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「市橋被告に無期懲役判決」 2011年7月21日(木)、マスコミ各社はこぞってこのニュースを取り上げた。 判決自体は大方予想通りのもので、世間を驚かすものではなかったが、 それでも、市橋容疑者と弁護人は控訴を検討しているという。 本著は、この判決が出るおよそ半年前、2011年1月25日に出版された。 こんなものが、こんな段階で出版されることに対し、 「これでいいのか?本当にありなのか?」と、私は首を捻ると共に、 前代未聞の消費社会の暴走ぶりに、開いた口がふさがらなかった。それでも、今回の報道を目の当たりにして、本著を手に取ることにした。出版社の思うつぼかも知れないが、確かに事件の記録としては、貴重である。しかしながら、あちこちの本著レビューに見られるように、文章は稚拙であり、著者の思いが読み手に伝わってくるレベルのものではない。ただ、市橋容疑者が常軌を逸した感覚の持ち主であることは、部分、部分から確かに、しかも明確に伝わってくる。それは、著者が意図した狙いとは、真逆の結果を生んでしまったのかも知れないが、出版社は、その点は重々承知していたに違いない。 鼻筋の横から糸のついた針を突き刺した。 反対側から針を抜いて、糸をギュッと締めた状態にして、 また反対方向へ針を刺した。 それを何度も繰り返した。 ちょうどラーメンのチャーシューを肉のかたまりを たこ糸でぐるぐる巻にしばるようにして、 鼻を細くしようと思った。(p.19)警察に追われ、追い詰められ、半ば錯乱した状況であったにしろ、これを実行してしまうのが、市橋達也という人間なのだろう。グロテスクである。 手鏡で鼻の様子を確認したら、針が一本ささったままだった。(p.23)針が鼻に刺さっていたことに、それまで気付いていなかったというのか?それに気付かないで、いられるものなのだろうか? その時に、手鏡を見ながらハサミで自分の下唇を切り取ろうとした。 リンゼイさんがボクノ唇を見て 「あなたの唇、黒人みたい」と言っていたのを思い出した。 厚い下唇を薄くしようと、ハサミを持った手に力を入れると血が出てきた。 でも、最後の一息がどうしてもできない。 あきらめた。 鼻に貫通させたままだった針を抜いた。(p.58)「最後の一息がどうしてもできない」の部分でやっと、人間らしさが垣間見えたような気がした。しかし、ここで鼻に貫通させたままの針を抜いているのだ。そして、 読み終わると決心をして自分の下唇をハサミで切り取った。 切り口からは、たくさんの血が出てきた。 痛くて熱かった。(p.64)結局、ハサミで下唇を切り取ってしまった。アンビリーバブルである。しかし、こんな一面も見せている。 ショッピングビルで百円のメガネと充電できる単4電池を買った。 USBデータに使うための電池だった。 イヤホンでUSBデータに入っている『英単語・熟語ダイアローグ1200・1800』 『TOEFL英単語3500』の英語を歩きながら聴くためだった。(p.22)何と、逃走中に英語を聴いている!何という英語好き!!だからこそ、英国人英会話講師であったリンゼイさんとの接点もあったわけだが。本著に見られる文章表現は、決してレベルの高いものではないが、両親の影響で医師を目指していただけあって、勉強する習慣は身に付いていたようだ。
2011.07.30
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何かのきっかけで本著を知り、 結構人気はあるけれども、一部では酷評されていること、 さらに、コミックスとして漫画化されていることも知った。 ラノベは読んだことのない私だが、とりあえず一冊買って読んでみた。 う~む、なかなか独特な世界である(イラストも含めて)。 それでも、これなら普通にTVドラマで放映しているレベルかも。 確かに、奥行きや深みを狙った作品とは、一線を画するものではあるが、 寝っ転がって読むには、確かにお手頃かも知れない。読書に集中していなくても、ドンドン読み進めることが出来るし、ストーリー自体も単純明快だから、元に戻って読み直しなど全く不要。まさに、文章で記されてはいるものの、マンガそのものである。しかも、ラブコメ(普段は、あまりというか、絶対読まないなぁ……)。でも、『隣人部』という夜空の発想や、『モンスター狩人』をこっそり、タップリやってレベルを上げたり、『ときメモ』に、はまりまくる星奈も嫌いじゃないので、続きを5巻まで、ネットで発注してしまった。
2011.07.30
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『オリガ・モリソヴナの反語法』は、私にとってとても印象が深い作品。 本著はその作者、米原さんのエッセイ集である。 彼女は、プラハ・ソビエト学校で少女時代を過ごし、 帰国後は、ロシア語同時通訳として活躍した方である。 社会主義社会で過ごした生活経験故か、 彼女のエッセイは、他では見られない独特の観点・視点からのものが目立つ。 欧米流自由主義を持ちこんで形成された戦後日本社会に生きる私たちにとって、 彼女の指摘には、ハッとさせられる場面が多い。また、通訳として活躍された方だけに、「ことば」についての記述には深みと重みがある。先に読んだ『一九八四年』に登場する「ニュースピーク」によって、「ことば」について、色々と考えさせられていた私にとって、まさに、絶妙のタイミングで巡り会ったのが本著。 「実に便利な言葉だね、スッバラシイーってのは」 「はあ?」 「だって、米原さんは、僕がadmirableと言っても、amazingと言っても、 braveと言っても、brilliantと言っても、exellentと言っても、 fineと言っても、fantasticと言っても、gloriousと言っても、 magnificentと言っても、marvelousと言っても、niceと言っても、 remarkableと言っても、splendidと言っても、wonderfulと言っても、 必ずスッバラシイーと転換しているんだもの。いやでも覚えてしまうよ」 (ロストロポーヴィッチは、もちろん「素晴らしい」を意味する ロシア語の単語を羅列したのだが、この一文を読まれる大多数の方々には 分かりにくいのではという老婆心から、該当する英語の単語に置き換えた)(p.114)実は、私は訳あって、今チョコットだけ英語を勉強し直しているのだが、英単語を覚える際にいつも強く感じていたのが、「どうして同じ意味の言葉が、こんなにたくさんあるのか?覚えるのが大変すぎる! 同じ意味なら、もっと言葉を絞ればいいんじゃないのか?」ということ。しかし、気付けば、何とこれは「ニュースピーク」の発想ではないか!日本語に囲まれ生活する私は、実は「ニュースピーク」社会に生きていたのだ!ロストロポーヴィッチとのこの会話の後、米原さんが部屋に戻り辞書を引くと、「素晴らしい」と解釈できる形容詞が、彼が羅列した語の、さらに5倍はあったという。さらに、ロシアのテレビやラジオ、文学作品はもちろん、経済や科学の論文でも、同じ事柄を同じ語で指し示すのを避けようとする傾向があるという。何度も同じ単語を反復するのは、野暮の骨頂だそうだ。それに対し、日本語では言い換えの美学は重要視されない……何と日本は、ボキャ貧天国だったのか……思考なき社会……
2011.07.30
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本著は2009年に発行された新訳版、早川文庫の一冊。 この本を手にした理由は、村上さんの『1Q84』との関連を探るため。 そして、もう一つの理由は、伊坂さんの『ゴールデンスランバー』に出てきた 「ビッグブラザー」とは一体何者かを確認するため。 結果、『1Q84』との関連は、直接的なものではないようで、 ストーリー自体に、大きな疑似性は見出せなかった。 一方、「ビッグブラザーがあなたを見守っています、みたいな世界」については、 それがどのような監視社会を指しているかは、明らかにできた。それにしても、本著は、最近読んだ本の中では超難敵であった。物語の背景となる社会の澱んだ空気の重たさ故か、ページを捲るスピードが一向に上がらず、苦労した。ストーリー自体も、ページを捲れど捲れど、なかなか進展してくれない。それでも、一部から二部、二部から三部へと進むにつれて、少しずつページを捲るスピードも上昇、ストーリー展開もピッチが上がっていった。元を正せば、早川文庫という名前から、気楽に構え、作品に臨んだことが間違いだった。読後の今になって、本著は思想的で難解な作品であると気付いた次第。 *** 「分かるだろう。 ニュースピークの目的は挙げて志向の範囲を狭めることにあるんだ。 最終的には<思考犯罪>が文字通り不可能になるはずだ。 なにしろ思考を表現することばがなくなるわけだから。 必要とされるであろう概念はそれぞれたった一語で表現される。 その語の意味は厳密に定義されて、 そこにまとわりついていた副次的な意味はすべて削ぎ落とされた挙句、 忘れられることになるだろう。(後略)」(p.82)ボキャ貧の恐怖。何でもかんでも「カワイイ」や「ムカツク」ばかりで事足りる言語活動を続けていると、その後に待っているのは、思考なき社会。ことばによって、人はつくられ、社会もつくられる。
2011.07.30
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数年前、TVでドラマ化されたものが放映されていたが、 私は最終回の一場面をチラッと見ただけで、 二宮君や戸田さん、三浦さんが出てたなぁという記憶があるだけ。 そのストーリーについては、全く知らない状態での読書。 そして、読み終えた感想は、 「やっぱり、東野さんが、これだけ人気作家になったのには理由がある。 その辺の人たちとは、レベルが違う」ということ。 私は、決して東野さんのファンだとは言えないが、その実力は認めざるを得ない。最近読んだ、ミステリー作品の中では、やはり断トツの出来映え。もう寝なきゃいけない時間になっているのにもかかわらず、ページを捲る手が止められない。そして、相当なボリュームのある作品なのに(文庫版で617ページ)、平日に、わずか数日で読み終えてしまった。主人公の兄・弟・妹たちについては、色々な諸事情を鑑みても、そのとっている行為は、決して褒められるべきものではない。どんな言い訳をしようと、三人は立派な犯罪者であり、万人が「愛すべき存在」と、認めることのできるものではない。まぁ、その辺を何とかしようと、作家なりに最後にオチをつけようとしているのだが、そのわざとらしい行為が、また私には、結構鼻についてしまうのである。読者の私と、作家東野さんとの相性は、そんなに良いものではないらしい。それでも、東野さんの作品は手に取らずにいられないのが、東野さんの凄いところである。
2011.07.17
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これだけ著名な流行作家なのに、 私が雫井さんの作品を読むのは、何とこれが初めてである。 『犯人に告ぐ』や『クローズド・ノート』位、読んでいてもよさそうなものなのに。 なぜ、こういう事態になったのか、自分としてもよく分からない。 今回は、本作の広告を新聞で見かけ、早速購入に至った。 読んでみると、なかなか独特の世界観があり、一気に読み終えた。 事件の真犯人は、早い段階で、誰もが気付くことが出来るものであるが、 途中で、読者の疑念を生じさせるべく、結構強引な記述も施されている。そして結末は、私としては「スッキリ!」とは言い難い。物語終結後の展開は十分に予想できるが、それでも何かが引っかかる。現段階で、『犯人に告ぐ』や『クローズド・ノート』を、早速手に取ってみようという気持ちは、湧き起こらなかった。これまで雫井さんの作品に手が伸びなかったのは、そういう気配を、自分自身が、何かから受け取っていたからなのだろうか。そして、作家と読者との相性というのは、やっぱり結構強烈なものらしい。そんなことを、ふと思った。そうそう、本作で一番心に残ったのは、原作とその映画化された作品との関係性について。「そういうことになっているんだ」と、目から鱗の新たな発見。映画作品に、原作の世界をそっくりそのまま求めるなんていうのは、大いに筋違いのことなのだと、認識を大いに改めさせられた。
2011.07.17
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本シリーズも、既に10冊が世に送り出され、 発売直後には、売り上げ上位にランキングされるなど、 凜田莉子の人気も、すっかり定着した感がある。 まぁ、岬美由紀ファンの私にとっては、少々複雑なのだが……。 そして、シリーズ9冊目の本著は、 第5巻の、フランス・パリにおけるストーリーと関連性を持たせたり、 第6巻で、莉子と対決した雨森華蓮を登場させたりするなど、 本作品の既存のファンを十分意識し、満足させるものに仕上げている。また、お話しそのものも、十分に練り込まれた密度の濃いもので、第8巻のように、読者が既出の登場人物の中から、真犯人を見出せないといったミステリー小説の王道から外れた、邪道な構成にもなっていない。既刊9冊の中では、最も仕上がりの良い作品だと、私は思う(第10巻は未読なので)。それにしても、以前の記事にも書いたが、凜田莉子は、私にとって、どこまでもアニメチックなキャラクターである。頭の中に展開されるのは、まさにアニメであって、実写版での光景は全く浮かんでこない。それと真逆なのが、岬美由紀という、超人でありながら人間味溢れるキャラクターである。
2011.07.17
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海水を真水に変える。しかも巨大設備を一切用いずに。 そんな大発明の権利を手に入れるチャンスを、目の前にした町会議員。 彼が議員を務める竹富町の波照間島では、水不足が常に大きな問題。 そして、それを一気に解消すべく、彼は町の予算から12億円を支出しようとする。 しかし、一般会計予算39億円の竹富町にとって、それはあまりに大きな出費。 しかも、万が一の時には、町の財政は完全に破綻してしまう。 自分の故郷で起こった出来事を知った凜田莉子は、 旧友や台湾で偶然出会った女性と共に、事件の謎を追う。何時もながら、松岡先生の筆の運びは滑らかで、スリルとスピード感に溢れている。また、水のトリックや話の中に盛り込まれるトリビアも鮮やか。そして、事件の真犯人は、私の想像の全く及ばない存在であった。でも、これってミステリー小説では、ありなんでしょうか?
2011.07.16
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冒頭の「新版の読者のみなさんへ」を読んで愕然。 何と、本著は『村上春樹にご用心』の「改訂新版」だというのだ。 その点、間違いがないようにと、 内田先生は「まえがき」に、きちんとした説明を丁寧に書いてくれている。 ただし、この善意の警告も、書店で実際に本著を手に取り、 ページを捲った人にとっては、たいへん有効な手段ではあるものの、 私のように、ネットで書名と著者名だけ見て、 クリックひとつで購入した者にとっては、まるで役立たなかった……まぁ、それでも、新版にだけ掲載されている新たなた文章も結構あるようだし、何より、旧版で一度読んだ文章についても、確かに読んだ記憶はあるものの、細部についてなど、実際にはそうそう覚えてなんかいないもので、結局、新しい著作を読む感覚で、全てを一気に読み終えてしまった。そんな中で、『1Q84』についての記述は、もちろん、本著で始めて目にするものなのだが、内田先生が読書中に、その後の展開の予想を書いたものの、実際には、そうならなかった部分が、本著の中で一番印象に残ってしまった。 読み終わった後になってから「あとぢえ」で、 「いや、オレはこんどの村上春樹の新作はきっと 『記憶と時間のトラウマ』にかかわるものになると思っていたよ」と 手柄顔で言うのが厭なので、読み終えていない段階で「予言」するのである。 違っていたら、ごめんね。(ちがってました)(p.60)
2011.07.16
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父・松本幸四郎さんと娘・松たか子さんの往復書簡集。 もちろん、最初に父と娘の手紙が存在したのではなく、 企画先行で書かれた手紙の数々。 しかも、それは公の目に触れることを前提として。 それでも、父と娘との間で手紙がやりとりされるなど、 普通の父と娘との関係であれば、そうそうあることではない。 それ故、この半ば強制的なコミュニケーションが2年もの間続いた事実は、 娘を持つ、他の父親たちにとっては、羨ましい限りのことだろう。公の目に触れることを前提として書かれた手紙であるから、そこでの話題は、やはり公にしても支障のない事柄に限られる。そして、「演じる」ことを共通の仕事としている父と娘であるから、そのことについて、それぞれの思いを書き連ねるようになっていくのは自然な流れ。松さんも、今や押しも押されもせぬ、日本を代表する女優であるが、その筆の運びには、若さと奔放さが随所に感じられる。それに対し、幸四郎さんの筆の運びは、実に整然としており、そこからは、年齢と経験から来る深みや味わいが強く伝わってくる。そして、何より、この手紙のやりとりの中で、娘が、父親の生き様を見詰め直し、その存在の大きさに気付いたこと、父親が、娘の本音を知り、その成長に気付けたことが素晴らしい。本当に、世間の親父族からすれば、実に羨ましい父と娘との関係である。
2011.07.16
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