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4月から電力契約自由化が始まるが、需要側にメリットはあまりなくて供給側が多少もうかる程度のようです。一番恩恵を受けるのは利権が増える役人だったりして…怒るでぇ!(と、ツイッターでつぶやいた)ということで、図書館で借りた『電気は誰のものか』という本を読んでいます。【電気は誰のものか】田中聡著、晶文社、2015年刊<「BOOK」データベース>より長野県の赤穂村は村をあげて村営の発電所を作ろうと夢みたが、電力会社に拒まれる。怒った村人が反対派の家を焼き討ちにしたとして捕らえられた赤穂騒擾事件。全国各地に吹き荒れた電気料金値下げをめぐる電灯争議。漏電火災への恐怖をあおる広報合戦…電気事業黎明期にさまざまに発生した電気の事件簿。電気を制するものは、社会も制する?名士に壮士にならず者、電気事業黎明期に暗躍した男たちの興亡史。【目次】序 電気は盗めるか/第1章 電灯つけるがなぜ悪い?-赤穂村の騒乱/第2章 初点灯という事件/第3章 何が帝国議事堂を燃やしたのか/第4章 東西対決と電気椅子/第5章 電灯争議/第6章 仁義なき電力戦争/終章 再点灯の物語<読む前の大使寸評>来年4月から電力契約自由化が始まるし、原発稼動ゼロでも乗り切ってきたニッポンの電力、望まれるエネルギーミックスなど・・・電力の現状を知りたいのです。<読後の大使寸評>この本は電気事業黎明期の興亡史であり、大使の当ては外れたのであるが・・・血の気の多い史実には、びっくりポンでおました。<図書館予約:(12/09予約、3/23受取)>rakuten電気は誰のものか土建業者の喧嘩や、東京電力の成り立ちが興味深いのです。p229~232<日本最大の喧嘩> 十時半に憲兵隊は、川崎運河と鶴見川を堺とする準戒厳令を布告、憲兵50名あまりが市街地の警戒にあたった。神奈川の警官が700名、警視庁からの応援1300名がこの地入っていた。検挙を始めたのは、午前4時だったという。 『神奈川県警史』によれば、この喧嘩による死者は2名、負傷者は53名だった。一般住民も8名が負傷し、住宅も42戸が被害を受けたという。ただし実際の負傷者はこの数倍はいたようだ。そして416名が検挙された。 この喧嘩の原因は、東京電力が鶴見に火力発電所を建設するのに、タービンを据え付けるための基礎工事を間組に、建築工事を清水組に任せたことにあった。青山組は清水組の下請け、三谷秀組は間組の下請けである。 このように一つの現場を複数の業者が請け負うことは「出会い丁場」と呼ばれ、トラブルの元になりやすいため嫌われた。東京電力としては、完成を急いでいたので2社で分業したほうが工期を短くできるはずだという合理的な判断をしたのだったが、机上の合理的判断が現場にとってはかえって厄介ごとであるという、よくある齟齬が生じたわけである。 それでも「出会い丁場」だから無理というわけではなく、このときはあまりにも相手が悪かった。三谷秀組の親分は金井秀次郎だが、実質的には中田峰四郎が牛耳っており、中田はなにごとも暴力で押し通すむちゃくちゃなやり方で三谷秀組を一気に大きくしてきたのである。 三谷秀組による基礎工事が終われば、次に青山組が建屋の工事に入るわけだが、中田は、基礎が完成した後も現場を占拠し、建屋の工事を許さなかった。三谷秀組に逆らっては、とても工事はできない。清水組が測量を始めたときには、清水組の事務所をまるごと運んで海へ放り込んでしまったくらいで、命がいくつあっても足りない。 そこで青山組の青山芳蔵は、理不尽なまでに我慢を重ねて、中田との折衝をきまじめに繰り返した。だが中田は、交渉する気などないかのような態度で、青山組や清水組の面々を振り回す。中田は、基礎工事だけでなく建設工事全体を独占しようとするのだが、それさえも無理難題をふっかけて嫌がらせをしているだけのようにも見える。 いろいろ複雑な経緯があって交渉は決裂、着工が4ヶ月も遅れていた清水組では、もはや強引に鍬入れを行うしかないと、青山組に決行を迫り、ついに全面対決の日を迎えたのだった。 清水組は青山組に喧嘩のための資金も渡しており、工事に着手すれば大ごとになることは了解していた。それほど着工を急いだのは、むろん施主である東京電力からの督促が厳しかったからでもある。東京電力が工事を急いだのは、東京電灯との電力戦争のまっただなかにあって、この発電所がその戦略上の要の一つだったからである。 東京電力とは、今日の東京電力ではなく、東邦電力の副社長、松永安左エ門がかねて念願の東京侵攻を果たすために作った会社である。静岡、山梨に七つの水力発電所を持ち、横浜、川崎、東京南部に供給権を持つ早川電力と、東京の東と北に供給権を持つ群馬電力を買収し、大正14年に合併して東京電力とした。東邦電力の別働隊であり、東京電灯の牙城を攻略するための突撃部隊だった。現代の建築企業には、会社の名に組が付いていることがあるけど、伊達にそうしているわけでないことが、この史実からもうかがえます。鶴見騒擾事件の、その後を見てみましょう。p249~250<鶴見騒擾事件と政友会> 鶴見騒擾事件の判決は、昭和2年5月30日に言い渡された。209名が有罪となった。懲役6ヶ月から4年の実刑が59名、執行猶予98名、罰金52名。 三谷秀組の組長の金井秀次郎は、4年の求刑だったにもかかわらず無罪となった。中田峰四郎は懲役4年である。青山光二は、この二人の判決が甘いことに、「上部からの圧力」を疑っている。というのは、中田は、政友会系の院外団であり、田中義一とは自動車に相乗りするような仲だったからである。中田は子分の木島福松を、田中義一のボディガードとして派遣してもいた。木島は、力士上がりのでっぷり肥えた身体にモーニングを着て、シルクハットをかぶり、なかば公然と拳銃を携帯して歩いたという。 この公判が開廷された4日後に、若槻礼次郎内閣が総辞職し、4月20日には田中義一が首相となった。政友会総裁、陸軍大将、そして内閣総理大臣ともなった田中に、中田が働きかけ、彼自身と三谷秀組の被告たちに有利な判決が下るように懇請したのではないか。いや、それどころか刑に服してからも特別な配慮が期待できたのではないかという。
2016.03.31
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26日のNHK『スイッチインタビュー達人達』を観たのだが、良かった♪野生動物に対して人間はどう対するべきかを、作家上橋菜穂子と獣医師が語っていたが・・・とにかく自然や野生動物に対して、お二人の独特な感性とリスペクトが表れていました。SWITCHインタビュー 達人達「上橋菜穂子×齊藤慶輔」より 綾瀬はるか主演「精霊の守り人」はじめ壮大なファンタジーを紡ぎ出す作家・上橋菜穂子が、世界でも珍しい野生動物の獣医・齊藤慶輔と、命の神秘や自然と人間について語る。 送電線による感電や交通事故、人間生活の犠牲となった動物たちを治療し野生復帰させてきた齊藤。ワシやタカとの意思疎通に必要なのは目ヂカラ?野生動物の「心」まで知り尽くす齊藤からは驚異の経験談が次々と飛び出す。 一方の上橋は「物語が突然降りてくる」天性の作家。何気ないきっかけから人物設定や名前、声や体温までありありと浮かぶのだという。番組でも上橋さんのアボリジニに対するフィールドワークが紹介されていたが・・・ええやんけ♪ということで、上橋さんの本をネットで探したら『隣のアボリジニ』がヒットしたのです。【隣のアボリジニ】上橋菜穂子著、筑摩書房、2010年刊<「BOOK」データベース>より独自の生活様式と思想を持ち、過酷な自然のなかで生きる「大自然の民」アボリジニ。しかしそんなイメージとは裏腹に、マイノリティとして町に暮らすアボリジニもまた、多くいる。伝統文化を失い、白人と同じように暮らしながら、なおアボリジニのイメージに翻弄されて生きる人々。彼らの過去と現在をいきいきと描く、作家上橋菜穂子の、研究者としての姿が見える本。池上彰のよくわかる解説付き。<読む前の大使寸評>追って記入予定<図書館予約:(とりあえず、予約カートに入れとこう)>rakuten隣のアボリジニ上橋さんは、民族学的研究としてアボリジニに接したようだが、単なる学者ではなかったようですね♪
2016.03.31
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図書館で『清水義範ができるまで』という本を手にしたが・・・おお 小説家になるためのハウツー本やないけ♪というわけで、小説家を目指す大使は、迷わず借りたのです。【清水義範ができるまで】清水義範著、大和書房、2001年刊<「BOOK」データベース>より稀代のパスティーシュ作家はいかにして生まれたか。好きなコトバのあれこれから、創作の秘密、ヘンテコな本の話まで人気作家のすべてがわかるはじめての自伝的エッセイ集。<大使寸評>稀代のパスティーシュ作家でも、自分の特性を見つけるのに数十年間、悩んだようですね…小説家を目指す大使の行く末に暗雲が湧き上がるようでおま。shogakukan清水義範ができるまで小説家を目指す場合の心得をこの本で得たい大使であるが・・・・そんな安易な考えがよくないのかも?p8~11<どんな小説を書きたいか> 「どんな小説を書きたいんですか」 ときかれた。それに対して、私は返答につまった。 今から20年ちょっと前のことである。私が、安定した作家になりたいと焦っていた30歳の時のことだ。 私はかなり幼い時から小説家になりたいという夢を持っていた珍しい人間である。本を読むのが好きな子供であると同時に、漠然と小学生の頃から将来は小説家になりたいと思っていた。 高校2年生の時にクラスの中に同好の友人を得て、同人雑誌ごっこのようなことを始めたのだが、私だけは仲間に対して、将来は書くことのプロになりたいんだと表明していた。みんなに言いふらした手前、途中であきらめるわけにもいかない、という追いつめられた恰好になるように、自ら計画したのだ。大学生になっても同人雑誌を続け、社会人になってもそれは続いた。 その社会人になる時のこと。 愛知教育大学という、当時は卒業者のほぼ10割が教員になる大学にいながら、私は教員採用試験を受けなかった。卒業式の日に、全卒業生の中で私一人だけ、就職先が決まっていなかった。 ここで小学校の先生になってしまえば、おそらく絶対に小説家にはなれないだろう、と思ったのだ。だから無理矢理にでも東京に出なければ、と。 人生を、小説家になるために形成しているわけだ。私は東京へ出て、小さな情報サービス会社に入って働いた。そして、なおも同人雑誌を続け、いくつかの小説雑誌の新人賞に応募した。新人賞にはどれも、最終選考作品に残るぐらいのところまでいき、最終選考でで落選した。 そういう修業時代は十年間続く。 そんな頃に、一時的に刊行されたがすぐに消えてしまったSF雑誌の編集者と会って食事をすることがあった。むこうも人材を求めていて、誰かの紹介で会ったというわけだ。 その席で、その編集長が私に聞いたのだ。 「どんな小説を書きたいんですか」と。 その問いに答えられないことに自分でも驚いた。こういうものが書きたいんです、というのが頭の中にないのだ。ただぼんやりと思うのは、なんだって書ける気がするんですが、という曖昧で不遜な思い。 要するに、まだ自分がわかっていなかったのである。自分にはこれができる、というのを掴んでなくて、ただただ、書けるはずだ、とばかり思っていた。 新人賞に応募してどれも落選した理由もそこにあったのだと、今はわかっている。私の小説はいつも選考評で、そつなくまとまっているのだが新人らしい力強さがない、というようなことを言われるのだった。 これが書きたいんだ、と思って書いているのではなく、これも書けます、という小説になっていたため、人をひきつけるパワーが欠けていたのだ。 では、原点に立ち返ってみよう。どうして私は小学生の頃から小説家になりたかったのか。 その理由は、小説を読むと楽しくて、自分にもこういうものが書ける、という気がしてならなかったからだ。『次郎物語』を読んだ時もそう思った。中学生から高校生にかけて、推理小説を読みあさった時も、それを楽しむと同時に、自分にも書ける、という気がした。 SFファンになった時も、そういう思いを抱いていた。漱石を読んでも、ヘンリー・スレッサーを読んでも、自分もこういうのを書こう、と思うのだ。 自分には必ず書ける、という思いこみがあって、小説家になるしかない、と勝手に決めているわけなのだ。 ところが、十年近くも修業して、まだ目的を達せられないのは、そのぼんやりとした願望のあり方のせいだった。新人なら新人らしく、おれのやりたいことはこれだ、というのをぶつけていかなくちゃ、力強さも面白さもないのだった。 どうも私は、ハッタリをかますのが苦手で、節度のある行儀のいい小説を書いてしまい、その点でもパワーに欠けていた。 もっと、自分が面白いと思うことにこだわって、ほかの人間には思いつけないだろう、というものを書かなくちゃ、と私は30歳にして初めて考えた。ところが、自分の特性を見つけるというのは、なかなかむずかしいことで、迷いが大きくなるばかりだった。
2016.03.30
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<図書館大好き140>今回借りた5冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば「オール男性作家」でしょうか♪<大学図書館>・残り全部バケーション・東方的<市立図書館>・電気は誰のものか・日本の漫画への感謝・清水義範ができるまで図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)************************************************************【残り全部バケーション】伊坂幸太郎著、集英社、2012年刊<「BOOK」データベース>より人生、まだ、続いていくから。裏稼業コンビ「溝口」と「岡田」をめぐる全五章。<大使寸評>残り全部バケーションとは、リタイアした老人の話かと思ったが・・・家庭内暴力の話なんかもあったりで・・・伊坂さんのニッポンを見る感度は良好のようです。でもね、この小説は、説明抜きに場面が切り替わるので、読みにくいわけです。小説の中でゴダールの『小さな兵隊』が出てくるが・・・・この小説自体がゴダールの映画のように、バンバンと切り替わるのです。映画ならその切り替えに慣れれば、どおってことないが・・・小説で、それをやられると、読みにくいこと、読みにくいこと。読みにくさの種明かしです。この小説は5章の構成になっているんだが、各章とも発表時期、載せた媒体が違っているようです。なお、第五章だけは単行本化にあたって、書き下ろしとのこと。shogakukan残り全部バケーション【東方的】中沢新一著、講談社、2012年刊<「BOOK」データベース>よりボストークー東の方。人間を乗せた最初の宇宙船の名前である。偉大なる叡智=ソフィアは、科学技術文明と近代資本主義が世界を覆い尽くす時こそが、真実の危機だと告げる。バルトーク、四次元、熊楠、マンダラ、シャーマニズム、製鉄技術、方言、映画とイヨマンテ…。多様なテーマで通底する「無意識」に、豊饒な叡智を探求する。<大使寸評>スラブ民族や熊楠曼荼羅など、果ては四次元的推論まで縦横無尽に書きつくす(あるいは書き散らす?)中沢さんの頭の中は、どうなっているのだろうと、驚いたのです。shogakukan東方的東方的byドングリ【電気は誰のものか】田中聡著、晶文社、2015年刊<「BOOK」データベース>より長野県の赤穂村は村をあげて村営の発電所を作ろうと夢みたが、電力会社に拒まれる。怒った村人が反対派の家を焼き討ちにしたとして捕らえられた赤穂騒擾事件。全国各地に吹き荒れた電気料金値下げをめぐる電灯争議。漏電火災への恐怖をあおる広報合戦…電気事業黎明期にさまざまに発生した電気の事件簿。電気を制するものは、社会も制する?名士に壮士にならず者、電気事業黎明期に暗躍した男たちの興亡史。【目次】序 電気は盗めるか/第1章 電灯つけるがなぜ悪い?-赤穂村の騒乱/第2章 初点灯という事件/第3章 何が帝国議事堂を燃やしたのか/第4章 東西対決と電気椅子/第5章 電灯争議/第6章 仁義なき電力戦争/終章 再点灯の物語<読む前の大使寸評>来年4月から電力契約自由化が始まるし、原発稼動ゼロでも乗り切ってきたニッポンの電力、望まれるエネルギーミックスなど・・・電力の現状を知りたいのです。<図書館予約:(12/09予約、3/23受取)>rakuten電気は誰のものか電気は誰のものかbyドングリ【日本の漫画への感謝】四方田犬彦著、潮出版社、2013年刊<「BOOK」データベース>より悲哀を、差別を、闇の恐怖を、復興を、希望を、安らぎを教えてくれた、「日本漫画」に捧げるオマージュ。【目次】偉大なる魔術師ー杉浦茂/少女の満洲ー上田としこ/かぎりなく平穏な日常ーわちさんぺい/いやなこというねー前谷惟光/南海からの帰還ー水木しげる/ぼくは日本少年だー益子かつみ/いつまでも喧嘩、喧嘩ー伊東あきお/衝突する宇宙ー大友朗/蛇になったママー楳図かずお/屈辱、復讐、執念、修行ー平田弘史〔ほか〕<読む前の大使寸評>忘れかけていた漫画家に光をあてているのが、ええでぇ♪<図書館予約:(3/16予約、3/23受取)>rakuten日本の漫画への感謝日本の漫画への感謝byドングリ【清水義範ができるまで】清水義範著、大和書房、2001年刊<「BOOK」データベース>より稀代のパスティーシュ作家はいかにして生まれたか。好きなコトバのあれこれから、創作の秘密、ヘンテコな本の話まで人気作家のすべてがわかるはじめての自伝的エッセイ集。<大使寸評>稀代のパスティーシュ作家でも、自分の特性を見つけるのに数十年間、悩んだようですね…小説家を目指す大使の行く末に暗雲が湧き上がるようでおま。shogakukan清水義範ができるまで清水義範ができるまでbyドングリ*************************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き139
2016.03.29
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図書館で中沢新一著『東方的』という本を手にしたが・・・・目次を見ると、多彩なテーマが並んでいて、何が語られるのか、興味深いのです。【東方的】中沢新一著、講談社、2012年刊<「BOOK」データベース>よりボストークー東の方。人間を乗せた最初の宇宙船の名前である。偉大なる叡智=ソフィアは、科学技術文明と近代資本主義が世界を覆い尽くす時こそが、真実の危機だと告げる。バルトーク、四次元、熊楠、マンダラ、シャーマニズム、製鉄技術、方言、映画とイヨマンテ…。多様なテーマで通底する「無意識」に、豊饒な叡智を探求する。<大使寸評>スラブ民族や熊楠曼荼羅など、果ては四次元的推論まで縦横無尽に書きつくす(あるいは書き散らす?)中沢さんの頭の中は、どうなっているのだろうと、驚いたのです。shogakukan東方的南方熊楠の独特なフィールドワークが述べられています。p119~122<高次元ミナカタ物質> 紀州田辺の自宅でおだやかな研究生活をおくっているときの南方熊楠は、ほとんど毎日のように、明け方まで顕微鏡をのぞいて標本の写生をしたり、読書や書き物をしていることが多かったので、どうしても起きてくるのは、昼近くの11時ころになってしまった。 起きるとすぐに、おそい朝食をとった。たいていはパンやみそ汁のシンプルなメニューだったが、好物の肉が食べたくなると、朝食というのに、近所にあった洋食屋から、ぶ厚いステーキをとりよせるのである。 ステーキにあきると、うなぎをとったりした。こってりした食事の方が、むしろ気に入っていたらしいのだ。食事をおえると、すこし庭をぶらぶらしたあと、読書をしたり、手紙を読んだりしてすごし、こんどは居間の畳にまたごろりと横になった。一生涯きまった職につくことのなかった人らしく、じつに自由で悠々としたものだった。 そうして夕方まで昼寝をし、5時か6時ころムクッと起きあがると、少し歩いたところにある銭湯にでかけるのである。銭湯には、2時間も3時間もつかっていた。銭湯の主人は、あらかじめ南方からそれ相当の心付けをうけとってしまっていたので、毎日やってきては長時間ねばっていくこんな客にも、いやな顔ひとつ見せなかったらしい。 ところで、南方熊楠の長風呂には、ちゃんとした理由があった。銭湯には、実に雑多なタイプの人々がやってくる。しかもだいたい時間ごとに、はいりにやってくる人間のタイプは一定しているのである。 夕方には、まず子供がやってくる。つづいて学生たちがくる。それがひくと、こんどは商家の人々、それから職人、農民がつづく。そして、夜もふけてくると、仕事をおえた車夫やあんまがやってきて、しまい湯ころになって、新地あたりの妓家の主人がはいり、最後には芸者というのが、だいたいのパターンだ。 南方は、銭湯につかりながら、つぎつぎとやってくるそうした雑多な人々の会話に耳を立て、またその人々から、さまざまな話をききだそうとした。 田辺にこもりっきりで研究にうちこみ、すこしも外出することのなかった月も多い南方にとっては、銭湯の長湯は、はばが広く質もよいたしかな情報を知るための、もっとも確実なフィールドワークとなっていたのである。(彼は柳田国男にも、書簡のなかで、その方法をすすめている) 話を聞くときの南方には、たしかな情報をえるための、ひとつの方法があった。それは同じ話をくりかえしくりかえし聞く、というやりかただ。そうしていると「たいてい話の真偽、有拠無根が分かる」というのである。真実の話を語っている人は、同じ話を何度しても、たいせつなところでは、けっしてその話の結構をくずさない。(中略) ところで、銭湯につかりながら、こういう方法で、南方熊楠が最大の興味をもって聞きだそうとしたもの、それはじつは幽霊にまつわる話であった。むかしの日本人は、とにかく幽霊話が好きだった。 とくに小都市の生活者にとって、夜の幽霊話は、のっぺりとととのった彼らの生活空間のそこここに、異質な空間への出入り口をうがち、そこを内側と外側がまるでメビウスの帯のようにしてひとつながりになっていくマニホールド(多様体)につくりかえてしまう、ぞくぞくするほど魅惑的な体験をあたえてくれていた。『東方的』1
2016.03.28
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図書館で中沢新一著『東方的』という本を手にしたが・・・・目次を見ると、多彩なテーマが並んでいて、何が語られるのか、興味深いのです。【東方的】中沢新一著、講談社、2012年刊<「BOOK」データベース>よりボストークー東の方。人間を乗せた最初の宇宙船の名前である。偉大なる叡智=ソフィアは、科学技術文明と近代資本主義が世界を覆い尽くす時こそが、真実の危機だと告げる。バルトーク、四次元、熊楠、マンダラ、シャーマニズム、製鉄技術、方言、映画とイヨマンテ…。多様なテーマで通底する「無意識」に、豊饒な叡智を探求する。<大使寸評>スラブ民族や熊楠曼荼羅など、果ては四次元的推論まで縦横無尽に書きつくす(あるいは書き散らす?)中沢さんの頭の中は、どうなっているのだろうと、驚いたのです。shogakukan東方的物理学的あるいは数学的な推論を、次のように、読みやすく述べる中沢さんの頭の柔軟さに驚いたわけです。p60~62<四次元の展望> 四次元の知覚というものが、どういうものかを正確に理解することは、とてつもなく難しい。それを考えるために、一般に試みられてきたやりかたは、アナロジーを使うという方法であった。 たとえばまず、二次元の世界に生きている奇妙な二次元生物を想像して、その生物に三次元がどのようにとらえられるだろうか、調べてみるのである。二次元生物の世界に、突如として、三次元の球体が侵入してきたとしよう。この侵入物を、フラットランド(これが二次元生物の生きている世界にたいして、エドウィン・アボット・アボットがSF冒険小説『フラットランド』の中であたえた名前である)の住人は、どのようにとらえられるだろうか。 そのとき、フラットランドには突如、彼らにとって唯一の世界である空間に、どこからともなく一つの点が出現し、その点はまたたくまに小さな円に変貌するのである。円はどんどん大きさを増していくが、今度はまた突然収縮をはじめ、ついには点にまで縮まって、その点もフッと世界の外部に消えてしまうのである。 知性をもった二次元生物に立体を説明するのは、極度に難しい。たいていの二次元生物は、立体なるものの実在すら否定するだろう。ところが、それは実在し、二次元世界を通過していきながら、そこに自分の断面の軌跡を残すことだってできるのである。 三次元をもった立体は、二次元の世界に閉ざされた知性には、どんな風にとらえられるのか、というこの思想実験をアナロジカルに拡大することによって、人々は四次元なるものの知覚をつくりだしてみようと、さまざまな思いつきを考案した。 いちばんわかりやすいのは、つぎのような考え方だ。 つまり自分の頭の知覚を、四次元超球体が通過していく様子を想像してみるのである。フラットランドのケースから類推してみると、まず点が見え、つぎに小さな球体が見えてきて、それはだんだん大きくなり、膨らむだけ膨らむと今度は収縮をはじめてやがて小さな球にもどり、最後には点になって見えなくなる、と予想してみることができるだろう。 もっと視覚的に言うと、風船を手に持って、ゆっくり膨らませ、つぎに空気が逃げてしぼんでいくのにまかせるのと、同じようなものだと言える。超球体が部屋を横切っていくとき、そういう光景を目のあたりにすることになる。 このアナロジーでいくと、球は円を三次元的に積み重ねたものであり、四次元超球体は球を四次元的に積み重ねたもの、ということになるわけだ。 空間の概念の変容と拡大をもとめはじめていた、世紀末における最初の「現代人」にとって、この四次元をめぐる数学的アナロジーは、きわめて魅力的で、また豊かな説得力をもっていた。四次元の物体が私たちの世界を横切っていくとき、そこには三次元の「断面-立体」があらわれる。そして、その三次元の「断面-立体」は、つねに運動しているのである。 「現代(モダニティ)」はこのようにして、知覚における「次元数の拡大」と「運動-時間」次元の導入によって、特徴づけることができる。そう考えてみると、思想の領域における四次元のブームと映画とが、深い関係をもっていることも、理解されるのではないだろうか。 映画は写真に「時間-運動」の次元を導入することによって、「現代」の知覚の様式に革命的な変化をもたあしたのだ。写真は二次元の映像ではあるが、エマルジョンの物質性によって、そこにはつねに「超薄さ(アンフラマンス)」という次元がつけ加わり、それを特殊な三次元的映像にしている。また知覚的な想像力が、大脳の中で二次元映像に奥行きをあたえて、それを三次元の光景として想像できるようにしている。 映像はその写真映像に、新しいもうひとつの次元である「運動-時間」をあたえたのだ。つまり映画は最初から、「現代」の人間に多次元的な知覚の能力を開くために、出現したメディアだったのだ。この映画にたいして深い関心をいだいていたベルクソンのような哲学者が、また数学者ポアンカレの仕事をつうじて、n-次元幾何学や非ユークリッド幾何学にも深い興味をいだいていたことなども、こういうことに関わりがあるはずである。 「現代」の起源にとって、四次元のテーマはその意味でも、象徴的な価値をもっている。ウーム素晴らしい。中沢さんがSF小説を書く日も近いかも♪さらに、SF絡みのお話を見てみましょう。p76~78<キュビズムの冒険と挫折> フランスの知識人と芸術家たちが、「第四次元」という言葉を流行の概念としておおっぴらに語りだすようになるのは、20世紀にはいってからである。フランスには、ポアンカレのようなn-次元幾何学に通じた優れた数学者や、「持続」という四次元思想とも深い関わりのある概念を武器にして、哲学を一新しつつあった思想家ベルクソンなどが輩出していたのにもかかわらず、イギリスやアメリカのようには、この概念は、すばやく大衆化することがなかったのである。 それには、たぶん民族性と出版事情のちがいがからんでいる。イギリスとアメリカには、早くから科学ジャーナリズムが発達していた。もともとそこでは博物学が発達し、また科学を応用した発明に、多くの人々が興味をいだき、新しい科学知識をいち早く知りたいという願望は、大衆のものでもあった。 そのために、そこでは早くから、『ネイチュア』に代表されるような大部数を誇る科学週刊誌や、さまざまな科学月刊誌が発行されていたのである。そういうものが、フランスにはなかった。ここにはすぐれた文学雑誌はあっても、気のきいた科学雑誌は売られていなかった。 そのために、アメリカ人の一般的な科学愛好家たちが、しきりと新しい幾何学とそれが開く思想的な展望などについて語っているときにも、フランスの大衆はポアンカレの本でも読まないかぎり、これらの概念に触れる機会を、あまりもつことができなかったのだ。 多くの人々は、むしろH・G・ウェルズのSF『タイムマシン』の翻訳によって、四次元の考えの面白さを知ったのである。アルフレッド・ジャリが、いち早くそれにすばやい反応をしめした。彼は『タイムマシン』の翻訳が出た翌月の同じ雑誌に、「タイムマシンを実際に建造するのに役に立つコメント」という文章を発表している。(中略) ジャリは、フランスの文学者にしてはめずらしく、アングロ・サクソンの科学者のエキセントリックな精神を愛好していた、風変わりな文学者だった。そういう彼が特別に愛していたのは、ニュートンやケルビン卿のような、極端にエキセントリックな性格と、常識はずれの天才をもって、科学の世界で自由な知性の遊戯を楽しんでみせたような科学者たちである。ジャリ好みの科学者たちは、石鹸の泡や独楽や樟脳を使って、奇妙な実験をおこなってみせた。 ハンプティ・ダンプティが頭に住みついている数学者もいれば、宇宙を整頓してエントロピーに貢献する小悪魔を描いた大物理学者もいるという世界である。溢れんばかりの科学的薀蓄に驚くのだが・・・衒学にならないよう、願う次第でおま♪
2016.03.28
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南画といえば大雅や蕪村に代表されるが、大正期まで生きた富岡鉄斎も最後の後継者として気になるわけです。さて、3月12日から兵庫県立美術館で富岡鉄斎展が始まったので・・・満を持して、(土日を外して)25日に観に行ったのです。富岡鉄斎展より 江戸末期から大正期までを生きた最後の文人画家とよばれる巨匠、富岡鉄斎の画業を清荒神清澄寺鉄斎美術館(兵庫県宝塚市)所蔵の名品を中心に、約200点の作品、資料で紹介します。富岡鉄斎の文人画は良かった♪でも、鉄斎が終世追求した中国の故事や文人が、現代ニッポンではあまり評価されないわけです。ところで、南画、南宋画、文人画であるが・・・・大使は、それらの定義に混乱をきたしているのです。これではアカンと、『南画と写生画』という本を読んで、その辺りを確認しているところです。【南画と写生画:日本の美術#25】吉沢忠×山川武著、小学館、1971年刊<解説>より古書につきデータなし<大使寸評>カラー画像も多く内容も充実した本であるが、定価は580円となっています。この物価に時代が感じられるわけです。(なお、アマゾンの売値は50円となっています)Amazon南画と写生画:日本の美術#25p151~152<南画と文人画> 日本で南宋画が行われるようになったのは、中国より約400年おくれて、江戸時代中期、18世紀にはいってからであった。 もちろん日本においても文人画という語が用いられることがしばしばある。その場合、それは様式概念として使用されているのである。しかし先に述べたように、文人画は様式概念ではない。私が日本の場合、文人画という語を避ける一つの理由はそこにあるが、ただそれだけの理由からではない。 中国の文人は、士大夫なる階級をその背景にもっている。士大夫とは、封建時代の中国における支配階級である。官にあれば高位高官であり、野にあれば官僚の予備軍たる処士であり、そのはなはだしい場合には、社会から逃避する逸民となる。その生活は、かれらが大土地所有者たることによって支えられていた。 晴耕雨読などという境地が楽しめるのも、かれらにそうした基盤があったればこそである。このような階級の出身者である文人画家は、職業画家を侮蔑の目をもってみていたのである。 ところが、日本の封建時代にあっては、支配階級は将軍を頂点とする武士であり、中国の文人に近いものがないではないが、それは将軍や大名に仕え、たかだか数百石の禄をはんでいた儒者であった。かれらの身分は不安定であり、禄をはなれれば、塾でも開いて生活をたてる以外にいたし方がない。 塾を開いても、たとえば頼山陽のように、それだけでは生活がなりたたず、しばしば地方に出かけて揮ゴウを行い、謝金をもらって生活の資としなければならなかった。日本で文人とよばれるひとびとの生活が、中国のそれといかに異なる、しがないものであったかが察せられよう。 それに、日本で文人画家の代表のように思われている池大雅、与謝蕪村なども、のちに述べるように、明らかに画を描いて生活を立てていた職業画家であり、文人画家とはいえない。しかし、のちになるまで日本の南画家の亀鑑として仰がれていた。 こうした点も、日本では中国と異なって、文人画家と職業画家を区別する基準があいまいであり、文人画家は職業画家と比較することもできぬほど異質な、高い次元のものであるとする思想も、中国の画論を通じて観念的には知ってはいても、実際の生活がちがっているので、それを実感として身につけることがなかった。 また、大雅や蕪村の画には、南宋画以外のさまざまな要素が加わっており、なかには南宋画と正反対の南宋画院や明のセツ派の画に倣った作品さえある。すると、厳密に様式上からいうと、かれらの画を南宋画とはよびにくい。 以上のような日本南画の特殊な性格を考慮すると、文人画も南宋画もぐあいがわるく、さいわい南画という便利なことばがあるので、それによることにした。大使も文人画や南画はわりと好きなのだが、現代の中国には南画を継ぐ人材があまり見あたらないそうです。それだけ、文化大革命が中国文化に与えた被害は大きかったということなんでしょう。(このあたりに、つい中華嫌いがでてくるのです)南画の画像をネットから集めてみました。(長沢芦雪のジャンルは写生画と呼ばれるらしいが、好きな画家なので例外的に載せました)■牧谿の画像■池大雅の画像■与謝蕪村の画像■長沢芦雪の画像■鉄斎の画像
2016.03.27
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<日本の漫画への感謝>図書館に予約していた四方田犬彦著『日本の漫画への感謝』をゲットしたのです。予約して、待つこと3日ほどで準備OKの速攻メールが届いたが…発刊後、2年以上置くくらい古い本が狙い目なのかも。それにしても、忘れかけていた漫画家に光を当てているのが、ええでぇ♪【日本の漫画への感謝】四方田犬彦著、潮出版社、2013年刊<「BOOK」データベース>より悲哀を、差別を、闇の恐怖を、復興を、希望を、安らぎを教えてくれた、「日本漫画」に捧げるオマージュ。【目次】偉大なる魔術師ー杉浦茂/少女の満洲ー上田としこ/かぎりなく平穏な日常ーわちさんぺい/いやなこというねー前谷惟光/南海からの帰還ー水木しげる/ぼくは日本少年だー益子かつみ/いつまでも喧嘩、喧嘩ー伊東あきお/衝突する宇宙ー大友朗/蛇になったママー楳図かずお/屈辱、復讐、執念、修行ー平田弘史〔ほか〕<読む前の大使寸評>忘れかけていた漫画家に光をあてているのが、ええでぇ♪<図書館予約:(3/16予約、3/23受取)>rakuten日本の漫画への感謝この本の冒頭に、漫画に対する四方田さんの執着が語られています。p3~4<はじめに貸本屋ありき> この文章の冒頭に記したように、わたしは十円玉を握り締め、せっせと貸本屋に通って漫画を読んだ最後の世代に属している。だがそれは同時に、戦前から続いてきた月刊少年漫画誌が、腹にぶ厚い付録を内蔵しながら最後の光芒を示していた時期でもあり、その間隙を縫うように創刊されたばかりの週刊少年漫画誌が熾烈な闘いを展開していた時期でもあった。 ハイブローな月刊誌が創刊され、そこを舞台に前衛的な実験が繰り広げたり、新書版サイズの単行本が次々と刊行された時期でもあった。 1990年代の中ごろ、日本の出版産業において漫画は未曾有の絶頂に達した。ほどなくして漫画学会が設立され、少なからぬ大学が漫画の創作と歴史を教える講座を設け始めた。そして現在では漫画は、アニメやTVゲームとともに、日本文化を代表するサブカルチャーとして、国際的に巨大な産業と化している。 わたしはこうした漫画の変貌に対し、つねにその開始の時点において立ち会ってきた。それは作品としての漫画そのものの変貌でもあり、漫画をめぐる制作・販売・消費のシステムの変貌でもあった。また漫画が論じられる知的文脈の変貌でもあった。 そして半世紀にわたる目まぐるしい動きの後に、わたしはふっと一息をついて、自宅の書斎の床一面に積み上げられている段ボールの山を眺めている。いったいそこには何冊の漫画の単行本が、雑誌が収蔵されているのだろうか。『ガロ』や『COM』が創刊号から残されていることはいうまでもない。 70年代に地方を旅するたびに、店を閉じようとする貸本屋を目敏く見つけては、ほとんど反古同然にまで読み込まれた漫画を一箱いくらで買い取った。ここにはその時の戦利品もあれば、コミケットで販売された無名の同人誌もある。「漫画が論じられる知的文脈の変貌」ってか、漫画って、そんなに難しいものなのかと思わないでもないが・・・とにかく四方田さんが、子どものときから一貫して関わってきた熱意が感じられるわけです♪四方田さんがとりあげた25人の漫画家のうち、杉浦茂を見てみましょう。p12~14<偉大なる魔術師 杉浦茂> 第1章は誰から始めようか。 おそらくたいていの読者は手塚治虫を期待していることだろうな。戦後の日本漫画の主題も技法も、多くが手塚に端を発しているし、彼が創造した登場人物たちは漫画の枠を超え、現在でもいたるところに氾濫している。だがへそ曲りのわたしはあえて手塚を外し、杉浦茂を取り上げることから自分の漫画体験を語り出してみたい。(中略) 杉浦茂(1908-2000)は東京の下町に生まれ、最初は洋画家を志した。だがそれを諦めると、田河水泡の門下生として教育漫画を中心に活躍した。戦後は西部劇や忍術ものに新境地を拡げ、その人気は1950年代に絶頂に達した。 手塚治虫が偉大なる啓蒙家であり、白土三平が扇動的な思索家であるとすれば、杉浦は偉大なる魔術師であった。作品の画風や主題、また筋運びや科白、あらゆるものを取ってしても、杉浦漫画は特異であり、追随できる者がいなかった。 杉浦は週間漫画誌や劇画の流行にほとんど関心を向けず、生涯を通して同時代からは超然とした位置を保った。そして年少の漫画家たちから敬愛すべきお爺ちゃんとして仰ぎ見られていた。20世紀の芸術家で彼に似ている人がいたとしたら、誰だろうか。音楽の世界ではエリック・サティやジョン・ケージが思い浮かぶが、画家や漫画家では相応する人物が思い浮かばない。 わたしが子供のころ、杉浦漫画を好きだった他の子供たちのことを思い出してみる。彼らはけっして、少年雑誌の最新号を教室に持ち込んで騒ぎ立てるような漫画マニアではなく、どちらかといえば地味で大人しい少年や少女だった。『ドロンちび丸』や『猿飛佐助』といった杉浦漫画は、誰にも見せずにこっそり眺め入って愉しむものであり、物語の続きを唾を飛ばしながら論じあうといった興奮からはほど遠い、静かな読まれ方をされていた。 第一それは他の漫画のように、素早く頁をめくって結末に駆け込むといった風には読めなかった。1コマずつ丁寧に科白を読み解き、人物の細かな表情を見定めた上でようやく先に進むという風であって、読者の子供は、いつしかちび丸なり怪傑ガンモドキーといった主人公の顔をノートの空白に写してみたり、そこから別の遊びを思いついたりして、ともかく1冊の書物を読み終えるのにひどく時間がかかるのだった。
2016.03.26
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図書館に借出し予約していた『データの見えざる手』という本をゲットしたのです。この本は、自ら学習する人工知能にもふれているらしいので、その辺りが興味深いのです。【データの見えざる手】矢野和男著、草思社、2014年刊<「BOOK」データベース>より人間の行動を支配する隠れた法則を、「方程式」に表す。ヒューマンビッグデータがそれを初めて可能にした!時間の使い方・組織運営・経済現象など、人間と社会に関する認識を根底からくつがえす科学的新事実。科学としての確立と現場での応用が同時進行し、世界を変えつつある新たなサイエンスの登場を、世界の第一人者が自ら綴る!【目次】第1章 時間は自由に使えるか/第2章 ハピネスを測る/第3章 「人間行動の方程式」を求めて/第4章 運とまじめに向き合う/第5章 経済を動かす新しい「見えざる手」/第6章 社会と人生の科学がもたらすもの<読む前の大使寸評>この本は、自ら学習する人工知能にもふれているらしいので、その辺りが興味ふかいのです。<図書館予約:(11/20予約、3/15受取)>rakutenデータの見えざる手つい先日、コンピュータ棋士が囲碁プロに勝ったというニュースが流れていたが・・・そのコンピュータ棋士(アルファ碁)は、自ら学習する機能があるそうだ。この本で「学習するマシン」の辺りを読んでみます。よく分からないけど。p191~194<人による仮説検証型分析はビッグデータに通用しない> 大量のデータを、コンピュータを使って分析する技術(これは「アナリティクス」と呼ばれ注目されている)は、長年研究されてきた。これとここで紹介した「学習するマシン」とは何が違うのだろう。 従来、データの分析(アナリティクス)は、演繹の得意なコンピュータを使って分析者が行ってきた。このような分析は、本来「帰納的」な仕事である。しかし、その「帰納的」な仕事に、「演繹用」に作られたコンピュータを使わざるを得ない。このギャップを埋めるために、データ分析では、人が適切な「仮説」を設定しなければいけないのだ。実際に、人は適切な仮説を設定できるだろうか。 今回店舗の実態を見てみよう。データは、顧客、店員、棚、商品、時間、行動など大量、多様である。データの属性の選択肢がありすぎて、仮説をどうやってつくったらよいのかわからない。膨大なデータにどんな現象や法則性が含まれているかは人間には想像しようがない。 実は、仮説などつくりようがないのである。それでも無理を承知で人が仮説をつくろうとすると、関係者が簡単に想定できることやすでに知られていることになってしまう。本件で専門家が行ったように、関係者へのインタビューやこれまでの経験と勘から仮説をつくらざるを得ない。それをデータで検証するという手順にならざるを得ない。 さらに、この分析者による仮説検証方式には、膨大な労力がかかる。仮説を作ろうとすると、関係者のヒヤリングや現場の調査などを行う必要もある。これらを含めると、経験的には、分析のためのものとなるデータを整理するところまでに分析作業の90%以上がかかる。その先にコンピュータを活用するにしても、9割以上が人手作業と試行錯誤の連続である。 これは職人による手工業に近い。これまでのビッグデータの分析現場を見ていると、家内性手工業の職人の工房に舞い戻ったような錯覚を覚える。一見、最先端のハイテクの職業と思われる「アナリティクス」「データサイエンティスト」は実は、親方と弟子の勘と経験によるまったく手工業の世界なのだ。大事なところ、労力がかかるところは工業化もコンピュータ化もされていないのである。 これだけ人手をかけても、事前の仮説に沿って分析を行うと、「当たり前」の結果しか出ないことが多い。これではコストパフォーマンスが悪すぎる。 ここで行っているのは歴史的には科学者が行ってきた仕事そのものである。科学者の仕事とは、観測データの背後にある法則性を見出すという仕事だ。これまでの科学の歴史を振り返ってみれば、、アイザックニュートン、ルートヴィッヒ・ボルツマン、アルバート・アインシュタイン、エルヴィン・シュレディンガーなど限られた天才が行った仕事である。そして、そのような発見はめったに起きるものではなかった。この状況は、ビッグデータが入手できたとしても、従来の手工業的な手法で行っている限り大きくは変わらない。 自ら学習するマシンである人工知能Hは、この「アナリティクス」を不要にすることができる。<学習するマシンが人の「過去に学ぶ能力」を増幅する> ビッグデータが科学的根拠のある形で、その威力を発揮するには、アイザック・ニュートンなどの天才の仕事をコンピュータが代わりに行う必要がある。もちろん天才のひらめき自体を摸倣したり置き換えたりすることは簡単ではない。 ここで「鳥のように空を飛ぶ」という人類の夢は、「飛行機」という「鳥」とは似つかないものにより実現されたことを思い出そう。人工知能の議論では「人間の知能そのものを人工的に再現しなければいけない」という強硬な態度をとる人と、「最初は鳥を夢見て出発し、結果として飛行機を創っても、知的な問題解決に役に立つモノができればそれでよい」という柔軟な考え方がある。私はどちらかというと後者である。 「学習するマシン」により、大量のデータからコンピュータが学習できるようになった。その学習できる量やスピードは人間をはるかにしのぐ。飛行機が鳥をはりかにしのぐスピードで大陸間を移動できるのと同じだ。これにより、大量のデータから、マシンが天才をしのぐような発見をできるようになったのである。 同様なことは、将棋の世界でも起きている。「電王戦」と呼ばれるコンピュータと棋士との戦いで、コンピュータソフトが一流のプロ棋士をしのぐ力を持つようになった。 ここで重要なのは、コンピュータは過去の大量の棋譜から学んで急速に力をつけたことだ。一見、「コンピュータ」と「人間」の戦いのように見えるが、実は、「過去の人類の英知全体から学ぶ」ことをシステマティックに行うアプローチと、「自らの体験から学ぶ」従来型のアプローチとの戦いで前者が勝利するようになったともおえるわけだ。 興味深いのは、最近では、コンピュータによる打ち手からプロ棋士が学びはじめていることである。人間はそこからさらに新たな能力を身につけるかもしれない。コンピュータ棋士(アルファ碁)がプロ棋士に勝ったそうだが…えらいこっちゃ!2016.3.19AIの「人間超え」、その時トップ囲碁棋士はより今年3月、世界トッププレイヤーの1人、韓国の李世ドル(イ・セドル)九段が五番勝負でグーグル傘下企業のディープマインドが開発した人工知能(AI)「アルファ碁」に敗れたというニュースが世界中を駆け巡った。チェス、将棋など人類の知性の象徴とされてきたゲームで次々にAIによる「人間超え」が起きてきたが、「早くて10年後」とされてきた囲碁がここまで早く陥落することを予想する人はいなかった。 AIが人間を超える、シンギュラリティ(技術的特異点)。遅かれ早かれ、我々全員が直面する現実だ。正に今、囲碁棋士はその現実に向き合っている。そこには、どのような光景が広がっているのか。名人、本因坊など14回のタイトル獲得経験を持つ日本囲碁界のトップ棋士の1人、高尾紳路九段が緊急寄稿した。 3月8~15日にかけて行われた五番勝負で、韓国の李世ドル九段が人工知能(AI)「アルファ碁」に敗れた。通算成績は1勝4敗だった。アルファ碁の存在を知ったのは1月末。中国のプロ棋士で欧州チャンピオンの樊麾(ファン・フイ)氏を、5戦全勝で破ったというニュースを聞いた時だ。それまで囲碁ソフトはアマチュアの高段者レベルだったのが、突然プロに勝つまでに進化したというのだから驚いた。しかも、あの李九段と五番勝負を戦うというではないか。 棋譜を冷静に分析してみると、その時点でのアルファ碁の棋力は比較的弱いプロといったところかと感じた。五番勝負まで半年で、アルファ碁が更に強くなるだろうとは思ったものの、それでも李九段の有利は揺るがないと予想していた。■予想を覆したAIの勝利 3月9日、第1局。アルファ碁(白番)には正直、それほどの強さを感じなかった。途中経過では白の形勢が良さそうだとは思っていた。だが、それから白が損を重ねたこともあり「逆転しただろう」と思って、そこからあまり注意して見ていなかった。 ところが、終わってみると李九段が負けたという。もちろんショックは大きかった。だが当時、アルファ碁についてほとんど情報がない状況で、李九段もアルファ碁の強さを試すような打ち方をしていた印象があった。何度も世界戦を制しているとはいえ、世界中の注目を集める大一番でやや固くなっている様子も伺えた。いつもの実力を発揮すれば、やはり李九段の方が強いのではないか。それが局後の率直な感想だった。
2016.03.25
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図書館で『限界マンション』という本を手にしたが・・・・現在、じわじわと進行している限界マンションが今後どうなるのか気になるのです。また、不動産のリノベーションやシェアハウスへの転用など、空き家関連ビジネスの現状も気になるのです。【限界マンション】米山秀隆著、日本経済新聞出版社、2015年刊<出版社情報より>▼老朽化したマンションの末路は、スラムか廃墟か。居住者の高齢化と建物の老朽化という「2つの老い」により、空室が増え、管理組合が機能せず半ば放置される「限界マンション」化がじわじわと進行している。▼しかし、建て替えができるだけの容積率の余裕がある物件も、区分所有権を解消し解体するための費用を積み立てている物件も少ない。朽ち果てるまで放置するしかないのか。50年も保たない耐久性と区分所有権というマンションの矛盾が生んだ時限爆弾がいよいよ炸裂しようとしている。▼限界マンション化を防ぐ手立てはあるのか。どうすれば建て替えを実現できるのか。購入者にとってマンションは終の棲家となりうるのか。前著『空き家急増の真実』で空き家問題を世に問い大きな反響を巻き起こした著者が、リサーチとデータをもとに、次なる空き家問題であるマンションの末路を冷徹に分析する。【目次】序章 マンションという住まいの末路第1章 マンションの歴史ーー埋め込まれた時限爆弾第2章 マンションの二つの老いと建て替えの現実第3章 限界マンション化にどのように立ち向かうか第4章 空き家問題の現在終 章 空き家問題の今後の展開と限界マンション<読む前の大使寸評>現在、じわじわと進行している限界マンションが今後どうなるのか気になるのです。また、不動産のリノベーションやシェアハウスへの転用など、空き家関連ビジネスの現状も気になるのです。rakuten限界マンション素人考えでも、マンションの建て替えの困難さが分かるのだが、その辺りを見てみましょう。p115~120 なぜ、日本のマンション法制が建て替えのみを予定しているかといえば、繰り返しになるが、マンション寿命の短さと、種有権への強いこだわりが関係していると考えられる。<日本のマンション事情の特殊性> 前述のように、過去に建て替えが行われたケースでは、築後30~34年というケースがもっとも多かったが、中にはわずか20年前後で建て替えを行わざるを得なくなったケースもある。コンクリートの寿命は通常であれば60年程度、良好な条件が満たされれば100年は保つといわれているが、初期に建てられたマンションは60年の半分程度で建て替えの必用が生じている。 もっとも、昭和初期に建てられた同潤会アパートは、築後60年を経て建て替えられるようになり、比較的長い寿命を保ったといえなくもないが、内部設備の老朽化はそれよりはるかに早く進行し、建て替えはそれ以前から切実な問題となっていた。 日本のマンション寿命が短いのは、初期のマンションでは、コンクリートの打設にも問題があったためともいわれる。耐久性が劣る水分が多いコンクリート(いわゆるシャブコン)が使われたという例や、悪質なケースでは海砂が使用され、塩分により鉄筋が錆びるなどして、耐久性が著しく落ちたという例もある。 さらに、日本の建設業界全体が長い間、マンションに限らず、多くの建築物について、耐久性に十分配慮して長く使うという発想には立たず、建てては壊すというスクラップアンドビルトの発想に立って、建築物を作ってきたという根本的な問題もある。スクラップアンドビルトのほうが、仕事がなくならず、建設業界にとっては好都合である。(中略) 要するに、寿命が長くなかったため、区分所有者がそこに永住することができなくなり、切実な問題として、建て替え問題が日本のマンションで現れたということになる。その際、デベロッパーにとっては、建て替え自体が新たなビジネスチャンスともなるため、建て替えに関する法律の整備や政策的支援の実現などについては、熱心に取り組んできた。 このように日本のマンションにおいて、建て替えが実際問題として重視される背景には、マンションの寿命が長くなかったという事情が深く関わっている。そこにはスクラップアンドビルトの発想に立つ、デベロッパーの事業姿勢も反映されている。 <区分所有権解消の合理性> 一方、所有権に対するこだわりであるが、いったん取得したマンションの区分所有権を永久に持ち続けたいという要求は、建て替えを行うことによってのみ満たされる。この場合、全員一致で建て替えを行うのであれば問題はないが、全員の同意が得られない場合、多数が建て替えを望むにもかかわらず、建て替えられないという問題が発生する。これについては、前述のように、区分所有法の1983年改正で建て替え決議の規定が設けられ、2002年改正でその要件が緩和されたため、現在では自由を問わず、5分の4の多数によって建て替え決議ができるようになっている。(中略) これも多数の利益を守るためには必要と考えられているのが現状であるが、そもそも老朽化した場合に、建て替え以外の選択肢が事実上ないことが問題ともいえる。老朽化し、もはや取り壊す以外の選択がないと多数が考えた場合、建て替えを行うのではなく、区分所有権を解消し土地を売却するという方向が、マンション法制で積極的に予定されていれば、そのほうがむしろ合理的に処理できる可能性がある。(中略) 前述のように、寿命が短く、建て替えを当然のように考える日本の特殊なマンション事情には、マンションを分譲の形態で販売することと、老朽化した後に建て替えることに利益を見出してきた供給者側の論理がいまだにまかり通っていることも色濃く反映されている。限界マンションになった場合、空家法適用のプレッシャーが強まるわけだが、その辺りを見てみましょう。p187~188<空家法におけるマンションの扱い> 空家法での空き家の定義には、住宅以外の建築物、空き店舗や空きビルなども含め、すべての建築物が含まれる。その場合、空き家になっているかどうかは棟単位で判断される。 長屋建てや共同住宅の建築物は、すべての住戸が空き家になっていなければ、法の対象にはならないというのが立法者の立場である。ただし長屋の場合は、歯抜け状態になって使われているような事例もあり、個々の住戸を独立して捉えることも不可能ではない。(中略) 一方、アパートやマンションなど共同住宅の場合は、1戸単位で徐却することは不可能であり、長屋のような考え方は成り立たない。したがって、法の対象になるのは、募集を止めてすべてが空いた状態になっている賃貸アパート・マンションや、分譲マンションでもまったく居住者がいない状態になっているものに限られる。 条例では、募集を止めて荒廃した賃貸アパートについて、代執行を行った例がある(東京都大田区)、荒廃したリゾート旅館が代執行されたケースもある(新潟県長岡市)。 分譲マンションの場合は、将来的に居住者がいなくなり、スラム化が進んだ場合には、この法の対象になる可能性が出てくることになる。<空家法の効果と予想される弊害> 空家法と税制改正によって、特定空家の所有者に対してプレッシャーが強まる。これが空き家所有者の行動に与える影響としては、特定空家にならないように維持管理を行う、賃貸化するなど物件を活用する、あるいは維持管理コストと将来的な税務負担を考えて売れるうちに売るなどの選択を行うことが考えられる。こうした行動変化をにらみ、ハウスメーカーや不動産事業者などが空き家の管理、流動化を請け負うサービスを相次いで開始しており、空家法の効果はこうした面でも表れている。『限界マンション』1
2016.03.24
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図書館で『パッチギ的』という本を手にしたが・・・・おお シネカノンの李鳳宇の本やないけ♪ということで、借りた次第です。現在、シネカノンは倒産して存在しないが、李さんがインディペンデント系映画業界に与えた業績は大きかったと思うのです。【パッチギ的】李鳳宇著、岩波書店、2007年刊<「BOOK」データベース>より日本映画をおもしろくした男の現在進行形・半自伝。インディペンデントの雄・シネカノンを率いる映画界の風雲児が、京都での少年時代、単身会社を興して以降のさまざまな出会い、成功と失敗、「強い映画」を作る信念を、真正面から書き下ろした。知られざる映画評、幻の小説も収録。<大使寸評>現在、シネカノンは倒産して存在しないが、李さんがインディペンデント系映画業界に与えた業績は大きかったと思うのです。rakutenパッチギ的李さん初めてのプロデュース作『月はどっちに出ている』の劇場上映のウラには、涙ぐましい苦労があったようです。p75~77<初めてのプロデュース作『月はどっちに出ている』> この映画を公開した1993年は、僕が初めて映画館経営を始めた年でもある。僕は大阪の十三にある十三シネマの閉館のニュースを知って、すぐさま大阪に行き、ビルのオーナーに掛け合って、「どうせやめるなら僕に安く貸してください」と泣きついた。オーナーは快く僕の提案を受け入れてくれ、あわただしい改装工事を経て、7月にやっとオープンの運びとなった。 開館当日、『月はどっちに出ている』の主題歌を担当してくれた憂歌団が劇場に訪れ、完成披露試写会の後にその場で歌ってくれた。 大阪での上映館は、たとえ十三であっても1館を確保した。それでも東京の上映館はなかなか決まらなかった。僕は粘り強く都内のいろんな劇場と交渉したが、興行主は誰もがシビアで保守的な人種で、映画の出来や評判をまったく考慮しない。僕はことごとく断られ、最後は駄目でも仕様がないという覚悟で、当時松竹の常務をやっていた奥山和由氏に会いに行った。 何とか1館だけでも貸してくれないでしょうか、とお願いしてみたわけだ。すると必死の僕に同情してくれたのか、彼は新宿ピカデリー2という劇場を11月3日から3週間だけの限定期間、空けてくれた。興行の条件は保証興行といって、最低限の使用料を残す約束をして公開を行う、いわば貸し館のような形だった。それでも東京で公開できるだけでもラッキーだった。 死に物狂いで宣伝し、毎日足が棒になるくらい歩き回った。チケットも知り合いとう知り合い全員に売りつけた。そして初日を迎えた。 僕は緊張のあまり当日は、朝の8時くらいから新宿の劇場に乗り込んだけれど、当然そんな時間にはまだ従業員すらきていなかった。仕方ないから僕は、劇場の通りをはさんで向かい側に位置する花園神社に行って、お賽銭を投げて、しばらくぼーっと考えごとをしていた。 10時25分の回が初回だった。興行の出来は初日の初回ですべて判る。劇場のキャパに対して何割くらい埋まるかで、日計、週計、そして最終的な興行収入が割り出せるものだ。新宿ピカデリー2は当時、客席数が261席だった。この客席数に対して初回は約6~7割埋まれば、午後からの客の出もあるから、初日は何とか無難なスタートをするだろう。僕はそんな予想をもって、初回の上映に立ち会った。 すると初回の入りは、何と81人。3割程度しか観客がいない。そのときのショックは言葉に表せないほど大きかった。僕はいろんなことを犠牲にして、この映画のためにほぼ2年間をひたすら走ってきた。でも結果はあまりにも過酷なものだった。 ガッカリしてうなだれていると、後からきた崔さんがお茶でも行こうと誘ってくれ、とりあえずその場を後にして、新宿のガード下にあった居酒屋に行った。二人で何杯か自棄酒をあおって、2回目の劇場に向かう頃には僕は、足元がフラフラしていた。 しかし、劇場前にたどり着くと、並んでいる長蛇の列に、思わず酔いも醒めてしまった。その日は山田洋二監督の『学校』の初日でもあった。舞台挨拶もあったから、僕たちはてっきりその回を並ぶ人たちだろうと羨ましそうに横目で見ながら、劇場に降りていった。でも列の最前列がピカデリー2の入り口に並んでいるのを確認すると、僕は思わず声を上げてしまった。 念のために並んでいる人に聞いてみると、『月はどっちに出ている』を鑑賞するために並んでいると言うではないか。2回目の上映は満席立ち見になった。それから3回目、4回目とも全回満席になった。 僕は初回の不入りが果たして何だったのか、いまでも判らない。『月はどっちに出ている』は結局、その劇場で26週間の記録的なロングヒットを果たした。たった、2館しかなかった上映館は、その後50館以上に広がり、観客動員も40万人を数えた。そして、その年の主要な映画賞も数々受賞した。 崔さんも有名監督の仲間入りを果たし、無名だった岸谷五郎は有名俳優になった。でも、絶望から歓喜に変わったあの日の興奮と、みんなで朝まで飲み明かした喜びの瞬間があるから、僕はいまも痺れるような興行の世界に身をおいているのかもしれない。『月はどっちに出ている』は僕にとって、そして皆にとっても「画期的」な最初の成功だった。このエピソードを読んで、映画のプロデューサーとは何たるかが、よく分かりました(笑)。神戸地区の映画館でたいがいの映画は見られるのだが、どうしても見られないレア物が、十三の「第7芸術劇場」に掛かることがあり、そのときは大使は十三まで遠出するのです。この映画館は、まだ李さんが経営しているのだろうか?『パッチギ的』1『パッチギ的』2『パッチギ的』3
2016.03.23
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図書館で『三丁目の夕日の時代』というムック本を手にしたが…全ページにわたって、昭和30年代のほろ苦いような、また懐かしいような写真に満ちています。というわけで、この本を借りたのだが・・・・ 大使の場合、昭和30年代と聞くとオート三輪とゴジラ映画となるわけです。【三丁目の夕日の時代】ムック、小学館、2007年刊<出版社説明>より『三丁目の夕日』が原作の映画第2弾「ALWAYS続・三丁目の夕日」の2007年11月3日公開に合わせ、高度成長期の日本を、コミックのイラストや映画のシーンも折り込みながら、多角的に分析・紹介したムック本。<大使寸評>全ページにわたって、昭和30年代のほろ苦いような、また懐かしいような写真に満ちています。shogakukan三丁目の夕日の時代p108~109<駄菓子屋は何でもアリ!のワンダーランド> 浅草出身の紙芝居作家で下町文化研究家でもあった加太こうじ(大正7年生まれ)の著書によれば、昭和初期の駄菓子屋には、金平糖、棒ニッキなどの駄菓子の他、みかん水、ラムネ、当てもの、そして駄玩具などが並んでいた。 また、もんじゃを売る店もあり、戦後の駄菓子屋とほとんど変わらない様子だったことが分かる。 戦時中は、砂糖の統制によって菓子の製造が困難となり、駄菓子屋は一時開店休業状態となった。しかし、やがて戦争が終わると、下町を中心にすぐに復活し始めた。 そうした戦後の駄菓子屋の多くは、戦争未亡人が生活の糧を得る手段として始めたものが多かった。 自宅の玄関先に簡単な露台を置き、そこに駄菓子を並べて売る。そんな店は、看板はおろか屋号もない店がほとんどだった。 しかし、子どもたちは誰もが口コミで店の存在を知っており、「茶色いお店」とか、「ポスト(が近くにある)」など、仲間内だけに通じる通称で呼んでいた。 東京の下町では、冬場になると、座敷に鉄板の付いたテーブルを並べて、もんじゃ焼きを売る店もあった。 もんじゃとは、水で溶いた小麦粉にキャベツなどを入れ、ウスターソースで味付けしたもので、それを鉄板で焼いて食べる。今では中央区月島の名物となっているが、当時のもんじゃは具も少なくずっと質素なものだった。■昭和の子どもの金銭事情 昭和30年代、小学生の小遣いはいくらだったのか。98人を対象に調査した結果は次のとおりだ。 1日5~10円=48人、20~30円=16人、50~100円=4人。 月ごとの場合、月500円=5人、300円=3人、400円=1人。 そして、もらっていなかったという子は7人もいた(昭和63年葛飾区立道上小学校記念誌)。 子どもたちは、今日の5円を何に使うかで、駄菓子屋の店先で悩みに悩んだ。あまり悩み過ぎると、店のおばちゃんから「5円10円でいつまでも迷ってるんじゃないよ!」と怒声が飛んでくる。 店のおばちゃんは、子どもが好きだから駄菓子屋をやっているわけではない。おばちゃんも生きるために必死なのである。(中略)■最初の読書体験はカバヤ文庫だった カバヤ製菓のキャラメルに入っていたカードの点数を集めて送るともらえたカバヤ文庫。昭和27年から29年までに159冊が刊行された。懸賞終了後数年たっても近所のお兄さんのお下がりが仲間内で貸し借りされていた。『三丁目の夕日の時代』1
2016.03.22
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図書館で『三丁目の夕日の時代』というムック本を手にしたが…全ページにわたって、昭和30年代のほろ苦いような、また懐かしいような写真に満ちています。というわけで、この本を借りたのだが・・・・ 大使の場合、昭和30年代と聞くとオート三輪とゴジラ映画となるわけです。【三丁目の夕日の時代】ムック、小学館、2007年刊<出版社説明>より『三丁目の夕日』が原作の映画第2弾「ALWAYS続・三丁目の夕日」の2007年11月3日公開に合わせ、高度成長期の日本を、コミックのイラストや映画のシーンも折り込みながら、多角的に分析・紹介したムック本。<大使寸評>全ページにわたって、昭和30年代のほろ苦いような、また懐かしいような写真に満ちています。shogakukan三丁目の夕日の時代初期のオート三輪には、跳ね上げ式の助手席がついていて、ここに座るのが好きな大使でした。家にテレビもなく、娯楽の少ない時代だったから、映画に惹かれたのでしょうね。p40~41<日本映画> 昭和31年、邦画の年間製作数が514本に達し、日本は世界一の映画生産国となる。その翌年、映画館の入場者数は初めて10億人を突破。さらに33年にはそれが11億2745万人に達したのである。映画界は活気にあふれ、庶民の映画熱はますます高まっていった。■映画界を盛り上げた2つのきっかけ 昭和30年代に映画熱がこれほど盛り上がったきっかけは2つある。 まず一つ目は、東映が昭和29年の1月から始めた2本立て興行。 メインの映画に1時間程度の子ども向け映画などを添え、週替わりで2本の映画を公開する。このお徳感が観客に大いに受けた。 その成功にあおられ、すぐに他社も2本立て興行を初め、映画の製作本数が急増することになった。 この方式は、予算の低下と製作期間の短縮を招き、役者もスタッフも徹夜の連続を強いられるなど、楽屋裏は大変なことになっていた。 だが一方で、そうした低予算の映画でデビューを果たし、実力が認められて大成した映画人も少なくない。昭和36年に『二階の他人』でデビューした松竹の山田洋二監督などもその1人である。 そして観客をさらに増やした2つ目のきっかけ、それは「五社協定」だった。 五社協定とは、戦前に時代劇で名を馳せた日活が昭和28年に自主製作を再開。それを脅威と感じた松竹、東宝、大映、新東宝、東映の5社が、自社の俳優、監督、脚本家などを他社に貸し出さないことを取り決めたことである。 ところが5社にとって皮肉なことに、この協定が日活に巨星を誕生させた。それが石原裕次郎だった。裕次郎が主演した昭和33年の正月映画『嵐を呼ぶ男』は、正月映画で長らく1位だった東映を抜き、興行成績トップの座を獲得した。ところで、元祖「ゴジラ」完全新作が2016年に復活というネット情報があるけど、どうなっているんやろ?♪2014.12.8元祖「ゴジラ」完全新作として製作決定!2016年に12年ぶり復活より 本多猪四郎監督が手がけた1作目「ゴジラ」(54)が封切られてから60年。今年は米レジェンダリーがハリウッド版として「GODZILLA」を63の国と地域で公開し、全世界興行収入570億円以上、日本でも興収32億円を突破する大ヒットを記録した。ゴジラの長年にわたる功績を受け、ギネスワールドレコーズ社は「GODZILLA」の全米公開日となる5月16日、「Longest continuously running movie franchise(最も長く継続しているフランチャイズ映画)」というカテゴリーを新設し、ギネス世界記録に認定した。 東宝は、世界に誇るキャラクターであるゴジラをさらに大きく育て、世界中の人々から愛されるキャラクターにすることを使命とし、ゴジコンを立ち上げた。ゼネラルマネージャーを同社副社長の千田諭氏、プロジェクトマネージャーを同社取締役の市川南氏らが務め、プロジェクトリーダーとして同社映像本部映画調整部次長の上田太地氏がメンバーを統括する。 注目の「ゴジラ」新作について、上田氏は「今年のハリウッド版『GODZILLA』の成功を見届け、『やはり愛されている』と再認識し、新作製作を決意しました」と経緯を説明。15年夏以降に製作に入るといい、「脚本は開発中で、スタッフについてもまだお答えすることができない。ただ、16年の目玉作品として完全復活させます」と言葉に力を込める。 日本版ならではといえる“着ぐるみ”の伝統については未定としたが、「一度ハリウッドの手にわたった『寄生獣』の権利が日本に戻り、あそこまでクオリティの高いものを作れるんだということを実証してくれた。優れたクリエイターがたくさんいらっしゃいますから、今までのノウハウを結集させながら、ハリウッドに負けない作品を作れる時期に差し掛かった」と自信のほどをうかがわせた。
2016.03.22
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図書館で『ジヴェルニーの食卓』という本を手にしたが・・・・この本は、史実に基いたフィクションとのこと。こんなジャンルの小説も有りなのか、書いたもん勝ちと思わないでもないが・・・著者のフィクションとはどんなかな♪【ジヴェルニーの食卓】原田マハ著、集英社、2013年刊<「BOOK」データベース>よりマティス、ピカソ、ドガ、セザンヌ、ゴッホ、モネ。新しい美を求め、時代を切り拓いた巨匠たちの人生が色鮮やかに蘇る。『楽園のカンヴァス』で注目を集める著者が贈る、“読む美術館”。<読む前の大使寸評>この本は、史実に基いたフィクションとのこと。こんなジャンルの小説も有りなのか、書いたもん勝ちと思わないでもないが・・・著者のフィクションとはどんなかな♪rakutenジヴェルニーの食卓印象派の画家のなかで、まずドガを見てみましょう。p77~82<エトワール L'etoile> プジョーの幌付き自動車が、パリ市内のル・ペルティエ街とオスマン大通りの角にある1軒の画廊の前で停まった。 恭しくドアを開けた運転手に右手を預けて、暗い車中からひとりの老婦人が現れた。 喪服のように黒ずくめのロングドレスを身にまとった老婦人は、おぼつかない足取りで画廊の入り口へ近づくと、ショーウィンドウの前に佇んだ。ヴェルヴェットの帽子の黒いヴェール越しのまなざしが、不思議な花でもみつけたかのように、ウィンドウの中へ引き寄せられる。 1枚の踊り子の絵と、『Degas:une exposition retrospective(ドガ回顧展)』と控えめなタイポグラフィーが掲げてある。身を刺すような冷たい北風が吹きすさぶ中、老婦人は長いことその場から動かずにいた。 「ようこそ、マダム・カサット。そんな寒いところにいつまでもいらしては、お体に障りますよ。さあ、中へ」 ドアが開いて、髭をたくわえた中年の紳士が明るく声をかけてきた。ショ-ウィンドウにすっかり気を取られていた老婦人、メアリー・カサットは、不意をつかれて驚いたのか、とっさに右手を胸に押し当てた。それから紳士のほうへ顔を向けると、親しげな笑みを浮かべた。 「その声はジョセフね」 「いかにも」紳士はにこやかに答えた。「父も中で待ちかねています。さあ、どうぞ」 いまや世界中の美術愛好家にその名を知られる画廊、デュラン=リュエルの跡取りジョセフは、黒い絹の手袋に包まれたメアリーの手を取って、画廊の中へと導いた。 ゆったりとして明るい室内には、少なくない点数の踊り子の絵が展示されている。舞台裏でおしゃべりする少女たち、足の屈伸をする華奢な体、くつろいで椅子にもたれる姿。ジョセフに手を引かれながら、メアリーは頭を巡らせて展示室全体に視線を這わせた。見る、というよりは、感じる、といった調子で。 「ようこそ、メアリー。ひさしぶりだな、元気にしていたかね」 展示室奥の応接室でメアリーの到着を待っていたのは、画廊主のポール・デュラン=リュエルである。87歳になった伝説の画商は、動作もしゃべり方も年齢に不相応なくらいの闊達さだった。 18歳で父の経営する画廊を手伝い始めて以来、70年近くの長きにわたり、激動の近代美術史の真ん中をひた走ってきた。二度の経営難を乗り越えて、「狂った集団」「稚拙な絵」と酷評され笑われてきた印象派絵画を世界に広める、ただそのためだけに人生のすべてを懸けて生きてきた。印象派を代表する芸術家たちとは、画商と画家という関係を超えて、苦労を分かち合った友人同士、さらには兄弟のような親密な関係を結んでいた。メアリー・カサットもその中のひとりである。 「まあ、ポール。相変わらず元気そうね。声でわかるわ」 右手の甲に旧友のキスを受けながら、メアリーは微笑んだ。ポールは、黒いヴェールの奥のメアリーの両目を凝視した。彼女の白濁した目は、もうあまりよく見えていないのだとすぐに悟ったが、それを話題にするほど彼は無粋な男ではなかった。 「エドガーのアトリエに遺されていた作品の目録が仕上がったんですってね。それを記念して、今回、この展覧会を企画したとか…全部、ジョセフが知らせてくれたわ」 視線を宙にさまよわせながら、メアリーが言った。 「どうやら、踊り子の作品が多いようだけど。エドガーは、やっぱり、踊り子の作品ばかりを自分の手元に置いていたということなのかしら。誰にも売らずに」 1年前に他界したエドガー・ドガのこの回顧展には、彼の死の直前まで手元に置いていた自作も多く出展されていた。(中略) 借金を遺して父が他界した40歳以降、「生きるために描く」苦渋を強いられ、ドガの画商となっていたポール・デュラン=リュエルに借金を申し入れたこともあった。そして、いかなる経済的な困窮よりも画家を苛んだのが、アカデミズムの呪縛から逃れ、のちに「印象派」と呼ばれるようになる、まったく新しい芸術表現の潮流に身を投げることで直面した世間の無理解だった。 この潮流を生み出した画家たちは、ひとり残らず世間の無慈悲な批判にさらされ、屈辱的な時代を経験することになる。彼らを擁護したポール・デュラン=リュエルもまた、困難な時代を経験したひとりだった。しかし彼は、画家たちとともに、信念と忍耐、そして世界を視野に入れた戦略をもって、怒涛を乗り越えたのだった。 ドガもそうだった。アカデミーの主催する官展でも度々入選を果たし、将来に一点の曇りもないかのように見えた。にもかかわらず、当時30代だった彼は、それが必然であるかのように、アカデミズムと相反するいばらの道へと踏み出した。独創的な手法を用い、誰も思いつかなかったモチーフを選び、斬新な構図で描く。 バレエの踊り子たちや、場末のカフェにたむろする男女、まるで覗き見をしているかのごとき構図の浴女。そのあまりのリアルさに、人々は見てはいけないものを見てしまったような、いたたまれない気分になるのだった。 見る者が反感を覚えることを承知で、ドガは描き続けた。そして、他の印象派の画家たちやポールとともに、あの嵐が逆巻く時代を乗り切ったのだ。(中略) ヘンリー・ハブマイヤーとその妻ルイジーンは、アメリカで精糖業を営む富豪で、メアリーの友人だった。メアリーのアドバイスを受け入れ、この裕福な夫妻はドガを含む印象派の作品を精力的に買い始めた。結果的に、ハブマイヤー夫妻は印象派に興味を持った最初のアメリカ人となった。すべてはとてつもない慧眼の持ち主だったアメリカ人女流画家、メアリー・カサットが彼らの友人だったことに起因する。 メアリー自身、芸術の都たるパリで成功した最初のアメリカ人画家だった。そして、彼女が自身の創作と同じくらい情熱を傾けたのが、印象派を母国に紹介することだった。 メアリー・カサットという女性の存在なくして、印象派が大西洋を渡ることがあり得ただろうか。しかも彼女は、自分が印象派の世界的成功の立役者であるとは、一度たりとも口にしたことはなかった。少なくとも自分の前では…と、ポールはあらためてこの女性画家の奥ゆかしさを思い出して、胸の奥がかすかに痺れるのを感じた。まったく、正攻法のフィクションのようですね♪このあと更に読みすすめます。
2016.03.21
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図書館で『パッチギ的』という本を手にしたが・・・・おお シネカノンの李鳳宇の本やないけ♪ということで、借りた次第です。現在、シネカノンは倒産して存在しないが、李さんがインディペンデント系映画業界に与えた業績は大きかったと思うのです。【パッチギ的】李鳳宇著、岩波書店、2007年刊<「BOOK」データベース>より日本映画をおもしろくした男の現在進行形・半自伝。インディペンデントの雄・シネカノンを率いる映画界の風雲児が、京都での少年時代、単身会社を興して以降のさまざまな出会い、成功と失敗、「強い映画」を作る信念を、真正面から書き下ろした。知られざる映画評、幻の小説も収録。<大使寸評>現在、シネカノンは倒産して存在しないが、李さんがインディペンデント系映画業界に与えた業績は大きかったと思うのです。rakutenパッチギ的エリア・カザンの『アメリカ、アメリカ』やパリのシネマテークの思い出を、李さんが回顧しています。p203~205<パリで知った日本映画の魅力> 1985年の冬、僕は当時ポンピドゥー・センターの中にあったシネマテークの前に並んでいた。夜の9時半から始まるエリア・カザンの『アメリカ、アメリカ』を観るために集まった人の列は、8時を過ぎた頃には、ポンピドゥー・センター名物のスケルトンの階段通路を埋めつくしていた。『アメリカ、アメリカ』 開場時間になり、会員カードを提示して入場しようとしたら、係員はちょうど僕の前で列を切ってしまった。諦めて帰れというのだ。すると僕の後ろに並んだ、おそらく200人近くいたであろう人たちが一斉にブーイングをして、抗議し出した。押し問答が10分くらい続いただろうか、しばらくして係員は仕様がなく、3時間後にもう一度上映するから、いまはおとなしく退去してくれと告げた。勝ち誇ったような歓声があがり、僕たちは思い思いにレアール界隈のカフェで時間を潰して、再度会場に集合した。深夜の一時過ぎから始まった念願の映画『アメリカ、アメリカ』が終了したのは4時過ぎだっただろうか。 僕は映画の余韻を噛みしめながら、寒い夜明けの街を、6区のムフタール通りにあったアパートまで歩いて帰った。 映画は言わずと知れたエリア・カザンの自伝的な物語だけれど、僕には主人公の姿がどうしてもアボジのそれと重なってしまい、日本に渡って来た多くの韓国・朝鮮人の個人史を思わずにはいられなかった。もちろん、希望を胸に新大陸を目指したギリシャの若者と、徴兵や徴用で渡日した植民地主義の犠牲者を比べるのはムリがある。でも映画の冒頭と同じく、畑を売ってアボジの日本行きを援助した祖父の祈るような思いが胸を熱くした。 パリに来て5ヶ月が過ぎていたけれど、ユネスコの中にある学校に通い、残りのほとんどの時間は映画観の中で過ごす日々だった。フランス語の勉強もろくにせず、すでに大学の講座にも顔を出さなくなっていた。25歳になって、フランス語をこれ以上勉強して何になるのだろう?パリに来たら本当に自分のやりたいことが見つかるはずじゃあなかったのか?そんな自問自答をムフタールの狭いアパートで繰り返していた。 そんな時ユネスコで出会ったドイツ人のロケット技師フランツは、随分と僕の気持ちを和らげてくれた。彼はフランス語もドイツ語も、加えて英語も非常に流暢に喋るインテリだったが、アジア人の友達が初めてだったらしく、僕に随分親切にしてくれた。当時のドイツはまだ分断国家だったこともあってか、朝鮮半島の歴史なども驚くほどよく知っていた。僕たちはお互いが映画ファン(というよりも、パリに住む誰もが映画ファンだった)と認めていた、互いに推薦しては観た映画を批評しあっていた。 僕もフランツも、当時シネフィルたちの関心を集めていた日本映画大回顧展に競うように通っていた。川喜多映画財団とシネマケークの気が遠くなるような選定作業のお陰で、150本以上の代表的な日本映画を6ヶ月間、破格の料金で鑑賞できる絶好の機会だった。 上映作品のほとんどは見逃していた作品ばかりだった。僕はパリで日本映画に初めて出会ったと言っても過言ではなく、日本映画の愉しみも初めて知った。『西鶴一代女』も『セーラー服と機関銃』も、シネマテテークでフランス語の字幕付きで観た。 あの頃をパリで過ごしていなかったら僕は、いま映画を職業にはしていないだろう。なぜか映画のエンドロールにクレジットされるスタッフ名に強く惹かれた。いつか僕も素晴らしい映画を作って、あそこに名を刻みたい、と漠然と思うようになっていた。 あれから20年が、瞬きするくらいの速さで過ぎてしまった。『アメリカ、アメリカ』について、くだんの鑑賞フォームを作ってみました。【アメリカ・アメリカ】エリア・カザン監督、1963年米制作、1964年頃鑑賞<movie.walkerストーリー>より 1896年のトルコでは、ギリシャ人やアルメニア人が政府の弾圧に苦しめられていた。ギリシャ人の青年スタブロスは、親友のアルメニア人バルタンからアメリカの話を聞き、そのきらびやかで自由な国アメリカに対して異常なまでの憧れを持つようになっていった。 そんなとき、親友バルタンが、トルコの圧政に反抗したために殺された。スタブロスの自由への渇望は爆発し、彼はアメリカへ行く決心を固めた。その頃、素足を引きずりながらひたすらアメリカを目指して旅する、アルメニア人ホハネスと出会い、スタブロスは靴を与えてやった。 スタブロスの父親イザークは息子のアメリカ行きを許し、一先ずスタブロスをコンスタンチノープルで敷物商を営むいとこのオデッセのもとに送った<大使寸評> 昨今では、移民問題が吹き荒れる欧州であるが・・・ エリア・カザン監督がこの映画で描いた1900年頃のアメリカは、まさに自由の大国であった。 移民船が、ニューヨークに到着し、自由の女神像が見えたときの感激のシーンが印象的でした。 オーストラリアに移民した家系のショーン・タンが『アライバル』という絵本で、移民船到着とイミグレーション手続きのシーンを描いているが・・・この映画のシーンを思い出したのです。movie.walkerアメリカ・アメリカ『パッチギ的』1『パッチギ的』2
2016.03.20
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今回借りた6冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば「日中韓」でしょうか♪<市立図書館>・三丁目の夕日の時代・データの見えざる手・ジヴェルニーの食卓・パッチギ的・語られざる中国の結末<大学図書館>・限界マンション図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)************************************************************【三丁目の夕日の時代】ムック、小学館、2007年刊<出版社説明>より『三丁目の夕日』が原作の映画第2弾「ALWAYS続・三丁目の夕日」の2007年11月3日公開に合わせ、高度成長期の日本を、コミックのイラストや映画のシーンも折り込みながら、多角的に分析・紹介したムック本。<大使寸評>追って記入shogakukan三丁目の夕日の時代【データの見えざる手】矢野和男著、草思社、2014年刊<「BOOK」データベース>より人間の行動を支配する隠れた法則を、「方程式」に表す。ヒューマンビッグデータがそれを初めて可能にした!時間の使い方・組織運営・経済現象など、人間と社会に関する認識を根底からくつがえす科学的新事実。科学としての確立と現場での応用が同時進行し、世界を変えつつある新たなサイエンスの登場を、世界の第一人者が自ら綴る!【目次】第1章 時間は自由に使えるか/第2章 ハピネスを測る/第3章 「人間行動の方程式」を求めて/第4章 運とまじめに向き合う/第5章 経済を動かす新しい「見えざる手」/第6章 社会と人生の科学がもたらすもの<読む前の大使寸評>判断基準の元になるデータについて、根底からくつがえす科学的新事実があるとすれば大事である。<図書館予約:(11/20予約、3/15受取)>rakutenデータの見えざる手【ジヴェルニーの食卓】原田マハ著、集英社、2013年刊<「BOOK」データベース>よりマティス、ピカソ、ドガ、セザンヌ、ゴッホ、モネ。新しい美を求め、時代を切り拓いた巨匠たちの人生が色鮮やかに蘇る。『楽園のカンヴァス』で注目を集める著者が贈る、“読む美術館”。<読む前の大使寸評>この本は、史実に基いたフィクションとのこと。こんな小説も有りなのか・・・書いたもん勝ちと思わないでもないが、著者のフィクションとはどんなかな♪rakutenジヴェルニーの食卓【パッチギ的】李鳳宇著、岩波書店、2007年刊<「BOOK」データベース>より日本映画をおもしろくした男の現在進行形・半自伝。インディペンデントの雄・シネカノンを率いる映画界の風雲児が、京都での少年時代、単身会社を興して以降のさまざまな出会い、成功と失敗、「強い映画」を作る信念を、真正面から書き下ろした。知られざる映画評、幻の小説も収録。<大使寸評>現在、シネカノンは倒産して存在しないが、インディペンデント系映画業界に与えた遺産は大きかったと思うのです。rakutenパッチギ的パッチギ的byドングリ【語られざる中国の結末】宮家邦彦著、PHP研究所、2013年刊<「BOOK」データベース>より海洋進出への野心を隠そうともしない中国。「膨張するものは必ず縮小する」。アヘン戦争のトラウマを払拭するかのごとく米国に挑戦し、来るべき「第二次東アジア戦争」に「敗北」したあと、はたして巨大国家が経験するのは旧ソ連のような民主化か、それとも分裂なのかー。いま最も注目される外交評論家が、近未来のシナリオを大胆に予測する。<大使寸評>巨大国家が経験する近未来は旧ソ連のような民主化か、それとも分裂なのかという内容が刺激的である。それにしても、著者の経歴がすごい。rakuten語られざる中国の結末語られざる中国の結末byドングリ【限界マンション】米山秀隆著、日本経済新聞出版社、2015年刊<「BOOK」データベース>より進む、建物老朽化・住民高齢化ー放置・スラム化は不可避なのか?【目次】序章 マンションという住まいの末路/第1章 マンションの歴史ー埋め込まれた時限爆弾/第2章 マンションの2つの老いと建て替えの現実/第3章 限界マンション化にどのように立ち向かうか/第4章 空き家問題の現在/終章 空き家問題の今後の展開と限界マンション<大使寸評>現在、じわじわと進行している限界マンションが今後どうなるのか気になるのです。また、不動産のリノベーションやシェアハウスへの転用など、空き家関連ビジネスの現状も気になるのです。rakuten限界マンション限界マンションbyドングリ*************************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き138
2016.03.19
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図書館で『語られざる中国の結末』という本を手にしたが・・・・巨大国家が経験する近未来は旧ソ連のような民主化か、それとも分裂なのかという内容が刺激的である。相変わらず中華関連本には、つい手が出る大使である。でも、なんだか一度読んだような気がするけど、ま いいかと借りた次第です。【語られざる中国の結末】宮家邦彦著、PHP研究所、2013年刊<「BOOK」データベース>より海洋進出への野心を隠そうともしない中国。「膨張するものは必ず縮小する」。アヘン戦争のトラウマを払拭するかのごとく米国に挑戦し、来るべき「第二次東アジア戦争」に「敗北」したあと、はたして巨大国家が経験するのは旧ソ連のような民主化か、それとも分裂なのかー。いま最も注目される外交評論家が、近未来のシナリオを大胆に予測する。【著者情報】宮家邦彦(ミヤケクニヒコ)1953年神奈川県生まれ。外交政策研究所代表。78年東京大学法学部を卒業後、外務省に入省。76~77年米ミネソタ大学、台湾師範大学、79年カイロ・アメリカン大学、81年米ジョージタウン大学で語学研修。82年7月在イラク大使館二等書記官、86年5月外務大臣秘書官、91年10月在米国大使館一等書記官、98年1月中近東第一課長、同年8月日米安全保障条約課長、2000年9月在中国大使館公使、04年1月在イラク大使館公使、イラクCPA(連合国暫定当局)に出向、04年7月中東アフリカ局参事官などを歴任<大使寸評>巨大国家が経験する近未来は旧ソ連のような民主化か、それとも分裂なのかという内容が刺激的である。それにしても、著者の経歴がすごい。rakuten語られざる中国の結末この本で 中国共産党の課題を見てみましょう。p171~173 中国というこの巨大で多様な人間集団の将来を予測するには、まず現在の中国、とくに中国共産党がなぜいまも中国を統治しているか、すなわち、現在の中国における「統治の正統性」の根拠を正確に理解する必要があるだろう。筆者の見立ては次のとおりだ。<揺らぎつつある統治の正統性> 中国共産党の統治の正統性は三つの柱からなる。 第一は、「中国の統一」であり、その延長上には「台湾問題」「チベット問題」などがある。 第二は、「抗日愛国戦争勝利」であり、その最たるものが「歴史問題」「尖閣問題」であろう。 第三は、改革解放政策による「経済発展・生活向上」である。 残念ながら、正統性の第三の柱は、第一、第二の柱を代替できない。第三の柱は1978年末以降、ある程度成功したものの、最近は都市と農村、沿岸と内陸などの経済格差が許容範囲をはるかに超えて拡大している。いまや正統性の第三の柱そのものが、揺らぎはじめているのだ。 当然ながら、指導部の第一、第二の柱への依存は増大していく。だからこそ、中国は台湾問題、チベット問題、尖閣問題や日本との歴史問題で妥協できない。共産党が譲歩した途端、中国では反政府運動が起きかねない。共産党中央にとって、譲歩はあまりにリスクが大きい悪夢の選択である。 以上のとおり、現代中国最大の政治問題は共産党の「統治の正統性」が揺らぎつつあることだ。毛沢東、周恩来、トウ小平といった革命第一、第二世代の指導者にはカリスマ性があった。彼ら自信が中国共産党の正統性を具現していた。だが、1980年代に入り、中国は大きく変化しはじめる。 1987年末に始まった改革解放政策の中身は、1.人民に対し政治的自由は与えないが、2.経済的自由は与える、3.だから共産党を引き続き支持すべし、という三点に尽きる。虫のよい要求ではあるが、当時の中国社会にはきわめて魅力的なものだった。 この政策により、中国経済は飛躍的な発展を始める。ところが80年代末、ゴルバチョフの政治改革によりソ連・東欧では社会主義体制が相次いで崩壊しはじめた。当然、中国でも学生を中心に、ゴルバチョフのような政治改革を求める声が高まりはじめる。<カリスマ性をもたない指導者たち> 1989年の天安門事件は、改革解放時代になって初の共産党中央の「統治の正統性」に対する挑戦であった。本来であれば、中国人の緒利益が多様化した以上、「政治改革・民主化」という正統性の第四の柱があってしかるべきだろう。 しかし、トウ小平は国民に政治的自由を認めるソ連型の政治改革が、共産党統治の終焉を意味することを正確に理解していた。だからこそ、1989年の天安門事件に際しても、躊躇なく人民解放軍を出動させたのであろう。 かくして中国共産党は政治改革を拒否し、曲りなりにも「生き延びる」ことができた。皮肉なことに、あの天安門事件の顛末自体が、いまの中国に欧米型の自由・民主主義という選択肢がないことを示しているともいえよう。著者の説く、米中衝突後のシナリオが興味深いのです。p174~176<七つの将来シナリオ> 米国との衝突後の中国の行方・結末に関する予測を始めよう。ここでとくに注目すべきは、漢族内部の権力争いと、チベット・ウイグルの動向だ。考えうるシナリオは無数にあるだろうが、理論的可能性としては七つほどに大別できる。もちろん、これらはあくまでも頭の体操である。 また、今回の頭の体操では、意図的に朝鮮半島の動向、台湾の対応、ロシアの動きなど中国以外の国際環境に言及していない。これを始めるとシナリオが無限に細分化され、頭の体操の本来の効用が失われると考えたからだ。A:中国統一・独裁温存シナリオ(米国との覇権争いの決着いかんにかかわらず、共産党独裁が継続するモデル)B:中国統一・民主化定着シナリオ(米国との覇権争いに敗北。米国主導の民主化、中国超大国化モデル)C:中国統一・民主化の失敗と再独裁化シナリオ(国家分裂のないロシア・「プーチン」モデル)D:中国分裂・民主化定着シナリオ(少数民族と漢族で分裂するも民主化が進む、資源のない中華共和国モデル)E:中国分裂・民主化の失敗と再独裁化シナリオ(少数民族と漢族の分裂後、民主化が失敗するロシア・「プーチン」モデル)F:中国分裂・一部民主化と一部独裁化の並立シナリオ(少数民族と漢族の分裂後、民主と独裁が並立するモデル)G:中国漢族・少数民族完全分裂シナリオ(大混乱モデル)日々、人民解放軍からサイバー攻撃を受けているが、ニッポンはどう対処すべきなのか?p233~235<「サイバー攻撃能力」の研究を> 最近、主要国のサイバー攻撃能力の高度化、マルウェア技術の進化、軍事応用の高度化は著しい。また、プロのサイバー攻撃請負業者が出現するなど、サイバー空間の軍事化は急速に進んでいる。日本がこの分野でなすべきことは少なくない。 サイバー攻撃から身を守るには、まず攻撃側がサイバー戦を重視する理由を知る必要がある。中国が平時にも攻撃を仕掛ける理由は、自国のサイバー攻撃能力を誇示しつつも、各国の能力に関する偵察活動を行っているからだろう。 平時の情報収集は有事の際の敵の行動予測を可能とする。敵の制度的・技術的弱点を知り、敵がサイバー攻撃を「戦争行為」と認識する限界を試すことも重要だ。平時の活動は、より高度な「本番」の際の攻撃の予行演習でもある。 サイバー防衛の基本は侵害された利益の特定から始まる。いまどきサイバー攻撃を受けない企業はないだろうが、実際には株価などへの悪影響を懸念し、被害を報告しない企業も少なくないという。被害情報公表が企業評価を高めるような発想の転換が必要だろう。 悪質なサイバー攻撃を仕掛ける国家・国民は限られている。こうした攻撃の対象となっている国々との連携を深め、日常的な情報交換とサイバー防衛手段の共同開発などを思い切って推進すべきだろう。 欧米企業はサイバー防衛のために能力のある「元ハッカー」を高給で雇っている。「毒をもって毒を制す」ということなのだろうが、潔癖な日本政府・企業の倫理観とは必ずしも相容れない。ここは発想を転換し、優秀なハッカーが「薬」になることを受け入れるべきだろう。 過去数年来、米国ではサイバー戦を「抑止」するための「サイバー攻撃」に関する準備が着々と進んでいる。日本でも、憲法上の制約があることを前提としつつ、サイバー戦「抑止」のための「サイバー攻撃能力」を研究する時期に来ている。 安全保障専門家の最大関心事はサイバー戦の法的整理だ。サイバー攻撃は国際法上の「武力の行使」なのか、これに対し通常兵器・サイバー兵器による「自衛」攻撃は認められるのだろうか。この点については日本でも検討を開始する必要があるだろう。 サイバー戦は長期の周到な準備がなければ抑止できない。サイバー戦はすでに日々戦われており、外部のサイバー攻撃根拠地・発生源に対し、ただちに、かつ正確に反撃するための戦略確立、予算増額、人材育成を早急に進める必要がある。人民解放軍が行っている平時のサイバー攻撃の実態がNHKスペシャル『狙われる日本の機密情報』でレポートされたが、衝撃的な内容であった。『語られざる中国の結末』1byドングリ
2016.03.18
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図書館で『限界マンション』という本を手にしたが・・・・現在、じわじわと進行している限界マンションが今後どうなるのか気になるのです。また、不動産のリノベーションやシェアハウスへの転用など、空き家関連ビジネスの現状も気になるのです。【限界マンション】米山秀隆著、日本経済新聞出版社、2015年刊<出版社情報より>▼老朽化したマンションの末路は、スラムか廃墟か。居住者の高齢化と建物の老朽化という「2つの老い」により、空室が増え、管理組合が機能せず半ば放置される「限界マンション」化がじわじわと進行している。▼しかし、建て替えができるだけの容積率の余裕がある物件も、区分所有権を解消し解体するための費用を積み立てている物件も少ない。朽ち果てるまで放置するしかないのか。50年も保たない耐久性と区分所有権というマンションの矛盾が生んだ時限爆弾がいよいよ炸裂しようとしている。▼限界マンション化を防ぐ手立てはあるのか。どうすれば建て替えを実現できるのか。購入者にとってマンションは終の棲家となりうるのか。前著『空き家急増の真実』で空き家問題を世に問い大きな反響を巻き起こした著者が、リサーチとデータをもとに、次なる空き家問題であるマンションの末路を冷徹に分析する。【目次】序章 マンションという住まいの末路第1章 マンションの歴史ーー埋め込まれた時限爆弾第2章 マンションの二つの老いと建て替えの現実第3章 限界マンション化にどのように立ち向かうか第4章 空き家問題の現在終 章 空き家問題の今後の展開と限界マンション<読む前の大使寸評>現在、じわじわと進行している限界マンションが今後どうなるのか気になるのです。また、不動産のリノベーションやシェアハウスへの転用など、空き家関連ビジネスの現状も気になるのです。rakuten限界マンション不動産のリノベーションやシェアハウスへの転用など、空き家関連ビジネスの現状を見てみましょう。p208~211<空き家関連ビジネス> 空き家の増加に伴い、近年は、民間企業による空き家を活用したビジネスも増えてきた。空き家管理代行サービスは、空き家の所有者から依頼を受けて空き家の通気や通水、屋内清掃等を行うサービスである。 不動産事業者のほか、警備会社、不用品回収・遺品整理業者、NPOなど空き家に関連する多様な業種が、このサービスに参入している。 料金は月数千円~1万円ほどで、不動産業者にとっては、管理代行によって空き家の所有者と信頼関係を築くことができれば、将来的には売却等の仲介につなげられるとの期待から、こうしたビジネスを行っている(管理代行単体では採算が見込みにくい)。警備会社については、定期巡回等本来の警備業務のノウハウが活用できることからこうしたサービスに参入している。 空家対策特措法の施行に伴い、最近では空き家所有者の意識が高まり、遠方や高齢などの理由で自分が管理できない場合に、空き家管理代行サービスを利用するケースが増えつつある。 空き家の中でも立地条件や状態の良い物件を発掘して仲介したり、リフォームした上で再販するビジネスも登場している。地方で、戸建ての空き家を手放したいという人が増えたことに目をつけ、それを買い取ってリフォームして再販するビジネスを展開しているカチタス(群馬県桐生市)がその代表的な事業者である。カチタスは、競売物件の買い取りから事業を始め、現在は一般物件の買い取りに重点を移し、地方都市を中心に全国展開している。 ただしこうした事業は、大都市においては土地の値段が高く、リノベーション物件でも値段が高くなってしまうため、成り立ちにくいという難点がある。大都市ではむしろ、中古の分譲マンションを買い取ってそれを改修して再販売するビジネスが成長している。 同じ立地でもより安く手に入れられ、改修されていれば部屋は新築同様という点で需要を開拓できている。あるいは、自分で中古マンションを探し、それを好きなように改修して住むという需要も高まっている。 戸建て住宅については、東急電鉄など私鉄の中には、沿線の価値を維持するため、シニア層には戸建てから駅に近い高齢者向け住宅などに移ってもらい、空いた戸建ては改修して若い世代に入ってもらうことで住宅を循環させ、空き家の増加に歯止めをかけようとする取り組みを行っているところもある。こうした中古戸建てを改修して再販売する試みは他にもいくつかあるが、改修済みの物件でも相応の値段となるため、現状ではあまり需要を拡大できないでいる。 このほか、一戸建ての空き家では、空き家全体では借り手がつきにくいが、部屋貸しするシェアハウスの形態ならば家賃が安いため借り手がつきやすく、また、空き家所有者にとっても一軒まるごと貸すよりは部屋貸しした場合のトータルの家賃収入が高くなるメリットがあるため、シェアハウスに改修する例も増えている。 分譲マンションの空室や利用しなくなった社宅・寮などもシェアハウスとして活用可能で、近年の若者のシェアハウスブームの流れの中で、さまざまなタイプのシェアハウスが登場するに至っている。 このようにビジネスが十分成立し得る地域、物件においては、民間事業者による空き家流動化の動きが出てきているが、過疎地などでは採算をとることが難しいため、空き家の利活用を促すためには、前述のように、空き家バンクの設置や各種の支援措置など自治体による支援が不可欠となっている。また、地方ではシェアハウスについても、地域の建築学科などの学生に改修プランを練ってもらい、改修費や家賃などを補助することで学生に住んでもらうといった取り組みが中心になりがちで、純粋に民間のビジネスとしては成り立ちにくいというのが現実である。(中略) 違法シェアハウスは、住宅弱者に対する支援が手薄いことを逆手にとったビジネスであるが、本来は、たとえば、ひたちなか市のように空き家に入居する際、自治体が家賃補助を行う仕組みがあれば、このような違法なビジネスが成立する余地は少なくなる。ゴーストタウンが出現するような中国と違って、日本ではきめ細かいビジネスが展開される余地があるようですね。ただ、筆者が言っているように、あまり儲かるビジネスでないので自治体による支援が不可欠なんでしょう。限界マンションについては、このあと更に読んでみます。
2016.03.18
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<『パッチギ的』>図書館で『パッチギ的』という本を手にしたが・・・・おお シネカノンの李鳳宇の本やないけ♪ということで、借りた次第です。現在、シネカノンは倒産して存在しないが、李さんがインディペンデント系映画業界に与えた業績は大きかったと思うのです。【パッチギ的】李鳳宇著、岩波書店、2007年刊<「BOOK」データベース>より日本映画をおもしろくした男の現在進行形・半自伝。インディペンデントの雄・シネカノンを率いる映画界の風雲児が、京都での少年時代、単身会社を興して以降のさまざまな出会い、成功と失敗、「強い映画」を作る信念を、真正面から書き下ろした。知られざる映画評、幻の小説も収録。<大使寸評>現在、シネカノンは倒産して存在しないが、李さんがインディペンデント系映画業界に与えた業績は大きかったと思うのです。rakutenパッチギ的パッチギまず、この本でパッチギ制作の裏話を見てみましょう。p9~11<兄の死> 僕は自分自身の中で封印していた京都の東九条の苦い思い出を、沢山語ることになった。中でも映画の終盤にある葬式でのエピソードは、自分自身の記憶の中でも、最も強烈な原風景だ。12歳年上の兄の鳳基という名前だけど、家族は僕も含めてみんな、「あんちゃん」と呼んでいた。 気が優しく、読書家の兄だった。7歳で高熱を出し、調べてみると筋ジストロフィー症だと分かった。オモニは兄の病気を治すために、文字通り死に物狂いになって奔走した。東北大学に良い先生がいると知るや、すぐに仙台の塩釜に引っ越してしまう。京都府立医大に良い治療を施す医者がいると聞くと、家族全員を強引に引き連れて越してしまう。(中略) 今際の床でも、あんちゃんは、「オモニ泣いたらあかんで、僕は死んだら星になるさかい、オモニのこといつも空から見てるから」と、うわ言のように呟いたらしい。でも避けることのできないその瞬間は不意にやってきた。オモニの叫び声が耳にこだまする。姉たちもベッドに泣き崩れていた。ひとり気丈に振る舞っていた父だけは、冷静さを保っていた。けれど冷静で折り目正しい父が豹変したのは、葬儀屋に、小さすぎる長屋の玄関を棺桶がくぐらないと言われた時だった。アボジは奥から斧をもち出して、玄関を1人黙々と、叩き壊し始めた。 弔問客もかたずを呑んで見守っていた。アボジの形相は凄く怖かった。それだけを覚えている。情けないことに、あんちゃんの死顔は記憶にないけれど、アボジの形相やオモニの泣き叫ぶ声だけを克明に記憶している。他には、あんちゃんになついていたネコのピューが、しばらくしていなくなってしまった。 曖昧な記憶の中でも断片的に覚えている記憶の切片を、68年の京都を舞台に描く時、どうしても再現したかった。それを見事に映像に再現してくれた監督とスタッフに感謝している。この映画の葬儀のシーンには李さんの実話が反映されていたわけですか・・・・このシーンには思わず居ずまいを正したことを覚えています。
2016.03.17
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<語られざる中国の結末>図書館で『語られざる中国の結末』という本を手にしたが・・・・巨大国家が経験する近未来は旧ソ連のような民主化か、それとも分裂なのかという内容が刺激的である。相変わらず中華関連本には、つい手が出る大使である。でも、なんだか一度読んだような気がするけど、ま いいかと借りた次第です。【語られざる中国の結末】宮家邦彦著、PHP研究所、2013年刊<「BOOK」データベース>より海洋進出への野心を隠そうともしない中国。「膨張するものは必ず縮小する」。アヘン戦争のトラウマを払拭するかのごとく米国に挑戦し、来るべき「第二次東アジア戦争」に「敗北」したあと、はたして巨大国家が経験するのは旧ソ連のような民主化か、それとも分裂なのかー。いま最も注目される外交評論家が、近未来のシナリオを大胆に予測する。【著者情報】宮家邦彦(ミヤケクニヒコ)1953年神奈川県生まれ。外交政策研究所代表。78年東京大学法学部を卒業後、外務省に入省。76~77年米ミネソタ大学、台湾師範大学、79年カイロ・アメリカン大学、81年米ジョージタウン大学で語学研修。82年7月在イラク大使館二等書記官、86年5月外務大臣秘書官、91年10月在米国大使館一等書記官、98年1月中近東第一課長、同年8月日米安全保障条約課長、2000年9月在中国大使館公使、04年1月在イラク大使館公使、イラクCPA(連合国暫定当局)に出向、04年7月中東アフリカ局参事官などを歴任<大使寸評>巨大国家が経験する今未来は旧ソ連のような民主化か、それとも分裂なのかという内容が刺激的である。それにしても、著者の経歴がすごい。rakuten語られざる中国の結末まず、この本で漢族の自己認識、歴史認識を見てみましょう。p81~85<中国人にとって、「中華」民族とは何か> そもそも、中国人にとって、「中華」民族とは何なのか。 辞書で調べると「中華」とは、地理的には「漢族の興った黄河流域一帯を指す」とある。文化的にみると、「中華」とは元来、周辺の蛮族との対比で、漢族が文化の優越性を誇示して自らを呼んだ称号だったようだ。現在の中華人民共和国政府の公式見解は次のとおりである。▼中国は五千年の長い歴史をもっている。中華民族は中国という土地で生活し、繁栄し、各民族が互いに融合して、強大な凝集力をもち、統一を尊び、擁護するという価値観をかたちづくった。長い歴史の過程において、中国は王朝交代、政権更迭を繰り返し、地方割拠が現れ、外敵に侵入されたことがあり、とりわけ近代史上、外国列強の侵略と国土分割の苦しみをなめ尽くしたが、統一は終始、中国の歴史発展の主流であり、分裂するたびにその後、また統一し、しかも国の政治、経済、文化、科学技術の急速な発展をもたらした。…▼…中華人民共和国の成立後、中国人民は得るのが容易ではなかった民族の独立をことのほか大切にし、断固として国の主権と領土保全を守り、祖国の完全な統一を実現するために奮闘努力している。中国の五千年にわたる歴史と文化は、中国人の心に、中国は必ず統一しなければならないという強い民族意識を深く根づかせた。… 興味深いことに、ここで使われる「中国」「中華」「民族」なる用語は、漢族のみを意味する場合と非漢族を含む場合とが巧妙に使い分けられている。漢族以外の五五民族にとって、中国の歴史はほんとうに彼ら自身の歴史でもあるのだろうか。こればかりは各民族に聞いてみるしかないだろう。 また、「統一は歴史発展の主流」というが、「中国という土地」は過去三千年のうち、約千年間は分裂していた。そのうち漢族によると現在の領土の支配はせいぜい数百年でしかない。これを「歴史発展の主流」などと捉えるのは客観性・知的中立性を欠いている。 さらに、「民族の独立をことのほか大切にする」というが、国内の少数民族が独立を求めた場合、中央政府は彼らの民族自決権を認めるのだろうか。「五千年にわたる歴史と文化」があるから非漢族地域の併合は正当化されるのか。そこらへんがどうしてもよくわからない。<今後も少数民族の不幸は続く> いまでこそ中国の国名にも堂々と使われているが、そもそも「中華」なる語は清代末期まで一般的には使われていなかった言葉だ。それでは、「中華」とは漢族のみの民族主義的称号なのかというと、歴史的には必ずしもそうではない。 政治的に「中華」とは、もともと漢族の民族主義を象徴する言葉だった。孫文を中心とする「革命派」の考え方は、「清朝を廃して漢族の復興を図る」というものであり、当時は「異民族」からの「漢族の解放」に重点が置かれていた。 ところが、辛亥革命によって、実際に清朝が倒れたあと、ウイグル族やチベット族は反旗を翻しはじめた。しかも、その背後ではロシアやイギリスといった列強が糸をひいていた。漢族による革命が成功しても、新国家自体は弱体化して、かえって列強の干渉が激しくなった。 この時点で、中国では初めて近代的な「国家」の概念が生まれ、「異民族からの解放」という革命初期の理念が大きく変質していく。南京の民国臨時政府は、少数民族の反漢族感情にも配慮し、「漢族国家」ではなく、「五族共和」を新政府のスローガンとして唱えはじめた。 つまり、新政府の重点は「漢族の復興」から、新しくできた中国という「国家」を他国から守ることに移っていった。その結果、民族の問題は、その後、あまり議論されなくなる。これこそが今日の「中華」概念の混乱の原因である。中華人民共和国政府は、中華民族とは中国五六民族の総称であり、中華文化とは「全中国人民を結ぶ精神的紐帯」だというが、ここでいう「五六民族」は、「五族共和」を継承したものではないのか。(中略) いずれにせよ、「中国」と「中華」の関係を整理しなければ、欧米からの文化的挑戦に勝つことはできない。現在のように、これらの概念整理が不明瞭であるかぎり、中国に真の国民国家は生まれない。今後も、帝国内での漢族中国人の優越と少数民族の不幸は続くだろう。p85~88<文化大革命と倫理観の関係> 中国であらゆる種類の不正・腐敗が報道されるごとに、筆者は文化大革命を思い出す。文革が中国社会、とくに人びとの倫理観に与えた影響は計り知れないと思うからだ。他方、文革が中国一般庶民の「心」をいかに傷つけたかについての包括的研究はあまりみかけない。(中略)■天安門事件以後 ところが、1989年6月の天安門事件により、こうした「自由と民主」への期待が脆くも崩れ去る。人民解放軍による弾圧は、トウ小平に未来を託した中国人の「自由化」への淡い期待をも粉砕していった。その後、現在に至るまで、中国人の「心」の真空状態は続いているのではないか。 一方、「生活向上」への期待は一部実現され、たしかに一般庶民の生活水準は徐々に向上していった。さらに、一部の成功者は平均的庶民をはるかに超える速度で豊かになったが、その結果、貧富の格差は逆に拡大した。いまやその格差は一般庶民では挽回不能なレベルにまで拡大しつつある。(中略) 現代中国の「金儲け主義」だけでは、文革で傷ついた人びとの「心」は癒されない。この当たり前の現実を、今日の中国の指導者は正確に理解しているはずだ。だからこそ、彼らは「法輪功」の危険性を的確に察知し、徹底的に弾圧しているのだろう。 だが、己の心が癒されないかぎり、他人を思いやる心は生まれない。文革時代には「殺るか、殺られるか」がすべてだったが、いまも「儲けるか、騙されるか」という二者択一は変わらない。こうした自己中心的メンタリティが幅を利かすかぎり、中国に健全な社会は生まれないだろう。 いまの中国に最も必用なことは、「魂の救済」と新たな「社会契約」である。新たな「社会契約」では、各個人に平等の機会を与えて「正直者が馬鹿をみない」社会を実現し、人びとに信仰の自由を認めて、傷ついた「心」を救済しなければならない。
2016.03.16
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映画、フランス、韓国、台湾・・・・年上ということもあるが、どういうわけか常に大使の一歩先を行くような四方田さんが気になるわけです。このたび、図書館で『ソウルの風景』という本を借りて読んだんですが・・・・ええでぇ♪ということで、今まで接した四方田さんの本とかネット情報を並べてみます。・台湾の歓び(2015年)・俺は死ぬまで映画を観るぞ(2010年)・ソウルの風景(2001年)・先に抜け、撃つのは俺だ(1998年)・wikipedia四方田犬彦より*****************************************************************************【台湾の歓び】四方田犬彦著、岩波書店、2015年刊<「BOOK」データベース>より数多くの民族と言語を抱えながら、きわめて実験的な文学や、洗練された映画を産み出してやまない台湾。その文化・社会とはどのようなものか。台北、台南を拠点に街を歩き、詩人、映画人らと対話を重ね、夜を徹した媽祖巡礼へ参加し、その尽きせぬ魅力について縦横に語る。長期滞在を機に書き下ろす、初の台湾紀行。<読む前の大使寸評>還暦を過ぎた四方田犬彦は、台湾という土地で、どのようなフィールドワークを見せてくれるのだろうか♪?・・・興味深いのです。<図書館予約:(3/15予約、9/19受取)>rakuten台湾の歓び台湾の歓びbyドングリ*****************************************************************************【俺は死ぬまで映画を観るぞ】四方田犬彦著、現代思潮新社、2010年刊<「BOOK」データベース>より観たいものを観、スクリーンに対峙するだけで充分ではないか。ただただ世界中の映画をなりふりかまわず観まくってきた映画研究家が、17年ぶりに刊行する映画時評集。 <読む前の大使寸評>映画、フランス、韓国、台湾・・・・年上ということもあるが、どういうわけか常に大使の一歩先を行くような四方田さんが気になるわけです。世界中を股にして見たいものを見てきた四方田さんは、まさしく先駆者なんでしょう♪Amazon俺は死ぬまで映画を観るぞ俺は死ぬまで映画を観るぞbyドングリ*****************************************************************************【ソウルの風景】四方田犬彦著、岩波書店、2001年刊<「BOOK」データベース>より南北首脳会談の実現、大統領のノーベル賞受賞に沸いた2000年の韓国。激動の1979年を過ごしたソウルに再び長期滞在した著者が出会ったものとは何か。高度消費社会と伝統回帰、「北」をめぐるフィルム、光州事件、日本文化開放と元従軍慰安婦の集会…人々の姿、肉声を通して、近くて本当に近い隣国の現在を映し出す。第50回日本エッセイスト・クラブ賞受賞。<読む前の大使寸評>ちょっと古くなったが、四方田さんのレポートで2000年当時の韓国を見てみたいのです。rakutenソウルの風景ソウルの風景byドングリ*****************************************************************************【先に抜け、撃つのは俺だ】李鳳宇×四方田犬彦著、アスキー、1998年刊<「MARC」データベース>より朝鮮中高級学校出身の李鳳宇VS東京教育大学付属駒場中学・高校出身の四方田犬彦。国籍も生き方も違う2人の男が、家族・映画・喧嘩・国家・留学などについて熱く語るトーク・バトル<読む前の大使寸評>李鳳宇さんは、十三の七芸のオーナーなんだそうですね。この本を読むまで、知らなかったのです。amazon先に抜け、撃つのは俺だ先に抜け、撃つのは俺だbyドングリ*****************************************************************************ウィキペディアで四方田犬彦さんの経歴を覗いてみたけど・・・ま~すごいですね♪漫画に関する造詣もひとかたなら無いものがありますね。wikipedia四方田犬彦より四方田 犬彦(よもた いぬひこ、1953年2月20日 - )は、日本の比較文学者、映画史家。専攻は比較文学、映画史、漫画論、記号学。本人は「映画評論家ではない」と言っているが、その肩書が用いられることがある。【経歴の一部】1963年3月、東京都世田谷区下馬町の社宅に転居。このころ貸本漫画『墓場鬼太郎』『忍者武芸帳』に熱中。1964年、小学校で2年上級の原将人から、その弟を介して、創刊まもない『ガロ』を借り受けて夢中になる。日本進学教室では国立二組(国立中学受験組)に属し、1位や優秀賞をたびたび受賞。1965年4月、東京教育大学農学部附属駒場中学校に入学。1967年の春休みに高校課程の数学を独学で全て修了したと自称。1972年3月、両親の離婚に伴って小林姓から四方田姓となり、武蔵野市吉祥寺南町に転居すると共に東京大学文科III類に入学。東大宗教学科の同級に島田裕巳、渡辺直樹(後の『週刊SPA!』編集長。1991年には四方田と組み、同誌で「カッコいい在日韓国人」の特集を編集)、上級には植島啓司、中沢新一、中原俊がいた。1983年6月、垂水千恵との結婚に伴って横浜市港北区仲手原に転居。 1984年、自著『映像の招喚』を澁澤龍彦に送り激励の手紙を受け取る。1984年-1985年、雑誌『GS-たのしい知識』(冬樹社)の編集委員(3号まで)として、浅田彰、伊藤俊治らと同誌の編集に関わる。また、赤瀬川原平の『路上観察学会』の創設にも参加。大学在学中に平野共余子、沼野充義らと映画同人誌「シネマグラ」(1977年-)の同人として映画批評を始める。1979年から1年間、建国大学校師範大学の日本語教師としてソウルに滞在。1980年秋、東京大学大学院博士課程を休学してロンドンに滞在、このときロレンス・ダレルとジャン=リュック・ゴダールに偶然出会う。(以降省略)【最近の著書】『日本の漫画への感謝』(潮出版社 2013年11月)『わが煉獄』(港の人 2014年)-詩集『よみがえる夢野久作 『東京人の堕落時代』を読む』(弦書房 2014年)-ブックレット『台湾の歓び』(岩波書店 2015年)『テロルと映画 スペクタクルとしての暴力』(中公新書 2015年6月)『犬たちの肖像』(集英社 2015年6月)
2016.03.15
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今回借りた6冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば「ビジュアル本」でしょうか♪<市立図書館>・地図で読む世界情勢・日本人カメラマンの見た幕末明治・となりの山田くん・芸術新潮(2015-11月号)<大学図書館>・イザベラ・バード 極東の旅1・ソウルの風景図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)************************************************************【地図で読む世界情勢】ジャン・クリストフ・ヴィクトル著、草思社、2007年刊<「BOOK」データベース>よりイランはなぜ核に固執するのか?アメリカ中東戦略の知られざる要衝とは?世界の成り立ち、各国の国家戦略、ニュースの背後に秘められた真の事情。すべては地図によって驚くほどくっきり見えてくる。世界を見る目が変わる地図。【目次】第1章 アメリカ大陸、世界覇権への道(アメリカ合衆国の外交政策/ディエゴ・ガルシア島ー航空母艦の島 ほか)/第2章 欧州とロシア、深遠なる戦略とアキレス腱(欧州連合ー拡大か、排除か/カリーニングラードー欧州にあるロシアの「島」 ほか)/第3章 中東はいかにして世界の火種となったか(影響下にある中東/石油ー依存関係と地政学 ほか)/第4章 アフリカは飛び立てるか(自立するアフリカー「アフリカ開発のための新パートナーシップ」計画/ブルキナファソー何が貧困を招いたか ほか)/第5章 アジアをいかにして読み解くか(パキスタンー無理な外交姿勢/インドー大国になる将来性 ほか)<大使寸評>多数のカラー地図を並べて述べる、著者の時空を網羅した地政学的センスが・・・ええでぇ♪rakuten地図で読む世界情勢地図で読む世界情勢byドングリ【日本人カメラマンの見た幕末明治】高橋則英, 小沢健志著、山川出版社、2015年刊<「BOOK」データベース>より写真術の草創期は、欧米の近代科学導入に積極的な各藩と蘭学者たちによる研究と実験の成果によっていた。肖像写真中心の幕末から、明治という時代の幕開けとともに、写真師たちは活躍の場を大きく拡げていった。貴重な古写真で見る幕末明治。<大使寸評>追って記入rakuten日本人カメラマンの見た幕末明治【となりの山田くん】スタジオジブリ編、文藝春秋、2015年刊<「BOOK」データベース>よりいしいひさいちの長期新聞連載四コマ漫画を原作に、1999年に公開された『ホーホケキョとなりの山田くん』。高畑勲監督のもと、デジタル作業を駆使した制作過程も話題になった本作を、爆笑問題・太田光をはじめ、哲学者・土屋賢二や社会学者・阿部真大、中国人研究者・徐園などの多彩な執筆陣が読み解く。<大使寸評>大使は、まだこのアニメを観ていないのだが・・・とにかく、いしいひさいち原作、高畑勲監督という組み合せが素晴らしいではないか♪rakutenとなりの山田くんとなりの山田くんbyドングリ【芸術新潮(2015-11月号)】雑誌、新潮社、2015年刊<「BOOK」データベース>より雑誌につき、データなし<大使寸評>追って記入suruga-ya芸術新潮(2015-11月号)芸術新潮(2015-11月号)byドングリ【イザベラ・バード 極東の旅1】イザベラ・L.バード著、平凡社、2005年刊<「BOOK」データベース>より『日本奥地紀行』で著名な女性旅行家のアジアをめぐる記録を集成。知られざるバードの実像と足跡が見事に浮かび上がる。第一巻は、百年前の風景を活写した二冊の写真集を収録。<読む前の大使寸評>百年前の中国、韓国の情景が興味深い。rakutenイザベラ・バード 極東の旅1【ソウルの風景】四方田犬彦著、岩波書店、2001年刊<「BOOK」データベース>より南北首脳会談の実現、大統領のノーベル賞受賞に沸いた2000年の韓国。激動の1979年を過ごしたソウルに再び長期滞在した著者が出会ったものとは何か。高度消費社会と伝統回帰、「北」をめぐるフィルム、光州事件、日本文化開放と元従軍慰安婦の集会…人々の姿、肉声を通して、近くて本当に近い隣国の現在を映し出す。第50回日本エッセイスト・クラブ賞受賞。<読む前の大使寸評>ちょっと古くなったが、四方田さんのレポートで2000年当時の韓国を見てみたいのです。rakutenソウルの風景ソウルの風景byドングリ*************************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き137
2016.03.14
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図書館で『地図で読む世界情勢』という本を手にしたが・・・・多数のカラー地図を並べて述べる、著者の時空を網羅した地政学的センスが・・・ええでぇ♪【地図で読む世界情勢】ジャン・クリストフ・ヴィクトル著、草思社、2007年刊<「BOOK」データベース>よりイランはなぜ核に固執するのか?アメリカ中東戦略の知られざる要衝とは?世界の成り立ち、各国の国家戦略、ニュースの背後に秘められた真の事情。すべては地図によって驚くほどくっきり見えてくる。世界を見る目が変わる地図。【目次】第1章 アメリカ大陸、世界覇権への道(アメリカ合衆国の外交政策/ディエゴ・ガルシア島ー航空母艦の島 ほか)/第2章 欧州とロシア、深遠なる戦略とアキレス腱(欧州連合ー拡大か、排除か/カリーニングラードー欧州にあるロシアの「島」 ほか)/第3章 中東はいかにして世界の火種となったか(影響下にある中東/石油ー依存関係と地政学 ほか)/第4章 アフリカは飛び立てるか(自立するアフリカー「アフリカ開発のための新パートナーシップ」計画/ブルキナファソー何が貧困を招いたか ほか)/第5章 アジアをいかにして読み解くか(パキスタンー無理な外交姿勢/インドー大国になる将来性 ほか)<大使寸評>多数のカラー地図を並べて述べる、著者の時空を網羅した地政学的センスが・・・ええでぇ♪rakuten地図で読む世界情勢大使が関心を持っているサウジアラビア、クルド人、中国人あたりを見てみましょう。まず、サウジアラビアから。油田地帯p90~92<サウジアラビア>■唯一の石油君主王国 サウジアラビア王国が建国されたのは1932年である。この国の法制度の大部分はイスラム教に基いており、国はおもな聖地を管理している。そして石油では、世界埋蔵量の4分の1がこの国に集中している。 世界で唯一、サウード家という君主一族の名を国名にしているサウジアラビアは、社会的ならびに政治的な一種の契約で成立している。つまり、憲法のようなものがなく、完全な君主制の下にあって、政治的な異議申し立ては許されないことになっている。 また、国の要職の大半はサウード家の一族によって占められ、その血筋を引く王子は4200人もいると言われている。 膨大な石油収入のおかげで、国は福祉国家を実践しており、国民は教育や健康などでさまざまな保護を受けている。そのおかげでサウジ王国は、ベドウィン族など他民族に対しても権力を確立し、永続することができたと言えるだろう。■石油とイスラム教が政権の支え サウード家の権力を正当化する持ち駒は二つある。一つはもちろん石油。もう一つはイスラム教である。サウード家はイスラム教の聖地であるマッカとマディーナ(メッカ、メジナ)の番人なのである。そうしてサウジアラビアは、国全体が崇高な聖域であることを自認し、国が一つのモスクのようである。したがってイスラム教でないものは「公式には禁止」されている。その意味でイスラム教は、石油とまったく同じように、サウジアラビアの正当性をを国際的に認めさせているのである。■国際的な承認 イスラム教について言うと、毎年、150万人近くの外国人教徒が巡礼で聖地マッカを訪れている。サウジアラビアは二つの聖地の番人として、イスラム世界の中心で大きな威光を放ち、またスンニ派の「リーダー」として、とくにシーア派のイランに対抗したいと願っている。 それもあって、1969年には率先してイスラム会議機構(OIC)を立ち上げ、世界イスラム同盟を通して、スンニ派のゲリラ活動を資金的に援助している(フィリピンやナイジェリア、ボスニア、あるいはチェチェンなどでの活動)。 一方、世界第一位の石油埋蔵量を管理していることから、国際的な経済活動のなかでもきわめて重要な役を演じていっる。石油輸出国機構(OPEC)の創設メンバーとして、しかしそれ以上に、世界第一の原油輸出国として、バレル当たりの原油価格決定に関与しているのである。2007年発刊のこの本には、シリア紛争やISにはふれていないが、クルド人問題は現在も紛争の発火点であることに変わりないようです。p112~113<クルド人>■国のない民族 クルド人は中東に住む民族で、これまでこの民族と領土と国家が一致したことは一度もない。今もなお中東の複数の国に分断されて住むクルドの民族は、イラクへ多国籍軍が介入して以降、どう変化していくのだろう? クルド人とは、アラブ人でもトルコ人でもなく、紀元前9世紀頃にザグロス山脈付近で生活していたメデ人の子孫であり、イスラム教徒で、大半がスンニ派である。人口は情報源によってばらつきがあるが、2500万人から3300万人。国家を持たないもう一つの民族パレスチナ人は、各地に離散している者も含めて約800万人である。■六つの国に離散する民族 これまでアラブ人に始まって、モンゴル人、ペルシャ人、そして16世紀からはオスマン帝国と、次々に支配されてきたクルド人は、第1次世界大戦が終わると早々にも独立国家が約束されると思っていた。ところが、大戦中にトルコ人リーダー、ムスタファ・ケマルがほしょうしてくれたにもかかわらず、さらには1920年の講和条約、セーブル条約にも記載されていたにもかかわらず、クルディスタンの独立は、自治区の形ですら日の目を見ることはなかった。 結局、北にはトルコの単一国家が形成され、南はイギリスとフランスの利害がからんで、この見通しは反古にされてしっまった。というのも、モスルとキルクーク地区は石油が豊富なことから、イギリスが委任統治しいていたイラクに統合されてしまい、クルディスタン独立国になるはずの地が二つに分断されたからである。こうしてクルド人は現在、六つの国に離散して生活している。■クルド人の約半分がトルコに 現在、トルコには1400万人のクルド人が生活している。ということは、トルコの住民の5人に1人がクルド人である。またトルコの面積の30パーセントがクルドである。 そのトルコは長いあいだ、クルド人を否定する政策をとってきた。少数民族としての身分も、自分たちの言葉を使う権利も認められていなかった。そして、1970年代の終わりからクルド労働党(PKK)のゲリラ活動が活発になると、トルコ政府は軍による弾圧や不法逮捕、強制的な移住措置で応酬してきた。こうして1990年以降、300万人のクルド人が生まれ故郷を去っている。そんななか、アンカラの議会が改革に着手したのはやっと2002年になってから、それも欧州連合の圧力があったからだ。それを機に、1987年からこの地に発令されていた戒厳令は解除され、クルド語の使用や(とりわけテレビで)、学校でのクルド語の学習も認められることになった。 ところで、2003年にアメリカがイラクに介入して以来、トルコが恐れているのは、イラクのクルディスタン自治区がトルコのクルド人に影響を与えはしまいか、あるいは、そこがゲリラ活動の後方基地になりはしまいかということである。この懸念は、他民族国家で、700万人のクルド人が住む隣国のイランも共有している。世界にインパクトを与える中国人(漢民族)は、世界の困り者に成り果てるのか?p144~145<中国の状態2> この20年間で、中国ほど急速に、しかもここまで変化した国はない。これらの変化は広大な領土の構成に悪影響を及ぼし、中国人の生活をすっかり変えてしまった。 1980年からの大がかりな改革は、これまで恒久不変とされていた分野に、どの程度行きわたっているのだろうか? (中略) これが現在の中国だが、全体では昔より統一性に欠け、あちこちに亀裂が生じている。それは中国人と西方民族(ウイグル族、チベット族)、農民と都会の企業家、農民と都会人である。 中国は是が非でも近代国家になりたかったのだ。そこで物質的な近代化を進めるために二つの手段をとった。一つは農民を減らして都会に人を増やすこと。もう一つは世界的な資本にもっと開放すること。すなわちより依存することである。こうして国はますます外に向かい、グローバル化のパートナーの一国になる。結局、中国は現在「外に」、世界にいるのだが、「国内」はますます不平等になっている。■中国の民族 中国には多種多様な民族がいるが、地図を見ると、東部と東シナ海を起点に、漢民族が主要な領土を占領しているのがわかる。漢民族はみずから「中国人」と名乗り、国の人口の大部分、ほぼ92パーセントを形成している。 一方北を見ると、モンゴル族や満族がいる。そして北東には朝鮮民族系中国人がいて、西の中央アジアのほうには、トルコ系のウイグル族、カザフ族、キルギス族、南にはクメール族とタイ族系の民族。南西にはチベット・ビルマ民族系の民族がいる。著者が説く日本経済は、簡潔で鋭いのです。p156~157<日本の領土>■「雁行」経済 日本は、世界の「三大」経済国の一つである。日本がアジア地域ならびに世界的規模で、どのように投資してきたかを表すのに、経済学者のあいだでよく使われる図式が「雁の飛翔」にたとえた雁行経済発展論である。この名称は、日本が先頭にたって飛び、その後を各国の群れがV字の列になってついていったことからつけられた。その結果、◎アジア諸国では、韓国と台湾と香港に加えて、現在は東南アジアと中国も、日本に引きずられるかたちで「ドラゴン」いや「タイガー」並みの経済発展を遂げている。◎アメリカとヨーロッパも、とくに自動車とオーディオの分野で、そして現在は情報産業や電気通信といった新しい科学技術の分野で発展している。 しかしこの国は1990年代以降、さまざまな局面で景気が後退し、長い経済不況をくぐり抜けることになる。そうなった要因はたくさんある。◎中央集権的な管理体制が機能しなくなった。◎銀行の不良債権が膨大になった。◎改革が遅れた。◎政権が代わっても変化がもたらされず、政治不信がつのった。◎人口の高齢化が例を見ない速さで進行した。 一方、別の角度から見ると、不況とはいえ、状況は羨ましいかぎりとも言える。失業率は5パーセント以下で、これはEUの10パーセント前後に比べると少ないうえ、個人の貯蓄額は膨大で、貿易黒字額も大きく、外貨準備高が世界有数の高水準にある。 また、日本は今も世界の先頭に立って研究開発に投資しており、これも国の将来の安心材料であることに変わりはない。2004年以降、日本は長い不況を脱したかのように見える。とくに隣国中国への輸出の伸びは大きく、2003年には38パーセント伸びた。これにひっぱられるかたちで、経済成長がもどっている。■海上の交流ライン 自然の資源が少ない日本は、貿易と原材料の輸入を海上ルートに依存し、石油は中東から輸入している。これらの海上ルートは東シナ海を通るため、尖閣諸島を要求する中国との対立は、日本人にとって大きな懸念となっている。シーレーン2007年発刊のこの本では、日本経済の堅調ぶりを述べているが…その後の中国の躍進までは述べられていません。
2016.03.13
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ドキュメンタリー映画「選挙」を撮った想田監督の最新作ということなので気になっていたが・・・神戸上演に合わせて、その上演初日に観に行ったのです。【牡蠣工場】想田和弘監督、2015年日米制作、2016.3.12鑑賞<movie.walker作品情報>より「選挙」などで知られるドキュメンタリー作家、想田和弘の“観察映画”第6弾。瀬戸内海に面した町・岡山県の牛窓にある牡蠣工場で働く人々の姿を通して、グローバル化、少子高齢化、過疎化など、様々な社会問題を浮き彫りにする。2015年8月にスイスで開催された第86回ロカルノ国際映画祭に正式招待された。<観る前の大使寸評>ドキュメンタリー映画「選挙」の想田監督の最新作ということなので、気になるわけです。movie.walker牡蠣工場まあ観る側の関心にもよるが・・・もらったパンフレットに観察映画第6弾と銘打っていたとおり、けっこうおもしろい映画であった。このドキュメンタリーの主人公のようなお父さんは、宮城県で大震災を被災した人である。元は牡蠣生産に従事していた人だが、きつい仕事でも、まあ、よく働く人である。このお父さんが「日本人が集まらない3K職場」と言っていたが、お父さん自身は元の仕事であるだけに苦にもならないようです。映画では、中国人労働者の受入れ、技術指導とかも撮られていて・・・・まったく、田舎町とグローバリズムのぶつかり合いが今日的でもあるわけですね。撮られる人とカメラマンの会話がポロッと入ったり、エーゲ海のような島並みや態度がでかい白ネコが繰りかえし見えて、見飽きない映画になっています♪もともと大使はドキュメンタリー映画が好きなわけで、事実の映像だけで充分に楽しめるのだが・・・こう書いてしまえば、監督の手腕はどうでもいいのか?この映画の背景には、題材の選定とか、長期にわたる撮影とか、映画つくりのセンスや執着心が求められているのだろうけど・・・・無知な大使などにはわからない監督の才能があるんでしょうね♪奇しくも昨晩(12日)、NHKスペシャル『復興予算26兆円』という番組が放映されたが・・・・番組でも被災した水産業従事者にふれていました。土地嵩上げとか漁港のインフラは復興しつつあるが、住宅再建の遅れなどで町民が去ってしまった・・・インフラ復旧に偏重した古い法律がこの状況を誘導したようです。つまり、古い法律の誘導により、水産業者や小売り商店が居なくなり、その分、土建業従事者だけが(時限的に)潤っているようです。被災地の雇用は打撃を受けたままで、土建利権にからむ役人と土建業界のみ潤ったのかもしれないのです。この事態はある程度予想されたものと思うけど、行政の硬直あるいは失敗と言わざるを得ないのではないだろうか?(どうしても大使は、役人嫌いが出てしまうな~)復興庁のトップへのインタビューもあったが・・・復興5年目に当たり、予算消化に対する反省とか復興の見直しにもとりかかっているようで、まったくアホでないところが、せめてもの救いでしょうか。
2016.03.13
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図書館で『ソウルの風景』という本を手にしたが・・・・2006年から2010年にかけて、韓国出張に明け暮れた大使にとって懐かしい景色が見えるかも♪ちょっと古くなったが、四方田さんのレポートで2000年当時の韓国を見てみたいのです。【ソウルの風景】四方田犬彦著、岩波書店、2001年刊<「BOOK」データベース>より南北首脳会談の実現、大統領のノーベル賞受賞に沸いた2000年の韓国。激動の1979年を過ごしたソウルに再び長期滞在した著者が出会ったものとは何か。高度消費社会と伝統回帰、「北」をめぐるフィルム、光州事件、日本文化開放と元従軍慰安婦の集会…人々の姿、肉声を通して、近くて本当に近い隣国の現在を映し出す。第50回日本エッセイスト・クラブ賞受賞。<読む前の大使寸評>ちょっと古くなったが、四方田さんのレポートで2000年当時の韓国を見てみたいのです。rakutenソウルの風景デアスポラのような韓国人の移民がレポートされているが、若しかしたら未来の日本人の情景なのかと思ったりする。p39~52<伝統的なるものの行方>より 韓国では移民熱がいまだに盛んで、誰もが親戚にかならず何人かは、アメリカかカナダ、ニュージーランドに居住する者をもっている。とりわけ韓国経済が破綻しIMF管理体制が導入された昨今では移民が急速に増加し、2000年には1万5千人に達しようとしていた。 それも政治的難民や経済的困窮者が海を渡るというのではない。大学を卒業し、経済的にも裕福な家庭が、先行きの怪しい国家の将来に見切りをつけ、子供の教育と先行きの生活を考えてという名目で移民を決心するのだ。当然のことながら、生活水準に大きな変動が生じる。 70年代に大学の助手だった研究者がロスアンジェルスの自動車整備工場で働いていたり、洗濯屋や八百屋の店員を務めているといった例を、わたしはアメリカに滞在していた頃、あちこちで見聞きした。夫婦の一方が耐えられなくなくて帰国し、家庭が崩壊する例も少なくなく、老人が環境に不適応のまま孤立してしまうことも多い。わたしがその夜にたまたま聞かされたのは、その典型的な場合だった。 ソウルへと戻る車のなかで、李応寿はいった。たぶん自分の代になったら、裏山に土葬することはやめて、火葬を選ぶことだろう。夫人が、だったら散骨の方が素敵ねと、付け加えた。彼らは、つい先ほどまでわれわれがいた母屋の隣に、いつかスペイン風の洒落たリゾート用別荘が建てられたらなあと、明るい夢を語った。二人の話には封建的な因襲を思わせるものは、もはや何も感じられなかった。もっともそれは、彼らが老母に対し深い敬愛の礼を示していることと、いささかも矛盾していなかった。 その日の夜遅く帰宅したわたしがTVを点けてみると、その日韓国全土にわたって秋夕が盛大に行われたという報道がなされている最中だった。TV局のKBSは特集を組んで、中国東北部に住む朝鮮族が、やはり同じ日を選んで厳粛な儀礼を行っているさまを映しだしていた。 信じられないほどの供物が並べられた屋外の祭壇の前で、色鮮やかな朝鮮服の人々が礼拝をし、楽しそうに野山を散歩しているさまを、わたしはソンピョンを食べながら眺めていた。こうした映像には、秋夕という本来は先祖供養にすぎない儀礼を通して、国民的統合を呼びかけようとする強力なイデオロギーが横たわっているように感じられた。 それは現実の国境を越えてまでの民族主義的統合性を、暗黙のうちに訴えていた。ひとつ興味深かったことは、女性アナウンサーが、文化大革命の時代には朝鮮族のこの儀礼は迫害を受けましたが現在では立派に復興しましたと説明した後で、韓国とは違い、ここでは男性と女性とがまったく対等に儀礼に参加していますと、さりげなく付け加えたことである。そのとき思い出されたのは、その日の朝に立ち会った李家の儀礼で、母親がけっして礼拝をしなかったことだった。(中略)料亭 意図されたノスタルジアがもっとも濃密に感じられる場所は、旧市街の中央、鐘路二街から北に進んだところにある仁寺洞である。もともとこの辺りの一角は、骨董屋と文具店がひっそりと軒を並べ、脇道に入ると韓定食を出す料亭が軒を連ねているばかりといった、静かで地味な場所であった。李朝時代の佇まいをもった旅館や寺院が付近にあったこともあって、わたしはここで何枚かの民画を買い求めたことを記憶している。 久方ぶりに訪れた仁寺洞は、すっかり面変わりを遂げていた。仮面や複製家具、簡略化されたモダンな韓服を扱う民芸品店が外国人相手に派手派手しい看板を掲げ、小さなアクセサリーやガラス工芸、ペイパークラフトを扱う店がそれに続いていた。 路上には絵文字で名前を描く大道芸人が、いかにも当世風に英語と日本語を流暢に話しながら、客の注文に応じて巧みな筆さばきを見せていた。伝統的な白衣の青年がカチャカチャと鋏の音を高く響かせながら、昔ながらの白い朝鮮飴を屋台で売っていた。 通行人は圧倒的に若者であり、彼らは喜々としてここで演出されている李朝の「伝統」を満喫していた。いたるところで日本語が聞えてきたのには原因があった。日本で売られている韓国のガイドブックには、この街角のどこに何が売られているかが、こと細かに記されていたのである。 10月にこの通りの道路改修工事が終了したとき、保守系の「朝鮮日報」はそれを厳しく非難し、伝統が観光にすりかわってしまってよいのかと批判した。だが、すっかり民芸横丁と化してしまった仁寺洞を元の静謐な骨董街に戻すことは、もはや不可能だった。 わたしを今回最初に、この様変わりした仁寺洞へと案内した女性は日本から来た留学生で、金浦空港と成田空港の間を忙しげに往復しながら、免税店のグッチの横流しに関わるアルバイトをしていた。彼女がわたしを連れていったのは、「伝統茶」を売り物にしている喫茶店だった。伝統茶だって? わたしはそれまでその奇妙な表現を耳にしたことがなかったので思わず聞き返したが、彼女はソウルでは現在、この表現が若者の間で流行しているのだという。ともあれわたしたちは店に入った。扉には60年代初頭の『春香伝』のポスターのカラーコピーが、かつての街角の広告のように何枚も貼られてあった。 一般的には中国や日本が恐るべき情熱のもとに茶道を発達させたのに比べて、朝鮮では茶を喫む習慣は高麗時代を過ぎると、忘れられてしまったというのが、通説である。現にわたしが昔滞在していた時分、冷えた麦こがしの茶が薬缶に入って出てくることはあっても、烏龍や玉露を出されたことは一度もなかった。 紅茶に至っては梨泰院洞のアメリカ人向けの雑貨屋に赴かなければならなかったほどで、韓国人がおよそ茶なるものに無関心であると信じていた。ところが渡されたメニュウを見ると、ズラリと未知の茶の名前が並んでいた。ユズをマーマレードにして湯で割ったものから、生姜の煎じ茶まで、おそらく民間に伝わる薬用飲料を再現したものなのだろう。韓国のハルキ世代が語られています。p134~136<日本の影>より 奇妙な偶然かもしれないが、わたしが最初に村上春樹の処女作『風の歌を聴け』を読んだのは、かつてソウルに滞在していたときだった。当時自分を取り囲んでいる環境とはあまりに異質な発想に、冷たい清涼飲料水を飲んだときのような爽快感を受けた。だが一方で、こうした軽いシニシズムは、明けても暮れてもキャンパスで軍事教練を強いられている韓国の大学生には絶対に受け入れられないだろうなという感想も同時に抱いた。 だが、90年代以降の、脱軍事政権化した大衆消費社会のなかで、うっすらとした過去へのノスタルジアに捕らわれだした韓国人にとって、村上の作品を享受する文脈は充分に整ったといえる。『喪失の時代』の翻訳は韓国の若い小説家たちに、都市の単身生活者を主人公にすることを示唆し、そのために必要とされる文体見本を提供した。 これまで息子であるか、でなければ兄か夫か、父親でなければいけなかった韓国小説の男性主人公は、ここではじめて匿名のシティライフを享受し、家族や地位に束縛されない何もない地点から独白を始めることができるようになったのである。 村上春樹の読者は、これまでの日本文学愛好家とは異なっていた。彼らは日本に対する思い入れから出発したのではなく、ただ気軽に自分の感受性に釣り合う世界を探していて村上に廻りあい、いわば読み終わった後で彼がたまたま日本人であり、書物が日本語からの翻訳であることに気付いたのである。 では日本文化のことはさておいて、日本人は韓国でどう受けとられているのだろうか。もちろん以前からある反日論は十年ひとむかしのように続いていて、機会あるたびに蒸し返されている。90年代には東京に3年滞在した女性ニュースキャスターが帰国後に『日本はない』というエッセイ集を執筆し、たちまちベストセラーになった。その後、この書物が盗作であることが判明し、本来の著者であるジャーナリストの書物も刊行された。 この後味の悪い事件は、盗作をしてまでも日本を罵倒したいという屈折した情念が現在の386世代にまで継続していること以外に、何も教訓を残さなかったようである。あまたの嫌韓本と一線を隔した四方田さんの歴史認識を見てみましょう。p203~205<歴史と他者>より わたしは本書で、日本人と韓国人の国民性の違いであるとか、世界観や人生観の違いを要領よく論じようとは思わなかった。というよりも積極的に、こうした話題に言及することを回避してきたといってよい。読者のなかにはあるいはそれを疑問に思ったり、不満に感じられる向きがあるかもしれないので、ここにその理由を記しておきたい。 第一に、そのような書物は日本にも韓国にも、すでに無数といってよいほどに存在しているからである。韓国人は個人主義的で喧嘩早く、道徳的正当化をなによりも求める一方で、自分の共同体に関係のない者にはまったく礼儀を示さないとか、日本人は集団主義的でなにごとにおいても準備周到であり、たやすく感情を抑制することを美徳としているとか、われわれはそういう断言に満ちた書物を、いったいこれまで何冊読まされてきたことだろう。日本人がソウルでいざ生活をしてみれば、あるいは韓国人が東京で生活をしてみれば、そのようなことは日常的に体験されることであり、それをあえてわたしが改めて書物として江湖に問う必要があるとは思えない。 第二に、こうした国民性というものは、あたかも先験的にそれぞれの民族に与えられているように語られるが、実際のところさまざまな歴史的要因が作用することによって成立したものに他ならない。それは近い将来に地政論的な布置が変化するならば、容易に変化をする可能性をもっている。 韓国人の特性としてしばしば地域感情の激しさが挙げられ、それはけっして日本人には理解できない程度のものだと語られたことがあった。全羅道と慶尚道の間に横たわる対立関係を、朝鮮半島が百済、新羅、高句麗の三国からなっていた古代に遡る宿命として紹介する書物も、少なからず存在している。 だが先にも述べたように、この地域対立の激しさが60年代から70年代に至る朴正キ時代に、宿敵金大中を追い落とすために与党側が過剰に演出して、一般に定着化させたことは、日帝時代、朝鮮戦争時代に同様のことがもっぱら話題とされていなかったことからも瞭然としている。 本来が歴史的であるべき現象を非歴史的で宿命的なものであるかのように装い、問題を国民性の次元に摩り替えてしまったとき生ずるのは神話であって、歴史認識ではない。第三に、こうした国民性の論議はしばしば、日本と韓国とを二つの相対立した民族と見なし、両者の文化が根底的に異質なものでなければならないという大前提に立っている。なるほどこの前提は、韓国国内に強力に横たわる民族主義的情念を充分に満足させもするだろうし、日本人が韓国に対して抱いている観光客的なエクゾティシズムにもそれなりに見合っている。 だがその根底にある単一民族思想は、今日的な観点に立ったとき、再検討を要するだろう。韓国人が、彼らが自己主張するほどに単一言語、単一民族であるかという問いはさておきたい。こと日本人に関するかぎり、一般の韓国人が信じているほどに純粋で単一の文化のもとに生きてきたわけではけっしてなく、統合的な国民性なるものを享受してきたわけでもない。 簡単な例を挙げるならば、沖縄である。琉球王国は中世に、高麗や李朝がそうであったように独自の文化と言語をもつ王国であり、朝鮮国と独自の外交関係をもっていた。沖縄は今日においても日本国内にあって、濃厚な文化的・言語的他者性のもとにある。北海道の先住民であるアイヌ民族にしたところで、都心部の工業地帯に急速に増加している日系ラテンアメリカ人にしたところで、彼らを十把一絡げに「日本人」という範疇に括って、韓国人との対立項に仕立て上げることは、現実に存在している多様性を抑圧し、少数派を抹殺することに通じている。 そもそも国民性という観念自体が国家によって居住民を統合馴致するさいに用いられてきたイデオロギー的なものであり、われわれはこうした擬制が作り出してゆくステレオタイプの日本人観、韓国人観を機会あるたびに相対化してゆくことで、現実に隣人として存在している他者と向き合ってゆくしかないのである。
2016.03.12
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図書館で『となりの山田くん』という本を手にしたのです。大使は、まだこのアニメを観ていないのだが・・・とにかく、いしいひさいち原作、高畑勲監督という組み合せが素晴らしいではないか♪【となりの山田くん】スタジオジブリ編、文藝春秋、2015年刊<「BOOK」データベース>よりいしいひさいちの長期新聞連載四コマ漫画を原作に、1999年に公開された『ホーホケキョとなりの山田くん』。高畑勲監督のもと、デジタル作業を駆使した制作過程も話題になった本作を、爆笑問題・太田光をはじめ、哲学者・土屋賢二や社会学者・阿部真大、中国人研究者・徐園などの多彩な執筆陣が読み解く。<大使寸評>大使は、まだこのアニメを観ていないのだが・・・とにかく、いしいひさいち原作、高畑勲監督という組み合せが素晴らしいではないか♪rakutenとなりの山田くんいしい氏の毒のあるユーモアについては、曰く言いがたい趣きがあるのだが・・・そのあたりについて、同県人の土屋賢二さんが鋭く喝破しています。さすがに哲学者と言われる由縁なんでしょうね。p192~194<岡山県の人> 人の愚かしさを描かせたらいしい氏に並ぶ者はいない。登場人物の顔だけとっても、愚かとしか思えない顔だ。これほど愚かな顔を描けるのは、いしい氏の画力ならではだろうが、もしかしたら彼は賢明な人物の顔を描くことができないのかもしれない。 山田家は特殊な人間の集まりではない。意地悪く見れば、いかなる人間も愚かである。そしてだれよりも意地悪く見ることができるのがいしい氏である。 疑うなら、いしい氏の『現代思想の遭難者たち』に登場する哲学者たちの顔を見てもらいたい。まるで見てきたように実物そっくりなのだ。写真以上だと言っても過言ではない。しかも写真と違い、すべての哲学者をおちょくっており、顔を見ているだけで5分間は笑える滑稽さだ。いしい氏の手にかかるとどんなにエライ人物も、滑稽で欠点だらけの愚かな人物に見えるようになる。学説を批判するよりも深いところで批判している破壊的絵なのだ。 山田家の面々の愚かしさは顔だけではない。それぞれがいちいち考えられないほど愚かな行動をするのだ。これは不思議なことではない。考えられないような愚行をするのが愚かさの特徴だからだ。 わたしはこの漫画がジブリのアニメになるとは思いもしなかった。第一、原作のシンプルな絵がアニメになるのか想像できなかったし、いしい氏の毒のあるユーモアがジブリのメルヘン的味わいに合うとは思えなかった。 だが出来上がった作品は見事だった。作品は自然で無理な感じがなく、気品さえある。愚かな家族の低俗な失敗を描くにはもったいないほどの気品である。洗練された音楽と画面があいまって、低俗な家族をやさしい愛情で包み込むような感じを醸し出している。「愚かさなんか包み込む必用はない」と思う人もいるかもしれないが、「賢くなければ愛するに値しない」と考える人は、駄犬や頭の悪い子の方が可愛いという事実をどう説明するのか考えてもらいたい。 いしい氏の作品をアニメ化する場合、ふつう人間の愚かさを攻撃するようなアニメ化を考えるのではなかろうか。だが高畑監督は、痛烈な風刺をほのぼのしたアニメにくるみ、いしい氏の毒に新たな味付けをするという新しい可能性を開いている。それを成し遂げたのは、高畑監督の愚かな登場人物への共感と愛情にちがいない。 もちろん、どんなに味付けしても、いしい氏の辛辣さはやわらぐわけではない。『となりの山田くん』の登場人物の表情は、バラエティに富んでいるが、どんな表情になっても滑稽さと愚かさは失わない。こんな絵を描くいしい氏はどこまで辛辣に人間を見ているのだろうか。一度でいいからいしい氏に質問してみたい。 「一度でも人を尊敬したことがあるんですか?」と。 わたしがいしい氏の辛辣な人間観を友人に話すと、その友人が言った。 「岡山人はみんなヒネクレているんじゃないのか。内田百間しかり、いしいひさいちしかり、お前もその末席を汚している。そう言えば高畑監督も岡山出身だろう?」それにしても・・・岡山県玉野市出身の人とは、何故、そろいもそろって、こんなに都会的な辛辣さに溢れているのだろうか?♪この記事も、いしいひさいちの世界R1に収めておきます。
2016.03.11
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5年目の3.11であるが・・・東日本大震災の復興について、メディアでも競って伝えられています。神戸・淡路大震災の復興では、およそ5年経って架設住宅が解消されたが、これが東北の場合は8年くらいになるそうです。大使も神戸・淡路大震災を体験したので、他人事とは思えないのだが・・・ドングリ国(神戸市)では、あらゆる学校の校庭や公園に架設住宅が建てられ、その間1~2年くらいは騒然としていて、なかなか落ち着かない雰囲気が続いたことを覚えています。大きな声では言えないが、架設住宅ができて雰囲気が荒れてきたと感じたのです。…でもね。東北と比べると、過ぎてみれば、神戸の場合はいかに早い復興であったかと思うわけで・・・それだけ東日本大震災の規模の大きさに暗然とするわけです。政府から復興予算はついたが使いきれないケースが続出している有様で、つまり行政の能力不足が露呈しているわけです。とにかく行政の施策は時間がかかるわけで、被災者の個々の復興には間に合わないようです。行政の現場は努力しているようだが、ご他聞にもれず政府中枢がアホやから被災者に寄り添った復興とはなっていないのです。お役人は整合性とか、公平さが気になるようだが・・・それは分かっているけど、もっと融通を利かす気転が望まれているはずです。とにかく、8年くらい歳をとるとはどういうことかを、考慮してほしいわけです。復興予算と人材を国から地方に移譲するだけで、問題の大部分は進展できるのだが…それをしないのが中央の役人というものである。被災者の方も、行政に頼りきりでは当てが外れるので、辛くても自助でがんばることが望まれるのかも。
2016.03.10
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図書館で『働くアンナの一人っ子介護』という本を手にしたが・・・・まあ、聞きしにまさる介護人生のようです。【働くアンナの一人っ子介護】荻野アンナ著、グラフ社、2009年刊<「BOOK」データベース>より現在、父94歳、母85歳、二人とも要介護4。「嫁入り前」の働く一人っ子はテェーヘンです。【目次】1 船乗りパパとお絵描きママ/2 あっぱれアンリ闘病記/3 働くアンナのドンブラコ半生/4 不死身アンリの人生は続く/5 パワフルママも老いる/6 アンナ流・介護のコツ<大使寸評>船乗りパパとお絵描きママの介護に明け暮れたアンナさんには、逆境を笑い飛ばすような精神的なバネがあるわけで・・・・落ち込んだときに読むと、いいようです♪rakuten働くアンナの一人っ子介護お父さんはさることながら、お母さんも、なかなか難しい人のようです。p133~134<母の母になる> どんな相手に対しても、人生返せと思った途端に自分が崩れる。むしろ徹底的な無償の愛情をことらが示すことで、愛情とは無縁だと思っていた相手が、一瞬、深い理解とか愛情を示してくれる。すごく新鮮な驚きでした。 このときの私は悟っちゃった週間で、6月2日の父との和解についで、7日が母の誕生日だったんです。そのとき初めて母も苦労をしたんだなというのがすんなり受け入れられた。 母の苦労には全部私が絡んでいるんです。父と別れなかったのは私のため、という事実が重過ぎて、頭でわかっていても、心に拒絶反応があったんです。 それがこのとき、ふと、母が私を産んだのは33歳だったんだよな、と思ったんです。横浜に一人っきりで、夫は遊び歩いているし、おまけに死ぬほど難産だった。 当たり前ですが、母は常に娘より年上です。自分より33歳年上の強い人、というイメージしかなかったんですけど、33歳も、今の50過ぎの自分から比べれば娘です。苦労したんだね、と生まれて初めて思いました。私の中で一瞬母と娘が逆転していました。一瞬でもそういうことがあった、というのは私にとっては大事です。p145~148<鍵のシアワセ>☆:要介護4のお母様は、今のところご自分のことはご自分でなさっているんですか。アンナ:郵便受けまで新聞を取りに行くのさえつらいんですが、ヘルパーは拒否のままです。絵描きの母としては、絵を描く環境を他人の存在で乱されたくない、というのが大きいようです。 父と同様、無理強いは避けています。時とともに譲ってくれる、と信じています。すでに前例も一つあるんです。うちの玄関は、ドアを明けた先に引き戸がある。鍵でドアを開けても、引き戸のネジが締まっていたら中には入れない。彼の部屋と実家を往復していたとき、夜、ドアを開けても引き戸が締まっていてアウト、が何度もありました。☆:締め出されちゃうんですね。アンナ:両親に何かあったときに、鍵で中に入れないと困る、って、すっごい気に病んでたんですけど、さすがに母も、自分の体力低下を悟り、引き戸を開けといてくれるようになりました。今は鍵で家に入れる喜びを満喫しています。ほんとはもうちょっと譲ってほしいんですけど。<救急車の秋>アンナ:父はかなり落ち着きましたが、母のほうはその後も順調に具合が悪く。☆:順調に具合が…?アンナ:ここ2年で母のバイオリズムのパターンは大体わかりました。母の場合、夏に大作を描きます。秋に自分の所属する行動美術協会の展覧会があるもんで。娘としては体力のいらない小さな絵にしてくれたら、と思うんですけど、あくまで大作にこだわるんです。 「モナリザは名作だけど小さいじゃん」 「現代美術はちゃうねん。おまえがそこまで絵のことをわかっとらんかったとは」 親子でもわからんことはわからんのです。 制作は、肉体的には無理なんです。でも奇跡的に、悪い腰とぼろぼろのひざを使って描き上げちゃうんです。仕上がった途端、無理がたたってへなへなになってしまう。芸術の夏で、秋は救急車を呼んで入院という、もう定番です。体調不良のまま冬が春となり、初夏から上向きになって、どんどん盛り上がって、ドカンと描いて、また秋に救急車と。
2016.03.10
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與那覇潤著『中国化する日本』がしばらく積読状態だったので、再読しようと思いたったのです。11回まで紹介していたので、ほぼ全ページが赤線だらけとなっているではないか・・・未紹介のヵ所を探すほうが早いのかも。・人権は封建遺制であるp267~270・ポスト「3.11」の歴史観へp296~297与那覇先生*********************************************************************<『中国化する日本』11>目次・清朝は「中国化」社会の究極形p68~71・ポスト「3.11」の歴史観へp293~297*********************************************************************<『中国化する日本』10>目次・憲法改正をまじめに考えるp288~283・近世で終わった歴史:内藤湖南の中国論p31~33*********************************************************************<『中国化する日本』9>目次・日本の未来予想図1p278~280・日本の未来予想図2p281~283*********************************************************************<『中国化する日本』8>目次・郡県化する日本:真説政治改革p247~248・ベーシック・インカムをまじめに考えるp275~278*********************************************************************<『中国化する日本』7 >目次・中国化した世界:1979年革命p233~235・真説バブル経済p239~240*********************************************************************<『中国化する日本』6 >目次・真説「大東亜戦争」p206~209・真説田中角栄p223~225・人権は封建遺制であるp267~271*********************************************************************<『中国化する日本』5 >目次・真説日中戦争1p197~200・真説日中戦争2p203~205*********************************************************************<『中国化する日本』4 >目次・真説明治維新p120~123・真説自由民権p138~140・工業化された封建制p167~169*********************************************************************<『中国化する日本』3 >目次・明朝は中国版江戸時代?p61~63・窓際族武士の悲哀>p103~105*********************************************************************<『中国化する日本』2 >目次・「中国化」とは本当は何かp15~17・真説源平合戦p43~45『中国化する日本』1 *********************************************************************【中国化する日本】與那覇潤著、文藝春秋、2011年刊<内容紹介>より日本の「進歩」は終わったのか──ポスト「3.11」の衝撃の中で、これまで使われてきた「西洋化」・「近代化」・「民主化」の枠組を放棄し、「中国化」「再江戸時代化」という概念をキーワードに、新しいストーリーを描きなおす。ポップにして真摯、大胆にして正統的な、ライブ感あふれる「役に立つ日本史」の誕生!<大使寸評>歴史を今の政治経済にまで引き寄せる與那覇さんの着想が鮮やかであり・・・それをまた、読みやすく書く文才が並の歴史学者と違うのかもしれませんね。Amazon中国化する日本このあたりは(その6)で紹介済みなので、まったくの再読になるのだが…ま いいか。p267~270<人権は封建遺制である> 中国社会の怖さ、とはなんでしょうか。おそらくそれは、法の支配や基本的人権や議会制民主主義の欠如でしょう。 私たち日本人は、少なくとも日本国憲法ができて以来、これらの制度をそれなりにきちんとした形で持っているので、それがまるで欠けているように見える中国を、軍事的経済的には超大国になったとされる今でも、どこか「怖い国」「遅れた国」「野蛮な国」と見てしまう癖がついています・・・・こと中国関連となると、チベット/ウイグル地域での民族問題や、高速鉄道事故など「いかにも」なネガティブ・ニュースにばかり飛びついてしまう人が多いのは、その証左でしょう。 しかし歴史的に考えれば、これは逆なのです。 中国というのは本来、人類史上最初に身分制を廃止し、前近代には世界の富のほとんどを独占する「進んだ」国だったわけですから、むしろ、「なぜ遅れた野蛮な地域であるはずのヨーロッパの近代の方に、法の支配や基本的人権や議会制民主主義があるのか」を考えないといけないのです。中国近世の方がより「普通」の社会なのであり、西洋近代の方が「特殊」なんだと思わないといけない。 実は、その理由は簡単に説明できます。西洋型の近代社会を支えるインフラであり、また他の社会と比べてその最大の魅力となっている法の支配や基本的人権や議会制民主主義とは、もとはといえば、どれも中世貴族の既得権益なのです(村上淳一『近代法の形成』)。 俺様は貴族だから、公平な裁判なしに、王様の思惟で処刑されたりしない(法の支配)。俺様は貴族だから、不当に自分の財産を没収されたり、令状なしに逮捕されたりしない(基本的人権)。俺様は貴族だから、自分たちが代表を送った議会で合意しない限り、王様の増税や戦争には従わない(議会制民主主義)…そう、身分制という「」時代に生まれた特権が、実は現在の人権概念の基礎をなしている。 逆にいえば、ヨーロッパ型の近代化とは、このような貴族の既得権益を下位身分のものと分け合っていくプロセスだったわけです。 とすれば、中国にそれらがない理由もまた自明でしょう。だって宋朝の時代に「近世」に入って以来、そもそも中国には特権貴族なんかいなくなったのですから。だから、経済的には成長をとげて西欧諸国と肩を並べるようになったのに、政治の面では全然「西洋化」が進んでいるようにみえないのです。 実際、昨今の経済発展によって形成された中産階級の意識をみても、むしろ共産党の一党制による安定した支配を望む声が強い。<中国化する民主主義> 「なーんだ、やっぱり中国ダメじゃん。経済一流、政治三流じゃん」と思われたでしょうか? そういう日本人こそいい面の皮です。なぜか。実は「近世に貴族が絶滅した」という点では、日本も西欧より中国の方に近いからです。 たとえば、近世大名の城郭は彼の私物ではなく、国家の公共建築です。近世の武士は全員官僚化して城下町に住んでおり、給与も大名から定額を受け取るという形でサラリーマン化しているので、自身に固有のものとしての荘園や領地を持っているわけではない…つまり西洋の貴族に比べて、近世日本の大名や武士は、基本的人権の最大の基礎となるべき財産権がそもそも弱い。 それだけでなく、こうして近世に武士が大名家の行政実務に食い込んで、その運用を通じて自己の利益を守るという選択をし、西欧の貴族(騎士)のように議会を結成して国王に対抗するという道を選ばなかったから、民主主義の基盤となるべき議会政治の伝統がない。行政府依存が強く、立法府に権威がない。そうすると、法の支配の要となるべき、司法の独立性もあやしい。 それでは、なぜ日本は中国と同じような社会に、今のところなっていないのか?…ことらの答えも、本書を読んでこられた方には簡単です。「江戸時代」があったから、「封建制」があったからです。一言でいえば、既得権益や生活保障の担い手として、ムラやイエといった集団が貴族の代わりをしたのです。なるほど、日本には江戸時代という封建制があったけど、早すぎた文明国・中国では皇帝が封建制を許さなかったようです。ここが日中で決定的に違うわけで、中華の民衆たちは、要するに王朝の奴隷という地位に甘んじるしかなかったわけですね。(現在でも、国民は共産党の奴隷状態であるが)それでは、最終章を見てみましょう。このあたりは(その11)で紹介済みなので、まったくの再読になるのだが…ま いいか。p296~297<ポスト「3.11」の歴史観へ> この国の人々が生活の基盤を置いてきた地域という共同体が丸ごと飲み込まれてしまうような大津波の経験、さらあに政府や企業の公的機構では行き届かないケアの不足の中で、ある意味で日本人は初めて、中国のような社会で生きるとはどのようなことかを、理解しつつあるのかもしれません。 そもそも、生活地域が丸々消滅してしまうような洪水、旱魃、疫病等は、地形が比較的平板かつ大河の多い中国では古代から頻繁に起きたことで、だからこそ中国人は危機の時には「一箇所に家族で肩を寄せ合う」のではなく、「宗族のツテを辿ってバラバラに他の土地へ逃げる」選択をしてきました。そして公的政府がほとんど生活の面倒を見てくれず、永続性のある企業共同体も乏しかったからこそ、いざという時は既存の制度や組織ではなく、個人でポンと寄付をしてくれるような「有徳者」のネットワークに望みを託してきた(ないし、託さざるを得なかった) そのような状況にまさに今、日本社会は入っていきつつあります。もともと行き詰っていた「長い江戸時代」の崩壊が、不幸にも大地震という、悲惨な災害によって加速されたことで。 たとえば津波に生産手段のすべてをさらわれてしまった沿岸部はもとより、原発事故による放射能汚染(および風評被害)が拡大する地域において、もはや江戸時代の職分性と同様の「公共事業や規制政策による雇用維持を通じて生活保障を代替する」やり方が、通用しないのは自明でしょう。 ましてこれから「脱原発」を真剣に考えるのであれば、原発産業の撤退による地元経済の停滞、さらんは電力コストの増大による日本全体の産業空洞化がもたらす雇用の減少も視野に入れつつ、いまこそ「雇用に依存しない福祉」を一から作っていかねばならない。 しかし、これまで地域や職場ごとに結ばれてきた絆を失ってもなお、私たちは生きていけるだろうか。あるいは中間集団なき流民と化した国民と、生活の手綱を一手に握る国家とが対峙した時、そこには日本史上かってない専制権力が生まれはしないだろうか。 たとえばこういった問題を探るヒントを、かような状況の大先輩とも言える中国の歴史にも求めながら、われわれは模索を続けていかざるをえない。もはやそこに安易な希望はなく、ただただ陳腐で気の遠くなるような反復があるだけだとしても。 私たちが進歩しているという考え方は、端的にいって間違っていました。そして進歩すれば「正しい答え」が自ずと発見されて、なにひとつ悩む必要の無い理想的な暮らしが実現するという想定は、徹底的に誤っていました。 私たちが生きていかなければならないのは、おそらくは1000年も前に「歴史の終わり」を迎えて変化の止まった中国のような世界であり、そしてそのような社会にいかなる正負の側面があり、なにをなすことが可能でなにをやったら危険なのかを過去の事例から学ぶことこそ、いま歴史というものに求められている使命と確信します。 そして、それこそが自ずと、この国の復興のみでなく、隣国の人々との共生、さらには彼らが置かれている状況の改善にもつながってゆくものであると。日本の未来は、かつて中国で起きたような世界なのか…與那覇先生は夢も希望もないようなことをおっしゃるな~。でも、そんな世界にならないように努力するしかないのかも。『中国化する日本』11
2016.03.09
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普段は天声人語などスルーしている大使であるが、啓蟄にふれている7日の天声人語は春を待つ希望を語っていて・・・・ええでぇ♪2016.3.7天声人語:命ひしめく春により 春告鳥(はるつげどり)がウグイスなら、春告虫はさて何だろう。思いめぐらせばモンシロチョウが頭に浮かぶ。菜の花畑をはずむように飛ぶ姿は、旧仮名で表す「てふてふ」の語感がよく似合う。 冬ごもりの虫が這い出す二十四節気の啓蟄を過ぎて、さらに分けた七十二候では「菜虫化蝶(なむしちょうとけす)」も近い。すなわち青虫が羽化する頃。手元の本にある「モンシロチョウの出現前線」に照らせば、今頃は九州や四国の南部あたりらしい。春風にのって北上の途についたばかりのようだ。 チョウに限らず、春には様々な小さきものがお出ましになる。それら昆虫などが花粉を運ぶことで市場にもたらす価値は、世界で年間に最大66兆円にのぼると、国連の科学者組織が先ごろ発表した。 媒介するのはハチをはじめチョウ、カブトムシなどの昆虫、それに鳥、コウモリなどという。別の推計では、日本国内でも昆虫が農業にもたらす利益は年間約4700億円になるそうだ。恩恵を知れば虫けらなどとは蔑めない。 昨日に続いて生物の話になるが、この星の生きものは確認されているだけで約175万種にのぼっている。知られざる種を含めればはるかに膨大だ。それぞれが人知を超えて結びつき、作用し合って、豊かな生態系を作っている。 生物多様性とは、いわば地球上の「命のにぎわい」のこと。ところが今や、日々100種ほどが消滅しているとも言われる。人類の君臨によるところが大きいらしい。命ひしめく春のありがたさを、春の一日に考えてみたい。昆虫が農業にもたらす利益は年間約4700億円にもなるのか。ドングリ国は現在、梅が満開で、ハクモクレンが3分咲きくらいでおます♪
2016.03.08
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今回借りた5冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば「多文化」でしょうか♪<市立図書館>・働くアンナの一人っ子介護・絵のまよい道・新シルクロード#2・翻訳のさじかげん・日本語大博物館<大学図書館>(3/9まで休館中)図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)************************************************************【働くアンナの一人っ子介護】荻野アンナ著、グラフ社、2009年刊<「BOOK」データベース>より現在、父94歳、母85歳、二人とも要介護4。「嫁入り前」の働く一人っ子はテェーヘンです。【目次】1 船乗りパパとお絵描きママ/2 あっぱれアンリ闘病記/3 働くアンナのドンブラコ半生/4 不死身アンリの人生は続く/5 パワフルママも老いる/6 アンナ流・介護のコツ<大使寸評>船乗りパパとお絵描きママの介護に明け暮れたアンナさんには、逆境を笑い飛ばすような精神的なバネがあるわけで・・・・落ち込んだときに読むと、いいようです♪rakuten働くアンナの一人っ子介護【絵のまよい道】安野光雅著、朝日新聞出版、1998年刊<「BOOK」データベース>より【目次】迷路の入口付近/写実的な絵の立場/写実ではない絵の立場/倉敷のセルリアンブルー/漂白者の夜の歌/イラストレーションとファインアート/おわりに近く<大使寸評>安野さんが、わりと直球で絵画について語っています。横尾忠則もそうだが、安野さんも語ることが好きな画家なんでしょうね。rakuten絵のまよい道絵のまよい道byドングリ【新シルクロード#2】NHK「新シルクロード」編、NHK出版、2005年刊<「MARC」データベース>よりNHKスペシャル「新シルクロード」の第2弾。草原に暮らす遊牧民の文化に触れる。砂漠に埋もれた仏教遺跡を追う。<読む前の大使寸評>シリーズ#2の題材は、「草原の道」と「タクラマカン」となっていて、大使のツボそのもである。砂漠や草原の写真が満載で、さすがにNHKの取材プロジェクトは潤沢で、ええな~♪Amazon新シルクロード#2新シルクロード#2byドングリ【翻訳のさじかげん】金原瑞人著、ポプラ社、2009年刊<「BOOK」データベース>より料理に骨董、三味線に歌舞伎…翻訳しているヒマがない?人気翻訳家の最新エッセイ集。三浦しをん氏との「文楽対談」も収録。<大使寸評>翻訳者という人たちは、日頃から古今東西の言葉や文献にふれているせいか、実に物知りであり薀蓄に溢れているのです。rakuten翻訳のさじかげん【日本語大博物館】紀田順一郎著、ジャストシステム、1994年刊<「BOOK」データベース>より活字からワープロまで。漢字廃止運動からデータベース開発まで。この100年、日本語〈近代化〉に注がれた全情熱の軌跡を追う。埋もれた資料を発掘、豊富なカラー図版で迫る、初の〈日本語大博物館〉。<大使寸評>カラー写真の多い本であり、タイトルに表れた“大博物館”という表現も当たらずとも遠からずでしょう。言語王国の司祭を目指す動きがあったようで・・・新言語創出の魅力(魔力)とでも言うんでしょうか♪<図書館予約:(2/28予約、3/04受取)>Amazon日本語大博物館日本語大博物館byドングリ*************************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き136
2016.03.07
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図書館に予約していた「日本語大博物館」という本をゲットしたのです。荒俣宏著『喰らう読書術』という本に、この本の紹介があり、面白そうなので、図書館に借出し予約していたのです。さっそく、「ひので字」のあたりを読んでみました。p144~150<世界絶無の大作>より いずれにせよ、この種の改革案がおよそ大同小異であることはわかるが、一つ挙げておきたいのは石原忍に直接ヒントを与えた中村壮太郎の「ひので字」である。中村は大正末期に逗子に居住していた実業家で、新国字に熱中するあまり会社をやめて普及に努力したという点、さきに紹介したカナモジカイの山下芳太郎に似ている。ひので字 詳しい経歴は不明であるが、東京文理科大学(現在の筑波大学)を出て、哲学に関心のあった人らしい。彼は昭和10年(1935)、自身の開発になる文字を活字化し、それを用いて『哲学はどんな考え方をするか』という訳書を刊行した。序文によれば、この文字開発のために10年間を費やし、前述の石原忍をはじめ2,3の学者のアドバイスを受け、さらに金子堅太郎ほか278名の協力を得たとあるが、これらは大方彼の刊行していた新聞「カガヤキ」の会員を指すのであろう。 「ひので字」はカナをベースにしたもので、どこかロシア文字に似ている。彼はこの文字を用いて前述の哲学啓蒙書を訳出したわけだが、最初のほうのページにはふりがなをつけ、読者が慣れるであろう後半部分はそれを省くという方式をとっている。これだけのものを自費出版したのであるから、相当なコストであったろう。 ちなみに「カガヤキ」紙上にはSF作家海野十三の弟子筋にあたる蘭郁二郎も寄稿しており、「漢字の冗漫を廃して美の潤いを失わぬ程度に簡略化」することが、新国字の条件であるなどと発言している。このほか戦前には中原東吉という弁護士の『国字改良論』(1937)などもあるが、総じて戦火の拡大とともに忘れられていった。 戦後は国語改革と義務教育の進展により、この種の極端な動きは影をひそめたが、言語王国の司祭たらんとする情熱は途絶えることなく、昭和44年(1967)には堺市の東條博という人が『新国字として考案された“やまともじ”と新しい観点よりみた国語音声』という、A5版98ページほどの冊子を出している。これはローマ字やカナをベースに速記風書体を作り、母音が子音と結合するさいには横転させるなど、ユニークな工夫がなされているが、やはり違和感があることにかわりはない。言語王国の司祭を目指す動きがあったようで・・・新言語創出の魅力(魔力)とでも言うんでしょうか♪画期的なワープロ第1号機であるが、大使はその高価な実物を見たことがないのです。p274~282<ワープロ第1号機への賞賛と反発>より 「JW-10」という機種名もきまった。一般への発表は1978年秋のデータショウにおいて行われ、その年の12月に発売となった。価格は630万円。 初の日本語ワードプロセッサのオフィス革命にもたらした衝撃の大きさについては、あらためて述べるまでもないだろう。ここでは日本語に対する影響を考えてみたい。ワープロ登場のころ、賛辞とともに多かったのはさまざまな形での反発であった。 作家の渡辺淳一に代表されるように、便利なものだが、小説はペンで書くものだから…という拒絶反応からはじまり、なかには漢字の筆順を覚えないなどのおそれがあるため、ひいては日本文化を破壊するという論理を唱える向きもあった。速記者が、自分たちの仕事が不用になると思いこむような“職業的な反発”も目立った。 森の言にまつまでもなく、今日これらの反発はほとんど根拠のないものであったことが立証されている。むしろ彼は小学校高学年でワープロを作文教育に採りいれようというような動きに躊躇を示しているほどだが、現場の教師にいわせると中学年以上の作文教育の窮屈さ(字数の制約など)を軽減するのに役だっているという。 最近はワープロ使用の詩人に表現力の衰えが目につく傾向が出てきたことが指摘されたが、これについて森は「複数の表現のいずれかを採るかという場合、手書きにすれば、線によって抹消しても半ばは見えるわけで、ワープロのように完全に抹消されるわけではない。見えるように消すことで、より一層推敲を重ねることができる。たしかに従来のワープロではこの“見え消し”の機能を考えていなかったが、これは簡単に実現できる」と答えている。 ワープロは日本語処理の効率化により、これまでの国語国字問題にも変化をもたらした。カナ文字論やローマ字論のねらいの多くの部分が事務処理の能率向上にあったとすれば、その限りにおいて根拠を失ったことになろう。現にカナ文字論を唱える産業人は跡を絶ったようだが、しかし、これらの論の本質はすでに述べた通り、表記そのものの改革を通じて日本語の表現上の制約から離脱しようとしている以上、ワープロの進歩とは無縁の位置にある。 ワープロは日本語を手書きより早く、能率的に扱うという当初の開発目的を果たし終えた。現在は辞書の語彙空間の充実による、多様で豊かな表現が課題になっている。【日本語大博物館】紀田順一郎著、ジャストシステム、1994年刊<「BOOK」データベース>より活字からワープロまで。漢字廃止運動からデータベース開発まで。この100年、日本語〈近代化〉に注がれた全情熱の軌跡を追う。埋もれた資料を発掘、豊富なカラー図版で迫る、初の〈日本語大博物館〉。<大使寸評>カラー写真の多い本であり、タイトルに表れた“大博物館”という表現も当たらずとも遠からずでしょう。言語王国の司祭を目指す動きがあったようで・・・新言語創出の魅力(魔力)とでも言うんでしょうか♪<図書館予約:(2/28予約、3/04受取)>Amazon日本語大博物館
2016.03.06
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図書館で借りた『絵のまよい道』という本を読んでいるのだが・・・・安野光雅さんが、わりと直球で絵画について語っています。横尾忠則もそうだが、安野さんも語ることが好きな画家なんでしょうね。この本で、(大使のツボのような)スーパーリアリズムとか挿絵を見てみましょう。まず、ワイエスのスーパーリアリズムから。p42~45<三人の画家>より はじめ、古典かもしれぬ、それにしては見たこともないと思っていたそれが、現代の作品だったことは二度驚いたようなものだった。ワイエスは、奇しくも巡り合ったこの絵のモデルを通して「古き良きアメリカ」を描こう、それはつまり「古き良きアメリカ」という「抽象概念」を描くことになる、と考えたらしい。 ワイエスは一枚の絵に長い時間をかける。これほどの作品は年に二枚くらいしか描かない。描いているところを人に見られたくないなどといい、愚直なまでにアメリカの田舎を描き、ヨーロッパの風景にあると人のいう「深み」を訪ねようとはしない。深みならアメリカの田舎で充分だという。 日本にだって「深み」がないわけではないのに、わたしは外国旅行をしながら絵を描いているため、ワイエスのことを思うと、やや忸怩たる思いがしてくる。先に「古典かもしれぬと思った」というのは、ものの順序として、「愛国者」は印象派よりも前の作品だと想像していたのだが、むしろ後の作品だった、という意味である。 ワイエスの父N・C・ワイエスは交通事故で亡くなった。父は「美術界が逆転したから、わたしのようなリアリズムの時代は二度と帰ってこないだろう」と落胆していた。 ワイエスは、むしろチャンスだと考え、リアリズムの筆を休めようとはしなかった。図録に収録されている「わたしは一人だった」という彼の言葉は印象的である。はじめは一人だった。しかし今ではリアリズムの立場をとる画家がたくさん出てきた。それはワイエスの作品の牽引力だといっていいほどである。「今日では、抽象画家が保守的で、わたしは最前衛になっているようです」と彼は言う。 絵を見て、「空気が描かれている」とか「いない」などという言葉で批評されることがある。「どうやって空気を描くんだ、そのような批評をされると困る」と弁護したくなることがあるが、ワイエスの場合にかぎり、空気が描かれていると感じるから不思議である。 この文章を書くにあたって、古い図録を捜し出した。わたしはいつの間にか、ワイエスはあの「愛国者」のような顔の人とばかり思いこんでいた。わたしとしたことが、これは明らかな早合点で、あの「愛国者」のモデル氏はラルフ・クラインという名の、その絵のとおりの人物であり、図録に載っているワイエスの写真は、まったく普通の、ただのアメリカ人にしか見えないのだった。 だから、がっかりしたのは事実だが、しかしこれは、いいがかりにも似た言い方で、まったくワイエスの責任ではなく「あの写真の撮り方の問題だろう」と言っておいたほうが無難かもしれない。 現代絵画の一つのあり方として、スーパーリアリズムという表現が一時はやったことがある。これは抽象絵画の反動というより、むしろ余波、あるいはそれを卒業した成果、のようにして生まれた。そして写真でしか再現できぬほどのリアリズムに挑戦した作品群が一時話題になった。 ワイエスの仕事はスーパーリアリズムと同じには考えられないが、美術史が一度立体派やダダイズムの試練を経た後の、リアリズムだとはいえるだろう。 絵の話をしていると「自由に描くことが大切で、遠近法やデッサン力などは二の次だ。絵は実物に似る必用はない」というような言い方になりがちであり、わたしもしばしばそのような言い方をしてきた。しかしそれをいう場合、いつも必ず「では、ワイエスははどうなんだ、野田弘志(古いともだち、世界でも珍しい超・写実的な仕事をしている。『朝日新聞』の連載小説『湿原』加賀乙彦の装画を描いたときは大変な評判となった)はどうなんだ」と自問している。小村雪岱の挿絵が語られています。p200~201<挿絵の時代>より 挿絵のことを書くのに、小村雪岱のことを忘れるわけにはいかない。といっても今は知る人ぞ知る方だから、年譜を要約するが、17歳のとき東京美術学校選科に入学して下村観山教室に学び、肖像画の仕事の関係を通じて泉鏡花を知る。31歳より5年間資生堂意匠部に所属、この頃から新聞雑誌の挿絵の仕事が多くなる。その後、舞台装置、演劇の時代考証などを手がけた。 多彩な仕事ふりだが、挿絵には浮世絵の伝統をふまえ、しかも新しい世界に独特の境地を拓いた。 たくさんの仕事の中で、わたしが一番好きなのは、1934年9月から『読売新聞』に連載された邦枝完二『お伝地獄』の挿絵である。余談だが、県立神奈川近代文学館で97年秋、「文学の挿絵と装丁展」がひらかれた。そのポスターをわたしがデザインした。そのとき雪岱の『お伝地獄』から、入れ墨をしている場面をアレンジした。小さい絵がポスターほどに拡大されても迫力があるというのは注目していいところである。お伝地獄 先に「浮世絵の」と書いたが、浮世絵の人物は一般に喜怒哀楽の表情がなく、人形のようにポーズだけしていることが多い。雪岱の人物もそうで、表情はポーカーフェイスである。これをいまの多弁な劇画にくらべれば古く感じられるかもしれないが、たとえば文楽の人形のように表情は一つでも、いや、だからこそ見る者の心に感情が伝わるような意味もある。 このあたりのことを、本間正義は雪岱の手記の中の次のことばを引いて述べている。 雪岱は「私の描く人物には個性がありません。個性のない人物。これが私の絵の特徴で、同時に私の最も非難される点です。しかし私としては個性を描出することには、興味が持てないのです」。そして「写生と写実には興味が持てないのです」ともいう。 本間正義は「そもそも絵というものは、ある瞬間を凝固させるように表現するものであって、そこにエネルギーを集中させ、密度をこめることに、長い歴史を刻んできたのだといえる」と考えるが、しかし雪岱は違う。「動きの中の能面のように、時の流れにそい、空間にスライドする時空の変化を予測させるようにあらわれる軽妙な美しさを考えているのだと解釈される」という。小村雪岱の人となりについては日本橋檜物町という本がお奨めです。【絵のまよい道】安野光雅著、朝日新聞出版、1998年刊<「BOOK」データベース>より【目次】迷路の入口付近/写実的な絵の立場/写実ではない絵の立場/倉敷のセルリアンブルー/漂白者の夜の歌/イラストレーションとファインアート/おわりに近く<大使寸評>安野さんが、わりと直球で絵画について語っています。横尾忠則もそうだが、安野さんも語ることが好きな画家なんでしょうね。rakuten絵のまよい道
2016.03.06
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図書館で『新シルクロード#2』という本を手にしたが・・・・シリーズ#2の題材は、「草原の道」と「タクラマカン」となっていて、大使のツボそのものである。砂漠や草原の写真が満載で、さすがにNHKの取材プロジェクトは潤沢で、ええな~♪ヘディンやスタインにふれているところを、見てみましょう。<謎の王国・幻の廃墟>よりp147~150「その国は豊かで人民の生業は盛んである。人々はみな仏法を奉じ、仏法を味わって喜びを楽しんでいる。僧侶はなんと数万人もおり、多くは大乗学である。(菩薩緒天)はみな、金銀や玉細工で虚空に懸かっている。(寺の)梁や柱、扉や窓は、みな金箔をはってある。別に僧房を作ってあり、これまた荘厳に美しく飾られて、とうてい言い尽くせぬほどである」(『法顕伝・宋雲行紀』東洋文庫) 5世紀初頭にホータン王国を訪れた僧・法顕の見聞録である。法顕はインドへ経典を求める旅の途中、パミール高原を越える手前のこの土地に3ヶ月の間逗留した。彼の記述からは、仏教が人びとの日常生活に深く根をおろしていたことが裏付けられ、また、豪華絢爛な仏教美術が彩った王国繁栄のさまがうかがえる。 また時代は下って7世紀、法顕同様にインドを目指した玄奨三蔵も、その帰途でホータンに立ち寄っている。 (中略) 砂漠の中の仏教王国。それがホータン王国だった。しかし、その実像について迫ろうとすると、今は手がかりがほとんど残されていない。 イスラム教がこの地で信仰されるようになってから、法顕や玄奨が記した寺院の多くは、イスラムの聖地などに変わってしまったか、あるいは破壊されてしまっているからである。また、かつてホータン郊外のオアシスにあったと思われる寺院をはじめとする仏教遺跡は、急速な砂漠化のため、流砂に飲み込まれてしまったのだ。 そうした中、ダンダンウィリクは王国の巡礼地だったと考えられ、この謎の王国に輪郭を与える数少ない重要な遺跡だった。 ダンダンウィリクには、1896年、スウェーデンの地理学者スウェイン・ヘディンが到達している。ヘディンは短時間しか滞在しなかったために、この廃墟の性格や年代などについては何ら確証を得られなかったが、粘土や陶土でつくられた小型の仏陀・菩薩像のほか、いくつかの行政文書を発見した。 この成果が後年、イギリスの考古学者オーレル・スタインを刺激する。スタインは、特にブラーフミー文字というインド系の文字でつづられたホータン独自の言語で書かれた文書を見るや、ホータンでは、インドやペルシャの文明の影響を受けながらも、独自の文化が育まれていたのではないかということを直感する。 1900年10月、ホータンのオアシスに着いたスタインは、豊富な経験を持つ「宝捜し」屋に出会う。彼らから、ダンダンウィリクが「象牙の家」という意味の秘宝の眠る廃墟と聞き、また彼らが「象牙の家」から持ち帰ったブラーフミー文字が記されたフレスコの破片や、仏具を描いたレリーフの断片を見て、ついにダンダンウィリク行きを決意するのである。 スタインは、およそ半月をかけてダンダンウィリクの調査を敢行する。遺跡の広さはおよそ2キロ四方。約半月の滞在ではあったが、彼はそこで14の建物を発掘した。そのうち多くの遺構が寺院だったことがわかり、彼はここがホータン王国の特別な巡礼地、聖地だったと結論づけた。 スタインが持ち帰った唐の時代の文書や奉納板絵などは、それまで謎とされていた王国の歴史に光をあてた。奉納板絵は、信者が寺院にお参りにきた際に寄進する、いわば信仰の証ともいえるものだ。この板に描かれた図柄は、7世紀に玄奨が『大唐西域記』に記した王国の伝説に合致するものだった。 その最たるものが「蚕種西漸図」(大英博物館蔵)と呼ばれる板絵である。縦12センチ、横46センチの細長い板に、侍女と王姫と絹の神などが描かれ、侍女が王姫の冠を指しているという構図だ。これは、中国・漢の時代にホータンに伝わった絹の製造法の伝播を表す伝説を描いたものだという。蚕種西漸図 当時、絹の製法は中原の王朝にとって国外不出のものだった。自国の産業保護のためである。ホータン王は、中原から嫁いでくる姫に、蚕と桑の実をホータンにもたらしてくれるよう懇願する。その願いを聞き入れた姫によって、ホータンに絹の製法が伝わり、その後の東西交易で繁栄していく礎が築かれたというホータンの伝説である。スタインの手によって、この伝説がビジュアルに伝えられることになったわけだ。絹の伝播にまつわる伝説・・・いかにもシルクロードそのものですね♪【新シルクロード#2】NHK「新シルクロード」編、NHK出版、2005年刊<「MARC」データベース>よりNHKスペシャル「新シルクロード」の第2弾。草原に暮らす遊牧民の文化に触れる。砂漠に埋もれた仏教遺跡を追う。<読む前の大使寸評>シリーズ#2の題材は、「草原の道」と「タクラマカン」となっていて、大使のツボそのもである。砂漠や草原の写真が満載で、さすがにNHKの取材プロジェクトは潤沢で、ええな~♪Amazon新シルクロード#2
2016.03.05
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日曜日の朝日新聞に読書欄があるので、ときどき切り取ってスクラップで残していたのだが、これを一歩進めて、無料デジタル版のデータで残すことにしたのです。・・・・で、今回のお奨めです。・南シナ海・帝国日本の生活空間***************************************************************【南シナ海】南シナ海より<長い時間軸で示す、不測の危険:吉岡桂子(本社編集委員)> 岩礁を埋め立て滑走路を造り、地対空ミサイルなどを展開して「軍事拠点化」を進める中国。秩序への挑戦に「航行の自由」を掲げて軍艦を派遣する米国??。「小さな岩や暗礁」の連なる南シナ海が、中国の「野心」と米国の「戦略的意志」とがぶつかる場所となったのはなぜか。 本書は、この地域をめぐる先史時代から今にいたる覇権の歴史を、国際法、資源、ナショナリズム、外交、軍事とあらゆる角度から解説する。原著が出版された2年前よりさらに緊張が高まるなか、長い時間軸で考えるための材料がもりこまれている。 国境や所有の意識を持たない海の遊牧民がかつて、インドから遠くマダガスカルまで海洋ネットワークを築いていた史実を説き起こす。沿岸の国々が主権国家として国境の意識を強め、領有権を主張しあう紛争が増えたのは、20世紀以降のことだった。 「古代から中国に属する」とする、中国が領有権の主張で必ず持ち出す「神話」をまず、否定する。あわせて、それが必要な彼らの事情を指摘する。国内政治では共産党支配の正統性と一体化しているうえ、米中の力の差が明白なうちは「中国脅威」論が実力以上に国力を大きくみせる価値ある戦略とも考えられているからだという。 米中「二大勢力」の対立の深まりと、地域内の領土紛争との「相互作用」がもたらす予測できない危うさへの懸念が、くりかえし示される。 著者は、ベトナムやミャンマーで報道に携わった経験を持つジャーナリスト。米中の間でかけひきする東南アジアの国々の微妙な立場の差や、対立にむしろ利益を求める政治家や軍需産業の動きもエピソードをまじえてつづる。 中国が英語を訳してつけたとされる島の名前も興味深く、地図を拡大コピーして手元に置いて読んだ。それでも、世界を揺さぶる「島々」は黒い点のようだったが。 ◇ビル・ヘイトン著、河出書房新社、2015年刊<「BOOK」データベース>より境界線と領有権の「なぜ」を詳説!人工島の拠点化、緊張する周辺国、衝突の危険と不測の事態。「南シナ海の歴史」は「世界の歴史」であり、その未来は世界の関心事だ。ここで起こることは世界の未来を決めることになる…歴史、国際法、資源、政治、軍事など、あらゆる角度から解説する必読書。<読む前の大使寸評>吉岡桂子委員が選んだ、政治、軍事、神話にも注目した本である・・・・新たな冷戦を阻むヒントになればいいんだが。朝日デジタルの書評サイトに載る前に図書館に予約したが、先客が7人もいました。<図書館予約:(3/01予約済み、副本0、予約7)>rakuten南シナ海【帝国日本の生活空間】帝国日本の生活空間より<ささやかな日常で描く世界地図:五十嵐太郎(建築批評家・東北大学教授) > 人とモノが激しく移動し、文化が混交・変容していく、ダイナミックな世界地図が浮かびあがるような研究だ。が、グローバリズムの現代を分析したものではない。これは20世紀前半の大日本帝国に関する歴史学である。 まず近代に朝鮮と台湾からの多数の労働者や留学生が日本で暮らし、西洋の知を習得する拠点となった一方、日本が植民地のほか、アメリカ大陸やハワイに多くの移民を送りだしたことを確認する。また東京の観光ツアーを通じて、西洋人には近代性、植民地下の民族には軍事施設、そして日本人には皇居、明治神宮、靖国神社などの帝都の名所を誇示していたという。 本書の醍醐味は、大きな歴史としての政治ではなく、住まい、家具、衣服や靴、ふるまい、食品など、一見ささやかな日常生活に密着した文化から帝国に発生した複雑なネットワークを描いた点だろう。 例えば、西洋、アジア、そして日本の過去に対する三重の意識が反映された洋館。大正時代に流行し、アジアにも影響を与えた世界水準としての「文化住宅」。床座と椅子座がせめぎ合うなかで仲介的な役割を果たした、熱帯から生まれた籐椅子。公の場で靴を脱がず、西洋性を体現した天皇と、日本の草履が戦後に白人サーファーのゴム草履となり、それが日本に導入されたエピソード。世界の食卓に広がった味の素や、沖縄人の豚肉とアメリカ軍の関係。めまぐるしく場所を越境していく手法は、歴史記述の実験も試みている。 とくに1908年前後に環太平洋を様々なルートで往来したバンガローの住文化を扱う第3章は、50の断片的なテキストを連鎖させながらちりばめていく。 著者はアメリカで教鞭をとる日本近代史の研究者だ。本書の射程は、日本とアジアだけではなく、アメリカとの関係にも及ぶ。そうした視点が、空間と時間の枠組みにさらなる広がりを与えている。 ◇ジョルダン・サンド著、岩波書店、2015年刊<「BOOK」データベース>より上流階級の「洋館」生活を売り物にした大衆メディア、「味の素」(グルタミン酸ナトリウム)の世界への普及、バンガロー式住宅の移入、「文化生活」言説と「文化住宅」、床座と椅子座の交差と籐椅子の伝播、海外植民地から帝都東京への「内地観光」など、知識、もの、人の流通回路を通じて、帝国が引き起こしていた不平等な出会いと差異の構造を明らかにする意欲的論考集。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(とりあえず、予約カートにいれておこう)>rakuten帝国日本の生活空間**************************************************************<asahi.comのインデックス>最新の書評を読むベストセラー解読売れてる本朝日デジタルの書評から84
2016.03.04
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<今日はひな祭り>天候不順な如月が過ぎ、立春も過ぎ、今日はひな祭りですね♪わが家では孫娘も1歳2ヶ月となり初節句を祝うことになります。子供に酷い時代とあい成ったが、憂き世であっても、せめて人並みに祝い事を構えることの幸せをかみ締める昨今でおます♪OECD諸国の中で、子供の貧困が最も際立つニッポンでは・・・選挙前に1回こっきりのカネをばら撒くような、カネで弱者の頬を張るような体たらくの世直ししか思いつかないとか。いくら安部さんが言い繕っても、政治の劣化は目を覆うばかりで、風呂の中で国民を茹で上げるようなお代官様は、いつもながらのtoo little,too lateの他力本願の極楽トンボ状態にあるのです。また、政権党の恫喝が効いたのか、日本の報道の自由度は、韓国よりも低い61位とか(ヤレヤレ) 更に、昨今では中国人が日本に入国して、ハッキング用のサーバー管理を生業にしているとか・・・公安は、国民監視よりも、こういう中国人を摘発するのが本来の仕事ではないか!おっと、愚痴はこれくらいにして・・・・這えば立て、立てば歩めの孫バカぶりではありますが、おかげさまで孫娘は、もう立ち歩きを始めていて、順調な発育経過を見せております。
2016.03.03
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図書館で『動物たちの生きる知恵』という本を手にしたのです。動物たちと先端技術との関係を物理学、工学のセンスで説いているのです。これが大使のツボを突くわけで・・・・ええでぇ♪【動物たちの生きる知恵】ヘルムート トリフッチ著、工作舎、1995年刊<「BOOK」データベース>よりダム作りの名人ビーバー、空調システムつきの砦を築くシロアリ、ロータリーエンジンの考案者バクテリアなど、進化の過程を経てエコロジカルな生態を育んできた動物たちと先端技術との関係を明快に解く。<大使寸評>動物たちと先端技術との関係を物理学、工学のセンスで説いているのです。これが大使のツボを突くわけで・・・・ええでぇ♪Amazon動物たちの生きる知恵この本は読みどころが多いので、(その3)として読み進めました。p300~303<鳥たちは何を見る?> ここ数十年、レーダー観測や、プラネタリウムをつかう実験、あるいは標識をつけた鳥や魚を追跡する実験のおかげで、大移動の謎も少しずつほぐれてきています。まず、渡り鳥は天体を見て飛んでいることが証明されました。そのきっかけとなったのがザウアーとクラマーの観察です。渡る時期の鳥を大きな篭に入れ、太陽や星をちらりと見せたら、鳥たちはいっせいに篭の中を動いて、旅立つ方角の桟にとりついたのです。その後ザウアーたちは、星空をいっぱいに映したプラネタリウムの中に鳥を放したり、鏡に写した星空を見せたりする実験で、渡り鳥が太陽や星をガイドにしていることをはっきり証明しました。では、天体を見てどうするというのでしょう? 伝書バトも太陽を見て方角を知るようです。それに、生活のリズムを1時間狂わせると方角をほぼ15度だけまちがえるので(15度は1時間に太陽が動く角度)、なかなか精度のいい体内時計をもってもいるらしい。けれど、東西南北がわかり、時計をもっているだけでは十分とはいえません。 自分が今どこにいるか判断できないと、1000キロも2000キロも先から鳩舎には戻れはしないはず。そこでケンブリッジ大学のマシューズは、伝書バトは太陽を見たらその軌道も計算して、南中するときの高さを(つまりは緯度を)はじき出すのではないか、と推測しました。が、ハトがどんなに賢くても、たぶんそこまでは無理でしょう。 方位を知るだけなら、地磁気も助けになります。地磁気はたいへん弱いので、よほど敏感なセンサーが必要になりますが、ともかくセンサーがありさえすれば方向決めに利用できましょう。たとえば、伝書バトの磁気感知能力を乱そうと、軽い磁石を体にしばりつけて飛ばす実験をウォルコットとキートンがやってみたところ、晴れた日には太陽が目印になるのでコースのまちがいはしなかったものの、曇りの日にはコースをまちがえることがあったので、そういう磁気センサーを伝書バトはたしかにもっているようです。 どんな器官が磁気センサーになっているかは、まだわかっていませんが、伝書バトのほかには、コマドリやミツバチも磁気センサーをもっているらしい。とはいえ磁気センサーは、東西南北はわかっても、自分の居場所を知るのにはほとんど無力でしょう。(中略) それなら、鳥はいったい何をナビゲーションの助けにするのでしょうか?今まで誰も思いつかなかったようですが、ひょっとすると鳥たちは昼間でも星が見えるのではないか、と私は想像しています。 昼間の空一面が輝いてみえるのは、大気中のチリが太陽光を散乱して、私たちの目にそういう散乱光が四方八方から飛びこむせいです。大気圏外なら光の散乱はないので、人工衛星から見た風景は、どんな時刻でも一面の星空になる。同じように、ものすごく深い井戸の底から見上げれば、横からの散乱光がカットされて、昼間でも星が見えます。つまり、散乱光さえうまくさえぎれば、晴れた日なら昼間でも星が見えるのです。 では、鳥の目はそんなつくりになっているのかどうかが問題になりますが、どうもそうらしい。(中略) もちろんこれはまだ想像の世界で、鳥のナビゲーションひとつとっても、まだ謎だらけです。聴覚はよくても視力や嗅覚があまり頼りにならないクジラの大回遊もほとんど謎のままですし、魚たちやウミガメの長距離移動も、今のところさっぱりわかっていません。回る器官が発見されていたそうです・・・・びっくりやで。p109~111<回る器官> 手足がつけ根でぐるぐる回る、そんな動物はいません。機械でいうと保守と修理が問題だから、つまり栄養を送りこんだり老廃物を除いたりができないからです。血のかよった回転部品は、どうやってもつくれない。けれども、自動車のタイヤのように、血がかよわなくていいのなら、回る器官もできるはず。 現実にそんな器官をもつ生き物がいます。チリの磯に棲むイソハマグリ科の二枚貝には、妙なつくりの胃があって、胃の中につっこんである棒が、繊毛のはたらきでぐるぐる回るのです。長さ2センチで太さが2ミリほど、結晶質でたいへんかたいこの棒は、飲みこんだプランクトンの外皮をこわすのにつかいます。チーズかくはん棒というか、乳鉢・乳棒のセットというか、こんな器官も発明していた自然の技には、ただもう恐れ入るばかり。 この本を書いている最中に、モーターそっくりの器官がバクテリアで見つかりました。自然が発明したほんものの回転器官として、確認されたのは初めての例です。主役のバクテリアは、名前はたぶんおなじみの大腸菌。長さ2ミクロン、太さ1ミクロンほどの小さな細長い生き物で、水の中では1秒間に体長の20倍くらい泳げます。 かりに人間が1秒間に体長の20倍を走れるなら、時速は120キロ! たいしたスピード狂で、私などはこういうところにすぐ目が行ってしまうのですが、まあふつうの研究者は興味がないんでしょう、論文にはひとことも書いてありません。 冗談はさておき、大腸菌は、べん毛を波うたせて泳ぎます。ずっと大きい単細胞生物や多細胞生物にも、べん毛で泳ぐ連中がたくさんいる。推進の原理は、ウナギが全身をくねらせて泳ぐのと同じです。ウナギとちがうのは、動力を生みだすしくみがべん毛自体にはないところ。フラジェリンというタンパク質分子がつながり合っただけの、太さ0・01ミクロンの糸ですから。つながりを超音波でこわしても、分子たちはまたひとりでに集まってべん毛をつくるのがおもしろいところ。 泳ぐ大腸菌を一匹だけいつも視野にとらえる特別な顕微鏡で見たら、べん毛が、なんと船のスクリューのように回っているのがわかりました。べん毛自体はとうてい見えないのですが、特殊な生体物質をぬった小さな板をべん毛にくっつけて、動きをめに見えるようにできるのです。この板の回転方向と、体の回転方向をよくよく調べたら、べん毛が根元でぐるぐる回っているのが確かめられたというわけです。(中略) ともかくこれは、生物学の一大発見といえましょう。連結器、回転子、ベアリング、動力伝達装置の完璧にそろったロータリーエンジンを、動物界はとうの昔につくり上げていたのですから。p313~314<訳者あとがき>より 原題をWie das Leven leven lernte―Physikalische Technik in der Natur(生物は生きる術をどうやって学んだか―自然界の物理技術)という本書は、生物のすばらしいつくりや機能を、環境がつきつけた物理・化学条件に注目して解き明かした本です。鳥は空を飛ぶのに人間は飛べないとか、アメンボが水に浮くとか、よく考えれば不思議な現象のあれこれを、わかりやすく説明しています。 カッコウの雛は、さっさと旅立ってしまった親を追ってまちがいなく何千キロの空を渡る・・・。どこかで耳にはしても深く考えたことはないこうした話の謎ときは、なかなかおもしろいものです。なお邦題は、登場する生き物のうち多数派の顔を立てて、『動物たちの・・・』としました。 著者ヘルムート・トリブッチは、もう25年ほど「地球の未来を支えるのは太陽だけ」と確信して太陽光エネルギー変換にのめりこんでいる研究者であると同時に、自然と人間とのかかわりをとことん考える哲学者でもあります。1968年にミュンヘン工科大学で学位を得たあと、カルフォルニア大学のカルビン教授(61年ノーベル化学賞)の研究室にしばらく滞在してクロロフィルの研究をしました。ふつうの人なら定職につくところ、滞在研究を切り上げてすぐに、本書冒頭にあるとおり、南米をぐるりと旅して自然観察を続けました。その産物のひとつが本書、もうひとつの産物が、古代遺跡の謎にせまる『蜃気楼文明』(工作舎、1989年)です。 生物のはたらきを紹介した本は世にあふれていても、私たち人間の科学技術との関係にまで踏み込み、さらには応用についても考えをめぐらす、そんな本はめったにありません。物理学と化学をすみずみまで知りぬいている著者ならではの快作だといえましょう。『動物たちの生きる知恵』1『動物たちの生きる知恵』2
2016.03.02
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図書館で『動物たちの生きる知恵』という本を手にしたのです。動物たちと先端技術との関係を物理学、工学のセンスで説いているのです。これが大使のツボを突くわけで・・・・ええでぇ♪【動物たちの生きる知恵】ヘルムート トリフッチ著、工作舎、1995年刊<「BOOK」データベース>よりダム作りの名人ビーバー、空調システムつきの砦を築くシロアリ、ロータリーエンジンの考案者バクテリアなど、進化の過程を経てエコロジカルな生態を育んできた動物たちと先端技術との関係を明快に解く。<大使寸評>動物たちと先端技術との関係を物理学、工学のセンスで説いているのです。これが大使のツボを突くわけで・・・・ええでぇ♪Amazon動物たちの生きる知恵体の丈夫さには、最先端の工学的知見が反映されています。(最先端の工学的技術は、体の丈夫さを追っているというべきか)p54~58<体の丈夫さ> 木の幹も草の葉も、外力を受けたときの強さは、ヤング率(E)と慣性モーメント(I)をかけ合わせた値の大小で決まります。弾性が小さいほど、そして材質が中心にまとまっていないほど、曲げにくくて強い。自然界にはそんな構造がふんだんにあります。とりわけ、重さを支える部分は、できるだけ慣性モーメントの大きい構造になっている。 植物の茎がたいてい中空なのは、材料を節約するとおともに、曲げに強くするためです。植物では花の根元、イネやムギの茎、タケなどがそうだし、動物ならたとえば鳥が、中空のパイプ構造を骨や羽軸につかっている。ほかにも数えきれないほどの例があります。もうひとくふうして、ところどころにリング状の節をつけ、パイプ構造の強さをぐっと上げているのがタケやヤナギの茎。 天然ガスや原油を運ぶパイプラインは、よく針金をらせん状に巻いて補強してあります。自然界でも、珪藻の体とか、昆虫の気管、植物の導管がそんな形をしている。こうすると圧縮や引っ張りに強くなるのです。山岳地や極地近くの、暴風にさらされたり大雪をかぶったりする場所の木には、幹の繊維がらせん状にねじれたものがあって、ときには繊維の向きが鉛直方向から30度もずれています。これも外力に抵抗する戦略のひとつ。 たとえば熱帯のフタバガキ科の巨木が、柔らかい沼地の上で体を支えるために、地上数メートルあたりから地面へ向け、四方へテントのように張っている板根がそのひとつ。周辺もT字形に広げ、慣性モーメントを大きくして折れにくくしているのです。植物たちはそれぞれ伝家の宝刀を抜き、できるだけ高い場所に葉を茂らせて太陽の光をいっぱいに浴びようと競い合っているのです。 見かけが板のような、あるいはお椀のような構造も、くふうしだいで強くなる。表面を波形にした昆虫の羽は、なかなか変形しません。トンボの羽がしっかりしているのは、ひだ構造だから。バッタの羽も似ていて、扇のようにたためます。ヤシやシュロの広い葉も同じ。軟体動物の殻にも、強度を上げるくふうの歴史がきざまれています。貝殻の表面をよく見ると畝のように波うっていますがこれでぐんと強くなるのです。流体力学に出てくる摩擦とかレイノルズ数が、動物たちの形を決めたようです。p79~82<摩擦とのたたかい> 水中を泳ぐ、地面を走る、空を飛ぶ・・・そういうときはいつも、摩擦力とのたたかいになります。まわりから水や空気の分子がぶつかってきて、動きにブレーキをかけるからです。水や空気のような物質を流体といいます。流体の中ではたらく物理法則は流体力学という学問で扱いますが、生き物たちは、なるたけ速く、省エネで動こうとして、流体力学を完璧なまでマスターしました。魚雷そっくりな魚の体つき、紡錘形の鳥の体、ヒョウやチータのスマートな体形は、その成果なのです。 動物が流体の中を動くとき、流体の分子が通り過ぎてゆく速さは、体表面に接したごく薄い層(境界層)の中でがくんと変わります。体そのものの上では、分子は表面にぴたりとくっついているので速さはゼロ。表面から離れるほど速さは増して、数分の1ミリも離れてしまえばもう最高の速さになる。 体表面のそばほど流れが遅くなるのは、分子どうしに引き合う力がはたらくからで、これが摩擦力を生むのです。流体の粘性が大きいほど、分子の引合いが強く、境界層は厚くなる。体が流体から受ける抵抗の大きさは、まず第一に、この境界層がどんな状態にあるかで決まります。境界層の中で流体の分子が体の表面に平行にすーっと流れている、そういう流れを層流といいます。いっぽう、分子がてんでんばらばらに動き、ミクロな渦がたくさん発生しているなら乱流です。乱流の中では分子どうしがぶつかり合って、運動エネルギーが熱に変わってしまう。だから乱流ができると、こういうエネルギー損失のせいで、動きにブレーキがかかるのです。 境界層が層流になるか乱流になるかを決める要因は、三つあります。表面の広さ・形と、流体の粘度、流れの速さです。形がまったく同じ(相似形)でも、サイズがちがえば物体のまわりの流れは変わります。流れのようすを表す便利な量に「レイノルズ数」というものがあって、レイノルズ数が同じなら、流れはだいたい似ていると考えてよろしい。レイノルズ数は、流体に接した物体の長さと、流体の密度、流れの速さ、以上三つをかけ合せ、それを流体の粘度で割った値です。 たとえば体長10センチの魚が秒速10センチで水中を泳ぐとき、レイノルズ数はおよそ1万になります。体長が2センチの小魚なら、秒速50センチで泳ぐときにレイノルズ数がやはり1万で、体のまわりにできる流れの状況はさっきとだいたい同じ。あるいは、体長10センチの小鳥が秒速1.4メートルで飛ぶときと、トンボが秒速15メートルで飛ぶときで、レイノルズ数はほぼ同じになる。体形がひどくちがう動物どうしだと、レイノルズ数だけで比べるのはあまり正確とはいえませんが。 レイノルズ数が小さいほど境界層は層流になりやすいのですが、表面がどんなになめらかでも、レイノルズ数が300万を越せば必ず乱流ができて、エネルギーの損失が生まれます。物体が動くとき、いくら以上のレイノルズ数から乱流になるかは、表面付近にできる圧力分布のパターンと、物体のこまかい形で変わり、表面にエッジや突起があれば乱流ができやすい。反対に、レイノルズ数がうんと小さくて100を切ると、こんどは流体の粘性がきいてきて摩擦抵抗はまた大きくなります。 魚を例に、動く物体が流れからどんな抵抗を受けるか考えてみましょう。前進するときは水をかき分けるので、頭の部分に水の圧力抵抗がかかります。二つ目に、体の側面を流れる水が、境界層で摩擦抵抗をかけてきます。そしてもうひとつ、しっぽの先端で合流する水が渦巻きをつくって、このときエネルギーが消費されますが、そのエネルギーはもともと魚の運動エネルギーだったものですから、これもやはり抵抗になります。 まず、エネルギーの損失をなるべくおさえるのに、魚の頭は小さいほうがよろしい。頭の先から胴体のいちばん太いところまでに圧力を少しずつ分散させ、乱流を発生しにくくするのです。さらに、渦巻きができないように、体の表面に凸凹やエッジをつくらない。こういう面倒な要求をすべて満たすのが、魚雷に似た流線形だというわけで、多くの動物たち、とりわけ魚は、じつにきれいな流線形をしています。著者の太陽エネルギー利用に関する提言を見てみましょう。p10~11<はじめに> 生物のしくみは、未来の科学技術につながるヒントをたくさん秘めています。光エネルギーを変換する光合成のしくみだけではありません。葉の蒸散作用は、太陽の熱エネルギーを力学エネルギーに変換します。熱帯ではマングローブの木々が、吸水と蒸散を巧みに組み合わせて、海水を真水に変えています。こうしたしくみは人工技術にも応用できるでしょう。 いまの科学界は、核の脅威から自国を守るという大義名分のもと、原子力に大金と先端技術を惜しみなくつぎこむくせに、クリーンな太陽エネルギーには目もくれない。じつにもったいない話です。原子力発電をもっと推進しようという声も、大いに疑問のあるところ。原子力は予想外に高くつくし、事故の恐れも大きく、放射性廃棄物は次世代のツケに回ります。それに原子力技術は、自然界のエネルギー利用方法とまっこうから対立するものです。有害な廃棄物など出さずに、無尽蔵のエネルギーを惜しみ惜しみ出し入れするのが、自然界のやり方、本来のやり方なのですから。 それができるエネルギー源は、太陽光しかありません。地面の1メートル四方に降りそそぐ太陽エネルギーは、昼夜・晴雨・季節の平均で、熱帯の森や砂漠なら250から300ワット、日本だと約150ワット、ヨーロッパ中部でも100ワットを超します。1キロ四方の地面があれば、そうとうな規模の太陽光発電所ができる。植物は太陽光のせいぜい2パーセントしか化学エネルギーに変換できないけれど、育つにはそれで十分。なのに人類はまだ、エネルギー需要を太陽光でまかなう技術をもっていません。 発電に利用できる不毛の土地や水面はいくらもあるのに、植物を見ならって太陽エネルギーを物質に変えるのはまだまだむずかしいのです。太陽エネルギーの大規模な利用をはばむ要因はいくつかありますが、少数の研究者では太刀打ちできないさまざまな問題を解決しなければいけないこと、長い時間をかけて地道な研究を積み重ねなければいけないことが、大きな壁でしょう。今までの経歴を投げうってでも人類に奉仕したい、そんな気かまえの研究者を集めた専門の研究所ができ、大型予算を回してもいいという世論の盛り上がりができさえすれば、突破口は開けるはずです。 原子力開発は、戦争と軍事問題の追い風を受けて進みました。エネルギーの枯渇が見えてきた今こそ、太陽エネルギー利用を真剣に考えるべきだし、必ずうまくいくと私は確信します。じじつ自然界は今から何十億年も前、エネルギーの枯渇に直面して光合成のしくみをあみだし、危機をみごとに乗り越えたのですから。
2016.03.02
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今回借りた5冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば「日本語、生き物」でしょうか♪<市立図書館>・日本語の心・日本人の知らない日本語3 ・アール・デコの挿絵本<大学図書館>・地球と生命 48億年のパノラマ・動物たちの生きる知恵図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)************************************************************【日本語の心】呉善花著、日本教文社、2006年刊<「MARC」データベース>より日本のことばのもつ高い精神性や繊細さに深い驚きと興味を感じた著者が、古代にまで遡りながら、日本語に込められた人々の心を辿る。月刊誌『理想世界』平成14年5月号から平成18年3月号まで連載されたものに加筆訂正。<大使寸評>呉善花さんと言えば親日的な評論、母国での酷評で知られるが・・・この本で述べられている日本語、漢字に対する博識には驚くばかりです。呉さんは日韓両国の歴史、風俗にも触れて述べているので、その民俗学的な比較も面白いのです。Amazon日本語の心日本語の心byドングリ【日本人の知らない日本語3】蛇蔵, 海野凪子著、メディアファクトリー、2012年刊<「BOOK」データベース>より大爆笑の日本語バトル、いよいよ3巻目。【目次】日本語学校の中と外/意外とできない「簡単な話し方」/敬語とマナーのおさらい/笑い、伝わる/表記いろいろ/違いを楽しむ/キャラクターと言葉/去りがたい国/別れの季節/その後/番外編<大使寸評>日本語学校の教員が語る日本語、漢字の話は、我々にとってびっくりポンのお話であり・・・ええでぇ♪rakuten日本人の知らない日本語3【アール・デコの挿絵本】鹿島茂著、東京美術、2015年刊<商品の説明>より■1920年代前後に登場したアール・デコの豪華挿絵本は、モード・ジャーナリスム隆盛を背景に、優れたイラストレーターや版画職人、裕福な購買層に支えられ、手間暇かけて少部数出版されたため、今日では稀覯本としてコレクター垂涎の的となっている。 ■本書は、イラスト、活字組版、複製技術、アート・ディレクションが一体となって生まれる総合芸術の魅力を、さながら実際にページを繰るがごとく、表紙から奥付まで、造本上の部位毎に項目をたて、役割や特色を、名作から厳選した実例を添えて解説。また、バルビエ、マルティ、マルタン、ルパップの挿絵本の中から、その世界観をじっくり味わえる傑作をテーマ別に多数紹介。 <大使寸評>版画と造本に触れていて、大使のツボをクリーンヒットしているのです。それになにより、彩色挿絵の頁が多くて、きれいな本になっています。Amazonアール・デコの挿絵本『アール・デコの挿絵本』1【地球と生命 48億年のパノラマ】ムック 、ニュートンプレス、2015年刊<商品の説明>より本書では,地球と生命がつむいできた46億年の歴史を,最新の知見にもとづき,あますことなく楽しんでいただけます。また,最初の生命の誕生の謎や,生物の進化のメカニズムなどについてもくわしく紹介していますので,あわせてお楽しみください。<読む前の大使寸評>大学図書館では、ニュートンムックの新刊が一番乗りで借りられるのです♪Amazon地球と生命 48億年のパノラマ【動物たちの生きる知恵】ヘルムート トリフッチ著、工作舎、1995年刊<「BOOK」データベース>よりダム作りの名人ビーバー、空調システムつきの砦を築くシロアリ、ロータリーエンジンの考案者バクテリアなど、進化の過程を経てエコロジカルな生態を育んできた動物たちと先端技術との関係を明快に解く。<大使寸評>動物たちと先端技術との関係を物理学、工学のセンスで説いているのです。これが大使のツボを突くわけで・・・・ええでぇ♪Amazon動物たちの生きる知恵動物たちの生きる知恵byドングリ*************************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き135
2016.03.01
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