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2019年になってもう二ヶ月が過ぎようとしている。その間に7回の脱原発デモがあって、そのうち3回を休んだ。頻度から言えば「出たり、出なかったり」という塩梅だ。 1月11日は、骨折した左手を肩から吊るして固定していないと痛むので、まだデモは無理だと判断した。1月25日は、妻との約束があって『フェルメール展』を見に東京に出かけた。義母の朝の世話をしてからヘルパーさんに引き継いで出かけたので、デモに間に合うようには帰って来れなかった。 先週2月15日は熱を出していた。前日、早朝の散歩から元気に帰ってきて居間の石油ストーブに点火してひと休みしていたら急に悪寒が始まった。114歳の義母にインフルエンザをうつさないというのがわが家の厳しい掟なので、熱の出方が怪しければすぐに病院に行く用意をしていたが、さほどの熱が出ないのでインフルではないと判断してから(半日ほど経過してから)やおら薬を飲み始めた。 しばらくぶりでウイーンから持ち帰った風邪薬を飲んだ。ウイーン大学の教授夫妻と街に出て昼食をしたとき、風邪の直し方の話題になったこともあって、帰り道で教授夫人がどこかの店で購入して持たせてくれたものだ。 民間療法薬らしく、ティーパックの形をしていて赤ワインにオレンジジュースを混ぜたもので煎じて飲むというのである。ドイツ語は分からないが、パッケージにはシナモン(桂皮)とクローブ(丁子)とオレンジの皮(陳皮)が描いてある。どれも漢方で使われている材料である。 オレンジジュースはなかったので赤ワインだけで煎じて飲んだ。じっさいには、煎じるというほど長く煮出してはいない。アルコールを飛ばしてしまうなんてとんでもない。ホットワインであることが(私には)肝要なのだ。 それが効いたかどうかわからないが、デモのある翌日も何度か煎じ薬ならぬホットワインを飲みながら休んでいたのである。 それから一週間が過ぎ、張り切ってデモに出かけようと思って金デモの公式ブログで集合場所を確認したら、その日のデモはないのだった。一昨日のことである。二日後の今日、月に1回の日曜昼デモに振り替えられていたのを忘れていた。錦町公園から一番町へ。(2019/2/24 14:39~14:57) 金デモの集会場所はそのときどきでいくつかの公園を使用するが、錦町公園はわが家から一番遠い。デモのメインコースである一番町を越えた反対側にある。 大通りから細道に入って、西南の小さな公園口から入ると、日曜の午後らしく、たくさん子供連れがボール遊びなどをしてい。デモ人はずっと向こう、反対側の北東の大きな公園口の付近に集まっている。金デモカーも見える。 県議会で女川原発再稼働の是非を問う県民投票条例の審議が始まったことなどのスピーチのあと、45人は錦丁公園を出発した。 暖かい日である。冬支度で家を出てきたが、歩き出すと汗ばみそうな陽気である。デモ人の声も動きもゆったりとのびのびとしているようだ。今年は暖冬で積雪も少なかった。東北の山々は一ヶ月も早く季節が過ぎているようだ、とスキー好きの参加者が話していた。一番町(1)。(2019/2/24 15:01~15:04) 一番町に入ると「黒山の人だかり」とはこういうことを言うのではないか、そう思えるほどの人が道の中央に固まっている。何かのパフォーマンスをやっているらしい。デモは、コールを中止してそばを静かにすり抜ける。 さらに進むとまた大勢の人がいたが、こちらは固まらずに道の端から端まで拡がって誰もがスマホを覗いている。「ポケモンかなんかのゲームをやっているのでしょう」と教えてくれる人がいた。どうもその特定の場所でなければゲームが成り立たないらしい。大勢の人が同じ場所で同じことをしているのだが、互いに社会的には無関係な孤立した人の群れなのである。現代的と呼んでいいかどうかわからないが、少なくても現代の新しい風景ではある。一番町(2)。(2019/2/24 15:06~15:14) 「原子力規制委員会は22日、新規制基準に適合しているかを審査中の北海道電力泊原発(後志管内泊村)の1、2号機近くにある断層について「活断層であることを否定できない」とする見解を示した。」 そんなニュースが流れて来た。2月23日付の北海道新聞電子版である。記事は短く、次のように続く。 北電は地震で想定される揺れの大きさの見直しや安全対策強化を迫られるのは必至。審査がさらに長引き、1、2号機を中心に再稼働が一段と難しくなった格好だ。 敷地内にある11カ所の断層のうち、問題となったのは1、2号機そばを通る「F-1断層」。新基準では12万~13万年前より新しい時代に動いた断層を活断層とみなし、原子炉など重要施設の直下にあれば再稼働できない。北電はF-1断層は重要施設直下にはないとするが、規制委は22日の審査会合で「40万年前より新しい時代に活動したことは確かである一方、活動性がないという明確な根拠は得られていない」として、活断層ではないとしてきた北電の主張を否定した。 規制委はF-1断層とその上部を走る新しい小断層についても「関連がないと認めることはできない」と連続した断層である可能性を指摘。北電の魚住元常務は「いろいろなケースを総合的に検討する」と報道陣に語った。 北電は、これから新たな反証材料を提出するだろうが、活断層の上には原発を建設できないという規制が貫徹される可能性がいくぶん出てきた。そう思ってニュースを読んだのだが、一方で、規制委員会は再稼働に科学的権威を与えるための政府の御用機関としてそれに都合の良い学者を集めているので、再提出された材料に屁理屈をつけて再稼働をむりやり容認する可能性もある。残念ながら、どちらかと言えば後者の可能性の方が高いと私は考えている。 しかし、「規制をクリアできない、再稼働どころか廃炉にすべきだ」という判断を一度でも示せば、規制委員会の権威は一挙に高まるに違いない。政治的、戦略的な観点からそう考える政治家や官僚はいないのだろうか(規制委員が自発的にそんなことを考えるとはとても思えない)。 そうなれば規制委員会の信頼は高まる。また、一方で「再稼働不可」の判断を一度でも下せばそれが先例となって二度目、三度目の判断が容易になるだろう。廃炉へのバリヤーがとても低くなって、私たちにとってはとても嬉しい未来が開けるというものだ。通産官僚がそんな戦略的過ちをすることを強く念じている。青葉通り。(2019/2/24 15:15~15:23) 脱原発デモに参加するたびにデモ人の写真を撮っているが、どちらかと言えば写真を撮るためにデモに参加しているという趣きが強くなってきている。 デモの多くは日が落ちてからなので、暗さとの勝負という感じで写真を撮ることが多く、ときどきこのブログで愚痴を書いたりする。 今日は明るい昼デモなので、いつもの苦労はないだろうと気楽に構えていたのだが、「そうは問屋が卸さない」のだった。強い日差しと影のコントラストが強すぎて、デモ人の顔が真っ黒に映っている写真が多かった。私自身はコントラストの強い写真が好みなのだが、デモ人がきちんと写らないのでは意味がない。 今は、RAWデータ形式で保存した写真を後でいろいろ修正できるソフトもあるのだが、人の顔がはっきりするように修正すると全体に白茶けてしまうことがあって、これはこれでなかなかに難しい(などといいながら、じつはパソコンで写真をいじりながら遊んでいるのだが)。 来週はデモに参加できそうだが、その次の週はいろんな用事が立て込んでいる。デモの時間帯は開いているのだが、疲れてしまってデモどころではなくなるのが心配だ。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也) 小野寺秀也のホームページブリコラージュ@川内川前叢茅辺
2019.02.24
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勾当台公園に入る手前の交差点で信号待ちをしているとき、金デモの常連さんと出会った。かつて「脱原発デモは私の終活です」と話された人だ。「寒いですね」という挨拶を交わしたが、出がけに見た天気予報ではマイナス2度くらいには下がっているらしい。 「仙台ではこの時期が一番寒いですが、まあこの程度なら助かりますね。」 「今年は雪も少ないですしね。」 そんな話をしながら勾当台公園に入ると、集会はまだ始まっていなかった。今日は遠回りをして用事を一つ片づけるために早めに家を出たのだが、集会に遅刻をしなかったのはほんとうに久しぶりのことである。勾当台公園から一番町へ。(2019/2/8 18:37~18:39) 集会では、女川原発の再稼働の是非を問う県民投票条例制定を求める111,743人の有効署名簿を宮城県知事に提出したという報告があった。署名運動に取り組んだ70人余りの受任者も会場に駆けつけ、多くの報道陣が見守る中で署名簿が副知事に提出されたという。 舞台は県議会に移ったが、村井県知事は13日から開かれる2月定例会に条例案を提出するという。「県議会の傍聴を!」という呼びかけのスピーチだった。一番町(1)。(2019/2/8 18:46~18:50) 寒さのせいかデモ参加者は25人にとどまったが、元気な女性コーラーの声に励まされるようにデモはいつものように繁華街を進む。 人数が少ない分、ひとりひとりを丁寧に写せるだろうと思っていたが、あまりいい写真が撮れなかった。いい構図だと思ってもシャッターが切れないことが多かった。シャッターが切れても、シャッター速度が遅くてぶれるか、光量不足で荒れている写真が多かった。 写した枚数は100枚ほどだったが、その3分の2を捨てるしかなかった。残った写真の出来もそんなにいいわけではないのだが、デモの記録と報告という意味で残すしかなかったのである。 何よりも問題なのは、カメラの設定がいつもと同じなのにそうなった理由がわからないことである。一番町(2)。(2019/2/8 18:51~18:55) 長崎大学の山下俊一教授は、福島事故直後の2011年3月21日に福島市で行った講演で放射線の影響は「心配いらないと断定する」とか「放射線の影響はニコニコ笑っている人には来ません」などとじつに非科学的な発言をした医学者だが、その講演と同じ日に別の場所では子どもの甲状腺被ばくについて「深刻な可能性がある」との見解を示したということが文書として残されていたという。 1月28日付けの東京新聞の記事である。取材に対して、「深刻な可能性」は避難指示区域の人たちについて、「心配いらない」というのは講演した福島の人たちについての発言だったという言い訳をしている。しかし、そのころは避難指示区域から避難した人たちが福島市にもいたはずである。福島の人たちが放射線から身をまもる契機を失ってしまうような科学的事実に反する言明は、明らかに科学を装った科学者の犯罪である。 もっと悪質な 科学者の犯罪がある。でたらめな科学論文で放射能汚染地で暮らす人たちの被曝線量は低いと結論して国や福島県の政策に影響を与えたというのが「宮崎早野論文」問題である。 福島県立医大の宮崎真講師と早野龍五東大名誉教授は、伊達市民のガラスバッジによる個人線量測定データと内部被曝線量データを用いて、伊達市民の放射線被曝はきわめて低いという結論の論文を2編発表している。 この論文は個人に関するデータを本人の了承なしに用いて発表したことをめぐる倫理的な側面での違法性ばかりではなく、データの扱いとその数理的処理という科学的な内容そのものにも問題があると指摘されている。 科学者の倫理的側面の違法性については『科学』2月号に掲載された黒川眞一高エネルギー加速器研究機構名誉教授と福島市に島明美さんの共著の記事がある [1]。お二人は、宮崎早野論文の倫理指針違反を次のようまとめている。(1)医大の研究に自分のデータを提供することに同意していない伊達市民のデータを使用していること、(2)研究を実際に始める前に、研究対象者である伊達市民に研究内容を公知せず、同意撤回の機会を与えなかったこと、(3)伊達市長室から論文作成を依頼されたことを隠していたこと、(4)研究が倫理審査委員会による審査を通り学長による承認を得る前に,伊達市民のデータが宮崎氏と早野氏に提供され、このデータを使った研究発表が早野氏によって行われていること、(5)研究計画書に書かれている内部被曝線量と外部被曝線量の相関を調べる研究を発表せず、研究を終了したこと、(6)研究終了報告書に研究計画書には書かれていない研究を成果として報告していること、(7)倫理指針がデ一タをできるだけ長期間保管するようにと定めているのにもかかわらず、全データを研究終了時に廃棄していること。 これらは研究者(科学者)が研究をするうえで遵守しなければならない倫理規範に違反しているということで、これだけでも論文はアウトで、著者らによって取り下げられるべきであり、そうでなければ科学雑誌の編集者の判断で却下、取り下げが行われなければならない。じっさい、宮崎早野論文が掲載された専門誌の編集者が論文の結論が変わってしまうという懸念を示しているという報道もあった。 倫理違反ばかりではなく、データ処理や計算の間違いも指摘されており、科学論文の科学そのものにも問題が多いと指摘されている。物理学が専門の東大名誉教授が論文に使用されている統計処理や積分の計算を間違うとはとても信じがたい。早野東大名誉教授の専門である原子物理学で使われる数学に比べれば宮崎早野論文の数学は比較にならないほど簡単なはずである。それを検証するには元のデータが必要だが、上の(7)で指摘されているようにデータは早々に廃棄されている。第三者に検証されることを恐れて廃棄したのではないかと疑いを持たれる不正である。私は、宮崎早野論文の被曝線量が低く見積もられることになる「計算間違い」は意図的ではなかったかと強い疑念を抱いている。 山下発言にせよ、宮崎早野論文にせよ、科学を装った言説で市民の健康・生命を危うくすることは、科学の歴史が忌み嫌ってきたものである。科学的名声のために論文を捏造するという例ももちろんあるが、社会的・政治的な「科学者の犯罪」は歴史的には多くみられる。政治権力に利用されることも多いが、科学者自らが不当に高い社会的・政治的地位を求めようとすることが最大の理由だろう。青葉通り。(2019/2/8 18:58~19:07) じっとしていればさすがに寒いが、マイナス2度というのはデモを歩いている分にはまったく問題がない。これより気温が高ければ、たぶん汗をかいてしまって風邪のもとになるだろうし、これよりも下がれば、カメラを持つ手は凍えてしまうだろう。 骨折の左手には手袋が嵌められないし、左手はカメラの細かい操作のためにしばしば脱がなければならないが、手が凍えてしまう感じはまったくない。この程度の寒さのままで春が迎えられたらいいな、などと考えながら帰路を急いだ。寒くないなどといいながら、のんびり歩くほど暖かくはないのだった。[1] 黒川眞一、島明美「住民に背を向けたガラスバッジ論文」『科学 第89巻 第2号』(岩波書店、2019年)p. 152。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也) 小野寺秀也のホームページブリコラージュ@川内川前叢茅辺
2019.02.08
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朝はたいてい4時前後に目を覚ます。暗い部屋でスマホを手繰り寄せて時間を確認する。今朝は4時25分だった。ぼーっとしながら、ついさっき同じように目を覚ましたばっかりだと思う。それは、昨日の目覚め、一昨日の目覚めのことである。朝、目が覚めて一日が始まる。しかし、一日の記憶が消えて、朝の目覚めのときだけが連続しているようだ。 私は、朝の目覚めだけの日々を繰り返している。そんな奇妙な感覚に包まれながらもそもそと布団から抜け出す。1月7日に左手首を骨折してから、そんな感じが強くなった。手首以外は何でもないので、ほとんどのことはできるはずなのに、どこかぼんやりとして時間を過ごしている感じがする。 怪我をしたことへの本能的な防御的心理なのか、怪我を契機に自堕落な本性が露わになって来たのか、それともただ老いが加速して不活発になっただけなのか、本人はまったく自覚できないままに最近の日々は過ぎていく。 とはいえ、日常の暮らしぶりは骨折以前とほとんど変わらない。いろんな集まりもこなしているし、40人ほどの新年会も主催者の一人としてこなした。左手をビニール袋で覆って、昼食の準備も毎日欠かさずやっている。先週は二度も東京へ出かけた(それで先週の金デモは休んだ)。 というわけで、気分はかなり病人(けが人)みたいだが、遊ぶことはきちんと遊んでいるので、金デモを休む合理的な理由がまったく見つからない。外はときおり強い北風が吹き荒れているが、防寒をしっかりとして家を出る。私と入れ違いに帰ってきた妻が「風がとっても冷たいよー」と嬉しそうに私を脅かして暖かい部屋に駆け込んでいく。勾当台公園から一番町へ。(2019/2/1 18:19~18:41) 冬の道欅の枝は神経のごとくにわれの頭を覆いたり 加藤治郎 [1] 家を出て、広瀬川に架かる仲の瀬橋を渡り、西公園を通り抜け、冬枯れた欅並木の定禅寺通りを通って勾当台公園に向かう。フード付きの防寒着だったので、ときおりの強風にフードを被ろうかとも思ったのだが、結局一度もそうしなかった。 雨を厭わず山野河海で遊ぶことがことごとく好きな私は、レインウエアのフードを被らざるをえないことが多いが、そのフードがとても嫌いである。周囲から聞こえる音の方向感覚が狂うのと、フード内での音の反響が嫌いなのである。大げさに言えば、フードは私に閉塞感をもたらすのである。 寒いとは言え、フードが絶対に必要というほどのこともなく勾当台公園に着いた。野外音楽堂にはベンチがあるが、参加者のほとんどは立ったままスピーチを聞いている。冬の集会にはよくあることで、その程度には寒いのだった。 東北電力の経営状況や、女川原発再稼働の是非を問う県民投票条令の請求署名が閲覧に附され、その後最終的な提出、記者会見、県議会上程のスケジュールについてのスピーチがあって30人のデモが勾当台公園を出発する。 しはがれてひくくきびしき声のしてふりかへるとき冬の茫漠 加藤克巳 [2]一番町(1)。(2019/2/1 18:42~18:44) 二週間前のデモではズームレンズを回す左手が痛んだが、骨折から24日目、今日はまったく痛みを感じない。左手で握ってカメラ全体の重さを支えるのはまだ難しいので、左脇にカメラを挟んで右手で調整するというのもそこそこ慣れてきた。人込みを避けながらの急ぎ足でどこかに左手をぶつけさえしなければ心配することはまったくない。 一番町の人混みは相変わらずで、辺野古の海に土砂が投入されても、統計調査をごまかして景気はいいと政府が大ウソをついても一番町は賑わっている。まあ、なにも不思議はないのだが、心の綾のどこかの空隙を冷気がすり抜けていくような気持ちになる。 私たちの暮らしは安心、私たちの未来は安全、という概念はいまや自己暗示の領域に入ってしまったのではないか。一番町(2)。(2019/2/1 18:45~18:52) 『図説・17都県放射能測定マップ + 読み解き集』[3] という本が届いた。東電1F事故後、全国で立ち上がった市民による放射能測定活動を集約したものである。 宮城県では2011年3月15日に214ヶ所の地点の放射性セシウムによる土壌汚染が調べられ、丸森、白石、栗原、角田、七ヶ宿の16地点でチェルノブイリでは移住の権利が発生する2800Bq/kg以上の汚染があった。チェルノブイリでは何らかの補償に対象となる600Bq/kg以上の汚染は、県内の66地点で観測された。 2018年3月15日には255地点の汚染が測定され、2800Bq/kg以上の汚染が4地点、600Bq/kg以上は37地点もあった。 私たちは東京電力福島第1原子力発電所の過酷事故でばら撒かれた放射能汚染地区に住んでいるのである。放射能は県境でコントロールされることはない。福島県民と同じように、私たちもまた被曝者なのである。 冷戦時代、資本主義と自由主義を信奉する日本の政治家や評論家は、旧ソ連の政治システムや経済、ソ連国民の貧しさを批判し、軽蔑し、嘲笑していた。そして、1986年にソビエト連邦に含まれるウクライナのチェルノブイリ原子力発電所で過酷事故が起きた。 事故後、チェルノブイリ周辺の汚染地区では20mSv/y以上の地区は立ち入り禁止ゾーン、5mSv/y以上は強制避難、1mSv/y以上は避難の権利を認め、1mSv/y以下でも何らかの補償を認めると定めた。 一方、ソ連の政治、経済を蔑んできた日本の政府は、20mSv/y以下の土地にすむように帰還政策を進め、自主避難者への支援もことごとく打ち切っている。資本主義で自由主義の豊かな国のはずの日本政府の国民の扱いは、旧ソ連のそれと比べれば恐ろしいほど貧しく冷酷だ。 私が若いころ、自由主義の国アメリカに住む黒人には「自殺する自由がある」という皮肉が流行っていた。いま、日本の政府に巣くう経済学者が日本の若者には「貧乏になる自由がある」と嘯いている。私たちが言っている「自由主義」の自由は資本を支配している者たちの自由だけを意味している、というのは政治に関心がある者にとってはとうの昔から自明である。彼らの自由のために、私たちは放射能に曝されて生きることを強いられている。脱原発デモを止められない理由である。青葉通り。(2019/2/1 18:54~19:04) それほど寒さを感じることもなくデモは終わった。 今年の冬は暖かく、雪も少ない。片手での雪掻きはとても難しいだろうから、それはそれでありがたい。ただ、暖冬の年は冷夏になるというジンクスがある。太陽から流入する熱量が平均的に一定であれば、それももっともらしい。そうなれば、夏を謳歌する花たちや動物たちには都合が悪い。冬は寒く、夏は暑いというごく当たり前のことが望ましいのである。 冬に雪が少ないと、わが家の前を流れる広瀬川は雪解け水が少なくなって、春に遡上してくる鮎たちには苦難の夏になる。その鮎たちを釣りたい私も大いに困るという個人的な事情もある。 ごくごく普通の冬がいい。そう思いながら思ったほど寒くない強風の中を帰るのである。[1] 加藤治郎『現代短歌全集 第十七巻』(筑摩書房、2002年)p. 419。[2] 加藤克巳『現代短歌全集 第十三巻』(筑摩書房、1980年)p. 107。[3] 『図説・17都県放射能測定マップ + 読み解き集』(みんなのデータサイト出版、2018年)。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也) 小野寺秀也のホームページブリコラージュ@川内川前叢茅辺
2019.02.01
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