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続々と仕事納めになる人々を尻目に、これから大晦日まで忙しい時期である。もう今年は野毛に行く機会が無いかなと思っていたら、横浜に出かけた家内から、野毛に行きたいとメールが入った。翌日も私は朝が早いので、じゃあちょっとだけよ!といって日の出町で待ち合わせ。「あさひや」さんを覗いたが満席で入れない。だったら「鼓場」に行きたいと云うので行ってみたが、まだ開店前。無理矢理入れてもらい、準備が出来るのを中で待たせてもらった。駄菓子屋さんのもんじゃが美味かった。中トロをお代わりし、〆鯖を食べて親方と2時間近くしゃべり通しだった。次に「ホッピー仙人」常連の方とお話の途中に家内の携帯に私の高校の後輩で、家内が頼み事をしている方から連絡が入った。高島町にいるらしいのだが、ここが家内の強引なところ、ホッピー仙人まで呼んでしまった。その方が食事がまだというので、「錦寿司」に移動してそろそろ暖簾の時間に、今度は横浜で飲み会の長女から連絡が入り、これから野毛に来ると云うことに。朝の早い私はもう帰りたいのだが、一応長女を待った。長女の到着で、私は先に帰ることにした。後輩と家内と長女はその後また「鼓場」に行って、タクシーで帰ってきたらしい。お酒を飲むと、人を呼ぶ、連れまわる、というスイッチが入ってしまう家内だが、今日はそんなに飲んでいないのに、どこでスイッチが入ってしまったのかわからない。年内にもう一回野毛に行けるかしら?と、今日家内に聞かれた。このぶんでは、もう一回は行くことになりそうである。
2004.12.27
昨年のイブの日、イブということを忘れてランドマークに行ってしまった。桜木町からの動く歩道は、若いカップルだらけで、抱き合ったりキスしているカップまでいた。クリスマスプレゼントではなく、お餞別を買い求めるために、ランドマークプラザのスワロフスキーに行ったのだが、そこでもプレゼントを買い求めるカップルだらけ。あーだこーだと決められないカップルに、「じゃあオジサンが決めてやる!」と怒鳴りたかったが、家内に止められた。私たちは妊娠して美容院を辞める人の為に、犬の置物を買いに行っただけだったのに、店員が優柔不断なカップルにつきっきりで、なかなか相手にされず随分イライラさせられた。家内の母が「壬生義士伝」を読みたがっていたので、ハードカバーの単行本をプレゼントしようと思って、ランドマークプラザの有隣堂を探したが、文庫本しかなかった。他の店を探してもらったら、本店にあるという。何故か車は野毛に停めておいたので、本店まで歩いていくことにした。その途中、都橋を渡ってすぐの所に、行列が出来ている店があった。鶏肉専門店の梅やさんだ。こんなに行列が出来ているなら、きっと美味しいはずだと思って鶏のもも肉を少し多めに買っていった。食べたら、甘みを抑えめで実に美味しいもも肉だったので、知り合いにあげたのだが、そこでも大好評だった。と言うことで、今年はあちこちで頼まれて、28本のもも肉を買いに行く羽目になってしまった。家内が買いに行くことになっていたのだが、急用が出来て私にお鉢が回ってきた。7000円ほどの鶏肉を買いに行くのに、4000円も高速代を払うのは馬鹿馬鹿しいので、家内は電車で行けと言う。だが28本のもも肉をぶら下げて電車に乗るのは嫌である。先日22日に湾岸線の本牧ジャンクションが開通したと聞いていたので、そこも通ってみたかった。結局車で行ってきた。高速道路は順調だったが、一般道路は年末の週末ということもあって大混雑だった。感覚的に師走はまだ先だと思っていたが、町中を車で移動してみて師走を実感した。
2004.12.24
今日はお休みだったが、大掃除の第1弾、窓ふきだった。のんびり昼過ぎまでやって、夕方は横須賀にホッピーを飲みに来る人達のところへ顔を出すつもりでいた。ところが明日食事に来る予定の父が、今日来ることになった。少し忙しくなった。何とか昼過ぎまでに窓ふきを終え、近くのおそば屋さんで遅い昼食をとり、それから夕飯の材料の買い物に行った。家に戻ってもまだ時間があったので、寝室の止まっていた時計の電池を取り換え、かける場所も移動した。時計は電波時計と書いてあって、時間を合わせるダイヤルがない。止まっている時に指している針の位置が、丁度1時間前だったので、秒針の動きが随分ゆっくりだった。これは12時間かけて時刻を合わせるのかと思いながらお風呂に入った。ところが出てきて見たら、10秒で一周するぐらいの早さで秒針が回っている。慌てて家内を呼んで時計を見せたが、針の動きが何とも可笑しくて大笑いしてしまった。何事にも間際になって大慌てで辻褄を合わせる私達のようだった。
2004.12.23
京急汐入駅を降りて、横須賀プリンスやダイエーとは反対側の坂本方面に向かって、道路沿いに150メートルぐらい歩いた右側にある。アーケードが切れた先に焼き鳥の赤提灯が見えるので、焼鳥屋さんだったのかと言いながら店の暖簾をくぐった。店内にはいると、右側に奥まで続くL字型の長いカウンター、左にはテーブルが二つと手前には小さな座敷の入り口がある。6時ちょっと前に入ったが、テーブル席にはニッカボッカの4人組の先客、だがまだ何も料理は出ていない。カウンターの内側では親爺さんと息子、他に男性と女性が一人ずつ忙しそうに動いている。2階に座敷があって、どうやら二組の宴会があるらしい。カウンターの真ん中あたりに座り、私は酎ハイ、家内は寒いからと焼酎のお湯割りをもらい、もつ煮込みと湯豆腐を注文する。目の前の冷ケースにはかなりの量の焼き鳥が並んでいる。店内のあちらこちらに張り出されたメニューを見ると、焼き鳥のほとんどは100円である。刺身も豊富だし、いわゆる居酒屋メニューはすべて揃っているし、寿司の盛り合わせまである。実はこのお店、私たちがよく行く横浜西口の寿司清の店長の実家である。オヤジと弟がやっているので是非と、前々から勧められていたのだが、ようやく今日行くことが出来た。近くのホテルの従業員のたまり場的お店で、代々の支配人も良く来て下さいます、との話だったが、先日寿司清にお連れした方はまだ行ったことがないという。私たちが行く時は声を掛ける約束だったので電話してみたが、今日はホテル主催のディナーショーがあるので抜けられないと云うことだった。店に入って30分ぐらいたった頃、うちによく遊びに来る後輩が入ってきた。「え~、何でこんなところにいるんですか?」と、驚いている。この店に来ることになったいきさつを手短に説明した。彼はこの店の常連らしく、私たちの事を親爺さんに紹介するので、私たちも寿司清の店長に聞いて今日来ましたと話した。親爺さんや弟さんも私たちのことは聞いていたらしく、店に入ってから30分で、すっかりうち解けた。後輩は地方議員で、同期に当選した仲間との忘年会だという。後から私の中学の同級生のお兄さんで、同期の地方議員も入ってきて、カウンターでしばらく一緒に飲んでいた。後輩達が2階に上がった頃から、常連さん達がつぎつぎ入ってきた。ボトルが空になったからと。次のボトルを注文していた。何といいちこの一升瓶である。焼酎の一升瓶がいろいろ置いてあるが、ここのボトルキープは一升瓶らしい。ただ残念なのがホッピーが無いこと。昔は置いていたらしいので、また是非置くようにしつこくお願いした。今度からは行くたびに、お飲み物はと聞かれたら、「ホッピー下さい」とプレッシャーをかけ続けよう。
2004.12.22
スタートレックを初めて見たのはいつ頃だろうか、ハッキリ思い出せない。高校時代に学校から帰ってテレビをつけたら、東京12チャンネルで放映していたような気がする。子供の頃から「世にも不思議な物語」「ミステリー・ゾーン」「アウターリミッツ」などのSFや特撮物が大好きだったので、時間が合えば必ず見ていた。カーク船長、ミスタースポック、ドクターマッコイが出てくる、白黒放送だった。それから暫くスタートレックのことを忘れていたが、家のテレビをケーブルテレビにつないだ10年ぐらい前からは、いろんなシリーズを繰り返し見ている。とは云っても、いわゆるトレッキーではない。本屋やDVDを買ったこともなければ、ビデオを借りたこともない。テレビを見る時間があると、まずスーパーチャンネルを見て、放送していれば見ると言った程度だ。だから系統だった知識は一切ない。新スタートレックはカウンセラーがお目当てだし、スタートレックボイジャーはセブンがお目当てだ。ディープスペースナインにはこれと言ったお目当ての女性がいないのであまり見ていない。スタートレックエンタープライズは放送時間の関係で、ほとんど見ていない。でも迷惑なのが子供達だ。私が優先的にスタートレックを見てしまうので、結局一緒に見ることが多く、門前の小僧的にトレッキー初心者ぐらいにはなってしまったようだ。友達にスタートレックファンがいて、話をしたら娘の方が詳しくて、つきまとわれて迷惑したなんて苦情を言われたことがある。でも家族で映画や海外ドラマを見ていて、スタートレックに出てくる俳優が出演しているのを見つけると、家族で大騒ぎだ。DS9の保安部長?のオドーが、メル・ギブソンの「パトリオット」に牧師役で出ていた。「あっ!オドーだ、特殊メークしなくても同じ顔だ!」なんてはしゃいでいる。「ボストン・パブリック」にセブンが出てきた時は私が喜んだ。「15ミニッツ」ではDS9のシスコ隊長役のエイヴリー・ブルックスが刑事役で出ていた。「X-メン」のパトリック・スチュワート(ピカード艦長)は有名だが、データ少佐が「インデペンデンス・デー」に出ていると云われた時は探すのに苦労した。娘に「サンダーバード」の実写版の監督って誰だか知ってると聞かれた時は、ちゃんとライカ副長だよ、と答えられた。結構野次馬的な楽しみ方もあるもんだ。
2004.12.18
昨日は接客業に携わっているRさんを、繁盛店を見学するという名目で連れ出した。まずは横浜駅西口岡田屋モアーズ9階にある、「築地寿司清」ここはカウンター22席に職人5名が対応する。店長はじめ、皆気さくな職人さんで、お客さんは職人さんとの会話を楽しむために来店しているのではと思えるくらい、明るい会話が弾んでいる。私の子供も、それぞれお気に入りの職人さんがいて、今日は誰それさんとこんな話をした、なんて、食べ物より話の内容を報告するくらいだ。Rさんも、カウンターが開くのを待つお客さんが並んでいるのを見て驚いていた。店長に、つまみ主体でお任せしたので、車エビの踊り食いなんて、話の種に一度経験すれば十分な物まで食べさせられた。それでいて、お会計は懐に優しい金額だった。次に、Rさんに前から話していた「ホッピー仙人」に行った。このRさん、お店の名前をうろ覚えで、「今度はあの『焼酎天国』でしたっけ?」まあ、当たらずといえども遠からずと云うところだ。この「焼酎天国」、仙人やウッチーに馬鹿受けで、仙人は「その名前頂いちゃって、今度『ホッピー仙人』こと『焼酎天国』と名乗りましょうか」と、やけに嬉しそう。ウッチーも、「それ、頂き!」と受けている。Rさん、ホッピーは初めてだそうだが、いろんな物をホッピーで割れるのに驚いていた。私が電気ブランのガラナ割りを頼んだら、ここで電気ブランが飲めるとはと、感激していた。奥さんのお父さんと神谷バーに電気ブランを飲みに行く約束をしていたのに、2週間ほど前に突然亡くなってしまったそうだ。ホッピーをチェイサーに、しんみりと電気ブランを飲んでいた。隣にいたjayさんは、観光地化してしまった神谷バーを嘆いていた。電気ブラン、浅田次郎の「天切り松 闇がたり」に出てきたんだ、と話したら、コダマさんが、「あっ!私も読みましたよ」と云ってくれた。こんな声が掛かると、実に嬉しいものだ。そのうち、次々と常連さんが入ってきて、立ちッピーが6人ほどになってきた。繁盛店作りは口コミが大切と、今日の見学会のまとめをして店を出た。繁盛店見学と云って連れ出したが、二つの店とも見事な繁盛ぶりに、鼻が高かった。
2004.12.16
先日、野毛の「鳥良」にいた時、隣のお客さんが「マスター、野毛で美味しい焼鳥屋さんは何処ですか?」と聞いていた。焼鳥屋さんでする質問か!と思ったが、固唾を呑んで答えを待った。そういえばここで焼き鳥を食べたことがない。手羽先の唐揚げは有名だが、焼鳥屋さんではないのかも知れない。そのマスターが真っ先に挙げたのが「若竹」「鳥良」さんの斜め前にある。今日は「ドルフィー」で板橋文夫のライブがあると思っていたので、「若竹」ともう一軒どこかに行って、「ドルフィー」の後「ホッピー仙人」と決めて出かけた。日の出町の駅を降りると、どこかで見かけた人が前を歩いている。仙人だ。どうやら同じ電車だったらしい。途中まで一緒に歩いて、宮川町で「後で寄るからね」と云って別れた。「若竹」に入ったら7人ほどの団体の先客がいた。その隣のカウンターの奥に座ったが、おかみさんが「こちらのお客のを先に焼くので、時間掛かるけどいいですか?」と聞いてくる。歓迎されていないのかなと、ちょっとビビる。店内を見回しても、メニューが一切ないし、開店したばかりなので、まだ隣の客の前にも何も出ていない。取りあえず焼酎の水割りをもらい、ネタケースを見たら、「鳥良」のマスターが云っていた手羽先が沢山並んでいた。多分これが人気が高いのだろう。しばらく焼酎を舐めていると、辛みそと、大根おろしが出てきて、ようやく注文を聞いてくれた。手羽先と、ハツと、鳥ネギを頼んだが、「鳥ネギは時間かかるけどいいですか?」とまた聞かれる。「全然構いませんよ」と答えて待っていたら、意外と早く手羽先が出てきた。辛みそをつけて食べるのが前提なのか、意外と塩が薄味だが、確かに美味い。ハツも、ハツ大好き人間の私が食べたハツの中でもベスト3に入る美味しさだった。鳥ネギのネギも美味かった。目の前ではおかみさんが、白菜の漬け物とキュウリを皿に盛りつけている。多分黙っていてもあれが出てくるのだろうが、急にお刺身が食べたくなってしまったので、会計してくれるように頼んだ。そうしたら「今鳥スープ出すんだけど、いりませんか?」と聞かれたので、それは頂くことにした。これがまた絶品だった。湯飲みに入って出てきたのだが、スープの中にウズラの卵が入っていて、白味が少し固まったのが美味いのである。ここは常連さんの多い店で、おかみさんがほとんどのお客の個人名を呼んでいた。つくねも沢山あったので、今度はつくねも食べてみるつもりだ。顔を覚えてもらうまで、通ってもいい店だ。次に「錦寿司」でしめ鯖とメジマグロの刺身を食べた。宴会が入っているようで忙しそうだったし、「ドルフィー」に行く時間も迫っていたので、それだけ食べて店を出た。そして「ドルフィー」に行ってみたら、私が日にちを間違えていて、板橋文夫は今度の金曜日だった。がっかりしたような、早く「ホッピー仙人」に行けるので嬉しいような変な気分。「ホッピー仙人」ではお馴染みの顔、カオ。今日の収穫は、ず~と前から顔も知っているし、話もしていた方がびゅうリップ兄さんだと判明したことと、藤子さんという、最近ブログで良く名前をお見かけするお嬢さんに会えたこと、WMさんの連れあいさんに会ったこと。WMさんの連れあいさんはエライ!初めて会う人の名前をメモしている。ホッピー次郎の名前も書いて下さった様だ。最後の方は、藤子さんに「ブログにコメント書くからね~」と、しつこく云いながら店を出たことを憶えている。帰りの電車は、乗り換えの駅で奇跡的に目を覚ました以外は眠っていたようだ。今日の目覚めで、昨日は飲み過ぎたことを悟った。
2004.12.14
今年二十歳になった娘の晴れ着姿を写しに行ってきた。昨日まで具合が悪くて、点滴をうっていた家内が近くの美容院までは迎えに行ったが、写真館までは私が運転していくことになった。写真館に向かう車の中で、家内が「この着物を着て、私は結婚したのよね」と言ったので、想い出した。今から20年前、婚約した後、婚約破棄、そして再会してまた結婚の約束、という紆余曲折と言うよりは七転八倒の経過をたどった私たちは、5月に結婚することが決まっていた。だが、母が占いを見たら2月中に結婚しないと幸せになれない、とか何とか言い出して、急遽2月に式を挙げることになり、披露宴だけ5月に行った。この先また何があるかわからない、と案じた母の計略だったのかも知れない。双方の家族だけで、地元の神社で式を挙げた。2月最後の大安の日曜日だった。私はその日、知り合いの結婚式に呼ばれていたので、一日に二つの結婚式のはしごで、そのうちの一つが自分の結婚式という、貴重な経験をした。その時家内が着ていた晴れ着を、今日娘が着ている。5年前に成人式を迎えた姪が、その年の暮れに結婚が決まり、翌年式を挙げた。大学卒業までは子供は作らないと行っていたが、結局母親となって卒業した。あの時晴れ着姿を見せに来た姪と娘がオーバーラップして見えた。写真屋さんは家内の先輩で、昔から記念写真を撮って頂いている。娘の小学校、中学校の入学式、卒業式、修学旅行もすべてこの写真屋さんなので、我が事のように喜んでくれた。来年のお正月に家族で集まって、娘の成人のお祝いもするつもりだ。その時までに何とか写真を仕上げると約束して頂いた。娘の晴れ着姿を見てもこれと言った感慨はないが、これから先、何があっても驚かないように覚悟だけはしなくては。By GT-ONE
2004.12.11
昨日の夜は1時に間違い電話が鳴った。家内が出てみると、ピーと言う音がしてたというから、ファックスだったらしい。いつもは熟睡している時間なので、たまには深夜のテレビでも見ようと思って、スーパーチャンネルをつけたらスタートレックDS9をやっていた。シリーズの中で一番戦闘的なのがカーデシア人だと思っていたら、ジェム・ハダーというもっと戦闘的な宇宙人がいて、それが出ていた。あとボーグをも破壊してしまう種族もいたが、あれは何と言うんだっけ、なんて考えているうちに眠ってしまったようだ。そしてら、2時にまた電話が鳴った。またさっきと同じ様に、ピーとなっただけだったそうだ。テレビは点いたままで、今度はおなじDS9の違うエピソードを放映していた。今度は完全に眠れそうもないので、台所に行って日本酒を大きめのコップ一杯、一気飲みした。でも目が冴えて、とうとうこの1話を見終わってしまった。やめておけばいいのに、後コップ半分程飲んだらやっと眠れたが、完全にこれが効いた。いつものように4時に目覚ましが鳴ったが、どよ~んとした目覚めで、気持ちも悪い。歯を磨いたら、犬の遠吠えのような吐き気。とうとう昼まで気持ち悪さが抜けなかった。さすがに今夜は飲む気にならず、久しぶりの休肝日だ。(全然関係ないけど、「きゅうかんび」で変換したら、ちゃんと休肝日が候補に入っていた。)いくら何でも、起きる1時間前にお酒を飲んではイカン、イカン。By GT-ONE
2004.12.09
下の娘が生まれ変わったら、ワカメか珊瑚になりたいと言っていた。今は18才になる娘が最近まで言っていたことである。でも昨年の台風で考えが変わったようである。私の知り合いに、ワカメの養殖をしている漁業の方がいるが、台風が来た時海が荒れて、ワカメが根こそぎ流れてしまって、大損害を受けたという話をしていた。それに珊瑚にはオニヒトデという天敵がいて、食い尽くされてしまうんだよ、と言う話も聞かされたらしい。そこで今はコルクの木になりたいんだという。コルクは、皮をはがされても必ず再生し、しかも同じ場所にジーとしていられるのが良いらしい。私から見ると、下の娘は鉄砲玉のように、どこに行くかわからない性格だと思っていたのだが、結構地元意識というか、土着意識が強いようである。ちなみに私も何になりたいか聞かれたので、犬をうん~と可愛がる家の飼い犬になりたいと答えた。こんな答えをする私が、いかに可哀想な立場にいるか、皆さんにはご理解頂けるのであろうか?家族には笑止千万というような態度をされたが、誰も私の切ない思いを汲み取ってはくれないようである。By GT-ONE
2004.12.08
先日、地元の大学同窓会組織の家族会が開かれた。この時期にハワイアンを聴きながら、中華料理を食べるという、素晴らしい会だ。私のテーブルは、磯子出身の4年先輩と、後輩夫婦で山手出身の6才年下の奥さんと一緒だった。昔話になり、根岸線の話が出た時、私より6才年下の女性が工事中の石川町や山手付近の線路で遊んだことがあると言った。先輩は勿論、工事中の根岸線の線路で遊んだことがあるらしいが、彼女とは10才の年齢差である。では三渓園の海水浴場で泳いだことがあるかという話題になった。私は本牧に叔母が住んでいたので、泳いだことがある。先輩は勿論あるという。家内は、父親に連れられて潮干狩りに来たら、埋め立て中で呆然としたと言う話をした。でも家内と同い年の彼女はやはり泳いだことがあるらしい。私の父は横浜小学校、港中学校出身なので、伊勢佐木町、馬車道、南京街辺りに知り合いの店が多く、昔は一緒に歩くといろんな店の家族の話もしてくれたし、よくお店を訪ねては挨拶もしていた。でも今は二代目、三代目に代替わりしているので、寄っても怪訝な顔をされるばかりだという。そんな父や先輩の話を記録するのも私の世代の役目かなと最近思う。でもただ年寄りになっただけかも知れないが。By GT-ONE
2004.12.07
私が小学生の頃は、まだ少年サンデーと少年マガジンしかなく、私はマガジン派だった。ちばてつやの「ちかいの魔球」の次の連載が「紫電改のタカ」だったような気がするが、私はこの漫画が大好きだった。戦争漫画で空中戦の場面が沢山出てくる。小学校の遊びでも、空中戦ごっこをよくやった。ゼロ戦とグラマンに分かれて、両手を戦闘機の翼のように広げ、なるべく相手の後ろに回り「ダ、ダ、ダ・・」と口で機銃を撃つ。もう終戦から15年ぐらいは経っている時期だったが、漫画以外の記事では太平洋戦争の戦艦や戦闘機などの解説が多かったような気がする。各海戦では戦艦や巡洋艦の配置図まで載せて、戦闘の模様を解説していた。プラモデルも戦争物ばかりだった。ノートに書く落書きも、戦艦大和やゼロ戦、隼、などが多かった。兄が雑誌「丸」を買っていて、写真を見ただけで船の名前を当てられるぐらい、戦艦などには詳しかった。今、戦争責任とか、戦争の反省が話題になるが、あのころは反省というと何故ミッドウェー海戦で負けたのか、レイテ沖海戦ではどう戦ったのかとか、どうして負けたのかに対する反省ばかりだったような気がする。何故なんだろう?敗戦を認めたくない感情がまだ日本を支配していたのだろうか?自分たちの非を認めたくなくて、強がりを言い続けていたのだろうか?その理由を知りたくて、半藤一利の「昭和史」と渡部昇一の「昭和史」を読んでみた。戦争開始までの理由は大体わかった。だが私が一番懸念した予測は当たっていた。それは国民が戦争を圧倒的に支持していたのだ。「本日未明、西太平洋方面において戦闘状態に入れり」の放送があった時、日本中が雄叫びにも近い万歳の嵐だったという。中島健蔵、小林秀雄、亀井勝一郎、横光利一のような文学者までが戦争を絶賛していた。戦争中は朝日新聞や毎日新聞が御用新聞のように戦争を鼓舞したとよく言われるし、それは事実だったのだが、日本国民がそのような新聞しか受け付けなかったのだ。つまり日本中が狂気に席巻されていたのだ。私は極東軍事裁判に於ける戦犯の指定には、あまり興味がない。だが、誤った判断により死ななくて済んだ国民を殺し、国家を未曾有の荒廃に追い込んだ国家指導者を、何故日本人の手によって裁かなかったのかが不思議でならなかった。でも裁かなかったのではなく、裁けなかったのだ。今、靖国問題で世論も二分されている状態である。あの戦争が是か非かではなく、なぜ我々の父や祖父の世代が戦争に巻き込まれていったのかを、今こそ冷静に見つめ直すことが必要なのではないのだろうか。By GT-ONE
2004.12.06
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