全31件 (31件中 1-31件目)
1

1961 何もしていないということは、とんでもない事をしているということです。全く、別の話ですが、そして、とんでもないという事と言えば、過去に私はとんでもない事をされたことがある。同じ会社の違う部門の日本人から、私の部門で作って、検査を済ませ、梱包もし、出荷ストックエリアに置いていた製品の中に不良品の混ぜられたのです。ほとんど、同時期に、二種類の製品で良品を抜き取って、不良品をいれられたのです。日本の客先から、インドネシアから出荷後三カ月くらいして、クレームが入った。ナイロンのコの字形の製品でした。一つは、折り曲げられた製品が50本の内5本混じっていた。もう一つは、閉じているのが普通だが、開いてしまっていた。一つ目は、人間が二つ折りに曲げてしまわなければできない状態だ。実は、検査でNGと判定された製品は、NG品を入れる箱に、間違えて使わないように二つ折りにして入れるという、作業標準になっているので、検査員が折っておいた製品から拾い上げて混ぜたのです。そして、半円に曲げた製品でも、一日ほどそのままにしておけば、真っ直ぐに戻るのです。ポきっとおらない限り、曲がった状態に保つことはできないのです。二つ目は、開いているばかりでなく、やはり、折れていた。そして、それは、スタート時や終了時に出来る、断面寸法が小さい品物だった。製品が小さい時には、開いた状態になるが、寸法が大きくなって、OKになれば、自然に足が閉じる。この製品、40年以上作っているが、大きいまま開くことは、在り得ない。日本で私が始めて作って以来、40年以上、勿論、こんなクレームに有ったことはないし。その他の要因でもNG品を出荷したことはなかった。そして、その製品以外の多くの製品、その他のお客さんでも、クレームが発生する事はほとんどなかった。インドネシアでも皆無だった、それどころか、品質、納期共に、毎年表彰されていた。いずれの製品にも製造年月日と製造者、そして、検査員の名前もわかるようになっている。彼が、不良品を作ったり、見逃したりすることは考えられない。それも、ほとんど同時期に別の人間がです。もっとも、その表彰式に私が出席したことがない。ご本人、晴れ舞台と思ったのでしょう、担当以外の日本人が行っていた。そして、そういう表彰状や盾などは、来客に見えるように置くのが一般的だと思うが、私は見たことがない、どこかに仕舞ってしまっているのです。そして、そのクレーム事件は、その日本人が私に対し、PHしている最中の出来事だった。両方とも、誰かが、わざと、まぎれ込まさなければ、できない現象だ。無意識にはできない。と、説明して、まったく、押出の知識がない人は、聞く耳を持たないどころか、現に混じっていたじゃないかと、どなるように言うだけ、そうでしょう、ご本人が混ぜたとは言えない。40年間、何十万メーター,何百万メーター作ってきたが、業と作ろうとしても、私にも誰にも作れなかった品物が混じっていた。また、1mの製品を二つ折りにしたものが、混じるなどということは、全くあり得ない話だ。混ぜるなら、もっと、ありそうなものを混ぜたらいいと思うが、知識がないから仕方がない。こわいですね。これが、サラリーマンの現状でしょうか。気の毒にも思ったが、なにやかやで、パニック障害になってしまった、原因の一つだったと思う。その人たち、私がいなくなったあと、コストダウンと原料に購入簡素化のために射出で使っている原料で製品を作れと、元、私の部下たちに命令した。出来る筈がない、技術がないと怒ったそうだ。無知は罪だ。また、もと。私の部下が見積もりの計算をして出した価格120円を見積書に12円として、客先に出してしまった。納入先は、スラバヤの南、パスルアンの工業団地だ、運賃の価格だ。製品は只である。会社を撤退するとき、引き受け会社に売値を通知した時に、指摘された。それまで、どんな製品かも、知らなかったという。それを、部下たちの責任にしたという。そして、価格の間違いは、それだけではなかったという。本人は知っていると思っている無知は大罪です。28,29日のパンガンダラン西海岸朝の風景。帰路の山の中の風景、茶畑が見渡す限りの場所があった。ギラ ベゴ ボードー
2014.05.31
コメント(0)

1960 時に出発して、同行の友人のためと思い、来た道をそのまま帰るのではなく、南回り(インド洋海岸沿い)の道で帰ることにいた。これが、疲労の原因になった。道が大いに壊れていてそれだけでも時間がかかったし、右往左往道を選ばなければならなかったし、凸凹の連続は体へのダメージが大きい。そして、北上する道を選ぶのを間違えた。山の中の細い、くねくね道を選んでしまった。北上を始め、最初の何キロかは、道が広く、舗装も完璧だったが、途中から舗装も無くなり、道幅も狭くなり、急な登り道になり、右往左往も激しくなった。すれ違うバスもほとんどなくなり、見るのはポンコツミニバスだけになってしまった。それでも、引き返すわけには行かず、ひたすら北上した。その道だけで3時間以上かかってしまった。やっと、なんとか最後の峠にかかった時には、出発してから、6時間かかってしまっていた。いつもの帰り道なら、すでにチプラランの高速道路に乗っている。流石に運転を続けることができず、茶屋で休憩をした。カップめんを食べながら、30分ほど休み再出発、ガルットに入って、チパナスの入り口を横目に見ながら通過し、そこからは順調に、といても4時間くらいかかって、チカランまで、友人をおろして家に着いたのが18時を回っていた。実に10時間、平均7時間のはずが3時間もプラスそれも、渋滞ではなく、凸凹と曲がりくねりと遠回りが原因、全身が疲労困憊、20時には、どうにもならなくなって眠ってしまった。選んだ道は北上する道が3個所あるがそのうちの最悪だったようだ。今まで,ここを通ったことがなかったが、どこも同じだろうと思ったからだ。パンガンダランから海岸沿いに西へ進み、北に向かう道の一番目はタスクに向かう、3か所目はガルットに向かう、その中間の今日選んだ道もガルットに入った。そして、この道に入る前にどけ行くという看板が無かった。とにかく、どの道でも北上すれば、道も良くて順調に来た道の途中と出会うと思っていたのが間違いだった。http://otaenplaext.net/newpage34.html以前にも通過した南の海岸道路、広大なゴムのプランテーションの真っただ中を通過する、行けども行けどもゴム園である。面積から考えて、働いえる人は少ない、その一人の話しができた、普通、一日300本の木からそれぞコップ半分くらいに樹液を集めて回るのだそうだ。ここに何本あるかと聞いたら、そんなこと、知らないよ,といわれてしまった。粘り気はほとんどない、この液体にアンモニアを混ぜて硬い塊にして出荷する、どこへ持ってゆくかは知らない。この木だけ、ヤシの実を受け皿につかっていた。まあ、とにかく疲れた。変わったことをすればリスクがある、実感した。ゴム園 疲労 間違い
2014.05.30
コメント(0)

1959 7時からチャガールアラムにはいった。今日のガイドは、ラシッド君、といっても、もう34歳、彼は、長男で、亡くなったコビル君のお兄さん、コビル君がパンガンダランからいなくなったので、ガイドをラシッド君にお願いしていた、ところがラシッド君は四年前、オーストラリアへ留学で行ってしまって、その後は、三男のイワン君をはじめ四男や五男にガイドを頼んでいた。そして、二週間前に、留学を終えて,戻ってきた。ところが、留学の結果を利用した就職先が見つからない、しばらく、ガイドやサーフィンのインストラクターと留学前と同じ仕事をするらしい。ということで、今日のガイドはラシッド君に頼んだ。ラフレシアには、四か月ぶりのご対面でした。連れの日本人はパンガンダラン、今回が三回目、ジャングルに入ったのも三回目、過去の二回は残念ながら,蕾にしか会えなかった。今回は、私1人で一か月前に入ったとき一か月後には咲くだろうと予想できる蕾が三つ以上あったので、彼には、きっと会えると思うと言っておいた手前、私にもプレッシャーが掛かっていた。そして、一個目はガイドのラシッド君ではなく、私が見つけた。匂いがした。周りを見ようと振り向いたら、そこにあった。咲き始めて12時間前後、7分咲だった。色合いは最高、美しい。連れの人、大喜び、私もほっとした。この瞬間の気持ちは、例えようがない。自己満足の世界だ。 そして、もう一つ、見つけることができた。急斜面の中腹にあって、近づくのに、相当、危ない体制だったが、なんとか、近くから撮影できた。木漏れ日の影響で神秘的な状態になっていた。ちょっとだけ、ビヤワックに食べられていて、完全な状態ではなかったのが残念、開き始めて、二日ほど後だと思う。また、久しぶりに、メイン道路から近い、チアウイタリという滝まで行ってきた。途中、今がシーズンなのだろうか、ヤシに木に上り下りをしている人たちを多く見かけた。平均20mの高さに容器をつるすのだそうだ。滝は、亡くなったコビル君に最初,連れて行ってもらった場所だった。ラシッド君はこの滝を知らなかったが、私のうろ覚えを頼りに、途中何度も聞きながら、やっと,見つけることができた。10年ほど前のことを思い出し、ちょっと感傷的になった。日頃の歯がゆさから別世界に入って、ちょっと、気分が良くなった。現実にもどりたくない心境だ。どうにもならない。そんなところに、また、難しい新しい仕事の話しが入った。設備的に、また、環境的に、クリアしなければならないことが多くて、引き受ける雰囲気や気分ではないので、断る方向に見積もりを出すしかないと思う、などと、こんなところへも現実が飛びかんでくるのが、厳しい状況かなと思う。ラフレシア 現実 逃避
2014.05.29
コメント(0)

1958 04:00同行者とチカランバラットのゲートで待ち合わせて出発、道中、渋滞らしい渋滞はなく、超順調、パンガンダランに到着は、10:00前だった。新記録達成、6時間弱で着いてしまった。そこで、早すぎて、ホテルに入りにくいと思い、ルンバープトゥリ(表紙の風景が臨める場所)のすぐ下の海岸に寄ってみた。何回か来たことがあって、ここの見るべきものは、パンガンダランの半島の遠景、波が高いので、波の上に浮いているように見える。河岸はあくまでも広い。また、この海岸から、日本軍が指導して作らせた橋脚と鉄路(鉄橋)があった。あったというのは、数年前までには、鉄橋と線路があったが、今日は、橋脚だけしか残っていなくて、寂しい風景になっていた。また、もう一つ、ここでは、ヤシの葉の小屋が二軒あって、ヤシの木のエキスを煮詰め砂糖を作っている。私はヤシの実の中の液体(普通はそれを飲む)を煮詰めるだと思っていた。今日、それを確認しようと思い、聞いてみた。ヤシの木の種類によって、砂糖の取れる量が違うかと。答えは意外だった。ヤシの実は関係ないそうで、ヤシの木の枝のようなもの(その先に大きな葉がある)切って、その切り口に容器を釣るしておくと、樹液が貯まるのでそれを取ってきて大鍋で煮詰めるのだと。だから、ヤシの木の種類は何でも同じで、甘い液体をとれるのだそうだ。夕方、掛けておき、翌日、午前中に,おろす。見かけ、2Lくらいとれる。それを煮る、毎日、繰り返す、だから、一日ニ回一本のヤシの木に上り下りする、50本なら、100回になる。容器がそう大きくない、二日そのままにしておけば、あふれて、多くをこぼしてしまうという。何回か来ていたが、初めて知った。このあたりは、パパヤの畑も多く、その高い木の下は、落花生やトウガラシの畑になっている。土地を立体的に利用している賢さがあると思った。やしの樹液は10m以上の高さ、パパヤは1m~3m。ピーナッツはせいぜい50cm以下、豆は地底だ。ホテル アラム ジャヤHotel Alam Jayaに入ったのが12:00前だった。二泊で45万Rp(4千円)えす。場所はメインゲートを真っすぐ行って西海岸道に突き当たる手前の右側、スシエアーのオフィスの並びである。樹液 大波 順調
2014.05.28
コメント(0)

1957 のけ反りスタイル、いすに座って机に向かう時、字を書いたり、キーを操作する時には、そうなりようがないが、マウスで操作する時、次第に、お尻が椅子の前の方に移動してきて、状態が後ろの仰向くようになる、足が前にでる。右手はマウスを握っているが、腕が次第に伸びてくる。モニターを少しずつ下から見るようになり。頭とモニターが同じ高さになってしまう。首は前に曲がる。以前、この事を書いた記憶がある。お腹が出ている人は特に、ソファーに座る時、ほとんど仰向けになって足を前に伸ばして座る人が多い。来客ロービの来客用のソファーに、自分の会社の社長がそんな状態で新聞を被るようにしていたところに私の客がやってきた。挨拶もしないで知らん顔、顔を見ることをできない状態なので、客も挨拶しようがない。その客を現場に案内するときに、本当は社長に報告しなければならないことになっていたが。私は省略した。みっともない状態だったからだ。客先が帰った後、案の定、その事を叱責された。ばっかじゃないの!!!この人は、自分の社長席に座っているときも、前に従業員を立たせて、のけ反り姿勢のまま、話をしたり、叱りつけたりしていた、私も、そういう状態で、大声で怒鳴られたことがあった。事務所の中の従業員がびっくりしていた。25,6歳、サラリーマンの時、50誌くらいの製造部長、この人は、やはり、いつものけ反り座りだった。それでは、十分でなかったのでしょう。両足を机の上に投げ出して座ることが多かった。前に、部下や同僚が来てもその姿勢を変えなかった。靴を履いたままだった。その事務所のトップだったため、誰も咎めなかった。本社のいる社長が来た時は流石にそんな姿勢はなし、私の直接の上司ではなく、三階級上の人だった。60を過ぎたころから、ちょっと気になりだして、そして、今の私、一番、嫌いな座り方だが、自然にそうなってしまっていて、慌てて直す。お客さんと話をしている時も、のけ反りまでいかないが、ちょっと、お尻が前に、ずれるので、気が付くたびに、坐りなおしている。昼ごろ、日本の水槽販売会社の最大手の若社長がいろいろなデザインの水槽の部品に関しての相談にみえていた。その時も、何度、直しただろうか。15年ほど前、お父さんが創業社長で、彼がまだインドネシア工場の社長をしていたころからの知り合いで、その時の彼と今はそう変わっていないと思うが、私の方は,相当、老けたという印象を持たれているのではないかと思う。 ラマダンを一か月後、レバランを二か月後に控え、各地で、道路の修復工事が繰り広げられている。私のカメラがサイドミラーに映っている。 私の車の前の風景、昼間、こんなに空いているのは珍しい。EJIP方面から、チカランバラットのゲート方面向かう途中です。 認識 すれ違い 空論
2014.05.27
コメント(0)

1956 やはり、私の選択は間違っていたが、その失敗は、引きずらないようにして、次のステップに、私の思う状況に、環境を導くようにできたらいいと思う。何が失敗だったのか。本当に久しぶりにカラオケに行ってきた。以前行ったのは、いつごろだったか、まったく覚えていない。今年、ではない、去年の何時だったか、パンガンダランで、だったと思う。それが、なぜ、先程だったかというと、歌を歌いたい心境になったからだ。一人で行って歌いたい放題歌うのです。20:00から22:00丁度ニ時間、緑茶とい缶を頼んだ女性と一本ずつ、ピーナッツの小皿を一つ、それで、払った金額が624000Rp(約5500円)高い。しかし、日本の歌主体にその時間中、歌いたい放題なので、仕方がない、他に、こういう場所がない。風邪が治ったばかりで、喉が悲鳴を上げていて、高音がかすれたり、裏返ったりするも、無理やり20曲くらい歌ったと思う。で、取りあえず、満足!!こんな話を聞いた。土日とブロックMでなんというタイトルなのか知らないが、日本祭りが開かれた。昨年、それお知らずにパパヤへ買物に行って、車をなかなか止められず、めちゃくちゃ賑やかな中を体を斜めにしなければ、前に進めない状況で、ひどい目にあった。多分、今回も、去年以上に大混雑だったに違いない。コンパステレビでも紹介されていた。リッポチカランの桜祭りもそうだが、もはや、場所が狭すぎる。開催責任者は、会場を広い所にかえなければならないと思う。それはそれとして、あるレストランで、この祭りに合わせて、日本酒を普段のニューの半額にする、という、サービスがあったという。知り合いで、それに、行った人が二人いて、二人とも別々に会っていたが、それぞれが、水を足してあって、薄くなっていたという、その人の周囲の人も、全員がそう云っていたという。何%薄められていたのか分らないが、とにかく、うすめられていたといことでは、意見が一致していたそうだ。カップ酒の蓋が開けられていて、プシュッという感触をうばわれていたことも、がっかりだが、うすめられていない蓋がしたままなら、こんなに溢れるばかりには入っていないという。これも、薄めた証拠になっていたという。厳しいですね、酒飲みの舌は。タマンセントサ、反対車線から右折して入る時は、この景色です。失敗 乗り越え 半額?
2014.05.26
コメント(0)

1955 そろそろ、引き際を考えなければならないと思う。いくらなんでも53才から20年は長すぎる。まだ、その20年にはなっていないが、それほど長くもない。その時点で必ずしもインドネシアから離れなければならないということもないが、やはり、期限を設けて、その後は、責任というか、負担というか、客先などとの約束を果たすというか、ストレスのない世界に身を置きながら、技術的なことで相談に乗るくらいの位置にいるようにしたい。それが、この仕事から手を引いたということになると思う。関わりからは死ぬまで抜けられないと思う。それは、それでいい。こういうことを考える年齢になったと思う。私の仕事を頼む人は、どうしても、私がいつまで先頭に立って仕事が出来るか、突然、いなくなるように事態にならなければいいが、必ず心配します。口に出さなくても思っているはずです。そして、また、私自身も私がいなくなった会社は、それまで、私が教えてきた物、私が作ってあげた装置を使って、そのままの仕事は継続してできるが、新しい仕事を引き受けることが出来ない状態が残る、と言っている。実際、そうです。その会社の日本人は、新しい仕事を、ほとんど、取っていません。で、私がいなくなっても、今までの仕事は出来続けるのですから心配ありません。と、いうだけです。それでいいのです。もし、新しい仕事を手掛けるなら、その会社の経営者が、出来るかできないか分からないようなものでも、従業員の誰かがやってみたいと言い出したら、やらせる、心に余裕のある人でなければならない。そういう会社が、伸びるのです。先行投資しても、研究費などを使って、誰から、こういうものが出来たらいいなと、言いだしたもので、自分の出来たらいいなと思えば、作らせればいいのです。追求させればいいのです。新しい製品を作り出すということは、多くの会社でやっていることです。それは、出来るかできないか分からないものに挑戦させる経営者か、そうでないかの違いです。私がインドネシアで出来るかできないか分からないが、引き受けてしまうのですが、その製品は、どこかで作っているものをメイドインインドネシアにするだけの話で、世界中だれのもできなかった事をするわけではないのです。中には、これは、多分、世界で私が最初に作った製品だと思うものもありませが、大部分は、世の中にあるが、私が、作ったことが無く、どうしたら、これが出来るのだろうか、と、考える。そういう製品です。引き際とは、こういうことを考える必要から解放される時だと思う。今朝のジャバベカ2のマクドナルド、ここで、人と待ち合わせをして、新しい仕事の話をした。バタムからの来訪者でした。昼、ゴルフの後、皆さんと食事をした場所です。気の毒なくらい、昼間はガラガラ、聞くところによると夜は常連客で一杯になるのだそうだ。シンガラジャの日本食レストランはどこも昼食時には一杯になるようだが、ここは、遅くなっても空いているので、断られる心配が全くないから利用する。値段も良心的だと思う。 引き際 余裕 投資
2014.05.25
コメント(0)

1954 最終目標を描くことが出来るようになった。私は、インドネシア人の会社でインドネシア人のためのインドネシア人によるエンプラ押出の会社を興す手伝いをする。これが、私の仕事のエピローグです。出来るかできないか、どうだろうか。私が評価して、エンプラ押出の技術のトップと営業のトップは、今、別々の会社でそれぞれを支えている。彼等が組めば、インドネシアでダントツの会社が出来るはずだ。私抜きで。会社の資産は、一般的に土地や建物など台帳に控えてあるはずです。それでなければ、様々な計算が全くできません。損益計算も製品見積もりも出来ません。機械や原料や金型やその他諸々です。減価償却の対象になります。その台帳に載っていない設備や金型などがある場合、それは、無償で借りているだけです。その会社の財産ではない。いつか、返すか、買うかを、しなければならに物です。それは、勿論、売ることもできない。基本中の基本です。もし無くて、どうして、損得を計算するのでしょうか。http://otaenplaext.net/newpage41.html 最低の準備です。またひとつ客先にサンプルを提出した。形状は一発でOK,ただし、色見本を渡される。その色の製品サンプルを約10日後に収めることを約束した。この会社、他社との競争がきつくて、モデルチェンジは頻繁に行わなければならないので、大変だ。ボヤキを聞く羽目になる。そしてまた、新しい話が舞い込んだ。何でしょうか。車のワイパーです。面白い形をしています。ホモPPとPPエラストマーの二色成型です。面白そうな話で、明日、土曜日だが客先とミーティングがある。客先は5人だそうだ、どこから来ているかというと、シンガポールが見える。島からだ。話が始まって、見積もりを提出しただけなのに、昼食の接待を要求してきた。一体彼ら何を考えているのだろうか、とんでもないやつらだと思うが、仕事を出すつもりでいるのだろうか。私はこんな仕事、やりたくない、難しそうだが、それが理由ではない。むしろ、やってみたい。しかし、そういうインドネシア人が仕切っている会社の手伝いをしたくない。仲介してくれた人の顔を立てる意味で、付き合うことにしたが、最初で最後である。来ない方がいい。儲かりそうな仕事はしたくない。ポリトロンからも注文が入った。ここは、純粋なローカル会社ので、利益が少ないが手伝いをするつもりでいる。今来た仕事が始めてだが、その後ろに大型の商談が控えている。出来るだけ、安い価格で提供するように、原料費は生産速度で工夫をして見積もりを出すつもりだ。インドネシア人の企業は応援したい。今迄の教え子が集まって食事会、三社から10人集まった。いずれも、その会社を支えている人たちで、お互いに連絡をし合っている。それぞれの会社の日本人がいない方が自由に動ける人達だ。情報交換の場だった。皆さん、私と一緒に仕事をしたいと思っている。冗談じゃないよ、平均10ジュタ以上の高給取り、とても、雇えない。久しぶりに、イフミー(硬焼きそば)を食べた。美味しかった。インドネシアの高級米、10kg1,300円くらいした。全部、濁酒に変わる余地だ。目標 最終章 ローカル企業
2014.05.24
コメント(0)

1953 新入社員を入れた。女性二人男性一人、これで、私を含めて9人になった。多分、合計サラリーは、35ジュタくらいになったと思う。一カ月の売り上げが150ジュタくらいなら問題ない、というか、十分自立である。 そして、何より、現場の各部署に責任者を設定することが出来るようになった。しかし、まだ、勿論、全ての人が全ての部署の手伝いをしなければならない。お互い間の組織です。家内工業的組織ですね。 これで、十分、ISOは申請しないが、申請しさえすれば直ぐにでも承認が得られる状態に全ての基準書、全ての記録書、全ての指図書、そして、何より、環境を整えることは、既に、ほぼ完了している。と言っても、テンポラリーである。 エンプラ押出やオレフィン系樹脂の押出、特にプルファイルの成形は難しい。難しい、穏当に難しいのです。何が難しいの?そうです。何が難しいか分かってもらうことの方がもっと難しいのです。わかりましたか、この説明で、難しいことが?やはり判らないでしょう。 技術的な話をして分かる人は0.1%もいないでしょう。樹脂の説明をしても、一分もしないうちに、聞きたくなくなるでしょう。大変申し訳ないが、エンプラ押出について、1分間でいいから語れる人は日本何人いるでしょうか、インドネシアにはほとんどいないと思う。あなたの仕事は何ですか?と聞かれることは多い。プラスチックの成形です、と、答えます。それで、普通の人には、なるほどと、頷いてもらえます。そしてその人の頭の中は射出成型を描いているのです。それ以上のことは言いません。何を作っているの?と聞かれれば、ストローや雨樋のようなもので、長いものを作って、切ったり、まいたりします。と、これで、お終いです。ほとんど、ここまでです。樹脂の話しはこちらからすることはありません。それでもプラスチックの成形と聞いて、どんな樹脂を扱っているか、聞いてくる人がいます。ちょっと、樹脂のことを知っていると思っている人でしょう。PPやPVC、POM,PAなどです。とは言わない。ポリプロピレン、ポリビニールクロライド、ポリオキシメチレン、ポリアミドなどと答えます。ほとんど、意地悪じいさんを、私はしていると思いながらです。100%の人は目が点というより、聞かなければ良かったというような反応です。そうですか。で、その続きの質問や会話はありません。難しさを分かってもらえましたか、分かってもらえないでしょう。日本とインドネシアで多くの人と一緒にこの仕事をやってきまいた。残念ながら、どんな樹脂でも、どんな形でも、やってみたことがないが、出来るかできないか分からないが、やってみましょうと、答えられる人はたった1人しかいない。インドネシア人です。しかし、その会社のその部門の日本人には分からない話なので、彼に任せることができない。だから、話を進めうことができない。話はちょっと発展するが、インドネシアの最終の仕事、私の仕事の最終になるであろう仕事を企てようと思う。出来るかできないか、ちょっと、他力本願な部分もあるが、何十年も出会うことができなかった“私のような人”を出会ってみたいと思う。私は、仕事に関して、誰にも育ててもらっていない。だから、“私のような人”を育てることはできないと思っている。家の前が賑やかだった。ジャバベカ方面からチカランバラットのゲートに向う車が極端に少なくなっている。チカランプサットに向かっているのでしょう。最終 私 難しい
2014.05.23
コメント(0)

1952 マー君 ついに負けましたね。残念だが、負けないままということはあり得ないので、ここら辺りで、良いじゃないのと思う。つぎは、気分を変えて、再連勝スタートしたらいいと思う。とにかく、日本人の若者として、存在感を示してほしい。元気なお爺さん、風邪は完全に直ったみたい。この数日は、食塩水で嗽を繰り返していた。痰が喉に引っ掛かって声を出しにくいのに、土曜、日曜に皆さんとしゃべりすぎた。だから、ちょっと、最終段階が長引いてしまった。 やっと、ヤンマー、ハイアールの前の道路の舗装のし直しが始まったようです。工事区間が通行止めに?になっているようです。朝はトールゲートの方からイジップ工業団地に一方通行になっている道が、通勤時間が過ぎると、そのまま、ゲート方面に直接行けるようになった。私にとっては有難い、遠回りしなくて済む。良かったと思うのは、ほんの少数派。気の毒なのがジャカルタ方面から来てジャカルタ方面に帰る人、そして、イジップとジャバベカを行き来する人。いずれも、今までより、かなり遠回りになるし、樹帯が激しくなるので、チカランバラットのゲートに入るまでの時間が読み難くなるでしょう。だから、チカランバラットではなく、新しく使えるようになった、チカランプサットに回る車が増えていて、ジャバベカ2の中、チカランバルの中、ヒュンダイ、デルタシリコン1~4.5まで、そして、デルタマスまで渋滞が長くなっている。結局、このイジップの中の数百メートルの通行止め(ここだけではなく、他にも同じように閉鎖の道がこの地域に何箇所かある)のためにチカラン全体の面的な渋滞を巻き起こしている。例えば、ジャバベカ方面からチカランバラットのゲートに入る道、一旦、左のよって、高速のすぐ手前でガードをくぐって反対車線にでるが、そのガード下を補修中で、通れないため、せっかく、すぐ右にあるゲートに入れず、イジップまでいって引き返してこなければならない。2km以上、空いていても10分以上遠回りをさせられている。 この状態は、6月末のラマダン突入までには終わらなくて、その1か月後のレバランの直前まで続くと予想する。ここから、ジャカルタ方面へのゲートに行けなくなった。逆方向からの一方通行にしてしまったためだ。朝のイジップへ入る道、この時間帯以外は、普通、反対車線になっている。リッポチカランモール方面から来る車が増えているために、この道も大渋滞になっている。私が使う車線はガラガラ。渋滞 舗装工事 遠回り
2014.05.22
コメント(0)

1951 PC遠隔操作。馬鹿げているが、あったんですね、こんな事件が。なんとなく、この文字を目にしたのは、二三か月前、何の事か全くわからなかった。パソコンを遠隔操作して、脅迫分などを送った事件と知ったのはつい一週間ほど前でした。タイトルだけ見ていると、自分のパソコンを遠いところから遠隔操作するのかと思った。タイマーとかリモコン装置を使って操作するだけなら、何の事件にもならないのに、と、思った。家庭の電源をONにしたり、OFFにしたりするのは当たり前なのに、なぜ事件?分けが分からないので、ネットで検索してみた。結構、バカバカしいが深刻な事件だったということを始めて知った。他人のパソコンに適当に誘惑のメールを送って、引っかかった人が、ネットにアクセスする。そして、示されたメールアドレスに、仕組まれた文章を送ってしまう。非常に幼稚だが、儲け話やちょっと美味しそうな話に。覗いてみようかなというのが人間の心理、簡単に引っかかってしまうのですね。その類いの迷惑メールが、50通以上入ってくる。タイトルとは関係ない方向に引き込まれる可能性も大なので、いちいち、私は読まないし、アクセスすることはあり得ない。そして、自分が知らないうちの重大な脅迫をしている。多くの人を不安に陥れる。全く、とんでもない気違いの所業だ。自殺しきれなかったと言っているが、それとて、信じられない、演技でしょうね。一、二回でやめておけば良いのに、馬鹿に輪を掛けて、繰り返す。挙句は、小細工もする。こんなことは、真似しないでほしいと思うが、こういう人間の潜在は多いのでしょうね。迷惑メールの送り主は、全員、似たり寄ったりでしょう。 弁護士が言ったことも変。弁護士も完全に騙されていた。そして、だまされた状態で弁護した例は今までもあるから、特別な感情はないと言っている。これ、変だと思う。あたかも、真犯人に騙されても頼まれれば無罪を主張してきたことが、当然で、真実を追及するすることは、弁護士の仕事ではないようなことを言っているという、印象を持ってしまった。 ということだが、附に落ちない事は、犯人にされた内の二人?が、自分の犯行と認めたということです。そして,認めなかった一人は起訴されたとか。いずれも、マスコミには大いに叩かれたとか。変でしょ。単純考えても、似たような方法で別人が事件予告や脅迫をしている。そんな馬鹿な話はないでしょ。警察もマスコミもコンピュータの専門家たちも、そろいもそろって、発信元の人間を犯人に間違いないと断定してしまった。無関係な発信元は、明らか過ぎることが、先ず、変。同じような発信の仕方というのも変。誰かが操っているくらいのことは、すぐに、分りそうなものを、疑いをしないで、なんとかして本人達から、犯行を認める供述を引き出そうとした。そして、本人が犯行を認めた。そして、認めさせた警察のお手柄になっている。やな世の中ですね。気持ちが悪くなるほど、怖い話だと思う。自分には、全く心当たりがないのに、何時の間にか、自分がやったという状況になってしまっていたのです。一種の催眠術の世界でしょうか。私は、このPC遠隔操作をして、世間を恐怖に陥れたやつを憎むが、それ以上に、自分に全く心当たりがないことで、犯人に仕立て上げられる、そういうことができる、組織や集団が現にあるということの方が恐ろしい。二組の大統領立候補者 Jokowi Kala,,,Prabowo Hatt怖い 催眠 ハッカー
2014.05.21
コメント(0)

1950 日本ではほとんどバイクを見ない。日本では人が集まる場所でも、ゴミ箱や籠は置いてないが、ゴミも落ちていない。日本ではマニュアル車の値段がオートマ車に比べて高い。日本では何年もの間、毎年のベースアップはないと同じ。日本では燃料を買うと税金を払わなければならない。こういう話をインドネシアの人にしても、信じてもらえない。直ぐその状況を想像できないのです。まさか?ですね。特にバイクについては信じられないようです。日本の企業が現地作りまくって、売りまくっている、日本ではバイクがほとんでは言っていななどということは。インドネシアでは、自転車を見ることはほとんどない、ショッピングモールで子供用は見る。バイクの売りは、頭金の関係でちょこっと、落ちたが、その勢いは、どこまで行くの?という感じ、それにしても、マナーというかルールはどうなっているの?運転免許(SIM)無しの小学生、三人乗りなど、日常の風景だ。インドネシア人は給料を貰うようになれば、バイクを買う。若者の全てがそうだ。今まで持っていなかった家庭でも、子供のために、バイクを買う、そして、使う。誰が使おうが放任です。大統領も各州知事もこのことについてなにも言わない、それでいいと思っているのです。取り締りをしているが、警察の小使い稼ぎのためだけだ。大統領、州知事をはじめ、国全体がそれを放任している。勿論、悲惨な事故も後を絶たない。それでも、それでいいのです、インドネシアは。もう一つ、ゴミの事は、躾や教育の問題という人もいますが、躾や教育しようが無いのですから、人種が原因だと思う。だから、何年遅れているとか進んでいるということは意味がない。汚い事、汚す事、公共のこと、どうでもいい人種ですね、きっと、未来永劫、ゴミの事は問題としないでしょう。今まで通りでもいいし、今後、どんどん、汚れても、臭くなっても気にしないのでしょう。町内会でドブさらい、道普請などという、発想は全くありません。見たことも聞いたこともない。家にゴミを持ちかえる?とんでもない。皆が捨てて、誰かが掃除すればいい、それを生活の糧にしている人も多いのだから。来週、飛び石のナショナルホリデーがある27~29日、パンガンダランにいます。一か月前のジャングルの中の様子から、ラフレシアに会える確率が大きいと思っている。27日は、昼過ぎに到着、釣りや近辺散策などに自由行動、夜は食事、カラオケなど、ファミリーですよ。28日午前中はヌサカンバンガンの浜でロブスターなど海鮮バーベキュー、昼過ぎから、半島のジャングル(チャガールアラム)に入って、ラフレシアを捜す。夜は現地の人達とパサールイカンで食事。28日午前中自由行動で、11時頃チカランへ向け出発、到着は19時前になる。 http://otaenplaext.net/newpage22.htmlパンガンダランの地図(Peta Pangandaran)です。今週は二ライン24時間運転です。LEDチューブランプ用のPCカバーの注文が増え始めている。その他のお客さんからも二三か月前から量産を始めた製品の受注量が増えてきている。Jokowi pilih Jusuf Kalla 先ほど選挙管理委員会に大統領選挙立候補者の届け出があった。ジョコウィはモハマッドゥ ユスフ カラを副大統領に選んで登録をすませた。これで、7月9日の選挙では一発で過半数を獲得して大統領になるでしょう。カラさんは、現大統領の前副大統領だったが、今の副大統領より、目立っていて、精力的だった。前回の選挙で現SBYに敗れたが、マキン チュパッ マキン バイク“早ければ早いほどよい“という言葉は記憶に残っている。この組み合わせは人気、知名度で抜き出ていると思う。プラボーはハッタさんと組んで登録した。 Hary Tanoesudibjo (HT) ngaku belum diberitahu Wiranto ketemu Mega dan gabung ke PDIPハヌラとナスデム党として組んで大統領選挙に出ようとしていたウイラントとハリー(メディア王)のコンビはあえなく解消した。ウイラントがハリーに事前連絡なしで、民主闘争党ノメガワティ党首に協力する目的で会った。あり得ない 人種 直接投票
2014.05.20
コメント(0)

1949 1996年夏にインドネシアへ始めて仕事をしに来た。18年前です。それから、2年足らず、98年5月に大暴動を目の当たりに経験した。その一週間前ほどから、不穏な空気が膨らんでいった。トリサクティ大学(タマンアングレックの高速を挟んだ向かい側)の学生のデモへ水平射撃で数人の犠牲者がでたことを最大として、スハルト政権打倒のデモはインドネシア中に広がっていた。また、暴動2日前にガソリンの30%位の値上げが実施された。デモの弾圧に警察では手に負えず、軍も参加していた。その時の国防大臣がウイラント、軍の最高司令官がプラボーだった。二人とも、現在、ミニ政党の党首をしていているが、この暴動の黒幕だったという疑いは晴れていないが、当時、追及もされなかった。そして、帰らは、いまや大統領に立候補している。ミニ政党ではなくなっているから、違和感を感じるが、プラボーなどは、グリンドゥラ党を引いて、独立当時の副大統領の孫のハッタを副大統領に従えようとしている。 13日 昼前、会社にいて、ジャカルタ北部で暴動が始まったというニュースが入ってきた。キャンティーンのテレビを点けっぱなしにした。タンゲラン方面とブカシ方面東西に暴動が連鎖していった。MM2100へは来なかったが、国道沿い、ブカシティムール、タンブン、チビトゥン(MM2100の高速を挟んで北側)を通りコタ チカランに15:00ごろには達した。だんだんMM2100に近づいてきて、通過する模様が伝えられた。私が当時住んでいたルマーアバンの手前で終息した。 暴動、略奪、焼き討ち、暴行など、完全に理性がなくなった集団がやりたい放題のことをしてしまった。暴動が襲った付近の高速道路のゲートもすべて焼かれた。後で知ったが、中華系の人がターゲットにされ、残忍な暴行も各地であった。 ジャカルタに住んでいる多くの日本人は、夕方、会社から出て、あちこちが通行止めになっていたため、翌朝にやっと家に着いたという人が多かった。 日本人に対し、国外脱出勧告がだされ、翌日にはチャーター機も到着していたが、脱出希望の人数が多すぎて、さばききれない、ホテル日航集合、バスでスカルノハッタ空港に向かい、日本やシンガポールなどへ脱出する計画だが、処理しきれず、各場所で最長2日待機した人もいたという。実際には、その後、何も起きなかったのだから、私のように、休暇と思って、ゆっくりしていればよかったのですが。それぞれの会社の本社や日本政府にとっては何もしないわけにいかないから、脱出勧告を出したのですが、それにしても、危機管理というか、対策というか、手段というか、全てに、場当たり的で、計画性がなく、ただただ、慌てふためいて、うろうろしていたとしか思えなかった。私は、それに振り回されなくて正解だった。 迅速だったのはアメリカとオーストラリアだった。翌日の朝にはハリム空港(スホイ、デモ機が飛び立った空港、東南ジャカルタ)に本国からチャーター機が到着していて、その日のうちに脱出をしていった。場所も空軍の空港だから安全だ。大暴動 記憶 残虐 多くの日本人の慌てふためきをよそに、帰宅も自分で運転して、MM2100から高速に乗りジャカルタと反対方向のチカランから、ジャバベカ1と2の間を通って、ルマーアバンのグラハチカランまで何の問題もなし、暴動はどこの話という雰囲気だった。しかし、高速道路はフリーパスだった。 次の日は、流石に、家にいた、そして、スハルトの退陣劇をテレビで見ていた。と、同時に、焼き討ち後の惨憺たる状態も見ていた。外へ出て行って、ゴレンガン(揚げ物)を買って、セキュリティーに渡し、近所の様子もチェックした。外国人に何か危害を加える気配があるかを確かめたかった。まったく問題なしだった。 軍のタンクが各交差点、重要建物の前で警護をしている様子も映し出されていた。家にじっとしていられなくて、2日後、チッポチカランまで行ってみた。当時はEJIPとMallに分かれる四つ角がロータリーになっていて、Mall側に戦車が侵入を止めていて、モールへは行けなくなっていた。そのまま、家に帰っても意味がないので、思い切ってジャカルタへ行くことにした。チカランバラットから高速に乗ったが、チケットを渡す人がいない、そのまま入った。高速道路は貸し切り状態、前後に一台も車が見えない。対向車線にはジャカルタまで数台とすれ違ったかどうか。ポンドック グデティムール当時は4500Rp払うが通過、チャワンで5500Rp払うがこれも人がいないので通過一旦、クニンガンで降りた。高速道路の下に戦車が二台警備していた。信号は働いていなかった。そのまま、ガトゥットゥスブロトを通ってスマンギの交差点まで行った。ジャラン スデイルマンに降りて北へ向かったが。ここでも戦車数台があった。ジャラン タムリンへ入ったところの噴水の周りには多分、ざっと見て10台位に戦車、装甲車とともにNHKなど外国のTV局に中継車が数台あった。そこまでは、何も暴動の後はなかった。ジャラン タムリンからジャラン ガジャマダに入ったころから、道の両側のビルの窓ガラスが割られ、道にはタイヤなどを焼いたような跡が見えはじめた、グロドックの陸橋が見えてきたときには、すでに両側のビル全部のガラスが割れて、黒こげになっていた。陸橋は真っ黒に焼けていた。その左側に曲がる道沿いに様々な商店があるが、これらも全部破壊されて真っ黒だった。ただし、グロドックの中は無傷のようで、入口を装甲車が塞いでいた。もう、悲惨を超えていて、良くここまで、やってしまうものかと、集団が狂気になった時の恐ろしさを目の当たりに見た気がした。ホテル バタビアやスタシューム コタ周辺は健在。結局、中華系の商店、ビル、人が対象だったのです。 焼き討ち 略奪 暴行コタを過ぎて、高速のガードを潜り、パサールイカンやスンダ クラパ方面へ北上した。そこから、西に向かい、以前、押出しの連中とアイススケートやボーリングを楽しんだメガモール プルウィットを目指した。これがまた、途中のルコは、店の商品はなくなった状態で、ことごとく黒こげ。人っ子ひとりいない。こんなところまでやられているのかと思った。しかし、最終目的のメガモールは無傷だった。ここにも装甲車がガードしていた。モール全体はしまっていたが、右端のマタハリだけは開いていた。食料品を求めた中華系の人々で混雑していた。私も、食料品をかなり大量に買った。自分の為ではなく、当時から資金援助をしていた学生(UNAS)や従業員へ後で配るためでした。 帰りは、もと来た道をたどるように南へ向かった。スマンギを通りブロックMを横に過ぎ、ジャラン ファットマワティをなお南進して、ポンドック インダーまで行った。途中は荒らされている気配はなかった。ただし、そこかしこの施設や建物、店の前に、ここはスハルトとは関係なし、という、垂れ幕が張り付けてあった。ターゲットが中華系とスハルト系だったことの証拠である。アスファルトが溶けている場所は数え切れないほどだった。 ポンドック インダーには私が当時技術指導をしていた若者と家族が住んでいた、彼らは、翌日、帰国することになっていたので、撮ったばかりの写真のネガを託した。本社に現状を伝えるように頼んだ。そして、何事もなかったように、グラハチカランへ戻った。大暴動後のジャカルタ ツアーでした。言葉には、すでに自信がったし、軍がそこかしこでガードしていたし、何の不安も躊躇もなかった。デジカメの時代になっていなかったので、パソコンに写真が保存されていないのが残念です。 会社は一週間休みになり、何もすることがない、旅に出るというわけにもいかず、当時、ドライビング レンジは私が知る限りではリッポ チカランのホンピンパの側とハリム空港の手前とハリム ゴルフ第二にしかなかった。まったくゴルフをやったことがなかったが、暇なので、ハリムの打ちっぱなしで初めてレンタルのクラブを振った。その時がなかったら、ゴルフをいつから始めることになったか、わからない。ずっと後になっていたでしょう。 ハムラ党 ウイラント グリンドゥラ党 プラボー 後日、仕事で、さまざまな方面へ出かけて行ったが、そのたびに、暴動の跡を目撃することになった。 ブカシバラットはメトロポリタンモールの建物は無傷だったが、その向かいの今はサイバーパーク問い建物になっているが、当時はスーパーヘローだった。その他にもその並びや裏に沢山のルコがあった、全部、焼き討ち略奪にあっていた。今のジャイアンやブカシスクエアーの建物はなかった。 コタ チカランはラマヤナとその周辺がやられていた。 タンゲラン方面の国道沿いは惨憺たる状態で、高速から出たあたりのルコも全部焼かれていた。その次のインター、リッポカラワチのショッピングモールも略奪、放火に見舞われていた。 タマンアングレックのアパート、当時はその他のビルはなかった。その向かい側が、トリサクシ大学(日本でいえば早稲田大学に似ている)がある。国会議事堂、惨事の10日前ごろから、学生デモで完全に機能を失っていた。4人の学生の追悼集会が昨日、学内で行われていた。 バブルの初期に入ったインドネシア、あのような暴動は起きないでしょう。ジョコ ウイドド(ジョコウイ)さんが大統領になるでしょうが、燃料補助を無くすと云っているので、どうでしょうか、ジョコウイなら、仕方がないと思うような空気になればいいと思う。諸物価高騰、賃金高騰に繋がるので、日系企業は大変ですが、適応しなければならないと思う。20日の夕方、大統領候補者の受付期限です。ジョクウイさんはバクリかカラを副大統領候補にするでしょう。私はカラを選ぶと思う。 平和な今、昨日も我慢できずにドリアンを買ってしまった。車の中の匂いが継続している。ソッ ブントゥットゥの出汁のもとです。ブンブと云います。悲惨 ショック 恐怖
2014.05.19
コメント(0)

1948 また、一緒にオリンピックを争いたい、わざとバンカーに入れていないのに、計画的だ、と言われながら。この方と。一か月半ほど前にインドネシアから日本に帰った方から、久しぶりに便りが届いた。ゴルフでは、毎休日、プレーをする。私や数人の方は、この方がプレーを出来るように、少なくとも二人はお付き合いできるように気を使っていた。逆にこの方が必ず入るので、もう二人いればプレーが出来るというわけだった。レバラン休暇でも10日、11日と休みなしの毎日プレーだった。旅に出ることが多い私も、お付き合いしたことがある。その方が、日本に引き揚げてしまって、何をされているかというと、身内の方の事情があるようですが、何もしていない。何とか、現状を打破していただきたい。まだ、二か月も過ぎていないので、今すぐどうのということはないと思うが、私としては、インドネシアに戻ってきていただきたいと思う。言葉は出来るし、こちらの生活に慣れているし、仕事に関する事情も分かっているし、やっていた仕事と同じような日系企業も数多くいあるし、潰しは聞くと思うのですが、ご本人次第でしょうか。先ほど、手伝ってくれていたキャディー達です。この方が知っているキャディーも半数以上です。この方が時々話題になります。最近、見えないが、どこかで浮気をしているの?と、私に聞くキャディーもいる。話題は変わって、メールアドレスを二つ持っていて、日本とインドネシア一つずつです。どちらも、常にオープンです。ただし、発進は日本のメールアドレスからに絞っている。インドネシアのアドレスに送信されてきても、日本のアドレスから送信しているので、その相手の人は、特に考えなければ、次からは、日本のアドレスに送信着てきます。何故、そうしているかというと、インドネシアにアドレスは、職場が変われば、契約を解除する運命にあるからで、日本のアドレスは、変える必要がありませんから、その気なら、恒久的です。ただし、最近、日本のアドレスを変えた方がいいかなと思う事もある。実に下らないメールが一日50通以上入ってくる。うれしいことに、その内に90%以上は迷惑メールに自動的に仕分けされるので、これは、ありがたいと思う。優れものだと思う。それにしても、迷惑メール、儲かるのでしょうか、どなたかが、引っかかるのでしょうか、厭な人種がいるものだと思う。そんなことに時間を使っている人たちを気の毒に思う。ちょっと困ったことがある、一旦、迷惑メールに移動させたアドレスを、間違えて、OKメールに戻してしまった。それを、また、迷惑メールにしようとしても、いうことを聞かない。その迷惑メールは、毎日、三回入ってくる、どうにかならないかなと思う。バイナリーオプションって何者?ここ数日前から、急に、こんなタイトルのメールが、やたらでたらめのアルファベットの列の送り主から入ってくる、でたらめ送り主が迷惑メールに分類されないので、受信欄の入ってしまう。迷惑に移しているが、きりがない、非常に迷惑をしている。ところで、二者択一ゲームをして利益を得ることが出来るよ、という物だと思うが、それも、儲かるなら、人に進めないで自分だけでひそかにやればいい、何故、人に勧めるのでしょうか、他のお勧めの金儲け話と同じように詐欺の手口なのです。バカバカしくて、チェックしてみる気もしない。いい加減にしなさいよ。みっともない!!!ところで、インドネシアのメールアドレスには迷惑メールと思われる物は入ってこない。インドネシア語や英語で入ってきても不思議はないと思うが、全く、入ってこないのが不思議。何故でしょうか、わからない。で、インドネシアでは、HPに迷惑SMSが送られてくる。結構、いかがわしいものもあるし、金貸しやセールといった内容が主だ。一日 数通入ってくる。友達 帰国 打開
2014.05.18
コメント(0)

1947 単純に考えて、24時間続けて仕事をしてもらうのに、12時間二交替と8時間三交替とどちらの人件費が少ないでしょうか。単純に考えてですよ。どんな仕事でも一人でやらせるわけにないかないので、二人一組と考えます。二交替なら、四人です。三交替なら六人です。皆さん三カ月に教育期間の後で、一年の契約社員です。法定の最低賃金です。最低賃金(月二万円とし、一か月の基準勤務時間は20日×8=160時間、時給は20000÷160=125円です)だけを比較すれば、2対3です。しかし、二交替の方は4時間残業手当がつきます。三交替では、24時間で、6×125×8=6000円です。二交替では、インドネシアの場合、約三倍になります。長ければ、もっと、倍率が上がります。だから、(125×8+125×3×4)×4=(1000+1500)×4=10000円です。一人当たりでは750と2500の違いになります。これなら、三交替にした方が、安くて済むし、一人の収入の差が少なくなる。 それでは、24時間運転が一月20日の10日間だけならどうでしょうか。他は日勤になるならどうでしょうか。一か月の給料を考えれば、三交替の方は、2万円×8=16万円。2交替の方は(1万円+2.5万円)×4=14万円になります。従業員は2交替の方が喜ぶに決まっています。会社にとってはどうでしょうか、稼働時間に依ります。一定しない、仕事で、人数を増やしてしまった場合にリスクが大きくなります。また、機械が作るのではなく、人間が作る場合は、平均的能力の集団ならいいが、そんなことはあり得ないので、人数が増えるほど、歩留まりが落ちることも考えられる。 何より、通勤手当、各種保険、などの諸手当が人数に比例する。だから、基本給だけで、比較できない。もう一つ重大なことは、管理職の残業手当が付かない人、勿論、仕事の量が安定しなくて、二交替を採用している会社の場合、上司たちより,手取りが多くなることもある。残業してまで、詩作や立ち上げをして、交代要員にその仕事を渡すなど重要な仕事を長時間やっても、給料は増えない、ボーナスの時、期待するも、期待どおりに貰える筈がない。また、やはり、同じ会社の中に違う仕事がある場合、残業がある部門と無い部門では手取りが大きく違う。羨ましくも。割が合わないとも、不公平だとも思う。逆に、残業をする側の人は、他方は暇でのんびり仕事をしていられて、給料はしっかり受け取れる、それを、羨ましく思う。どちらも、自分の方が恵まれていると思わない。不幸な状態になる。 総合的に諸所諸々のことを考えて、トップが決めることである。私は小数精鋭主義です。人が余っている職場にしたことはない。常に人が足りない状態にしておき、その状態が長びくようなら補充尾する。 四組三交替でオーバータイムなしで、休日も休み無しの会社もある。究極まで達している道路の破壊され状態、近道はずっと閉じられたままで、遠回りさせて、その滅茶苦茶凸凹道を通るように仕向けられていた。流石に、これは、酷いと、どなたか(警察?工業団地?)が見るに見かねて、閉じられていた近道を開くようになった。三日ほど前からである。ジャカルタから来る人,行く人はこの道を通らないので、知らないと思う。だが、修理工事は始まる気配がない。ラマダン(断食月)まで一か月半、レバランまで二か月半ほどに迫っている。 チャンディ プランバナンcandi prambananの前の大道りを渡って丘の上にラトゥ ボコRatu bokoがる。忍者の訓練をやっているどうです。というより、ここから、あの活火山ムラピmerapi山の全貌を見ることが出来る、目の下にチャンディ プランバナンが見える。ヒンドゥーの遺跡ですが、景色が抜群、ボロブドゥール チャンディ プランバナンを観光するなら、直ぐそばです、絶対,寄ってみることをお勧めします。ムラピ山のパノラマを堪能しながらソッ ブントゥットゥなど如何でしょうか、インドネシア~~~という感じがするはずです。天気次第ですが、乾季がいいですね。 バリからオプショナル ツアーでジョクジャカルタ、ボロブドゥール、チャンディ プランバナン、ソロに折角来てもここに寄らないのは、画竜点睛を欠く。 http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0303.html残業 暇 総賃金
2014.05.17
コメント(0)

1946 ワイサック、仏教関係の休日です。ボロブドゥールでは、盛大な催しをしたことでしょう。私は、風邪でゴルフどころではないので、家にいようかと思っていたが、従業員に任せていた新製品の試作状態が思わしくない、このままずるずる、任せていては、出来そうにない、その装置で、来週から二週間ほど量産をしなければならい。仕方がないので、昨日寝ながら考えた事を実行するために出勤し、金型の改造をした。明日、私の予想では、簡単にOK品が出来るはずである。風邪は鼻水が固まってきて、痰が溜まりだした。後二日でなおる行程を順調に通過している。話題は変わって、こんな話は如何でしょうか、確か数年前くらいには、就職紹介会社に支払う手数料は、成功報酬として1ジュタ(9000円くらい)0,5ジュタ先に払って、就職出来たら0,5ジュタ払うという仕組みだと思う。ところが、最近、聞くところによると、2.5ジュタになっているという、ジャボタベック地区の最低賃金の一カ月分に相当する。で、1ジュタ先払い、1,5ジュタが成功した時、そして、1,5ジュタの内の0,5ジュタが採用した会社の人事担当者に渡される。どうですか、感心してしまいますね。ある日系企業の人事担当者は、採用する、しないは一人で握っていて、従業員の大部分は、その人のお世話になっているというわけだ。日本人は、その分野に手を出せなくなっているそうだ。担当を変えるわけにもいかないし、止めてもらうわけにも、勿論、いかないし、見て見ぬふりをするしかないそうだ。ご本人、家を新築したそうだ。そのままにするしかない例の情報がもう一つある。ある会社の経理の責任者の給料、27ジュタです。この人は、初代社長が最初から雇っていた人です。社長のアンダーテーブルの授受や私的費用の会社負担、女性関係のトラブルにかかわる費用、それらを、黙認し、上手く処理するようにと、それなりの給料を与えた。ちなみに、その会社の工場長、経理の人と勤続は同じで、創業以来の人、この人の給料が13ジュタ、同じく、勤続が同じの営業部長は10ジュタです。その会社の社長は現在三代目だが、二代、三代は初代のような、後ろめたい行状はないようだが、経理の人の給料を下げるわけにはい。現在の三代目の社長は、日本本社で初代社長の行為を黙認していた人だから、経理部長の給料は知っていた。だからと言って、工場長や営業部長の給料を上げて、経理部長の給料に近づけることもできない。二人は、大不満だが、飛び出して他の会社に移るわけにもいかないので、我慢している、そういう人は、仕事に、熱が入らないのは当然だ。副業をしたくなるのは当たり前だ。変えられない、売値もある。本社はそのほかの海外拠点向けに、自社製品を出荷している会社、設立当初、親会社としては、ある程度の利益を出せるようにするために、日本国内から到達していた価格とほとんど同じか、少しだけ安い値段を設定した。進出のときの借入を早く帰してしまいたいという気持ちもあった。その会社順調に本社への売りが増え数年で借金も返した。利益が膨らむ一方、ところが、本社の業績が芳しくなくなり、インドネシアの子会社からの買値を下げた。それが、問題だ。二年後の税務調査で、利益調整と見なされ、追徴課税とペナルティーで数千万円を追加納税あせられるとともに、売値も依然の状態に戻されてしまった。エプテでした。まだ変えられないものがある。運転手として、正規従業員にしてしまった会社、すべてが、間違ったと思っている。私はこれほどバカバカしい話はないと思う。初めての会社も三人、正社員とて、運転手を三人雇った。車も三台、社長一人が一台、後の二台は当時,準備ということもあって、六人でシェアーしていた。私は他の人の行動に合わせることが苦痛になって、車を待つ時間が耐えられなくて、また、運転手のオーバータイム手当の膨大さを知って、半年後には、自分で車を買って、自分で運転をはじめた。それ以来、十数年、高齢者になっても運転手は、一切使わない。運転手は運転と洗車と点検しかしない。だから、運転士しない時は、何もしていないと言っていい。ゴルフやカラオケ,飲み屋へ行くときはほとんどオーバータイムになる。待っているときに、他の運転手と賭けごとをいている。その間も、手当が二倍、三倍、四倍になるのです。一般的に他の従業員は勤続年が増えるほど、地位も高まり、耗力も責任も増す、其れに伴って評価されて給料も、それなりに上がる。しかし、運転手は、勤続が長いからといって、仕事量が増加するわけではないし、責任が大きくなるわけもない、評価を上げて給料を上げるという状態にはならない。それでも、運転手は年功序列の給料を要求するのです。また、運転手の仕事でなく、社内で違い職種についてもらうこともできない。一般従業員は、苦々しく想っているが、契約社員の若い人から見れば会社の先輩、いろいろな事情も知っているので、待遇に関して、文句をいないどころか、運転手が、組合活動の黒幕的存在になる可能性が高い。運転手以外でも、契約や派遣で雇える仕事をする人は、正規社員にしてはいけません。新しく進出するする会社は特に、注意しなければなりません。本社があるなら、支援担当者を複数にし、情報も別々のルートから入手し、日本の担当者同士は、すり合わせをしたり、打ち合わせをしない、接触しないで、現地責任者にそれぞれの情報を提供し、現地責任輩は、それぞれに、現状報告をうけるシステムにした方が、偏った癒着的な状態を避けることができる。どうでしょうか、つまらない失敗をして、後々前、問題を引きずることがないように、したいですね。会社を新たな組織で作るなら、今の装置に加えて、巻き取り機、仕上げ切断装置、熱風乾燥機、粉砕機の各一台、押出し成型ライン。65mmφと50mmφ以上の各一ライン、合計二ラインの増設が必要になると思う。事務所、応接室、トイレ、キャンティーン、粉砕室は、最低必要。そうなれば、逃げ出すにはいかなくなる。少なくとも二年半はインドネシアから離れられなくなる。ワイサックを知らせる画面です。“皆さんで手を合わせて、すべての行いに対し、瞑想いましょう”釈迦生誕2558年ということでしょうか。日本なら、お釈迦様の像に甘茶を掛ける行事が昔、行われていた、確か、4月8日、花祭り、といったような記憶がある。サッカーワールドカップの日本チーム紹介。本田じゃないでしょ。それにしても、マー君ってすごいですね。負けないじゃないのかと思う。受け答えもしっかりしているし、非の打ちどころがないね、先ほど、マー君とモモクロ?が出ていた、トンネルズの番組をユーチューブでみた。普通の好青年ですね。最初 肝心 不合理
2014.05.16
コメント(0)

1945 昨日も書いたが、違う仕事を同じ会社のほとんど同じ場所で仕事をする事には無理がある。人、特に高給取りが多い、管理職が多い事務所内の人の仕事の能力と配分をどうするか、大きな問題だ。利益を出したいというなら、深刻な問題になりかねない。 押出しの仕事を知っている人はいないわけで、知らない人に押出しの仕事をしてもらうのに、彼等に配分する以前にこちらから、彼らを使わなければならない補助を頂きたいくらいで、彼らを通さなければならない手配などは、こちらの負担が多い、遅れや間違いなどを、想定して仕事を任せなければならない。そして、彼等にとっては、余計な仕事になるので、本当はやりたくない、今までの仕事で、今までの給料を受け取っていたのだから、違う畑の仕事もする負担を増やしたところで給料が上がるわけでもない。迷惑な話だと思われるのも理解できる。ということで、私の技術を借りたいというインドンシア人が会社にみえて、押出成形に関して、その人と、私と営業や事務関係の仕事が得意な青年と私が場所を借りているこの会社の社長さんと、四人で話合った。概ねの方向はできあがったようです。私は、あくまでも、テクニカルアドバイザーとして仕事をしたい、投資はしない、よって、経営に参加しないし、利益配分を受けないし、損益に関して責任はない、という立場でいけるようになると思っている。そもそも、私がインドネシアに来た理由は、インドンネシアの若者に私の技術を伝えることであって、その場所を借りて、教えるための仕事を獲得する必要は当然,ある。だから、仕事を引き受ける、それが、本来の目的ではないが、会社の利益にもなる。そういう、構図です。今後、そうなればいいなと思う。インドネシアには、押出関係の仕事で現在,輸入している製品に関し、“これはできますか、出来るなら見積を出してください”といわれて、たまたま、本社でやっているものを除けば、対応できる日本人はいない。今だに、私だけです。異論があるでしょうか。押出成形用の樹脂について語れる日本人も私しかいないはずです。プラスチック原料を扱っている商社の人も語れる人はいません。使用箇所の条件により、樹脂を提案したり、価格との兼ね合いなどを提案できる人もいません。ある会社、私が作った装置、成型ラインで、一応、大過なく、経営されている。その会社のどなたが決断したのでしょうか。新しい二色成型品の受注をした。それを作るための装置に数百万円投資し、試作を始めたのが、半年前、未だに成功の見通しが立っていない、kg600円ほどする原料を2トン使ってしまった。二色なのでリサイクルが利かない。その仕事を任せられているのが私のK社時代の教え子二人だ。その会社生え抜きの工場長(この会社の仕事の大部分を彼に教えた)は、逃げてしまって、手を出さないという。不思議なのは、その出来るという装置を誰が発注したのか、ということです。発注した人間と装置を作った装置会社の人間が、試作に登場しないのが変!!本社の日本人の技術者も登場しないという。その会社に日本人が二人いるが、二人とも、何もできないということは、知っている。私の教え子がたまりかねて、私にどうしたらいいか聞きにきた、実際に見ていないので、何もアドバイスはできない。それに、アドバイスしても、その人たちに私のような腕がないのだから、その通りにはできない。いったいどうするのでしょうか。客先をいつまで待たせるのでしょうか。私の予想では、その会社の営業担当者が、私に投げかけてくる。昨日のジャカルタからの帰りです。 この車の運転手、外国人の高齢者なのに、有料道路の大部分、路肩しか走らない。目の前にパトカーがいる。小型トラックの運転手が、自分の車に戻るところだった。前方確認、後方もルームミラーで常に確認が必要です。路肩に割り込んでくる車もあるので油断ならない。技術移転 新規獲得 難解仕事
2014.05.15
コメント(0)

1944 鼻水をかみ過ぎて、鼻の下がピリピリ痛い。そんな中、往復5時間かけて、ジャカルタ北部のクマヨランの見本市へ行ってきた。LEDランプ関係の見本市に招待されていたからでした。印象のだい一は、インドネシアでの製造は小規模で、品数が少ない、組み立てをしているが、部品の大部分は中国からの輸入である。まだまだ、これから国内調達を模索する必要がある。それに引き替え、中国企業のブースはどこも、インドネシア企業の倍以上の面積だった。すべての完成品が本国からの輸入販売で、インドネシアで組み立てはしていないそうだ。組みたてていれば、PCカバーを売り込んだのに、売り込みはインドネシア企業だけになってしまった。それでも、インドネイア企業にとってはこれからです、発展する可能性は大きいと思った。韓国系企業は出店していなかった。頭がぼーっとしているので、すぐ,横になりたいが、書いておきたいことが浮かんでしまったので、すぐに横になれない。原価計算の基礎数字は固定費です。製造会社なら、これを、各装置や機械に割り振ります。製品を作っても作らなくても、なにも売れなくても、売れても,会社には決まって出てゆく費用があります。人件費、社長さんから、事務員、守衛や運転手など、土地、建物などの原価償却費、借金の利払いなど、それらの一年の合計を計算し、一般的には、それを製造装置に割り振ります。そうすれば、その装置がその費用を負担いなければなりません。その装置を使って売りあげた金額から、原料費や電気代、水代、運賃や梱包費用、などの流動費(その製品を売り上げるためにかかる費用、物を作らなければ、掛からない)ヲ引いた金額が、固定費以上なら、利益が上がっているのです。一台ずつについては、こうですが、会社全体としては、総売上から流動費、固定費を引いて、プラスかマイナスか、を知ります。儲かっているかいないか、その程度は、どうかがわかります。見積もりの計算は、それぞれの装置が負担する固定費を知った上で、製品一個一個に載せます。一個の原料費やその他の流動費をのせれば、その合計が、損得なしの原価になります。それに、利益を何%か乗せて,提出します。本生産で収率が上がったり、生産速度を上げることができたら、利益率は上がるし、逆なら、下がります。予定の稼働率に達しなければ、利益が少なくなります。原則的には、こういうことです。問題は一つの会社にいくつかの部門がある場合の固定費の配分、負担のことです。サラリーマンのとき、インドネシアで技術を教えたとき、いずれも、固定費の配分が合理的ではなく、配分の仕方は、幾つかあって、専有面積で割り振る(土地建物の固定資産の比率)製造装置の原価償却費で割り振る(購入価格に比例)その仕事に携わる人の人件費に比例させる(給料や人数が関係する)、これらの方法を併用したり、掛けたりするなら、納得しやすい。その部門の努力や改善が結果にあらわれやすい。私がいた部門は、どちらの時も、私がトップで給料も少ない、日本人は私しかいないし、多くいる日本人は高給取りだし、私の部門の手伝いはできないうえに、制度やシステムでは邪魔をしてくれていた。従業員の数は5分の1、現場の面積も5分の1以下、管理職の人件費は十分の一、従業員の数も5分の1、それなのに、私の押出部門に固定費の30%を乗せた。その上、仕事は私のところはほとんどすべて、インドネシア国内から、獲得したもの、一方は、本社からの注文をこなすだけ、それも、ある程度、利益が上がるようにと、少し高めの価格設定にしてもらっていた。これが、後の問題になるとは知らずにでした。そして、押出はもうからない、こっちはしっかり利益を上げているのに、と、いつも、いわれ、押出従業員は冷遇され、給料の上がり具合も低く抑えられてしまっていた。私が評価すれば、私の部下の方がサボらないし、規律は守るし、仕事も難しい、評価は遙かに上だ。それどころか、常務は来た時に、口をきいてもらえず、無視された。同じ会社の従業員なのに仕事を終わってからの食事会にも誘われなかった。勿論,他の日本人は食事やカラオケへ一緒に出掛けていたが、私は誘われなかった。すごいでしょ、この徹底ぶり、サラリーマンの世界とはこういうものかと、思った。私の計算では固定費の負担を5分の1にすれば、毎月300万円の利益を上げていた。それプラス、本社が日本国内の他の会社から購入していた製品を私が作ることによって、毎月200万円安く供給した。合計で毎月500万円の利益に貢献していたのです。しかし、会社の評価は、プラスマイナスでゼロでした。http://otaenplaext.net/newpage41.html公平な評価がなされる条件は自ずとあるが、それを、曲げてまで、評価を歪曲するかんきょうであってはならないと思うし、その部署に従業員がたまったものではない。PCカバー 管理費 割り振り
2014.05.14
コメント(0)

1943 重要な来客予定があったので、出勤をしたが、昨日の夕方から熱っぽくなって、鼻の奥の方が乾きだした。100%風邪に掛った症状のはじまりです。今日から、速ければ、四日後、長くて一週間、治るまで掛かる。いくつかの過程を通るが。その、一つ一つが、何時間で通過するかによって、早く治ったり,長引いたりする。さあ今回はどうなるでしょうか、現れる症状が抜けることはないし、最後まで行かないで途中で治ってしまうこともない。今は鼻の奥の乾きが和らいで、鼻水が出るようになっている。熱は症状の経過と関係なく、高い状態が続くが、喉の痛みが消えること熱も下がる。そして、もう直ぐ、風邪のことは、忘れてしまう最後の症状は、痰が切れ始め、鼻くそが緑色に固まってくる。こうなれば、半日後、長くても一日で、淡も鼻くそも無くなる。これは、決まっている。医者にかかって、薬を飲みはじめても、風邪薬を買って飲んでも、その効果を確認できない、薬を飲まなくても、一定期間で治るのですから、治るのが早まったかどうか、症状が軽くて済んだのか、薬を飲まなかったときと,比較ができないからです。だから、私は、引き始めが同じ症状の風のときには医者に行かないし、薬も飲まない。多分15日、ワイサック(仏教関係のナショナルホリデー)にゴルフで汗をかけば、17日のゴルフのときには、治ってしまっていると思う。中学の時、このことは、分かっていたので、風邪を引いても学校を休むことはなかった。クシャンクシャン咳をしながら、授業を受けているのだから、外の人にとっては、迷惑だったかもしれないし、何より、移されることを心配したと思う。流行のとき、50数人中、10人が風邪で休めば,学級閉鎖になるということが決まっていて、9人休んでいるのに私が休まないので、学級閉鎖を邪魔したと友人達に言われもした。風邪と花粉症の症状は全く違う。当時は、私は二種類の風邪を引くと思っていた。私にとっては、当時、花粉症などという病気がなかったころ、(当時は、毎年、寒さが和らいだころ、必ずひどい風邪を引くと、思っていたし、親も、お前は、どうして、毎年、風邪を引くんだ、鍛え方が足りないじゃないのか、といわれ、乾布摩擦などをやらされていたし、冬中、何ズボンで過ごされた)私は自慢じゃないが、半端な花粉症ではなかった。インドネシアに逃げるまで、ひどい花粉症は治らなかった。家でも学校でも、昔、便所紙といわれた、鼠色のちり紙を、束にして、持ち歩き、いつでも、どこでも、チンチンかんでいた、鼻水もずるずる、学期末テストのときには、半分くらいの時間でテストを終わらせ、答案用紙を先生に出して、そのまま外にでた。テストが終わるベルが鳴って教室に戻った。あるとき、外にいる私を校長が見たのでしょう。テストは終わったのか、と、聞かれた。ひどい風邪を引いてしまっているので、みなさんに迷惑を掛けるので、終わるまで待っている、と、説明し、納得してもらった。お前なら、いいか、という感じだった。しばらく、校長が私に付き合ってくれた。早朝、通りがかりのくだもの屋、マンガ、ドゥク、ドリアン、ピサン、パパヤ、ジュルックなどが見える。スーパーで買うより20%ほど安い、高いドリアンは一個200円以上安い、バナナなら6~7本買える。Cuci gudangチュチ グダン、倉庫を洗う、です。意味は在庫一掃です。これは、家具類の在庫一掃セールですね。風邪 花粉症 試練
2014.05.13
コメント(0)

1942 以前にも、書いたと思いますが、もう一度、書きます。Bungkusブンクス、包み、という意味の基本語です。当たり前に普通に使われる言葉です。インドンシアでは、日本の弁当屋と同じような役目をする、カキリマやワルンが発達しているというか、家庭で料理したものを食べるという習慣が希薄で、外食か持ち帰って家で食べるのが普通です。朝食もその通りです。夜遅くまで、営業しているし,夜中じゅう、早朝、暗いうちから、営業する場所も多い。ブブールといって、お粥を食べる習慣があって、子供が買いに来ています。ワルンやカキリマの中やそのすぐ外で食べる人は通りがかりの人たちです。会社へ出勤途中に寄る人、主婦や子供、その多くは、その場では食べないで、油紙、プラスチックの袋、発砲スチロールのパックなどに入れてもらって、職場や学校や家庭に持って行って食べます。また、あまり、日本にはない習慣だと思うが、レストランやカキリマでもワルンでも、余った食べものやスープでも、持って帰る人が多いし、当たり前のことです。持って帰って、後のことは、持て帰った人の責任ですから、要求されたもの全てを持ち帰ることができる状態にしてくれます。ジャカルタなどの高級レストランのことは知りません、大部分の一般的な話です。持ち帰りに何の躊躇も要りません。私も、もちろん、食べきれない場合は持ち帰ります。当然、そこで食べないが、例えば、家にいる人に土産として、注文し持ち帰ることは、日本と同じです。これらのことを、すべてBungkusブンクス、といいます。店の人にブンクス、と言えばいいのです。簡単です。イニ,イニ、イトゥ、ブンクスというのです。包む、包まないにしても、お持ち刈りのことを総称して、ブンクスというのです。これも、すでに、書きましたが、カラオケなどでも使います。余った、アルコール類や摘みを持ち帰るとき?それもあるかも知れませんね。私は、USBモデムをフラッシュとスマートフレンの二種類を使っている。それぞれ、一か月13万Rp(1100円くらい)4GB,10万Rp(900円くらい)8GB大体使用量が一月10GB~12GBなので、丁度いいと思っている。何故、それなら、スマートフレンを二つにしないのか、ということになるが、地域に寄って、接続の早さが違うからです。特に、地方へ行った時には、フラッシュの方が、ダウンロードが早いし、どこでも接続可能だした。その他にも安くて容量が大きい物もあるが、地域が大都市周辺に限られると思う。という理由です。だから、普段、家ではスマートフレンを主に使っている。12GBで15万Rpというのがあるが、やはり、一か月、期限なので、1か月ではこんなに使えないから、やはり、今のままで行くしかない。会社では、無線ラン(WiFi)を使っているが、偶に、具合が悪くなる、そういう時のためのモデムでもある。今、主流になっている、携帯でのネット接続機能を持っているが、文字が小さくて、見えないし、指で押すのも小さすぎて、どうにもならないので使わない、それに、会社以外の場所での接続の方が遥かに多いので、費用の会社に出してもらうわけにいかない。ガソリン代は、領収書の提出を控えればいいが、通信費を仕分けるのが難しい。こんな孫たちが居るのだから、インドンシアでガタガタしていないで、教育ジジイでもやっていればいいのに,と思うこともある。ネット ブンクス 便利
2014.05.12
コメント(0)

1941 7年のウェブサイトの中の貴重な一場面としての思い出深い花、エーデルワイズ、スイスのグリンデルワルドの郊外とラウターブルンネンの町はずれで出会った。探しても、人に聞いても、なかなか、出会うことはないという。その時の家族旅行の雰囲気とその他の景色が背景にあって、ただ単に、エーデルワイズを見つけて、良かった、ラッキーだった、という分ではない。そして、大好きなドリアン、今朝も、ゴルフに向かう途中、くだもの屋によって、バナナを買った。朝食代わりだ。大きめのバナナが7本で150円くらい、車の中で食べながら、ゴルフ場に向かう。この店の表に、ドリアンが吊るしてある。寄るたびに、買いたいと思う。しかし、店の人に状態を聞くと、なかなか。食べ頃だという返事が来ない、今朝は、今、丁度良いよ。という返事がかえってきた。信用するから、どれだ?と聞いて、それを買った。先端がちょっとだけ、開いていて、中身の匂いが、香ばしく匂っている。自分でも、鼻を付けて、その匂いを嗅ぎ、丁度、食べごろだということを確認する。車の中の其の匂いは、なんとも言えない、独特な香りがし、今日のドリアンは窓を閉じていても、目が痛くなるようなことはなかった。家について、洗たくをした後,開いてみた。すべての実が、程良く、軟かになっていて、つまんで、実を離し、皿に移したが、形が崩れずにするっと剥がすことができた。一部を食べてみた。独特の甘い香りと、口の中の食感、甘い味、もお、幸せ一杯を口の中に感じる。食べる時のタイミングが非常に難しかしい、こればかりは、確率のいい店や売る人の勧めに従がうしかないが、はずれの時もある。パックで売っていても、突っついて,柔らかさを確認するわけにいかないし、匂いも嗅ぎにくいのではずれの可能性が高い。テーマの一つ、小学校のころからの夢に描いた、ラフレシア、パンガンダランのチャガールアラムにあるなどということは知らなかった。スマトラ島にあるとは知っていた。十数年にわたって,通い続け、多くの花に会うことができている、状態も様々だ、おそらく、ブンクルーのラフレシア アルノルディも含めて、私ほど、多くの花にであった日本人はいないと思う。パンガンダラン場合はジャングルの中に入る人はほとんどいないので、地元の人たちの中でも、ロブスターの漁師以外は、ほとんど、見たことがないと思う。これ等のこと、現地に近い場所に住む人を含めても日本人では、誰よりも多くに出会っているし、ドリアンに関しても、一番沢山食べているかもしれない。幸せ機会 クスンパタン チャンス
2014.05.11
コメント(0)

1940 私個人のウェブサイトの誕生日です。2007年5月9日、7年前の今日、私のウェブサイトが発信された日でした。パニック障害というとんでもない状態からほぼ回復して、また、新しい、スタートを模索し始めた時でした。そして、120000回のアクセスを超えました。120000÷(365×7)=47、一日平均、約47回のアクセスを受けていることになっています。接続は金、継続は金、これからも、逐次、内容を追加していきます、いつまで、どこまでできるか。インドネシアに関する知識と情報が大部分ですが、“私の履歴書”です。http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/http://otaenplaext.net/newpage0.html折に触れて、紹介していますが、私の生涯の仕事、既に、47年間、携わっている、エンジニアリング プラスチックの押出成型(Engineering plastics extrusion ,enplaext)、全ての私の行動はこれが根であり幹です。そこから、自分の他の生活や行動が発生しています。旅や他の趣味やお手伝いは、その枝です。http://blogs.yahoo.co.jp/enplaind/36848246.htmlエンプラエクストの説明を少ししている。 これからも、どうぞよろしく!!!これは、ブログのスタートの一ページです。こちらの方は、毎日欠かさず書いています。もし、抜けている日があったとしたら、其れは、間違えて消してしまったか、一日ずれてしまったかです。2008年3月4日、写真はニュールンベルグの孫二人、ゼロ歳と二歳の時です。もう一枚は、一緒に住んでくれていたマリアさんの誕生日、彼女が通っていた専門学校の友達と。左の女性はパンガンダランにも一緒にでかけていて、私のウェブサイトの表紙にラフレシア ファトゥマと一緒の写真がある。http://blogs.yahoo.co.jp/enplaind/3438570.html振り返ると,自然体でほとんどいい加減に撮影しているにもかかわらず、我ながら、素晴らしい写真の満載で、素晴らしいと思う。孫の上の子が2.5歳のころのスナップ。傑作だと思う。Yukiko Laura Otaインドネシアではかなり有名な俳優、Indra Bruggmanと、Mariaさんのツーショット、バリクパパンの空港で見かけて、マリアさんとの写真を私がお願いした。懐かしい写真の一枚です。彼女にとっても大変な思い出になったと思う。記念日 継続 健康
2014.05.10
コメント(0)

1939 昨日の続きをちょっと。インドンシアに始めてきたときに先ず、バリのウングラライ空港でインドネシア人を大勢見た。そして、ジャカルタのスカルノハッタ空港で、また、インドネシア人のより大勢を見た。その印象は、顔が怖い、でした。寄って来る人は、何かをたかりに来ているという印象だった。日本で見る顔の種類より、はるかに、多くの種類があった。見慣れないから、印象としては良くない。ちょっと古いが 参考になると思う。http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage00070.htmlその後、人種によって、いろいろある事を知った。私が一番、怖いかをしていると思う人種は、失礼ながら、スマトラ北部のバタックです。メダンの空港(Pangkalan Udara Soewondo)に降り立った時、雰囲気に圧倒された。すべの人が怖い顔をしていた。女性も美人とは言えず、怖い顔をしていた。タクシーの勧誘者も怖かったが、頼むしかない、運転手も怖い顔をしていた。笑うというか、微笑むというか、そういう顔も怖かった。ところが、運転は慎重、何かと話かけてくる、観光地はどこがいいとか、ホテルはどうだとか、結構、親切、次に日の、運転手兼ガイドをお願いした。帰りの空港まで付き合ってもらった。顔は。あまり見ないようにしていたが、最後には、丁寧に握手をして感謝の気持ちを言った。人はみかけに依らない、代表的な例でした。パプア(インドネシアで東の端)ここの人々は、独特の顔をしているので直ぐ分る、温和な顔とは言えない、やはり、子供のころ、映画などで、こういう人を見たことがある、私たちは、失礼ながら,土人、と言っていた。今は、絶対言わないが、現在でも、ニュースで部落同士の争いを頻繁に見る、長い槍や弓矢を持っている。そういう人たちです。ジャボタベックでも偶に見ることがある、直ぐに、分かる。しかし、やはり、話をしてみれば、皆さん、私にとっては好印象です。ジャヤプラ、スンタニ、ムラウケ皆さん、人なつこい。アンボン、パプアに近い、だから、パプア系の顔を基本に多分、スマトラからの移民と混血ではないかと思うほど、ものすごく迫力がある怖い顔をしている。そして、マドラ島、今はスラバヤと橋で繋がっている。ここも、アンボンに負けない強面だ。その影響かどうか、この土地出身者が各都市に散らばっていて、ヤクザというかマフィアとして大いに幅を利かせている事は、インドネシア人誰もが認めていることです。セキュリティーの会社も彼らを使っているし、廃品回収業は彼らの独占で、彼ら同士の抗争もあるということで、概ね、インドネシア人は怖い顔をしているし、普通の若い人も、性格を読みにくいので、何をされるか、どういう行動を瞬間的にとるか、ちょっと気になる。しかし、何も恐れる必要はない、むしろ、こちらの事を恐れるが如く、下手に話してくる人が多いし、頼んでもいないのに、何かと気を使ってくれる人も多い。親しく接すれば、親しく返してくれる。私の身の回りで事件は起きない。タマンセントサの出口でチケットを返す。入る時にチケットを渡される。醜いが、セキュリティーが椅子に座って足を開いてふんぞり返っている。明らかにマドラの顔だ。にこっともしないで、無言でカードを渡している。私が日常の挨拶をしながら受け取るが、挨拶を返されたことがない。この人だけで、他の人、全ては、普通に挨拶する、彼だけ、流石だと思う。強面 マドラ アンボン
2014.05.09
コメント(0)

1938 私のような生活環境に放り込まれた日本人は、ほとんど100%、暮らしてゆけないでしょうね。平均的日本人が会社に要求する環境は、先ず、セキュリティーのしっかりした(なにも分からない本人がOKを出せることが条件)いく部屋もあるアパートや住宅地の一軒家、家賃は1500US$以上、日本の自分の家より以上に整った電化製品、器具がある事、自分が満足できなければ、仕事場とは離れていても、渋滞が酷い場所でも、ジャカルタにする。運転手付きの車、それも2000CC以上、お手伝いさんも必要。食事のほとんどは日本食。そして、毎晩、何やかやと5千円くらいは使う。食事,飲み代、カラオケなどで、1か月15万円は使う。ゴルフは会社が会員になっている場合か、個人会員の費用を負担する。給料、諸手続き費用や交通費、通信費、日本などへの航空運賃、インドネシア語の勉強、接待費などなど、何やかやで、現地採用以外の日本人一人に、1か月、100万円以上になるという説もある。特に進出しようとしている会社の最初の派遣者は、全く何もわからないので、環境の安全面、食生活の安全面を心配するので、私にしてみれば、異常なほど過度な条件(本当はそれが安全に繋がるかどうかは疑問だが、本人が納得することが条件)それが、標準です。日本食レストランでしか食べない人に限って、下痢になりやすい、という話もよく聞く。で、私はというと、老人の一人暮らしで、ゴルフの会員権は10何年前に、自分で買ったので、今は、年会費を9万円ほど払うだけで、土日でも2500円以下で出来る。食事は、本当はカップ麺でも充分だが、野菜や肉類も摂取するためにスーパーで買って来て、自分で調理をする、そうでなければ、道端のカキリマやテントワルンでゴレンガンやソトやサテなどをブンクスしてもらって家でご飯を炊いて一緒に食べる。果物も道端で買うことが多い。ガロンの水も近くのコンビニで買う。車は自分で運転するし、家の掃除も洗濯やアイロンがけも自分でする。偶にキャディが、仕事を終わってから来てやってくれるが、本当は必要ない、3時間ほど働いてもらって2000円ほど渡す、彼女たちにしてみれば、良い小遣い稼ぎだ。着る物、下着や靴下など、ほとんど買わない。10年以上何も買っていないと思う。給料は日本人平均の3分の1以下だと思う。ソシテ、その給料で充分だ。通信費とガソリン代の会社関係使用分は会社に出してもらっている。仕事をするための諸手続き費用も払ってもらっているので、何不自由ない生活を送ってい。そして、多くの人が口にする、気にする(本当かなと思うほど)安全、安心の事、全くと言っていいほど、気にしていない。家には、持っていかれても気にならないものしか置いてないし、車の最後部に貴重品は置く。車から出る時には、貴重品は、短時間でも持ち歩く。しているのは、そのくらいの事です。家の周辺は、皆さん、知り合いです。特に、向かいにいるトカンオジェックの数人とは、いつも、挨拶するし、会話もする。そのすぐそばの集合住宅の入り口にセキュリティーも私が家を出る時、帰ってきたガレージに入れる時には、手招きガイドをしてくれる。そして、昔は何かと事件があったと聞くが、私がここに来て以来,何も事件の話は聞かない。タマンセントサの出入り口のゲートのセキュリティーも全員顔みしりで、偶に、ゴレンガンなどの差し入れしている。お金がないわけではない。ケチでもないと思っている。お金の使い方が多くの人と違っているのでしょう。自分のためには旅の費用、日本往復、年3回ほども含む。そして、多くは、他人のためだと思っている。インドネシアの若者に資金援助、技術を伝えるための金型や設備や原料、多分、毎年300万円以上、使うと思う。それにくわえ、投資もしている。酒は飲まない(最近ちょっと舐めている)たばこは吸わない、カラオケにも行かない。何が楽しみ?楽しい事は、多分、平均より、はるかに沢山あると思う。責任を持てないが、一度、私のような生活をしてみませんか。あなたの生活に余裕が生まれるかもしれません。多分、出来ないでしょう。こんな道が500Mほど続くのです。八方 黒菱モーグルコースも、これほどじゃない。車がローリングするので、上の方が接触する。昨日のLPGボンベと装置です。安全 安心 気持ち
2014.05.08
コメント(0)

1937 私は、高齢者の一人暮らしです。それも、インドネシアの一般住宅地の中です。幸い、大過なく、というか、大きな問題はなく、一人暮らしをエンジョイしています。しかし、何でこんなこともしなければならないの?と思うこともある。テレビが映らない、断水になる、朝は、水が出なくなる、など、日常的な、いつもこうだからしかながないかな、と思うので、あまり、深く考えないし、アクションをしようとは思わない。LPGのボンベが空っぽになって、車の後ろにボンベを乗せ、LPG屋に届けてもらっても良いが、ついでがあったので買いに行った。家に持ってきて、ボンベの頭に着ける、何という名前でしょうか、ぱちっと、ひねれば、それで、メーターの針が動く、そういうはずだった。ところが、針がびくとも動かない、何度か、外したり、押し付けたりしてみたが、だめだった。その内に、ひねりを繰り返し過ぎたのか、そのハンドルというか、コックが折れて、すっ飛んでしまった。せっかく、料理をしようと、野菜や肉を鍋に放り込んで置いたのに、温めることが出来ず、ディスペンサーのお湯を使ってカップメンの夕食になってしまった。そして、先ほど、会社から帰る途中で、その器具をかった。重いボンベを積んでいったので、店の人に、事情を話して、取る付け確認をしてもらった。そうしたら、ゴムのシールというかパッキンが変形していて、穴を塞いでしまっていたのでした、ゴムのリングを交換してもらって、圧力が上がることを確認した。先ほど、昨日、準備をしてあった、素材で、炒めものを作って食べた。いつもは、あまり入らない、物置になっている部屋の、電灯がつかなくなってしまった。その部屋には、夜しか入らないので、真っ暗ではどうにもならない、2,5mほどの高さにあるランプのカバーを外して、中のリングの蛍光灯を外さなければならない。脚立や踏み台などない、小型の戸棚があるので、戸棚を持ってきて、そういうに乗っかって、外した。その切れた蛍光灯を車に乗せて、やはり、会社からの帰りに、あるモールへ行った。そこのセキュリティに店をきいたら、その店は先週まであったが、今は、閉めてしまって、このモールにはランプ屋はないと言われてしまった。家から離れる方向のショッピングセンターへ行ってみた。その中に、日本のホームセンターのような店がある。いって、これと同じのを欲しいが、どのあたりにあるのか、入り口で、聞いたら、品切れで置いてないとい返事、特殊でも何でもないのに、そんなことってあるの?その人に、この中にランプを売っているコーナーはどこにあるのか聞いたら、知らないという。どうなっているの、二階のハイパーマートに行って、捜した。そして、出会った。こんなつまらないことで感激だ。先ほど、ミニたんすに乗ってそのランプを付けて、明るくなった。それだけのことです。押出成形のエリアを広げた。色々な、表示や看板を取り付けたり、貼ったりする準備をしてもらっている。少しばかり、格好をつけて、ま、この規模では、こんなものでいいかなと、客先に思ってもらうようになればいいかな。野菜類の移動販売、こういう類いの、販売は、インドネシアのどこでも見かける。朝、自分の家の前に広げて、近所に人に売って、余りものをこんな形にして、行きつけの住宅地に持って行って売るのです。テリトリーが決まっているはずです。 8時前、帰ろうと支度を始めた時にONO君(客先のインドネシア人)から、メールでなく電話が入った。良い知らせだよという、悪い知らせもあるけど、どちらを先にする?と言って来た。良い方に決まってるでしょ、と言ったら。それではと。ある製品の受注が決まった。品質的にOKになって、他の競争相手に勝ったというのでした。悪い方は?価格の調整が必要で、ディスカウントを20%頼みたいということでした。なああんだ、そんなことかでした。何種類ものサンプルを提供したが、その内に一つが採用されたのでした。競争相手は、サンプルの種類が少なかったそうだ。取りあえず、おめでとうと、言っておいた。私は、ひそかに、ヤッタポーズでした。インドネシアでは私にしかできない製品がインドネシア中に広がる可能性がでてきた。暮らし 自立 安上がり
2014.05.07
コメント(0)

1936 警察官がパワハラを受けたことが理由で拳銃自殺を図った。可哀そうに思う。その人は犠牲者であって、何も、その場の事では、誰にも迷惑を掛けていないし、周囲の人も、彼の恩恵は受けていたと思う。ただただ、上司という立場にいた人から、パワハラを受けてしまっていた。パワハラをしていた人に私は、怒りを覚える。私は、多分、この自殺した人より、酷い、パワハラを受けていたと思う。気がくるっているとしか思えないような仕打ちを受けた。言っていることが、ことごとく、自分たちの無知をさらけ出しているようなものだった。それでも、私は耐えた。インドネシアの会社の中の日本人二人(本社から派遣されていた、現地社長とマネージャー)からでした。相当な、思い込みと誤解を根拠に私をアドバイザーというポジションから外し、私が作り上げて量産になっている仕事にもイチャモンをつけて、その仕事を止めさせた。二十人以上の部下がいたが、押出部門ごと、そのマネージャーが、管理することにしてしまった。私はインドネシアにいて、相当な仕事やってきたと思っていたし、これからも、かなり期待される存在だと思っていて、彼等の能力は、全ての点で、私より、劣っていると思っていた。押出しの仕事など手も足も出ない。実際そうだった。勿論、そういうことは、外には、全く出していなかった。しかし、徹底的に、苛めにあった。事務所で社長の前で、大声で、怒鳴られもした。インドネシア人スタッフがびっくりしていた。全く、身に覚えのない事だったので、別室に移ってもらって、心当たりは無い事を説明したが、通訳兼秘書の女性の告げ口を信じてしまっていて、どうにも、ならなかった。私にしてみれば、その秘書の日本語が、間違いが多く、よくこんな秘書を使って、間違った情報をうのみにしている、変じゃないのと、思ってはいたが、まさか、自分に被害が及ぶとは思っていなかった。また、在庫をドルとルピアを間違えて、半年も、こんな多額の不良在庫を抱えてしまって、どうするつもりだ、と、怒鳴られた。常識で考えれば分かりそうなものを、5万Rpを5万ドルと、思い込んでしまって、私の失敗を発見したと、小躍りしたのでしょう。私を呼びつけて、帳簿を指でさしながら、どうしてくれるんだ、というわけだ。500円と500万円の違いだ。呆れてしまい、よく見てくださいよ、単位が違いますよ、と言ってやったが、どうも、自分の失敗に気がつかないらしい。そして、その500円の品物が何かも見てりない。しばらくして、もう一度、よく調べてみる、ということだった。その事は、それっきりで、謝りもしない。とんでもない人に会ってしまったと思った。営業の専門家という触れ込みで来たらしいが、全く営業らしい行動は無し、舞い込んだ新規の話も樹脂すらできない。その人が、私に、いきなり、私と一緒に仕事をしましょうと、のたまった。この人は私と一緒になど仕事は出来ないはずなのに、上から目線で、発する言葉ばかりだった。http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0063.htmlそんなことが、主な原因だったと思うが、ついにパニック障害(当時は、この病気についての知識が無かったので、何か、とんでもない奇妙な病気に掛かってしまったと思っていた)になってしまった。ただし、自殺などしようとは全く思わなかった。まだまだ、やることは一杯あったし、多くの人から期待されていると思っていた。この、滅茶苦茶な環境から離れれば、また、皆さんの役に立つような仕事が出来ると思っていた。また、この人達が私にした事が、誤りだったと、思ってもらう時期が来ると思っていた。どうでしょうか、あれから8年近く過ぎている。その人たちは今どこでどうしているでしょうか。インドネシアの工場は見込みなしにしてしまって、閉鎖したが、その閉鎖の時間が掛かった事、相当、長期に渡って、会社に損失を与えたと思う。それも、私が、後始末の受け入れ先を紹介し、工場の売り先まで世話をした。1年半前に亡くなった、本社の当時の創業社長からは、感謝されたというのに、ご本人、それも、気に入らなかったと聞いている。どこまでも気の毒な人達だと思う。パワハラに遭っている人に告ぐ、しばらく後で、徹底的に、攻撃を仕返しましょう。それまで、我慢をしましょう。逃げたり、自殺などしたりしては、やられっぱなしです。あなたの身内の人が気の毒です。必ず、やり返す時は来ます。立場から離れた時どうするか、どうやり返すかの準備をしましょう。負けないでほしい。苛めた人は、必ず、将来、惨めな気持ちになるでしょう。必ず、です。勝ち誇った気持ちが続くはずがない。反動は、必ず来ると思いなさい。子供の頃のいじめっ子が、将来、大成したという話はないと言っていい。同級会にも出にくい存在になってしまう。それと同じだ。赤い実のドリアン、初めて知った。ジャワ島の東の端、バニュワンギ(バリ島との間のフェーリーはここから)パイなどのお菓子を作っているそうだ。行く機会があったら、探してみようと思う。先行き 決めどき クスンパタン バイク
2014.05.06
コメント(0)

1935 土曜日も出勤をして、原料を受け入れたり、客先の人と見積もりや製造環境につて打ちあわせたりした。どちらも、注文を付けられた。私自身もこれでは不十分だと感じているので、どうにかしなければならないと思っているし、小手先のテンポラリーでは、近い将来でも、もと難しくなる可能性が高いと思う、その点を客先も指摘する。朝、雲一つない快晴、空の青さは、完全なムシン クマラウ乾季である。次第に入道雲が表れて、日本の真夏の海の上空の雰囲気とそっくりになる。じりじりと芝からの照り返しもプラスして、強烈な暑さになる。フェアウェーに映る影がくっきりしている。ところが、12ホールあたりで、黒い雲が現れ始めて、小雨が振り出した、一旦、上がったが、また、直ぐに、真っ黒な雲の集団が空を覆いはじめ、強烈なスコールになってしまった。あっという間に、ファウェーもグリーンも水が浮きはじた、地中への沁み込み以上の土砂降りだ。途中の休憩所に4グループが集まってしまった。そんなに物凄いスコールでも30分ほど待てば,やむことは、予想できる、そのとおり、嘘のように、青空の一部が見え始めると、見る見る内に、青空が広がり、雨もぴったりと止んだ。ゴルフを再開すると、瞬く間に,太陽がかんかんと照りだした。足もとは、水たまりができているので、靴を濡らしながら、ボールを水たまりから置き直してプレーを続ける。雨があがって、30分ほどすると、水溜りは消え、雨が降りだす前の状態になった。転がりも戻った。そして、インドネシアらしい乾季の空も戻った。インドンシアの快晴の時に浮かぶ雲は、直ぐ上に見える。手が届きそうに思うときもある。http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage022.htmlhttp://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage00073.html東カリマンタンのマハカム川をサマリンダから上流まで、船に寝泊まりしながら、往復した時、が、それでした。上の空を見あげながら、子供のころ、夏休みに、見上げた空を思いだす。そういう感傷は、あったが、実は、今日のプレーは上の空だった。ゴルフ以外のことを思っていたので、寄せも、パットもいい加減なった。コンディションのせいではなく、他の事を考えていたからだった。ジョコウィとユスフカラ(ユドヨノ現大統領の最初の副大統領だった)が組む可能性が高くなったようですね。迷い 考え事 スコール
2014.05.05
コメント(0)

1934 インドネシアの国土を表す歌として、一番,有名な歌です。「北西の端、サバンから南東の端、ムラウケまで」という歌です。歌はインドネシア人なら誰もが知っているが、実際行ったことがあるという人は、ほとんどいないはずです。どちらか一方でも、ほとんどいないと思う。いわんや、日本人おや、でしょう。Dari Sabang sampai Merauke Menjajah pulau-pulauSambung memnyambung menjadi satu Itulah Indonesia Indonesia tanah airku Aku berjanji padamu Menjunjung tanah airku Tanah airku Indonesiahttp://nanbuindonesia.web.fc2.com/page231.htmlhttp://nanbuindonesia.web.fc2.com/page230.html北西端はサバンのゼロポイントまで。http://otaenplaext.net/newpage28.htmlhttp://otaenplaext.net/newpage29.html南東端はムラウケからなお東20Kmほどにあるソタという国境の部落までいって、パプアニューギニヤとの線を跨いだ。私の旅は、ほとんど、行き当たりばったりです。せっかく、インドネシアにいるのですから、あちこち見て回りたいし、その土地の人と触れ合ってみたい。だから、特に予定や計画を立てない。計画するほど、予備知識がない。調べたくもない。ただし、何かがありそうだとか、テレビによく紹介されているとか、話題になっている土地などに行ってみたいと思うのです。馴染みになっている旅行社に頼んで、その土地の空港までのチケットを購入する、ただそれだけです。目的の空港について、インフォーメーションにいろいろなことを聞きます。どこがお勧めか、泊まるところはあるか、交通手段と所要時間などです。大概、その場所で、泊まる場所を予約する、そして、タクシーをチャーターする。タクシーの運転手と滞在期間中の行動を打ち合わせし、帰りの空港までの送りもお願いする。持ってきた黒はんぺんは、すでに食べてしまった。先程、桜エビのかき揚げを作って食べた。見てくれは良くないが、故里の味、静岡の味、駿河湾の味、由比の味がした。昼間、道端で見かけた花、インドネシアには、花が咲いていなければ、これが花かなと思わせる、先端あたりの葉が鮮やかな色をしている植物が多くある。両端 全土 場当たり
2014.05.04
コメント(0)

1933 昨日の続きをちょっと、こちらへ赴任して来て直ぐに、「日本人のほとんどは夜寝る前にお風呂(バスタブ)に入って一日の汚れや汗を拭って、体を温め、リラックスするのが習慣だよ。」という話をしたことがある。彼らの反応は、「日本人は不潔だ」でした。「朝、用便をしたときに、体を洗わないの」「紙で拭いて、水で洗わない、というのは不潔」だというのです。今のように至れり尽くせりの洋式トイレが無かった時代、日本の習慣は、確かに、不潔と言えば不潔だった。彼らのいうことはもっともだと思った。だから、今でも、田舎から出てきた人は、洋式トイレでも紙を使わないのが原則で、ズボンをビショビショに濡らしてトイレから出てくる人もいる。そのビショビショを拭くための紙なので、ティッシュとトイレットペーパーの違いは無いのです。なければ無くても良いのです。自分のタオルがあった方がいいのです。そして、今日の話。不惑の歳は、何十年も前に通り過ぎているが、70才半にして、惑わずどころか、惑っている。余計な事しなければこんなことにならないのに。重い荷物を背負いたくないのが、本心、年齢の事を考えると、それほど長期間、前線に立って指揮は出来ない。後続を育てなければならないが、それなりの先行投資が必要になる。そう長くいないので、自分が投資を追加し続けるわけのも行かない。やはり、アドバイザーがいい。決断をするときだと思う。新しい仕事の話は、結構、次々と入ってくるが、それぞれに対応するための、新規客先に安心感を与えるための環境、設備、レイアウト、人材を整えて、目に着くようになっていないと、見積もりは、即出して、客先の反応を待つが、値段や製造技術の事ではない、ほかの事で、話を引っ込められてしまう。つらいところだが、今の状態では、それらを追いかけることはできない。製品が出来ることより重要な要素が客先にはあるからだ。技術の事はなにも分からない客先のインドネシア人スタッフ、QCやPPICの連中が評価するのだから。見かけや文章が重要になる。“70で自分の心の赴くままに行動しても道を外すことは無くなった?”とんでもない話で、赴くままの行動などできない。出来る場所はあると思うが、その場所に行くという行動が出来ない。自分で、悩み多き高齢者青春?にしてしまっている。家の中に迷い込んだ蛇です。種類は知らない。吉でしょうか、今日でしょうか。バンドゥン近郊の山々は石灰岩で形成されている。簡単に細かく砕きやすので、舗装するときに、下に敷く。写真だけでは、どこかの海岸で、地ならしをしているように見えるが、破壊された道路を50cmほど掘り下げて、この石灰岩を砕いて、30cmの厚さで敷きつめてローラーで踏み固めた上に小石を敷き、最後にアスファルト舗装をする。来年また同じ場所か、その近くで同じことをする。懲りないインドネシアです。惑い レイアウト 負担増
2014.05.03
コメント(0)

1932 寝る前にドリアン酒とチュンぺダック酒をほんの少し飲みだした。命に別状ないし、異変を感じることもない。飲みやすく、よく眠れる感じがする。メーデーで休みなのでゴルフ、別の世界にいたのでデモの様子は分からない。ジャカルタへ動員された労働者が大挙して集合したようだが、チカラン辺りは通常より静かだった。押出部門は休日出勤をしてもらった。改めて認識されられた事、インドネシア人の算数のレベルは日本の小学校3年にも劣る。10数年前、入社テストで0、5×105=Xという問題を出したことがあった。頭の良さを知りたかった。高卒者が対象だった。15人中出来たのはたった一人でした。皆さんに何故出来ないのか聞いたら、「忘れた」と言っていた。覚える事でしょうか、頭の中に、こういう画面が浮かばないのだと思う。世界が違う話なのでしょう。教育にない分野なのでしょう。「忘れた」のではなく、「覚えなかった」のでもなく、想像できない世界なのだと思う。 それから、10数年後の現在、同じ問題を、高校数学の評価が10段階中9の人に出した。悲しいかな、答えは「0」でした。何故ゼロになるのか聞いたら、0.5に0があるから、それに何を掛けても0だという。凄い発想だ。それから、会社のベテラン社員にもこの問題が出来るか聞いてみた。5人中1人だけが正解だった。それだけではないが、押出しの仕事には、頭の回転が速い人でなければ向かない。手先が器用な事と考えたことを直ぐに行動に起こす人でなければ、教えても意味がない。向かない人に仕事を教えることは、その人にとっても、負担になってしまう。教える方も、教えられる方も不幸だ。対数計算が出来ない人は金型に関しての仕事、全てが出来ない。がらっと、変わって、トイレットペーパーの話。トイレットペーパーを使う習慣がないこの国では、日本でいうトイレットペーパーもティッシュペーパーも同じもの、同じ役割をするものという認識になっている。どちらも、トイレでは、水で洗った後にその水を拭くために使う、レストランやワルン(道端簡易食堂)テントワルン、などでは、どちらも、口を拭いたり、アヤムゴレンなどを握る時に使う。ホテルで、トイレットペーパーがなくなっているので掛かりに頼むと、ティッシュペーパーを届けてくれる。で、トイレットでは、拭いた紙は、排水パイプを詰まらせるから、流さないで、生理用品などを捨てるためのポットに、拭いた後の紙は捨てることになっている。トイレットペーパーは水に溶けるから、汚物と一緒に流すという認識はないし、それは、間違いだと認識している。紙は流さないでゴミ入れに捨ててくださいと書いてあるトイレも多い。インドネシアの場合は、その方が正解だと思う。書いてなければ、何でもかんでも、流してしまうから
2014.05.02
コメント(0)

1931 変なニュースが飛び込んできた。パンガンダランのあるホテルで、夫婦ではない男女がなくなっていた。アルコール類、若ヤシの実、サプリメントがあった。こんな事件は始めて聞く。Sebuah hotel di kawasan wisata Pangandaran dikejutkan dengan sejoli yang tergeletak tak bernyawa di kamar. Dari hasil identifikasi, keduanya bukan suami istri. Diduga mereka overdosis minuman keras.Kapolres Ciamis AKBP Witnu Urip Laksana menyebutkan, korban bernama Nasiman (38) dan Retno Jumiati (31), warga Kebumen, Jawa Tengah. Mereka ditemukan nyaris tanpa busana di satu kamar, Senin (28/4/2014). Di kamar tersebut ada tutup botol miras, kelapa muda, dan suplemen.パンガンダランには、一挙に何万人もの人が訪れるのだから、事故や事件が偶にあることは仕方がないと思う。バナナボートの転覆でショック死とか、ホテルのプールで幼児が溺れ死んだとか確率的にはどこでもありそうな事故だ。津波の時を除いては、ほとんど、事件事故が無いと言っていいほど安全な場所だと思う。盗難や暴力などという話は聞いたことがない。 これは日常茶飯事の交通事故 Ciloto で衝突が発生した。チパナス、Cianjur、西ジャワ、火曜日 2014 年 4 月 29 日。衝突トラック、ミニバス、三菱、スズキ AP 3 人が死亡し、2 人が負傷しました。Sebuah tabrakan beruntun terjadi di Jalan Raya Ciloto, Kampung Pengkolan, Desa Ciloto, Kecamatan Cipanas, Kabupaten Cianjur, Jawa Barat, Selasa, 29 April 2014. Tabrakan antara truk Mitsubishi, angkutan kota, dan Suzuki AP itu menewaskan tiga orang tewas dan melukai dua orang. ドリアンをこの前、パックで買ったこのドリアン、一個の3分の1くらいで、千円くらいですね、高いと思うが、実においしい、いっきに食べてしまった。もう一パックを作った酒に漬けた。4日過ぎた状態です。開けて匂いを嗅ぐと、えもいわれぬ、芳香である。これは、誰にもあげない、毎日、寝る前に、ちびちび、ひそかに飲もうと思う。ちょっと、怪しい雰囲気になるかもしれない。 ぞして、先ほど、家に戻ってから、インドビジョンのコードをはずして、買ってきた元のアンテナ用コードを接続した。四日ぶりに部屋の中が賑やかになった。早速、Yuk Keek Smaileにチャンルを合わせた。 パンガンダラン 交通事故 ドリアン酒
2014.05.01
コメント(0)
全31件 (31件中 1-31件目)
1