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東電1F事故から8年が過ぎた。世界は、その事故の過酷さから原発から撤退を始めたが、事故の当時国である日本ではあたかも事故などなかったかのように原発再稼働へと向かう妄動が止まない。挙句の果てに、経産省は原発で発電する電力会社に対する補助制度を画策しているという(3月23日付け朝日新聞一面)迷走ぶりである。原発の電力コストが安いという政府主張を自ら否定してまで原発への妄執から逃れられないでいる。 今日の脱原発みやぎ金曜デモは、日曜に開催日を移して「3.11から8年 女川原発の再稼働を止めよう! 3.24みやぎ行動」として行われる。集会でのゲストスピーカーは、「女川原発再稼働の是非をみんなで決める県民投票を実現する会(みんなで決める会)」代表の多々良哲さん、県内の放射能汚染廃棄物焼却問題に取り組んでいる「脱原発仙台市民会議」事務局長の広幡文さん、継続的に子どもたちの甲状腺検査・保養活動に取り組んでいる日本基督教団東北教区放射線問題支援対策室いずみの服部賢治さんの3人である。勾当台公園。(2019/3/24 13:30~13:59) 空は眩しく晴れあがっているが、風が強い。色とりどりの風車を持つデモ人が集まる勾当台公園野外音楽堂に着くと、阿部文明さんの集会前の演奏が終わったところだった。そう言えば、ギターケースを背負ってデモを歩く阿部さんを見たのは1カ月位前だったろうか。音楽家がデモ人の中にいるというのはとてもいいことだし、ありがたい。 ひと休みするまもなく集会は始まった。あわててカメラを取り出し、最初のスピーカーの多々良さんにレンズを向ける。 2か月間にわたる女川原発再稼働の是非を問う県民投票条例の制定を求める直接請求署名運動は11万1,734名もの有効署名を集めたが、3月15日の宮城県議会で自民・公明の反対で否決されてしまった。 しかし、署名活動や県議会での審議はマスコミも取り上げ、多くの県民の耳目を集めることになった。もともと、従来の世論調査でも6割から7割の県民が原発再稼働に反対していたことを考えれば、再稼働に反対する県民の意識はいっそう確かなものになったに違いない。 知事や自民・公明の議員は、再稼働反対の民意が県民投票ではっきりと示されることに恐怖を覚えて、民意否定の議決に走ったのである。県民の民意を無視するこのような政治姿勢は、いずれその責任を厳しく問われることになるだろう。 県民投票条例の請求運動を通じて、女川原発再稼働に反対する多くの県民の意思が顕在化したことの意味はとても大きいものだ。多々良さんは、そんなふうにスピーチを締めくくった。 勾当台公園から一番町へ。(2019/3/24 14:05~14:15)一番町。(2019/3/24 14:16~14:30) 宮城県内では8000Bq/kg以下の汚染廃棄物を試験焼却する動きが続いているが、脱原発市民会議の広幡さんは最近の経過について報告された。なかでも、試験焼却を終えた黒川広域行政事務組合が2月に本焼却を中止して、農地還元を考えるという判断を示した。農地還元も汚染拡散には違いないが、焼却反対運動の一つの成果には違いない。 もう一つの話題は、大崎市岩出山での試験焼却に対して周辺住民が試験焼却の中止を申したてた裁判のことだった。仙台地裁が現地調査を実施したことにともない、3月中と見込まれていた地裁の判断は4月にずれ込む可能性が出てきたという。 この汚染廃棄物の試験焼却問題には、放射能について十分な知識のない地方自治体や広域行政事務組合の責任者が国や県に煽られるままに判断を強いられるという不幸な構造が背景にある。仙台地裁が住民の安全を考えて、試験焼却中止処分という公正な判断をすることを期待したい。 子どもたちの甲状腺検査・保養活動に取り組んでいる服部賢治さんのスピーチは、「福島県の小児甲状腺がん及び疑いの子供達は、以前の201人から5人増えて合計206人になりました」という話題から始まった。 しかし、この数字が正しいかどうかはきわめて怪しい。福島の子どもたちの甲状腺検査を担っているのは福島医大だが、データ取り扱いのずさんさやデータの隠蔽が指摘されている。加えて、必要な検査を行っていないのではないかという指摘もある。 実際の甲状腺がんデータの隠蔽ばかりではなく、いわゆる「不作為の隠蔽」があるのは確かである。検査をしないことは甲状腺がんを見つけないということであり、見つけないことを根拠に甲状腺がんはないと結論する。これは「不作為の隠蔽」である(この言葉は私の造語だが)。 服部さんは、東電1F事故後、宮城県はたった2回の専門家会議を開いただけで県内での子供たちの健康調査は行わないと早々に結論を出したことにも言及した。ここにも「不作為の隠蔽」の意図があるだろう。 国や県が子どもたちの健康を守ることに不熱心である以上、服部さんたちの取り組みは続く(続けざるを得ない)のである。青葉通り。(2019/3/24 14:30~14:38) 3人のスピーチが終わり、ギターを抱えた阿部文明さんがステージに上がり、「花はどこへ行った」を歌って、集会は終わった。 60人がデモに出発するころから、風はいくぶん弱まったような気がする。デモの周囲を回りながら写真を撮っていると、通行人の中にデモの写真を撮っている人が結構多いことに気づいた。どういうわけか、写真を撮る人に若い女性が多いのだった。ブログやインスタグラムのネタということでもあるのだろうか。 子供二人を連れた外国人の夫婦が信号待ちのデモに興味を持って眺めていたのだが、そのうち奥さんがデモの動画を撮り始めた。信号が変わって家族は先に行ってしまっても、デモが動き出すまで動画を撮り続けていた。 デモと行きかう通行人がどのような意図でデモの写真を撮っているのかわからないが、写真撮った以上、本人ばかりではなく家族や友人など誰かがその写真を見る可能性は高い。原発反対、賛成に関わらず、デモの話題が拡散するのである。これはいいことではないか。とすれば、デモ人は積極的に写真を撮ってもらえるようなデモ(形や見栄え)を工夫することが必要があるのではないか。 デモを終えての帰り道、そんなことを考えたのだが、さしあたって私にはいいアイデアが浮かばないのだった。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也) 小野寺秀也のホームページブリコラージュ@川内川前叢茅辺
2019.03.24
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もう春である。私を待っているヤマメはもうどの川にもいないかもしれないが、3月1日に渓流は解禁した。庭には冬枯れの間から芽を出し始めた苗がたくさんある。しかし、川にも出かけず、庭の枯れ草一本も引きぬこともせず、春はどんどん深まっていく。 だからといって、かならずしもぼんやり暮しているわけでもない。それなりに忙しくパソコンの書類づくりをしていたとき、自分が記入した日付で渓流の解禁日から10日も過ぎてしまっていたことを知ったのだった。 そんな暮らしぶりに特別な不満があるというわけではないが、強いて言えば、積極的(意志的)に選び取ったという気分よりは「やむを得ずにこう生きている」と思ってしまうのが残念なのである。「断固として」とか「果敢に決断して」などという人生には程遠いというのが少しく不満なのである(身の程知らずだが)。勾当台公園から一番町へ。(2019/3/15 18:20~18:35) 少しばかり遅刻して勾当台公園に着くと、急ぎ足の県議会議員の一人と会釈をしながら行き違った。おそらく今日の県議会の報告を兼ねたスピーチを終えて帰るところなのだろう。そのとき話していたのは、「県民投票を実現する会」の人で、その話題は当然ながら女川原発の再稼働を問う住民投票条例案が否決されたことだった。 今日の県議会本会議で東北電力女川原発2号機の再稼働の是非を問う住民投票条例案は、自民、公明などの反対で否決された。一人の自民党議員が採決前に退場し、賛成21票、反対35票だった。自民党、公明党は、県民の意思が明確に示されることを極度に恐れて、民意を汲むことを前提とする議会制民主主義を自ら否定することになった。ただ、賛成票を投じた自公議員の多くは県民投票が実施されれば再原発反対票が多数になることをよく知っていたらしいこと、一人の自民党議員が賛成投票に加わらなかったことなど、再稼働反対を訴えてきた私たちを励ますような情況もまた顕わになったことは大事である。 憤りと励みがあいまって、とても元気にデモは出発したのである。一番町。(2019/3/15 18:41~18:53) およそ5年前に「実態とかけ離れる「個人に線量計」調査 7割の家庭で屋内に置きっぱなし 本紙が伊達市で実態解明」という記事が東京新聞に掲載されていたことを最近のネット情報で知った。「宮崎早野論文」の悪辣さに憤った人が再掲してくれたものだろう。 記事によれば、福島県伊達市では年間の被曝線量を調べる目的で住民の8割に相当する53,000人にガラスバッジを配布したのだという。その結果、66パーセントの人が年間1ミリシーベルトを下回ったと伊達市の集計は記している。しかし、東京新聞が現地調査したら図のように、70パーセントの人がどこかに置きっぱなしにしていたのである。2013年12月23日付け東京新聞から引用 行政サイドの意図と離れて逆読みすれば、伊達市の集計は、家の中に置いたままなのに4パーセントの人が1ミリシーベルトを超えてしまうという深刻な事態を証明してしまっていることになる。つまり、4パーセントの2,000人余りは家に閉じこもってじっとしていても年間1ミリシーベルトを超えて被曝してしまうのだ。ましてや、除染が不十分な市街、山野に出かけたらどうなってしまうのか。 さらに、「宮崎早野論文」はそのインチキさにおいて事態の深刻さは計り知れない。70パーセントの人が家に置きっぱなしだったガラスバッジのデータを使って「被曝線量はとても低くて問題ない」という結論の「科学論文」を書いて政府・行政の判断をミスリードしたのである(もちろん、政府・行政サイドはミスリードされたがっているのだが)。 科学論文なのに、データにまったく信頼性がない。加えてデータ処理(計算)が間違っていたと著者自身も認めている。つまりその「科学性」はほとんど皆無なのである。その上に、個人データを許可なく使用したという重大な倫理違反まで犯している。「何をかいわんや」である。 このような科学者はほんのわずか(なはず)だが存在している。ごくまれに科学的実力以上に評価されたい、高い地位を得たいと科学とまったく無関係な欲望につき動される科学者がいるのは残念ながら確かである。「宮崎早野論文」がその典型的な事例である。青葉通り。(2019/3/15 18:54~19:02) コーラーもデモ人も元気である。程度にもよるだろうが、憤りは人を元気にするらしい。7年もデモを続けていれば、今日のような落胆や憤りは何度もあってそれなりにデモ人は鍛えられているのだ。特段にめげてしまう理由なんてなさそうに見える。どちらかと言えばカンフル剤のような作用があるのではないか。 春の宵は濃い。デモが終わり、繁華街を過ぎ、その闇に分け入っていく気分だが、歩けば歩くほど闇は遠のいていく。歩き始めたとき、濃い闇のなかに紛れてしまうと思ったのだったが、一瞬とはいえ、どうしてそんなことを思ったのだろう。けっして消え入りたいわけではないのに………。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也) 小野寺秀也のホームページブリコラージュ@川内川前叢茅辺
2019.03.15
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私は宮城県北部の小さな農村で生まれ育ったのだが、卒業した中学校はこの二月に閉校となった。平成の大合併で同じ行政自治体となったかつての隣町の中学校に併合されたのである。しばらく前には郵便局も統合されてわが故郷から姿を消した。 母校が閉校になったのだが、さほどの感興がない。感興がない自分に少しばかり驚いた。生まれ故郷を出てから50余年、いまは仙台を死に場所と定めて生きている。感傷的になる理由が全く見当たらないのだ。私にとって、故郷とは母親や兄、姉たちであったらしい。今は誰もその地にはいない。 10日ほど前、その同じ中学校を卒業した一人の同級生から電話があった。中学卒業とともに東京に就職した人で、卒業以来(つまり58年もの間)まったく会うことのなかった同級生である。2013年、15年、17年と最近の三回の同級会を私が幹事として開いたのだが、そのときの案内状を手にして、私に電話してきたらしい。ずっと同級会に出ていなかった、この秋に妻が亡くなって突然暇になってしまった、もう同級会はやらないのか、出てみたい、そんなことをぼそぼそと語るのだ。 三回の同級会の幹事をしたのであとはだれかに譲ると宣言していたのだが、誰も同級会開催を言い出す気配がない。母校閉校の話にはあまり心が動かなかったが、この同級生の話にはだいぶ心がざわついた。そういう一人の同級生の思いのために幹事を名乗り出てもいいかな、そう思ったのだ。 私が幹事のときに一生懸命手伝ってくれた仙台在住の同級生に電話をした。そして、二人で準備をすることにした。電話をくれた同級生にその旨を伝えたことで、予定は決したのである。仕事を増やしてばっかり、と妻はきっと呆れるだろう。 勾当台公園から一番町へ。(2019/3/1 18:22~18:35) 勾当台公園に着くと、宮城県議の中嶋廉さんがスピーチをしていた。当然のことながら女川原発再稼働の賛否を問う県民投票条例の話である。県議会に条例案が上程されたのだが、知事は曖昧な態度、ごまかしの答弁に終始している。知事のペテンを追求し、県民投票を何とか実現したい、そういう旨のスピーチだった。 集会が終わりかけるころに宮城県議の大内真理さんが到着され、コーラーを引き受けられて30人のデモは勾当台公園を出発した。一番町(1)。(2019/3/1 18:41~18:44) 膨大な量の放射能汚染水を海洋に投棄することは国際問題に発展するのではないか、そんなことをずっと以前にこのブログで書いたような気がする。東電1Fから放出された放射能は太平洋を拡散して拡がる。そしてその影響を太平洋沿岸の国々や、公海を利用する諸国が問題にし始めたら、「放射能の影響はありません」などと国内向けのごまかしのような言い訳は国際的には通用しないだろうし、実際に被害を言い立てられて損害賠償を請求されたらその額は想像を絶することになるだろう。そのような可能性が将来絶対にないとは言い切れない恐ろしさがある。 「日本は福島第1原発からの放射性汚染水の太平洋への放出を禁止すべきだ」とロシア外務省が発表したのは、2年前である(2017年12月20日付けSputnik日本)。「数十万トンの放射性汚染水」が「太平洋の環境や水産資源に大きな損害を与える恐れがあると考えている。これは日本の漁業関係者、そしておそらく沿岸地域の住民全体にも打撃を与えるだろう」と主張していた。 何度でも言うが、放射能の影響は「ただちには影響がない」と言えても「将来の影響は十分にありうる」のだ。それが生物に与える放射線障害の特徴なのだ。放射線被曝の影響は蓄積するばかりの非可逆過程なのである。海水で薄められるとは言っても、薄められた放射能によって被曝は延々と続くのである。そして生きとし生けるものに放射線障害を蓄積させていくのである。 日本の法律においても、放射能を定められた濃度以下に希釈すれば放出できるとされている。この法の前提は人間が取り扱いうる量のさらにその一部の処理量についての許容限度を考えることで成り立っている。しかし、東電1F事故では溶融した核燃料残滓(デブリ)にすらいまだに放射線量が高すぎて触れられないでいる。つまり、その放射能の量は人間が処理しうる量をはるかに超えてしまっている。 希釈してしまえば自然界に放出できるという論理に縋りつくのは極めた危うい思考である。たとえば、東電1Fの燃料デブリも核分裂生成物もその他の放射性廃棄物もすべて強酸か何かで溶液化したうえで大量の海水で希釈することで規制値以下にしてことごとく太平洋に放出すると主張したら、世界はいっせいに目を剥き、強烈に反発するだろう。法で認める希釈放出と東電1Fの現実とは、前提条件自体において大きく隔絶しているのである。 そして、残念ながら希釈して自然界に放出できる総量限度を誰も知らない。議論すらしていないのではないか。トリチウムを希釈して放出したいという自公政権の思惑が依拠しているのは「人類は総量限度についての知識を持っていない」という事実なのである。 目の前にあるキノコが毒キノコかどうかわからなければ、誰でも決して食べはしない。ところが、自公政権はそれを「食え」と主張しているのである。一番町(2)。(2019/3/1 18:45~18:47) 仙台をもう冬を終えようとしている。デモにはありがたいが、どうもきちんと冬を暮らしという気がしない。寒さもたいしたことがなかったし、雪も少なかった。老いた身には助かるが、季節を過ごした気がしないのである。それでも春はやってくる。為さざりしことのみ春の落葉焚 石田波郷 [1] 真向かへば春の光に透きてゆく果たしきれない約束ばかり 今野寿美 [2] 何かをなした実感がないのに季節が巡っていくのはどこか苦しい。やってくる季節が春だとそれはなおさらである。 高齢の義母のために、遠く離れて暮らす娘の一人がひっきりなしに季節の果物を送ってくれる。昨日もひと箱の蜜柑が届いた。温州蜜柑らしくないやや大振りの蜜柑で酸味が温州蜜柑よりやや強い。 義母は蜜柑が大好物なのだが、もう袋ごとは食べられない。入れ歯を支えられないほど歯茎がやせてしまったのだ。袋をきれいに剥がす方法を考えなければならない(妻の指令である)。ジュースなどにせず果物そのものを食べさせたいのである。 柑橘の鋭き香ひびける早春の稀薄の空気いのちを磨(と)がしむ 葛原妙子 [3]青葉通り。(2019/3/1 18:55~19:01) 「なさざりしことのみ」のまま春がやって来た実感には、じつのところ、この冬まともに本が読めなかったということが大きい。集中力が衰えたのか、読み始めるものの続かないのだ。切れ切れに読むので、理路につながりを欠き、理解できた気がしない。それで嫌になっていっそう読まなくなる。その繰り返しである。 これではいけないと、とにかく目の前に読むべき本を積み上げることにした。まずネットで目にしたエルネスト・ラクラウとシャンタル・ムフの『民主主義の革命』を注文した。「ヘゲモニーとポスト・マルクス主義」という副題に惹かれたこともあるが、ラクラウは少し読んだがムフはまったく読んだことがなかった。せっかくなのでムフの『政治的なものについて』と『左派ポピュリズム』も注文した。 また、福島の被曝線量は著しく低いという結論を(誤った計算で)導き出し、自公政府が行っている棄民政策に大いに寄与した「宮崎早野論文」が厳しく批判されていることもあって、牧野純一郎さんの『被曝評価と科学的方法』と『原発事故と科学的方法』という2冊も購入した。牧野さんは「宮崎早野論文」を厳しく批判している学者の一人である。 そしてもう1冊。山本宗補写真集『戦後はまだ…』という本だ。戦争の記憶を残しておこうという本である。「生き証人がいなくなった時、歯止めが効かなくなる」と帯に書いてある。証言者の写真と証言記録が収められている。 6冊をこの一週間の間に手に入れた。読書が罰ゲームのようになってしまったが、目の前に6冊の本を重ねて読み始めることにしたのだ。今は1冊目の『民主主義の革命』で、429ページ中188ページまで進んだ。まだまだ先は長い。[1] 「石田波郷読本(『俳句』別冊)」(角川学芸出版 平成16年)p. 140。[2] 今野寿美《花絆》『現代短歌全集 第十七巻』(筑摩書房、2002年)p. 41。[3] 葛原妙子《橙黄》『現代短歌全集 第十一巻』(筑摩書房、1981年)p. 135。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也) 小野寺秀也のホームページブリコラージュ@川内川前叢茅辺
2019.03.01
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