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今回は、特定の一個の宗教団体から熱烈な支持を受けている政党から多数の落選者が出たが、これは「信仰心の強さ」とは関係が無い。http://news.www.infoseek.co.jp/society/story/20090831jcast2009248498/毎日放送は、上記記事のように、明確に否定している。これまで当選していたのも、今回、落選したのも、関係者の信仰心とは関係が無いという説は賛同できるが、少し整理しなければならない。まず、新人が立候補するには覚悟・勇気がいる。本人の「信念」はこの立候補には大いに関係がある。落選することが端から分かっていても、立候補する必要を認めて自己犠牲的に立候補することもある。他方、再選が可能な現職(元職)が繰り返し立候補するにはさほどの覚悟はいらない。これまでの連立を維持するのも同様だ。これまでの路線を厳しく見直し、敢えて政策を転換したり、連立を解消するのは、勇気がいる。引退するのも同様だろう。光が当らない社会の底辺に目を凝らし、微かな呻き声にも耳を傾けることは、容易なことではない。そのような特異な力を発揮している者の中には、もちろん信仰心が篤い者も居るだろう。そういう場合には、個人の宗教も関係がある。しかし、集団化してしまうと、個人の信念・勇気・覚悟などは効果が減殺され、むしろ、盲信を招き、力を発揮しないので、信仰心の強さは組織の勝ち負けの原因とはならない。
2009/08/31
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というご発言に、いろいろ批判がある。そんな状態に青年を追い込んだのは与党でしょ? というあまり面白くない、いや、クソまじめな突っ込みだが。世間話や人生相談のような対話で、総選挙をたたかう党首という立場とは違いすぎる。もっとも、答えようがない質問ではあるので、なんとか、はぐらかす必要があったのは認める。そこで、老人の知恵が試されているのだが、「一人口は食えないが、二人口は食える」ぐらいのことは言って欲しかった。ふだん、マンガしか読まないから・・・。
2009/08/27
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「あくれい」と聞いて、「悪例」かと思った、という元信者の体験談があります。キリスト教の訳語「さんみいったい」は、仏教用語から同じ読み(音)のまま借りています。しかし、呉音から漢音に変更して借りているものもあります。たとえば、「れいはい」という読みは、漢音ですが、仏教用語「らいはい」を借りています。また、「ざんげ」「せいじん」は「さんげ」「しょうにん」から借りていると言えます。 在来の日本語には「悪霊」のほかに「精霊」「死霊」「生き霊」「怨霊」という言葉がありますが、これらは「らい」「りょう」と読んでいます。 「おしょうらいさん」という先祖の霊たちは、遠方から虫などに乗って来て、草葉の陰から子孫を見守る・・・と老人から聞いたことがあります。 キリスト教の訳語には「聖霊」がありますが、聖徳太子の慰霊祭(聖霊会)に使われていた「しょうりょう」と重なっています。 日本には、悪人正機説に到ったほど高度な仏教があるにもかかわらず、それでも悪霊の働きに恐怖する人達は、仏教以前の信仰に留まっているのかもしれません。近年、善人の死霊を善霊(ぜんれい)、悪人の死霊を悪霊(あくれい)と呼ぶ、という宗教が韓土から渡来しましたが、甚だしく道を外れているので、ぜひとも善霊からの忠告に従ってほしいと思います。
2009/08/24
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TT早川氏のブログに寄せられたコメントからご紹介します。間違った記事を書かれたら、誰だって怒るとは思わんか。ビートたけしは私生活に関することをフライデーに書かれ、トサカにきて、講談社に殴り込みをかけた。良くない行動じゃけど、気持ちはわかるなあ。確かに、法的解決のレベルでいえば、名誉毀損で講談社を訴えて、数十万円(当時の相場)をもらう。それが正しい解決方法なんじゃろうけど、私生活を暴露されて、人と人との関係が傷ついて、数十万円を分け合って、それで解決? 月刊「新東亜」の記事に抗議した一部の韓国人信徒に同情する感想のようです。 無名料理研究家の一般女性と交際していた小説家の井上ひさし氏の場合は、写真週刊誌とは法廷で闘うことを選び、勝利しています。しかし、北野氏は後に映画監督として「その男、凶暴につき」を制作しすることになりますが、当時から、たけし軍団は、テレビの中では「風雲!たけし城」のように、はちゃめちゃな子どもっぽいことを大真面目で演じることで人気を博していましたから、 写真週刊誌を相手に、黙って耐える、司法の手続きに訴える、という善良な市民のようなふるまいは、ファンの幻滅を招き、商業的価値を損なうおそれがありました。残された選択としては、「馬鹿殿の討ち入り」しかなかったと思われます。2000年前、イエス・キリストは自ら神殿で両替商の店に殴りこみをかけましたから、宗教者は非暴力であるべきだ、などとは言えません。むしろ、律法と司法的秩序に挑戦する姿勢を示していました。北野氏の問題点は、プライベートなことに弟子たちを巻き込んでしまったことだろうと思います。さて、天一国の殿さまはどうでしょうか。殴りこんだのは家臣であって、ご本人ではありません。これは、潔さという点で見劣りします。統制が利かないのか、使嗾したのかは不明ですが、世界規模の組織 とは思えない乱れた行動は、さすが、たけし軍団にも似るはちゃめちゃ な新宗教だ、と嬉しくなります。統一教会が嫌いな人は、どんなことでも、統一教会にマイナスになるようなことを、喜び勇んで書く(まるでカルトさんと同じ)けど、それで終わり。深く考えようとはしない。ちょっと思考停止なんじゃなあ。ネット上で議論・研究を深めて行きたいと思います。本ブログのコメント欄では、読者から他人(敵側)へ向けた批判はご遠慮頂いていますが、私個人へのご意見・ご叱責は歓迎いたします。教祖の顔写真を世間に知らしめることは、私の体験から、違法な覆面布教を阻止するために有益と考えています。江本龍明少年の肖像写真は、約70年前の撮影当時、ソウルの無名写真家に権利(財産権、無断で販売されない権利)が発生したほか、一般論として、被写体にとっても人格権の侵害(公表されると恥ずかしい、分派に流用されるetc.)がありうることは念頭に置いています。本ブログは統一協会から派生した「摂理」「禹グループ」などの集団とは関係なく、正面から反対するものです。また、いままでのところ、団体関係者各位は「反対する奴もいるからおもしれえんじゃないか。」という被写体のご発言を踏まえていらっしゃるようです。
2009/08/24
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統一教会は、結婚(祝福)によって完全に救済されるという教えを奉じており、イエスの復活によって救済が約束されている、とは信じていないため、教会で懺悔の祈りを捧げようという考えは無いのでしょう。大事なのは、為に生きること、すなわち、結婚生活を維持し、子孫と死後の幸運のために、教祖と教会を支える(献金する)ことであって、日曜礼拝ではありません。もちろん、熱心な信徒は家族総出で毎日曜日に出席するでしょう。しかし、キリスト教にはもともと関心が無かった人も入信しており、さらには、結婚の人数合わせのために勧誘されたかのような人達もいます。他の宗教はどうでしょうか。モーセの宗教では安息日(土曜日)が強調されており、厳守しなければなりません。今日のユダヤ教はこれを守っています。キリスト教は、ユダヤ教団とは一線を画し、毎週日曜日をイエスの復活の曜日として、礼拝を守っています。イスラム教は、金曜日の朝に集会を持つという戒律があり、戒律は厳しく守りますが、金曜日を神聖な曜日とするものではないそうです。われわれ日本の仏教徒は、お寺の法要に参列しますが、彼岸と盂蘭盆の年3回で十分と思われています。葬送は特に丁寧で、高額な戒名料を納めることだけは欠かしませんが、それでも初七日から49日まで続く毎7日の法要は、忙しい現代では守られていません。創価学会は宗門(お寺)から破門されましたから、お寺には行きませんが、会館に集まっています。KOMEI党の選挙は特に大事な活動です。ちなみに、×AKA氏は、先祖の霊に守られている、と口走っていますから、いわゆる仏教系です。×AKA氏のように、ほとんど日曜礼拝に参加していないとしても、本人は熱心な信者であると思えるのは、これらの背景から、理解できます。
2009/08/21
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すでに政権交代は織り込み済みの気配ですが、政策の選択としては、不毛ではないかと感じてなりません。 糸山英太郎氏のご意見を引用、ご紹介します。氏は元・保守系政治家であり、典型的な「資本家」でもあって、もちろん庶民の味方というつもりは毛頭ありませんが、内容的には妥当と思いました。・・・日本経済を建て直し、好況のなか潤沢な税収を確保するしかない。日本企業に積極的な設備投資をさせる、日本人に活発な消費をさせる、日経平均株価を大幅に上昇させる。・・・・多くの日本人は信じないかもしれないが、実は今でも日本には力強い企業家とお金がたくさん眠っている。今は日本の政治に失望し、過剰な守りに入っている状態なのだ。・・・・企業家と大きなお金にリスクを取らせることによって好況を引き寄せ、結果庶民の生活が守られるというプロセスに気付いてほしいのだ。このような経済における波及効果はこれまで歴史が何度も証明しているではないか、政治はこの経済のツボというべき場所を刺激できる唯一の存在なのだ。・・・・(下線は引用者による。)経済成長の源泉は、新しい市場(需要)、新しい資源、新しい技術です。これらを開発・発掘することが、国の財布を膨らませる道なのです。出生率低下による市場の縮小を防ぐためには、子育て支援を定着させることは当然ですが、やはり、その財源を作る必要があります。将来の消費税増税が見えているのでは、さらに消費が冷え込みます。わが国の経済体制が計画経済によっていない以上、「国民が主役」の政府といえども、資本家の欲望を煽り、不安を鎮め、民間の自発的な投資を促進しつづける必要があります。国債発行でハコモノ作りを続けるのではなく、むしろ、これまで焦点が当たっていなかった分野へも税制の支援を拡げる、投資促進税制によって躍進と成長へ導けるのではないでしょうか。財務官僚主導の無定見な増税によって、未来を閉ざしてしまうのではなく、財政健全化の面からも、大企業・民族資本家を含めた国民総参加の税制を追求し、政治主導のもと、経済成長戦略が優先されるべきです。
2009/08/20
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×AKA氏は日曜礼拝にも顔を出さない「名ばかり統一教会員」なのに、ネット上では熱心な信徒として振舞ってきました。これは何故でしょうか。平日は信仰を忘れているようなクリスチャンでも、日曜日の礼拝には行くだろう、それとは大違いではないか、という指摘もあります。http://blog.goo.ne.jp/tthayakawa/e/e8b0ccb9732f21e883ccc440bea419da ひとつには、統一教における礼拝の位置付けが、キリスト教とは異なります。キリスト教会で、日曜日に集まったり、そこでパンを食べ葡萄酒を飲む行事(聖体拝受)を行なったりするのは、十字架の受難前夜、最後の晩餐から日曜日の復活までのことを記念するものです。十字架の贖罪が人類の救済を約束したというのが信仰の核心だからです。 これに対して、統一教は、十字架の贖罪は霊魂の救済にとどまり、原罪の遺伝から肉体を救済できていない、と断じたうえ、十字架の契約ではなく、「血統転換」の秘術によって肉体・遺伝子の改造を施す必要があるといっている、いわば土俗的な医術です。ここから、日曜礼拝の位置付けが低くなり、たとえば、韓国では総選挙に大量立候補した際、選挙運動で忙しいという理由で、教会が日曜礼拝そのものを休み(臨時休業)にしました。 ご存知の通り「血統転換」の秘術とは、教祖夫妻を中心とする男女の組み合わせであり、これによって生まれる子女には原罪が遺伝しないと期待されています。 ×AKA氏のように統一教会が置かれている社会状況に疎い人が、信徒を自任して、正式の「夫」役になっているのは何故か、を知る必要もあるでしょう。熱心に活動している若い女性に秘術を施してやるためには、「新郎」役を調達する必要がありますが、ここで、世間に疎い男性を標的にすることが肝要です。とにかく、常識(偏見)を備えている人では怖がって近づきません。うまく誘い込むことができたとしても、教会が置かれている厳しい現実などはなるべく見せないほうが賢明でしょう。無知の温存。 こうして、何も知らず、統一教会員であると自任する被害者男性ができあがります。しかし、世間は厳しい。幹部が逮捕されて、会長が引責辞任するという事態に危機感が募ります。ネットの記事の多くは自分たちの教会を無法集団かのように描いています。何とかしたいと思うのは、親としても夫としても当然でしょう。しかし、器量を超えた行動は空回りして妄動に終始する結果に。 ※ 補足があります。↓ http://plaza.rakuten.co.jp/jijii50/diary/200908210000/
2009/08/20
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われわれの「無闇に従順な国民性」の問題を考えたい。迷える子羊は、もしも、羊飼いが探しに来ないのであれば、自力で羊小屋へ帰らなければならない。創世記の中で、兄カインは弟アベルの成功を激しく嫉妬して理性を失ったが、激しく嫉妬することは、彼ら兄弟のどちらにもありうることであり、兄弟どちらにも自律心と理性が求められていた。仮に、弟が生まれなくても、カインは自らを律することが求められていたはずである。われわれの国民性は伝統とともに多分に教育によって形成されている。たとえば、「お兄ちゃんは大きいのだから我慢しなさい」と躾ける日本の親はおかしいのではないだろうか。大きいかどうかは、我慢とは関係が無い。お兄ちゃんの心情を汲みつつ説得するのが親の仕事だ。創世記の記者が求めているのは、常識的には兄弟間の「従属」ではなく、おそらく相和であろう。弟アベルは、神に顧みられない哀れな兄カインの心情に対して十分に配慮しなければならなかった。その配慮が徹底していれば、兄は嫉妬心から救われたかもしれない。 兄が不出来だからといって、弟は弟であることを辞めることはできない。 漢藉の一節である。 君(きみ)、君たらずといえども、臣(しん)、臣たらざるべからず。http://www.sanabo.com/kotowaza/arc/2004/09/post_1747.html ・意訳 トップが暗愚であって、トップとしての責務を満足に果たしていなくても、幹部はどこまでもトップを支え、組織のために尽くさなければならない。 これは、「古文孝経」とされるもの(偽書?)から引用されてきたもので、孔子自身の教えとはいえないようである。絶対的な忠誠を求める旧弊、前近代的、不公平、非民主主義的な教えだと感じられるのは当然で、このような感想に賛同しないわけではない。 しかし、別の解釈もできるのではないか。 臣は、君の指示・命令がどうあれ、天の命ずるところを追求し、君が名君であろうが暗君であろうが、天下国家のために働くべきである。仮に、天が現在の君を廃するときも、臣は臣として天下国家のために働くことに変わりは無く、天から賜った新たな君の下に仕えることもまた可である。 このように、臣の自律を読み込むことは可能であり、易姓革命思想とも両立する。 弟(臣)は不出来な兄(君)の心情に配慮することが求められるのであって、兄(カイン)に向かって無条件に従属を要求する弟(アベル)がいれば、むしろ、人倫に悖(もと)るだろう。 例の団体は上級・上司をアベル(弟)と呼び、下級・部下をカイン(兄)と呼ぶから話はややこしいが、ローマ法王は「僕(しもべ)の僕」というから、それと同じことだろう。 真意は、真に指導力がある者が指導者になるのが道理であるということであり、その指導力とは、新世の販売員や○AKA氏らのように水子の霊の類を持ち出して恫喝する威力のことではなく、心情を汲むことができる細やかな親切心のことである。 蛇足だが、昭和一桁に軍人が謀反を起こしたのは、「順逆不二」といいつつ、じつは下克上ではあるが「自律」の表れともいえる。終戦時にも聖戦貫徹、本土決戦を呼号する群れが起った。北朝鮮の事情も相通ずるところがある。戦時下、「半島人」の多くは、他の日本臣民と同様に「鬼畜米英」との地上戦を覚悟していたはずだ。しかし、1945年の終戦時、朝鮮半島は日本から切り放され、北半分はソヴィエット・ロシアの占領下に置かれた。天皇政府は核戦争廃絶の立場に転じ、「聖戦」の永久放棄を宣し、臣民に降伏を命じたが、半島北半部の旧臣民は太平洋戦争を開始した1941年(昭和16年)以降、休み無く米国との軍事的対立、緊張を続け、今日に至るまで、その残虐なる新型爆弾の脅威と対峙している。天皇の代役はいうまでもなくキムイルソン将軍が演じていたが、いまでは三大将軍という3世代が皇室の代役となっている。このような経緯を踏まえて北の「主体思想」などを評価すると、帝国臣民の一部が昭和天皇の勅命から離れて自律的に米国との死闘を継承し貫徹しようとするポジションにある思想であるという見方もできる。三大将軍は大日本帝国に対する順逆不二の立場にある日本軍国主義の亡霊なのか?
2009/08/19
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会社では「上司」、軍隊では「上官」といいますが、部下に命令を下す立場の人たちが居ます。これらの主従関係の根拠はどこにあるのでしょうか。それは、会社は株主の財産であること、軍隊は税金で雇われる国家の機関であることに根拠があります。ところが、八路軍(人民解放軍の前身) は農民のボランティアの軍隊であるために、階級制を布きませんでした。兵士の平等を強調し、階級章もありませんでした。ユーゴスラビア連邦(非ソ連系の社会主義国) の協働組合は、株主や国家の財産ではなく、労働者が自主管理するものでした。彼らがこのような形式を追求したのは、資本主義(資本の支配)や官僚の支配から脱するという理想を掲げたためでした。 宗教団体では、教祖が絶対的権威を独占し、職員と信者はこれに従属していることも珍しくありません。一部の政党でも、党首(総書記など)が絶対化され、特に、革命党では、古参幹部(幹部会など)が主導権を握ります。宗教団体や政党・革命党は資本家や国家のものではありませんが、上下関係は厳しいことが少なくありません。その根拠はどこにあるのでしょうか。敵対勢力との緊張関係があるために、指揮命令を一元化する必要があること、入信・入党が容易ではなく、絶対の信頼を寄せることによってのみ、決断できることに起因しているようです。 指導者を盲信しなければならない。しかし、指導者はどんな場合も、誰かの命令、機関決定によって誕生するものではありません。大衆から信頼を得たときに誕生するものです。文鮮明教祖は日本の統一協会組織に向けて繰り返し警告し、「人事」の発令によって上司(アベル)が任命され、その日から早速、部下(カイン)に業務命令を発するという実態を改善しようとしました。 しかし、それは成功していないようです。まるで、天皇の軍隊のように、アベルの命令は真のご父母さまの命令と受け取って、無理を重ねます。 こうなると、教祖は奴隷主と同じです。統一協会が日本で見せている顔は、現代の奴隷制集団なのですが、「人間所有権」の教理と、われわれの無闇に従順な国民性とが共鳴してしまっているのではないかと思われます。
2009/08/18
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「所有権」は物権の一種であり、その権利の客体は「物」であり、すなわちそれは所有物です。なお、一部の国では無形物を含んでいるようです。わが国では有形物が「物」とされます。なお、電気は窃盗罪においては「物」と看做されるように、わが国でも拡張を伴うことがあります。物の利用などが目的であることから、所有権などの物権は「財産権」に属します。さて、原稿用紙や書籍は人工の動産ですから、もちろん、誰かの所有物です。これに対して、作品の内容・文章などは、物(動産)ではなく、誰かの所有物ではありません。それらは「著作物」といわれ、これを商業的に利用する権利は「著作権」に属します。この面から著作権は「財産権」です。しかし、著作者は、勝手に改作されるような被害からは法的に保護されますから、財産権である前に、「人格権」でもあります。人間の大部分の人々は、自己の頭髪を自ら所有していますから、自由に処分できます。(もちろん頭髪が無い人は除きます。)他方、他人の頭髪を奪えば、財産権を侵害する前に、人格権を侵害します。人体の一部を奪うのですから、強盗傷害になります。さて、「個人」を所有権の客体にすることは、財産権以前に、人格権侵害です。・・・そのような思想を有する団体があるとすれば、法的保護には値しないと思います。また、著作物の一部無断転載は、それが正当なもの、すなわち引用である限り、著作権を制限します。引用の正当な目的には、著作者の考えを批判することも当然に含まれており、間接的には、著作者の人格権を制限しています。 引用 → 無断転載 → 著作権侵害 → 所有権侵害 → 窃盗 → 泥棒・・・と主張する某集団には、引用されて批判されることを認めることを求め、加えて、人間に対する「所有権」という観念を清算するよう求めます。
2009/08/17
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‘独立’のためには備えが要る。 →同盟国(A)の兵器に依存しても万一の時には疑問がある。 →「奴ら(B)が核を持つ以上、こっち(C)も自ら持つべき。」 ・・・こんな議論に乗ると、小国であるほど、核兵器保有は避けられない。これが正解なのだろうか?世界には紛争中の小国が多くあり、加えて、新たな独立国を作ろうする武装勢力がある。自国(C)の核兵器は信用できて同盟国(A)は疑わしい、とは私には思えない。どちらも凡庸な政治家、官僚の手中にあることに変わりはないはずである。これらの懸念を踏まえるとき、「日本は…」どうするかを出発点にする考え方には正解は無いとおもう。先に「人類は…」どうするかを考え、そのために日本はどうするか、を考え、さらに、日本の政治を「誰に」預けるか、つまり、誰に預けてはならないか、を考えたい。(A)(B)(C) ⇒ 米国/北朝鮮/日本 または、中国/米国/北朝鮮
2009/08/16
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野党の政権公約には子ども手当がある。財源は扶養控除の削減によるというので、女性から見れば、合計特殊出生率低下と年金給付を併せて「生まない女性」を指弾した森発言とも方向は似ている。しかし、個々の家庭が子育てを負担すべきという「小さな政府」論を捨て去って、子育ては国・社会全体が経済的に支えるという理念を据えた点が森発言と異なる。使い道は保護者の良識・自主性に委ねられている点は要注意で、パチンコで摩ってしまう愚かな親もいるという冗句も示唆に富む。パチンコではなく、高い保育料に所得を注ぎ込み、安い給料で働かされる愚を犯すかもしれない。与党の政権公約にも幼児教育の無償化がある。報道では保育園も含めて全額3歳以上の保育料を無償化するかのように伝えられている。7月26日石原幹事長代理発言http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090726/stt0907261226002-n1.htmもし、そうだとすれば、保育時間が短い幼稚園は苦しくなるだろう。子ども手当てのほうが、むしろ、家庭保育との協働を支える効果がある。 無償化は "新しいメニュー" ではなく、これまでの政権公約にも「無償化を目指す」と明記されていた。当時の党本部は「財務省が認めてくれない」ので財源が無く、いつ実現できるかわからないと自白していたが、まるで七夕飾りの短冊ように希望を書いただけのマニフェストで、「責任力」とは程遠い実績だった。その後も今日に到るまで、地方自治体の政権を担っている与党党員たちは、公立幼稚園等の保育料引上げを続けていた事実があるが、「無責任力」の発揮だったといわねばならない。今回のメニューも将来の消費税引上げだけが頼りなのだろう。与野党間の財源論争もあるが、与党政権公約の当面の財源不足から先に解決しなければならないはずだ。とはいえ、国民の目の前で合計特殊出生率に響くような財源論争を展開することは、経済の自滅を招く愚策である。
2009/08/03
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