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小売業であり、スーパーに卸をしている私の会社はゴールデンウィークとは忙しいし、休めないし、人の手配は大変だし、倉庫や冷蔵庫は満杯になる嫌な一週間である。小売業にとってG.W.は稼ぎ時である。しかも卸をしているので、納入先のスーパーも大忙しで納品量は毎日が日曜並みである。だがパート主体の会社なので、働く主婦の家は皆ご主人が休みである。こんな忙しい時期に堂々と連休を申し出てくるパートもいる。人の手配に四苦八苦のこの時期が嫌いである。つぎに問屋。何故かこの時期に休む。製造量が多くなるのに休まれるので、当然在庫を増やさねばならない。倉庫も冷蔵庫も冷凍庫も一杯である。この時期が嫌いである。そして家族。子供が小学生の頃、友達は皆が家族で出かけるのに家は仕事である。これが一番辛い。従業員も家族で出かけたいのに、我慢して会社の為に頑張ってくれている。いつも申し訳ないと思いつつ、家族や従業員にいい顔の出来ないこの時期が嫌いである。このときばかりは因果な商売だと思ってしまう。いまだにゴールデンウィークは私にとってブルーウィークである。
2004.04.30
先日、横須賀の串焼き「南」の事を書いたら、読者の方からメールを頂いた。京浜急行日ノ出町を降りて、ケンタッキーフライドチキンの3軒ぐらい先にある焼鳥屋さんを知っているかとの内容である。私も以前から気になっていたが、一度も行ったことがなかった。今日雨風がピークの時間に行ってきた。厨房を囲んで詰めれば15人ぐらい座れるカウンターがコの字になっている。店の中にはメニューが一切無い。生ビールを飲もうと思って、「お飲み物は?」と聞かれた時生と答えたが、ビンビールしか置いていない。ビールを飲んでいたら「ハイ、ぎんなんです」とぎんなんが出てきた。次にラムの串焼き。これが実に旨かった。焼鳥屋というか串焼き屋も含めて、ラムを出されたのは初めてである。ピーマンの中をくりぬいて中に味噌だれを入れて焼き上げたのも美味かった。この悪天候の中、常連さんばかりでほぼ満席状態である。どういう順で、後は何が出てくるのか、お酒は何があるのかも聞いてみたかったが、周りの雰囲気を壊すような気がして流れに任せてみた。ビールを飲んだ後はお酒を冷やでもらった。立山と言っていた。大好きなハツ、久しぶりの牛タン、みんな一番と言うくらい美味しい。後から入ってきた常連さんが、時々単品の注文を入れるとそれを途中に追加するようだ。常連さんが、ここまででいいからお会計と言っていた。私もあまりお腹が空いていなかったので、後何が出てくるのか聞いてみた。後2種類出てくるそうだが、私も途中でお会計してもらった。メールをくれた方、本当にありがとうございます。店に甲乙つける気はありません。でも素晴らしいお店に巡り会えました。
2004.04.27
昨日長女と一緒にゴーヤ泡盛さんの所属する会の展覧会に行ってきた。母の月命日が22日で、お寺が会場の隣と言うこともあって、お墓参りの時に行ってみようと思っていた。彼女には会えなかったが、会場にいた、多分堀江先生のお嬢さんと思われる方に見覚えがあった。今日は家内と次女がお墓参りと展覧会に行くと言うし、ゴーヤ泡盛さんもお見えになると言うことなのでまた行ってみた。お嬢さんらしい方にお声を掛けた。やはり昔から私の店で買い物をして下さった方で、堀江先生のお嬢さんだった。堀江先生の奥様も一緒になってお話ししたが、私の父か、父の姉の連れあいが堀江先生と知り合いだったらしい。堀江先生が生前、知り合いの店と言うことでよくお話になっていたという。堀江先生の出た小学校や高校は、私の従兄弟達の出た学校であった。先生の奥様やお嬢様も大変喜んで下さり、堀江先生の一周忌の記念で出された作品集まで頂いてしまった。会場にはゴーヤ泡盛さんの他に、知り合いの絵もあり、会場でばったり会った家内の知り合いの姪御さん二人の絵もあった。ゴーヤ泡盛さんの絵は心に響く絵だ。娘達はゴーヤ泡盛さんはロマンチストだという。家内は繊細さ、私は葛藤を超越した静けさのようなものを感じた。不案内な絵の世界にも不思議な縁があった。ゴーヤ泡盛さんは友達と食事に出ているということでお会いできなかったが、また世界が一回り広くなったような時間を過ごせた。
2004.04.25
昨日は家内がいないので、久しぶりに、と言っても五日ぶりにだが、野毛に出た。暑いくらいの陽気のなか空腹で行ったので、まずは「鳥福」でボリュームのある焼き鳥を頂いた。ここの焼き鳥はよそと比べて五割増しあるような気がしている。生中をもらったが、お通しが出てくる前に一杯あいてしまった。焼き鳥を5本食べ生ビールのお代わりと酎ハイを飲んで、やっと人心地ついた。次は「かっぱ」先週の水曜日にある方と飲んだ時たまたまこの店の名前が出た。飲ん兵衛ラリーの時、お腹や時間に余裕があったら寄ってみようと思っていた店だ。その日は行けなかったが、ゴーヤさんやタールさんの日記を読んでみたら、「鳥剛」の後に「かっぱ」に行ったと書いてある。残念、残念・・・・「かっぱ」は落ち着いた店である。年配の夫婦で切り回しているのが気に入った。カウンターが十席ほどで、奥にテーブルがひとつある。ご夫婦とも純朴そうで、お客さんも私と同年代の方ばかりである。カウンターの端に座ってしまったので、ご主人達とゆっくり話も出来なかったが、私にこの店を教えて下さった方のことも、飲ん兵衛ラリーの日に来たゴーヤさんやタールさんのこともよく憶えていた。今度ゆっくり来てみよう。すっかりいい気分になっていたのに、まだ帰りがたい気分。そこで久しぶりに「ホッピー仙人」に行った。ホッピー仙人のマスターはいろんな所に出入りしているようで、何と私の住む町の、地元でもあまり知られていない店によく行っていたという。その店や、近所の話などしながら、適温適量で入れられたホッピーを一杯飲んだ。それが私の限界をわずかに超えたらしい。記憶はすべてあるが、電車の中では乗換駅以外はすべて眠っていた。家について、最後のナイトキャップを飲もうとしたら、長女がもう駄目と前に立ちふさがる。でもワンフィンガーだけと言いながら最後のお酒を呑み、ベッドに入った。翌朝目が覚めてみると、顔の下に開いた「プリズンホテル」冬の編があった。また前々日に読み終わった所まで遡らなければ・・・ホッピーは酔い覚めはいいが、記憶は飛ぶのだ。
2004.04.23
昨日の休みは、浅田次郎の「プリズンホテル」を読んで過ごした。以前「壬生義士伝」の事を書いた時「けろけろ6986」さんに教えて頂いた本だ。「夏」「秋」「冬」「春」と四部有り、2冊目の「秋」をとうとう最後まで読んでしまった。零細企業のオヤジである私は、休みの日に事務仕事をまとめて済ましたりするのだが、かろうじて給与の銀行振込の書類を銀行に持って行った以外は、読み終わるまで他に手が着かなかった。奥湯元あじさいホテル、通称「プリズンホテル」という名のホテルが実は任侠団体の親分が経営していて、ヤクザ御用達のホテルという奇想天外の設定である。オーナーの木戸仲蔵、番頭の黒田、堅気のホテルマン花沢支配人、木戸仲蔵の甥で、「仁義の黄昏」シリーズで人気の作家木戸孝之介、そして左遷でやってきた一流シェフやそのシェフが尊敬してしまう板長などがいろんな事件に遭いながら、いわくある人達だらけのホテルの客を、それなりの道を歩ませるというお話だ。「ナニワの金融道」や「ミナミの帝王」が大好きで、ビデオも全部見てしまったくらいなので、違和感なく本の世界に入って行けた。なにしろホテルの注意書きに「不慮のガサイレ、突然のカチコミ・・・」「破門・絶縁者、代紋ちがい・・・」「館内ロビー・廊下での仁義の交換はご遠慮下さい。」などと書いてある所から笑わせる。でもまっとうな人間と思われている人より、一途な生き方をしてきた人の方が、実は真摯な人生を送ってきたのではないかと、ホロリとさせられてしまうお話である。たまたま家内がある団体の関東大会で箱根湯本に今日から一泊で出かける。馬鹿だなと思いながら、「泊まるホテルは奥湯元あじさいホテル?」なんて一応お約束で聞いてしまった。もう「冬」を読み始めているが、冬来たりなば春遠からじ、という気分である。
2004.04.22
もうじき5月、東京では三社を始め、夏祭りの季節が始まる。祭というと話題に出る話がある。祭が終わると直会(なおらい)がある。いわばお祭りをした人達の打ち上げである。私も子供の頃から御神輿を担いでいたが、その血を引いたか娘達も大のお祭り好きである。小学校の低学年からお囃子を町内に習いに行き、今は町内のお囃子連の花形である。実の父親がいうのだから間違いはない。その娘、長女が中学校に入った頃だろうか、直会(なおらい)に出たいという。自分もそうしていたので分かるのだが、その場の雰囲気で中学生ぐらいの子には平気でお酒を呑ませてしまうのである。だからすぐに帰って来るという条件で、町内会館近くでやっている直会に行かせた。でもなかなか帰ってこない。家内が迎えに行くというので行かせた。でも家内は直会がよく分かっていないので、一抹の心配はあった。直会の進行は大体以下のようである。応援に来てくれた各御輿会の代表と一緒に、四斗樽の鏡割りをして、三合位は入るマスにお酒をつぐ。サセ、サセ、サセ、サセの掛け声とともに、次々とそのマスを飲み干す。そしてそのマスを逆さにして頭上にかざし、掛け声はサシタ、サシタ、サシタ、サシタに変わる。何度も飲みに加わる人間もいる。一通り飲み終わると、ジェンカの様に前の人の肩に手を掛けて数え歌に合わせて足踏みをしながら会場を回る。神奈川県では鎌倉以西小田原ぐらいまでドッコイという独特の担ぎ方がある。御輿の台座に二本だけ担ぎ棒を通して、御輿の台座にはタンスといわれる金具があり、ドッコイドッコイの掛け声に合わせて、タンスを台座に当てながら音を出す。その時よく唄う数え歌がある。「ひとつ上総の一宮、にィで日光東照宮」なんて歌詞で始まり、「ドッコイ、ドッコイ、ドッコイ、ドッコイ、ソリャ~、ソリャ~」のソリャ~の掛け声に合わせて跳ぶのである。さて、娘を迎えにいった家内は、丁度その場面に飛び込んでしまったらしい。ワケが分からないのに、いきなりマスを持たされ酒を飲まされた。我が家でだいぶ下地が出来あがっていた上に、三合のイッキのみである。しかも数え歌に合わせて会場を回る輪にいきなり加えられ、ソリャ~の掛け声とともに跳んでしまった。娘はちびまる子ちゃんの、目にすだれ状態だったらしい。母親を置いてさっさと一人で帰ってきた。でも翌日の片づけの時、みんなに「ママ、跳んじゃったね」と言われたらしい。その後数年、直会に行きたいとは言わなかった。そして身を挺して娘を戒めた母親を誰も偉いとは言わない。
2004.04.21
ここの所、野毛その他で焼き鳥を食べることが多かった。いろんな所で食べた結果、やはり「南」が一番だと思う。私の1月27日の日記に一度書いたことがある。初めて書き込みをして頂いて、奇しくもその方がかしのきタールさんだった。そのタールさんと一緒に野毛で呑むようになるとは、夢にも思わなかった。本当に人生楽しいものである。閑話休題例えばカワ、焼くのに時間が掛かるから、初めに頼んで下さいと書いてある通り、遠火でじっくり脂を落としながら焼く。私はあまりカワは食べないが、ここでは頼む。さび焼きは前にも書いたが、本わさびをその場ですり下ろす。オクラ巻き、レンコン巻きも薄い肉を実に丁寧に巻いてある。串焼きやさんだけに牛タンも有り、いつも頼むのだが、アメリカからの牛肉輸入停止の為に今は食べられないのが残念だ。グレープフルーツビールもビールの量といい、グレープフルーツの割合といい、最高だ。これならかしのきタールさんも美味そうな顔をして、一気飲みするだろう。今日もどうしても「南」に行きたくなり、子供が遅いことをいいことに、家内と二人で行ってきた。「南」のご主人に10年ぶりに初めての女の子が生まれたそうだ。今日はそのお嬢さんの携帯写真を肴に、グレビ3杯と、黒糖焼酎3種類を呑んで、いい気持ちで帰ってきた。京浜急行馬堀海岸駅を下車し、防衛大学方面に300メートルほど歩いた所にある。騙されたと思って、一度行って下さい。でもあくまで自己責任で。
2004.04.20
4月から娘が大学に通い始めた。片道2時間である。自宅から通えることを大学受験の時の条件にしたが、一番遠くの大学に行くことになってしまった。乗換駅の品川からさらに山手線を半周しなければ行けない所だ。サークルを選ぶ時にやはりハンデがあるようで、朝練は絶対無理とか、練習場所がさらに埼玉よりなんてサークルは選べないようだ。私は教養課程は横浜、専門課程も乗り換えなしで通える都内の学校に通っていたが、麻雀や飲み会はいつも途中で抜けて帰ってきていた。遠距離通学のハンデはよくわかっている。私の知り合いに、都内に通勤、通学する子供達の為に小さなマンションを買い、週末はそこを拠点に観劇や寄席、飲み歩きを楽しんでいるご夫婦がいる。うちにはそんな経済的余裕は無いが、やはり大学生活を満喫できるように賃貸で部屋を借りてあげてもいいかななんて密かに考えている。家内は午前様どころか、日の出とともに帰るなんて事も平気でするくせに、娘の帰宅時間には特にうるさい。下宿なども心配でさせられないという意見だ。それに自分も都の西北にある大学に自宅から通いきったという実績もある。娘の為に部屋を借りるという話を持ちかけても拒否反応が出ることは目に見えている。でも自分たちの為に都内に一つ拠点があったら、という話には多分乗ってくるだろう。娘の様子、家内の様子、我が家の経済状態など変数の多い方程式だ。じっくり時間を掛けて解くことにしよう。
2004.04.19
生まれて初めてオフ会なるものを経験した。野毛の飲兵衛ラリーに合わせて、ゴーヤ泡盛さんとかしのきタールさんが会うというので私が日記で紹介した「鳥剛」にご一緒した。ゴーヤ泡盛さんさんは、どうして毎日の様に飲み歩けるのか不思議だったが、お目に掛かってよくわかった。鳥剛さんの前にもう数軒回られたと言うことだが、けろっとして普通の顔をしている。要するに半端でない酒豪なのだ。いたずらっぽい目をして笑顔を絶やさないチャーミングな女性だ。かしのきタールさんは、グレープフルーツビールがイマイチだったみたいで、味を確認するよな顔をしながら、あっという間に一杯あけてしまった。黒糖の焼酎も味見といいながらがぶっと飲み干してしまう。スマートで可愛い若奥様なのにやはり酒豪だ。私より家内の方を気に入ってくれたようで、家内になついて?いた。日記でお二人の日頃の様子や考えがわかっているので、可愛い妹たちに久しぶりにあったような楽しい時間を過ごせた。「鳥剛」に行く前に大道芸を見学したが、人を楽しませるプロだけあって、思わず手をたたきながら大笑いしてしまった。お二人とは「鳥剛」で別れ、私と家内は「錦寿司」「ドルフィー」とおきまりのコースで帰宅した。お二人とはまた機会があったらおつき合い頂きたいと思った。
2004.04.18
水、木、金と夜出かける用事が続いたので、日記もお休みがちになってしまった。朝の早い仕事なので、帰りが遅くなる飲み会はなるべく途中で帰ってくるが、楽しいとつい遅くなってしまう。今日はうっかりしていたが、大学のゼミの仲間と新橋で会うことになっていた。ここの所忙しくて、火曜日からメールのチェックもしていなかったが、友人からわざわざメールを見たかと電話をもらい、今日のことを思い出した次第である。関西在住の仲間の一人が、ある士業団体の全国団体の委員をしていて、月に一回上京するので、仲間の都合に合わせて2~3ヶ月に一度集まることにしている。待ち合わせ場所の新橋駅の機関車前に行ったが、ダークスーツのサラリーマンばかりが待ち合わせをする場所らしく、少し異様な感じがした。新橋というので飲屋街かと少し期待したが、近くの銀行の支店長をしている仲間がとってくれた場所は、外堀通り沿いの中華料理屋だった。出席予定の二人が欠席で、予定にない二人が突然現れたので無駄を出さずにすんだ。卒業して30年近くになるが、銀行に行った仲間の行名はすべて変わった。メーカーに勤めた仲間の会社は、一つも社名が変わっていない。今後の仲間の連絡は、ヤフーにでもサイトを一つ作って、共通のパスワードで入れるようなのを作り、写真もそこに載せようかなんて提案したら、皆大賛成だった。ただ一人今日電話をくれた彼だけが「電話をしなきゃメールも見ない奴が、アホなこというな!」と言っていた。横浜に住んでいる仲間がひとり者なので、今度は横浜で集まりそのまま泊まってしまおうと言うことになり、幹事役までさせられた。幹事の特権で次回は野毛にしよう。そろそろ昔の仲間と集まりたがる年齢に近づいてきた。
2004.04.16
私は国の基本は家族であり、家族があって、社会があり、国があると思っている。私は家族を守る為に生きている。先日の日記にも書いたが、何の為に死ねるかと聞かれたら家族を守る為と答えるだろう。私は平和主義者である。他の人を傷つけるつもりはないし、他人に家族を傷つけられたくもない。でも私がいくら平和主義者だと主張しても、暴力を振るってくる人間はいるのが現実だ。目の前で家族が首を絞められたら、私は相手に平和と非暴力の大切さを説くのではなく、暴力を用いて相手を制止するだろう。自分のかなわぬ相手だったら助けを求めるだろう。日頃の付き合いを大切にしている人だったら助けに来てくれるかもしれない。でも出来るなら助けを呼びたくない。自力で相手と戦いたい。そして私の家族に手を出したら、自分の方が危ないと相手に思わせるような力をつけたい。家族と生活していく上で、周りの人達との関わりも避けて通ることは出来ない。同じ共同体の中で助け合うことも必要だ。自分に力が足りないと自覚すれば、家族の為に実力者と言われる方との付き合いを求める世渡りもする。我が家が地域の中で一定の評価を得るような地域活動もする。3年ほど前ケーブルテレビで第2次世界大戦の勃発から終わりまでを、当時のフィルムで綴った合計で40時間ぐらいの特集が放映された。以前から戦争が始まり、全世界が狂気に取り憑かれるように殺し合いを始めるのは何故だか知りたいと思っていた。得た結論は、狂気が伝染し、人に取り憑くと言うことだ。しかもこれは私一人の結論だが、元凶はヒットラーただ一人であり、その狂気にすべてが席巻されてしまったと思った。誰一人として未然に制止できなかった史実に愕然とした。人間は簡単に狂気に支配される存在なのだ。平和主義者を標榜する私も簡単に狂気に伝染するだろう。歴史を振り返れば、愛や優しさや思いやりではなく、憎悪、怨念、妬みの力が大きく時代を変えているのがわかる。自分の感情を検証しても愛国心と狂気は紙一重かなと思ってしまう。昨日の日記に海兵や陸士出身の人の話を書いた。彼らは純粋に国を守ろうとしていたのだろう。でも結果として、死ななくてもよかった多くの同胞を死の淵に追い込んでしまった。南方で見捨てられ、戦死は免れたのに餓死した戦友を沢山みてきた知人の父親の話も書いた。この人達が死を賭して守った国家とは何だったのだろう。権力を握った一部の個人の意地や、見栄や、野心だけだったのではないか。こんな見方もあると言うことを若き自衛隊幹部候補生に伝えたい。私が歴史から学び取った教訓は、この世に絶対と言われる価値など存在しない。唯一あるとすれば自分の家族は自分で守るということだけだと。私は難しいことはわからないので、家族を守る為に社会はどうあるべきか、国はどうあるべきかを考えるようにしている。掲示板に無党派星人さんから書き込みを頂いた。憲法9条を守る視点からの意見であったと思う。私は絶対的なものはこの世に存在せず、今の憲法もその時の都合に合わせて作られたと思っている。私の基準から考えたことが、9条に合ったり、合わなかったりして矛盾しているという。また私の主張が武力の行使を禁じた9条にそぐわないとのご指摘もある。私は家族を守る為には、日本には手を出せないと思わせる軍事力が必要だと思っているし、拉致された人や人質を救う為なら武力を行使すべきと思っている。戦争を絶対否定していることをいいことに、平気で攻め込んでくる存在があるとも思っている。私にあるのは家族を守るという基準と、現実の世界情勢で、憲法9条は初めから頭にはない。私は性善説だが、善意の人間の集団が何故悪魔の行動をしてしまうのか。また私自身が内なる狂気に、どんなときに支配されてしまうのか。その解答は見つからない。これが無党派星人さんへのお返事です。
2004.04.13
私の一つ年下の知人が今年入隊の自衛隊幹部候補生の激励会に出席したそうだ。半分が防衛大学出身で、残りが一般大学出身だという。知人の父親と同じぐらいの年齢の方と、知人と、数人の幹部候補生が同じテーブルだったという。私達の父親世代には海軍兵学校や陸軍士官学校出身者が多い。父親世代の方が候補生にむかって、多くの同胞を戦死させてしまったとの思いを引きずっている海兵や陸士出身者が沢山いると話していたそうだ。知人の父親は南方で終戦を迎え、戦争に生き残った戦友を餓死で失うという悲惨を極めた体験をしている。その父親はその後権力や権威を絶対的に否定し、自分以外を信じない生活をしてきたそうだ。その父親を見てきた彼は、権威を否定する為に政治家を志した。でも若い幹部候補生は「任務とあらば、どんな危険をも顧みません」と話したそうだ。自分の息子と同い年の青年が恬然と話す口ぶりに、頼もしさ以外のものを感じたという。土地柄、防衛大学の学生や自衛隊の方と話をする機会があるが、日本の旗を掲げて世界に貢献したいとの純粋な思いを口にする若者が多い。むしろ私の父親世代や、私たちの世代の方が彼らに、お国の為に死ぬなんて思うなとか、国家なんていい加減なものだから信用しすぎるな、なんて慌てて言ってしまったという。自衛隊のイラク派遣を巡っては、「夫が派遣されると聞いた夜は一晩中泣き明かしました」的な、毎度お馴染み朝日新聞のお涙頂戴記事や、日本はアメリカの犬だ、キャンキャン、キャンペーンなどのお約束ごとが繰り返されるのはいつもの通りだ。でも自衛隊員にむかって「あなた達は人を殺しに行くんですか~」とか「アメリカの手先」と言うのだけは止めてもらいたい。イラクに行くことを決めたのは彼らではなく政治なのだから。イラク戦争への日本の関わり方にはいろんな意見がある。私はアメリカのユニテラリズムには強い反感がある。日米同盟関係を基軸にと言っても、米国に追随させられているとの思いが強くある。自衛隊の派遣を決定した時も、日時を切って国連の関与をアメリカに約束させ、守られなければ撤退し、資金の援助も出来ないぐらいのことは言うべきだと思っている。フランスがイラク戦争に参加しなかったのは、アメリカのユニテラリズムに従わないというプロパガンダの意味合いが強いだろう。でもこの国は世界への人的貢献の実績もあり、軍事的な背景もある。だが日本には戦力が足りない。北朝鮮に拉致された同胞を救い出しに行く戦力もない。情けないが、アメリカに追随しつつ、人的貢献をしながら発言権を増していく、この小泉首相の方針を消極的ながら支持せざるを得ない。早く本格的な抑止力を備えた真の独立国家になる道を日本が歩むようにしなければ、との思いを強くした。イラクの人質事件に関しては、人質にされた家族に小泉首相が会わないことに多くの疑問が寄せられているようだが、私は逆に何故家族が首相に会いたがるのかがわからない。
2004.04.12
同じ市内のケア付きマンションに住む父が、仲間を4人連れてうちの店に来た。丁度お昼時で珍しく店に入りきれない人が出るほど混んでいたので、父も鼻が高かったらしい。その後仲間に街の各所を案内して、夕方一人で我が家に食事に来た。母を亡くして今年で4年目に入る。母の死後、父とはいろいろあっが、今は私の家での食事を何よりの楽しみにしてくれているようだ。その父が娘たちに、吉田松陰の辞世の句親思ふこころにまさる親こころけふの音づれ何ときくらんを詠んで聞かせていた。死刑を免れないと悟った吉田松陰が、親より先に死ぬ自分のことを知らされる親の心情を思って詠んだ歌だ。子供が親を思うより、親が子供を愛する気持ちの方がずっと強いんだ、と言って聞かせている。間接的ではあるが、思わぬ父の愛の告白?に、つい聞こえぬ振りをしてしまった。家内の父は彼女が二十歳の時に事故で亡くなっている。義父の兄弟は5人で、親戚も集まったお通夜は大変賑やかだったそうだ。でも家内の祖父つまり義父の父親は、棺の横でづっと泣き続けていたそうだ。その義父の七回忌、家内の親族として初めて法事に参加したが、法要の間中90歳を過ぎた祖父はやはり肩をふるわせ泣き続けていた。最大の親不孝は親より先に死ぬことだという意味が痛いほどわかった。歴史物の小説を読んでいる時、自分は何の為だったら死ねるか、と考えることがある。でも私には家族を守るため以外には考えられない。日本の栄誉と誇りを守る為に、志願して派遣に応じた若き自衛隊員。戦争の犠牲になった子供を守る為にイラクに渡った人達。ともに純粋な人達なんだろう。家族以外の為に死んでもいいとの覚悟が出来てのことだろう。でも残された家族の為に、一人も犠牲者が出ないことを切に祈る。
2004.04.11
先日保険の代理店をしている後輩が家に来た。彼は現在の社会状況に危機感を持っていて、世の中をよい方向に持って行くには自分は何をしたらよいかを考え、行動もしている。その彼が構造改革を支援するためには、国民が郵便貯金を引き上げることですと言っていた。考えれば考えるほどもっともな意見だ。小泉首相が進める構造改革とは、行政が行っている現業部門のうち、民間が行った方が効率のよい分野は民間に委ね、政府は最小の行政サービスに徹すべしと言うことだ。その背景には、財政投融資制度を隠れ蓑にしてお手盛りの公共事業を増加させ、天下り先を確保し、短期に多額の退職金を手にする官僚システムや、郵貯や年金の積立金を自分の選挙のために強引に地元に誘導する政治家への怒りがあるはずだ。小泉首相が手を入れようとしている非効率で闇のような仕組みとはこういうことだ。非常におおざっぱな説明だが、行政が使える金には大きく分けて二つある。一つは予算と言われるもの、もう一つが財政投融資である。財政投融資の財源は郵便貯金、簡易保険、年金の積立金などが主である。大雑把に言って450兆円あり、その内郵貯、簡保で250兆円あまりを占める。この巨額なお金はわかるとおり国民からの預り金であり、国民は貸しているのである。3年前までは大蔵省資金運用部が運用していたが、その大部分が問題の特殊法人に向けられている。かつては国鉄であり、今は日本道路公団、石油公団、本四公団などである。財投改革により今は郵貯などは直接運用しているが、借りている公団から見れば実態は変わらない。この各公団が経営実態が不明で、多額の負債を抱えている。もしも公団が破綻したら郵便貯金は返ってこないはずだが、実際は税金で負担することになるだろう。小泉首相の道路公団改革は失敗だという人がいるが、どこをみて失敗だというのだろう。道路公団民営化によって確実になったことが二つある。40兆円にものぼる負債が国民の負担なしに返ってくることが一つである。民営化されなかったら多分さらに負債がふくらみ、国鉄のように巨額の負債を税金で処理しなければならなかったろう。国鉄の残した24兆円の負債を、私たちの税金で今も返し続けていることをどれだけの人が知っているだろうか。もう一つは必要な道路は国民が監視できる一般会計で作ると言うことだ。道路が必要ないという人は誰もいないだろう。道路公団改革にすべての知事が反対していたことでもわかる。今まではただで道路を作ってもらえたのに、これからはほとんど自前で作らねばならなくなる。でも国がお金を出さないというわけではない。国民から見て本当に必要と思える道路しか作れない仕組みになったのだ。小泉首相は言う。道路公団改革が一だとしたら、郵政改革は百ぐらいの重みがあると。郵政改革は巨大なブラックボックスのような財投に入ってくるお金の元を締め上げようと言うことである。小泉政権が出来て特殊法人は原則廃止か民営化と言っていたのが、族議員を巻き込んだ官僚の猛烈な巻き返しにあい、竜頭蛇尾になってしまったことはまだ記憶に新しいことである。その中で道路公団民営化の道筋を作り上げた首相を素直に賞賛したい。郵政改革は、特殊法人改革で一敗地にまみれた小泉首相が捲土重来を期して放つ乾坤一擲の大勝負である。なにしろ官僚と、抵抗勢力の族議員が甘い汁を吸いまくっていた財投のお金を元から絶ってしまおうというのだ。郵政事業が民営化されたら郵便局が無くなってしまうという抵抗勢力の口車に、マスコミも上手に乗せられているようだ。でも首相は、郵便局が今のままでも構わないと何度も言っている。だがマスコミはその言葉尻を捉えて、民営化が後退しているなどと書く。小泉首相のねらいは巨額な郵便貯金と簡易保険を族議員の好きにさせない点にある。誤解を恐れず書けば郵便局などどうでもいいのである。そこで後輩の話になる。郵便貯金を積んでいる預金者が三分の一でも預金を引き上げたら、それでも国家予算に匹敵するぐらいのお金が使えなくなる。特殊法人に回していたお金を引き上げて、せっせと払い出しに応じなければならない。不要な特殊法人などすぐに無くなってしまうだろう。国民が構造改革を応援するいい方法ではないかなど、いいおじさん同士が語り合ったのだ。
2004.04.10
もう30年ぐらい前、NHKで辻村ジュサブローの人形劇、「新八犬伝」を放送していた。大学生になっていたが、夢中で見ていた。仁・義・礼・智・忠・信・考・悌、いざとなったら珠をだせ!こんな歌で始まったような気がする。坂本九の軽快なナレーションと不思議な魅力のある人形が妙にマッチしていた。当時鳥を見によく行徳に行っていたので、犬田小文吾の「行徳のお父っつァんが」というせりふや、太鼓の音とともに「玉梓が怨霊ぅ」、さもしい浪人網乾左母二郎(あぼしさもじろう)だァなんて言うのをよく憶えている。いつか「南総里見八犬伝」を原書で読みたいと思っていたが、「南総里見八犬伝」白龍亭というホームページを見つけて決心がつき今読んでいる。このHPには、登場人物の紹介や、当時の地図、歴史年表から抄訳本との対比、別館で新八犬伝もとり挙げているし、新八犬伝と南総里見八犬伝との比較など、至れり尽くせりである。個人でこのようなHPを作る人は一体どんな人なのだろう。「南総里見八犬伝」に興味が無くとも東京湾や関東地方の昔を知りたい方には必見のHPである。お気に入り一覧に追加したので、是非一度訪ねてみて欲しい。このホームページを開き、話のわかりにくいところは解説を見て、地図で地名と場所を確認しながら読む。新しい本の読み方の発見である。‥‥‥‥‥夕方テレビをつけたら、国会中継を放送していた。先日の「消費税総額表示」の日記でも書いたが、徴収した社会保険や厚生年金から5兆6千億円もの金額が、保険の支払い以外に流用されていたそうだ。若い高級官僚が運転手付きで乗る黒塗り高級車も、徴収した保険料で購入していたという。でも誰も責任を取らずに、流用額も保険料の値上げで負担させられそうだ。小泉首相は高校の先輩だし、主張にも共感しているがちがちの自民党員だが、ここは身内の厚生官僚に強い態度で臨んでもらいたいものだ。
2004.04.09
昨日行ったゴルフ場は袖ヶ浦市あった。袖ヶ浦とは、古事記や日本書紀に出てくる日本武尊(ヤマトタケルノミコト)や弟橘媛(オトタチバナヒメ)にちなむ名前だ。今の横須賀市走水(はしりみず)から日本武尊が房総半島に渡る時、荒れる海を鎮めるため弟橘媛が身を投げたという故事に由来する。弟橘媛の袖が流れ着いたのが袖ヶ浦、木更津は君去らず、君津は君の港に地名の由来があるという説がある。因みに東国を制覇した日本武尊が弟橘媛の死を嘆いて「あがつま、あがつま」と呼んだので東国を「あずま」と言うようになった。長野県の吾妻も同じ由来だという。この時代の東京は多摩川、隅田川、荒川、利根川、江戸川などの大きな川が流れ込む湿地帯で、東北に向かうのは三浦半島から東京湾を船で渡る方が簡単だったのだろう。太田道灌が江戸城を築いた1457年には日比谷まで入り江だった。徳川家康が江戸に入った時は江戸城は朽ち果てていたそうだが、三代将軍家光の時代までかかって修復を果たしたそうだ。板東太郎と呼ばれていた暴れ川の利根川を太平洋に直接流れ込むように大工事を行ったのも家康である。昔の地図を眺めたり、神社の祭神を調べたり、地名の由来を尋ねているとその時代の人達の行動が何となく見えるような気がして、歴史が急に身近に感じられる。
2004.04.08
今日千葉にゴルフに行ってきた。アクアラインを利用して、アクアラインを出て10分ぐらいの場所にあるゴルフ場だ。そこは今が桜の満開で、天気も穏やかで、久しぶりにゆったりとした時間を過ごせた。でも驚いたのがアクアラインの料金の値下げぶりである。知り合いのご夫婦と私たち夫婦の4人で行ったのだが、高速の料金の精算で計算してみたらアクアラインがずいぶん安いのである。アクアラインが開通した頃は料金の高さがネックで、利用者が想定した人数をはるかに下回ったと記憶している。初めてアクアラインを利用した時は、海底トンネル内で前にも後ろにも車の姿を見ず、ずいぶん不安になった記憶がある。その後も何度か利用したが、たまに他の車を見ることがあると言った程度であった。でも今日は車がたくさん通っている。それに料金も計算したら2000円台である。帰ってからネットで調べたらETC搭載の普通車は2320円だった。まだどこの料金所でもETC専用のゲートを通る車は少ないが、ことアクアラインに関してはETC専用を通る車が圧倒的に多かった。新しい商品が普及するためには価格の壁がある。いまはETCの装置も安くなってきている。一般の高速道路でもETC搭載車への割引をしてくれたらもっと利用が増えるのだろうが、と虫のいいことを考えた。
2004.04.07
日米修好通商条約により1859年横浜は開港するが、それまで寒村だった横浜村は急激な発展を遂げる。今の関内駅から海にむかって外国人居留地が設けられ、今の横浜公園のある場所には吉原のような遊郭が作られたそうである。外国人居留地は川や堀で仕切られ、出入り口に関所が設けられた。その関所の内側が関内で、今の伊勢佐木町側は関外であった。日本で最初の鉄製の橋といわれている吉田橋は、祖父が昔は親不孝橋と呼ばれていたと話していた覚えがある。居留地内の遊郭は400人以上の遊女が焼死する大火事の後横浜公園に生まれ変わり、遊郭は真金町、永楽町、長者町などに移ったそうだ。伊勢佐木町に親不孝通りとよばれている通りがあるが、吉田橋を渡りその通りを歩けば遊郭に通じる。親不孝橋を渡り親不孝通りを歩く親不孝がさぞかし多かったのだろう。その真金町に日本テレビの笑点でお馴染みの落語家桂歌丸師匠の家がある。師匠のお祖母さんが遊郭を経営していたそうだ。作家山口瞳のお祖母さんも横須賀で遊郭をしていた。山口瞳はそのことを「血族」という小説にしたが、自分の一族の秘密を暴くと言ったちょっとシリアスな小説だ。そのてん桂歌丸はさすが落語家だ。郭話の枕には苦労しませんでした、と軽い調子で話している。その遊郭の名前が「冨士楼」で奥さんの名前が「冨士子」さん。落語家だけに、人生まで落ちを付けている。
2004.04.06
1854年に日米和親条約が調印されて150年がたち、横浜でも式典が行われている。日米修好条約の本書交換のために咸臨丸がアメリカに向かったのは1860年のことだ。江戸を出て横浜に寄り、浦賀で水や野菜を積み込んだという。このときのことを、無理矢理頼み込んで咸臨丸に乗船した福沢諭吉が福翁自伝に書いている。若い乗組員と、上陸して酒を飲もうという話になってある所で酒を飲んだそうだ。だが後で気がついたらそこは遊郭だったと書いてある。その店からそっと持ってきてしまった嗽(うがい)茶碗が船の上で思いの外役に立ち、日本に帰ってくるまで重宝したという。だが知り合いの郷土史家の話に依ると、それは嗽茶碗ではなく女郎が商売道具を洗う器だったらしい。また女郎屋だったことを後から気がついたというのも眉唾である。昔近所に遊郭の建物をそのまま使っていた医院があった。まだ20代の頃ある飲み屋さんで隣になった二回りほど年上の方と話していた時のことである。その医院を知っていた隣の人が、「あそこは女郎屋みたいな建物だな」と言った。そのぐらいの年齢の方でも建物を見れば女郎屋だとわかるのだ。福沢先生といえども遊郭と後から気がつくというのは無理があると思ってしまう。幕末の頃の歴史が好きで、浦賀の昔の街並みもある程度知っているが、浦賀の遊郭は料亭や旅館の間を通り抜けた先にある。お酒を呑むつもりだけだったらいくらでも店はあったはずである。福沢先生をただ一人の先生と仰ぐ塾員の方には申し訳ないが、福沢先生にも若い頃はあったので、私にはホッとする逸話である。
2004.04.05
今晩は誰もいないらしい。私は朝早くから働いて、店でアルバイト中の長女と昼過ぎに家に戻ると誰もいない。家内は高校時代のクラブ仲間と横浜で花見。長女は夕方から高校の先生と飲み会。次女は昼からイチゴ狩りで、帰りは友達と食事をして来るという。一人で平気で出かけるくせに、取り残されると何か不愉快だ。我ながらいい性格だと思う。仕方がないので、大岡川の花見がてら野毛に行くことにした。一番早く帰ってきそうな下の娘に、夜家にいないことを連絡しようと電話した。行く先を聞いてきたので、花見しながら野毛に行くというと一緒に行きたいと言ってきた。友達ともんじゃ焼きを食べようとしていたのだが、断って私についてきた。黄金町に5時過ぎに着き、大岡川沿いを野毛に向かう。今日は暖かいし、明日は雨の予報のせいか沢山の人出だ。野毛ではまず「鳥剛」さんへ行った。ポテト焼きの話を家でしていたので、娘が食べたがっていたのだ。黒糖の焼酎も置き始めたので、一杯もらった。翠泉さんが教えてくれた鎌倉の「露西亜亭」は、小町の焼鳥屋さんにいた剛さんに場所を聞いた。ピロシキを買うお客さんが並んでいることもあるそうだ。そこにペリメーニはあるのかなァ、なんて娘はもう行く気である。次に「錦寿司」若いご主人が出前用の寿司を握っていて、おかみさんがこのアガジベベってどういう意味だろうねと話しているので「それは、アクアディベベーというボサノバの曲で、日本語でおいしい水って意味なんですよ。そこのマスターがこの曲が好きでお店の名前にしたんですよ。」と、ゴーヤ泡盛さんの日記で読んだ事を、さもしたり顔で説明した。http://plaza.rakuten.co.jp/goyaawamori/diary/2004-02-11/何周年かのパーティーでのお寿司の注文らしい。楽天日記のお陰で、楽しいことが増えてくる。最後は「ドルフィー」せいさんに、「援交じゃないよ」と言って娘を紹介したら娘に睨まれた。今日は本田竹広のピアノと宇川彩子という若くてきれいでスタイル抜群のタップダンサーの競演だ。にこやかに楽しそうにタップを踏むのだが、激しい踊りになるとさすがに笑顔もでない。女子十二楽坊のコンサートでもにこやかに演奏しているのだが、テクニックを要求される場面では笑顔が消える。ライブの途中でつねさんがご出勤だ。つねさんは実は私の従兄弟なのだが、娘は初対面である。つねさんに「今度はお父さん抜きで、一人でおいで」なんて言われて娘も嬉しそうにしている。宇川彩子さんとも少し話が出来て、タップダンス是非やりなさいよと言われ、その気になっている。一人でふてくされて飲むはずだったのが、下の娘のお陰で楽しい一夜になった。
2004.04.03
水曜日の昼は、横浜駅西口モアーズの8階にある「築地すし清」に行った。チェーン店なんだろうが、板前をしているここの店長ががっちり固定客を掴んでいるのがわかる、楽しいお店だ。娘が「サーモンスキンロール」という焼いた鮭のハラミの巻物が好きなので、そこへ行った。少々二日酔いだったので、私は鰯や鰺をつまみにビールの迎え酒だ。ここのカウンター席は昼から酒を飲む人が多いので、私も安心していける店だ。ネタケースの上に、ナスやアスパラが置いてあり、常連さんがアスパラのバター焼きを頼んでいる。ナスの一夜漬けの握りなどがあり、これも美味い。常連さんがここは野菜の美味い寿司屋だ、なんて変な褒め方をしていた。大岡川の桜の話になり、店長が常連さんの一人に「大岡川の桜は何であんなに川の方に垂れているんですかね」と質問した。「あれはね夜、桜が川の水を飲むんだよ」あまりにさりげない答え方だったので、私も一瞬なるほど、と思ってしまった。少し間をおいて、他のお客さん達も大笑いしていた。その話が気になり、今日横浜に行ったついでに大岡川沿いを少し歩いてみた。川面から桜の植わっている道路まで高さは2~3メートルはあるだろうか。でも本当に桜が水を飲みに行っているように、水面すれすれまで枝が垂れ下がっている。それにあのお客さん、川沿いは涼しいんで満開になるのが少し遅いともいっていた。確かにまだ蕾も多くついていた。明日は黄金町から野毛まで桜を見ながら歩いてみたくなった。
2004.04.02
下の娘の中学時代の同級生に、中学2年の時に母親を亡くした子がいる。体も心も大きく変化する、女親が一番いて欲しい年頃である。最近では珍しい5人兄弟のちょうど真ん中で、しかも長女である。みんなで家事を分担しているそうだが、やはり家事の負担は多くなるだろう。でも気の毒なのは花火大会に浴衣を着る時、教えてもらえる母親がいないことだ。数年前からは浴衣を着る時は、家内が娘と一緒に小物を揃えたり、美容院に連れて行ったりしている。その娘さんのお母さんは看護婦さんだったが、彼女は福祉系の大学に推薦で行きたくて頑張って勉強していた。彼女のように人の心の痛みがわかり、お母さんを通じて人の世話をする大変さも判っているような娘さんが、福祉の仕事を目指すなんて素晴らし事だ。推薦に必要な点を取れたら箱根の富士屋ホテルに連れて行って、カレーをご馳走する約束をしていた。その彼女が2年の最後で見事目標をクリアした。そのご褒美に今日は家内が運転で彼女とうちの娘二人を箱根に連れて行っている。行きの車やホテルでは楽しく話をしていたそうだが、帰りの高速では皆爆睡していたそうだ。夕方帰ってきて、今度は女子十二楽坊のコンサートだ。初の日本縦断コンサートツアーのスタートが今日の横須賀芸術劇場だそうだ。これからの公演を楽しみにしている方もいらっしゃるので詳しい内容は書かないが、素晴らしいの一言だった。優しい胡弓の調べに居眠りするかもなんて家内と話していたが、最後まで感動しっぱなしのコンサートだった。家内は明日は高校時代の同級生に誘われて小田原の有名なしだれ桜を見に行くそうだ。寝込むか出かけるかの家内のこと、寝込むのも時間の問題のような最近の行動だ。
2004.04.01
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