました。 これが西洋と日本の民族性を 完全に分けた根因です。 一神教の下では万物は神によって造られる。 すべては神に繋がるのであって、 相互の横の繋がりは少ない。 したがって人間の心が孤独であって、 神しか頼るものはなくなります。 このような考えの下では、 煎じ詰めると人間にとって人間以外のもの、 あるいは自己以外のものでさえ、 単なる物質にすぎなくなります。 こうなっては、人間は一時的、功利的に、 自己周辺の事物、事態に対処することになり、 達観など出来ようがありません。
2021年03月10日
コメント(0)

だれにも「文明はメソポタミアから」 という先入観があって、 東の果ての日本に届くまでは このくらいかかるという計算が かならず行われていました。 しかし、 これは取り除いて考えてもよいのです。 縄文土器の年代が一万年前だとすると、 土器は日本で自生したものだと考えられます。 すべてがメソポタミアから始まったわけではなく、 日本も文明の曙で一線に並んでいたのです。 縄文期というのは、 大きな文明の一つのサイクルであって、 初期からだんだん発達して中期に頂上に達し、 後期に非常に繊細になり、 力衰えてやがて滅びてしまう。 そして、それから次の弥生文明が始まり、 これがわれわれの文明になる。 文明とは、そういうふうに発生し、 発展するものだと思います。 われわれの国の過ぎ去った文明は、 巨大な精神性を継続していたのです。
2021年03月09日
コメント(0)

日本人は 稲作農業を中心にした社会を営んでいますが、 その精神の根底に 縄文文化の名残を深く秘めています。 例えば日本の固有な宗教と考えられる神道には 森がつきものです。 なぜ神社に森があるのかというと、 縄文時代には日本全部が森であったからです。 弥生時代以後、開拓が進んで、 平地はほぼみな田畑となり、 昔の森のまま残されたのは山だけです。 しかし、 やはり神のいる場所には森が必要なのです。 神道は縄文時代以来のものであり、 それ故に、 どうしても神々は 森にいなくてはならなかったのです。 もちろん森には植物や動物がいます。 つまり、 神々は植物や動物を養う自然であり、 植物や動物そのものであったのです。 こう考えると、 縄文の魂は弥生時代以後も末永く残り、 現代でも日本人の精神の基層を形成している と言ってよいでしょう。
2021年03月08日
コメント(0)

東アジアでの農耕文明の成立は 紀元前5000年ごろですが、 紀元前2000年から1600年ごろには 都市国家が形成され夏王朝が誕生しました。 紀元前1500年代に入ると殷王朝が成立し 甲骨文字が生まれました。 そして紀元前11世紀に周王朝が殷を滅ぼすと、 周王朝の下で甲骨文字は漢字に発展しました。 漢字を生んだ支那は戦国時代を経て 紀元前221年に秦が天下統一を果たしました。 秦の皇帝は始皇帝として中央集権的な郡国制を敷き 漢字世界の君主専制的・中央集権的支配組織の 祖型を作りました。 その漢字世界の辺境にある日本でも BC900年ころ稲作が始まり、 弥生時代には漢字も伝搬したと考えられます。 漢字文明の影響のもと、 日本語を話す人々により 日本文明は今日の発展を成し遂げたのです。
2021年03月05日
コメント(0)

記・紀で問題とすべきは、 ここに「水の母」が現れ、 また「葦牙」と結びつけられる 「黄芽」がでてきますが 「大きな釜に水を盛り、 黒鉛や赤石脂などの鉱物を その中に入れて高熱を加えると、 水母のように漂う水銀状の物質から 黄色い葦の芽のような結晶体が化成して、 それが神仙世界の真人、 つまり道教の神々にも匹敵する金丹となり、 釜の中の大海原を浮きつ沈みつする」、 つまり、錬金のプロセスの説明であって、 『参同契』に見られる「水の母」と「黄芽」にかえて 「久羅下」と「葦(牙)芽」が、 また赤石脂「脂」が 『古事記』に書かれる前の後述から借用されたのです。 原文には「赤石脂」のことは書かれていませんが、 錬金にはこういった「脂」が使われていました。 「水の母」が水銀であることについては、 『参同契』上篇・十一章の 「黄土は金の父、流珠は水の母なり」と はっきりと書かれております。 五行説で土に対応する色は黄、 また、五行相生説によると土は金を生ずるので、 黄土は金の父。 「流珠」とは流れるような珠で水銀のこと。 五行相生説によると金は水を生ずるので、 水銀は「水の母」、水母ということになるわけです。
2021年03月04日
コメント(0)

記・紀を自然論というか 宇宙論という観点で読み直してみると、 なぜ「浮きし脂」や「海月」をもちだすのか。 「游魚(あそぶいお)の水上に浮けるが猶(ごと)し」や、 書紀にも「浮膏(うかべるあぶら)」という 形容句が現れるのか。 一書(第五)の「海上に浮べる雲の根係る所無きが猶し」 といった表現を用いたり、 なぜあえて脂(膏)とか海月とか魚とか雲を もちだす必要があったのか気になるところです。 その不自然さは「海月」と書かれていますが、 原文では「久羅下」です。 クラゲは支那では「海月」とも「水母」とも書かれますが、 「水母」には水銀の意味もあるというのです。 水銀はもちろん錬金術でもっとも大切な金属、 さらにアブラやアシカビも錬金術に関係している と書いているのです。 錬金術は道教で重視されていた術であり、 『周易参同契』は最初の上篇・ 七章の「白を知り黒を守れば、神明自ら来る」は、 老子の言葉がもとになっているのですが、 白は水銀、黒は鉛に相当、 ふつうは透明な精神を意味する「神明」は、 ここでは金を象徴するということです。 したがって、水銀を知り、鉛を守れば、 金(黄金)が自ら生まれてくるということ、 つまり水銀から金をつくるという錬金術のことなのです。 つぎの、白と金、黒と水との五行的対応はいいですね。 水を始原と考えているようです。
2021年03月03日
コメント(0)

『古事記』でも『日本書紀』でも、 その冒頭の部分で、 この世界がどのようにして生まれたのか について語っています。 創世神話といわれる部分で、 コスモゴニーと呼んでいます。 『古事記』の創世神話におけるコスモゴニーは 五つの説話からなります。 (1)では、理念的といってよい神、 アメノミナカヌシノカミ、タカミムスヒノカミ、 カミムスヒノカミという三神が登場します。 この部分は新しい神話で 後から付け加えられたものです。 (2)それから世界のはじまりを具体的に語り、 浮かんだ「脂(あぶら)」あるいは 「海月(くらげ)」が漂っているような状態から 世界は生成されたのだという行です。 ヘシオドスであればカオスといってよいでしょう。 神の系譜によって世界の系譜が語られているのも ヘシオドスと共通しています。 (3)は、イザナギとイザナミが登場し、 二神が海の水を掻き回し、 海水から塩ができるように、 オノゴロ島という 最初の島が生まれたという話です。 (4)は、この島でイザナギとイザナミが結婚し、 子供を生むようにして、 「淡道(あはぢ)の穂の狭別島(さわけのしま)」 つまり今の淡路島以下、 大八洲(おほやしま)とその他の島々を産んだ という話です。 (5)は(4)と一体のものですが、 ここでは様々な神の誕生が語られております。 様々な神といっても、そのほとんどが自然神、 土や水や木などの神で、 山川草木、全自然が産みだされた と読みとることができます。
2021年03月02日
コメント(0)

多くの人々が大陸から、 あるいは大洋から渡ってきました。 彼らはここを太陽が昇る 最後の東端の島と思ったことでしょう。 もっとも中には、 荒々しい人々もいたことでしょう。 それは神話に出てくる須佐之男命や その子孫の姿に反映されていると思われます。 しかし、温暖な気候と豊富な水に恵まれ、 緑豊かな風土の中で、 安定して和やかに楽天的に暮らしている山の人や 争いのない「高夫原」のやさしい文化に、 渡ってきた人々は心を和ませ、 争う気持ちをしずめ、 尊敬の念を抱くようになっていったのです。 山の人の暮らしに馴染んでいくようになったのです。 こうして、海から上陸してくる人々と、 それまで山に住んでいた人々との調和の中に、 やさしい心をもつ日本人の原型、 原日本人が形成されていったと思われます。 縄文時代は原始時代などではありません。 日本列島にはこのころからすでに、 確かな文明があったのです。 それは大陸の四大文明とはタイプの異なる、 自然と織りあった旭日の日本文明だったのです。
2021年03月01日
コメント(0)
全23件 (23件中 1-23件目)
1
![]()
![]()
![]()