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大分県に駐屯する陸上自衛隊が神道式の慰霊祭を行ったことについて、元文科官僚の前川喜平氏は14日付東京新聞コラムに、次のように書いている; 毎日新聞が12日、陸上自衛隊玖珠(くす)駐屯地(大分)で4月に神道式の慰霊祭が行われていたと報じた。訓練中の殉職者の慰霊と安全祈願が目的で、宮司が神事を行い駐屯地司令らが玉串を捧(ささ)げたというから、これは紛れもなく神道の宗教行事だ。 この慰霊祭については、業務連絡で日時、会場、部隊の配置などを周知し、朝礼でもアナウンスし、部隊ごとに整列して参加したというから、これは紛れもなく同駐屯地の組織的な行為だ。 ならば、この慰霊祭が憲法の政教分離原則に反することは明らかだ。隊員の参加を事実上強制しているから、信教の自由の侵害にも当たる。毎年恒例の行事だというから、憲法違反が繰り返されていたことになる。憲法尊重遵守(じゅんしゅ)義務の意識が麻痺(まひ)しているのだ。 防衛省は「社会の一般的慣習に従った儀礼」だから問題ないと言うが、「慣習」や「儀礼」という言葉で神道行事の宗教的性格を否定する考え方こそ問題だ。 戦前の国家神道は「国家の祭祀(さいし)」であって宗教ではないとされた。日本は神の国であり、天皇は現人神だとされて、国民は天皇のために死ぬことを強いられた。戦後日本の政教分離は、何よりこの国家神道の復活を阻止することが目的だ。 その国家神道が「自衛隊の祭祀」として復活している。見過ごしにできない問題だ。(現代教育行政研究会代表)2026年6月14日 東京新聞朝刊 11版 19ページ 「本音のコラム-自衛隊の祭祀」から引用 元々日本列島に居住する日本人の間にあった信仰は「八百万の神々」を拝むもので、海にも山にも神様がいるという信仰であったが、これに便乗して「その神様の大本となるのが天照大神さまで、その子孫が天皇である」という物語にしたのが明治の政府が発案した国家神道であった。したがって、万世一系の天皇が統治する大日本帝国がアジア諸国を侵略した挙句に敗戦となったときに、大日本国憲法を廃止すると同時に国家神道も廃止すると「宣言」するべきだったと思います。そのようにして「けじめ」をつけておけば、例えば「地鎮祭のときは、近所のお宮に頼んで神主さんに祝詞をあげていただく」という「社会の一般的な慣習に従った儀礼」と言えるかもしれないが、そのようにはなっていない現状を考えれば、上の前川氏の記事はもっともな指摘だと思います。
2026年06月30日
毎週発行されている週刊文春が、高市陣営の「中傷動画」の件で6週連続で公職選挙法違反を指摘しており、それを明確に否定できず、しかし面と向かって問われれば「そんな事実はありません」と、その場限りの否定をして、後はウヤムヤにしてやり過ごそうという姿勢が、少しずつ有権者に「これはおかしい」という心証を持たせ始めてきた状況であるが、そのような状況を、雑誌編集者の篠田博之氏は14日付東京新聞コラムに、次のように書いている; 「中傷動画」問題で高市首相が国会で追及される事態が続いている。告発を続ける『週刊文春』は6月18日号に第6弾「高市首相『中傷動画』動画作成者新証言&未公開LINE」を掲載。高市首相の秘書・木下剛志氏と動画配信を行った松井健氏との詳細なやりとりを公開している。記事中で政治ジャーナリストの青山和弘氏が「官邸の危機管理は機能不全に陥り、首相の独走が加速している」と語っている。 『週刊新潮』6月18日号もこの問題を取り上げ、「高市氏の答弁は噴飯もので、よく『インテリジェンス機能の強化』などと謳(うた)えたものだ」と批判している。 『週刊女性』6月23日号は女性千人に緊急アンケートを行った結果を「高市早苗首相『ここが好き』『アレが嫌い』」と題して発表している。それによると千人中570人の女性が「嫌い」に票を投じたという。嫌いな理由は、失言や疑惑、トランプ氏への媚びなどと並んで、皇位継承問題が挙げられている。一方、好きな理由で多いのは「初の女性総理として激務をこなしている」「女性だから応援したい」といったものだ。 高市首相は自民党において大きな力を持っているといわれるが、一部の自民党議員が週刊誌で公然と高市政権批判を行うケースも目につく。『FLASH』6月23・30日号「村上誠一郎衆議院議員 高市政権へのたった一人の反乱60分」もそうだ。また『週刊金曜日』6月12日号は表紙に岩屋毅衆院議員の写真を掲載。同氏は記事中のインタビューで国旗損壊罪制定の動きを強く批判している。 女性週刊誌では相変わらず皇位継承問題が大きく取り上げられており、そこでも"男系男子"にこだわる高市政権に批判的な論調が多い。前出『週刊女性』は「『政治は皇室の伝統を誤認している』愛子天皇の歴史的な正当性」という記事を掲載。『女性セブン』6月25日号「愛子さまついに欧州へ 天皇家背負う『女王の時代』へのご覚悟」は、次期国王となる王女がたくさんおり、今後"女王の時代"が来るといわれる欧州への愛子さまの訪問が検討されていると書いている。(月刊『創』編集長・篠田博之)2026年6月14日 東京新聞朝刊 11版 19ページ 「週刊誌を読む-高市首相に高まる批判」から引用 この記事が指摘する岩屋毅衆院議員の「国旗損壊罪法案」批判は、「週刊金曜日」が特集する以前から「X」に岩屋議員本人が投稿して「立法事実がないのに国旗損壊罪法などというものをでっち上げるのは間違いであり、やってはいけないことだ」と、あくまでも法律論を述べているのであって、「アンチ高市」の主張にはならないように神経を使っているように見受けられます。村上誠一郎議員の場合は、どのような論旨なのか、近所の図書館に「FLASH」のバックナンバーがあれば、読んでみたいと思います。
2026年06月29日
現在の売春防止法は、違法行為があったとして逮捕され刑に服するのはいつも女性で、買春側の男性には何のお咎めもないのはおかしいとの声が上がり、国会ではようやく法改正について討議が始まった。そのことについて、法政大学名誉教授で元総長の田中優子氏は、5月29日付「週刊金曜日」に、次のように書いている; 江戸時代、性売買の場所が各所に散らばって危険だという町人の訴えがあり、幕府は遊廓に集めて管理した。この集積管理の開始から売春防止法成立まで約340年遊廓が続いたことで、日本には売買春を是とする考えが定着してしまった。 その問に明治時代の1872年には「芸娼妓解放令」が出されたが、経営者たちは遊女の自己責任による商売に見せかけて「貸座敷」制度を作り、実態を変えなかった。さらに戦後には売春防止法が成立したが、「路上で勧誘する女性」の罰則を規定しただけで買春者には何の咎めもない制度に作り上げた。 その上、風営法と呼ばれる法律のもとに「性風俗関連特殊営業」としてソープなどの性的サービスが認可されている。性交類似行為という枠組みで、性売買をサービスとして正当化しているのは日本だけだという。 ようやく今年、法務省で改正を検討することになった。改正の方向は買春者(性搾取者)の有罪化であるが、すでにヒアリングの過程で法改正させまいとする抵抗が出てきている。それについては、本誌5月15日号の「風速計」に書いた。性搾取を経済的効果のみから見て、搾取を続けるべきだと言わんばかりの意見が提起されているのである。 それに抗して売春防止法を徹底的に改正させるために、私たちは何かできるか。まずは、検討会で何が起こっているかを知ることだ。 検討会後の記者会見では、記者たちが尽力してくれている。とりわけ光っているのは『しんぶん赤旗』の日隈広志記者の質問だ。問題を熟知した上で、問題の根本である人権について深く理解した質問を投げかけている。例えば以下の3点のような質問だ。1、委員の意見の中で、女性に対する暴力であるとか、売る側を被害者とみなした意見はありましたか。2、売春防止法が禁じる行為の範囲について広げる、風営法で合法とされている行為も含めて、売春防止法と風営法をあわせて禁止の範囲を広げることに関する意見はありましたか。3、ヒアリングの方向とのことですが、より広い実態調査、性産業で行なわれていることだとか、実態調査を行なうことについては意見の中でありましたか。◆赤旗記者の優れた質問 質問が指し示しているのは「性売買は女性への暴力である」「暴力なのだから、風営法が認可している性交類似行為にまで禁止の範囲を広げるべきではないのか」「今のヒアリングでは本質的な問題に迫ることができない。性産業の実態調査をおこない実態から検討すべきではないのか」と言っているのである。人権の真の意味を理解した見事な質問だ。 法改正をするには、性産業に関わる女性たちが被害者であるという認識が最も重要である。日隈記者は、「性産業での売る側の女性には、PTSD(心的外傷後ストレス)の発症の事例が多く見られる」という事実についても、検討会で意見が出たかどうかを聞いた。 フランスでの実態調査では、8割の女性にPTSDが見られるという調査結果があるそうだ。しかし検討会ではそのような意見は出なかったという。 記者会見でこの質問を投げかけたことで、「8割の女性にPTSDが見られる」という事実を私たちは知ることになった。検討会での意見より、記者会見での記者の質問の方がはるかに正確で価値ある情報をもち、法改正の方向を明確に示している。私は改めて、記者会見の可能性に目を見張った。 日隈記者はさらに「自分が受けた行為は被害だ、として性産業の問題性を告発されている当事者もいると思いますが、売る側で被害を訴えている女性たちの話を聞こうという意見は、委員から出ませんでしたか」と質問している。無論、出なかったという返答だが、当然聞くべき人々から聞いていないことがわかった。 売春防止法を徹底的に改正させ、性搾取の根絶を目指す法律にせねばならない。2026年5月29日 「週刊金曜日」 1570号 38ページ 「これからどうする?-売春防止法を徹底的に改正する」から引用 この記事はなかなか面白い。質問する記者に、この問題のキーポイントはここなのだという明確な意識があって、「ここが重要なポイントと思いますが、これについてはどうでしたか?」と訪ねれば、そばで聞いている人たちも「なるほど、そうか」と、いろいろ重要なポイントの存在を認識し、正しい「改正の仕方」の方向性を共有することになるわけで、田中先生が張り切って「もうこの際だから、徹底的に改正しよう」とりきんでしまう気持ちもよく分かるというものです。しかし、実際に法の改正案を検討する多くの議員は自民党所属で、業界から政治献金も受け取っていることも考慮すると、実際にどの程度の改正になるのか、甚だ心もとない気分にならざるを得ません。
2026年06月28日
憲法改悪に反対する市民のデモを「ごっこ遊び」と中傷した衆院議員に関連して、政治家の真摯な対応を求めるにはどうするべきか、映画監督で「週刊金曜日」編集委員の想田和弘氏は、5月29日付の同誌巻頭コラムに、次のように書いている; 4月に国会前であった「平和憲法を守るための緊急アクション」などのデモについて、自民党の門寛子(かどひろこ)衆院議員が「ごっこ遊びにしか見えない」と発言したことに反発を覚えた読者は多いだろう。 門氏の発言が、主権者の表現行為を軽視した暴言であることは、論をまたない。しかし、デモによって政府の政策を大きく変更させえたことが、これまでほぼ皆無であったことも事実である。したがって、より効果的な市民運動のあり方を考えることも、私たちには必要ではないだろうか。 では、権力者に「ごっこ遊び」と高を括(くく)らせないために、私たちには何かできるだろうか? そのヒントは、本誌2025年8月22日号で特集した政治学者・故ジーン・シャープ氏の非暴力抵抗理論にあるのではないかと、僕は思う。 氏は権力者の<権力の源泉>は、人々の協力と服従にあると説いた。つまり私たちが協力と服従をやめれば、必然的に権力は崩壊するのだという。そして協力や服従を停止し、権力の源泉を枯渇させるための具体的方法を198項目挙げた。 その第一のカテゴリーは「抗議と説得」である。国会前デモやビラ撒(ま)き、演説などはこの範疇(はんちゅう)に入る。シャープいわく、これは非暴力の「武器」のうち、最もおとなしいものである。 第二のカテゴリーは「非協力」だ。消費者や生産者によるボイコット、自宅待機、銀行預金の撤退、税金の支払い拒否、賃貸料の留保、ゼネスト、公的援助の拒否、仮病を使って休む、司法関係者による非協力、などが含まれる。 第三のカテゴリーは「非暴力介入」である。ハンガー・ストライキや妨害的な買い占め、並行政府の樹立などが含まれる。 こうしてみると、私たちが「武器」として使ってきたのは、そのほとんどが、最もおとなしい第一のカテゴリーに含まれることがわかる。だからこそ権力者はたいして困ることも、妥協を強いられることもなく、反対意見を無視し、やりたい政策を押し通すことができたのではなかったか。 高市政権はこれから、日本の軍事化と権威主義化を急速に進めていくだろう。 私たちがそれを止めるには、シャープが言うように、何が政権の弱点で、どう攻めればよいのか、総合的な戦略を練るべきではないか。そしてデモだけでなく、第二、第三のカテゴリーも含めたあらゆる非暴力の「武器」の使用を検討する必要があると思うのだが、皆さんはどう思いますか。2026年5月29日 「週刊金曜日」 1570号 3ページ 「風速計-『ごっこ遊び』と言わせぬために」から引用 故ジーン・シャープ氏が説いた非暴力抵抗活動のうち、第一のカテゴリーは、抗議活動として十分な経験を積んでいるので実行しやすい半面、活動に動員できる人数を政府与党の譲歩を引き出せるほどの「勢力」にするのは、並大抵の仕事ではないという「ハードル」が存在すると思います。第二のカテゴリーの「税金支払い拒否」というのも、かなりの人数がまとまって一斉に行動を起こすのでないと、10人や20人で「税金不払い運動」などをしても、すぐに税務署の係官が家財の差し押さえにやって来ますから、そう気安く実行できるものでもありません。しかし、「ゼネスト」となると、私が就職して間もない頃は、当時の国鉄労組とか郵政労組が中心になって実施したものでした。効果はてきめんで、高度経済成長を反映した高額の賃金ベースアップを勝ち取って、我々中小企業のベースアップにも大変良い影響を及ぼしてくれて、「さすがは総評だ」と感謝したものでしたが、今となってはそういう「闘う労組」が姿を消してしまったので、今からあのような闘いを構築するのは、かなりの難事業のように思われます。でも、これからの若い世代の「課題」ですから、真剣に考える必要があると思います。
2026年06月27日
政府与党が推し進める「国旗損壊罪法案」について、反対意見を述べる投書が13日付東京新聞に掲載された;「国旗損壊罪に反対する」(6日発言欄)に全面的に賛同したい。特に「戦前の『不敬罪』と同じで、憲法違反ではないか」との指摘はその通りだと思う。 高市早苗首相が今国会での成立を目指す「国旗損壊罪」法案は「人に著しく不快または嫌悪の情を催させるような方法」での損壊を処罰の対象としているが、処罰行為の範囲が極めて不明確である。現実に、国旗の損壊が多発しているわけでもない。外国国旗の損壊は刑法で規定されているが、その目的は当該国との外交関係への悪影響を回避することであり、制定理由が全く異なる。 国旗損壊罪法案は、国民の幅広い支持がない中、与党中心の議論のみで強行採決してはならず、拙速な法制化は見送るべきだと強く訴えたい。2026年6月13日 東京新聞朝刊 11版 5ページ 「発言-国旗損壊罪は見送るべし」から引用 この投書は正論を述べていると思います。法律を定めて人々の行動を規制するのであれば、どのような問題があってそれを解消するためにこういう法律が必要であるという明確な「目的」があって然るべきで、例えば市民が安心して生活できるように、犯罪を抑止するために「刑法」が存在します。しかし、刑法に「国旗損壊罪」を新たに加えて、それで市民生活がどのように改善されるのかと言えば、別に改善される可能性はまったくありません。日の丸を燃やしたり引きちぎったりするのを見て不快感を催す国民が、どれくらいいるのか、人によって感じ方は千差万別ですから、「この人は政府の政策によっぽど怒っていて、抗議の意志を表現しているのだな」と理解する人のほうが、もしかしたら多いかもしれないのですから、表現の自由を守るという観点からも、「国旗損壊罪法案」は、廃案にするのがベストの選択だと思います。
2026年06月26日
自民党総裁選挙と今年の衆院選を有利に闘うために他候補を誹謗中傷する動画を拡散したと報道された高市首相のその後の言動について、文芸評論家の斎藤美奈子氏は10日付東京新聞コラムに、次のように書いている; 昨年の自民党総裁選と今年の衆院選の選挙期間中、高市早苗首相の陣営が他候補に対する中傷動画を拡散したのではないか、という疑惑。 週刊文春の報道から始まったこの問題で国会が紛糾している。首相は全否定しているが、もし事実なら総裁選や衆院選の結果にも疑問符がつく。とても看過できない。 と同時に高市陣営の危機管理体制はヤバいのではないか。「インテリジェンス機能の強化」をブチ上げているわりに、足元の情報は週刊誌にダダ漏れだし、首相の言い訳はグダグダだし。 謎なのはそれでも内閣支持率が下からないことだ。下降傾向とはいえ、どの世論調査も50~70%程度をキープしている。ナフサ不足もレアアース不足も解消されていないのになぜ? 支持者の心情を推し量ると・・・(1)権力追従派 高市さんはいつもハッキリ答弁してるじゃないですか。それは高市さんが正しいからですよ。(2)陰謀論+同情派 一所懸命やっているのに野党とサヨクはイチャモンばかり。高市さんがかわいそうすぎます。(3)興味ない派 国会で何かモメてるんですか? 私にはどうでもいいです。高市首相でいいですよべつに。 こんなだから首相は強気の姿勢を崩さないのだろうか。もっともそれとて時間の問題。有権者をあまり舐めないほうがいい。(文芸評論家)2026年6月10日 東京新聞朝刊 11版 19ページ 「本音のコラム-支持者の気持ち」から引用 この記事で筆者は、高市氏の疑惑で国会が紛糾しているにも関わらず内閣支持率が50~70%をキープしているのは謎だと書いている。私も、この高支持率は発表する新聞社のお手盛りではないかと疑ったのであったが、最近はどうも、この現象は平均的日本人の政治に対する「認識」を反映した結果であると信じるに足る事例に遭遇した。それというのも、私の選挙区には地元の職業安定所所長のポストを最後に公務員を定年退職し、その後共産党から県議会議員選挙に立候補して3期連続当選した後、現在は「浪人」ながら連日街頭活動をしている人物がいて、毎日の活動の様子をFacebookに投稿しているのだが、ある日の投稿によると「いつものように街頭で演説していると、たまたま通りかかった初老の女性が声をかけてくれたので、話をしてみると、どうやら彼女は『高市さんには期待している』という。それで、『でも、彼女はいま、中傷動画の件で批判の声もありますけど・・・』というと『そうなのよね・・・』と顔を曇らせた」との投稿であった。私はそれを読んで、「目からうろこ」の心境になりました。選挙運動中に他候補を誹謗中傷する動画を流すというのは、民主主義政治の土台を揺るがす重大な選挙違反であり、潔白が証明できない者は即座に公民権を停止されなければならない深刻な犯罪である、という認識が、一般の日本人には欠落しているのが現実なのだということです。戦後民主主義80年といっても、実際の国民の意識がこういうレベルでは、「大日本帝国」がいつ復活してもおかしくない事態であると知るべきです。
2026年06月25日
高市早苗事務所の公設第一秘書が自民党総裁選の際に高市候補が有利になるように、他候補を誹謗する動画をSNSの専門家に依頼してインターネットに流したと、週刊文春が報道したのであったが、高市首相は口では「そんなことはしていない」と言いながら、しかし、文春が虚偽の報道をしたのなら名誉棄損で訴えればよさそうなものだが、そんなことをしたのでは裁判の「場」で、本当のことが暴露されてしまうため、そのようなことはせずに、ひたすら「秘書に確認したが、そんなことはない」とのことだった、という答弁を繰り返すばかりで、疑惑は解消する気配がない状態について、6日付東京新聞は、次のような「社説」を掲載した; 高市早苗首相の陣営が昨年秋の自民党総裁選で対立候補の中傷動画をSNSで拡散させたという疑惑は、これまでの首相の説明で払拭されたとは言い難い。首相が事実関係を自ら明らかにしないなら、中傷動画の作成・拡散に関わったとされる首相の秘書を国会に参考人招致する必要がある。 首相は5日の参院予算委員会で週刊文春電子版が公開した首相の公設第1秘書と中傷動画を作成した男性とのオンライン会議とされる音声について「秘書本人のものかどうか判断するのは難しい」と述べた。 首相は秘書とされる声に「違和感があった」としつつ、秘書ではないと否定もしなかった。男性とは自身も秘書も「面識がない」とし、オンライン会議も「記録がない」と強調した。公開された音声が本物なら、首相は国会で事実と異なる答弁をしたことになる。 立憲民主党の議員が促した第三者による調査も拒んだ。首相が明確に説明できず、調査もしない以上、立民が秘書と男性の参考人招致を求めたことは妥当である。 参院予算委は委員長も含めて自民、日本維新の会の与党が過半数を占める。議席数の上では野党による参考人招致の要求を退けられるが、自民党は自らの総裁選の公正性に疑念を持たれていることを深刻に受け止めるべきだ。 週刊文春によれば、首相陣営は今年2月の衆院選でも、野党・中道改革連合の候補者を中傷する動画を作成し、拡散させたという。SNSを悪用し、有権者の判断をゆがめようとしたとすれば、民主主義の根幹である選挙の公正を揺るがす重大な問題だ。 首相は自身の事務所が動画の作成と投稿を依頼したことはないと繰り返すが、男性は5月に動画サイト・ユーチューブの番組で、動画の作成や拡散を「秘書とやりとりして実施した」と証言した。首相の説明をそのまま信じられるような状況ではない。 選挙の公正性確保は政治に対する信頼の前提であり、疑惑を不問に付すわけにはいかない。 米国などによるイラン攻撃で、国民は物価高騰と石油製品の不足への不安を募らせている。国民が政府と国会に期待するのは、暮らしの支援と早期和平に向けた外交を巡る論戦だろう。そのためにも疑惑の解明を急ぎ、活発に議論できる環境を整えるべきである。2026年6月6日 東京新聞朝刊 11版 5ページ 「社説-秘書の国会招致必要だ」から引用 高市早苗としては、このまま「知らぬ、存ぜぬ」を繰り返していれば、そのうち世間が「いつまで、そんなことやってるんだ」と言い出すと計算しているのかも知れないが、今回の文春砲は情報が豊富で、高市氏の秘書が文春のインタビューに応えて話す「声」なども録音してSNSで聞くこともできて、それを聞かされた高市氏は「いつも聞いてる声よりも、甲高い声に聞こえた」などと感想を言っていたが、そんな感想を言うヒマに、文春の報道が虚構であるなら名誉棄損で訴えれば良さそうなものだが、それは絶対にしない。なぜならば、文春報道は「事実」なのだから、うっかり訴えたりすれば、これまでごまかし続けてきた「努力」が「水の泡」になってしまうからである。ここまで根性の曲がった女を総理の座から引きずり下ろすにはどうしたら良いのか、国民は真剣に考えるべきです。
2026年06月24日
4月末に政府が主催した「昭和100年」記念式典について、毎日新聞専門記者の栗原俊雄氏は6日付同紙コラムに、次のように書いている; 今年は1926年の昭和改元から100年。昭和天皇の誕生日だった4月29日、政府は東京の日本武道館で「昭和100年」の記念式典を開催した。 「明治100年」だった68年にも同じ武道館で政府主催の式典が開かれた。しかし「天正〇〇年」や「元禄○×年」という式典は開かれない。戦後の保守政権にとって「昭和」は、「明治」と並んでとりわけ重要な時代なのだろう。 高市早苗首相は式辞で述べた。 「昭和は、戦争、終戦、復興、高度経済成長といった、未曽有の変革を経験した時代でした。先の大戦の後、昭和天皇は、全国各地を巡幸され、戦没者・戦争犠牲者のご遺族をいたわり、戦後復興にいそしむ国民の皆様を励まされました。日本人は歯を食いしばって働きました。『もはや戦後ではない』、1956年。先人たちは、終戦から僅か10年で、日本経済を再び立ち上がらせました。その後、果敢な挑戦により、我が国の経済規模は世界2位にまで駆け上がっていきます」 56年度経済白書に書かれた「もはや戦後ではない」は、経済史の通説では「戦後復興をバネにした経済成長はもはや期待できない。新たなけん引要素が必要だ」という危機感を表した言葉だった。復興・高度成長を礼賛する文脈で使うのはいささかズレている。 高度成長に伴って顕在化したひずみ、例えば公害の問題に触れなかったことも気にかかるが、本稿ではそれらはおく。私が特に違和感を覚えたのは、戦争による悲惨な結果についての言及がほぼなかったことだ。◆敗戦ゆえの成長 明治政府は「富国強兵」をスローガンに近代化を進めた。日清・日露戦争、第一次世界大戦で戦勝国となり、「列強」の仲間入りをした。大日本帝国は戦争によって国際紛争を「解決」し、領土を広げ、国際社会での地位を高めたのだ。 しかし、米英などと戦った第二次世界大戦では惨敗した。日本人だけで300万人以上が命を落とした。米軍の無差別爆撃で各地が焼け野原となり、都市部のインフラは壊滅状態となった。生き残ったものの体や心に傷を負った人、保護者を失って孤児になった人など、膨大な被害者が生まれた。さらには外国によって全国土が占領される屈辱を味わった。史上最悪、どん底に落ちた状態だった。 先人たちはそこから立ち上がって国の再建を進め、「奇跡」とも言われる経済成長を遂げた。だが、高市首相が駆け上がったと表現するほどに成長ぶりが際立つのは、敗戦によって落ちた底が深かったからこそだ。 であればこそ、「昭和100年」の節目に、その戦争被害に具体的に触れ、首相の言葉として歴史に記録すべきだったのではないか。限られた時間で詳しく話すことができなかったのかもしれない。とはいえ他の時間、例えば海上自衛隊東京音楽隊による昭和の流行歌6曲の演奏、歌唱(所管の内閣府に選曲理由を聞いたところ、「全ての世代の方が昭和に思いをはせられる曲」とのこと)に割く時間を、少しでも回すことはできなかったのか。◆国策だった戦争 高市首相はかつて、自らの戦争観を語っていた。2013年5月12日、NHKの「日曜討論 与野党に問う どうする外交・安全保障」に自民党政調会長として出た時のことだ。戦後50年の95年8月15日に村山富市首相が発表した「村山談話」が番組内で取り上げられた。「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」と振り返り、「痛切な反省の意を表し、心からのおわびの気持ちを表明いたします」などとしたものだ。 高市氏は言った。「村山談話の中に『国策を誤り』とありますけれども、それでは当時、資源封鎖もされて、まったく抵抗せずに日本が植民地となる道を選ぶのがベストだったのか。当時の国際状況の中で何が正しかったのかを、自信をもって主張できる政治家など今の日本にはいないと思います」 日露戦争で勝利して以降、日本は張作霖爆殺事件や、満州事変の発端となった柳条湖事件を起こし、中国侵略を進めた。仏印(仏領インドシナ)にも軍を派遣した。こうした政策を認めない米国は、日本に石油禁輸などで圧力をかけた。石油の大部分を米国からの輸入に頼っていた日本にとっては大きな痛手で、まさに敵対行為だった。 だが、日本が「抵抗」しなかったらどこかの植民地になっていたかもしれないというのは、相当な飛躍がある。植民地になるのを回避するために、戦争を選ばざるを得なかったのではない。大日本帝国は戦争を「国策」の一つとし、海外膨張を続けた。その結果、国は崩壊した。海外戦没者の遺骨100万体以上がいまだに収容されていないことから分かる通り、戦争被害は今も続いている。 二度と戦争を起こさない、あるいは巻き込まれないために、戦争の記憶を歴史に記録する。「昭和100年」は、そのことを改めて決意する年にしたい。(専門記者)2026年6月6日 毎日新聞朝刊 13版 5ページ 「現代をみる-『昭和100』高市首相が触れないどん底」から引用 高市早苗は村山談話の中に「戦前の日本は国策を誤って日中戦争から太平洋戦争へと戦争を拡大するという失敗をした」との表現があることを批判しているが、村山談話の指摘は「正論」であり、高市の主張は右翼の中でも勉強不足の低レベル右翼が主張する「作り話」に過ぎない。村山談話にある「当時の日本が国策を誤った」というのは、戦前の日本軍の勝手な行動を制止することが出来なかった日本政府を批判した言葉であって、当時中国大陸で鉄道権益を守るという名目で派遣されていた関東軍が、盧溝橋で自ら爆薬を仕掛けて鉄橋を爆破し、「中国軍の仕業だ」と言い放って中国軍を攻撃し、周辺から敵を追い払って傀儡国家「満州」をでっち上げた一連の日本政府の「国策」をいうのであって、このような勝手な真似を許すわけにはいかないと判断して日本向け石油輸出を止めた米、英の側には正当な「道理」というものがあったというのが真っ当な「判断」というものです。日中戦争も太平洋戦争も、やってはならない戦争であったことは、今では誰に目にも明らかなことで、高市氏のような史実とは大きくズレた歴史認識を持つ人物が行政のトップを務めるのでは、この国は再び国策を誤る危険を抱えているということであり、これは可及的速やかに、国民が安心して国政を託せる人物と交代するべきです。
2026年06月23日
ある日の朝日新聞に「時代が変わった」と発言した高市首相に異議を唱える投書が掲載された; 国際政治学者・岡倉古志郎(1912~2001)の著書『死の商人』を読んだ。「武器輸出解禁」や「防衛産業を経済成長の柱に」という高市政権によるシフトチェンジに感じる疑問と恐怖がきっかけだ。 過去の戦争に関わってきた世界の財界の黒幕たちの実態と、戦争が起きる仕組みがよく分かった。初版が1951年なのに内容が全く色あせていない。むしろ現在のことが書かれているような錯覚すら覚えた。 国民の危機感をあおって、国防の必要性を訴え、「愛国」の名のもとに政治家に取り入って武器を売る「死の商人」。恐ろしいのは、敵も味方もなく、ただもうけることだけが目的の彼らによって、戦争も「経済の一環」になっていたことだ。 筆者は「われわれが充分警戒を払わないならば、かれらは、第三次世界大戦をさえひきおこすかもしれない」と書いている。まさに現在の世界情勢を予見しているような言葉である。 高市早苗首相は「時代が変わった」と言うが、変わっだのは時代ではなく、政治家たちの倫理観や価値観ではないのか。あらためて日本が誤った道を歩き始めているように思えてならない。2026年6月8日 朝日新聞朝刊 13版S 8ページ 「声-変わったのは時代でなく政治家」から引用 30年前の自民党政権は「武器輸出三原則」という国是を閣議決定して、ひたすら平和国家への道を進むかのような姿勢を鮮明にし、宮沢首相(当時)などは「武器の販売などに手を出すような所まで落ちぶれてはいない」などと豪語したのでしたが、その後、国鉄民営化、郵政民営化のような政策の誤りで労働運動が停滞し、労働者の所得が相対的に低減したために経済も落ち込んでしまい、結果的に企業も衰退するに及んで、遂に「武器輸出三原則」も空洞化しようと動き出したのが現在の高市政権です。このような経緯を「時代が変わった」などと、ごまかすのは、国民として承知できませんし、自らの失政を「時代」のせいにするような政治家に投票するべきではないと思います。
2026年06月22日
プロ野球巨人軍の監督が家族に暴力をふるったことが公になったため監督を引責辞任したことを論評した毎日新聞のコラムを3日前に当欄に引用したが、同じ問題について、今月3日付東京新聞に掲載の文芸評論家・斎藤美奈子氏のコラムは、理路整然としており素直に問題の核心を理解することが出来る; 5月25日、読売ジャイアンツの阿部慎之助監督が長女に暴行した疑いで現行犯逮捕された。監督は翌日辞任するも復帰を求める署名が13万筆以上集まったという。 署名を求める文言は情緒的で昭和感満点だったけど、この13万人と阿部擁護派の方々は認識を改めたほうがいい。 たとえ家族間でも暴力は犯罪だ。体罰の是非を議論する段階はとっくにすぎ、2020年に改正された児童虐待防止法および児童福祉法では「しつけ」と称した体罰が明確に禁止されている。 今度の被害者は18歳なので児童ではないが、彼女が児童相談所に連絡したのも児相が警察に通報したのも警察が逮捕に及んだのも法的に見れば正しい。つまりAIの回答も正しかったのだ。 一方、球団の対応は、企業に求められる「ビジネスと人権」の観点から見てやはり正しい。 ステークホルダー(利害関係者)が複雑に絡み合った今日の企業には高い倫理性が求められ、人権に少しでも抵触したら即アウトである。親会社の読売新聞社からスポンサー企業、映像の配給会社まで、関係者への影響を考えれば監督の辞任以外の選択肢はない。 折しも広陵高校の硬式野球部で起きた暴力行為を第三者委員会が「いじめ」と認定、学校側の責任を指摘したばかりである。暴力に厳しい社会。異を唱える理由はないでしょ。(文芸評論家)2026年6月3日 東京新聞朝刊 11版 19ページ 「本音のコラム-暴力への対処法」から引用 一昔前の日本では「公私の区別」という価値観が人々の頭にあって、公と私を混同することがマナー違反であるように言われたため、家庭内のささいな出来事にいちいち警察が口出しする必要はない、などという言説が「一般的な常識」ということになっていたが、それが「家庭内暴力の温床」であるとの認識が広がって、家庭の内であろうと外であろうと暴力は暴力だとの「常識」が常識として認められる世の中になったから、それで救われた家庭内暴力の「被害者」は少なくないだろうと思います。このようにして世の中は進歩していくのだと思います。
2026年06月21日
熊本県の水俣病患者の写真を取り続けたアメリカ人写真家ユージン・スミスを主人公にした映画を鑑賞した東京大学教授・宇野重規氏は、5月31日付東京新聞コラムに、次のように書いている; 先日、東京都写真美術館で、写真家ユージン・スミスを主人公とする映画「MINAMATA ミナマタ」を見た。20世紀米国を代表するフォトジャーナリストだったスミスは、日本人と米国人を両親にもつアイリーンと出会い、熊本県の水俣に向かうことになる。スミス夫妻は月ノ浦(水俣病の多発地帯の一つ)に滞在し、3年以上にわたって水俣病に苦しむ患者やその家族の姿を撮影し続けた。 恥ずかしながら、筆者は映画を見るまでスミスのことをよく知っていたわけではない。しかしながら、映画を見ることで、多くのことを考えさせられた。 著名な写真家でありながら、芸術家としての行きづまりや身体の不調(その原因は激しい沖縄戦での取材にあった)に苦しむユージンと、年齢の離れた妻であり、日米のはざまで自身の進むべき道を模索するアイリーンが協力して、写真集「MINAMATA」を共に出版し、世界に水俣病の実態を知らせる過程を描いた映画は感動的である。 ◇ ◆ ◇ただし、映画は決して過去のことだけを描いているわけではない。エンドロールでは、水俣病の健康被害を訴える人とその認定問題が今も続いており、病気に苦しむ患者の救済が終わっていないこと、さらに世界各地で、同様の汚染物による被害が今もなお続いていることが告発される。問題はまさに現在進行中であることを痛感させられた。 チッソ社長(劇中ではノジマ・ジユンイチ)の描き方も印象的であった。チッソは病気の原因が同社の排出する有機水銀ではないかという指摘を認めることなく、むしろ隠蔽し、水俣病の公式確認から国による原因の認定まで長い時間が経過した。その後も巨額の賠償を恐れ、会社は患者らの要求に向き合うことなく、救済は大幅に遅れた。この会社の責任者が心の中で何を思っていたのか、映画はいろいろと想像させる。 水俣病の責任は一会社だけのものではない。国や県は被害の発生と拡大を防止しなかった行政責任を問われるばかりでなく、そもそも日本列島の工業化を推し進める中で事実上、企業と一体化して環境破壊を推進したことが深刻である。その意味で、水俣病はこの国の近代化や産業化のひずみの産物であり、その結果を罪なき人々が袒わされている現実を改めて確認しなければならない。 ◇ ◆ ◇ 映画を見た後、石井妙子さんのノンフィクション「魂を撮ろう」を読んだ。スミス夫妻の生い立ちと合わせ、さらに長い射程で水俣の問題を論じる著作だが、その中にユージン・スミスの印象的な言葉があった。「ジャーナリストが目指すべきことは、客観的であろうとするのではなく、自分の主観に責任を持つことだ」。自らの誠意や信念、責任感や物の見方に基づき、ジャーナリストは自ら決断し、責任を持たねばならないという。 フェイクニュースを含め、虚実の定かでない雑多な言葉や情報が世にあふれる今日、あくまで「清廉潔白」と「正直で公正であること」を信じて戦った2人の生きざまが心に残る。安易に「客観的」という言葉に逃げてはならない。社会のひずみに苦しむ人々と共に暮らし、その姿を伝え続けた写真家の物語は、現代に生きる私たち一人ひとりの覚悟を促しているように思えてならない。2026年5月31日 東京新聞朝刊 11版 4ページ 「時代を読む-水俣を伝え続けた写真家」から引用 チッソの工場は農業用の肥料を生産する過程で生じる水銀を工場排水として川に放出し、それが八代海に流れ込んで海の魚を汚染し、汚染されたことなど知らない沿岸住民がその魚を食べて水俣病を発症し、生涯寝たきりで暮らすほかないという事態になったもので、企業や政府の救済策の対象外とされた被害住民も多数存在し、今日に至るも未解決となっている事件です。私が大学生だった今から50年以上前、私は下宿の近所に住む同年代の大学生と親しくなり、べ平連のデモに一緒に出かけたりしてましたが、彼が言うには「自分の親はチッソの取締役をしてるので、自分さえその気があるのならチッソに無試験で入社できると親から言われるが、水俣病のことなどがあるから、親の会社に入る気はまったくない」といつも言ってる人で、結局彼は、都内のある私立大学付属高校の教員になったのでした。その後、私もサラリーマンになって、彼とは会う機会がなくなってしまったのでした。
2026年06月20日
自民党が準備を進める国旗損壊罪は憲法違反であることについて、元文科官僚の前川喜平氏は、5月31日付東京新聞コラムに、次のように書いている; 自民党のプロジェクトチームが国旗損壊罪を新設する法案骨子案をまとめたが、僕は大反対だ。 まず立法事実がない。日の丸を損壊する行為によって誰かの権利や利益が害されている事実が存在しない。刑罰を新設する理由がないのだ。 罪刑法定主義にも反する。「人に著しく不快又は嫌悪の情を催させるような方法」で損壊すると罪になるというが、この要件は極めてあいまいだ。恣意的な取り締まりが行われる危険が大きい。 そして刑罰で保護すべき法益がない。「国旗を大切に思う国民の感情」などというものは保護法益にならない。不快感や嫌悪感などという「感情」を根拠に人を罰してよいはずがない。そんなことが許されるなら「お米を大切に思う国民の感情」を守るために残飯を捨てる行為を罰する法律も作ってよいことになる。 「国旗を大切に思う感情」を全ての国民が共有しているわけではない。日の丸を過去の日本の軍国主義や侵略戦争の象徴だと思う人もいるだろう。日中戦争時に作られた「日の丸行進曲」には、「日の丸を敵の城頭高々と一番乗りにうち立てた手柄はためく勝ちいくさ」という、南京占領を賛美した歌詞もある。 国旗損壊罪の新設は、思想・良心の自由を保障する憲法19条や表現の自由を保障する憲法21条に反する違憲立法だと言わざるを得ない。(現代教育行政研究会代表)2026年5月31日 東京新聞朝刊 11版 19ページ 「本音のコラム-国旗損壊罪は憲法違反だ」から引用 この記事は「思想・信条の自由」「表現の自由」という観点から極めて当たり前のことを述べている。例えば、少ない収入に比べて税金が重すぎるという理由で腹を立てた誰かが、腹いせに人前で日の丸を引きちぎることがあるかも知れないが、そのような乱暴な行為があったからと言って、それによって誰か他人の権利が侵害されたり不利益を被る者が出てくるとは考えられないわけで、「国旗損壊罪」を法律で定めるための根拠となる「事実」が存在しないということであれば、そのような無意味な法律などは、作る必要はないのであって、無理して作っても人々に有害な結果をもたらすだけで、まったく無駄な立法行為であることを、私たちは認識するべきだと思います。
2026年06月19日
プロ野球の巨人軍監督が家庭のトラブルで暴力をふるったとのことで警察に逮捕されたというので、巨人軍・阿部監督は「社会を騒がせた責任をとって辞任します」ということになった「事件」について、毎日新聞専門編集委員の伊藤智永氏は、5月30日付同紙コラムに、次のように書いている; おしゃまな小学生女児が児童相談所に「保護」された。習い事に腹を立て、家を飛び出して学童保育所に駆け込み、おけいこの大変さを達者におしゃべりしたら通報され、何日も隔離された。 驚いた両親が引き取ろうにも児相は取り付く島がない。やつれるほど困り果てていた。 習い事仲間の親たちに窮状をこぼすと、「うちにも来た」と打ち明ける親が複数いたから驚く。通報したのは、学校の担任の先生、同級生、近所の人らしい。 裏付けはない。児相は取材に応じないし、各家庭の親子の機微までは確かめようがない。 とはいえ児相や市役所児童係の「活躍」に振り回された話を見聞きする機会は近年多い。おかしなことになっていると思っていたら、児相への通報がきっかけで有名プロ野球監督が辞任した。 理由が家庭の事情なら分かるが、説明されたのは、社会を騒がせた責任だ。釈然としない。 騒ぎが拡大した経緯に、チャットGPT(愛称・チャッピー)と児相と警察と親会社が絡んでいるのが、いかにも今風である。 困ったらチャッピーに聞くのは今や当たり前。児相はやるべきことをしただけ。警察には逮捕する理由があったのだろう。親会社の素早い法令順守対応も当然だ。 それぞれ間違っていない。なのに誰も幸せになっていない。 チャッピーは、お追従ばかりの無責任な浅知恵である。児相や警察は所詮、目先の狭い責任をこなすお役所で、全体の文脈や背景は問題にしない。親会社には他に守るべき大事な利益がある。 つまり、監督の家族のことは誰も本気で考えない問題処理のリレーの結果、大ごとになった。 児相を取材した記者の話を聞くと陰鬱になる。人員難、勤務の過酷さ、仕事の特殊性は分かるが、知れば知るほど秘密主義と事なかれ主義の奥に権力体質がのぞく。「保護」の実態もひどい。 だが、時に起きる凶悪事件のせいで、私たちの社会は児相にもっと頑張れ、やりすぎ批判に臆せず過剰対応を心掛けろとけしかける。政治家、法律家、マスコミ、ネット民による大合唱だ。 家族は最も私的な領域である。一線は家族自身の知恵と覚悟で守るしかない。本当の愛憎は他人には分からないからだ。 それではダメだ、と叫ぶ人々のもっともらしい正義が、私領域に公権力を安易に呼び込む社会を強めてきた面はないか。国家の名の付く法制度が歓迎される風潮も、私領域を明け渡すことに慣れすぎたせいだろう。(専門編集委員)2026年5月30日 毎日新聞朝刊 13版 2ページ 「土記-有名プロ野球監督の辞任」から引用 家庭内のトラブルが原因でプロ野球の監督が辞任することになったニュースを聞いたときは、「風が吹けば桶屋がもうかる」という小話を聞いたような気分だったが、児童相談所が自治体職員から敬遠されて、なり手不足のため、全国どこの自治体も若い職員に「順番で数年ごとに交代する」ルールを作って対応しているという記事を十数年前に読んだ記憶があります。そういう「職場」状況では突発的に持ち込まれる「問題」に対して、懇切丁寧な対応は期待するのが無理、ということなのだろうと想像がつきます。そういう問題を10年以上も放置した結果、とうとうプロ野球の監督が辞任する事態になったということのようです。児童相談所がひどい状態になっているという情報は以前から言われていたことなのだから、メディアはそれを傍観するのではなく、どのように「解決」するべきか、世間に警鐘を鳴らすのが本来の使命ではなかったのか、と思いました。
2026年06月18日
ネタニヤフにそそのかされてイランを武力侵略したトランプ大統領も、これ以上戦争状態を長引かせるとアメリカの国内も国外も経済的にさらに大きな問題を抱え込むことになるので、トランプ氏のみならず世界のメディアが早期終結を期待している現在の状況について、文筆家の師岡カリーマ氏は5月30日付東京新聞コラムに、次のように書いている; レバノン南部への地上侵攻を拡大してきたイスラエルが、ここ数日でさらに攻撃を激化させ、首都ベイルート近郊でも空爆を行っているという報道では、どのメディアも「米・イラン交渉への影響が懸念される」と真っ先に付け加える。「合意にはレバノンの平和も含まれなければならない」とイランが主張しているからだが、「交渉への影響」など、渦中のレバノン市民にしてみれば「知るか」という話だろう。 ホルムズ海峡、石油、ナフサ・・・世界の注目は、経済的な理由で米・イラン交渉に集中している。レバノンの災難は、合意の邪魔だから嫌われる。市民の命や生活基盤が奪われるからではなく。 レバノンの死者は3月からだけで約3千人、当局によれば多くが女性、子ども、老人だ。避難民は120万人に及ぶ。総人口の2割近いという。メディアは、イスラエルが攻撃前に「避難命令」を出していると報道するが、「強制退去」と言うべきだ。退去させられた人々は家もインフラも外国の軍隊に破壊され、帰る場所を失い、劣悪な状況に置かれているのだ。 イスラエルは、安全保障上の脅威とみなす武装組織ヒズボラの掃討を掲げて軍事攻撃を正当化するが、そのヒズボラ自体(私だって嫌いだが)、1980年代にイスラエル軍がレバノン南部に侵攻したのをきっかけに結成された抵抗組織ではなかったか。(文筆家)2026年5月30日 東京新聞朝刊 11版 17ページ 「本音のコラム-人命でなく・・・」から引用 師岡氏が書く記事は、人権尊重を基調としたリベラルの精神が感じられる読みやすい文章だと思っていつも読むのですが、今回のこの記事には、違和感を禁じえません。「レバノンの災難は、合意の邪魔だから嫌われる」と、これは「世界のメディアが、紛争状態の終了を遅らせる『レバノンの災難』を嫌っており、レバノンの市民の責任だと考えている、それに対して、レバノン市民にしてみれば「知るか」と言いたい心境であろう、とこのように師岡氏が主張しているように感じられて、「そういう主張でいいのだかろうか」という疑問を感じます。この度のイランの紛争の「戦犯」はネタニヤフとトランプであって、イラン国民や中東諸国の人々が責任を追わなければならない話ではありません。イスラエルが周辺諸国からテロの被害を受けるのは、イスラエルが現在の場所に建国して以来、継続して先住民を迫害し、家や土地を奪い続けてきたその「反動」であって、テロ発生の原因を作っているのはイスラエルなのだという事実を、私たちは忘れてはならないと思います。イスラエルがテロ対策を口実にレバノン侵略を止めなければ、イランとしては停戦合意には応じられないと主張するのは当然であり、トランプが停戦を望むのであれば、イスラエルのレバノン攻撃をトランプが止めさせるべきです。
2026年06月17日
民主主義と憲法の精神を理解しない自民党と維新の会が政権与党として連立するための合意書に書いたからというので、国会で法案審議が進められていることについて、弁護士の澤藤統一郎氏は5月24日付「しんぶん赤旗」で、次のように見解を述べている; 自民党と日本維新の会の連立政権合意書で制定を明記した「国旗損壊罪」。高市早苗首相は1月、総選挙のネット番組の党首討論で「日本の名誉を守るうえで必要だ。必ず実現したい」とのべました。危険性について、東京「君が代」裁判弁護団の澤藤統一郎さんに聞きました。<本吉真希記者>◆国家主義の肥大化すすむ 国旗損壊罪とは「国旗が象徴する『国家』の権威を傷つける行為」を犯罪として禁圧するものです。国家に対する強い抗議や批判の意思を表すために、国家に見立てた国旗を燃やしたり、引き裂くことがあります。 そのような象徴的な意味合いを持つ表現行為を犯罪として取り締まろうというのです。権力の主体である国家が、人権の主体である一人ひとりの国民に対して「国家の権威や尊厳を傷つけてはならない」と命令する、愛国強制法と言って差し支えありません。 とりわけ問題なのは「国旗が象徴する国家」としてイメージされる国家像です。「日の丸」は「君が代」と対をなし、明らかに歴史性濃厚な「国体」(天皇制)のシンボルです。日の丸が象徴していた旧体制とは「君(天皇)のため国のため」に「滅私奉公」が強制された軍国主義国家です。旧体制の根は、日本国憲法制定後も深いところで生き延びてきたのです。 国旗損壊罪の創設はその根に水をやり、日を当てて再生することになりかねません。「国権対私権」「権力対個人の尊厳」「全体と個」のバランスを崩し、国権や国家主義の肥大化をもたらします。そのことは人権の軽視、縮小を意味します。◆罰則なし理念法でも有害 罰則なしの理念法でも有害です。法の新設を機に「国を愛する心は大切だ」などと、社会的同調圧力が強まる危険は目に見えています。権力が「これが正しいことだ」と犬笛を吹くと、それに応じる「愛国者」が出てきます。その声が広がり、同調圧力となるのです。 1999年に国旗国歌法が成立しました。この法には国旗国歌尊重義務も刑罰の定めもありません。しかし、明らかに「日の丸・君が代」をめぐる空気は変わりました。 その4年後、石原慎太郎都政のもと、悪名高き「10・23通達」が出され、それ以来、都立学校の全教職員に対し、卒業式・入学式のたびに「国旗に向かって起立し、国歌を斉唱すること」が職務命令として強制され続けています。その違反に対する懲戒処分はのべ484件に達しています。 都立高校では長く、国旗掲揚も国歌斉唱もなく、それが「都立の自由の誇り」だったのですが「10・23通達」は、それを許さないとしたのです。 私は都立高校での「日の丸・君が代」強制を違法として争う事件の弁護団の一員として、長く関わってきました。君が代斉唱時に起立・斉唱しない教員は、周囲から孤立し、懲戒処分を受け、給与の差別を受け、再任用の道も失います。起立強制は「現代の踏み絵」にほかなりません。信念を貫き通す教員には尊敬の念を禁じえません。 1925年成立の治安維持法は改悪を重ねて猛威を振るい、国体変革を目指す日本共産党だけでなく、その「目的遂行」に寄与する自由主義者や宗教団体までもが弾圧されました。忠君愛国をおろそかにする者は「非国民」「国賊」とされ、挙国一致体制のなか、社会的同調圧力が国策を支えたのです。愛国心とは恐るべきものです。決して法や刑罰で強制すべき対象ではあり得ません。◆自民と自衛隊の癒着は問題<党大会歌唱、地検に告発> 国旗損壊罪の新設は「新たな戦前」をつくりだそうという、高市反動内閣の反憲法的政策群の重要な一角です。同じ流れのなかで生じたのが、4月の自民党大会における自衛隊員の君が代歌唱事件です。問題の本質は、政権与党である自民党と実力組織である自衛隊との癒着にあります。 自衛隊は本来、厳しい文民統制の管理下に置かれねばならず、特定の政治勢力の私兵であってはなりません。自民党大会に「出演」するなどもってのほか。隊員の政治的行為は、犯罪行為として自衛隊法61条1項で厳しく禁止されています。最高刑は拘禁刑3年です。 市民226人と代理人弁護士26人は4月末、自衛隊の政治的中立を厳格に定めた自衛隊法に違反するとして、歌唱した音楽隊隊員、陸上幕僚長、自民党大会実行委員長の3人を東京地検特搜部に刑事告発しました。 国旗損壊罪も自衛隊法違反問題も、まだ事態は揺れています。国民が大きく反対の声を上げ、歯止めをかける努力が必要だと思います。2026年5月24日 「しんぶん赤旗」 日曜版 15ページ 「『国旗損壊罪』の新設を狙う高市政権」から引用 高市政権がやろうとする「国旗損壊罪」は、この記事が説明するように、わが国の民主主義を後退させる政策の一環であり、直ちに廃案とするべきものです。「国家の権威」などと立派そうなことを口走りながら、自分のやってることと言えば、選挙の度に野党候補や党内の競争相手を誹謗中傷するような動画を、どこから引っ張り出したのか得体のしれない莫大なカネをつぎ込んで、れっきとした「選挙妨害」をやっておきながら、その以来先が週刊誌記者に洗いざらい告白すると「知らない」「面識はない」と言い訳が2転3転する有様で、よくそんな了見で国会議員を務めてきたものだと思います。民主主義擁護の立場から、一日も早い高市早苗の公職追放と公民権停止が求められます。
2026年06月16日
高市政権がごり押しするスパイ防止法は、政権が何を目的に制定しようとしているのか、本当の「狙い」を説く講演会が横浜市で開催された。5月24日付神奈川新聞は、次のように報道している; スパイ防止法を歴史的に検証する講演会が23日、横浜市開港記念会館(同市中区)で開かれた。高市早苗政権が制定を進めるスパイ防止法について、関東学院大の林博史名誉教授(71)は住民が旧日本軍に「スパイ」と見なされて殺害された沖縄戦との関連性を指摘。政府を批判すれば攻撃対象となり、「市民運動や社会運動がスパイと結びつけられて弾圧され、バッシングもすさまじくなっていく」と警鐘を鳴らした。(井口孝吉) 戦前、思想弾圧で猛威をふるった治安維持法は1925年に制定された。林氏は内務省が敵のスパイ活動を防ぐ「防諜」を徹底する中で国民を巻き込み、「組織化し、監視させ、密告させた」と指摘。銭湯や路上で天皇を批判する発言をした人が通報され、不敬罪に問われた事例などを挙げ、日常の会話の中から摘発が続出した実態を解説した。 次いで太平洋戦争末期の沖縄戰に言及し、「政府や軍に対する一切の不平不満や批判が許されなかった」と当時の状況を説明した。その上で住民を動員し、相互監視、密告させる仕組みをつくることで「防諜という名目の下、民衆をスパイとして摘発、排除した」と強調。「軍の命令・指示に逆らう者、不平不満をぶつける者はスパイと見なされて殺害されたケースが多くあった」と語った。 林氏は沖縄戦から81年が経過した現在も政府を批判すれば攻撃される状況があると警告する。具体的には、交流サイト(SNS)で高市政権を批判した人が「非国民」「日本から出て行け」と非難されており、国会審議の場で防衛費増額に向けた増税を「軍拡増税」と表現した共産党議員に対し、「スパイ」とのやじが与党席から飛んだことに触れた。高市政権によるスパイ防止法制定の目的として「政策を批判、異議を唱える者に『スパイ』のレッテルを貼り、狙い撃ちする危険性が大きい。戦前戦中の防諜政策が狙ったことと、沖縄戦で住民がスパイ視されたことと共通する」と危惧した。 日本科学者会議神奈川支部が主催し、約40人が参加した。2026年5月24日 神奈川新聞朝刊 16ページ 「沖縄戦との関連性指摘」から引用 主権在民の平和憲法が制定されて80年も経つというのに、日本人は自らの力で勝ち取った民主主義ではなく、GHQのサポートで授けられた「民主主義」なので、韓国の人たちに比べると「民主主義の大切さ」がまるで理解されておらず、国会議員からして政府の増税案を批判する野党議員をスパイ呼ばわりするという後進国根性丸出しの与党議員が存在するという「事実」からも、韓国と違って日本は容易にファシズムが復活できる社会なのだということが分かるというものです。すでに検事総長が、裏金問題で起訴するべき疑惑の議員数十名を不起訴にするという「司法の不全」が存在し、総理大臣が虚偽の答弁をしても一言の批判もしないメディアの状況を見れば、日本の「ファシズム再発」は時間の問題ではないか。これを阻止するためには、出来るだけ早期の「闘う左翼」の立ち上げが必要と思います。
2026年06月15日
生成AIの急速な普及に対応するデーターセンターの建設が全国各地で、住民の反対運動に会ったり自治体首長の安易な判断で企業のごり押しがまかり通ったり、様々な問題を引き起こしていることについて、日本共産党政策委員会委員の湯浅和己氏は、5月24日付「しんぶん赤旗」に、次のように書いている; DC=データセンターの建設への反対運動が各地で起きています。高市政権がDCの増設と地方分散を強引に進めているからです。 背景にあるのが生成AI(人工知能)です。DCは生成AIの開発や運用に不可欠な施設で、サーバーやネットワーク機器とそれらを稼働させるための電源設備や冷却装置などで構成されています。 ◇ ◆ ◇ 生成AIの急速な普及に伴い、アマゾンやマイクロソフト、グーグルなどアメリカの巨大IT企業が日本でのDC利用を急拡大しています。その動きに合わせてDCの貸し手であるNTTグループは2033年度までに現在160以上あるDCの規模を3倍に増やす計画です。国内企業に加えシンガポールや香港、豪州などの海外企業も日本でのDC建設を進めています。 24時間365日休みなく稼働するDCは大量の電力を使い、発熱量も膨大なため、施設内に非常用発電機や変電設備、高性能冷却装置が設置されています。 住民のみなさんがDC建設の強行に反対している主な理由も大量の電力消費や、非常用発電機と冷却装置による騒音、排ガス・熱風、低周波振動などによる健康や環境への影響です。 シンガポールで起こった火災事故では、広範囲にわたって住民に避難指示が出されました。DCが一般の事務所・倉庫などと異なることは明白です。 先行する米国ではDCの急増が電力需給をひっ迫させ、電気代が高騰し、批判に直面した企業が原子力発電の活用を表明しています。日本でも、DCの電力需要に応えるため、火力発電所の「炊き増し」や、原発の再稼働促進・新増設を進める動きがあります。DCを理由にした電力需要増→安定供給確保→原発活用のたくらみは許されません。 国の情報インフラの中枢であるDCは、テロなどの標的となります。実際にイラン戦争では、イランがアラブ首長国連邦(UAE)やバーレーンにある米大手のDCを攻撃したと発表しています。 ◇ ◆ ◇ 千葉県流山市や京都府精華町など、住民の粘り強い運動でDC建設強行を阻止した自治体もあります。 東京都江東区は今年3月、「大規模データセンター建設計画における話し合いガイドライン」を公表し、排熱や騒音、振動や電磁波といった環境影響、災害や施設管理などの安全や運用面の説明を求めています。 一方で、東京都昭島市では住民の強い反対にもかかわらず、8棟もの巨大DCの建設が進められています。千葉県印西市や東京都日野市では、市当局が大型DCの建設計画を容認してしまいました。「現行のルールにのっとっている以上は認めざるを得ない」(印西市)というのです。 DCの建設は住民生活や環境、都市計画へ重大な影響をもたらします。住民の合意が大前提です。同時に各自治体でのゾーニング(区分け)や説明義務・情報開示などのルール作りと合わせ、DCの実態に合わせた包括的な法規制による透明性と安全・安心の確保が必要です。<ゆあさ・かずみ 日本共産党政策委員会>2026年5月24日 「しんぶん赤旗」 日曜版 24ページ 「経済 これって何?-膨大な電力、排熱 住民合意が大前提」から引用 今までに無かった巨大データーセンター(DC)というものが、どのように巨大で、24時間365日休みなしに稼働して膨大な発熱量があり、それを冷却するためにさらに膨大な電力を必要とするのですから、近所にそんなものを建設するという話が持ち上がったときには、当然のことながらそのような建築物が隣近所の民家に如何なる影響を与えるものか、詳細な説明を求めるのは当然です。印西市市長のように「現行のルールにのっとっている以上は認めざるを得ない」という判断は「誤り」というもので、巨大DCが引き起こす騒音、排ガス・熱風、低周波振動などによる健康被害は、これまで存在しなかった「被害」なのですから、「現行ルール」で可否を判断できるわけがないのであって、住民の健康を守るには、新しいルールが必要なのです。その新しいルールが出来上がらないうちはDCの建設は認められないと断言するのが自治体首長の仕事のはずです。相手が大企業だからといって、変に遠慮するのでは住民の健康と豊かな生活を守ることができないと知るべきでしょう。
2026年06月14日
毎年、憲法記念日にちなんで護憲派も改憲派も集会を開くのが5月であるが、改憲派の集会に送ったビデオメッセージの中で高市首相が意味不明の「憲法観」を口走ったことをヒントに、私たちの正しい憲法観はどのようなものであるか、模範解答を、法政大学名誉教授で元総長の田中優子氏が、5月24日付東京新聞コラムに、次のように書いている; 5月は憲法集会の季節である。高市早苗首相は3日、ビデオメッセージで憲法を語り、「時代の要請に合わせて本来、定期的な更新が図られるべきだ」と言ったと知って、のけぞった。 なぜなら、自民党による憲法の位置付けは「国の理想を物語り、国家の新たな『背骨』となるもの」だそうで、高市氏も党大会で「理想の姿を物語るものが憲法です」と述べたと、本紙で読んでいたからだ。 「背骨」であり「理想の姿」であるものを、スマホやクレジットカードみたいに「定期更新すべきだ」というこの混濁は、どこから出てくるのか? 定期更新の理由は「わが国を取り巻く国際情勢、安全保障環境、技術革新の速さ、人口動態などは全く異なるものとなっている」からだそうだ。国際情勢に合わせて理想を変える? つまり高市首相の「理想」とは「利益」のことだ、と理解した。 ◇ ◆ ◇ 憲法は利益ではなく理想を込めるものである。同時に「規範の法典」であるから、法的拘束力を持つ言葉で構成されている。「個人の人権」「自由」「平等」などは法的拘束力を持つ。デモを「ごっこ遊び」といくら揶揄(やゆ)しても、憲法があるかぎりデモを止めることはできない。憲法は国家が国民の表現の自由を妨げようとすれば、国家権力を制約する「制限規範」として働くからだ。 それは99条に書かれている。「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と。そこで私は憲法を語る時、「憲法の主語は私でありあなたである」ことを思い出してもらう。例えば、現行憲法の前文は「日本国民は」で始まる。そこに続く動詞「行動し」「確保し」「決意し」「宣言し」「確定する」の主語は全て国民一人一人、つまり私であり、あなただ。 19条「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」とは、私やあなたが政権に対して命じている言葉である。21条「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」で、保障しているのは私やあなたであって政権ではないから、それに続く「検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない」という言葉は、国民が政権に命じているのだ。スパイ防止法が憲法に違反して使われることがないように監視するのは、私やあなたである。 9条「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄」したのは、私でありあなただ。さらに政権に対して、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と、私もあなたも宣言している。これらの権力への制限を、国民は自ら捨てていいのか? ◇ ◆ ◇ このコラムが掲載される5月24日、「平和を求め軍拡を許さない女たちの会」は例年のシンポジウムを開催する。配信もされる。そこでは「憲法が描く平和のトライアングル 9条、24条、そして平和的生存権」というテーマで、清末愛砂氏に講演していただき、議論する。 日本の憲法は暴力に向き合っている。国家の暴力も家族の暴力も押しとどめる規範である。その制限に力を与えるのは、9条と24条を実現することなのである。2026年5月24日 東京新聞朝刊 11版 4ページ 「時代を読む-憲法を定期更新?」から引用 この記事は示唆に富んでおり、中学生や高校生の憲法学習の教材にもなり得る優れた文章だと思います。憲法の条文の「主語」は私であり、あなたなのだという指摘は重要で、ぜひとも多くの国民に認識してもらわなければならない概念であり、これからの日本を背負って立つ若い人々に自覚してほしいものです。この記事に書かれた「観点」を軽視してしまうと、「政治はお上がやることで、自分たちは関係ない」という江戸時代以来の発想に取りつかれて、政治家はやりたい放題で国民は圧政に苦しむというシステムが出来上がってしまいますが、そうではなく、我々が納めた税金が我々の社会生活をスムーズにするために使われる、そういう社会に向かって進んでいることを、絶えず監視するべきなのです。だから、高市氏のように「金儲け目当てで、定期的に憲法を更新する」などと怪しげなことを言い出す政治家は「要注意」であることなど、これは重要な問題提起であると心得るべきです。
2026年06月13日
同志社国際高校の研修旅行中に辺野古沖で起きた事故について、松本文科大臣が教育基本法違反であると断じて指導通知を発出したことについて、元文科官僚の前川喜平氏は、5月24日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 22日の記者会見で松本洋平文部科学相は、同志社国際高校の研修旅行中に辺野古沖で起きた事故に関し、同校の辺野古での学習が政治的活動を禁じる教育基本法14条2項違反だと断じ、学校法人同志社などに指導通知を発出したと発言した。しかし、この条項は本来教育者自身の自律のための規範である。 むしろこの大臣発言と指導通知こそ、教育に対する不当な支配を禁じる教育基本法16条1項違反だと考えるべきだ。政治学習や平和学習の取り組みを抑え込むために、不幸な事故を政治利用したのだと言ってよい。 そもそも文科省が同志社に「現地調査」を行ったのが変だった。学校管理下の児童生徒の死亡事故は毎年数十件起きているが、通常文科省は直接の調査は行わない。磐越道で起きた北越高校の部活遠征中の事故でも「現地調査」は行っていない。同志社を狙い撃ちしたのは、事故が辺野古で起きたからだ。背後には政権の政治的な意図が働いていると見るべきだ。 政治学習や平和学習は、教育基本法が教育の目的とする「平和で民主的な国家及び社会の形成者」の育成に不可欠の学習だ。そこには現実の政治への批判が当然含まれる。その批判を封じるために政権が持ち出すのが「政治的中立性」という言葉なのだ。そんな合法性を装った不当な支配にひるんではいけない。(現代教育行政研究会代表)2026年5月24日 東京新聞朝刊 11版 17ページ 「本音のコラム-文科相の教育基本法違反」から引用 この記事が指摘するように、わが国の教育基本法は「平和で民主的な国家及び社会の形成者」の育成を目的とするのであるから、大部分の沖縄県民が反対してる「軍事基地建設のための辺野古の埋め立て作業がどのようなものか」を現地に行って確認することには、それなりの意義があったわけで、不幸にして人命を失う事故に遭遇したことに付けこんで「教育基本法違反」などと言いがかりをつけるのは、権力の乱用であり、不当に政府批判の声を封じ込めようとの下心が透けて見えるというものです。生徒と教員の安全にはしっかり配慮をしたうえで、今後も「平和で民主的な国家及び社会を形成する人材」をしっかり育成していってほしいと思います。
2026年06月12日
小泉純一郎政権が日朝国交正常化交渉のために訪朝した際に、朝鮮民主主義人民共和国は始めて「拉致事件」を認め、金正日総書記が謝罪し、その時点で所在を把握されていた十数名の被害者が日本に帰国することが出来たのであったが、その後の安倍政権をはじめとする歴代政権は外交上の対応を誤ったため、いまだに行方不明となっている被害者が数十名存在する。日本政府は己の外交テクニックの拙劣さを棚に上げて、まるで報復するかのように「授業料無償化政策から朝鮮学校を除外する」という対応をしているが、拉致事件の責任を朝鮮学校に負わせるのは「お門違い」も甚だしい発想である。このような日本政府の歪んだ姿勢を批判する国際組織が、「差別反対」の署名を集めて日本政府に届けたことを、5月22日発売の「週刊金曜日」は、次のように報道している; 国際組織「朝鮮学校と共にする国際ネットワーク」は4月23日、朝鮮学校に対する差別政策をやめるように求める署名計4万5609筆を日本政府に届けた。日本や韓国、米国、ドイツ、豪州の各国の支援団体が集めたものだ。 韓国の市民団体「モンダンヨンピル(ちびた鉛筆)」の金明俊(キムミョンジュン)さんは同日行なわれた記者会見で「この20年だけでも、これほどすさまじい制度的差別と排除政策を行なっている国は世界のどこにも見当たらない。日本は平等と平和を追求する国とはいえない」と断言。高校授業料の無償化からの除外のほか、自治体による補助金停止などの弾圧を列挙して批判した。 在独朝鮮学校後援会の劉載鉉(ユジェヒョン)さんは「ウクライナ戦争で関係が悪化してもドイツ政府がロシア人学校に制裁を加えることはない」と、拉致問題という政治・外交上の理由を持ち出す日本政府の箍(たが)の外れぶりを指摘。在米コリアンの李容槓(イヨンシク)さんも「米国には差別禁止法があり、学校や子どもへの差別はとりわけ許されない」と話した。 韓国・釜山市で活動する河相潤(ハサンユン)さんは署名提出の際、文部科学省やこども家庭庁の官僚に「朝鮮学校差別は植民地支配の歴史を消し去ろうとする非歴史的行為。その責任を子どもに負わせるのか」と本質的な問いを突きつけた。 朝鮮学校で学ぶ権利を日本政府が守ることは当然と考えるのは国際スタンダードなのだ。「世界市民」が寄せた署名には子どもたちまで差別して恥じぬこの国の異常さを痛感させる重みがある。<石橋学・『神奈川新聞』記者>2026年5月22日 「週刊金曜日」 1569号 3ページ 「きんようアンテナ-朝鮮学校支援の国際ネットが差別撤廃を求めて政府に署名提出」から引用 そもそも日本に在日朝鮮人・韓国人が居住しているわけは、戦前の大日本帝国が朝鮮半島を植民地支配して、それまでの封建的な社会だった半島に、いきなり資本主義経済を持ち込んで、それまで大地主が管理する農地で働く小作人が大部分だった農村に、日本資本が入り込んで農地を買い占めて農業の近代的経営を始めたため、多くの失業した小作人は、職を求めて日本に渡る、あるいは戦争が始まって日本国内の労働力が不足したからと言って、半島から強制的に労働者を移住させる、というような政策を行ったために、多くの朝鮮人韓国人が日本で暮らすよになったのでした。ところが、日本は戦争に負けると、それまで「日本人だ」ということで兵役まで課していたのを、いきなり日本国籍を取り上げて、外国人扱いにした、というのがこれまでの「歴史」です。そのような経緯で日本で暮らしている人々を、今さら外国人扱いをして、アメリカンスクールには授業料免除のための補助金を支給するのに、朝鮮学校は支給対象外にするという歴然とした「差別」は、「基本的人権の尊重」を定めたわが国憲法に悖る態度であることを反省し、改めるべきだと思います。
2026年06月11日
現在の日本の刑事訴訟法では、受刑者側の再審申し立てがあって裁判所が再審の可否を判断する際に検察官が不服申し立てをする権限を持っているため、再審開始までに余分な時間を費やして高齢の冤罪被害者が獄中で生涯を終えるという事態まで生じている状況を改善するために、政府は再審法改正に着手したのであるが、法務省が作成した「改正法案」では事実上「改正」にはなっていない法案であったため、やり直すなどの混乱を生じたのであったが、このような状況について、弁護士の宇都宮健児氏は5月22日発売の「週刊金曜日」巻頭コラムに、次のように書いている; 法務省は法制審議会(法相の諮問機関)の答申を受けて、再審制度を見直す刑事訴訟法改正案をまとめ、国会提出前に改正案を自民党に提示した。 3月下句から自民党の司法制度調査会と法務部会の合同会議で改正案の事前審査が始まったが、合同会議では法務省が提示した改正案に対する批判が噴出した。このため法務省が改正案の修正を繰り返す異例の事態となった。 とりわけ批判が噴出したのが、再審開始決定に対する検察官の不服申し立て(抗告)が維持されている点であった。検察の抗告は再審手続きを長期化させる大きな要因となっている。 静岡県一家殺害事件で再審無罪判決が確定した袴田巌(はかまだいわお)さんの場合、2014年に再審開始決定が出されたが、検察が抗告をしたために、再審無罪判決の確定までさらに約10年を要した。また、福井女子中学生殺人事件で再審無罪が確定した前川彰司(まえかわしょうじ)さんの場合、第1次再審請求の再審開始決定が検察の抗告で取り消されたため、無罪歛定まで約13年かかっている。さらに、滋賀県日野町で酒店経営の女性が殺害された「日野町事件」では、強盗殺人罪で無期懲役となり、服役中に亡くなった阪原弘(さかはらひろむ)さんの遺族が第2次再審請求を申し立て、18年に大津地裁が再審開始を決定したが、検察が2度にわたり抗告をしたため、今年の2月24日に最高裁が再審開始を決定するまでに約7年半を要している。 日本の旧刑事訴訟法はドイツの刑事訴訟法をモデルとして制定されたものであるが、ドイツでは半世紀以上前に再審開始決定に対する検察の抗告を禁止している。検察は再審開始決定に対する抗告ができなくても、不服であれば、再審公判の場で有罪立証をすればよいのである。 法務省は自民党の批判を受けて刑事訴訟法の本則に検察の抗告の原則禁止を盛り込む修正を行なったが、法務省の改正案には、証拠開示の対象を制限している上に開示された証拠の目的外使用を禁止していること、明らかに理由のない再審請求は審理に入らず棄却する「スクリーニング(選別)規定」が盛り込まれていることなどの問題点も残されている。 無実の人を処罰する冤罪(えんざい)は国家による重大な人権侵害であり、再審制度は冤罪被害者を救う唯一の制度である。今後の国会審議の中で、冤罪被害者の早期救済につながる再審法の改正が実現することを期待する。2026年5月22日 「週刊金曜日」 1569号 3ページ 「風速計-冤罪を早期に救済する再審法改正を!」から引用 法務省が出してきた最初の「改正案」では、相変わらず検察官の不服申し立てが可能になっている条文で、どこが「改正案」なのか分からないようなものだったので、さすがの自民党も「こんなものは認められない」と紛糾したのは当然の流れであった。大学の法学部に学んで法務省に勤務するほどの秀才が、なぜそのような基本的なミスをするのかと言えば、それはどうも、検察官の基本的な考えが「刑事罰の目的は、犯罪者個人の処罰のほかに、世間に対する見せしめが重要な目的」となっているからのようで、これは江戸時代からの「伝統」(?)らしい。しかし、現代は80年前から現行憲法によって「基本的人権の尊重」が保証された社会なのだから、刑事訴訟法だけが江戸時代の名残を留めておくのでは、被害にあった者は浮かばれないというものでしょう。検察官は、再審開始を妨害するのではなく、堂々と再審の場で有罪立証をすれば良いのですから、「改正案」には「裁判所が再審開始を決定した場合、検察官が不服申し立てをすることは出来ないものとする」と明記するべきだと思います。
2026年06月10日
今年の春に政府が開催した「昭和100年記念式典」に天皇ご一家も臨席したにも関わらず、天皇がスピーチする機会がなかったことについて、5月17日付け神奈川新聞は、次のように報道している; 政府が4月29日に開催した「昭和100年記念式典」で、天皇陛下のお言葉がなかったことに疑問の声が出ている。政府は「総合的に勘案した」とするものの、明治元年から100年を記念した1968年の式典では、臨席した昭和天皇がお言葉を述べた経緯がある。当時と異なる対応に、交流サイト(SNS)には、政権批判を含めさまざまな臆測が飛び交った。 「国民からは『何でだろう』という声が非常に多い。政府の意向なのか」。5月12日の参院外交防衛委員会で、立憲民主党の田島麻衣子氏が政府に尋ねた。 田島氏は、明治の記念式典との差異に触れ「矛盾しないか。なぜお言葉をお願いしなかったのか」とも迫った。政府の担当者は「式典の趣旨や目的、過去のご臨席の状況などを総合的に勘案し、ご臨席のみをお願いした。全ての式典でお言葉を承っているわけではない」などと繰り返した。 ただ宮内庁の黒田武一郎長官は「政府の考え方、申し出に基づいて(お言葉がない)と受け止めている」と説明していた。 式典には、高市早苗首相や衆参両院の議長らが出席。首相は「先の大戦や幾多の災害を乗り越え『希望』を紡ぎ出した先人たちに学び、巣敢に挑戦していく必要がある」などと語った。 宮内庁は式典翌日、天皇、皇后両陛下の感想を明らかにした。両陛下は「過去の歴史から謙虚に学び、深い反省とともに平和を守るために必要なことを考え、将来へつなげる努力を続けることが大切だ」との気持ちで臨まれたとした。 式典でお言葉がなかったことについて、X(旧ツイッター)では「天皇に『反省』を語らせたくなかったのだろう」との推測や「陛下のお言葉を聞きたかった」などの投稿が目立った。◆昭和100年記念式典◆ 2026年が、1926年の昭和改元から100年の節目であることを受け「昭和の日」の4月29日に政府主催で開かれた式典。超党派の議員連盟が2024年に当時の岸田文雄首相に開催を要望した。政府は25年11月に「昭和の時代を顧み将来に思いを致す機会にする」として実施を閣議決定した。式典は天皇、皇后両陛下を迎えて東京の日本武道館で開かれた。国会議員や地方自治体の首長ら約5600人が参加した。2026年5月17日 神奈川新聞朝刊 2ページ 「天皇お言葉なしに疑問」から引用 「天皇のご臨席を得た全ての式典でお言葉を承っているわけではない」というのは、その通りかも知れないが、この度の「お言葉省略」は高市首相の意向であった可能性が高いと思います。高市政権は今、安保三文書の改訂とか、武器輸出三原則の改悪、敵基地攻撃能力を備えた長距離ミサイルの国内配備と、戦争準備を進めていこうとしている矢先に、天皇から「過去の歴史から謙虚に学び、深い反省とともに平和を守るために必要なことを考え、将来へつなげる努力を・・・」などと言う言葉は、高市氏自身が聞きたくないと同時に、国民に聞かせてもらっては困る、というのが高市氏の偽らざる心境であったと思われます。「X」では、このところよく10年前くらいの高市氏の動画が投稿されて、その中で彼女は「日本が戦争をした時代は私はまだ産まれてなかったから、私には戦争責任などありません。したがって反省もしておりません」と自慢気に話しており、このような考えを持つ人物は、どう考えても一国を代表する総理大臣の職務には向いていないと思います。
2026年06月09日
熊本市にある自衛隊基地に敵基地攻撃能力を持つ長射程ミサイル配備を進める日本政府の方針について、ジャーナリストの布施祐仁氏は、5月17日付「しんぶん赤旗」で、次のように批判している; 政府は、敵基地攻撃可能な長射程ミサイル配備について「相手に攻撃を思いとどまらせる抑止力」(防衛省九州防衛局の「Q&A」)などといって、大軍拡によって国民の安全は高まるかのような説明をしています。 しかし政府が言う抑止力には、長射程ミサイルのような正面装備を充実させることだけではありません。戦争を想定した備えも含まれています。長く戦い続けられる「継戦能力の強化」や「強靭化」の名で▽核攻撃も想定した主要司令部等の地下化▽建物の壁を厚くするなどの構造強化▽弾薬の備蓄量を増やし弾薬庫を各地につくることなども進めています。 政府の理屈でいえば、こうした戦争準備も、抑止の一環だということなのでしょう。 しかし抑止には重大な「副作用」があります。ある国を脅威と見て軍備を増強すれば、相手にとってはそれが脅威となり、さらなる軍備増強を誘発します。結果的に、軍拡競争をエスカレートさせ、軍事的緊張を激化させて戦争のリスクをかえって高めてしまう場合が少なくないのです。 いったん抑止が破れ、戦争になれば、長射程ミサイルのように相手にとって脅威度の高い装備ほど攻撃目標になります。 健軍駐屯地がある熊本市民70万人の命は真っ先に危険にさらされます。司令部地下化などの自衛隊施設の「強靭化」は、自衛隊だけが生き残り、住民が犠牲になることを意味します。 ところが抑止力を高めるためとして全国各地にミサイルを配備したり弾薬庫を建設したりすれば、抑止に失敗して戦争になった時に日本中が戦場になってしまうリスクがあることを政府は説明しようとしません。住民の命を軽視するものであり無責任です。 日本が戦場になるケースは二つあります。 一つは、米軍が日本の周辺地域で起きた紛争に介入するのに在日米軍基地を使用した結果、在日米軍基地が攻撃を受けるケースです。 もう一つは、日本が直接攻撃を受けなくても、米軍が受けた攻撃を2015年制定の安保法制に基づいて日本が「存立危機事態」と見なして参戦した結果、自衛隊基地などが攻撃を受けるケースです。 そもそも日本が中国などと張り合って大軍拡を進めるのは、国民の財政負担の面をみても無理があります。政府は継戦能力を高めるといいます。しかし島国であり、食料とエネルギーの大部分を輸入に頼っている日本が長期戦に耐えられるわけがありません。抑止力を高めて国を守ろうとすること自体に現実味がないのです。抑止力に頼った安全保障ではなく、周辺国と対話を重ね、さまざまな分野で協力を広げ、信頼関係を構築する外交の力で戦争が起こりにくい安全保障環境をつくり出していくことが必要です。これしか日本が平和に生きていく道はないのです。2026年5月17日 「しんぶん赤旗」 日曜版 7ページ 「進むミサイル配備」から「戦争の危険高めるだけ」を引用 この記事は理路整然として分かりやすい文章になっている。戦争の勃発を防ぐために「抑止力」を利用するというのは危険極まりない愚策であり、島国の日本に適した政策であるとは言えないと思います。隣同士の国が、互いに武器をもってにらみ合うよりは、日ごろから話し合いの機会を設けて互いの利害が対立にならないうちに解決策を話し合うという「道」が、これからの世界の在り方です。戦後のしばらくの間は、日本資本は家電製品や自動車の製造販売で繁栄して来ましたが、近年は家電も自動車も韓国や中国に追いつかれて、追い越されてしまったため、以前は「武器を輸出するほどに落ちぶれてはいない」などと豪語していたが、ここにきて遂に「武器」に手を出した、というのが日本資本主義の現状ではないかと思います。そういう資本家から選挙資金を得ている自民党議員だから、熊本市のような人口密集の町のど真ん中にミサイル基地を建設するなどという暴挙がまかり通ってしまう、こういう政治を許しておいてはならないと思います。
2026年06月08日
昨日の欄に引用した朝日新聞「交論-危うい核保有論」の中で、元外務事務次官の薮中三十二氏は、次のように批判的な見解を述べている;――高市早苗政権では首相自らや周辺から、戦争にまつわる勇ましい発言が相次いでいます。 「ちょっと理解に苦しむことが続きました。昨年11月の『(台湾有事は)存立危機事態になりうる』とした首相発言も、質問した方がおかしいみたいな議論が出ました。長く国会を見てきましたが、質問者が批判されるなど聞いたことがない。質問をどうかわすかが首相の腕の見せどころでもあるわけですから」――防衛強化に突き進んでいる印象です。 「私がすごく驚いたのは首相が都内での講演で、『(日本の)継戦能力を高めていかなければならない』と述べたことです。継戦能力というのは、弾薬や燃料などを中心に戦闘を継続できる能力を指す専門用語。もちろん防衛力強化の観点から継戦能力を高めておくのは当然で、防衛当局が粛々とやれば良いことです。しかし、『ウクライナをみても戦争は長く続く、だから継戦能力を高めなきゃいけない、そのために所得税を1%引き上げる』ということを一国の首相が言った。いったん戦争が始まれば多くの人が死んで、街は壊れ、領土まで奪われる。ウクライナの教訓は、何としても戦争を回避すること。そのための外交努力こそが大事です」 「この首相発言について朝日新聞は小さな記事を書いただけで、もっとしっかり報じるべきだと思いました」――……。昨年末には官邸幹部による「核保有」発言もありました。 「核の問題の議論自体がダメだとは言えないでしょう。ただ、何のために議論するのか。例えば米国の核をシェアする核共有というのがあります。韓国でも核共有が必要ではないかという声が出ています。だが米国の回答はいずれも『ノー』です。日韓に提供している拡大抑止の実効性を保てば十分なはずだ。米国からすると、自分たちが信じられないのですか、ということです」――高市さんは「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」の非核三原則のうち、「持ち込ませず」の見直しを持論としています。 「2009年、政権が民主党に移り、当時の岡田克也外相が外務次官だった私に、いわゆる日米の核持ち込み密約の調査を命じました。それを私の責任で全面的に調査し、公開しました。ただ、米軍が冷戦終結後に水上艦の核搭載をやめたことにより、密約の実際の意味はなくなっていました。米軍からすると、艦船に核兵器を載せる方が軍事的にはかえって危ない。原子力潜水艦に載せてあるから不要なわけです。そうなると、抑止力を高めるために三原則を見直し、『核持ち込みを可能にする』といっても、米国からすると時代に合っていない」――国会には「核武装は安上がり」と話す議員がいる時代となりました。 「これは核共有とは次元がまったく異なる。官邸幹部の『核保有』発言後、官房長官は非核三原則を堅持し、NPT(核不拡散条約)体制を守っていくと述べました。唯一の戦争被爆国として、日本は核廃絶を訴えてきた国柄です。そもそも(核保有は)本当に日本の安全につながるのか。抑止力を高めるのか」――実際に核保有となれば制裁など多くの困難が予想されます。 「核を持つとなれば、NPTに違反するわけです。北朝鮮みたいになってしまう。世界から批判も制裁も受ける。その覚悟があって言っているのか。大いなる矛盾だと思います」 「北朝鮮について言うと拉致問題は絶対に解決しなければなりません。同時に非核化のための外交をもっとやる必要があるが、それがあまり見えません。トランプ米大統領は北朝鮮を核保有国と言っており、非常に心配なことです。日本はもっと大きな声で非核化の必要性を言うべきです」――核兵器を全面的に禁止した核兵器禁止条約(核禁条約)に日本政府は参加していません。 「少なくとも核禁条約を敵視するのはおかしいですね。NPTでもなかなか核軍縮が前に進まない中で核禁条約ができました。確かに日本は拡大抑止という米国の『核の傘』を受け入れています。国民を守るという意味では必要です。同時に核は廃絶させるべきだとも考えている。今年、核禁条約締結国による初の再検討会議がニューヨークの国連本部で開かれる予定です。日本はオブザーバーででも加わるべきだと考えます」(聞き手・箱田哲也) *<やぶなか・みとじ> 1948年生まれ。外務省でアジア大洋州局長、外務審議官、事務次官などを歴任。「薮中塾グローバル寺子屋」を主宰。著書に「外交交渉四〇年 薮中三十二回顧録」など。2026年5月14日 朝日新聞朝刊 13版S 11ページ 「交論-危うい核保有論」から「NPTに違反、制裁の覚悟あるか」を引用 高市早苗はかねてから非核三原則の「持ち込ませず」を廃止して、米軍の核ミサイル搭載の艦船が自由に日本に寄港できる体制を整えるのが日本の安全保障を強化する「道」と考えていたようであるが、上の記事で藪中氏が指摘するように、現在の米海軍は艦船に核ミサイルを搭載することを止めているのであって、世の中は変化しつつあるということを、高市氏は理解していないようで、自分では「国家運営という重要な職務に従事しているので、いちいち週刊誌が指摘したような『疑問』に対応するようなヒマはない」などと言ってるが、どうも時代錯誤のような価値観で「国家運営」などやってみても、ロクなことにはならないと思います。もっと現実世界のことを的確に認識できる人物と交代しないと、この先日本はとんでもない災難に巻き込まれるリスクがあると思います。
2026年06月07日
高市政権になってから政府高官が堂々と核兵器保有論を唱えたり、アメリカをあてにすることが出来なくなったと知ったフランスが核弾頭を増やす方針になったりと、「世界の平和」が不穏な空気に包まれる中、5月14日付朝日新聞は外交・防衛問題の専門家にインタビューした記事を掲載しているが、その中で元防衛事務次官の黒江哲郎氏は、次のように発言している; 核兵器をめぐる議論がかまびすしい。核保有国が一方的な力の行使で国際秩序を壊す中、仏大統領は核弾頭を増やす方針を示した。日本でも昨年、官邸幹部が「核兵器を保有すべきだ」と発言した。この問題をどう考えるべきなのか。外交・安全保障のスペシャリストに聞いた。■倫理に反す、狭い国土ではリスク――核兵器をめぐる安全保障環境をどうみますか。 「ロシア、北朝鮮はもとより、中国による急速な核戦力の増強に警戒が必要です。『米国は本当に核の傘を差し掛けてくれるのか』と問われれば、今の米国のリーダーが日本と同じ考えなのかは、心もとない。疑念を抱くのは当然だし、議論をしなければいけない」――日本の「核保有論」をどう思いますか。 「私は絶対に反対です。国土が狭く、都市部に人口が集中し、敵国に対等な形でダメージを与えることが難しい。核弾頭製造だけでなく、情報通信や目標選定などの技術的課題もあります。仮に保有すればテロ攻撃のリスクも生じ、非常に高いレベルのセキュリティーが求められる。重大な原子力事故を何度も起こしてきた日本に、そんな安全管理ができるとは思えない」 「『強い兵器を持つのが一番いい』と考える人がいるかも知れませんが、私はそうは思いません。以前、ある人から『日本は核兵器を持つべきではないか』と問われ、私は『人の倫理に反するから持つべきではない』と答えました」――倫理ですか。 「その人は『安全保障に倫理を持ち出すのはおかしい』と言いましたが、安全保障の考え方の中にも倫理は当然、内在しています。戦争だからといって、何をしてもいいわけではない」 「核兵器は単なる大きな爆弾ではなく、はるかに残虐です。広島、長崎では人の頭上500メートルに『小さな太陽』ができたのと同じだったと言われています。熱線と爆風と放射線の中で多くの人が亡くなりました。その悲惨さを身をもって体験した同胞がいる。『俺たちが味わったのと同じぐらいひどい目にあわせるぞ』という考え方で核を持つのは、日本人の倫理観に合致するでしょうか」――なぜ、そう思うようになったのですか。 「原点は、中学生のときに地元の山形市のデパートで見た『原爆展』です。ふだん広島や長崎で展示されているものが巡回してきたのを見て、恐怖と嫌悪感で言葉を失いました」――日本周辺には核の脅威があります。 「危険性が高いのは『米国は報復を恐れて核を使わないだろうから、通常兵器で日本を攻撃しても米国は手を出せない』と相手が誤算する状況です。だからこそ、日本は核保有より通常戦力の整備を優先すべきであり、核の脅威は米国の核の傘に任せておく方が地域の安定につながります」――その米国が信用できない、という話では。 「米国はまだ民主主義国で、政治体制も比較的透明ですから、米国の核の傘に頼るのが日本にとって唯一の手段だと思います。日米両政府で信頼を積み重ねていくしかありません」――米国に頼る核抑止も非倫理的では。 「核兵器は廃絶すべきもので、わが国は真剣に核軍縮を訴えなければなりません。ただ、現実に核兵器を保有し、信奉しているリーダーたちは簡単に核軍縮には応じません。彼らに核の使用や脅しをためらわせるには核抑止しかないのが現実です。その際、核兵器を開発し、広島、長崎で使用した米国が、日本に核の傘を提供するのは当然の責務です。わが国も米国が核の傘を差し掛けるために何をすべきかをよく米国と協議して、必要があれば非核三原則の見直しも検討しなければならないと考えます」――これから世界で核武装論が連鎖する恐れも。 「危険な状況になるでしょう。でも私は、唯一の戦争被爆国に生き、その悲惨さに触れた人間として、わが国が自ら核拡散のお先棒を担ぐことなど絶対に反対です。米国の核の傘に頼らざるを得ないのは事実ですが、日本としては核を持たずに生き延びる方策を考えるべきだと思います」 「私自身は核抑止が必要だと考えていますが、最近の核保有国のリーダーたちの言動や振る舞いを見ていると、核抑止論は大丈夫なのかと心配になります。しょせん核抑止は、核保有国同士で互いの意図を推測しあっているだけです。これまでは世界のリーダーが合理的で理性的な判断をする前提で政策を組み立ててきましたが、彼らが本当に合理的な判断をするのか、何ら客観的な保証はない。そこに世界の行く末がかかっていると思うと恐ろしくなります」 「だからこそ、我々は米国の核の傘の信頼性を高めると同時に、全力で核軍縮を訴え、核廃絶を追求しなければいけないのです」(聞き手・小村田義之) *<くろえ・てつろう> 1958年生まれ。山形県出身。81年に防衛庁(当時)に入り、2015~17年に防衛省の事務次官。「国家安全保障戦略」など安保関連3文書改定に向けた有識者会議のメンバー。2026年5月14日 朝日新聞朝刊 13版S 11ページ 「交論-危うい核保有論」から「倫理に反す 狭い国土ではリスク」を引用 防衛相の事務方のトップを務めた人物だけあって、話が具体的で分かりやすい記事です。国土の狭い日本が核武装しても、有効な安全保障にはなり得ないとの説明は確かにその通りと思いますし、戦争だからと言って何をやってもいいというものではないという説明も、なるほど、そうかと思いました。やはり、日本は平和憲法を擁護し、近隣諸国との平和外交によって共に繁栄する世界を作り上げる努力に邁進するべきだと思います。
2026年06月06日
国民教育の分野に持ち込まれた「選択と集中」について、元文科官僚の前川喜平氏は5月17日付東京新聞コラムに、次のように書いている; 「選択と集中」という手法が大学政策に適用されてきた結果、基盤的経費が一律に削減される一方で、競争的資金は拡大し続けている。選ばれた研究拠点や大学には巨額の公的資金が投入され、選ばれない大学は困窮の度を深めている。 同じことが高校にも起きている。選ばれた高校への一点豪華主義的な国費投入政策は、2002年度のスーパーサイエンスハイスクールから始まった。―校当たり3千万円規模の支援額は、それまでの常識をはるかに超えていた。 今年2月には文部科学省が「高校教育改革に関する基本方針(グランドデザイン)」を策定し、強い経済や地域社会の基盤となる人材育成に取り組む公立高校を支援する政策を始めた。そのための基金を都道府県に作る資金として、昨年度の補正予算に3千億円の補助金が計上された。 その支援対象となる「改革先導拠点」として15日、富山県の2校と静岡県の4校が選ばれた。1校当たりの支援額は10~20億円の規模だという。高校にとっては途方もない巨額だ。高校全体の改革を先導する拠点なので、当該高校だけに効果が及ぶわけではないとしても、「集中」の度が過ぎている。 「選択と集中」は意図的に格差を作る政策だ。「教育の機会均等」という原則との矛盾は拡大するばかりである。(現代教育行政研究会代表)2026年5月17日 東京新聞朝刊 11版 19ページ 「本音のコラム-高校の選択と集中」から引用 「選択と集中」というのは、元々は企業戦略の一つで「限られた資本または予算を、可能性の高い部門に集中する代わりに、可能性(又は生産性)の低い部門は切り捨てる」という主旨の戦略である。そういう考え方を大学や高等学校に摘要するということは、偏差値の平均が低い学校やめったに全国大会に出ることのない学校は切り捨てるという、教育基本法の主旨に照らして如何なものかと、大いに疑問を禁じえません。優秀な県立高校に、いきなり「20億円の予算がつきましたから、頑張ってください」と言われても、そのような巨額の予算を管理する人材も雇用する必要が出てくるだろうし、なんだか本来の教育機関から逸脱していくのではないかと、著しく疑問を感じます。本来、国民は「教育の機会は均等」のはずだと思っているのに、現場がこのようになっているのは、ちょっとおかしいのではないでしょうか。税金は全ての国民から徴収するのに、予算の配分はそれぞれの国民の「でき」によって差を付ける、というのでは、国民は納得できないと思います。
2026年06月05日
資本主義経済の餌食となって没落していくアメリカを尻目に、神戸女学院理事長の内田樹氏は5月17日付東京新聞コラムに、「日韓連携論」について、次のように書いている; 今、本を8冊同時並行で書いている。そういう曲芸的なことをしなければならなくなったのは、一つには私のような病後の老人に仕事を依頼してくる非情な編集者がいるからであり、一つには私がつい依頼を受けてしまうからである。 編集者たちが非情になったのには理由があって、先年私がすい臟がんを患ったからである。「内田ももう先が長くなさそうだ。ならば生きているうちに書かせてしまおう」という焦りが彼らの督促を切迫したものにしている。こちらも生きているうちに言いたいことは言い尽くしておきたい。だから、8冊同時並行という椿事(ちんじ)となった。 ◇ ◆ ◇ 中に「韓国もの」が3冊含まれている。一つは『日韓連携論』。これは医療経済学者の兪炳匡(ゆうへいきょう)早稲田大学教授との対談本。一つは『街場の韓国論』。これはロングインタビュー。もう一つは韓国の政治哲学者ぺ・セジン氏との往復書簡。3冊に共通する論件は「日韓連携」である。 「日韓連携」は見慣れない文字列だと思うが、私はポスト・アメリカの外交安全保障戦略の基本はこれしかないと考えている。 「ポスト・アメリカ」というのは「アメリカ抜きの」という意味である。NATOはつとに脱アメリカの集団安全保障構想にシフトしているし、アジア諸国は中国との連携強化シナリオを検討し始めている。「日米同盟基軸」と呪文のように唱えて「ポスト・アメリカについてノープラン」というのは世界でもたぶん日本だけである。 日韓連携はノープランの日本にとっての「プランA」である。 日韓が連携すると、人口は1億7400万人、GDPは6・3兆ドルでドイツを抜いて世界3位、軍事力もインドを抜いて世界5位。巨大な経済圏が東アジアにできる。兪先生と私のアイデアは、日韓が一国二制度で連携して、米中の間に中立地帯を形成し、西太平洋地域を安定させるというものである。 遠く明治の樽井藤吉の『大東合邦論』、大正の末永節の高麗国構想、出口王仁三郎の満蒙(まんもう)連邦構想と同根のものである。 日韓連携については明治から昭和までさまざまなアイデアが提示されてきた。当初は対等合邦論だったが、それまで朝鮮に対して友好的だった福澤諭吉が「脱亜論」に転ずるに及んで、朝鮮蔑視の機運が醸成された。そして、1910年の日韓併合という植民地主義的な解に流れ込み、日韓連携構想は思想的にも政治的にも破産したのである。 ◇ ◆ ◇ 今は国力において日韓の間には一方が他方を併合するというほどの差がない。今度こそ「対等合邦」の夢を果たしたいと、在日コリアンの兪先生と私の2人で妄想を逞(たくま)しくしているのである。 日韓連携論は日本のメディアではまず論及されない論件である。これまでお会いした政治家で、日韓連携論に肯定的に反応してくれたのは鳩山由紀夫元首相ひとりである。 一方、韓国ではこの論件についての反応がまったく違う。ここ数年、韓国に行く度(たび)に「日韓連携」について取材を受け、講演を求められる。聴衆は熱心に聴いてくれるし、新聞も報じてくれる。「日韓連携」が現実的な解であるかどうか、韓国の人たちは冷静に思量し始めている。日本人も潮目の変化に気づくべきだ。2026年5月17日 東京新聞朝刊 11版 5ページ 「時代を読む-日韓連携論」から引用 アメリカの衰退はトランプ大統領の1期目で既に「もう世界の警察官役は辞める」と発言したことに示されており、2期めには「貿易赤字」を減らせば少しは国力も持ち直すかも知れないと、やっては見たものの、かえって国内経済は混乱し物価上昇はますます進んで国民生活を圧迫する結果となっている。このようなアメリカに、日本はいつまでも頼っていてはらちがあかないというものであり、東アジアの安全保障については、新しい道を模索する時期に差し掛かったと判断するべきだと思います。アメリカの没落とは言え、実際に国際社会から存在感や発言力がなくなるまでには、まだ20~30年は掛かるであろうから、その間は、米中2大国の間にあって日韓が連携して西太平洋地域の安定を実現する「柱」となることは、実に重要なことだと思います。このような「日韓連携」論について、両国の国民の間に反応の仕方に差があるというのは、興味深い問題ですが、これは自らの闘いによって民主主義を実現した韓国と、GHQのサポートがあって民主主義を手にした日本人との政治に対する感性の違いであって、内田氏の著作を読むことによってこの「落差」が克服されることを望みます。
2026年06月04日
皇族数確保のために皇室典範を改正するという高市政権の方針について、元宮内庁書陵部編修課長の鹿内浩胤氏(63)は、5月17日付東京新聞で、次のように問題点を指摘している; 皇族数の確保を狙いとする皇室典範の改正に向けた衆参両院の全体会議は、全ての党派が意見表明を終えた。今後は取りまとめに入る。ただ、30年以上、皇室の歴史や制度を研究してきた宮内庁書陵部の元編修課長でお茶の水女子大客員研究員(日本史)の鹿内浩胤さん(63)は「過去の議論で選択肢から除外された養子案が前面に出てきている。論理的に整合性を欠く拙速な議論で、強い危惧を覚える」と問題視する。(井上靖史) 主に議論しているのは2021年に政府の有識者会議が答申した(1)女性皇族が婚姻後も皇族の身分を保持する(2)養子縁組を容認し、対象は1947年に皇籍を離脱した旧11宮家の男系男子とする-の2案。いずれも現行の皇室典範では認められていない。(1)では夫や子を皇族としない方針だ。 鹿内さんによると、養子案を除外した過去の議論とは、小泉純一郎政権時代の05年にまとまった有識者会議の報告書だ。「憲法上の平等原則との整合性」や「歴史的な類型が未確立である」として選択肢から外れたという。これがクリアされたという報告も政府からないまま復活したことは「一貫性の観点から極めて特異と感じた」という。 ほかの観点でも養子案は疑問が多いとみている。皇族の養子を禁じた皇室典範9条の精神は、皇位という公的な地位を「人為」から遠ざけることにあると紹介。「当事者間の私的な合意が基盤となる養子縁組では皇位継承の世襲の客観性が揺らぎかねない」と話す。 養子案を推す人が「過去に皇籍に復帰した事例がある」として挙げる平安時代の宇多天皇については、歴史史料「大鏡」の記述から「当時は身分秩序の破壊とみなされていた特例」と紹介し、「一度人臣に降(くだ)れば戻れない不可逆性の法理を逸脱している」という。 (1)の女性皇族が婚姻後も皇族の身分を保持する案も、夫や子を皇族としなければ問題とみる。「一般女性が皇族との結婚によって皇族になる現行制度は、明治の皇室典範で導入された『家の原理』に基づいている。女性皇族の夫も皇族にしないと整合性はとれない」 鹿内さんは憲法で天皇の地位が「国民の総意に基づく」とされていることに触れ、国民が主体的ご参加できるよう「皇室典範国民会議のような場で熟議を尽くすべきだ」と提言する。2026年5月17日 東京新聞朝刊 12版 3ページ 「『養子案、論理的整合性欠く』皇室典範改正」から引用 小泉純一郎政権のときに問題点として指摘された事例について、クリアされたという報告がないまま再提出され、現政権は「クリアされた」との認識がないままで今回は「可決成立」に持ち込もうというのは、あまりにお粗末な議論で、これでは皇室の将来にあまり良い結果を期待することは難しくなるのではないかと思います。そもそも皇室の人間も一般人も、現行憲法の下では平等な人間同士なのであって、それを一方は「皇族」で他方は「一般人」と分けるのが不自然の始まりなのだから、いずれ近い将来は「昔は『皇族』と『一般人』とは別々だったんだよ」と昔話ができるように、憲法が理想とする社会の実現に向かって、私たちは努力するべきだと思います。
2026年06月03日
アメリカは中国をどのように認識しているのか、毎日新聞専門編集委員の伊藤智永氏は16日付同紙コラムに、次のように書いている; ニュースにならなくても、国会では時に傾聴すべき議論が行われている。参院の国際問題に関する調査会(鈴木宗男会長)で13日、現下の国際情勢における東アジアの安定に向けた日本外交の課題について、有識者が意見を述べ、議員と質疑を交わした。 まず元駐中国大使の宮本雄二日中友好会館会長(79)。物心ついてからずっと、日本はなぜ負けると分かっていた戦争をしたのかを考え続けているという。 一つは、戦前の日本が中国認識を誤ったから。対華21カ条要求への反発から中国に広がったナショナリズムと愛国主義への理解が不十分なまま、中国大陸へ足を踏み入れ、泥沼にはまりこんだ。 もう一つは、米国認識も誤ったから。戦前の日米で唯一本質的な対立点は中国だった。米国は中国市場を開けと迫り、日本は撤退要求をのまなかった。太平洋戦争の出発点は中国問題だった。 今と似た構図が戦前にあり、日本は判断ミスで国を滅ぼした。 これから米中2大国は長期競争関係をどう管理していくか。日米同盟を過信し中国の軍拡だけに目を奪われていると再び誤る。 次にロシア・現代朝鮮史専門の和田春樹東京大名誉教授(88)。いきなり「今日のウクライナは明日の東アジアかもしれない」という岸田文雄元首相の言葉は不適切だったと切り込み、1941年ドイツがソ連に侵攻した時、日本がヒトラーを助けようと東西から挟み撃ちしなかったのは唯一賢明な選択だったと説き始めた。 以下、「ブルーリボンのバッジを胸に付けて、米国大統領に支援をお願いする以外何もできていない」拉致外交を批判し、突破口としての対北朝鮮国交正常化、さらに北方領土2島返還、日韓中露と北朝鮮に米国も加えた「北東アジア6カ国」による地域管理構想まで、大胆な提案を並べた。 憤激を買うのは承知だろう。議員も疑問をぶつけていた。だが、常識は本当に「思い込み」「決めつけ」でないのか。やりとりはインターネットで視聴できる。 第二次大戦後国際秩序を、作った米国自らが壊し、台頭した中国が新たな守護者を名乗る転換期。米中を単純な対立関係で理解すると、日本はまた間違える。 朝鮮戦争以来の米中対立を劇的に転換した「ニクソン訪中」。発表の3カ月前に月刊誌でそれを予言したジャーナリストの松尾文夫氏は「米中関係は日米よりずっと長く深い」が持論だった。ペリー浦賀来航の半世紀以上前に始まる米中「共生」の歴史研究に終生余念がなかった。(専門編集委員)2026年5月16日 毎日新聞朝刊 13版 2ページ 「土記-米中大競争時代の日本」から引用 日本はなぜ負けると分かっていた戦争をしたのか。それは、分かっていてもそれを口に出して言えば、己の地位が危うくなるから、口に出せなかったというのが真相だったと思います。もし天皇が「中国は国土が広いし、人口も多いから、わが国の国力では勝利は難しいのではないか」などと言えば、当時の軍人は「今上天皇は弱気だから、弟の宮と交代させよう」などと策略を巡らしたであろうことは容易に想像できるし、軍部の中でも冷静に考えて「今は闘う時ではない」と公言した軍の高官が、白昼、事務所で日本刀で斬り殺される事件も起きている状況であったのだから、冷静な国際情勢の分析などと言う上等な情報活動などとは無縁な軍隊であり国家であったのだから、敗戦は「当然の結果」であったと考えられます。そしてその敗戦から80年経った今日、日本は少しでも上等な国家になったかと言えば、実は残念なことに、あまり変わり映えのしない状況であることは、高市早苗のような者を首相にしていることからも、容易に判断ができるというものでしょう。高市早苗はトランプが中国を敵視していると思い込んで、何かちょっとした機会があればすぐに自衛隊を派遣してそれなりの「成果」を上げて、トランプの「お気に入り」になって安倍信三をしのぐ長期政権を樹立したいとでも考えているのかも知れないが、これが飛んだ勘違いで、前回の訪中の折には、トランプ自身は習近平主席に対し実に礼儀正しく、言葉を選んで習氏の国家運営の手腕をほめたたえていた、あの様子からは、トランプは「高市のような無能な政治家は黙って引っ込んでいればいいのであって、変に出しゃばって妙な問題を起こすのだけは止めさせなければならない」といった心持であろうことは容易に想像がつく。私たちの日本は、二度目の「判断ミス」をやらかす前に、無能な首相を早めに交代させるべきだと思います。
2026年06月02日
病院を空爆し患者も医療従事者も皆殺しにするイスラエルの国家犯罪を記録したドキュメンタリーフィルムを、BBCは放映を見送ったのに他の放送局が放映して英国アカデミー賞を受賞したことについて、文筆家の師岡カリーマ氏は、5月16日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 「ガザ:攻撃下の医師たち」は、イスラエルによるジェノサイド(集団殺害)の最中、医療システムが組織的に標的にされる中で奮闘する医師らを撮った英国のドキュメンタリーだ。これを放送する予定だったBBCが内容に不満を示し、却下したために別のテレビ局が買い取って放映、大きな話題になった。 作品が「中立性を欠く」というのがBBCの言い分。軍事強国が「屋根のない監獄」と呼ばれたガザに爆弾を降らせて多くの子どもを含む7万人以上を殺し、食料供給を断ち、医療施設を攻撃している状況で、中立もヘチマもない。「現実を撮ったら圧倒的にイスラエルが加害者だった」というだけのことだ。これはいわゆる「戦争」ではない。中立を決め込むことは加害への加担に他ならず、聞こえがよい中立より重視されるべきなのは、正義なのだ。 この作品が、時事部門で英国アカデミー賞を受賞した。制作陣は「1700人以上の医療従事者が殺害され、400人が捕らえられた」として、今もイスラエルに拘束されている人々に、そして撮影を担ったガザのジャーナリストに賞を捧げ、「私たちは沈黙も検閲も拒否する」と宣言した。 今回の受賞に込められたメッセージがBBCに届くかは甚だ疑問だが、今後この作品を日本でも上映または放送して、違いを見せつけたいものだ。(文筆家)2026年5月16日 東京新聞朝刊 11版 21ページ 「本音のコラム-中立より正義」から引用 ガザの惨状について、この期に及んで「中立性」を理由にイスラエルの肩を持つBBCの価値観は、理解が出来ないと言うほかありません。イスラエルという「国」が現在の位置に樹立された時から、パレスチナの人々への人権侵害が始まったのであり、イスラエルという国が存在していること事態が「犯罪」なのだと考えるほかありません。世間ではハマスをテロ集団と言いますが、彼らのテロ行為などはイスラエル国家の犯罪性に比べれば、足元にも及ばないと言えるでしょう。このような凄絶な事実をありのままに報道する姿勢は、日本のメディア関係者も大いに模範としてメディアのあり方を考えていただきたいものだと思います。
2026年06月01日
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