2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全9件 (9件中 1-9件目)
1
パウロは初代信徒の中の文化的障壁を解消するために知恵を絞り、その一環として、同性愛行為を忌避する立場を優先してローマ人を指導した。当時、クリスチャンは少数であったから、他の少数者には配慮する必要は無かった。しかし、多様な独身者を尊重していることも認めなければならない。かつては「宦官」という訳語が当てられてきたが、‘生来の宦官’として言及されたように、もともと性同一性障碍も視野にあると言える。キリスト・イエスは他の羊の群れは放置しても迷子の羊一頭を捜しに行く、と語る。その弟子の書簡に奇妙な記述があるのは、不都合と思うが、偶像崇拝、神の性器化(=性器神格化)、人間神格化、と結び付いた儀式的または呪術的な行為は、明らかに互いの体を卑しめるものとして指弾されるだろう。
2009/04/28
コメント(4)
ヘブライ(ユダヤ)人は唯一神に仕える選民として、子孫繁栄に尽くしました。同性愛は論ずるに及ばず、独身や不妊も肩身が狭かったはずです。これに対し、初期キリスト教徒は多様な独身者を認め、祝福しました。今でもカトリック等の聖職者は生涯独身を誓いますが、この新しい伝統に依っています。イエスの弟子たちは、初婚の相手と死別して再婚した者がその後、天国に行くとどうなるか、という疑問に対し、結婚・夫婦関係は現世限りのことであると教えられていますから、これらの事には重きを置きません。もちろん、性同一性障碍はイエスとその弟子達の関心を引くものではなく、その中の誰かが本気で同性愛を糾弾するとは思えません。ユダヤ人への伝道を続けながら国際化した信徒集団をまとめる政治的選択から生まれた書簡ではありましょう。
2009/04/25
コメント(0)
カルトを批判する牧師(プロテスタント主流)と、汎神論を清算できていない元カルト信者との間で、自然神学について交わされた対話を拝見しております。これに関連して、やや異なる考え(文章表現)を披露しておきたいと思います。 パウロは創造説に立っています。したがって、被造物や偶像が神に似ているとは考えませんし、これらの間に神と共通の性質がある、などという考えを認めるわけがないと(私も)思います。しかしながら、被造物を通して神の性質を知りうるという、当時普及していた考えを全て否定したわけでもありません。むしろ、その考えを認めた上で、やはり、神の性質は被造物の性質とは全く異なると考えたはずです。当時の学者たちも、神の性質は被造物において知りうる、という考えを教えていましたが、他方、世間では、動物などに似せて作られた神の像や、英雄的な戦士・皇帝の類を神のように崇敬する態度が求められてもいました。そこで、「彼らには弁解の余地が無い」と指弾するのです。パウロの書簡は、実質的には自然神学を否定しているかもしれませんが、少なくとも表面上は、ローマ人に自重・自省を求める立場から、自然神学の言い方を引用しているのです。それなりの知恵があるならば、偶像崇拝、人間神格化の (異教的または世俗的儀式の) 馬鹿らしさは分かるはずであり、また、素直に考えれば、被造物は人間などに作り得ないことも分かるはずです。よって、それを造った神を具体的に知りえないことも明らかで、とてつもなく偉大な存在であると察するしかないということもやはり簡単にわかることであると思います。そうであるのに、彼らは神と人間の圧倒的な差が見えなくなり、役に立たない思想に囚われ、都合良く人間を神格化し、あるいは神格化を看過し、追随し、利用します。すなわち、故意に真理を歪曲しています。そこで、真理を妨害し、真実を抑圧している悪人、であり、神に反抗する逆賊とみて怒りを向けるのです。ギリシャ・ローマの哲学は一見高度でしたが、自己過信に陥り、自らを律するには頼りないものでした。偶像崇拝という古来からの愚行に反対せず、ただ快楽を追求するだけであり、同性愛行為と平行して不妊や出生率低下も憂慮されました。神から与えられた生物の役割から見て、特にユダヤ人の感情からすれば、生殖以外の目的に生殖器官を乱用することは忌むべきことであり、ユダヤ人クリスチャンもローマ人を侮蔑していました。ロマ書はこれらの問題に取り組む意図をもって書かれた書簡ではあるのですが、1:18で指弾されているのは、創造説が分かっていない不出来な自然神学の徒であることは明らかでしょう。ただし、もっと低級な汎神論もありますから、不出来な自然神学がよくできた考えに見えてしまうのも、やむをえません。
2009/04/23
コメント(3)
僭越ながら、ローマの信徒に宛てたパウロの書簡への感想です。重要な表現を摘示します。ロマ1:18-19The wrath of God is being revealed from heaven against all the godlessness and wickedness of men who suppress the truth by their wickedness, since what may be known about God is plain to them,because God has made it plain to them. 神は悪意から真実を抑圧する人々に対し、もとより神について知られることが明白になるようにしていたのであり、その人々のすべての不信仰および悪意に対し、いまや神の憤りが天から顕されつつある。スペイン語Porque la ira de Dios se revela desde el cielo contra toda impiedad e injusticia de los hombres que detienen con injusticia la verdad;porque lo que de Dios se conoce les es manifiesto, pues Dios se lo manifestoacute.真実を不正に停止する人々のすべての無慈悲と不正に対して、天空から神の憤りが明らかになっており、神が明らかにしている通り、神がどのようなものか明らかに知られているからである。フランス語La colegravere de Dieu se reacute vegrave le du ciel contre toute impieacute teacute et toute injustice des hommes qui retiennent injustement la veacute riteacute captive,真実を不当に虜にしている人々のすべての冒涜と不正に対して、神の怒りは天空から顕になっており、・・・中国語原來,神的忿怒從天上顯明在一切不虔不義的人身上,就是那些行不義阻■真理的人。元来、神の憤りは天上から、正義ではなく真理を妨げる人である、すべての不誠実で不正義の人の身体にはっきり表わされる。・・・ギリシャ語αποκαλυπτεται γαρ οργη θεου απ ουρανου επι πασαν ασεβειαν και αδικιαν ανθρωπων των την αληθειαν εν αδικια κατεχοντων・・・不正に真実を捕えて所有する人々のすべての無礼と不正・・・(1:22-23)Although they claimed to be wise, they became fools and exchanged the glory of the immortal God for images made to look like mortal man and birds and animals and reptiles. 人々は自らを賢いと主張したものの、人々は愚か者になり、常住不滅の神の栄光を無常の儚い人間と鳥と獣に似た像に取替えた。・・・以上の通り、パウロは、自らを賢いと称し、悪意から真実を抑圧する人々のことを「人々」「彼ら」として指弾しています。他方、悪意によって真実を抑圧しない人々は敢えて自らを賢いと称する必要もなく、もちろん問題の外にあります。さて、■エデンの園に登場して人間始祖をそそのかした者は、どちらでしょうか。■「科学的で論理的な新しい真理」とは、どちらの考えでしょうか。■「被造物に共通する性質から推理した神観」とは、どちらの神観でしょうか。 とくに、有性生殖しなければ寿命が尽きて滅亡する種類の生物に似せた神観念はどうでしょうか。いうまでもなく、それらはパウロが指弾している彼らの考え、であると思います。加えて、今日、彼らは有性生殖する生物に似せた性的な神の像をもって神観とし、そのような神に仕えるため、互いの性的な行為によって自らを神に似せようと試みてきました。その秘部を隠すために、これからも際限の無い嘘を吐き続けなければなりません。真実を抑圧するために莫大な資金を必要とし、嘘偽りの霊能によって資金を集めようとしてきましたから、世間の憤りと悪い印象は 払拭できそうもありません 募るばかりです。
2009/04/21
コメント(2)
信教の自由私は、真実を知りたくない人に真実を知らせる必要は無いと思っています。イエスは病人などに訊きました。「あなたは治りたいですか?」と。反対(批判)している牧師や元信者などと統一教会の食口が接触して、巧妙に説得(十分に情報提供)されてしまうと、棄教する(目覚める)ことになりかねません。ネット上に登場すると、そのような危険に曝されます(好機に恵まれます)から、信仰を貫きたい人はやめたほうがよいと思います。しかし、わざわざ元信者に絡んでいる誰かのように、言葉がよく理解できずに「もがき苦しんでいる」かのように見える人は放置できません。(・・・上から目線で申し訳無し。)断食を見守る親反体制派学生団体のメンバーは、ハンガー・ストライキというのをやるようです。抵抗の手段かもしれませんが、そんなことをして心を動かされるのは友人・家族などの身内と味方だけです。真の敵は嘲笑しているに違いありません。本当の親にとって、こどもに食事を断たせたり、満足な食事を与えなかったりし続けることは辛い事で、日々、迷い苦しむはずです。もちろん親も安心して食事できません。教祖夫妻を「親」と仰ぎ、同時に実の親も大切に思っていて、合計二組もの親がいるという立場にあって断食決行によって心配を掛けるとは、痛ましく情けない話で、親不孝極まりないと思います。(・・・信者が痩せ衰えるほど断食させて平気な教祖夫妻であれば、誰も信じないはずです。)対立する二組の親を同時にどちらをも苦しめるくらいであれば、せめて、どちらか一組の親を安心させてあげて欲しいところです。もしも、どちらの親にも異存が無ければ、本人が反対牧師と直接対決することで根本解決できるのではないでしょうか。憲法と人権例の団体では、メンバーになった者の家族が逃げ隠れするメンバーとの話し合いを求め、自宅に閉じ込めるといった「お家騒動」があります。もちろん、家族の痛切な思いは自然なものであり、これは禁ずることはできません。とはいえ、市民を拘束することの是非を国家が判断するのは、近代国家の権能には基本的に含まれません。憲法とは国民の権利章典であり、ともかく、まずは自由権を保障しています。とりわけ信教の自由は、近代国家が国民に「国教」の類を推奨・強要してはならないという観点から、厳格に守られなければなりません。しかし、公共の福祉と矛盾する「自由」を無制限に認めるわけには行きませんから、他の人々の権利・自由との調和を図ることがときとして難問になります。親権と信教の自由に基づいて、こども(未成年者)への医療行為が拒否される場合があり、親権停止のための司法判断を要することもあります。例の団体のメンバーがどこかに押し込められている(保護されている)とき、本人の判断力が正常であると認められるならば、家族の考えに拘わらず、人身の自由に基づいて拘束を解く必要があります。家族は初めから例の団体の濃密な心理・情報操作によって本人の判断力が奪われていること自体を憂慮しており、これを解決することが根本問題ですから、裁判所は慎重に取り計らっていただきたいところです。そのための法整備が必要かもしれません。
2009/04/13
コメント(8)
ある事をすればこの世の苦しみ、煩悶、絶望などから救済・解放される、というごとき「自力救済」の教えについて。コインを入れれば直ぐに商品が出て来るという機械仕掛けの教えならば、たちまち結果が出る。いつまでも商品(功徳)が出て来ない中で待ち続ける少数の者(現役)と、騙されたと気付いて離れる多数の者(元)がいるだろう。コインを入れること(修行・布施)自体に無条件で意味があるなら、救済と関係付ける理由も無い。他方、何もせずとも、いつか救済される・・と説いても、相手にされないかもしれない。人々がどちらを選ぶか、好きずきである。その好きずきは与えられたものなので、他力の教えは最強である。他力の救済が来世に引き継がれるように、現世で用意できることは無いだろうか?あるとすると自力の教えになり、振り出しに戻る。教団の指示に頼る「自力」は、ただの依存であり、教団に依存しない他力は少なくとも教団から自立している。もちろん、「先祖の因果」説や霊魂不滅説にも依存しないし、やがて輪廻説にも依存しない境地に到るだろう。
2009/04/11
コメント(0)
ちょっと思い出しましたが、例の「人工衛星打上げ」は無事通過しましたね。「過ぎ越し」のようなものでしょうか。おめでとうございます。市ヶ谷では通行人に見えるところに迎撃ミサイルを飾り、花見を兼ねて見物させましたね。緊張感があって良い、という都知事のブラック・ジョークも聞かれましたが、戦争ごっこをやりたいのはよくわかりました。このような試練(?)に対し、私たちはどのような姿勢を示すべきでしょうか。日本攻撃に必要ならノドン・ミサイルが十分にあるそうで、もちろん、今回は攻撃の意志はありませんでした。北の意図は米国に対して攻撃能力を誇示することです。忘れられるのは困るのでしょう。しかし、米国を本気で怒らせたらお終いです。そのどちらでもなく、常に悩ませることが狙いなのです。援助を引き出すためだけのミサイル商法。したがって、日本は米国が怒るのを待ちながら、何も悩まず、忘れていることが賢明です。・・・あ、思い出すんじゃなかった。(自爆
2009/04/07
コメント(1)
タントラ・ヴァジラヤーナ、とは、真言秘密金剛乗と訳される仏教用語である。ウィキペディアによると「悪業を積み続ける魂を救済するために殺害すること、貪り多き魂を救済するためにその財産を奪うこと、嘘を使って真理に導き入れることなどが、天界の菩薩の修行として説かれている・・・」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%A6%E3%83%A0%E7%9C%9F%E7%90%86%E6%95%99 麻原教団はこれを根拠として無差別大量の毒ガステロを仕掛けた。目的のためには手段を選ばない、目的は手段を正当化する、という考え方はロシア急進左翼、レーニンの考えとしてよく知られるところであるが、これに結びつけたのである。さて、キリスト教ではどうだろうか。新約に描かれている伝説を見ると、開祖キリスト・イエスは「上着を売って剣を買え」と弟子に言い付けたものの、その意味はよく分からない。剣を持った弟子は「敵」の耳を切り落としたが、イエス先生は耳を繋ぎ治し、剣を仕舞わせた。そして、「剣によって立つものは剣によって滅ぶ」と教える。・・・いったいどちらなのか。さて、ドイツ人が熱狂的にナチ党を支持していた時代、これに反抗する勢力があって、カリスマ的な指導者である総統を排するために暗殺を企てる。ボンヘッファーはその一員だった。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%B3%E3%83%98%E3%83%83%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC 「隣人のためにその罪を自ら引き受ける者が彼の時代には必要であると・・・」wikipedia言い換えれば、罪を犯すほどの熱い隣人愛、である。現代の中南米を中心に、カトリック内部では「解放神学」という急進派が問題になってきたが、プロテスタントにはさらに前から同様の暴力的な要素があるわけだ。このような思想はファシズムの側と戦ったことを誇る国々の側で、大義名分としても再利用できる。実態はともかく形式論理としては、ファシズム再来を防ぐために不可避な実力行使を説くことで、暴力的な立場にある自分たちを「聖戦士」として美化できるからである。ここから発展して、全ての経済活動が資本主義の枠内で行なわれているとき、これに抵抗して地上天国建設に不可避として、詐欺や恐喝を働くことを美化できるだろうか。また、カルト信者は保護しなければ目が覚めないからと、幽閉することを美化できるだろうか。モーセは自らの若い正義感によって殺人を犯したにもかかわらず、十戒によって「汝、殺す勿れ」という神の命令を人々に示した。これは自己矛盾なのだろうか、いや、そうではなく、自己反省だったのではないだろうか。
2009/04/06
コメント(5)
善因善果、悪因悪果を説けば、勧善懲悪に繋がる。これは現世利益(世直し)になるだろう。いや、ならないとしても、善良な人々が悪人を呪わずに済むかと思う。正義漢(暗殺団)は手加減し、報復を恐れる悪漢(腐敗権力)は少し安心でき、共存できるだろう。治安(支配体制)維持には役立つ。しかし、もちろん、因果応報を証明することは容易ではなく、敢えて信じるに留まらざるを得ない。精神安定剤。暗殺団の類が次の体制を造り、それが腐敗権力に転落して行く事が反復されている。現世、穢土の輪廻か。
2009/04/03
コメント(2)
全9件 (9件中 1-9件目)
1