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慰安婦被害者の人権回復のためのアジア女性基金が何故、韓国の被害者には受け入れられなかったのか、和田教授はその経緯について次のように語っている;◆アジア女性基金失敗の教訓 金 この間題が最初に提起されてから25年以上経っていますので、早めに解決したほうがいい。長い歳月が経つにつれていろいろな要素が入り込んでしまった。その中で一番重要なのは、やはり日本政府の態度です。法的責任は認めないという表明が問題の解決を難しくしている面がある。そして、国民基金の段階を経てここまできたのだから、あの方法では解決できないことも事実です。「慰安婦」問題の歴史を踏まえた解決策でなければ説得力に欠けると思います。 和田 そうですね。最初にまとめられた6あるいは7項目の要求はかなりはっきりしたものでした。それに対して日本政府は事実の調査をして河野談話を出して謝罪した。しかし、その時でも、日韓条約の請求権協定で請求権の問題は解決済みであるという前提だから、法的な措置、つまり賠償や補償はできない、補償に代わる措置を真剣に検討するという考えが河野談話の背景にはありました。 続く村山内閣の閣僚たちにとっても出発点は、法的な措置はとれないという前提の中で、国民参加の基金をつくり、その基金に政府のお金と国民のお金と両方入れて謝罪の事業を行なう、というものでした。これが五十嵐広三案ですが、謝罪の支払いに政府のお金を入れることはできないという壁を最後まで突破できず、差し当たりいまは無理だと意見書をまとめて、アジア女性基金をつくることになりました。 総理の謝罪の手紙はさし出すことになっていますが、政府は謝罪のお金は一切出さない。被害者から見ると、これでは総理は本当に謝罪しているのか、信じられない、政府が謝罪するのだったら政府がお金を出すべきだ、となります。しかも総理の手紙には、非常に明確に「道義的責任」を強調している。法的責任は認めないと言っているのだ、そして渡すものには政府のお金は入っていないと強調する。いったいこれは何だ。「我々は乞食ではない」とハルモ二が叫んだと言われていますが、この決定的な不信は最後まで越えられませんでした。日本政府は、政府のお金で医療福祉支援をするとして、最終的には医療福祉支援300万円、償い金200万円、計500万円をお払いすることにしましたが、最初に政府が被害者に200万円をお渡しするとした時に何を言ったかが決定的で、結局韓国では3分の2以上の方が拒否したのです。 もちろん基金の事業全体は謝罪して国民的な償いをしようという気持から出ているものでしたが、それは韓国では通じずに失敗したのです。日本政府はいま、アジア女性基金の経験を踏まえて、新しいことをやらなければならないのです。 金 確かにお詫びと反省は何回も言われていて、日本側からは、いつまで謝罪しなければいけないのかという声が出ていると聞いています。しかし、お詫びと反省というものは、受ける側に強要できるものではない。被害者たちが受け入れて初めて意味があるのであって、言っている側が、何回も言っているぞと胸を張っても意味がないのです。しかも今のお話のように、お詫びと反省が真実性を持っているかどうか疑わしい状況があったことが、問題がここまで解決しなかった一つの原因かもしれません。岩波書店「世界」2015年7月号 158ページ「『慰安婦』問題の解決とは何か」から一部を引用 韓国の被害者支援団体が被害者救済のためにまとめた要求項目に対し、初めから日本政府が真摯に対応していれば、ここまでこじれることはなかったと思われます。日韓基本条約があるから、法的責任に関する対応はできないなどと余分なことを言わず、単に被害者救済のみを考えるべきだったと言えます。しかしながら、日本政府には、その昔に行なった数限りない悪行の数々の記憶が残っており、ここで下手に妥協すると、この後どんな請求が出てくるか判らないという恐怖があったらしく、過剰に防衛する心理が働いたもののようです。日韓条約については、これは日韓両国の普通の国民の財産、権利及び利益について「完全かつ最終的に解決された」とはいうものの、非人道的処遇に対して個人が行なう請求権、戦争犯罪および人道に対する犯罪から生じる個人の権利の侵害に関しても言及しているわけではありませんから、慰安婦問題については改めて日本政府としての被害者救済策を検討する必要があります。
2015年07月31日
慰安婦問題の解決のために日本は何をするべきか、昨日引用した月刊「世界」の座談会のつづきは、次のように議論をしている;◆「法的責任論」と「道義的責任論」 和田 最初に要求が出たのは90年の、後に挺対協をつくることになる韓国の女性団体の提言ですね。当時の海部俊樹首相と慮秦愚大統領への公開書簡、そこに6項目の要求が出ました。 日本政府が朝鮮人女性たちを従軍「慰安婦」として強制連行した事実を認める、 公式謝罪する、 蛮行の全てを自ら明らかにする、 慰霊碑を建てる、 生存者・遺族への補償、 歴史教育で「慰安婦」問題に関する事実を教える、という6項目です。この段階ではまだ団体の方々は、被害者と出会っていませんでした。この行動を通じて挺対協が生まれて、それを聞いた金学順ハルモ二が連絡してきたことから、被害者の主張が入るようになったわけです。 それが国連で進められている国際法的な議論と結びついて整理される段階で、国連人権委員会の特別報告者ファン・ボーベン氏の意見、 人権侵害問題を解決するには事実の調査と責任者の処罰と賠償が必要だという主張から責任者処罰が加わり、93年頃には挺対協でも6項目要求を7項目要求に展開しました。その7項目要求には「法的責任を認めよ」ということは入っていなかったのは事実です。 そして、河野談話が出される前後には、法的責任を明確にせよ、人権侵害の犯罪として、国際法に基づいて賠償を要求するという主張がなされました。河野談話に対してそういう考えが示されたので、それに対し日本政府は、「法的責任は認められない、だから道義的責任を認める」として措置を取ろうとしました。 問題なのは、「道義的責任を認める」と言うことは、「法的責任は認めない」と絶えず言っていることになるので、一体どこまで責任を認めているのかわからない、と被害者側が思うのは当然だということです。挺対協とアジア女性基金(女性のためのアジア平和国民基金)が話し合いをした時も最大の対立点はここにありました。道義的責任を認めるというのではだめだ、法的責任を認めなければいけないというのが挺対協の主張で、アジア女性基金は道義的責任を認めることを評価してほしいと言って、大きなすれ違いになりました。ある意味では、「道義的責任」という言葉を日本政府が使ったので、「法的責任」ということが一段と強く語られ、それまでの要求を覆い隠すように押し出されたのかもしれません。 先ほど立法解決の話が出て、「戦時性的強制被害者問題解決促進法案」は内容的には十分満足できるものではなかったと言われましたが、なぜかというと、実はあの法律は、法的責任論に立っていないのです。つまり日本の国会に法律を出すので政府の立場、法体系を無視したものは受け付けないと言われるので、やむを得ずそうなったのです。しかし、公的に法律を通すということになれば、法的責任論に立たない法律でも受け入れようというのが挺対協の態度だったと聞いています。自分たちが最大限に要求してきたものはこれだが、それと少し違った形ではあるけれども、自分たちの最大限要求に対して相手がここまではやると言えば、どこまでなら認められるか考える、最小限被害者の心にかなうものなら受け入れられる、そのように見定めながら運動を展開していくのは必然的なことでしょう。最大限要求と最小限要求、最大限綱領と最小限綱領の二本立ては、19世紀以来あらゆる社会遅動が考えてきたことです。「慰安婦」問題解決へ向けた議論の中にもこうした考え方は入ってきているのかなと見ています。 金 日本政府が法的責任を認めないと主張しているから、法的責任をとりなさいという話になったわけで、被害者側の主張が変わったわけではない。 日本の国会による法律の制定が、形式としては一番強いものだと思います。国権の最高機関である国会がこの間題に対して法律を制定するということは、法的責任のとり方としては一番明確な形です。それで国会の法律案が注目された。ただしその内容については、当時も議論がありましたし、もう一度見極める必要があると思います。 梁 被害者を抱えている団体は、何が何でもこれを解決したいという思いが最も強い人たちです。それをいまの日本のメディアや日本政府の言説では、あたかも挺対協は被害者を利用して自分たちの原理原則的な要求を通そうとしている団体だと宣伝されています。それに対して、いま和田さんが言われたことを私の言葉で言わせていただくと、被害者のために被害者が望む形で一刻も早くこの間題を解決したい、そのためだけにある運動団体なのです。非現実的で原理原則的だと言われていますが、日本の現実、日本という国家のシステムを無視して解決を導き出すのは不可能だということも念頭に置きながら、しかし被害者の名誉が守られるぎりぎりの線を、間に立って、周りからポロポロに言われながら模索しているのが各国の支援団体で、とりわけ挺対協はそういう立場にいま置かれています。 彼女たちは本当にこの25年間、身を粉にして被害者のための解決を獲得しようとして、まず韓国内で世論をつくった。当時を写した『ナヌムの家』(1995)に水曜デモのシーンがありますが、当時ナヌムの家に住んでいたハルモこたち5人と挺対協スタッフ5人、せいぜい10人くらいのデモです。寒風吹きすさぶ中、この小さなデモの前にそびえ立つ日本大使館がばかでかく見える。いまは、日本大使館前に毎週、小学生から大学生まで若者中心に何百人と集まるのです。 そういう運動をつくってきたがために、逆に言えば、韓国世論も納得するような解決でないとハルモ二たちの名誉が守られないという状況にもなってきている。そうした全てを勘案して、どうすれば被害者にとって名誉ある納得できる解決になるのか、なおかつ現実的に可能になるのかを常に必死に考えている人たちであることを、日本国内でもう少し理解してもらいたいと思います。岩波書店「世界」2015年7月号 158ページ「『慰安婦』問題の解決とは何か」から一部を引用 民主党政権が誕生して間もない頃は、人気取りでいろいろ気の効いた政策を実施して評判がよかったのですが、調子に乗って「官僚の国会答弁禁止」などと言って官僚を敵に回したり議員立法禁止で「戦時性的強制被害者問題解決促進法案」の国会提出が自然消滅したのは残念なことでした。しかし、融通がきく自民党政権下であれば、安倍政権の後でもう一度「戦時性的強制被害者問題解決促進法案」の国会提出を試みる価値があると思います。
2015年07月30日
日本軍「慰安婦」問題解決全国行動共同代表の梁澄子(ヤンチンジャ)氏は、韓国の慶北大学法学専門大学院教授の金昌禄(キムチャンロク)氏と、東京大学名誉教授の和田春樹(わだはるき)氏と3名で、月刊誌「世界」7月号で座談会を開き、慰安婦問題の解決のためにこれまでにしてきたことと今後の展望について、次のように語っている;◆「法的責任」とは何か -今年は日韓基本条約締結から50年ですが、日韓関係か改善する糸口が全く見えません。最大の課題は「慰安婦」問題です。この問題には長い経緯がありますが、2014年6月2日、第21回「日本軍『慰安婦』問題アジア連帯会議」は、解決に向けた具体的な内容を「日本政府への提言」(以下提言、287頁参照)としてまとめ、政府に提出しました。 梁 まずこの提言に至る経緯からお話ししたいと思います。2011年8月30日に韓国の憲法裁判所で、「慰安婦」問題解決のために努力していない韓国政府の不作為は違憲であるという内容の判決が出ました。これを受けて韓国政府が動き出し、同年9月、11月の2回、二国間協議を申し入れる口上書を日本政府に渡しました。日本政府は公にはそれに対して答えませんでしたが、水面下でいろいろな動きがあって、12年5月の北京での野田首相と李明博大統領の首脳会談に向けて、「佐々江案」とのちに呼ばれる案が日本政府から韓国政府に示されていたという報道もありました。その内容について、日本で「慰安婦」問題に携わっている私たちも様々なルートから知り、議論しました。そこで問題になったのは、これまで「法的解決」を被害者、被害国側はずっと求めてきたわけですが、それは具体的にはどういうことなのか。運動の過程で韓国側から出て来た言葉だったので、実は私自身もその具体的な中身をずっと知りたいと思っていたのです。 2000年、民主党が野党の時代に「戦時性的強制被害者問題解決促進法案」という議員立法が提案され、民主党、社民党、共産党の3党でその法案を国会提出した時に、被害国各国を回って韓国でも各地の支援団体などに全部説明をした。それは、決して100%諸手をあげて賛成できるような内容ではないけれども、前文に書かれている認識は、これが法律としてきちんと制定されるのであれば、その立法は韓国で被害者が求めてきた「法的解決」だと受け止め得るだろう、と判断したと聞いています。ところが2009年に民主党が与党になったら、小沢一郎幹事長が政府・与党の二元的意思決定を一元化するために議員立法は原則禁止だとして、政府提案に限ることを決めました。結局、立法解決によって法的解決を実現する道は閉ざされてしまったのです。 それでも、いまとりあえず韓国で司法や政府の動きがあるわけですから、日韓を動かそうと日本側も運動関係者(日本軍「慰安婦」問題解決全国行動)と法律家、金昌禄さんもメンバーですが韓国側も挺対協(韓国挺身隊問題対策協議会)と法律家で、最初はタスクフォース(TF)と言って、公にはせずに、2012年7月から翌年8月までの間に4回、両国を行き来しながら議論を続けました。提言の下地になるようなおおよその考え方は、その4回の会議で導き出されたと言えます。 被害者たちが真っ先に何を求めているのか。それは、事実をありのままに認めてほしいということです。その事実、自分たちの経験に対して政治家が否定的なことを言ったりすると、彼女たちは眠れないわけですね。そういうことがないように、きちんと事実を、自分たちが被害者だったということを加害国の日本政府が認めること、それが第一だ、と。そして、認めたらその認めたという事実に則った謝罪、理由のない謝罪ではなく、なぜ謝るのか、その理由を明確にした謝罪、そして謝罪をしたらそれが本当だと信じられるような賠償。どこの国の被害者でもこの3つを必ず言うわけです。 この被害者の要求に照らして、また、4回の会議に参加して私が理解したのは、犯罪を犯した国家が何をやったのか具体的に認めれば、それは法的な責任を認めたことになるのだということです。ですからそれを反映させて、提言のもとになるような結論をいったん日韓TFで出しました。最終的には日本側でまとめた文書を韓国側に預けて、結論については韓国側で議論してもらうという段取りまで行ったところで、ちょうど第12回「日本軍『慰安婦』問題アジア連帯会議」の開催に当たりました。だったら韓国側の最終結論を待っているだけではなく、アジア連帯会議で集まった8力国全体で議論しようということになりました。すでに第二次安倍政権が発足していて、もう日韓が突破口という政治状況でもなくなったということもあり、本来「慰安婦」問題は日韓だけの問題ではなく、アジア全域、オランダにまで被害者がいる間題である、全体解決を目指すという姿勢に立ち返ってアジア連帯会議で共有し、さらに内容を詰めて日本政府に対する提言として出そうということになったのです。 金 現在、「法的責任」が「慰安婦」問題の中心的なテーマのようになっていますが、そもそもはそうではなかったと思います。「慰安婦」問題が最初に公になったのは1990年代初頭ですが、その時から現在まで被害者たちが求めてきたものは同じであって、犯罪の事実を認めよ、真相究明せよ、それから謝罪、賠償、歴史教育、慰霊事業、責任者処罰です。これらを主張しながら、被害者あるいは支援団体が、最初の段階では「法的責任を取れ」とは言っていなかった。 ご承知のように、当初日本政府は「慰安婦」について業者がやったことだと、日本軍による犯罪という事実そのものを認めなかったわけですが、91年に朝日新聞で吉見義明教授の発見した資料が報道されて、そのあと加藤官房長官がお詫びと反省を表明した。また日本政府が調査をして、その結果に基づいて1993年に河野談話が出たということですね。 河野談話では軍の関与という事実を認めましたが、関与したということは、責任があることを意味するのであって、事実と責任の存在を認めたわけですね。しかし法的には解決済みという立場だった。法的責任は解決済みだけれど、しかし何かやらなければいけないので、「道義的責任」をとるために、女性のためのアジア平和国民基金を発足させるということになりました。 つまり、「道義的責任は取るけれども法的責任は取れない」と日本政府から発信されたのですが、それは被害者側から見ると、どういう意味なのかよくわからない。責任があると言っているのか、ないと言っているのか。結局、日本政府はちゃんとした責任を認めないということだと受け止められて、多数の被害者が国民基金を拒否したという経緯です。 「法的責任」という言葉が中心になったのは、こうした流れの中でのことです。被害者は、最初は「法的責任」という言葉自体は使っていなかった。しかし日本政府の「道義的責任しか取れない」という対応によって、「法的責任」という言葉が中心に浮上してきたのです。 しかし同時に、実は、被害者側が内容として求めていたのは、そもそも法的責任に当たることなのですよ。一体、法的責任とは何なのか。被害者たちが求めてきた要求事項こそが法的責任に当たるのです。 国際法律家委員会(ICJ)、クマラスワミ報告、マクドゥーガル報告等々、国際機関のいろいろな報告書がありますが、その内容も大体被害者たちの要求事項と同じです。事実を認めて謝罪をして賠償して、責任者を罰せよ、と。それこそが法的責任なのです。つまり最初から法的責任が求められてきたのに、日本政府の対応によって、何か別のものがあるような議論になってしまった。今回の提言は、それをもう一度整理したということだと、私は受け止めています。 梁 今回の提言の中に法的責任を取れという文言がなかったために、「挺対協は方針を転換した」とか「下ろした」と報道されたのは全く間違いで、最初から一貫して言ってきたことを今回整理して述べた。それは法的責任を取れということです。金さんの言われたように、ある時期、日本政府によって出された「法的責任」という文言が大切であるかのように、運動側も誤解していたのかもしれません。だから私も「法的責任」の中身とは何なのだろうという疑問をずっと持っていたんですね。一年間議論してみて、その中身は最初から言っていたことだと理解できたので、改めて整理して出した。ところが自分たちの理解の過程が十分に伝わらずに、メディアでも「法的責任」の文言がなくなったという一点で、要求がなくなったと受け止められてしまった。 金 法学者の立場から見ると変わったことは何もありません。そもそも「法的責任」が求められてきたのですから。岩波書店「世界」2015年7月号 158ページ「『慰安婦』問題の解決とは何か」から一部を引用 慰安婦問題が何故いつまでも未解決のままなのか、この記事を読むとよく分かります。90年代に被害者が名乗り出るまでは、日本政府は従軍慰安婦は民間業者が営利目的で勝手にやったもので、そんなものにまで政府が責任をとることはないという認識で、韓国政府もよく調査をせずに、そんなものだろうと、深く考えずに65年の日韓基本条約を締結しています。ところが、被害者が名乗り出て、慌てて政府保管の公文書を調べると、次々に日本軍が関与したことを示す公文書が発見され、日本軍どころか警察や外務省も便宜を図っていたことが明るみに出るに及んで、これは政府としても責任を認めざるを得ないということで河野談話が出たと、こういうわけですから、今後日本政府は河野談話で述べた項目を忠実に実行して、被害者の名誉回復を行なう義務があると思います。
2015年07月29日
哲学者の内山節氏は、暴走する安倍政権が反面教師の役割を果たして国民の平和への思いは一層強まると、19日の東京新聞に書いている; 戦後の日本の平和主義は、単なる戦争放棄ではなかった。戦争によって国家の目的を実現させることを愚策と断じ、あらゆる知恵を使って、戦争のない世界をつくっていこうという理念もあわせもっていた。その先頭に日本が立とうとする決意があってこその平和主義だったのである。だからそれは、国力や軍事力に依存しない日本をつくろうとする高尚な思いとともにあったのであり、世界に例を見ない一流国をつくろうとする試みでもあった。 ところが戦後の政治家たちがおこなってきたことは、そういうものではなかった。アメリカに基地を提供し、アメリカの軍事力によって日本を守ろうとしてきたのである。そして現在、かつてのような力を維持しえなくなったアメリカを補完するかたちで、「戦う日本」をつくろうとする動きがはじまっている。 それは日本をくだらない三流国にしようとする策動だといってもよい。軍事力によってものごとを決していこうというのは、三流国のやり方だ。このやり方では力の前にひれ伏す国はでてきても、尊敬される国にはなれない。そればかりか抑え込まれた人びとの恨みを買い、次にはテロの標的にされることも起こりうる。 安保関連法案は先週衆議院で可決が強行された。だがこの法案が議論される過程は、安倍政権が意図した方向には進まなかったと私は思っている。むしろ逆に、国民の間では、戦後の平和主義の意義の再確認が広がっていった。声を上げはじめた若者たちを含めて、実に多くの人たちが「戦う日本」の危険性と愚かしさを認識している。いわば戦後の平和主義の原点に戻るべきだという合意が、再びこの社会に定着してきたのである。ある意味では安倍政権による強引な右傾化路線は、反面教師の役割を果たしてしまったといってもよい。法案が可決されても、違憲判決がでれば終わりだ。ここまでひどい日本の政治に振り回される必要はないという思いは、沖縄での独立論を高めていくだろう。法が成立しても、破棄を決めることもできるはずだ。これだけ安保関連法案と安倍政権への批判が高まっている以上、法が成立すれば終わりではない。 戦争が生みだした破滅に対する痛恨の思いからつくられた戦後の平和主義の理念を、私たちはもう一度取り戻すべきなのである。単なる戦争放棄ではなく、戦争なき世界をつくろうとした高尚な理念を、である。 振り返ってみればアメリカの軍事力に依存している間に、日本の社会はずいぶん下品になった。沖縄の人びとに犠牲を強いて平気でいられるのも下品な社会だ。原発事故の被災者への思いを欠いて、原発再稼働をすすめる社会も品格を欠いている。格差社会を放置している状況も、株価を上げるために政策を動員しているのも下品な社会だ。私たちはもっと高級に生きなければならない。いま求められているのは、高尚な社会をつくりだすための転換である。 安倍政権の暴走によって逆に強くなった平和への思いは、この転換を促進していくことになるかもしれない。いや、そうしていかなければならないだろう。平和な、ともに生きる社会をめざして、私たちはこれから、さまざまなものを改革していかなければならない。(哲学者)2015年7月19日 東京新聞朝刊 12版 4ページ「時代を読む-反面教師と下品な社会」から引用 去年の夏に憲法解釈を変えると言って、その必要性を説明するのに安倍首相は米軍の艦船に日本の民間人が乗ることを想定した絵を見せて、全国にテレビ放送されたが、今年は「麻生くんの家に強盗が入ったら、自分は見て見ぬふりではなく、麻生くんの家に駆けつけて一緒に強盗と戦う」などと言って、さすがにこれはおかしいだろうというので、今度は強盗ではなく、火事になったら場合を想定して説明するのであるが、これもなんだかピントがずれて、納得しているのは首相本人だけというお粗末を演じている。それを、世間の目は温かいものだから、安倍さんも一生懸命なのだろうと本質に目をつむっているが、そういう態度は国の進路を再び過たせるものと思います。彼が何度も変な説明をするのは、本人の知能がその程度なのだという現実から国民は目をそらさずに、彼は政治家には向かないという現実を認識するべきです。
2015年07月28日
琉球新報・編集委員の新垣毅氏が著した「沖縄の自己決定権」について、19日の東京新聞は次のように書評を掲載している; 本書は、琉球新報の連載記事「道標(しるべ)求めて-琉米条約160年 主権を問う」を一冊の本にまとめたものだ。国家を相対化し、その呪縛から抜け出すための「道標」を探る連載が計100回、9カ月半もの永きにわたって続いた。 民意を踏みにじって新基地建設が強行されている沖縄では、人々がそれぞれの現場で異議申し立ての声を上げている。状況に言葉を与え、さらに状況から抜け出る道を示す本書は、「沖縄問題」の本質を理解する上で示唆に富むものだ。 本書は前半部で、これまで「日本史」が無視、あるいは誤って伝えてきた「琉球併合」の歴史の細部にまで光を当てる。併合の事実を国内問題として矯小化(わいしょうか)し隠蔽(いんぺい)しようとした明治政府と、それを国際間題化することで各国の支持を得ようとした琉球の立場は真っ向から衝突した。 琉球・沖縄の近代史は当初から国家の暴力と無関係ではあり得なかったわけだが、そこに大国の思惑が絡まることで、その後の歴史はさらに複雑なものとなった。重要なことはしかし、抑圧の構図が現在も沖縄を縛っていることだ。 本書はいくつかの打開策を紹介している。自治州から独立まで、その方法は様々だが、自己決定権を求めるという点では一致している。沖縄は不退転の決意で動き始めている。今こそ、国家に翻弄(ほんろう)されてきた歴史に終止符を打つために。(評者田仲康博=国際基督教大教授)「沖縄の自己決定権」琉球新報社・新垣毅編著(高文研・1620円)あらかき・つよし 1971年生まれ。琉球新報社文化部記者兼編集委員。2015年7月19日 東京新聞朝刊 9ページ「歴史にも光、独立も視野」から引用 明治の日本政府は「琉球併合」を国内問題として矮小化した、この歴史上の事実を知る上で「沖縄の自己決定権」は一読の価値があります。韓国も日本政府が「併合」を強行しようとしたとき、国際社会に救済を求める試みをしましたが、成功しませんでした。しかし、現代の国際社会は、当時のような国際社会をリートする大国が裏では植民地獲得という腹黒い陰謀をもっていた時代とは変わり、一定の国際民主主義が確立されてますから、沖縄が独立すれば中国が攻めてくるとか自衛隊が武力制圧するとか心配する人もいますが、これからは、そのような野蛮な時代に逆戻りしないように、国際世論を支え沖縄の人々の権利保障をサポートしていきたいと思います。
2015年07月27日
安保法制の問題に消極的な男性向け週刊誌に比べて、女性誌は鋭く問題に迫っていると、弁護士の白神優埋子氏が19日の「しんぶん赤旗」コラムで取り上げている; 安保法制をめぐり国会が緊迫を増すなか、週刊誌が相次いで記事を掲載しています。しかしその中身は「安倍首相のトイレが増えた理由」(『週刊文春』7月16日号)などに終始。法案の中身や広がる安保法制反対の国民の声などは取り上げず、国民の法案への不信感にこたえるものになっていません。 これに対し、女性誌の鋭さが際立っています。『女性自身』は連続で安保法制を取り上げ、6月2日号では「あなたの子供が”アメリカの戦争”に命を捨てる! ”戦争法案”がついに国会審議を経て、7月にも成立へ!」の見出しで特集。「多くの女性が立ち上がれば、戦争法案も覆る可能性がある」と結びました。 最新号(7月21日号)では「命を軽くみる安倍政権、やっぱNOでしょ!」と、国会前で法案反対の声を上げているSEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)の若者たちを取り上げ、「いまこそ、未来のために。一人ひとりが自らの意思で、声を上げるときだ」と主権者意識を促しました。 『週刊女性』(7月14日号)も「暴走国”壊”にNO!」の見出しで「戦後70年-。あなたの子どもがアメリカのために殺し、殺される国になる!」と特集。日本共産党の志位和夫委員長のインタビューも掲載し、法案の危険性を告発しています。 日曜版7月12日号で『週刊女性』編集長は「法案反対に軸足を置いたのは、取材の結果」、『女性自身』編集長も「最近は(政治関係の記事が読者アンケートの)上位の方にくるようになりました」と語っています。国民の声に正面から答えようとする姿勢が生んだ記事であることがわかります。 現場に目を向け、事実を報道してこそ国民の「知る権利」に答えることができます。政争の愚かさを揶揄(やゆ)することだけでメディア”ぶる”のではなく、国民の声を正面から受け止め、国民の知る権利に答える報道姿勢を貫くことを求めます。(しらが・ゆりこ=弁護士)2015年7月19日 「しんぶん赤旗」35ページ「メディアをよむ-戦争法案 女性誌の鋭さ」から引用 与党が衆議院で強行採決をしてから、高支持率を誇ってきた安倍政権は急激に支持を失っています。まともな議論をせず、質問はすべてはぐらかして同じセリフを繰り返すだけの国会質疑では100時間や200時間では、まともな議論をしたとは言えず、それで採決を強行するのは民主主義の破壊です。安部政権が何をしたのか、国民はよく記憶にとどめ、来年の参議院選挙では間違っても自民党には投票しないように、メディアはよく国民に呼びかけるべきです。
2015年07月26日
韓国を訪問した国連人権高等弁務官がソウルで記者会見し、旧日本軍の慰安婦問題について見解を述べたと、6月26日の朝日新聞が報道している; 韓国訪問中のザイド国連人権高等弁務官は25日、ソウル市内で記者会見し、旧日本軍の慰安婦問題について「このような蛮行をそのまま見過ごすことはできない」と述べた。元慰安婦が日本政府による措置を十分だったとは考えていないと指摘し、さらなる対応を求めた。 ザイド氏は北朝鮮の人権状況を監視する国連の人権事務所の開所式に出席するために韓国を訪問。24日に元慰安婦3人に面会した。会見で「日本が取ってきた一連の意味のある措置にもかかわらず、被害者(元慰安婦)たちは、自らが受けた苦痛が理解されているとは感じられずにいる」と述べた。 また韓国大統領府によると、ザイド氏は朴槿恵(パククネ)大統領とも会談した。朴大統領は「問題解決は韓日関係の未来志向的な発展のためにも重要だ」とし、「おばあさんたちが生きていらっしゃる時に名誉と尊厳を回復することが重要だ」と強調したという。(ソウル)2015年6月26日 朝日新聞朝刊 14版 13ページ「慰安婦問題『見過ごせぬ』」から引用 慰安婦問題の謝罪と被害者救済については、日本はそれなりの努力をして一定の成果をみているが、残念なことに韓国の被害者に対しては、日本側の真意が理解されず「成果があった」と言える状況にはなっていないのは事実であり、更なる努力が必要である。
2015年07月25日
世間知らずの自民党議員が勉強会で「政治的中立を逸脱した教員には罰則を」などと愚かな議論をしたことについて、17日の「週刊金曜日」には次のような、強烈な皮肉の投書が掲載された;「教員の政治的中立『違反には罰則を』」との記事が『朝日新聞』(6月26日)にありました。自民党文部科学部会内に設けられた勉強会(座長=池田佳隆衆議院議員)がまとめたもので、記事には<高校の教員が「政治的中立」から逸脱した場合、罰則を科す案が25日、自民党で浮上した。「偏向教育を防ぐ」ことを目的とし(中略)、勉強会では「特定のイデオロギーを子どもたちに押しつけてはならない」との意見があがり、日本教職員組合(日教組)を名指しして批判した>とあります。 そして、選挙権年齢を18歳以上に引き下げることにあわせた主権者教育の提言の一つとして、同部会は2日、この内容を踏まえ、「罰則を科すために関連法の改正などを政府に求めた」(『朝日新聞デジタル』7月3日)とあります。「特定」の意味を辞書で引くと、(1)特(別)に指定すること、(2)当事者同士の話合いで定まっていること、(3)多くのものの中で特にそのものだけが該当すると判断すること(『新明解国語辞典』四版、三省堂)とあります。 自民党の意図する「特定」は「政権側の意見に反対する」ことを指すのでしょう。つまり、「政府・与党と異なるイデオロギーを子どもに押しつけてはならない」との表現が適切であると、私は考えます。 同様に「政治的中立」とは「政府・与党と同じ意見」を指し、「偏向教育」とは「過去の誤りを学ぶ教育」といったところでしょうか。平易な表現にすると中身が露呈して批判されるので、「中立」を装う言葉を用いているだけ、安保関連法案で「平和」「安全」を強調する政党のことだけはあります。一方で、批判することなく「こんなことを言っていました」と、そのまま記事にしてしまう素直な報道陣にも失笑します。 そもそも、自民党に「特定のイデオロギーを押しつけてはならない」などと言われたくありません。2015年7月17日「週刊金曜日」 この投書は、自民党議員が「政治的中立を逸脱した教員には罰則を」などと言い出した問題の本質を、みごとに喝破している。要は、自分たちとは異なる価値観を児童生徒に教えてもらいたくないと言うわけで、70年前に終わった侵略戦争の実態や日本軍のやったことなどを教えたり学んだりしてもらいたくない、自分たちと同じ「考え」で世の中を統一したいということだ。しかし、私たちの日本は明治維新以来、そのようにやってきて大失敗したという重大な歴史がある。そのことも、多分自民党議員は教えたり学んだりしてもらいたくないのであろう。しかし、わが国にはすでに民主主義の教育思想がしっかり根を下ろしているので、今さら安倍晋三やその取り巻き議員らが逆立ちして頑張っても、自民党イデオロギーで国民を統一することは不可能である。そんな見通しもなく「特定のイデオロギーを子どもたちに押しつけてはならない」などとアホなことを言っているのでは、やがて国民から三行半を突きつけられることになるであろう。ちなみにイデオロギーについては、学校教育では政治や歴史に関する様々な見方、考え方があること、イギリスの名誉革命、フランス革命、ロシア革命に重大な影響を与えたマルクス主義など、またその一方では社会主義とは一線を画して発展した西側のイデオロギーと、幅広く学習して大局からものを見て考えることができるように、教育はそのような人格の完成を目指している。今どき「日本は神の国だ」などという自民党イデオロギーでは、グローバルな世界で活躍する人材は育たない。
2015年07月24日
教員が政治的中立を侵したときは罰則を科すべきだという案が、自民党議員の勉強会で提案されたと、6月26日の朝日新聞が報道している; 選挙権年齢を18歳以上に引き下げることに合わせて政治参加の意識を高める主権者教育で、高校の教員が「政治的中立」から逸脱した場合、罰則を科す案が25日、自民党で浮上した。「偏向教育を防ぐ」ことを目的とし、関連法の改正を求めるが、党内には慎重論もある。党文部科学部会内に設けられた勉強会(座長=池田佳隆衆院議員)がまとめた。来週にも、部会で正式に議論する。 教育公務員特例法は教員の政治的行為を制限しているが、違反しても罰則はない。勉強会では「特定のイデオロギーを子どもたちに押しつけてはならない」との意見があがり、日本教職員組合(日教組)を名指しして批判した。(相原亮)2015年6月26日 朝日新聞朝刊 14版 4ページ「教員の政治的中立『違反には罰則を』」から引用 教育公務員特例法が規制する「教員の政治的行為」とは、学校内に自民党の政治家のポスターを貼ったり生徒に政治献金を強要するなどの政治活動を指しているが、今どきこんなことをする教員がいるとは考えられないし、もしやればすぐに新聞沙汰になるに違いない。にも関わらず、罰則を設けて厳しい姿勢を見せるべきだというのは、この世が自民党さまの天下であることを見せ付けたいという意図が自民党議員にあるからであろう。別の自民党勉強会では「政府批判をする新聞は企業広告を停止して締め上げるべきだ」と提案した、あの発想と同じである。この記事では、日本中の教員が日教組に加盟して、偏向教育をやりかねない状況であるかのような調子であるが、実際の日教組の加入率は、全有権者数における自民党の得票率と似たようなものである。昨今の自民党議員の特徴は「思い上がり」と「世間知らず」であるが、こういう党員ばかりの政党がこのまま日本の与党として勢力を伸ばしていけるのか、国民に見放されて衰退するのか、見ものである。
2015年07月23日
去年開催された核安全保障サミットでは、安倍首相は「核セキュリティ強化」を宣言し、世界の各国がプルトニウムや高濃縮ウランを最小化するために努力しようとしているのに、これから日本が核燃料サイクルを稼働させれば、使いもしないプルトニウムが毎年8トン出てくることになる。MOX燃料に加工して消費するとは言っても、40トンものプルトニウムは既に存在し、10年や20年で消えて無くなるわけがないのに、何故毎年8トンを製造しなければならないのか、まったくの矛盾である。その辺の問題について、12日の東京新聞は次のように論評している; Puと、核兵器用につくられた高濃縮ウランをいかに少なくするかは、世界的な関心事になっている。昨年3月、日本や米国、欧州主要国など約50カ国と国際機関の関係者がオランダ・ハーグに集まり、核安全保障サミットを開いた。 その場で安倍首相は「唯一の戦争被爆国であり、原子力先進国でもある日本には核セキュリティー強化を主導する責任がある。私自身が先頭に立って取り組みを進める」と宣言した。 さらに「Puと高濃縮ウラン最少化のために何ができるか、各国に検討するよう求める」と主張するオバマ米大統領との共同声明を発表。安倍首相はテロ防止のため、東海村のJAEA施設に保管されているPuと研究用高濃縮ウランを、よりセキュリティーが厳しい米国に搬出することを明らかにした。 一方で、日本のPuの対策や管理は不十分との指摘が少なくない。米国へ輸送するのは、国内保有量の3%余にすぎない331キログラム。昨年6月には、IAEAを通じて行っている保有量報告の中で、福島事故の影響で使われなかった装填(そうてん)中の核燃料に含まれるPu640キログラムを入れていなかったことが判明した。 また昨年11月、再処理の委託先の英国で日本の割り当て分のPuがまだ1トン残っており、保有量は計48トンになることが判明した。内閣府は「保有量は、正式に決まった後に毎年1回(昨年は9月)発表している」(原子力政策担当室)としてこの事実を明らかにしていないが、田窪氏は「1トンものPuが増えるのだから速やかに国際的に公表するべきだ。これでは透明性が確保されているとは言い難い」と批判する。 世界的には、核燃料サイクルから撤退する国が相次いでいる。ドイツでは1986年のチェルノブイリ事故で原子力業界全体が信頼を失ったのに加えて膨大なコストがかかることが分かり、89年に再処理工場の建設を中止。ベルギーなども断念している。 使用済み核燃料は、容器に入れて空気で冷やす「乾式貯蔵」で当面管理し、将来的には、そのまま捨てる「直接処分」を検討している国が多い。前内閣府原子力委員会委員長代理の鈴木達治郎・長崎大核兵器廃絶研究センター長は「再処理に比べ、直接処分はコストが大幅に低い。安全性も高く、メリットは大きい」と説く。 前出のフォンヒッベル氏によると、米国では冷戦時代につくられて不要になった核兵器のPuをMOX燃料にして使う計画を進めてきたが、当初の見込みから費用が10倍以上に膨らむことが判明。直接処分を検討しているという。 日本には高レベル放射性廃棄物の処分場がないため現段階でPuを処分する方法はないが、英国から「対価を払えば、英国内にある日本のPuを引き取ってもいい」との提案が出ている。鈴木氏は「日本に輸送するコストや、それに伴うリスクがなくなる。一考に値する」と話す。 5月に米ニューヨークの国連本部で開かれた核拡散防止条約(NPT)の会議では各国の思惑が食い違い、目立った成果は挙げられなかった。しかし、核兵器と核物質の最少化は待ったなしの課題だ。◆「処分技術の開発が先決」 田窪氏は「使う当てがないまま年8トンものPuが生まれる再処理を日本がやれば『先頭に立って削減に取り組む』としたハーグでの首相の宣言との整合性を問われることになる」と警鐘を鳴らす。 「Puを資源と考えるのがそもそもの誤りで、廃棄物という認識に改める必要がある。唯一の被爆国としての責任があると主張するのなら再処理を放棄するのに加え、各国の先頭に立ってPuの処分技術の開発を進めるべきだろう」<デスクメモ> 内閣法制局長官が「フグは肝を外せば食べられる」との例え話で、集団的自衛権行使の合憲性を主張した。そういえば、3・11直前、放射性廃棄物の地層処分とフグをダブらせた広告が雑誌に掲載された。いわく「処理の仕方が確立されていれば、安心です」。あの人たちが、フグを持ち出したときはご用心。(圭)2015年7月12日 東京新聞朝刊 11版 29ページ「核燃料 負のサイクル」から引用 この記事が指摘するように、MOX燃料に加工して再利用するのは経済的に無理があり、かのアメリカも直接処分を検討するというのであるから、やがては日本もそうなることは間違いない。日本の場合は国土が狭いから直接処分といっても国内に埋める場所がないから、アメリカやロシアのような広大な国土を持つ国に、金を払って埋めさせてもらう以外に手は無いということにもなりかねない。その時の費用をなるべく少なくするためにも、無駄なプルトニウムを生み出す核燃料サイクルは、やめるべきだ。
2015年07月22日
わが国が溜め込んでいる核兵器5900発分のプルトニウムをどうするのか、という問題について、12日の東京新聞は次のように論評している; 原発の使用済み核燃料などから生まれるプルトニウム(Pu)を削減する流れが世界的に強まる中で、日本が逆行する政策を続けている。原発を再稼働させるのと併せ、最大で年間8トンのPuを分離可能な核燃料サイクルも維持する方針を示している。ただPu削減は、安倍晋三首相が各国首脳の前で宣言した公約でもある。矛盾した政策で国際社会の理解を得られるのか。(上田千秋) 「日本は50トン近いプルトニウムを保有している。核兵器に転用できる物質を、テロリストの手から守らなければならない」 超党派の国会議員でつくる「原発ゼロの会」が先月18日、東京・永田町の衆院第2議員会館で開いた国会エネルギー調査会。核不拡散を唱える科学者らの団体「国際核分裂性物質パネル」の前共同議長で米プリンストン大名誉教授のフランク・フォンヒッベル氏はそう訴えかけた。 内閣府が昨年9月に公表したデータによると、日本が国内に保有するPuは10・833トン。日本原子力研究開発機構(JAEA、茨城県東海村)が昨年廃止を発表した再処理施設や、各地の原発敷地内などに保管されている。 その他にも、使用済み核燃料の再処理を委託した英国に20・002トン、フランスに16・310トン保管され、総計で47・145トンに上る。国際原子力機関(IAEA)は、核兵器一発を製造するのに必要なPuの量を8キログラムとしており、単純計算すると日本は約5900発分のPuを保有していることになる。 Puはもともと、大量消費が可能とされる高速増殖炉などで使用する予定だったが、「もんじゅ」(福井県)でたび重なるトラブルが発生し、計画は事実上頓挫。政府は1997年、Puを混合酸化物(MOX)燃料に加工して原発で使う「プルサーマル計画」を発表した。 16~18基の原発に導入する計画を立てたものの、毒性の強いPuが燃料に含まれていると事故時の被害が大きく危険なことから、反対運動が起きた。結局、当初予定の2010年までに実施できたのは玄海3号機(佐賀県)や福島第一3号機など4基。全炉心でMOX燃料を使う大間原発(青森県)も進捗(しんちょく)率37・6%の段階で工事がストップ。福島第一原発事故前に消費できたPuはわずか1・9トンにとどまっている。 福島事故によってプルサーマル計画が進展する可能性は極めて低くなり、Puを消費する当てがないにもかかわらず、政府は核燃料サイクルを継続する考えを変えていない。原子力規制委員会による安全審査が難航しているため実現は厳しいものの、事業の中核を担う日本原燃の再処理工場(青森県)を来年3月に完成させる目標はそのままだ。原発が再稼働して再処理工場が全面的に動きだせば、核兵器千発分に相当する8トンのPuが毎年生まれることになる。 原子力・核政策アナリストで、ウェブサイト「核情報」を主宰する田窪雅文氏は「現状でも日本のPu保有量は、非核兵器保有国の中で突出して多い。そんな状況で再処理工場が動きだせば、世界中から非難が集まる」と唱える。2015年7月12日 東京新聞朝刊 11版 28ページ「減らぬプルトニウム」から引用 プルトニウムを燃料とする発電方式は水による熱のコントロールでは間に合わず、液体ナトリウムを使うことになっているが、このナトリウムは水と接触すると爆発するという超危険な物質であるため取り扱いが困難で、そのため実際の「もんじゅ」はトラブル続きで未だかつて「まともに」稼働した試しがない。欧米では実用的な技術ではないと看做されている代物だ。青森県に建設中の再処理工場が稼働を始めれば、毎年8トンのプルトニウムが使い道もなく積み増しされる。こういう無駄な政策は止めるべきだ。当初の計画の倍以上の経費がかかることが判明して見直しになった「新国立競技場」の例に倣うべきだ。
2015年07月21日
安倍政権が国民の声を無視してゴリ押ししようとしている安保関連法案について、日本の代表的な憲法学者は次のような見解を述べている; 岡田信弘(北海道大特任教授) 憲法9条の下で認められるのは個別的自衛権止まり。集団的自衛権行使は許されない。憲法や立憲主義の問題を政治家や専門家に委ねるのでなく、国民の中で議論することが重要だ。 佐々木弘通(東北大教授) 政府が安保法案を合憲とする論理は、従来の憲法解釈を順守していない。憲法9条2項の削除は、戦後70年かけて培ってきた日本独自の平和文化とブランドを捨てる愚かな選択だ。 今野健一(山形大教授) 他国の防衛である集団的自衛権の行使容認は、憲法解釈変更で対応し得ず、改憲の問題だ。行使の前提となる「存立危機事態」概念が法的に意味のあるものとなり得ているかも疑問。 藤井正希(群馬大准教授) 軍備を増強したり、集団的自衛権を容認したりすることで対外的脅威に備えることを強くアピールすること自体が、かえって相手を刺激し、むしろ脅威を高めると考える。 坂口正二郎(一橋大教) 集団的自衛権行使を認めるなら、9条改正を訴えてそのルールに乗せるのが立憲主義の基本。それを無視して内閣の解釈変更で行うことは姑息(こそく)で、立憲主義のルールに反する。 石崎誠也(新潟大教授) わが国は軍事力を行使しないということで国際的信頬を得ており、それが日本の平和的存立につながっている。大量破壊兵器時代の今日にあっては戦争をしない国際関係を構築することが国家存立の基礎であり、わが国の憲法はその点からみて人類史的意義を持つものだと思う。 宮井清暢(富山大教授) 9条が戦争参加や軍事大国化の歯止めとなり、戦後70年間、自国民や他国民を殺さずにきた。そのことが戦争やテロに巻き込まれない最大の安全保障となってきた。 山崎友也(金沢大准教授) 憲法9条がかろうじて認めるのは自国領域を保持する実力組織。他国防衛のための実力組織の保持・派遣は認められるわけがない。存立危機事態もどのような事態か、全く定かでない。 成沢孝人(信州大教授) 集団的自衛権は憲法9条から説明がつかないし、活動期間内に戦闘が行われるかもしれない場所での弾薬を含む物品役務の提供は、他国軍隊との一体化にあたる。2015年7月12日 東京新聞朝刊 12ページ「安保法案本紙アンケート 憲法学者120人の声」から引用 ここに引用した学者の見解は多くの国民も納得する判り易い見解である。わが国は軍事力を行使しない国として国際社会の信用を得ているのであって、そういう国家であることに不満なのは唯一アメリカ軍だけである。武力を行使しない国と思われていれば、誰も警戒はしないが、今度から使うことにしますと言えば、言われた方は日本を一応仮想敵国としてカウントに入れなければならない羽目になる。つまり、日本の安全はその分損なわれることになる。やはり、安保関連法案は廃案にしたほうがいい。
2015年07月20日
戦後70年たっても尚、新たな証拠資料が発見される「慰安婦問題」について、昨日引用した「西野・今田対談」の続きでは次のように議論されている;◆吉田証言の”脚色”部分西野 吉見義明・中央大学教授の著書(『「従軍慰安婦」をめぐる30のウソと真実』吉見義明・川田文子編)には、吉田さんが「日時や場所を変えた」と言ったとありますが、吉田さんは何をどう脚色したのでしょう。今田 吉見さんとの面談で、吉田さんはどこをどう変えたのかは話していないのではないでしょうか。吉見さんらの面談から5カ月後の93年10月に私は吉田さんにインタビューをしましたが、そのときに初めて、その点をかなり詳細に話しています。吉田さんはまず、年月目については「当時、書くときに相当部下と相談して書いているから、間違いないです」。脚色の部分については、「宇部の労務報国会というのが宇部でないかもしれんし、徳山の労務報国会のだれとかとか、県の労政課長がいってる、それも全然、労政課長ではない。そういうのをつけると、わからんようになるから。私以外の登場人物をフィクションにしているわけです」とし、「被害者側からみたとき、それはだれであろうが、本人であろうが別の人間くっつけてやろうが、いっさい被害者の、自分が連行された、その日時、場所なんかは、被害者側からみたら全部、事実だ」と説明しています。つまり、脚色部分は、自分以外の加害者の名前・肩書きだったというわけです。◆軍の関与と命令書西野 秦さんは、吉田証言は「慰安婦狩り」の命令系統が「西部軍司令部 → 山口県知事 → 下関警察署長 → 吉田」と言うが、それは関係者の話として「ありえない」「依頼だとしても、済州島をふくむ朝鮮半島は朝鮮総督府と朝鮮軍の管轄下にあり、内地から出張しての狩り込みはありえない」と言っています。指揮命令系統については『朝日』も記事取り消しの根拠のひとつにしていますね。今田 「内地から出張しての狩り込みはありえない」と言うけど、1938年11月8日付施行の内務省警保局長の公文書「南支方面渡航婦女ノ取扱二間スル件」には、軍の「證明書」を持つ者が秘密に募集する「慰安婦」用の女性について、「婦女ノ出府県ハ右指定府県以外ニテモ差支ナキコト」と書かれている(次ページの写真参照 ※当ブログでは省略)。この右指定府県とは、大阪、京都、兵庫、福岡、山口だった。山口県に近接する植民地朝鮮の済州島、あるいは全羅道にも適用されていったと考える方が自然です。西野 山口県警察部労政課長は労務報国会の事務局長を兼務していたと言いますから、西部軍司令部 → 山口県労務報国会(会長=県知事)→ 山口県警察部労政課(労務報国会の事務局長)→ 山口県労務報国会下関支部動員部長(吉田氏)という流れは軍と警察の連携とも読めます。これまで、「慰安婦」募集(徴集)に軍が関わっていることは内務省通達などで警察に徹底されている資料は複数見つかっていて不自然ではありません。ちなみに「動員命令書」の内容は妻の日記にあったと大阪の講演録にありますが、『朝日新聞』は母は「日記をつけていなかった」というご長男の証言を示して信憑性がないという根拠の一つに挙げています。いわば、「動員命令書」の内容自体が検証されることなく断ち切られたわけです。 しかし、この動員命令書がまったくのでっち上げとは思えない節もあります。たとえば内務省警保局資料の「上海派遣軍内陸軍慰安所ニ於ケル酌婦募集二間スル件」(群馬県知事作成1938年1月19日付)に、「……左之候件を以て約五百名の酌婦を募集致候に付何卒大至急御手配煩シ度……」とある「候件」は、吉田証言にある「動員命令書」の内容とかなり似ています。こちらは「内地」での徴集ですが、そうであっても「動員命令書」がまったくのでっち上げとは思えません。今田 そうです。先ほどの38年11月8日付「南支方面渡航婦女ノ取扱二間スル件」は5府県知事に宛てて、「軍部ノ證明書」を使って「慰安婦」にする女性を集めよと指示しているものです。吉田さんが証言する「動員命令書」も、この「軍部ノ證明書」ではなかったのか。◆「慰安婦」問題の本質西野 安倍晋三首相は「慰安婦は人身売買の犠牲者」と言うようになりました。「人身売買」とすることで「慰安婦は親に売られた女性」として、親や朝鮮人業者などに責任転嫁したいとしたら、それは見当違いもいいところです。 当時の刑法や国際法では未成年はもとより、拉致も詐欺も甘言も誘拐罪で、「慰安婦」にするため人身売買した女性を国外の慰安所に移送することもまた違法でした。また、船の移送の場合、身分証明書の発給がなければ乗船できず、軍や領事館、警察などの便宜・手配がなければ、これだけの長期にわたる「慰安婦」国外移送はできたはずがありません。軍と警察は関与というより「主体的」役割を果たしていたのです。つまり、安倍首相が「人身売買」を認めるなら、人身売買「慰安婦」国外移送という違法行為の観点からも、日本軍や内務省・警察などの責任を認めねばなりません。確認作業はまだ必要ですが、日本軍が業者に「慰安婦」調達金を渡していたと思われる資料が発見されました。事実なら、軍が「人身売買」の主体だったというケースです。今田 それは驚きですね。日本軍や内務省・警察は吉田証言にもあるように、敗戦後、徹底的に証拠隠滅を図り、「慰安婦」などの朝鮮人強制連行に関わる資料を焼却処分しました。それはどこから出てきたのですか?西野 昨年、中国の吉林省公文書館が公表したものです。1945年3月27日から4月19日までの「慰安婦」調達資金などについての書簡・電報には、満州中央銀行鞍山支店が関東軍第四課の承認を経て、軍用公費として日本軍の「慰安婦」調達専用資金の振替を行なったという記録があります。今田 それは決定的ですね。西野 秦さんはかつて「済州島の事件が事実無根だとしても、吉田式の慰安婦狩りが無かった証明にはならない」(『正論』92年6月号)と語っていました。まさにそのとおりです。済州島で「慰安婦」狩りをしたという吉田証言だけが「慰安婦」問題の核心でも唯一無二の証拠ではありませんが、そうであっても吉田証言を丸ごと「虚偽」とすることは乱暴です。 そもそも拉致や暴力的連行だけが「慰安婦」問題の強制性ではありません。詐欺であってもその暴力性に優劣をつけることなどできないのです。何より、強制性は連行だけでなく、性奴隷を強要された慰安所での強制性を無化することはできません。もう一つ、あまり語られてきませんでしたが、アジア各地には置き去りにされた女性たちが数多くおられ、今もなお連行地で生存されている女性もいます。連行した側にはそうした女性たちを帰還させる責任もあるでしょう。今田 吉田さんは国家犯罪の生き証人だったと思います。彼の証言の裏をとっていけば、必ず軍や警察などの国家権力機構に行き着く。「慰安婦」問題の本質の一つはそこにあります。それが証明されると、国家責任・国家補償へとつながってしまう。何としてもそれを避けようとする戦犯勢力が吉田証言を葬り去ろうと徹底的に攻撃してきた。死人に口なし。彼が亡くなってから14年が過ぎ、反論ができなくなってから、その勢力が卑怯にも死屍に鞭打つように、『朝日』を使ってそれをやらせた。私はそう見ています。2015年6月26日 「週刊金曜日」22ページ「『吉田証言』は本当に『虚偽』なのか!?」から一部を引用 去年の夏に朝日新聞の社長が、吉田証言関連の記事を取り消すと発表して以来、世間では「吉田証言は虚構だった」という雰囲気が支配的になったが、上記の記事を読むと、「朝日」の発表はまったく茶番で、わざわざ済州島まで出かけて行なった「検証」も、真実を極めるというよりは「このように検証しました」というポーズを取ることが目的だった模様です。それにしても、関東軍が慰安婦募集に軍の金を支出したという満州銀行の書類がでてきたとは驚きです。これで軍の関与は決定的です。いずれ日本政府は、民間から集めた基金でお茶を濁して済ますわけにはいかず、政府として正式に事実関係を認定し被害者にも正式に謝罪する羽目になることでしょう。
2015年07月19日
かつて吉田清治氏にインタビューした経験を持つジャーナリストの今田真人氏は、同じくジャーナリストの西野留美子氏と対談し、去年の夏に朝日新聞が吉田証言を扱った記事を取り消した問題について、朝日の対応を厳しく批判している;「慰安婦」狩りをめぐる故・吉田清治氏の証言記事「取り消し」によって、日本軍「慰安婦」の強制性そのものが否定されたかのような言説がまかり通っている。その吉田氏にインタビューした元『赤旗』記者・今田真人さんと、「慰安婦」をめぐる多くの著書がある西野瑠美子さんが「歴史的事実に蓋をするな」と異論を放つ。西野 昨年8月5日付で、『朝日新聞』はこれまでの吉田清治氏の証言関連記事を「虚偽」として取り消しましたが、私は、『朝日』の示した検証だけで「虚偽」と言い切ることができるのか疑問に思ってきました。そんな時に今田さんの本を読み、大変興味をもちました。今田 『しんぶん赤旗』も同年9月27日付で、計3本の関連記事を「信憑性(しんぴようせい)がない」として取り消しています。まず、『朝日』が吉田証言を「虚偽」だとした理由がとてもおかしい。最大の理由が、2014年に『朝日』の検証チームが韓国の済州島に行き、老人ホームを訪問するなどして1週間かけて約40人のお年寄りに話を開いたが、吉田証言を裏付ける話は得られなかったというものです。しかし、この約40人は、当時本当に済州島に住んでいたのか、どこでどんな仕事をしていたのか。そんな肝心の身元調査さえない。「70代後半~90代」のお年寄りというだけ。 歴史的証言は、当事者しか知りえない事実があるかもしれないという、ジャーナリスト・研究者に不可欠な科学的分析的な態度もない。謙虚さもない。こういう強引な論理がまかりとおるなら、いいかげんな調査であればあるほど裏付け話は得られないから、あらゆる歴史的証言が、『朝日』によって虚偽と断定されてしまう。 ところで、『朝日』の木村伊量(ただかず)社長(当時)と安倍晋三首相とは、判明しているだけで計3回(2012年暮れ=安倍氏の首相就任直前=、13年2月7日、同年7月22日)にわたり”夜の会食”をしています。元政治部長を務め、「極右」と自称する木村さんと首相との間で、何らかの合意あるいは取引がなされたと勘ぐるのは私だけではありません。西野 『朝日』は「虚偽」と判断した根拠を8点挙げていますが、97年3月31日付の特集で「済州島の人たちからも、氏の著述を裏付ける証言は出ておらず、真偽は確認できない」としていたのを「虚偽」とするに至った説得力ある根拠はいずれにも見当たりません。とりわけ済州島で目撃証言が得られなかったことが大きな根拠のようですが、「慰安婦」問題のように「性」をめぐる問題の聞き取りはそう簡単なことではない。今田 と言いますと?西野 この数年を見ても、韓国内の「慰安婦」被害者に対するジェンダー偏向は依然として厳しいものがあります。たとえば2008年に、「慰安婦」博物館(現「戦争と女性の人権博物館」)の建設予定地をめぐって、ソウル市が西大門独立公園内に建設許可を出したのですが、それに対して韓国の光復会など独立運動関連団体33団体が連名で、ソウル市長宛に建設許可の撤回を求めました。 その理由は、(1)独立公園内に建設を許可したのは没歴史的な行為で、数多くの独立運動家と独立運動を汚す「殉国先烈に対する名誉毀損」である、(2)日本人に対し、先祖の悪行に対する反省を促すどころか、むしろ嘲笑を提供する結果を招く、(3)未来の主役である青少年に正しい歴史認識よりも、「我が民族は積極的な反日闘争より日帝によって受難のみ受けた民族」だという歪曲された歴史認識を植え付け、歴史的真実に対する混同を与える、(4)西大門刑務所は抗日抵抗の産屋であり民族の魂の聖地であるため、土地の性格上見合っていない(2008年11月3日付声明)- などです。 このように、「慰安婦」問題についてはまだまだ被害国のなかにも偏見が根強いわけで、現地に行って不作法に「強制連行の証拠」集めをしようという姿勢では誰も心を開かないでしょう。今田さんは済州島の調査についてはどう考えられますか?◆済州島事件後の調査今田 吉田さんは1993年10月18日と25日に私がインタビューしたとき、「戦後の済州島事件というのは、北のスパイとして済州島民がたくさん虐殺された」「済州島では生きていけないので、みんな戦後逃げだした。現在、島にいるのは本土からいったものだ。 だから村の古老といっても、その部落にずっと住んでいたわけではない。だから当時のことを実証できるものはいないのだ」と話しました。「済州島事件」とは「済州島四・三蜂起事件」と呼ばれ、1948年から57年まで10年近くにわたり多くの島民が虐殺された事件です。生き残った人は日本に逃れ、多くが大阪に住み着いたと吉田さんは言います。大阪の在日朝鮮人の4分の1が済州島出身者だとも言います。『朝日』の記者が取材した済州島のお年寄りは、弾圧に手を貸した側かもしれず、そうだとすれば、済州島の現在の住民からの裏付けは困難です。西野 『朝日』も秦郁彦(はたいくひこ)さんも済州島調査は1990年代ですね。今田 そうです。秦さんは92年3月に済州島に行き、地元の新聞『済州新聞』の記事(89年8月14日付)を入手、その中で、「慰安婦狩りの話を、裏付け証言する人はほとんどいない。島民たちは『でたらめだ』と一蹴し、この著述の信憑性に対して強く疑問を投げかけている。城山里の住民のチョン・オク・タン(85歳の女性)は『250余りの家しかないこの村で、15人も徴用したとすれば大事件であるが、当時そんな事実はなかった』と語った」などと書かれているのを”発見”。それを『産経新聞』(92年4月30日付)や『正論』(同年6月号)などに発表しました。これは、いわゆる「孫引き」というもので、まともな研究者の調査とは思えない。興味深いのは、吉田さんが93年10月の『赤旗』インタビュー(今田さんの著書に収録)で、すでに次のように、秦さんを批判していることです。「(吉田さんが80年代半ばに済州島に謝罪旅行に行き、韓国のテレビ・新聞などが徹底的に吉田さんの素性と証言を調査したと説明したあと)それをいっさい無視して産経新聞やら、あの教授たちが大騒ぎをしているんです。 済州島新聞の記者がいったとか、80なんぼの老婆が証言したとか、そんな、わずかな人数の部落で、10人も15人も娘連れだしたら、大騒ぎになる、と。しかし、あの当時、大騒ぎできる状況の済州島の状況でないことを、そのばあさん知りもしないで。昭和18年、19年ごろの済州島の実態は、知らずに。済州島の新聞記者といっても、戦後生まれの新聞記者がなにがわかりますか。一人の新聞記者が語ったのが、いかにも真実だというが、その裏をとっていない。 ばあさんの裏もとっていない。 地元民の証言、地元民の裏もとっていない。その信憑性も追求していない」 私は、この吉田さんのインタビューの発言は、実に説得力があると思っています。西野 しかし、『朝日』や『赤旗』はその秦さんの言説をもとに吉田証言の記事を取り消しています。今田 秦さんの言説は、孫引きの上、済州島事件などの歴史的な背景さえ無視した調査によるものです。虚偽とするには無理がある。西野さんが、雑誌『Journalism』15年3月号(朝日新聞社発行)で、『朝日』の済州島調査を批判して書いておられるように、「見ようとしないものには見えてこない。聞こうとしなければ、沈黙からは何も聞こえてこない。しかし、『沈黙』の中に真実が隠されていることもある」のです。この言葉は、本当のジャーナリストの心がけるべき姿勢として、とても私の印象に残りました。古巣(『しんぶん赤旗』)のことはあまり言いたくありませんが、『赤旗』の検証記事は、『朝日』がやったような済州島の現地調査さえやった形跡がない。(後半は省略)2015年6月26日 「週刊金曜日」20ページ「『吉田証言』は本当に『虚偽』なのか!?」から一部を引用 吉田証言に異論を唱えたのは秦郁彦博士であったが、彼が「吉田証言」の裏を取りに済州島に出かけたのは90年代であって、その時彼がインタビューした人々は吉田清治が慰安婦狩をした当時に済州島に住んでいたかどうかの確認はとれていない。しかも1948年から10年近く、済州島事件があって戦前の住民は皆殺しにされて、生き残った人々も全員島から逃げ出したのであれば、90年代になってから調査にでかけても確かな証言などとれるわけが無い。したがって、「吉田証言」は真実である可能性が大きく、「吉田証言」を虚構であると決め付けた朝日新聞は、実は歴史をねつ造した可能性がある。「朝日」が何故そんなことをするかと言えば、それは発行部数の減少に歯止めをかける手段としてライト・ウィングの読者層を取り込む必要があるからで、右翼体質の経営者の考えそうな話である。安倍首相と3回も酒食をともにして、ヒントをもらったのかも知れない。
2015年07月18日
私たちの平和憲法が如何にありがたいものであるか、7日の東京新聞投書は次のように訴えている; これから日本は「戦える国」になるのだろうか。戦争は二度としないと誓った70年前を思い出してほしい。憲法九条をなきものにしないでほしい。 私が国民学校1年生の時、戦争が始まった。幼い私には戦争がどんなものか知る由もなかった。 学校の先生は「日本は神の国だから神風が吹いて必ず勝つ」と教えた。皆、意味も分からずそれを信じていた。だが神風は吹かなかった。米爆撃機B29は昼夜を問わず爆弾を落とし、私の住む八王子の街も焼け野原になった。 国民学校5年生の夏、戦争は終わった。体が震えるほど怖かったB29はもう飛んでこない。逃げたり、防空壕(ごう)に入ったりしないでもよいのだと安心した。 神風が吹くと言っていた先生から、日本は民主主義になったと教わった。民主主義によって、今までの男社会から、男女が平等で女も意見を言える社会になった。考えてみると戦争はみな男たちが始めたものだ。民主主義のおかげで女たちは、男と平等という権利を持つことができた。 何といっても素晴らしいのは、平和憲法ができたことである。日本は二度と戦争はしないと誓った9条だ。この9条のおかげで70年もの間、戦争はなかったのだから。 何代もの総理大臣が70年もの間、平和を守ってきた。安全保障関連法案が成立すれば、自衛隊員らが安易に海外に派遣され戦争に巻き込まれかねない。特に若い世代には、戦争の怖さを知らない人が増えているように見える。若い将来のある人こそ、この法案に反対の声をあげてほしい。2015年7月7日 東京新聞朝刊 5ページ「ミラー-平和憲法のありがたさ」から引用 日本人が軍隊を持つとどういうことになるか、それは明治維新から1945年8月までの歴史が示している。その後、私たちは軍国主義を反省して、自衛隊は持っても、それをPKOなどで海外に派遣するときは、いちいち時限立法を行なって手数をかけて法律上の問題を確認するという作業を行なってきた。これはどんなに面倒で時間がかかる作業であっても、十分に手間ひまかけて行なうべき作業であって、今後も継続するべきである。それを首相の一存でいつでも即座に派遣できるようにしたい、というのが今問題になっている安保関連法案である。自衛隊の海外派遣は安易にするものではなく、武力行使は日本が直接攻撃を受けたときに限定するべきである。それが日本国憲法の精神だ。
2015年07月17日
戦後70年間、日本の民主主義を担ってきた自民党政権の中で、安倍政権は未だかつて無い異質な政権である。7日の東京新聞は、次のように論評している; 安保関連法案の参考人質疑が6日、那覇市とさいたま市で催された。政府・与党は採決へ着々と駒を進めているが、同法案で問われているのは安保政策だけではない。これまでの審議からも、安倍政権の政治体質自体が俎上に載っている。その体質とは、「議論を拒み、公共的なシステムを私物化する」という代物だ。その特異性は、自民党内の勉強会での報道抑圧発言でもあらわになっている。(上田千秋、篠ケ瀬祐司) 安倍政権に特徴的な傾向は、内輪以外に議論を広げようとしない姿勢だ。 先月17日に国会で開かれた党首討論。安保関連法案をめぐり、民主党の岡田克也代表が「どういう時に存立危機事態と認定するのか」と問うたのに対し、安倍晋三首相は「某国が『東京を火の海にする』と発言をエスカレートさせ…」などと語りつつも、「具体的なケースを私が述べると、政策的な中身をさらすことになる」と返答し、核心部分に触れる論争を避けた。 5月20日の党首討論でも、岡田氏から安保法案の議論に関して「間違っている」と追及された際、内容には踏み込まず「法案についての説明は正しいと思いますよ。私は総理大臣なんですから」と返した。 国会議員は国民の代表として、内閣に対して質問する。首相がこの大原則を理解しているのか、危ぶまれるシーンもあった。同月28日の衆院安保特別委員会で、民主党の辻元清美議員に「早く質問しろよ」とやじを飛ばした件だ。 安保に限らない。首相は村山談話をどう継承するかなど、歴史認識をめぐる議論でも「侵略の定義は定まっていない」などと、議論の深入りを避けてきた。 一方、異論が挟まれない空間では快活だ。首相や側近は交流サイト「フェイスブック(FB)」によく投稿している。2013年1月に首相官邸の公式ページを開いた際も「『いいね!』な一年にしましょう」とコメント。「いいね!」は閲覧者が内容を評価した時にクリックする記号だ。 ただ、フェイスブックは基本的に双方向な議論の空間としては使われない。 異論も含めて議論を喚起し、主権者たる国民の判断を仰ぐという民主政治の原則を軽視し、敵味方の論理に固執する。そうなれば、国民は操作の対象だ。 そんな政権の特性が如実に表れたのが、自民党の勉強会での報道機関への圧力発言だろう。報道機関は自分たちの広報装置、財界はそれに圧力を加える道具という認識が垣間見えた。 元NHKプロデューサーで、武蔵大の永田浩三教授(メディア社会学)は「総務省から放送免許を受けているテレビ局は政権にあらがいにくく、大なり小なりの圧力は以前からあった。ただ、第二次安倍政権発足以降、その傾向が一層強くなった」と指摘する。 とりわけ、公共放送は政権の装置ではなく、国民のためにある。しかし、現政権はそのNHKの人事へも大胆に介入した。 国会は13年11月、政府が示した新任NHK経営委員人事案を承認。そこには作家の百田尚樹氏や埼玉大名誉教授の長谷川三千子氏ら、いずれも首相に近い人物がいた。12月に当時の松本正之会長が突然退任の意向を示し、14年1月にやはり首相に近い籾井勝人氏が就任した。2015年7月7日 東京新聞朝刊 11版S 26ページ「安保法案で鮮明 安倍政権の異質さ」から引用 党首討論で「存立危機事態」の具体的な説明を求められたとき、安倍首相は「具体的なケースを私が述べると、政策的な中身をさらすことになる」と応えたが、これは安倍氏が安全保障政策の基本を理解していないことを暴露している。安全保障政策に抑止力を持たせようと考えるなら、どのような事態に立ち至ったら自衛隊を出動させるという具体的な基本方針を内外に明らかにしておけば、相手側もイザというときに「これ以上の示威活動は危険だ」という判断材料を提供することになり、それによって無駄な武力衝突を避けることができるというものである。それを、安倍氏はまるで戦争の真っ最中に敵軍と対峙しているときに味方の手の内を明かすことになるかのように思い違いをしている。こういう稚拙な人物を首相にしたのが間違いだった。
2015年07月16日
明治日本の産業革命遺産が世界遺産に登録された翌日の東京新聞は、次のような社説を掲載した; 世界遺産に「明治日本の産業革命遺産」が登録される。戦時中に一部施設で朝鮮人労働者の徴用があったと日本が公式に言及し、韓国側も評価した。対話と交流を軌道に乗せる契機としたい。 日韓関係のさらなる悪化は何とか食い止めた。もし韓国の反対で明治の産業遺産の登録が見送られたならば、日本側の不信感は強まり韓国との文化、教育交流に深刻な影響が出たのではないか。 国連教育科学文化機関(ユネスコ)が登録を決めた遺産は、九州各県と山口県を中心とした23施設。西欧以外で最初の産業国家となり、アジア諸国のモデルになった明治期の発展が、あらためて評価された。近代史の光の部分である。 政府代表は議場で、朝鮮人労働者らについて「1940年代に意思に反して連れて来られ、厳しい環境で働かされた」と述べた。政府は当初、遺産の対象期間は幕末から1910年までであり、「戦時中の朝鮮人徴用と時期が異なる」と主張したが、譲歩して韓国の見解を発言に反映させた。 炭坑や製鉄所は明治以降も存続した。戦時には植民地から多数動員され、日本人とともに過酷な労働に従事したという史実は否定できない。日本側が歴史の影の部分にも言及し、「犠牲者を記憶にとどめる措置を取る」と一歩踏み込んで表明したのは、国際社会の理解を高めるのではないか。 だが、火種は依然として残る。韓国最高裁が2012年、日韓基本条約に付属する協定に反して、徴用工など個人請求権は消滅していないと判断を示したため、韓国では日本企業を相手取る賠償請求訴訟が相次いでいるからだ。 日本政府が世界遺産になる施設でも厳しい環境で労働させられたと認めたことで、係争中の元徴用工の訴訟に影響を与える恐れがある。日韓条約で合意した以上、韓国政府は賠償を求める動きとは一線を画すよう望む。 遺産登録の場に、日韓は政治介入をしすぎたとの批判がユネスコ側から出ている。日韓双方はもっと早い時期から意見交換をし、対立を会議終盤まで持ち込まないよう努力すべきだった。 ユネスコは今回、朝鮮半島で4~7世紀に栄えた国家、百済の遺跡群についても世界遺産登録を決めた。百済は当時の大和政権に漢字と仏教、儒教を伝え、技術者が渡来して寺建立や仏像づくりに携わった。古代の日韓交流が選定の理由だったことにも注目したい。2015年7月7日 東京新聞朝刊 12版 5ページ「社説-日韓・世界遺産 歴史の光と影を見よう」から引用 世界遺産登録に当たって日本政府が戦前の朝鮮人労働者の問題に言及したことは、国際社会の信頼を維持するために大変有意義なことだと思います。また、過去の悲劇が将来繰り返すことのないように、「犠牲者を記憶にとどめる措置を取る」ことも大変重要です。「意思に反して連れて来られ、厳しい環境で働かされた」場所には記念碑を立て、犠牲になった人々の名を刻んで追悼し、歴史教科書にも明示して正しい歴史認識を育む努力が必要です。
2015年07月15日
日本政府は明治時代に建設された製鉄所の設備を世界遺産として認めてもらいたくて、韓国の賛同を得るために、その製鉄所ではかつて朝鮮人労働者が「自らの意思に反して連れてこられ、厳しい環境で働かされた」史実が存在することを認めると言っておきながら、世界遺産に登録された翌日、記者会見した菅官房長官は「強制労働を認めたものではない」と、まるで見本を示すかのような二枚舌を披露した。7日の東京新聞は、次のように報道している; 菅義偉(すがよしひで)官房長官は6日の記者会見で、世界文化遺産登録が決まった「明治日本の産業革命遺産」に関し、かつて一部の対象施設で朝鮮半島出身者が「働かされた」とした5日の日本政府の陳述は「強制労働」を認めた趣旨ではないとの認識を表明した。「強制労働を意味するものでは全くない」と述べた。 違法性を帯びる「強制労働」を容認したとの印象が広がれば、韓国側で元徴用工の請求権問題が蒸し返される可能性が高まるとの判断が背景にある。元徴用工の請求権について、菅氏は「1965年の日韓請求権協定で完全かつ最終的に解決済みだ」と強調した。 岸田文雄外相も5日夜、政府の陳述について「強制労働を意味するものではない」と述べている。 5日の政府陳述は「自らの意思に反して連れてこられ、厳しい環境で働かされた多くの朝鮮半島出身者らがいた。大戦中に政府として徴用政策を実施した」との内容。この陳述によって、韓国から登録への同意を取り付けた。「日本が労働の強制性を認めた」と受け止める韓国との間で、摩擦が再燃する展開も予想される。 徴用政策の内容をめぐり、菅氏は「44年9月から45年8月の終戦までの間に、国民徴用令に基づき朝鮮半島出身者の徴用が行われたことを記述した」と説明。「国際労働機関(ILO)の強制労働条約で禁じられた強制労働には当たらないと理解している」との認識を示した。2015年7月7日 東京新聞朝刊 12版 6ページ「『forced to work』めぐり日韓応酬」から引用 戦前の日本では、違法性を帯びた「強制労働」が行なわれたのは歴史学者も裁判所も認定した事実であることを踏まえれば、菅官房長官や岸田外相の発言は明らかに史実を歪める発言である。記事によれば、彼らがそのような発言に及んだのは、もしここで改めて「違法性を帯びた強制労働」を認めれば、強制労働をさせられた労働者の請求権問題が再燃する危険があるから、だから史実を無かったことにする、という理屈だそうだが、あまりにもお粗末な話だ。史実は史実、請求権問題は請求権問題ということで、この二つは元々別の問題である。世界遺産登録が実現するまでは「自らの意思に反して連れてこられ、厳しい環境で働かされた多くの朝鮮半島出身者らがいた」と言っておきながら、登録が認められた途端に「でも、それは強制労働ではない」と、手のひらを返すような日本政府の態度には、あまりのみっともなさに日本人としてのプライドを傷つけられたと感じた日本人は多いのではないか。もともと日本政府は「65年の日韓請求権協定で完全かつ最終的に解決済みだ」という主張にも、正義に基づいた確信がないから、そういう姑息なことをやってるのではないだろうか。
2015年07月14日
安倍首相の発言と行動の間に存在する大きな矛盾を鋭く指摘する投書が、6月6日の朝日新聞に掲載された; 「首相『我々はポツダム宣言・東京裁判受け入れた』」(2日朝刊)を読みました。安倍晋三首相は衆院特別委員会で、東京裁判の判決について「異議を唱える立場にはそもそもない」と発言したそうです。 それでも私には、疑念と心配が残ります。米国政府も私の友人を含めた米国民の多くも、安倍首相の今回の発言と過去の靖国神社参拝との間に矛盾があると受けとめると思うからです。 靖国神社は、国を守るために尊い生命を捧げられた英霊として、軍人ら戦没者をまつっています。連合国による東京裁判が妥当だったかどうかは別としても、首相が「受け入れた」と言うのであれば、A級戦犯をまつる靖国神社に参拝する行為は矛盾していると受け止められても仕方がないでしょう。日本をどこまで信頼してよいか、米国内にはとまどいもあります。 私は20年間の在米生活を通じて、同じアジア人として中国人や韓国人と助け合ってきました。首相や閣僚の靖国参拝は、彼らや米国民に「東京裁判に異議を唱えるに等しい」と理解されている現実を直視すべきです。「一国のみで自国の安全は守れない」と言う前に、同盟国や隣国の信頼なしに平和と国民の安全は守れないと考えます。2015年6月6日 朝日新聞朝刊 13版 14ページ「声-『東京裁判受け入れ』に残る疑念」から引用 この投書は短文ながら適切に問題を抉り出していると言える。靖国神社が単なる慰霊の施設であれば、このような問題が出てくることはないのであるが、実際には過去の侵略戦争に動員されて戦死した人々を英雄視して顕彰しているのであるから、そこには侵略戦争への反省は微塵も存在せず、戦勝国に対する怨念を今尚溜め込んでいると考えるのが妥当である。そのような施設に現職の首相が参拝するのは言語道断である。そのような注意を喚起するために、安倍首相が靖国参拝をした翌年には、アメリカの国務長官と国防長官がそろって靖国神社を無視する形で千鳥が渕を訪ねて献花をしている。安倍首相はこの事実を重く受け止めるべきだ。日本の平和と安全は、武力行使ではなく、同盟国や隣国との信頼関係に依存していることを知るべきだ。
2015年07月13日
憲法学者によって違憲性を指摘された安保関連法案は撤回するべきだと主張する投書が、6月6日の朝日新聞に掲載された; 衆院憲法審査会で参考人招致された憲法学者3人が、集団的自衛権の行使を可能にする新たな安全保障関連法案について「憲法違反」と明確に断じた。憲法との整合性や戦争に巻き込まれる不安を抱いていた国民は、留飲が下がる思いだ。 だが、菅義偉官房長官は「違憲という指摘は全くあたらない」と述べ、従来の主張に固執している。国会での安保論議は難解な造語を多用して国民を煙に巻き、詭弁(きべん)や取り繕いが目立つ。無理な「変化球」に頼り、「直球」である真正面からの憲法論議を回避した感が強い。3人の憲法学者の懸念を政府は真摯(しんし)に受け止めるべきだ。 憲法98条には「この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」とうたわれている。次の99条では、大臣、国会議員、公務員らに憲法尊重と擁護の義務を負わせている。 憲法違反の疑義が濃厚な閣議決定と、新たな安全保障関連法案は撤回すべきだ。法の支配は民主主義の根幹であり、数に頼って強引に憲法を侵害することがあってはならない。2015年6月6日 朝日新聞朝刊 13版 14ページ「声-安全保障関連法案は撤回せよ」から引用 憲法学者が安保関連法案は違憲であると指摘しても、菅官房長官をはじめ政府与党はそれに反論しようとせず、ただ「違憲という指摘はあたらない」と従来の主張を繰り返すのみであるのは国民の不信感を高めるだけです。最近の世論調査では、「安倍政権を支持しない」が「支持する」を上回りました。ここはやはり、政府与党は「指摘はあたらない」という先入観を捨てて、「本当に違憲ではないと言えるだろうか」と謙虚に考え直す必要があると思います。そして、考え直した結果、どうもやっぱり憲法違反の疑いが濃厚だと思ったら、潔く責任をとって辞任する、これが国民に尊敬される政治家の道というものでしょう。
2015年07月12日
国会に参考人として呼ばれた憲法学者が集団的自衛権行使は憲法違反だと発言したことについて、6月6日の朝日新聞コラムは次のように述べている; 人間というものは、とかく感情や短期的な利害にとらわれがちである。そのため、中長期的に見たときには合理的とは言い難い、自分たちの利益に反する判断を下すことがままある――。 憲法学者の長谷部恭男・早稲田大教授の発言だ。一昨日の衆院憲法審査会に参考人として出た。改憲のハードルはなぜ高いのか。理由の一つは人間の判断力があまりあてにならないからだ、と指摘した。国の基本法を変える際は、よほどの熟慮を必要とする仕組みにしてある、ということだろう。 安保関連法案についても、よほどの熟慮を再度求めたい。安倍内閣は憲法9条の下でも集団的自衛権を行使できると決めた。自国を守る個別的自衛権しか使えないとしてきた解釈を変え、他国の助っ人も可能にするという大転換だ。 これに対し、審査会に出た3人の憲法学者はそろって「憲法違反」と断じた。当然だろう。集団的自衛権を解禁するなら9条の条文を改正すべし。それが長年の日本政府の立場だったはずだ。一内閣の勝手な解釈変更が通るなら、憲法などあってなきがごとし。立憲主義は空洞化する。 自民党からは暴論が聞かれる。自衛隊の存在自体を違憲とする人が多い憲法学者とは議論がかみ合わない、と。しかし、例えば自民党推薦の参考人である長谷部氏は自衛隊違憲論者ではない。根拠薄弱な決めつけは慎むべきだろう。 人間の判断力はあまりあてにならない。謙虚さに徹して議論を立て直さないと国の行方を誤るのではないか。2015年6月6日 朝日新聞朝刊 14版 1ページ「天声人語」から引用 この記事が指摘するように、安保関連法案は憲法違反の疑いが濃厚な法案であるから、これは通常の法案の10倍の時間をかけてでも慎重に審議するべきである。また、政府与党は学者の意見に謙虚に耳を傾けるべきであって、よく考えもしないで「元々憲法学者は自衛隊違憲論が多い」などと検討はずれの軽率なことを言わず、あらゆる意見によく耳を傾け、本当に国益にかなう政策であるのか、よく考えるべきだ。
2015年07月11日
安倍政権が推進する政策は、安保関連法案に限らず通信傍受法や残業代ゼロ法案、国家戦略特区、マイナンバー制度と、いずれも憲法違反の疑いがある。その点について、6月30日の東京新聞は次のように論評している; 国会で審議中の安保関連法案は、違憲性が最大の焦点となっている。ただ、違憲性が疑われるのは安保法制だけではない。現政権が推進する少なからぬ政策に共通する特徴だ。通信傍受(盗聴)法改正案や労働法制関連の改正案、国家戦略特区、10月に番号を通知するマイナンバー制度など、いずれも「違憲」の疑問符が付けられている。(林啓太) 「通信傍受法は現行法さえ、憲法21条の通信の秘密に違反している。改正されれば、違憲の度合いがさらに強まるだろう」 上智大の田島泰彦教授(情報法)はそう話す。 現行の通信傍受法の対象犯罪は薬物、銃器、集団密航、組織的殺人のみ。審議中の改正案は、対象を傷害罪や児童買春・ポルノ禁止法まで広げる。「傍受の標的は犯罪組織の関係者だけでなくなる。一般人まで通信の秘密が暴かれる危険が高まる」(田島教授) 実際、通信の秘密の担保はおぼつかない。捜査当局の傍受への「監視」も弱まる。現行法では電話会社の施設で、社員の立ち会いを義務付けている。改正されれば、警察署などに伝送して外部の立会人なしで傍受する手法も可能になる。 田島教授は「将来は、米国のようにあらゆる通信を傍受することを正当化したいのだろう。これは憲法で保障された基本的人権の危機でもある」と危ぶむ。 労働法制ではどうか。衆院に労働基準法改正案の形で提出された「ホワイトカラー・エグゼンプション」法案。「残業代ゼロ法案」との異名の通り「高度の専門的知識を必要とする業務」とl定の年収を対象に、本人の合意があれば残業だけでなく休日、深夜の割増賃金も支払われなくなる。 憲法27条の2項には「勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める」とあるが、龍谷大の脇田滋教授(労働法)は「憲法制定時には『基準』は8時間労働制が想定されていた。この法案は8時間労働制から大きく逸脱する。ゆえに違憲が疑われる」と説く。 労働者派遣法改正案はどうか。成立すれば、派遣労働から抜け出せない人が増えるとの懸念が広がる。19日に衆院を通過した。 脇田教授は憲法27条1項に定める「勤労の権利」に着目する。「憲法を制定した当時、国に安定的な仕事を提供させることも勤労の権利の一部と考えられていた。生涯にわたり、不安定な派遣労働を強いかねない改正法案は違憲だ」 アべノミクスの目玉政策のひとつ「国家戦略特区」にも、違憲性が指摘されている。「特区」が憲法14条が定める「すべての国民は、法の下に平等」という規定に抵触するからだ。 一昨年5月に法律が成立したマイナンバー制度にも、プライバシー保護の観点から違憲批判がある。憲法13条の「すべて国民は、個人として尊重される」というくだりは「プライバシー権」の根拠とされる。 個人に番号を割り当て、貯蓄や社会保障などの情報を国家が一元的に管理することは、プライバシーの侵害にあたらないのか。日弁連情報問題対策委員会副委員長の水永誠二弁護士は「マイナンバーは制度設計自体が違憲。利用される範囲は広く、深刻さは住民基本台帳ネットワーク(住基ネット)をはるかに上回る」と語る。 現政権で違憲の疑いがある政策が山積している現状について、田島教授は「官僚の思惑」を指摘する。 「いずれの政策も従来ならば、違憲性の問題で頓挫しかねないものばかり。自民党が絶対安定多数を確保しているうちに、つくれる法律は全部つくってしまおうという官僚の算段が働いているのではないか」2015年6月30日 東京新聞朝刊 11版S 28ページ「政策違憲疑惑だらけ」から引用 従来であれば違憲性が問題視されて頓挫するはずの政策が次々と立法化されるというのは重大な問題である。このままで推移していけば、過去に何度も国会に提出されてその度に廃案になっていた「靖国神社国家護持法案」も復活し、やがて国会は「日本は神の国」決議を可決し、あらゆる新聞は「自由新報」に統合され、すべてのテレビ・ラジオは「国営NHK」にまとめられて異論は許されない社会になるかも知れない。呆れた話だ。
2015年07月10日
元内閣官房副長官補の柳沢協二氏は、憲法違反の安保関連法案をゴリ押しする方針の安倍政権を批判して、6月27日の東京新聞に次のように書いている; 安倍首相に近い自民党議員の勉強会で、安保法案を批判する報道を非難する発言が出た。理屈でかなわないから人格攻撃するのと同じで、事実と論理での説明が不可能だと事実上認めている。 悪いのは批判するマスコミだから封殺すればいいというのは、民主主義の基本原理に反する多数党のおごりだ。国民の批判に謙虚に応える姿勢がなければ、いくら選挙で多数をとっても正当性はない。 首相は答弁で「報道の自由は民主主義の根幹だ」と語っていた。自由を尊重することは批判に聞く耳を持つこと。世論調査で圧倒的多数が「政府は説明不足」と答えている時に、強行採決することはよもやないはずだ。もしそうなら矛盾している。 首相は1960年の安保条約改定でも、92年の国連平和維持活動(PKO)協力法でも反対論が多かったと主張していたが、今回は全く質が違う。 自衛隊が今、国民の支持を得ているのは自衛隊が一度も戦争をせず、海外で一発の銃弾も撃たず、災害で国民を助けてきた積み重ねの上にある。憲法の平和主義を守り、外国の戦争には加わらない、むやみに武器は使わないという原則を貫いてきたからだ。 だが、今回の法案はそれを変える。他国の戦争に自ら加わる、武器使用を大幅に拡大し、活動地域も内容も拡大し、自衛隊が海外で戦闘することになる。これまでの政府と自衛隊の努力を台無しにする。首相は法案を強引に成立させてしまえば国民が理解するようになると思っているようだが、自衛隊が国民に支持されてきた前提を全くはき違えている。(聞き手・金杉貴雄)2015年6月27日 東京新聞朝刊 12版 2ページ「安保国会ウオッチ-論理で説明不可能露呈」から引用 さすがに柳沢氏は元官僚だけあって、批判の論旨は理にかなっており普通の知的レベルにある政治家がこのように完膚なきまでに批判されれば、恥じ入って出直しを考えるものであるが、残念ながら安倍政権の場合は、そのような知性や論理性とは全く無縁の「気合」と「のり」で進んでいくヤンキー型反知性集団であるため、柳沢氏の格調高い批判もまったくその効果を発揮できない。それは、一応口を開けば「報道の自由は民主主義の根幹だ」などと言うことは言うのであるが、まるでお経のようにただ唱えるだけで、実践する気はさらさら無い。やっかいな人物を総理にしてしまったものである。
2015年07月09日
ヘイトスピーチを規制する法案が国会に提出されたことについて、そのいきさつと背景を、6月27日の東京新聞は次のように報道している; 現行法では対処できない不特定多数へのヘイトスピーチ(差別扇動表現)を禁じる「人種差別撤廃施策推進法案」が超党派の国会議員によって今国会に提出されている。26日、同法案の早期成立を求める集会が参院議員会館で開かれ、「人種差別は許さない」と訴えた。(榊原崇仁) 集会は、NGOや弁護士らでつくる「外国人人権法連絡会」などが主催。超党派議員連盟の会長を務める元法相の小川敏夫参院議員(民主)は「政府は何もしないが、議会の責任としてヘイトスピーチを許すわけにはいかない」と強調した。 議連は民主や社民、公明などが参加して昨年4月に発足。法案は5月22日に参院へ提出し、今月24日に法務委員会へ付託された。7月中の審議入りを目指している。 法案は、日本も加盟する人種差別撤廃条約などに基づき、「人種等を理由とする差別の禁止等の基本原則」を定めた基本法だ。特定の者に対する不当な差別的取り扱いや侮辱、嫌がらせを禁じるほか、在日コリアンらを排斥するヘイト街宣を念頭に「不特定の者について不当な差別を助長、誘発する目的で公然と差別的言動をしてはならない」と明記した。 国や自治体には差別防止の責務を負わせる。政府は、差別撤廃に向けた基本方針を策定するとともに、差別の実態を調査する「人種等差別防止政策審議会」を内閣府に設置する。具体的な施策としては、相談体制の整備や、ネット上の差別防止に取り組む事業者の支援などを盛り込んだ。 ヘイトスピーチをめぐっては、国連の人権規約委員会や人種差別撤廃委員会が昨夏、日本国内の状況に懸念を示し、差別を扇動するすべての宣伝活動の禁止などを日本側に勧告した。 人種差別撤廃NGOネットワークの北村聡子弁護士は「国連から繰り返し勧告を受けながら立法化されないと、日本では人種差別が容認されていると認識されてしまう。それは加害者の行為を助長することにもなる」と説く。 法案は、国会での成立を優先する観点から罰則規定を設けていないが、不特定多数に対するヘイトスピーチが法制定によって違法化されれば、警察に規制を要求する根拠ができる。 朝鮮学校近くで人種差別的な街宣活動を繰り返して授業を妨害したとして、京都朝鮮学園が「在日特権を許さない市民の会(在特会)」などを訴えた民事訴訟では昨年、ヘイトスピーチの違法性を認めた判断が最高裁で確定した。しかし、不特定多数への差別的言動で損害賠償を命じることば「民法の解釈を逸脱しており、新法が必要」とされ、現行制度の限界も浮き彫りになっていた。 実際、この判決確定後も、ヘイト街宣が全国各地で散発的に続いている。例えば、大阪の朝鮮学校の子どもたちが利用する駅周辺では、今も「朝鮮人殺せ」「祖国に帰れ」などのヘイトスピーチが横行する。 そんな状況でも、与党は法整備に及び腰だが、地方議会では、法規制などを求める意見書の可決が相次いでいる。議連幹事長の有田芳生参院議員(民主)によれば、その数は、東京都議会を含む130自治体に上る。 有田議員は「ヘイトスピーチはヘイトクライム(差別犯罪)、ジェノサイド(民族抹殺) へとつながる。若い芽のうちに摘み取らないといけない。世論を喚起して今国会で成立させる」と協力を呼び掛けた。2015年6月27日 東京新聞朝刊 11版 24ページ「ヘイトスピーチ 法で断て」から引用 ヘイトスピーチを規制する法律の必要性が野党議員の間に言われ始めた頃、それを聞いた自民党議員の間では「ちょうど良い機会だから、在特会のデモだけじゃなくて一般市民のデモも一緒に禁止できるような法律にするべきだ」などと言う声が上がり、自民党というのは名前に反して民主主義というものを全く理解しない党なのだなぁという印象を強めたものでした。しかし、この度は野党議員の努力が実って曲がりなりにも法案を提出できたのは大変よかったと思います。一日も早い成立を望みます。
2015年07月08日
文部科学大臣が国立大学に国旗掲揚と国家斉唱を要請した問題について、東京新聞・出田阿生記者は6月30日の紙面で、次のように文科相を批判している; 下村博文文部科学相は六月中旬、全国立大に卒業式と入学式で国旗掲揚と国歌斉唱をするよう要請した。実態は、「お上の言うことには何も考えずに従え」という踏み絵にみえる。「物言えば唇寒し」の空気がじわじわ広がるのが怖い。 下村文科相は「大学の自治とか学問の自由とかに抵触するようなことはない。介入ではない。お願いしているだけだ」と強調した。本当にそうだろうか? 「国立大が国からの運営費交付金に依存する以上、要請が『圧力』になるのは明白だ」。危機感を覚えた学者らは要請に先立ち、こんな声明を出した。大学側が「言う通りにしないと、国からの交付金に影響するのではないか」と疑心暗鬼になってもおかしくないからだ。そうなれば、実態は要請よりも「脅し」に近い。 大学関係者によると「すでに国立大の8割で国旗掲揚を、2割で国歌斉唱をしているが、ことは『日の丸・君が代』問題にとどまらない。国がここまで大学の教育内容に介入することが異常だ」という。しかし、国立大側から抗議の声はあまり聞こえてこない。「波風を立てたくない」と黙り込む空気を感じる。大学だけでなく、こうした自粛の風潮は社会に広がりつつあるように感じる。 周囲で見聞きするだけでも、たとえば-。本紙で毎日一面に掲載する「平和の俳句」の掲載作に選ばれた作者から、「親戚に公務員がいるので辞退したい」と連絡があった。「九条は民の命」と詠む内容だった。 都内のある私立大では、学生たちが日本の加害の歴史を扱う展示会を開催しようとしたところ、大学当局から「政治色が強い」と難色を示されたという。 シベリア抑留や空襲をテーマにする作家を取材した時、編集者に「先生を政治的なことに巻き込みたくないので、事前に原稿を見せてほしい」と言われた。 背景にあるのは、「政治的」問題に関わることへの過敏な警戒心だろう。「政治的」という言葉は「反政権的」と言い換えてもいい。「争い事を好まない」「お上に従う」「空気を読む」-。そんな日本人の性向があるのかもしれない。 「要請」という巧妙なやり口に、強い違和感を覚える。「最終的には各大学の判断」というポーズによって、論争が起きにくくなった。現政権は、自主的な思考や判断を捨てて国に従う体質を社会に醸成しようとしてはいないか。「触らぬ神にたたりなし」と見て見ぬふりをしたら、その先に何があるだろう。(文化部)2015年6月30日 東京新聞朝刊 11ページ「記者の眼-実態は学問の府に『圧力』」から引用 下村文科相は「これは介入ではなく、お願いしているだけ」だと言ったそうであるが、まるで体罰を指摘された暴力教師が「これは体罰ではない。教育的指導だ」と言ってるのと同じだ。やっていることは暴力でも、上辺の言葉だけ変えればそれで通ってしまうとは、恐ろしい社会になったものだ。文科相が何故こんなことをするかと言えば、それは首相が安倍晋三だからだ。早めに辞めさせるべきだ。
2015年07月07日
安全保障関連法案は合憲なのか、なぜ今そのような法律が必要なのか、完全に破綻してしまった政府の説明について、法政大学教授の山口二郎氏は、6月21日の東京新聞コラムに次のように書いている; 総理大臣はいいなあ。安保法制の審議で野党から何を聞かれても、同じことばかり繰り返せばいいのだから。本書のコラムで毎週違うことを書かなければならない私にはうらやましい。 最後は「私は合憲だ、安全だと確信しています」で済むのもいい気なものだ。大学で学生に、おまえの確信なんか一文の値打ちもない、根拠と論理を示して他人を納得させる説明が必要だと教えている教師から見れば、あれはダメな見本だ。ゼミで学生が「私は確信しています」と言い、それ以上の説明を拒否Lだしたら、授業は崩壊する。 政府の説明がここまで破綻した理由は何か。結局自分たちが本心では軽蔑している憲法の規範性を認めたうえで、法案の合憲性を説明しようとしているからだ。婚姻関係が実質的に破綻し、早く離婚したいと思っている配偶者について、他人に対してはこの人は立派ですと説明しているようなものである。 集団的自衛権を行使する国家になりたいというのは、一つの政策である。しかし、それはあくまで今の憲法の枠内ではできない。最初から憲法改正を提起して、国民を説得することこそ、誠実な政治家のとるべき道である。安倍首相の祖父、岸信介も安全保障についてはこの正攻法を取った。負けることは目に見えているからそうしないというのでは卑怯(ひきょう)者である。(法政大教授)2015年6月21日 東京新聞朝刊 11版 27ページ「本音のコラム-仮面総理」から引用 国会論戦で野党に追求されて政府与党の論理が破綻してしまえば、それで勝負がついたわけで、こういう場合は法案を手直しして出しなおすとか与野党の話し合いで修正することになるのが普通であるが、反知性主義のヤンキーもどきの政権では、恥も外聞もどこ吹く風、論理破綻の問題などは「ノリ」と「気合」で乗り越えればいいと考えているらしい。こういう連中が作った法案は、そのまま通せば必ず将来に禍根を残す。今のうちに廃案にするべきだ。安倍晋三の祖父である岸信介は、戦前は東条英機の片腕として中国侵略に辣腕を振るったが、その一方で彼は民主主義の政治とはどのようなものであるかということもわきまえており、戦後は憲法を捻じ曲げたりするようなことはせず、ルールを守って政治を行なうという誠実さを持った立派な政治家であった。ところがその孫たるや、あまりのお粗末さに言葉もない。
2015年07月06日
安倍政権の政治姿勢について、経済学者で同志社大学教授の浜矩子氏は、6月21日の東京新聞コラムで次のように批判している; 「見ざる聞かざる言わざる」。あまりにも良く知られたこの「三猿」は、故事的には美徳の象徴の位置づけになる。他人の欠点を見ず、その欠点について聞かず、その欠点を語らない。これぞ、品位ある振る舞いだ。それが、三猿の教えだということになっている。 それはそれで良く解(わか)る。古来の教えにケチつけるつもりはない。だが、人は、時として三猿を決め込むわけにはいかない事態に当面する。 自分たちの周囲で進行する変化に目を向けない。それに耳を傾けない。そのことについて黙して語らない。そんな風にしていると、ふと気がつけば、とんでもなく恐(こわ)いところに連れて行かれてしまっている。そんな場面がある。 「三猿」は、英語にもある。「悪をみず、悪を聞かず、悪を語らず」(see no evil, hear no evil, speak no evil)それが正しきあり方だ。そのように言う。もごもっともだが、やはり、時と場合による。状況によっては、悪を見すえ、悪の足音を聞き取り、悪の悪たるゆえんを語る必要がある。 今の日本が、そのような時を迎えている。それこそ、そう「言わざる」を得ない。政治が、目を見張る不遜さをもって立憲的枠組みに逆らおうとする。耳を覆いたくなる詭弁(きペん)を弄(ろう)して、真相を言いかえようとする。悲鳴を上げたくなる言動の数々で、民主主義を愚弄(ぐろう)する。このような時に、三猿のポーズを取っているわけにはいかない。 今この時、見ざる聞かざる言わざるは、決して許されない。もっとも、思えば、今の日本においては、もっと許されない構えを取ることが流行(はや)っている。流行の最先端を突き進んでいるのが政府・与党だ。「見ざる聞かざる言うばかり」。これが、彼らの流儀だ。彼らの目は決して見ようとしない目だ。彼らの耳は聞く耳持たずの耳だ。彼らの口からは、浮ついた饒舌(じょうぜつ)ばかりが止めどなく流れ出る。 彼らは「ご説明」が大好きだ。この「ご説明」は、自分たちによる自分たちのための自分たち流の説明だ。相手が説明してほしいことを、説明するわけでは決してない。ましてや、相手による説明や主張や問題提起を聞こうという姿勢は、全くみられない。 「政治指導者の耳の中では、人々の声が鳴り響いていなければならない」。第28代アメリカ大統領、ウッドロー・ウィルソンの言葉だ。今の日本の政治指導者の耳の中では、何が鳴り響いているのだろうか。ひょっとすると、軍靴の音か。 ウィンストン・チャーチルは、こう言っている。「立ち上がって声を上げることには、勇気がいる。座って耳を懐けることにも、勇気がいる」。そういえば、最近の国会には、じっと座っていることができなくて、すぐ立ち上がって声を上げようとする人がいる。 28代目のウッドロー・ウィルソンに対して、バラク・オバマは第44代アメリカ大統領だ。2人の大統領の間には随分と時の流れの隔たりがある。だが、彼らの感受性は共通している。昨年11月の中間選挙で、オバマ氏率いる民主党は共和党に大敗北を喫した。超低投票率だったこの選挙を受けて、オバマ氏はいった。「投票に出向かれた皆さん、私には皆さんの声が聞こえます。投票されなかった皆さんの声も、聞こえています」。何も聞こえず、何も見ず、言いっ放しは、真撃な政治にかなわざる。(同志社大教授)2015年6月21日 東京新聞朝刊 12版 4ページ「時代を読む-今は三猿の時にあらず」から引用 三猿とは「見ざる聞かざる言わざる」であるが、この記事によると安倍政権の姿勢は「見ざる、聞かざる、言うばかり」と、なかなか言いえて妙である。世論調査では、安全保障関連法案への反対は5割を超えているが、そのような調査は見ず、野党の批判は聞かず、質問に対しては本質をはぐらかした自己満足の演説を滔々と述べる。こういう誠実さの欠けた態度では、将来に禍根を残すというものである。一例を挙げれば、安全保障関連法案がこのまま成立すれば、日本はすぐに紛争地に自衛隊を派遣して他国の戦争に巻き込まれることになるのであるが、安倍首相はその点を突かれると「そんなことはあり得ません」と強弁するだけで、なぜあり得ないのかその根拠を示すことができない。まともな法案であれば、明確な歯止めを示す条文を織り込んで、それで与野党が合意できるのであるが、それがないために、これは誰が見ても欠陥法案であるのだが、それを指摘されても安倍首相は無視している。つまり、彼は自分の意志で勝手に戦争を始められる体制を作ろうとしているのは明らかだ。今や安倍政権を倒すことこそが国益である。
2015年07月05日
政府を批判する新聞は懲らしめなければならないと暴言を吐いて党から厳重注意処分を受けた自民党の大西議員は、処分の直後、記者団の前で次のように心情を吐露した; 自民党の若手勉強会「文化芸術懇話会」の発言をめぐり、党から厳重注意処分を受けた大西英男衆院議員は30日、国会内で記者団に対し「(発言に)問題があったとは思えないが、慰安婦問題などで社会的制裁を受けない朝日新聞などを懲らしめる方法について質問しただけ」などと説明した。記者団とのやりとりの全文は以下の通り。 ◇ 「みなさんにお話ししておきますけど、常にマスコミはつまみ食いするんだよ。都合のいいところだけ編集して、まったく本人の意図と違うような報道の仕方っていうのが極めて多いんだよ。まず、最初に申し上げるけど、私は一言も『政治家や党が財界に圧力をかけて、マスコミを懲らしめろ』ってことは言っていない。それが今、そういう報道をされているでしょう。そんなことはない。私が言わんとしたことは、政治家や政党が言論の自由を抑圧するようなことを言ってはいけないということを、はっきり言っているんだよ。あの中で。しかし、百田尚樹先生が講師だから、こういったマスコミの一部、例えば朝日新聞の、ここ朝日新聞の人いるか? 慰安婦問題の捏造(ねつぞう)記事。あれが世界をめぐって、日本の名誉や信頼がどれだけ傷つけられたか分からない。あるいは今の安全保障法制について、まったく事実無根の『戦争に導く』あるいは『徴兵制』。まったく関係ないじゃないか。日本が戦争に巻き込まれないための抑止力を高めようとしているのに、そう報道している一部マスコミがある。こういうことを懲らしめないといけないんじゃないかと。マスコミのやりたい放題じゃないかと。そういうことで何かいいお知恵はありませんかと百田先生にお尋ねした。何か問題ある? そして『何か問題がある?』というところだけ、どこかのテレビは報道しかねないから、私はあえて言わないですけどね。そういうことですよ。真意は」 --大西氏の口から「広告料をなくしたほうがいい」という趣旨の規制について発言はしたのか。 「自由主義世界で、資本主義社会で、広告料をなくすなんてことができるの? 広告を出す企業は、自らの信念と良識に基づいて、選択をしなさいというのが私の気持ちですよ。日本の国を過てるような、そういった誤った報道をするマスコミに対して私は広告なんかは自粛すべきじゃないかな、とは個人的には思いますよ。だけど政治家として政治権力を使うとか、政党の力でそういうことをやるというのは民主主義の根底を揺るがすことですよ。言論の自由や表現の自由というのは民主主義の根幹ですよ」 --与党議員がそういう発言をすることでメディア規制につながる懸念はないのか 「それは今の安保法制に対する論議と同じ。まったくそんな考えはない、ないんですよ。そんなことが今の日本国憲法の中でできるんですか。マスコミ規制とか、表現の自由を規制するなんてことができるわけないでしょ。ましてや日本国憲法を変えようといったら、国民の支持が得られるはずないでしょ。そんな道なんかわれわれはまったく考えていない。自由民主党ですから。自由な言論、民主的な政治制度、それによって、国民の幸せを追求していこうというのが、わが自由民主党ですから。そんなマスコミ規制をするとか、言論を弾圧するなんてことは、絶対にあり得ないことですよ」 --木原稔前青年局長が更迭され、大西氏を含め3人は厳重注意処分を受けた。この結果はどう考えるか。 「今、安保法制、日本の将来にとって大事な法律が審議されています。この安保法制にまったく関係のない、党内の私的な有志の集まりの勉強会での発言については、事実無根の発言、表明すらされている。野党は、それを党利党略に使っているということは事実ですよ。しかし、われわれがここでそれを主張しても、野党の堅い石頭には通じないでしょう。私どもは自ら退くことは退いて、安倍晋三首相や多くの関係者が心血を注いでこの問題にあたっているんですよ。そういう方にご迷惑をかけないように、それぞれが責任をとったということですよ」http://www.sankei.com/politics/news/150630/plt1506300033-n3.html2015年7月1日 産経ニュース「注意受けた大西氏、『朝日報道、懲らしめないといけない』『何か問題ある?』」から引用 この手の問題を起こす人物には特徴があって、大西氏はその典型例と言っていいのではないかと思います。それは、自分は民主主義の大切さは十分わかっている、だから自分は政党や政治家が言論機関に圧力をかけるようなことをしてはならないと言ったんだとアピールをするのですが、その舌の根も乾かないうちに「戦争勃発の危機を抑止するための安全保障関連法案なのに、『戦争に導く』とか『徴兵制』だとか勝手なことを書く新聞をこらしめなきゃならないので、百田先生、何か良い手はありませんかと尋ねた」と、まあ正直な人物で、語るに落ちるとはこのことです。まるで、自分が処分されたのは朝日新聞のせいだとでも言いたそうな論調ですが、こういうお粗末な思考回路の人物は、やはり国会議員には向いていないと思います。
2015年07月04日

政府の方針に反対する新聞は懲罰として企業広告を止めるべきだなどという暴言に対して、安倍首相は「そのような発言が事実であれば大変遺憾だ」などととぼけた国会答弁をしていたが、その日のうちに「これはさっさと処分しないとヤバイ」との進言があったらしく、翌日になって自民党は、責任者と問題の3人の議員を処分すると発表した。6月28日の東京新聞は、次のように報道している; 自民党の谷垣禎一幹事長は27日、党本部で記者会見し、党内の若手議員による勉強会で安全保障関連法案をめぐって報道機関に圧力をかけるような発言が相次いだ問題で、会を主宰した木原稔青年局長(衆院熊本1区)を一年間の役職停止とし、事実上更迭する処分を発表した。問題発言をした大西英男(東京16区)、井上貴博(福岡1区)、長尾敬(比例近畿)の各衆院議員も厳重注意処分にした。今国会成立を目指す法案審議への影響を懸念し、早期の事態収拾を図った。 谷垣氏は会見で、3氏の発言について「自民党の報道の自由、言論の自由に対する基本的な精神を誤解させるものだ。国民の信頼を大きく損なうもので看過できない」と説明。「与党の政治家は、自分の思ったことを言い募ればいいという責任の浅いものではない」と強調した。 勉強会は「文化芸術懇話会」で、木原氏が代表を務める。25日に党本部で開いた初会合には、作家の百田尚樹(ひゃくたなおき)氏を講師に招き、加藤勝信官房副長官や萩生田光一総裁特別補佐ら首相側近を含む37人が参加した。 大西、井上両氏は、マスコミの広告料収入を断つべきだと発言。長尾氏は沖縄県の地元2紙を「左翼勢力」などと非難した。会議は冒頭以外は非公開だったが、発言者と内容はマイクを通じ、室外まで聞こえていた。 首相は26日の安保法案に関する衆院特別委で、関係者の処分に否定的な姿勢を示していた。だが、野党側は首相の自民党総裁としての責任を追及する構えを強めており、党執行部は「違憲立法」と批判されている安保法案の審議がさらに停滞しかねないと判断した。◆「広告なくせ」は大西氏 昨年、女性蔑視やじで謝罪 自民党の若手議員の勉強会で報道機関に圧力をかけるような発言をしたとして27日に厳重注意処分を受けた衆院議員3氏のうち、大西英男氏(東京16区)は昨年、国会審議中に女性蔑視のやじを飛ばして謝罪に追い込まれたのに続く問題発言となった。 大西氏は昨年4月、衆院総務委員会で野党の女性議員に「早く結婚して子どもを産まないと駄目だぞ」とやじを飛ばしたことが7月になって表面化。女性議員への電話と自身のホームページ(HP)で謝罪し、党執行部から厳重注意も受けた。大西氏は今回勉強会については、26日のHPで「マスコミを規制したり党内議論を封殺することを目的に開かれた会合では決してない」と説明していた。2015年6月28日 東京新聞Web版 「『報道圧力』問題 4氏処分 自民、主宰の青年局長ら」から引用 新聞の報道や論調が気に入らないから懲らしめる必要があるという発想は、民主主義の否定である。この問題が発生した直後には「言論の自由」を持ち出して発言者をかばうような向きもあったようであるが、それは筋が違う。「あいつを殺せ」という暴言が許されないのと同じように、民主主義を終わらせるような暴言は許されないのは当然だ。にも関わらず、世論の動向次第では不問に付すつもりだったような自民党の姿勢は疑問である。これが何度も処分されている大西英男議員大西英男議員は以前にも問題を起こしており、政権政党からなぜこのような不良議員が出るのか理解できない。江戸川区の有権者は、こういう人物に二度と投票するべきではない。
2015年07月03日
自民党の議員が政府に批判的な報道をする新聞は潰すべきだと勉強会の場で発言した問題について、安倍首相や菅官房長官は、このような暴言を吐いた議員を処分するつもりはない様子だったと、6月27日の東京新聞が報道している; 安倍晋三首相に近い自民党若手議員の勉強会で安全保障関連法案をめぐる報道規制と受け取られかねない意見が相次いだ問題は、26日の安保法案に関する衆院特別委員会の審議に波及した。首相は「事実であれば大変遺憾だ」と述べ、言論・報道の自由を尊重する考えを強調した。関係した議員の処分には否定的な姿勢を示した。政府・与党幹部は釈明に追われた。 首相は特別委で、勉強会に出席した議員が安保法案に批判的な報道機関名を挙げ「マスコミを懲らしめるには広告料収入をなくせばいい」と発言したことについて「党が企業に圧力をかけ『スポンサーを降りろ』と言うなど考えられない」と指摘した。野党議員から「処分すべきでは」と問われると「私的な勉強会で自由な議論がある。一つ一つの意見をもって、処罰することがいいかということだ」と述べた。 勉強会で講演した作家の百田尚樹(ひゃくたなおき)氏が米軍普天間(ふてんま)飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)移設に伴う名護市辺野古(へのこ)沖での新基地建設に反対する琉球新報、沖縄タイムスの地元2紙を「つぶさないといけない」と述べたことについては「議事録が残っているわけでなく、確認しようがない」と述べた。民主党の寺田学、維新の党の井坂信彦両氏らの質問に答えた。 審議では、野党側が自民党勉強会での発言を批判。浜田靖一委員長(自民)が自民党から事情を聴いて事実関係に間違いがないことを認めた。審議に先立つ理事会では、野党側が「とんでもない暴言だ」と抗議し、自民党が陳謝した。 菅義偉(すがよしひで)官房長官は記者会見で、勉強会での発言について「どう考えても非常識。政治家は誤解されるような発言を避けるべきだ」と指摘。自民党の谷垣禎一幹事長も「メディアへの批判、反論は当然あっていいが、主張の仕方にも品位が必要」と苦言を呈した。 民主党の岡田克也代表は記者会見で「メディアを自由に左右できるという自民党のおごりの結果だ」と批判。維新の党の今井雅人政調会長は「こういうやからがいる党は、言論統制をする独裁政党と言わざるを得ない」と断じた。共産党の志位和夫委員長は「自民党総裁でもある首相は国民に謝罪すべきだ」と求めた。2015年6月27日 東京新聞朝刊 12版 1ページ「『報道圧力』安保審議に波及」から引用 若手議員の暴言を追及された安倍首相は、党が企業に圧力をかけ『スポンサーを降りろ』と言うなど考えられないと釈明したそうであるが、安倍氏自身がどの程度本気でそう思っているのか、甚だ疑問である。それと言うのも、問題発言をした若手議員はこの記事が指摘するように、安倍首相に近い政治思想をもつ輩であるから、おそらく普段から安倍氏自身がこのような考えを述べていて、いつも聞かされていた若手議員が調子に乗って、ここぞとばかりに発言したのではないか。それを今さら、親分が「考えられない」などと言ったのでは、子分としては、梯子を外されたような気分ではないだろうか。安倍氏もそれを察して、確かに暴言ではあるが処分するほどのものではない、などと言っている。しかし、これは民主主義の根幹に関わる問題であり、泡沫政党ならイザ知らず、政権与党としては処分するのが筋というものであろう。
2015年07月02日
先日の与野党が推薦した3人の憲法学者が「集団的自衛権は憲法違反だ」との認識を示したため、この影響力を出来るだけ弱めようと考えたらしい政府と自民党は「もともと憲法学者というものは、自衛隊でさえも憲法違反だから認められないなどと言っていた。もし、そのとおりにしていたら日本は自衛隊をもてないということになっていたはずだが、そんな意見を無視して今日まで立派に平和国家としてやってきた。だから、今後も学者のいうことなど聞く必要はないのだ」というストーリーにしたかったわけだが、実は、先に国会に来てもらった3人の憲法学者は、3人とも最初から自衛隊合憲論を前提に研究活動をしてきた学者であることが判明し、政府・与党の説明はまったくのデタラメであることが判った。6月22日の東京新聞は次のように報道している; 他国を武力で守る集団的自衛権の行使容認を柱とした安全保障関連法案について、衆院憲法審査会で「違憲」の見解を示した憲法学者3氏がそろって、自衛隊は「合憲」と考えていることが分かった。3人の「違憲」表明後、政権側は、憲法学者は自衛隊までも違憲と考える人が多いと主張し、安保法案を違憲とする憲法学者の見解の説得力を弱めようとするが、3人は当てはまらなかった。(荘加卓嗣) 4日の衆院憲法審査会で、参考人の長谷部恭男早稲田大教授、小林節慶応大名誉教授、笹田栄司早大教授の3氏全員が、集団的自衛権の行使容認は憲法9条が認めた自衛権の範囲を逸脱しているとして「違憲」と断じた。 これに政府・自民党は反発。自民党の谷垣禎一幹事長は5日の記者会見で「憲法学者には自衛隊の存在は憲法違反だと言う人が多い。われわれとは基本的な立論が違う」と強調。横畠裕介内閣法制局長官も同日の衆院特別委で「一般に憲法9条に関する憲法学者の意見は伝統的に『自衛隊は違憲だ』とするものが多い」と答弁した。 11日の憲法審査会では、自民党の高村正彦副総裁が「自衛隊をつくった時にもほとんどの憲法学者は違憲だと主張していた。その通りにしていたら、自衛隊も日米安全保障条約もない」と発言した。 しかし、15日に行われた日本記者クラブでの会見で、小林氏は「30歳から大学の教師をやっているが、ずっと自衛隊合憲説できた」と反論。長谷部氏も「自衛隊は合憲と思っている」と述べた。 笹田氏も本紙の取材に「必要最小限度の実力の行使にとどまり、個別的自衛権の行使に限定された『実力組織としての自衛隊』は合憲と考える」と答えた。3氏とも自衛隊合憲説に立っており、政権側の説明と食い違った。2015年6月22日 東京新聞朝刊 12版 3ページ「参考人3氏とも『合憲』」から引用 安倍政権の国民に対する説明は、一事が万事この調子で約8割がた内容のないデタラメである。集団的自衛権の行使を前提に自衛隊を海外派遣すれば、紛争を抑止することが出来て平和に貢献できるなどと言っているが、それもウソで、武装した自衛隊が海外に出て行ってウロウロすれば、何時どこでどこの武装集団と武力衝突に陥るか判ったものではない。敵が攻撃して来ない限りは、こちらからは攻撃しないという「専守防衛」に徹するには国土防衛に専念するべきであって、集団がどうのこうと海外に出て行く必要はない。安全保障関連法案はすべて廃案にするべきだ。
2015年07月01日
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