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オルフェーブルは強かった 馬三・人七かどうかしらないが 少なくとも馬七・人三にしか見えなかった いまの日本の政治風景には 馬 つまり 駆ける人と 人 つまり 駆ける人を助ける人 いずれも力不足である 馬にまつわる格言は多い 「鹿を指して馬と為す」 秦の始皇帝の死後 二世皇帝の胡亥を操ったのは 宦官の趙高だった ある日 趙高が馬だと称して鹿を献上した すると胡亥は「いやこれは鹿だ」と否定した 趙高は臣下に意見を求め 正直に鹿だと答えた者を殺してしまう 自分に背く者は容赦しないというわけ これがもととなり この言葉は他人にまちがいをおしつけることを 指すようになった (史記) どこかの国でも見たことがあるような話ではないか 「馬には乗ってみよ 人には添うてみよ」 「馬の背をわける」 「馬の耳に念仏」 「馬は馬づれ」 どれも真実をついているし現代にも通じている
2011.05.31
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夢で見た バーチャルな世界である ウラン・セシウム・ストロンチウム 放射能に汚染された瀕死の海 海底の破船に閉じ込められているオレ・オレ・オレ 計器はすでに 二万テラベクレルを示している これだけの放射線のなかでは 海棲生物は死滅するか 遺伝子に変調を来たすしかない その証拠に 海胆は 巨大な棘皮を 砲身のように 球体の全方位に向けて突き出し まさに 海底にうごめく巨大地雷だ 海星(ひとで)は 五足歩行の カブトガニのお化けだし フジツボも牡蠣も・・・・ 堅牢な表皮か それを覆う石灰質の殻を具え 強靭な破壊力を秘めた 咀嚼口をもった そんな生きものだけが 生き残っているらしい しかもそれらは 食物連鎖と突然変異によって この世のものとも思われぬ おぞましいモンスターと化しているのだ もっと恐ろしいことに これらモンスターは 津波で海底に沈んだ 破船や瓦礫までを バリバリ食っているではないか 死の海と化した水中には 魚類は死滅したのか モンスターに食い尽くされたか まったくその姿はない おお 神様・・・ オレ・オレ・オレは 巨大な海胆の口蓋に 破船とともに噛み砕かれそうになったとき 思わず叫んだものだ おお 神様・・・と 刹那 あれは迦陵頻伽の声だったろう 鈴を振るような響きが 水面から届いた ・・やめよ 人を殺めるのだけは・・・と 海底の幽かな光を透して あれは 瑞雲に乗った 観世音菩薩のお姿が見えた オレ・オレ・オレは いつか画集で見た 狩野芳崖描くところの 「悲母観音」を彷彿としていた そこで夢は終わったのだが あれはいったい 何の啓示だったのだろう 芳崖は ジョルジョーネの 「祭壇の聖母」に 暗示を得たというが されば 神と仏とその僕である人への救済があるとせば・・・ いまもまだ夢の荒地をさ迷っている
2011.05.30
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きみもコクリコ われもコクリコ 雛罌粟の赤い花が咲いてはいるが 燃え盛るほどの群落でもない この街には マロニエの並木道はなし ましてやパリ祭の祝典もない <テッペンカケタカ> 森にはほととぎすの 場違いな声もして ああ 五月 メイフラワー 賞味期限は 明日で切れるというのに
2011.05.30
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原子炉の「注水」が 「中断した」 いや「継続していた」 言ったとか言わなかったとか・・・ 問題の核心が 右往左往していて悲しくなる こちらは 「注水」の字面から つい 「主水」(もんど)を 思い出してしまった テレビの時代劇 「必殺仕掛人」が懐かしい 今は亡き藤田まこと扮する中村主水 昼は奉行所の下っ端役人 夜は裏稼業の殺し請負人 悲しいかな主水は婿養子 家へ帰れば 菅井きん扮する姑と 白木マリ扮する嫁に 軽く軽く扱われるのです 「母上 今夜のおかずはまた目刺しですか」 「婿殿 尾かしらつきの目刺しですぞ 物価高騰の折柄 目刺しといえども 決して粗略にはできませぬ」 かつて 日本経団連の元会長土光敏夫さんは お昼の弁当に目刺しを食っていた 土光さんは粗食で有名だった 目刺しが好物だったそうだ 土光さんは偉かったと思う リストラ・給料カット反対の高級官僚も 大企業の高給社員も いまこそ 土光さんの真骨頂を見習えばいい そもそも目刺しは 大衆魚の王様 鰯を加工したもの カルシュウムも脂肪も蛋白質も豊富 優良食品の一つなのです 中村主水必殺の剣が冴えるのもそのせいか だから ぼくだって 「今夜のおかず また目刺しか」 なんて 言わないことにしている
2011.05.29
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みちのくの海には 西洋人にとっては 怪奇な魚介・軟体動物が多い 海鞘・海鼠・蛸・海胆・河豚 ほや・なまこ・たこ・うに・ふぐ 古代ギリシャの哲人アリストテレスが 海胆に関心を持った理由も きっと 海胆の怪奇性にあったに違いない 海胆のもつ <アリストテレスの提灯>が 幽かにともる核の時代に (高野公彦) ところで 怪奇性という点においては 核を含めた 原子の世界・原子力についても 同様である 怪奇という表現は 至って文学的で これを自然科学に当てはめれば つまるところ 怪奇⇔未知⇔理解不能 ということ 多くの自称・他称専門家が 既知・理解済とするのは 大いなる誤解・思い上がりに基づく 未知⇔半知半解⇔未理解 という謙虚な認識を持った上で その利用(原発はその一端に過ぎない)の スキームを構築してきたならば 「ふくしま」の悲劇も これほどまでに被害拡散を もたらさずに済んだであろう しかしながら 原子力村の住人たちは いまだに 今後に起こり得る怪奇性の連鎖へ 謙虚な想像力をめぐらすことが出来ていない この場合の出来ていないは物理的なcan notを意味しない もともと発想・発想する資質の持ち合わせがないという 形而上的な欠陥なのだ 専門家とは ある狭隘なカテゴリーに特化したオタクの謂いではない 専門性とは ある現象から導く演繹・帰納のベクトルを 自在に操りかつ過つことのない能力である メディアにしばしば登場する 自称・他称専門家には 理念も哲学の片鱗も広汎な見識も見られない そこに見られるのは 傲慢で滑稽ともとれる 他を見下した視野狭窄的な疾病性そのものである これは 国民にとっては不幸である いまは IAEA の良識を俟つばかりである
2011.05.26
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暮れなずむ夕影 ライラックの花房が ひっそり浮んでいる 鬼ごっこの鬼も かくれんぼの鬼も とっくに家路へと帰った遊園地に ぶらんこだけがが二連三連揺れている 安息という名の指定席が もしここにあるのなら 今は思惟の振り子を ぶらんこに託して漕いでみよう カンターレ マンジャーレ アモーレ 今日の傷心と 明日への希望に 手探りの明後日を綯いまぜて ぶらんこを漕いでみよう 大きく漕いでみよう <取り敢えず今日はこれで失礼します> 夕日までもが 素っ気ない顔で 沈んでしまったけど <ぎーこ ぎーこ> 鉄製のわっかを鳴らしてみよう
2011.05.26
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道のかたわらに ユーカリの樹が茂っていた 朝な朝な それは蒼穹に梢をかざし 夜は夜で 枝枝に満天の星を宿しているかと思う程に 巨きな巨きな ユーカリの樹だった 十年前 ユーカリの樹は まだまだ元気だった 新緑の季節には さやさやと鳴る葉ずれの 音とともに ユーカリ油独特の芳香を あたり一面に発散していたものだ ちょっぴり植物にか関心のある人なら 葉っぱの香りをいち早く嗅ぎわけて <うん、これはやっぱり オーストラリア原産の ユーカリそのものだ しかし、この辺は 分布の北限を超えている筈 まあ、それにしても 立派なものだ> などとつぶやきながら 鋼のように固い 樹皮をそっと なでてみたりしたものでした コアラ人気の高いころ <コアラはユーカリの葉しか 食べないものだから> ユーカリの樹も 注目をあびていたのです 道路もユーカリのわきを 迂回するように つけられていたのです しかし 気まぐれなのは人の世の常です エリマキトカゲにうつつを抜かし やれ ラッコだ パンダだ いや カルガモがかわいい 猫の タマ駅長は素敵だなどと 勝手に評価し 勝手に忘れたりするのです コアラ人気が後退した頃から ユーカリも少し 気落ちしたのでしょうか 樹勢にやや衰えが 見え始めたようです そもそも この樹は この土地の篤農家が ずっと以前 何かの記念にと わざわざ植えたものらしい 道理で品格の具わった 風雪を偲ばせる名木でした 三年前 このあたりは区画整理され 道路は舗装され 環境もすっかりかわりました 動物愛護 自然保護 花いっぱい 緑いっぱい 言葉だけはかしましく しかし どこか虚ろにひびくなか ユーカリは省みられることも少なくなりましたが 為すすべもありませんでした 気息奄々として それでも ユーカリは 去年いっぱいは頑張っていたのです だけどこの春 充満する排気ガスの中で とうとう枯死してしまいました 芽生えの力を喪って 幹と枯れ枝だけになった ユーカリの残骸が モニュメントのように 黙ってつっ立っているのを見ると 今日も 心が芯から痛むのです
2011.05.23
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「ネットでチケットゲットしたからさ シアターしようぜ」 なんのことはない インターネットで切符を購入できたから観劇に行こうよ ってことらしいが こんな日本語しか話せない現代の若者に 全幅の信頼をよせて 日本の将来を託することができようか 学校教育がわるかったのか 劣悪な学校教育をもたらした 政治や官僚がわるいのか 電車のなかで ひとりにやにやしながら ケータイ(ほんとは携帯電話ときちんと言いたいのだが)を いじくりまわしている そこの若者よ 目の前のお年寄りに席をゆずってあげてよ さっきから お化粧に余念がないそこのお嬢さんも 目の前の 赤ちゃんをだっこした若いお母さんに 席をゆずってあげたらいかがですか みんなみんな どんな若者も いずれ将来は 立場が逆になるのだから
2011.05.21
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時は平安 永歴元年 加賀は南も 鄙の里 はらはら椿 咲くなべに 生を享けたる 星ひとつ 如何なる星座に 恵まれて 光芒いずこに 往くものか 乙女十四の春浅く 今様の舞 舞わんとて はるばる京へ上りゆく サンタマリア 護り給え まいまい扇 舞扇 挿頭(かざし)の花はまんじゅしゃげ 仏・仏と称ばわれて 京に名だたる白拍子 玲瓏 玉をもあざむけば 祇王・祇女にもまさりける <君をはじめてみる折は 千代も経ぬべし姫小松 御前の池なる亀前に 鶴こそむれゐてあそぶめれ> 入道相国御覧ぜよ サンタマリア 許させ給え 月に群雲 花に風 <萌え出づるも 枯るるも同じ野辺の草 いずれか秋にあはではつべき> 仏を恨むは 詮もなし 恩寵の絆 はかなくて 宿世のえにし 絶えしとき 消ゆるさだめの 姉妹星 嵯峨の奥なる山里に 柴の庵をひきむすぶ 祇王・祇女こそあわれなり サンタマリア 救い給え 春過ぎ夏もたけにけり 白露の風も吹き初めつ 諸行無常の 世のならい 栄華の夢も浅かりし 今は 祇王と祇女・仏 後生のことを念じつつ 得度の道を歩むなり 仏 齢は十と七 安元元年の秋という サンタマリア 導き給え
2011.05.20
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千鳥鳴く鳴く 冬祭り 能登は福浦 腰巻地蔵 あの子供えた 赤りんご 今日も斜めに 雪が降る 岩の狭間は くらやみ祭り 双つ海鵜が 見る夢は 水と空との モノトーン 沖ノ漁灯 まぼろしか 鴎とべとべ 魂祭り 曽々木往還 波の花 昔は ゴゼの 通い道 鴇色かんざし 目に浮ぶ 鳥獣虫魚 魍魎祭り のすり夜鷹に ちょうげんぼう 百里小千里 涯なくて 唄う 海路の 漂鳥譜
2011.05.19
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天険に雪降り 炎顕つ 白いなだりを 寸秒の逡巡を許さず 水は奔り そして 原初の 生命を得た ブナや小楢の 樹海を二分し そのとき水は 怒り 疾駆し 叫喚し 銀色の光を放った しかしあれから 岸の雪庇を ゆるがしつき崩し 一瀉千里の 蛇行を過ぎて 水は 大河に収斂し 中空にかかる 月をうつして 悠々と流れている 流転する人間(じんかん)とは 無縁の様で
2011.05.17
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鋭い銃声がはじけ あなたの耳朶は 朱に染まる 撃鉄土壇に墜ち 血漿にまみれた その瞬間 宇宙は動きを止め 深い静寂に つつまれたようだ うっすらと流れる 硝煙が晴れると 突如 「サイプレス(糸杉)」が ゴーッと風に揺らぎ 「はね橋」は きしんだ音とともに ゆっくり開渠し・・・・ めくるめく南フランスが 眼前にひろがる 気がつけば 外は春の嵐 わたしの冷たい脳裡に あなたの死が 色鮮やかに 昇華する
2011.05.17
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鹿を追う猟師は山を見ずと云う事あり 身の苦しさも悲しさも忘れ草の 追鳥高縄をさし引く汐の 末の松山風荒れて 袖に波越す沖の石 又は干潟とて海越しなりし里までも 千賀の塩竃身を焦がす 報いをも忘れける事業をなしし悔しさ そもそも善知鳥やすかたのとりどりに 品変りたる殺生の中に無慙やなこの鳥の 愚かなるかな筑波嶺の 木々の梢にも羽を敷き 波の浮巣をも懸けよかし 平沙に子を生みて落雁のはかなや 親は子を隠すとすれど 「うとう」と呼ばれて 子は「やすかた」と答えけり さてぞ捕られやすかたうとう 親は空にて血の涙を降らせば 濡れじと菅蓑や笠を傾け 此処彼処のたよりを求めて 隠れ笠隠れ蓑にもあらざれば なほ降りかかる血の涙に 目もくれなゐに染み渡るは 紅葉の橋のかささぎか 娑婆にては 善知鳥やすかたと見えしも 善知鳥やすかたと見えしも 冥土にては 化鳥となり 罪人を追ったて 鉄の嘴を鳴らし 羽を搏き 銅の爪を磨き立てては 眼を掴んで 肉をさけばんとすれども 猛火の煙に咽んで声をあげ得ぬは 鴛鴦を殺しし科やらん ・・・・・ たすけて賜べや 御僧たすけて賜べや 御僧と言うかとおもえば失せにけり 生きていくために おかさねばならぬ人間の 罪の原点をえぐって 主題、詞章、演出ともに傑出 深刻かつ無雑の表現で 能は語るのであるが・・・ ひるがえって 自然の災害に起因するとはいえ 親子、兄弟、知人、家族 幾多の死別、離別という悲劇をもたらした こたびの東日本大震災を見るとき これはリアルな現実世界の問題として 人間社会の不条理やら無常やらが あらためて「善知鳥」伝説へと フラッシュバックするかのように 想起されてならないのである (おわり)
2011.05.16
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うとう(善知鳥)を 能の世界に取り入れたのは 世阿弥元清であった 謡曲「善知鳥」の冒頭は 『これは諸国一見の僧にて候。 我れいまだ陸奥外の浜を見ず候程に、 この度思い立ち 外の浜一見と志して候。 又よき序にて候程に 立山禅定申さばやと存じ候。 急ぎ候程に、これははや立山に着きて候。 心静かに一見せばやと思い候。 さても我この立山に来て見れば 目のあたりなる地獄の有様。 見ても恐れぬ人の心は。 鬼神よりなほ恐ろしや。 山路に分かつ巷の数多くは 悪趣の険路ぞと涙も更に止め得ぬ 慙愧の心時過ぎて 山下にこそは下りけれ 山下にこそは下りけれ』 『なうなうあれなる御僧に申すべき事の候』 『何事にて候ぞ』 ・・・・・ 越中の立山で禅定をした旅僧が 山を下りてくると 一人の老人が現れて 陸奥へ下られるのであったら 去年の秋に死んだ 外の浜の猟師の家を訪れて 蓑笠を手向けるように伝えて下さいと懇願する そして証拠のためにと 着ていた麻衣の袖を解いて渡すのだった 旅僧はそれを引き受けて別れた 旅僧は猟師の遺族を訪ねて 妻子に亡者の伝言を語り 蓑笠を手向けて回向をしていると 猟師の亡霊が現れ 娑婆で猟師を渡世とし 善知鳥を殺した報いで 今は化鳥となった善知鳥に 苦しめられている地獄の様子を示し 僧の助けを求めて消え失せた
2011.05.12
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滝沢馬琴の「烹雑記」という書に 『さて、うとふを善知鳥と書く由は、 この鳥甚だしく人を恐れ、又 善くその友を愛す。 もしその一隻を猟師に捕らるれば、 諸鳥そのほとりを飛び廻りて泣く事止まず。 涙を落す雨の如しとなむ。 故に善知の二字をあてたる歟』とある。 また、伝説によれば、第19代允恭天皇の御世 (在位=412~453)に、烏頭中納言安方 という貴人が勅勘を蒙って都から津軽外ヶ浜に 配流された。 その子も南国の果てに流されたが、ふたたび 会うこともなくそれぞれの地で没した。 ところが、死後安方の墓の上に、いままで誰も 見たこともない鳥が飛んできて、親鳥が「うとう」 と呼ぶと子鳥が「やすかた」と応えた。 それを聞いた村人たちが、これはきっと烏頭父子 の生まれ変わりに違いないと思い、堂を建てて 二人の霊をなぐさめたという。 藤原定家が 「陸奥の外ヶ浜なる呼子鳥・・・」と詠んだのも この伝説によっている。 さて、東日本大震災も50日を経過して漸くにして 余震の回数・規模が小康状態を保ち、原発事故も 多くの危機を孕みながらとはいえ、収束の端緒が 仄見えてきたという段階だろうか。 「松島や ああ松島や 松島や」と 俳聖芭蕉をしても、天下の景勝の前ではただ絶句 せしめた松島。 その観光遊覧船が運航を始めた。 船の周りを、あれはウミネコだろうか、 それともカモメだろうか、 数十羽となく群れをなして飛び交っている。 こんな情景をテレビの画面を通じてだがみるとき、 ゆくりなくも、ウトウのことも思い出すのである。 おそらくは、ウトウは遊覧船の周りを仰々しく 追いかけるような鳥ではあるまい。 この度の津波は、本州北端を迂回して陸奥湾の 湾入部にまで、おおきな災害をもたらすことはなかった。 きっと、ウトウの生息地は無事だったのではなかろうか。 だが、ひとたび太平洋沿岸の三陸海岸に至れば、 その惨憺たる瓦礫と化した港港にいやでも遭遇するだろう。 遥かな昔、 前史時代ともいうべき允恭帝の時に始まったウトウ伝説。 それから500年後の清和天皇の貞観年間にも 三陸海岸を巨大な津波が襲っている。 さらには、その700年後、高田屋嘉平衛が津軽に足跡を 印した。4半世紀後の平成23年、再び三陸に大津波が 押し寄せた。 時間という無限大のスパンのなかで わたしたちが見ることができるのはほんの ミクロの単位にも及ばないだろう とはいえ、 ウトウという生きものの生きてきた証しは これからも 人間の生の営みとともにあるのだろう (つづく)
2011.05.08
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陸奥(みちのく)の外の浜なる呼子鳥 鳴くなる声はうたふやすかた (藤原定歌) ウトウは主に北海道の天売島(てうりとう)のほか沿岸の島々 青森県、宮城県の島々で集団繁殖し、草の生えている柔らかい 地面に横穴を掘って営巣する。 繁殖期には雌雄ともに親鳥の上嘴基部に角質の突起が生じる。 繁殖期が終わればこの突起は落ち、沿岸海域で生活する。 語源には諸説がある。 1) 青森県や秋田県などで、穴や洞をウトという。 青森県浅虫の近くに善知鳥崎(うとうまい)がある。 この付近の海岸にウトウが棲息していた。 ここに近い青森市安方にある善知鳥神社の祭神、 創建の由来には諸説があり、さらに「善知鳥安方伝説」 がある。 2) 巣穴の意のウトにカワウ、ウミウと同じ(鵜)の字がつき ウトウ(穴鵜)となる。 3) 陸奥地方の方言では出崎(海に向かって突き出している 地形)をウトウという。繁殖期に上嘴基部に生ずる突起 と出崎からウトウという名がついた。 4) アイヌ語でetoというのがこの鳥である。 英語; Pninoceros Auklet 学名; Cerorhinco monocerata
2011.05.05
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「うとう」という鳥がいる 漢字では「善知鳥」と書く ふしぎな鳥である 伝説にも出てくる 謡曲にも登場する 地名にもなっている 鳥を歌った童謡はいくつもあるが 詞もメロディーも どこか哀調を帯びているのは 何故だろうか 想うに それはきっと 陸地に定住する人間にとって 鳥のように漂泊するものへの 愛憐の情がどこかにあって それが心象風景として つい現れるのではなかろうか 「浜千鳥」 鹿島鳴秋作詞 青い月夜の 浜辺には 親をさがして 鳴く鳥が 波の国から 生れ出る ぬれた翼の 銀のいろ 「かもめ」 室生犀生作詞 かもめ かもめ 入日のかたに ぬれそぼち ぴようと鳴くは かもめ鳥 あわれ都を のがれきて 海のなぎさを つたいゆく といった具合である さて 司馬遼太郎の「菜の花の沖」を いま読みなおしている。 この長編小説の主人公高田屋嘉平衛(1769~1827)は 淡路島の百姓の長男として生まれたが、 やがて兵庫に出、船頭となり長崎、下関などの 物資輸送に従事するようになる。 その後、東北の酒田、庄内へ赴き、 1500石積みの船持船頭として独立し、 兵庫、酒田、函館、蝦夷地から大坂を経由し 北前船交易を始め、江戸後期の 蝦夷地開発の海運業者として大をなすに至るのであるが・・・ そのなかに、こんな一節がある。 「・・・津軽藩の城下弘前は内陸にあるために、 藩がろくに人家もなかった<善知鳥>という浜に 湊をひらき、青森と名づけた。・・・」 「・・・嘉平衛が津軽船の船頭からきくと 青森には上方船の入津が多く、弘前の武家衆の 女子の姿(なり)は江戸に似ているが、 青森の商売女(くろうと)は上方風(ぶり)ぞ ということであった。・・・」云々 広辞苑でをひくと、 「うとう」[善知鳥] アイヌ語で突起の意 チドリ目ウミスズメ科の海鳥 大きなハトぐらい。 背面は灰黒色、腹部は白色 顔には二条の白毛を垂れる。 生殖時期には上嘴基部から角状突起を生ずる。 北方海洋の島で繁殖し、冬季本州の海洋上にまで南下する。 子をとられると鳴くという。 とある。 (つづく)
2011.05.03
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