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昨日今日と関東地方は記録的な暑さだ。東京で2日連続で真夏日と、5月に3回の真夏日は初めてだという。南関東の半島にある私の家では30度は超えなかったが、軽いフェーン現象もあり北関東では35度ぐらいまで気温が上昇したそうだ。この暑さの中昨日は屋根裏の納戸を整理した。屋根裏だけに暑さもひとしおであり、まるでサウナ状態であった。今日は整理したゴミと、先日から家の周りを片づけて出たゴミを配達用の車に積んで市の処理場まで運んだ。夕方は早々とシャワーを浴び、軽めに一杯やった後グレープフルーツビールを片手にベランダで夕涼みだ。グレープジュースを1に対し、生ビールを5か6ぐらいの割合が一番美味しいようだ。家に生ビールサーバーを置いてから研究を重ねてきたのだ。ベランダから娘にお代わりを頼んだら、文句を言いながらも作って持ってきてくれた。今晩あたりから雨の予報だが、雲の流れが随分速い。雲の切れ間に星が見えてきた。しし座のレクルスのそばに木星、おとめ座のスピカのそばに上弦を少し過ぎた月があり、娘に双眼鏡を頼んだらまた文句を言いながらも持ってきてくれた。「どうせ持ってくるんだったら文句を言わずに持ってきなさい」なんて言ったらバチが当たりそうなので黙っていた。双眼鏡で木星の衛星が見えるかどうか試してみたら、星が二つに見える。以前老眼鏡を作る時の検眼で乱視を指摘されたが、やはり乱視のせいらしい。片目をつぶってみたら、一瞬見えたような気がしたが気のせいかもしれない。鳥を見るスコープで見ようと思ったがどんどん雲が厚くなる。風も強かったので夢中になっている内に寒くなってしまった。これで風邪でも引いたら家族に何を言われるか分からないので慌てて家に入った。まだ本格的な夕涼みには少し早いようだ。
2004.05.31
朝4時頃に起きる。今の季節は空が少し明るくなっている。ベランダに出てみると、普段何気なく見ているスズメやツバメも一所懸命囀っている。よく聞いてみると、10種類ぐらいの鳥は居るようだ。頭がハッキリしてくるまで、近くの電線でなく鳥を見たり、夜明けの刻々と変化する空を見るこの時間が好きだ。夏至をはさんであと2ヶ月ぐらいの朝はいい。何と言っても空が明るい。でも9月頃になって、同じ時間の空に星が見えるようになり、それがオリオン座だったりすると、急に冬が近くなったような気がする。冬至に向かって、もうこれ以上明るい空は見られないと思うと少し気が重くなる。まだ夏至も来ないのにおかしな事を言っていると思われるだろうが、早い時間から仕事をする身にとっては起きた時に外が明るいというのは結構嬉しい物だ。冬来たりなば春遠からじ起きた時の空が明るいことに喜びを感じる私にとって、冬至を過ぎるとこの言葉の意味が実感できる。
2004.05.29
今日は大学の地元OB会の対抗ゴルフコンペがあった。私の出身大学と家内の出身大学の卒業生の対抗戦だ。千葉のゴルフ場が地元までサロンバスで送迎してくれる。アクアライン経由で片道1時間半、眠っている人もいれば、少しビールでも飲んで楽しそうに笑い声を上げている人もいる。ちょっとした遠足気分だ。全部で7組のコンペだったが、私の組は腕前や年齢で組み合わせを行ったら、私たち夫婦と若手二人の組み合わせになってしまった。一番若い方は家内の後輩で、腕前もかなり上らしい。でも私たちが足を引っ張ったのか、かなり苦戦している場面もあった。結局4人で450を切ろうと言っていたのに、わずかに超えてしまった。そんなゴルフだからかなり珍プレーがあり、笑いすぎてお腹が痛い場面が何度かあった。パーティーの時初参加の若手が初参加の感想を聞かれ、自分のことではなく私の珍プレーの話をしたのには参った。参加費は勝った方が5千円、負けた方が7千円だが私たち夫婦は常に二人で1万2千円払わなければならない。二人でかなりの出費だったが、天気のいい一日本当に楽しい時間が過ごせた。
2004.05.26

昨日の午後から一泊で山中湖に行って来た。実は先週の水曜日に、夜中に家を出て明け方に着くように来ようと思って一応午前2時に起きてみたのだが、疲れが抜けてないようなのでやめてしまった。昔は午前2時に家を出て、4時頃から山中湖で探鳥し、午前6時、箱根の乙女トンネルの料金所(昔は乙女トンネルは有料だった)が始まる前にはそこを通過して家に帰ってくるなんて事を平気でしていたのだが、今は年なのでそこまでする元気はなかった。昨日は午後1時半近くに横横道路に乗り、保土ヶ谷バイパス、東名高速とすべて順調だったので3時ちょっと過ぎには山中湖に着いてしまった。とりあえず旅館に荷物を置いて、近くを探鳥してみた。あいにく雨が降り出し、双眼鏡を扱うのも初めてのような家内も一緒だったので、一時間ぐらい周りを歩いてみた。まだ鳥の種類も多くなく、夕方近くの雨なので森の中も暗くあまり成果は無かったが、野鳥初心者の家内にプロミナーでじっくりキビタキを見せてあげられたのは良かった。旅館に戻った頃に雨も上がり、富士山もくっきり見えてきたので、車で平野から丹沢方面の三国峠に向かってみた。途中に会員制リゾートで有名な施設があったので、ちょっと寄ってみた。車寄せでボーイに何か資料がないか聞いてみたら、営業係に紹介され中の案内までしてもらった。部屋から見える山中湖と富士山の景色が素晴らしい。単なるひやかしで行ってみたのだが、こんな所が手には入ったら毎週でも来てしまいそうである。なにしろ家から2時間掛からずに来られる別世界である。夢の世界から現実に戻り三国峠まで来てみた。オオジシギの声か姿を求めて来たのだが、まだ来ていないのか、今の時間にたまたまいなかったのか分からないが確認できなかった。旅館で期待以上の夕食を堪能し、それぞれ大浴場に行ったのだが、この時期の平日のせいか、私も家内もそれぞれ大浴場を独り占めだった。家内もお疲れだったようで、風呂から上がって9時半にはご就寝だった。今日は、天気予報はどこも曇から雨の予報だったが、4時に起きたら、うっすら青空が見えるような天気だったので、私は一人で探鳥に出た。でも意外に種類が少ない。夏鳥で確認できたのは、キビタキ、アオジ、カッコウぐらいで、オオルリ、ビンズイ、コサメビタキ、マミジロ、クロツグミ、ジュウイチ、ホトトギス、ツツドリ、アカハラ、などの常連は確認できなかった。旅館の人の話では、今の時期としては今日はずいぶん寒いし、富士山頂の雪も昨日よりは増えていると言うことだった。多分降雪があったのだろう。旅館にもっどたら家内も起きていたので、食事前に山中湖を一周した。薄曇りだが弱い日差しが富士山を照らし、素晴らしい景色を堪能した。 今日は家内が10時に用事があるというので、山中湖の旅館を7時40分に出たのだが、家に9時20分に着いた。遠いようで近い山中湖。まめに行ってみたいと思った。
2004.05.19
昨日自宅に生ビールサーバーが来た。毎年お祭りの時は酒屋さんに借りて、自宅に生ビールサーバーを置くのだが、今年は夏の間中置いてみようと言うことになった。7リットルの樽があると思っていたのだが、一番小さくて10リットルだ。考えてみると夫婦と家内の母で、毎日2リットルぐらいは飲んでいる計算になる。細かい話だが、暑い時は近所のお店に生ビールを飲みに行ってしまう。2杯飲んで、お通しとおつまみで1500円は払う。それに生ビールほしさに飲みに出る機会も増えてくる。自宅でいつでも生ビールが飲めれば出かけることも減るだろう。トータルで考えて、どちらが得かよーく考えてみよう、と言う所だろうか。ともあれ、今は自宅に生ビールサーバーがある。私は朝早い仕事なので、終わるのも早い。今日は仕事の後、工場の周りの不要な物を始末したので汗びっしょりである。いつもより熱めのシャワーを浴び、バスタオルを巻いたままで飲んだ生ビール。ううううううま~~~~い。これからは、仕事が終わったら体を使う事を何か一つして、熱いシャワーを浴びるのを日課にしよう。そしてシャワーを浴びて、汗を沢山出して、そして・・・・・。でも飲み過ぎで取り上げられないようにしなくては。
2004.05.14
天体観測兼用で大昔に買ったペンタックスの重い双眼鏡に替えて、口径25ミリの軽い双眼鏡を買った。昨日の二子山でも片手で楽々だったので、今日は午後の空いた時間、海岸沿いを少し歩いてみた。満潮時間で風もとても強かったのだが、キョウジョシギの20羽程の群れが岩場で餌を取っていた。海草のついた岩場なので、時々足を滑らせそうになって慌てて少し羽ばたきながら岩に上る姿が可愛らしい。まだ完全に夏羽根になっていない鳥もいて、それも可愛らしい。時々飛び立って場所を変えるが、片手で楽に飛翔の姿を追える。昔のプロミナーも私にとっては十分な性能だ。でも強い風の中では三脚が貧弱で、常に視界がぶれる。しっかりした三脚は重いし、もって回るには軽い三脚がいい。海辺と山では三脚を替えた方がいいのかもしれない。今日は密かに双眼鏡を利用したモバスコをしてみようと思って、デジカメをもってきたのだが、何と電池切れ。今時3年ほど前の130万画素の連射も出来ないデジカメでは駄目かもしれない。まずはデジカメ、つぎはいよいよスコープか。
2004.05.13
久しぶりに葉山の二子山に行ってきた。以前車で入れた道には柵がしてあって、ゆっくり歩いていけるのが嬉しい。昔はこの時期の平日に行くと、ほとんど人に会うことがなかったが、今日はハイカーらしい人に何人もあった。かつてサンコウチョウと出会った場所では盛んにオオルリのさえずりが聞こえる。だが近くで鳴いているのに姿が探せない。森戸川の源流に向かって歩いていくと、キビタキやセンダイムシクイの声も聞こえる。でもやはり姿が探せない。粘りが無くなったのか勘が鈍ったのか、地鳴きなどほとんど聞き分けられない。かなり奥まって、後は二子山への登り道だけという地点まで行ったら、おばさんが3人ベンチに座っていた。首から双眼鏡を提げ、肩にプロミナーを担いでいる私を見て何かいましたかと声を掛けてきた。話を伺ったら、今年も数日前にサンコウチョウが来たと聞いたので見に来たという。去年は姿を見たけれど今年は声だけと話している時、遠くでサンコウチョウの声がした。ウグイスの声だけはずっと聞こえていた。昔、山階芳麻呂博士が三浦半島ほどウグイスとホトトギスの密度の濃い地域はないと言っていたと、中西悟堂の「定本 野鳥記」に書いてあったが、ホトトギスの声は聞かれなかった。アオスジアゲハやモンキアゲハ、アサギマダラを見たり、ハンミョウが道案内のように足下を飛び回るのも昔のままだった。今日は今にも雨の降りそうな曇天の中、昼過ぎに歩き回ったが、今度は夜明け近くに来てみようと思った。
2004.05.12
今日は会社のホームぺージをリニューアルする為の打ち合わせで、知り合いの会社を4時に訪問した。ホームページの更新は家内に頼むつもりなので、家内も一緒である。打ち合わせが終わったら、どこか居酒屋さんにでも寄って帰ろうということになっていた。だが家内は子供達に、帰りが遅くなるから夕飯は自分たちで済ませるように行っておいたらしい。打ち合わせは5時半に終わり、飲食店を紹介するミニコミ誌も出している知り合いにどこかいい所がないか聞いたら、6時開店の店を教えてくれた。メニューにカサゴの唐揚げが載っていて、家内は急にそれが食べたくなったようである。でもまだ開店前である。私は日ノ出町の「だるま」に行きたかったのだが、彼女の頭はカサゴの唐揚げらしい。別の店で軽く飲んでからその店に行き、そこを出たのがまだ8時前である。家内が、今帰ったら子供達より先に家についてしまうという。別に構わないとは思ったのだが、遅くなると言ったのに子供達より先に家に帰るのが家内には厭みたいだ。家内が先輩達に連れていってもらった店に行きたいというので、そこに行ってみた。だがまだ看板に灯りがついていない。今日はお休みじゃないのと言っていたら、看板に灯りがついた。なんだか早すぎて、開店を待つのが2軒も続くと急に自分たちが年寄りになった気分である。開店と同時にその店に入って暫くすると、お役所の、日頃表の顔で付き合っている方が店に来た。開店以来の常連客であるらしい。プライベートでは大変気さくである。しかも家内のお兄さんの高校の先輩で、やはり役人をしている家内のお兄さんとも昵懇だという。相手は居づらそうである。私たちもどこまでの付き合いをしていいのか非常に微妙である。カラオケを2曲ぐらい歌いあって、時計を見たらもう子供達が帰ってきている時間である。もう子供達が待っていますので、と変な言い訳をして、早々その店を後にした。家内がもう少しカラオケをしたいというので、やはり家内が行ったことがあるという近くのお店に行った。そこのママは私と同い年で共通の知人がいたりする。前の店にも私と同い年の女の子?が居て、私の中学の同級生と仲良しだと言っていた。狭い街のことである。初めての店でも必ずどこかで繋がっている人達が居る。その店で家内も満足できるだけ唄いまくったら、家内が飲み屋で良く一緒になるという弁護士さんが入ってきた。家内の知人ではないが顔見知りという関係であるらしい。家内も顔見知りの関係まで含めたら相当に顔が広い。結局子供達より先に帰れないという家内の言葉に乗せられて、4軒梯子して家に帰り着いた。
2004.05.10
女子バレーのオリンピック予選が始まった。家の娘達は、長女がバレーボールをしていたこともあって、夢中で応援している。経験者の長女は技術的な面から、今のプレーは上手いだの下手だのの解説を加えている。次女は選手の好き嫌いから特定の選手を応援している。どちらの娘も昨日のイタリア戦みたいに手に汗握る拮抗した試合だと、床を踏みならしたり、手を叩いたり、悲鳴や歓声を上げたりとてもやかましい。今日のタイ戦は安心して観ていられるようで、セッターのトスを見て、アタックが入るかどうか当てたりしている。今も隣の部屋でテレビを見ているが、極めて静かで、バレーとは関係ない話をしながら時々今のはすごいなんて声が聞こえたり、お愛想程度の拍手をしていたりする。でも終盤になって、この試合に勝てばオリンピックに出られるとか、この試合を落とすとオリンピックに出られないと言う時になると大騒ぎになるのだろう。後何戦続くのかは分からないが、賑やかな夜が続くことだけは確かである。
2004.05.09
1854年に結ばれた日米修好通商条約の条約批准書を交換する為に日本の代表団がアメリカに渡ったのが1860年である。日本は正使新見豊前守正興、副使村垣淡路守範正、目付小栗豊後守忠順の3人を派遣したのだが、彼らはアメリカの軍艦ボーハタン号に乗っていた。咸臨丸は随伴船である。勝海舟と咸臨丸が何故か遣米使節団と思われているようだが、それは間違いである。目付小栗豊後守忠順後の小栗上野介こそ日本の近代化に大きな役割を果たした人物で、勝海舟よりは評価されるべき人物だと私は思う。咸臨丸には、勝海舟、福沢諭吉、ジョン万次郎など話題になりやすい人物が乗船していたし、日本人初の太平洋横断などと(これも誤解だが)、取り上げられることが多いのでやむ終えない面がある。この咸臨丸は徳川幕府がオランダに発注して造られた船だし、近海用の喫水の浅い船であった。本当は観光丸という船が伴走船に決まっていたが、急遽咸臨丸に変更になったとか、アメリカの乗員がほとんど運航していたとか、勝海舟は船酔いで船室から出られない状態であったとか、面白い話は沢山ある。咸臨丸の最後には清水の次郎長までが出てくる。それはさておき、咸臨丸は1860年2月10日に横須賀の浦賀を出港し、5月5日に浦賀に帰港した。この咸臨丸の日本人乗組員はアメリカで実に堂々と行動し、日本の名声を高めた。奇しくも横須賀出身の小泉純一郎氏が今の首相である。日米修好通商条約から150年たった今、イラクで血迷っているアメリカに堂々と意見し、行動を諌めて欲しいものである。
2004.05.08
今から30年前、どの鳥が何時から鳴くか知りたくて、始鳴調査をしたことがある。提案をしたら5人ぐらい集まった。御殿場線駿河小山駅を夜9時過ぎに降りて、西丹沢の山から明神峠、三国峠を経て山中湖までを夜通し歩きながら鳥の鳴き声聞き分けていくのである。前年に野鳥の会に入り、レコードやラジオ、テレビの「自然のアルバム」などで鳥の鳴き声の勉強をし、各地に鳥を見に行ったりしていたので、聞き分けには多少の自信はあった。全行程15キロ位の内、3分の2が上りである。昼間だったら冨士スピードウエイを見下ろす尾根道を、遠くの夜景を見ながら上る。夜行性のヨタカやトラツグミが近くで遠くで鳴く。フクロウ、アオバズク、コノハズクの鳴き声を聞きながら、木の間越しに星を見て歩く。砂利道の比較的広い道で途中に朽ち果てたバス停がある。明神峠付近は狭くくねった道になり、こんな峠道を昔、乗り合いバスが通っていたことに驚く。最初に鳴いた鳥は、ミソサザイかキビタキだと思う。でも地鳴きのような声でよく分からなかった。一応記録ではミソサザイにしたような気がする。後は順番をつけるのが無意味なくらい一斉に鳴き始めた。三国峠付近では斜面の草地にオオジシギの繁殖地があるようで、まだ空を見上げても鳥の姿が識別できないような暗いうちから、頭の上に落ちてくるのではないかと思えるようなオオジシギのディスプレイフライトが始まっていた。山中湖の東岸の山の上にある三国峠のパノラマ展望台付近で夜が明けてきた。昇る朝日を背に受けて、山中湖越しに見える朝日を浴びた富士山を見た。いろいろな場所でいろんな時間の富士山を見たが、あの時の富士山は忘れられない。G.W.には珍しいぐらいの寒気が訪れていて、夜明けの寒さは厳しかった。道路を外れて、遅霜の立つ斜面を一気に湖畔まで下った。平野付近の湖畔のベンチで持参したおにぎりを食べたが、近くのヨシの中で鳴くオオヨシキリのギョギョシ、ギョギョシの鳴き声に合わせるように震えながら食べた。もう一頑張りで旭が丘付近の水場あたりで鳥の姿を堪能し、旭が丘のバス停のレストランが開くのを待って暖かいラーメンを食べた。後年車やオフロードバイクで何度か同じ道を通ったが、あの夜間行軍が一番きつくて一番楽しかった。学生時代に鳥を見に行くのはほとんど夜間行軍ののりだった。軽井沢では、夜中に軽井沢の駅に着き、鹿島の森から離れ山、星野温泉、千ヶ滝まで歩き最後は草原の鳥を見るため浅間山の麓の草原を歩き回り、終着地が信濃追分駅。奥日光や、三宅島なども夜中や明け方から最低8時間は歩き続ける。新入会員の女の子などは、こんなはずではなかったと泣きそうな顔をしてついてくる。疲れて動けなくなった女の子を交代でおんぶしながら鳥を見続けたこともある。よく冗談で体育会野鳥の会なんて言っていたが、またあの時のようなハードな探鳥会も経験してみたい。
2004.05.05
ブルーな一週間もやっと終わりそうだ。5月2日は近くでイベントがあり、イベント用の注文やそれ以外の大口の注文も重なり、さらに人出も予想されたので、家内や娘二人まで動員して大童であった。幸い順調に注文もこなし、いつもの休日より3割ぐらい多い客数にも対応できたので一安心である。家内も時々商売を手伝ってくれていたし、娘達も小学生の頃からアルバイトをさせていたので、そつのない働きぶりに見ていて頼もしかった。大学生になった長女は連休中ずっとアルバイトで午前中働いている。お金が少しでも欲しい彼女には願ってもないアルバイト先だし、私も即戦力の働き手と重宝していて、お互いによかった。商売をしている家の子供は、人並みに休日の行楽など出来なくて可哀想と思っていたが、人様がレジャーで浮かれている時に、家族全員で働くなんて言うのも結構楽しいではないかなんて思ってしまった。商売を継ぐのが嫌でサラリーマンになった兄は今年定年で、一応子会社に行くことになったらしい。同じ市内の商売をしている家に嫁いだ姉は、嫁ぎ先の商売が大きく発展したので安定した生活をしている。私も大学の同期の仲間が転職や子会社に転出したり、定年後のことを気にしている時に、自分の定年を自分で決められる気楽さを感じている。後半天気が崩れるような予報が出ていたが、何とか大雨にもならず順調に売上も上がり、トラブルもなくここまで来た。後一日気を抜かずに頑張りたい。
2004.05.04
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