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ホッピー仙人仲間の戯人さんのブログで、「スーパージェッター」にいろいろコメントさせて頂いた。私のようなオジサンは、昔のテレビの話題が出ると、俄然元気になる。昔のテレビのことで一つ気になることがある。私が一番面白いと思っていた「変幻三日月丸」があまり知られていないことだ。私が高校時代に友人と話していても、知らない人間が多かった。南海の孤島に育った妖術を使える少年が、ガマガエルに化けられる家来と一緒に親の敵討ちに出かけ、妖術使いの敵と戦うといった内容だと思う。「黒潮おどる南海に 血風すさぶ離れ島 生まれてここに十余年 仇なす敵に剣をとるああ 変幻三日月丸は快男児」昔の主題歌は立派だった。こんな歌詞を小学1年生の私が歌っていたのだ。私が生まれて初めてハガキを書いたのは、この主題歌の歌詞が欲しくてテレビ局に出した時だ。送られてきた歌詞が印刷してあったハガキは私の宝物だったのだが、今は手元にない。この時代は、アメリカのテレビドラマもよく放映されていた。「うちのママは世界一」「パパは何でも知っている」なんて見ていると、家庭には必ず大型冷蔵庫があって、開けるとやたらに大きい牛乳瓶が入っている。それに家族がすぐに抱き合ってキスしたり、息子達が彼女とキスするのが、おませな私には刺激的だった。「拳銃無宿」「レストレス・ガン」「コルト45」「ビリーザキッド」「保安官ワイアットアープ」ビリー・ザ・キッド パット・ギャレット ドク・ホリデイ ワイアットアープなどに扮しての決闘ごっこは子供達の定番の遊びだった。「ララミー牧場」「ローハイド」「ボナンザ」「シャイアン」そして「幌馬車隊」小坂一也の歌う主題歌も大好きだった。「隊長アダムスの指揮の下、時には憎みまた愛し合う、みんなの夢ははやオレゴンの緑したたるまきば」キリがないので、いずれ続編を・・・・By GT-ONE
2004.11.30
下の娘が予備校で知り合った、中学の一年先輩とよくメールのやりとりをしている。彼氏と言うほどではないが、彼がちょっと入院した時に、せっせとノートや講義のテープを届けたりしていたらしい。その彼が退院した時に、彼の母親から娘がお礼にハンカチを頂いた。娘の口から、今一番名前の出てくる男の子である。名前を聞いたら、知り合いではないが、昔からよく顔は知っている方の息子さんだった。彼の父親が私の大学の一年先輩。彼の父親と家内の兄が同じ職場。ここまでは私も知っていた。だが、彼の祖母と娘の祖母つまり私の母が昔同じ職場で働いていた。というのは初耳だった。そして今日わかったのは、彼の母親と私が同じ幼稚園の同じクラスだったと言う事実。彼が娘に教えてくれたのだという。そういえば時々見かける奥さんの顔に、何か引っかかるものがあった。彼のお祖母さんはまだお元気なので、彼の家庭で私の家の話題になり、そんな昔話が出たのだろう。45年前の幼稚園のアルバムを引っ張り出して、老眼鏡を二つ重ねて見たら確かにこんな女の子がいたことを想い出した。でも今でも消息のわかる人は数えるほどしかいない。娘が彼と知り合わなければ、私は彼の母親と幼稚園の同級生と言うことを一度も想い出すことなく過ごしていただろう。今までは会っても軽く会釈するだけだったが、今度は長い立ち話になりそうだ。By GT-ONE
2004.11.28
外からは、ホオジロのさえずりが聞こえてくる。隣の家の屋根には、イソヒヨドリの雄がいる。裏山では、メジロが飛び回っている。家内も泊まりで出かけていて、気温も20度ぐらいになりそうな暖かい今日は、家にただ一人。本でも読んで、一日ごろごろ過ごそうと思ったが、日記のカテゴリ分類というのを想い出した。と言う訳で、私の過去の日記が新着で載るかも知れませんが、ご了承下さい。
2004.11.24
下の娘が家内にお説教されていた時のこと。何でお説教されていたのかは忘れたが、これはきっちり娘に言わなければと、家内が意気込んでいたことは憶えているので、内容が重要なことは確かである。家内が娘の言い訳の退路を断ちながら、怖い顔で娘を追い込んでいった。娘も神妙な顔をして、小さな声で「はい」を繰り返しながら聞いていた。私はいざとなったら行司役になろうと、傍にいた。しばらく下を向いていた娘が少し顔を上げ、室内を見回すように視線を巡らした時、遠くの鏡に自分の顔が映ったようだ。「話は変わるけど、今日さァ~・・・」お説教されているのに、いきなり自分から話題を変えようとした。「あなたに、話を変える権利はない!!」はたき込みを掛けられたような家内が、すぐ体勢を立て直してこう怒鳴ったのはさすがだが、横にいた私が駄目だった。笑ってはいけないと思ったので、うつむいて必死に笑いをこらえたのだが、体が揺れている。それを見て、とうとう家内も笑い出した。娘は、鏡で自分の顔を見たら目の上が少し腫れていたので、学校で友達が投げたボールが当たった事を報告しなければと思ったらしい。この娘、お説教中は常に違うことを考えているらしい。以前にも散々お説教した家内が、買い物に出かける時に「お母さんが帰ってくる間に、よ~く考えていなさい!」と言ったら、べそをかきながら、「でもお母さん、何を考えればいいの~?」と脳天気な質問をしていた。家内に言わせると、この娘の性格が私にそっくだと言うのだ。私には褒め言葉としか聞こえない。By GT-ONE
2004.11.21
今日は大学時代のゼミ仲間との飲み会で、久しぶりに田町に行ってきた。和歌山から月一回上京する友人を交えての飲み会で、前回は私が幹事だったので、野毛の錦寿司だった。でも千葉県の柏に住む友人は帰りが2時間近くかかったらしいので、今回はみんなが集まりやすいように、銀座から品川の間で集まることになっていた。前回、学生時代に行った飲み屋や雀荘の話題が出て、田町にも行ってみたいという話も出ていた。今日集まる場所を決めるのに、メールでやりとりしていたら、ビールメーカーに勤めるS君から、営業に頼まれているお店を使ってくれないかとの話があった。仲間のためなので、全員から異議なしのお返事を頂いた。直前になって都合のつかなくなった仲間が多くなり、結局4人だけになってしまって、S君には少し申し訳なかった。行ったお店は「炭火焼 湯浅」(港区芝5-20-20 03-5445-1352)田町駅から、第一京浜を渡り、仲通りを入って突き当たりのミネドラッグを右に入り、その奥、田町駅から徒歩3分だ。私は地下鉄の三田駅から行ったのだが、地上に出てびっくりした。町の様子が一変していたのだ。考えてみれば三田駅を降りるのは20数年ぶりだ。昔は地下鉄出口を出ると、周りに店らしいものはなかったのだが、暗くなっていたせいもあって、出口から見える光景がやたらに明るく見えた。あまりの違いに圧倒されて、簡単な場所なのに迷ってしまった。可笑しいことに他の3人も皆迷ったらしい。細い路地をはさんで左に本館、右に別館が向かい合ってあり、本館は他のメーカーの生ビール扱いなので、必ず別館に行くようにS君に念を押されていた。出てきた料理は、ハッキリ憶えていないが、突き出し、サラダ、姿作りのお刺身の盛り合わせ、卵の黄身を添えてあるつくね、松茸の入った茶碗蒸し、アンコウの鍋、焼き鳥のハツ、焼いた松茸と牛のステーキ、シャーベット等である。そのどれもが美味しかった。最後はご飯か雑炊をと言われたが、みんなお腹一杯なので、それは断った。S君が頼んだので、多少は安くしてくれたのだろうが、会計で金額を聞いて全員が固まってしまった。ハッキリした金額は言えないが、私の出したお札は樋口一葉だけ、後は硬貨だった。今回S君は営業に顔が立った。私たちはS君の役に立った。しかも美味しいものを安く食べられた。三方一両得で、良いこと尽くしである。和歌山の友人は、大崎で会議をし、品川に宿泊することが多いというので、次回は品川に集まることにした。S君は、営業から言われている店が品川にも沢山あるので、店選びは任せて欲しいという。プライベートで使う時も、気軽に電話をくれというありがたいお言葉。これからは、出欠の確認は私。店選びはS君というパターンで、毎月でも開こうと約束して散会した。By GT-ONE
2004.11.19
地元の金融機関の研修旅行で、東京見物に出かけた。私は最初欠席の返事を出したのだが、家内が案内を見て是非参加したいという。行程の一番最後に「ギャルソンパブ」が載っていたのだ。浅草-両国-江戸東京博物館-六本木ヒルズ-ギャルソンパブという行程だ。11時少し前に浅草に着いて、自由時間は1時間。家内が新仲見世の「やげん堀」で、七味唐辛子を買いたいという。ここは好みに応じてブレンドしてくれるので、こちらに来ると必ず寄る。バスが二天門の近くに停まったので、混む仲見世を避けて、浅草公園の裏からオレンジ通りを通って行くことにした。当然あのホッピー通りとでも言ったらいいのか、生ホッピーが置いてある「鈴芳」の前を通ることになる。まだ昼前なのに、「鈴芳」はじめ何軒もの居酒屋が営業している。家内がホッピーの看板だらけなのに驚いていたが、そのうち「鈴芳」の生ホッピーの張り紙を見て、「ワァ~~!生ホッピーだって・・、飲みたいでしょう・・・、でも時間無いわよ。」狭いバスの中、しかも午前中に私一人だけ酒臭い息をしている訳にも行かないので諦めた。折角自分で運転しなくてもいい日だったのに。昼食は両国でちゃんこ鍋だった。大学の恩師のお供で、年3回は両国に相撲を観に来る家内は、元大関霧島が経営する「ちゃんこ霧島」がお気に入りのようだが、今日は「巴がた」と言う店だった。ミーハーな家内のことだから、「ちゃんこ霧島」が好きなのは、霧島が握手してくれたり、一緒に写真を撮ってくれるからだとはわかっているのだが。両国でみなさんすっかりお酒臭くなって、徒歩で江戸東京博物館に行った。ここも1時間だったので、全然時間が足りない。今度は一人で来ることにした。六本木ヒルズの展望台に上がった時は、丁度日の入りで、富士山の隣に沈んでいく太陽を見ることが出来た。森美術館も観られるチケットだったので、一応入ってみたが、女子美出身の家内の友達も首をかしげるような展示だった。後で下に降りていろんなショップが眼に入ったが、もう時間がない。「あんな所より、こっちの方がずっと良かった。」と、二人で悔しがっていた。新宿住友ビルの49階にある「ギャルソンパブ」には6時に着いた。ここはニューハーフの店だと思っていたが、ダンサーは男性、女性、そしてニューハーフが混じっている。6時に開店ですぐ店に入り、お酒や食事が出た。ショーが始まるまでの1時間半、どの様にして時間をつぶすのだろうと思っていたが、ダンサーが各テーブルに遊びに来て、話をする。かぶりつきの私のテーブルには、ぶんちゃん(ニューハーフ)、透君、シュウ君、が来てくれたが、話が実に面白い。特にぶんちゃんが最高で、キャラクターをかわれてテレビにも出ているらしい。ショーの前説をぶんちゃんがしたのだが、私たちとの会話の内容も織り交ぜ、場内を爆笑させていた。正直に言って、ショーよりダンサーとの話の時間が一番楽しかった。8時半を少しまわった時間にショーが終わり、後はバスの中で眠っているうちに、10時前には出発地に着いた。こういう研修旅行なら、毎回参加しよう。By GT-ONE
2004.11.18
スピリタスという96度のお酒を初めて飲んだ。飲んだと言うより、舐めたという方が正しいのだが。今日は家内と野毛に行くつもりだったが、明日は一日中東京見物なので横須賀で飲むことにして、まず銀次に行った。氷入りのホッピーを私は2杯飲んだ。でもお腹の調子がいまいちすぐれず、あまり食べられない。この店を出てから、知り合いがやっている「ちゃまず」に行った。何度か行っていたのだが、イタンリアン主体の洋風居酒屋というお店で、この店がホッピーを出すことを忘れていた。でも今日行ったら、メニューに黒ホッピーの他に、ホッピー55まで置いてある。ただ焼酎を冷やして無く、しかも三楽の焼酎を使っている。キンミヤを教えてあげて、ホッピー仙人の話もしてあげた。若い経営者なので、何とか応援してあげたくなって、今度キンミヤを一本プレゼントしてあげる約束をしてきた。この店に後から入ってきたお客が、スピリタスという96度のお酒を注文した。小さなグラスに氷を入れて、一気に飲んでいた。人によってはライターのオイルの匂いが嫌いで、代わりにスピリタスを入れているという、火気厳禁の燃料のようなお酒だ。「ちゃまず」のマスターが、味見と言ってショットグラスに少し入れて、出してくれたが、舐めただけで、口がしびれ、アルコールの匂いでむせるようであった。ショットグラス一杯のこのお酒を一気に飲んだお客、正気でいられるのだろうか?これは話の種に飲むお酒だ。結局このお客さんは、途中で潰れてしまったようだ。私たちが出る時に、バランスを失って、椅子から転げ落ちていた。全然店の紹介になっていないが、今まで何を食べても美味しかったし、転げ落ちたお客さんが食べていたピザやスパゲッティー、美味しい、美味しいと言って食べていた。申し訳ないので、住所と電話番号を書いておきます。ちゃまず横須賀市若松町3-13046-824-4434By GT-ONE
2004.11.17
今私が気になっているのが三位一体の改革の行方だ。族議員と省庁が一丸となって反対しているが、民間に出来ることは民間に、地方に出来ることは地方に、という構造改革の大原則を実現するために、補助金を減らして、地方の裁量で使える金を増やす改革だ。ある族議員は、こんな改革をされたら議員は失業してしまう、と言ったそうだ。早く失業して欲しいものである。また補助金が一つ廃止されれば、役所の一つの課がいらなくなるとも言われている。早く小さな政府を実現して欲しいものである。一番厄介なのが文部科学省である。地方に任せると教育のレベルが低下するというのだ。随分地方を馬鹿にした話である。総務大臣の言うように、ミニマムなレベルを定めておきさえすれば、どこからお金が出ようと一緒である。それより、オラが郷土の意識の強い国民である。全国一律のテストでも導入して、都道府県別に順位を発表すれば、一斉に教育の質を上げる競争が起きるであろう。毎日新聞に今まで静観していた民主党が、地方案を支持するという記事があったが、何を今更という感じだ。早くから地方6団体の応援団になり、民主党の目指す地方分権の考え方も広めていけば、政策をアピールできる絶好の機会だったのに。そして地方案を支持する小泉首相を、後戻りできないように追い込めば、自民党をぶっ壊す千載一遇のチャンスにもなったのに。予算委員会でも、党首討論でも、イラク戦争支持の根拠とか、戦闘地域の定義だとか、初めから堂々巡りになることが解っていることに時間を浪費していた。総理がどう言おうが、民主党はこう考えると言い切って、さっさと違う話に移った方が、よほどスッキリしただろう。投票は自民党だが、心情的には民主党を応援しているので、歯がゆくて仕方ない。By GT-ONE
2004.11.16
先日娘が韓国の映画「JSA」を借りてきた。家内と一緒に見たのだが、家内は途中で眠ってしまった。つまらないからではなく、本当に疲れていたようなのだが、元気になっても見ようとしない。私が見ながら、このイ・ビョンホン、爆笑問題の太田に似ている、と言ったのが気に入らなかったらしい。後で聞いたら、「悔しいけど、私も似ていると思ってしっまたら、見る気がしなくなった。」と言うのである。娘は、話の内容がトム・クルーズとジャック・ニコルソンの「ア・フュー・グッドメン」に似ていると言うが、私はメグ・ライアンとデンゼル・ワシントンの「戦火の勇気」に似ていると思った。そのイ・ビョンホンのドラマ「オールイン」のDVDを家内が見始めた。全部で24話あるというが、まだ12話までしか発売されていないそうだ。これをうっかり一緒に見てしまったのだ。家内が見ているテレビの前に座って、何気なく画面を見たら、イ・ビョンホンが出ていたので、「あっ!この俳優は」と言いかけたら、「余計なことは、何にも言わなくていいのよ・・・」韓国ドラマ、確かに面白い。でも結構日本の俳優に似ている俳優がいるので、ついこの俳優は誰に似ているだの言いたくなってしまうのだ。「オールイン」でも財津一郎に似ている俳優がいたので、「やめて、ちょーだい!」なんて言うのかな、と言ったら、「そういうことが言いたいなら、絶対に一緒に見ないで」と、言われてしまった。はまるんだけど、ちゃかしたいんだよな~By GT-ONE
2004.11.15
先日、随分気の早いクリスマス・ディナーパーティーがあったのだが、その出演者がアントニオ古賀だった。失礼だが、まだ活躍しているとは知らなかったし、結構なお年と思っていた。でも63才だという。私が子供の頃は良くテレビで見たのだが、随分おじさんに見えた。私と一回り位の年齢差だと言うことは、テレビで良く見た頃はまだ20代半ばだったのだろう。彼が歌ったのはせいぜい5曲ぐらいで、あとはギターの演奏と、参加者が年配の方が多かったので、古賀メロディーを会場のみなさんと一緒に歌うというショーだった。在日米海軍のトップクラスの方も夫婦で何組か見えていたのだが、この方達のために、アメリカのポピュラーな音楽も何曲か演奏していた。たまたま私の隣に米海軍司令部に勤務している若い女性が座ったのだが、話をしたら、家内のお兄さんとよく会って仕事をしているという。彼女が司令部の窓口で、家内のお兄さんが彼の所属している組織の窓口だという。しかも彼女は、私の大学の後輩であった。卒業年度を言ったら、「あっ!私が生まれた年です。」と、すかさず答えられたのは少なからずショックではあったが。こういうのを偶然と言うのだろうが、最近偶然が三つあった。一つは日本橋での出来事。家族で浅草にお祭り関係の買い出しに出かけた時、下の娘が日本橋の問屋街にも行きたいというのでちょっと日本橋に出たが、そこで家内の知り合いで、その日は札幌に行っているはずの人達に出会ったことだ。話を聞いてみれば、飛行機は札幌まで行ったのだが、台風の影響で空港に降りられず、羽田まで引き返してきたという。でもその人達と、何で日本橋馬喰町の街角で会うことになったのか。もう一つは、家内が初島のリゾートホテルに行った時のこと。用事で部屋を出た時、隣の部屋のお客も同時に廊下に出た。そのお客の顔を見て驚いた。10年前に済んでいた家の隣の奥さんだった。部屋が隣だったのも不思議だが、同時に部屋を出なければ隣同士と言うこともわからなかったろう。三つめは、ゴーヤさんが、昔からよく知っている近所のお嬢さんと同級生だった事。可能性としては充分あり得るが、私的には結構偶然だった。By GT-ONE
2004.11.14
先週の金曜日は8時頃顔を出したにもかかわらず、おでん種が無くなってしまったと言うことで、入れてもらえなかった。翌土曜日は定休日。そして今週の月曜日にやっと入ることが出来た。「土曜日はお休みなんですか?」と聞くと「土曜日は競馬があるから休むんです。」「じゃあ、競馬のない土曜日ならやっているんですね?」「いや、競馬が無くても休みなんですけど。」ということで、土日が定休日という、羨ましい商売だ。ここのお客さんは年齢層が高い。昭和20年代後半生まれの私が今日は、俺が最年少?と思ってしまうことがあるくらいだ。そんな年齢のお客で満席の時に、若い女性の4人組が来た。入れないので、帰ったのだが、女将が言うには「さっき電話があって、お誕生日の子がいるので、バースデーケーキを持ち込んで良いかと聞くんですよ。うちはそう言う店ではないと言ったんですけど、来たみたいですね。」私も困った状況だなとは思ったが、これが「ホッピー仙人」だったら、常連客がみんなで歓迎し、ついでにケーキも食べちゃうだろうなとも思った。以前の日記でも引用したが、江戸文化研究家の杉浦日向子(すぎうら・ひなこ)さんが、「立ち飲み屋さんは、やはり地元の方のものです。地元のお父さんが寛ぐ場所ですので、よそ者が入る時には、その中にさりげなく混ぜていただくのだという気持ちが必要ですね。そしてひとりで行くべきです。仲間と一緒だと常連さんたちが作っている雰囲気を壊します」確かにこういう雰囲気の店もあり、それは大事にしたい。でも「ホッピー仙人」のように、新規のお客さんが来ると、全員で歓迎してしまう雰囲気というのは、やはり仙人の話の振り方や、人柄、そして常連さんの懐の深さだろうか。ともあれ、どちらも末永く通いたい店だ。By GT-ONE
2004.11.11
ここ4日の間に3回も野毛に行ってしまった。1回目は横浜で用事があった帰りに。2回目は野毛に行く目的で。3回目は横浜で買い物をする家族が帰りに拾ってくれるというので。でも、昨日は折角カジさんとゆっくり話が出来ると思った矢先にお迎えの電話が鳴ってしまった。都橋の手前の交番の前に路駐しているので早く来て!と言われたら、ちょっと寄っていけば、とも言えなかった。3回野毛に来て、「ホッピー仙人」に3回、「Cova」に2回通ってしまった。私が野毛に通いだしたのは去年の今頃だろうか。ジャズが聴きたくなって、いとこが経営する宮川町のジャズバーに通い始めてからだ。そのうち40年ほど前に祖父に連れて行かれたお寿司屋さんに行ってみたくなって、古そうなお店に入ってみては、私の記憶では「日の出寿司」と思いこんでいる店の消息を聞いてみたり、ネットで検索してみたりした。そこでゴーヤ泡盛さんの日記に出会った。何時しかお寿司屋さん探しは忘れ、ゴーヤ泡盛さんの日記に紹介されているお店を訪ね歩くようになっていた。私が楽天日記を始めたのも、自分なりの食べ歩きを書いてみたくなったためだが、ゴーヤ泡盛さんのパワーに圧倒されて、それはすぐに諦めた。ホッピーが好きだったので、ニックネームにはホッピーを使った。第1回飲ん兵衛ラリーには参加しなかったが、よその店で見たパンフレットに「ホッピー仙人」の名前を見つけて、早速行ってみた。自分の日記を見ると、2月4日に取り上げていたので、多分その前日に行ったのだろう。私が昔から行っていた店に仙人も行っていたので、地元のホッピーを出す店の話で盛り上がったが、その日店を出る時に入ってきたのが、オノケンさんだ。仙人が記録保持者と紹介してくれたが、その時はまだ12杯だったのに、更に15杯まで記録を更新したらしい。まだ日記を初めて1週間ぐらいだったが、仙人が私の掲示板にお礼のコメントを入れてくれたのには驚いた。自分で検索しても自分の日記を見つけられなかったのに、どうして見つけたのか聞いてみようと思ってそのままになっていたのを今想い出した。その後ゴーヤ泡盛さんも行ってみたようだが、あのゴーヤさんさえエイヤー!と気合いを入れなければ入れない店だ。野毛好きの人達のブログを見ても、みなさん最初に扉を開けるのは勇気が必要だったみたいだ。昨日時間を掛けて、自分で出来る範囲で「ホッピー仙人」を取り上げているブログを検索してみたが、ホッピー仙人というキーワードだけで906件もヒットした。飲ん兵衛ラリー前には、1件しかヒットしなかったのが、ラリー後には8件ヒットしたと仙人が言っていたのが、今年の2月である。「ホッピー仙人」が繁盛したのは第一に仙人の人柄だが、ブログの発展という時流に上手に乗れたのも理由の一つだろう。野毛の衰退などと言われているが、ブログで育てる野毛の街づくりが密かに始まっているような気がする。ブログを始めてから「ホッピー仙人」を知った人も、「ホッピー仙人」を知ってからブログを始めた人も、ブログを読むだけの人も、恒に連帯感があるような気がする。これが野毛全体に広がって、一人でも多くの野毛ラーが誕生してくれればいいのだが。By GT-ONE
2004.11.09
今月で二十歳になった長女と野毛に行ってきた。娘が行きたがった訳ではなく、ここの所すっかり野毛ラーになってしまった家内が、自分のお気に入りの店に連れて行きたかったようだ。家内の予定では、「あさひや」さんでおでんを軽く食べ、「錦寿司」でお寿司、そのあと「Movie Star」「ホッピー仙人」だったらしい。横浜駅西口で買い物をしてきた家内と娘と夕方日ノ出町の駅で待ち合わせ。早速「あさひや」さんにむかったが、何とお休み。土曜は営業していないらしい。予定を変更して「鳥芳」にむかった。家内が魚介類のネタケースの前に座って、魚介類の串焼きを食べたかったらしいが、ここは満席。それではと来る途中に覗いた焼き鳥の「末広」に行った。ここは野毛で一番の焼鳥屋という人もいる位繁盛している店だ。奥のテーブルがあいているので入ったら、そこは予約済みだったのだが、カウンターの人達がずれてくれて3人座ることが出来た。家内は初めてはいる店だったが、娘ともども大満足のようで一安心した。店を出る頃には外に行列が出来ていて、さすがに評判通りの店だと認識した。まだ魚介の串焼きに未練がある家内のためにまた「鳥芳」に行ってみたが、相変わらず満席。娘がもうお寿司は食べられないというので、「Movie Star」でトマトをつまみに、カクテルを飲もうと店に入っていったが、テーブルは満席でカウンターへ。席についてしばらくすると、家内が後ろをきょろきょろし始め、バッグを発見。丁度娘に買ってあげたいと思っていた手頃なバッグらしく、買わされる羽目になった。トイレに行って戻ってきたら、今度はカーディガンを手にして私の顔を見る。「いい加減にしろ。」と言ったら、それは自分の小遣いで買っていた。「Movie Star」のママが気の毒がって、ブティックは7時半までだから、今度はその後に来ると良いですよと、そっと教えてくれた。そのうち予約のお客さんが続々入ってきたので、出ることにした。最後は「ホッピー仙人」へ。席が一つしかなかったが、一人が立ちッピーになってくれて、私は補助の丸椅子を出してもらい、何とか無事3人収まった。いつもながら賑やかだが和気藹々のお客さん同士の会話が弾んだが、ここで今日「Movie Star」は貸し切りだと聞いてびっくりした。黙って笑顔で迎えてくれたママに感謝である。せっちゃん、カッちゃんという常連さんと、娘や家内が話に夢中になっていた。今日はカラオケタイムの日らしく、そのうちカラオケが始まり、二十歳の娘に一番にマイクがまわってきた。私はここのお客さんが知らない様な、最近の早口の曲でも歌ってみろと言ったのだが、娘が選んだ曲は「能登半島」。でもここのお客さんは役者が揃っている。デュエット曲を始め、それぞれが歌を聴かせてくれる。結局10時半までここにいた。「ホッピー仙人」のお客さんはブログをしている人が多く、それぞれのニックネームでお互いのブログのコメントをしている。外ッピーになってしまった、めおはま@チャンプさんとは、帰り道で挨拶をした。家内はアグネスチャンの真似で歌った、「ひなげしの花」が思ったより受けなかったのが不満だったようだが、カラオケに行きたがっていた娘の欲求不満もすっかり解消できたようだし、娘のためだか家内のためだか分からなかった一日も無事に終わった。By GT-ONE
2004.11.06
今日は昼から合羽橋に行ってきた。いつも必ず渋滞する大井の料金所や浜崎橋の合流を、ノンストップで通過できるほど道路が空いていたので、横須賀から合羽橋まで45分という新記録を樹立した。合羽橋でも止めたいと思った場所に着いたら、丁度車が出る所で、すぐにパーキングメーターの前に止めることが出来た。一通り必要な物の買い物が済んだところで、トイレに行きたくなったので、あるきれいで大きな店でトイレを貸して欲しいとお願いした。そうしたら「済みません、ここにはトイレは置いてありません。」と言われた。聞き間違いと思ったので、エッと聞き返したら、全く同じ言葉を繰り返された。そこの女店員には申し訳なかったが、その店員の目の前で家内と一緒に思わず笑ってしまった。多分事務所の奥にトイレがあるような構造なので、一般の客に使わせるトイレはないと言いたかったのだろう。でもトイレは置いてありませんは無いだろう。別の店で無事トイレを借りることは出来た。私は合羽橋や工具が沢山あるホームセンター、本屋などワクワクするような場所に来ると必ずトイレに行きたくなる。こんな変な癖は長女に遺伝した。私は耳かきをすると左耳の奥をかいた時だけ咳をする。これは次女に遺伝した。ほんの些細なくだらぬ私の癖を子供が同じようにすることがある。可笑しくてしょうがないが何故か嬉しいものである。By GT-ONE
2004.11.02
今月号の「文藝春秋」に「武士道と愛国心について」という台湾元総統の李登輝と作家の浅田次郎の対談がある。この中で李登輝は儒教の教えにはなくて武士道にあるものとして「死」と「誠」をあげている。そのまま引用すると・・・・次に、「誠」だ。これは日本の武士道以外、どこにもないものだ。「誠」とは何かというと、我々が考えたり、喋ったりしたことを、必ず実行するということになるだろう。 この「死」と「誠」が、儒教しか知らない中国人社会には存在しない。だから、現世利益、目の前の利益ばかり追いかけて汲々としている。そして、中国人は嘘をいうのが当たり前だ。・・・この中国に「誠」が存在しないという言葉に、すべての疑問が氷解した。例えば尖閣諸島の領有権の問題がある。あの地域に海底資源があるのが分かったのは1968年である。それ以前に中国政府が作った地図には尖閣諸島は日本領土とはっきりと書かれていたそうである。中国政府が日本の領土と認めていたのである。それなのに海底資源が発見されて以降の地図は勝手に中国領に変えてしまった。なんで恥ずかしげもなくこういうことができるか理解に苦しんでいたが、「誠」が無ければ正しいことを貫こうとする気概もなく、目先の利益のために前言を翻すことなど恥とも思わないのだろう。でも騎士道精神や武士道精神がある国民から見ればとうてい信頼できる国でないと見られることに、中国の為政者は気が付かないのだろうか。世界注視の中でこういう主張を繰り返す姿は、滑稽を通り越して哀れに見える。北朝鮮の日本人拉致問題も同様である。北朝鮮政府の対応が不誠実だと日本人なら誰でも思うのだが、「誠」のない国に「誠実」などもありはしないのだ。日本から金を引き出すという目先の利益だけが彼らの行動原理なのだから。By GT-ONE
2004.11.01
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