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レンコン配達、やっと終わる! その数約100軒。 今日は、弥治郎こけし村から川崎町そして名取市。 こけし村では吹雪、平野部の道路は乾いているという天気。 笹谷峠を下る時、東の空が焼けた。 タカは3日間ずっと付き添って、いろいろ学んだようだ。
2010.12.31
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今日のレンコン配達25軒。 ずっとタカといっしょ。 タカは今日の途中から、深々と頭を下げることと分かれる時握手をすることを実のつけた。 彼にとって、体験は一番の学習だ。 毎年、こっちの勝手でやっているものだから、配達の始めには差し出がましい感じでいっぱいになる。 もらう立場からすると、あいつの狙いはなんだろう?と勘ぐる。 確かに狙いはある。 今風に言うといろんな人とのネットワーク作り。 権力側の人や金持ちはほとんどいない。心意気でつながっていることが多い。
2010.12.30
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朝は日が差していたが、だんだん雲が広がってきた。 昼からレンコン配り。タカといっしょ。 今日はこけしの弥治郎地区から福島の北部まで、かなり広範囲となる。
2010.12.30
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タカは今日の午後から正月休み。 そのタカと不忘地区を中心に“辛しレンコン”配りをした。 山麓は先日からの大雪で家々も埋もれていた。 Oさんの家の玄関。 屋根の雪が落ちて出入りができなくなっていた。 Oさん家は数年前までこの辺で一番の酪農家だったが、今は縮小した。 その空き牛舎のひさしからは地面に向かって雪が覆いかぶさっていた。 明日から大荒れになるというので配り終えようとしたが暗くなったので20軒ほどで止める。続きは明日。
2010.12.29
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ず~っと「辛しレンコン」詰め。 はみ出た味噌と下についた味噌は割り箸で削り取る。 今夜、あと2.5キロ分の辛し味噌を詰める。 詰めている間に、女房は朝から揚げ方に入っている。 レンコンの表面に小麦粉をまぶし、 キツネ色に焦げたら出来上がり。 随分、腕を上げたようだ! 揚げたてのあつあつをかじる。 辛子がツ~ンとくる。味噌のしょっぱさ(東北用だから)が気になるが、あとからレンコンの上品な味が広がる。 一人で一度にたくさん食べる物ではないから、小さいものの方が食べやすいようだ。 さあ、もうひと頑張り!
2010.12.28
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日中、味噌2キロ分を詰めた。 時間がたつと詰めた辛し味噌は蓮根の水分を吸ってはみ出してくる。 これを箸で削るけど落ち着くまでには時間がかかる。普通一晩億おく。 そのあ用足しと歯医者へ出かけたので、夜なべ仕事となる。 できたら3キロは詰めておきたい。
2010.12.27
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時折り風がうなるが冬ばれの上天気。 蔵王連峰は今日も雪雲の中。 きのうは食欲がなく、力が入らなかったけれどけさは大丈夫そうだ。 今から、辛しレンコンを詰める。 体力勝負だ。 マスクをして手指の消毒をして開始だ!
2010.12.27
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おととい電源部が故障していたパソコンが修理を終えて戻ってきた。 車の整備士Nさんと彼の仲間が治してくれたのだ。 中古部品を見つけたので修理代無料。感謝! 今朝はすばらしい冬ばれ! 8時からレンコン茹でにとりかかる。 箱を開けると泥つきレンコンが20キロ。これが2箱。40キロ。 去年までより10キロ減にした。女房が体力の限界を訴えてきたので仕方がない。 「ぼちぼち村」の雪は簡単には解けないので、我が家でやる。 九州では泥つきが普通(鮮度を保てる)だから、まず洗うことから。 直径1尺の金のボールに入るだけのレンコンを入れて水につけ、防寒用のゴム手袋をしてスポンジたわしで水洗い。 こびりついている泥も簡単におちるのだ。 ただ量が多いので、腰は痛くなるし汗もかく。ただ、“案ずるより産むが易し”なのだ。 1時間超かけて完了。 女房それを見届け、ようやく次の工程ー節の切り落としーから手伝い始める。 切り落とせば直ぐー茹でーの作業に入る。 ここは一連の工程だ。 女房は台所で、小生は2階の流しで分かれてやったので、思いのほかはかどった。 昼飯抜きで1時半ころには終了。 風邪の具合からすると少し無理をしたようだ。 できたら今夜少し詰めておきたいのだが・・・
2010.12.26
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「ぼちぼち村」に行ってきた。 鎌先温泉の手前の割山から標高が上がるごとに雪が増える。 途中、除雪車が動いていたが、そこから先は雪が深まるだけ。 車の通る道路は何とか走れる。 さて、「ぼち村」の下りは? 湿っぽい新雪なので軽トラ1台分突っ込んだところで止めて、先の積雪を確かめる。 深い所は膝の上。50cm超。5・6年ぶりの大雪だ! これでは通行止め。今日のレンコン茹ではあきらめる。 帰ろうと軽トラをバックしようとしたら、またやっちゃった。 スリップして動かない。スコップがいるが準備をしてこなかった。 うめんつあんから借りると楽だが、必ずお茶を勧められる。風邪をうつしたら悪い。 「ぼち村」のを持ってきて掘るしかない。 村は雪の中。 ガラクタが隠れた「ぼち村」の姿はなかなかいいものだ。 平スコを持って、車の下の雪をかき出し20分ほど。これで無事脱出! でも、これからどうする? 年内に間に合わせるにはもうタイムリミットだ。
2010.12.25
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今朝7時起床。 薬を飲んでぐっすり眠れたので風邪の具合はは随分よくなった。 カーテンを開けると、ホワイトクリスマス 昨夕からぱらぱらと降りだした雪は、銀世界を創りだした。 積雪3cm。まだまだ積もる。 車の音も特養老人ホームの槌音も雪に吸収されて静か。 レンコン茹でが遅れているので、なんとしても今日中に終わらせたい。 これから「ぼちぼち村」へ上っての作業を考えている。 山の積雪がどれくらいか心配だが行ってみるしかない。
2010.12.25
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やっと診てもらえたのは、6時前。 途中、タカのお迎えがあったものの・・・ 年末ということも重なって患者が押し寄せたのだろう。 小さな医療生協なので医師は一人。 一人で100人の患者を診なければならないのだから大変だ。
2010.12.24
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風邪を引いたようだ。 昨日の午後から食欲なし。不定愁訴の塊がのっかかったみたいで頭がボーっと。 思い当たるようなことはないのだが、辛しレンコン作りという大仕事が始まるのにダウン? 今日タカが帰ってくるし、うつしてはならないし・・・ 仕方がない。女房に怒鳴られながら医療生協のクリニックへ。 駐車場は車でいっぱい。受付けでは3時間待ちと言う。 待合室で3時間なんてとんでもない。昼からの3時を予約して帰宅。 「ぼちぼち村」の積雪の状況をうめんつあんに訊くと10cmくらいで解け始めているとのこと。 これではレンコン茹ではままならぬ。 昼から冬タイヤに履き替えておこう、
2010.12.24
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隣の前と我家の横の道路の冠水引かず、宅急便届かず。 熊本の蓮根農家に注文した「辛しレンコン」用のレンコンが配達されないでいる。 連絡では、昨日深みにはまってトラック1台動かなくしてしまったという。 作業は遅れるが、仕方がない。 夕方になっても、まだ引かない所もある。 それで明日の朝、営業所に取りに行き、その足で「ぼちぼち村」に上って茹でることにした。 明日はタカを施設に迎えに行かねばならないので大忙しになる。
2010.12.23
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暮れの大荒れやっと静まる。 日の出の光が水面に煌く。 我家の周辺は縄文の海。 (パソコン修理中のため写真貼れず) 当時は遠浅の海。 また時が来れば、貝掘りをすることだろう。 町内、あちこち冠水。
2010.12.23
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未明から大荒れ! 予報通り暴風雨となる。 午前11時前気温10度。竜巻警報、大雨洪水警報発令。 頭の上でゴロゴロ轟き、稲妻も走っている! 家の前の堀の水がういてきた。 強風のため東北新幹線は宮城県北部から岩手県南部にかけてストップ。上下線とも運転見合わせ。 午後1時、小さな堀2本冠水。大きな五間堀はあと20~30cm。 2時前から大粒の雨、降り出す。 3時過ぎ五間堀数百メートルにわたって冠水始める。ナイヤガラの滝の小型版だ。 田んぼは一面水につかる 5時ころ、ようやく風雨弱まるが、時折り大きな息をついている。
2010.12.22
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ざんねん! 皆既月食、タッチの差で♪雲の~う~え~・・・♪ 明日は暴風雨の予報。 日中、干しておいた豆をビール瓶で叩き、ふるいでふるってようやく“豆ぶち”終わる。 これで食用(煎って食べる)と来春の種用とを十分確保できた。 小生は煎った豆をカリポリと食べるのが大好きである。 子どものころのナツ豆(ソラマメ)の味はいつまでも忘れられない。 あのころの遊びと一緒に思い出す。
2010.12.21
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今日も晴れ。暖かい日中だった。 午前中、九二一っつあんの工房に行く。 陶芸教室の2人が工房の片づけをしていた。 1月に入れる電気窯のスペースを空けるためだ。 今日はこれといって予定はなかったので手伝う。 ところが、午前中では終わらない。 100キロ以上もある土煉(粘土を煉る機械)を移動せねばならないのだ。 昼飯を食って午後も手伝う。 彼らはいつも、重いものはコロを使って(てこの原理を利用して)人力で移動するのだ。 男性3人でよいしょよいしょと動かし、3時前には片付け完了。 ついでに、Sさんと火事で焦げた孟宗竹を7本伐り倒した。 おかげで久しぶりに汗をかいてすっきり! 日が落ちても10度を超えている。 今夜は月明かりを楽しめそうだ。
2010.12.20
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今日もおだやかな冬晴れ。 我家の干し柿も日向ぼっこ。 ずい分干しあがって、そよ風にも揺れるようになった。 干上がって困るのは、オレたち国民だ! “後期高齢者医療制度”の廃止を公約していた民主党政権は、この公約に反する厚生労働省の「医療『新制度』最終案」をまとめたという。 それによると、 サラリーマンやサラリーマンに扶養される人を除く75歳以上のほとんど(1400万人中1200万人)を国民健康保険に加入させ、75歳以上の人を集めて都道府県単位で運営し、医療給付費の1割を保険料で賄う仕組みも“後期高齢者医療制度”と同じ。 保険料は? 75歳以上の保険料は15年後には1,5倍に。そして、独自軽減の段階的廃止を打ち出した。 廃止されれば年金収入80万円以下の人は3倍の負担増になる。 また、70~74歳の窓口負担は1割から2013年3月に70歳になる人から2割に倍増される。 現役世代も1,4~1,5倍に増える。 更に、国保の広域化(市町村単位から都道府県単位にすること)による値上げ・取立ての強化・医療費の削減も2018年度実施を目指している。 この結果、国の負担は軽くなるという仕組みである。 2013年も2018年もやがてくる。 その時に涙を流さないように、政治を監視していかねばならない。
2010.12.19
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今朝、旧不知火町の松合(小さな漁港で不知火の見える町)に長年住んでいた叔父から電話があった。 毎年サクランボを送った時しかないのに・・・何事かと思ったら、こりゃまたびっくり! 「おい、聞いたろ。またアサリやタコやクルマエビば獲るっごつなっかもしれんばい!」と弾んでいる。 つまり、15日に菅首相が「諫早湾干拓訴訟 上告断念」と発表したことを受けて喜んだのだ。 叔父は漁師ではないが、漁師たちはみんな仲間。 それで大潮の夜など船に乗せられて沖合いの干潟でイイダコやタイラギやクルマエビなどを面白いように獲っていたと言う。“いお(魚)”が湧いてくる海だったのだ。 それが10年ほど前から 「海のおかしゅうなったつばい。海の水ん塩がるうなかごつなって(海の水がしょっぱくなくなって)あぎゃんおった(あんなにたくさんいた)アサリもシャク(アナジャク)もマテ(マテ貝)もじぇんじぇん(ぜんぜん)おらんごつなったとばい。」と言うようになった。 そのころは足元しか見ていなかったので、なぜこうなるのか分からなかったのだ。 それが有明海の奥に7kmに及ぶ潮受け堤防が作られていたとは・・・ とりあえず開門の結果は冷静に見届けるにしても、影響が起きないはずはない。 先ずは漁業関係者が言うように、地裁と高裁が出したように開門をするべきなのだ。 遅くはなったけれど、一時も早い開門が望まれる。 たとえこれが政権浮揚狙いであっても、有明海の長年の願いだ。 叔父がわざわざ電話をかけてきたのは、こんな訳だったのだ。
2010.12.18
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快晴!蔵王連峰の上に3つ4つの雲が浮いているだけ。 屏風岳の雪が光っている。 (いつものパソコンが故障中のため写真は貼れない) 歯医者に行った。 今年の春にも治療していたのに 10日位の間に、かぶせてあった金属が2・3ヶ所はずれたのだ。 それで今回は、近くの歯医者に変えた。 待合室は患者でいっぱい。やばいなぁと思ったが我慢。 待っている間に問診票を記入。最後の所に「すぐにはずれない治療をお願いします」と書いた。 覚悟していたより早く呼ばれて入ると、奥の6番へと。 治療台にはいっぱい。てきぱき進んでいるようだった。 歯と歯ぐきを点検し、はずれた詰め物は直ぐ元に入れてくれて今日は終わり。 若い医師は「歯の磨耗がひどいですね。歯ぎしりがひどいのですか?」と言う。 「これまで歯ぎしりで問題になったことはないよ。硬いのは好きで、よく噛んでいるよ。噛むことは推奨されているからね。」と返すと、「限度がありますからね。磨耗していると詰め物も早く取れますよ。」と。小生には分かるようで分からない答えだ。 問診票に書いたことことにこだわられたのかな? 昼から「ぼちぼち村」へ。
2010.12.17
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昨日、午後「ぼちぼち村」へ。 途中から雪。 「ぼち村」では、畑の大根も白菜も道端の熊笹もすっかり綿帽子をかぶっていた。 母家の庇には小さな(5~10cm)のツララが行儀よく並んでいた。 まだ冬タイヤに交換していないので、路面凍結が始まる前に急いで下る。 夜、平地では天の奥まで見えるほどに晴れる。 ふたご座流星群を見ようと(前日は曇っていたので)外へ出たら霜で真っ白。 しばらく眺めていたが一つも見えず、冷えにたまらず諦める。 今日は曇り。 田んぼの水は氷り、外に置いていた大根は凍みてしまった。 昼ころ、わた雪がぱらぱら、初雪となった。 やっと冬が来た・・・
2010.12.16
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この基礎知識は、守大助さんを守る会の広報を編集したものです。 1.この事件が起きた「北陵クリニック」とは このクリニックは1991年10月、FES治療の研究を実践に移す病院として、地元財界の名士(地元電力会社・新聞社・銀行・宮城県と仙台市の医師 )が理事に名を連ねて「医療法人・社団泉会北陵クリニック」を設立されたもの。 ※FES治療法とは「機能的電気刺激」という先端医療で、脳卒中や交通事故、脳性麻痺などで手足に運動障害を持つ患者の患部を電気刺激で動かそうとする治療法) 東北大工学部と医学部が中心になって開発された治療法で、その中心になったのが院長の元夫の半田康延教授。 (1)国・県・地元財界が後押し、マスメディアも「奇跡の研究」と特集報道 国から「地域結集型研究事業」として認定を受け、国から20億円、県から関連も含め30億円もの補助を受ける。 また、この事業が成果を上げれば新しい産業が創設されるとして、地元財界が全面的に後押ししマスメディアも大きく取り上げた。 NHKでは「クローズアップ現代」ほか2回放映。 河北新報社は半田教授に「河北文化省ををおくっている。 (2)期待された成果は得られず、多額の負債で火の車 全国から200余名の患者が手術を受けたが一人として歩けるようにはならなかった。 筋肉に電極を植え込むため患部の衛星管理が困難で電極を除去する事態が多発。 電極などを製造していた会社は生産を中止し解散した。 負債額は1999年度で13億6千万円に上り、この事件が起きた2001年には税金を滞納して病院の土地と建物が仙台市に差し押さえられて破産状態で、経営再建のため薬剤師の解雇などのリストラを行なっていた。 一方では、特別養護老人ホームから高齢患者を受け入れ、他の病院に転送していた終末期の患者も、ベッドを満床にしておくために最後まで看取るようになった。 これが、急変患者や死亡患者が増えた原因と指摘されている。 更に、2000年4月、救急処置ができる医師が退職し補充がされなかったことが仙台市立病院に搬送される小児患者が増えた原因となった。 <次回へ>
2010.12.15
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朝からいつも使っているXPのパソコンの電源が入らなくなった! いろいろいじくってもダメ 苦しくなって、パソコンに詳しい友だちの車の整備士Nさんに相談。 昼休みに来てくれたが分からず、持ち帰って調べてくれることになった。 それで諦めながら古いMeをいじくっていたら、書けた いつものことながら、一つつまずくとおたおたしてしまう。 修理できるとありがたいけど・・・
2010.12.14
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朝からの曇り空は昼から泣き出し、うすい乳色の夕暮れがやってきた。 我が家から300メートルほど離れた所に「特別養護老人ホーム」が建設されている。 地元の人たちはまさかこんな所にと思う場所だ。 そこは倒産した地元の土建会社の土砂採り場だったところ。 地盤整備費用8,000万円とのこと。ようやく建物が立ち上がってきた。 ここのベッド数80床。県内の希望者2,000人。 他でも建てているというがとても足りない。 競争率も入所費用も高いので、町内の希望者が入れるだろうかと周辺では心配している。 午後5時気温3℃。 氷雨の中、ライトをつけて工事が進められている。
2010.12.13
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午後、九二一っつあんも推進人になっている「美術展」なるものを観に行った。 これは展示販売会で、利益は国民救援会の活動資金になるようだ。 お客さんは結構出入りしていたようだが、小生には手は出せないものばかりだった。 作品はピンキリで、“ほう!”と思うものもあれば“こんなものも?”と思うものまで。 中には、珍しい作者の作品もあった。 これらは非売品だが、帝銀事件の平沢貞通(洸彩)さん95才の作品。 このほか個人所蔵の作品が4点展示されていた。 また、彫刻家の砂糖忠良さんの絵もこの会のために出品されていた。 彫刻は時々お目にかかるが、絵は始めて見せてもらった。 仙台駅から会場までは往復ウォーキング。 会場の前は「光のページェント」の定禅寺通り。 夜になると、このケヤキ並木が光だすのだ。 暗くなるまでのひと時、一番町通りではジャズバンドが演奏を始めていた。 ボーナスサンデーにしては、人出は少なかったようだ。
2010.12.12
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春にうめんつあんからもらった「だだ茶豆?」の種を蒔いて、枝豆として食べた残りから種を採ろうとこの前から計画。 今朝は晴れて暖かくなったので「まめぶち(豆打ち)」を準備。 ところが霜がとけ、さやがしけって打ってもさやがはじけない。 それで午前中干す。 その間に、3株植えておいたヤーコンを掘る。 ヤーコン掘りも難しい。 芋(地下茎)がどこに伸びているか分からないし、直ぐパリッと折れる。 これも商品として売り出すのは大変だと思った。 午後曇る。これで「まめぶち」延期。 今日、タカの施設は隣町の催事場でのクリスマスパーティ。 終わるのを待ってお迎えに。 施設を出ての年に一度の行事、みんながこの日を楽しみに待っていた。 タカももちろん!1週間前からパーティの話をするとニコニコだった。 施設も回数を増やしたいと言っているが、障害者自立支援法ができたために縮小せざるを得なくなったという。 障がい者の人たちの笑顔が、あふれるようになってほしいなあ・・・ 帰りに団十郎さん家を訪問。タカ喜ぶ。
2010.12.11
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午後「ぼちぼち村」へ。 まだ積雪はないが、ハス鉢の水は氷りっ放し。 今年最後の畑の収穫「ゴンボウ掘り」をする。 実は「ゴボウ掘り」は初体験。 20cmも掘って引き抜けばと思っていたら、どっこい!ぬけないのだ。 よく見ると、太目のひげ根が横にたくさん伸びているのだ。 スコップの肩に踏み乗って突き刺し、ようやく掘り起こした。 深く赤土層に伸びているものは途中で切れてしまう物も・・・ 商品として出荷するには大変だと実感した。 なんでも、やってみて初めて分かることばかりなのだ。
2010.12.10
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未明、時雨れる。 朝、日が差す。 畑の枯れたコスモスを引き抜いていたら、隣のシソの枯れ枝にぶら下がっている物がある。 あれっ!シマコブ(コガネグモ)の卵の袋(卵のう)だ 夏、2匹のメスグモが巣を張っていたいたので産卵していたのだろう。 よかった!来春の誕生が楽しみになってきた。
2010.12.10
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ゆうべ、真っ青に晴れ渡った。 真夜中を過ぎるころ、冷え込む。 毛布を一枚、上にかぶせて眠りにつく。 今朝、廊下を歩くと後ろでぱさっと音がした。 我が家の老化は葉ぶよぶよしているから振動で何か落っこちたんだと気にもとめなかった。 新聞の切り抜きを取ってもどってきたらほこりをかぶった「母と子」(子育ての月刊誌)。 6月号。 いつの? 昭和62年(1987年)---エッ!西暦表示でなかったの? 23年半前の目次を開くと、 山住正巳さんの自著を語る「日本教育小史ー筋・現代ー」(岩波新書)のこと』 が目に留まりページをめくる。 2ページの狭い紙面には、 「過去の問題は、後になって変えたり、なかったことにするわけにはいかない。しかし過去に目を閉ざす者は現在にも盲目となる」という旧西ドイツのヴァイツゼッカー大統領の言葉を引用して、「君が代」斉唱や「日の丸」掲揚の強行に警鐘を鳴らしている。 また、教科書裁判の家永三郎さんや「蛍雪時代」など懐かしい名前も見かけた。 この本は小生にとっては役目を終わった。 これを書きながら、脇の石油ストーブでナメコの佃煮を作っている。 女房は煮しめることができない
2010.12.09
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11月27日「仙台筋弛緩剤えん罪事件・守大助さんを守る会」第3回総会が開かれた。 この事件が仙台市の「旧・北陵クリニック」で起きた事件であることは周知のこと。 事務局から再審に向けた弁護団の立ち上げが報告され、ついで旧弁護団長から、守大助さんが無期懲役に至った経緯の確認報告がなされた。 その後の討論の中で、守さんと働いていた女性看護師Sさんの話を聞くことができた。 彼女の話はこうだ。 ○筋弛緩剤について・・・麻酔科の医師は問題になっている症 状はありえないと言う。 ○取調べ・・・タバコの煙がいっぱいの狭い部屋の中で7・8時間の取調べ。 途中、飲んだ湯飲み茶碗をハンカチでくるんで運んでいく。 拷問のような雰囲気だった。 ★“守”のいいとこは思い出さないで、悪い所だけ言うように 指示される。 院長の医療問題ー正しい処方を書けなくなっていた。 なんでもかんでも点滴で、スピードが速い。全開だと動悸が起きる患 者もでてくる。 と指摘しても問題にされず、調書にも書かれなかった。 クリニックの問題は一切取り上げられなかった。 ★調書は警察が書く 誘導尋問ー「あなただったらどうする?」と問われるので考えを述べる と守さんがやったように書かれてしまう。 訂正を求めても応じてもらえなかった。 最後に署名をさせられるー意に沿わないので拒否すると帰してもらえない。 (当時は小さい子どもがいたので、最初はやむなく書いたけれど、次からは 書かなかった。) ○証人尋問にて・・・私が答えようとすると、検察はそのたびに「意義あり」とストップ を かけ発言は阻止された。 ○東北大の医師たちの反応・・・何人もの医師たちが筋弛緩剤の症状ではないと言うが、裁 判での証言を頼んでも断られた。理由は東北大医学部を守るため。 ※北陵クリニックはFESという治療を地元財界(電力、地銀、県・仙台市医師会、新聞社)を理事に連ね、国から20億円、県から30億円の補助金を受けていた。 FESとは:機能的電気刺激療法-運動障害者の患部を電気刺激で動かそうとする先端医療で東北大医学部・工学部と深いつながりがある。(旧院長の前夫は東北大医学部教授。) これまで現場からの声は聞いたことがなかったので、大変新鮮だった。 ずっとこの事件の黒いもやの後ろを知りたかったが、少し見えるような感じがした。 Sさんの勇気に感謝と拍手!!! 小生にも発言が求められた。守さんの母校がある柴田町からきていたからか・・・ 小生は、多くの人たちが「自白をしたのだから間違いない」と信じ込んでいる。それを乗り越える活動が欠かせない。彼の地元で守る会を盛り上げなければならない。と・・・ でも、できていない。・・・自分のことなのだが。 最後にご両親が挨拶をされ、閉会した。 検察自身の問題も噴出している日本の社会では、誰にでもえん罪の火の粉が降りかかる可能性がある。だから、みんなで見張っていくことが大事だ。 参加者70名。県外からの参加者も10名近くあった。とにかく、広めよう。 仙台の市内は、イチョウの季節だった。 守さんにも、一日も早くこの明るさを楽しめるようになってもらいたい。 これから数回にわたって「北陵クリニック筋弛緩剤事件」の基本になる情報を書きたいと思っています。 彼は現在千葉刑務所に収監中です。 会では、年賀状で元気をつけようと呼びかけています。 よろ しかったら、下記へ励ましのお便りをお願いします。 〒264-8585 千葉市若葉区貝塚町192 守 大助 様
2010.12.08
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蔵王町のスーパーでは、この時期になるとコンニャク玉が店頭に並ぶ。 正月用だ。 近隣の農家が育てたもので、大きな物は3・4年物で直径30cmほどもある。 コンニャクは、なんてったって手作りに限る! とは言うものの自分で作ってみたことはない。 経験者は石灰の分量や入れるタイミングの難しさを強調するので二の足を踏んでいる。 ※昨日のこと 「ぼちぼち村」の畑でハクサイの間引き中、左手をブヨに食われて血が雪崩れた。 ここ2・3日暖かかったからだろうが、この時期にブヨが出てくるなんて!
2010.12.07
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きのう午後、先日の暴風の被害確認に「ぼちぼち村」に行った。 大きな被害はなかったが、流しの屋根の一部が盛り上がっていた。 雨漏りしても床はコンクリートなので問題はないが、先ずはKさんに見てもらってからだ。 ダムの水は沢水の流れだけになった。 今年初めて現れた湖底の無数のコケ?気になって観に行く。 イチョウウキゴケ(絶滅危惧1類)のようだが、イチョウ葉型ではなく円形だ。 インターネットの写真とも違うようだし??? どなたかご存知のかた、教えてください。
2010.12.07
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国会閉会日の3日 障害者自立支援法「延命」法案が参院本会議で可決、成立した 民主党政権は衆院選のマニフェストで、はっきり現自立支援法は廃止し、障がい者のための新法を障がい者と共に作ると明言していたのに、十分な審議もせず終幕ギリギリになって多くの障がい者と支援する人達の反対の声を民・自・公・みんなの党の多数で押し切ったのだ。 障がい者がこんなに苦しんでいる“応益負担”の廃止にも触れず。これを新法とするのか [せっ菅]するぞ! 恥ずかしながら、あの衆院選の時、民主党のT候補の事務所に行って支援法の廃止を確認して一票を投じたことが情けない。 取り戻しに行きたい気持ち! 私の息子タカは重度のダウン症(知的障害者・療育手帳A)。 3日前、タカ22才の誕生日を祝う。 生まれて間もなく、主治医から『今は医学が進んで40歳くらいまでは生きられます』といわれた歳を半分越えた。親としては、誕生日を祝いたくない複雑な気持ちがある。 みんなで、障がい者も安心して生きられる社会を作りましょう。 今、健常者も障害者に向かって生きているのですから・・・
2010.12.06
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午後、天気に誘われてタカと浜の畑に行った。 畑の隅でヤツデが花を開きだしていた。 ここは宮城県の最南部の太平洋岸。 温暖の地と言うけれど、山地からの颪は乾いて冷たく枯れることが多かったのだが、今年は全体が穏やかだ。 堀のふちでは九州旅行で採取したサツマノギクが数厘咲いていた。 一時増えていたのだが大きく減った? 我が家の畑は名ばかりだが、隣の畑は立派なキャベツ畑に変身していた。 “磯浜”では細かな泡の波が打ち寄せていた。 龍神沼には。コハクチョウが4羽飛来していた。 餌付け時の10分の1以下か? 夕暮れの中、タカを施設に送った。
2010.12.05
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今朝は風なく、頭上に雲もない小春日和。 こんな日はクモの移動びより。幾筋もの糸が同じ角度で光っている。 気温14℃(午前10時)。 庭先では、いつもより遅れて咲いたツワブキの花がハナアブを誘っている。 (鹿児島の海辺の道端産) 羽音が初冬の光を揺らしている
2010.12.05
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昨夜から続いた暴風、夕方になってようやく治まる。 一時東北新幹線も在来線も止まるり、いろいろな物を吹き飛ばして去った。 そんな中で「仙南派遣村」を開いた。 弁護士など一部欠席となる。 相談者3名。 これまでで最も少ない相談者。 中に岩手県(盛岡市)から仕事に来ている人の相談あり。 少なかったけれど、それぞれの相談者の役に立ったようだ。 続けることに意義がある。
2010.12.04
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夜中、タカと風呂に入っていると、突然裏のひさしの屋根がバタバタ騒ぎ出した。 やばい、隣に迷惑をかけなければと気になったが夜中のこととて仕方がない。 朝を待って点検したら、穴の開いた所に被せていたエンビの波板が見当たらない。 気にはしていたのだけれど、どこにいったのやら?迷惑をかけていなければいいが・・・ 東風を心配していたが、北西風。 昼前になっても止まない。二階を揺さぶって吹いている。 県内全域に暴風警報が出されたまま。 蔵王連峰は雲をかぶっている。 こんな時の尾根は歩けない。飛ばされる。 きのう雨に濡れた干し柿は、すっかり乾いた。
2010.12.04
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今日はあったかかった! 午後8時でも13℃。 午後、川崎町笹谷集落(北蔵王の山形との県境の小さな集落)のSさんにナメコを届ける。 元気なころのSさん夫妻は山でナメコを栽培して生計の足しにしておられた。 そのころよくナメコを分けてもらったけれど、今は年を取って山には入れない。 今度は「ぼちぼち蔵」のナメコでお返しの番なのだ。 玄関の戸は半開きで犬が出てきた。テレビの音は小さく聞こえる。 昼寝中なのか何度声をかけても返事がない。 犬に訊いてもワンとも言わないので、玄関にメモが機をしておいてきた。 次は酪農家Tさんを訪問。自然保護の仲間だ。 今年のキノコ情報から話は始まって盛り上がり発展する。 先ずは、「宇宙いも」!? 土の中には芋はなく、これがその収穫物の“むかご”なのだそうだ。 食べ方は研究中とのこと。 3個いただく。来春用の 種芋だ。大きいのは8cmの6cm。 次は自家製の“納豆”。 まだほかほかしていた。とてもおいしかった! 最後も自家製のブドウの作品。 今年のもなかなかのできばえのようだ。 いつもながらTさんの創作意欲には頭が下がる。 今日はこれまで・・・ 明日の最高気温は10℃の予想。
2010.12.03
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昨夜から振り出した雨は、明け方には風をともなって吹き付けた。 寒さはない。午前10、時気温17℃。チラシ配布は中止。 瞬時青空のぞく。 一息つくと、近くで「ドン ドスッ」と?? そういえば、一日から狩猟解禁。 周りを探すと、いたいた 五間掘りの土手に二人の鉄砲撃ちが。 左の男性の手には鳥が下がっている。 この堀にはカルガモが6羽やってきていたので、その仲間かもしれない。
2010.12.03
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11月27日「仙台筋弛緩剤えん罪事件・守大助さんを守る会」第3回総会が開かれた。 この事件が仙台市の「旧・北陵クリニック」で起きた事件であることは周知のこと。 事務局から再審に向けた弁護団の立ち上げが報告され、ついで旧弁護団長から、守大助さんが無期懲役に至った経緯の確認報告がなされた。 その後の討論の中で、守さんと働いていた女性看護師Sさんの話を聞くことができた。 彼女の話はこうだ。 ○筋弛緩剤について・・・麻酔科の医師は問題になっている症状はありえないと ○取調べ・・・タバコの煙がいっぱいの狭い部屋の中で7・8時間の取調べ。 途中、飲んだ湯飲み茶碗をハンカチでくるんで運んでいく。 拷問のような雰囲気だった。 ★“守”のいいとこは思い出さないで、悪い所だけ言うように指示 院長の医療問題ー正しい処方を書けなくなっていた。 なんでもかんでも点滴で、スピードが速い。全開だと動悸が起きる 患者もでてくる。 と指摘しても問題にされず、調書にも書かれなかった。 クリニックの問題は一切取り上げられなかった。 ★調書は警察が書く 誘導尋問ー「あなただったらどうする?」と問われるので考えを述べる と守さんがやったように書かれてしまう。 訂正を求めても応じない。 最後に署名をさせられるー意に沿わないので拒否すると帰してもらえない。 (当時は小さい子どもがいたので、最初はやむなく書いたけれど、次からは書かなかった。) ○証人尋問にて・・・私が答えようとすると、検察はそのたびに「意義あり」とストップ をかけ発言は阻止された。 ○東北大の医師たちの反応・・・何人もの医師たちが筋弛緩剤の症状ではないと言うが、裁判での証言を頼んでも断られた。理由は東北大医学部を守るため。 ※北陵クリニックはFESという治療を地元財界(電力、地銀、県・仙台市医師会、新聞社)を理事に連ね、国から20億円、県から30億円の補助金を受けていた。 FESとは:機能的電気刺激療法-運動障害者の患部を電気刺激で動かそうとする先端医療で東北大医学部・工学部と深いつながりがある。(旧院長の前夫は東北大医学部教授。) これまで現場からの声は聞いたことがなかったので、大変新鮮だった。 ずっとこの事件の黒いもやの後ろを知りたかったが、少し見えるような感じがした。 小生にも発言が求められた。守さんの母校がある柴田町からきていたからか・・・ 小生は、多くの人たちが「自白をしたのだから間違いない」と信じ込んでいる。それを乗り越える活動が欠かせない。彼の地元で守る会を盛り上げなければならない。と・・・ でも、できていない。・・・自分のことなのだが。 最後にご両親が挨拶をされ、閉会した。 検察自身の問題も噴出している日本の社会では、誰にでもえん罪の火の粉が降りかかる可能性がある。だから、みんなで見張っていくことが大事だ。 参加者70名。県外からの参加者も10名近くあった。とにかく、広めよう。 仙台の市内は、イチョウの季節だった。 守さんにも、一日も早くこの明るさを楽しめるようになってもらいたい。 これから数回にわたって「北陵クリニック筋弛緩剤事件」の基本になる情報を飼いたいと思っています。 彼は現在千葉刑務所に収監中です。 会では、年賀状で元気をつけようと呼びかけています。 よろしかったら、下記へ励ましのお便りをお願いします。 〒264-8585 千葉市若葉区貝塚町192 守 大助 様
2010.12.02
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今朝はこの冬一番の冷え込みで周りは霜で真っ白となり、車のフロントガラスは凍った。堀の水も凍った。 (ハローワーク前でのチラシ配布は手が冷えたが、ここでは霜は降りていなかった。) 日中は少し動くと汗ばむほど暖かくなった。 午前中、残っていた柿を干した。 これで200個を超えた!どうしよう・・・ 熟した物や傷物はもったいないので、小生と迷犬“ごん”とで食べることになる。 “ごん”には大好物となっているので、この処分はなんとかなりそうだ。 木にはまだ50個は生っている。 鳥の餌にと思うけど、今年は豊作で十分なのかあまりつつきにきていない。 熟したままだと落果してビシャットつぶれる。 所によっては道路を汚すので、シルバーセンターに頼んでもいでいると聞く。 午後6時曇り。気温15℃! 明日の予報は雨。18℃の予報。
2010.12.02
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もう師走! 上天気。一月ほど前の気温だったと言う。 九二一工房へ行く途中。“塩”(地名)のイボ石(角礫溶岩)の所にバラの花。
2010.12.01
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