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家内の知り合いにまだ40才になったばかりの女性がいる。5年ほど前から、広告やミニコミ誌出版、ホームページ作成など多岐にわたる内容の会社を任されて経営している。詳しくは聞いていないが、女子美をでて建材を扱う会社に就職し、いろんな事を提案、企画して仕事をしているうちに、社長に認められ、専務という肩書きだが別会社を完全に任されている女性だ。だがバリバリのやり手という感じではなく、小柄で一見二十代に見える可愛らしい方だ。先日の日記に書いた「縄文」ちゃんのお母さんだ。その女性の関係先から、正月向けの贈答品を作って欲しいとの注文があった。私の店は日用品が主なので、贈答用の包装など用意がない。箱や袋は合羽橋でそれらしい物を探してきたが、上手な包装の仕方がわからない。その時である、その女性の実力を思い知らされたのは。色紙を二枚少しずらして重ね、熨斗らしく折る。40箱の注文だったが、40組すべて違う組み合わせで色紙を使う。そして水引用の紐でおしゃれに結び、紐の先端を金色の小さな丸ラベルでとめる。私の店の名前を素敵なフォントで印刷し、お正月らしい背景に店名が浮き出るようなラベルを袋に貼る。中身の商品もいろんな提案をしてくれて、飾り付け作業も手伝ってくれた。色紙を折ったり、紐を掛ける作業は全部彼女がやってくれた。パッケージだけでお代をもらえるね、なんて言ってしまったぐらいの見事な見栄えに仕上がった。でも彼女は材料の実費だけしか請求してこないのだ。的確な提案、手際のよい作業、能書きも不満も言わずにやり遂げる。評価を求める様子もない。その彼女へのお礼に、今日横須賀汐入の「ソルト・イン」へご招待した。ここはゴーヤ泡盛さんの日記で知ったレストランだ。2年前に知り合った人を楽天日記で紹介されたレストランにご招待。どんな時からでも輪は広がるものだ。もう女子十二楽坊のコンサートに行く時間になってしまった。とりあえず水曜の話題はここまで。
2004.03.31
下の娘が料理にはまっている。先日は1時間以上タマネギを炒めて、オニオングラタンスープを作ってくれた。別の日にはロシア料理のペリメーニを作り、友達を呼んでご馳走していた。今日はボルシチとピロシキを作っている。「火の鳥」といういかにもロシア料理というレストランによく行っていたので、味のイメージは出来ているようだ。インターネットでレシピを調べ、櫛形に切るってこうでいいの、とか肉の塩こしょうはこの位でいいのとかうるさく聞いてくる。私は家内にペーパー調理師と呼ばれているが、一応資格はあり理論だけはのたまうのだ。ボルシチにはビーツが欠かせないそうだが、お父さんビーツってどんなのとの質問。私はビーンズと勘違いして、そんなのいらないと答えたが、またネットで調べている。たまたまあるスーパに売っていたので、買ってきたが、スライスしたビーツと缶詰の汁を入れたら本格的なボルシチの味になってきた。ピロシキの具はタマネギと挽肉と春雨だけの簡単なものだ。私は春巻きの中身を想像していたのだが、これなら余ったら濃い味付けにしてご飯にのせても食べられそうだ。ピロシキの皮は商売柄沢山あるので、娘が包むのを手伝ってあげて、商売用のフライヤーで揚げてやった。先日ペリメーニは100個も作ったので、一部冷凍してある。それを時間に合わせて解凍するだけだ。今日はこれから下の娘の友達が泊まりに来る。自分で作った料理でおもてなし。小さい頃からいろんな所に連れて行き、いろんな料理を食べさせてきた。味さえ体で覚えておけば、作るのはいつからでも出来ると思って連れ歩いていた。子供の作る料理を食べてみて、長年の成果が現れてきたなとちょっと嬉しい気分である。………………上の娘や家内と一緒に下の娘の友達と話をしていた。たわいもない話なのだが、何故か楽しくてしょうがない。部活の話やお祭りの話だが、なんでもないことが無性に可笑しい年頃なのだろう。いつもは休みの前で、一人で飲み歩く日なのだが今は雨もひどいようだし、このまま笑い声を聞きながら寝ることにしよう。友達をよんでくれる娘達におおいに感謝したい。
2004.03.30
veruchiさんが大森海岸で泳いだことがあるという。私も本牧の海水浴場で泳いだことがある。東京湾の砂浜はいつ頃から消えてしまったのだろうか。先日本牧の従兄弟と話していて、本牧の海が埋め立てられてしまったのは昭和30年代後半から40年代初めだろうと記憶をたどった。昭和33年生まれの家内が父親に連れられて、熊手とバケツを持って本牧に行き、埋め立てられた海を見て愕然としたのが小学校の低学年だという。東京湾内でも有数の海水浴場だった横須賀の馬堀の海岸が埋め立てられたのも40年代初めだった。以前の日記「30年ぶりに鳥を見に」でも書いたが、昭和47年頃は東西線行徳駅の海側は一面の蓮の田んぼだった。でも沖合では埋め立て工事が急ピッチで進んでいる様子だった。神田の総合卸売市場を移転するために大井沖の埋め立てが行われていたのもこの頃だ。浪人中に車の免許を取った私は、埋め立て中の大井に珍しい鳥が来るというので、慣れない運転で横羽線を飛ばし、立ち入り禁止の看板をどけてよく埋め立て地に入った。大学在学中に立て続けに大井の埋め立て地に珍しい鳥が来たので、埋め立て地の一画に出来た潮だまりにもよく行った。この鳥たちのお陰かはわからないが、この池のようになった潮だまりの一画を保存しようとする運動が起きた。そうして出来たのが今の大井野鳥公園である。MM21の為に桜木町駅の隣の三菱重工を移転させるべく、杉田沖を埋め立てていたのもこの頃だ。杉田から金沢のシーパラダイスまでの埋め立て地にもよくもぐり込んだ。干潟に来るシギやチドリを見るために、悲しいかな埋め立て工事中の地は絶好の観察ポイントだったのだ。千葉の柏や我孫子に親戚のいる私は開通直後の東京湾海底トンネルや、部分開通の湾岸道路もよく利用した。何故か埋め立て地の変容を知りたくて、埋め立て地に出来た新しい道路を利用することが多かった。こうして振り返ってみると東京湾の埋め立てと、国道357号線、湾岸道路の建設とが非常によく結びついている。過去を振り返れば世界的にも貴重だった渡り鳥の中継地、葛西三枚洲をもっと前に失っていた。今は地名でしか残っていない天王洲、鮫洲なども貴重な干潟だったのだろう。遠浅の海岸、干潟の自然界の中での役割が今見直されている。高度成長期には世界に追いつけ追い越せだけで、自然の大切な役割など検討する余裕もなかったのだろう。でもせめて多摩川と江戸川の間に自然の砂浜を残そうと発想する為政者が一人でも居てくれたら、東京湾はずいぶん違ったかたちになっていただろうと思うと、やるせない気持ちで胸が押しつぶされそうになる。
2004.03.29
下の娘がオニオングラタンスープを作ると張り切っている。タマネギを切って、ソテードオニオンになるまで炒めるというのだ。かれこれ一時間以上炒めている。やはり本格的なのを作りたいのだろう。オニオングラタンスープといえば我が家では富士屋ホテルである。「お父さんに富士屋ホテルの味を思い出させてあげたくって!」そういう娘の言葉が胸に刺さる。箱根宮ノ下の富士屋ホテルに時々行く。その時のことを思い出した。天気のよい日などドライブを兼ねて行くにはちょうどよい場所にあるので、子供が小さい頃から行っていた。大体食べるのはカレーとオニオングラタンスープである。お腹に余裕があれば他のアラカルトなども注文する。でもある時私が血迷った。数量限定スペシャルランチ一万円というのがあったのだ。伊勢エビとカレーとか、サーロインステーキとカレーとか、4種類ぐらいがメニューに載っていた。しばらくステーキを食べていなかった私は、何が何でもサーロインステーキを食べたくなってしまった。単品を二つぐらい頼む娘や家内の横で、私はこれ見よがしにスペシャルランチのメニューを見続ける。しびれを切らした家内が、そんなに食べたかったらそれ頼んだらと諦めにも似た助け船を出してくれたので、数量限定のステーキカレーを頼んだ。美味しかった。求めていた味である。でも予想していたより量が多い。娘や家内に「美味しいから少し食べてみる?」と親切に聞いたのに、答えはいらないである。一生懸命勧める私に冷たい言葉が返ってきた。「おなか一杯なの?」「いやあまりに美味しいから食べてもらいたくって」「でもあたし達お腹一杯だよね~」既に復讐が始まっていたのにようやく気がついた。「ゴメン、少し残しそう」「へ~、一万円のランチを残すの!」「俺が悪かったから、少し食べてよ」「全然いらない」どんなにいい材料を使っても、一万円もするカレーはなかなか出来ないはずだ。後は量で勝負か。皆さんも高い料理を頼む時はよ~く注意してね。
2004.03.28
前回の日記は、私の日記史上もっとも盛り上がったネタだった。今回は一転して堅いお話。4月1日から消費税の総額表示が始まる。商品の価格を消費税を含めた金額にして、今後の消費税率引き上げの時の抵抗感を減らすために財務省官僚が考えた、非常に姑息な手段だ。今一般的に行われている外税表示にしておけば、消費税率が上がるたびに納税者の痛税感が増し、税の使い道により厳しく関心を持つ。民主主義というのは政治という手段を用いて、税金の使い道を統制し、監視するシステムである。税金の使い道を、より分かり易く透明性を高めて開示する努力をするのが役人の務めである。なのに依然として、よらしむべし、知らしむべからずの衆愚政治の発想から抜け出せない。年金問題にしても然りである。国民は将来年金が受け取れないと言う不安から支払わないのではない。支払った保険料が、いい加減な使われ方をしているのが判っているから不安になるのだ。天下り用の団体をいくつも作り、採算の採れない豪華な施設を作り、行き詰まればただ同然で売り飛ばす。年金制度の危機が言われているのに、年金を流用して自分たちの宿舎を建てようとしている。しかも誰も責任を取らず、謝りもしない。行政の無誤謬生を信奉し、言を左右して黒を白と言いくるめる役人への不信感が根底にある。年金制度改革の第一歩は、まず役人に責任を取らせることである。次に透明性を高めた仕組みを作ることである。そうすれば負担が保険料であれ税金であれ国民にはたいした問題ではない。将来消費税率を引き上げて税負担方式にする場合に備えて、姑息に消費税総額表示方式に変える必要もないはずである。
2004.03.27
どじょう屋さんのことを書いたら、昔あったいろんな商売のことを思い出してきた。その一つに、こやし屋さんがある。今のように下水道が発達していない頃は、くみ取り便所だった。大八車の上に肥桶をいくつか並べ、道路を引いて歩く。各家庭には天秤棒を担いで周り、くみ取り窓からひしゃくですくい上げる。考えてみれば大変な重労働だ。あるとき悪ガキだった私がこやし屋さんにむかって、「うんとこどっこい、こやし屋さん、こやしをこぼして怒られた」とやってしまった。怒ったこやし屋さんが私を追いかけてきて、私は門から庭に逃げ込んだ。だがこやし屋さんは門を開けて何か怒鳴っている。私はあわてて玄関に入り戸を閉めた。さすがに玄関の戸を閉めたらこやし屋さんは諦めたようだ。だがその後が大変だった。こやし屋さんは私の家だけくみ取らず先へ行ってしまった。心配になって母に話したら、母があわてて近所の店に煙草を買いに行って謝りに行った。こやし屋さんは戻ってきてくれたが、後で親に大目玉を食ったのは言うまでもない。その後しばらくはこやし屋さんが来ると隠れていたものだ。近所の農家が肥料用に汲み取りに来ることもあった。畑の周りには肥だめがあり、一年に一人や二人は必ず落ちたなんて話を聞いた。掛け声ばかりの人を、菜っ葉の肥やしなんて言うが、こんな言葉もう死語だろうか。こやし屋さんが集めたこやしは、港の肥やし船に集められ、東京湾の外に捨てに行く。でもズルをする業者が必ずいるもので、夜陰に乗じて東京湾の中に捨てる船が沢山いたなんて話を聞いていた。夏に海水浴に行くと風向きや潮の加減で、なにやら黄色い物がぷかぷか浮いていることがある。皆で「クソだ~」なんて逃げ回りながら泳いでいた。でもそんな海水も時々飲んでしまうことがある。今思い出しても「ゲェ~」といいたくなる思い出だ。でも今丈夫なのは肥やしたっぷりで育ったお陰か?こんな思い出って、怖い思い出?懐かしい思い出?適当な形容詞が思いつかない。
2004.03.26
一昨日ある席で浅草の話が出た時、皆さんに「駒形どぜう」を勧められた。実は前にも行こうと思ったことがある。姉夫婦が行ってきて、美味しかったと勧められたので、まだ小さい子供達を連れて浅草に行った。子供がどんな料理か気にするので、浅草のガイドブックでも見れば写真が載っているかもしれないと思い、本屋に入って探してみた。すぐに見つかって、これだよとどじょう鍋の写真を見せたら、凄い拒否反応。確かにまるのまんまのどじょうがひしめき合っている写真、ちょっとな~と言うのが正直なところだ。私も何となくどじょうの柳川風を想像していた。どじょうで思い出したが、私が子供の頃どじょう屋さんがよく自転車にリアカーを引いて売りに来た。捌くように頼むと、まな板の上にどじょうを乗せ、あたまに千枚通しのようなのを刺してまな板に固定し、手際良く捌いていく。刺された時どじょうが、キューという声を出して鳴くのがなんだか可哀想だった。でも捌くところが面白くて、よくどじょう屋さんの後ろをついて回ったものだ。近くの田んぼにどじょうを捕りに行くのも子供の頃の遊びだった。閑話休題昨日もわざわざ「駒形どぜう」のそばに車をとめて前を通ったのだが、子供達は拒否反応。最初の予定通り駒形橋の近くの「麦とろ」に行った。千円で、麦とろバイキングなるものがあって、今回はそのコースを頼んだ。でも麦とろ、何杯もお代わりできるものではない。食べ終わって表に出たら雨が降ってきた。降らなければ、ひさご通りの「あだち屋」さんまで歩いて行って、お祭り好きな娘達の今年のお祭り衣装を見ようと思ったのだが、今日はいいという。家内が銀座の「伊東屋」に寄りたいというので、そちらに行くことにした。再度「駒形どぜう」の前を通り、今度は二人だけで来ようねなんて言いながら車に乗り込む。伊東屋でかれこれ1時間ぐらい過ごし、ちょうどパーキングメーターの時間だからと店を出て帰路につく。今日は春休みの思いで作りにと、わざわざデジカメまで用意してきたのに、一枚も取らずじまい。私的にはなんか中途半端な休日だった。
2004.03.25
昨日の娘のお祝いの席で、何かの話から差別用語が話題になった。たこ部屋を、窮屈な作業員宿舎と言い換えているという話をしたら、毛髪が後頭部まで後退している先輩がハゲはなんと言い換えると聞いてきた。私は髪の毛の不自由な方と口の先まででかかったのだがぐっと我慢した。でもその隣に座っていた、私の後輩がフォローのつもりか、「でも先輩の頭っていいツヤしてますよね~」というではないか。私は焦って何か言おうと考えていたら、近くにいる家内の母親までが「本当にお綺麗なこと」と追い打ちを掛ける。たまたま先輩の頭の上にダウンライトがあり、先輩が背筋を伸ばすとちょうど白熱球の灯りが頭のてっぺんに当たり、つやつやと輝いて見えるのだ。隣にいた下の娘も同じことが気になっていたと見え、目があった瞬間笑いをこらえるのに必死で、フォローなど出来なかった。でも本当に訳の解らぬことを言う後輩に迷惑した。話はかわるが、同席していた家内のお友達の娘さんが小学校高学年で、肩までの髪を真ん中で分け、ゴムで結んでいる。顔つきも日本神話に出てくるような古風な顔立ちであり、本当に子供らしく素直で、笑顔の可愛い娘さんである。週に一回私の家に見えるのだが、件の後輩が何度か一緒になったことがある。子供が男ばかりで、女の子が可愛くて仕方ないらしい彼は、褒め言葉のつもりで「いいな~、可愛いな~、縄文だな、縄文だな」と訳のわからぬ褒め方をする。彼女が帰った後、皆で彼を責めた。「縄文だなんて言い方は決して褒め言葉じゃないんだから、もう言ってはだめだよ。」娘達も子供に諭すように、言い聞かせている。彼は不思議そうな顔をして頷いていた。だが次に娘さんと会う機会があった時、彼は学習していた。「いいな~、可愛いな~、弥生だな、弥生だな」・・・・・もう本当、こいつ何もわかってない!
2004.03.24
今日は家内の大学OB会の先輩方と家内の友人が、私の長女の合格祝いをしてくれた。家内は娘を小さい時からOB会の集まりに連れて行っていたので、先輩方も娘を良く可愛がってくれた。先輩達も娘が大学の後輩になって、一緒に野球やラグビーの応援に行けることを楽しみにしていたのだが、残念ながら娘は家内の母校には入れなかった。家内は奥さんではなく外さん、家内ではなく家外と呼びたいほど外へ出るのが好きで、なのに体力がないのですぐ寝込んだりして、寝たり起きたりではなく、寝たり出かけたりの生活をしている。同居している家内の母は、家内を好きにさせている私に多少不満があるようで、私に良く聞こえるように家内に小言を言う。でも家内の付き合いの良さと、物怖じせずに付き合いを広げていく社交性で私も得をすることが多い。私はどちらかというと引っ込み思案な出たがり屋で、人付き合いにも慎重だ。だが家内は飲み屋で一緒になった友達の友達なんて人を、平気で家に連れて来たりする。最近は家内に引き回して頂いている感覚で、子供達が、年の割に場慣れ人慣れしているのも家内のお陰だ。今日も家内の付き合いのお陰で、娘は各界で活躍されてる方の生の面白い話を沢山聞かせて頂いた。子供に残してあげられることって、こういう人間関係や経験が一番大切かなって、家内や先輩方に感謝した一日だった。
2004.03.23
最近高校の後輩二人がよく家にくる。一緒の時もあれば、別々の時もある。二人とも子供がすべて男である。それだけに私の家が新鮮で楽しいらしい。私の家ではお客様は、子供の友達であろうと家族全員でおもてなしをする。最大の理由は客間とか、応接間とか呼べる部屋が無いことだ。しかもリビングに大きなダイニングテーブルが一つ置いてあって、そこで何から何までこなさなければならない。娘達の部屋に上がる階段は必ずそこを通らなければ行けない構造になっているので、友達を呼んで部屋でこっそりとはいかない。しかも娘の部屋はいつも汚いので、部屋に通すわけにはいかないようだ。必然リビングでみんなでということになる。来客があってもリビングに通すので、食事時間には一緒に食事をしてもらはないと我々が干上がってしまう。そんな生活を続けていたので、誰とでも自然に接することが出来るような子供に育った。私の後輩が来た時も一緒に話に加わり、自分の友達が話題になったりすると、その子やその母親まで呼んでしまったりする。ちょっと来たつもりの後輩も、最後には宴会に参加したようになってしまう。たまたま後輩の家庭が、だろうが息子は帰ってこないし、帰ってきてもすぐ部屋に入ってしまったりであまり会話がないそうだ。だから私の娘達が競うようにいろんな話をして、大笑いするのが楽しくてしょうがないそうだ。4時頃来て、食事前には帰りますなんて言っていたのが、一緒に食事をし、その後お酒を飲みながらすでに家で午前様なんてこともよくある。後輩がよく言う。いいな~女の子は、あ~若草物語、若草物語。
2004.03.22
一浪して今度大学に入る長女の高校の同級生が5人我が家に集まった。何人かは泊まっていくらしい。その内の二人は去年卒業式の日に我が家に来て泊まっていった子だ。こんな日に家で過ごさなくてもいいのかと心配した記憶がある。去年は制服で来て、体育用のジャージで過ごしていたが、今日は髪を少し染めお化粧をしイヤリングだのブレスレッドだのしている。町であっても多分気がつかない程の変わり様である。他の3人も高校生では通用しない雰囲気のある子ばかりだ。でも今聞こえる笑い声は子供そのもので、聞いていて楽しくなる。お酒も少し用意しているが、皆あまり飲まない。お酒を飲み過ぎた話や男の子とのうわさ話などが隣の部屋から聞こえてくる。今日帰る子達も終電に間に合う時間をしっかりチェックしてきている様だ。今が一番楽しい時なのだろう。お酒に関しても一番事故の多い年頃だ。私も行き過ぎない様に気を遣う。幸いイッキ飲みなどの馬鹿飲みはせず、沢山話をしたいみたいだ。この子達が5年後も10年後も同じように集まれればいいが。そんな事を思い、キャッキャという笑い声を聞きながらこの日記を書いている。…………………………お風呂から出て、この日記をアップしようとしていたら、娘がわざわざ来て、お父さんの事みんなが格好いいっていってたよといいに来た。娘のためにもお腹を引っ込めなければ。
2004.03.21
誰にでも一度は逢いたい憧れの鳥がいる。私のあこがれの野鳥は「サンコウチョウ(三光鳥)」だった。鳴き声が「月、日、星ホイホイホイ」と聞こえるところからその名が付いた。雄は目の周りが瑠璃色で、体よりはるかに長い尾羽を持つ姿も美しい鳥だ。昔見た野鳥の写真集の表紙にこの鳥の育雛の写真があり、その姿に憧れていた。大学に入ってから本格的に鳥を見始めた私だが、意外と早く対面する事が出来た。一年の時三浦半島のある場所に花の写真撮影と鳥見を兼ねて一人で行った。ある川沿いに上流に向かって歩いていくと遠くで「ツキヒホシホイホイホイ」と聞こえる。間違いない。サンコウチョウのさえずりだ。私は口笛で真似てみた。私の鳴き真似が通じれば鳥は縄張りを荒らされたと思い、こちらに来るはずだ。声が確実に近づいてくる。とうとう姿が見えた、5メートル位先の枝に止まり、こちらを確認するように見ている。目があった、そう感じた。憧れの女生徒に無人の廊下でバッタリ出会った時の逃げたいような、でも時間が止まってほしいようなやるせない気持ち。私は鳴き真似をやめた。お互いに意識しつつ無視しあうようなときめきの時間が流れる。やがてサンコウチョウは首をかしげるようにして、近くに枝に飛び移りながら遠ざかっていった。その後、各地でサンコウチョウの囀りを何度か聞いたし、木々を飛び移る姿を何度か遠くに見た。でもあんなに間近で見つめ合ったのはあの時だけだった。あの時の感動は何度でも如実に甦る。
2004.03.20
私は年中無休の会社で働いているので平日に休む。特に土日が忙しいので、子供の学校行事などにはなかなか参加できなかった。元々学校行事に参加したくないタイプの人間だったので、意外と好都合ではあった。だが今の若い人達は父親も授業参観に出たり、何かと学校の行事に参加している様だ。流通業やサービス業で働く人は家族や仲間に肩身の狭い思いをしている事だろう。平日休みなので子供が小さい時はよく学校を休ませていろんな所へ連れて行った。私は学校を休ませる事になんの抵抗もなかったので、後ろめたい気持ちもなかった。だが世の中まじめな人もいる物で、学校を休ませる事に罪悪感を感じる人もいる。こういう土日に休みの取りづらい人のために、年に何回か欠席扱いにならない日を設けるべきだなんて娘達に水曜日の夜話した。昨日は家内の母が長女と、家内のお兄さんの娘で高校入学が決まった姪にお祝いを買ってあげると言って、横浜に買い物に出た。もう半日授業の次女とは学校が終わった後どこかで待ち合わせる事になっていた。だが夕方帰ってきた次女が制服を着ていない。「また学校サボったのか?」と家内に聞くと「あなたが変な事言うからよ。早速有給休暇取るって言って朝からついて来たわよ。」さすが生存本能の発達した次女である。とことんつけ込んでくる。今度の私の休みには久しぶりに浅草で麦とろを食べようか、なんて話していたら、「私も学校休めるよ、学校行ったってなんにもする事ないもん。」いやいや、大変な事を言ってしまった。
2004.03.19
数年前、あまり親しくない人からプライベートゴルフを誘われた事がある。私たち夫婦とその彼と3人で行くのだと思って、待ち合わせのフェリー乗り場に行った。だがそこに20代後半とおぼしき女性がいた。彼とは私の娘と彼の子供が一緒の幼稚園だったので、まず母親同士が知り合った後彼と知り合いになった。まさか奥さんではない女性がいるとは思ってもみなかった。彼女の事は名前だけ紹介されて、どういう関係かは判らない。フェリーの四人掛けのボックスでゴルフの話になり、彼女に何年ぐらいゴルフをやっているのですかと私が聞いたら、去年からですという答え。「じゃあ二十歳から始めたんだ」と私が言って、そこから和やかな会話が始まるはずであった。なのに私の家内が、「そんな飲み屋のねーちゃんに言う様な馬鹿な冗談言って!」と言ってしまった。しばらく気まずい沈黙が流れ、ちょっと煙草吸いに行ってきます、と二人は客室の外へ。家内は動揺しながら、「飲み屋のねーちゃんだったのかしら?」と私に聞く。もう一人同伴者がいると言わずに誘った彼が一番悪いが、おまえが次に悪い。もう少し状況を見て口をきけ!と私は家内を叱る。まあそれからは、拷問の様な一日でした。彼女は私たちと最低限口はきくが、ほぼ無視した状態。それに昼食の時、彼女が関節をポキポキ鳴らす。それが非常に気になって、食事を味わうどころでない。私の娘が何故か関節を鳴らすのが習慣化している。それからは、関節を鳴らす娘を夫婦で叱っている。なのに今日私の前で関節をまた鳴らした。絶対に止めなさいと言っているのにまたやった娘にこの話を再度しているうち、今日日記に書こうと考えていた事をすっかり忘れてしまった。そして今日の日記です。
2004.03.18
4月のはじめにゴルフに誘われた。3年半ほど前に足を骨折し、3年ほどクラブを握らなかったのだが昨年の秋頃再開した。再開した時は、ショートホールすべてにワンオンするなど珍しいくらい調子がよかったので、毎週の様にゴルフに行った。でもある時一ホールで6発OBを打ってから、メタメタになってしまった。ちょうど冬にもなったので、寒いから暫く行かないと仲間に宣言し、その間練習も一切しなかった。家内は3月の終わりにも行く予定があるので無理矢理一緒に連れ出され、練習場に行ってきた。暫くぶりなのに珍しくよく当たり、滅多に打てない3番アイアンまでが調子がいい。でも昨日野毛で飲み過ぎて、頭はボーとしているし柑橘系の飲料水ばかり飲むという最悪の体調だ。80球位打って終わりにした。その後市内のデパートで食事をしようとしたら、長女からメールが入った。彼女は高校時代のクラスメートと近くの民宿で泊まりの集まりに参加していた。亡くなった私の母と、家内の父にお墓参りしながら大学合格の報告する約束をしていたので今日行きたいとの事であった。デパートで合流して食事をし、その後お墓参りに行ってきた。今日は彼岸の入りらしく墓参の方が多かった。昨夜ほとんど眠っていないという娘は、車の後部座席に乗るたびにいびきをかいて眠っていた。昨晩は民宿に行く前に友達と別の場所で飲んで、民宿でまた飲んで、しかもほとんど眠っていないというのに二日酔いではないという。私たち飲ん兵衛夫婦より酒は強いかもしれない。最近何かと頼もしいと感じる娘ではあるが、こんな事まで頼もしいとは感慨無量?である。
2004.03.17
今日も鳥見用の望遠鏡を見に行ってしまった。私の30年前のプロミナーに、家にあるデジカメを使ってデジスコが出来るか試みてみたが、昔の接眼レンズはレンズの口径が7ミリぐらいしかない。一応手持ちで撮してみたが、やはり半分以上ケラレてしまう。ひょっとして接眼レンズだけ取り替えれば、一番安上がりにデジスコが出来るかもしれないとひらめいた。でも最近のスコープの接眼レンズは馬鹿に大きいのでサイズが合わないかもしれない。私の接眼レンズが最近のスコープに取り付けられれば、最新の接眼レンズが私のスコープに取り付けられるという事だ。結果はやはりだめだった。悪あがきと判ってはいたのだが、わずかな可能性にすがってしまった。
2004.03.16
これを戦いと言うんでしょうか。家内との長い付き合いの中でのポジション争いを経て、それぞれの居心地のいい場を見つけた感じです。家内に言わせると、典型的なB型の私はわがままで行き当たりばったりで、話を聞かない(聞けない)男だそうです。まあ、家内も地図を読めない女の典型ですが。結婚する時大きな円を二つ描き、少しずらせて重ね、なるべく重なり合う部分が大きくなる様な夫婦でいたいが、重ならないところは干渉せずに認めあいましょうなんて偉そうに言ったんです。家内は社交的で、男性の先輩に大もてでよく飲み会などに声が掛かりますが、好きにさせています。明け方まで付き合って、午前様というより朝様と言った方がいい様な付き合いぶりです。ある時ある会のディナーショーのチケットの販売を頼まれ、あっという間にウン万円のチケットを30枚以上売りさばき、称賛を浴びてました。あるクラブのママに店で働いてと真剣に頼まれましたが、私は酔っぱらうのは好きだが酔っぱらいは嫌いです、とおまえが良く言うよっていう理由で断っていました。私は皆で飲むのも好きですが、どうしても一人で飲みたい時があり、何で誘ってくれないのと言う家内の声を振り切って飲みに出ます。確かに大きな喧嘩もしました。家内が実家に帰った事もあるし、私が離婚届に判を押し、テーブルに置いておいたなんて事もありました。そんな紆余曲折を経て、今は家内が怒った時は平身低頭して波が去るのを待ちます。でも自分がしたい事だけは必ずします。もう話を聞かない男として諦めさせていますから、深追いはしてきません。私から見れば、家内は君臨すれども統治せず、という今の立場にいてくれるのが一番有り難いのです。お互いに学習するのに20年掛かりましたが。
2004.03.15
下の娘が中学を卒業した2年前、卒業式が終わった翌日美容院に行った。結構チリチリのパーマを掛け、金髪に近い茶髪にしてきた。この地方の公立高校は髪の毛やお化粧に関しては結構自由である。娘は中学で屋外スポーツをしていたので色黒で、しかもバタくさい顔をしている。この顔でこの頭、まるで日本人離れしている。娘を連れて近所を歩くと知り合いが皆驚く。私を見てなんと言っていいかわからない様子で、それが楽しくてしょうがない。「この子はパプアニューギニアからの留学生で、うちでホームステイしています。」こう紹介するとやっと安心した様に笑顔を見せてくれる。今はやりたい事を一応やったので、髪は黒に戻している。タバコは吸っていない様なので、安心している。ある程度大目、長い目で子供を見ようとしていたので、今はひと安心だ。これでも結構内心はびくびくしていたのだ。
2004.03.14
家内が学校のOB会のゴルフコンペの幹事をやる事になり、先輩3人と打ち合わせと称して飲みに行った。その中の一人の先輩が夫婦喧嘩をしていて、奥さんと3日間ほど口も聞いていないという。夜の12時過ぎに女性と携帯で電話していたら、奥さんに携帯のアンテナを折られたので、それからは奥さんの作った料理も食べていないそうだ。「大体君は奥さんと自分が同等と思っていたら大間違いだぞ。奥さんの方がズーと偉いんだぞ。」「おっしゃるとおりと頭を下げて、小言がズーと通り過ぎるのを待ってなきゃだめだよ。」「うちの主人だって私が怒る気配を見せただけで、理由も聞かずにまずゴメンナサイって言うわよ。」「奥さんにしてみればそこまでするには、よほど積もり積もった事があるんだよ」「多分奥さん離婚届は用意しているわよ。自分のハンコはもう押してあるかも。」「私だったらわざわざ作った食事を食べないなんて、絶対に許さない。」「離婚する覚悟はあるの?えっ!無い。だったらすぐ謝れよ。」こんな会話が飛び交ったそうだ。私も好きな先輩だ。早く全面降伏して、悲しい結末など聞かせないで欲しい。奥さんが機嫌良く過ごせる家庭が一番だ。
2004.03.13
近くの中学の2年生が私の工場に来た。毎年受け入れている職場体験である。昨年は女子3名であったが、今年は女子3名と男子2名である。皆礼儀正しく、まじめである。一所懸命敬語を使おうとして、時々つっかえるのがご愛敬だ。食品関係の製造なので、女の子には任せやすい仕事だが男子には力仕事が主だ。来てすぐある品物を作ってもらい、帰りまでに焼き上げてお土産で持って行ってもらったが、多分生まれて初めての経験なのだと思う。真剣な顔をして作った物が焼き上がった時の反応は子供そのもので、見ていて楽しくなる。受験が終わって暇な娘が、母校の中学の後輩の面倒を見てくれた。私の娘は子供の時から店の手伝いをしていたので、実に上手に教え任せても安心である。なんだか自分の娘が急に大人に見えてきた。そういえば私の姪が、成人式の晴れ着を見せに来たその年の暮れに結婚した。学生結婚で、卒業式までには母になっていた。私の娘も来年は成人式である。ちょっと前までは今日の中学生と変わらないと思っていたのに、今日の娘は中学生の先生の様に見えた。もう巣立ちはしたなと安心する反面、すこし複雑な気持ちもした一日だった。
2004.03.11
私は水曜休みだが、今日は長女と東京へ行ってきた。行き先はまず秋葉原、キョウエイバード 東京店。ニコンのフィールドスコープにクールピクス4300の組み合わせのデジスコを見た。私の好きなペンタックスの望遠鏡も見せてもらったが、ちょっと大きい。続けて、神田小川町のホビーズ ワールドも見てきた。店内には何故かフクロウグッズが沢山ある。総点数2000点だという。フクロウ好きのちゃみ527さんに教えてあげたい店だ。そこで実際にデジスコを写させてもらった。店内から近くのビルのベランダのミカンの木にくる鳩を写してみたが、どのくらいの距離の鳥が、どの程度に写るかが実感できた。お昼になったので丸ノ内線で銀座に移動。銀座松屋の角を昭和通りに向かい、昭和通り近くにあるレストラン「パリの朝市」へ。ここは20年以上前から時々よる店だ。娘と二人きりで向かい合ってフレンチを食べるのは初めてだ。隣のテーブルにたまたま近く結婚する娘と一緒に来店したご夫婦がいたが、何故か会話が気になってしまう。きっと遠くない将来私の娘も嫁ぐ日があるだろうが、私だったらどんな会話をするのだろうか?レストランを出て築地に行った。別に用事はなかったのだが、沢山歩いて腹ごなしをする必要があるのだ。築地は月2回の休みの日だそうだが、別に残念でもなんでもない。歩く事だけが目的だから。銀座に戻って松島眼鏡店でまた望遠鏡や双眼鏡を見て、次は銀座6丁目のスワロフスキーショールームへ。花の木ビル6Fのショールームには、雑誌バーダーに「私と望遠鏡」というコラムを載せていた塚本さんがいた。デジスコの話をいろいろ伺ったが、塚本さんが実は私はアダプターを使わず手持ちで写真を撮る事が多いんですと言って、鏡胴が引っ込んでしまう薄型デジカメでレリーズも使わずスコープの接眼レンズにデジカメをくっつけて写して見せてくれた。近くのビルの看板を写したのだが、ブレもなく見事な写真なのだ。それにスワロフスキーのスコープや双眼鏡はとてもシャープに見える。価格の点で想定外のスコープだったが、う~んと唸ってしまった。横で娘がニヤニヤしてみている。とりあえず名刺とカタログをいただいてそこを出た。次に向かうのは西新橋。歩け歩けだ。霞町恵太郎さんの日記に紹介されていた「港屋」の肉そばを食べてみたかったのだ。多少道に迷いながらも、築地からここまで歩いてきたのだから多少は食べられるだろうと思って店に入った。だが出てきた蕎麦を見てびっくり、なにしろ量が多いのだ。幸い娘が何も頼まなかったので、娘と交代に食べて何とかほぼ食べきった。これを平らげる霞町恵太郎さんは健啖家なのかな、とちょっと思ってしまった。帰りには野毛によって娘と一杯やろうかと思っていたが、満腹でとても無理だ。帰り道新橋の飲屋街をわざと通り抜けてきたが、飲みたいという気にもならなかった。今日は歩くぞと言っておいたので娘は覚悟していたのだが、さすがに疲れたと言って帰りの電車では私の肩に頭を乗せて眠っていた。デジスコに関しては病膏肓に入るの私だが、娘とのデートという副産物も手に入れ、楽しい休日だった。
2004.03.10
最近松浦亜弥が午後の紅茶のCMで唄っている、グッディ・グッディという歌が好きである。私がいつも聴いているのは、エラ・フィッツジェラルドの「エラ・アット・ジ・オペラ・ハウス」というアルバムに入っている曲だ。ジャズボーカルが好きで、その中でもエラ・フィッツジェラルドのレコードばかり聞いている。若い時は「エラ・イン・ベルリン」や「エラ・イン・ハリウッド」などのライブ収録物でスキャットでノリノリにスイングする曲が好きだった。トニー・ベネットやルイ・アームストロングの真似をしたり、縦横無尽にアドリブで唄いまくる彼女の曲が好きだった。でも婚約破棄という大失恋の時「ライブ・アット・カーネギー・ホール」に入っているバラードに心を慰められてから、バラードも好きになった。These Foolish Things や Don't Worry 'Bout Meなどを繰り返し聴いて、自分の恋の物語は終わったんだと心に納得させていた。そして今の年になると、静かな曲が好きになる。昔買ったが好きになれず、ほとんど聴かないままだったジョー・パスの生ギター一本の伴奏で歌うアルバムを聴く事が多くなる。今は「テイク・ラブ・イージー」や「エラ&パス・アゲイン」をかけながら本を読む時間が楽しい。誰でもそうであろうが、ある曲を聴いていると、その曲に結びついた過去の情景が突然思い出される事がある。楽しい事も悲しい事も今はよき思い出である。こんな事を感じるのはやはり年のせいなんだろうか。
2004.03.09
中井貴一主演の映画「壬生義士伝」を見た。はじめに原作、次に渡辺謙のテレビ、最後に中井貴一の映画という順番だった。それが違ったらどうなのと言われても答えようもないが、なにしろそういう順番だった。渡辺謙主演のテレビ版は原作に忠実と言われていたのだが、それでもここはこういう風に描いて欲しいという思いとはかけ離れている場面が多くあった。中井貴一主演の映画は、キャスティングとしては中井貴一でよかったと思っている。だが大野次郎衛が三宅裕司というのがどうもしっくりこない。それに上下二冊の本を2時間の映画にするには、こういう省き方をするしかないかと同情してしまう場面も数多くあった。映画がどういう過程を経て作られるのかは分からないが、原作者、制作者、監督、脚本、配役、それぞれに原作のイメージがあるのだろう。しかも原作を読んだ読者にしてみれば、読者の数だけ異なったイメージがあるはずだ。全然関係ない話だが、最近「動物と人間の世界認識、イリュージョンなしに世界は見えない」(日高敏隆著、筑摩書房)という本を読んだ。動物によって認識する世界は全く違うという話である。人それぞれでも心に思い描く世界は全く違う、同じ物を見てもそれぞれのイリュージョンを通してみると全く別の世界を見ているのだなと妙に納得してしまった。人類は死を発見してしまった故に宗教が生まれたなど、私の大好きな動物行動学的に人間を見る視点があって私にとっては楽しい本だった。とかく人は自分の視点を他人に押しつけるものだが、普遍的な価値など存在しないと改めて認識したビデオ鑑賞だった。
2004.03.08
なにやら昔のカメラ小僧の血が騒いできた。と言っても私の場合は被写体は花や虫に限られていたが、今回は野鳥も視野に入ってきた。デジスコと言って、野鳥観察用の望遠鏡とデジカメを組み合わせた撮影法が最近あみ出された様だ。何と合成焦点で9,000ミリに達する望遠効果があるという。これには軽くて、しかも鏡胴にはフィルター用のねじが切ってあるデジカメがいいらしい。でも、野草を写すには外部ストロボ端子がついた一眼レフのデジカメの方が向いていると思う。暗い林の中で木漏れ日に照らされて浮き出した様な効果をねらう場合は高いところからストロボをたいたり、バックをあまり落としたくない場合など、バウンスで背景を照らしながら撮ると結構いい写真に仕上がるのだ。それにはカメラから数十センチ以上離して照らす事の出来る外部ストロボが絶対必要だ。それにマクロの時のピント合わせはやはり液晶よりファインダーを直接覗いた方がやりやすそうだ。こんな事を夢中になってインターネットで調べている私を見て、家内が「いくらかかるの?」と聞いてきた。ちょっと多めの金額を言ってみた。「ふ~ん、ガンバってね」いけない、人ごとにされそうな雰囲気だ。手始めに娘を巻き込もうか、でもどの様に?とりの なくぞうさんも奥さんに、「写真家にでもなりたいの?」と鋭い牽制球を投げられた様だが、どなたかいい智恵貸してくれませんか?
2004.03.07
昨日は「ヨドバシカメラ」でカタログを集めたり、望遠鏡やデジカメを見た後野毛に行った。ゴーヤ泡盛さんの日記に書いてあったおでん、焼き鳥の店「たまや」と新しいお店の「いよかん」に行ってきた。何かの話で、京浜急行の上大岡からみなとみらいに移転したプラント会社の話が出た。私の家内が結婚まで勤務していた会社だ。その会社の人達もよく来るそうだが、東横線の桜木町廃止のせいか、回数は減っていますと言っていた。今が底で必ず戻って来ますよ、と言ってみたが根拠はない。自分の希望かななんて考えてしまった。次に北欧を目印に「いよかん」に行った。メニューにいろんな物を少しずつ、と書いてあったのでいきなり豚の生姜焼き、牛の串焼き、一口カツと三つも頼んでしまったが思ったより量が多い。ご夫婦でやっているのだが奥さんは全く酒が飲めないという。後から男性が一人、その後年配の女性が一人やってきたが、店主も加わって酔っぱらった時の失敗談で大いに盛り上がり、とても楽しい時間が過ごせた。野毛大道芸の時にやる飲兵衛ラリーに参加しようか迷っている様なので、ぜひ参加してとお願いしておいた。家に帰ってカタログをゆっくり見たいし、家内のお友達とその可愛い小学生のお嬢さんが家に来るので、昨日は早々に引き上げた
2004.03.06
最近楽天日記を始めてから鳥好きの方の日記を訪ねる事が多くなった。とりのなくぞうさんhttp://plaza.rakuten.co.jp/mykoyomi/No.5_BrownSugarさんhttp://plaza.rakuten.co.jp/brownsugar/veruchiさんhttp://plaza.rakuten.co.jp/veruchi/diary/を訪ねるうちに、昔カメラを抱えて野山を歩き回った事が思い出され、無性に写真を撮りたくなってしまった。もう30年以上前、初めて手に入れたアサヒペンタックスSPでファインダーを通してみる花や虫の姿にワクワクした気持ちまでが甦ってきた。今日はヨドバシカメラによって双眼鏡や鳥を見る望遠鏡、デジカメなどを見てカタログも集めてきた。やはりペンタックスの本格的一眼レフデジカメに魅入られてしまった。好きなメーカーは変わらないものだ。すべてペンタックスで揃えたくなってしまう。でも全部揃えたらいくらになるのだろうか。とりあえずカタログをいつも眺めて、眺めている姿を家族に眺めさせて、そんなに欲しいならしょうがないかと思わせる事が必要だ。昔使っていた双眼鏡と望遠鏡はまだ使えるので、まずはカメラだ。頑張ろう。
2004.03.05
先日テレビを見ていたら、日本で最初に焼き餃子をはじめたお店として、野毛の萬里が紹介されていた。ここに食べに行きたいと家内が言うので行って来た。餃子一皿6個で290円は安い。それに私が一番好きなタイプの味だ。噛むほどにうまみが口の中に広がってくる感じがする。ここのご主人は、野毛の街おこしのためにいろいろご苦労されていると聞いている。私など、こんな駄文で野毛のことを少し書いてみたり、せっせと飲みに行ったりするぐらいしかできないが、ご自分の商売をしっかりやりながら、街のためにも骨身を惜しまない方には本当に頭が下がる。4月17.18日の野毛の大道芸に合わせてまた、飲兵衛ラリーも企画されているようである。昼間から大手を振って酒が飲めるので、是非多くの方に参加してほしいものである。
2004.03.04
昨日は娘の合格祝の後、娘と家内と3人で行きつけの居酒屋さんへ。途中で後輩に会い、無理矢理引っ張っていった。家内はそんなに飲んでいないように見えたのだが、発言の内容が少し怪しくなってきた。後輩や私たちの共通の知人がいるのだが、そのW氏のことを家内が「Wさん嫌いだよ!あいつほんとに嫌いだよ!」。またやった。今朝、家内に昨日のことを言ってみた。「えっ!本当?」やはり全然憶えていない。後輩にお詫びのメールを送らせた。私も酔っぱらいの雑言お聞き捨て下さいとメールを送った。時々こういう事をやってくれる家内である。
2004.03.03
大学受験の発表が今日で終わった。一番行きたがっていた大学は受けた学部すべてに失敗。いわゆるすべり止めで受かっていた学校に行く事になる。娘は家内の母校に行きたがっていた。家内が母校の地元OB会の幹事をしている関係で、昔からその大学の話を聞かされ、家内の母校の教授にも可愛がってもらっていたので、娘への周囲の期待も大きかった。OB会の先輩方も野球やラグビーの試合を一緒に応援に行けると楽しみにしていた。こんな周囲の期待を裏切った事が申し訳なかったと、殊勝に話す娘である。でも私はどこに行くかではなく、何をするかが大事だとずっと言い続けてきたので、娘は在学中に絶対にある資格を取ると気持ちはすでに切り替え終えているようだ。私は実感として、学歴社会などはもうすでに終わっていると思っている。私が卒業する頃に花形だった、都銀、損保、生保などに進んだ仲間で今でも本社にいる人はほとんどいない。会社自体が名前が変わったり、危ない会社などと報じられている所もある。ゴルフに行く仲間は自分で商売している方が多いが、腕一本で商売を大きくし、会社勤めの方が定年を心配する様な年頃にゴルフだ狩猟だと遊んでいる方もいる。自分で商売を始め、今も何とか生き残っている方達の生き方を見ていると学ぶ事が多い。私の父も大学は出ていないが、今居る老人ホームで東大を出て高級官僚になり、フルブライト留学生にも選ばれたなんて経歴の方に麻雀や碁を教え、教わり方が悪いと説教したりしている。その父は娘に大学なんて本当に関係ない、とよく言って聞かせていた。また自分に何の職業が適正かなんて80歳になってもいまだに分からない、とも言っていた。今日は家族で合格祝いをし、その後家内と娘で懇意にしている居酒屋さんで飲んでカラオケを唄ったが、娘は何とか自分の力で挫折を乗り越えつつあるようだ。
2004.03.02
今日家内と娘達が新宿アルタに行ってきた。笑っていいともである。次女は学校をサボった!と言う事ですよね。今気がついた。テレビで見る印象よりは、会場はだいぶ狭いという。テレビで映るかと思って見ていたが、どこにいるか分からない。メールを送ってどこにいるか聞いてみようと思ったが、返信がない。11時半から携帯の電源を切らされていたそうだ。TMレボリューションがテレホンショッキングのゲストだったが、きれいな顔だったそうだ。彼が100人中一人を当ててくれたお陰でタモリの似顔絵入りハンカチをもらえたそうである。笑っていいとも増刊号でよくある放送終了後場面を30分ぐらいやっていたそうであるが、タモリはさらに30分ぐらい付き合っていたそうである。確認したわけではないが、タモリはこの番組に関しては日払いだそうだ。そうしないと緊張感が保てないとの理由で。スタッフの対応が素晴らしかったと家内の報告である。子供達は帰ってきて二人ともお昼寝。話は明日聞くつもり。面白い話があったら明日の日記で披露します。
2004.03.01
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