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台風19号の一週間後は町内会の秋まつりである。会場になる広瀬川の河川敷緑地公園は大増水で冠水した。一週間もあれば泥砂も乾燥するだろうと踏んでいたが、前日には大雨が降るという予報が出たため、民間施設の前庭と食堂を借りて行うことになった。 広い河川敷公園に会場を設営する手間に比べれば、格段に仕事量が減って町内会役員は大喜びだが、祭り気分は半減である。たぶん、祭りというのはそれにかかる手間をもみんなで楽しむというのが昔からの姿だろう。今では、誰かがお膳立てして、その他大勢が楽しむというのが一般的なのかもしれないが………。 秋まつりが終わり、さらに一週間後の日曜日は子供会と町内会の合同の地域清掃の日である。河川敷公園も清掃の対象に含まれていて、冠水時に流されてきた大きなゴミに苦労しながらいつもの数倍のごみを集めた。 午前中には地域清掃、午後からは脱原発デモ。充実した一日と言いたいところだが、精神の充実と体力の衰亡という矛盾は大いなるものがあるかもしれない。肴町公園から一番町へ。(2019/10/27 15:06~15:26) 25日の金曜日、台風21号の影響で東日本に大雨が降り、またまた多くの被害が出た。仙台でも土砂災害警報レベル3が出て落ち着かない日となった。台風19号のときのように高齢者用の避難所を設営するかどうか、情報を集めながらじりじりしていた。 「デモは休む」と断固として宣言したのだが、「月末で日曜日のデモじゃないの」と妻に鼻であしらわれて、27日の日曜昼デモだったことを思い出した。 台風がなければ本当にいい季節である。暑くもなく寒くもなくデモには最適な季節で、今日も青空がのぞいてときどき陽が射す「デモ日和」である。 日和のいい休日のデモは参加者が少ないというのが相場だが、肴町公園にはいつも通りにデモ人が集まっていた。県議選の投票日当日ということもあって、多少はスピーチの内容に気を遣っていたようだが、淡々と集会は進んだ。 「選挙には行きましたか。まだの人は必ず行ってください」という集会の締めで、25人のデモは肴町公園を出発した。一番町。(2019/10/27 15:27~15:29)広瀬通り。(2019/10/27 15:30~15:35) 「原発マネー還流発覚で関電崩壊、原発消滅カウントダウン始まる」というじつに唆られるタイトルのネット記事があった(10月3日付け『ASCII.jp×ビジネス』)。関西電力の岩根茂樹社長ら役員20人が、高浜原子力発電所が立地する福井県高浜町の元助役から総額3.2億円相当の金品を受け取っていたことが判明した。原発を保有する電力会社への視線は厳しく、いよいよ原発消滅へのカウントダウンが始まった。 こんなフックの文章で始まる心地よい記事だが、読み進み、読み終えても、ほんとうに関西電力が崩壊し、さらに日本から原発が消滅するかどうかは、私には確信が持てなかった。どちらかと言えば、次のような原発関係者の発言を集めて、原子力業界の落胆ぶりを強調した記事のように思えた。(1)「もう原子力は終わりでしょうね」。大手電力会社関係者は肩を落とした。(2)大手電力会社幹部は「昭和の時代ならともかく、震災後も地元と癒着が続き、しかもトップが金品を受け取っていたのには驚きを禁じ得ない」と眉をひそめた。(3)「あらゆる原子力政策を前に進められるかもしれない大事な時期だったのに、関電のおかげで全てパア」(エネルギー業界関係者)になった。(4) エネルギー政策に詳しい橘川武郎・東京理科大学大学院教授は、「震災後の原発を引っ張ってきた関電が信用を損ねたことは、電力業界にとって大きなダメージ」と指摘。「関電を軸とした原発事業の再編も難しくなるだろう」と語る。 ただし、記事は次のような予言めいた文言で締めくくられていて、脱原発を願う身にはとても喜ばしいのだが、期待しつつも楽天的に信じることなく脱原発デモは続けるのである。 第5次エネ基では、原発の新増設、リプレースは明記されていない。原発を巡る厳しい世論を考慮すれば、建設中であるJ-POWERの大間原発、東電の東通原発、中国電力の島根原発3号機が運転できなくなる可能性も小さくない。 このままだと、早ければ北海道電力の泊原発3号機が運転期限を迎える2049年までに、日本から原発が自然消滅する。晩翠通り。(2019/10/27 15:37~15:41)青葉通り。(2019/10/27 15:43~15:54) アーケードのある一番町を出てしまえば、だいぶ傾いた陽が射したり翳ったりしながらの街歩きとなる。ハロウィーンに因んだデモ人のオレンジ色の防止に斜光が映えて美しいのだが、カメラはそれをうまく写し取れないのだった。 美しい逆光の写真を撮りたい。ずっと思っているのだが、いっこうに進歩する気配がない。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也) 小野寺秀也のホームページブリコラージュ@川内川前叢茅辺
2019.10.27
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10月12日、台風19号をどうやり過ごすかと朝から動き回っていた。私が住む町内の大半は、仙台市のハザードマップで河川氾濫による浸水が想定される地域としてみごとにブルーの色付けがされているのである。 12日の朝はまだ降っていなかったのだが、災害時要援護者の避難の打ち合わせを始めた。午後1時には仙台市の指定避難所が開設されたが、災害時要援護者や高齢者のための避難所を町内会単独で設営した。高齢者のために身体的にも心理的にも負担の少ない避難所をと考えたのである。 仙台市の指定避難所には40人ほど、町内会の「がんばる避難所」(と呼ぶらしい)には19人が避難して12日の夜を過ごした。この4階建てのがんばる避難所を町内会の対策本部として、目の前を流れる広瀬川をときおり監視しながら役員は夜を徹して詰めていた。 さいわい、私たちの地区では洪水には至らず、全員が何ごともなく帰宅できた。だが、夜を徹していた私たちはずっとテレビの前にいて、かつてないほど広範囲に及ぶ被害の情報から目が離せなかった。 全国で被害が拡大しつつあるというニュースのなかに、行方不明者や死者のニュースが入るようになった。そして、単独で行動して被害に遭われたのは年齢が70代前半の人が多いということに気づいた。そのニュースを眺めている町内会役員の大半はだいたいその年齢なのである。 70代前半というのはどんな年齢なのだろうか。男性であれば、家庭や社会で相当の責任を負っている(または、負うべき)と自ら考えて(信じて)いて、災害に備えて動くのだが、じつは体力的には少しばかり無理をしているということなのではなかろうか。自分の役割への思いと自分の体力とのあいだに開くギャップが最も大きくなる年代なのかもしれない。もう少し若ければ体力はあり、もう少し老いればそのギャップに気づいて慎重になるということではないか。 そんなことを話しながら夜を過ごし、ときおり合羽とヘルメットを被って見回りに出かけようとする男たちに「あんたは軽いから風に飛ばされるな」とか「○○から先に行ってはだめだ」とか女たちは口うるさいのである。単独行動は禁止と決めているが、ときおり男はヒロイックな気分になって一人で出かけようとするのだが、女はきちんとそれを阻止するのである。 町内のだれもが安全な災害対応をするためには、もっと多くの女性の町内会役員が必要である。そう考えざるをえない私は、昨年からの町内会の会長なのである。錦町公園から一番町へ。(2019/10/18 18:25~18:45) 毎回同じことを書くのは気が引けるのだが、今日も錦町公園に着いたのは集会が始まって10分ほど過ぎた後だった。集会時間は20分だけなので、かなり立派な遅刻である。錦町公園は、デモ前の集会を行う公園としてはわが家からもっとも遠い。とはいえ、徒歩で25分ほどなので遅刻の言い訳にはまったくならないのだ。 私が着いたその時に、自転車を引きながら前に出てきてスピーチを始めた人がいた。以前にも金デモに参加した人で、一度だけあったことがある。とても印象深くて忘れるはずがないのだが、名前は忘れていた。自ら名乗って、自転車で全国の原発を訪ね、その途次、紙芝居で脱原発を訴えていることなどを話された。 帰宅してからブログを検索したら2017年6月2日の金デモに参加していて、次のように書いていた。 「知る人ぞ知るAKOちゃん」が今日の金デモに参加するという知らせがメールで流れて来た。私は、AKOちゃんなる人物をまったく知らなかったが、フェイスブックのプロフィールによれば、滋賀県彦根市の人で、若くからヴェジタリアンとなり、脱原発や脱自然エネルギーを訴える紙芝居を上演しながら自転車で全国を回っているのだという。 これもまた帰宅してからのことだが、急いで写真を整理してフェイスブックに写真アルバムとして投稿したらさっそく反応があった。「AKOちゃんだ!(笑)」、「AKOちゃんさんだ!」とコメントが続く。私も「AKOちゃんさん」と呼んでしまう。「ちゃん」までが名前だと思ってしまうのである。 全国をずっと回って今日のように各地の脱原発デモに参加しているので、私のフェイスブックのタイムラインを見るような人たちの間で「知る人ぞ知るAKOちゃん」として有名なのは当然なのである。一番町(1)。(2019/10/18 18:46~18:49) これは既定の成り行きと考えてよいが、再稼働していた原発の停止がいよいよ始まる。10月3日付の『KYODO』の「原発、テロ対策遅れで初の停止へ――九電、川内1号機が来年3月」というニュースである。 テロ対策のために原発に設置が義務付けられた「特定重大事故等対処施設」の完成が設置期限に間に合わないことを理由に、九州電力は川内原発1号機を来年3月に停止することを正式に発表した。5月には2号機も停止すると公表している。このあと、高浜原発などの7基の原発の停止が続くはずである。 原子力規制委員会は、それぞれの原発が新規制基準を満たさなくても何かと屁理屈をつけて再稼働を認めてきた。この特重施設についても設置期限を延長してまでも認めてきた。各電力会社は設置しなくても国は認めてくれると高をくくっていたのだが、さすがに規制委員会は再延長を認めることまではできなかったらしい。 もともと世界標準に満たないゆるゆるの新規制基準すら満たせない原発に再稼働を認めたのが間違いであって、取り返しのつかなさはまったく変わらない。一番町(2)。(2019/10/18 18:52~18:57)青葉通り。(2019/10/18 18:59~17:10) 夜から明日の日中にかけて相当の雨が降ると予想されていて、「雨の降る前に何とか……」などという会話でデモが始まったのだが、雨に降られずにデモは終わった。 そんな降雨予報に基づいて仙台市は午後3時に市内全域の土砂災害危険箇所等に警戒レベル3(避難準備・高齢者等避難開始)を発令していた。町内会の災害担当の人がすぐに連絡してきたが、河川氾濫については何もないので様子見ということにきめて、錦町公園に向けて家を出た。 デモの間、仙台市からのエリア情報を気にしていたがまったく何もないままだった。降雨の天気予報とはいえ、台風19号のときと比べれば時間当たりの降雨量は一桁以上低いのである。もちろん洪水は積算雨量によるのだが、避難する際の時間的余裕は大きくなるので、少しばかり気持ちは楽である。 台風19号の仙台地区の降雨は真夜中に最大になる予報で、私たちの地区の避難勧告は午後8時に出された。高齢者の夜の避難はたいへんなので、避難勧告が出るずっとまえの明るい時間帯に大方の避難は済ませていた。 今回の予報では明日の日中にもっとも強い降雨となるので、夜に避難勧告が出ることはないだろうと高をくくってデモに出てきた。そうであれば良いのだが、そうあってほしいのだが………。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也) 小野寺秀也のホームページブリコラージュ@川内川前叢茅辺
2019.10.18
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ここ数週間、よく夢を見る。その夢が50代後半の一時期によく見た夢とまったく同じなのである。車で何かの集まりに行くのだが、帰りに私の車が見つからないのである。そこは駐車場が数か所あり、大きな建物があるのだが、どこかはわからないし、どんな集まりかもわからない。知ってる人もいない。ひたすら車を探し回っているところで夢は終わる。 その夢のヴァリエーションらしいものも見る。ホテル(建物は日本式旅館のときも明治時代に建てられたような古い洋館風のホテルだったりするが)で宿泊を終えて帰ろうとするのだが、私の靴がないのである。つまり、車が靴に替わっている。ホテル(旅館)のあらゆる出入口をまわって靴を探しているところで夢は終わる。このような夢を繰り返し見たのである。 決して楽しい夢ではないが、夢が問題なのではない。その夢をよく見た50代後半という時代は仕事が極めて順調で、大げさに言えば、職業人としてはハイライトが当たっていたような時期だった。しかし、精神的にはもっとも不安定な時期でもあった。いわば仕事の成功で得意になっているような感情に、神経不安症と呼べるような感情が重なっていた難しい時期だった。 朝目覚めると、あの時と似た感情におそわれる。漠然とした不安でざわざわとしているのである。あの時と比べれば不安は軽度だけれども、気分はかなり良くない。何かが不安、何かが心配というのではない。ただ、「不安」だけが私の体内を漂っているのだ。不安の対象がまったくないということが、いっそう気分を落ち込ませるのである。 50代後半の時期と違うこともある。その時は仕事がうまくいっていて、仕事に対する熱情なようなものもあったように思う(他人から見たらどうだったかわからないが自分ではそう思っていた)。 いまも、社会的関係の中でやらなければならないこと、やるべきことがいくつもあるのだが、どちらかと言えばやろうという意欲はあまりない。かといって、それを拒否しようとすような強い感情もない。たぶん、淡々とやるだけだろうと思う。出来ればやる気が出ることを期待したいが、そのような変化はもう時間に委ねるしかない。勾当台公園から一番町へ。(2019/10/4 18:19~18:39) 台風18号が日本海を北上して温帯低気圧となって東北の北部を通過する影響で夕方から降雨、太平洋岸沿いに強風が吹くという天気予報だった。たしかに夕方から雨が降り出したが、傘をさすかどうか戸惑うほどの小雨の中を勾当台公園に着く。 20人ほどのデモ人が野外音楽堂のステージの屋根で雨を避けて集会をしていた。それまでは関西電力の賄賂サイクルの話が続いていたようだが、私が着いたときには「処理水」の話題になっていて、指名されて先週の話で言い残したことを話した。一番町(1)。(2019/10/4 18:43~18:47) デモが出発して、後を追いながらシャッターを押すのだが暗すぎてシャッターが下りないことがあって、今日の夜の闇が深いことを知った。季節が過ぎ、9月からデモの開始が30分繰り上がったものの、デモの時間帯はどんどん暗くなっている。 それでもシャッターが下りないことはほとんどなかった。そこで絞り優先をシャッター速度優先のオートフォーカスに変えるとシャッターは降りるようになるのだが、ピントが甘い写真しか撮れないのだ。 雲が厚く空を覆い、街の灯が雲に反射するのを細かい霧雨が抑えているのだろう。フラッシュを使わない私のやり方(と腕)ではこの闇を克服するのは難しい。一番町に入って、一段と明るくなった街灯とそれよりもいっそう明るく続く店々の照明に救われる。ただし、オートフォーカスがデモ人の背景の明るい店舗にピントを合わせることがあって、これはこれで失敗写真が多くなる。一番町(2)。(2019/10/4 18:48~18:54) 原発立地の高浜町から関西電力に裏金が還流していることが明らかになったが、国からの原発関連交付金も含まれているらしいこと、福井県警幹部にも金が渡っているらしいことなども次々に報道されるようになって、今後どのように展開するのかよくわからない。もちろんムカッとする話だが、これから続くだろう報道を楽しみに待っている気分もある。 いつかどっかで何度も見たり聞いたりした汚い贈収賄のことを云々(デンデンではない、念のため)するのはまったく面白くない。 「米スリーマイル島原発が運転終了 60年かけて廃炉へ」という記事があった(9月21日付け『朝日新聞デジタル』)。スリーマイル島、チエルノヴィリ、フクシマと原発重大事故は続いたのだが、スリーマイル島の炉心溶融(メルトダウン)事故からもう70年も経った。残った原発で商業運転を続けていたのだが、採算の悪化で経営できなくなり、70年かけて廃炉にするのだという。 このニュースの肝は、「採算悪化で電発を廃炉にする」ということである。原発で電気を作るというのはコストがかかりすぎて商業的には成り立たないのである。日本が外国に原発を輸出(建設)しようとした案件がことごとく破綻したのは、建設資金を電気料金で回収することが不可能と見込まれたからである。原発以外の方法で作った電力とは競争できないほど高コストなのである。 日本であたかも原発による発電が商業的に成り立っているように見せかけているのは、電力会社が独占的に電気料金を設定できるという悪法があるためである。「総括原価方式」というシステムで、すべての原価を合わせたうえに「適正な利潤」を乗せて電気料金を設定する。その原価の中に原発建設、維持のために原発立地自治体に過剰にばらまいてそこからキックバックされて関電の幹部の懐に入る分も、原発事故処理にかかる費用も含まれている。 また、「適正な利潤」に特段の定めはない。好きなだけ乗せられる(電力会社間で談合はしているだろうけれど)。結局、発電にコストがかかりすぎる原発の分もほかの方法による発電と一緒にして電気料として国民からふんだくることができるシステムなのである。「総括原価方式」をとる法は、賄賂貰い放題の電力会社経営陣ということを考えれば(つまり、電力会社性悪説に立つしかない現在では)、どう考えても悪法である。 原子力産業の黄昏を物語るもう一つのニュースは、フランス原子力庁が8月30日、高速増殖炉ASTRID計画を完全に放棄したとする声明を発表したという記事である(9月14日付け『論座』)。これで、アストリッド頼りだった日本の高速増殖炉(プルトニウム炉)計画も破綻することになった。 核兵器材料となるプルトニウムを40トンも保有する日本は、世界から批判・警戒されており、保有量削減が政治的課題となっている。「核燃サイクル」によってプルトニウムを減らす計画だが、その一つの柱である高速炉がほぼ実現不可能になったので、「核燃サイクル」もまた破綻していると言ってよい。 「核燃サイクル」には運転中の原発のウラニウム燃料をMOX(ウラニウムにプルトニウムを加えた)燃料に置き換えることでプルトニウムを消費するという計画も含まれている。しかし、もともとプルトニウムは原発内でウラニウムから核変換のよって生成したものである。MOX燃料による「核燃サイクル」というのは、プルトニウムを消費しながらプルトニウムを生成するというプルトニウム削減法としてはなんともばかばかしいものである。 もっとも、現在の日本では核燃料再処理施設の稼働はいつになるか全く見込みが立っていない(もしかしたら、そのための技術力がまったくないのかもしれない)。使用済み核燃料からプルトニウムとウラニウムを分離することも、MOX燃料を作ることもできないので日本の「核燃サイクル」はいまのところ机上のたわ言にすぎないのである。 日本の原発推進の背景は、じつに貧しく、頼りないのである。青葉通り。(2019/10/4 18:56~17:03) 傘を差さないでデモを通した人が何人もいたが、細かな雨がレンズに付着するのを嫌って私は最後まで傘をさしていた。台風18号も温帯低気圧もどうなったものやら、風も強くなかった。 デモが終わり、カメラをバッグに仕舞えば、傘をさすのがうっとうしいと思えるほど降っているとも降っていないとも言えるような状態で、傘を畳んだまま家まで歩き通した。義母の介護の必要がなくなって、急いで帰る必要もないのだが、とくにやりたいことも行きたいところもない身では、まっすぐ自宅に向かうしかないのだった。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也) 小野寺秀也のホームページブリコラージュ@川内川前叢茅辺
2019.10.04
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