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快 晴! 「ぼちぼち村」の屋根修繕用の「6尺(薬180cm)の波トタン」を17枚買って上る。 裏側に穴が開いて雨漏りがするようになっていたのだ。 作業はKさんの都合しだい。 昼から畑の一角を借りて野菜を作りたいというYさんがやってきた。 彼は、長いこと“ほるぷ”の仕事をしてきたが、倒産で苦しんできた。 細菌は町内の障害者共同作業「はらから」に勤めだしたという。 先ず、区画を決め、彼が準備してきた野菜苗10本あまりを植えてもらう。 たちまち終了。 ポルトガル人陶芸家のFさんにも声をかけていたが、忙しいようだ。 とりあえず、“無料貸し農園”のスタートだ 先日、小生が植えた野菜苗は、ナスが2本しおれていた。 まあ、枯れてしまうことはなさそうだ。
2010.05.31
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昼から、「タカ」と浜の畑に行った。 キササゲとアオギリの苗木、食用菊モッテノホカの苗を、「タカ」といっしょに植えた。 「タカ」は上手くはできないけど、スコップで穴を掘ったりすることは大好き。 真似をして、スコップの肩に足を乗せてさし込むこともする。 興味を持つことは、どんどん体験させたいと思っているが、施設では限界がある。 心配していた「クス」の木は、いつもだと新芽を吹き古い葉を落とす時期なのに、 寒さで葉をすっかり枯らし落としていた。 手前の箒状のが「クスノキ」。先のは満開のアキグミ。 今年から“クス若葉”が見られないのかとがっかりしながらよく観ると、 幹や枝に、小さな角みたいな芽が吹いているではないか!? 生きていたんだ!よかった! 何年か前にも、地上部が枯れてしまってがっかりしていたら、根元から“ひこばえ”が出てきたのだった。それが、今の幹になっていたのだ。 少しずつ耐寒性がついて来ているのかも知れない。 近くの草むらの中には、カワラナデシコが咲いていた。
2010.05.30
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今日はやっと五月晴れ。 昨日は3月下旬の寒さだったから、快適! 我が家のトチノキの花は満開。葉は初夏の日を浴びて輝いている。 アオギリとサクラとトチノキに絡みついているフジも満開。 気持ちよさそう! でも、気になることが・・・ ミツバチたち昆虫の姿がないのだ。 (トチの花には、ミツバチが群れるものだが・・・トチ蜜も採れない) 眠気を誘うけだるい羽音も聞こえない。
2010.05.30
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朝9時から、地元の「子ども会」のサ“ツマイモの苗”のお手伝い。 今にも振り出しそうな空模様。 450本の苗を1時間で植えてしまった。 気になったのは、化学肥料と除草剤が撒かれたこと。 手間をおかけずに、たくさん収穫したいという欲から。 こんなことばかりしていたら、やがて天罰が下るぞ! 午後、「タカ」と仙台市博物館に「聖地チベットーポタラ宮と天空の至宝」展を見に行く。 小雨の肌寒い中、たくさんの来場者。 正にチベット仏教の至宝が集められていた 会期は明日まで。
2010.05.29
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朝、畑ののり面の草刈りをしていたら、 いやぁ~ 危なかった! とぐろを巻いている「シマヘビ」さんだ。1mは楽にありそうだ。 あと2・3cmでぶった切ってしまうところだった。 頭は写真の下部、胴の2回り目の下にあり、尾はとぐろの上にある。 気温が低かったので動けなかったのか? 草刈り機の振動がしても、とぐろを解く様子はなかった。 女房はヘビが大嫌い。大騒ぎになるから黙っている。 嫌われるヘビが哀れだ。 一生懸命生きているのに。
2010.05.28
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「私は、だれでしょう?」 これで分かる人は、かなりのオタク。 この指はすぐれもの! 垂直の壁も天井にも張り付き、自由自在に動き回ることができる。 私の素顔は、これ。 そう「ニホンヤモリ」で~す。 「私は今年の2月、九州は熊本県宇土市(うとし)の三角町(みすみみかんの産地)からきました。チャーミングでしょー。 ここのご主人は、自動車整備工場の社長。 なんでも、インターネットのオークションで買った鋳物の薪ストーブの中に私が入っていたのだそうで・・・で、気がついた社長はこの辺では見かけない珍しい生き物だと飼われることになったのです。 ここは東北で寒いので、私の住み家は事務所の石油ストーブ脇の水槽の中。 餌は、息子さんがわざわざペットショップから買ってきた1匹50円のコオロギさん。 とても大事にされて幸せなのですが、仲間がいないので寂しいのです。」 ということで、熊本の三角(みすみ)町の近くで育った小生が、熊本の先輩に頼んでヤモリさんの仲間を集めることにしたのだ。 ゆうべ電話を入れたら、「まだ出てこんばってん、よかよ。」と引き受けてもらった 捕まえ方と送り方の指導は、小生なり。 <追 加> 夕方、整備工場の事務所に寄ったら、また顔を出していた。 めんこいなぁ~!
2010.05.27
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昨夜は雷雨になったけれど、今日も昼を過ぎても小雨続く。 ごみの不法投棄は困ったものだ。 目立たない所を選んで捨てに来る。 誰かが捨てると、次から次から捨てに来る。 ここは白石市鎌先温泉(弥治郎こけし村の隣)の近くの山の中。市道わき。 禁止の看板が立てられて気がついたのだが、洗濯機・炊飯器・古タイヤなどのごみの山。 逆効果になっているのかもしれない。? ここは山元町坂本の太平洋に近い小さな切り通し。我が家の浜の畑に行く通路) 道路の両側はいつも”ごみ”だらけだった。空き缶・空き瓶・弁当がらなどなど20年以上も前からだ。 禁止ののぼりが立てられていたが効果はなかった。 やっと昨年?しっかりした看板が立てられたが、やはり効果なし。 そしたら、小さな“赤鳥居”が立てられているではないか! 町当局も困り果てて智恵を絞ったのだろう。こんな所は初めてだ。 これから“ごみ”を捨てると罰が当たるようになるぞ! ご利益がありますように。
2010.05.26
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日中、初夏の暑さになった。 〔雨後の竹の子〕と言われるので、裏山に行くと、やっぱり! 細い竹の子が1本顔を出していた。 このままにしておくと、我が家の狭い山は竹林になってしまう。 今、手入れされなくなった竹林が多く、隣接する杉林や雑木林に進出されて困っている。 我が家もその一軒である。 周りの白っぽい花は「オドリコソウ」。 大きな葉っぱは「アキタフキ」? 3時前、南に黒雲現れ、雷鳴唸っていたがやがて大粒の雨。 これが明日まで続くと言う。
2010.05.25
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きのうとおとといは若葉ざむ。夜はストーブをたく。 夜中、雨止み、朝、晴れ暑くなる。(昼前、22℃ー昨日より10℃高い) 里山の新緑は一気に進み、田んぼの早苗は気持ちよさそに揺れている。 我が家のトチノキもゆったり葉を広げ、花穂を立ち上げている。 ああ・・・ねむくなる。
2010.05.25
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昨日の冷たい霧雨は、今日になって本降りになった。 間もなく夕暮れなのに、止む気配なし。 今日は「生活と健康を守る会」(生健会)仙南支部の総会。 昨年生健会の世話で“生活保護”を受けるようになったNさんも仲間に入って開かれた。 「ぼちぼち村」での“芋煮会”も含まれ、今年もやりたいという声が上がった。 活動報告の中には、たくさんの課題が含まれる。 その課題が、即、今年度の活動方針となる。 会員は少なく、月500円の会費で予算も乏しい。 でも振り返ってみると、細々とではあるが幾つもの問題を解決している。 一番の課題は、 初めて参加したNさんが自己紹介で、『私は、困っていたときにこの生健会を紹介されてほんとに助けられました。それまで生健会は全く知りませんでした。』と言ったように知られていないこと!なのだ。 昼食の弁当を食べながら、活動の大切さを確かめあって解散した。。 来月12日には、「第4回 派遣村」が予定されている。
2010.05.24
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今日は終日霧雨。昨日までの暑さはなく、肌寒さを感じる。 ところで、肌寒さというのは侘しさをともなう。 今回は「サクラの花を追っかける旅」になったのだが、「廃屋」と出会う旅ともなった。 以下の4軒の茅葺の家は、国道455号・340号・104号線沿いで見かけたもの。 大きな「南部曲り家」?。 修繕に修繕を重ねてこられた主がいなくなった跡・・・ これも「曲り家」?。 前にサイロの跡が残る。 いずれも山の中の小さな集落の外れ。 こちらは小さな町の中。 腰の曲がった老人が出入りしそうな雰囲気が・・・ ここは集落の外れ。 すっかり人気はない。 かっては、これらの茅葺の家にも青い煙が立ち上っていたことだろう。 今はサクラを感じることもできなかった。 これで「サクラの旅」を閉じる。
2010.05.23
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朝から「ぼちぼち村」の畑へ。 午前中、昨日の撒き残した部分に石灰を撒く。 12時半、石灰を撒き終わった。 1時半に“うめんつあん”がトラクターでやってきた。 二言三言確認し合って、耕運開始。86才になる“うめんつあん”の晴れ姿! 後姿も様になっている。 2時間かかって完了!去年より広い畑になった。
2010.05.22
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弘前城は八重桜の時期に入っていると思うが、とにかく奥が深い! 2種の枝垂れが春の風に揺れ、 その奥には「正徳桜」が気品を漂わせる。 「弘前城」で最も印象に残ったのは、水と桜の組み合わせだ。 いたるところに仕組まれている感じ。 土手沿いの老木の並木も、そぞろ歩きにはもってこいだ。 たくさんの出店が並びごったがえしている中に、大音量で呼び込みをしている所あり。 なんと懐かしい「お化け屋敷」! 子どものころ、夏祭りや師走から1月2月にかけて神社にやってきたサーカスには必ずつきものだった。 小遣いがなく眺めるだけだったけど、『さあさお客さん。「ろくろっ首」に「ヘビ女」見なきゃ一生の損だよ。お代は見てのお帰りだぁ~・・・』と呼び込みの名調子がカーバイトやするめの匂いといっしょに聞こえてくる。 不思議だなぁ、細かいところまで思い出す懐かしいなぁ・・・ この「お化け屋敷」今年で最後だと呼び込んでいた。 大急ぎの見物だったけど、また来たくなる「弘前城」となった。
2010.05.21
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道の駅「いなかだて」で昼食用の弁当とお土産に一升瓶いりのりんごジュースを買い、弘前城に向かう。 市内に入って渋滞にあったが、大したことはなく、駐車場も苦労することもなく入れた。 初めての弘前の「さくら祭り」、人の流れについて行くと、あった! 交差点を渡れば「弘前城」。 すぐ堀。 満開を少し過ぎる感じ。 お昼時。さくらの広場でたくさんのグループが弁当を広げている。 先客からベンチを一つ譲ってもらって「いなかだて」で仕入れた弁当を広げた。 さくらの花びらが弁当の中に舞い降りてくる。 「一目千本桜」では味わったことのない光景だ。 一度に散らすのではない。 あっちの木で散ったかと思えば、こっちでという感じ。 それが次から次へと伝わっていく。まさに花吹雪簿オンパレード!満開のときでなくてよかった。 ここでは、面でさくらを見ることができるのだ。 だから1本いっぽんの木の花吹雪を見ることができたのだ。 水辺と堀のさくらのコラボもいい。 花びらが水面を彩り、埋める。 花びらの中を行くオシドリ。 城と堀とさくら。 睡蓮の葉の花飾り。 花びらで埋まる水面を楽しむボートの群れ。 さくら、さくら 一度では伝えきれない弘前のさくら。 「サクラの旅」の締めくくりは、明日としよう。
2010.05.20
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<早朝、“うめんつあん”から電話> 先日、酪農家の弘さんが牛糞堆肥を撒いてくれた。 それで今日、キノコ屋の“うめんつあん”が「ぼち村」の畑を耕してくれることになった。 だが、雨が降り続いていて延期をするとの連絡。 というわけで、昨日、あわてて冬越しの野菜を抜いた。 上がニンジン。下はゴボウ。いずれも割り箸ほどの太さ。 種蒔きが遅かったため育たなかったのだ。実験と思えばよい。 暑い雪の下でつぶれず、寒さにも耐え、ネズミにもかじられず冬を越せたのだ。 ニンジンには甘味があり葉も食べられる。ゴボウも生で食べられる。 「ホウレンソウ」は塔が立ち始めたが、まだ柔らかいので地上部を刈り取った。 おひたしや油いためなどにすれば、まだまだ食える。 ただ、女房が動くかどうかだ?理屈っぽいからなぁ・・・ <またまた「しまった しまった!」> 昨日の昼間までは上天気だった。 それで、ほぼ完成していた「乾燥シイタケ」を最後の仕上げにと外に干して「ぼち村」へ。 ところが夕方から雨。久しぶりのお湿りを喜んで帰ってきたのは午後7時過ぎ。 そして、雨水をたっぷり吸って白くふやけた「干しシイタケ」を見つけたのは今日の昼前。 すっかり忘れていたのだった。ざんねん! 明日はいい天気になりそうだが、元の乾燥状態に戻せるのか分からない。 またまた「しまった しまった・・・」である。
2010.05.20
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うす雲が広がり、柔らかい光が降っている。 我が家の「シロフジ」は満開! ウメやクワの木に巻きついて、そよ風にゆれている。 光に透ける乳白色は格別。 食べごろでもある。 テンプラにすると、しゃきしゃきした中に蜜の甘さをじわっと楽しめる。紫のフジも同じ。 寂しいのは、ハチやアブたちの合奏が聞こえないこと。 しんぱいだなぁ・・・
2010.05.19
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今日は夏日になった。 だから、5月初めの桜は葉桜だが、旅の締めくくりをしておきたい。 4日の宿は「発荷峠」(はっかとうげ)。十和田湖を見下ろす展望所。 まわりの山肌には残雪がいっぱい。 冷え込みを心配したが、狭い車中に3人なので問題なし。 翌朝、6時前に起床。茶屋の裏の遊歩道ではフキノトウが顔を出していた。 その大きいこと!これが「アキタフキ」。宮城の3倍以上もあろうか 朝もやの中に十和田湖を望む。 やがて十和田湖畔にでて、しばらく湖岸の道を進む。残雪はない。 途中「キリストの墓」の標識。エツ?と通り過ぎ。引き返そうとすると女房からストップ。 道端に「エンレイソウ」を見て、 ヘアピンが連続する急坂を上る。 周りは霧に包まれた雪の林。ライトをつけて走る。 この山を御鼻部山(おはなべやま)という。展望台があったが、視界ゼロ。 ここから下り、道端に「ミズバショウ」を見る。 里に下りていくにつれ、緑が増え、桜の花も咲き進む。 脇を流れる川は、雪解け水で軽やかに流れ下っている。ただ水は緑っぽい? 道の駅「虹の湖」でひと休み。 公園の桜(オオヤマザクラ)は満開! ダム湖の水の色も透明ではない。奥入瀬の渓流も入っているのに? 「浅瀬石川(あせいしがわ)ダム」という。 水の色が気になって、ダムの資料館に行って訊くと、全く関心を持っていなかった。 これから最終目標地「弘前城を目指す。
2010.05.18
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きやぎ2010年市民の憲法行事 講演会 NHK『坂の上の雲』をどう見るか=「韓国併合」100年を考える= 講師 中塚 明さん 昨日の午後、この講演会を九二一つあんと聴きに行ったのだが、会場を間違えてしまった その間違った所は、ドキュメンタリー映画「ゆたんざ未来世~知花昌一・沖縄読谷平和学」の上映会で、その途中からだった。 あれっ?と思ったが、韓国の留学生が出てくるし、途中から入って途中で出るのは悪いし、悪い映画でもないし。で、「おわり」となって受付けに確かめると、やっぱり違っていた。 下の階のセミナーホールだ。 そこへ行って訊くと、あと1時間残っていると言うので、戻って九二一つあんに話をすると今からそこへ行くと言う。訳を話したら払い戻してくれた。申し訳なかったが老いの力だ。 目的の会場は聴衆でいっぱい。立って聴いている人も多く、割り込ませてもらう。 九二一つあんはイスに座らないと聴けないというので、譲ってもらって聴いた。 90才に免じて通させてもらった感じ。ごめんなさい やっと落ち着いて聴き始める。 時間は半分を過ぎていたが、まだ司馬史観批判の途中だった。 レジュメを見ると、私が聴きたかったのは初めと終わりの部分。 つまり、 ○「韓国併合百年」の節目に、なぜNHKは司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』を放映?だ。 それを説明するために、中塚氏は以下のように項立てていた。 1.「視覚的なものに翻訳されたくない」と言っていた司馬遼太郎 2.それをかえりみず放映 ・総指揮「エグゼクティブ・プロヂューサー 西村与志木」 ・俳優の「はしゃぎよう」 3.『坂の上の雲』の最大の問題ーー司馬は韓国をどう書いたのか ・江華島事件や王后閔氏殺害などの事実を書いていない ・日本が朝鮮を侵略した事実、朝鮮の自主・独立の動きを書いていない ・生きている朝鮮人を何も書かなかった 4.歴史が生きている韓国 ・日本の植民地政策は、今も影を落とし続けている。 一つの民族の命が回復されていないのだ。 5.歴史に学ばないのかーNHK 『坂の上の雲』ガイドブックより ・新たな歴史の偽造 「王后閔氏殺害」に日本人がかかわったことを一言も書かない ・俳優たちの歴史離れした発言 ー日本のマスメディアは日本人をどこに連れて行こうとしているのかー と、締めくくった。 最初のところは聞けなかったので、録音のダビングを送ってもらうことにした。 「日韓併合100年 写真展から。
2010.05.17
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五月晴れ! 今日は午後まで予定がびっしり。 先ず、朝から「ぼちぼち村」のある不忘地区の年に一度の「取水場と浄水場」の大掃除。 若葉が萌え出した水源地。今年は、不忘地区に住み着いた牧師さん夫妻も加わって賑わいのある作業となった。 天気に恵まれ、早めに終わる。午後は九二一つあんと大事な講演会。 地区に唯一の食堂「ささ村」でラーメンをいただくのだが、時間との勝負! 幸い一番目のグループで作ってもらいセーフ! 「坂の上の雲を堂見るか」の講演を聴きに行くことにして、九二一つあんと待ち合わせている「JR槻木駅」へ大急ぎ。 15分前に到着。 ここまで順調! 仙台駅に着いたら会場の確認。 駅の近くだと思っていたけれど、交番で訊いてようやく分かる。 な~んだ。一番町の角のビルの中。日ごろ山の中にいるとこんがらがってしまうのだ。 次にタクシーに乗ったものの、仙台は「青葉祭り」の真っ最中。 「すずめ踊り」のパレードが続き、遠回りすることになる。 更に、ここから感違いが起こる。 会場をまちがってしまったのに気付かず1時間。 反原発の仲間が入ったので、ここだと思い込んだこと。 沖縄の戦場跡を見学する留学生を扱ったドキュメンタリー映画が上映されていて、韓国の女子学生がでてきたので、二人して終了後講演が始まるものと思い込んだことによるもの。 今夜は眠くなったので、講演の紹介は明日にする。
2010.05.16
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昨日送った山菜、届いたと連絡が入る。 川崎市のOさんからお昼過ぎ。 調理方法を教える。 こちらでは当たり前の食材だけど、都会の人には珍しい物だから・・・ (発送が、受付け締め切り間際になったのでメモ書きを入れることができなかったのだ。) 東京・浅草のFさんは留守の間に電話が入る。 Fさんとは30年以上会っていない。 年賀状のやりとりと、1・2度の電話連絡だけだった。 (その気になれば、いつでも会えると思っていたのだった。) 夜、声を聞きたくて電話を入れる。 先ほど、浅草の三社祭から帰ってきたところだと元気な声。 心臓の大手術をして自宅療養に入ったところだそうだ。 人は誰でも、いつどうなるか分からない。 『会いたいと思ったときが、会い時なのだ!』と、心に刻みなおしたのだった。
2010.05.15
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<「竹の子」外交> 我が家の狭い裏山(高さ7~8m)に、今年も隣から越境した「竹の子」がニョキニョキ。 このまま放っておくと竹山になってしまうので採るしかない。 親は隣で、子は我が家。あんまり喜べるものじゃない。 気を遣うのだ。 昨日は知り合いから『竹の子掘ったから取りに来て』と、ありがたい連絡。 裏山のよりみずみずしくて柔らかそう。 一度に食べきれないので、あちこちにおすそ分け。 この季節、巷では「竹の子」が飛び交っている。 <いっ時の輝き> 昨日の夕暮れのこと。 冷たい西風が吹く中、里山が突然輝いた。 蔵王連峰の上に雲のすき間ができていた。 間もなくシルエットに変わっていった。
2010.05.15
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今日は午前中から「ぼちぼち村」へ。 本日の目標は「タラッポ(タラの芽)」採り。 闘病中の二人の先輩に贈るのだ。 Kさんもきていて、手伝ってくれた。 この辺は、ちょうどいい大きさ! いい「タラッポ」が採れた。 午後、気温が下がり、冬の終わりのような寒さとなる。 夕方、竹の子やシイタケやコゴミなどを追加して梱包し、宅急便で発送。
2010.05.14
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午後、日がさしてきた公園でのこと。 『水を飲モーと』幼児たち。 蛇口を開けすぎたのか噴水になってしまった。 ビックリ! 『うわー だれかきて~!』と、びっくり! 『何してんのー』と近くの小学生。 『うわー!ふんすいだあ~ あははは・・・』 天を仰いで大喜び 『あれぇ~、何してんの~・・・』と、若いお母さん 大あわて 『とまったあ~・・・』 子どもたち、がっかり。
2010.05.13
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移動の途中「ストーン サークル」の看板が目に入った。 [うん、これは寄って行かねばならない]と、表示に従って進むとほどなく到着。 夕暮れが迫ってくる時間だったが、まだ2・3人の見学者あり。 所は、秋田県鹿角市十和田大湯。 縄文時代後期(薬4000年前)の共同墓地と考えられている。 先ず、「万座環状列石」へ。 河原の石を菱形や円形に並べた組石の集まりが二重の同心円状(環状)に配置されている。 これほど大きな物を見るのは初めてだったので大感動! 中心部(内帯)の組石。 この「万座遺跡」は直径が46メートル。組石は48基。 周囲には床なし(土間)の掘立柱建物跡にレプリカが10棟あまり建てられいる。 次に大急ぎで隣の「野中堂環状列石」へ。 ここの組石は万座よりやや少なく44基とのこと。 それにしても?と素朴な疑問が浮かんでくる。 ○どんな人物がこの共同墓地を発案し、人々を動かしたのか ○どうやってこの円を正確に描いたのか ○この状態が完成するのに、どれだけの月日がかかったのか ○その間、強いリ-ダーシップを保持できた人物とは(権力者?) ○近くに川はなし、どうやって運んできたのか などと。おもしろいなぁ・・・ (高校の世界史の授業を思い出していた。) 縄文人が歩いている夕暮れの遺跡をあとにした。 この夜の泊まりは・・・
2010.05.13
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きのこ屋の“うめんつあん”は、去年から隣の地区(七ヶ宿町横川)の県道わきに咲くハスの花がきれいだと欲しがっていた。 それで、そこの地区で酪農を営み町議をしている友人のSさんに相談したら、『ケチでない人がよかんべ』と横川集落(以前は茅葺の家々が並ぶ小さな宿場だった)のKさんを紹介してくれた。 昨日から降り続く冷たい雨なのに、『これくらいならもらいに行くべ』と言う。 しかたがない。86才の“うめんつあん”が言うんだ、軽トラに乗せて連れて行く。 Kさんは、こたつに入ってテレビを見ていた。 挨拶をすると、『すきなだけ掘っていってけらい』とハス田に案内してくれた。 1反部ほどの休耕田いっぱい広がっていた。 ここは、標高500メートル以上の積雪地帯だが、もう芽が伸び始めていた。 “うめんつあん”は肩まであるゴム手袋を準備していた。白い長靴も新品だ! 小雨の中、どろ田の中に手を突っ込んで、初めての蓮根掘りに夢中になっていた。 蓮根がどう伸びているか分からず手間取った。 背中は濡れて冷たくなったが、スチロールの箱2つ分いただいた。 家に帰った“うめんつあん”は、自宅脇の池に植えると運んでいった。 池にはヒキガエルの帯状の卵がうじゃうじゃと産まれ、深みでは鯉が暴れていた。 “うめんつあん”の好奇心とやる気は、まだまだ旺盛!
2010.05.12
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「葛巻町」は山に囲まれた高原の町。 先ず風車のお出迎え。 ここはエコな町作りで知られている。 集落は両脇を山に囲まれ、中央を国道が走る酪農地帯。 傾斜のきつい山肌には、無数のカラマツが植えられ、これが木材ペレットに加工され薪ストーブの燃料になっていると聞く。 辺りは一面の牧草畑。 牛の糞尿からはガスが採取され、活用されているという。 集落の終わりに、びっしりと「ヤドリギ」に覆われたヤナギ?の木が・・・ これから「十和田湖」へと向かう。
2010.05.11
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次に「龍泉洞」を目ざす。 内陸部に入るにしたがって、満開だったサクラも5分咲きとなる。 昼過ぎ「龍泉洞」到着。無料駐車場の看板を見つけ入る。 ここも出店が並び、観光客でいっぱい。 大人1000円。「タカ」は障害者割引で半額。 入場券を購入して入ろうとしたら、「タカ」が固まった。動こうとしない。 そういえば、一昨年の秋芳洞でも、大分県の鍾乳洞でも入れなかった。 入り口まで行くと、何かを感じて入れなくなるのだ。 仕方がない、代わり番こに見学。先ずは小生。 入り口から青く澄んだ地下水に息を飲む。 天井からのしずく除けに、透明の波エンビ板をがかけてある。 なるほど。いいアイディア だが、見通せない傘をさすか、合羽を着るか・・・止むを得まい 30分ほどで出口。 大急ぎで「タカ」のところへ。 そして女房とバトンタッチ。「タカ」のチケット代金は、訳を話して返してもらう。 母親の後を見送って『入ってみない?』と誘いをかけると、『入ってみたい』という返事。 では、と勇んでチケット売り場に行き2枚購入。 本人に1枚チケットを持たせ、入り口へ。 もぎってもらうところまではうまくいった。 が、どうしても洞窟の中へは入れない。冷機のせいか、轟音のせいか、暗闇のせいか? でも、一歩前進だ! 三度チケットうりばにいき、返金をしてもら。 駐車場に戻る途中の出店の中ほどで女房と出会い、無事「龍泉洞」見学を終わる。
2010.05.10
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昨日は、「ぼちぼち村」のある不忘(ふぼう)地区の春祭りだった。 この小高い山の頂上が「不忘神社」。 急な階段を息を切らして登って一年の無事を祈る。 集会所の広場では、女性達が宴会の準備。 今年は久しぶりに満開の桜の下での宴となった。 小生が差し入れた<あまざけ>の味は、まずまずだったようだ。 地区民や来客との交流は貴重なものとなる。 前日(8日)は、年に一度の“側溝さらえ”と“ゴミ拾い”。 広い開拓地の市道は生活道路だから5・6キロもあろうか。 それを30人くらいで作業する。軽トラの荷台に便乗しての移動となる。 最後は「牛魂碑」広場のテングス病にかかった桜の枝伐りも。 トラクターのバケットに乗って枝を伐るYさん。 朝9時から夕方4時までの作業で、みんなくたくた。 終了後、自治会長の配慮で冷えた缶ビールが振舞われ、疲れを流した。
2010.05.10
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「浄土が浜」の近くに「崎山の潮吹穴」があるというので寄った。 岩の穴から海水を高く吹き上げるというのだが、条件が悪いと見られないとのこと。 「タカ」がトイレに入ってなかなか出てこないので、一人で遊歩道を下って展望台へ。 先客が4名。「どこから吹き上げるの?」と訊かれるが、こちらも初めて。 どうも条件の悪いときにぶつかったようだ。ザンネン!しかたがない・・・ 下の岩場を見るとウミネコの群れ。 よく見ると、上の岩場では水を飲んでいるではないか! 入れ替わり立ち代り。晴天で気温が上がったので、のどが乾くのだろう。 展望台の上から流れてくる水が岩の上に溜まる場があるようだ。 更にもう一つの展望台に足を伸ばすが、特別なものなし。 と、少し戻ると道を横切る10cm幅の小さな流れに走り寄るものあり。 足元を見ると、尻尾の切れた「カナヘビ」さん! 細いベロをチョロチョロと出して水を飲みだした。 カメラを近づけても、我関せずの雰囲気。よほど乾いていたのだろう。 こんな海っぺりに「カナヘビ」が、と驚き、始めて見る水飲み風景にまた驚く。 とにかく知らないこと、分からないことがたくさんあって、小さなことを見つけても自分にとっては大発見の喜びとなるのだ。 <お詫び> 昨日、「浄土が浜」の記事でカモメと書きましたが、拡大して見るとカモメではなく「ウミネコ」でした。訂正いたします。
2010.05.09
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いよいよ「浄土が浜」。 満開のサクラがお出迎え。 でも、白い岩の魅力に圧倒されて目立たない感じ。 宮城(吉川)の団十郎さんは、昨年ここで曲を作った。 彼のDVDを見たときは石灰岩の浜だと思っていたが違っていた。説明によると「白色石英粗面岩」というのだそうだ。 大音量で宣伝していた遊覧船が間近を通過していった。 ボートで楽しむ人も。 イワノリを採る人(漁民)も。 カモメたちは眺めていた。
2010.05.08
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初日の宿泊は、岩手県の宮古港。 波止場では、夜遅くまでストリートミュージシャン。 「タカ」は何度もトイレまで行ったりきたり。調子が悪いのか興奮気味なのか分からず。 11時ころようやく就寝。暑くて寝苦しかった。 次の朝、カートラベラーの人たちの朝は早い。 目を覚ますと隣の車は出発したあと。 我がパーティーは朝飯の準備。「タカ」はこのときが大好き。離れない。 車で10分ほどで「浄土が浜」。一般車は進入禁止。駐車場から歩く。 途中の道路脇では草花たちが これは「シロバナのエンレイソウ」。 我が家の方では、「アカバナ」がほとんどで「シロバナ」は貴重品だが、ここ岩手の沿岸部では「シロバナ」が中心のようだ こちらは「カタクリ」。 我が家の方では、主に里山以上の山間部で自生するのに、ここでは沿岸の林の中から ところ変わればなんとやら・・・ そして、ようやく「浄土が浜」 遊覧船の呼び込みが響く。 今日は、日中まとまった雨。夜上がる。 カエルの声、さかん。
2010.05.07
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初日、準備が遅れて11時近くの出発となった。 先ずは、陸中海岸国立公園の「浄土が浜」を目ざすが、仙台周辺で渋滞。更に遅れる。 早速予定変更。 隣の宮古の道の駅「なあど」にて宿泊。「浄土が浜」へは次の朝にする。 その分、途中を楽しむことに。 東北自動車道“北上江釣子IC”で降り、遠野へ。 千葉家に寄ろうとしたが、うっかり通過。道の駅“遠野風の丘”で休憩。 駐車場はいっぱい。随分繁盛している。 そこでめぼしい物発見! でかい「マイタケの菌床」!1個1、470円。 うめんつあんは先日植菌作業を済ませたようだが、こんなに大きな物は作らない。 道の駅を出ると間もなく目の前の山の上に10基ほどの「風車」が飛び込んでくる。 なるほど“風の丘”だ。 しばらく行くと道幅が狭くなり、左折を見落とし直進してしまう。 お蔭で、古い「水車」を見ることができた。 子どもたちが、草の葉やタンポポの花を流して遊んでいた。 駐車場脇のサクラは3分咲きといったところ。日は西に傾きだしていた。 国道304号線は、やがて山間部に入り、峠を下りだすと目の前のカーブに「ヤドリギ」をたくさんまとった「ブナ」の大木が。 「ヤドリギ」に、こんなにもてる木は少ない。 やがて宮古港脇の道の駅「なあだ」へ。
2010.05.06
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午後8時、東北半周サクラの旅を終えて帰宅。 北上し、山に上るとサクラの様ざまな様子(変化)を楽しむことができた。 最後は弘前のサクラで締めくくった。 明日から、旅の様子を紹介しよう。
2010.05.05
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おととい、女房の車をチェンジした。 この車、製造されてから15年、走行距離はゆうに20万kmを超える。 中古車で買って6年目。今日で車検が切れるのだ。 この車で親子3人北海道、九州、四国、能登半島各一周の旅のほか東京や神奈川への度を幾度となくやってきた思い出多い車なのだ。 が、左のヘッドライトのレンズが割れ、同じ左のドアーの間が大きくへこんでいる。(いずれも女房の作。)これもチェンジの理由。 今度の車は日産車。 立派そうだが、5年前の製造で走行距離約11万km。FFのガソリン車。50万円也。 我が家にしてみれば<中古車の新車>だ! これだと3人寝ることができそうだ。 明日、その居住性を確かめるため、弘前のサクラを見に行くことにした。 2泊3日の予定。
2010.05.02
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昨日は疲れた。 東京で4月に就職下ばかりの次女が彼氏を連れて帰ってきた。 卒業直前には、『付き合っている18歳上の彼氏がいる』と言ったと女房から聞いた。 『エッ!18も違うのか!?』とびっくり。 それは理屈は間違いではないよ。 でもねぇ、40を過ぎると60まではたちまちだ。 おれは聞かなかったことにすることにした。 それからしばらく音沙汰なしで平穏な暮らし。 3日前に女房の携帯に電話。彼を連れて帰るので会ってくれと言う。 オレは『会いたくない』と答える。 が、女房は『そんなこと言ってたら結婚なんかできないでしょ』とくってかかる。次女から何も聞いていないので名前も生業もなのも分からないのに・・・ (いろいろ都合を考えたが、これといって断るようなもっともな理由は見つけられない。) しゃくだが、しかたがない、合うことにする。 これは、おれが決定権を持っているものではない。 あくまでも二人の問題だ。 親は心配役でしかないのだ。 前日は、〔二人は、どんな目的で結婚したいと思っているのか〕など何を話すのか、あれこれ頭の中を駆け巡る。 おれは、こんなことは大の苦手!逃げ出したいくらいだ。 昨日、午後3時ころ、東京からレンタカーで到着。 次女は、にこにこと降りてくる。 女房は、「竹の子入りホッキめし」を食べさせようと張り切っている。 彼は、インド哲学科の先輩で仏教の研究をしてきたという。 年は44才!エッ18ではなくて20才の差! 生業は、アルバイトの掛け持ちで月収は25万円前後という。 これでは、どうやって生活するの。甘いもんじゃないよ! 60までは、手の届く時間だよ。と言ったところで、どうしょうもない・・・ 自分が60を過ぎ、子育てを振り返ると20年はとてつもなく大きく感じられるのだ。 こんなハンディーがあるのに結婚する目的は?など訊いていると、真面目さは伝わる。 女房の手作り食事が終わり、デザートタイムに入ったら、次女から 『実は、今入っている部屋は6月更新なので、彼の部屋に引っ越したいと思っている。お互い都合がいいんだ。』と言い出した。 突然の話に、女房は『同棲したいということ?籍は入れた方がいいよ。』と反応。 彼は、特に濁すわけでもなさそうに『それでもいいですが・・・』と答える。 おれは、『まあ、大人同士だからひとに迷惑をかけなければ・・・』と、その場は答えた。 それは、結婚の形態はいろいろあるしあってもいいと思っていたものだから。 でも、どこかでわだかまっていた。 彼らは2日までしか休みが取れないと言って、6時前に戻って行った。 6時から仙南地区のメーデーなので「タカ」と出かけた。 行進しながら、さっきの同棲問題が引っかかってきた。 なんだ、結婚の申し込みではなくて、同棲の許可をもらいにきたのだと思えたのだ。 とすっきりしていないので、思わず「はぁ~」とため息が出てしまうのだ。 こんなことは初めてだ。つかれた・・・
2010.05.02
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昨夜半、雲が切れ、満月顔を出す。部屋の奥まで明かりさす。 今日は春の光に誘われて、ようやく田んぼの代かき始まる。 2月からの冷え込みで農作業は随分遅れている。 今年の農作物はどうなることやら・・・
2010.05.01
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