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社会が苦手な子を観察すると、暗記作業だと思っている子がほとんどです。 どうして、社会が好きな子と苦手な子がいるんだろう?と、眺めますと、好きな子は、物語としてとらえています。しかも、覚えるより先に、ストーリーを想像していることに気づきます。 いわば、仮説を立てて、勝手な展開をしているんですね。その仮説に事実は、合っているかどうかを検証するために本で調べたりしているわけです。 (もちろん、マニアックに、ただ単に暗記するのが好きな子もいます) そこから、私は、教科書をすぐには読ませない予習練習をさせることを思いつきました。キーワードだけを与えて、それで、勝手な物語を作らせるのです。そして、その物語と学校の授業で習うのと、どう違うのかを検証させるのです。 最初、物語をつくること自体が難しいのですが、リラックスして、冗談を安心して言える雰囲気をつくると、面白いことを語り出してくれるものです。 これは、絶大な効果を挙げてくれています。しかも、他の教科にまで、良い影響を与えてくれだしています。 学習は、ストーリー再現力なのですね。
2010.10.30
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私の高2の末娘ですが、 学校をやめることに、ほぼ決心を固めたようです。中学のときも、2年生から不登校をし、高校では、元気に部活もしていたのですが、ここに来て、またまたイジメにあって、悩んでいました。 昨日、意を決して、自転車で1時間をかけて登校をしたのですが、もう駄目だ!と、帰ってきました。 その高校には、いろいろサポートをしていただき、本当に感謝をしています。しかし、現実は現実で、親はあくまで親バカなもんですから、子どもを支持し続けます。 逆に、彼女は就職するつもりだったのですが、大学に行ってみたいという意欲がムラムラ湧いてきているようです。高卒資格認定試験を受け、来年大学受験する予定です。資格認定試験は、とっても楽勝です。サポート校に行く必要もサラサラありません。早ければ、来年の8月には、彼女は高校卒業資格をもつことになるでしょう。 まあ、これも失敗と言えば失敗ですが、この道は行き止まりだとわかれば、撤退するのも、とっても大事だと思います。 科学者も、100の実験をして、1成功すれば、スゴイことです。千にひとつ、万に一つでもいいくらいですから。だから、自由にトライはしてもいいから、撤退の見極めをして、自分を活かす道を探り続けていって欲しいと思います。 撤退と言えば、同じく昨日、私も株主になっているコミュニティビジネスの、解散のための総会がありました。当初は、ある施設でテナントとして入店させてもらって、順調に利益を生んでいたのですが、そこから、出なければならなくなってからが、無理に無理を重ねて、イビツな構造になってしまいました。 昨日の総会には、私は夜は無理なので、女房に出席してもらいましたが、結構、泥仕合があった模様です。 経営側の責任は、しっかり明確にしなければなりません。しかし、私は、私も含めて周囲の者も、十分に責任があると思います。それは、多くの人が無理だとわかっていたのに、止めなかったことです。 リーダーが熱を入れていることを、地域住民が、批判をして止めるというのは、とっても難しいことです。 私もズルイ立場に身を置いて、やれるものなら、やってみたら、と傍観者を決め込みました。実際、意思決定には入れませんし、非協力を責められるだけになるのは見え見えでした。 でも、やはり、直言をすべきだったかな?変な話ですが、失敗を経験しなければ、次のステージに上がれないだろうという予想も立てていました。だから、グウの音も出ないほど失敗を確認し、その上で、別の形の新たなコミュニティを築いていくのが、結局、最短コースなのでは、と思いました。 みんなそれぞれ、数万円の授業料を払いましたが、ここで解散の動議を出した、新執行部には、拍手をお送りたいと思います。 コミュニティビジネスは、理念こそが命です。延命のための事業をはじめたら、もうお終いだというのは、私自身、何度も学習させてもらっています。 これらも実験みたいなものです。ただ、一番怖いのは、失敗の基準設定で、どこまでも強気に、どんどん進んでしまうことです。撤退する勇気を失ってしまうと、命取りになります。 失敗は当ったり前さ。これは失敗だと認められる人だけが、前にすすめるのだ!
2010.10.29
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勉強は分かれば面白くなる、という考えがありますね。確かに、わからないより、分かった方が気分は良い。これは、点数を取れれば面白くなる、という意味も含まれているでしょう。 しかし、本当にそうでしょうか?わかったから、面白くない、ということもないでしょうか?いや、さらに一歩突っ込んで、面白くないことが、すっかり分かっちゃった。だから、私は、もう二度と、こんな勉強にはタッチしないと固く固く心に誓ったんです!!ってこと、思い当たりませんか? 私は、わかりやすい説明を説明しさえすればいい。テストでの点数を上げればいい、という考えには、大きな疑問をもっています。苦行を強いるだけだからです。たとえ、100点を取れたにしても、好き好んで、こんな勉強、自分でするはずがない!と思わせて単位を上げて、一体、それで成果が上がったと言えるのでしょうか? だから、こういう考えもありますね。 そもそも、勉強が面白いはずがない、忍耐力を養うのが目的だ。という意見です。 現状では、勉強の意義は、こっちの方に分があるでしょう。三角関数や、三次関数の極大値の求め方が、生活に結びついているなんて、誰が思うでしょう?誰も、自発的に教えてくれ、なんて頼んでいません。切実な問いを発していません。 学生としては、与えられたものを、ただ仕事として、できるだけ効率よく、クリアしていく力だけを求められているのです。 よく、学問に興味関心を持てば、と言います。確かに、学問は好奇心から生まれました。そして、現代の学生も、それは失っていません。 しかし、好奇心でする学びは、好奇心がわかないものについては、タッチしなくてもいいのです。道楽でする学問は、いつでも止められます。しかし、学校の勉強は、拒否することができません。 どんなに辛そうな仕事でも、自主的にする部分では、「遊び」になりえます。しかし、どんなに楽しい「遊び」でも強制されてする「遊び」は、もはや遊びではなく、「仕事」です。 でも、学校の勉強は、その宿命として「押しつけ」とは切り離せられません。少なくとも、現時点では。 ですから、好奇心に立脚した学習は、柱になりえません。じゃ、どうすれば? 押しつけ学習を通して、自分の生活に接点と光を見出させるのです。あれ、勉強って、ただ暗記するだけじゃなくて、ずいぶん僕の生活を明るくするもんじゃないか!!将来を明るく照らしてくれるもんじゃないか!って、発見させるのです。 これは、具象と抽象を行ったり来たりしながら、最終的に、応用範囲の広い、法則に気づかせることです。この法則を適用したら、ずいぶん先のことまで、預言者のように、見通すことができるようになること。 ここから、今度は自分で問いを発して、追求する姿勢をもつようになります。 しばしば、学校の学習は断片的なもので終わってしまいます。しかし、そこから、法則をつかみとらせなければ、本当のごちそうを与えていないことになります。 法則? いつも教えているし、テストにも出しているよ。とおっしゃるかもしれません。それは、テスト用ですね。そうじゃなく、現実の生活のどんな場合にも、この法則は、厳然として、成り立っていて、そして役に立つんだ、ということを、心から実感させなければ魂が入りません。 もちろん、単に実用になれば、いい、というもんじゃないですね。 先日、日本の禅文化を海外に広くしらしめた仏教学者の鈴木大拙さんの文章に、はっとしました。終戦直後に書かれた、「西田の思ひ出」という追悼文の一節です。 「今度の敗戦の如きも、その根本原因は、日本人の理知性に欠けたところに存するのである。今更科学科学と云って大騒ぎするが、科学なるものは、そんなに浅はかに考へられてはなるのである。手取り早く間に合ふやうにと、いくら科学を団子のやうに捏ね上げようとしても、捏ね上げられるものではない。まづ物を客観的に見ることを学ばなくてはならぬ。そこからこれに対して徹底した分析が加へられなければならぬ。これが日本人の性格の中に這入ってこないと、偉大な科学の殿堂は築きあげられぬ。科学や数学の学修を、単なる実用面にのみ見んとする浅薄な考へをやめて、学問の根柢に徹する、甚深で強大な知性の涵養を心懸くべきである」 鈴木大拙さんが、こんな文章を書くとは、意外でしたが、日本人の文化に造詣が深い方だからこそ、問題点が明確に見えていたのでしょう。半世紀以上も前の文章とは思えません。現代の日本にも、本当の知力が欠けていることは、痛切なる反省を求めているのではないでしょうか?
2010.10.26
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おもしろ科学実験を伝道している私が言うのも、変ですが、勉強って面白くなれるんでしょうか?もちろん、生徒が面白がって勉強してくれたら、教師としてこんなにラッキーなことはありません。だから、言葉遣いにしろ、教材にしろ、いかにして生徒をあきさせないか、これに四苦八苦しているわけです。 ということは、逆説ですが、勉強の現実は、それほど面白いもんでも、楽しいもんでもない証拠でしょう。 なぜ、学校の勉強は退屈で、つまらないのか? これは、教師の実力不足なんでしょうか?先生の怠慢なんでしょうか?たしかに、それも一部はあるかもしれません。しかし、そういう技術をクリアしたとしても根本的に、学校の勉強は、抜き差しならない問題をかかえていると思われます。 普通、自然に人が生活していれば、自然に学習しているものです。どうやって学習していくでしょう?それは、ある問題にぶちあたって、それをクリアするところに学習が発生します。そうです。まず、解決すべき課題が、身近に存在するのです。 課題があるということは、何かをしたいということであり、何かに関心・興味をもったということです。そういう能動的な側面が、まず、あるはずです。 ところが、学校の「勉強」は、そんな生活の即した課題の発生を一々待っていられません。差し迫った状況なんて、その都度作れないのです。 生徒が必要に思うかどうかは、オイトイテ、先に、解決方法を教えてしまっているのです。学校では。つまり、教えられる側に、学ぶ必要性は、存在しないのです。必要性があるとすれば、それは、教える側にこそあるのです。 だったら、必要に目覚めさせればいい?筋論から言えば当然ですが、現実に、果たしてどれだけ、切迫感を感じてもらえるものでしょう?やっぱり、病気や怪我をしてみなければ、病院の必要性を痛感できないのではないでしょうか? とすると、学校の勉強を生きたものにするには、どういう切り口で考えたらいいのでしょう?(明日に続きます。)果たして
2010.10.25
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科学は、原理原則を求めていくものです。そして、一旦見つけた法則は、どんな場合にもあてはまるわけです。いや、どんな場合にも成り立つから、法則と言うのですが。 科学的な思考訓練をすると、原理原則でものを考えるようになります。そうです。宗教で言う原理主義です。科学者は、教条主義でもあります。法則を貫き通すところから、新しい発見が生まれるのです。だからこそ、その原理原則が本当かどうかを真剣に確かめるわけです。 日本人は、しばしば「なあなあ」で終わってしまいます。これは、異民族とほとんど接しないで生きてこられたからでもあるでしょう。だから、長いものに巻かれろ、という権力主義を生んでいます。 異民族との厳しい戦いには、論理が必要です。論理を貫くこと、これこそが、欧米でのケンカの土台だと思います。 もちろん、それぞれに論理がありますから、一つの論理だけでは全体が行き詰まってしまいます。飛躍が必要です。しかし、そこに至る前に、日本では、論理が消えてしまうことが多い。論理は弱者の武器です。 いよいよ日本も国際関係の荒波に揉まれようとしているとき、子ども達に、グローバルに生きていく武器としての論理や科学を教えていきたいものです。
2010.10.21
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ある中2の男の子、私が家庭教師してる子ですが、夏休み明けから、急に勉強をするようになりました。勉強そのものをガンバルだけでなく、勉強法もあれこれ自分から研究するようになりました。(これが、私には一番うれしいことです。) それまで、5教科で250点くらいだったのです。それが、350点にもうちょっと、というくらいまで伸びました。得意な社会なんかは、私が、「これじゃ、100点取れるかも」と言うと、「うん、狙いに行くよ」というまでに。そして、実際、96点を取ったのです。お母さんもこれにはびっくり。 何が彼を変えたのでしょう?実は、私にもわかりません。私の指導が良かったから???彼とおつきあいを始めて、1年以上経って、やっと「今」なのです。他の子にも、情熱を傾けています。しかし、これほど劇的な変化はありません。 親御さんの接し方が良かった?いや、(あ、失礼)普通のご家庭のように「勉強しろ」とは、昔から、耳にタコができるほど語りかけてきました。ご褒美で、釣ろうともされてきました。 本当に、「わからない」というのが、正直なところです。だからこそ、言えるのですが、彼の内部で、何かが、はじけたのです。 そもそも人は、人の言うことなんか聴かないものです。胸に手を当てて、自分が子どもだったころを思い返しましょう。私なんか、マジメにこう親に怒ったものです。「せっかく勉強しようと思っていたのに、お母さんが勉強しなさい、っ言うから、勉強できなくなっちゃったじゃないか!」 人間の脳ミソの本質は自発性です。辛い仕事でも、自発的なものなら、遊びになりますが、ゲームでさえ、強制されれば、仕事になってしまいます。 我々周囲の大人にできることは、子どもの自発的な成長を信じて、寄り添うだけです。結局はこれしかないのに、何と命令や皮肉や、脅しをかけてしまうものでしょう。それらは、断言できます。百害あって一利なしと。 寄り添って、同じ方向を向いて、さらに一歩引いて、「一緒に考える」のです。知識を求められたら、データとして返します。しかし、判断を求められても、待ってましたとばかり、自説を展開してはいけません。複数の選択肢を提案するくらいにとどめておきましょう。たいていは、子どもの方に、解答は既にあるのです。 そうして、ひたすら待っていると、私たちは、子どもが「さなぎから、蝶へ」変身するように、変身の瞬間を目撃する栄誉をいただくことができるのです。
2010.10.20
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先日、チリの鉱山からの救出劇のとき、ラジオで、これにちなんで、「栄光への脱出」のメインテーマが流されました。粋なことをやるな、と思ったのですが、パットブーンが甘美に歌う歌詞を聞いて、ゾ~っとしてしまいました。 This land is mine.God gave this land to me.This great and ancient land to me.And when the morning sun reveal her hills and plains,then I see a land where children can run free.So take my hand and walk this land with me.And walk this golden land with me.Though I am just a man when you are by my sidewith the help of God I know I can be strong.To make this land our homeif I must fight,I'll fight to make this land our own until I die, this land is mine. こりゃ、こりゃ、「出エジプト」じゃないか?!そして、明確に、露骨に、他国の侵略を宣言した歌じゃないですか!私は、この映画を見たことは無いので、ネットで簡単に調べたら、現代のイスラエル建国の映画化だそうな。 ちょうど、先日、生徒に、「十戒」の映画をちょっと見せたばかりだったので、あの精神が、脈々と受け継がれていることに、私は、改めて世界の歴史を思い、戦慄を覚えました。 私は、もと、クリスチャンだったので、常識ですが、聖書になじみの無い方のために解説しますと、もともと、あのイスラエルの土地は、ユダヤ人の土地ではなかったのです。モーセが神様から、言われたので、奪いに行ったのです。これらは、出エジプト記や申命記やヨシュア記や民数記を読めば明らかです。あそこは、そもそも、先住民カナンの人々の土地なのです。それを、「神がわれわれの先祖にに与えると約束してくださった土地」などという手前勝手な理由で侵略したのは聖書の神の命令にしたがった「神の民、イスラエル」であることは、客観的な事実です。自己防衛戦争を強いられたのはイスラエル人に侵略されたカナンの地の人々です。それは、聖書を読んだだけで、繰り返し繰り返し耳にタコができるほど語られているので、誰にもわかることです。 でも、これも、神様が命じたことだから、正義に戦いになってしまうのです。次のように「 あなたの神、主が、あなたの行って取る地にあなたを導き入れ、多くの国々の民、ヘテびと、ギルガびと、アモリびと、カナンびと、ペリジびと、ヒビびと、およびエブスびと、すなわちあなたよりも数多く、また力のある七つの民を、あなたの前から追い払われる時、すなわちあなたの神、主が彼らをあなたに渡して、これを撃たせられる時は、あなたは彼らを全く滅ぼさなければならない。彼らと何の契約もしてはならない。彼らに何のあわれみも示してはならない。 」(申命記7章1~2節) あれ? キリスト教は愛の宗教で、右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ、という非暴力の宗教なのではなでしょうか?無条件の愛に多くの人が魅力を感じているのではないでしょうか? ところが、です。その神様が、侵略せよ!人を殺せ! と命令されると、信仰者は、全知全能の愛の神様が命じるのだから、不完全な私の考えでは、到底及ばない、深いお考えがあるのだろう、と思考停止をしてしまい簡単に、殺人マシーンに変身してしまうのです。 これは、オーム真理教の事件で、麻原の殺人命令を、神の深いお考えだと信じた高学歴の若者が、正義や愛の名のもとに、犯していった犯罪と根本的に、全く同じです。 神の命令によってなされる殺人は「正しい殺人」になるのです。旧約聖書と言えば、世界の三大宗教の、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の聖典です。その聖典が、神自身の殺人や戦争や略奪を明確に書いているのですから世界の宗教史において、殺人や戦争や侵略が正当化されてきたことも不思議でも何でもないでしょう。十字軍戦争はもとより、北米大陸へ移住してきたピューリタンたちが、先住民たるアメリカン・インディアンたちを虐殺して、合衆国を建設してゆく過程のなかで、しばしば自分たちをモーセやヨシュアに率いられてカナンに侵入していったイスラエル人になぞらえて、自分たちをあたらしい神の選民「新イスラエル人」と自称して、新国家建設(先住民文明壊滅)にいそしんだのも、このためです。 もちろん、人間には戦わなければならない時があります。しかし、どんな時にも、そこには躊躇というもがあります。それは、複数の意見・考えを思いめぐらすからです。敵の兵士にも家族があり、ドラマがあるんだろうなあ、なんて。 ところが、そういう自分自身の思考回路をストップさせてしまう魔力が信仰にはあります。これは、つきつめると、人間的な判断よりも上位にあるものを置き、そのもの(しばしば神ですが)の意思を先行させる考え方にあります。敬虔で謙虚な信仰者は、常に、自分の「人間的浅はかな判断」や「おのれの小賢しい知恵」を捨てることを求められます。 科学は、本当の科学は、この人間的な浅はかな判断を大切にします。小賢しい知恵の積み重ねこそ、未来を切り開いてきたのです。 21世紀の現代、まだまだ、思考停止になっている国や場面がいっぱいあります。日本の私たちの生活にだって、ゴロゴロしています。中国の学生を笑ってばかりはいられません。 相手の思考停止には、こちらも思考停止で応えるのではなく、「神の勝利」ではなく、「人間の勝利」を目指したいものだと思います。 昨日は、小学校が振替休日だった関係で科学寅さんは、大忙し。ダブルヘッダーで、だいぶダイエットになりました。ありがとうございます。
2010.10.19
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科学は、疑うことって、このブログで書いてますが、もちろん、疑いっぱなしではありません。最終的には、そこから、法則を見つけたいわけです。 疑い続けていくからこそ、この世にいつでも同じ結果をもたらす法則があるということに、感動をするのです。 多くの実験では、同じような結果になるだろうと予想しても、予想に反することが多いことを体験します。でも、あるテーマでは、違う結果が出るだろうと予想するのに、同じ結果ばかりが出ることに驚くのです。 金属は、電気を通すということが、教科書に書いてあります。その仕組みも説明してあります。じゃあ、1円玉も、5円玉も、10円玉も、み~んな電気は通すのか?一つひとつ、疑いながら実験します。そうすると、本当に、みんな電気を通して、電球が点くんで、これでびっくりするんですね。さらに、金属光沢があるものは、電気を通す?ということで、折り紙の金紙や銀紙も通すの?チューインガムなどの包み紙のキラキラも?仁丹やアラザンなんかの食品も?と、疑いながら、徹底的にこれは違うだろうというものに、疑いの目をかけていくんです。でも、これら全部、文字通り、バカの一つ覚えのように電気を通していくんですね。 これで、感動的に、覚えるわけです。法則を。 これを、「はい、金属は電気を通しますよ」というだけで、通過してしまっては、感動も何も無いですから、すぐに、ポイって忘れるんですね。また、応用が利かないのです。 科学は、法則を学ぶ学問です。法則というのは、個別の知識を覚えるのとは違って、どんな時でも成り立つという、すごいことを言ってるわけです。こりゃ、すごいことなんです。どんな時にも通用するんですから。 法則に、本当に深く接したら、感動しないわけがないのです。でも、それは、疑いの精神があるからこそでもあります。 法則を体感すると、人間は、ある意味頑固になります。反体制運動家が、しばしば自然科学者のことが、意外と多いのも当然と言えば当然でしょう。言論の自由が大切だ、という法則を納得すれば、どんな時でも、それが成り立つはずだと、法則的に貫いて考える習慣をもっているからです。 あの組織では成り立つけれども、この組織では成り立たない、とか、日本では言えることだけど、中国では、通用しないことだ、などと例外的にものを考えないからです。 それだけに、一歩、法則の掴み方が、狂っているとオーム真理教のようになってしまう。しかし、だからこそ、疑いの心で徹底的に検証した後に法則には、確信をもって臨めるわけです。 そういう意味で、子ども達に何気なく、教えている教科書に書いてある法則でも、徹底的に追及していくと、感動的な授業になることがしばしばだと思われますね。これは、手間がかかるかもしれませんが、その効果は絶大です。また、すべてをそうせよ、というんじゃありません。極、一部でもそうやって、法則というのは、すさまじいものだ、と体感すると、他の現象を見る目も変わってきます。 でも、これも、それも、疑いから始まるわけですが。
2010.10.17
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中学生にオリエントの歴史と地理を教えていましたら、聖書の「出エジプト」を知らないというものですから、これも一つの常識、欧米人と話をするときの必要常識だからと、映画「十戒」のダイジェストを見せてやりました。例の、モーセが海を割るシーンなどです。 そしたら、どんな感想をもらしたと思います?「残酷な映画だ」 です。思わず、な~るほど、と唸りました。 特定の神の言いつけに従わないだけで、大勢の大人や子供が殺されていきます。 私たち大人は、(私だけかもしれませんが)いつの間にか、聖書を使って言わんとした体制側の立場に立って、「神様の言いつけを守らないとこうなるんだぞ」という見方をしてしまってやしないだろうか? って、反省したと同時に、柔軟な考えの若い人たちの感性にまたまた期待しちゃうところです。 ヒューマニズムというのは、もちろんキリスト教などにもありますが、それは、あくまでも、人間よりもある一定の教義を大事にした枠の中だけの話で、人間の理性や倫理に基盤をもつヒューマニズムを近代人は学んできてるわけです。盲目的な信仰・教条主義・啓示・宗教的道徳によるヒューマニズムは、しばしば残酷な結果を起こすものです。 科学教育のメリットの一つに、違った考え・意見・解釈の人を認めあうことがあると、痛感しています。バカだと思っていたのに、なかなか良いことを言う。違った意見を主張してくれたお陰で、教室の議論が盛り上がって、実験がずっと楽しくなった。少数派も、実験で勝てば、認めてもらえる。などなど、自然現象は、小賢しい人間の思惑を超えて、多様な意見の必要性を繰り返し訴えかけてくれます。 一つの映画を見ても、いろんな感想を自由に話せる、そんな国であり続けたいものです。 ところで、こういう映画を見せて、当然受ける質問は、「これって、事実なのか?」です。もちろん、ほとんどの部分がフィクションだけど、どこか、核となるところには、ノンフィクションがあるのだろうと答えています。答えながら、実際に調べてみました。そうすると、世界最初の一神教、エジプトのアテン一神教と出エジプトが、相当関係がありそうなことがわかりました。エジプトの宗教改革をすすめたアクエンアテンの敗北、つまりアマルナ革命の失敗の時期とほぼ重なっているのですね。出エジプトが。また、アテン讃歌がアマルナに残っていますが、この讃歌と、『旧約聖書・詩篇』のなかの或る種の古い讃歌は、様式がそっくりなのです。年代的に、事件のできごと経過からして、ユダヤ人が、かつてエジプトにいたことがあり、アクエンアテンのアテン一神教神学の影響を受けたということは、ほぼ考古学的事実として認められるのです。 すると、アテン一神教の影響を受けたユダヤ人が、アクエンアテン後のアテンを否定するファラオや王朝の時代に、エジプトにいられなくなり、そこを出たというのも極めて可能性の高い話だと思います。もちろん、エジプト側に、奴隷が大挙して逃亡したとか、そんな資料は、全くありません。ですが、何かあったんでしょう。そんなことを思いめぐらすと、面白いですね。
2010.10.16
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私は、朝ドラ「てっぱん」の 「てっぱんダンス」が大好きです。葉加瀬太郎さんも、大ファンなんで、彼のバイオリンを毎朝聴けるだけでも、幸せなんですが、 それ以上に、目が釘付けになったのが、オープニングの映像の奇妙なダンス! 尾道には、変な「盆踊り」があるのかなあ?って、女房と話していたんですが、聞くと、このドラマのための創作だとか。これは、素晴らしい!鉄板のお好み焼きの世界を表現してるって????これまた、そんな発想自体が、アホらしくて、ブラボーです。何度見てもヘンテコな振付です。でも、不思議な魅力。 誰かが言っていましたが、大げさなのに自然。面白おかしく、どこか切なく、それでいてうれしい。 それに、何より、このヘンテコリンなアホらしいダンスを尾道の人々が、みんな明るく協力して、踊ってくれてることです。 あの踊りを見ていると、凝り固まった脳細胞が、ふにゃ、っと緩んでくるのを覚えます。 「私は、あの明るさに、明るく柔軟な発想が命の、科学研究のスピリッツを見てしまうのです!」ってなことを言う科学寅さんも、だいぶNHKに毒されてしまってるようです。ともかく、こういう発想を許すNHKに、私は拍手をします。 朝ドラと言えば、ゲゲゲ。これまた、はまってしまってました。あの極貧生活は、立場こそ違え、私たち夫婦には、ズキンズキンとくるものでした。 でも、人間って、本当に苦しいときの記憶って、消えてしまうもんですよね。そこが人間の素晴らしさでもあると思います。
2010.10.15
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人間は不完全、ということを書きましたが、不完全さが、スグレモノという意味でもあります。 人間は、ある物事の背景に、見えない法則を想像してしまうのです。そして、それに基づいて、以後、判断してしまいます。それは、偶然、ある条件でしか起きないのに、すべてであるように思うのです。 迷信、伝説、神話ばかりじゃなく、毎日の私たちの行動も、すべて、ある仮説が引き起こしています。 でも、これって、すごいスグレモノではありますよね。しかし、これが、限界や間違った判断を引き起こします。 そもそも、仮説が悪いわけではなく、k仮説がなければ、人間、認識すらできません。認識は、仮説の上に乗っかっています。 だったら、常に、仮説を疑うこと。複数の仮説をもつように心がけること。つまり、常識を揺さぶることです。(そして、どれが正しいかは、科学的な判断つまり、実験でね) とすると、これにとっても効くのは、「笑い」じゃないでしょうか? そして、考える間もなく行動してしまう「スピード」も常識の突破に有効だと思います。 「笑い」と「スピード」が次世界を切り開くように思います。
2010.10.14
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明らかな間違いを、認めない、認めたくないという性質が人間にはあるようです。例の検察の筋書き捜査にしても、ニセ科学にしても、どうして、こうも、こだわってしまうのでしょう? 先日も、クリスチャンのうちの娘が、「創造科学」の学びを教会でしてきたようです。得意になって話すもんですから、思わずツッコミを入れちゃいましたが、 アメリカ人の44%が、「神は人類を、現在と非常によく似た状態で、ここ1万年ばかりの間に、いっぺんに創造した」と信じてるんですね。ギャラップ社の世論調査では。 ここで、彼らのアホさ加減を一々指摘するのも あれですが、とにかく、こういう人々は、証拠があっても、受け入れようとしないものです。 嫌なものは見ない、というのは、人間の基本性質かもしれません。でも、イヤなもの、不利なものを見ようとしないのは、進化の中で、生き延びるのに、不利なはず。 科学は、そういう欠陥だらけの人間の、進化の1プロセスなのかもしれません。 人間の欠陥って?と言う方もいるかもしれません。神様が完全な形で作ってくださった? 目の盲点、ヘルニア、静脈瘤、痔、立ちくらみなどなどは、人体の設計ミスと言えるそうです。 神様が設計ミスしたんでしょうか?いやいや、頭脳を持った創造主なら、するはずがないミスです。つまり、創造主がいない証拠です。行き当たりばったりなんですね。 そんなこんなで、私たちの認識力も、まだまだ不完全。これを前進させていかなくては。
2010.10.12
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先日、運転でドジを踏んでしまいました。名取市の小学校から、急いで北に60キロの古川に帰ろうと、近くの仙台空港のインターから高速に乗ろうと思いました。 電話であと45分くらいで着くから、と連絡している間に、インターの入り口を通り過ごしてしまいました。ま、いいか、引き返すのも悔しい。前進前進!次の名取インターで乗ろうっと。と引き返さずに、前に進みました。 ようやく、名取インター。ところが、重大な問題を発見。ガソリンがヤバイ。う~ん、このままでは、途中で高速を降りなければならないかも。やはり、油を入れてから行こう、って、さらに進みました。 ところが、進めど、進めど、スタンドが見当たりません。しびれを切らして、コンビニで聞いてみました。そしたら、「このへんには、無いのよね」え?? ここは、仙台でしょう?それも、山奥でもなく、空港に近くの交通量も多い。 仕方が無い。西側を走る4号線に近づくように、ななめに北上をはじめました。ところが、ショートカットするつもりが、どんどんわけのわからない道に。ようやく4号線に顔を出したら、信号機の無い交差点だったので、右折で北上できません。何と、南下するしかないのです。しかも、大渋滞。ようやくガソリン補給をして、再び、高速に乗ろうとしたら、4号線からの左折口が、わかりません。以前、知っていたポイントは、いつの間にか、変化しています。何と、結局、仙台空港に戻ってしまいました。この間、1時間。 さすがに、電話で、「まだ、空港にいます」とは、言えませんでした。 悔しいので、無理やりこれから教訓を引き出します。そうです。引き返せばよかったのです。 ドジな私ばかりでなく、人生は、90%失敗の連続です。失敗と思ってなくても、本当は別の可能性を殺していることがほとんどです。 だったら、最初から、失敗を前提とした計画を立てればいいのです。例の検察の筋書き捜査なんて、もっての他です。 そして、人の理論も、まず疑ってかかるクセをつけるべきでしょう。失敗の山から、真理は見つかるのです。 おっと、時間だ! 失敗!
2010.10.11
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結構、忙しい日々が続いています。実験教室が連続してあり、また、その打ち合わせが、その数以上にあります。そして、中学校の中間試験の期間であり、どうしても、私は試験対策を重視してしまうので、本来のスケジュールがめちゃくちゃです。 めちゃくちゃと言えば、私の作業部屋です。どうしても片付きません。 常識的な乱れ方とは次元の違う、混乱です。これを数年にわたって、改善できないでいます。 ここまで来ると、私も意欲の問題とともに、いや、それ以上に、重大な欠陥が私にあるのではないか、と疑うのが科学的だと思われます。 私の物事を判断する、小さなプロセス、ひとつひとつに問題があるのだと考えるのが自然です。 それは、何か?目先の楽しみにばかり反応する行動です。ああ、やっぱり、「片づけられない女」とか言われるあのADHD症候群が、私にもあるんじゃなか、と仮説を立ててみました。 ADHDの要素、それ自体は、否定すべきものでは決してありませんね。それは、持って生まれた才能でさえあります。私の話は、よく、面白いと言われます。(自慢?)しかし、私は、そんなに変わった話をしているつもりはないのです。でも、変わってて面白い、と人は言います。ということは、頭の基本プロセスが、変わってるのかもしれません。 科学というものは、真理は仮説と実験によってのみ決まる、という論理の支配するところでしか、育たないものです。私生活でも、この姿勢を持っていたいものです。実生活では、習慣や伝統、迷信とは縁を切れませんが。人に迷惑をかけない範囲なら、自分自身を「科学」したいものです。 改善できたら、ご報告します。
2010.10.10
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昨日まで、岩手の温泉に女房と行ってきました。口コミで評判も良かったのですが、とっても落ちついて、行き届いていました。 そして、驚いたことに、そこのスタッフは、み~んな二十歳そこそこの若い人ばかりなのです。 チョーシンプルな旅館で、娯楽施設は、ほとんど無いに等しく、食事も、薄暗い中で、ゆっくりと会話を楽しむためにあるものでした。 そんな中でのサービスは、何かと言えば、スタッフとの会話です。一人一人に、個別に合わせて気を遣ってくれるのです。ウェイターのお兄ちゃんも、運んで来るごとに、何か面白い話題で盛り上げてくれます。小さな声で。 受付のお姉さんも、問い合わせに懸命に調べてくれました。マッサージのスタッフも、何といいますか、けなげさが、伝わってくるのです。 今の若い人、と言いますが、どうしてどうして、私たち年配が及びもつかないくらいのことをしてのける力があるんですね。もちろん、会社の指導訓練の賜物でしょう。しかし、できることは、間違いないのです。 私は日本の将来に、ほのかに希望をもって帰ってきました。彼らが、必死にがんばっている姿を見て、涙がでそうになりました。いい記念日を過ごさせていただきました。ありがとうございます。 おっと、ノーベル賞、おめでとうございます!さらに後輩が続いていくように、陰ながら、お手伝いができればと願っています。
2010.10.07
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体験学習が大切なことは、言うまでもないでしょう。子どもたちの思考力の低下は、体験を通して得る、思考材料の不足、パーツ不足だとも言われています。 ですが、あえて、もっと先を求めたいと思うのです。科学は、経験したデータをもとに組み立てるものだと考えている人もいるでしょうが、たとえば、素粒子物理学などは、現在でも実験能力が遠く及ばない予測から出てきています。体験しようがないのです。しかじかの粒子が、その対称性の原理から、しかじかの形で存在し、相互作用しなければならない、と考えるわけです。 そして、それ自体は測定しようもないのですが、その理論をもとに、他の現象を説明すると、とっても役立つのです。 アインシュタインの相対性理論なんかは、それこそ、純然たる「思考実験」で、構想されたものです。人間が、感覚できるデータは、ほとんどなかったはずです。 その流れで言えば、数学の理論は、体験学習は困難なものが多いですね。極限値だ、無限だ、複素数だ、こういうものは、自然界の説明には、必要なものです。しかし、自然に見られるものではありません。 しばしば、発見というものは、新しい体験をすることではなく、新しいつながりを思いつくことから、生まれます。 この自由で、意識的に問いかける思考力。これは、体験を多く積めば自然に培われるものではないと思われます。多くのデータを、切手の収集のように、整理整頓することからも、自動的には生まれてきません。 そこには、別の種類のエネルギーが必要なのです。それを育むことこそ、教育の醍醐味だと思うのですが。 私ごとですが、結婚25周年を迎えてしまいました。よくもった。いや、よく我慢してくれた。頭が下がるばかりです。明日から、女房と出かけますんで、ちょっとパソコン無しの 生活です。
2010.10.04
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実物教育に優るものは無いという、意見もあります。しかし、私は、その効果のポイントを見誤っていると思います。 確かに、観察・実験(通常の作業としての)をしても子どもたちは、活き活きとしています。好奇心も湧いて、学力にも効用が認められるかもしれません。でもそれは、「実物を見た」から出てきたのでしょうか? 好奇心は、珍しいこと、非日常的なこと違和感のあることに遭遇すると、湧いてきます。 きっと、非日常的な授業だから、好奇心が湧いてきたのではないか、と思うのです。その意味では、効果はあるのです。 でも、本当に狙いとする対象への好奇心だったのでしょうか? たとえは、モノの落下する様子を見せても、普通は何の感激も、感動もありません。でも、ある仮説を立てて、しかもそれが、常識を打ち破るもので、それが本当かどうか検証するために、落下する様子を見る場合。ワクワクどきどきになります。 体重計に乗ることは、感動どころか、嫌なことですよね。ところが、どんな体の姿勢で乗っても、同じかどうかを検証するために体重計に乗ったら、しかも、みんなの意見が分かれていたら、これは、ひとつのドラマになります。 同じ花びらを見ても、花にはきっと同じ構造があると仮説を立ててみるのとただ、無心に見るのでは、見え方が全然違ったものになります。 星空を見てもそうです。 実は、実物教育を受けて、感動する子は、そもそも、事前に問題意識をもっていた子なのです。または、直前に自分で問題意識を組み立てることができた子なのです。 要は、良い素材があれば、必然的においしい料理ができるわけではないのです。 逆に、料理方法を知っていれば、自分で良い素材を見つけてきます。教室では、問題意識こそが、提供されるべきで、それさえできれば、実物はかえって、安易に与えない方が問題意識をさらに膨らますことができて、良い場合が多いと思います。 明治初期までの日本の教育方法は、読書をもって学問の本領をなすと考えられ、素読暗唱が良しとされていました。だから、庶民のための実践的、実用的な生活の知恵の教えは、とても新鮮だったのです。そして、それを実物教育、実学と称して、新しい勢いがありました。 でも、そろそろ、それからレベルアップするべきだと思います。 と言うのも、科学的なものの見方は、目で見えないところにこそあるからです。空気の存在にしても、原子のことも、宇宙のことも、進化論も、科学の基礎概念は、見えないものを、想像を自由にめぐらしてそして、それを検証してきたものです。 決して、見た通りを記述したものではないのです。想像力で、見えない世界の仮説を立て、それが本当に合っているかどうかを、目的意識的に、検証してこそ、発見があるのです。 決して、帰納的に、事実を拾い集めていくと、真理が見えてくるわけではないのです。 これこそが、学問の醍醐味だと言えましょう。この思考能力を養成するためにこそ、実物教育から、一歩前に出ないといけないと思うのです。
2010.10.03
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学校の理科室の実験は、どうしてつまらないのでしょう?もちろん、珍しい現象が見えるものは、それなりに好奇心を誘います。しかし、圧倒的多数の実験は、とっても地味なものです。珍奇なことだけで気を引くのは、限界があります。 実は、 実験とは、自然に対するイタズラなのです。イタズラという言葉が誤解を招くなら、意識的にする自然への問いかけなのです。その問いかけには、明確な目的があります。そのために、状況を普通じゃない状態にコントロールして仮説が正しいかどうかを検証することです。 こう書くと、面倒くさくなりますが、要するに、こうすれば、こうなるんじゃないかな?イッシッシなのです。 この意識で、学校の実験をみると、実験の名に値しないものがあまりにも多いことに、びっくりします。 子どもたちは、なぜ、そんな道具を使うのか、ほかの道具ではだめなのか、わかっていません。そもそも、なぜ、こんな実験をしなければならないのか、その意味を理解してないし、動機もありません。 生徒が実験をする場合でも、ただ、指示されるままえに、手足を動かすだけで、脳ミソはさっぱり働いていません。 生徒たちは、眼前で展開される実験を、問いかけへの答えではなく、一つの現象を目撃したこととして、経験するだけです。 この実験結果が、どんな仮説が正しいことを示したのか?または、どんな仮説が間違いだったのかがわかったのか?な~んにもわかっちゃいません。 ところが、先生や教科書は、その実験と称する結果から、この紋所が目に入らぬかとばかり、「理論」を押しつけてきます。 子どもたちは、自分から、つまらないとの、文句は言わないでしょう。だって、実験ってこんなもんだと思っているんですから。 こんな実験なら、最初から理論を教えた方が、すっきりします。全く時間の浪費です。今、理科実験の時間を増やそうと、各自治体は、予算をつけていますが、理科の実力は、きっと実験をしない学校の方が、増すと思われます。 実験は、実験をしてから考えさせるものではありません。いろんなことを学んでみて、その理論通りだとすると、こんなことも起きてしまうのかな?いや、この場合は違うのじゃないかな?と議論を重ねて、煮詰まったところで、決着をつけるためにその方法も考えて実行するものです。 だから、一つの実験は、相当時間がかかります。毎回実験ばかりなんかできません。しかし、一つの内容のある実験は、ただの作業工程だけの実験の100以上の効果があります。 それは、自然への問いかけ方を、感動的に体験するからです。そうなんです。実験とは、知識を得るためにするのではないのです。
2010.10.01
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