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今年の夏旅行は「沖縄」に行くことになりました~♪次男がこの間1歳になったばかりなのであまりバタバタせずにゆっくりリラックス旅行にできたらいいなと思います。子供連れの沖縄旅行は遊びに行く場所や食べ物、ビーチに出る時間なんかも気を使わないといけないようです。沖縄のガイドブックはたくさんあって迷いましたが、分厚いガイドブックはそれだけ情報がたくさん載っているのかなと思ってペラペラめくって見てみると、お店やホテルの広告なんかのページが多すぎて見づらいものもありました。ムリをしない赤ちゃん連れの旅行なので一番欲しい情報が載っていると思い、この「こどもと行く沖縄」を買ってみました♪久々の沖縄になりますが、あの独特の文化の雰囲気を感じられると思うとワクワクです。ってあまり考えすぎると欲張りになってあれもこれもとバタバタ旅行になってしまいそうです子供が喜ぶのは「美ら海水族館」、「ゆいモノレール」、ビーチでは砂場セット。。。「DFSギャラリア」はどうかな~?ガイドブックには「ママの憧れ」って書いてあるけどブランド物には興味ないしなぁ(笑)子供が大きくなったらいっしょにシュノーケルしたり民謡酒場に行ったりしたいな、あとリゾートホテルじゃなくって民宿!いいんですよ~、隣の家のおじいの弾く三線の音なんか聞こえてきたりして、民宿のおばあが作るごはんも量が多すぎたりしてそれがまた想い出になったりするんです♪とにかく家族で楽しい想い出に残る旅行にしたいので今からいろいろと計画中です
July 26, 2007
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ザ・シンフォニーホール開館25周年記念コンサートのひとつである2008年1月22(火)の、ユンディ・リのピアノリサイタルのチケットがとれました~♪一般発売前のチケットぴあのプレリザーブというのを昨日知り、ギリギリに申し込み、さっき第一希望のB席がとれたというメールが来たところです!たくさんのピアニストが技と音楽性を競い合う5年に1度だけショパンの故郷であるポーランドのワルシャワで開催される「ショパンコンクール」。過去の優勝者の顔ぶれはマウリツィオ・ポリーニ、マルタ・アルゲリッチ、クリスチャン・ツイマーマン、そして1985年の第11回はスタニスラフ・ブーニンという世界をリードするピアノストたちを生み、世界中の若きピアニストたちの憧れであり目標であり、とにかくこのコンクールでの優勝者は世界中から一躍注目されることになります。しかし、85年のブーニン以来、第1位の該当者は出ず、2000年の第14回で実に15年振りの優勝者が出たのです。それが当時18歳のユンディ・リでした。私がユンディ・リを知ったのはこのショパンコンクールの模様をテレビのスペシャル番組で見たときです。たまたまテレビのチャンネルをかえているとちょうど番組のオープニングで、母とあっショパンコンクールかぁ、今年はその年だったんやなぁ~なんて言いながら見てました。そのときの記憶を少し辿ってみると、番組はコンクールの映像のほか、出場者のなかでも有力と思われる人物にスポットを当て、コンクールまでの道のりみたいなものも織り交ぜられている内容でした。その有力な出場者はロシアのアレクサンドル・コブリン、また日本からの出場者として梯剛之さんや佐藤美香さんの姿がありました。しかし、ユンディ・リ、この当時18歳の彼は明らかに事前の番組の取材は少なくあまりマークされていない感があるにもかかわらず一人だけ軍を抜いていました。技術?いやいやそんなもの私にはわかりません、人を魅了する何か、とてつもなく大きな何か、とても堂々としていて、見る人をひきつける演奏スタイル、舞台に立つ人はこうでなくては!!と体が熱くなるほど興奮したのを覚えています。結果、優勝。ショパンコンクールの最年少記録を塗りかえて頂点に立ったのです。このコンクールの審査員を務めていらっしゃった中村紘子さんのコンクール終了直後のインタビューでは、ユンディ・リの類稀な演奏家としての魅力、オーラのようなものに魅了されたということ、技術がどうこうというよりもこのユンディ・リの持つスターの素質のようなものを審査員一同が評価した、という内容のことを興奮して話されていたのを記憶しています。そんな強烈な印象を受けて早7年、彼は更に技術に磨きをかけ、美しくクリアな音色と繊細さを持つピアニストとして世界の観客を魅了しています。はじめて来年の1月、彼の演奏するピアノを生で聴くことが出来そうです(泣)今からもう楽しみでドキドキしてきましたよ~♪【YOUTUBE】 Yundi Li 「Sun Flowers 」
July 20, 2007
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元禄十五年十二月十四日、赤穂浪士四十七士、見事、吉良邸へ討ち入り亡君浅野内匠頭の仇を討つ。勝ちどきをあげ、吉良邸から泉岳寺へ向かう途中、どこで聞きつけたか江戸の町人たちは浪士たちを拍手で迎える。瓦版がヒラヒラと飛び交う辻。大石内蔵助が泉岳寺へ引き上げた時に詠んだ辞世の句 あら楽や 思いははるる 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし (あら楽し)どれほどの達成感であったことだろう、浅野内匠頭の突然の江戸城松の廊下における刃傷からはじまったこの事件、多くの家臣が脱落していくなか残った者は五十名に及ばなかった。時が流れ、この国では年の暮れになると「忠臣蔵」の映画やドラマでこのときの一連の彼らの生き様を見、必ず涙する。ただこの「討ち入り」後、彼らが美しく散ってゆく姿でストーリーが完結しています。この芥川龍之介の「或日の大石内蔵助」は討ち入り後から切腹までのあいだ細川家に御預かりされていたときの内蔵助の心境が描かれています。仇討ち後、ただ公儀の御沙汰を待つのみの内蔵助と義士たち、しかし内蔵助の想いとは別にこの事件によって江戸中に妙な影響を及ぼすこととなってしまった。江戸中では仇討ちの真似事が流行、仇討ちを成し遂げる途中脱落した者に対しての世間の風当たりは思ったより辛く噂を聞いては陰りが晴れたはずの内蔵助の心にまた雲がかかる。内蔵助は想う、 「何故我々を忠義の士とするためには、彼等を人畜生としなければならないのであろう。我々と彼等との差は、存外大きなものではない。」と。更には世間の目を欺くため(一応映画やドラマなどではそうなっている)の廓での彼の放蕩にも話が及び、事実はそっちのけで話が一人歩きしていってしまう。すべて内蔵助の想いとはかけ離れていっているように。。。芥川龍之介がこの時期の内蔵助のこころを覗くように書かれたこの小説は、日々刻々、移り変わる人間のこころ、今日が明でも明日は暗、明を持続するのはとても難しい。寛永寺で「あら楽や・・・」と詠った内蔵助、切腹し果てるまで、そのときの感情をはたして持続しただろうか、と疑問を投げかけているように思われる。また、これまでの内蔵助は見る側にドラマティックな感動を与える英雄的人物として演じられて来ました。しかし、討ち入り前の内蔵助の苦悩の「暗」から討ち入り直後の「明」へ、そしてまた「明」からまた「暗」へと変化する内蔵助の人間らしい微妙なこころを描くことによって、人間とは根本的には皆こういうものだ、内蔵助も例外ではなく最後までこころに明暗の両方を抱きながら死んでいったのだ、作者が小説を通してそう呟いているように感じられました。この小説は内蔵助が書物を読んでいるところからはじまりますが、その書物は「三国誌」、のちに英雄として語り継がれる内蔵助が、ずっと昔の英雄伝を読む姿が面白い。「それから何分かの後である。厠へ行くのにかこつけて、座をはずして来た大石内蔵助は、独り縁側の柱によりかかって、寒梅の老木が、古庭の苔と石との間に、的礫たる花をつけたのを眺めていた。日の色はもううすれ切って、植込みの竹のかげからは、早くも黄昏がひろがろうとするらしい。が、障子の中では、不相変面白そうな話声がつづいている。彼はそれを聞いている中に、自ら一味の哀情が、徐に彼をつつんで来るのを意識した。このかすかな梅の匂につれて、冴返る心の底へしみ透って来る寂しさは、この云いようのない寂しさは、一体どこから来るのであろう。内蔵助は、青空に象嵌をしたような、堅く冷い花を仰ぎながら、いつまでもじっとたたずんでいた。」
July 13, 2007
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映画「憑神」見てきました♪妻夫木聡くんはじめ西田敏行、佐々木蔵之介、江口洋介、夏木マリ、香川照之。。。と豪華な出演者でしたが原作の方が良かったかな。でも楽しく観れましたよ~♪主演の妻夫木くんは別所彦四郎役にピッタリで文句なしでしたし、佐々木蔵之介さんも能天気であまりできがよくないが憎めない彦四郎の兄、左兵衛役を完璧に演じられていたと思います。原作では、文武両道、秀才の誉れ高く将来を嘱望されていた彦四郎、それなのに自分ばかりが災難に遭い不遇の身、周りもそんな彦四郎に同情的。。。しかし彦四郎が貧乏神、疫病神、死神に出会うことによってそれまで気付かなかったことに気付く。兄にかわって「御影鎧番」につく彦四郎は想う、兄は別所家長男としてこの御役を十五、六の頃に受け継ぎ二十年も務めていたのだ。次男坊の自分はそのあいだ学問に勤しみ剣術に励むことができたんだと。「生来おのれがすぐれているのではなく、文武の芸を修める機会を、兄が与えてくれていた」映画ではこの部分は省略されていたのが残念です。そしてクライマックス、原作では「限りある命が虚しいのではない。限りある命ゆえに輝かしいのだ」そう言い残し、将軍の影武者ではあるがホンモノのように人々に「上様」と見送られ。。。映画ではこの部分も少し違っていました。それにしても原作者の浅田次郎の描く刀や鎧や陣羽織の描写が上手すぎる。日本の武士の精神とそして文化をあらためて素晴らしく誇るべきものだと感じさせられました。やはり小説は読んで良かったです。前に京都の太秦映画村へ行ったときの「憑神」のセットです♪撮影時の写真がたくさん展示されていました。セットは別所家の母屋です♪映画のパンフレットの妻夫木くんのインタビューによればこの京都太秦の撮影所での撮影がすごく楽しかったらしく「昔から時代劇をやってきたその道のプロの仕事に触れた時の感触がすごく良かった。『京都の撮影所はいいな!』としみじみ思いました。」と映画職人たちに囲まれ、自身の演技も深まっていったのだそうですよ♪
July 8, 2007
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昨日の夕方、友人からメールがありました。見てみると「今翼」の漢字2文字のみ。これ見てちょっと笑ってしまいました。私らしかわからんやんこれ♪今井翼くんの意味ではありません(笑)実は先月の6月26日から大阪城ホールで全部で6日間もあるコブクロのライブが行われていて友人に7月1日のライブ一緒に行こうと誘われていました。行きたいのはやまやま。。。でもライブとなると時間がけっこうかかるので実家に子供二人も長時間預かってもらうのも悪いので次回また誘ってねということで今回はいきませんでした。そして当日コンサートがはじまったぐらいにこのメールがはいったのです。「今翼」とは「今、「君という名の翼」歌ってるよ!」っていう意味でしょう。私が大好きな歌っていうこと知ってるから♪歌ってくれたんだぁと私も自宅でこの曲をかけてみました。う~んいいなぁやっぱりこの曲今日、早速朝早くに彼女からメールが入っていました。「良かった~、感動!」って書いてあることを期待したらしょっぱなから「黒田のお笑いレベルめっちゃ高いわ~びっくりしたよ!!」と書いてありました(笑)彼女は大の黒田ファンなのです。で、彼女とは昔からライブによく行きましたが、彼女はその大好きなミュージシャンをいつも愛情こめて非難したりするんです(笑!)メールには「黒田が声張り上げて歌うから小渕のいい声が消されるねん、少しは遠慮しなあかん!とにかくお笑いライブは最高!こんどは絶対連れていくからね!」とありました(笑)この短い日常大阪弁で書かれた文章でライブがどんなに素晴らしく彼らのトークもとっても面白いものだったのかが伝わり、こっちも行っていないけど顔がほころんでしまいました♪次回は絶対に行ってみたいなコブクロの漫才ライブ
July 2, 2007
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