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図書館で『芸術闘争論』という本を手にしたのです。この本を読んで・・・今では功成った村上さんから、現代芸術という海千山千の世界で戦うノウハウが得られるのではないかと思った次第です。【芸術闘争論】村上隆著、幻冬舎、2010年刊<「BOOK」データベース>より日本芸術界の欺瞞の歴史と、その安楽な生き方と、闘う。【目次】第1章 今日のアートー情況と歴史(美術、アート、芸術、横文字の「ART」/「西欧式のART」とは何か ほか)/第2章 鑑賞編(『現役美大生の現代美術展』という実践/洗脳解除 ほか)/第3章 実作編(絵を作る/コンテクストと個性 ほか)/第4章 未来編ーアーティストへの道(日本のロウアートマーケット/アートの地政学 ほか)<読む前の大使寸評>この本を読んで・・・今では功成った村上さんから、現代芸術という海千山千の世界で戦うノウハウが得られるのではないかと思った次第です。rakuten芸術闘争論村上春樹を引き合いに出して純粋性を語っているので、見てみましょう。p177~178<純粋な芸術はあるか> では、純粋な芸術なんてあるのか。村上春樹の小説は純粋小説か。例えば、そういう設問を考えてみましょう。村上春樹はベストセラーの作家で、本人は純文学をやっているという意識はあると思います。ベストセラーセラー作家として世間にも文学界にも認知されていましたが、文壇からは長い間冷遇されていました。 ぼくには専門的な純文学の定義など知りませんが、村上春樹はやはり純文学を描いている小説家だと思います。いくらコマーシャルな作品を作っていても、その内容によって純粋性が決まってくる。純粋性とは何かといえば、ものを作る完成度の高さ、ものを作っていく方向性の設定の仕方です。例えば、ぼくはこの章で構図法を説明しましたが、構図法でも徹底的にやるものとそうでないものとでは最終的にでき上がってくる純粋性というのは違います。 純粋性というのは作品を制作する誠意というふうに考えてみてもいい。例えば、テレビコマーシャルを作っている監督さんでも誠意があるものを作り続けていると、非常に高いクオリティの人の心に届くものができてくる。だから、もし、ぼくに「純粋な芸術というものがあると思いますか」という質問をする人がいたら「はい、あります」と答えます。救済としての芸術を語っているので、見てみましょう。p182~184<心の救済> 芸術でいちばん大切なものは、構図、圧力、コンテクスト、個性の四つです。コンテクストというのはその作品が歴史、状況の中でどういう意味を重層的にもっているのかをいいます。それがたくさん串刺しになっている方がいいと説明しました。 ぼくは『芸術起業論』で「芸術の世界で取引されているのは、人の心」「アーティストの目的は人の心の救済である」と書いています。それはコンテクストではなくて圧力です。 歴史的重層的な意味というよりも、構図とか圧力とか個性がコンケクストに盛り込まれるとしたらこの圧力の部分で人の心の救済がある。 最近、ぼくが買っている作品の話をすると、オタク絵みたいだけど少し下手な絵、オタク絵として雑誌の表紙を飾ることはないけれども、先ほど言った私小説的、内向的な作品をよく買っています。それはぼくの心を救済してくれているからです。 ぼくの心のマトリックスがどうなっているかというと、オタクへのコンプレックス、宮崎駿症候群、ガイナックス・・・・いろいろなものがあります。この世界にオタクエリアというものがあるとすると、ぼくはオタクエリアに入れませんでした。だから、オタクエリアに入れなかった、今も入れなさそうな人たちの作品をみると、本当に哀しさと憐れみと同胞感がわいてきます。 「オタク絵みたいだけれど少し下手な絵」。そういう作品を見ているとぼく自身を見ているような気がして、救われるんですよね。ぼく自身とは何かと言えばそういう半端者だということでしょうか。 そういう心の救済を与える作家の中でも、とりわけ大きなドラマを持っていたのが何度も述べたようにゴッホ。あと、日本人が好きなのはエゴン・シーレです。神経質な自画像やエロチックな女性の絵を描きましたが、28歳で早世しました。 こういう悲劇のストーリーというのはどういうわけか人の心をひきつけ、人を救済します。 先ほど述べた小説ではありませんが、物語、お話というのはなぜ必要なのか。人間がどうしても芸術にたどり着かなくてはいけないのはなぜか。たしかなことはわかりませんが、犬ですら遊びを欲するのに、人間は高度な遊びとして精神的なバランスをとる知的なゲームをせずにいられないからなのでしょう。 そのゲームの中に、ある種の哀しさ、真実があるとすれば、自分が生まれてきていずれ死ぬ、自分が生まれてきたことが無意味であるということに気がつく瞬間に、それでも無意味ではないのかもしれないと自分を納得させるためにお話をつくらないと生きていけない。ほとんどの宗教はそういう構造を持っているのではないかと思います。 宗教的な部分に救済を求めるのは当たり前ですが、絵画は先に書いたように宗教とともに歩んできたので救済装置として長けている。音楽もそうだと思いますが絵画、彫刻というのは救済構造にとりわけ長けています。この本も村上隆アンソロジーに収めておくものとします。『芸術闘争論』1『芸術闘争論』2
2016.08.31
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<芸術闘争論>図書館で『芸術闘争論』という本を手にしたのです。この本を読んで・・・今では功成った村上さんから、現代芸術という海千山千の世界で戦うノウハウが得られるのではないかと思った次第です。【芸術闘争論】村上隆著、幻冬舎、2010年刊<「BOOK」データベース>より日本芸術界の欺瞞の歴史と、その安楽な生き方と、闘う。【目次】第1章 今日のアートー情況と歴史(美術、アート、芸術、横文字の「ART」/「西欧式のART」とは何か ほか)/第2章 鑑賞編(『現役美大生の現代美術展』という実践/洗脳解除 ほか)/第3章 実作編(絵を作る/コンテクストと個性 ほか)/第4章 未来編ーアーティストへの道(日本のロウアートマーケット/アートの地政学 ほか)<読む前の大使寸評>この本を読んで・・・今では功成った村上さんから、現代芸術という海千山千の世界で戦うノウハウが得られるのではないかと思った次第です。rakuten芸術闘争論芸術の真髄とかアートのマネージメントあたりを覗いてみましょう。p27~29<芸術のための芸術> オランダの医療法人が自分たちの肖像画を描かせるためにドラクロアに絵を描かせていましたが、これなど、今ならさしずめ自分の3DかCGでも作らせてjたようなものです。ことほどさように、しかるべきパトロンから金が流れて芸術家が絵を描くということがありました。宗教、権威を持っている人間、もしくは金持ち、その三つが芸術を支配する頂点にいた人たちです。 それが、19世紀になって印象派の登場あたりから芸術家が芸術家のために作る芸術る芸術があってもいいのではないかというムーブメントがおきました。それから話がややこしくなってきます。 なぜ、こういうことが起きたかというと、ひとつには肖像画の需要がなくなったということもあります。今や肖像画というのは芸術家の仕事としてはほぼありません。ウォーホールがあえて意図的にやりましたが、一般的にはほぼ絶えてない。なぜなら写真が発明されてしまったからです。 さらに宗教的説明画を作らなくてもよいくらい文明が発展してきた。印刷技術そのほかの発展によってみんなが文物、いろいろなものを書いたり読んだりできるようになったので、絵で何でもかんでも森羅万象を絵解きして説明してもらう必要がなくなってきた。 このようなわけで、ARTとは何か、芸術とは何かなどという大きな疑問が生まれてくると同時に、芸術家が自分たちの職業の存在意義を考え、いろいろ理論武装して趣向を凝らす必要が生まれてきました。 もちろんぼく自身も同じように芸術とは何かという大問題以前に芸術家の存在意義に向き合わされています。これだけアートバブルで騒いでいますが、バブルですから、あと10年もすれば今のアート業界の金回りのよさというのはなくなると考えるのがまっとうでしょう。 だから、どうしたらいいのか、とぼくもよく考えるわけです。たぶんそういう変革が西欧では19世紀あたりに来てしまったのでしょう。そうしたムーブメントの中からサロンというものも生まれて、哲学者やら思想家やら芸術家たちが集まって「ああでもない、こうでもない」と口角泡飛ばした議論がパリあたりで起こったわけです。それが、芸術についての話をややこしくしはじめた、そもそもの出発点です。 つまり、芸術家が独立して芸術を作る非常に純粋性の高い、純潔の芸術が誕生してしまったわけですね。しかも、この大きい変革に世界中が熱狂してしまったわけです。 「すばらしい、そんな奇跡のようなことがあっていいものか!」 ところが、西欧は階級社会ですから、この芸術家が芸術家のために作る芸術すら、自分たちのために次の時代の芸術を装飾として買おうという上流階級の落胆があったわけです。 かつての権力者、宗教的権威、お金持ちが自分たちのために芸術家に作品を作らせるという単純な時代から、芸術家が芸術家のために作った作品を、まさにそのことを理由にお金持ちが自分たちのために買うというややこしい時代に移行したわけです。そのせいで、作品としての価値と金銭的な価格が大きくずれることになりました。
2016.08.31
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今回借りた6冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば「怒り」でしょうか♪<市立図書館>・逃亡くそたわけ・天国旅行・街場の読書論・2015年磯野家の崩壊・芸術闘争論・紅茶スパイ<大学図書館>・(今回はパス)図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)************************************************************【逃亡くそたわけ】絲山秋子著、中央公論新社、2005年刊<「BOOK」データベース>より逃げるのに理由なんていらない。川端康成文学賞作家、糸山秋子初の書き下ろし長編小説。<読む前の大使寸評>絲山秋子のエッセイを読んだあとなんで・・・彼女の小説ならイケてるんじゃないかと期待するのです♪rakuten逃亡くそたわけ逃亡くそたわけbyドングリ【天国旅行】 三浦しをん著、新潮社、2010年刊<「BOOK」データベース>よりそこへ行けば、救われるのか。富士の樹海に現れた男の導き、死んだ彼女と暮らす若者の迷い、命懸けで結ばれた相手への遺言、前世を信じる女の黒い夢、一家心中で生き残った男の記憶…光と望みを探る七つの傑作短篇。<読む前の大使寸評>葬式とか死別が増えてくる年代となったのだが・・・・この短編集のように明るく対処することも有りなのかも♪amazon天国旅行【街場の読書論】内田樹著、太田出版、2012年刊<「BOOK」データベース>より本はなぜ必要か。強靱でしなやかな知性は、どのような読書から生まれるのか。21世紀とその先を生き抜くための、滋味たっぷり、笑って学べる最強読書エッセイ。<読む前の大使寸評>内田先生の説く読書論なら、読むしかないでしょう。今までこの本を見落としていたのが、大使の手落ちでおます。rakuten街場の読書論【2015年磯野家の崩壊】山田順著、徳間書店、2013年刊<「BOOK」データベース>よりアベノミクスで円安、株高が演出され、さながらバブルの様相を示しているが、それでも日本経済の破綻は避けられない。偽りの景気回復の裏で、消費税をはじめとする大増税が行われ、少子高齢化、格差拡大はますます進み、日本人の仕事や財産が奪われていく。さらに安倍バブル崩壊で日本経済は大混乱に…。これから起こる大破局で日本人の生活、仕事はどう変わるのか。あの「国民的家族」に投影しつつ解説する。<読む前の大使寸評>パラパラとめくると・・・アベノミクスとは富裕層や中央官僚のための財政政策であることが、明解に説かれているようです。rakuten2015年磯野家の崩壊【芸術闘争論】村上隆著、幻冬舎、2010年刊<「BOOK」データベース>より日本芸術界の欺瞞の歴史と、その安楽な生き方と、闘う。【目次】第1章 今日のアートー情況と歴史(美術、アート、芸術、横文字の「ART」/「西欧式のART」とは何か ほか)/第2章 鑑賞編(『現役美大生の現代美術展』という実践/洗脳解除 ほか)/第3章 実作編(絵を作る/コンテクストと個性 ほか)/第4章 未来編ーアーティストへの道(日本のロウアートマーケット/アートの地政学 ほか)<読む前の大使寸評>この本を読んで・・・今では功成った村上さんから、現代芸術という海千山千の世界で戦うノウハウが得られるのではないかと思った次第です。rakuten芸術闘争論【紅茶スパイ】サラ・ローズ著、原書房、2011年刊<「BOOK」データベース>より19世紀、中国がひた隠ししてきた茶の製法とタネを入手するため、英国人凄腕プラントハンター/ロバート・フォーチュンが中国奥地に潜入…。アヘン戦争直後の激動の時代を背景に、ミステリアスな紅茶の歴史を描いた、面白さ抜群の歴史ノンフィクション。<読む前の大使寸評>ちょっと硬い視点かもしれないけど、アヘン戦争当時のイギリスの帝国主義、植民地主義を知りたいわけでおます。rakuten紅茶スパイ***************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き167
2016.08.30
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<『街場の読書論』4>図書館で内田樹著『街場の読書論』という本を手にしたのです。なんか既視感のある本だけど、まっいいかと借りたのだが・・・帰って調べてみると、今年の5月に借りていることが分かりました(イカン イカン)。【街場の読書論】内田樹著、太田出版、2012年刊<「BOOK」データベース>より本はなぜ必要か。強靱でしなやかな知性は、どのような読書から生まれるのか。21世紀とその先を生き抜くための、滋味たっぷり、笑って学べる最強読書エッセイ。<読む前の大使寸評>内田先生の説く読書論なら、読むしかないでしょう。今までこの本を見落としていたのが、大使の手落ちでおます。rakuten街場の読書論Googleと中国の対立を、見てみましょう。<Googleのない世界>よりp337~338 中国政府の検閲の停止を求める交渉が決裂して、Googleが中国から撤退することになった。 香港経由で検閲なしのサービスを開始するが、すでに香港版サイトには中国本土からの接続が困難になっている。接続者の殺到によるものか、中国政府の妨害かはまだわかっていない。 「Googleがない世界」に中国が取り残された場合、それがこれからあとの中国における「知的イノヴェーション」にどれほどのダメージを与えることになるのか、今の段階で予測することはむずかしい。だが、この「事件」によって中国経済の「クラッシュ」は私が予想しているより前倒しになる可能性が高くなったと私は思っている。 中国の経済成長はいずれ停滞する。 それは不可避である。 これまで右肩上がりの経済成長を永遠に続けた国は存在しない以上、中国の成長もいずれ止まる。その成長をブロックする主因は、「知的イノヴェーション」の重要性を見誤ったことにある。 中国の危機は「著作権」についての施策において予兆的に示されている。 ご存知のようにかの国においては他国民の著作物の「海賊版」が市場に流通しており、コピーライトに対する遵法意識はきわめて低い。それによって、現在のところ中国国民は廉価で、クオリティの高い作品を享受できている。 国際的な協定を守らないことによって、短期的には中国は利益を得ている。 けれども、この協定違反による短期的な利益確保は、長期的には思いがけない国家的損失をもたらすことになると私は思う。 それは「オリジネイターに対する敬意は不要」という考え方が中国国民に根付いてしまったことである。 誰が創造したものであろうと、それを享受する側はオリジネイターに対して感謝する必要も対価を支払う必要もない。黙って、コピーしてそれを売って金儲けするのは「こっち」の自由だ。国民の多くがそういう考え方をする社会では「オリジナルなアイディア」をもつことそれ自体の動機づけが損なわれる。論理的には当然である。 「新しいもの」を人に先んじて発明発見した場合でも、それはエピゴーネンや剽窃者によってたちまちむさぼり食われ、何の報奨も与えられない。それが「ふつう」だという社会においては、「オリジナルなアイディア」を生み出し、育てようという「意欲」そのものが枯渇する。 みんなが「誰かのオリジナル」の出現を待つだけで、身銭を切って「オリジナル」を創り出すことを怠るような社会は、いずれ「そこにゆかなければ『ほんもの』に出会えないもの」が何もない社会になる。 「オリジネイターに対する敬意」をもたない社会では、学術的にも芸術的にも、その語の厳密な意味における「イノヴェーション」は起こらない。 イノヴェーティブな人々はもちろんどこでも生まれるけれど、彼らは「中国にいても仕方がない」と考えるからである。彼らのイノヴェーティブな才能の創造した作品は、公開されたとたんに剽窃者に貪り喰われてしまうからである。彼らはうんざりして、オリジナリティに対する十分な敬意と報酬が約束される社会に出て行ってしまう。 中国は欧米先進国のテクノロジー水準に「キャッチアップ」する過程で、緊急避難的に「オリジネイターに対する敬意」を不要とみなした。百歩譲って、そのことは「緊急避難」的には合理的な選択だったと言ってもいいかもしれない。 けれども、それは社会生活の質がある程度のレベルに達したところで公的に放棄されなければならない過渡的措置である。中国政府はどこかの時点で、この「過渡的措置」を公式に放棄し、人間の創造性に対する敬意を改めて表する機会をとらえるべきだったと思う。 けれども、中国政府はすでにそのタイミングを逸した。 創造的才能を「食い物」にするのは共同体にとって長期的にどれほどの致命的な不利益をもたらすことになるかについて、中国政府は評価を誤まったと私は思う。 Googleの撤退も同じ文脈で理解すべきだと思う。 これは「クラウド・コンピューティング」というアイディアそのものが中央集権的な情報管理政策と両立しないという重い事実を表している。『街場の読書論』1:『日本辺境論』中国語版序文『街場の読書論』2:読書と書籍購入者、Twitterとブログの違いについて『街場の読書論』3:「世界の最後」に読む物語
2016.08.30
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図書館で『世界中で水素エネルギー社会が動き出した』という本を手にしたのです。自民党政権が、なしくずしの原発再稼動を推進する昨今であるが・・・・選択肢として水素エネルギー社会を目指すことは、望ましいエネルギーミックスではないだろうか。【世界中で水素エネルギー社会が動き出した】幾島賢治, 幾島嘉浩、シーエムシー出版、2016年刊<「BOOK」データベース>より【目次】第1章 世界の水素社会/第2章 水素社会を構築する仕組み/第3章 水素の製造方法/第4章 水素の原料/第5章 水素の運搬技術/第6章 水素の貯蔵技術/第7章 水素社会を目指す世界の国々/第8章 水素社会の誕生を目指す支援/第9章 水素関連企業/第10章 水素エネルギーの次は何か<読む前の大使寸評>自民党政権が、なしくずしの原発再稼動を推進する昨今であるが・・・・選択肢として水素エネルギー社会を目指すことは、望ましいエネルギーミックスではないだろうか。rakuten世界中で水素エネルギー社会が動き出したシェールガスは黒船のように、日本のエネルギー政策に大きなインパクトを与えているのだが・・・シェールガスの将来あたりを見てみましょう。p53~54■1.3 シェールガスの将来 米国で急激に生産量を拡大してきたシェールガスであるが、急激な増産のために天然ガス価格は大幅に下落し、また増産ブームのために鉱区の土地賃借料の急激な上昇や生産井の建設コストの急激な上昇を招くなど、米国での事業の採算性は急激に悪化している。資本力を持つメジャー各社が米国のシェールガス事業に本格参入したことから、中期的には秩序を持った生産へと移行していく可能性が高い。メジャー各社は、欧州や世界各地のシェールガス田の権益確保に積極的に動いている。 天然ガス価格の高い国・地域でのシェールガス開発事業取り組みが今後加速する可能性が高いと考えられる。また、事業の拡大に伴い、水圧破砕技術の高度化による経済性の向上や環境対策が一層進展し、シェールガスがエネルギー資源として大きな役割を担っていくと考えられる。 米国では1990年代から新しい天然ガス資源として重要視されるようになり、カナダ、ヨーロッパ、アジア、オーストラリアのシェールガス資源も注目され、2020年までに北米の天然ガス生産量のおよそ半分はシェールガスになると予想している。さらにはシェールガス開発により世界のエネルギー供給量が大きく拡大すると予想されている。どうもこの将来予測では要領を得ないのだが・・・昨今のシェールガス動向をネットで見てみましょう。米国と中東産油国との価格チキンレースは、どうも中東産油国が優勢のようですね。2016-04-28シェール革命、失敗か?原油安に窮するシェール企業続出より アメリカで一大ムーブメントを巻き起こした、シェールオイル、シェールガス。シェール(頁岩)を水圧破砕し、その間に閉じ込められていたガスやオイルを組み上げる手法を開発、シェール層が全土に広がるアメリカは一気に世界最大の産油国となった。2015年12月には40年間にわたって封印してきた原油の輸出を解禁、アメリカ産の原油が世界市場に出回ることとなった。アメリカ中部や東部ではゴールドラッシュならぬシェールラッシュが巻き起こっていた。 そのシェール企業が今、危機にさらされている。25日の日経新聞夕刊が、15年からのシェール企業の倒産件数は60社を超え、負債総額は200億ドル(2兆円)にも達すると報じた。記事では、その主要な原因は原油安にあるとしている。 WTI原油価格はシェール革命が世間を騒がせ始めた2012年ごろから14年中旬にかけて、原油1バレル(約158.9リットル)はおよそ110ドルから100ドルで推移していた。同時多発テロ、その後のテロとの戦いにより、中東からの石油供給に不安があったことも影響して原油価格が高騰していた。それがシェールオイル・ガスの開発が進んだことにより14年6月を境に下落が始まる。16年4月27日時点では1バレル約44ドルにまで減少してしまった。実に60%の減少である。底を打ったと言われる原油価格ではあるが、この値段では採算割れを起こす企業が続出したのである。その結果、中堅シェール企業のグッドリッチ・ペトロリアムが今月中旬に経営破綻するなど、企業破綻が相次いだのだ。 今年1月からはイランの経済制裁が解除されたということもあり、原油は世界的な供給過剰な状態となっている。それにもかかわらずサウジなど従来の産油国も、アメリカも、石油生産量を下げる姿勢は見せていない。もし自国が生産量を落としたら、他国にそのシェアを奪われてしまうという危機感が、供給過多を続けさせているのである。まさに原油チキンレースといった様相だ。 シェールオイル・ガスにより人類は新たな手法でエネルギーを獲得することができるようになった。ただ、現時点においては、シェール革命自体が供給過多の一因となっており、まさに自らの首を絞めている状態となっている。性急に過ぎた開発により、シェール革命は失敗の様相を呈している。この記事もシェールガスに期待できるか?3に収めておきます。『世界中で水素エネルギー社会が動き出した』1
2016.08.29
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<『逃亡くそたわけ』>図書館で絲山秋子著『逃亡くそたわけ』という本を手にしたのです。絲山秋子のエッセイを読んだあとなんで・・・彼女の小説ならイケてるんじゃないかと期待するのです♪【逃亡くそたわけ】絲山秋子著、中央公論新社、2005年刊<「BOOK」データベース>より逃げるのに理由なんていらない。川端康成文学賞作家、糸山秋子初の書き下ろし長編小説。<読む前の大使寸評>絲山秋子のエッセイを読んだあとなんで・・・彼女の小説ならイケてるんじゃないかと期待するのです♪rakuten逃亡くそたわけ逃亡劇の途中、阿蘇のあたりを見てみましょう。p83~85 「これだよ、これポルシェ。カレラ4。かっこいいだろ」 駐車場に戻ると、なごやんがルーチェの隣に停めてある黒の筑豊ナンバーを顎で指して言った。 「カエルのごたあ顔しとう」 「わかってないなあ」 あたしは、ルーチェの運転席に乗り込んで、ハンドルが思いきり切ってあることも考えずにそのまま発信した。クラッチを離しそこなって急発進になった。 なごやんが「きゃあああ」と叫ぶのと、ガガガガ、というびっくりする程大きな音がしたのは全く同時だった。 エンストして止まったルーチェは黒いポルシェとぴったりくっついていた。どうしようと思ったけど、エンジンをかけ直してアクセルを踏むと、さらにものすごい音がしたので、慌てて反対にハンドルを切った。2速に入れて右を見ると、ポルシェのドアに大きな凹みがあり、ドアミラーがちぎれてワイヤーでぶらさがっていて、それがどうやらあたしのしでかしたことらしかった。 「花ちゃん、いいから逃げろ!」 なごやんが叫んだ。あたしは頷く暇もなく駐車場を出てどんどん坂を下り、分岐で、来た方と違う道へと向かった。一目散に逃げた。車は下り坂で勝手に加速して、カーブをふくらみまくりながら曲がった。真っ暗な鼓動に支配されてしまう躁のように危険だった。見かねたなごやんが、 「まったく、俺が見てなきゃだめなんだなあ」 と言って、運転を代わってくれて、ルーチェは今度は巧みなハンドルさばきに応えて一路逃走した。対向車は数えるほどしかいなくて、前にも後ろにも車はいなかった。 「火口でさあ、ヤクザっぽい人いたじゃん、きっとあいつのだよ、やばいよ、捕まったら半殺しにされる。・・・・ドラム缶にコンクリ詰めになって別府湾に沈められるかもしれない」 なごやんはぶつぶつ言っていて、あたしはいつまでも怖くてドキドキが鎮まらず、汗がだらだら流れているのに手足が冷たかった。こんな最悪の状況なのにTheピーズは、 出来るだけ無理してでも同じトコにいよう やっとハッピー 文句ねえ 張り切ってしまえ と明るく歌っていた。 「なごやん、ごめん」 「え?」 「下手くそでから、車ぶつけてごめん」 「俺のメルセデス? 全然問題ないよ。傷なんて勲章だよ」 なごやんは言った。 「それにさ、君は下手くそじゃなくて、それ以下なの。無免許なんだから」 「だけん、ポリにつかまったら余計怖いたい」 「捕まらなきゃいいのさ」 あたしはなんだかしゅんとしてしまった。南阿蘇なら筑豊ナンバーは追って来ないだろうか、きっと来ない。ヤクザは鬼の形相で福岡と熊本を探すだろう。 南阿蘇の南にはなにがあるかわからない。多分、何もない。南しかない。続きを見てみましょう。「亜麻布20エレは上衣一着に値する」という呪文の謎が、ちょっとだけ明かされます。p105~108 ゆるやかなカーブをいくつも抜けて、完全に外輪山の外に出た。目の前には未知の山々が連なっている。高い山はないけれど、越えても越えても緑のうねりがどこまでも続きそうだ。これが「逃げる」ということなんだろうか。知らないところへ、誰も知らないところへ。 「阿蘇の向こうに何かあるなんて考えたこともなかった」 「あれ、ひょっとして霧島?」 「まさか、そげん近くなかよ」 森と道以外、何もない。人間の住んでいる気配がまるでない。 「でもさあ、なんで『資本論』なんだよ」 あたしはシホンロンの何たるかを知らなかった。不思議な中華味がしそうな大きくて美しい鳥が「シホンロン」と鳴く姿が浮かんだ。 「知らん。なしてやろ」 「君って経済学部だったの?」 「ううん、英文科」 「じゃあ『資本論』なんて読まないでしょ」 「シホンロンて何?」 「共産主義の教科書だよ。俺も全部は読んでない。マル経でやっただけ」 「マルケーって何?」 「マルクス経済学。でもなんでだろうな。謎だなあ」 「モトカレが経済学部やった」 と、言い終わるやいなや、じゃあ読んでるんじゃない、つまんねーの、と大きな声でなごやんは言った。 「これで判ったから幻聴でないようになるだろ」 「理由よりメレリルの方があてになると」 そのことは経験から知っている。医師にも、「原因があって発病する人となくても発病する人がいて、あなたの場合は後者だから過去を振り返るよりこれからの生活のしかたを考えましょう」と言われたことがある。 しかし、あたしは『シホンロン』なんて本、読んだことがあるんだろうか。あげな不気味な文章やら覚えとらん。毅はそんな難しそうな本をあたしにすすめるような奴だっただろうか。もう毅のことは忘れようと思うと、余計に「精神病」と言われたことが気になって頭から離れなくなった。 「精神病って彼氏作ったらいかんとかいな」 「なんで?」 「精神病って判ったとたん、振られたと」 「そうなんだ」 「ふつうにしとったのに」 「判らないんだよ。病気じゃない人には」 「そしたら、病人は病人同士しかつきあえんくなるごたあ」 「それは極論だよ。それに健康な人同士だって分かりあえるわけじゃないもの。ヘーゲルだって言ってるよ」 「なんて言いよっと?」 あたしはなごやんの小鼻を見た。 「人間の欲望は他者との相関性にしかないって。自分の意思とか思考が純粋に存在していないのだから他者とわかりあうことを想定すること自体が間違ってるんだってさ」 「いっちょんわからん」なごやんの母語は名古屋弁なんだけど、懸命に東京弁で喋るのです。でも、この本で名古屋弁と博多弁(佐賀弁?)の掛け合いになるヵ所もあるわけで・・・・笑えます♪
2016.08.29
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今回借りた5冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば「手当たり次第」でしょうか♪<市立図書館>・第2図書係補佐・お友だちからお願いします・妖怪漫画・小村雪岱 物語る意匠・世界中で水素エネルギー社会が動き出した<大学図書館>・(今回はパス)図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)************************************************************【第2図書係補佐】又吉直樹著、幻冬舎、2011年刊<「BOOK」データベース>よりお笑い界きっての本読み、ピース又吉が尾崎放哉、太宰治、江戸川乱歩などの作品紹介を通して自身を綴る、胸を揺さぶられるパーソナル・エッセイ集。巻末には芥川賞作家・中村文則氏との対談も収載。【目次】尾崎放哉全句集/昔日の客/夫婦善哉/沓子(『沓子・妻隠』より)/炎上する君/万延元年のフットボール/赤目四十八瀧心中未遂/サッカーという名の神様/何もかも憂鬱な夜に/世界音痴〔ほか〕<読む前の大使寸評>今年の5月に借りていたことが分かりました。rakuten第2図書係補佐第2図書係補佐byドングリ【お友だちからお願いします】三浦しをん著、大和書房、2012年刊<「BOOK」データベース>よりどこを切ってもミウラシヲン(よそゆき仕様・自社比)が迸る。2012年度本屋大賞『舟を編む』に続く、待望の最新エッセイ集。【目次】1章 ひととして恥ずかしくないぐらいには(餌を与えないでください/短くなった父 ほか)/2章 そこにはたぶん愛がある(老婆は行脚する/愛の地下鉄劇場 ほか)/3章 心はいつも旅をしている(キリストの墓とピラミッド/田園風景のカーチェイス ほか)/4章 だれかとつながりあえそうな(包んで贈る十二月/ヒノキのテーブル ほか)<読む前の大使寸評>「こんな私でよかったら」と三浦さんは謙遜しているが、かなり期待できそうやでぇ♪rakutenお友だちからお願いしますお友だちからお願いしますbyドングリ【妖怪漫画】和田京子著、青幻舎、2012年刊<「BOOK」データベース>より日本で古くから描かれてきた妖怪画。不安や畏れといった心象に深く根ざしているにもかかわらず、なぜか日本の妖怪画は恐くない。むしろ生き生きと陽気で、愛嬌たっぷりなのだ。時代の大きな転換期に盛んに描かれてきた妖怪画は、現代を生きるわたしたちの目にいかに映るだろうか。「百鬼夜行絵巻」をはじめとした妖怪絵巻物15本、序文:辻惟雄/特別対談:辻惟雄×板倉聖哲を収録。<読む前の大使寸評>日本の妖怪画は生き生きと陽気で、愛嬌たっぷりだそうだが・・・その訳を知りたいのです。amazon妖怪漫画【小村雪岱 物語る意匠】大越久子, 埼玉県立近代美術館、東京美術、2014年刊<「BOOK」データベース>より小村雪岱は、大正から昭和の戦前期にかけて、装幀、挿絵、舞台美術など、多彩な分野で名を馳せた美術家です。本書では、雪岱の仕事に共通する天性の魅力を「意匠」ととらえ、その才能を最も開花させた装幀と挿絵の世界を中心に紹介します。【目次】1 鏡花本の世界/2 ふたりの女おせんとお傳/3 装幀の仕事/4 挿絵の仕事/5 雪岱のわすれがたみ<読む前の大使寸評>小村雪岱の版画と装丁による本は、宝石のように美しいのだが・・・この本の装丁もまあまあでんな♪rakuten小村雪岱 物語る意匠小村雪岱 物語る意匠byドングリ【世界中で水素エネルギー社会が動き出した】幾島賢治, 幾島嘉浩、シーエムシー出版、2016年刊<「BOOK」データベース>より【目次】第1章 世界の水素社会/第2章 水素社会を構築する仕組み/第3章 水素の製造方法/第4章 水素の原料/第5章 水素の運搬技術/第6章 水素の貯蔵技術/第7章 水素社会を目指す世界の国々/第8章 水素社会の誕生を目指す支援/第9章 水素関連企業/第10章 水素エネルギーの次は何か<読む前の大使寸評>自民党政権が、なしくずしの原発再稼動を推進する昨今であるが・・・・選択肢として水素エネルギー社会を目指すことは、望ましいエネルギーミックスではないだろうか。rakuten世界中で水素エネルギー社会が動き出した***************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き166
2016.08.28
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図書館で『小村雪岱 物語る意匠』という本を手にしたのです。小村雪岱の版画と装丁による本は、宝石のように美しいのだが・・・この本の装丁もまあまあでんな♪【小村雪岱 物語る意匠】大越久子, 埼玉県立近代美術館、東京美術、2014年刊<「BOOK」データベース>より小村雪岱は、大正から昭和の戦前期にかけて、装幀、挿絵、舞台美術など、多彩な分野で名を馳せた美術家です。本書では、雪岱の仕事に共通する天性の魅力を「意匠」ととらえ、その才能を最も開花させた装幀と挿絵の世界を中心に紹介します。【目次】1 鏡花本の世界/2 ふたりの女おせんとお傳/3 装幀の仕事/4 挿絵の仕事/5 雪岱のわすれがたみ<読む前の大使寸評>小村雪岱の版画と装丁による本は、宝石のように美しいのだが・・・この本の装丁もまあまあでんな♪rakuten小村雪岱 物語る意匠挿絵といえば、モノクロームの線描画が主となるが・・・雪岱の挿絵が素晴らしいわけで、線描画の達人というべきか♪p120<挿絵の仕事> 雨や家並みを刻む繊細だがゆるぎない直線、ひょろりと引き伸ばされた女の姿態、小さな画面の中の深い奥行き、光とも闇ともつかない白と黒の面がぶつかり合う大胆な構図、凄みのある場面にふと揺れる秋草、群のリズムと個のリズムの使い分け・・・・。 硬と軟を織り交ぜつつ、意表を突く解釈で挿絵に独自の境地を切り開いた雪岱。感情表現の起伏は控えめながら、彼ほどに見せ場を心得、洗練されたモノクロームの味わいを生みだす挿絵画家はそういない。その挿絵の一枚一枚は、もし小説を離れたとしても十分に鑑賞に堪える独立独歩の魅力を持っている。 挿絵のデビューは、装丁の仕事が少しずつ注目されてきた大正11年。里見淳が『時事新報』に連載して「多情仏心」である。資生堂に出社し、夕方までに1枚仕上げて帰りに新聞社に届ける毎日であったというのだら呑気な時代である。続く鏡花の「山海評判記」で古今東西が混沌とした時空表現の洗礼を受け、雪岱調の片鱗があらわれてくる。この辺りからぐっと注文が増えてきて、昭和8年、江戸情緒を得意とする邦枝完二の「おせん」で江戸と現代の感覚との調和がとれた洒脱な作風が評価され、誰もが認める人気挿絵作家として一気に花開いた。 後に「髷物以外のものも描きたかった」と漏らしたほど、股旅物をはじめとする時代物にお呼びがかかることが多く、純文学から大衆小説まで、生涯に200作に及ぶ作品を手がけた。愛用していたのは、腰のやわらかい面相筆である。 雪岱が活躍したのは、大量印刷の技術と全国的な流通網の整備に伴う大衆文芸の隆盛期であった。読んでも見ても楽しい廉価な雑誌として、まず大正11年4月に、雪岱の活躍の場となった『週刊朝日』と『サンデー毎日』が、さらに『キング』『大衆文芸』『富士』『オール読物』などが続々と発刊され活況を呈した。新聞の発行部数も伸びた。 挿絵は雑誌や新聞の売上を大きく左右したことから、読者の興味をそそるように、小説の引き立て役以上の力量が求められ、浮世絵系、正統派の日本画系、洋画系、そして挿絵を専門とする画家たちが腕を競い合った。紙上はさながら賑やかな展覧会場のように沸き立ったが、その中にあって雪岱の挿絵は平明で凛とした強さがあり、特に浮世絵風の美人を描かせたら右に出る者がいなかった。小村雪岱の画像より『小村雪岱 物語る意匠』1
2016.08.28
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図書館で『小村雪岱 物語る意匠』という本を手にしたのです。小村雪岱の版画と装丁による本は、宝石のように美しいのだが・・・この本の装丁もまあまあでんな♪【小村雪岱 物語る意匠】大越久子, 埼玉県立近代美術館、東京美術、2014年刊<「BOOK」データベース>より小村雪岱は、大正から昭和の戦前期にかけて、装幀、挿絵、舞台美術など、多彩な分野で名を馳せた美術家です。本書では、雪岱の仕事に共通する天性の魅力を「意匠」ととらえ、その才能を最も開花させた装幀と挿絵の世界を中心に紹介します。【目次】1 鏡花本の世界/2 ふたりの女おせんとお傳/3 装幀の仕事/4 挿絵の仕事/5 雪岱のわすれがたみ<読む前の大使寸評>小村雪岱の版画と装丁による本は、宝石のように美しいのだが・・・この本の装丁もまあまあでんな♪rakuten小村雪岱 物語る意匠p14~15<雪岱と鏡花> 妖美と幻想の文豪、泉鏡花は雪岱にとってまさしく運命の人であった。「雪岱」の画号を授けたばかりでなく、装丁家、挿絵画家への道を開き、美的感性を磨く場を与えた。鏡花なくして雪岱を語ることはできない。 鏡花より14歳年下の雪岱は、美術学校在学中にその作品を初めて知り愛読者になった。卒業制作においてすでに、鏡花の小説「春昼」を主題にしている。知人宅で思いがけなく出合った日のことを、「それはそれは色の白い小柄な、丁度勝気な美人が男装をした様な方で、私は全く驚いて仕舞いました」と回想している。明治40年頃のことである。 その鏡花が大正3年、書きおろしの単行本『日本橋』の装丁者に無名の雪岱を抜擢した。そもそも初めての装丁の仕事である。どれほど嬉しかったか知れないが、書き終えるまで題名を知らされず、「日本橋」と聞いて大急ぎで表紙を描き直した。それは、隅田川を行き交う荷船と白壁の並蔵に蝶が乱舞する、白昼夢のような光景。 見返しには、花街の四季の風情。小説の舞台となった日本橋界隈のたたずまいは、日本橋檜物町で青春を送った雪岱にもとりわけ親しいものであった。清廉な出来栄えに焦りや緊張の様子は微塵もない。この初仕事がたいそう評判となり、雪岱は装丁家として一躍注目されるようになる。 以来、「総じて泉先生の作物を絵にする事は非常に困難で、あの幽玄な風格を表すのは全く至難な業です」としながらも、鏡花の磨き抜かれた言葉の一つ一つをすくい上げるような情趣で視覚化し、その後に刊行された著作の大半を美しい意匠でしつらえた。名コンビなどと呼ばれたら雪岱は恐縮するに違いないが、その装丁は本の宣伝にも謳われたほどで、今日もなお雪岱の手になる鏡花本は古書愛好家の垂涎の的である。 花街や下町の風情を愛したこと、幼くして別れた母への追慕が創作の源泉の一つであったことなど、二人の感性には共通点があり、雪岱は鏡花の清澄なロマンティシズムに深く共鳴した。また、雪岱は鏡花の作品世界をよく理解しただけでなく、極度の潔癖性で一風変わったその性癖にもうまく寄り添って、終生親交を重ねた。 二人の交流が深まるにつれて、雪岱の世界もどんどん広がっていく。鏑木清方、水上瀧太郎、久保田万太郎ら鏡花を敬愛する者たちが集う親睦会、九九九会で粋人たちと交流することで、彼らの著書をはじめとして、装丁の依頼が増えた。人気挿絵画家への道も、九九九会の仲間の一人である里見淳が、新聞連載小説「多情仏心」の担当に雪岱を起用したことに始まる。 会にちょくちょく呼ばれた芸妓の中には雪岱が描く美人画のモデルとなった者もいたし、何よりも『日本橋』で描かれた主題や構図は、その後も変奏曲のように雪岱の様々な作品の中で繰り返され、その作風を特徴づけるものとなった。小村雪岱の画像より
2016.08.27
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図書館で三浦しをん著『お友だちからお願いします』という本を手にしたのです。「こんな私でよかったら」と三浦さんは謙遜しているが、かなり期待できそうやでぇ♪【お友だちからお願いします】三浦しをん著、大和書房、2012年刊<「BOOK」データベース>よりどこを切ってもミウラシヲン(よそゆき仕様・自社比)が迸る。2012年度本屋大賞『舟を編む』に続く、待望の最新エッセイ集。【目次】1章 ひととして恥ずかしくないぐらいには(餌を与えないでください/短くなった父 ほか)/2章 そこにはたぶん愛がある(老婆は行脚する/愛の地下鉄劇場 ほか)/3章 心はいつも旅をしている(キリストの墓とピラミッド/田園風景のカーチェイス ほか)/4章 だれかとつながりあえそうな(包んで贈る十二月/ヒノキのテーブル ほか)<読む前の大使寸評>「こんな私でよかったら」と三浦さんは謙遜しているが、かなり期待できそうやでぇ♪rakutenお友だちからお願いしますエッセイ集から、その一つを見てみましょう。p62~63<物忘れのマナー>より 最近、単語がすんなり出てこない。脳内ではちゃんと正解が浮かんでいるのに、いざ口にしようとすると、激しく言いまちがえてしまう。 「ほら、あそこですよ。観覧車があって、デートでカップルがよく行くという・・・・。『百貨店』じゃない、『展覧会』じゃない、えーと・・・・、『遊園地』!」 といった調子で、これは加齢による物忘れの一種ではないかとおののいている。 いっそのこと、「自分にとって都合の悪い言葉は、すべて言いまちがえる」というのはどうだろう。 「年末も近づき、街はイルミネーションで彩られてますねえ。つい先日なんか、赤い服着て白いヒゲ生やしたひとが、『おいしいケーキはいあかがですか』なんて、店のまえで通行人に呼びかけたりしてさ。チビッコたちも、『ママー。今夜、赤い服着て白いヒゲ生やしたひと、うちにも来てくれるかなあ』なんて、楽しみにしちゃってさ。ほんと、胸躍るイベントですよね。えーと・・・・、『栗きんとん』って!」 この調子で、恋人たちが浮かれさんざめくという例のイベント名は、意地でも口に出さない。栗きんとんケーキ。栗きんとんプレゼント。ホワイト栗きんとん。 おお、いい感じではないか。例のイベント名を栗きんとんと言いまちがえるだけで、こんなにも穏やかな心持ちになれるとは。 人間、ときとして攻めの姿勢も大切だ。物忘れを食い止めるのではなく、積極果敢に物忘れしていく! そう心に決めた私は、都合の悪い言葉を自分の脳裏からどんどん消去していった。 すると、「結婚」や「交際」といった単語を耳にするたび、自然と意識が遠のき、無我の境地に至るようになったのである! けっこん? こうさい? なにその単語、私の脳内辞書には記載されてないから、よくわかんない。いや、わかんないと感じる自分すらも存在しなくなり、まったくの「空」。悟りとは、悟ったと思う自意識すら消滅した状態だという。ややもするとそれに近い、高僧なみの境地だ。 おかげさまで、「あなたはいったいいつ結婚するの。このままじゃあ、私も安心して死ねませんよ」と齢90を超える祖母にかき口説かれても、心は平穏そのもの。「大丈夫!祖母孝行だと思って、その『結婚』とやらをしないようにするから、おばあちゃんは130歳ぐらいまで生きてね!」と切り返す余裕の態度を見せている、 念には念を入れて、祖母の脳裏からも「結婚」の単語を消去したいところなのだが、齢90を超えてるわりに、祖母はしゃっきりしている。 物忘れっていいものですわよ、おばあさま。もう一つ、ブチャイクを見てみましょう。p265~266<ブチャイクよ永遠に>より 猫を飼ったことがない。友人の飼い猫をニボシと引き換えに無理やり撫でさせてもらったり、門柱のうえで昼寝中の野良猫をそっと突ついては「シャーッ」と言われたり、腰の引けたつきあいしか築けない。 すごく好きな相手なのに、洗練とは程遠い愛情表現しかできないとは、中学校男子みたいだ。「ふんっ、おまえとかかずらっている暇はないわい」と言わんばかりに立ち去っていく猫を見るたび、「また友好条約の締結には至らなかった・・・・」と切なくなる。でも、猫のつれなさ、媚びない気高さが、またいいのだ。 私がはじめて間近に見た猫は、父が学生時代にお世話になった下宿屋さんで飼われていた。 父は社会人になってからも、年末か年始には下宿屋さんに挨拶に行った。私も父に連れられて、何度か一緒に下宿屋さんに行った。 そこにはお婆さんと、お婆さんと同じくらい年を取った猫がいた。三毛猫だった気がするが、定かではない。模様なんて記憶からブッ飛ぶぐらい、太っていた。畳に腹がこすれるほどで、足がほとんど見えないのだ。 とてもかしこい猫で、私たちの訪れを知ると、のっしのっしとやってきて「ナア」と挨拶する。あとはおとなしく、お婆さんと一緒に炬燵に当たっている。大人たちの会話に飽き、私がもぞもぞしはじめるや否や、その猫は必ずにじり寄ってきて、あやすように私の脚を短い尻尾で軽く叩いてくれる。 どうして私の気持ちがわかるんだろうと、本当に不思議だった。それでいて、気軽に撫でさせてはくれないのだ。あまりに神々しく、なおかつ太っていたので、「この炬燵があったかいのは、もしかして猫が神秘の力で発熱しているのではないか」と思い、炬燵布団を上げて猫の様子を何回も確認したほどだ。 猫とお婆さんは、ほぼ同時期に亡くなったそうだ。 それ以来、太った猫につい目が行く。 実家の庭に出没する野良猫に、ブチャイクというのがいる。不細工な茶色い猫なので、ブチャイクと勝手に命名した。こいつが体格も素行も大変ふてぶてしい。 庭に並んだ植木鉢を、すべて蹴倒して歩く。「王の行く道を邪魔するものは、すべて排除する」と堅く決心しているらしい。アロエが折れ、パンジーの花がつぶれた。私はもちろん、「ブチャイクー!」と怒声を上げて庭にまろび出るのだが、ブチャイクはちょっと振り返ってみせるだけで、悠然と歩み去っていく。 あんたなんで、「俺に惚れるな、火傷するぜ」って態度なんだよ。地団駄を踏みつつ、鉢をもとに戻す。悔しいけれど、王様ぶりを見せつけるブチャイクに、なんだかキュンとしてしまうのも事実だ。
2016.08.27
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関西圏では猛暑日が連続していて、さすがにアホな大使も、クーラーをかけずに家にいるのは耐えられないわけで・・・・で、結局、クーラーがかかった図書館に避暑にでかけることになるのです。 <『言葉を離れる』2>図書館に予約していた『言葉を離れる』という本をゲットしたのです。この本は2015年「講談社エッセイ賞」受賞作とのこと・・・・期待できそうやでぇ♪【言葉を離れる】横尾忠則著、青土社、2015年刊<「BOOK」データベース>より小説と画家宣言、少年文学の生と死、映画の手がかり…観念ではなく肉体や感覚の力を信じ続けてきた画家が、言葉の世界との間で揺れ動きながら、自伝的記憶も交えて思考を紡ぎ出す。 <読む前の大使寸評>2015年「講談社エッセイ賞」受賞作とのこと・・・・期待できそうやでぇ♪<図書館予約:(8/17予約、8/23受取)>amazon言葉を離れるゴーギャンの「遺言」あたりを見てみましょう。p171~178<運命を手なずける>より 運命に関してはしばしば語ってきましたが、何度語っても考えても自分の運命についてはゴーギャンの死の6年前に描かれた《われわれは何処から来たのか、われわれは何者か、われわれは何処へ行くのか》という作品の題名同様、疑問ばかりが残るのです。ゴーギャンにとってこの主題は自らに対すると同時に人類へのメッセージでもあったようです。彼はこの作品の主題は「福音書にも匹敵すべき」ものと述べており実質的に彼の「遺言」でもあったように思われます。(中略) 三島さんは文学者でありながら言葉を信じてないと言っていました。言葉は肉体から発したものですが絵画ほどには肉体的ではありません。絵画は言葉ではありません。絵画は肉体です。文学は論理的で観念的です。いくらでもウソもつきます。絵はウソをつけないのです。もしウソをついて絵を描いたとしても、「ウソをついた絵」としてすぐバレてしまいます。 肉体がウソをつけないように絵は絶対ウソがつけない、故に絵は恐ろしいものです。そうすると運命はウソをつくのでしょうか。もし運命がウソをつけば人間は破滅してしまうような気がします。では破滅した人生の運命はウソをついた結果なのでしょうか。 ぼくは運命は何か生まれる以前に約束された契約のような気がするのです。その約束をちゃんと魂が記憶していてその記憶が肉体の内なる声としてその人につぶやくように思うのです。心の声ではなく、あくまでも肉体をメディアにした魂の声です。 魂を源泉に肉体を経由して発せられた声こそ約束された運命の声だと思います。その運命の声を聞ける人と、そうでない人がいるように思います。その内なる声(運命の声)に忠実に従った者は運命の路線から踏みはずすようなことはないのではないでしょうか。(中略) ではゴーギャンは破滅人生を送った芸術家でしょうか。そうではないと思います。むしろ魂の声に従った生き方をした芸術家です。彼の芸術は彼自身も気づいていたと思いますが、人類のためにあの「遺言」の作品を描かされたように思います。それはゴーギャンの使命でもあるからです。天が与えた使命を遂行した結果が彼のあの作品です。『言葉を離れる』1
2016.08.26
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図書館で『第2図書係補佐』という本を手にしたが・・・・なんか既視感のある本だなあ。帰って調べてみると、今年の5月に借りていたことが分かりました(イカン イカン)。【第2図書係補佐】又吉直樹著、幻冬舎、2011年刊<「BOOK」データベース>よりお笑い界きっての本読み、ピース又吉が尾崎放哉、太宰治、江戸川乱歩などの作品紹介を通して自身を綴る、胸を揺さぶられるパーソナル・エッセイ集。巻末には芥川賞作家・中村文則氏との対談も収載。【目次】尾崎放哉全句集/昔日の客/夫婦善哉/沓子(『沓子・妻隠』より)/炎上する君/万延元年のフットボール/赤目四十八瀧心中未遂/サッカーという名の神様/何もかも憂鬱な夜に/世界音痴〔ほか〕<読む前の大使寸評>今年の5月に借りていたことが分かりました(イカン イカン)。rakuten第2図書係補佐絲山秋子の『逃亡くそたわけ』を見てみましょう。p139~142<『逃亡くそたわけ』>より 今僕はこの文章を書きながら逃げている。 それは比喩という言葉遊びなどではなく、実際に髪を振り乱し息を切らし左に東京タワーを見ながら国道を全速力で走っているのだ。逃げながら文章を書くのは大変難しいのだが、奴に捕まると面倒だから兎に角逃げようと思う。この原稿の締め切りは今日なのだ。 振り返れば僕の人生は逃げ続けた人生であった。十代の頃に街で不良にからまれると僕は必ず逃げた。僕に「戦う」という選択肢はなかった。唯一、「逃げる」という行為からは絶対に逃げなかった。あまりにも不良にからまれ過ぎるため、僕は不良にからまれそうな状況に陥っても何とか未然に防げる独自の対処法を身に付けた。 不良と目が合うとする。それが1秒未満の時はスグに目をそらす。不良は見られることを極度に嫌がるので1秒以上は絶対に目を合わせてはいけない。もしも、1秒以上目が合ってしまった時は、「コンタクトレンズがずれて目が痛い」という演技をする。すると、不良は「何だ、こちらを睨んでいたのではなく目に生じた違和感を確認している時にたまたまこちらに顔を向けていただけか」となる。 【『逃亡くそたわけ』あらすじ】自殺未遂を起こし精神病院に入院している主人公・花ちゃんが、入院中の若い男・なごやんを半ば強引に誘い、病院から逃亡を図る。福岡から鹿児島まで、おんぼろ車で逃げ続ける男女のひと夏の物語。このところ、絲山秋子のミニブームになった感があるなあ♪『絲的メイソウ』3中村文則氏との対談で、太宰開眼あたりを見てみましょう。p218~221中村:太宰は教科書ではなく、本で読んだんですか?又吉:本でした。中村:漫画とかよりも小説にいったということですよね?又吉:そうですね。中村:そこが普通の人と違っていて、自分の手に届く範囲でまず本を読んで、その本を好きになる経験ってもちろん多いと思うんですよ、でも、又吉くんは系譜から広げていった。その広げる一歩が本好きになるかどうかのところなのかなと。芥川から、さらに太宰に手を出す。最初の本はなんですか?又吉:『人間失格』です。中村:なぜ太宰治を読もうと思ったか。その理由って自分でわかりますか?又吉:最初は同級生に、親が本好きな人がいて。僕の性格も知っていたそいつが「お前にうってつけの本があるぞ」ってすすめてくれたのが『人間失格』だったんです。でも、そいつは読めなかったと言っていて、お前だったら読めるんじゃないかと言われたのが、中学2年生の時ですね。中村:「うってつけ」っていう自覚というか・・・・中学校時代は明るくなかったんですか?又吉:そうですね。今も明るくはないですけど(笑)。中村:確かに(笑)。又吉:今はだいぶ明るくなった方ですね。中村:今がマックス?又吉:マックス明るいですね。中学の時は男子としか喋っていなかったですから、共学やったんですけど、女子とはほとんど喋っていないです。中村:それはなぜだったんですか?又吉:なんですかね?中村:思春期にハマッちゃったのかな。人間って誰もが暗い時期を通過するじゃないですか。又吉:たぶんそうですね。元々、人見知りで、親戚のところへ行っても一番大人しい子供やったんです。ただ、小学校低学年の頃はまだ頑張っていたんですよ。みんなに合わせてやっていたら、変に期待されるようになって。それこそ太宰じゃないですけど、「笑かそうとした時は又吉!」みたいなノリがあったんです。でも、だんだんと・・・・自分が疲れてんなということに気付いたんですね。「俺、向いてないな、この感じ」って。中村:(笑)そんなことを言いつつ、今は芸人を。又吉:そうなんです、結局それをやっているんですけどね。その時は「なんかちゃうねんなぁ」と思いながらも、みんなでわーっと騒ぐんですけど、家に帰ったり、休み時間になった時に、独りになりたかったりして。で、小学校から一部の同級生だけがその中学に進む感じやったんで、そこで一気に本来の自分じゃないですけど。中村:もう暗いままでいこうと。又吉:はい。このままにしようと思ったんです。だから、中学1年生の時はどん底かというくらい暗かったですね。『第2図書係補佐』1『第2図書係補佐』2『第2図書係補佐』3
2016.08.26
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<『絲的メイソウ』3>図書館で絲山秋子著『絲的メイソウ』という本を手にしたのです。どのページを開いても・・・・へそ曲りの大使にも響くわけで、エッセイストとしてピカイチなのかも♪【絲的メイソウ】絲山秋子著、講談社、2009年刊<「BOOK」データベース>より「中学生で酒を、高校生でタバコを堂々とやっていた私だが、すき焼きの卵二つはだめだった」。ああ、人生は、なんでジグザグにしか進まないんだ!あっちにぶつかりこっちにぶつかり、ときに迷走、そして瞑想。いつも本気で立ち寄り、本気で考えた毎日を、偽ることなくセキララに描いた、絲山秋子の初エッセイ集。<読む前の大使寸評>どのページを開いても・・・・へそ曲りの大使にも響くわけで、エッセイストとしてピカイチなのかも♪なお、絲山さんはマニュアルの外車に乗っているそうで、またヘビースモーカーでもあるそうで、すごい♪借りたのは、2006年刊のハードカバーです。amazon絲的メイソウ著者の独特な勝ち負け観を見てみましょう。p137~138<勝ち負けなんてしみったれ>より 同居人と共用しているもののなかでは、トイレットペーパーを使い切って新しいものに取り換えるとき、なぜか「負けたよ」と思う。あれはなぜなんだろう。なんとなく、ペーパーの芯に「ざまあみさらせ」と書いてある気がしてくる。不思議なことに私は飲み屋に行っても友人宅に行っても毎回のようにペーパー交換をやっている。連戦連敗だ。 では、勝ったと思うことって一体なんだろうか。せいぜいが、毎晩眠剤を飲んで眠るので、どんな悩みやむかつくことがあっても、眠れなくて苦しむなんてことは滅多にない、熱帯夜でも酷寒の冬でも一服即睡ってことくらいか。「最近暑くて寝苦しい」なんて言葉を聞くとちょっと嬉しくなってしまう。でもそんなことを人に言っても誰も負けたよなんて顔をしないのだ。 年齢的なものもある。子供のころは忘れ物が負けだったが、今は物忘れが負けだ。度忘れして言葉が出てこないのがもどかしい。身悶えするほどくやしい。 だからと言って週に3回もとんかつを食べられなくなったことや、飯なら4杯、酒なら1升飲まなくなったことが負けだとは思わない。それは単に過剰がなくなっただけだ。一生そんな食生活をしたいとは思わない。でも子供のときは食べられなかった茗荷やとろろが美味しくなったことはちょっと得意な気持ち。子供の頃、親が勝ち誇っていた気持ちがわかる。勝ち負けの本質はくやしいと感じる、感じさせる力なのだろうか。 だからそうなのか。本が売れないとか、某賞に落ちたとか、元から不細工な顔がさらにひどい表情で写真に写ってしまったとか、そういうことは実感として負けではない。生活上ならともかく仕事上で、努力でなんともならないことについて、勝ち負けを意識しても仕方がない、と割り切っている。『絲的メイソウ』1『絲的メイソウ』2
2016.08.25
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<言葉を離れる>図書館に予約していた『言葉を離れる』という本をゲットしたのです。この本は2015年「講談社エッセイ賞」受賞作とのこと・・・・期待できそうやでぇ♪【言葉を離れる】横尾忠則著、青土社、2015年刊<「BOOK」データベース>より小説と画家宣言、少年文学の生と死、映画の手がかり…観念ではなく肉体や感覚の力を信じ続けてきた画家が、言葉の世界との間で揺れ動きながら、自伝的記憶も交えて思考を紡ぎ出す。 <読む前の大使寸評>2015年「講談社エッセイ賞」受賞作とのこと・・・・期待できそうやでぇ♪<図書館予約:(8/17予約、8/23受取)>amazon言葉を離れる小説を書いたエピソードを見てみましょう。p199~201<少年文学の生と死> もう今からいくら沢山本を読んでも時間のロスで、大して役にも立ちません。今では本から得る吸収はほとんどゼロです。それよりも意識の深層に耽溺している不透明な雑念を如何に吐き出すか、それしかありません。吐き出す手段はぼくの場合は絵を描くことです。咽がカラカラになるまで吐き出すことが、残された生に対する礼節のような気がします。 どうでもいい読書と平行しながら、ある時ぼくは小説を書きました。ぼくの残された人生の中で小説を書くということほど想定外の出来事はなかったと思います。ぼくが小説を書く羽目になったのは、書籍部から『文学界』に異動した文藝春秋の編集者が、今後のぼくとの交流をためにと小説をぼくに依頼したのです。 その瞬間はぼくは呆れて笑ってしまいましたが、ところがこんな彼の一言が思わずぼくにペンを握らせたのです。そして翌日に30数枚の短篇を書き上げました。それが『文学界』に掲載され、引き続いて追加原稿を書き、短期連載が決まりました。その後この小説が『ぶるうらんど』と題して単行本化されたのです。これで編集者との約束が果たせ、魔が差して描いた小説からも解放されて、再びアトリエのキャンバスに向かうことができました。 それにしても素人小説をよくも『文学界』に掲載してくれたものです。そして小説を書いた記憶も薄れ始めた頃、単行本の『ぶるうらんど』に泉鏡花文学賞が与えられました。文学者としての認識など全く0です。編集者とのおつき合いで書いた趣味の小説です。そんな生半可な小説に文学賞が与えられたことは、ぼくにとっては大きい驚きでした。だけど、この一作だけでは済まない強迫観念のようなものがジワジワとぼくの中からも外からもやってきていました。 一作だけ書いて姿をくらますのはまるで食い逃げのように思えたので、さらに短篇三作をやはり『文学界』に発表することになりました。そしてそれが再び『ポルト・リガトの館』と題して単行本化されました。その後も他誌からの依頼があり、短篇二作を書きましたが、それで小説は打ち止めです。 小説は言葉との戯れであると同時に心地よい戦いでもありました。それに対して絵画は言葉をぼくの中から排除する作業です。当然ながらぼくに使命があるとすれば、やはり絵を描くことです。やっと小説から解放されて安住の地に戻りました。 ただ小説を書きながら一度も苦痛を味わうことはありませんでした。戦いと言いましたが、まるで戦争ごっこみたいで、描いていて面白くて愉しくて仕方なかったというのが本音です。それは物語を想像していく快感だったと思います。そしてもうひとつは作り話の王国を築きながら戯れることの快感です。 『ぶるうらんど』で描いた世界は死後の世界です。ぼくにとっては死後の世界は特別のものではありません。生きていた時の経験や記憶、想念がそのまま非物質世界に移行するものだと仮定しました。だから死者を死者として描くのではなく生者同様に死後も生活をさせました。生者と異なるのは肉体がないことです。しかし死者とて生者の頃の肉体の記憶は存在しています。余技で書いた小説が文学賞をさらうなんて・・・それはないでしょ、横尾さん。(ついひがみ根性が出る大使である)絵画脳と文学脳は、どこかでつながっているということなんでしょうね♪
2016.08.25
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<ウルトラ―ヤノベケンジ>図書館で『ウルトラ――ヤノベケンジ』という本を手にしたが・・・・ジャンボフェリー甲板のトらやん像、坂手港のアンガー像、茨木駅前のサンチャイルド像など、関西いちえんでモニュメントを展示するヤノベケンジから目が離せないのです。【ウルトラ――ヤノベケンジ】ヤノベケンジ、三木学著、青幻舎、2013年刊<「BOOK」データベース>より【目次】1章 ウルトラプロジェクトからウルトラアートへープロジェクトを超えるプロジェクト アートを超えるアート(パパ・タラフマラ/ウルトラー黒い太陽/水都ーラッキードラゴン/幻燈夜会 ほか)/2章 ウルトラファクトリーーファクトリーを超えるファクトリー(3.11とサン・チャイルドー物事の創造工房/ウルトラテクニック/ウルトラファクトリー2008―2013 ほか)<読む前の大使寸評>ジャンボフェリー甲板のトらやん像、坂手港のアンガー像、茨木駅前のサンチャイルド像など、関西いちえんでモニュメントを展示するヤノベケンジから目が離せないのです。rakutenウルトラ――ヤノベケンジ五十嵐太郎氏の解説を見てみましょう。p125<東日本大震災以降> 稲妻、炎、水などを使う、スペクタクル性が強い大がかりな作品は、ヤノベが2008年からディレクターをつとめる京都造形芸術大学のウルトラファクトリーが協力して実現したものだ。多くの学生がプロジェクトに関わり、彼のもとでドリームチームを結成する一方、ここで学生たちも自らの作品をつくる。アワードを通じた制作補助や実践的な教育を実施し、新しい世代のアーティストを育成する工房だ。 モダニズムの実践的な教育を確立したバウハウスが、新しい時代の総合芸術を社会に送りだしたように、ウルトラファクトリーは多くの若手アーティストを養成し、21世紀のアートを切り開くだろう。ヤノベ自身にとっても、個人による彫刻の制作から、多くの人間が関わるプロジェクト型の作品にパワーアップしやすくなる重要な機関である。 2011年3月の東日本大震災は、巨大津波を引き起こし、原発事故をもたらした。その結果、「ミュトス」展の大洪水や原子力をテーマにした作品群は、事後的に災いの予言的な意味を担ってしまう。言い換えれば、作品が個人の妄想ではなくなり、社会の現実と否応なく、強い関わりをもったのである。ここでヤノベが示した態度は、再びアトムスーツを着用して、原発事故が起きた福島にむかうことではなかった。 また斜に構えて原発を批判いたり、社会を悲観するのではなく、明るく前向きに希望を示すことだった。やはり、アーティストとしての想像力こそが力をもちうる。が、今度はストレートに社会に向けたメッセージとなるだろう。 岡本太郎記念館の「太陽の子・太郎の子」展(2011-2012)において、初めて前庭にすっくと立つを見たとき、彼のポジティブさに感銘を受けた。その後、筆者は原発事故が起きた地域の「福島現代美術ビエンナーレ2012」の会場となった空港、あるいは万博会場に近い大坂・茨木市の駅前のロータリーでも、力強く未来を見すえるサンチャイルドに出会う。それはウルトラファクトリーが世界各地で実現する、平成における大仏建立のようだ。ジャンボフェリー甲板のトらやんアンガー・フロム・ザ・ボトム像茨木駅前のサンチャイルド最近の展示動向をネットで見てみましょう。2016-05-27ヤノベケンジ展「CINEMATIZE シネマタイズ」概説より<近年のヤノベ作品と展示>ヤノベケンジが高松市美術館で、久しぶりに個展形式で展覧会を行います。ヤノベケンジの近年の作品展示は、ほとんどが美術館ではない場所で行われてきました。昨年、琳派400年記念祭の一環として開催された、京都府立植物園の展覧会「PANTHEON?神々の饗宴?」では、植物園内の温室前にある人工池に増田セバスチャンとの共作である《フローラ》、両脇に《風神の塔》、《雷神?黒い太陽》という、巨大な三体の立体作品が、夏から秋にかけて3ヶ月間展示されました。また、大阪の水辺で開催された「水都大阪2015」では、「水都大阪2009」でお目見えした、船舶に乗った龍の作品《ラッキードラゴン》が、水路を廻りながら水を噴き上げ大いに観客を沸かせました。さらに、兵庫県立美術館の南側、海岸沿いに阪神・淡路大震災20年のモニュメントとして、《サン・シスター》が常設展示されました。全身ステンレスで覆われた全長6メートルの巨大少女像が、南を向いて光を反射させながら、過去に思いをはせ、未来を見続けています。《サン・シスター》は、東日本大震災復興の祈りを込めた希望のモニュメント、《サン・チャイルド》のお姉さん的な位置づけです。《サン・チャイルド》は、高松市美術館でも展示され、大阪南茨木市の常設展示のほか、東京、福島、愛知、岡山、イスラエル、ロシアなど、世界中を巡回し続けています。本年2016年は、「瀬戸内国際芸術祭2016」が開催されており、前回2013年に小豆島で展示したミラーボール作品《スター・アンガー》やビートたけしさんとの共作《アンガー・フロム・ザ・ボトム》、さらに、小豆島―神戸、高松間を結ぶ連絡船「ジャンボフェリー」甲板には、《ジャンボ・トらやん》が継続して展示されています。特に《アンガー・フロム・ザ・ボトム》は、古井戸の化け物になった神様のオブジェでしたが、地元神社の神主や巫女の祭礼により、新たに水神として祀られるようになりました。さらに、地域有志の浄財によって、建築集団ドットアーキテクツ設計の伸縮型の神明造の社が新たに建てられ、美井戸(ビート)神社として信仰の対象になっています。ヤノベは、このように地域の歴史や人々と作品をシンクロさせながら、独自の世界観を挿入することを行ってきました。展示場所は屋外が多いため、作品は巨大化し、堅牢になっていっています。つまり内容面も物質面も強度が増しているといえます。 ヤノベケンジ展「CINEMATIZE(シネマタイズ)」2016年7月16日(土)~ 9月4日(日)高松市美術館ヤノベ・ワールド2
2016.08.24
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今回借りた5冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば「アート」でしょうか♪<市立図書館>・日本の反知性主義・絲的メイソウ・言葉を離れる<大学図書館>・瀬戸内国際芸術祭2016公式ガイドブック・ウルトラ―ヤノベケンジ図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)************************************************************【日本の反知性主義】内田樹編、晶文社、2015年刊<「BOOK」データベース>より集団的自衛権の行使、特定秘密保護法、改憲へのシナリオ…あきらかに国民主権を蝕み、平和国家を危機に導く政策が、どうして支持されるのか?その底にあるのは、「反知性主義」の跋扈!政治家たちの暴走・暴言から、メディアの迷走まで、日本の言論状況、民主主義の危機を憂う気鋭の論客たちによるラディカルな分析。『街場の憂国会議』に続く、緊急論考第2弾!<読む前の大使寸評>トランプという反知性主義の出現にアメリカが呻吟している昨今であるが、勝てば官軍の日本も似たようなもんなんだろう。内田先生が言いだしっぺとなって、反知性主義に対する緊急論考を集めています。rakuten日本の反知性主義日本の反知性主義byドングリ【絲的メイソウ】絲山秋子著、講談社、2009年刊<「BOOK」データベース>より「中学生で酒を、高校生でタバコを堂々とやっていた私だが、すき焼きの卵二つはだめだった」。ああ、人生は、なんでジグザグにしか進まないんだ!あっちにぶつかりこっちにぶつかり、ときに迷走、そして瞑想。いつも本気で立ち寄り、本気で考えた毎日を、偽ることなくセキララに描いた、絲山秋子の初エッセイ集。<読む前の大使寸評>どのページを開いても・・・・へそ曲りの大使にも響くわけで、エッセイストとしてピカイチなのかも♪なお、絲山さんはマニュアルの外車に乗っているそうで、またヘビースモーカーでもあるそうで、すごい♪借りたのは、2006年刊のハードカバーです。amazon絲的メイソウ『絲的メイソウ』2byドングリ【言葉を離れる】横尾忠則著、青土社、2015年刊<「BOOK」データベース>より小説と画家宣言、少年文学の生と死、映画の手がかり…観念ではなく肉体や感覚の力を信じ続けてきた画家が、言葉の世界との間で揺れ動きながら、自伝的記憶も交えて思考を紡ぎ出す。 <読む前の大使寸評>2015年「講談社エッセイ賞」受賞作とのこと・・・・期待できそうやでぇ♪<図書館予約:(8/17予約、8/23受取)>amazon言葉を離れる言葉を離れるbyドングリ【瀬戸内国際芸術祭2016公式ガイドブック】北川フラム, 瀬戸内国際芸術祭実行委員会著、現代企画室、2016年刊<「BOOK」データベース>より「海の復権」をテーマに、世界を惹きつける現代アートの祝祭。海風を感じながら、島々を訪ね歩こう!全エリア詳細マップ付き作品解説、見どころ、交通、食べ歩き、宿泊まで、この1冊で完璧!<読む前の大使寸評>直島の地中美術館に行ってみたいので、この本で下調べしようと思ったのです。でも手元不如意なので、いつ行けるやら。rakuten瀬戸内国際芸術祭2016公式ガイドブック【ウルトラ―ヤノベケンジ】ヤノベケンジ、三木学著、青幻舎、2013年刊<「BOOK」データベース>より【目次】1章 ウルトラプロジェクトからウルトラアートへープロジェクトを超えるプロジェクト アートを超えるアート(パパ・タラフマラ/ウルトラー黒い太陽/水都ーラッキードラゴン/幻燈夜会 ほか)/2章 ウルトラファクトリーーファクトリーを超えるファクトリー(3.11とサン・チャイルドー物事の創造工房/ウルトラテクニック/ウルトラファクトリー2008―2013 ほか)<読む前の大使寸評>ジャンボフェリー甲板のトらやん像、坂手港のアンガー像、茨木駅前のサンチャイルド像など、関西いちえんでモニュメントを展示するヤノベケンジから目が離せないのです。rakutenウルトラ―ヤノベケンジウルトラ―ヤノベケンジbyドングリ***************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き165
2016.08.24
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図書館で『日本の反知性主義』という本を手にしたが・・・・トランプという反知性主義の出現にアメリカが呻吟している昨今であるが、勝てば官軍の日本も似たようなもんなんだろう。内田先生が言いだしっぺとなって、反知性主義に対する緊急論考を集めています。【日本の反知性主義】内田樹編、晶文社、2015年刊<「BOOK」データベース>より集団的自衛権の行使、特定秘密保護法、改憲へのシナリオ…あきらかに国民主権を蝕み、平和国家を危機に導く政策が、どうして支持されるのか?その底にあるのは、「反知性主義」の跋扈!政治家たちの暴走・暴言から、メディアの迷走まで、日本の言論状況、民主主義の危機を憂う気鋭の論客たちによるラディカルな分析。『街場の憂国会議』に続く、緊急論考第2弾!<読む前の大使寸評>トランプという反知性主義の出現にアメリカが呻吟している昨今であるが、勝てば官軍の日本も似たようなもんなんだろう。内田先生が言いだしっぺとなって、反知性主義に対する緊急論考を集めています。rakuten日本の反知性主義白井聡の「知性」を見てみましょう。p109~110<否認先進国日本> 見てきたように、日本的な「敵対性の否認」もまた、今日の反知性主義の世界的文脈に見て取れる「否定的なものの否認」の一種に数えられうる。近代主義の立場からすれば、社会はその社会に内在する敵体制を正面から認め、それを引き受けることによって、1段高次の共同体へと生成することができるし、そうしなければならない。それが、「否定的なもののもとへの滞留」を通じた弁証法的生成の論理である。 ところが、すでに見たように、ネオリベ資本主義の要請から啓蒙主義のプロジェクトは公然と放棄され、制度的学問の体系は「否定的なものの否認」に貫かれるようになる。してみれば、反知性主義の日本的伝統・その特異性は、こうした世界的傾向を先取りしたものであるとも言える。 全く誇らしくもないが、「悠久の国体」が否定性を含まないものとされるのと同様に、「歴史の終焉」以後の世界に否定性は位置づけられ得ない。したがって、日本は言うなれば、否認先進国であり、世界は日本化しつつあると言える。成熟の拒否、すなわち否定性を媒介とした成長を拒否する所作が「クール・ジャパン」「カワイイ」カルチャーとして輸出商品になりうるという文脈もここにあるだろう。 それは、世界史の文脈において近代化を強制され、その近代化がどこまでも表層のものにとどまり、その表層性こそをナショナル・アイデンティティにしてしまった日本の、グローバルな近代化に対する復讐であるとも言える。例えば、村上隆はそのような文脈をはっきりと自覚して、自らの作品を芸術史の文脈に乗せた。 以上からわかることは、今日の反知性主義の世界的傾向の根強さである。これを反転させるうことは、無論容易ではない。それは、グローバルな規模で亢進する「否認の心理」を振り払うことを意味する。それは、やや抽象的な言い方をすれば、今日のような「否定的なものの否認」が蔓延する状況そのものを、世界史における「否定的なもの」としてとらえ返すことによってなされるほかほかない。おそらくそれは、破局的事態としての「否定的なもの」を避けるためのただ一つの道である。なるほど、村上隆のスーパーフラットは、近代化に対する復讐だったのか♪ 村上隆アンソロジーより 『リトルボーイ』という本から、村上さんの「SuperFlat宣言」を紹介します。「SuperFlat宣言」日本は世界の未来かもしれない。そして日本のいまはsuper flat。 社会も風俗も芸術も文化も、すべて超2次元的、この感覚は日本の歴史の水面下を澱みなく流れ続け、とくに美術にわかりやすく顕在化してきた。現在では、強力なインターナショナル言語となった日本のスーパーエンタテイメント、ゲームとアニメにとくに濃密に存在している。そのフィーリングを説明すると、例えば、コンピューターのデスクトップ上でグラフィックを制作する際の、いくつもに分かれたレイヤーを一つの絵に結合する瞬間がある。けっして分かりやすい例えではないが、そのフィーリングに、私は肉体的感覚に近いリアリティーを感じてしまうのだ。この本で日本のハイもロウもすべてフラットに並んでいるのは、そのフィーリングを伝えるためでもある。POP、ERO POP、OTAKU、HIS-ISM、そして、そんな日本文化の表層下に流れる「レイヤーの結合」の瞬間を体験してほしい。私達のリアリティーはどこにあるのか。 この本は「super flat」を、自分達の、つまり日本文化を潜在的に構築してきた、そしして、今もしつづけている大きな感性であり、世界観として捉え直し、過去から現在、そして未来へとつながるオリジナルなコンセプトとして、展示していくためのものである。近代以降、日本が西洋化されていく過程で、この「super flat」的感性はどのように姿を変え、いまに到っているのか。そこをきっちり見据えることから、いまの我々のスタンスも、見えてくるに違いない。 その意味で、ここには現在進行形の日本のリアルが詰まっている。私達の生きてゆくコンセプト探しの答えが見つかるかもしれない。西洋化されてしまった日本人のオリジナルコンセプト、「super flat」。『日本の反知性主義』1
2016.08.23
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<日本の反知性主義>図書館で『日本の反知性主義』という本を手にしたが・・・・トランプという反知性主義の出現にアメリカが呻吟している昨今であるが、勝てば官軍の日本も似たようなもんなんだろう。内田先生が言いだしっぺとなって、反知性主義に対する緊急論考を集めています。【日本の反知性主義】内田樹編、晶文社、2015年刊<「BOOK」データベース>より集団的自衛権の行使、特定秘密保護法、改憲へのシナリオ…あきらかに国民主権を蝕み、平和国家を危機に導く政策が、どうして支持されるのか?その底にあるのは、「反知性主義」の跋扈!政治家たちの暴走・暴言から、メディアの迷走まで、日本の言論状況、民主主義の危機を憂う気鋭の論客たちによるラディカルな分析。『街場の憂国会議』に続く、緊急論考第2弾!<読む前の大使寸評>トランプという反知性主義の出現にアメリカが呻吟している昨今であるが、勝てば官軍の日本も似たようなもんなんだろう。内田先生が言いだしっぺとなって、反知性主義に対する緊急論考を集めています。rakuten日本の反知性主義想田和博さんがテレビ・ドキュメンタリーの現場を語っているので見てみましょう。p245~247<テレビ・ドキュメンタリーの台本至上主義> テレビ・ドキュメンタリーの制作現場に巣食う反知性主義とは何か。 それは僕が常日頃「台本至上主義」と呼んで批判する制作態度である。 一見、反知性主義とは関係の薄い議論に思えるかもしれないが、しばらくお付合いいただきたい。 意外に知られていない事実だが、テレビ・ドキュメンタリーの大半には台本がある。番組ディレクターは通常、作りたい番組がある場合、まずはテレビ局に提案するために企画書を書く。企画書には、番組の「ねらい」や登場人物、テーマ、尺、大まかな内容、コストなどを書き込む。そして局側のプロデューサーからダメ出しを受けながら、何度も書き直す。企画書が通り、予算がついた段階で、番組の方向性は固まる。 企画書が通ったら、今度は本格的なリサーチに入る。 例えば「福島第一原発事故による放射能汚染の恐ろしさ」を描くのが番組の「ねらい」であれば、まずは汚染の酷さを証言してくれる科学者や調査機関、汚染が原因で苦しんでいる人などを探し出し、番組への出演依頼をするかもしれない。そして被写体候補との面会や打ち合わせを通じて、どんなシーンが撮れそうかを洗い出していく。 次に、番組ディレクターはリサーチ結果に基いて、構成台本と呼ばれるシナリオを書く。構成台本には通常、シーンの内容やショットリスト、想定されるナレーションなどを書き込んでいく。登場人物のセリフまでこまごまと想定して書き込む場合すらある。台本の構成には起承転結があり、「落とし所」と呼ばれるエンディングも用意する。要は撮影する前に、番組の青写真を作り上げておくのである。 この構成台本も企画書と同様で、プロデューサーから一発でオーケーをもらえることは稀である。たいていは何度も書き直しを命じられ、その都度シーンの順番を変えたり、シーンを追加したり、削除したりする。そしてプロデューサーやその上司にあたる人たちから「これでよし」と太鼓判を押されて初めて、撮影が許可されるのだ。 自然、撮影現場では、ディレクターやカメラマンなど撮影スタッフは、構成台本に従いながら撮影を進めていくことになる。インタビューのときには、被写体に台本に書き込まれたセリフを言ってもらえるよう、あれこれ誘導したい誘惑にかられる。酷いディレクターになると、あらかじめ被写体に構成台本を見せながら、「ここはこういう趣旨のシーンにしたいので、こういうことを言っていただければ」などと打ち合わせたりもする。かくして、番組は反知性主義的な予定調和に陥っていくのである。 問題は、「現実」は決して台本通りには展開しないことである。 いくらリサーチを重ねて書いた台本でも、所詮は頭の中で作り上げたことなので、机上の空論の域を出ることはまず稀である。実際に撮影を始めてみると、現実は必ず台本で想定した以上に複雑怪奇で、作り手の予想を裏切り、安易に「理解」されることを拒む。しかも台本よりもよほど面白い。 その際にディレクターが勇気を持って台本を破棄し、曖昧模糊とした複雑な現実と直に向き合い、ゼロから再出発するならば、彼(彼女)は知性的態度を保つことができるであろう。 だが、それはかなり至難の技である。想田監督の提唱する観察映画なるものが「牡蠣工場」を観たで見られます。
2016.08.23
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図書館で絲山秋子著『絲的メイソウ』という本を手にしたのです。どのページを開いても・・・・へそ曲りの大使にも響くわけで、エッセイストとしてピカイチなのかも♪【絲的メイソウ】絲山秋子著、講談社、2009年刊<「BOOK」データベース>より「中学生で酒を、高校生でタバコを堂々とやっていた私だが、すき焼きの卵二つはだめだった」。ああ、人生は、なんでジグザグにしか進まないんだ!あっちにぶつかりこっちにぶつかり、ときに迷走、そして瞑想。いつも本気で立ち寄り、本気で考えた毎日を、偽ることなくセキララに描いた、絲山秋子の初エッセイ集。<読む前の大使寸評>どのページを開いても・・・・へそ曲りの大使にも響くわけで、エッセイストとしてピカイチなのかも♪なお、絲山さんはマニュアルの外車に乗っているそうで、またヘビースモーカーでもあるそうで、すごい♪借りたのは、2006年刊のハードカバーです。amazon絲的メイソウ嗜好とか嫌煙権に関する過激なご意見を見てみましょう。p114~118<喫煙党>より 納豆が嫌いだ。 そう言うと、そこいら中から納豆党がわらわら湧いてきて、なんで? 「なんで? 納豆は体にいいんだよ?」 体によければ芋虫でも笑い茸でも食べるんかい、と食ってかかりたくなるほど無邪気にそう言う。納豆党にはタカ派もいて「キサマソレデモ日本人カ」と詰め寄ってきたりする。私は思想のことはわからないが意味もなく、なんだよ納豆帝国主義かよ、とか言いたくなる。納豆の横暴だ、自己批判しろ。 そもそも好き嫌いに理由を求める方がどうかしていると思うのだが、納豆を嫌う理由はいくらでもある、見た目、におい、かきまぜる音、口に入れたときの触感、味、のどごし、そしてあの糸ひくところ、もう五感全てにおいて不快なのだ。 食わず嫌いでも遺伝でもない。納豆をこよなく愛する両親から生まれ、納豆好きの兄や姉に囲まれて何度もトライしてなおかつ積極的に、迷うことなく嫌いなのだ。体にいいものなら他にいくらでもあるだろう。どんなに貧乏だったときでも、私は決して納豆には頼らなかった。 それにしてもあれだ、病院や給食で納豆をまわりの人間が食べる、あのにおいを拒否する権利、嫌納豆権というものはないのか。納豆を食べる人だけを電話ボックスみたいな狭苦しいところに閉じこめて思う存分ねばねばにちゃにちゃやらせればいいのだ。 ということで、今回はタバコの話。私は1日60本セブンスターを吸う重症ニコチン中毒である。しかし私と納豆党員との違いは、日本国民なら老いも若きも全員がタバコを吸うべきである、などという無茶な野望を持たないところだ。 いやはや本当に住みにくい。私鉄や地下鉄で移動して降りた場所が千代田区で行き先が全館禁煙のオフィスだったりすると、もうどこでもタバコが吸えない。喫茶店で一服しようにも全席禁煙、もしくは私と同じ境遇の人達で喫煙席が満杯。どこへ行けばいいのか。用事なんてすっぽかしてもう帰ろうか、と思う。 喫煙可能と確認して予約したレストランで、ほどほどに食べて一服していると、ウェイターが来て、後から来た他のお客様から苦情が出ているからタバコはご遠慮下さい、と言う。話がちがうじゃん。もうデザートもコーヒーもいらねー、帰ろうか、と思う。 喫茶店でも隣の客から「妻が風邪気味なので吸わないで下さい」と言われ、風邪なら家にいろよ、ウィルス撒くなよ、と思う。もう帰る。後生だから帰らせてくれ、打ち合わせは途中だけど。 こんなことではひきこもりになってしまう。しかし家でタバコを吸うとクロスが汚れ、引越のときに敷金が返って来ないどころかリフォーム屋から追加請求されてしまうのだ。一応空気清浄機を回しっぱなしにはしているが、あまり効果は期待していない。 ニコチン中毒は、中毒と言う以上、もちろん切れると身体的苦痛を伴う。身体的苦痛と精神的苦痛を同時に味わい、路頭に迷っているというのが現代日本のタバコ吸いである。本当はこんなこと言いたくはないのだ。禁酒法時代のアメリカを想像しながら、いつかこんな時代は過ぎ去るのだからそれまで人に迷惑をかけずに大人しく過ごしたいと思っていたのだ。しかしもう限界だ。今日という今日こそは言わせてもらう。 つい最近も後輩から、タバコ吸いはルールを守らない、と、お小言を頂戴した。でも、私鉄や地下鉄のホームでタバコを吸っている人、最近見ましたか? 禁煙のスターバックスでタバコを吸っている人、いますか? 禁煙人口を考えると、気の毒なくらいみんなマナーを気にしていると思う。(中略) 多くの人から言われて察するに、健康は正義らしい。禁煙はもちろんのこと、ダイエットや各種健康法など昨今の日本人の健康好きぶりはもはや集団ヒステリーを通り越して変態の域に達している、と私は思う。では病人は悪なのか、障害者は悪なのか、花粉症は悪なのか、声を大にして問いたい。 なんていうか、そういうのってファッショのニオイさえしませんか。美しく健康な民族・・・・なんだか、ヒトラーが草葉の陰で喜んでいそうじゃありませんか。『絲的メイソウ』1
2016.08.22
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<絲的メイソウ>図書館で絲山秋子著『絲的メイソウ』という本を手にしたのです。どのページを開いても・・・・へそ曲りの大使にも響くわけで、エッセイストとしてピカイチなのかも♪【絲的メイソウ】絲山秋子著、講談社、2009年刊<「BOOK」データベース>より「中学生で酒を、高校生でタバコを堂々とやっていた私だが、すき焼きの卵二つはだめだった」。ああ、人生は、なんでジグザグにしか進まないんだ!あっちにぶつかりこっちにぶつかり、ときに迷走、そして瞑想。いつも本気で立ち寄り、本気で考えた毎日を、偽ることなくセキララに描いた、絲山秋子の初エッセイ集。<読む前の大使寸評>どのページを開いても・・・・へそ曲りの大使にも響くわけで、エッセイストとしてピカイチなのかも♪なお、借りたのは、2006年刊のハードカバーです。amazon絲的メイソウ絲山さんのルーツは佐賀県にあるそうだが、現在は群馬人のようです。そして絲山さんは東京生まれだが、あまり東京に愛着がないとのことです。(ええなあ♪)p191~197<群馬人絲山> 群馬は、会社時代三ヶ所目の赴任地だった。二年足らずのわずかな期間だったが、山に囲まれた高崎の街の風景と変化に富んだ風土にすっかり惹きつけられてしまった。ノリのいい同僚たちがいて、いい大人のくせして河原で凧揚げをしたり、冬の山頂で大きなかまくらをつくったり、ずいぶん外遊びもした。(中略) 私は一方的に群馬に惚れ込んでいるのだが、群馬人に群馬のよさをわからせることは至難の業である。健康な人間が健康のありがたみを知らないことの如くである。当たり前のレベルが違うのだ。野菜が旨いと言っても不味い野菜を食べていないからわからない、山に囲まれた景色がいいと言っても大した反応は返ってこない、渋滞が少ないと言ってもこれまた日常だ。そのあたりが、京都や金沢の中華思想めいた(失礼!)お国自慢と全然違うのだ。 東京に限らず都会の人は新鮮な魚介には目の色を変えるが、野菜の旬や鮮度にはあまりにも鈍感だ。私にとって、産直とは産地直送ではなく、産地直行だ。魚? 海なし県?もちろん新潟まで食べにいきますよ。そんなもの高速でひとっ走り。(中略) 前橋市と高崎市は仲が悪い。合併すれば政令指定都市も夢ではないのだが、ちょっと考えられないほど仲が悪い。少なくとも浦和と大宮より悪い。佐賀市と唐津市の仲の悪さといい勝負だ。何が違うかと言うと背景の山が違う。前橋は赤城で高崎は榛名。それで水系が違う。そのへんまでは分かるのだが、高崎の人が「前橋インターなんて本当は高崎市にあるんだ」などと力説するのはちょっとわからない。 群馬は車社会で、1世帯あたりの自動車保有台数が日本で三本の指に入るはずだ。一家に4台とか普通にある。それでも隣県と異なりナンバーが一つしかないのは、両市の不仲が原因だと聞いた。桐生や太田など、東毛地域でもう一つナンバーをつくりたいのだが、そうすると前橋ナンバーか高崎ナンバーをつくらなければならない。それがどちらか片方ではどうしても折り合わないのだと言う。 でも、よそ者から見ると見ると高崎と前橋で気質や言葉が違うとは思えない。群馬人の気質は、気の強い人もそうでない人も裏表があまりなくてさっぱりしているように見える。今の東京の人よりもよほど江戸っぽいような気がする。言葉もちょっと乱暴な江戸っ子という感じだ。新ナンバーの件やけど・・・群馬から遠い関西人としては、「あかぎ」ナンバーなんかいいと思うけど、どないでしょう♪
2016.08.22
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<藤田嗣治展を観た>先日(19日)、最高気温が38度近くある中を藤田嗣治展を観に出かけたが・・・・事前に映画『FOUJITA』も観ているし、かなり入れ込んで乗り込んだわけでおます♪この展覧会では、戦争画や乳白色の裸婦像や、猫の絵、南米旅行時の絵、パリの街角、子どもたち、フランス帰化以降の宗教画など、藤田を多面的に展示しています。いろんな対象、技法に挑戦しているが・・・どれにも藤田のオリジナリティに溢れていて見飽きないのです♪日本の画壇は藤田への嫉妬もあったのか、藤田に冷たく当たったようで・・・失意の藤田は日本を去ることになります。まったく狭量なニッポンと言わざる得なかったようですね。以前紹介した『藤田嗣治手しごとの家』という本で、インテリア、裁縫、絵付け、木工、収集、装丁、写真など手仕事に対する藤田の拘りが見えるのだが・・・・この職人気質が藤田のオリジナリティを形作ったのかも?♪。
2016.08.21
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<『米中百年戦争』2>図書館に予約していた『米中百年戦争』という本をゲットしたのです。この本の知見は日本人の基礎知識として、押さえておくべき問題なんでしょうね。【米中百年戦争】春原剛著、新潮社、2012年刊<「BOOK」データベース>よりクリントンvs.江沢民、ブッシュvs.胡錦涛、オバマvs.習近平…20世紀の超大国vs.21世紀の新興大国。果たして決戦の火蓋は切られるのか?「新・冷戦」の序章となるこの20年間の攻防。【目次】序章 覚醒(台湾海峡危機/対中関与政策/二正面戦略の虚実/ナイ・イニシアティブ)/第1章 胎動(世紀の訪中/照準外し/三不政策/日本素通り/米中スパイ合戦/中国大使館誤爆事件)/第2章 萌芽(戦略的競争相手/コンゲージメント政策/EP3事件/新あいまい政策/米中経済安全保障再考委員会)/第3章 逡巡(九・一一後の世界/ミスター・サイボーグ/ステークホルダー/靖国問題/太平洋二分割論/衛星攻撃兵器(ASAT)/米中戦略経済対話/北京五輪)/第4章 疑念(米中G2論/米中首脳級定期協議/日本軽視論/G20サミット/攻守逆転/戦略的再保証/COP15/グーグル問題/核心的利益)/第5章 確信(老将の野望/A2AD/チャイナ・カードの「闇」/尖閣問題/北朝鮮問題/J20事件/エア・シー・バトル構想/「太平洋国家」宣言)/終章 転換(新型の大国関係/前方展開外交 ほか)<読む前の大使寸評>日本人の基礎知識として、押さえておくべき問題なんでしょうね。<図書館予約:(8/13予約、8/18受取)>rakuten米中百年戦争トウ小平の遺訓「韜光養晦」は、今どのように変質してきたか見てみましょう。p311~313<韜光養晦>より 冷戦終結後、唯一の超大国として君臨した米国のピークを「西暦2000年」と見定めた中国指導部はその後、トウ小平の遺訓を「韜光養晦、積極有所作為」と修正し、徐々にその「爪」を露わにし始めている。「堅持」と「積極」を新たに加えたキャッチフレーズについて、多くの中国ウォッチャーたちは今、「積極的な行動に伴う摩擦を厭わない」という意味が込められている、と解釈している。 2012年初めのワシントン訪問を締めくくる際、米中経済界の会合で講演した習近平は、自らが指導者となる2010年代の米中関係を「新しい歴史的な出発点」と表現した上で、「米中関係は止めることができない川のように絶えず前に進んでいく」と述べた。最終訪問地である米西海岸・ロサンゼルスでも「繁栄して安定した中国は、いかなる国に対しても脅威にはならない」とする、従来からの持論を展開し、米国内の対中宥和派を安心させている。 「次の十年の米中関係の行方を決める」とまで言われる習近平は一方で、自ら思い描く「理想の米中関係」について、こう説明している。すなわち、米中両国が「相互理解と信頼の向上」に努め、「互いの核心的利益と主要な懸念の尊重」に留意することで「相互利益の深化」を図り、「国際問題や地球規模の問題における協力強化」を進める関係である。これが胡錦濤の言う「新型の大国同士の関係」と全くの「同義語」であるのは言うまでもない。 さらに習近平は中国が他国への脅威とならない「前提条件」として、台湾・チベット問題などを筆頭とする「領土の一体性」や、人権問題に関する外部からの介入を排除した「社会の安定」が不可欠であるとも強調している。 習近平が米国で発した一連のメッセージを要約すれば、「中国が脅威になるか、ならないかは米国や日本など周辺・関係各国の態度次第だ」ということになる。実際、台湾問題など「核心的利益」が脅かされていると中国側が判断した場合、習近平は米中関係が「苦境に陥るだろう」とためらうことなく言い切っている。 「日本との尖閣問題などを経て、中国は色々と学んだはずだ。今後、中国は見せかけの『微笑外交』を続けながら、水面下では着実に軍事力を強化し、我々との対峙に備えるつもりだろう・・・」 米中間の軍事的衝突の可能性を睨み、エア・シー・バトル構想を水面下で推進している、ある米国防総省OBが指摘するように、載秉国らの説明とは裏腹に「新型の大国関係」も「C2」も、中国による巧妙な時間稼ぎのための微笑外交である可能性は否定できない。そこには「難しい問題は将来の世代に託せばいい」という趣旨の言葉を対外的には何度も口にしながら、国内では「軍事力増強」の必要性を執拗に説き、空母保有の下地作りまで指示していたトウ小平譲りの、したたかな長期戦略の姿が透けて見える。この本も中華関連書籍(R2)に収めておきます。『米中百年戦争』1
2016.08.21
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<『米中百年戦争』>図書館に予約していた『米中百年戦争』という本をゲットしたのです。この本の知見は日本人の基礎知識として、押さえておくべき問題なんでしょうね。【米中百年戦争】春原剛著、新潮社、2012年刊<「BOOK」データベース>よりクリントンvs.江沢民、ブッシュvs.胡錦涛、オバマvs.習近平…20世紀の超大国vs.21世紀の新興大国。果たして決戦の火蓋は切られるのか?「新・冷戦」の序章となるこの20年間の攻防。【目次】序章 覚醒(台湾海峡危機/対中関与政策/二正面戦略の虚実/ナイ・イニシアティブ)/第1章 胎動(世紀の訪中/照準外し/三不政策/日本素通り/米中スパイ合戦/中国大使館誤爆事件)/第2章 萌芽(戦略的競争相手/コンゲージメント政策/EP3事件/新あいまい政策/米中経済安全保障再考委員会)/第3章 逡巡(九・一一後の世界/ミスター・サイボーグ/ステークホルダー/靖国問題/太平洋二分割論/衛星攻撃兵器(ASAT)/米中戦略経済対話/北京五輪)/第4章 疑念(米中G2論/米中首脳級定期協議/日本軽視論/G20サミット/攻守逆転/戦略的再保証/COP15/グーグル問題/核心的利益)/第5章 確信(老将の野望/A2AD/チャイナ・カードの「闇」/尖閣問題/北朝鮮問題/J20事件/エア・シー・バトル構想/「太平洋国家」宣言)/終章 転換(新型の大国関係/前方展開外交 ほか)<読む前の大使寸評>日本人の基礎知識として、押さえておくべき問題なんでしょうね。<図書館予約:(8/13予約、8/18受取)>rakuten米中百年戦争米中関係と言えば・・・蔡英文新政権が発足した台湾の行く末が気になるのです。p235~238<革新的利益>より インターネット大手のグーグルを巡る問題が、米中間に新たに横たわった「21世紀型の案件」だとすれば、台湾、チベットを巡る米中間の神経戦は古典的な「20世紀型の案件」と定義することができる。 別の言い方をすれば、前者は「言論の自由」や「人権」に直結する問題であり、それらを国家存立の基盤とする米国にとって、安易に看過できるものではない。一方、中国にとっては後者は1972年の米中和解以来、国土保全という観点で「核心的利益」と位置付けた問題であり、これらについては一歩も引くことはなかった。 2010年春、米中両国は奇しくもこの二つの案件を同時に取り扱うことになった。両国は一方でグーグル問題を巡って静かな神経戦を展開しながら、他方では米国による台湾への武器供与問題や、オバマとチベット宗教の指導者、ダライ・ラマ14世との面会問題を巡り、激しい火花を散らしたのである。それらはいずれもオバマの登場以来、上げ潮ムードが続いていた米中関係が大きな曲がり角に入りつつあることを強く暗示するものであった。 グーグル問題が米中双方で加熱していた1月29日、米国防総省は台湾向けに総額64億ドルに上る武器供与を決め、議会に通告したと発表した。オバマ政権下では初めてとなる台湾への武器売却は、ブッシュ前政権が2008年に実行したもの(65億ドル)とほぼ同じ規模のものとなった。 米国による正式発表の直前、中国で「オバマ政権が台湾に武器売却」の報道が一気に広がると、中国のインターネット上には「オバマ米大統領のノーベル平和賞を取り消すべきだ」などと米国を非難する声が殺到した。国家として急成長を続ける自信を背景にしたナショナリズムの高まりを受け、中国政府も「断固反対」の声を挙げ、「売却問題の高い敏感性と重大な危険性を十分に見極めるよう米国に促す」と米側に警告を発している。 そうした中国側の反応を見ながら、オバマ政権が決めた武器供与の内訳は、地対空誘導弾パトリオット3(PAC3)114基と多目的ヘリUH60ブラックホーク60機、対艦ミサイル「ハープーン」12基など、いずれも防衛主体の装備品だった。言い換えれば、米側も中国に対して一定の配慮をしていた。この時、中国側が最も警戒してきた新型のF16戦闘機や、ディーゼル潜水艦の売却が見送られたことからも、そうした米側の意図は読み取れた。 この決定について、米国務省は「台湾海峡の安全と安定の維持に寄与するものだ」と説明している。中国の急速な軍備拡大をにらみ、中台間の軍事バランスを維持するには台湾の装備近代化が不可欠、との判断があったことを示唆したものだった。当時、米国防総省内では台湾に照準を向けている短距離弾道ミサイルがこの時点ですでに一千基を超えていることから、「中国が台湾に最後通告を突きつける恐れがある」などとする声まで出ていた。 「強烈な憤慨を表明し、両国のさまざまな交流や協力関係にきわめて深刻な悪影響を及ぼす」 中国外務省の何亜非次官は翌30日、ジョン・ハンツマン駐中国米大使を呼びつけ、こう抗議した。こうした外交上の問題について、中国外務省は通常、報道官談話の形を取るのが一般的だが、この時は外務次官が即座に反応して見せた。中国側がオバマ政権の決定を重大事と見なしていることの証左だった。 事実、その数時間後に中国は米中両軍部による相互訪問の一時停止を決めたほか、この時点から近い将来に予定されていた次官級の戦略安全対話も延期し、武器輸出をした米企業への制裁も発表した。中国人民解放軍の羅援少将は新華社通信系の時事週刊誌「国際先駆導報」の中で、「米国は中国が軟弱で何もできないと誤解している。国力が増大した今こそ行動を起こすべきだ」と延べ、必要に応じて中国が「実力行使」すべき時だとの見解まで示している。 こうした中国の怒りにさらに油を注いだのが、チベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世とオバマによる公式会談だった。
2016.08.20
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図書館で『浮世絵探検』という本を手にしたが・・・・高橋さんの対談者の顔ぶれがすごいですね。企画編集の勝利とでもいうべきか♪【浮世絵探検】高橋克彦著、岩波書店、1997年刊<「MARC」データベース>より根強いブームの浮世絵、人気の秘密はどこにあるのだろうか。横尾忠則・宮地正人・荒俣宏・水木しげる・皆川博子・新宮一成といったゲストと共に、趣向を凝らしたテーマで、常識を覆す浮世絵の深層に迫る。<読む前の大使寸評>高橋さんの対談者の顔ぶれがすごいですね。企画編集の勝利とでもいうべきか♪amazon浮世絵探検高橋さん(著者)の浮世絵への拘りを「あとがき」に見てみましょう。p225~227<あとがき>より 浮世絵は江戸の中期から明治にかけて花開いた日本美術の一つの分野などではなく、恐らくは今の新聞やテレビ、そして広告や娯楽の役割を果たした、世界にも類のない複合メディアだったに違いない、と若い頃から確信していた。そう考えなければ理解できない奇妙な作品(たとえば鯰絵であったり判じ絵、蛸絵など)が無数にある。 浮世絵の展覧会や豪華な画集を眺めている限りはあまり気付かないだろうが、少し興味を持って神田辺りの浮世絵商の店先で山積みされている作品をぱらぱらと捲ってみれば直ぐに分かるはずだ。われわれが抱いている絵のイメージからほど遠い作品が次々に現れる。 画面の半分を細かな文字で埋めて歴史上の人物を紹介しているもの、ほとんどおなじ立ち構図で顔だけを取り替えたとしか思われない相撲絵、新聞記事を元に残酷な事件を再現している作品、紙を何枚か繋ぎ合わせた巨大な双六、1枚の中に小さな風景画や美人画が別々に混在している張り混ぜ絵などなど、とても鑑賞を目的としたものとは思えない作品ばかりだ。 今はそういうものにも美意識を感じる人が増えて壁に飾ることも珍しくないようだが、製作当時は絶対に美術品ではなかったはずだ。稚拙という理由からではない。美術とは掛け離れたところにそれらの作品は最初から立っている。 浮世絵に関心を持ちはじめた当初、私にはこれらの存在がなにを意味しているのかまったく見当がつかなかった。ただ、画集にも掲載されず、研究者からも無視されているそれらの作品に、なにかただならないエネルギーを感じた。歌麿や北斎の名作よりも凄いとはさすがに思わなかったけれど、面白い。この面白さが、実を言うと私をいつまでも浮世絵に繋ぎ留めさせる原因となった。芸術的な歌麿や北斎、広重の名作だけでは興味が3年と続かなかったに相違ない。 浮世絵はひょっとして美術品ではないのかも知れない。美人画はポスターやブロマイドと同じもので、風景画は旅行のガイドブックと変わらないのではないか。そう気付いたのは27、8の頃だったろうか。18歳の辺りから浮世絵にのめり込んだのだから、それでも10年近くが過ぎている。その視点から見直すと浮世絵の謎が解けていく。こんなに凄い世界だったのかと改めて興奮した。 それから20数年、私はまだ興奮し続けの状態にある。浮世絵が劇画のルーツであることに気付いたり、世界の情報メディアの先駆けであったことを知ったり、パズルや紙製のゲームの最先端に日本が位置していたことが分かってきた。浮世絵を知れば知るほど自分が日本人であることの誇りに包まれる。多色印刷だとて浮世絵が世界で最初になしえたことなのだ。情報産業やゲームの開発、アニメの完成度の高さで日本が世界を凌駕しているのはすべて浮世絵から引き継いだものである。 その浮世絵の面白さや、そういう中にあっての絵師の才能の凄さを『へるめす』誌上で対談を掘り下げていってみませんか、と岩波書店の川上隆志氏が企画してくださった。一も二もなく引き受けたが、一つだけこちらから注文した。浮世絵に興味を持って眺めていても、研究者ではない人を、と願ったのである。話が専門的になり過ぎるのを案じたのと、より自由な発想が得られるのではないかという期待からだった。『浮世絵探検』1『浮世絵探検』2
2016.08.20
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図書館で『妄想人生』という本を手にしたが・・・・器用貧乏にも見える島田さんの遍歴あるいは秘密を見てみたいと思ったわけです。【妄想人生】島田雅彦著、毎日新聞社、2005年刊<「BOOK」データベース>より夢見るオジサマになるために。あなたの妄想脳を鍛える気宇壮大のススメ。<読む前の大使寸評>器用貧乏にも見える島田さんの遍歴あるいは秘密を見てみたいと思ったわけです。amazon妄想人生フランシスコ・ザビエルのあたりを見てみましょう。p145~147<バスクの不思議>より 日本で最も有名なバスク人は誰かといえば、16世紀にキリスト教の宣教にやってきたフランシスコ・ザビエルであろう。数年前にこの聖人を主人公にした『フランシスコ・X』という小説を発表して以来、いつか彼が幼年時代を過ごしたザビエル城を訪ねたいと思っていた。城はナバラの中心都市パンプローナ郊外にあり、ピレネーの山々に囲まれ、聖地サンチャゴ・デ・コンポステーラに向かう巡礼者が通る道があり、代表的スペイン・ワイン、リオハのブドウ畑も程近いところにある。 地図にも道標にも「ハビエル(ザビエルのスペイン語読み)」の地名が出ていたから、勝手に観光地を想像していたが、周りには集落もなく、巡礼者や観光客の姿もなく、修復工事中の城がぽつんとそびえるだけだった。 460年以上も前にザビエルはこの城を出て行き、イエズス会の同志とともに誓いを立て、見知らぬアジアの地への宣教に旅立ち、生きてヨーロッパに戻ることはなかった。最も足の速い船でもリスボンから日本までは3年以上の歳月がかかっていた頃の話である。 インド、マラッカ、日本、そして中国と知略、情熱、体力の限りを尽くした宣教活動の末、中国本土上陸を目前にして東シナ海の小島で客死する。その遺言は周囲の人間にはまったく意味がわからなかったという。今際のきわに彼の口から漏れたのはバスク語だったのだろう。 バスク語はハンガリー語やフィンランド語とともに、ほかのヨーロッパ言語から孤立している。スペインやフランスに接し、両国の干渉を受けてきたにもかかわらず、バスク人はその特異な語彙や文法を守ってきた。 ラテン、ゲルマン、スラブなどのヨーロッパ言語からの類推を一切拒むその言葉は遠い昔、クロマニヨン人が用いていたことばの痕跡を残しているという説もある。ほかのヨーロッパ言語はコーカサスからインドにいたるまでの地域にわたって、語源の一致が見られる。それは牧畜や農耕の広がりと重なる。しかし、ピレネーの山々に囲まれたバスクではその影響を受けぬまま、したがってほかの部族との混血もないまま、隔離された状態で狩猟採集を続けていたかもしれない。 このあたりには新石器人が残した洞窟壁画が随所で見られる。一番有名なのはアルタミラだが、たまたま通りがかった村のはずれに鍾乳洞があり、そこでも素朴なウマの絵を見た。その動物の絵を描いた太古の狩人の末裔がバスク人で、他の民族に征服されそうになりながらも粘り強く抵抗し、その独自の言語と文化を守り通してきたとも考えられる。 中世フランスの叙事詩『ローランの歌』はシャルルマーニュの寵愛深かった英雄ローランの死を悼む内容で、バスク人は憎き敵として描かれている。だが、バスク人の立場から読めば、キリスト教への改宗を拒んでフランスと戦ったバスク人の抵抗の記録なのである。 バスクを訪れた記念に私はザビエルが得意としていたバスクの伝統的球技ペロタのボールを買った。素手で打つにはあまりに硬く、ペロタの名手だったザビエルの右手は変形していたというのも頷ける。バスク人の抵抗精神はまさにこの硬いボールを素手で打つ痛みによって鍛えられてきたのである。このところ、砂漠つながりで以下の島田雅彦さんの本をよんだが…なんかミニブームの感があるのです。『妄想人生』1『妄想人生』2『退廃礼讃』『ミス・サハラを探して』
2016.08.19
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今回借りた4冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば「予約本」でしょうか♪<市立図書館>・帝国日本の生活空間・米中百年戦争・すぐそこにある希望・円卓<大学図書館>・今回はなし図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)************************************************************【帝国日本の生活空間】ジョルダン・サンド著、岩波書店、2015年刊<「BOOK」データベース>より上流階級の「洋館」生活を売り物にした大衆メディア、「味の素」(グルタミン酸ナトリウム)の世界への普及、バンガロー式住宅の移入、「文化生活」言説と「文化住宅」、床座と椅子座の交差と籐椅子の伝播、海外植民地から帝都東京への「内地観光」など、知識、もの、人の流通回路を通じて、帝国が引き起こしていた不平等な出会いと差異の構造を明らかにする意欲的論考集。<読む前の大使寸評>著者の切り口が奇抜とさえ言えるわけで・・・・植民地的レイシズムなどと堅いことをいわなければ、面白いかも♪<図書館予約:(8/08予約、8/12受取)>rakuten帝国日本の生活空間『帝国日本の生活空間』2byドングリ【米中百年戦争】春原剛著、新潮社、2012年刊<「BOOK」データベース>よりクリントンvs.江沢民、ブッシュvs.胡錦涛、オバマvs.習近平…20世紀の超大国vs.21世紀の新興大国。果たして決戦の火蓋は切られるのか?「新・冷戦」の序章となるこの20年間の攻防。【目次】序章 覚醒(台湾海峡危機/対中関与政策/二正面戦略の虚実/ナイ・イニシアティブ)/第1章 胎動(世紀の訪中/照準外し/三不政策/日本素通り/米中スパイ合戦/中国大使館誤爆事件)/第2章 萌芽(戦略的競争相手/コンゲージメント政策/EP3事件/新あいまい政策/米中経済安全保障再考委員会)/第3章 逡巡(九・一一後の世界/ミスター・サイボーグ/ステークホルダー/靖国問題/太平洋二分割論/衛星攻撃兵器(ASAT)/米中戦略経済対話/北京五輪)/第4章 疑念(米中G2論/米中首脳級定期協議/日本軽視論/G20サミット/攻守逆転/戦略的再保証/COP15/グーグル問題/核心的利益)/第5章 確信(老将の野望/A2AD/チャイナ・カードの「闇」/尖閣問題/北朝鮮問題/J20事件/エア・シー・バトル構想/「太平洋国家」宣言)/終章 転換(新型の大国関係/前方展開外交 ほか)<読む前の大使寸評>日本人の基礎知識として、押さえておくべき問題なんでしょうね。<図書館予約:(8/13予約、8/18受取)>rakuten米中百年戦争【すぐそこにある希望】村上龍著、ベストセラーズ、2007年刊<「BOOK」データベース>より自殺、格差、老後の不安…どうやって生きのびるか?村上龍の体感エッセイ’05→’07。【目次】(「BOOK」データベースより)クール・ビズと経済制裁/貧乏な老人はどう生きればいいのか/北朝鮮コマンドの「文脈の断片」/「この程度」の外交能力/現代を象徴するキーワードは「趣味」/「微妙な違い」が差異のすべて/「戦争概念」の変化/ライブドア事件と大手既成メディア/民主党と永田元議員の悪夢/大手既成メディアが滅亡する日/「カンブリア宮殿」と「成功者」/攻撃とリスク(ドイツW杯1)/惨敗は洗練と閉塞の象徴(ドイツW杯2)/北朝鮮のミサイルで大騒ぎ/日本はハワイを買えばよかった/レバノン侵攻より梅雨明けが重要なのか/北朝鮮が核実験をした、らしい/ソウル明洞の屋台で考えたこと/国家と個人の優先事項/『半島を出よ』の亡霊のような影響力/「もっと多く救えたはずだ」とシンドラーは…/不祥事で、会社経営者はなぜペコペコ謝るのか/「NO」にあたる否定語がない日本/「どう生きるのか」という問いのない社会<読む前の大使寸評>「カンブリア宮殿」やサッカーの話題が多いのだが、創作ノウハウを知りたいわけでおます。rakutenすぐそこにある希望すぐそこにある希望byドングリ【円卓】西加奈子著、文藝春秋、2011年刊<「BOOK」データベース>より世間の“当然”に立ち止まり、悩み考え成長する物語。うるさいぼけ。なにがおもろいねん。平凡やしあわせに反発する琴子、小学3年生。好きな言葉は、「孤独」。<読む前の大使寸評>パラパラめくると・・・・関西弁と韓国が見えるわけで、大使のツボやないけ♪rakuten円卓***************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き164
2016.08.19
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図書館に予約していた『吉原御免状』という本をゲットしたが・・・・『ほんとのこと言えば?』という本のなかで、おすぎが『吉原御免状』を強く奨めていたので、早速、図書館に予約していたのです。【吉原御免状】隆慶一郎著、新潮社、改版1989年刊<「BOOK」データベース>より宮本武蔵に育てられた青年剣士・松永誠一郎は、師の遺言に従い江戸・吉原に赴く。だが、その地に着くや否や、八方からの夥しい殺気が彼を取り囲んだ。吉原には裏柳生の忍びの群れが跳梁していたのだ。彼らの狙う「神君御免状」とは何か。武蔵はなぜ彼を、この色里へ送ったのか。―吉原成立の秘話、徳川家康武者説をも織り込んで縦横無尽に展開する、大型剣豪作家初の長編小説。<読む前の大使寸評>『ほんとのこと言えば?』という本のなかで、おすぎが『吉原御免状』を強く奨めていたので、早速、図書館に予約していたのです。花魁が裏柳生のくノ一という設定があったりで・・・面白そうでおま♪<図書館予約:(8/03予約、8/06受取)>rakuten吉原御免状ネタばらしになるが・・・前半の読みどころの一部を見てみましょう。p111~101<裏> 勝山は、自分がいやな眼をしていることを知っていた。そんな自分を、うとましいと思う。けっして高尾が憎くて浮かべた憎悪の色ではない。松永誠一郎という男に関わるすべてに対する嫌忌の念が、高尾を見ることによって、自然に、そんな形をとって現れただけのことである。 嫌忌。 勝山にとっては嫌忌ともいえる心情である。全盛の太夫としての勝山にとっても、裏柳生のくノ一としての勝山にとってもである。 勝山は柳生谷の忍びだった。幼時、柳生十兵衛によって鍛えられ、十兵衛なきあと、義仙の命のもとに動く裏柳生の術者である。湯女として丹前風呂に出た時から、狙いは吉原にあった。だが禿としては齢をとりすぎていたし、新造として吉原に売り込むのは危険だった。女の素性を洗うことにかけて、吉原者の探索はそれほど厳しく綿密だったからだ。 吉原以外の場所で、浮かれ女として名を挙げ、それを武器として吉原に入るのが、吉原に受け容れられる唯一の方法だった。紀伊国屋風呂における男装も大仰な歌舞伎ぶりも、そのための苦肉の策だった。 昨夜。勝山は白い髯をたくわえた長身の老医師を客にとった。姿を変えた義仙である。勝山の丹前風呂以来の馴染ということになっている。閨の中で、勝山の体を玩びながら、義仙が与えた指令はただ一つだった。 「松永誠一郎が高尾と契る日をさぐり出し、我らにしらせよ」 高尾の性技に腑抜けになった誠一郎の帰途を襲って、膾にしようという狙いである。切りきざまれ、血みどろになってのたうつ誠一郎のさまを想って、勝山はほとんど恍惚となった。その恍惚が恋慕の念から来ていることを、勝山ははっきりと知っていた。しかし、ま~・・・「無縁の徒」とか、聖法師、白拍子、クグツ、白丁、陰陽師、巫女、野武士・・・・・・公界(苦界)に身を置くアウトサイダー達が総出演のお話になっています。天海僧正の明智光秀説とか、八百比丘尼とか根来・太田・雑加の紀州攻めとか、吉原出城説とか・・・日本史の真偽を織り交ぜた語り口は奇想天外で、網野善彦さんが裸足で逃げ出しそうな有様でおます♪
2016.08.18
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図書館で村上龍著『すぐそこにある希望』という本を手にしたが・・・・「カンブリア宮殿」やサッカーのような話題が多いのだが、創作ノウハウを知りたいわけでおます。【すぐそこにある希望】村上龍著、ベストセラーズ、2007年刊<「BOOK」データベース>より自殺、格差、老後の不安…どうやって生きのびるか?村上龍の体感エッセイ’05→’07。【目次】(「BOOK」データベースより)クール・ビズと経済制裁/貧乏な老人はどう生きればいいのか/北朝鮮コマンドの「文脈の断片」/「この程度」の外交能力/現代を象徴するキーワードは「趣味」/「微妙な違い」が差異のすべて/「戦争概念」の変化/ライブドア事件と大手既成メディア/民主党と永田元議員の悪夢/大手既成メディアが滅亡する日/「カンブリア宮殿」と「成功者」/攻撃とリスク(ドイツW杯1)/惨敗は洗練と閉塞の象徴(ドイツW杯2)/北朝鮮のミサイルで大騒ぎ/日本はハワイを買えばよかった/レバノン侵攻より梅雨明けが重要なのか/北朝鮮が核実験をした、らしい/ソウル明洞の屋台で考えたこと/国家と個人の優先事項/『半島を出よ』の亡霊のような影響力/「もっと多く救えたはずだ」とシンドラーは…/不祥事で、会社経営者はなぜペコペコ謝るのか/「NO」にあたる否定語がない日本/「どう生きるのか」という問いのない社会<読む前の大使寸評>「カンブリア宮殿」やサッカーのような話題が多いのだが、創作ノウハウを知りたいわけでおます。rakutenすぐそこにある希望村上龍の文体論を見てみましょう。p163~165<『半島を出よ』の亡霊のような影響力> わたしは新連載を書くに当たって、『半島』と同じように、すべてを箱根の別荘で書くと決めていた。『半島』の脱稿からちょうど1年後に連載は始まったが、当初予定通り箱根に閉じこもってその月の連載分を書いた。まとまった期間箱根に入ることができない月は休載にしてもらった。そういった書き方が間違っていたわけではない。だがわたしは当然のことのように、箱根以外ではこの作品は書けないと思い込んでいたのだ。 まさにそういうことが『半島』の影響だったと気づくのにさらに半年かかった。またわたしは新連載を始める前に膨大な量の資料を読もうとした。新連載の作品に必要だと思われる資料を片端から揃え読んでいった。資料を読んだことがムダだったと思っているわけではない。しかしわたしは、「ごく当然のことのように」ものすごい量の資料を取り寄せ読んでいったのだが、そういう態度にしても『半島』の影響下にあるのだと気づかなかった。 さらにわたしは新連載の小説には「あたらしい文体」が必要だと思い込んでいて、いろいろな文体を試した。『半島』を書いている途中、シーホークホテルでの戦闘シーンで、非常に奇妙な文章を書いた。その戦闘シーンはむずかしくてそれまで自分が獲得したありとあらゆる文体を駆使しなければならなかった。もう使える文体がないとわかったあと、さらに面倒くさい別の戦闘シーンが待ち受けていて、手持ちの文体が底をついたために、脳が過剰な状態になり今となっては思い出せない変な文体で、ある人物の行為を描写した。 その文章は自分でも興味深かったが、『半島』全体のムードを壊しかねないものだったので、もうろうとした頭で、惜しいな、とか呟きながら文章そのものを消去してしまった。 その文章を残しておけばよかったと新連載を始めるときに何度も思った。そしてその変な描写を新連載で試したがうまくいかなかった。理性で考えて書けるようなものではなかったのだ。意味が通じるか通じないかギリギリのところにある、目眩がするような文章だったような記憶があるが、今となってははっきりしない。 文体は考えて考案できるものではない。作品が要求する文章の質をギリギリまで高めようとしてあがいているときに、無意識の領域から何かが浮かんできて、それを捉えることがでえきたときに、文体が誕生する。もうひとつ、村上龍の問題提起を見てみましょう。p198~201<「どう生きるか」という問いのない社会> テレビ東京の番組「カンブリア宮殿」で最後にゲストに対し「あなたが考える人生の成功者の条件を一つ挙げてください」と聞いている。わたしは成功したと思っていないと答えるゲストもいた。実はわたしも、自分が成功したとは思っていない、というか、そんなことを考えてもまったく意味がない。 自分は成功者だと思うヒマがあったら、資料の1冊でも読んだ方がいいし、成功したぞ自覚すると危機感が磨耗する危険性もある。 わたしが「人生の成功者」について質問しているのは、子どもや若い人たちに「成功者」の定義を正確に伝える必要があるのではないかと思うようになったからだ。誰だって成功した人生を送りたいと思っているはずだ。人生の失敗者になりたいと思う人はいない。子どもや若い人は、人生の敗残者になるのをひどく恐れる。しかし今の日本社会には正確な「成功者」の定義も正確なイメージもない。 お金があって、健康で、いい友だちがいっぱいいて、他人から尊敬されて、幸福な家族に囲まれて、いい趣味をいくつか持っていて、みたいな感じの曖昧なイメージが漂っているだけだ。 それでは、お金がどのくらいあれば「成功者」と言えるのか、何とか食べていけるだけあればいいのか、長者番付に載るくらい必要なのか、自家用ジェット機が買えるくらい必要なのか、わからない。それがわからないと、子どもや若い人はどういう風に努力をすればいいのかがわからなくなるのではないだろうか。いい友だちがいっぱいいて、というが、それでは「いい友だち」とはどう定義するのか、いっぱいとは何人くらいいればいいのか、すべてが曖昧だ。 教育再生会議をはじめ、社会的規範や規律の重要性の指摘は多いが、「どういう風に生きればいいのか」という本質的な問いへの言及はほとんどない。 親や教師を殴ってはいけない、校庭にバイクを乗り入れてはいけない、煙草を吸ってはいけない、などと「・・・・してはいけない」という禁止項目がいろいろと挙げられているだけで、「どうやって生きていくのか」という問いも、その答えも、議論すらもないように見える。近代化途上では自明のことだった。「近代化に尽くす」生き方をすればよかったし、それは実際に合理的だった。 教育再生会議の委員たちや、文部科学省の役人や、メディアや、教師や、大人たちは、子どもたちに対し、どうあって欲しいと思っているのだろうか。どんな子どもが望ましいと考えているのだろうか。たぶん、理想の子どものモデルを示すことはもう無理なのだ。「どうやって生きていくか」は規範ではなく戦略の問題だ。戦略の論議がなく規範だけが求められることと、自殺の蔓延は無関係ではないとわたしは考えている。
2016.08.18
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<『蔡英文 新時代の台湾へ』2>図書館に予約していた『蔡英文 新時代の台湾へ』という本をゲットしたが・・・・大陸に依存しない強靱な台湾経済・産業の創出に期待しています。日台は協調して、大陸の政権が自滅するのを待つのがいいかも(オイオイ)【蔡英文 新時代の台湾へ】蔡英文著、白水社、2016年刊<「BOOK」データベース>より一度は総統選に敗北しながらも、市民との対話を通し、未来を模索し続けた3年の軌跡。新たなリーダーシップの形と台湾の希望がここに!台湾初の女性総統による、初の著書!<読む前の大使寸評>大陸に依存しない強靱な台湾経済・産業の創出に期待しています。日台は協調して、大陸の政権が自滅するのを待つのがいいかも(オイオイ)冗談はさておいて・・・台湾はだんとつの親日国であるわけで、お互い協力して覇権大国・中国に対峙すべきなんでしょうね。<図書館予約:(7/31予約、8/11受取)>amazon蔡英文 新時代の台湾へ蔡英文さんは下野した間に、台湾各地の庶民を訪ねて思索を深めたようです。p241~243<路地裏の町工場>より もう一つここで紹介したいのは「甘丹創新工場」というクラフトデザインを専門にしている会社だ。大学院でデザインを学んで卒業後1年も経たない若者が、台南の奇美博物館からグッズデザインを受注、その作品がたくさんの賞を受けたというニュースは台湾で数多く報道された。彼らはバンディーでスタートアップ時期を過ごし、その後ここを出て自分たちのオフィスを構え、すでに台南に工場を持つようになっていた。 「蔡主席、私たちの工場は小さな路地裏にあるんです」 四人の若者が自分たちで木工所を立ち上げたと聞いて、興味深く思った。20代の修士課程の学生が木工所で仕事をするとはどういうことなのだろう。 デザイナーの郭楽さんは「甘丹」の中心人物で、対外的な広報窓口していた。おしゃれなショートカットの髪型で、ハキハキ話す一方で、落ち着きも備えた女性だった。 「私たちの工場には『想想』に似た猫もいるんです」と彼女は言った。「蔡想想」はうちの猫の名前で、私が家で過ごす時のよき相棒だ。家ではついうっかり猫バカぶりを発揮し、外回りのときは猫好きととして、猫を飼っているお宅があればついつい猫にちょっかいを出してひとしきり戯れるのが恒例となっていた。 車が曲がっていく路地の入口には木製の標識が立っていて、「甘丹」を見つけることができた。この路地には全体にわたって従来型産業の工場が3,4軒立ち並び、各工場は鉄工溶接、プラスチックケースのプレス加工、カーテンづくりなどを手掛けていた。一見するとこの一角で、今アート製品がつくられているとはとても想像できなかった。 「ここは、生産基地であり、R&Dセンターであり、事務所でもある一つの『場』なんです」と郭さんは言った。工場内の間仕切りは自分たちが木で手作りしたもので、そこには大きな作業机がいくつか並べられ、工作機械のエリアがあった。木工技術のいいところは、なんでも自分たちでつくれてしまうこと、だから仕事で使う椅子も自分たちで設計してしまうのだった。 隣の工場のおじさんやおばさんたちは、彼らが何をしているのか聞いてもよく飲み込めなかったそうだ。今では状況は一変し、お隣さんたちと「異業種連盟」として手を組むまでになり、木のキーホルダーを入れるプラスティックケースやスチールのパーツなど、すべて近隣の工場でオーダーメイドしていた。日本は台湾から「政治家の育て方」を学ぶべきなのではないかと監訳者が述べているが・・・そうだろうなあ♪p278~279<監訳者あとがき>より 本書には、蔡英文氏が、2012年に初めて挑戦した総統選挙で敗北した後、民進党の党首を辞め、いったん野に下るという勇気ある選択をし、台湾の各地を回りながら、そこにいる人々と対話・交流することで、2012年の総統選挙で自分はなぜ負けたのか、あのとき自分に何が足りなかったのか、今後の台湾を導くにはどうすればいいのかを日々模索してきた3年間の姿が描かれている。つまり簡単に言えば、本書は二度目の総統選挙出馬へのチャレンジに向けた、3年間の過程の説明と、台湾の人々へのマニフェストなのだが、単純なマニフェストにはとどまらない魅力を持っている。 実は、蔡英文氏には、前回2012年の総統選挙の際に出版された『洋葱炒蛋到小英弁当―蔡英文的人生滋味』という自伝がある。邦訳は今年白水社から刊行予定で準備をすすめているところだ。この自伝の中で、蔡英文氏は自分のことを、人から注目されるのが苦手で、おとなしく物静かな人間だと形容している。経歴を見てもわかるように、彼女は実際「政治家」ではなく、どちらかと言えば「学者」であり「官僚」であるほうがしっくりとくる人だった。それが、本書の中では、「政治家」蔡英文の台湾改革への強い意思が感じられる。この3年間、台湾の人々が彼女を真の政治家へ、総統へと育てたのだとわかった。今後近い将来、日本でも、彼女のように政治家一族の出身でもない、女性の総理大臣が出て来ることはあるだろうか。実に羨ましい。私は本書から今後の台湾がどうなっていくのかを、日本にいる皆さんに予想していただくと同時に、日本は台湾から「政治家の育て方」を学ぶべきなのではないかと思っている。 台湾に関する本であるため、台湾に関心のない読者には全く興味をそそらない、と思われる方もいらっしゃるかもしれない。でも、それは心配には及ばない。この物語は、単に台湾だけの物語ではないからだ。 本書には、従来の台湾研究の枠を飛び越える学術的価値も存在する。2014年11月の統一地方選挙から2016年1月の総統選挙の間に、台湾で行われたいくつかの選挙が歴史的なパラダイムの転換点であり、その功績は台湾政治革命の先頭に立った蔡英文氏のリーダーシップにあり、その軌跡が本書に書かれているからである。総統選圧勝の翌日の朝日の記事を見てみましょう。2016-01-17蔡氏の個性、民進党変えた 清新な印象・政策重視より 台湾総統選と立法院(国会)選で圧勝した民進党は、国民党の一党独裁体制と戦ってきた反体制派の政党から、政策重視の穏健政党に変貌を遂げた。党歴が浅く、「民進党らしくない」とされた蔡英文主席が、その清新なイメージで改革を引っ張り、復調を果たした。 学者然とした蔡氏は、反体制派闘士が多い民進党では異色だ。党重鎮の游錫コン・元行政院長は「蔡氏の個性が党を変えた」と話す。蔡氏は政策を議論する会議に自ら参加、立案に深く関わった。また支持者から少額の献金を集める取り組みを成功させ、党勢回復の足がかりを作った。若い党スタッフも増えた。 ただ猫好きで知られる蔡氏は内向的な性格で、支持者との交流は苦手だった。主席就任直後は「集会での演説が盛り上がらず、頭を抱えた」と党関係者は振り返る。「資産家出身で庶民の気持ちが分からない」などとも評された。10年の新北市長選、12年の総統選に立候補したが、いずれも競り負けた。 だが落選後の雌伏が蔡氏を変えた。台湾各地を回って住民らと触れあい、様々な産業を視察して市民生活への理解を深めた。■中台のきしみ、避けられない 台湾政権交代(中国総局長・古谷浩一) 「一つの中国」の受け入れを求める共産党政権を支えるのは、「中華民族の偉大なる復興」とのプロパガンダにあおられた、この強硬な13億人の欲求である。 もちろん、中国政府は公式には慎重な態度に徹している。ネット上に、民主的な選挙へのあこがれの声があるのも事実だ。 しかし、本音にあるのは「(蔡氏は)生粋の台湾独立派だ。言いぶりは慎重だが、頑固でたちが悪い」との不信感にほかならない。 そこに「台湾人の台湾意識」といった微妙な感情を感じ取る繊細さはない。台湾の民意を直視するよう求める国際社会の声にも、返ってくるのはむしろ反発だ。蔡氏が「一つの中国」原則を認めなければ、共産党政権はその不満を徐々に行動で示していくだろう。 現実として、蔡氏が向き合うのはこうした中国である。中台関係のきしみは避けられまい。国際社会はこれにどう対峙するのか。我々日本人にとっても決してひとごとではありえない。『蔡英文 新時代の台湾へ』1
2016.08.17
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図書館に予約していた『蔡英文 新時代の台湾へ』という本をゲットしたが・・・・大陸に依存しない強靱な台湾経済・産業の創出に期待しています。日台は協調して、大陸の政権が自滅するのを待つのがいいかも(オイオイ)【蔡英文 新時代の台湾へ】蔡英文著、白水社、2016年刊<「BOOK」データベース>より一度は総統選に敗北しながらも、市民との対話を通し、未来を模索し続けた3年の軌跡。新たなリーダーシップの形と台湾の希望がここに!台湾初の女性総統による、初の著書!<読む前の大使寸評>大陸に依存しない強靱な台湾経済・産業の創出に期待しています。日台は協調して、大陸の政権が自滅するのを待つのがいいかも(オイオイ)冗談はさておいて・・・台湾はだんとつの親日国であるわけで、お互い協力して覇権大国・中国に対峙すべきなんでしょうね。<図書館予約:(7/31予約、8/11受取)>amazon蔡英文 新時代の台湾へ政権党(国民党)や民進党さえ脅かしたヒマワリ学生運動を、女性総統は高く評価しています。。p98~106<民進党を苦境に追い込んだヒマワリ学生運動>より 党主席の立候補を表明した3日後の夜、同僚から電話があり、「学生が立法院(国会)の議場に侵入した。私たち立法議員も現場に駆けつけている」と連絡があった。最初は驚いたが、その後すぐさま、学生の状況はどうなのか、怪我を負った学生はいないのかと思いを巡らせた。「今は状況も情報も混乱している」と答える同僚に、状況がわかり次第すぐに連絡するよう伝えた。電話を切ったものの、心の中はその時の議場内の状況と同じくらい混乱していた。もし私に予知能力があったならば、この議場での運動が台湾を変えるだろうとわかったはずだ。だが、その時はただ、何か大きな出来事が起こっているとしか思えなかった。 「ヒマワリ学生運動」(三一八学運)と呼ばれるこの運動は、台湾の人々にとってもまだ記憶に新しい。3月17日、「サービス貿易協定」が立法院を通過した時、国民党の内政委員会召集委員であった張慶忠は職権を利用して、議論が続いているにもかかわらず、隠し持ったマイクを使って、わずか30秒で審査の通過を宣言し、立法院会議に送って「保存審査中」とした。国民党は「サービス貿易協定」を実質的な審査を経ずして強行採決によって発効したことにしようとした。その「30秒」は台湾全土を騒然とさせ、人々の怒りが巻き起こったのだ。 3月18日の夜、市民団体は済南路で「民主を守る夜」の集会を開き、それも終わりにさしかかった時、抗議の学生が突然、立法院の通用門から押し入り、「国民投票で台湾を守る連盟」も人々を率いて正門から突入した。数百人が議場に突入し、法案の撤回と再審査を要求した。 急いで立法院に向かう途中、私は常に現場にいる立法委員と連絡を取り、学生と立法院の警備隊とが対峙していることを知った。これまでこうした出来事が起こったことはなく、台湾史上初めて、民意の最高機関である立法院が学生に占拠された。もともと動揺していた政治や、脆弱な経済、混乱した社会、深みにはまっていた中台関係、これらすべてがこの議場占拠によって重大な岐路に立たされることになった。しかし、これらの影響はすべて後からわかったことである。(中略) ヒマワリ学生運動の間、彼らは即座に方針の策定・指揮や後方補給ネットワークの立ち上げなどを行った。「g0v零時政府」が情報科学技術を駆使して現場で行った中継放送、物資需給プラットフォーム、外国語学部生が翻訳を担当した海外メディアへの現場状況の発信、医学部生が結成した医療チーム、現場のボランティアスタッフが整備した救急医療用の搬送通路、後方のネットワーク・・・彼らの指揮能力は戦場の指揮官に勝るとも劣らないものだった。 これまでの街頭デモ運動は、中華まんじゅうやらちまきなどを大量に購入して、現場の参加者に配ったりすると、それをもらえない人や、逆にたくさんもらう人もいたりした。だが、今回のデモに参加している若者たちは自らインターネットのシステムを構築し、グーグルマップと連携することで、どこで、何が、いくつ足りないのかなどを把握して、さらには業者にその特定の場所まで配達してもらうことまでできるようになっていた。資金についても、ネット募金プラットフォーム“FlyingV”と協力して募金活動を行っていた。 街はすでに、若者たちが「民主」を学ぶ場にとどまらない。自分の専門知識やコミュニケーション力を磨き、他者と一致団結して問題を解決するという重要な場としての機能を果たしていたのだ。(中略) 若者たちは、権力者の態度に接することで、その決心を強くする。私はテレビ中継をとおして、江宣樺行政院長が学生運動リーダーの林飛帆と街頭で対話しているのを見た。林飛帆の様子はとても落ち着いていて、訴える内容はシンプルながらも力のあるもので、言葉の組み立てがしっかりしていた。一方で、江宣樺は考えがまとまらず、動きもどこかぎごちなく、真摯に向き合って話し合おうとする誠意が見られなかった。 「馬英九政府の危機管理は新世代の恨みを買った」。世論が馬英九政府の歴史的位置づけを確定的なものとした。「歴史の経験則から言えば、学生と対峙する政治の力で、その後生きながらえたものは皆無だ」。 そうだ、世代交代は急速に進んでいる。この迫り来る力はまさに与野党を問わず、その扉を叩いているのだ。この力にどう向き合い、対処するのかが、今後の各党の方向性を決定づけるのだ。女性総統の決意を、この本の序章に見てみましょう。p13~16<私たちは皆「英派」である>より 20年後の台湾はどんな国になるのでしょうか。 皆さんは考えたことがありますか。 私はこの数年、ずっと考え続けてきました。 3年前、総統選挙が終わった後、私は原点に立ち返ろうと思い、「小英基金」とともに、インターネットフォーラム「想想論壇」を立ち上げました。 ここで当時の心境をありのままに綴ったのです。選挙戦の時の激しくたかぶる感情の渦、そしてきわどい政治的な攻防を終えた後、落ち着いて深く反省をしながら、この国の未来のために、また新たに全面的な計画をつくらなければと考えていました。 いま、この国はどんな姿をしているのか。 台湾が直面している問題、困難は何なのか。 そしてその中で私自身の役割とは何か。 台湾の過去における「民主」の位置づけを「熱情」が噴出したものだったと捉えるなら、現在はそれを理性的に構築する段階にあると思います。私は自分自身を理性的だと考えており、私のような人間がこのような時代に現れるということは、それなりに意義があるはずです。この一、二年、古い政治の時代はすでに終わりを迎えようとしています。そして、新しい政治の時代は、まだ輪郭がはっきりしていませんが、すでにやるべき仕事が大挙して待ち構えていることだけはわかります。 政治とは、ドイツの社会学者マックス・ウェーバーが言うように、「情熱と判断力の二つを駆使しながら、堅い板に力をこめてじわじわっと穴をくり貫いていく作業である」と思っています。 これが私のやり方です。 そしてこれを、まずは「英派」スタイルと名づけたいと思います。
2016.08.17
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<朝日デジタルの書評から93>日曜日の朝日新聞に読書欄があるので、ときどき切り取ってスクラップで残していたのだが、これを一歩進めて、無料デジタル版のデータで残すことにしたのです。・・・・で、今回のお奨めです。・コンビニ人間・現代思想の遭難者たち***************************************************************【コンビニ人間】コンビニ人間より<常識のあやしさ、「水槽」越しに:斎藤美奈子(文芸評論家) > 24時間営業。年中無休。コンビニエンスストアは現代日本に欠かせないインフラだ。でもね、本書の語り手・古倉恵子のコンビニ依存度は並みではない。なぜって彼女は、コンビニという環境の中でしか生きられない生物だから! 子どもの頃から世間とずれており、家族の心配の種だった恵子は、同じ制服を身にまとい、接客マニュアルを体得し、コンビニ店員になった日に確信する。 〈そのとき、私は、初めて、世界の部品になることができたのだった。(略)世界の正常な部品としての私が、この日、確かに誕生したのだった〉 以来18年間、彼女は同じコンビニでアルバイトを続けてきた。36歳、独身、恋愛経験なしのまま。 こういう人が周囲にいたらどうですか? 就職も結婚もしないで大丈夫? とか思いません? そこです、そこ。小説はそんな世間の「常識」を逆手にとり、コンビニ人間という生物の目から見た、世間の人々のあやしさをこれでもかと描き出す。水槽の中の魚が人類の生態を観察するような視点で。 村田沙耶香の持ち味は女性のセクシュアリティーがからんだ一種独特のヒリヒリ感だった。最近の『殺人出産』『消滅世界』は生殖をモチーフにした、SF的なディストピア小説だ。それが『コンビニ人間』で一気に芸域を広げた感あり。村田沙耶香的ヒリヒリ感がここでは武器として機能し、「あーら、おかしいのはそっちじゃないの?」と訴えかけてくる。 物語には恵子よりもっと問題児の「白羽さん」なる男性が登場。〈この店ってほんと底辺のやつらばっかですよね〉ってな悪態をつきまくる。 ある労働に特化することで可能になった、新種のプロレタリア文学。恵子が暮らすのは労働疎外の先にある世界である。読者はときに哄笑し、ときに冷や汗をかきながら、景色が反転する感覚を味わうだろう。 ◇村田沙耶香著、文芸春秋、2016年刊<「BOOK」データベース>より 36歳未婚女性、古倉恵子。大学卒業後も就職せず、コンビニのバイトは18年目。これまで彼氏なし。日々食べるのはコンビニ食、夢の中でもコンビニのレジを打ち、清潔なコンビニの風景と「いらっしゃいませ!」の掛け声が、毎日の安らかな眠りをもたらしてくれる。 ある日、婚活目的の新入り男性、白羽がやってきて、そんなコンビニ的生き方は恥ずかしいと突きつけられるが…。「普通」とは何か?現代の実存を軽やかに問う衝撃作。第155回芥川賞受賞。<読む前の大使寸評>新種のプロレタリア文学ってか・・・・なるほどね。芥川賞受賞作品としても気になる作品です。rakutenコンビニ人間***************************************************************【現代思想の遭難者たち】現代思想の遭難者たちより<現代思想をギャグで理解:永江朗> 哲学や思想を漫画で解説する本はいろいろある。古くは「リウスの現代思想学校」シリーズ(晶文社)、最近では「まんがで読破」シリーズ(イースト・プレス)など。だが、いしいひさいちの『現代思想の遭難者たち』は、そうした難解な思想を漫画で理解しようという本とはひと味違う。解説ではなく、現代思想をネタにしたギャグ漫画、四コマ漫画なのだ。 もとは西洋現代思想を紹介した『現代思想の冒険者たち』全31巻の月報に連載された漫画だ。大幅に加筆して単行本として刊行したところ、本家『~冒険者たち』をしのぐ評判となり、のちには増補版も出た。そして今回、文庫化。講談社学術文庫に四コマ漫画が入るのは初めてではないだろうか。 ハイデガーやウィトゲンシュタイン、デリダなど、20世紀を代表する思想家たちが登場する。ネタはその思想家のキーワードとなる用語や伝記的エピソードだ。フッサールの「現象学的還元」とかレヴィナスの「顔」、ベンヤミンの女癖が悪かったことなど。思想家たちの顔も似ている。しかも、ちゃんとオチがあって笑わせる。そこがイラストで図解したり漫画化した解説書とは違うところだ。思想家事典、現代思想キーワード事典としても使えて、意外と実用的でもある。編集部による的確な注もいい。 笑いながら読んでいて、ふと疑問がわいた。いしいひさいちは、これらすべての思想家の著作を読み解き、理解した上で漫画にしたのだろうか。それとも、専門用語やエピソードを適当に拾って漫画に仕立てただけなのだろうか。前者だったらすごいが、後者だったらもっとすごい。 ◇いしいひさいち著、講談社、2016年刊<出版社>より1996年から約3年にわたって、講談社から刊行されたシリーズ『現代思想の冒険者たち』(全31巻)の「月報」に連載された好評4コマに、大幅に増補して刊行、ベストセラーとなった傑作が、ついに文庫化。マルクス、ニーチェから、フーコー、デリダ、エーコ、ハンナ・アレントまで、34人の現代の思想家を笑い飛ばす!思想のエッセンスを直観的に汲み取り、笑いに変えてしまう「いしいワールド」のエネルギーに、哲学者たちも毀誉褒貶。これは現代思想の「脱構築」か?それとも哲学に対する冒涜か? 連載時から話題沸騰、そして、手塚治虫文化賞も受賞!<読む前の大使寸評>哲学者たちでも笑い飛ばす・・・・いしいひさいちに怖いものはないのだ!♪rakuten現代思想の遭難者たち**************************************************************<asahi.comのインデックス>最新の書評を読むベストセラー解読売れてる本朝日デジタルの書評から92
2016.08.16
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連日猛暑の日本列島であるが、避暑をかねてくだんの2本立て館に繰り出したのです。今回の出し物は「家族はつらいよ」と「あやしい彼女」であり、館主の設けたテーマは家族愛のようです。毎度のことながら、2作品を選ぶ館主のセンスには感心しているのですが・・・・この猛暑に夏バテ気味となった大使にカツを入れてくれたようです♪【家族はつらいよ】山田洋次監督、2016年制作、H28.8.14観賞<Movie Walker作品情報>より巨匠・山田洋次監督が『男はつらいよ』シリーズ以来ひさびさに手がけるコメディ。突然の両親の離婚問題に揺れる子供たちら8人が繰り広げる騒動を描き出す。橋爪功と吉行和子が離婚の危機を迎えた熟年夫婦を演じるほか、西村雅彦、夏川結衣といった『東京家族』で一家を演じた8人のキャストが再集結し、別の家族を演じている。<大使寸評>この映画の中に小津さんの「東京家族」が劇中劇のように出てくるわけで・・・山田さんの映画としては「東京家族」その2のような作りになっています。今回のはコメディタッチで、よく笑わせてもらったが・・・もしかして「家族はつらいよ」シリーズ化を狙っているのかも?♪Movie Walker家族はつらいよこの映画館では毎回、幕間にお昼の弁当を食べるのだが・・・・今回は地下鉄駅のキオスクで買ったサンドウィッチでした♪【あやしい彼女】水田伸生監督、2016年制作、H28.8.14観賞<Movie Walker作品情報>より20歳の姿に変身し、青春を取り戻そうとする73歳のおばあさんが繰り広げる騒動を描き、韓国と中国でヒットを記録した同名作をリメイク。『謝罪の王様』などコメディを得意とする水田伸生監督が多部未華子を主演に据え、見かけこそ若々しいが、口を開けば毒舌なおばあさんがかつての夢を叶えようとする姿を描く。変身前の姿を倍賞美津子が演じる。<大使寸評>カツとジローというコンビは戦災孤児同士という固いきずなで結ばれているのだが・・・この映画を終戦記念日イブに観ることは、時宜を得ていたわけでおます。20代に変身したカツが、70代オババの毒舌を吐くというアンバランスが、なんともええでぇ♪それからカツ(多部未華子)が歌う往年の流行歌が、ええなぁ。エンドロールの後に、アンコールのように「見上げてごらん夜の星を」を歌っているが、これもええやん♪Movie Walkerあやしい彼女パルシネマ上映スケジュール
2016.08.15
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図書館に予約していた『帝国日本の生活空間』という本をゲットしたが・・・・著者の切り口が奇抜とさえ言えるわけで・・・・植民地的レイシズムなどと堅いことをいわなければ、面白いかも♪【帝国日本の生活空間】ジョルダン・サンド著、岩波書店、2015年刊<「BOOK」データベース>より上流階級の「洋館」生活を売り物にした大衆メディア、「味の素」(グルタミン酸ナトリウム)の世界への普及、バンガロー式住宅の移入、「文化生活」言説と「文化住宅」、床座と椅子座の交差と籐椅子の伝播、海外植民地から帝都東京への「内地観光」など、知識、もの、人の流通回路を通じて、帝国が引き起こしていた不平等な出会いと差異の構造を明らかにする意欲的論考集。<読む前の大使寸評>著者の切り口が奇抜とさえ言えるわけで・・・・植民地的レイシズムなどと堅いことをいわなければ、面白いかも♪<図書館予約:(8/08予約、8/12受取)>rakuten帝国日本の生活空間籐椅子を通して、台湾領有を見てみましょう。p192~195<熱帯の繊維を家具にする>より 台湾を領有したとき、日本は熱帯帝国となった。というのも台湾は北端でも北緯25度、北回帰線のわずか北であり、平均温度が高く雨が多いモンスーン地域に一部がかかっているからである。日本人がこの環境で繁栄し繁殖できるのかという問いは当局の危惧するものともなった。後に日本が南洋に植民地を設けたとき、同様の関心はより大きく現れた。 日常の水準では、どのような衣服や住居が熱帯での日本人の生活に適しているかという問いがあったし、またより広くみれば、熱帯気候下でいかに健康を保つかという問いがあった。この懸念は植民地生活のあらゆる点に熱帯気候が影響していたアジア植民地におけるヨーロッパ人と同じだった。 緯度と無気力の問題は、ここで考察したいもう一つの植民地的感性の側面につながる。すなわち熱帯植物の繊維を用いた家具の使用である。籐、椰子、竹はアジアで大変広くみられる植物で、細工する上で扱いやすく用途も広い。これらの植物は単子葉であり、木というよりは草に近い。単子葉植物はまっすぐで平行な繊維の束で構成され、一旦成長すればその直径は一定となる。これらの特徴から繊維はしなやかで強く軽いが、仕口や継手には不向きである。 有史以前からずっと熱帯・亜熱帯アジアの人々は、結ぶ、編むをはじめとするさまざまな技術により、単子葉植物の繊維を、家庭用品、道具やその他日用品に仕立てていた。籐編みで作られた椅子はとくに近代の西洋人にとって熱帯を想起させるものである。日本や中国の温帯地域でも多くの品種の育つ竹と違って、籐はまさにアジア熱帯林の産物であり、また南・東南アジアの植民地に住んだり旅したりした西洋人の体験を通じて籐椅子が普及したからでもある。 16~17世紀、割かれた籐はポルトガルやオランダの船でヨーロッパに運ばれた。木枠に籐の紐を編んで作られた椅子は、その後ヨーロッパを通じて人気を博した。家具の流行が19世紀前半に詰め物の部厚い椅子に一旦回帰した後、19世紀後半に籐は欧米市場で再登場するが、この時は明らかに東アジアの様式とモティーフを示した、編み細工と曲げ木細工の家具に用いられた。(中略) 18~19世紀の籐の貿易は、ほとんどがマラッカやシンガポールなどの集散地にいる中国人商人を通して行われた。機械化以前にアジアで籐家具づうくりに使われた技術も、おそらくその多くは中国由来である。たとえば日本で籐家具店の先駆けだった田中英八商店が明治後期に椅子を作り始めたとき、経営者は横浜で中国人経営の籐家具工房に勤めていた十人の中国人を雇った。籐加工が機械化され、工程が発達した後も、もっとも標準的な部材はアメリカとヨーロッパに発送され、不揃いの部材は、手工業を支配していた中国人に買い付けられていた。(中略) 台湾は中国と日本の市場への籐の重要な供給地だったが、20世紀の植民地台湾の籐輸出は、もっとも利益率の高い熱帯雨林産品である樟脳や、植民地政府から多大な資本投入を受けていた砂糖に比べて、小規模だった。1861年に合衆国で籐の加工が機械化されたのを受けて、アジアで家具に加工されるよりも大量の繊維が蘭領東インドや英領マラヤから西洋の業者に輸出されるようになった。そのため台湾では、籐が産業としてもたらす歳入の重要性よりも、日本帝国内部の需要を満たすための、利用が容易な地域産品としての利便性の方に、意義があった。14日のNHKスペシャル『村人はなぜ満州に』を見たのだが、帝国日本の移民政策はまさに棄民のようなものでした。王道楽土、五族協和を標榜した拓務省の存在や、強引な移民が正当化される理由はどこにもないわけで・・・しかも、その罰は有耶無耶にされたようです。敗色濃厚になった時期に満蒙開拓に出向くなどということは、死地に送り出すようなものでしたね。(なお、開拓民に与えた関東軍の酷い仕打ちは語るに耐えません)一方、貧農対策として分村移民を推進した農林省も拓務省と同じようにウロが廻っていたようです。
2016.08.15
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<『帝国日本の生活空間』>図書館に予約していた『帝国日本の生活空間』という本をゲットしたが・・・・著者の切り口が奇抜とさえ言えるわけで・・・・植民地的レイシズムなどと堅いことをいわなければ、面白いかも♪【帝国日本の生活空間】ジョルダン・サンド著、岩波書店、2015年刊<「BOOK」データベース>より上流階級の「洋館」生活を売り物にした大衆メディア、「味の素」(グルタミン酸ナトリウム)の世界への普及、バンガロー式住宅の移入、「文化生活」言説と「文化住宅」、床座と椅子座の交差と籐椅子の伝播、海外植民地から帝都東京への「内地観光」など、知識、もの、人の流通回路を通じて、帝国が引き起こしていた不平等な出会いと差異の構造を明らかにする意欲的論考集。<読む前の大使寸評>著者の切り口が奇抜とさえ言えるわけで・・・・植民地的レイシズムなどと堅いことをいわなければ、面白いかも♪<図書館予約:(8/08予約、8/12受取)>rakuten帝国日本の生活空間大使にとって土地勘があるということで・・・・植民地朝鮮での文化住宅を見てみましょう。p174~180<植民地における文化>より 1922年6月末に出版された『朝鮮の建築』の創刊号は文化生活と文化住宅の特集を組んだ。編集者の巻頭言では新たな朝鮮建築会の使命を「内鮮の文化的生活改善と共に気候風土に適応せる住宅建築の普及」にあると掲げた。この巻頭言に続いて、東京帝国大学の歴史学者である黒板勝美が京城公会堂で「文化と建築」と題して講演した。同会結成講演会の記録がある。 同号は文化生活とバンガローに関する記事も掲載しており、『アメリカン・アーキテクト』誌から引用したバンガロー2棟の設計と建設費用の完全な明細もそのまま転載している。3年後、朝鮮建築会は文化住宅研究委員会を設け、京城郊外の土地を将来の文化村建設のためにいくつか調査した。 内地と同様、文化住宅という呼称は、建築家が設計し雑誌に掲載した住宅には限られなかった。大衆の言説では、擁護者によって使われたときは肯定的なものの印として、批判や嘲笑を受けるときには否定的なものの印として、どんな新住宅でも新奇な特徴があれば文化住宅と呼ばれた。 植民地朝鮮では、西洋の建築様式の徴に加えて二階があることが文化住宅の基本的な基準だったようである。これは内地でも同様であったが、朝鮮半島ではより強く主張されたようだ。それまでの朝鮮の都市では、日本の都市に比べ二階以上の建物が少なかったためだろう。京城の住宅地の多くでは、1920年代になっても萱葺き平屋建ての住宅しかなかった。 文化住宅の文化的な含意には、内地でも流行していた核家族世帯と夫婦愛という連想を含んでいる。内地でも植民地でも、郊外の小さな専用住宅という理念が、とくに複数世代家族の負担から逃れようとする若い夫婦にとって魅力的だった。日本と朝鮮双方の主唱者が、自国の「家族制度」を改革する必要を語った。 建築的に見れば、デザインの語彙とその含意の幅もまた内地と同様だった。つまり朝鮮のムンファジュテクも日常生活上の要求にまつわる空間を合理化することが期待され、単なる流行を理由とせずに西洋の手本を採用したのである。 主唱者は世界中から最良の特徴を採り入れれば、世界的なものを効果的に土着化できるものと信じていた。日本の一部の論者と同様、朝鮮の知識人も安価で自国の住居と類似しているとみなしたバンガローを適応させることを提案した。また、朝鮮の気候への合理的な適応でもあり民族的な誇りでもあったオンドルの維持を求めた。 しかし、京城郊外の新たな「文化村」計画は、内地と植民地の経験の間に横たわる深い溝を示している。1922年平和博覧会の上野「文化村」建設の後、「文化村」と呼ばれた新たな開発がいくつか東京やその他内地の都市の郊外に出現した。 鉄道会社やその他民間開発業者がこうした住宅地を建設した。鉄道資本が農地を取得し、そこにホワイトカラーの通勤者という新たな居住者が住み、長く維持されてきた農村を圧倒するという過程は、一種の植民地化ではあった。(中略) しかし、内地諸都市の郊外における「植民者」の状況は、朝鮮における内地人の状況とは根本的に異なっていた。朝鮮では総督府が直接、内地人の居住を目的とした原居住者からの土地強制買収に関与していたからである。 国策会社である東洋拓殖会社によって、朝鮮半島全域の農地が日本人の手許に移転させられたことの都会版が、京城周辺の新たな「文化村」開発にみてとれる。たとえば旧城壁の西に位置する新堂里の桜ヶ丘郊外住宅地は、土幕民と呼ばれる小屋住まいの都市流入民の大規模な集住地があった場所に建設された(図21)。東洋拓殖会社はこの土地の権利を略取し、1931年に現状の住民に対処し土地を管理するため朝鮮都市経営会社という子会社を設立した。京畿道警察部は住民を立ち退かせ、反抗者に対しては武力をもって鎮圧した。(図21)土幕民住居(中略) 朝鮮の場合、世界文化的な近代性を指し示す日常品や流行だけでなく、グローバルな近代性という理念自体が舶来品であった。衛生運動、また伝統的な髪型や服装への規制のように帝国の警察権力が「近代」を押し付けた場合もあった。そうでない場合も近代性は、すでに日本のメディアを通じて日本人によって仕立てられて到来したのである。
2016.08.14
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<『浮世絵探検』>図書館で『浮世絵探検』という本を手にしたが・・・・高橋さんの対談者の顔ぶれがすごいですね。企画編集の勝利とでもいうべきか♪【浮世絵探検】高橋克彦著、岩波書店、1997年刊<「MARC」データベース>より根強いブームの浮世絵、人気の秘密はどこにあるのだろうか。横尾忠則・宮地正人・荒俣宏・水木しげる・皆川博子・新宮一成といったゲストと共に、趣向を凝らしたテーマで、常識を覆す浮世絵の深層に迫る。<読む前の大使寸評>高橋さんの対談者の顔ぶれがすごいですね。企画編集の勝利とでもいうべきか♪amazon浮世絵探検ジャポニスム漫画と浮世絵が世界に及ぼした影響を荒俣宏さんが語っています。p90~94<漫画と浮世絵の旧道とバイパス>荒俣:漫画と浮世絵の関係というと、どうも本道がない。本道はないんだけれども、バイパスと旧道はあるような気がする。 まずバイパスの場合から行くとね、これは少女漫画の特別な発展と関係がある。ごく最近、海外のアールヌーボー、アールデコのものを見ていてよくわかったのですが、アールヌーボーのちょっと前ぐらいの時代にジャポニスムがあった。それはだいたい「北斎漫画」とかカリカチュアに非常に近いような人体の動きがあるようなものと浮世絵のグラフィックなデザインとをヨーロッパの人が見て、ショックを覚えたのですね。 そのショックは簡単にいえば、とりあえず、絵の表現を立体的なところでこだわっていると、人間の動きの面白さなんてあまり出てこない。むしろ二次元的な展開にしちゃったほうがよっぽど面白いんじゃないかということでしょう。つまりグラフィズムみたいなものが出てきて、ちょうど19世紀の終わりから20世紀ぐらいにヨーロッパの人びとが影響を受ける。 とくに挿絵画家が浮世絵っぽい絵をヨーロッパ的にアレンジして描くようになった。それがフランスでアールデコの絵の主流になるのですね。アールデコ時代はほとんどファッション画とファンタジー小説の挿絵ばかりだったから、必然的にいまの少女漫画と同じような展開をして、小道具からキャラクターまでができちゃった。 それを見たのが蕗谷虹児だとか竹久夢二、ああいう大正ロマンの人びとなんですね。「アッ、これはすごい」って、どこかなんとなく日本的なものがあるんだけど、なんか西洋的な要素もあるというので、あれを採り入れた。最初はほとんどがコピーです。それを見た戦後の少女漫画家がそれをまたコピーして、いまの少女漫画の絵柄の原型が出てきている。彼女たちは、浮世絵の存在は、まあ、知っているけど、まさか自分たちがその末裔とは気づかずに、あくまでもフランスのアールヌーボーの絵を真似したんだと思い込んでいるけど、じつは遠くをたどると、そっちのほうになっている。 もうひとつ、旧道がどうもありそうなのね。この旧道は日本伝統の戯画。浮世絵って半分以上戯画の部分があるじゃない。それこそ鳥獣戯画から、大津絵まで。岡本一平とか田河水泡なんかも、この系譜ですよ。 この戯画の要素がいまの漫画の一部に使われていて、これがまた意識が最近までほとんどない。まさか自分が浮世絵を中心とする日本の戯画の伝統につながっているんだとは、たぶんまったく気がついていなかったと思うのです。それはたぶん旧道、昔の道だと思うのです。ふだん歩いていて、何気なく気がついたら、これは昔の東海道だったというようなところがどうもあって、このバイパスと旧道の二つの流れから浮世絵と劇画をつなげると、わりと見通しがつくんじゃないかなという感じがちょっとしています。高橋:僕は、だいぶ前から浮世絵が劇画のルーツだというふうに主張してはいたんだけど、それでいて、どこでどうつながっているかというのがよくわからなかったのね。荒俣:ぼくの考えるところでは、テキストが必ずあって迫力ある挿絵をつけるかたちがだんだんとスペクタルアートになって、ついに劇画に行きついていくには、1回ヨーロッパの影響を受けていると思うのです。 ヨーロッパのイラストレーションというものをシャワーみたいに浴びて、それは、昔、北斎なんかがヨーロッパの影響を受けて、いろいろな絵柄のうえで大スペクタクルを展開していったことと、かなり関連した問題ではないかなという気がするのだけどね。 浮世絵や挿絵入りの本が庶民のあいだで流通していた当時のニッポンは、まさにクール・ジャパンだったのでしょうね♪この記事もクール・ジャパンあれこれ3に収めておきます。
2016.08.14
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図書館で『妄想人生』という本を手にしたが・・・・器用貧乏にも見える島田さんの遍歴あるいは秘密を見てみたいと思ったわけです。【妄想人生】島田雅彦著、毎日新聞社、2005年刊<「BOOK」データベース>より夢見るオジサマになるために。あなたの妄想脳を鍛える気宇壮大のススメ。<読む前の大使寸評>器用貧乏にも見える島田さんの遍歴あるいは秘密を見てみたいと思ったわけです。amazon妄想人生二大文字文明衝突の現場でもあるのあたりを見てみましょう。p75~78<漢字ユーザーの憂鬱>より 今日のように英語が世界を制覇してしまうと、マイナー言語は急速に消滅の道を辿る。現在、6千あるといわれる言語のうち半分は21世紀中に消滅するといわれる。日本語や中国語はユーザーが多いから、安泰かというと、そうともいい切れない。 言語が生き延びられる条件とは、それを用いて書く人がおり、かつそれを読む読者がいるということである。また、それを話し、読む人がいなくなったら、言語は消滅する。言葉は突然滅びるのではなく、儲からない言葉、邪魔になる言葉を少しずつ捨てながら、弱くなってゆくのである。同じ日本語を喋っていても、まったく気持ちが通じないという事態が繰り返されるうちに弱くなるのである。現在、日本語の危機を叫ぶ人々が、いくらおくゆかしい日本語の復活を望んでも、それに見合った生活様式が消えてしまった以上、死語が累々と積み上げられるだけであろう。 むしろ必要とされているのは、とても平易だが、さまざまなニュアンスが絡まった言葉によるコミュニケーション文化をつくることだろう。結局、日本語の問題は、日本人の感情の問題で、感情はいつも日本人の行動・言語と結びついている。感情表現の共通化と洗練を同時にやらないと、同じ日本語でも通じなくなる。 日本人はどんな時に快楽を感じるのか、どんな時に義憤に駆られるのかというような、喜怒哀楽とストレートに結びつくような研究、喜怒哀楽と日本語の研究をやっていくしかない。 たとえば、恋愛は、文学でも言語表現が最も豊かになるジャンルだ。感情が一番よく働く営みが恋愛だとすれば、その恋愛の倫理を言語と結びつけるかたちで洗練させていくのは、言語を守る一つの手段にある。和歌や『源氏物語』を引き合いに出すまでもなく、日本語は性愛を洗練させていく手つきの中で最も豊かになってきたのだから。 効率優先の社会では何事も結論を急ぐ。結局、何をいいたいのか、それを知るには、どの本を読むのが一番手っ取り早いのか、学生もショートカットばかり求めてくる。だが、認識に辿り着くまでに悶々と悩む時間がないと、個々の言語は洗練されないということもある。悶々を終始一貫味わい尽くしたあとの言語表現にはカタルシスがあり、普遍性が出てくる。小説の現場でも、悶々のプロセスが楽しいのであって、いきなりショートカットで結論に達してしまう作品には、あまり楽しみ、喜びがない。 だが、それなりにニュアンスに富み、資本主義に関与し、スピーカーも多い日本語が英語のように普及しないのは、やはりあのしち難しい漢字があるからである。明治時代には日本語をローマ字表記しようと考えた森有礼のような人もいた。石川啄木が残した『』は非常に読みづらいが、1ヵ月もすれば、慣れるだろう。 日本語がトルコ語みたいにローマ字表記になっていたら、今よりは世界に流通し、学習者も増えていたかもしれない。もちろん、その場合は明治末期生まれの人から日本人は一切漢字を理解できない民族になっている。覚えるのは大変だが、忘れるのは簡単だ。かつて漢字文化圏にあった韓国も、ベトナムももはや漢字表記に戻ることはできない。 ところで、これを書きながら、ふと気付く。何のことはない、私は今まさに日本語をローマ字表記で打ち込んでいる。ローマ字のキーボードを叩いて、かなや漢字に変換している。日本語の表記は電脳がやっているのであって、私の作業自体はローマ字で行っている。 結果的に現在に至るまで漢字にしがみついている日本語は、究極の選択を迫られ続けているともいえる。英語や日本語の音感に慣れ親しんだ日本人は、音の組合せによって、言葉を固定していこうというアルファベット言語と同じ方向へ進むだろう。他方、書物を通じて日本語に親しんできた日本人は、意味を単位にした文字、漢字を維持していこうという方向に進む。しかし、識字率が十分高く、いまさら近代化を唱える必要もない日本では最後まで漢字が残るだろう。日本語がローマ字表記になっていたら、ベトナム語やトルコ語のような言語になっていたのか・・・なんか、今よりは確実にバカになっているような気がするけど(笑)このところ、砂漠つながりで以下の島田雅彦さんの本をよんだが…なんかミニブームの感があるのです。『妄想人生』1『退廃礼讃』『ミス・サハラを探して』
2016.08.13
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今回借りた5冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば「エッセイ集」でしょうか♪<市立図書館>・蔡英文 新時代の台湾へ・隠居の日向ぼっこ・妄想人生・エリーの部屋<大学図書館>・浮世絵探検図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)************************************************************【蔡英文 新時代の台湾へ】蔡英文著、白水社、2016年刊<「BOOK」データベース>より一度は総統選に敗北しながらも、市民との対話を通し、未来を模索し続けた3年の軌跡。新たなリーダーシップの形と台湾の希望がここに!台湾初の女性総統による、初の著書!<読む前の大使寸評>大陸に依存しない強靱な台湾経済・産業の創出に期待しています。日台は協調して、大陸の政権が自滅するのを待つのがいいかも(オイオイ)冗談はさておいて・・・台湾はだんとつの親日国であるわけで、お互い協力して覇権大国・中国に対峙すべきなんでしょうね。<図書館予約:(7/31予約、8/11受取)>amazon蔡英文 新時代の台湾へ【隠居の日向ぼっこ】杉浦日向子著、新潮社、2008年刊<「BOOK」データベース>よりはこぜん、きせる、ふさようじ、ひごのかみ、はいちょう、へちま、ねんねこ、おひつ、ゆたんぽ、はたき…。江戸から昭和の暮らしを彩った道具たち。いまも伝わる暮らしの小物や、懐かしい想い出のまつわる、いまはなき品々。四季折々の風物でもある「もの」たちを、愛情こめて綴る。人肌のぬくもりを感じさせる味わい深い文章を、漫画作品から選んで添えた挿画とともに楽しめるエッセイ。<読む前の大使寸評>パラパラとめくると、漫画や画像のページが多くて読みやすい本である。杉浦日向子の江戸の薀蓄も満載で、ええでぇ♪杉浦さんは2005年7月22日、がんのため46歳で逝去されました。借りた本は2005年刊のハードカバーでした。rakuten隠居の日向ぼっこ【妄想人生】島田雅彦著、毎日新聞社、2005年刊<「BOOK」データベース>より夢見るオジサマになるために。あなたの妄想脳を鍛える気宇壮大のススメ。<読む前の大使寸評>器用貧乏にも見える島田さんの遍歴あるいは秘密を見てみたいと思ったわけです。amazon妄想人生【エリーの部屋】大宮エリー著、幻冬舎、2009年刊<「BOOK」データベース>より素晴らしいご縁に感謝!不器用でめんどくさいエリーと、ユーモアと愛情溢れるゲストとの、笑えて深くて元気になる本。<読む前の大使寸評>パラパラとめくると、エリーは関西弁やないけ♪…それだけに親近感がわく大使でんがな。経歴を見ると…なんと、東大卒なんですね。東大卒のマルチタレントというのが、ええでぇ。amazonエリーの部屋【浮世絵探検】高橋克彦著、岩波書店、1997年刊<「MARC」データベース>より根強いブームの浮世絵、人気の秘密はどこにあるのだろうか。横尾忠則・宮地正人・荒俣宏・水木しげる・皆川博子・新宮一成といったゲストと共に、趣向を凝らしたテーマで、常識を覆す浮世絵の深層に迫る。<読む前の大使寸評>追って記入amazon浮世絵探検***************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き163
2016.08.12
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図書館で『隠居の日向ぼっこ』という本を手にしたが・・・・パラパラとめくると、漫画や画像のページが多くて読みやすい本である。杉浦日向子の江戸の薀蓄も満載で、ええでぇ♪【隠居の日向ぼっこ】杉浦日向子著、新潮社、2008年刊<「BOOK」データベース>よりはこぜん、きせる、ふさようじ、ひごのかみ、はいちょう、へちま、ねんねこ、おひつ、ゆたんぽ、はたき…。江戸から昭和の暮らしを彩った道具たち。いまも伝わる暮らしの小物や、懐かしい想い出のまつわる、いまはなき品々。四季折々の風物でもある「もの」たちを、愛情こめて綴る。人肌のぬくもりを感じさせる味わい深い文章を、漫画作品から選んで添えた挿画とともに楽しめるエッセイ。<読む前の大使寸評>パラパラとめくると、漫画や画像のページが多くて読みやすい本である。杉浦日向子の江戸の薀蓄も満載で、ええでぇ♪杉浦さんは2005年7月22日、がんのため46歳で逝去されました。借りた本は2005年刊のハードカバーでした。rakuten隠居の日向ぼっこ江戸の道具のなかで、はこぜんを見てみましょう。p29~31<はこぜん> お茶の間の象徴でもある、ちゃぶ台というのは意外と新しく、全国津々浦々に普及したのは、昭和に入ってからのことという。 田舎では囲炉裏端、町なかではひとりずつの膳で食事をした。 家族そろって、ひとつの卓を囲むのは、特別にハイカラな光景だったのだ。 膳にも、蝶足、猫足、塗り、螺鈿、木地などさまざまあるが、一般庶民に広く使われていたのは、はこぜんだ。 蓋付きの四角い箱の中に、ひとりぶんの食器が入っている。飯椀、汁椀、小鉢、小皿、そして箸。それらの食器は、色や形が微妙に違っていて、お父さんの、お母さんの、お兄ちゃんの、わたしの、と、間違えることのないようになっている。 西欧では、組で揃えた食器を使い、来客も家人も、別はない。個々専用のカトラリーはナプキンホルダーくらいのものだ。 でも、わたしたちの慣習では、遊びに来た友人に、お父さんの湯のみでお茶を出したら気まずいし、お兄ちゃんの席に妹の箸が置いてあったら変なのだ。 「いただきます」とは、膳に供された野菜や肉や魚も、この世に生を受けた命であり、その命を戴いて、今日を生きるという確認なのだろう。そのとき食器は、自らの体の延長となる。ひとりぶんの、はこぜんを前にして、命の分け前を有り難く戴く。そんな敬虔な食があったと、たまには思い出したい。 それでも家族で囲む食卓は楽しい。ひとつながりの卓の上を箸が行き交う食事は、飢えとは無縁の豊かさの恩恵に外ならない。もうひとつ、畳を見てみましょう。p38~40<畳> たたみいわしが好物で、さっとあぶったのをかじりながら、ありふれた本醸造の熱燗を、大ぶりのぐい呑みでやっていると、ちうくらいのほどよいしあわせを感じる。 ふだんの肴なので、たたみいわしが全国区じゃないと知ったのは最近のことだ。どこにでもある海産物と思っていた。たたみいわしも好きだが畳も好きで、畳でごろごろしながら、地図や船の本などめくっていると、やはりちうくらいのほどよいしあわせを感じる。 江戸などをやっているので、純和風に住んでいると思われているが、私の住まいの中には畳が三枚しかない。いまこれを書いている書斎にである。 新聞にはさまってくる新築物件のちらしも、フローリング全盛で、六畳の和室がひとつあれば良いほうだ。すでに若い子では、部屋の広さを〇畳といってもピンとこない。それってだいたい何へーべー? と聞き返される。 とはいえ、歴史的に見れば日本家屋はずっと板敷きが主流で、近世に入っても、畳の部屋は全国には普及しなかった。畳が板をおさえて、ほとんどの部屋に敷きつめられたのは、明治をよほどすぎてからという。新たな日本の住まいから畳がなくなったとしても、また板敷きに戻るだけなのだから抵抗感はないはずだ。 還暦すぎまで畳に親しんできた両親も、すっかり洋間になじみ、ベッドで眠りダイニングで食事をし、畳を離れて十年たつ。私は私の三畳で、素足の感触や、い草の匂う昼寝を楽しんでいるわけで、郷愁ではなく嗜好だと思う。これからは部屋でなくとも、くつろぎの指定席としてのMY畳もいいんじゃないかなあ。ちなみに、日本情緒に拘りがあったので、大使の書斎も三畳敷きにしたわけで…ゴロ寝には最適でおま♪
2016.08.12
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<図書館予約の軌跡55>『朝日デジタルの書評から』フォームや『読みたい本』フォームを作っているのだが、これを市図書館の予約に利用しようと、思い立ったのです。これまでの予約内容と予約候補は以下のとおりです。<予約中>・新「ニッポン社会」入門(4/25予約済み、副本2、予約47)・バラカ(5/01予約済み、副本16、予約302)・ダーリンは70歳(5/11予約済み、副本3、予約108)・謎のアジア納豆(6/11予約済み、副本2、予約21)・漁港の肉子ちゃん (7/07予約済み、副本22、予約101)・夜を乗り越える(7/11予約済み、7冊入荷待ち、予約72)・イエスの幼子時代(7/27予約済み、副本0、予約12)・米中百年戦争(8/13予約済み、副本0、予約0)<カートで待機中>・みんな彗星を見ていた・櫻画報大全・海をわたる機関車・N・ネフスキー著『月と不死』・南米「棄民」政策の実像<予約候補>・栽培植物と農耕の起源・江戸時代の通訳官・原色 木材加工面がわかる樹種事典・フィールドサイエンティスト 地域環境学という発想・禁じられた歌(田)・福沢諭吉の朝鮮・ペルシア王は「天ぷら」がお好き?<予約分受取:7/08以降>・夢売るふたり 西川美和の世界(7/04予約、7/08受取)・中国と日本(1/06予約、7/21受取)・事件の地平線 (7/05予約、7/21受取)・介護民俗学へようこそ!(7/09予約、7/23受取)・長いお別れ(11/23予約、7/23受取)・勝者なき戦争 世界戦争の二〇〇年(7/22予約、7/27受取)・戦後日中関係と同窓会(7/28予約、8/02受取)・吉原御免状(8/03予約、8/06受取)・蔡英文 新時代の台湾へ(7/31予約、8/11受取)・帝国日本の生活空間(8/08予約、8/12受取)【新「ニッポン社会」入門】コリン・ジョイス著、三賢社、2016年刊<「BOOK」データベース>より10年ぶり、あの快作がパワーアップして帰ってきた。デビュー作『「ニッポン社会」入門』で、日本社会の本質を鮮やかに描き出したコリン・ジョイスが、再びその真相に深く迫る抱腹必至のエッセイ集。今回も、思いもよらないような発見と磨き上げられたユーモアが満載。目からうろこが落ち、へそが茶をわかすー日本論なら、この人におまかせ!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(4/25予約済み、副本2、予約47)>rakuten新「ニッポン社会」入門【バラカ】桐野夏生著、集英社、2016年刊<「BOOK」データベース>より震災のため原発4基がすべて爆発した!警戒区域で発見された一人の少女「バラカ」。ありえたかもしれない日本で、世界で蠢く男と女、その愛と憎悪。想像を遙かに超えるスケールで描かれるノンストップ・ダーク・ロマン!<読む前の大使寸評>震災のため原発4基がすべて爆発・・・怒りの作家が描く近未来というべきか。それにしても、図書館の順番待ち302番とは絶望的やな~。<図書館予約:(5/01予約済み、副本16、予約302)>rakutenバラカ【ダーリンは70歳】西原理恵子著、小学館、2016年刊<出版社情報>より素敵に齢をとって生きたいカップルへ! 美容整形界の第一人者で高須クリニック院長である、高須克弥氏・70歳。そしてコミック界の最終兵器、西原理恵子氏・50歳。二人合わせて120歳の熟年バカップル漫画。いくつになっても愛と人生を語り続けます! <読む前の大使寸評>追って記入予定<図書館予約:(5/11予約済み、副本3、予約108)>rakutenダーリンは70歳【謎のアジア納豆】高野秀行著、新潮社、2016年刊<「BOOK」データベース>より山奥のジャングルで出会った衝撃的納豆ご飯。ぱりぱりと割れるせんべい納豆。元・首狩り族の優雅な納豆会席。中国湖南省の納豆入り回鍋肉。そして日本で見つけてしまった「究極の納豆」。本気度1000パーセントのノンフィクション大作。壮大すぎる“納豆をめぐる冒険”<読む前の大使寸評>これまで高野さんの本を3冊よんでいるが、どれも面白かった。この新刊も面白いはずである。<図書館予約:(6/11予約済み、副本2、予約21)>rakuten謎のアジア納豆【漁港の肉子ちゃん】西加奈子著、幻冬舎、2011年刊<「BOOK」データベース>よりみんな、それぞれで生きている。それでいい。圧倒的な肯定を綴る、西加奈子の柔らかで強靱な最新長編。<読む前の大使寸評>この本の表紙はクリムトの絵の摸写であるが、なかなかのもんやでぇ♪・・・・と、大使は加奈子画伯が描く絵にも注目しているのです。<図書館予約:(7/07予約済み、副本22、予約101)>rakuten漁港の肉子ちゃん【夜を乗り越える】又吉直樹著、小学館、2016年刊<「BOOK」データベース>より芸人で、芥川賞作家の又吉直樹が、少年期からこれまで読んできた数々の小説を通して、「なぜ本を読むのか」「文学の何がおもしろいのか」「人間とは何か」を考える。また、大ベストセラーとなった芥川賞受賞作『火花』の創作秘話を初公開するとともに、自らの著作についてそれぞれの想いを明かしていく。「負のキャラクター」を演じ続けていた少年が、文学に出会い、助けられ、いかに様々な夜を乗り越え生きてきたかを顧みる、著者初の新書。<読む前の大使寸評>又吉さんの「愛書論の集大成」のような一冊だそうで・・・おおいに興味深いのです。<図書館予約:(7/11予約済み、7冊入荷待ち、予約72)>rakuten夜を乗り越える【イエスの幼子時代】J・M・クッツェー著、早川書房、2016年刊<「BOOK」データベース>より初老の男が5歳の少年の母親を捜している。2人に血の繋がりはなく、移民船で出会ったばかりだ。彼らが向かうのは過去を捨てた人々が暮らす街。そこでは生活が保障されるものの厳しい規則に従わねばならない。男も新たな名前と経歴を得てひとりで気ままに生きるはずだったが、少年の母親を捜し、性愛の相手を求めるうちに街の闇に踏み込んでゆく―。人と人との繋がりをアイロニカルに問う、ノーベル文学賞作家の傑作長篇。 <読む前の大使寸評>過去を捨てた人々が暮らす街てか・・・・なんか面白そうやでぇ♪<図書館予約:(7/27予約済み、副本0、予約12)>amazonイエスの幼子時代【米中百年戦争】春原剛著、新潮社、2012年刊<「BOOK」データベース>よりクリントンvs.江沢民、ブッシュvs.胡錦涛、オバマvs.習近平…20世紀の超大国vs.21世紀の新興大国。果たして決戦の火蓋は切られるのか?「新・冷戦」の序章となるこの20年間の攻防。【目次】序章 覚醒(台湾海峡危機/対中関与政策/二正面戦略の虚実/ナイ・イニシアティブ)/第1章 胎動(世紀の訪中/照準外し/三不政策/日本素通り/米中スパイ合戦/中国大使館誤爆事件)/第2章 萌芽(戦略的競争相手/コンゲージメント政策/EP3事件/新あいまい政策/米中経済安全保障再考委員会)/第3章 逡巡(九・一一後の世界/ミスター・サイボーグ/ステークホルダー/靖国問題/太平洋二分割論/衛星攻撃兵器(ASAT)/米中戦略経済対話/北京五輪)/第4章 疑念(米中G2論/米中首脳級定期協議/日本軽視論/G20サミット/攻守逆転/戦略的再保証/COP15/グーグル問題/核心的利益)/第5章 確信(老将の野望/A2AD/チャイナ・カードの「闇」/尖閣問題/北朝鮮問題/J20事件/エア・シー・バトル構想/「太平洋国家」宣言)/終章 転換(新型の大国関係/前方展開外交 ほか)<読む前の大使寸評>日本人の基礎知識として、押さえておくべき問題なんでしょうね。<図書館予約:(8/13予約済み、副本0、予約0)>rakuten米中百年戦争【みんな彗星を見ていた】星野博美著、文芸春秋、2015年刊<商品説明>より東と西が出会ったとき、一体何が起きたのか多くの謎が潜む、キリシタンの世紀。長崎からスペインまで、時代を生き抜いた宣教師や信徒の足跡を辿り、新たな視点で伝える。 <読む前の大使寸評>三浦しをんが泣きながら読んだとのこと・・・どんな本なのか?♪<図書館予約:(カートで待機)>rakutenみんな彗星を見ていた【櫻画報大全】赤瀬川原平著、新潮社、1985年刊<「BOOK」データベース>より古書につきデータなし<読む前の大使寸評>マンガ作家としての赤瀬川さんを、じっくり回顧してみようと思うのです。<図書館予約:(カートで待機)>rakuten櫻画報大全【海をわたる機関車】中村尚史著、吉川弘文館、2016年刊<「BOOK」データベース>より鉄道が急速に発展した明治時代、機関車はいかにして日本にもたらされたのか。イギリスの独占ではじまった機関車輸入は、アメリカ・ドイツの参入によって多様化し、自国技術の確立に結実していく。19―20世紀転換期に出現した第一次グローバル化の時代を背景に、世界的な機関車産業の動向と、日本鉄道業の発展の歴史を統一的な視点で描く。<読む前の大使寸評>大使は鉄ちゃんというわけではないのだが・・・吉岡桂子・編集委員が選んだ本なら外すわけにはいかないのです。<図書館予約:(カートで待機)>rakuten海をわたる機関車【月と不死】N・ネフスキー著、平凡社、1971年刊<出版社>より著者は日本民俗学界の異色の存在として知られるロシア人学者で,柳田国男,折口信夫らと親交を結び,沖縄,東北などの民俗を採録した。本書は日本語で発表された論文・書簡を網羅した唯一の著作集。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>heibonsha月と不死図書館予約の軌跡54図書館情報ネットワーク 蔵書検索システム
2016.08.11
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図書館で『退廃礼讃』という本を手にしたが・・・・『ミス・サハラを探して』という本を読んだ直後であり、島田さんの本で二匹目を狙おうという算段でおます。豪華で危険なエッセイ集とのこと…そそられるがな♪【退廃礼讃】島田雅彦著、読売新聞社、1998年刊<「MARC」データベース>よりオスカー・ワイルドのような中年になりたい。女装ならいつでもしたい。明治の女と付き合いたい。ヒコクミンになりたい。千人の男たちと交わって死にたい…。美しい思春期の中年のささやかな欲望。豪華で危険なエッセイ集。<読む前の大使寸評>豪華で危険なエッセイ集とのこと…そそられるがな♪amazon退廃礼讃旅慣れた島田さんの旅の身支度を見てみましょう。p99~101<手ブラで旅に出てみたい> 旅先でスーツケースを開けるたびに思う。中身はどうでもいいものばかりだ、と。替えの下着にシャツにズボンに靴下、洗面器具と薬、数冊の本とノート、原稿用紙、それ以外のものはない。 昔、登山をやっていたせいか、荷物は必要最小限にする癖がある。ろうそくは1本で足りるか、2本要るかで迷い、2本目をパキンと折って、1本半持っていく、というようなことをやっていた。何しろ、荷物は道中自分で担がなくちゃいけない。百グラムでも少なくして、体力温存に努めるのが鉄則だ。 しかし、ここ十年、山には行っていない。旅先は何でも売っている都市ばかり。殆ど、手ブラでもいいくらいだ。買い物が面倒だからという理由だけで、7,8キロの荷物を持ち歩いているわけだ。時々、その荷物がとんでもないところへ運ばれていることがある。 もしも、荷物だけ本来の目的地に着いて、持ち主だけ別の大陸にいたなんてことが起きたら、仕事はスーツケースにやってもらって、持ち主は観光でもするしかあるまい。 1日か2日、着たきりすずめで過ごす。歯を磨こうにも歯ブラシがない。眉毛を描こうにも筆がない。セックスしようにもコンドームがない。しかし、その不便さも観光になる。ようやくスーツケースが届くと、急に身分が高くなったような気分も味わえる。 アジア、アフリカを旅する時は少し余計なものも持っていく。時計、電卓、化粧品の類は物々交換に威力を発揮する。それらはビールや地元の工芸品やスパイスなどに変わるわけだが、その駆け引きがいい暇つぶしになる。観光客は遠いところから、無意識に価値を運んでくるのだ。地元の人々は観光客とゲーム感覚で、物々交換を行い、同時に情報も交換している。旅人は一方的に客にさせられるわけではない。時には商人にもなるのだ。 私の荷物の中には売れないくせに重いものが必ず二つか三つ、入っている。それが本である。1冊はIDの代わりとして私の著作である。自分の肖像が刷られている文庫本だと、好都合だ。これは旅も終わりに近づくと、記念に誰かに進呈する。再会の切符のつもりで。 もう1、2冊の本は道中の退屈に備えて携行するのだが、旅のあいだは、退屈そのものをも楽しんでいるので、ことさら読書に時間を割いたりはしない。本よりはその土地の風景や人、物の表情を読もうとするだろう。砂漠の旅を見てみましょう。p115~116<遊牧民と一緒に旅をしたい> チュニジアの南半分はサハラ砂漠におおわれていて、地図で見ても黄色一色である。砂漠に行ったことのない身からすれば、そこには何もない場所だ。文字通り、サハラはアラビア語で何もないという意味である。本当に何もなければ、人はそこに住もうとはすまい。 砂漠の遊牧民に一度会ってみたかった。「君は遊牧民か農耕民か」なんて表面的な性格分類や思考法があったけれども、遊牧民の何たるかを知るには彼らと面と向かって話し、彼らの生活の場に招かれるのがてっとり早いと思った。 砂漠に暮らす遊牧民は夜行性で、砂漠の天空が星で満たされてから移動を始める。昼間はオアシスにテントを張り、寝ているか、ミントティを飲んでいるか、ラクダの世話をしている。私は彼らが休んでいる日陰でミントティをごちそうになる。砂糖を入れて煮出す甘いお茶で、ミントの葉が浮いている。 やがてゲームが始まる。砂に指跡をいくつもつけ、チェス盤のようにし、そこに真っ黒の玉と白い石を並べる。黒い玉はラクダの糞だ。相手の駒を自分の駒ではさむか、相手の駒を動けなくさせて、より多くの駒を取った方が勝ちという陣取りゲームだ。 陽が落ちてくると、砂漠は赤味をおびてくる。のっぺりとした砂漠の表面には無数の皺がより、表情が険しくなる。べた凪の海ににわかにさざ波が立つ。遊牧民たちはテントをたたみ、ラクダの背に乗せ、静かに移動を始める。私も一頭の性格のよいラクダをあてがわれ、彼らとしばし行動をともにした。 夜になると、天空には星の座標が現れ、彼らはそれを地図のように読みながら、次のオアシスを目指す。起伏の少ない砂丘の谷間をジグザグに進みながら、地形もしっかりと読んでいる。―砂漠で暮らすのに絶対必要なものは何ですか? 寡黙な彼らにたずねてみた。「塩も水も必要なものは全て砂漠にある」という答えが返ってきた。―ラクダのミルクを飲んでいれば、病気をしない。1日になつめやしの実を少しとラクダのミルクが一杯あれば、砂漠では充分生きていける。(中略) 遊牧民の歌声が聞えてくる。彼らの中に詩人がいて、自作の詩を朗唱し始めた。詩人は長い詩行を全て暗記している。紙に作品を書きしるすことをしない遊牧民の詩人は朗唱を唯一の作品発表の手段にしている。『退廃礼讃』1
2016.08.10
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図書館で『中国壊滅』という本を手にしたが・・・・著者は、2009年に『本当にヤバイ!欧州経済』を出版し、欧州危機を言い当てたそうです。つまり、この本が説くように中国経済は本当にヤバイということのようです。【中国壊滅】渡邉哲也著、徳間書店、2015年刊<「BOOK」データベース>より中国経済はついに限界点に達して混乱と大崩壊が始まった。覇権主義へと暴走する中国に、着々と包囲網を狭める日本。欧州危機を当てた著者が、今後の中国と世界情勢の変化を完全分析!<読む前の大使寸評>著者は、2009年に『本当にヤバイ!欧州経済』を出版し、欧州危機を言い当てたそうです。つまり、この本が説くように中国経済は本当にヤバイということのようです。rakuten中国壊滅米英資本によるアジア支配の歴史と日本の役割を見てみましょう。p107~109<中国覇権に対抗する日本の重要性> 東西冷戦後のアメリカの金融支配は、グローバル金融を軸として、新興国に投資をして新興国の金融機関を支配し、金利と配当で吸い上げるモデルであった。 もともと、植民地から資金を吸い上げる構造というのは、食料プランテーション、農業プランテーションという形で、安い賃金を利用して農産物を回収するものであった。 たとえば、香港上海銀行(HSBC)という銀行は、中国の香港ドルを発券している銀行で、かつてアジア最大の銀行かつ世界でも有数の銀行で、世界一の銀行になったこともあるが、この銀行は、アヘン商人サッスーンを始祖に持ち、東インド会社と共にアヘン売却によって、植民地支配に励んでいた銀行なんである。 香港にはスタンダードチャータードという銀行もあり、これも香港ドルの発券銀行なのだが、この銀行もかつてはイギリスの東インド会社であった。 このように世界のグローバル金融といわれるところは、もともと東インド会社を始祖に持ち、植民地投資…植民地との資金のやり取りのため、植民地を支配するために設立された銀行がメインなのである。 これが世界で農業から工業化へと進み、さらにグローバリズムが広がるにつれて、資本による支配、資本プランテーションに変化していったわけだ。この資本プランテーションの中核となったのが、アメリカのグローバル金融であった。 日本においてこの役割を果たしてきたのが、ある意味リーマン・ブラザーズであった。 リーマン・ブラザーズは、日露戦争の戦費国債を調達したヤコブ・シフが頭取となった、クーン・ローブ商会を統合した銀行であり、その縁から、長らく外国向けの日本国債の主幹事であった。 そのためにリーマン・ショックが起きたとき、日本の金銭的ダメージは負債総額で世界2位だった。しかし同時に、リーマン・ショックの破綻によって、第一次世界大戦以前、日露戦争から続いていた欧米金融によるくびきのひとつが解かれたとも言えるかもしれない。 同時に世界最大の保険会社、損害保険会社のひとつであったAIGも破綻危機に陥った。このAIGがあったのは、皇居のほとりのAIGビルであり、かつてGHQ占領下の本部として使われていた第一生命ビルのすぐ近くである。 リーマン・ショック後、それを日本生命が購入した。これもひとつの戦後の終わりを象徴する出来事だと言えるかもしれない。 欧米・南米を支配していたサンタンデールもその後のPIIGS危機などにより厳しい状況に置かれ、南米資産の一部を売却せざるを得ない状況に追い込まれていった。アメリカのCITIも同様に、手に入れたサムスンの株式や韓国の金融支配を失いつつある。 また、かつてのリーマンが持っていたアジアの利権は野村證券が買収した。 このように見ていくと、リーマン・ショックによるアメリカ金融支配の弱体化は、中国や新興国の伸長を招いたが、その一方で、日本の金融再生にもつながったといえる。再び日本金融が世界に向けて動き出したことは間違いないところである。 一方、中国が覇権主義を明確に示してきたことで、日本としてもその対応が急務になってきている、というのが現状である。何しろ中国は日本の隣国である。尖閣問題や歴史問題など、摩擦を生む事案も多い。 すでに述べたように、中国の拡張主義に対しては、先進国が反対を表明し、またアジア各国もこれを警戒している。そのなかで、日本の役割はますます高まっているのであり、実際、日本はさまざまな中国覇権主義への対抗策を打ち出している。『中国壊滅』1『中国壊滅』2『中国壊滅』3
2016.08.09
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図書館で『中国壊滅』という本を手にしたが・・・・著者は、2009年に『本当にヤバイ!欧州経済』を出版し、欧州危機を言い当てたそうです。つまり、この本が説くように中国経済は本当にヤバイということのようです。【中国壊滅】渡邉哲也著、徳間書店、2015年刊<「BOOK」データベース>より中国経済はついに限界点に達して混乱と大崩壊が始まった。覇権主義へと暴走する中国に、着々と包囲網を狭める日本。欧州危機を当てた著者が、今後の中国と世界情勢の変化を完全分析!<読む前の大使寸評>著者は、2009年に『本当にヤバイ!欧州経済』を出版し、欧州危機を言い当てたそうです。つまり、この本が説くように中国経済は本当にヤバイということのようです。rakuten中国壊滅結論のようなあたりを見てみましょう。p199~203<中国にはなぜ未来がないのか> 本書の最後に、ここからは今後の中国について語ろう。 日本の高度成長期、日本人には夢があった。「鉄腕アトム」で描かれたような未来都市を想像し、将来は明るいと感じていた。だが、現在の日本はある意味で、すでにその未来を達成してしまった。 1980年以前には海外旅行に行く日本人は非常に少なかったが、バブル景気によって海外旅行者が急増し、世界各地でブランド品を買い漁る日本人が話題になったものだった。 つまり、現在の中国とほとんど同じような状況だったわけだ。 戦後の日本は、欧米に追いつけ追い越せを目標にやってきたが、バブル期には東京都の土地価格だけでアメリカ全土を買えるまでになり、実際に超えてしまったのだ。では、次にどうすべきなのか、日本人はその目標を見失い、壁にぶち当たった。 ただ、日本が幸運だったのは、中間層が厚かったため、一定の所得があるうちに、この「燃え尽き症候群」に陥ったため、まだ余裕があった。 しかし、中国の場合は、貧困層である農民が全人口13億人のうち9割を占め、中間層の厚みがない。そして、年金などの社会保障も、インフラ整備なども未完成のままで、すでに燃え尽き症候群に入りつつある。この先、何を中国人が求めるのかということが問題となる。 日本では高度成長期の昭和30、40年代に公害問題が発生して、大きな社会問題となったが、原因がわかれば日本人は着実に対応策を考え、それらのほとんどはバブル前に解決できた。それが現在の日本の環境保護技術やフィルター技術などに繋がっている。 しかし、中国はそのようなプロセスを一切踏んでいない。公称で世界第2位の経済大国ではあるが、悪化する公害へコストをかけることをせず、対策も進んでいない。 2015年6月に、中国で遊覧船が沈没して多くの犠牲者を出したが、この遊覧船のように、見た目は一見豪華でも、中身は古いままというのが、現在の中国であるといえるだろう。 中国の都市部には、3億人ともいわれる中高所得者がいる。すでに車も持ち、海外旅行も手に入れている。その一方で地方には、改革開放以前のほうがまだましだったと考えるような極貧の農民が9億人存在する。 北京大学中国社会科学調査センターは2014年7月、格差の度合いを示す中国のジニ係数が0.73に達したと発表した。ジニ係数は0.4を超すと社会が不安定になり、暴動が起こる可能性が高まるとされている。 そのような2極化のなかで、中国人としてまとまった「夢」というものが描けない状況に陥っているわけだ。 中国は先進国の技術を摸倣してばかりいるわけだが、日本もかつては欧米の猿マネだと言われた。しかし日本はそこから基礎研究を始め、日本独自のさまざまなオンリーワンをつくり上げてきた。これが現在も日本の製造業が世界的にも大きな力を持つようになった原動力となったのであり、これがなければ、他の新興国などと同じような地位にまで陥っていた可能性がある。 だが、中国にはこうした独自技術がない。すべてもらい物なのだ。これはある意味で、韓国のサムスンと同じ構造である。一時期、破竹の勢いだったサムスンも、スマートフォン市場での苦戦が伝えられるようになった。最新技術はアップルに押さえられ、下流の安い製品は中国の小米科技などに取って代わられようとしている。 これは現在サムスンに起きていることだが、やがて中国が辿る道である。すでに軽工業品については、ベトナムやパキスタン、バングらディッシュ、アフリカなどに市場を奪われつつある。 つまり中国は発展途上のままバブル崩壊を迎えてしまったわけである。日本でも、バブル崩壊時には建設中のまま工事がストップした建物があちこちに見られたが、現在の中国も、ゴーストタウン化している都市が多数出てきている。 筆者は仕事上、海外にいる中国人と付き合うことも多いが、日本人に対してコンプレックスを抱いている者も少なくない。国(中華人民共和国)としての歴史が短く、お金は持っているがマナーの悪さが世界中に喧伝され、さらに密輸や不正行為も多いため、空港のゲートでは、日本人ならほぼフリーパスのところ、中国人はすべての荷物から身体検査までされる。そういう実態があるため、日本や欧米に対するコンプレックスが非常に強いのだ。 このコンプレックスの裏返しが、習近平の毛沢東主義、あるいは彼が唱える「中国の夢」という膨張主義なのだろうが、中国人自身が本土から欧米に逃げ出している状況で、誰も中国に夢を見ておらず、アメリカン・ドリームのような憧れるものもない状況で、そのようなものが実現するとも思えない。 仮に中国がさらなる発展を遂げ、国民の大半が中間層になったとしても、地球には13億人の中間層を満たすだけの資源がない。中国人すべてがいまの日本人と同様の生活を行えば、世界の資源も食料もあっという間に枯渇するだろう。 現在の中国で発展の恩恵を受けているのは最大でも都市住民4億人(都市戸籍)にすぎない。残りの9億以上の農村部住民(農民戸籍)までが都市部住民と同じ生活をする余地はすでにない。人が生活するうえでの水も空気も限界に達しているのである。この状況でどのように発展するというのであろう。
2016.08.09
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久しぶりに「勝手に関西遺産」を紹介します。2016.6.15(勝手に関西遺産)開かずのドア“楽々”変身より■京阪電車5000系 京阪電車の5000系は鉄道ファンで知らない人はいない名車両とされている。なのに私は、心ひそかに「京阪トラップ(罠)」と勝手なあだ名を付けて呼んでいた。ごめんなさい、おけいはん。なぜ、トラップなのか。電車に乗り込もうとしたのにドアが開かなかったからだ。よく見ると「ラッシュ用ドア」と書かれている。ドアを背にして座席まである。 朝のラッシュ時、5000系は各車両の片側に五つずつあるドアをフルに使って運行する。平常時は二つを閉めきり、ラッシュの時間帯には天井近くに収納している昇降式の4人掛けシートをおろして、座席を増やす。「全国でもほかに例はないんじゃないか」と京阪電鉄の広報担当は胸を張る。 生まれは1970年。高度経済成長期で沿線の宅地開発が進み、通勤通学時の混雑緩和が課題になっていた。ピークの68年、最も混み合う野江駅から京橋駅の混雑率は250%に達していた。「電車が揺れるたびに体が斜めになって、身動きができない」とされる混み具合だ。 電車の本数や連結する車両を増やすことは難しい。そこで、乗り降りにかかる時間を短くして運行をスムーズにする目的でつくられたのが、5000系だった。三つドアで約60秒かかった乗降時間が五つドアでは約40秒に短縮された。座席を可動式にすることで、平常時の乗客の利便性も保っている。 4月に出た鉄道本「すごいぞ!私鉄王国・関西」で、5000系は「もっとも京阪らしい車両」と3ページ以上の紙幅を割いて紹介されている。著者の黒田一樹さん(44)は「大胆な発想で『技術の京阪』らしさがよく表れている」とたたえる。 ドアの増減だけでなく、座席がおりてくる仕掛けを採り入れたところも「付加価値を志向する、サービス精神あふれる京阪らしい」と言う。これだけの工夫を満載しているうえに、アルミ車体で軽量化を実現し、冷房や送風をまんべんなく行き渡らせるように天井で回る「回転グリル」、つかむと適度な高さまで下がる「はね上げ式吊り手」の導入なども、注目すべき特徴だとか。 いま5000系は7編成(1編成は7両)が、1日68本行き来している。京阪線の総本数に占める割合は5%ほどだ。 五つドアで運行しているのは、平日の始発から午前10時ごろまで。三つドアへの切り替えは、車庫や留置線など乗客から見えないところでしているが、平日午前9時54分に中之島線の終点、中之島駅の2番線ホームに着く電車だけは、切り替えの様子を間近で見ることができる。 さっそく行ってみた。乗客が全員降車したあと、いったんすべてのドアが閉め切られると、天井から座席がおりてきた。かかった時間は30秒足らず。あっという間に“変身”した5000系は、再び枚方市駅に向かって走っていった。(松本紗知)■パナソニック社史室主幹 恵崎政裕さん(58) うちの社員は京阪ユーザーが多いです。ラッシュ用ドアのこともだいたいみんな知っています。でも開かない扉の前でずっと待って、電車を乗り過ごしたという関東出身者もいました。昔の上司なんですけどね。私も長年、京阪で通勤しています。初めて見たときは「うまいこと考えたな」と思いました。実用的で合理的。こういう発想をするところが、実に大阪の電鉄会社らしいですね。5000系は「もっとも京阪らしい車両」ってか・・・鉄ちゃんでない大使としても、見に行く必要がありまんな♪勝手に関西遺産10勝手に関西遺産9勝手に関西遺産8
2016.08.08
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今回借りた4冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば「しりとり選定」でしょうか♪<市立図書館>・吉原御免状・中国壊滅<大学図書館>・退廃礼讃・無銭優雅図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)************************************************************【吉原御免状】隆慶一郎著、新潮社、改版1989年刊<「BOOK」データベース>より宮本武蔵に育てられた青年剣士・松永誠一郎は、師の遺言に従い江戸・吉原に赴く。だが、その地に着くや否や、八方からの夥しい殺気が彼を取り囲んだ。吉原には裏柳生の忍びの群れが跳梁していたのだ。彼らの狙う「神君御免状」とは何か。武蔵はなぜ彼を、この色里へ送ったのか。―吉原成立の秘話、徳川家康武者説をも織り込んで縦横無尽に展開する、大型剣豪作家初の長編小説。<読む前の大使寸評>『ほんとのこと言えば?』という本のなかで、おすぎが『吉原御免状』を強く奨めていたので、早速、図書館に予約したのです。<図書館予約:(8/03予約、8/06受取)>rakuten吉原御免状【中国壊滅】渡邉哲也著、徳間書店、2015年刊<「BOOK」データベース>より中国経済はついに限界点に達して混乱と大崩壊が始まった。覇権主義へと暴走する中国に、着々と包囲網を狭める日本。欧州危機を当てた著者が、今後の中国と世界情勢の変化を完全分析!<読む前の大使寸評>著者は、2009年に『本当にヤバイ!欧州経済』を出版し、欧州危機を言い当てたそうです。つまり、この本が説くように中国経済は本当にヤバイということのようです。rakuten中国壊滅【退廃礼讃】島田雅彦著、読売新聞社、1998年刊<「MARC」データベース>よりオスカー・ワイルドのような中年になりたい。女装ならいつでもしたい。明治の女と付き合いたい。ヒコクミンになりたい。千人の男たちと交わって死にたい…。美しい思春期の中年のささやかな欲望。豪華で危険なエッセイ集。<読む前の大使寸評>豪華で危険なエッセイ集とのこと…そそられるがな♪amazon退廃礼讃【無銭優雅】山田詠美著、幻冬舎、2007年刊<「BOOK」データベース>より「心中する前の日の心持ちで、つき合って行かないか?」人生の後半に始めたオトコイ(大人の恋!?)に勤しむ、四十二歳の慈雨と栄。二人は今、死という代物に、世界で一番身勝手な価値を与えているー。<読む前の大使寸評>追って記入rakuten無銭優雅***************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き162
2016.08.07
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<退廃礼讃>図書館で『退廃礼讃』という本を手にしたが・・・・『ミス・サハラを探して』という本を読んだ直後であり、島田さんの本で二匹目を狙おうという算段でおます。豪華で危険なエッセイ集とのこと…そそられるがな♪【退廃礼讃】島田雅彦著、読売新聞社、1998年刊<「MARC」データベース>よりオスカー・ワイルドのような中年になりたい。女装ならいつでもしたい。明治の女と付き合いたい。ヒコクミンになりたい。千人の男たちと交わって死にたい…。美しい思春期の中年のささやかな欲望。豪華で危険なエッセイ集。<読む前の大使寸評>豪華で危険なエッセイ集とのこと…そそられるがな♪amazon退廃礼讃はしご酒のあたりを覗いてみましょう。p18~20<倒れるまではしごをしたい> 酒を飲むのをやめたら、どれだけ多くの時間を創作に向けることができるか? 二日酔いの時によく考える。二日酔いの時だけは酒を飲まずにいられるのだが、当然、創作に向かう気力も体力も失せており、60キロの肉の塊となってただゴロゴロしているだけである。妻には邪魔物扱いされ、息子には足蹴にされ、編集者には原稿の催促をされるのだが、どうにもならない。 二日酔いには何が効くか、これまで様々なセラピーを考え、実践してきた。熱い風呂に入り、スポーツ・ドリンクをガブ飲みするのが一般的ではあるが、ほかにもよく効く飲み物はある。たとえば昆布茶。ちょうど生理的食塩水と同じ濃度にしたやつを三杯飲む。梅干し入りだとなおよい。 熱い昆布茶は内側から、発汗もうながしてくれる。沖縄では、ゴーヤ・ジュースを飲む。ゴーヤの苦みは荒れた胃を爽快にしてくれるし、ジュースを飲みやすくするために加えられたシークワッサーやりんごの果汁もアルコールの分解を促進する。 韓国では、水キムチの汁を飲む。だしと野菜のエキスがよく出たあの冷たいスープは、ムカムカをさっぱりと洗い流してくれる。冷麺のスープも同じ効果がある。以前から、缶入りの水キムチの汁はないものかと思っていた。自動販売機にそれが収められる日を私は心待ちにしている。アイディア料は要らないから、一刻も早く、水キムチ・ジュースを商品化するよう、ドリンク・メーカーの開発部員にお願いしたい。 講演や対談も二日酔いにはよく効く。ともかくよく喋ること。沈黙を守っていては、アルコールはいつまでも体に残ってしまう。アルコール分が含まれた言葉を思いつく限り吐き出すのだ。1時間も喋り続けていれば、アルコールは抜け、代わりに自分の言葉に酔えるだろう。 先ごろ、連載小説の最終回を書き終えた。誰も祝ってくれないので、一人で祝うことにした。午後6時くらいから飲み始め、三軒目のバーで同業者川西蘭と会った。レズビアン・バーへ連れてゆくといわれ、恐る恐るついて行った。居心地はよくも悪くもなかったが、変に構えてしまって飲んだ気がせず、別の店で飲み直すことにした。 そのバーは私が15年来通っている店で、はしごの終着駅でもある。その日も8時まで飲み、川西氏と連れ立って家路につこうと思ったが、腹が減り、一杯のかけそばを分け合って食べるうち、急に睡魔に襲われた。電車に乗ったら、江の島か箱根まで運ばれてしまう。車に乗ろうにも、すでに道路は混んでいた。その時、カプセルホテルの看板が目に入り、互いに電話で妻にいいわけをし、男同士でいることをアピールしてから、仮寝の宿に入った。 サウナで酒を抜き、3時まで寝た。川西氏と別れ、私は一人まずいラーメンをすすり、4時過ぎからまた飲み始め、20代の頃からの飲み友達と出くわし、また終着駅のバーまではしごをしてしまった。そして、あろうことか、また午前8時を迎えてしまい、疲労困憊し、夕べと全く同じコースを辿ってしまった。同じカプセルで目覚め、同じ店でラーメンを食べ、同じ量だけ残し、ようやく2泊3日のはしごを終えたのであった。・・・話はまだ続き、この後、羽田から長崎へ、鹿児島へも足を伸ばし、ついに7泊8日のはしごという新記録をやり遂げたそうです。(アホやで)
2016.08.07
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図書館で、『どうころんでも社会科』という本を手にしたのです。サイバラとのコラボ本ということで、借りたのだが・・・過去の日記を見てみると、この本を借りるのは3度目であることが分かりました・・・・大使の老人力もバカにならないようです(イカン、イカン)【どうころんでも社会科】清水義範×西原理恵子著、講談社、2002年刊<「BOOK」データベース>より沖縄の人はどうして北海道の昆布をたくさん食べるの?リアス式海岸のリアスってなに?素朴な疑問を解き明かせば社会科の奥深さ、面白さの虜に。独自の人生哲学に裏打ちされた西原ガハクのマンガも、ますます過激に冴えわたる痛快エッセイ。『おもしろくても理科』に始まった「お勉強」シリーズ第3弾。<読む前の大使寸評>過去の日記を見てみると、この本を借りるのは3度目であることが分かりました・・・・大使の老人力もバカにならないようです(イカン、イカン)借りたのは、1998年刊のハードカバーでおます。Amazonどうころんでも社会科サイバラとのコラボ本byドングリ清水さんの社会科の薀蓄を見てみましょう。p241~250 <歴史だらけの二都物語>より 日本でいちばん歴史の濃い街は、文句なく京都であろう。京都はまるで歴史のアラベスク都市である。千年以上の歴史が、ひとつの弁当箱の中につまっているようなもので、そぞろ歩きをしていても何が出てくるかわからない。頭の中で、藤原氏と平家と室町幕府と豊臣秀吉と新選組がごちゃまぜになってしまうほどである。(中略) 京都の歴史を無謀なほどちゃちゃっとまとめてみよう。 まず、縄文時代や弥生時代のことは無視。古墳時代の遺跡もあちこちにあるが、それも詳しく見るのはよそう。 京都の太秦に映画村があることはよく知られているだろう。広隆寺もあり、有名な弥勒菩薩像がある。あの太秦は、わりに初期に、朝鮮半島から渡来した秦氏の住むところとして栄えた。秦氏というのは、我らは中国の秦の始皇帝につながる家柄だ、と言っていたので、秦と書いて、はた氏なのである。 それから下って、794年に、桓武天皇が平安京を造った。初め桓武天皇は、平安京の南西にあたる長岡に長岡京を造ろうとしたのだが、土地柄があまりよくなかったことや、方位占いでよくないとされたことなどで、途中でそれを捨てて平安京の建設に切りかえた。 そして平安時代になると、世の中はだんだん藤原氏の天下になる。藤原氏はどちらかというと内裏の東側に住んだ。四角い平安京の右上コーナーが、ホット・スポットになったのだ。すると天皇側も、里御所を使ったりして、そのコーナーに寄ってくる傾向となった。ただし、その傾向に反抗する天皇もいた。藤原氏の摂関政治に対して、院政で対抗した天皇、上皇たちである。 白河上皇は平安京の東側の外に、白河御所なんてものを造営した。独自の御所を持って藤原氏に対抗したと考えていいだろう。 それから、白河上皇は平安京の南側の外に鳥羽離宮というものを造り、以後三代の法皇がそこを使った。白河上皇の次の鳥羽法皇はそこで死んでいる。 そういう天皇側の巻き返しも時にはあったのだが、大きくは、天皇以外の者が政治の実験を握るようになっていくわけだ。 なお、京のお公家さんというと、三条とか九条とか鷹司とか、ナントカ小路とか、ナントカ坊、なんていう名がよく出てくるのだが、あれはすべて一種のあだ名です。実はあれ、すべて藤原さんだと思ってまず間違いがない。 そういうふうに、平安時代というのは実は藤原時代だった。 ところが、武士が生まれる。 平家は、どのように京都を支配したか。 平家は、京の都の中には拠点を置かず、鴨川を渡った都の外、六波羅を拠点にした。平安京を将棋盤とすると、自分側の駒台ぐらいの位置にあるのが六波羅である。五条、六条、七条あたりの、鴨川を渡った先だ。 鎌倉時代になり、源氏は京では幕府を開かず、鎌倉にそれを開いた。そして京には、監視役の六波羅探題を置いた。 南北朝時代に、今の京都御所の位置に御所が移る。 そして室町時代には、そのすぐ近くに室町幕府が開かれるわけだ。 応仁の乱で、京の都は大いに焼け、室町幕府も消え去る。 次に、織田信長が本能寺の変で殺される。 (中略) そしてその次が豊臣秀吉である。 前の前の項で福岡の話をした時にも秀吉が太閤町割ということをやったと書いたが、京都でも、秀吉は似たことをしている。都市計画のようなことが大好きで、そのことの天才でもあったのだろう。 秀吉は、ほとんどさびれている京の西半分を切り捨て、東半分を御土居という、長大な堤防で囲んだ。水害防止のためと、外から攻められた時のための要塞化である。 そしてその中央部に、もともとの大内裏の東半分の規模で、一大城塞である聚楽第を建設した。御所よりもはるかに大きいという、ものすごい城である。 だが、聚楽第はたった十年間この世にあっただけで、姿を消す。ここに入った甥の秀次を滅ぼした時にこれを破壊し、京都の南に伏見城を造ったのだ。 江戸時代に入り、徳川氏は伏見城を使わず、もとの聚楽第の外郭だったところのいちばん南側の一角に、二条城を造って、それを京都の拠点とした。 徳川慶喜が、大政奉還のことを発表したのが二条城である。ところで、前回分を(戒める意味で)紹介します。【どうころんでも社会科】清水義範×西原理恵子著、講談社、2002年刊<「BOOK」データベースより>沖縄の人はどうして北海道の昆布をたくさん食べるの?リアス式海岸のリアスってなに? 素朴な疑問を解き明かせば社会科の奥深さ、面白さの虜に。独自の人生哲学に裏打ちされた西原ガハクのマンガも、ますます過激に冴えわたる痛快エッセイ。『おもしろくても理科』に始まった「お勉強」シリーズ第3弾。 <図書館大好き24での大使寸評>この本の売りは、西原理恵子のマンガか清水義範のエッセイか?と問われても、清水義範who?の大使である。だけど、清水義範さんのエッセイも、薀蓄やペーソスもそれなりに良さそう。西原理恵子がメジャーになった今では、このコンビの本はもう出ないだろうな~。<今回の大使寸評>今回は清水義範さんに注目して借りたわけだが、再読してみると、名古屋発薀蓄とサイバラの漫画とのコラボが、ええでぇ♪知名度では、サイバラが圧倒的に勝るのだが、清水さんの社会科の薀蓄もなかなか面白い♪小説家とフリーライターのボーダーラインあたりで頑張っている清水義範さんが、なぜか気になるのです。この本は13年2月の図書館大好き24でも取り上げたことが判明しました(イカン、イカン)Amazonどうころんでも社会科
2016.08.06
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図書館で、『ミス・サハラを探して』という本を手にしたのです。島田雅彦さんのチュニジア紀行であるが、写真のページが多くて手頃な厚さで読みやすく・・・ちょっとエロっぽくて、小粋な感じがするわけでおま♪【ミス・サハラを探して】島田雅彦著、ベストセラ-ズ、1998年刊<「BOOK」データベース>より砂漠は麻薬と同じである。サハラの蜃気楼にアッラーの幻影を追う放浪訳。【目次】第1部 ミス・サハラを探して(私はユリシーズという/旅の始まりは/ホラ吹きゴーシュの本名は ほか)/第2部 怠惰の海(地中海の空気には/ホテルの鏡でも/隣のテーブルのカップルが ほか)/第3部 アッラーの微笑(チュニスに到着し/スークの賑わいに/さて、食事の時間だ。 ほか)<大使寸評>島田雅彦さんのチュニジア紀行であるが、写真のページが多くて手頃な厚さで読みやすく・・・ちょっとエロっぽくて、小粋な感じがするわけでおま♪rakutenミス・サハラを探して砂漠の舟とも例えられるラクダを見てみましょう。サウジアラビアで見たラクダp63~67 <遊牧民に冗談は・・・>より 夕日を浴びながら、私たちは乗り心地の悪いラクダに乗り、白い砂漠をゆっくり移動し始めた。私たちのキャラバンには美少年が徒歩でついて来た。ヒトコブラクダに乗る時は、コブのうしろに座り、コブの前にある杷手をつかむ。大きな脂肪の塊を抱きかかえる恰好になる。―ラクダは恨みを一生忘れない動物です。 薄暗闇の中、シュクリがアラビア語で呟く。―子どもの頃、いじめられたラクダはそれをずっと覚えていて、20年後のある日、突然、復讐することがあるのです。もし飼っているラクダの中に主人に恨みを持っているラクダがいたら、それは危険なので、売ってしまわなければなりません。 でも、恨みがなければ、ラクダは本当に忠実な動物です。主人には絶対服従します。もし、主人が誰かと喧嘩を始めたら、ラクダは主人を守ろうとして、敵にのしかかり、全体重をかけて押しつぶそうとします。砂漠では遊牧民とラクダは深い絆で結ばれています。 ラクダはやや内股の長い脚をステージ上のモデルのように繰り出し、時々、首を伸ばして、棘つきの草をむしり取り、顎を左右にこすり合わせる。 昼間は真っ白だった砂漠は、陽が落ちてから灰色に変わり、風紋に陰影が深く刻まれる。月明かりの下の砂漠は凍りついた海のようだ。 三頭のラクダを先導する美少年は時々、無数の穴が開いた大空を見上げながら、起伏のゆるやかな砂丘の谷間を蛇行してゆく。あたりの地形もしっかりと読んでいる。 私の目にはただ一様にのっぺりと広がった空間でしかない砂漠を、彼らは都市のように把握している。移動し続けるうちに砂の色や手触りが変わり、砂丘の起伏もかわる。さらに砂漠に生える植物の種類も場所によって違う。そんな砂漠の地理を詠み込んだ歌があて、彼らは子どもの頃、父からそれを口移しで習い覚え、実際に砂漠を旅して体得している。とりもなおさず、それが砂漠で大人になるということである。 ラクダに揺られて尻が痛くなってきた頃、遊牧民たちは窪地にテントを張り、夕食の支度を始めてくれた。ナツメヤシの枯れ枝で火を起こし、パンを焼く。金だらいで練った生地は熾き火になった炭に直に乗せ、灰をかけて焼く。それが素朴で実にうまい。すでに砂漠の気温は昼間より15度下がっていて、炭火と焼き立てのパンの暖はそれだけで大きなもてなしとなる。 やがて、彼らは歌い出す。タンバリンをたたきながら、喉の奥から絞り出すような高い声で。詩人は白い服を着ていた。その歌は単調なリズムながら、詩に反復はなかった。朗唱は30分にも及んだ。詩人は長い詩行を全て暗記しているのであった。紙に作品を書きしるすことをしない遊牧民の詩人はオアシスや砂漠のテントで朗唱することを唯一の作品発表の手段としている。―シマダサン、あなたの作品の一節を日本語で暗唱してみて下さい。たとえ、それが意味のわからない言葉であっても、彼はそれを2回聞いただけで覚えてしまいますから。 砂漠では私を担がないと約束したゴーシュの言葉を信じ、こんな日本語の文句を詩人に面と向かって、二度つぶやいてみた。―ここは何処? 私は誰? 何てこった、トンネルを抜けたら砂漠じゃないか。 すると、詩人はオウムよりも歯切れのよい声で、アラビア語訛り付きで、一音違わず見事に発音してみせた。『ミス・サハラを探して』1
2016.08.06
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図書館で、『ほんとのこと言えば?』という佐野洋子さんの対談集を手にしたのです。先日読んだ『死ぬ気まんまん』も良かったし、かなり期待できるのではないかということでおま。また、対談者の顔ぶれがええでぇ♪【ほんとのこと言えば?】佐野洋子著、河出書房新社、2013年刊<「BOOK」データベース>より人気絵本作家・エッセイストの佐野洋子が、小沢昭一、河合隼雄、明石家さんま、谷川俊太郎、大竹しのぶ、岸田今日子、おすぎ、山田詠美、阿川佐和子を相手に行った抱腹絶倒のベスト対談集。【目次】1988×小沢昭一ー「猫対談」/1990×河合隼雄ー「男の目 女の目」/1990×明石家さんまー「わが子は天才!」/1991×谷川俊太郎ー「子供時代・絵本・恋愛」/1998×大竹しのぶー「100万回生きたねこ」/1998×岸田今日子ー「母親対談『お母さん』って恥ずかしい!?」/1999×おすぎ1-「ここだけの話」/2005×山田詠美ー「生活を愛する物書きの性質」/2007×阿川佐和子ー「気がつけば石井桃子だった」/2007×おすぎ2-「古典を読む」<読む前の大使寸評>先日読んだ『死ぬ気まんまん』も良かったし、かなり期待できるのではないかということでおま。また、対談者の顔ぶれがええでぇ♪rakutenほんとのこと言えば?「客が馬鹿になったからよ」と・・・・おすぎが映画の薀蓄を語るあたりが面白いのです。p240~243 <歴史ものの日本映画は作りにくい?>より佐野:今年か去年かさ、とても日本映画にお客が入ったんでしょ。おすぎ:客が馬鹿になったからよ、考えたくないわけ。佐野:別にいい映画が出てきているわけではない?おすぎ:出てきているわけではないの。まあいい映画もあるのよ。「フラガール」なんてとてもいい映画になっているし、でも日本アカデミー賞で主演女優賞を松雪泰子にはやらないで中谷美紀にやるのよ。でも中谷の「嫌われ松子の一生」ってゴミみたいな映画なのよ。そういうのってやっぱり許せないわけ、あたしは。 それはどこかの力関係が絶対あるわけね。だからさ、そこはいけないと思うのね。でね、とにかく今はテレビ局が映画を作るじゃない。そうすると映画の封切りの前の日に、ずーっと朝から晩までその誰かが出てて宣伝をやるわけ。 テレビ局がやるから出演料を払わないでそういうことをやらすわけじゃない。そうするとさ、テレビ観ている人たちってみんな洗脳されているから、「あんなに言っているから行っちゃおう」って、「日本沈没」なんてくっだらない映画にドドーッと行ったのよ。佐野:本当にあれは人が入ったの?おすぎ:入ったのよ。佐野:あたし「男たちの大和」っていうのもすごく出来の悪い映画だと思ったけど。おすぎ:まだいい方なの、あれは。 あれは少年兵たちを扱って、わたしなんてあれで「戦争だ、男だ」って言われたらどうしようかと思って、「誰が行くか」って(笑)、でもちゃんとあれは少年たちが巻き込まれたっていうのをやってるの。佐野:それは意味としてはそうなんだけど、あれは本当はもっとすごく緊張感が出てくるはずだと思うのよ。おすぎ:あんた、馬鹿ねえ。今は緊張感が出る映画なんて誰も2時間も観ないのよ、我慢できないの。佐野:だから2時間全部緊張しろって言うんじゃないの、1秒でも密度と緊張があれば、もうちょっといい映画になったんじゃないかと思うのよ。おすぎ:あれはまだいい方よ。あんたなんか「蒼き狼 地果て海尽きるまで」観たら「けっ」って言うわよ。モンゴルが何だとか言うわよ、絶対。佐野:どうして?おすぎ:緊張ないもん。ダラダラしてるよ。そこへいくとやっぱり「硫黄島からの手紙」なんかはきちっとしたものを作ってるからね。だからそれは監督の力だろうね、たぶん。佐野:あの人偉い人ね。おすぎ:クリント・イーストウッド?佐野:うん。おすぎ:すごいよね。佐野:あたし観たわ、二つとも。「父親たちの星条旗」おすぎ:でもあたしは「父親たちの星条旗」の方が好きなんだけどね、映画としては。あたしやっぱり気になっちゃうのね、二宮君みたいな兵隊はやっぱいなかったのよ、昭和20年代にいくら打ち捨てられた硫黄島でもね。 それで、あれがパン屋の主人でね、奥さんにお腹をこうやってるときあんたが生まれてくるのって言いたくなっちゃうような感じ。いや、二宮もすごい頑張っていたよ。それから謙ちゃんも頑張っていたと思うんだけど、あたしたち日本人が見ると、やっぱり不思議な映画なのよ。佐野:もうあたしたちが死んだら、昔のたとえば戦争中の話は違う話になっちゃうね。二宮君みたいのはいないわけ。戦時中、「命が大切、だからお前だけは帰って来い」って口に出した母親はいないわね、たぶん。それは心で思っていても「お国のために」って泣いているので口に出しては言わないのよ。でもそういうことをどんどん口に出して言うような、それから「生きたい」とかっていう二宮君みたいなのになってきてしまう。おすぎ:そうそう。だけどアメリカ人にあの映画がとても評価されているのは、二宮君のところがわかりやすいからよ。だからきっと二宮君たちのことをいいって言って、アカデミー賞にノミネートされたのもそういうところだと思うのね。でも出来としてはやっぱし「父親たちの星条旗」の方がずっとすぐれた映画だと思うわけ。 いかにマスコミ操作っていうことが大変かっていうことで、アメリカ人が認めたくないこともたくさんあるからだと思うだけど、だから何て言うのかな、もう日本は何か時代劇みたいなものはできないね、時代ものっていうか、昭和の話だとか。いくらCGを使って「ALWAYS三丁目の夕日」なんて一生懸命作ったって。だって「三丁目の夕日」を観ていいって言う人はみんな間違っていて、大体小雪みたいなやつはあの時代にはどこにもいないんだから。だって変な女でしょ?佐野:「三丁目の夕日」は、子供が小奇麗で嫌だったわね、あれでも小奇麗だよ。言いたい放題というか、お二人の辛口批評がいいですね♪『ほんとのこと言えば?』1
2016.08.05
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図書館で、『ほんとのこと言えば?』という佐野洋子さんの対談集を手にしたのです。先日読んだ『死ぬ気まんまん』も良かったし、かなり期待できるのではないかということでおま。また、対談者の顔ぶれがええでぇ♪【ほんとのこと言えば?】佐野洋子著、河出書房新社、2013年刊<「BOOK」データベース>より人気絵本作家・エッセイストの佐野洋子が、小沢昭一、河合隼雄、明石家さんま、谷川俊太郎、大竹しのぶ、岸田今日子、おすぎ、山田詠美、阿川佐和子を相手に行った抱腹絶倒のベスト対談集。【目次】1988×小沢昭一ー「猫対談」/1990×河合隼雄ー「男の目 女の目」/1990×明石家さんまー「わが子は天才!」/1991×谷川俊太郎ー「子供時代・絵本・恋愛」/1998×大竹しのぶー「100万回生きたねこ」/1998×岸田今日子ー「母親対談『お母さん』って恥ずかしい!?」/1999×おすぎ1-「ここだけの話」/2005×山田詠美ー「生活を愛する物書きの性質」/2007×阿川佐和子ー「気がつけば石井桃子だった」/2007×おすぎ2-「古典を読む」<読む前の大使寸評>先日読んだ『死ぬ気まんまん』も良かったし、かなり期待できるのではないかということでおま。また、対談者の顔ぶれがええでぇ♪rakutenほんとのこと言えば?おすぎとの対談が面白いのです。お二人とも遠慮知らずで、怖い物なしで・・・この本のなかでも際立った本音トークとなっています♪p217~220 <「冬ソナ」、「ロッキー」と隆慶一郎>よりおすぎ:だからやっぱり本を読むっていうのは、佐野洋子の本を読むときだってそうだけれど、自分が満たされることをうれしいと思う、そのことが本を読むことじゃないかって思うの。映画も同じなんだけど、だからあなたが韓流で満たされたらそれで十分いいのよ、1年でもね。 古典って言わないで、読めなくなったから探そうっていうのはいいと思うんだ、古本屋で見つけて読もうとかね。でもあまりにも、さっき言ったように何でも速すぎて、それでいいのかっていうことはあるわけじゃない。佐野:いいと思っている人は、たぶん一人もいないと思う。おすぎ:でもどうして、そうなっちゃうわけなんだろう。佐野:お金じゃない? 結局売れないものは出さないってことになっちゃうわけじゃない。だから経済原理がどんどん激しくなればそういうふうになってきちゃって。おすぎ:でもそしたら売れるっていうのなんて一つの方向しか行かないじゃない。佐野:だから今そうなっているのを、そうしないためにはどうしたらいいかっていうことをみんなで考えましょうよ。おすぎ:突然姉さんどうしたの(笑)。いや、それはそうなんだけど。佐野:本当に、誰もいいと思ってないと思うのね。おすぎ:今は小説読むよ。でもあたしは芥川賞とかそういうのはあまり読まないからさ、読んで狂喜するよなものは少ないのよね。佐野:そんなこと言っちゃ悪いんだけれども、あたしね、日本の小説読まなくなったのはね、村上春樹とよしもとばななが出てきてからなのよ。あの人たちがもう物事の流れている水面の美しさだけをパーッと拾い上げちゃったわけよ。それでそのあとはもう全部そうなのよね。で、もしかしたら山田詠美は違うかもしれないけれども、要するに見える心地よいところだけを取ってしまってそういうふうに流れていくと、読む方だって気持ちいいわけじゃん、気持ちいいことばっかり書いてあって。おすぎ:全然気持ちよくないけどね、歯が浮いてしまって。佐野:そうでしょ。あたしも『ノルウェイの森』読んで頭に来たのは、二冊上下、真っ赤な上巻と真っ緑の下巻があるのね。それであれこれあれこれして恋人同士が別れていて、そしてその恋人が何たらかんたらあったときに帰って来て電話かけるわけよ、「帰って来た」って。そうしたら「そうか、それはよかった」で終わってるのよ。そういうものじゃないでしょ? そんな大変なことを「そうか、それはよかった」って。おすぎ:あたしいつも思うんだけど、どうして最後まで読めるの?いつも途中で終わることないの? 必ず読む?佐野:あたしね、もうどこまで下らないかっていうのを試さない限り、自分の目で調べない限り、気が済まないの。あたし本なんてバーンッて投げちゃうのよ、もうあんまり頭に来ると。でも拾ってまた続きを読む。だからつまんないものをどこまでつまんないかって、私はやっぱり吟味したいのね。おすぎ:あたしは途中まで読んで何冊捨てたか、駅の構内に。あたしおかまだから我慢ができないのよ。目移りするのよ。だから言ったでしょ、あたし本命って作らないの。今ね、男が7本ぐらいいるんだけど、一つがいなくなってもスーパーマーケットでお茶買うみたいに取ると向こうからシュッと下りてくる、あの状態にしてるの。だから執着がないのよ。でね、気がついたの。どんなに惚れていろんな苦悩をして何だかんだしてもね、この御面相よ。あなた、もう62よ。報われることなんてないのよ。佐野:そういうおすぎみたいなのはいけないと思うよ。あんた村上春樹と一緒やんか。さっき隆慶一郎の話をして、人間はどうあるべきかって話ししたじゃない。そうあるべきことがこの世の中で成就しなくても、そこの方向に向かって行くっていうのが人間だと思うのよ。おすぎ:うん、そうよ。佐野:だったらそんなスーラスーラッてスペアなんてパッて出てくるなんていうのはやめなよ!おすぎ:疲れた。のよ、考えるのが。絶対的にそんなことやっていたら疲れるのよ。佐野:疲れるわよ。でもあたしは、志だけはそうしていこうと思って、ババアになればなるほどそういう志で死んでいきたいと思うのよ。なるほど、佐野洋子は村上春樹とよしもとばななの小説が嫌いだったのか。この本のなかで、おすぎが隆慶一郎著『吉原御免状』を強く奨めていたので、早速、図書館に予約したのです。この本は(副本3、予約0)となっていたので、5日以内にはゲットできるでしょう♪
2016.08.05
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図書館で、『ミス・サハラを探して』という本を手にしたのです。島田雅彦さんのチュニジア紀行であるが、写真のページが多くて手頃な厚さで読みやすく・・・ちょっとエロっぽくて、小粋な感じがするわけでおま♪【ミス・サハラを探して】島田雅彦著、ベストセラ-ズ、1998年刊<「BOOK」データベース>より砂漠は麻薬と同じである。サハラの蜃気楼にアッラーの幻影を追う放浪訳。【目次】第1部 ミス・サハラを探して(私はユリシーズという/旅の始まりは/ホラ吹きゴーシュの本名は ほか)/第2部 怠惰の海(地中海の空気には/ホテルの鏡でも/隣のテーブルのカップルが ほか)/第3部 アッラーの微笑(チュニスに到着し/スークの賑わいに/さて、食事の時間だ。 ほか)<大使寸評>島田雅彦さんのチュニジア紀行であるが、写真のページが多くて手頃な厚さで読みやすく・・・ちょっとエロっぽくて、小粋な感じがするわけでおま♪rakutenミス・サハラを探してほら吹きゴーシュ(本名はズィエト)の案内で、砂漠の旅が始まります。p27~32 <チェ二ス離れてを>より 2日目も3日めも夜な夜なリゾートホテルのバーやディスコをはしごした。最初は品定めに時間をかけていたが、夜が更けると、女たちは次々姿を消してゆく。ゴーシュが「あれは確実にひっかかってくる」といった女は子ども連れだし、私がビールをおごった女たちはホテルの雇われビーチボーイの方になびいてしまった。12時を過ぎると、ディスコには躍り疲れた男たちばかりが残った。 六ヶ国を操るゴーシュの舌は冴えない。黄金時代のナンパのテクニックはもう錆びついたのか。私はため息をつきつき思う。もう年だ。20代の頃はもっと必死に女を口説いていた。あの気迫は今はない。ゴーシュは「ツキがない」という。これはツキの問題ではない。「いい加減、蓮の実喰いの島は飽きた」と私はいう。いいザブールにも恵まれず、私は半ばすねていた。―砂漠へ行きましょう。砂漠には全然別の生活があります。砂漠では気持ちが洗われる。―砂漠にはナンパできるような女はいないだろうしね。―リゾートの女は男が目当てだが、砂漠のキャンプにいる女は砂漠が目当てです。―砂漠は男よりも魅力があるわけか。―砂漠は女よりもいい。ムッシュ・シマダ、サハラへ行く潮時です。知っていますか?サハラというのはアラビア語で何もないという意味です。シュクリ(運転手)もサハラに帰りたがっています。 カーステレオからは・・・・催眠効果のある音楽が絶えず流れてくる。アラブの音階は耳の中でとぐろを巻く。タンバリンや太鼓、チャルメラに似たリード付きの笛による伴奏に乗って、アラビア語のうねるような歌唱が車中に鳴り響く。―みんな恋の歌です。 無口なシュクリがフランス語で呟く。―砂漠でも恋の歌は歌われているのかな。 私がたずねると、「遊牧民も恋の歌を歌います」とシュクリが応える。私は女性バックコーラスの合の手を真似る。 車はオリーブの平原をひた走る。シュクリは帰郷の土産に路上の露天でバケツ一杯のオリーブを買った。そこから5キロほど奥に、かつてベルベル人の要塞だった村があるというので、寄ってみることにした。オリーブ畑の中にそそり立つ岩山があり、その平たい頂上に集落があった。車を下りると、たちまちまわりを男たちに取り囲まれた。敵意も売りつけようとする品物もないようだったが、好意も愛想もなかった。 要塞には三家族が暮らしていて、生活は貧しい、と聞きもしないのに説明した。水は2キロ離れた井戸からラバの背に乗せて運んでくるのだそうだ。男たちは自分たちの住まいを我々にみせた。そうやって我々を案内しながら、煙草をくれ、金をくれといい出す。長男はフランス語で、次男はドイツ語で、三男は英語で、みな同じ口上でたかってくる。―ここは仕事もなく、現金収入がない。オレたちがここを出ていくと、水の運び手もいなくなる。だから、金をくれ。オレはおまえのガイドだ。その報酬に5ディナールくれ。 ゴーシュも財布の中身が半分になってしまい、煙草もライターも手放し、私に煙草をたかるのである。 砂漠の町は・・・・全てオアシスである。ナツメヤシの木が無数に生い茂り、湧き水が川となって流れるところを通らなければ、砂漠の旅は不可能だ。遊牧民は天空の星の座標と砂漠の地形や植生、砂の質から次のオアシスへと迷うことなく移動してゆく。 地中海のリゾートから12時間のドライブで辿り着いたトズールの町は20万本ものナツメヤシが茂るチュニジア最大のオアシスで、ローマン・アフリカの果てと呼ばれていた。ローマ人はトズールより南には行かず、ここで帝国の線引きをした。ここから先はローマ人が支配する必要はないと思ったのだろう。ところで、サハラ砂漠を舞台にした絵本といえば、有名な『星の王子さま』がありますね。この本は写真ページが多くて絵本のようでもあるのだが、(やや下品なところもあるので)『星の王子さま』に例えるのは無理があるかも♪サハラの誘惑といえば、こんな画像がヒットしました♪サハラの誘惑・三度目の砂漠ツアーより
2016.08.04
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