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父が住んでいる所から程ない場所にホタルの里がある。市の浄水場の周りを流れる小川にホタルが住み着いていて、市が設置した案内看板もある。先日の日曜日に父の案内で行ってみた。日没後、8時位まで良く飛ぶと言うことだったが少し遅れてしまった。それでも葉に止まっているホタルや、緩やかに飛ぶ蛍を見ることが出来た。家内や二人の娘もホタルを見るのは初めてだったので大感激である。家内の母も一緒で、一家総揃いでのホタル見物。ホタルを見るのも楽しかったが、家内の母親と私の父親と孫達、仲良く暗い夜道を歩くのが一番嬉しかった。
2004.06.30
家内が数年前から、あるネットワーク販売をしている。健康や美容に関する商品を扱っていて、人から薦められて暫く一家で愛用者だったのだが、人に紹介するうちに仕事になっていったと言う感じだった。でもある時期集中して仕事をして、ある資格を取った。昨日はその資格を持つ人達の大会があり、有楽町のTホテルに行ってきた。年に3回行われるその大会にはくじ引きがあり、1等、2等は賞品が車である。さすがにその会社の女性社長が所得番付で毎年ベストテンに入る会社だけのことはある。今回は1等がフェアレディーZ、2等がニッサンキューブだった。なんとそのキューブに当たった。最近は積極的に仕事をしていなくて、興味を持つ人に商品を紹介し、気に入ってもらったら販売するという状態だった。なんか棚からぼた餅状態である。今日は私は丹沢か、天気が悪かったら近くの葉山の二子山に行くつもりでいたのだが、昨日の夜キューブの話を肴に飲み過ぎてしまい、暫くぶりの少しハードな二日酔い状態であった。結局昼過ぎに近くのディーラーにキューブの実物を見に行くのが精一杯だった。でもこの車、荷物が沢山積めてコンパクトで、丹沢あたりに鳥を見に行くのにもってこいの車だ。家内の車なのに、勝手に夢はふくらんで行く。
2004.06.23
今日は母の3回目の命日である。3年前の今頃、横須賀では「純ちゃんランチ」や「伏魔殿御膳」を出した食堂が有名になり、知り合いの店だったので内幕をいろいろ聞いていた。その内訳話を母にメールしてあげたのだが、それを読んでいるときに突然倒れた。父から母の様子が変だと電話をもらい、あわてて父の家に行ったときには、テーブルに広げた新聞の上にお辞儀をするように倒れていた。すぐに救急車を呼んで病院に運んだが、脳幹部分の脳溢血であった。手のほどこしようはなく、ただ死ぬのを待つしかなかった。脳細胞が壊死して膨れ、血管を圧迫するので顔が膨れますと言われたが、膨張でこれが母かと思うくらい顔が変わってしまった。倒れて4日目で息を引き取った。兄弟3人が一晩ずつ付き添い、その翌日の明け方だった。間に合ったのは私と家内だけだ。夜中の2時頃病院から呼ばれ 、私たちを待つように医師に臨終を告げられた。病室から霊安室に移されるときには、嘘のように顔の腫れが引いていた。恥じらいもなく自慢するが、大正12年生まれの母は、当時としては大柄な方で身長が163センチあり、美人で評判の、私の自慢の母だった。私が小学生の頃は、父兄会というと着物を着てくる母親がかなりいて、その中でも私の母はひときわ目立っていた。私はみんなにきれいとうらやましがられるのが嬉しくて、父兄会には必ず着物で来てとねだったものだった。霊安室に寝かされた母の顔は、すっかりもとのきれいな顔に戻っていた。葬儀屋からの迎えの車を待つ間、きれいだねーと言いながら家内と顔を見続けたことを思い出す。母の死後父は家を売って、市内のケア付きマンションを買った。子供に迷惑をかけたくないと言って決断した。痴呆になってもすべて面倒を見てくれるし、食事も和、洋、中から好きなものを選んで自動演奏付きのグランドピアノが置いてあるレストランで食べられる、すばらしい施設だ。でも父はうちに来て、孫や私たちと他愛ない話をしながらのごく普通の食事が一番だという。母の生前、私は車で15分もかからない母の所へ、年に数回しか顔を出さなかった。しかも用事が済むと夕飯をすすめる母の声を振り切ってすぐに帰ってきてしまう、どうしようもない息子だった。でも父の喜ぶ姿を見ていると、母もきっとこういう食事をもっとしたかったのだろうと痛切に思う。私も最近、無事に大きくなった娘達が楽しそうに会話する、普通の食卓を囲めることが大変幸せなのだと実感することがある。何でもっと頻繁に子供達を連れて遊びに行かなかったのか、そして夕飯を作ってもらい一緒に食べてこなかったのか、悔やんでも悔やみきれない思いがある。親の面倒を見るなんて大仰なことでなく、子に徹して時には甘えるのも親孝行だと、今にして思う。
2004.06.22

先日丹沢の林道を歩いていて送電線に見とれてしまった。丹沢のはるか南から山を越えてきた送電線が、道志の村を越えて山梨県の東部へとのびている。 西丹沢明神峠付近から世附川を越えて 丹沢の北、道志の村を越えて山梨県東部へ静岡県の駿河小山にある東富士変電所から山梨県に電気を供給する大動脈というところだろう。私の家の近くに東電の大きな火力発電所があり、そこから何本もの送電線が山を越えて張り巡らされている。昔からこの線はどこまで行くのだろうと気になっていた。水や空気と同じようにあるのが当たり前の電気だが、丹沢での壮大な光景を見ると、便利な生活の陰には大変な仕事があると言うことを改めて実感した。そういえば神奈川の水は、道志の村から相模湖への水系と、世附川も流れ込む丹沢湖の水系からなるのだろうか。送電線の写真を写した北側が道志川で南側が世附川の源流である。自然が素晴らしいと言えるのも、目に触れぬインフラに支えられての生活があっての事なのでる。
2004.06.20
普通の家庭での、家族との挨拶はおはようございます、行ってきます、行ってらっしゃい、ただいま、お帰り、お休みなさい。こんなもんだろう。でも最近の我が家では、「お久しぶり」という挨拶が加わった。東京へ2時間かけて通学する娘には、門限を大幅に甘くしてあげた。娘はその門限をフル活用している。毎日が楽しそうで、それは親としてもよかったと思っている。でも顔を合わせる機会が格段に減った。私は朝早いので、娘が帰宅する頃にはもう寝ている。娘が出かける時間には、私はもういない。土日は私の所で娘がアルバイトしているので、必ず顔を見るが、平日はそれこそ金曜日に会うのが初めてなんて事もある。その時に出る挨拶が「お久しぶり」だ。「やーお久しぶり、暫く見ないうちに随分きれいになったな~」こんな馬鹿なノリに、「お父さんもお変わりなく、お元気そうで」と、ちゃんと会わせてくれる娘はさすがに私の子だ。でもふと、これって予行演習?って思ってしまう瞬間は微妙だ。多分どこでも経験していることなのだろうけど。
2004.06.18

5月と6月のはじめに山中湖に行って、期待した鳥に出合わなかったので、今回は西丹沢方面で探鳥してみることにした。昨日は横浜でお友達とランチという家内を、横浜駅東口の地下広場まで迎えに行き、家内の希望で御殿場のアウトレットに寄ったりしたので、山中湖のホテルに着いたのが4時半になってしまった。家内はホテルのプールで泳ぐというので、一人で翌朝のコースの下見に行ってきた。三国峠からの三国林道か明神峠からの世附林道にしようと思っていたので、大急ぎで両方に行ってみた。両方とも車両通行止めになっている林道だ。三国林道は標高千メートルぐらいの山の中腹を高低差無く通っているようだ。世附林道は標高800メートル位からかなり下って行く。翌日は日の出前から歩きたいので、標高の高い三国林道を歩くことにする。この林道からは遠く丹沢湖が見える。 三国峠から戻る時はすっかり日が暮れていた。 今朝は3時半にホトトギスが鳴いた。まだ星が沢山見える時間だ。昨日の朝も自宅近くでまったく同じ時間に鳴いた。ホトトギスは早起きだが、それを知ってる私も早起きだ。4時を過ぎてから三国峠に向かったが、途中のパノラマ台や道路際に富士山を撮そうとするカメラマンが沢山いたのには驚いた。三国林道を歩き始めて間もなく、丹沢の山の上から日が昇りはじめた。 暫く歩くうちに、ここに来てよかったと思った。4時半から7時半ぐらいの3時間の探鳥だったが、山中湖で会えなかった多くの鳥に会えた。前日の下見でコルリとツツドリの声がしたので、ある程度期待していたのだが、トケン科の中で私が一番好きなジュウイチの声がした。ミソサザイ、クロツグミ、イカル、コルリ、ホトトギス、カッコウ、ツツドリ、ジュウイチ、の声を聞きながらとりあえず林道の終点を目指した。あまり人が通らない道なのか、蜘蛛の巣だらけで、落ちていた2メートルぐらいの枝を使って、蜘蛛の巣をどかしながら歩いたのだが、肩に担いだプロミナーも顔も蜘蛛の巣だらけになってしまった。オオルリやクロツグミが多いようで、写真を撮ってと言わんばかりの場所で囀っている。悔しいので、30年前の接眼レンズが7ミリ位しかないプロミナーでデジスコに挑戦してみた。 かろうじてオオルリの一枚だけにそれらしい鳥が写っていた。林道の終点に行っての帰り道、頭の上をジュウイチが鳴きながら飛んでくれたり、ツツドリが目の前の木に止まってくれたりのトケン科の大サービスだった。短い時間だったし、狭い範囲の探鳥だったので残念だったが、今度はデジスコもマスターしゆっくり来ようと思った。
2004.06.16
今日の夕方、外でジュウイチの声がしたような気がして、慌ててベランダに出てみた。でも空耳だったようで部屋に戻った。部屋にいた家内と長女が「どうしたの?」と聞いてきたので、「ジュウイチの声がしたと思ったんだけれど、どうやらスカイイヤーだったみたいだ」と答えたら、家内がすかさず「空耳?」と聞いてきた。その会話を聞いていた長女が感動した様に、「お母さんすごい!私全然解らなかった」と叫んだ。その声を聞いて、家内はさぞかし誇らしげだろうと思ったら、悲しげに下を向いて「20年も連れ添っているとこんな風になってしまうのよ。」と嘆息している。自分の境遇を恥じているようである。私は「スカイイヤーって何?」と聞かれたら答えるつもりだったのに、いきなり答えを言われて少しがっかりしていた。そしてこんな事に感動する長女にがっかりしていた。私と何年暮らしているのだ。もっと洞察力やひらめきを身につけて欲しい。でも家内の悲しみも分かるような気がする。私も自分のオヤジギャクにはうんざりしている面もある。家族みんなが嫌な顔をしていると、絶対に笑わせてやろうとして、さらに墓穴を掘ることがしょっちゅうだ。最近はよく「言うと思った」と娘に言われる。私も読まれてると思いつつ、言ってしまうことがある。今度は、「それは空耳だよ」といって言い逃れることにしよう。でもそうなったら完全に私の負けだ。
2004.06.14
今日の昼過ぎ、毎朝ホトトギスの鳴き声が聞こえる方角に行ってみた。山を切り開いた新興住宅地の中を車で上り、一番高いところに立つ住宅より10メートルぐらい高い山に入ってみた。ここまで車で2分で来た。車を降りて30メートルも歩くとそこに水道局の配水タンクや、送電線の鉄塔、携帯電話用のアンテナなどが建っていて、そこを抜けていくと少しは里山の中という雰囲気になる。山の裏側から来ればここまでは車で上ってこられる。ここにはいないだろうから、早く通り抜けて奥の山に入ろうとしていたら、いきなり頭上でホトトギスの声がした。木の葉に遮られて姿は見えないが、かなり近い。暫くそこの辺りを歩いてみたが、同じ場所で鳴き続けている。用事があったので家に戻り、夕方今度は車で同じ場所まできてみたが、やはり同じ場所で鳴いている。私はホトトギスの習性には詳しくないが、托卵した仮親のウグイスの巣のそばに親鳥は居続けるのであろうか。ホトトギスは6月から7月にかけて繁殖するという。ウラガのカラスさんの情報によれば、5月の23日頃からホトトギスの声はしていたそうだ。6月中ホトトギスの声が聞こえれば繁殖の可能性もあると言うことかもしれない。この日記を今日はウラガのカラスさんと野鳥大好きさんにトラックバックしてみる。ご迷惑でしょうが、ゴメンナサイ。
2004.06.13
昨日、「まだホトトギス」という日記を書いたが、この地域のホトトギスの繁殖状況を調べようとネットで検索していたら、ウラガのカラスのバードウォッチングというページを見つけた。同じ町と言っていいぐらい近くの方だ。ホトトギスについてのメールを送ったら、すぐに返事を頂いた。何と家内の知り合いで、家内はある会で何度か一緒になったことがある方であった。楽天日記以外でブログをしていると言うことだったので探してみると、私の昨日の日記を早速トラックバックして下さっている。私もその方のブログを自分の日記にトラックバックしようと何度か試みたが、上手くいかない。ココログのブログには今日は野鳥大好きさんの日記もトラックバックしてある。この日記も、「ウラガのカラスの野鳥観察」というその方のブログを「相手先のトラックバックURL」に書き込んでから書いているのだが、「日記を書き込む」ボタンを押して、果たしてトラックバック出来ているだろうか。とりあえず、書き込んでみる。~~~~~~~~~~~~~やはり上手くいかない。この様に日記に書き込まれました、という所にはトラックバックしたURLは載っているのだが、ページを確認すると載っていない。後日また挑戦してみよう。
2004.06.12
先週の金曜日から、毎朝ホトトギスの声が聞こえる。この地域は、仮親のウグイスは沢山いるので、何故ホトトギスだけがいなくなってしまったのか不思議だったのだが、一週間も声が聞こえると繁殖の期待もしてしまう。遠くで聞こえるので、そちらで昼間も聞こえるのか、雌の声は聞こえるのかも確かめたい。それにしても、この近くでももっと緑の深いところは沢山あるのに、なぜ緑の少ない私の家の回りで聞こえるのだろう。今日は小雨も降る暗い朝だったのに4時10分前から鳴き始めていた。後2週間もすると夏至だ。夏至に向かって少しずつ鳴き始まるのが早くなる。いつまでホトトギスの声が聞こえるか、朝の楽しみが出来た。
2004.06.11
今国会の民主党には期待しただけに落胆も大きい。今国会の目玉は年金関連法案だと思う。今までの議論で厚生年金の保険料を上げるだけでは駄目だと言うことがハッキリしてきた。小泉総理がテレビ番組で指摘した、厚生年金、国民年金、共済年金の一元化の議論を十分にし、財源問題や負担と給付についての本格的な討議がされると期待していた。与党が、提案した法律の内容で強硬に採決に持ち込むことは見えていたので、民主党が真っ正面から問題点を取り上げてさえいれば、強行採決した自民党が国民の反発を買い自滅したであろう。民主党は社会保険庁の流用の実態を明らかにし、厚生年金法の流用の根拠になっている第79条の問題点を追求しながらも、何ら決定的な答弁を引き出せなかった。支持団体の官公労に遠慮してか、共済年金への踏み込みも甘い。こんな事では一元化などお題目で言ってみただけなのかと疑ってしまう。何より致命的だったのが、菅直人の未納3兄弟発言である。あれから枝葉末節の問題でいたずらに時間を浪費する国会になってしまった。未練がましく辞任を先延ばしにして、民主党をイメージダウンさせてしまった。つぎに小沢一郎の世紀の大空振りである。民主党の党首どころか自分の政治生命まで棒に振ってしまった。小沢神話はあれで終わってしまった。そして岡田党首。廃案に持ち込まなくても、強行採決させておけば与党は自滅したのに 、牛歩戦術だの散会だのの愚策を持ち出して最後の民主党支持者まで失望させてしまった。その後に自分の国家公務員法違反までのおまけ付きだ。公務員の兼業禁止など誰でも知っていることなのに、知らなかったという言い訳までしていた。国民は何故今、年金法を急いで改正しなければならないのか、皆疑問に思っている。正攻法で攻めて、強行採決さえさせておけば、今度の参議院選挙は棚ぼたで地滑り的勝利も目に見えていたのに、と思うと残念である。私は小泉首相の支持者だが、それでも年金法を急ぐことは支持できない。参議院選挙では自民党が負けることを期待していた。今回だけは民主党を支持しようと思ったが、もうそれも出来ない。政治離れが進みそうである。
2004.06.10
小泉総理のサラリーマン時代の勤務実態を民主党の岡田党首が追求していた。マスコミも正義ぶって、問題ありという取り上げ方だった。でも総理の答弁の通り、昔はおおらかで太っ腹な社長さんがいて、書生を抱えるように青雲の志に燃える若者を援助していた時代があった。今日の新聞で、岡田党首の父親が同じような事を息子にしていて、しかも岡田党首は国家公務員規則に違反していたことが明らかになるお粗末さだ。年金の未納、未加入問題もその時代背景を加味して報じなければマスコミの使命を果たしたことにはならないと思う。窪塚洋介君の事も胸が痛む。たまたま私の後輩が高校時代から彼の母親と同期で、今でも家族ぐるみの付き合いをしているので彼の話は良く聞いていた。洋介君は非常にまじめで純粋な考えの持ち主で、人のため、地元のため、世の中のために自分が何を出来るかをいつも考えている。実現はしなかったが私も関わっているあるイベントに、街のためだからと無償で協力を申し出てくれた。彼が発案し、私の後輩が主催者なった昨年のイベントには私も少しは協力できたが、みんなが感心する礼儀正しい好青年だった。今は同じ街で暮らしているが、日常普通に接しているお店の方々の評判もとってもいい。おもしろおかしく憶測だらけの報道は見る気にならないので、最近はワイドショー的なものが始まるとテレビを消すようにしている。ほっといてあげて欲しい。もう、うんざりである。
2004.06.09
今朝ホトトギスが鳴いていた。まだ渡りの途中なのだろうか、たまに声を聞くことがある。でも今はこの地方では繁殖していないようだ。大正か昭和の初め頃だろうが、山階鳥類研究所の山階芳麿博士が日本で一番ウグイスとホトトギスの密度が濃いと言ったこの地方も、ホトトギスの声が夏中聞こえるとニュースになるくらい珍しい鳥になってしまった。徳富蘆花が逗子を舞台に書いた有名な小説が「不如帰」という題名なのも昔の話を聞けば納得できる。ホトトギス、カッコウ、ツツドリ、ジュウイチの杜鵑(とけん)科の声を聞くのが好きで、昔はこの4種類がうるさいほど鳴いていた山中湖に行ってみた。でも先日はホトトギスとカッコウだけで、西丹沢方面でやっとツツドリの声を聞いた。私には鳥の鳴き声と探鳥地が結びついている場所がある。メボソムシクイというと奥日光。金精道路の料金所辺りから切込湖、刈込湖まで歩いた道で聞いたメボソムシクイ。コルリとコマドリというと上高地だ。蝶ヶ岳に雷鳥を見に行った時、上高地の明神池から横尾辺りまでコルリとコマドリがひっきりなしに鳴いていた。でも今はどうなのだろう。関東周辺で今夏鳥の種類が多いのはどこだか御存じの方、是非教えて下さい。
2004.06.04
昨日の日記で、山中湖の帰りに富士山登山道入り口の須走浅間神社に寄ったと書いた。実は境内でテントを二張り張っている作業中で、マイクのテストもしていた。また富士あざみラインを走っている途中でバスから降りて付近を散策しているような人達を見かけた。今日神奈川新聞を見ていたら、今年で創立70周年を迎えた日本野鳥の会が、日本で初めて探鳥会が行われたこの地で記念探鳥会を行い、浅間神社で記念碑の除幕式を行ったという記事が載っていた。と言うことは、私が見た一行は記念探鳥会に参加した人達で、浅間神社でのテントは除幕式の準備だったらしい。何の為にテントを張っているのか聞こうと思ったのだが、聞いていればちゃっかり除幕式に参加して、皆さんに様子も御報告できたのに残念。因みにネットで調べてみたら、当時の探鳥会を調べて載せているページがあった。昭和9年6月2日3日に行われたこの探鳥会には、柳田国男、北原白秋、金田一京助、窪田空穂、中村星湖などそうそうたるメンバー40数名が集まったそうだ。記念探鳥会には中西悟堂の長女や、北原白秋の親族も参加していたという。30年前でも今と比べれば随分鳥がいたと思えたのだが、70年前はどんな様子だったのだろう。日本初の探鳥会では32種類の鳥の巣を観察したそうだ。
2004.06.03

先々週久しぶりに山中湖へ行ってきたが、会えると思っていた鳥にほとんど会えなかった。昨日の午後からまた山中湖に行ってきた。西から雨が上がってきたし、東名横浜インターあたりは道路も乾いていたので夕焼けの富士山を見られるかと楽しみにしていたのだが、御殿場あたりはどんよりした曇り空で、篭坂峠は完全に雨。山中湖に着いたら雨と言うよりは深い霧の中で、富士山どころか湖面も満足に見えない状態だった。今日は平野から三国峠に向かった山の中腹にあるホテルに泊まったのだが、せいぜい視界50メートルと言ったところだった。鳥の声もほとんど聞こえなかったので、ホテル内で家内と水着を購入し久しぶりにプールで泳いだ。夕食は評判が良いという中華を食べ、ビールを飲んだ後紹興酒をボトルでもらった。食事の前にラウンジで強めのカクテルを少し飲んでいたので、食事が終わる頃にはすっかり良い気分になってしまった。紹興酒は軒醒めと言って、軒先を出た頃には酔いが醒めるなんて言われるが、部屋で少し眠るとだいぶ酔いも醒めたので、今度はホテル内のバーで飲み直し、12時頃に寝た。習慣で翌朝は4時に目が覚めたので窓の外を見るときれいに富士山が見える。 部屋から庭に出られる1階の部屋だったので、そのまま敷地内の散策路を歩いてみたのだが、ホトトギス、カッコウ、ヒガラ、などの声は聞こえるがやはり種類は少ない。5時から1時間半ほど車で山中湖周辺を移動してみたが、やはり種類は少ない。山中湖の東側の三国峠からさらに丹沢よりの明神峠に向かう途中でやっとツツドリやクロツグミの声が聞こえた。カケスも見たが、これもここまできて初めて見た。何かで山中湖付近の野鳥が激減していると書いてあるのを読んだことがあるが、ここまでとは驚きである。ホテルを出た後は道志村に行った後また山中湖に戻り、三国峠、明神峠を経て駿河小山側に降り、そこから須走の浅間神社に行ってみた。昔山中湖に探鳥に行った帰りは必ず寄っていた場所だ。昭和の初めに日本で最初の探鳥会が行われたのもここから富士登山口に向かったあたりだという。でも今はこの神社での鳥は期待できないので、富士あざみラインを通って、須走登山口の五合目まで行ってみた。途中でコマドリやコルリの声は聞こえた。山中湖のホテルは標高千メートルぐらいだが、ここは標高二千メートルだ。さっきまで居たホテルがはるか下に見える。須走まで戻り、今度は箱根の強羅まで行った。ここでひとつ用事を済まし、遅い昼食をとってから家路についた。ホテルを予約した時には今日は雨のち曇の予報だったが、幸い遠くまで見渡せる晴天に恵まれ、ドライブを堪能した休日だった。でも鳥に関しては少し残念だった。
2004.06.02
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