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これまた、日にちが経ったから言えることなんですが、ある学校のPTA行事の時間を間違ってしまったのです!それで30分以上遅刻の上、準備もメロメロというより、間違った道具箱を持って行ってしまった! それでも何とか1時間やってしまうのが、(全く別のテーマで)図々しいというか、我ながら、スゴイと思うのですが、さすがに、ショックは隠しようもありません。 立ち直るのに、1日はかかりました。(たった1日?)次の日、別の実験があったからです。一つ成功すると、ストレス解消になります。 ところが、そのご迷惑をおかけした学校から、再度チャレンジの機会を提供していただきました!今度は、PTAではなく、学校の授業として。体育館ではなく、一クラスずつ、教室でさせていただきます。 今度こそ、本当の面白さを味わってもらうぞ!! ところで、発達障害の子どもたちと、ずいぶんお付き合いさせてもらってきました。全く不謹慎な発言ですが、私はとっても面白く思っています。そりゃ大変と言えば大変ですが、それは、普通の子も同じです。それより、すごく刺激される方が、私にとっても生きている実感がします。なんてったって毎回が、実験なんですから。 こんな話をすると、親ごさんの気持ちをどう考えると言われるかもしれません。自分の子どもじゃないから、そう気楽でいられるんだ、と。 実は、そうなんだと思います。私も、もし、自分の子が診断されたら、どのくらい冷静でいられるだろうか?無理でしょう。だから、第三者に親とは別の角度から、支援を頼むのだと思います。そうなんです。気楽な立場だから、良い影響を与えることだってると思うのです。 人間の判断力、意志力なんて、高が知れてるなあ、って最近思います。それは、自分の悪習慣が抜けないこともですが、私はちょっとしたことに、すぐのめり込みます。時間の経つのを忘れてしまいます。いた、わかっているのですが、やめられないのです。 ちょうど、テレビでたばこの依存症について特集していましたが、依存症になるのは、意思が弱い人ではないのです。逆に、強い人、倫理観・責任感の強い人、プライドの高い人つまりストレスをいっぱい抱えがちの人に起きるのです。 ストレスからの救いを求めているんですね。だから、そういう人に、「もっと強い意志をもて!」というのは、的外れ。 そうじゃなく、気楽に、本当の自己肯定感、つまり、何もしなくても、すでに私はOK.という感覚を目覚めさせることのようです。 その意味で、障害をお持ちのご家庭は、そのまんまで、既にOKなんですよ。あとは、すべてはオマケ!ラッキーと言いながら、面白がりましょう。そうなんです。生まれてきただけで、丸儲けなんですから。
2010.09.30
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自閉とみなされた子の家庭教師として、私は、今までやってきたことの、反省をフラッシュバックのようにしました。これまでの指導は、意味があったのか?的外れではなかったのか???(すみません、昨日の続きです) よくわかりません。たしかに、私の独り相撲だったことは多々あります。しかし、楽しんで学習に取り組む姿勢は、少しずつできてきてるし、私との人間関係も、確実にあります。 人間は遺伝子情報は、簡単には書き換えることはできないかもしれませんが、遺伝子の働きを オンやオフにすることはできます。 そして、人間、圧倒的な割合の遺伝子がオフのまま一生を終えるのです。どこかに、様々な活性化をさせるボタンがあるはずです。 生命は、ひとつ苦手なことがあれば、それを補う別の働きが活性化してくるものです。 彼を今後、どういう環境に置くのがいいのか、それは重大な問題ではあります。しかし、私がどんな意見をもっていようと、保護者の判断は、最大限尊重されるべきです。当然、リスク情報は警報として出さなければなりませんが、警戒を怠りなくしながらだったら、ギリギリまで可能性を探るのもあるべき道だと思います。 私の職務は、彼の隠れた活性化ボタンを探し続けることそして、リスクから、守ること、それしかありません。 軍人が戦争の意味を抗議するようなものです。もちろん最後は、軍人も、一個の人間としての判断をすべきですが、許容範囲ギリギリまでは、上の方針に従うべきです。 私は、彼に、あらゆる働きかけをしていくつもりです。
2010.09.29
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ちょっと時間が経ったので、私もようやく心の整理ができてきたので書けるのですが、 私の生徒が、本をまっすぐに読みにくいことに気が付きました。これは、目の障害か、または、ディスレクシア? 私は、お母さんに、学校でも苦労してるから、理解をいただいておいた方が良いと、アドバイスしました。 そうしましたら、学校では、待ってましたとばかりに知能検査WISC3をしてくれまして、え? という感じですが、ま、それもいいかって思いましたら、その結果が、愕然!!とっても悪いのです。特別支援教室をすすめられちゃったのです。 これって、本当??私の感触では、確かに、ボーっとしてる子だけど、将棋では私に勝つし、科学論議もするし、図解もするし、結構マジメに取り組んでくれるしで、どっちかと言えば「良い子」だったのです。 私は、学校の検査方法を疑いました。もしかして、学校の責任転換ではないのか?口実ではないのか?何と、私は、発達障害の専門医に相談してしまったのです。お母さんと同行して、特別に診ていただきました。家庭教師がこんなことする?っお思いでしょうが、私は怒りに燃えると、何をするかわからないところがあります。全く!! ところが、ところが、その結果が、「受け身型の自閉症」(の可能性が大)。特別支援教室どころか、支援学校を強く勧められてしまったのです。 これには、私も大ショック~~~~~!見抜けなかった!!受け身型だと、受け答えはできるのです。 しかし、相手の気持ちを推し量るのは、苦手。教科書のラインの脱線も、意味をわからないで読んでいるからこそ、起こりえることだったのです。 この診断(診立て)に、どう対処するかは、別問題で、ご両親は受け入れることは、相当困難だと思われます。私も、「何ということをしてしまったのだ!」ということと、「早くわかって良かった」ということとゴチャマゼ。 それにしても、もっと、怖かったのは、自分自身の目です。当然のことですが、今まで通り、その子を見れなくなっているのです。いわゆる「色眼鏡」で見ている自分に気が付きます。ある意味、それは当然で、そうあるべきでしょう。 しかし、診察を受けさせたことに、後悔をしている心もたしかにあるのです。 このままでは、大切なものを失ってしまう、と思いました。それで、どう心の整理、頭の整理をしたのか、は、別の機会にご報告します。
2010.09.28
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教室では、大勢の子どものための授業を展開しがちです。 やはり、喜んでもらうなら、大勢の人に、というのは、当然のことです。 しかし、みんなのためにと、あれこて考えると、しまった授業にならないことが多いのです。それどころか、ひとつも行動ができなくなってしまいます。 例外ばかりが頭をよぎり、行動できなくなるのです。勝負どころでは、「ひとりのため」に実験をするとうに、私はこころがけています。 ひとりのために行動すると、具体的になるばかりか、スピードまで出ます。ひとりは誰であってもかまいません。前列の眼と眼が合った子でもいいのです。 ひとりに向かって発言や行動をすると、内容が具体的になり、ピンとが合った内容になります。 そして、なぜが、一人のためにすると、大勢の子が納得します。きっと、文章もそうなんでしょう。ひとりの人に向かって話しかけるように書くと、いいのでしょうね。 このブログも、特定の人を思い描いて、書きたいと思います。
2010.09.25
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よく、「楽しんできます」という言葉が、大事な試合や試験の時、使われるようになりました。これはこれで、悲壮感が漂った、昔の代表選手よりもよっぽどいいと思います。 が、 どことなく「無理してるな」、って感じは否めません。 私は、最近、講演で「面白がる」大切さを話してますが、これも、「無理して面白がる」に通じてしまいます。 そんなことをつらつら考えていたら、英語の授業をしていて、ふと、英語で感情を表す時は、みんな受け身の形をとることにあらためて気づきました。be pleasedbe surprisedそして、be interested in です。 そうなんです。興味深くさせるものは、本であったり、出来ごとであったり、彼女であったりで、それらが、私に、interesting してくるわけです。 「面白い!実に面白い!」のは、そうさせるモノであるわけで、こちらが、無理やり、そう思い込んだり、変換しているわけではないのです。 ま、認識論的には、こちら側の意識の働きも不可分なのですが、受け身的に考えた方が「ガンバッテ面白がる」という肩肘張った状態からは、ちょっと救われるのではないか、と思いました。 要は、この世は、interesting な事ばかりなので、それへの感受性を、研ぎ澄ませればいいのです。 先日も、失敗したときに、これを面白がるのは、不謹慎だという思いに苛まれました。しかし、interestingは、向こうからやってくるのです。それを拒むのこそ、不遜なことではないでしょうか? じゃんじゃんやって来る、interestingを歓迎してbe interested されようと思います。
2010.09.24
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よく不得意科目の克服を手伝って欲しいと頼まれます。しかし、全体に学習意欲が不足場合、不得意科目だけでは、なかなか、やる気のキッカケつまり、「ホメ」る機会が出てきません。調子に乗れません。というのも、過去に、十分トラウマになっているからです。 こういう場合、得意科目から攻めるのが、いいと思うのです。得意なことをじゃんじゃん伸ばす。そうして、バンバン褒めまくる。そうすると、不思議なことに、苦手科目に取り組む姿勢も生まれてくるもんです。 とにかく自信だと思います。自分の欠点に目を向ける暇があったら、長所を凝視すべきです。 そこから欠点克服の道が見つかります。
2010.09.22
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脳は喜びを通してしか伸びない、ということは、ずいぶん一般常識になってきたんじゃないかと思うのですが、まだまだ、これを真剣に受け止めている人は、少ないと思います。 もちろん、何でもかんでも、ほめたりおだてたり、じゃないことは当然ですね。難しいことに挑戦して、達成感が出た時、その時、ドーパミンがドバって出ますんで、その瞬間をねらって、その行動を強化回路に組み込むように褒めるのです。 昨夜、いつもは、だるそうな中一の女子が、都道府県名の暗記で、ひとつ調子に乗り出したら、止まらない止まらない。1時間で、完璧に覚え、しかも漢字まで正解しました。 自分でもびっくり。「天才だ~」と(本心から)褒め称えました。ご家族にも、褒めまくってもらいました。 ポイントは、何が暗記できたか、ではないわけです。難しいことに挑戦して、クリアしたときの、気持ちよさ、この麻薬の味をしっかり体に覚え込ませることなのです。(田代まさしのように!!) 褒めるのは、タイミングが命です。良かったその瞬間に刺激を与える必要があります。だから、子どもを観察です。さらに、言えば、褒める機会を作ってやることです。ある程度、難しい課題でなければ、意味がありません。そして、しかも、その課題は押し付けられたものではなく、自分で引き受けたものであって欲しいわけです。 難易度を自己調節できるものが、望ましいということになります。 その意味で、ストップウォッチ学習法は、(受験勉強については)必須のものだと言えるでしょう。 ともかく、教師はホメのプロが本質だと思います。
2010.09.21
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戦争やビジネスのシミュレーションモデルで有名な「ランチェスター戦略モデル式」の中に、戦略と戦術の配分を数値的に示しているものがあります。そこでは、戦略:戦術=2:1という結論が導き出されています。これは、最小で最大の功績をあげるためには、資源全体の3分の2を戦略に、3分の1を戦術につぎ込めばいいという原則です。この原則を基に、太平洋戦争中のアメリカ軍は、戦略兵器の開発などにより多くの資源を投入し、大きな戦価を上げました。日本では、突撃精神だけを拠り所としていたのとは、大きな違いですね。 ところで、これを受験戦争に使うとどうなるでしょう? え?そうすると、「勉強法」の開発に3分の2の力を使い、実際の勉強に、3分の1でいいのか?って、ドキっとすると思います。 しかし、受験における戦略とは、まずは、どの進路を選ぶか、どの学校を狙うかの意思決定に関わる部分で、それにより、どの科目のどの分野の力をつけたら良いか、どの出題傾向なら、勝てる力を準備できるか、の予測になるでしょう。それよりも、まず、将来どの方向に進みたいのかです。社会の将来予測も大事です。この吟味が疎かでは、あまりにも損失が大きいということです。 標的とする分野や大学が決まっても、その実力をつけるための方法論ももちろん戦略です。塾に通うのか?通信教育か? 家庭教師か?はたまた独学か? もっと現実的には、どの参考書や問題集を使うのか?学校の先生や友達は利用できないか? 受験情報をどうやって、ゲットするのか? また、学費はどうするのか?また、勉強部屋などの学習環境はどう改善するか? モチベーションをアップする仕掛けは無いか?など、考慮すべき戦略課題は、無数にあることがわかります。 ちなみに、私は、高校3年生の今頃、戦力の彼我を比べると学校に行くのが、一番の非効率だという考えに至り、極力サボることに徹しました。演劇部の部長だと言うのに、文化祭をほとんど手伝いませんでした。(決して、マネしないでくださいね。でも、当時は、必死で考えたことなのです。何せ、卒業式もサボったのです!)でも、それで、誰もがびっくりの奇跡を起こせたのです。 受験戦争は、ペンをもって、問題を解く以外のところに勝敗のポイントがあるのです!戦略は目に見えない領域、戦術は目に見える領域と言えるかも知れません。ビジネスにおいても、戦略がなければ、戦術は成り立ちません。営業マンの尻を叩くだけでは、経営者失格と言われても仕方がないでしょう。 同じように、子どもが机に座っていることばかり気にしていては、指導者失格と言えることだ忘れないようにしたいものです。
2010.09.20
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押尾被告の裁判で、あらためて、裁判員制度に考えさせられました。これは、専門家よりも、不特定多数の個人のほうがしばしば正しい決断をしているという考えなんでしょうが、「みんなの意見が案外正しい」のは、科学的なデータの信憑性から言っても、多様性、独立性、分散性の3つが維持されていることが必要なわけです。これは、かなり難しいことです。 裁判員が、6人いるから、6つの多角的な意見が密室の中で、交わされるかというと、まず、疑わしいですね。 必ず影響を受けます。科学的二重盲検法を使わないまでも、裁判員の人数よりも、二つの討論グループを作った方が、より、多角的になり、信頼性が増すのではないでしょうか? 何しろ、日本では、議論の仕方が訓練されていません。ちょっとした最初の影響力で、流れが決まってしまうことがしばしばです。 裁判員制度は、裁判員に召集されるのが嫌だ、という議論がほとんどですが、もし、冤罪で裁かれるとしたら、プロの少数の裁判官に裁かれたいか、または、一般の裁判員に裁かれたいか?考えてみただけでも、私は、プロにお願いしたいと思います。 もし、二つや三つの裁判員の独立したグループがあって、それらの一致した場合は、決定というなら、ある程度、納得できますが。 一般の人もつねに日常生活でいろいろな判断をしている。「そうした判断力を活かせば、法律の狭い世界に閉じこもっている裁判官に劣らない判決ができるはずだ」というのが、裁判員制度を支える論理です。 日常の判断力というのは、どれほど、信頼を置けるのか?そして、多様性もどうやって、保証するのか?人間の判断力くらい当てにならないものはないと、科学の歴史からも言えると思うのですが。
2010.09.18
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昨日、大失敗をしてしまった。さすがに、寅さんも、落ち込みました。落ち込んだ時に、効く薬はないかと、ネットサーフィンをしたら、ありました。[We are the world]です。ずいぶん昔の映像ですが、この世は素敵なことができる!とあらためて、気づかせてくれます。 この世は失敗の連続です。でも、たった一回の成功が、生きている意味を味あわせてくれるものです。
2010.09.18
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もし、イチロー選手を教室にお招きすることができたら、何を聞きたいと思うでしょう? (もちろん、まずは、サインや記念写真でしょうが。)先生になったつもりで考えてみてください。 イチローの数々の記録でしょうか?ヒットを打つ技術でしょうか?レーザービームの投げ方でしょうか?はたまた練習の仕方でしょうか? もちろん、それも野球選手にとっては、ぜひ聞きたいところでしょう。でも、将来野球選手にならない、一般の少年少女たちのために、何を話してもらいたいでしょうか? そうです。イチロー選手のこれまでの考え方であり、困難を乗り越えてきた歴史ですね。 同じように、科学者に出会ったら、何を聞きたいでしょう?アインシュタイン博士に出前授業をしてもらうことが、もしできたなら、何を話してもらいたいでしょうか?小中学校で。 相対性理論の話ですか?それも、もちろん、興味深いでしょうが、教師としては、違うところに視点がいくはずです。 そうです。科学者を本当に、特別なものにしているのは、彼らの知識ではなく、それよりは、それらの知識を得るための方法なのです。科学的な思考プロセスなのです。そして、その思考方法は、誰もが、有効に使えるものなのです。少なくとも、論理的に考える能力さえあれば。 そう考えると、今までの科学教育が、本当のおいしいところを、捨てていたか、あまり注意を払ってこなかったことに気が付きます。 まるで、アインシュタイン博士にお会いして、髪の毛のモジャモジャについてだけインタビューしたようなものです。 (うちの奥さんや、ばあちゃんは、ニュースをみて、内容ではなく、キャスターのファッションばかり気にしていますが) 科学は、哲学であり、美術であり、音楽でもあります。誤解を恐れずに言えば、一種の宗教でさえあります。とにかく、あなたの世界への認識が揺さぶられるものです。 その一端にも触れないで、知識の断片だけを提供してそれでテストをして、優劣をつけるなんて、イチロー選手に会って、彼のファッションだけを記憶させたようなものです。(ま、それも、興味深いですけどね)
2010.09.17
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教育界には、泥棒が横行していると思いませんか?子どもたちから、キラキラした目で、学ぶ喜びが、盗まれていませんか? 試験やレポートのためでなく、すばらしい本のために読書する、という喜びが。 小学1年生の子が、エリート進学塾で、他の子より、学業成績が著しく遅れてしまっていることを「悩んで」います。 盗まれているのは、子どもの喜びだけではないでしょう。学習指導要領に載っているからではなく、その問題が魅力的だからこそ、それを子どもたちに伝えたいという教師の喜び。教育の喜び。 これが盗まれているんじゃないでしょうか? 本来、これぞ、生きてる感動とも言える、様々な喜びの瞬間をことごとく、大人の「熱心な」「マジメな」野心が、食いつぶしています。その瞬間は、一生に一度なのです。それを、死んだ心で、出会い続けなければならないなんて。 子どもたちから、ただただ、学問への情熱、愛だけで輝いている教師の姿そんな姿を見る感動を、奪わないで欲しいと思います。
2010.09.16
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とにかく、日本の教育の文化は、子どもたちが、楽しいと思っていることに対して、否定的すぎると思いませんか? 私は、子どもの積極性を引き出したい、と心から願って、ジャブを繰り返しているのですが、なかなか、乗って来てくれません。 しかし、フト、子どもたちを観察すれば、オヤツにも目をくれずに、熱中しているものが、結構あるわけです。 それは、カードであったり、音楽であったり、アニメのキャラクターだったり。 そして、よく見れば、それらは、学習のネタの宝庫でもあることが、ほとんどです。これらを使って、授業をして、ずいぶん成果を上げています。 まず、普段読まない、文章を、彼らは自然に読んじゃうわけです。また、読解をして、作者の意図をまとめ、作戦を考え、表現活動にまで及ぶことがしばしばです。 文章をさっぱり書かない子が、ブログを開かせたら、書くは、書くは。結構、人を喜ばせる工夫までして、更新しています。 考えてみれば、私も、このブログで、すんごく成長させてもらっています。まず、人に読んでもらう喜びというものがあります。 すべての子どもに当てはまるわけでもありませんが、ブログは教育ツールとして、粗末にはできないと思います。 しかし、当然ながら、最大のネックは、周囲の大人の理解です。それらを、「勉強」とは、認定してくれないのが、普通と言えば普通です。 私も、できれば、親御さんたちを説得したいのですが、こりゃ、話しても、無駄だ。と思える、方も多く。スポンサーのご意向に従わざるを得ないことも、しばしば。 しかし、私が生徒を選べる場合においては、あらかじめ、私の考え、"遊び"こそが学習だ、ということに、同意していただいております。 そして、いっぱい遊ばせた方が、実は、結果的に学業も成績が良いんだ、ということを証明してやればいいわけです。 ただ、実際、こういうスタンスでやってて、おじさんには、ついていくのが、たいへんなジャンルがあるんだなあ。つくづく、子どもたちは、凄いなあ、と感心してしまっています。 とにかく、子どもが主体性を発揮している場面というのは、必ず存在しているのですから、そこを逃さずに、活かせばいいのです。
2010.09.13
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さっき、イヤなことを書いたんで、お口直しです。 教育関係者の心得の第一は、何と言っても、……何だと思います?そうです。自然で素敵なスマイルです。これこそが、教師になるパスポートだと、私は、心底思っています。 で、笑顔体操は、欠かせませんね。(しかし、私も、ときどき忘れます)だから、これから出動にあたって、この準備運動をしていきま~す。 まずは、発声練習。よく、演劇部で、アエイウエオアオをやりますが、重要なのは、は行です。(ハヘヒフヘホハホ)、(ハッハ、ヒッヒ、フッフ、ヘッヘ、ホッホ)、フッヒーというフレーズが1番笑顔になるフレーズだそうです。写真に写る時はチーズではなくて、フッヒーで撮りましょう。または、キウイもいいですね。キムチ、ウイスキーも。 そして、フッヒーの後に、両方の人差し指で、口角を上げた状態で10秒止める×2セット。 これに慣れたら、普通の顔から、笑顔になる練習を。やっぱり人差し指を使い口角を上げた状態で。 さらに、フッヒーで止めた状態で口の筋肉を使って口をタコの口みたいに前に出して、前後運動。 仕上げは、笑顔3段階深化トレーニング第一段階、歯を見せない笑顔。第二段階、歯を見せて笑顔。第三段階 これ以上無い大きな笑顔。 これが、教師のエチケットだと思います。たとえ、家庭でどんなことがあっても。たとえ、職員室で、どんな理不尽なことがあっても。先生の笑顔だけは、太陽のように変わらないのです。 この笑顔の前には、授業技術なんて、何てちっぽけなんだといつも思ってしまいます。
2010.09.13
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ある子が、学校でイジメられている。昨日、私は、周辺の対応に激怒して、夕飯も喉を通りませんでした。イジメを受けている子に原因を求めようとしていたからです。 昔は休み時間といえば、子どもの天国だったのものだけど、今はこの休み時間こそがいじめの舞台となっています。それも当然。教師のいない教室は無秩序そのものだし、子どもたち自身が、秩序を作っている力は、今、無いのです。 教師がいなくなった瞬間に教室は、目には見えない暴力の支配する空間になるのです。 この原因を、子どもたちの規範意識の低下に求めている人は多いです。子どもも、大人も、自分の感情をストレートに表現することだけを学んでいる、というのです。個性重視の弊害だと。 本当にそうだろうか?たしかに、規範意識は薄くなっています。 しかし、私は、子どもたちが、自分を表現しているとは思えないのです。彼らの中で、友達に、はっきりと自分の考えを伝えられる人は、どれだけいるだろうか? 彼らなりに、刻々変わる力関係を鋭く読みとり、強い者に迎合する発言だけを繰り返しているように、私には感じられます。ボスの意を汲んで、さらに輪をかけた発言を、容赦なくしているのです。 あえて言えば、そういう迎合が、卑怯だとか、情けないとかいうそういう規範が少なくなっているのです。 でも、これって、テレビで毎日放映されてません?お笑い芸人が、その場の空気の支配者に迎合して、侮辱的なことを言われても、ヘラヘラしている様子。 ああ、こうなんだ、って、子どもは思ってしまうんじゃないでしょうか? う~ん、私が言いたいのは、規範は大事なのだけれど、その規範意識って、どうすれば身につくのか、ってことです。 昔は、ガマンを覚えさせるのが教育でした。だから、ガマンして、辛い授業も耐えたのです。 今は、ガマンを教えないから、学級崩壊してしまってるのでしょうか? 私は、ポイントがずれていると思います。ガマンで、抑制された秩序は、本当の平和とは、程遠いと思うのです。 そうじゃなく、個人個人が、自己肯定感をもてない教育をしていることにその根本原因があるように思います。 自分で自分にOKをあげられないのです。だから、人の評価ばかりが気になります。その不安な気持ちを「ストレートに」「自由に」表現しあっていると、当然、誰かを貶めて、比較優位の状況をつくり、自分の安心・安全を守ろうということになります。 子どもたちは、傷ついた心を「自由に」表現しているに過ぎないのです。その自由を抑制したからと言って、問題解決にならないのは、当然です。いわば、病気の潜伏期間が終わって、表に出てきたのです。 子どもたちの自尊心を高める教育が、ストライクなのだと思います。その観点から見ると、今の学校教育システムは、根本的に、土台から覆されなければならない。 教師とは、何者か?人に教えるとは、何なのか?同じ年齢の子どもが、狭い空間に長時間いる意味は、何なのか? ここから、問い直していかなければ。 ある意味、発病は良いことです。隠されていた問題が、はっきりしてくるのですから。 この病気にどう対処するか?表面だけを取り繕っては、医者の恥だと思います。
2010.09.13
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私の生徒で、高専を目指す中3生が数人います。既に、入ってロボコンで活躍している子もいます。高専は、ご存じのように、工学系の人材育成のために作られたもので、正に、理数系です。 で、注目すべきは、その就職率です。100%というもんじゃありません。求人が、10倍~30倍が普通なのです。内定も1社目から出ちゃうのです。 もちろん、中3生に将来の進路を決めさせる是非もあるでしょう。また、目先の就職での強さと、就職してからの出世の強さの違いもあるでしょう。 しかし、この就職難の時代に、この売り手市場は、もっともっと注目されてしかるべきだと思います。 理数離れと言われています。だからこそ、人と逆のところに、花があるのです。生涯収入も、理科系の方が、文系よりあきらかに多いというデータも先日発表されましたね。 文系の高校生は、好きな理数科目を履修できない高校が多いです。 しかし、私が慶大をターゲットにしたのは、文系の中で、数学があったからです。それも2Bまで。これは、数学好きな私にとっても有利に働きました。 人とズレていること。これは、実社会では、強みにこそなれ、否定すべきことではありません。 これは、判断の基準からにして、一般的な基準を受け入れるかどうかの問題にも通じますね。 進路選びで、一般的な難易度で選ぶのは、愚の骨頂です。 大学にしろ、会社にしろ、勝負は、10年後、20年後なのです。いや、40年後が、勝負かもしれませんね。その時、何が一番輝いているでしょうか? ともかく、自分のアタマで考えてみたいものです。 欧米人に、マツタケとシイタケの香りを嗅がせたら、マツタケの香りを「脱ぎ捨てた靴下のようだ」と評価した人がいたそうです。 もしかして、日本人は、マツタケが高級だという先入観によって、有難味を感じているだけなのかもしれません。 もし、マツタケがシイタケや、エノキダケのように、じゃんじゃん売られていたら、感激して食べてるでしょうか? 安い素材の中に、いや、雑草の中に、とんでもなく光るものが、きっとあると思います。それを見出すことができる力、というものは、普段から、自分の感覚を大事にして生きる力だと思います。 本日、角田市でのイベントで実験教室を開かせていただき、本当に感謝いたします。感想の中で、「何才になっても、今日のことを忘れません」というとっても、それこそ、ありがたいお言葉がありました。ぜひ、世の「お勉強」の常識に負けずに、ワクワク学習を貫いていって欲しいと思います。 とにかく、人と変わっている、というのは、財産です。
2010.09.11
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つくづく恐ろしいと思うのですが、私たちは、誰かを見る時、何かの色をつけて見てしまっています。別の言葉で、背景の色です。その背景色によって、くっきり見えたり、くすんで見えたりします。 子どもについて言えば、元気で明るい子に見えたり、多動症のうるさい子に見えたり。 どちらが、間違いということではなく、どっちも真実なわけです。 例えば、 あるお医者さんは、手術の腕前が 「死亡率10%」 もう片方の医師が、「 生存率90% 」と説明された場合、実際は同じ腕前であるにも関わらず、ほとんどの人は、後者の医師にかかろうとするでしょう。 こんなことは、教育の世界では、日常茶飯事です。 できるだけ、マイナスの言葉を使わないように、という教訓はこういうことからも言えますね。 また、背景そのものを、変える努力も必要です。「割れ窓理論」のように、犯罪をしても誰も気にしない、というような背景を作ってしまってはいけないわけです。 私は、マーケティングの教授から繰り返し、「複眼で見る」ことを指導されました。物事は、一面だけから見ると、実態を見失います。 だから、肯定的な見方だけでなく、否定的な見方も、踏まえておく必要もあります。 その上で、肯定的な見方、つまり、背景の色として、明るいものを「選ぶ」のです。 私たちの背景の最たるものは、感情でしょう。気分が良い時の見え方と、イライラの時の見え方の違いです。 ですから、複眼で見るには、感情をコントロールする必要があります。感情に振り回されるのではなく、逆に使うのです。 教育に感情は重要です。何せ、子どもたちは、論理をダイレクトに受け取るのではなく、感情を通じて受け取るのですから。 教師こそ感情のプロにならなければ、と自戒をしています。
2010.09.10
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最近、反省していることがあります。 実験イベントの時、最初から最後まで、驚きの連続で埋め尽くしてやろうと、考えていたことです。これは、参加者のことを考えてというよりも、私の欲望が優先されていたかもしれません。 気づかせてくれたのは、「ピーク・エンドの法則」です。この法則は、行動経済学の分野を確立し、ノーベル経済学賞を受賞した経済学者ダニエル・カーネマンが1999年に提唱したものです。 これは、あらゆる経験、例えばデートでも、仕事でも、結婚生活でも、最高潮に盛り上がった「ピーク」のときと、最後の「エンド」のときに、それぞれどれくらい楽しい経験があったかで、主観的な記憶は塗り替えられてしまうというものです。 例えば意中の人とデートをする場合、ピークのときの、相手の心を打つような最高のひと言と、別れ際の優しい言葉や気の利いた態度さえあれば、デート中、どんなにうまくいかなくても、記憶に残らないということです。 これは、しまった!今まで、俺は何をしてきたんだ! 面白くないところが無いように、と、逆にピークを作らなかったんじゃないか?また、終わりの時、そっけなかったんじゃないか? 私は、何かに取り組もうとするとき、どうしてもすべての部分に力を入れすぎる傾向があります。要は、落とし所なのです。そこに向けて、ピークのあるストーリーを組み立てていけば良かったのです。 実際、映画を見るときも、終わりよければすべてよしで、エンディングの印象がもっとも重要ですよね。また、その映画の中に一つでも印象深いシーンがあると、そこだけが記憶に残ります。 授業でも、途中、どんなにつまんないことをさせても、一か所でも、グッと来る、インパクトがあればいいのです。そして、最後に、またやりたい、と思えること。または、成果が見えればいいのです。 「最高」と「最後」の瞬間こそが、人間の記憶にとってもっとも重要だったのです。 一年間の学校生活でも同じです。普段364日、つまんない授業でも、その中で、一日でも、いや、一時間でも。「最高!」の瞬間があればいいのです。そしてどれだけ「最後」が幸せな記憶になったか。このたった2つだけが、重要なポイントだったのです。では、具体的にはいったいどうすればいいのでしょうか!? 授業の最初は、難しい問題を出題する方がいいことになります。よく、最初、簡単な問題を出して、最後に難問に挑戦させます。これでは、もし、解ければいいのですが、解けなかったりしたら、悪い印象だけをもって帰ることになります。 そして、完璧主義にならないこと。途中でどんなにギャグがスベったり、カッコイイ言葉をしゃべられなかったとしても、子どもたちの記憶にはまったく関係がないのですから。 コンサートで言うなら、たとえ失敗した曲が何度あってもいいから、最高の曲が一曲あればいいのです。失敗するのを恐れては、かえって、記憶に残るほど強いピークが作れないのです。 また、授業中、うんと頑張ったとしても、最後をなおざりにしては、せっかくのお宝を輝かせないで、子ども達の記憶には何も残らず、次の授業への意欲が限りなく0になるのです。 「みんな、がんばったね。○○君、ありがとう! 君たちは、もっともっと伸びるよ。君たちみたいな生徒を教えられて、幸せだなあ!」と精一杯の言葉がけをしましょう。できれば、握手やハグをしてもいいくらいですね。 さらに教室を出た後も、もしかすると、旅館の女将のように、「1度は振り向け! そして微笑め!」。の法則を実行してみるのも、面白いですね。風のように教室を出ていくだけが、能じゃないかも。 とにかく最後をあったか~く終わりたいものだと思います。
2010.09.09
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普通、私たちは、好きな人には、プレゼントしたり、助けてあげたり、こちらが何かしてあげようとします。逆に、嫌いな人には、そんな手伝ったり、奉仕したりしませんね。 ところで、あなたが、好きでも何でもない人から、仕事の手伝いを頼まれたとします。そして、手伝っちゃったら、その相手をどう思いますか?憎らしいと思うでしょうか?ところが、なのです。大きな確率で逆の作用が起きるのです。 何と、あなたの心の中では、「何故、手伝うことを了解したのかしら?」 ↓「嫌いな人を手伝うはずがない」 ↓「自分は、この人が好きなのだ」 ↓「そうでなければ、自分の行動は、矛盾する」という心理が働くそうです。いつのまにか、あなた自身が、自分の行動に納得いく説明を考えてしまうのです。 これを認知的不協和理論というのだそうです。心の中にある矛盾を解消しようとする心理作用のことです。その場合、変えやすい方の認識を変えてしまうのです。 このことから、こういう作戦が考えられますね。生徒に、授業に関心をもってもらうためには、生徒に頼みごとをいっぱいするのです。授業の準備を頼むのです。また、授業中に、いろんな役回りをさせるのです。もちろん、感謝の言葉も忘れずに。 私は、実験会場に早めに来た子には、たいてい準備のお手伝いを頼みます。ほとんどの子は喜んで手伝ってくれます。手伝いの奪い合いになったりします。そして、手伝ってくれた子は、間違いなく、授業中のキーパーソンとして積極的に参加してくれます。 もちろん、この理論は、恋愛に使えますね。 好きな人には、プレゼントするのではなく、してもらう、という。よく、好きな人には、奉仕をしてしまうもんですが、援助してあげるのではなく、援助してもらうほうが、良いのです。じゃあ、ずうずうしいヤツがモテルのは、こういう訳なのか!?実際、実験されてもいて援助をお願いして、そうしてもらうと、頼まれた相手は、頼んだ人に好意を持つことが確かめられています。好きな人には、お願いをしてみることですね。 ただし、例外はいつもありますので、ほどほどにね。結果が逆効果になっても、私は責任は持ちませんので。
2010.09.07
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科学的な判断というのは、実際、とても難しいものです。人間は、様々な錯覚や非合理的な判断をしてしまいがちです。いや、四六時中、錯覚の中にいるとも言えるでしょう。その代表的な錯覚のひとつに、「予言の自己成就」があります。 本人が、「こうなるだろう」と思い込んだものは、意識してようが、無意識だろうが、その予言や主観的な期待に沿うような結果を生じさせる行動を引き起こし、それをしたために、結果的に、自己の予言や期待通りの結果が生み出し、「やっぱりそうだ!」となる、そんな予言です。 科学実験でも、実験者効果というものがあります。実験の対象が、実験者と意識の交流ができる場合ですが、たとえば実験者が、「こういう結果になれば望ましい」といった願望をもっていると,知らず知らずのうちに被験者の行動(あるいは反応)に影響を及ぼしているような場合があります。 教師の期待が、生徒に影響を与えるピぐマリオン効果は、有名ですね。 前に批判した、「血液型占い」も、「それは正しい」んじゃないかという期待を持つと、当てはまるところだけに注目しちゃうもんなんですね。人間は。それで、ほら、「血液型占いは正しいじゃん」という期待通りの結果を自分で生み出してしまいます。 これは、レッテル貼り効果だとも言えますね。あの人はB型だとすると、あの人は、「××だ」と決めつけてしまうのです。人・物事に対して自分が貼ったレッテルや、あるいは他の人によって貼られたレッテルだけで、私たちは、人・物事に対する評価・判断を決めてしまうがちです。 どうして、そんなことをしてしまうのでしょう?レッテル思考をすると、人や物事の内実や実態を、ひとつひとつ自分自身で確認しなくても判断できると思い込めるんですね。つまり、脳ミソが、怠けられる。エネルギー節約の法則なのです。 このレッテル思考は、その思考にはまっている人が、自分がそのような思考をしているとの自覚が無いことが多いものです。だから、怖くて、根が深いものがあります。 特に教育者は、慎重に、自分の貼っているレッテルや、自己予言を、見つめていなければなりません。 でもね、考えてみると、予言の自己実現は、常に都合の悪い結果を引き起こしてるとは限りません。「俺たちはできる。」「無敵だ!」というのも、レッテルですよね。 また、社会生活が成り立っているのも、たとえば、日本はそう簡単に、破綻しないだろう、という予言があるから国債も買われ、年金も支払われているわけです。銀行も取付騒ぎが起きず、信用取引も、行えるわけですね。 うまり、予言の自己実現は、常に働いているのです。これを、ある人は、引き寄せの法則と言っているのではないかと思います。 そもそも、人間の認識は、レッテルを貼らずには、成り立たないのではないでしょうか?これは、机だ。これは、リンゴだ。というカテゴリーを作って、はじめて認識ができるわけです。 そして、状況認識には、つねに予言の要素が含まれているとも言えるでしょう。細かい予言の連続です。 だとすると、教育というのは、良い予言をすること望ましい予言を作りだすことこう意味づけることもできるのではないでしょうか?科学的な判断では決してありませんが、効果があるのですから、使わない手はないですよね。だって、可能性が無いわけじゃないのですから。
2010.09.07
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今、消防団の演習の真っ最中です。早朝から、丸一日、雲ひとつない空の下。おっさんたちは、気をつけ、まわれ右をしています。 おじさんたちは、ま、自業自得にしても、子どもたちの運動会は何とかならないもんでしょうか? 先日も、ある中学校で、練習中に、4人が救急車で運ばれました。柔軟に、スケジュール変更できないかなあ?難しいのは、わかるけど、だからこそ、柔軟性のある学校には、拍手をいっぱいしたいと思うのですが。
2010.09.05
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科学の歴史を観ていると、不思議になることがあります。その科学的発見の重要さと影響力の大きさは、それに注ぎ込んだ時間と努力に反比例の法則があるような錯覚に陥ります。 普通、学校では、努力・根性(もう古いか)忍耐が尊ばれます。エジソンの「天才は99%の努力から」というのは、きっと真実でしょう。 でも、根本的な問題の解決は、普通の問題の解決よりも、少なくとも、「難しいとは限らない」。いや、簡単なことが多いのです。 DNAの構造解明は、20世紀最大の業績の一つですが、クリックとワトソンが、わずかな電線とプラスチックで半年もかからないで解明しちゃったものです。 もちろん、そこに至るまでに、紆余曲折があったでしょう。しかし、ズバっと、核心に切り込む大切さは、強調してもし過ぎることはないと思います。 今、科学も社会問題も、細分化・専門家され過ぎて、全体構造が見えにくくなっています。 また、ひとつの実験をするにあたって、いくつもの段階を踏むことが当然視されています。 しかし、核心の周辺をうろうろする努力も、核心のど真ん中を解明する努力も、その必要量は、どっちが多いとも少ないとも言えないのです。 私の感触では、本質を突けばつくほど、あっけないほど、カンタンに城は落ちるもののようです。なぜなら、この宇宙の構造が、シンプルなのだからだと思います。 人生は短いのです。ズバっと生きたいと思いませんか? これは、進路を決める時にも言えると思います。倍率の高い、難関な会社や大学が、将来とも本人にとって良い環境なのかどうかこれは、本当に何とも言えません。かえって、波動の法則から言って、今、絶頂期のところは、必ず衰退するものです。 意外に「今日からおいで」、と言ってくれるところに、将来のお宝が隠れていることが、この世の秘密のように思います。 では、何を基準にターゲットを決めるのか?どうせ、将来のことは、わっからないのだったら、自分の人生の核心と言えるテーマに、直球を投げてみるのが、正解だと思うのです。跳ね返されたら、その時、その後を考えればいいのです。
2010.09.04
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「I am Sam」という映画をご存じですか?知的障害(7歳程度)を持つ父親と、幼い娘との純粋な愛を描いた感動作です。昨日、ひょんなことから、ビデオを家族で深夜、観てしまいました。う~ん、眠たいのに、眠るどころじゃなかったじゃないか! いろんな重いものを持った内容で、支援活動の現場からは、批判もありそうな気がします。が!生きることの本質を、ぎゅっと鷲づかみにされた気がしました。 親の条件とは?問いつめれば、知能レベルでも生活能力でも無いのだ!娘が親の知能レベルを追い越してしまっても、逆に親子の絆は、より強固になりうるのだ! 世の教育や、その悩みとは、一体何なんだ! 師弟関係にも言えます。「恩師」とは、すごい知識を与えてくれた人でしょうか?そういうこともありうるとは思いますが、私の場合は、知識もさることながら、どこの馬の骨とも知らない者を、信じてくれた人です。信じ抜いてくれた人です。 あの信頼には、何としても答えなければならない!百の説教が無くっても、私は一生の重荷を背負ったのです!(ありがたいことですよ)自主的に。 授業のテクニックは大切です。日々研鑽していかなければならない。しかし、その根底には、子どもを、生徒を愛し、信頼する感情が脈々と流れていなければ。 子どもは、必ず見抜きます。へたに、知識や社会的に地位があると、それにかき消されてしまいます。大切なものが。 だったら、そんなもの何も無い方が、よほどマシじゃないでしょうか? 「お前、あんな親子関係、師弟関係をもったことがあるのか?」と言われているようで涙を流している、女房子どもの横で、ズキズキと針のムシロの映画でした。
2010.09.03
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科学実験は、敷居が高いと言われます。確かに、実験道具やら、その準備、片づけなど、本をやればわかること、どうしてしなければいけないのか。 私は、これまで、結論がわかっている実験を「科学実験」の名に値しない、技術作業の授業だと批判をしてきました。でも、最近、ちょっと反省しています。 今日は、ワクワクドキドキとは、少し別の見方から考えてみましょう。 よく、計算を紙に書かないで、暗算でやってしまってる子がいます。そういう子が、その後、成長することは、期待薄ですね。 文章問題も、絵図を書かないで、すぐ数字をこねくり回す子も、その後の伸びは、高が知れています。 昨日の社会にしても、すぐに地図を書いて、それに色塗りして、はじめて見えてくるものがいっぱいあります。 理科にしても、地球と月の大きさ、太陽の大きさ、太陽系の大きさなど、絵図にして、または、モデルの球を比較してはじめて「わかって」きます。 実験・観察も、極力、体を動かして、イメージを作ってみることです。実験の仕方も、頭でわかっても、実際にやってみると、様々な問題にぶつかります。そして、ほとんどの場合、その場で臨機応変に、代用品で急場をしのぐ必要がでるものです。でも、それが新しい発見につながるのです。実験の幅を広げるのです。 また、これは、絶対にウケると思ってやってみても、意外に受けないということが、十中八九起こります。(だから、私のネタも、いろいろ試すんですが、オススメとなると、限られたものになるのですが(T_T)) 勉強は、行動だと、つくづく思うこのごろです。少なくとも、このブログのように、自分が気づいたこと、学んだことを、書きしるすだけでも、一つの行動です。 絵図を書くのも行動です。 よく、作文の宿題の進行状況を聞くと、「どんな話がいいか、構想を練ってるところ」「どんな書き方がいいか考えてる」という返事がきます。 実験メニューにしても、「すごくいい実験を思いついたんだ」 などなど...。 確かに頭で思いめぐらすのは、大切です。 でもそれ以上に、「行動」で考える方が、その数倍大切なのだと、思います。 だから、学習の成果は、とにかく、具体化・イメージ化する量にかかっているようです。、それらを、アウトプットと呼んでみると 学習成果 = (インプット) × (アウトプット)のように思えます。 当然ですね、「いっぱい情報を仕入れて、たくさん創造した人」こそが、もっとも多くの応用力を手に入れます。 インプットだけでアウトプットゼロでは実は、ほとんど何も得られてないことが、しばしばです。 でも、実は、それ以上かもしれません。 実際、アウトプットしてみると「あれ? この知識、つじつまが合わないぞ。」「こっちの情報も知らなければ、意味がないじゃん?」 なんて、思考や方向性が、大きく変わっていくものです。 これ、アウトプットしてみないと分からないものです。実は、今日の記事も、本当は、実験の仕方について書こうと思ったのですが学習方法全般に関係すると、書いているうちに見えてきています。 ですから、アウトプットすればするほど思考や全体像を、より大きく軌道修正していくことができるのです。もちろん、いい方向に、です。 とすると、先の計算式は、 学習成果 = (インプット) × (アウトプット)の2乗 となるんじゃないでしょうか? さらに、さらに、アウトプットを大量生産をしていると必ず、人の目にとまります。そうすると、評価されます。最初は、へたくそでも、ひたすらアウトプットをし続けていれば、必ず、光るものがでてくるものです。 だいたい、アウトプットする学習者自体が少ないですから、そうしていること自体を評価されます。これが、成功体験となり、これをを積み重ねていけば、それは「自信」になるのです。 まさに、私の科学実験がこれに当たると思います。 すると、さらに色々な行動がしやすくなります。また成功を重ねることで、周囲からの協力や信頼も得ることができ、さらに全体がうまく回りだすのです。 この要素も入れると、先ほどの計算式は、 学習成果 = (インプット) × (アウトプット)の3乗 となる、恐るべき方程式が顔を出すわけです。 でも、これって、学習ばかりでなく、社会生活、すべてに当てはまるかもしれませんね。机上の空論よりも、まず実行、そして、反省・修正つまり、大きな意味で「実験」です。 たとえば独立・起業するにしてもあれこれプランを練るだけでなく、小さな実験を繰り返すべきです。 「恋人を作りたい!」と思ったときも、一発勝負の名文句を考えるよりも、日常で、小さなトライを続けるべきですよね。そうすると、経験値が高まり、視野も広がってもっと良い人が見えてくるものです。 話は、元に戻して、理科実験も、教科書の後追い実験でも、いいのです。真似ごとでもいいのです。そのホンノちょっとの行動やアウトプットが、人生を大きく変えていく可能性は大なのですから。
2010.09.02
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昨日、薩長同盟の問題を解ける子に下関砲台の場所を聞いたら、とんでもない場所を地図で指すのです。もしや、と思い、長州の場所を聞くと、広島や兵庫と勘違いしてるんですね。 このように、言葉で覚える社会は、恐ろしい落とし穴があります。さらには、覚える労力の割に、応用力がつきません。 社会が苦手な小中学生が、意外に多いです。意外というのは、私が好きだから、意外に思ってしまうんでしょうが、彼らの共通点は、文字で覚え込んでいることです。 以前から、どんぐり倶楽部の「絵で解く算数」をやらせたノリで、絵で解く社会(私の造語)をさせ出したら、効果が確実に上がっています!先日も書きましたね。 だいたい、常に地図を書かせていますので、以前は、アフリカがどれかもわからなかったのですが、世界地図も、日本地図もあっと言う間に、概略を書けるようになりました。 また、登場人物のイラストも書きますので、感情移入もできるようになります。大政奉還と王政復古の大号令の違いがどうしも、スッキリしなかった子が、そのイラストを書かせたら、「ようやくわかった」と言っていました。 私が参考にしているのは、youtubeの「神野の世界史劇場」サンプル講義まあ、この他にも、いっぱいありますが、神野先生本人が、絵で覚える必要を強調しているのが、説得力があり、ときどき生徒にも見せています。 私は、それらの絵をカードに書かせて、それをファイルさせ、必要に応じて、取り出して、試験直前の復習に使わせています。画期的な効果をもたらしますよ。 先日、中1の子に、英語を教えながら、英語のふるさと「英国」のことを聞いたら、どこのことかわかりません。イギリスだと教えても、やっぱりイギリスの場所がわからないのです。こんなもんです。
2010.09.01
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