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人類の医学の究極目的は、不老不死を極めることだと思う。寿命を延ばすことと、身体を死の直前まで健康に保つことという医療行為は、それを一言で言い表すならば不老不死を目指しているということに他ならないと思うからだ。 現実に不老不死が可能かどうかということはよく分からないが、現在の医学の進歩の先に不老不死があるのだとしたら、いずれは何らかの形で実現するのは間違いないと思う。それが肉体を何時までも若く保つバイオな技術なのか、それとも人間の個性としての記憶を機械的に保存再生するメカニカルな技術なのかは知らないが、そしてどれだけ先の未来になるのかは分からないが、いつか実現することだけは間違いないと思える。 そうなったときの問題は、死なずに増えていく一方の人類をどう食べさせていくのか? ということだが、その為にも宇宙開発が必要だと思うのだが、どうなるかなあ。 それはそうと、今日は2月29日。今年って閏年だったんだ。気が付かなかった……。
Feb 29, 2004
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豆腐はおいしい。湯豆腐でも良いし、みそ汁の具でも良い。鍋に入れても良い。また油をひいたフライパンで焼いてもいい。もちろん麻婆豆腐も大好きだ。 しかし豆腐について、私はちょっと悲しい映像が頭にこびりついて離れない。何年前のことだったか忘れたが、寒い冬の日の夕方、会社帰りのことだ。コンビニの前を通りかかったとき、日雇い労働者もしくは路上生活者風の男性。年齢はおじいさんと呼ばれてもおかしくない程度の方が、コンビニで買ったであろうパックに入った豆腐を一丁、素のままでもそもそと食べていたのを見たのだ。 たぶんそのおじいさんは、そのような生活を余儀なくされる以前はそれなりに幸せな家庭で豆腐料理の数々を食べていたことだろう。豆腐はおいしいものというイメージが有ったかもしれない。また安い割に栄養価も高いということも知っていたことだろう。だからそのおじいさんは持ち合わせの少ないお金の中から豆腐だけを買って醤油すらつけずに食べていたわけだが……。その豆腐は冬の夕方に食べるには冷たく、そしてまずかったことだと思う。 豆腐はおいしいけど、そのおいしさは湯豆腐にしたり、みそ汁の具にしたり、何かの形で調理をしたものであって、豆腐そのものはそれほどおいしいものではない。それは何だか人間の幸せと似ている。人間は自分ひとりだけでは幸せにはなれない。他人との関係において初めて幸せになれるのだ。豆腐を食べながらそのおじいさんは、豆腐のまずさから今の自分の境遇に思いをよせて涙したかもしれないと思うと、何だかその映像が忘れられなくなってしまったのだ。 豆腐を見るとその時のおじいさんの姿が思い出されてちょっと切ない気持ちになると同時に、今の自分の幸せを再発見したりするのだ。 というわけで、私は、豆腐料理は簡単なものよりも手の込んだもののほうが何となく好きだ。そのほうが何だかおいしく感じるからだ。 それにしてもその時のおじいさん、今も元気だろうか? ちょっと心配だ。
Feb 28, 2004
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人間は、気持ちいいことをしたいように出来ている。これはもう本能だからしょうがない。身体がそうできているのだ。たとえば人間の身体は、今の自分に必要な栄養素を含んだ食品を食べるとおいしいと思うように出来ている。疲れた時に甘いものが欲しくなるというやつだ。それと基本的には同じなのだが、自分自身の身体を健康に保つために、おいしいものを食べたいと思ったり、時として楽な体勢をとりたくなったり、眠くなったりするし、また身体を思いっきり動かしたくなったりと、その時々で自分にとり【気持ちいいこと】をしたいと思うわけだ。 もちろん自分の身体を維持するだけではなく、種族を維持する為の行為も大事なので、その手のことを気持ち良く思うのは言うまでもない。というか時として自分の身体を壊してまで種族を維持しようという本能が働いたりする。 というわけで、人間は気持ちいいことをしたいように出来ているのだが、では何故、時としてわざわざ苦労をするのか? 辛い練習をするのは何故か? 勉強しかり、仕事しかり、そし趣味の小説書きもっ! それはその辛さの先に、より良い状態が待っていると想像出来るからだ。 人間は今この瞬間の気持ちよさしか理解出来ない動物と違って、未来の気持ちよさを得る為に今のつらさを我慢出来る存在なのだ。というわけで、その人が今の辛さを如何に我慢出来るのかということは、如何に未来の気持ちよさを具体的にイメージ出来るかということにかかっている。未来の気持ち良さに対する具体的なイメージが出来ていないと、どうしても今、我慢するということに耐えられない。 多くの人が、もしも若返ったら、子供に戻れたら今度こそ努力するのに……、と、考えるのは、子供時代の先に未来があるということを実感を込めて理解出来ているからだ。ホントに、私も、もしもやり直せるならやり直したいことが山ほどある。しかしそれはかなわぬことだから、次善の策として、これからの残りの人生に対して後悔しないように生きなくては、と、思うわけだが……。まだまだ自分の未来に対するイメージがしっかりしていないのか、いまだに現在の気持ちいいことに目がいってしまう私なのでした。まったく人間とは業な生き物である。
Feb 27, 2004
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利益の反対語は損失であるからして、利益を得る為には相手に損失を与えることが必要かというと、決してそんなことはない。 例えばAが所有する商品を、Bが1万円で買い取る場合、Aはその商品の価値を1万円よりも低く評価し、Bはその商品の価値を1万円よりも高く評価しているのならば、その商取引においてAとBは共に各々が所有していた商品またはお金を、より価値のあるものと交換したということになるから、それぞれが利益を得たということになる。 基本的に商取引においては、自分が今所有しているものの価値よりも、より価値があるものと認識しているものとの交換が原則であるから、商取引において損失が発生するということは無いはずである。 しかし、ある店が在庫の商品を原価割れで販売する場合は、その店はその商品を売ることにより損失を出しているのではないかという疑問が出るかもしれない。しかし原価割れの価格でしか売れないような商品を、損が出るからといっていつまでも売らずにおいておくよりは、原価割れでもいいからとにかく売って現金をいくらかでも手に入れたほうがまだしも得であるという考えに立てば、原価割れで商品を売ることも、在庫として売れない商品を抱えこむことに比べれば、利益であると言える。 なんだか難しくなってきたけど、少なくとも商取引をしたその時、その瞬間においては、双方が共に利益を得ていると思っているわけだ。結果としてその後、損をしたということがあると思ったとしたら、それは損をしたのではなく単に【得られたかもしれない利益が得られなかったというだけ】であり、決して損をしたわけではないのだ。 うーん、なんか眠い頭で書いてたら混乱してきた。私は何が言いたいんだ?
Feb 26, 2004
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鳥インフルエンザの蔓延が問題となっている。その際、渡り鳥がウィルスを広げているという指摘もある。ということは、鳥インフルエンザに感染した渡り鳥は、インフルエンザをものともせずに飛んでいるのだろうか? と、一瞬思ってしまったが、よく考えれば単にウィルスの潜伏期間というものがあったのであった。 しかし鳥インフルエンザにかかった渡り鳥が、ふらふらしながら飛んでいたとしたら、きっと気持悪いだろうなあ……。「みんな、逃げろーっ! 鳥インフルエンザにかかった渡り鳥が飛んできたぞーっ!」とか言って、渡り鳥が空中投下する糞(ふん)をザサ゜ーッという感じで避けたりして……。 もしも投下された糞が身体についたりしたら、もうパニックだろうなあ。「助けてくれーっ!」とかいう言葉に対して、「わわっ! こっちに来るなーっ!」とかね。 現実にはそんなことは無いと思うけど、ニュースで見る限り、みんな過剰反応しているからなあ。書いててなんだか笑えない状況かも? という気がしなくもない。 それにしても鳥という動物は行動半径がとてつもなく大きいから、こういう病気が発生した時には極めて短期間のうちに広い地域に病気が広がってしまうものだと改めて認識してしまった。 しかし疑問がひとつ。鳥インフルエンザって、何故ニワトリだけじゃなくて渡り鳥にも感染するんだろう? 鳥の種類を問わずに感染しちゃうのか? まあ、タイでは猫に対して鳥インフルエンザが感染したというニュースもあったけど、生物の種類を問わずに感染する力を持ったウィルスって、なんかすごくない?
Feb 25, 2004
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留守番電話に伝言を吹きこむのは、なかなか大変だ。電話をかける側としては、本人と話すことが出来る予定で電話をするので、伝言をするつもりで電話をかけることは少ない。なのにいきなり伝言を吹きこまないといけないということで、けっこうあせる。しかも録音可能時間が3分程度あるならば問題ないのだが、20秒以内に伝言を吹きこんでくれなどというメッセージがあるともういけない。頭の中は混乱状態である。 最低限、名前と電話番号を吹きこめば良いのだが、どうしても用件も吹きこんでおこうとするからややこしくなる。結局、上手くまとまらず、伝言の途中で録音可能時間が終わってしまったりする。心残りだ。今度は上手く吹きこもうとするのだが、その決意が実行される頃には、すべては記憶の彼方に過ぎ去っていってたりする。悲しい。 それはそれとして、世の中にはとんでもない留守番メッセージがあったりする。例えば、NTTの『この電話番号は使われておりません。番号をお確かめの上、もう一度おかけ直しください』というメッセージを録音したものを、留守番電話のメッセージに使ってあるものを聞いたことがある。いったいその人は何をしたいのだと疑問に思ったものだ。 また、比較的よくあるものとして、ロリロリで萌え萌えな口調の女の子(?)がメッセージを読み上げるものがあるが、この場合、真面目な伝言を吹きこんでも良いものかどうか迷ってしまうことも多い。こちらも、ぷにぷにな口調で伝言を吹きこまなくてはいけないのかという気になってしまう♪(嘘) しかしなんと言っても今までに出会った最高の留守番電話メッセージは、『ハイ、○○です。……もしも~し。○○ですけど? あれ~、おかしいなあ? ……もしも~し、いたずらですか? 無言電話は止めて下さいっ! ……うっそでーす♪ ○○は今、留守にしています。御用のある方はピーという音がしましたら、メッセージを吹きこんで下さい。 ……ピーッ!』と、いうものだった。怒りを通り越して、見事だと思ったものですよ。うーん、最高♪
Feb 24, 2004
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私自身はタバコを吸わないのだが、喫煙者はなかなか減らない。まあそれはいい。健康にも悪いということを自覚して、自分の好きで吸っているのだから。しかし健康に悪いと自覚していて、なおかつ吸いたいが為に低タールのタバコを選ぶというのは、ちょっとおかしくないか? まるでダイエットはしたいがお腹はいっぱいにしたいからといって、低カロリーのダイエット食品を食べまくっているのと同じような気がする。 結局は人間の弱い心理につけ込んだ商業主義が、喫煙者を増やしている。もしくは減るのを阻害しているということだろう。もしも低タールのタバコが無くて、タールが大量に入ったタバコしかなくて、健康にも大いに悪いというものしか無ければ、きっと喫煙者も減ったことだろうに。 それはそうと仕事中にタバコを吸うのは構わないとされているのに、何でお菓子を食べながら仕事しちゃいけないのだろうか? タバコよりもお菓子のほうが絶対に他人に迷惑をかけていないはずなのに……。ああっ! 電話かかってきたときにまずいのか!? でもまあ少しずつ食べればっ♪ 発想が低タールのタバコと一緒だ……。他人のことを笑えないね。
Feb 23, 2004
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通称ファミコン。任天堂が開発し販売されていたテレビゲーム機械である。既に生産は停止されているので、中古屋の店頭からさえも消える日はそう遠く無いはずだ。しかしある程度の年輩者にしてみたら、TVゲーム=ファミコンだったりする。それほど一世(いっせい)を風靡(ふうび)したゲーム機械であったりする。 ちなみに私が買ったのは昭和61年の年明け早々のことであり、最初のソフトは「女神転生」であった。3D迷路タイプのロールプレイングゲームだったので、そこそこ面白かったのだがマッピングがよく分からなくて結局、攻略本を買ってこなければ最後まで行くことが出来なかった。 そしてその年の夏、ドラゴンクエストⅢを購入……。完全にはまったのだった。ちなみにファミコンからスーパーファミコンに代わり、ドラゴンクエストⅤをしたことにより、「結婚も良いかも……」と思うようになり、その後本当に結婚しちゃったのは、ホントの話である。
Feb 22, 2004
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昔、海外ドラマで、「スペース1999」というものがあった。1999年、月面に廃棄された核物質が突然、謎の大爆発っ! その衝撃で月は地球の周回軌道を外れ、一路外宇宙へと漂流していく……。月面基地、ムーンベースアルファを乗せたまま。 まあ、色々と無理がある設定だったが、子供の頃にこれをテレビで見た私にしてみたら、とても面白い内容だと思ったのは確かだ。 関連した話題かどうかは微妙だが、つい最近、アメリカのブッシュ大統領が月面に基地を作ろうと演説をしたが、とりあえず地球外の天体に恒久的な基地が出来るのは嬉しい。例えそれが選挙目的の為の演説だろうと……。
Feb 21, 2004
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ドラえもんに出てくる、あのジャイアンが主張してやまない『おれの物はおれの物。おまえの物もおれの物』という主義。それが【ジャイアニズム】である。ちょっと考えるととても我がままなとんでもない主義のようであるが、小さなこどもの場合は、往々にしてこういう感覚が残っているようだ。 私には9歳の女の子と5歳の男の子の2人の子供がいるが、下の子は上の子の物を自分で使っているうちに、それが気に入ってくると、いつの間にかそれは自分の物だと言い出すことが多いのだ。ジャイニズムとは、自他の精神の未分化からくるものらしい。 ……そういえば世界史の時間に習ったような気がするのだが、古代ローマの貴族たちは、自分が所有する奴隷が他人に傷つけられると、自分自身が傷つけられたように痛みを感じるという。これもまた自他の精神の未分化からくるのだろうか? もしもそうなら、ジャイアンの精神ってよく言えば古代ローマの貴族なみ。悪く言えば5歳の子供なみということになるのかな?
Feb 20, 2004
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神社という場所は、なんかこう神聖な場所であるべきなのだが、どうもこう神聖な感じがしない。そもそもお賽銭というシステムがいけない。お金が絡むとだいたいのものの神聖さは無くなってしまうからだ。 しかしあれだ。普段行く近所の神社に何故神聖さが感じられないかというと、清楚な巫女さんがいないからだな。バイトの俗世丸出しな巫女さんではなく、俗世を離れた巫女さんのいる神社というものはないものかね。……無いだろうなあ。
Feb 19, 2004
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レンジといっても、電子レンジのことなのだが、電子レンジは便利だ。私が子供の頃は、まだ電子レンジというものは無かったので、冷めてしまった食事を温めるには、もう一度火を通すしかなかったので、小皿に取り分けられたものを温め直すことはほぼ不可能だった。しかし電子レンジの登場は、その常識を変えてしまった。取り分けられた小皿の料理も簡単に温めなおすことが出来るようになったのだ。 人間、温かい料理を食べられるというのは、なかなか幸せなことだ。冷たく冷めきった料理を冬場に食べるのは何だかとても寂しくなるが、温かい料理を食べるともうそれだけで幸せになる。 初めて電子レンジを見た時、そして使った時は、なんとなく味気ないものだと思ったのだが、既に電子レンジとのファーストコンタクトから30年程度も経ってしまうと、電子レンジにも家庭の暖かみを感じてしまうから、人間の感覚というのもあてにはならない。 ともかく、今では電子レンジが無いと、料理も上手く出来ない状態だ。野菜も軽くレンジしてから煮るとすぐにやわらかくなるし、焼き魚でも中まで火が通っているかちょっと不安な時は最後にちょっとレンジをすると、中まで火が通ったことが確信出来て良かったりする。 しかも最近の電子レンジはオーブン機能もついているものが多いので、更に使い勝手が良くなっている。 ……あとは人間の腕さえあれば、おいしい料理が作れるのだが、実はそれが一番の問題だったりする(苦笑)。
Feb 18, 2004
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服装の乱れは心の乱れと言われるが、服装が乱れているからといって必ずしも心がみだれているとは思わないが、心が乱れているときは服装も乱れることが多いと思う。疲れたときなんかはもう駄目だ。身だしなみを整えるのですら面倒くさいときがある。 そこへ行くと若い女の子たちは、服装のチェックに元気だね。センスも良いし。おしゃれな服もちゃんとあるし。……冬場だからだろうけど、女子高生が制服のスカートの下に黒いストッキングをよくはいているけど、最近はああいうのは校則でも認められているんですね。私が高校の時は、ストッキングは肌色が基本で、黒は校則違反だったような記憶が有ります。 服装の乱れと言っても、時代によりその基準が変わってしまうようですね。
Feb 17, 2004
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子供の頃には、暖房器具として、火鉢をつかったことがある世代なので、炭(すみ)が燃えるのもごく普通にみていたりするのだが、最近の人は燃えている状態の炭を見た事が無い人も多いのでは無いだろうか? 生木が燃える、枯れ枝が燃えるというのと、炭、つまり純粋な炭素が燃えるのは、燃焼の状態がかなり違う。 生木が燃える時、ジュウジュウと水分が木から出ながら燃えるので、自分から燃えてるというよりも、まわりから燃やされているという感じである。実際に生木だけでは火力が維持出来ないので、ブスブスといいながら火が消えてしまう。 対して枯れ木は火がつくと勢いよく炎を出しながら燃えていく。そしてよく見ると木からガスが出て、そのガスが燃えているのが分かる。枯れ枝の先端からガスを噴き出しているものは、まるで小型の火炎放射機みたいでおもしろい。 そして炭であるが、炭はほとんど炎を出さずに燃える。炭自体が赤く光っているのだが、ぼうぼうと炎を吐くことがない。なんというかゆっくりと燃えるのだ。そして燃える持続時間がとても長い。もしも同じ分量の枯れ木を燃やしたら、炎を出しながらあっという間に燃え尽きてしまうのだが、炭はじわじわとゆっくりと燃えてなかなか燃え尽きるということが無い。 ネットの活動も、炭が燃えるように一気に炎を出すことなくじわじわと活動したほうが、結果的に長続きすると思う。
Feb 16, 2004
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最近は町中とか、駅の構内とかで人目を気にせずにキスをしている若い男女を見ても、特に注目することなくスルーすることが出来るようになってきた。つまりそれだけありふれた状態になってきたということなのだが……。なんというか、もうちょっと綺麗なキスしろよ……。見ていてちっともときめかないようなのが多いぞ。 ああいうのは、恥じらいというものが必要なんだと言いたい。まわりに見せつけるようなキスをしていたら、どんどんと雰囲気が壊れてきて、やがてカップルの仲も壊れるんじゃないかと、おじさん心配しちゃうよ。 まあ、どうでもいい話だけど。
Feb 15, 2004
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吉野屋から2/10に牛丼が消えた。ご存じのように米国でBSE(狂牛病)が発生したことにより米国産牛肉の輸入が停止されたので、牛丼に使う安い米国産牛バラ肉が無くなったので、並盛り280円という値段では採算が合わなくなり、販売停止となったわけだ。 さて、牛肉の輸入再開はアメリカにおいてBSEの全頭検査が実施されるかどうか、日本の消費者が全頭検査をしていない米国産牛肉を受け入れることが出来るかどうかのどちらかにかかっているのだが、それは今後の展開を見守るとして、私自身は、BSEそれ自体を特に問題視はしていないのだ。 牛の脳髄や眼球、そして神経部分を食べない限り、人間がBSE感染牛の肉を食べて狂牛病、人間の場合、クロイツェルヤコブ病に感染する危険性は無視出来る程低く、むしろ食べ過ぎで糖尿病に罹り死ぬ可能性のほうがはるかに高い事実がある。というわけで、私は、アメリカの狂牛病対策のレベルで十分であり、日本の全頭検査というシステムは、過剰規制だとは思うのだが、日本国民の大多数が納得するのならしょうがないということで、推移を見守っているわけだ。 さて話を戻して、私が吉野屋で注文する場合、並盛り牛丼と玉子を注文する。丼ご飯にあれだけの牛肉ではちょっと物足りないので、玉子を追加してご飯に絡めるのだ。玉子が無いと、ご飯が無くなる前に牛肉が無くなってしまった場合、ちょっと辛いです。 だったら、今流行の「つゆだく」というオプションをつければいいと思うかもしれないが、「つゆだく」だとご飯がばらけてしまい箸で食べづらいから、私は頼まない。 ……こんな内容の日記、ここ数日、あちこちで書かれてるんだろうな。
Feb 14, 2004
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本日で、楽天における日記の書きこみがちょうど100件になりました。自画自賛しちゃいます。すばらしい~♪ でも楽天の日記は1000件まで保存可能だから、これでちょうど10分の1というわけですね。うーん、先は長いなあ。 それはそうと、「すばらしい」を漢字混じりに直すと、「素晴らしい」となるが、この意味を考えると、「別に飾らなくとも素のままで、晴れやかな様子である」という意味になるのであろうか? つまり内面からにじみ出る隠しきれない美点というものではないかと推測する。 はたして私の日記にそんな価値があるのだろうか? いや無い(反語)。 しかしまあ、紙の日記帳に日記を書いたことが何回かあるが、ことごとく3日坊主で終わったことからすると、素晴らしいと言っても良いのではなかろうか? (……本体サイトでは年単位で日記が続いているけど、だからこそもうひとつの日記であるここがこれだけ続いたのはすごいと思いません?) というわけで、今後ともよろしくお願いいたします。追記 : それにしてもこの楽天の日記は、本サイトである「ジャージレッドの秘密基地(自称)」に常連以外の方を誘導するのが目的で作ったのだが、来訪者の大半が楽天のメンバーではなく、おそらく本サイトの常連の方が主流とは、いかがなるものかと思うのだが……、まあいいか。
Feb 13, 2004
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小学生の頃、図書館で借りたシーラカンス発見に関する物語を書いた本を読み、世の中にはまだまだ不思議が実在するんだと思った。そんな私にとり、古代魚、生きた化石とも呼ばれるシーラカンスは、不思議な世界を代表する存在である。シーラカンスのことを知ったとき、もしかして恐竜だってどこかに生き残っているのではないだろうかと思ったものだ。 今となっては不思議とは自分の外にあるのではなく、自分の中にあるものだということは理解しているのだけどね。外にある不思議はいずれ科学の光が当てられて、不思議でもなんでもない物になってしまうけど、自分の心は、いつまで経っても不思議な世界のままだから。 私の心の中の奥底には、いったい何匹のシーラカンスが生息しているのかな? 例え深海のような心の奥底であっても、シーラカンスが群れて踊るような豊穣な世界が広がっていて欲しいなあ……。
Feb 12, 2004
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言葉としては知っているが、生まれてから既に100年の5分の2生きてきて、まだ一度も見たことがないものとして、「一番星」がある。夕方になり、空に輝き始める一番最初の星という意味だと理解しているが、実際にはそんな瞬間を見たことがない。何かと忙しくてみのがしたり、その瞬間はほとんど家の中にいたりするからだ。 というわけで、言葉としては知っているが、実際に見たことも体験したことも無いことは世の中に多くあるはずなのであるが、その中にも、「頑張れば体験出来るもの」と、「どう頑張っても体験出来ないもの」がある。男性にとっては「妊娠・出産」というものがその最右翼に来るのだが、女性にとっては何が来るのだろう? 女性であっても代理母というやり方で、自分の子供を他人に産ませるという行為は体験出来るわけであるし……。となるとやっぱり「立ちション」かなぁ~。なんか「妊娠・出産」と「立ちション」では、行為の重みに果てしない差があるねえ……。
Feb 11, 2004
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午睡、簡単に言えば昼寝のことだが、昼食後の眠い時にちょっと眠るのはとても気持がよい。逆に、眠いのをがまんして何かをしていると、午後3時頃になってくるととても眠くなる。そうなっては仕事にならないので、なるべく10分から15分ぐらいは昼寝をするようにしているのだが、毎日、かならず昼寝が出来るかというと、そういうことはない。やはりなかなか時間を取るのは難しい。……今、昼休み中なのだが、こうして日記を書いていたりするから時間が無くなる。 まあそれはそれとして、人間、眠くなったときに無理して起きていると色々とミスをしたりして、それが大きな事故につながったりする。睡眠不足を解消するために、ちょっとした昼寝は有効だということだ。出来ることなら仮眠室が欲しいところである。 そういえば昔、とても眠くてしょうがない時に、ある人と真面目な話をしていたのだが、ふと気がつくと私はその時、何故か『有人火星探査の話』をしていたことがある。……何故に、そんな話になったのか分からないのだが、どうも半分夢を見ているような感じだったから、もう思考は飛びに飛んでいたのだろう。まあせめてもの救いは、真面目な話だったけど、まだプライベートの場だったということだろう。 ……仕事の最中にもそういう状態になったことは、実はあったりするのだけど。
Feb 10, 2004
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玉子料理は難しい。柔らかくふわっと焼き上げ、なおかつトロッとした中身のオムレツを自分でも焼いてみたいのだが、まだそのレベルには達していない。 会社の近所の喫茶店に、そういう感じのオムレツを出す店があるのだが、やはりプロというのはすごい。 そういえば以前、玉子焼きを自分で焼きたがっていた娘が、最近は何もしないが、飽きちゃったのだろうか?
Feb 9, 2004
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よく考えるとあんまり嬉しいことでは無いのだけど、その瞬間は「るんたった♪」と踊りだしたいような嬉しさを感じる時がある。大きな買い物をしたときなんかそう思う。 今日は妻のパソコンが調子悪くなったので、思い切って新しいパソコンをネットで購入してしまった。計算してみると、貯めたお金で何とか買える金額であったし、いずれは買い換えるつもりだったので、まあいいかと思ったのだ。 結果的に財布の中にも通帳の中にも余裕なお金は無くなってしまったのだが、それでも注文をする瞬間というのは、気分が高揚してまさに「るんたった♪」という感じであった。 ちなみに私が使っているパソコンの新調は、なんとか年内にと思っているが……。どうなるのかな?
Feb 8, 2004
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毛が抜ける。ホントに抜ける。容赦なく抜ける。冬毛が夏毛に生え替わるのならともかく、単純に抜ける。バンバンと抜ける。まったく根性の無い毛根たちである。さっとなでただけで抜けるとはっ! まあ、それはそれでいいのだが(良くないけど)、抜け毛って、さっきまで自分の身体に生えていたもののはずなのに、妙に汚く思えるのは何故なんだろう?
Feb 7, 2004
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池というのは陸地の中の水圏、別世界である。それなりに大きな池というのは、中に何が棲んでいるのだろうという想像をかき立て、とても面白い。理性ではたいした生き物がいるわけが無いと思いつつも、なんとなくすごい生き物が居そうな気がしてくる。 主と呼ばれるような大きな魚がいると楽しいかもしれない。さすがに河童とかが居るとは思わないが、とんでもなく大きなカエルとか居るかもしれない。 そういえば、最近、大きなカエルを見ない。カエルは環境ホルモンの影響を受けやすい生物らしいから、数が減っているのだろうか? 環境ホルモンの影響で精子が作られなくなるという話は、以前はマスコミをにぎわせていたが、最近は何故かあまり話題になっていない。問題が解決したという話も聞かないから、単純に熱が冷めて忘れられているのだろうか? それとも既にもう手遅れの段階まで来ているから、あえてその話題に触れないようになっているんだとしたら、ちょっと怖いな。
Feb 6, 2004
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エブリデイ(every day)、毎日のことであるが、日記を毎日つけるのはなかなか大変だ。時間がとれなくて、後回しになることもしばしばだ。 楽天の日記は、しりとり日記であるから、ネタがなくなるということは無いだろうが、本体のサイトでつけている日記は徒然なる日記だから、時々ネタが無くなるのだ。そんな時には、何でも良いから一行でもいいから書くようにしている。後日まとめて日記を書くことは、余計に大変だからだ。 うーん、面白くない日記だ。……毎日と言えば、通勤電車に毎日乗っていると、だいたいいつも会う人が一緒になってくる。朝の通勤電車の中は男性中心……。夕方に乗ると女性中心……。そして夜遅くになると、また男性中心……。でも、何故かどの時間帯にもいるのが、女子高生だったりする。お前ら、いったいなにしてんの?
Feb 5, 2004
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声、それも人間の声というのは不思議だ。人間の場合、男女で声の高さが違う訳だが、それと同じ例を少なくとも私は知らない。つまり犬や猫の場合、オス犬やオス猫は、メス犬やメス猫よりも鳴き声が低いとかいう話は聞いたことがないということだ。犬や猫よりも人間に近いはずのニホンザルやチンパンジーなどにおいても、性別により声の高さが違うということを聞いたことがない。もしかして性別によって声の高さが違うのは、人間だけなのだろうか? それともあたりまえ過ぎる事実なので、誰も話題にしないだけなのだろうか? 不思議だ。 ひとつ考えられることは動物の中で人間だけが性別による声の高さの違いというものに意味を見出しているのかもしれないということだ。 結論から言うと人間の赤ちゃんだけが、母親と父親を識別する時に視覚情報や嗅覚情報ではなく聴覚情報を利用しているのではないだろうか? 哺乳類はその名のとおり、生まれたばかりの子供に乳を与えて育てるわけで、子供は母親を識別しないと生きていくことが出来ないということになる。人間以外の哺乳類は、母親を識別するのにすぐに視覚を利用したり嗅覚を利用したりするが、人間においては視覚も嗅覚も劣っているので聴覚により母親を識別する……。ということが考えられたりするのではないかと推測するのだ。 であるならば、母親のほうも父親との違いというものを声においてハッキリとさせる必要があるわけで、そのような理由による進化圧力が男性の声を低く、女性の声を高くしたのではないかと思うのだ。 以上は、知識の裏付けの無い完全な憶測にしか過ぎないのだが、この問題について誰かもっとちゃんとした説明が出来る人がいらっしゃったら教えて欲しい。 検索の仕方が悪いのかもしれないが、少なくとも私がネットで検索した限りでは納得のいく答えは見つからなかったです。
Feb 4, 2004
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海の中に棲んでいるあのぐにゃぐにゃした生き物、それがタコであるが、鯨やイルカのような海生哺乳類とは違って純粋にエラ呼吸をする生物の中で、最も頭が良い動物は文句無くタコであるらしい。あの姿だけを見ているととてもそうには見えないのだが、タコの眼球は哺乳類並に発達しており、まずそれだけでもタコの脳がその優れた眼球から得られる情報を処理するだけの能力を持っていることが分かるそうだ。さらに言うならタコは記憶力にも優れており、良く知られているように機用な手(触手)も持っている。というわけである生物学者が、『もしもタコの寿命が30年程度あったなら、タコは海の中で文明を築いていたかもしれない』と、言ったそうだ。……誰が言った言葉かということは忘れてしまったが、タコ型の火星人というものが想像されていた時代もあったわけだが、あながちそれも荒唐無稽な話というわけでも無いということだ。 まあそれはそれとして、タコは上品に刺身で食べるのも良いけど、丸ごと塩ゆでにしたのをかぶりつくのがおいしそうで良いと私は思う。
Feb 3, 2004
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歌を聴くことは良いのだが、歌うことは結構つらい。特に音痴の人間にとってみると……。というわけで私は音感が悪いです。俗にいう音痴です。だから人前で歌うのはちょっと恥ずかしいです。カラオケなんかに行っても何十年も前からの持ち歌を1曲から2曲歌ってそれで終わりです。新しい歌を覚えることもしないので、ますます歌えなくなります。 ……しかし、歌うのが嫌いかといえば、大声だして歌うという行為そのものは気持良いし好きなのです。だから車を運転しているとき、自分1人の時は、眠気覚ましも兼ねて歌ってます。でも持ち歌のレパートリーが無いので、けっこうアニソンが多くなります。それもやっぱりというか昔の歌とかが多いですね。25年ぐらい前の番組の主題歌とか……。 家族でカラオケに行くときなんかは別に歌う気にはなれないので、妻や子供達が歌っているのを聞いているだけなのだが、仕事上のつきあいでカラオケに行くときなんかは、そろそろ新曲のレパートリーを増やさないといけないなあと、思ったりする。相手が知らない曲を歌ってもちょっと盛り上がりに欠けるような気がするからだ。 しかし、先日、その仕事関係で歌ってから、のどの調子が悪化してきた。風邪をひかなければ良いのだが……。
Feb 2, 2004
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ネット小説を書いていると、その読者からの感想とか、他人の作品に対する私の感想とか、とにかく感想というものとは縁が切れない。商業小説ならば売り上げが上がって収入が増えるというものが喜びとなることもあろうが、ネット小説の世界では純粋に読者の反応が喜びにつながる。 もっとも感想というのは書くのが難しい。どうしても月並みな感想になってしまう。オリジナリティに溢れて、ポイントをついた感想が書ける人はごく一部だ。これは私にも言えることだが、だいたいの人は、『面白かったです。続きを期待します』というのがせいぜいだ。 それを非難するつもりは無い。私もそういう感想しか書けないからだ。そしてだからこそ感想をもらうと嬉しいのだが、難儀なことに【感想をもらいすぎるとちょっと困る】という状況にもなってきたりする。そう、感想に対する返事だ。気合いの入った感想になればなるほど、それに対する返事も気合いを入れて書かないといけなくなってくるので、時間を大いに取られるのだ。 むしろ、月並みな感想のほうがいいなあ~、返事も楽だし……。などと不埒なことも考えたりする。またなんというか、まったく感想が無くても寂しい。実際のところは感想が多い方なので、ぜいたくな悩みだったりする。 一応、私としては感想をもらいたいという気持ちは既に飽和するぐらいに感想をもらっているので、後は書き続けるだけである……、のだが、なかなか時間がとれないのでした。m(_ _)m
Feb 1, 2004
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