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1900 私がこの仕事に関わって、48年、最初の半年だけ、与えられた装置(西ドイツ、シュレーダーシュタインデルマン、ライヘンホイザーからの装置を導入いたという記憶がある)を使いこなすために、先輩達がやっている仕事を覚えようとした。教えてもらいながら、覚えながら、その状況は不満だらけだった。製品がうまくできていなかった。不良品の山だった。装置に大きな不満が生じた。なんとかしなければならないと思った。半年後からは、関わる仕事のすべてを、私の考えと腕で、した。装置の大改善に手をつけた。誰からも指導を受けなかったし、参考にする文献もなかった。ただし、技術以外のことに関いて、ただ一人、先輩(上司)の中に、仕事に対する取り組みが非常に熱心な方がいた。三年ほど、その人の姿、姿勢を参考にした。塩崎さんという、自衛隊習志野空挺部隊出身の猛者だった。“空の神兵“を、一緒によく歌った。それと同時に他の人に対する、技術指導をする立場になった。それ以来、ずっと、技術開発とそれにともなく技術指導の連続が私の仕事です。自分が作ったものを自分が作り続けることないのだから、誰かに、それを覚えてもらって、生産をしてもらわなければならないのだから、当たり前のようにそういていた。66ナイロンの二硫化モリブデン10%入りの馬蹄形をすぼめたような形のベルトコンベアーの鎖が滑るラインのガイドレールという製品を日本で初めて作った。66ナイロンのチューブや異形品(プロファイル)の生産は、日本での草分だった。そのすぐ後、6ナイロンのプロファイルも手掛けることになった。まだ、誰も出来ないこと、出来るかできないか、返事に迷うことは、やると返事をするという、姿勢が確立された。さて、技術指導を何十年も続けてきて、私のような考え方をする人を育てることが、最大の目標というか,希望だった。今もそれをしている途中だ。難しいのは、伝える相手次第だということで、私と同じような人に伝える情況は、無いわけで、自分が満足出来ていないし、伝え具合を評価する人が、私の技術を分からないわけだから、評価できないのだが、評価するのだから、十分だと評価する筈がない。48年、日本人一人、インドネシア人一人の合計二人しか、私の跡継ぎになれるという人に会えなかった。そして、その日本人は、この世にいない。静岡駅北口前の様子、お世話になった交番、この右がタクシー乗り場、芝桜と徳川家康像、鷹刈りスタイル、駿府公園の中に有ったものをここに何時からか移設したらしい。妻の作品、家の中の桜が咲き始めた。評価 無理 相手
2014.03.31
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1899 はっきり言って、どちらも、バカバカしい。8億円、渡辺なにがしという政治家。何をかイワンやである。猪瀬何がしと似たり寄ったり、馬鹿じゃないの、人を馬鹿にするような、言い訳にもならない言葉を、何とかひねり出して、それで、すべてが、治まると思っているのでしょうか、思っていないでしょう。取りあえず、今の状況ではこれしか頭に浮かばないのでしょうね。哀れで、気の毒だと思うしかない。日本の政治家は、こんなものでしょう、レベルが低いというか、貧弱だね。取り巻きの連通も、納得しているのが、また、面白い、呆れるばかり、ほかの政治家が、何億円かを受け取っていて、こんな言い訳をした時に、皆さん、「なるほど、言っていることは納得できる」、と、相槌を打つのでしょうね、きっと。すごい世界すね。インドネシアも税金を納めたくない国だが、日本も税金を納めたくない国だ。それは、別世界にとんでもない話だ。彼らにとって、何が満足で、何が生甲斐で、何が幸福なのでしょうか。私の幸福感とまったく違うようだ。私がインドネシアで安上がりの生活をしながら、自腹を切りながら、技術を伝えているのに、日本の行政や立法にかかわっている人たちは、優雅な生活をしながら多額の無駄使いをしている。特権を多く持っている大使館員の優雅な生活は、庶民感覚では理解できない。JODCなどは、廃止すべきだし、廃止しないなら、すべての費用を半額にするべきだ、私が任せられれば、半額以下で今以上の貢献を外国にすることができる。8%、これもバカバカしい、何故、消費税が3%上がるだけなのに、上がる前に買っておこうという心理になるのでしょうか、私には、わからない。3%安く買えたという喜びのために買っている?高額になればなるほど、その差が大きくなるから?例えば、車や家を買う?そして3%節約する。4月に入って,しばらくして、モノが売れなくなる。値下げしても、売れない、もっと値下げする。値下げ率が5%いや10%以上になる、そんな可能性があることを考慮しているのでしょうか、中古や新古の出回りが増加し、値崩れを起こす品物もあるでしょう。非常食用に飲み物や長期保存ができる品物を3%節約するために今買っておく?賞味期限があるので、そういう考えの人には、賞味期限以内に大震災が来ることを祈ります。私の考え、一番,賢い手段は、現在必要とする日常品以外は買わないことです。現在の価格は強気に、高い値段の付けているはず。車も家も結婚指輪も、今、買わないことです。4月以降、必ず、3%以上の値下がりになるでしょう。半年,買う時期を遅らせれば、10%以上安く手に入るかもしれない。予約チケットや燃料など、市場価格に左右される可能性が少ないものは、値段が下がらないので、買って置いた方が、ちょっと、節約になるでしょう。日本を無理やり見かけのインフレに誘導し、公共料金や輸入品などで、庶民の生活費を高騰させている状態が継続するわけがない。さらなる、量的緩和などと言っている、経済の専門化がいるが、必ず、デフレになるでしょう。モノを買わなくなれば、値下がりするに決まっている。私はガソリンを満タンにするだけです。サラリーマンを止める1年ほど前から、独立して、沼津の工場で仕事をいていたころ、そして、静岡の貸工場に私だけ移り、その後2年間、合計約8年関この分譲住宅地地に住んでいた。建物は今の人によって、建て替えられているが、右の茶色い建物の場所にいた。衝動 無駄 選挙資金
2014.03.30
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1897 インドネシアの日本食レストランの定食の価格は日替わりの場合、税込みで5万Rpから7万Rp,余った材料を処分するための日替わり定食なので、安くできるのです。一般的な定食は7万Rpくらいが最低でしょう、平均では、8万Rpくらいだと思う。Rpから日本円への換算は、ゼロを二つ取って、0.9を掛ける。8万Rpは、720円くらいです。これは、昼食時の値段です。これが、夕食になると、30%以上高くなる。一品料理の高いこと、私は一人で、こんな夕食を食べたことがない。高いですよね、日本国内より、高いと思う。高いと言えば、日本から輸入した食材の価格。税金が高いからでしょうか、象徴的なもの、インスタントラーメン、5個入り、600円以上、うどん、5個入り、やはり600円くらい、お菓子類は日本の価格の1.5倍、韓国産のうどんは、400円くらいです。納豆等は一パック120円くらい、インドネシア産の開発商品、味も食感もいまいちでも90円くらい。だから、私は、こういう、日本的な日本食品に関して、インドネシアでは高いが、日本では格安な食材を選んでインドネシアへ持ってゆく。持っていって、三ヶ月間ほどで、食べて無くなる、という、ペースで、消化する。主食は、インドンシアの食材である。ラーメンなどは、日本の有名チェーン店が、数多く進出していて、“太麺ですか、細麺ですか、チジレ麺ですか”などというのもあるし、味噌や醤油や何々味など、多彩だ。そして、一杯、500円以上、それに、トッピングとかいって、乗せるものを追加すれば、すぐに千円くらいになってしまう。こだわる人は、そういう店を気に入って,利用する。そして、どこそこはおいしい、そうでもないと、うんちくを言う。私はどうか、タカがラーメン、そういった類の店に誘われて行って、何を食べても、うまいと思ったことは、一度もない、もったいないと思うだけだ。それどころか、インドネシアのカップメン、インドミーやスダープなどのインスタントラーメン、30円くらい、の方が、よっぽどうまい。カップ麺のミーゴレンは、格別、私の味覚に合っている。日本から持ってゆく、インスタントラーメンは、5個で200円しない、価格的には、インドネシアのインスタントラーメンとほとんど同じだ。私はそういう工夫というか生活が楽しい。自分には安上がりである。言うまでもなく、インドネシア人,中流の生活をすることができるなら、一月の食費は、2万円以内で済ますことができる。 工夫 節約 安上がり
2014.03.28
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1896 マサカン ジュパン日本食のことです。Jepangは間違いではありません。インドネシア語はこうです。今回も、日本で何人かに聞かれた。食べ物に苦労するでしょう?日本食は、食べられるの? 水は大丈夫? 十何年前も今も、私がインドネシアから戻ったばかりと知れば、こういった質問は、相変わらずだ。今も昔もインドネシアという国は、未開の国、という印象を持っているのでしょう。その都度、こう答える。“全然問題ない、それに、日本食レストランには、一人で行くことはない”。どうぞ、安心してインドネシアに行ってください。舞台はジャボタベックでの話です。ガイドブックのような、日本食レストランやカラオケを紹介している小雑誌や新聞の特集を見れば、百や二百軒はあるでしょう。なお、増殖中です。コンビニもスーパーも日系が続々と開店しています。おにぎりなど、すぐそこで売っています。食べ物で苦労する?先ず、食当たりを心配する。出張で短期間、滞在する人の気持ちはわかる。刺身など生ものを食べて、腹痛になったとか、インドネシアにいる時には、なんともなかったが、日本に戻ってから下痢になったとか、そんな話を聞くことがある。ただし、10何年いて、私の知り合いでは、そんな人は一人もいなかった。だから、よっぽど、運が悪かった人だと思う。長期で滞在を始めた方は、ちょっと事情が変わる。私の印象では、三か月以内に下痢を経験する可能性が高い、それも、若い人のほうが高い。日本食レストランやホテルやサービスアパートの食事しかしない。ミネラルヲーターしか飲まない、歯磨きもアクアを使う、そういった気遣いをしても、なる人が多い。これは、仕方がない、免疫が無いから、体内に初めて入った、細菌、バクテリアが悪さをするのです。しかし、それを一度経験すれば、その後、繰り返す人は、ほとんどいない。通過しなければならない、工程だと思った方がいい。二三か月過ぎて、私は何ともない、という人も、その後すぐに掛かるかもしれない。私の周囲にいる人、いた人、ほとんど、同じです。心の準備をしておいた方がいいと思う。そして、それは、一日、二日で治ります。病院は、近くで充分、より取り見取りです。海外保険に加入していれば、無料です、取り扱い病院でない場合は、支払っておいて,後で、請求すれば、全額、すぐに、戻ってきます。それは、さておき、日本食レストラン、腐るほどあるし、まだまだ、どんどん、増えています。それでも、日本人が増えているので、どこも、儲かっているようです。高いと思うが、高給取りの日本人にとっては、問題ではないらしい。私は全く行かないが、夜、酒を飲みながら、過ごす人が多い、一晩で数千円使う人も多いとか。多くの人は、以上です。しばらく、いれば、なにも、心配することはなくなるでしょう。日本で生活しているときより遙かに、優雅な、自由な、思い通りの食生活を送ることができるでしょう。なんども書いているが、私には、そういう食生活は、馴染まない。千円もする日本食がおいしいとは思わない、二百円ほどのワルンの食事の方がおいしいと思う。日本食レストランだから安全だとも思わない、道端のカキリマも安全だと思っている。だから、“全然問題ない“と、答えるのです。我が家の庭の春。開店 コンビニ スーパー
2014.03.27
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1894 今日、静岡中央気象台は桜の開花宣言をした。名古屋も今日だったらしい。静岡が一番になる確率が大変高いことは知っていたが、矢張りという感じで、時間的に静岡が本州では一番目だったという。中央警察署の二階の会計係が収得、遺失物関係の対応をしている。なぜ、会計係なのか聞かなかったが、何故だろうと思う。それは、それとして、カメラが戻ってきた。市役所の地下駐車場に、住民係へ行くと言って駐車し、実は、道を隔てた別のビルの警察へ行ったわけだが、その両方のビルの向い側は、駿府城の外堀で、その内側、内堀との間に県庁が聳えている。そこに至る橋の両側に桜の大木が堀に垂れるように並んでいる。そのそばで、間もなく催される桜祭り(二十日会祭り)の準備で、提灯などをぶら下げえいる。肝心の桜の花は、“蕾膨らむ”の段階、満開は3月30~31日と予想する。その中の写真、空港の免税店でアラック バリArak Baliを三本買った。三本なら、日本へ持ち込み問題なし、以前にも書いたと思うが、アラック バリは、何故か、陳列されていない。店員に,あるか、と、聞けば、何本?と、聞かれる。本数を言えば、このカウンターのような、仕切りの裏から、取り出してくる。密封して持たせてくれる。最後のX線チェックで問題にはならない。遠隔操作で新型のLED直管ランプのPCカバーの金型を発注した。再来週,私がインドネシアへ戻った時には、試作品が出来上がっていなければならない。二週間以内に、試作品を出さなければならないということだ。インドネシア人スタッフに任せているのだが、やってくれると確信している。私が面倒を見ていた、日本人と結婚しているインドネシア人女性、ユニーさんにインドネシアからの土産を渡した。クルプックの揚げる前の固いせんべいのようなもの、これを上げると10倍以上の体積になる。揚げた物を持ってくれば、嵩張るが軽い、あげる前のものは小さい包みだが、重たい。それと、各種ブンブウ、日本の出汁のようなもの、いろいろな料理用に多くの種類がある。いわゆるインドネシア料理には欠かせないもので、私もインドネシアで、ソプやソトを作るときに、必ず使う。日本にいるインドネシア人にとっては、大変貴重な、匂いと味覚になっているはずだ。ナシゴレンやミーゴレンにもこれは欠かせない。回収 PO 試作
2014.03.25
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1893 Weight Bar やっと、量産にこぎ着けた。硬質塩ビ(H-PVC)製のプルファイル(異形品)、私が日本に来る二日前に量産OKをもらった。客先の担当者が、現場に入って、色や形状について、チェックし、それに従って、修正し、これで行きましょうという、サンプルを示された、原料配合のレシピの承認も得た。この商品ほど原料で、すったもんだしたことは過去になかった。http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0221.html一般的に、プラスチック製品の原料はメーカーから買ったものをそのまま使う、それに色をつけるために顔料を混ぜる程度、また、客先の指定で、無機物や他の原料を混ぜることがあるくらいなもの、それには、それぞれの原料の物性や色が一定であることが条件になり、当然、一定の範囲に入っている原料を売りだすのが当たり前である。混ぜる元の原料に何かの点で一定していない場合は、混ぜても一定の物性の原料を作ることは出来ない。インドネシアのH-PVCは、残念ながら、この、物性や色が一定ではない場合が多いということが分かった。思い知らされた。原料を信用することができないことがわかって、がっかりだった。原料を作るときに何種類かの添加剤を混ぜる。その比率は決まっている。だから、出来上がった原料にはバラツキがないはずである。しかし、バラつきがある。試作のときに使った原料と同じ原料を購入したはずなのに、流れの具合や色等が違う。原料屋を責めても、何も解決しないか、先に進まない。製品サンプルを何度も出してやっとOKをとっても、その原料と同じ原料を手に入れることができなければ、製品も再現出来ない。同じ原料でなければ、溶融金型の出口の形状も同じままではでは出方が変わってしまう。外観のみならず、寸法も変わってしまう。どうにもならくなる。どうしようもなくなって、ナチュラル原料を購入し、自分で、調合し、練って、原料を作ることにした。29日前にPOが出た。原料をナチュラルで購入し、透明度と色の調整をした。透明をけすには、あれを使った。スマランの工場から空輸してもらった。色の調整は、酸化チタンとタンカルを調合した。なんども書いているが、色は、見る人、見る場所で印象が変わる。だから、客先の担当者に立ち会ってもらって、最後の調整をした。その後、その原料に合わせて金型の隙間の調整をし、寸法的にもOK品にこぎ着けたのが選手の木曜日だった。製品の形状と色については、原料が注文の度に違ってくるのと同じほど、やはり、それ以上、客先に振り回された。私でなければ、いい加減にしてよと、怒ってしまうだろう。ひどいものだった。まず、デザイン(形状)に関いて、最初の図面で金型を作り、形状的にOKになった、色合わせに掛ったとき、この形状はやめにして、こちらの形状に換えると、図面を渡された、それと同時にカラープレートを二枚渡され、この二色で行くと言われた。形が変わっただけではなく色も換えるという、原料メーカーもいい加減してよ、今までのサンプル提供は無駄だったわけだから、そういうのも当たり前、私も同じ心境だ。それでも、その色合わせをし、二色なので二つの金型を新たに作って、サンプルを出した。そうしたら、白と茶色だったのを白だけにするといわれた。金型と原料をまた無駄にされた。それだけでは、すまなかった。暫くして、白色のカラープレートを、これに換えたいといって、黄色みがかった白のカラー見本を持ってきた。わたしから見れば、今迄の色はやめにして、この新しい色に換えると洗顔されたようなもの、また、原料屋にいやな顔を荒れながらも、お願いしなければならなくなった。二社に頼んでいたが、一社は怒ってしまって、もう出せないといわれつぃ待った。そして、残りの一社も、サンプルではなく1トン以上でなければやらないと言い出してしまった。同じ色ができてこないうえに最低1トン購入しなければならないことになってしまった。原料メーカーに云いたいことは沢山あるが、こんな状況では、何も言えない。まだある。この原料、いろいろな添加物が混ざりにくい、だから、配合した原料で不良品でも何でもいいから、一度、押出機を通して粉砕し、リサイクル品のようにしないと、混練が十分にならない。ま、こういう樹脂は,いくらでもあるから、慣れている。http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage036.htmlこの製品が炭酸カルシウム30%入りの原料、典型的な例である。この色はまた、生産中の原料の変色は許されない、暗い色なら、ちょっとの変色は目立たないが、この黄色がかった白では、ごまかしようがない。ちっとした変色も許せない。とにかく、大変難しい製品だ。それをインドネシアでやって、日本の会社が作った製品に色を会わせろという話なので、合わせの方向が違うでしょ、インドネシアの製品に日本の押し出し屋が合わせろよと言いたかった。日本のメーカーが、どうも、指定された最初の色で製品ができなかったので、インドネシアではできているのに、日本のメーカーが作ってしまった色に合わせろということになったようだ。丸子川の土手を駆けあがる。家の庭で友達と何をしているのでしょうか、外が賑やかだった。辛い いい加減 出まかせ
2014.03.24
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1892 デジカメをなくした。このデジカメ、何度も、行方不明になっている。すべてが、置き忘れである。どこに置いたか、どこに入れたか、まったく記憶なかった。最低、三回、そしてすべてが、会社内か家の中でした。旅に出ていて置き忘れた事はなかった。そして、あきらめて、探しもしなくなったころ、思ってもいなかった場所、例えば、家だけではいていた半ズボンを久しぶりに履いたとき、そのポケットにあった。必ず何時かは、見つかるだろうと思っていた。今回はちょっと事情が違うことははっきりしていた。今回は、家について、その日の夜、画像をPCに取り込もうとしたときに、ないことに気がついた。遡って考えると、タクシーの中に置いてきてしまったに違いなかった。タクシー会社に覚えがない。だから、タクシー会社に聞くわけにはいかなかった、静岡駅のタクシー乗り場から、家から100Mほど離れた国道沿いまで乗った。だから、タクシーの運転手は私の家がどこかは分からない。それなら、私の後、何人乗せても、タクシーの運転手が、カメラに気がつけば、写真をチェックして、外国から、帰ってきたばかりの私のカメラと分かるでしょう。それなら、私を乗せた場所から30mほどのところにある派出所に届けるでしょう、と、推測した。5日ほど過ぎたが、行く用事があったのでついでに、駅前派出所に行って、訪ねてみた。孫の二人も一緒だった。私が、何かを置き忘れたり、なくしたりして、派出所に、聞きに行くのは人生で初めてのことで、ダメ元でいいから、「日本で物を置き忘れたときには、ほとんど、戻ってくる」という、評判を確認してみたくて、届けてみた。孫たちにも、いい経験になると思った。カメラの機種や色は、今私が持っているスペアーとほとんど同じなので説明は明白だった。一人が、その派出所に届けられた拾得物の控えをチェックしている間に、もう一人が、中央警察署の遺失物係りに電話で問い合わせてくれた。その問い合わせ中に、控えにあることを見つけてくれた、この派出所に、予想通り、届けられていたのでした。ビンゴである。流石、日本ということを孫たちにも話した。既に,中央警察署に移されているので、平日に、受け取りにいてくださいとのこと、紛失届を書いた。遺失物番号と拾得物番号を書いたメモを渡された。それをもって、受け取りに行くよう、案内された。月曜日に行くことにする。朝の散歩、丸子川沿いの土手道、これは始めてではなく、多分40年以上ぶりのこと、土筆とタンポポをセットで見つけた。土手沿いにずっと見ることができた。枝垂れ桜が満開、ソメイヨシノは蕾が膨らむ、でした。拾得物 遺失物 発見
2014.03.23
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1891 くつろぎの1日のはずが、メール、SMS,TELが頻繁に入ってくるし、それに関して、アクションをしなければならない。全然、くつろげない。それに、ぎっくり腰になってしまったようで、立ち上がるのがつらくなってしまった。米麹を5kg仕入れた。1kg900円でした。1kgからお米が10kg以上を使うと20Lほど作ることができる。100L出来る計算だ。この“命の水“、インドネシアの相場では1L2000円以上する。その値段でも買いたいという人が多いのです。もし、売るなら20万円以上になる計算だ。もしかしたら30万円以上かもしれない。売ればもうかると思うが、犯罪になってしまう。だからでもないが、私は1滴も売らない。全て、プレゼントである。投資は、イースト菌、ヨーグルト、インドネシアのお米、そして、アクア(水)などで、2万円弱だと思う。100L作るのに、私の労働時間は絞る時間がほとんどで、7~8時間だと思う。日本なら1L500円くらいで売っているのも十分わかる。私自身は、まったく,味がわからないが、結構評判がいい。楽しみにしている人が多くなったので、前回より2kg多く持ってゆくことにする。2ライン、ロングシフトで生産しいて、それぞれが、初めての量産になっているため、私が不在で、うまく、量産に滑り込ませることができるかどうか、気をもんでいる。気をもんでも仕方がないことは分かっているが、やはり気になる。順調に立ち上がったの知らせで、ほっとしている。また、一つ、サンプルの評価が下った。OKである。在庫の消化の関係で、5月中頃に初POになるそうだ。この製品原料価格が2000円/Kgの高価、なぜ、こんな高い原料でなければならないのか不思議に思うが、車の関係は、替えられないらしい。製品も高いし、利益金額も多いが、利益率という点では少ない。高価と言えば。この原料も800円/kg、PCカバーも1万本ばかりPOがはいった。私がインドネシアへ戻ったころ量産に入る予定だ。大丈夫かな。いずれも、インドネシアでの製造は,初である。 孫の二人、私のPCを奪いとってゲームに夢中。奉仕 手伝い バントゥ
2014.03.22
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1890 静岡県の企業の海外進出というより海外流出、海外脱出の勢いは止まらないどころか、未だに加速が止まらないようだ。特に遠州地方の企業の流出が激しい。県の人事異動では、産業関係の部署に力のある人材を配置したと言われているが、今さら何なの?今さら何をしようとするの?と思う。産業の空洞化、などは、20年くらい前から始まっているのに、今頃になって何なの?円高で海外へどんどん出てゆく、という流れは、留まるところを知らなかった、競うように大企業を先頭に引っ張られるように、準大手、中企業と出て行った。そして、小企業も零細企業も出て行かなければ仕事が無くなってしまうという状態になっている。若干の円安だからといって、海外から企業が戻ってくるわけがないどころか、日本では、売れないのだから、流出は止まらない。それに。私の様な年寄り、年金生活者が、がどんどん増えているのだから、節約生活人口が増えていて、給料を受け取る人の比率が下がっているのだから、購買力が上向くはずがない。どこを、どう切っても、景気上昇、人口増加の切り口は見えない。静岡県の人口減少率は全国三番目だそうだ。そりゃそうだ、大企業も多いが、それを頼りにしてきた零細企業も多い、それらの支店、営業所、出張所はどんどん閉鎖される。浜松郊外の工業団地など、今や、開発、造成したばかりのインドネシアのデルタマスのように、広大な更地になってしまっているところが多い。これから、どんどん、工場建設が始まる場所と、工場があったが、更地に戻されていまい、建設予定がない場所と。大きな違いだ。先が楽しみな場所と全く楽しみが消滅した場所だ。何度も書いているが、インドネシアへの企業流出は、凄まじいものがある。今頃進出して来ても美味しい話はないどころか、難しい局面に次々とぶっつかり、利益面でもそれほど望めない。それでも、日本では、どうにもならないところに来ているのでしょうね。私は、日本は今から20年ほど、じっと、冬篭りのような生活をし、人口増加を待つしかないと思う。姑息な対策の様なもの(アベノミクスの様な)をすることは、真の上向きの時を遠くさせる効果しかないと思うので、何も手を打たないほうがいいと思う。年金生活者が増えるのに、内需が増えるはずがない。手前100mくらいの所から太田化工。サザンカの垣根の外側の道を修了式帰りの小学生が通る。小学校へ近道通学路になっている。流出 減少 更地
2014.03.21
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1889 浦島太郎状態なので、新しいビルの名前など知るはずが無い、セノバへ行きたい、と言われたって、どこにあるのか、何しに行くのか分からない。聞いたら、新静岡センターだという。それならわかる。ないにしに?映画を見たいという。え?映画館があるの?ネットで検索してよという。シアター7まであり、彼女たちが見たかったのは“アナと雪の女王”でした。セノバの駐車場は映画を見るなら3時間無料という紹介もあった。13;00から始まるが、12:00に行って、予約をした。既にほぼ満席に近かった。もう、多くの小中学校が休みになっているらしい。半分以上、眠っていて、後で怒られた。それにしても、平日、昼間から映画鑑賞とは、初体験で、妙な感じがする。急にあれやこれやの見積もり依頼やPOが舞い込んできた。日本にいては、遠隔操作するしかない、ノンビリできない。仕事の事など忘れて、孫の春休みにつきあいながら、リフレッシュしようと思っていたが、そうも行かなくなってしまった。映画館から出てHPをONに戻した途端に、いくつかのSMSが入っていた。電話のミスコールもあって、急いでいたので、いちいち返事をするのに電話代が嵩む。金型の製作も依頼したし、見積もりを提出した。製品の図面を書き送って、寸法公差の確認をしてもらった。なんで、こんなに、仕事をしなければならないの?と思う。見積もりを昨日送った客先から、POと同時に金型費用に振り込みがあったと連絡が入った。そんなに急がれても、最低必要期間は短縮できない旨の連絡も入れた。全てが、失敗なく、送れなく、順調に進むことを祈るのみ。また、仕事を一緒にと誘われた。今回は、昨日、一緒にゴルフをした人の内の一人からである。どんなことかというと、退職者(リタイヤした人たち)を集めて、会社を立ち上げたい、という話だ。頼られるのも困るし、日本での話だし、年齢的に、直ぐに、という話なので、ちょっとね。しかし、これも、一つ、在り、かなと思う。帰りの道の内の真っすぐな道、本通り、という。全部青信号と赤信号の場合。それにしても人がいないよね。映画 居眠り 遠隔地
2014.03.20
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1888 15,16日にインドネシアでゴルフをして、今日18日に日本でゴルフでした。雨季がほとんど終盤のインドネシアは30℃以上の環境、汗をかきかき、スポーツドリンクの900mlを二本くらい飲む、それも、一本は、冷蔵庫で凍らせて、溶かしながら飲む。途中でトイレに寄ることはほとんどない。天気予報通り、プレー前半の途中から、雨が降り出した。大粒ではないが、ひっきりなしに降り続いた。時折、風が強く吹き、傘の効果が無くなった。気温は5℃くらいだったらしいが、体感は、もっと低かった。暖かいお茶を時々飲みながら、なので、トイレに寄る回数も多くなる。桜の開花にはちょっと早すぎるし、曇天の下では、その他の花もあまりきれいには感じられない。それでも、日本ならではの早春の花がところどこらに見られ、なんとか、少しだけ春を体験した。やはり、日本のゴルフはつらい。急に注文が入ってきている。種を撒いておいたが、ここにきて、芽が出だしたようだ、あまり、一斉に芽が出てしまうと、対応が追い付かなくなるので、ほどほどに受注増加になってほしい。ゴルフのプレー中に、インドネシアから四回電話が入った。納期と原料のセーフティーシートの確認が、そのうちの二社だった。平日なので仕方が無いが、インドネシア語と英語で話をしながら、ほかのプレーヤーを待たせるのだから、プレーに集中できるわけがない、散々のスコアーで、それも、ダブルペリアのコンペだったが、成績も散々、踏んだり蹴ったりの一日でした。夕方、暗くなりかけた5時頃、家に戻、早速、先ほど、中途半端な話しかできなかった相手と再確認をした。インドネシアの時間は夕方の4時ごろなので、返事としては、決して、遅れて、待たせるということはなかったのが幸いでした。昨日からの睡眠不足も重なり、孫ののしかかり攻撃にも耐え、支離滅裂、の一日でした。書いていることも支離滅裂だと思う。寒さ 散々 疲れ
2014.03.19
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1887 日本にいる、静岡にいる、丸子にいる。三カ月ぶりの日本である。孫が日本にいるので、春休み、多分、一緒に遊ぶ時間が多くなるでしょうが、桜の下になると思うが、ゴルフも三回セットされている。もう一つ、不良原因をあげて置く、製品検査は、寸法に関して公差内に入っているかどうかをチェックすることが主になるでしょう、そして、外観については最後の欄にOKかNGと書くか、丸印を書く、検査員の主観に依る判断になる。外観の問題、色、艶、透明度、ビビリ、波、しわ、凸凹、筋、異物、変色(筋、部分、全体、焼け、分解)、傷などなど、在り、なしで判定するにしても、程度で判定するかにしても、完全に主観的な判断になり、微妙なところでは、検査する人に依って大いに差が出る。機能的には全く問題ないこの点について、日本人、日本企業はこの点に大いに煩い、良いじゃないの?と、思うし、いい加減にしてよと思うが、拘りは、半端じゃない人が多い。押出製品の外観に関して、不良種類、要素、原因、対策、後処理などを書きだせば、十分、一冊の本になる。+原因は温度条件、金型の形状、金型の材質、手入れ具合、原料などなどだが、ここでは、カサカサとかビビリなどと表現する荒れに関して書いてみる。金型と製品の間で滑りが悪いからです。口金付近の温度をある程度上げて、出てくる樹脂の表面は、艶消しではなく、艶がある状態が条件の時、冷却金型に溶融、半溶融の樹脂がぺたぺたくっ付いてしまって、ビビリになるのです。その原因は、金型の滑りが悪いから、此処まではいい、では、滑りを良くするにはどうしたらいい?出来るだけ、磨きあげて、ツルツルにする。それでも、治らなければ、もっとツルツルにする、でも、治らない。そうです、表面を荒らすのです。細かいしぼのように荒らすのです。粒の大きなサンドブラストで荒らすのです。思いもかけないほど艶のある綺麗な製品が出来ます。引取方向の筋など全くありません。滑りを良くするには接触面を減らす、ということは常識だが、金型の表面を荒らすなど考える人はいない。金型に筋を付けて荒らすなら、直角方向に筋を付けるのです。目が粗いサンドぺーパーで荒らすなら、やはり横方法に掛けなければなりません。とにかく冷却金型の表面を艶が無いようにすれば、製品の艶は良くなるのです。ゴルフ場の朝の風景、雨季が間のなく終わるころの朝は、靄が掛かる日が多い、彼女たちは朝ごはん(sarapan pagi)を食べてこないので、コースの途中の売店で買って食べる、もぐもぐ、食べながら、仕事をする。筋 ツヤ 荒れ
2014.03.18
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1886 間もなく機内に入る。 この道一筋48年、間もなく50年になる。継続は金なり。インドネシアで押出職人をやっていて、65才くらいの時から、後二年、後二年と言い続けている。今も後二年と言っている。職人もこれだけ長くやっていれば、本物だと思うが、そう思うのは、私だけでしょうね。“目やに“って、一般の人には、何の事?思うでしょうが、押出成形をやった人は、ほとんど、こういう表現をするようです。溶かした樹脂が出てくる口金の縁につく、その樹脂とは違った状態になった、樹脂が付着することです。金型と流れる樹脂との間に出来る、ほとんど流れない被膜状態の部分が少しずつ出てきてくっ付くのだと思う。薄茶色に透明っぽく見える事が多いし、小さく丸みを帯びている場合も多いので、職人は目脂というのでしょう。考えられる原因はいくつかある。1 温度条件です。温度が高すぎれば、被膜が分解して異質なものに変わりやすい。だから、この事だけを考えるなら温度が低い方がいい。2 どこかに樹脂が淀むところがある。その部分も分解をしやすい、溜まりが無い金型の構造にする。3 他の樹脂が混じっている場合も化学的に結合しない場合は、異物として、樹脂に馴染まず、引っかかりやすい、粉砕を混ぜた時に粉砕に別の樹脂が入っているとか、アロイ(わざと別の樹脂を混ぜた樹脂)などは分離しやすい。金型の構造的に、目脂が口金の縁に溜まらないようにするにはどうしたらいいか。1 引き落とし率を小さくする。引き落とし率とは、実際の製品の大きさと口金の隙間の大きさの比率です。一般的にPVCなどは1,1とか1,2などでしょうか、PEなどは1,5くらいでしょうか、大体、適当ですが、事、目脂に関しては引き落とし率が小さい方が留まらない。だから、例えが、φ2×φ1のチューブなら、ノズル、マンドレルはφ2,5×φ1.25で、1,25倍以下にしたい。φ10×φ8ならφ12×φ9,6以下にしたい。プルファイルについても同じことが言える。細いチューブは、金型の作りやすさから考えて、どうしても引き落とし率を大きくしてしまうので、目脂が溜まりやすくなる。2 口金の先端に微妙にRを付ける。内側に目脂が付く可能性がある場合は特にマンドレルの先端を微妙にRにする。細いマンドレルの先端が細い場合は、私はずっと以前から注射針を使っている。どうしても、曲げて仕舞ったり、潰してしまったりしやすいので、交換できる構造にしている。先日、触れたライナーチューブや香水などのボトルの中に入るチューブはそうしている。内側の異物の検出についてもライナーチューブの説明で触れている。http://blogs.yahoo.co.jp/enplaind/38833887.html今朝のゴルフのスタート前、06:30頃です。霞が掛かっていたが、間のなく、晴れあがって、暑くなった。目脂、溜まり 悩ましい
2014.03.17
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1885 インドネシア語で職人はTukang トゥカンと言います。Tukang beca Tukang kayu Tukang sayur Tukang besiなどなどです。インドネシアにはTukangが溢れかえっています。どこにもいます。Tukang ojekバイクタクシーの運転手です。Tukang masak調理人、コックの事です。Tukang kaki limaカキリマを引っ張って商売をする人です。Tukangとは~職人、~屋、~工、~師という意味です。で、私はインドネシアではTukang plastic extrusiと言っています。22歳の時から約48年これだけをやっていています。おそらく、日本でもそれほど多くないと思う、既に引退している人達の中には48年以上やってきたという人はいないと思う。私より早くからこの職業に携わったという人は、おそらく何十人でしかないと思う。その人たちが今もこの仕事についているという人はいないと思う。そして、常に、現場で、新しい製品に挑戦し続けている人もいないと思う。ずっと押出成形の職人を続けている人はいないと思う。技術者でも経営者でも商売人でもありません。「包丁一本さらしに巻いて」と、大体同じ意味で。押出成形の腕一本、いや、二本を持って、世間を渡り歩いています。これさえあれば、どこへ行っても、「来て、手伝って欲しい」という人や会社はあります。今は、製品を作ってほしい、という話があれば、お手伝いするという状態にしています。ということで、押出し成型に関しては色々な事を経験しています。雑知識を一杯持っています。http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage%20top%202.htmlhttp://otaenplaext.net/newpage3.htmlhttp://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage5.html一応、この中に、個々の製品については書きしるしてあります。製品の曲がりについてと目やにについての質問が多いので、ついでき書いておきます。 曲がり、反り、捻じれ、断面形状はOKだが、それらが直らない、という場合と、偏肉になっていて真っすぐにならない、という場合があります。基本的に偏肉なら真っすぐにはならない、逆にチューブやパイプの曲がりを直すなら偏肉を直せばいい。要するに製品の周りの冷却速度の違いです。ゆっくり冷える方の体積が小さくなるのです。チューブの断面の厚い方に製品は曲がるのです。同じ速さで冷えるようにすれば曲がりはなくなります。 異形の場合、肉厚が均一というわけにはいかないでしょうから、何もしないで、あるがままにしていたら、製品は曲がります。直すためには、曲がる方向と逆に曲げて引っ張ります。引取機までの間で邪魔物を置いて、真っすぐになるように願いながら曲げるのです。勘の世界です。 切断した時に真っすぐでも、後で曲がってしまうこともあります、安心はできません。完全に収縮が終わっていないのです。長さが短くなると同じように、断面での縮み具合も違うので、厚い方になお曲がってしまう場合もある。また、保管の仕方も肝心です。せっかく真っすぐな製品が出来たとしても、保管の仕方で曲がってしまう場合があるからです。最後の最後出荷するまでは、こちらの責任ですし、客先での保管方法についても、アドバイスしておくことが肝心です。 曲がった製品を作ってしまうことは押出成型職人としては恥です。見た目で真っすぐな製品しか作りません、曲がりの公差などあっても、それを定規などでチェックする事はありません。今作っている製品の一部です。経験 職人 長期
2014.03.16
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1884 韓国系の会社からLED直感ランプのPCカバーの見積もり依頼を受けた。韓国系の会社でこのタイプのランプを売りだしている会社はここだけだそうだ。アルミハウジングは既にインドネシア製を使っているが、PCカバーについては韓国から輸入していて原料もLGのものを使っている。しかし、品質と納期に問題があるそうで、直ぐにでも、私にお願いしたいという。急ぐ話で、一週間以内にもサンプルを欲しいらしい。金型は韓国で使っている物の図面をチェックし、取り付けが簡単な改造で出来れば、それを使ってほしいということでした。インドネシアに韓国系の押出成型会社はないそうだ。ちなみに日系は三社です。私を入れれば四か所になります。韓国の人と話をするときは、大体、インドネシア語を使う、彼らのインドネシア語吸収は早いと思う、英語でも話せるが、私も彼らもインドネシア語の方に慣れてしまっているので、英語の場合はいちいち考えながら話さなければならない。結局、インドネシア語にしましょうということになる。実際に接触すると、政治のようなギクシャクはない、ま、仕事上の言いたい事を、どんどん、言うだけである。一応、今日でインドネシアでの仕事は、一区切りになるが、休日出勤をしてもらっている手前、多分、明日も明後日も会社に顔を出さなければならないと思う。何事もなく順調に生産が進んでいる事を願う。ここへきて、忙しくなってきているにで、気を使うことも多くなっている。そういう点だけを考えれば忙しくないほうがいい。忙しさはほどほどがいい。先ほど10時過ぎまで仕事をしていた。私の職場になっているPT.ASKAの正面です。中の押出成形エリアです。 緊急 韓国 LED直管
2014.03.15
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1883 先日来、悩み多き日々を過ごしていたが、徐々に悩みが少なくなって、本日、先ほど、悩みがなくなった。やれやれである。とにかく、インドネシア、原料の物性にばらつきがある。その都度作って原料にこちらが合せなければならない、色に関しても金型の隙間に関しても、新しい原料でやってみて、同じものできない場合がほとんどなので、どちらも、調整し直さなければならない。ッタクモオーーという感じだ。それが、やっと、調整が終わって、量産をスタートさせることが出来た。これで、日本に帰ることができる。客先もホッとした事と思う。それにしても、急に、忙しくなってきた。そんなに忙しくなくてもいいのにと思う。今回、先ず、届けられた原料が透明だった。先ず、それの透明感を無くさなければならなかった。どうするか、先ず、考えたのが、無機物の粉を混ぜる事、炭酸カルシウムやステアリン酸バリウムのど、手持ちのものを試してみた。透明がなくなるまで混ぜると表面が荒れてしまう。当然だ。次にローカルの顔料やマスターバッチを扱っている会社に相談を持ちかけた。そして、酸化チタンを手に入れた。とにかく、渋滞の中、車であちこち、土曜も日曜も、色々捜しまわり、やっと、透明消しのオバット、そのまま混ぜると、練りが不十分で、結局、一度、混ぜて流して、切って、粉砕して、練りなおして使うことにした。これで、大成功。よくある話と言えば、こういうことはよくある。無機物の粉末を混ぜたペレットの場合、そのまま使うと、表面の艶が悪い時は、一度、押出し機を通して、ペレットを作り直したり、ペレタイザーが無い時には、不良品を作って、リサイクルで使うと艶が良くなる。P,BEDのサイドバンパーなどは、そのいい例です。また、一人、私に手伝ってほしいというインドネシア人がやってきた。元教え子で、独立したいという。今度はバトゥール(ジョクジャカルタの南、海に近い地方で、2006年でしたか、地震津波で大きな犠牲者が出た場所)出身者。スマランンもそうだが、大きな理由は、人件費や諸物価がバボタベックに比べて、かなり安いこと、最低賃金は2ジュタ、ソコソコの上に、ローカル零細企業ならチェックが無いらしい。もうひとつは地元に有力な企業が無くても将来、進出してくる可能性が高い事、それに、中部ジャワなので、ジャカルタとスラバヤが大体、等距離になるので、デリバリーの点でも将来性があるとみている。射出成型の会社は、既にあるので、原料商社もある、原料の入手はそれほど難しくない。押出成形の会社はないので今がチャンスと考えているのです。私も、そちらの方に住んだことが無いので、ちょっと、魅力を感じる。Masa!!まさかです。このあたりで、ウサギは追わなかったが、小鮒は釣りました。私が小学校の頃、遊んだ思い出の場所をインドネシアのテレビでお目に掛かるとは。安倍川の支流、藁科川の真ん中にある島。木枯らしの森です。安倍川の安西橋を渡って羽鳥(服織)を通りぬけると、藁科川に出会う、牧が谷橋の少し上流にある島です。私が住んでいた安西五丁目からは、子供の徒歩で一時間ほどの場所です。静岡市街北部のバイパスの藁科川に掛かる橋からも北側、牧が谷橋の向こうに見える。この地図に肝心な安倍川が無い変な地図だ。達成 やれる 行動
2014.03.14
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1882 ケーブルコントロールシステムって何か知っていますか。チューブの中にワイヤーを通して、引っ張ったり、押したり、回転させたりして、対象物を閉じたり、開いたり、或いは、回転速度を感知したりするシステムです。例えばバイクや自転車のブレーキシステムです。一般的に、単純なら内部からプラスチックチューブ、金属螺旋管チューブ、樹脂で被覆チューブからなります。現在では主に車、バイクなどで大量に使われている。POM(ポリオキシメチレン、ポリアセタール)が日本に登場したと同時に、その耐摩耗性、滑りの良さ、に目を付けて、車のアンテナを摘まみやボタンで出したり、引っこめたりするワイヤーを通すチューブを日本アンテナという会社のために作った。デュポン(Du Pont)のデルリンを使った。直ぐ後にポリプラ(サラリーマンを辞めた時にこの会社の高野さんから富士の研究所で押出成形を研究しないかと誘われたこともある)のジュラコンも使った。この原料でチューブを作ることができたのは、日本では、やはり、私だけでした。会社の中で私がいつも立ち上げをしていた製品の一つでした。黒にして宝塚策動管という会社にも提供していた。ケーブルコントロールシステム用のインナーチューブの走りでした。そのメーカーは試行錯誤の時代でした。HDPE(ハイデンシティポリエチレン、硬質ポリエチレン、中低圧法ポリエチレン)や6ナイロンでもチューブを提供していた。製造方法はそれぞれの樹脂で違っていた。樹脂にグリスを沁み込ませてチューブを作ったこともあった。私が22~3歳の頃でした。http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage5.htmlそして、それから、30年ほど過ぎて、インドネシアでそのチューブを作る機会が訪れた。30万M/1か月、ほとんど、全てが日本からの輸入でした。20年以上、現地でできる人を捜していたそうでした。原料の大部分は架橋HDPEである。原料に架橋剤が混ぜてあって、チューブにしてから、一定の温度環境に保つと架橋されるという原料です。その他に一般的なHDPEやPOMがある。初期に手掛けた製品とは品質の厳しさが比べものにならない。寸法公差は±0.05以内で、厚さの公差もあるので、実際には内外径とも±0.03くらいが求められた。それでも、出来ないとは言えない。この種の細いチューブの製造方法は、私だけの方法があって、ま、大概のものは出来るという自信もあった。ちょっと厄介だったが何とか製品を作ることが出来た。そして、内径のチェックは、中に鉄球を入れて、磁石で定位置に留まらせ、内径が小さかったり、異物の突起があったりすれば、鉄球がその位置から移動するので金属探知機で移動を感知し、巻取りを止める仕組みを作った。外形は止まり冶具に通して、引っかかれば止まるようにした。それから、何年か過ぎ、今では、私が指導した会社は、3社に供給していて、車やバイクの生産増に伴って、毎月100万Mくらいの生産になっている。ということで、輸入をする必要はなくなっていて、ほとんど、インドネシア国産になっていて、その全ては私が作った装置と金型で作られている。要するにインドネシア産の車やバイク、自転車など、ワイヤーを動かすシステムは全て、私の作品が使われているのです。その作品は、表に出ていないので人の目に触れることはありませんが、私がいなければ、未だに輸入品を使っているはずです。車やバイク製造のの日系企業の方々、ご存知でしたか。同時にインドネシアの人に技術を伝えている、これらの事を誇りに思う。こんな造形物はインドネシアでは珍しい、バンドゥンのジーンズストゥリートゥには沢山ある。特別のアクアです。16日前に全部、友人たちにプレゼントします。役割 使命 見えない
2014.03.13
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1881 H-PVC(硬質塩ビ)のパイプ、電線配管用に良く見られるものです。この製品の値段が1kg当たり27000Rpで売られている。10Mほど買った時の小売価格です。私がメーカーに頼んで原料を1トン作ってもらうと、1Kg当たり、 24000Rpです。どうなっているの、このカラクリは。もし、私が、小売価格27000Rpで売るには、13000Rp以下で仕入れなければならないと思う。では、メーカーは、その価格で売るには原料を6000Rp(55円)以下で仕入れることが出来なければならないと思う。リサイクル品とは見えない。何か安い増量剤が入っているのでしょう。例えば、そこら辺にある土とか。燃やして残りカスを見れば分かるが、分析する気にもならない。入社したその年の10月に組合役員の改選があって、私は執行部の教育宣伝部長に押された。そして、その直後、代休優先という規則を撤廃させた。また、週休二日制も毎年一日ずつ土曜休みを増し、五年間で、完全週休二日制になるようにした。残業、休日出勤手当も15%から3年かけて25%になるようにした。「太田君、お手柔らかに頼むよ」。親会社の東レ並みが目標だったので、あまり考えることなく、行け行けの時代だった。入社半年を過ぎて、私の配属先が示されなかった。創立3年めで、とにかく、大学工学部の新卒を受け入れるのは、初めての会社、私をどう、扱っていいのか、困っていたようだった。で、ずーっと前に書いたかもしれないが、大学の時の恩師が言われた事、「不良の山は宝の山と思え」の通り、押出部門に不良の山が沢山あったので、製造部長に頼んで、班長の一人が体調にすぐれず、私に、日勤になりたいとこぼしていたので、これ幸いと、いきなり、押出部門の三交替勤務の班長にしてもらった。工具の名前も知らなかった。プライヤー、ヤットコ、シャコマン、メガネ(レンチ)、パイレン(パイプレンチ)、ニッパーなどなど、化学では、知っているはずがなかった。『26のメガネを持ってきて』と言われて、“え??”だった。中卒高卒の数人の部下から、仕事を教えてもらいながら、金型の事や樹脂の特徴、製品を繋げるコツや金型から樹脂を剥がすコツなど、どんどん吸収した。夜勤の時は大変、仕事が面白かった。10や15φ丸棒の金型、20本取りだ、複雑な金型、解体整備には、相当のコツが必要だった。が、私は、丸棒が詰まってしまって、生産続行が出来なくなった金型を夜勤中にばらしてしまって、その後、セットできなくなってしまって、そのままにしてしまい、次の月曜日、朝勤になった時に、上司から、「しょうがないな」くらいの事を言われるだけだった。何日か前の事になるので、怒りが、和らいでいるのでした。半年後には、製品の立ち上げは、私の班からするようになった。生産途中で、NGになり、治せない時には、私の班から再スタートした。営業担当者に、新しい製品の引き合いがあった時には、私の上司達ではなく、私にできるかどうか聞きに来るようになった。見積もりの根拠となる金型費用や生産速度や歩留まりを答えた。典型的な例が、先日お亡くなりになった北川工業の前社長さんとの対面でした。6ナイロンのエッジング、グロメットでした。 http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0201.htmlこのころの、何でもやってみよう、出来るかできないか分からなくても、取りあえず、出来ますと言って、引き受けてしまう生き方、この年になっても、仕事に対する姿勢は変わっていない。http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page231.htmlスマトラ島の最北端に近い町、バンダアチェ2004年、地震と津波で10万人以上が犠牲になった町、世界中からの支援を受けて、あっという間に、2年後には、震災の面影はほとんどなくなった。それに引き換え東日本の震災、3年過ぎた。未だに、問題が山積みで、復興の足取りは重くて遅い、原因は“日本”だからでしょうね。絆の精神は保ち続けてほしいものです。最近オープンしたホテル。チカランバラットインターチェンジ近くのカルフールの隣です。オープンしたばかりの、ホテル サンティカSantikaです。ジャバベカ2のチカランバルにあるマスターバッチ製造会社、本社はスマランにある。今日、緊急で注文したら、スマランからエアーで送られ、明日の昼前に届けてくれるという。本当だろうか、期待して待つことにする。勢い 若さ 無鉄砲
2014.03.12
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1880 三日続いた深刻な悩みが、幸いにも、先ほど夕方解消した。何とかなった。ホッ、である。戻るなり、看護婦が食ってかかってきた。私が行方不明になってしまったので、捜しまくったり、会社に電話したり、大騒ぎになっていたらしい。とにかく、平謝りに謝るしかなかった、あなたみたいな人は始めてだ、全く、という具合だった。月曜日の朝、医者が巡回してきた。昨日の事を報告されていなのか、期限が悪そうに「君、何故ここにいるの?」と、聞かれて、「とにかく泊まって行けと言われたから」いったら、「君、何でもないようだから、出て行きなさい」と言われて、間髪をいれずに退院をした。下着や洗面道具を入れた大きめの紙袋を小脇に抱え、会社まで500mくらい歩いて帰った。まだ、10時前だった。事務所の扉を開け、20人ほどの人たちがいる前で、「お騒がせしました」と頭を下げ、直ぐに、寮へ行き、寮母にもお礼を言い、そのまま、作業服に着替えて、仕事場の検査室に行って仕事を始めた。その直後、事務部長から、通達が出された。原則として、残業は4時間以内しか認めないと。要するに一日の拘束時間12時間以上は、だめだということになった。私も無茶をしたと思うが、あまり反省はしていなかった。検査室の次に押出成形部門にはいった。昼間の勤務だったが、忙しくて、毎週土曜日日曜日の夜勤12時間勤務をした。土曜日、昼間の勤務が終わって、寮に帰り、20時に出勤、日曜の朝8時に終了、日曜に20時出勤、月曜日の朝8時終了、月曜日の昼間は年次有給休暇を取って休み、火曜日から土曜日までは通常の日勤、二ヶ月間続けた。平日、日勤の残業を含めれば一週間に30時間以上のオーバータイムをした。一週一回年休を使って月曜は、休むわけだから、一遍に年休が無くなってしまった。それを知った会社の事務部長が、「年休より代休を優先する」という、新たな通達を出してきた。要するに休日出勤をしてその代わりに休む時には代休といって、給料が引かれる休みの方を使いなさい、ということにしたのです。私が予想外の無茶をするので、事務長も大変だったと思う。何かあったら、自分の責任になるかもしれないと思ったのでしょう。とにかく、当時は、夜勤で連続運転をしない時でも、日曜日には出勤していた。連続運転の時は勿論誰かに昼間出てもらわなければならない、私一人ではなかった、というより、他の人に休日出勤をお願いしていたので、私が率先してでなければならないと思っていたからでした。本当は、私の上司が、やることだと思っていたが。当時は、まだ、土曜日は休日になっていなかった。私のオーバータイム、もし、土曜日が休日になっていたなら、一月12×4で48時間+されていたことになる。MM2100へ日本へのエアーティケットを買いに行ってきた。行きも帰りも、交通状態は、閑散過ぎ。一時間半で用事を済ませて会社へ戻った。チカランバラットの出口も、閑散過ぎ、あたかも、天変地異の予感で動物が姿を消す現象のよう。率先 使命 義務
2014.03.11
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1879 大学をでて、入社して直ぐから、会社の各職場を一か月毎に、巡って、いた。射出成型、プレス成型、ガラス繊維入りペレット製造、そして、四か月後、四か所目、検査室にいた。押出成形部門のボビンスリーブという製品の不良返品が山になっているし、返品も半端じゃなかった。大学は化学だったが、品管の手法を使った卒論を書いた私としては、何とかしなければと、思ってしまった。三交替で24時間生産の現場で付きっきりで、不良の種類と原因の究明と対策、解決方法を見つけようと、生産につきあった。昼間、他の人に8時間任せ、私は16時間夜勤を中心にデータ取りをした。土日を含めて二週間の予定だった。13日目が終わった土曜日、明け方、勤務を終えて寮(寮は敷地内に会って仕事場から100mくらいしか離れていなっかった)に戻ったと同時に、強烈な腹痛に見舞われた、どうにも我慢ができない。七転八倒、寮母も何事かと駆け付けてきてくれて、痛み止めを呑んだが、一向になおらない。会社の事務所(ここも100mくらいの距離)に知らせに行ってくれて、車で直ぐ近くの国立東静病院へ送ってくれた。ところが、病因まで分くらいの距離だが、車に乗ったころから痛みが和らいで、病院についた時には、痛みがどこかへ行ってしまっていた。痛くもかゆくもなくなっていた。大騒ぎをした手前、今さら帰るわけにもいかずに救急受付にはいった。看護婦しかいない、専門の先生はいない、とにかく入院しなさいと言われ、そのまま、病室のベッドに寝かされた。看護婦に、どこが痛いかと聞かれ、痛かった場所を押さえて見せた。結局、「専門医が学会へ出かけてしまっていて、月曜日出勤だし、返してしまうわけにいかないから、泊って行って下さい」ということになった。そして、昼食、夕食、重湯を少ししか出してくれない、日曜の朝になって、車を持っていた先輩、友人が見舞いに来た、「そんなにお腹が空いているなら、今から、長岡へバーベキューを食いに行こう」となって、看護婦に外出すると言って、片道1時間ほどの中伊豆の温泉地、長岡の山の中の野外バーベユーまで行ってたらふく食べて戻ってきたのが夕方5時ごろだった。 北のゴルフ場から、途中、昨日もよったトコ バングナンに今日も寄って買い物をし、リッポチカラン方面に帰る途中、ジャバベカ1を左に見ながら通過、そのすぐ後、前が塞がれていてまっ直ぐ南に向かえなくなっていて、左に曲がって、ジャバベカ2に入る。そして、しばらく行ったところでUターンし、先ほど、左に曲がった場所まで戻って、リッポチカラン方面に向かう。かなりの遠回りだ。今日は日曜なので、空いていたが、普段は、大渋滞の連続で、こちらの方面には、出来るなら来たくない。無茶 規則 無鉄砲
2014.03.10
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1878 散々、すったもんだした末に受注した製品、POを受けて量産スタートした途端に、思うような製品が出来なくなってしまった。原因の大部分は、インドネシアだから、ということです。日本なら、こんなことはあり得ない。だが、ここはインドネシア、受け入れるしかない。切羽詰まっている、そこで、今日もゴルフの後に仕事場に出て、あれやこれややってみた。そして、いくつかのひらめき(やってみる価値がありそうな事)があった。月曜日の朝から、やることができるように今日明日で準備をしなければならない、そこで、夕方、トコ バングナン(toko bangunan)日本のホームセンターの様な店に向かって、必要品を購入した。明日、また、別の店へいって、別の必要品を購入する。この製品は約1年前から試作をしている。途中でしようが変わったり、製品の評価が担当者が変わるたびに変わったり、物性とか寸法にように数字での公差に入っていればOKというのが、当たり前の評価方法の世界で仕事をしてきた私にとっては、全く、納得いかない製品だった。何度も、匙を投げてしまおうかと思った。それも、出来ない私なので、かなりの私財を投入して、やっと、完成までこぎつけた製品でしたが、量産のために注文した届けられた原料が、試作の時に使って物と違っていた。ショックだった。この時は、この年になって、仕事をしていなければ、こんなことにならないのに、巻き込まれることはないのにと思った。悩み多き青春である。あれやこれや考え込んでしまって、夜も眠れない、ゴルフも上の空でやっていた。それでも、何とかなる、何とかするのが私と、自分に言っている。マレーシア航空機、どうしたのでしょうか。空中で突然爆発でもしたのでしょうか。ショック ストレス ヒラメキ
2014.03.09
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1877 韓国国民はフリーの採点で、キムヨナと浅田真央の比較はどう思っているのでしょうか。素人目でも、どう見ても、真央ちゃんがフリーでは最高得点を取ったと見える。韓国人の多くは、ロシアが不正をしたと大騒ぎ、異常である。この行状というか、本性は、日本を攻める行動と根っこは同じだと思う。自分たちは被害者だ、被害を与えた側が全面的に悪だ。謝れという。謝っても、次は、誤ったなら、態度で示せになる、際限なく、攻めつける。消えてなくなっても、攻め続けるでしょう。そういう、国民なのでしょう。ゴルフをしていて、感じることは、韓国の皆さん青からやるし、白からやる日本人と同じくらいのところへ飛ばす、そして、声が大きい、そればかりか、キャディーとの接触も積極的、賭けの金額もかなり大きいと聞く、ホール毎に現金を受け渡しているグループもある。体格も良い、そして、顔つきも、K-POPや韓流男性とは違って、角ばってくて、威圧感がある。総じて、日本人よりパワフルで自己アピールが積極的に見える、言いかえれば、荒っぽい、目立つ。日本人は大人しい、目立たない。どう見ても彼らの方が強そう。彼らと喧嘩したら負けると思う。だから、あまり、接触したくないと思う。そういう民族が何故、他民族に支配されてしまうのでしょうか、やはり、韓国民族自身に、何か原因があるのだと思う。今まで、侵略されたというか、通過道にされた事ばかりで、自分たちの力で、守ったこともなければ、外に攻め込んだこともない。要するにやられっぱなしの国だったのです。挙句は日本の統治下に置かれてしまった。それが気に入らないと言って、やれ独島だ、東海だ、慰安婦だと日本を攻め続けているのです。挙句に、有りもしない、軍国主義の復活などといって、軍国主義を促しているような、滅茶苦茶な事もいう。中韓ともに日本をやっつけろ、と、燃えているようだ。経済的に力を付けたという自負が裏付けになって、押さえていた感情がむき出しになっているのでしょうね。日本がどれだけの資金と技術の援助をしたかなどは、まったく、忘れてしまっているというか、援助してもらったことに触れたくないのです。口が裂けてもお礼など言いたくないのです。未だかつて、朝鮮半島全体という形で独立国を形成した事がないのではないでしょうか、竹島は韓国領土だと主張しているが、朝鮮半島の北朝鮮が支配している土地を韓国領土だと主張しないのでしょうか、そっちの方が広いですよ。何故でしょうか、韓国の人達は考えたことがあるのでしょうか、やられっぱなしという、被害者意識ばかりで、日本は侵略されたことがないのに、なぜ、自分たちは、侵略出来ないばかりでなく、侵略者に立ち向かうことができなかったのでしょうか。考えてみたらいいいと思う。何かが、欠けているからでしょう。今は、大国の利害関係の被害者として、二つの独立国に分断された状態になっている。分断されたという被害者意識はないのでしょうか。これらは、外国の責任でしょうか。自分たちで何とかできなかったのは、自分たちの責任でしょう、考えたらいいと思う、まさか、分断も日本の責任だというのではないでしょうね。分断の責任はどこのあるのか、韓国の人は、言わないですよね。責任者を特定できれば、散々、罵りまくっているはずですよね。前にも書いたが、こんな、朝鮮半島の人達の状態だから、日本がロシアに負けていたら、今もって、旧満州国辺りも含めて朝鮮半島もロシア領になっていたでしょうね。韓国の人達は、こういうことを考えたことがあるでしょうか。日本に統治されるより、その方が良かったと思うのでしょうか。決して日本の行動が正しかった、あるいは、止む負えない行動だったとは思わない、悪い事をしたと思う。しかし、だからと言って、何でもかんでも日本が悪い、謝れ、と言ったって、喧嘩を売るような言動や行動をしていては、収まりどころがなく、どんどん、亀裂が深まるばかりだ。どこかで、引かなければ、そのずっと先には、悲惨な状態が待っているだけになってしまう。最後に、日本との過去の関係をどうこう言って、どうしたいのか、謝らせて、その後、何をさせたいの?金額なの?韓国内で裁判に寄って請求金額を決めて、それを払えば、全てを水に流すの?韓国大統領は、お父さんがしたように、完全に水に流す条件を示したらいいと思う。「竹島は韓国領土と認め、慰安婦問題は、韓国の主張を認め、請求金額を払う、強制労働についても同じ」といった条件を示したら、いいと思う。ただ、認めろ、謝れ、では、謝っても、心から謝っていないと言うに違いないでしょ。だから、水に流す条件を発表したらいいじゃないの?と思う。そして、朝鮮戦争後しばらくしてからの“漢江の奇跡“は、今の大統領のお父さんが大統領の時代でした。日本からの援助も大きな役割をしました。その事はどう思っているのかの感想も”謝れの条件“の中に入れていただきたいと思う。突然、野生のエーデルワイズです。どこかわかりましか、一つは本場、スイス、グリンデルワルド郊外、もう一つは、インドネシア、パパンダヤン、バンドンからタシクマラヤへ向かう道の途中でガルット方面に右折し(南方向)ガルットの手前のチパナス(温泉旅館やプールがある)を右に見ながらしばらくして右にパパンダヤン方面の看板が見る。駐車所から登り始める、活火山です。頂上に手前の広場に群生していた。今はどうでしょうか、あまり、似ていないが、花が白い産毛の様なもので覆われている共通点は確認した。韓国 コリア 恨み
2014.03.08
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1876 今日、先ほどある日本食レストランで、食事会があった。その二日目、ある人に誕生日だということで、やはり、日本食レストランに呼ばれていた。そのレストランの二階の何番と聞かされていた。しかし、私の思い込みで、そのレストランではなく、今日のレストランでと決めつけてしまっていた。時間通りに間違ったレストランへ行った、一緒になる人は出れも来ていない、当たり前だ、ここではないのだから、それでも、気がつかない、レストランのおかみさんに、予約をだれ誰々の名前でいてあるはずだ、何番の部屋かと聞いたら、似たような、名前があって、3番ですよ、と言われた。聞いていた部屋番と違うが、そうかな思い、その部屋に入って待っていた。いっこうに連れが来ない、そこで、私にレストランを言ってくれた人に電話をしたが、出ない。他の人に電話をしたら、その人は、まだ、行く途中だと言っていたので、予約していた部屋と違っている事を伝えておいた。まだ、間違いに気が付いていない、誰も来ていないので、今度は、気を利かせて、摘まみになりそうは料理を注文しておいた。それから、しばらくして、まったく関係のなお客さんが、私がいる部屋にやってきて、この部屋は私たちが予約してあるはずですが、間違っていませんか、ときた。それと同時に、店の女の子が、予約控えを持ってきて、この人達が予約している部屋ですよ、と、確認に来た。ここで、やっと、間違いだったかもしれないと思った。先ほど電話に出なかった人に電話してみたら、今度は、出て、私が間違った事を確認した。注文してしまった調理がまだ出てきていないが、間違いが分かって、出ていって、他のレストラン行こう部屋から出かかったら、料理を今作っているからキャンセルはだめです、ブンクスで持って行ったくださいという。そのレストランのレジにいる人は、私の友人で、高校の後輩だった。逃げ出すわけにもいかず、請求通り15万Rpほど払って、まだ、全部の料理が出来あがっていないので、10分ほど、その後輩と話し込んで待っていた。ブンクスされたプラスチックの袋を持って、そのレストランから出た。思い込みの代償が15万Rp高かった。みなさんが待っているレストランに行った。太田さんにも、ついに来たかと、言われてしまった。仕方が無いのと思う。そして、再び、一昨日間違えて行ったレストランへいった。今日は間違っていませんか、と、聞かれた。今日は、間違えていないよ。しかし、また、大したことではないが、あれほど、毎朝、出がけに確認しているのに、財布がポケットにないことに、初めて気がついた。今朝に限って、確認しなかったのでした。また、19時と聞いていた集合時間だったが、18時に参加の一人から、もう、着いているよ、何番の部屋だよ、という電話が入った。その時、私の頭の中は、18時集合になってしまった。あわてて、会社から飛び出した。行ってみると、その人しかいない。何時から?と聞いたら、19時ですよ。がっくり。思い込みが激しいと思う、自覚しているが、それでも、思い込みが多いと思う、確認をしないのです。思ってしまって、もう、そのままなのです。こうして、書いている時も、間違いが多いことは分かっている、読み返して、間違いが無いか確認している。それでも、間違いを素通りしている時が多い。ただし、この状態は年を取ってきたからで、決して、ないと思っている。性格だと思っている。元々、子供の頃から、早とちり、勘違いが多かった。“後で気が付く寝小便“だとか、”おだっくいだからね”“ざつだからね”と両親に言われたものでした。分かった、分かったと言って、さっさとやってしまうことが多かったが、失敗も多かった。“やらなければ失敗もしないのに”と言われることも多かった。算数や数学のテストで、最後の文章問題、応用問題は完璧に出来ていたが、最初の簡単な計算問題で間違っていることが多かった。今日も、強烈な雨の時間があった。勘違い 思い込み 性格
2014.03.07
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1875 また、話は、がらっと、代わって、カマール マンディ (kamar mandi)は、水浴を兼ねる部屋、カマール クチル(kamar kecir) は、原則として大小便をする部屋で水浴はしない。トイレはどちらでも、どこでも通じる。“トイレ ディ マナ?toilet di mana?”でOK。インドネシアのトイレについて再び触れて置く、基本的には、川岸や小川や海岸など、自然の水が汚物を流してくれる場所がトイレになる。そして、その場所は、服や食器類の洗い物をする場所でもあるのです。多くの田舎、多くの町を訪ねている私の感覚では、面積でいったら、80%以上がこのようなトイレだと思う。このあたりでは、カリマラン川が典型です。自分の家や敷地内にトイレがある家庭は50%以下だと思う。浄化槽を設備している家は1%もないのでは、と思う。全て、下水というか、側溝というか、とにかく、外に流し出してしまうだけだと思う。家でも外でも、トイレと水浴びは一体というか、切り離してはならない事らしい。用を足した後は、水で洗って綺麗にすることが当たり前なのです。水を出来るだけ沢山掛けて、左手で洗うのです。だから、カマール マンディ(kamar mandi)水浴室ですが、トイレなのです。一昨日の写真のような形式が普通です。この部屋で大小便をし、体も洗うのです。少なくても、下半身はすっぽんぽんになります。だから、脱いだものを掛ける場所が必ずあります。用を足した後、紙で拭くだけの日本人は不潔、夜、寝る前だけ風呂に入って体を洗う日本人は不潔と言われます。臭いと、鼻を摘ままれます。日本のトイレの実態など想像の外の彼等は、自分たちは、清潔で、環境も汚してなどいないと胸を張るのです。そう言われると、なんて言ってやったらいいか分からなくなる。トイレと風呂場が離れている?とんでもないことらしい。と、いうことで、最近、洋式トイレを採用している施設が多くなっている。会社のトイレも、ほとんで洋式になってきている。座るところがグシャグシャに濡れている。足を置いてしゃがんで用を足し、そのままの姿勢で、水を流し、手ですくって、お尻を洗うのです。多くの場所には、お尻を洗うための水が出るホースが手に届くところにあります。その勢いがいい水で洗うのです。また、水で流すから、紙を使う習慣がなかった、今でもない地域がほとんどだ。トイレットペーパーはトイレの中に入れて流してはいけないという、言い伝えがあるらしい。チュッシュペーパーと違って、水溶性だから、流しなさい、と言っても無駄のようで、汚物を入れる容気が置いてあって、そこに、使用済みの紙を入れて置く、もっとも、トイレットペーパーは、汚物を拭きとる役目ではなく、綺麗にした後の水を拭きとるために使用しているので、汚物が付いていない。そういう機会は日本人にとっては無いでしょうが、明け方、海岸に上陸する時には、注意が必要です。半溶けのウンコがあちこちにあって、避けて歩くことが難しいくらいの海岸もある。コモド島の周辺の島は特に凄かった。カリマンタンのスンガイ マハカム(sengai mahakam)を上下した時も、両岸は、トイレが連続していた。http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage00073.html フォト Sg,mahakam不潔 川岸 ビショ濡れ
2014.03.06
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1874 集中治療室で目が覚めた。痛い、お腹が痛い、強烈な痛み、我慢できない。痛み止めの注射を肩に、お尻に座薬を入れた。夜になった。隣の鼾が凄い、痛みは、酷いまま、眠れるわけがない、夜勤の看護婦に座薬を入れてくれと頼んだが、「太田さん、さっき入れたでしょ、堪え性がない人ね、我慢しなさいよ」と叱られた。結局、朝まで眠れなかった。鼾は相変わらず、朝出勤の看護婦に、痛く眠れなかったことと、鼾が煩いから、一般病棟に移してくれと頼んだ。座薬を入れてもらえることになった。「あら、太田さん、座薬が入っていなかったみたい、落ちていますよ、よく、一晩中我慢したわね、こんな人初めて、我慢強いのね」と感心されてしまった。何だよ、昨日の看護婦、とんでもないやつだ、と、思っているうちに痛みがなくなった。それと同時に隣の鼾がぷつっと止んだ。朝ごはんの時間らしい、扉の外をカートが通る音がする。深い眠りについた。夕方目が覚めた。妻や母親が私を見ていた。隣のおばあさんのベッドが空いていた。「移したの」と聞いたら、「今朝、なくなったのよ、手術をしようと開腹したが、手の施しようがなくて、何もしないで閉じたのよ、麻酔を沢山効かせて、眠って貰っていたの、太田さんには、迷惑だったでしょ」と、いうことだった。ドラマだね、こんな狭い空間で、こんな短時間に、色々、あるな、それを感じるのは、生きている証拠だなと。一か月後に10kgやせた状態で退院した。その間、私に死んでもらっては困る人達が大勢見舞いに来てくれた。同行二人の人も来てくれた。牢名主ではないが、入院患者の代表者みたいな状態にもなっていた。よろず相談も引き受けていた。偶に、抜け出して、碁会所へも行っていた。見舞いに来た人で、行方不明の私に会えなかったほともいた。禁煙をしていたが、帰りの車の中で運転をしながら、吸った。美味しかった。その翌日から、会社に出ていた。6月の初旬だった。お腹の皮膚が突っ張った時に痛みを感じる程度、他は、普通だった。それから、約10日後、夜中に、急に下腹に強烈な痛みを感じた。我慢できない、運転して、病院へ向かった。緊急入院、顔なじみになった看護婦が、「やっぱり来たわね」という、そういえば、退院する時、看護婦から「また、会えるかもしれないね、きっと、戻ってくるよ」と、分けのわからない事を言われていた事を思い出した。聞くところによると、胃の手術は、小腸が邪魔になるので、掴んで、寄せるのだそうで、その、掴んだ場所の小腸の粘膜が剥がれ、本来、滑りやすくて、小腸同士がくっついてしまうことはないが、粘膜が剥がれると、くっ付いてしまい、その場所が、閉塞するのだそうだ。腸閉塞です。一週間、点滴だけで、なにも口にしなかった。X線チェックで、閉塞がなくなって、退院できた。それから、また、一か月後、同じ事を繰り返した。腸閉塞の痛みは胃の手術の後より、痛かった。脂汗タラタラの痛みだった。それ以後、その病院へ行く事態には、なっていない。76Kgあった体重が60Kg以下まで落ちた。体重に関しては、その後半年で65Kgになって、それ以後、現在まで、63Kg±2kgで安定している。8月に二つの結婚式の媒酌人を務めた。結納の時の写真と結婚式の時の写真では、使用前、使用後のような風貌だった。超早期発見、早期手術、そして、ほとんど胃を取ってしまったので、胃癌の心配はない、だから、インドネシアで今も普通に(パニック障害を除いて)生活出来ている。人生、色々あるうちの一コマでした。ついでだから、書いておくが、今になっても、胃を切ったという話をすると、「胃はまた大きくなるんでしょ」と、ほとんど人はいう。胃を切った、私の父親も、自分で、「切った直後より、一度に食べやれる量が増えていったから、胃は大きくなっている」と言っていた。事実は、『胃が再生することはあり得ません』ただし、切った直後より次第にキャパシティは大きくなります。一度に食べることができる量は増えます。何故でしょうか、十二指腸がラッパのように膨らむからです。カメラで見ると、蛇腹のラッパが見えます。当たり前ですが、胃の消化液は増えません、動きもありません。胃で消化する栄養素は未消化のまま、吸収されず、通過します。だから、食べる量が増えても太る確率は少ないのです。いくら食べても太らない。異常な肥満の人は、胃を切って取ることが、究極のダイエット方法です。そして、胃がんに掛かるし心配もなくなります。良いことずくめです。切った胃は再生しません。トカゲの尻尾ではありません。またインドネシアに登場したおちゃ、日本茶ではない、しかし、日本のお茶だと宣伝している。伊豆の狩野川沿いの早咲きの河津桜が満開だとか。間もなく、桜の季節、日本にいる予定だ。手ぐすね引いて私を待っている方と桜の下でゴルフ、いいでしょう。痛い 強烈 我慢強い
2014.03.05
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1873 久しぶりの晴天で、朝、思い切って、ベッドのシーツや枕、掛け布団などを庭に広げて置いた。帰るまでに、雨が降ってしまえば、どうしようもなくなるが、一種の賭けだ。あまりに湿っているので気持ちが悪い状態だった。結果、十分乾燥することができた。やれやれ!!ふと、思いだした事を書いてみる。48歳の4月末近くのこと。頼まれ仲人を二口引き受けていて、結納の儀式も済ませた一週間後、お腹が痛いのが三日ほど続いた。腹痛は一日二日で直ってしまっていたのが、その時は、ちょっと、変だぞと思って、病院へ行った。直ぐに胃カメラを呑んで、モニターを眺めながら、何かありましね、胃潰瘍ですね。1cmくらいの直径の白い部分を確認した。周りから五つサンプリングをした。「一週間後に来てください、悪性腫瘍か良性かをチェックします」五月の連休になった。妻と休みが合わなくて、一人旅が普通だった。車で静岡インターへ向かい、西か東か、東にした。ずっと走って、青森は下北半島について、六ヶ所村を通って恐山についた。変な所へ来てしまったなと思う。大間町を通って、薬研温泉に泊まった。それまでは、眠くなった場所のサービスエリアか道端で寝ていた。この旅は、四国お遍路のように弘法さんの様な人と一緒だった。もしかしたら、悪性で転移してしまっているかもしれない、そうでなくても、胃を切ってしまわなければならないかもしれない、美味しいものをお腹いっぱい食べられるのは、最後になるかもしれないと思って、大間のマグロオオトロやマツタケをたらふく食べて、温泉に浸かった。仏が浦近くの道路で、速度違反で捕まった。東北弁の警察官、良い旅を、と、言って、見逃してくれた。ついでに、津軽半島の先端、竜飛岬、青函トンネルまで行ってきた。階段国道も歩いた。5日に戻って、6日の病院へ行った。結果は一つが悪性だった。「切りますか、様子を見ますか」と問われた。即座に「切ります」と答えた。「では、今晩から入院してください、体調をチェックして、直ぐに切りましょう」という、直ぐ、入院し、翌日、体調良好、手術の問題なしで、二日後8日の朝、麻酔の注射をして、もうろうとなって,担架に移され、手術室へ入った。手術台に移され、「深呼吸をしてください」と言われ、深呼吸をしようとした途端に、マスクをあてがわれ、無の世界に入った。気が付いたのは、集中治療、麻酔が切れて、痛くて目が覚めたようだ、時間は分からないが、看護婦の会話から夕方5時ごろだった。隣に私の後に手術をしたというおばあちゃんが寝ていた、鼾が、強烈だった。「痛いから、なんとかして」と、頼んだら、座薬を入れてくれた。続く。 http://www.wakuwakujapan.tv/ja/time/page/201403.html 168チャンベルテレビ番組表です。Stasiun Tawang Semarangスマランの列車の駅の名前はタワンです。トイレはあんなでしたが、駅の外観と正面ホールはオランダ時代そのままの洒落たスタイルをしている。この近くにタンジュンマス、トゥルボヨ、チャンディなど工業団地があり、日系企業も多くある。胃癌 手術 潰瘍
2014.03.04
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1872 空港から町の中心まではブルーバードで30000Rp,約10分でした。鉄道は町の中心から北、海岸よりに走っている。その付近には広大な工業団地もある。スマラン駅のトイレット、駅舎はオランダスタイルをそのまま残す、洒落た建物だが、トイレはこんな風、一般的なインドネシアのカマールマンディースタイルである。大概の日本人は、取りあえず、びっくりすると思う。部屋はグシャグシャだし、どこに足を置いたらいいか考えてしまう。座るならこちら向きですね。こういうスタイルなので、洋式トイレのお尻を置いて座るところに足を乗せて用を足す人が多いにで、一般的には、絵付きで、座り方の注意書きがある。昨日訪問した会社のショ-ルームの一角です。この冷蔵庫のドアーの両側にある柱を頼まれた。扉の内側の磁石が入っている、柔らかい塩ビのガスケットは、馬鹿でもチョンでも出来るので、インドネシアの日系のローカルも作っていて、全ての冷蔵庫会社はこのない調達をしているが、それらのガスケットの供給会社ではこの柱を作る技術はない。で、中国から輸入しているのです。ガスケットは外観などどうでもいい製品だが、これは、外観が最重要だ。私が引き受けなければ、だれがやる?という製品、何とかしたいと思うのが私です。スマランに泊まって、町中を走り抜けるのは、初めてだった。一回だけ、もしかしたら、カリムンジャワへ行った帰りに、時間が余ってしまって、タクシーで郊外の遺跡を回った事があったかもしれないが、とにかく、町の繁華街辺りを通過したことはなかった。勿論、スマラン郊外のジャラントール、多分、20回以上、通り過ぎている。ジョクジャやスラバヤへ行くときも、町中を通るのは時間の無駄になるからだ。かなりの大都市に感じる。そして、オランダ時代の建物や道路がそのまま残っている街並みがあり、キリスト教会が、町の中心部にもオランダ風の建築で多く存在していたのが印象的だった。 『スノープリンス 禁じられた恋のメロディ』『Snow prince』という映画を19:00~21:00見ていた。途中から「おしん」「フランダースの犬」と「小さな恋のメロディ」レスター少年、を連想した。それでも、引き込まれて見てしまった。ガルーダ機内以外では、日本の映画、何年ぶりでしょうか、こんな映画を頻繁にやればいいと思う。 旧市街 中都市 活気
2014.03.03
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1871 13;50スマラン出発、15;00にはジャカルタ到着、明るいうちに、空港からジャカルタに入りチカランまで、という機会は、非常に少ない。大概、暗い中をチカランに向かっている。日本からの到着便で一番速いのはANAでしょうか。夕方4時ころに着くのでしょうか?それなら5時ごろに空港から出るので、まだ明るい。JALやガルーダでは、もし、明るいうちに到着しても、空港から出る時には、暗くなっているはずだ。 今回は、久しぶりに明るいうちにジャカルタへ戻ってきた。空港へは勿論、ドメスティックなので、バゲジを預けていなければ、何の障害もなく、すっと、出て、駐車場へむかう。インターナショナルの場合は、そうはいかない、ガルーダ以外なら、入国手続きが必要だし、荷物の受け取りも在り、税関での問題もあるかもしれない。空港の状態について、貧弱だと思う、17年前と変わっていないのに利用する人が増えている分、こんな状態の国の玄関口はないだろうと思わされる。酷い状態だ、が、だれもが、感じる事でしょう。空港の印象は最悪だ、が普通です。ジャラントールでジャカルタに入って、グロゴール方面(アンチョール方面ではない)へ向かえば、入ってく前方の状態がこれ。アパートやショッピングモールが聳えている。左側には、遠方に高層ビル群が見えて、始めて、来た人にとって、思っていたより、はるかに大都会という印象を受けるでしょう。17年前、始めて、ジャカルタに来た時は、この三分の一も建物は無かったが、それでも、「こんな大都会だったんだ」と思った記憶がある。タンゲラン方面との連絡、フライオーバーはその時のまま、過ぎて、スリッピ当たり、ここには右側に黄色いニ棟のアパートがあるだけだったが今は、その建物が目立たないくらいアパートが立ち並んでいる。 スマンギの交差点、ここの手前まで来れば、完全に大都会の真ん中という印象を受ける、右にヒルトン(今、スルタン)ホテル、左側にはアストン(ピンクの三棟のホテル、アパート)が見えた。今は、プラザスマンギが目立つ。始めて人の多くは、このスマンギ交差点の手前でジャラントールから出て、並行して走るガトゥットゥスブロト通りに出て、陸橋の手前でスディルマン通りを北上する(モナス方面)か、陸橋の向こう側から左に出て、くるっとまわって南下する(ブロックM方面)でしょう。この南北に走る通りのどこかにホテルを予約している人が多いと思う。そして、ホテルの窓からも、その辺りの夜の景色をみて、自分が住んでいたり活動していたりした辺りとは比べ物にならないくらいの大都会だと思うでしょう。そして、翌日、この町の大渋滞の洗礼を受けることなど、その時には思っていない。話はコロッと変わって、家に着く前にいつものコンビニでアクアを買った。1.5L10本、3500Rp×10で35000R%p,13000Rp15Lガロンボトル、×2、で26000Rp、全部で45Lで61000Rpでした。約550円です。どうですか、高いでしょうか。大都会 印象 夜景
2014.03.02
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1870 ソト クドゥスのクドゥスだ。今回は食べなかった。疲れた。夕方7時にスマランに戻ってきて、WITHというホテルに落ち着いた。眠たかったが、見積もりなどの仕事があって横になれなかった。今朝、夜中、2時ちょっとすぎに家から抜け出した。一時間弱で空港に着いてしてしまい、一時間ほど駐車場の車の中で仮眠をした。で5:40発でスマランに、07:00頃、到着。なにが目的だったのでしょうか。よくわからない。ある人物から、来てほしい、行ってほしいと言われて、私も、どんな話があるのか、いってからのお楽しみという気持ちでOKをした。取りあえず、私の経歴と実績を説明できる書き物とサンプルを持ってきた。どうも、私に、スマラン辺りで、押出しの仕事をやってもらえないかということらしい。スマランからクドゥスまで約二時間、10時前に訪問先に入った。ここがもう一つの目的の会社で、PPパイプや硬質PVCのプロファイルの見積もり依頼を受けた。この会社は、大きい、従業員が5000人以上だそうで、金曜日だったので、昼時、一斉に、外のマスジッドに向かう。その人の流れは壮観だった。それはそれとして、この会社も中国から押出製品、部品の大部分を輸入している。そして、今日、依頼を受けた製品は、新しいデザインに使うもので、まだ、中国へ試作にいらいもしていないから、是非、私に、というわけらしい。今までのデザインの製品も継続して売り出すが、この、新しい製品のこの部品がOKなら、今までのものも私に頼むようになるということらしい。昼食を外で取って、会社に戻って、また、別の人と、ミーティング、今まで出した別の製品の価格について、安くならないかという話だ。これは、ローカルの会社で作っているらしい。それなら、私は、邪魔したくないと、値下げの依頼はことわった。なぜ、私に頼むのかと聞くと、品質が良くないからだという。それなら、値段と品質の優先の問題でしょうと言っておいた。ただ、その人、話好きで仕事以外に、私に興味があるらしくて、個人的な生活の話、行動の裏付けなどについて、色々、話が弾んだ。早く終わりたかったが、長々と、3時過ぎまで、釘付けにされた。そうなるに当たっては、これらの事はしばらくチカランで作ってもらうことになるが、折をみて、私がこのあたりに来て、新しく作る会社で技術指導をして貰って、この周辺で。押出成形部品を全てを、手に入れることができるようにしたい、などという事を、言われてしまった。こういう話は嬉しいが、ちょっと待ってよ、というしかなかった。このあたりの人達の雰囲気は、ブカシ辺りの人種の雰囲気と、ちょっと違っていて、こちらの人の方が、当たりが、優しい。話をして人達全部が、印象が良かった。そんなこともあるので、直ぐというわけにはいかないが、なる程度の準備が整えば、この地に来て、しばらく、住み着いても、良いかな、と、ちょっと思っている。あれも在るよ、これも在るよ、その事では不自由しないよ、と、聞いてもいないのに、笑いながら、私に話す。押出し成型をこの地でやれば、スラバヤ方面からの仕事を引き受けやすくなるし、勿論、ジャボタベック方面もおなじような距離だから、今まで通り、仕事を引き受けられるよ、などともいう。ジャカルタ、スラバヤの中間点、中部ジャワの真ん中だということは、ロジスティック関係でも有利だという。ある女性が一緒だった。何者でしょうか、この周辺、色々な会社を持っているらしい、出身はボロブドゥールの傍、マゲランだという。歳は?47才だという、見かけ60才くらいのおばあちゃん。その人も、私に、お金は出すから、スマランで工場を作りたいと思っている、ぜひ、私に手伝ってほしいという。工場の広さは?とか、設備費は最低、いくら?などと、質問する。ケースバイケースだが、適当に答えていたが、彼女の方は、大変乗り気で、ホテルの部屋まで付いてきて、設備の購入先はどうして調べれば良いかなどの質問が続けられた。どうも、大金持ちの一族の一員の様な印象で、このあたりでは有名な人物で、泊まったホテルもどうも彼女と資金的に繋がっているような印象だった。ミステリアル!!ホテルの6階の部屋の窓の外の風景。町一番賑やかなエリアだそうだ。ホテルも沢山ある。私のシングルのお値段は、250000Rp(約2200円)開業から6か月だそうで、まだ、壊れている様子はない。謎 投資 勧誘
2014.03.01
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