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だいぶ調子が出てきた。少し本が読めるようになった。本を読んでも何も頭に入らない状態を矯正するために、思想書を立て続けに3冊読んだ。頭に入ろうが入るまいがお構いなしに読み切ろうという罰ゲームのような読書だったが、1冊目は字面が流れ去っていくばかりでほとんど頭に入らなかったものの、2冊目、3冊目は普通に読むことが出来た。 何がなんやら理解できなかった1冊目をまた読み返しているが、まったく普通に読める。何が難しくて頭に入らなかったのかと奇妙に思えるほどなのだ。なんとなく本が読みたくない、読んでも面白くないという期間があって、脳の構成や働きが非読書モードに変容したのだろう。そう考えるしかないようだ。使わない頭は退化するだけ、そういうことらしい。 読んだ本はシャンタル・ムフの3冊である。とくに「左翼ポピュリズム」という概念を面白く思ったのだが、世間では「ポピュリズム」という言葉に過剰に反応している左翼が散見される。ムフやラクラウが批判しているのはそのような伝統的(正統派)左翼なのだということを考えると、ムフの『左翼ポピュリズムのために』はもっと読まれていい本のように思う。勾当台公園から一番町へ。(2019/4/12 18:26~18:43) 季節外れの雪が何度か降ったが、今日になって木陰の雪もすっかり消えて、仙台の花見は本格的になった。寒の戻りで花見の時期が少しばかり伸びたようだ。 勾当台公園には桜の木がほとんどないのだが、昨年か一昨年のこの時期の錦町公園で満開の桜の下で金デモの集会があったことを思い出した。花見と接合する金デモ、なんてことを思いついたがイメージはさっぱり湧いてこない。 私がぼんやりと生きていても世間はしっかりと春で、集会を撮った写真の背景に暮れ残った空の藍色がきれいに映えている。それも、「この時間も暮れ残るようになりましたねぇ」と参加者の一人に話しかけられて気づいたのだった。 年に数回はあるのだが、集会が始まりデモが終わる間に日が暮れるという真正の夕方の時間帯にデモがぶつかるのはいつ頃のことだろう。このままならまもなくなのだが、日が長くなればいずれデモの時間は繰り下げられるので、もう少し先かもしれない。 すっかり春だというのに昨日までの降雪に惑わされていくぶん厚着にしてきたせいか、少し汗ばみながら35人のデモを追いかけて勾当台公園を出発した。一番町(1)。(2019/4/12 18:45~18:47) ネットに「乳児の複雑心奇形手術、福島原発事故後に全国で増加 名古屋市立大学が調査」という記事が2019年3月21日付けで『大学ジャーナルONLINE』というwebサイトに掲載された。かなり深刻な内容だが、名古屋市立大学の研究論文を「研究成果」というカテゴリーでじつに淡々と紹介している。 3名の共著で「Nationwide increase in complex congenital heart diseases after the Fukushima nuclear accident(福島原発事故後の複雑心奇形の全国的増加)」という論文で、アメリカ心臓協会の専門誌『Journal of the American Heart Association』8巻6号に掲載されている。筆頭著者のKaori Muraseは、名古屋市大の村瀬香准教授である。 論文は、日本胸部外科学会で収集した2007年から2014年までの先天性心疾患に対する手術データを解析し、心臓発生の早期段階の障害が原因となる複雑心奇形の手術件数を原発事故前後で比較した結果、2011年の福島第一原子力発電所事故後、1歳未満の乳児に対する複雑心奇形手術の件数が約14.2%の増加が見られたと報告している。 記事の最後は、「原発事故後の複雑心奇形の増加は1986年に起きた旧ソ連のチェルノブイリ事故後にも報告されているが、調査方法の不備などから評価が定まっていなかった」と締めくくられている。一番町(1)。(2019/4/12 18:48~18:52) 東電1F事故後の心臓疾患の増加について日本のマスコミの報道はなかった(少なくとも私は知らない)らしく、在米ジャーナリストの飯塚真紀子さんが「原発事故後、先天性心疾患の手術件数14%増 世界的権威が認めた衝撃の事実 日本のメディアが報じない怪」と厳しい批判記事を書いている(4月9日付け『YAHOO!ニュース』)。 アメリカ3大ネットワークTV局の一つであるCBSテレビが村瀬論文の発表を受けて「新たな研究が、福島第一原発事故と乳児の心臓手術数急増の関連を示唆。先天性心疾患の手術を受けた1歳未満の乳児の数が、14%以上急増」という〈衝撃的なニュース〉を報道した。ところが日本の主要メディアの報道がないので、飯塚さんが筆頭著者の村瀬准教授に直に取材して書かれた記事で、記事の先頭に次のような一文が置かれている。 平成が間もなく終わりを迎えるが、平成最大の事件というと、日本においては、東日本大震災と福島第一原発事故をおいて他にないだろう。その福島第一原発事故に関係した重要な事実について、平成から「令和」に変わる前に伝えておきたい。 記事では村瀬論文の内容を詳しく紹介しているが、私がもっとも気になったのはデータの出所である。先天性心疾患の手術を受けた1歳未満の乳児の数が、原発事故後14%以上急増したのはあくまで全国的な数字なのである。記事にはこう述べられている。 手術件数は全国的に増加したということだが、福島県でも増加したのか? それについて村瀬氏はこう説明する。 「各県別のデータがないため、それは不明なのです。また、福島県の場合、心奇形の内訳が出されていないので、どれだけが重篤で複雑な種類の心奇形であるか不明で、手術数が増加しているのかどうかも非公開です。」 心疾患が原発事故の影響かどうかについては、村瀬准教授は慎重に「わからない」としている。原発事故後に乳児の尊疾患手術が急増したという事実だけの結論のみがそこにある。 政府、行政あるいは東電などは、原子力PAとしては「乳児の心疾患と原発事故は関係ない」と必ず言うに決まっているが、これからこういう事実、データはいくらでも出てくるだろう。それが科学的事実なら、いくら政府・行政権力の隠蔽・捏造・改竄が激しくても隠しおおせることは難しい。 医療にかかわる人間には医者ばかりではなく医学者もいる。科学的事実を文字通り事実として扱う医学者は必ずいる。問題は同調圧力に弱い(同調圧力を自発的に見つけて萎縮する)日本人が多いことが解明を遅延させると予想されることだが、科学的に実証された事実はけっして抹消されることはないので、遅速はあっても事態は不可逆的に進むのである。 ましてや、この心疾患の問題を日本の主要メディアが取り上げなくてもCBSが報道したように、医学者もまた世界中に大勢いるので必ずしも同調圧力に弱い日本の医学者にばかり期待する必要はないのだ。極右・ネトウヨは信じたいだろうが、日本に固有の科学、医学などというものはないのである。科学の本質は「Universality」である。 科学万能主義者を反吐が出るほど嫌っている私でも、その程度には科学を信じているのである。青葉通り。(2019/4/12 18:58~19:07) デモからの帰り道、私の前を老夫婦とその娘さんらしい人が歩いている。赤信号を待って後ろに立っていると娘さん(らしき人)が振り返って「サクラガ……」といって言い淀んでいるので、「桜ケ岡公園?」と聞き返すと頷くので「ここをまっすぐ」と答えた。 公園の灯が見え出したら、老婦人が振り返り手を合わせて微笑んだ。いい笑顔である。外国人(中国人らしい)も含めて世間は花見真っ盛りなのだが、私には花見の予定はない。桜ケ岡公園(西公園)を急ぎ足で通り抜けて帰宅するだけである。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也) 小野寺秀也のホームページブリコラージュ@川内川前叢茅辺
2019.04.12
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この3月30日で義母は115歳となった。なにごともなく無事に誕生日を迎えることができたのである。私が26歳の年の3月26日に結婚して以来の同居なので、義母とは47年間同じ屋根の下で暮らしていることになる。もはや私の母や兄姉と暮らした時間は比べ物にならないほど短くなってしまった。 誕生日のお祝いが次々と届いたが、そのなかに「日本で2番目になりましたね」と書き添えられていたカードがあった。あわててウィキペデアで検索したら、確かに日本の長寿者の2番目になっている。世界で5番目、日本で3番目というところまでは確認していたが、一つずつ繰り上がっている。おひとかたが亡くなったのである。 たいていの人はこの長寿者ランキングを「すごいですね」と祝ってくれるのだが、この順位が上がるという話題は、家族にとっては結構きついのである。口には出しにくいが、「次はわが家の番か」という思いが避けがたく湧き上がってくるのだ。そんな時、「何が起きるかわからないからね」などと、妻は自分に言いきかせるように呟くのである。 存命中の世界の十傑に5人の日本の女性が入っている。それを見ていて、義母以外の4人は福岡、佐賀、福岡、沖縄と南の県在住で、東北は義母一人である。日本の十傑を見ても、やはり東北在住は義母一人で、東京都在住の一人を除けばすべて西日本在住である。暖かければいいものではないだろうが、長寿にふさわしい気候風土というものがあるらしい。とすれば、その気候風土に抗って長生きしている義母は、長寿者ランキングの順位とは異なる別の意味を体現しているのではないかなどと考えたのだが、残念ながらそれがどんな意味かまではわからないのである。勾当台公園から一番町へ。(2019/4/5 18:21~18:39) 「風が強いよ」と言いながら出先から帰って来た妻と入れ違いに家を出た。言葉通りに強い風が吹いていて、集会が始まっていた勾当台公園野音前に着いたとき、「原発百害」、「総廃炉」と大きく墨書した紙が強風にあおられて急いで仕舞いこむところだった。 フリースピーチのマイクの声も風の音と同期するようにときどき聞こえにくくなる。ただ、強風のピークは私が公園に着いた頃らしく、少しばかり弱まって35人のデモは勾当台公園を出発した。一番町(1)。(2019/4/5 18:42~18:47) 先日、河北新報に大阪市立大大学院経営学研究科の除本理史教授の「<安住の灯>国の法的責任 明確化を」というインタビュー記事が掲載された(3月26日付け河北新報ONLINE)。短い文章だが、自公政府の帰還者政策や避難者の現状の問題点をきちんと要約していると思えるので、そのまま引用しておく。 原発事故から8年が経過し、避難者を取り巻く住まいなどの課題は複雑化、多様化が進み、いわばモザイク状になっている。生活再建が困難な人々の姿は覆い隠され、見えにくくなっていると感じる。 国は原子力政策を推進した社会的責任を認める一方で、法的な責任は争っている。公共事業には予算を手厚く配分するが、被災者支援の前提は自然災害と同様に自己責任のスタンスを崩していない。「生活再建は東電からの賠償金で賄ってください」ということだ。 賠償額は8兆円にまで積み上がっているが、元々あった収入や財産の損害を埋め合わせるものだ。大震災時に病気で失業していたり、持ち家でなかったりすればその分は受け取れない。経済的にあまり条件の良くなかった人が、厳しい状況に置かれている。 「ふるさとの喪失」などの損害は考慮されていない。原発事故の被災者は何を失ったのか、貨幣換算では見えにくい被害も明らかにする必要があるだろう。 福島県は自主避難者の帰還を促すため、2年前にみなし仮設住宅の無償提供を打ち切った。緩和措置とした家賃補助も3月で終わる見通しになり、新たな問題を引き起こしつつある。 避難者向けの復興公営住宅は県内にしかない。経済的負担から戻らざるを得ない人もおり、県外で避難を続けるのは厳しくなる。避難を終了させたい国の姿勢が透けて見え、帰還政策の性格は強まっている。 新たに家を構えたとしても、世帯分離やコミュニティーの衰退など苦悩を抱える。一人一人の実情に即したケース・バイ・ケースの復興をどのように支援するかが、今こそ問われる。 民間団体との連携はより重要度を増しているが、活動をサポートする予算規模は多くの費用が投じられる除染などに比べて小さく、継続性を保つのも困難になっている。 国による現状の政策には、人災に自然災害の枠組みで対処しようとする矛盾と、帰還など長期化が避けられない問題を10年の復興期間で終息させようとする無理がある。損害賠償訴訟などを通じ、国の法的責任を明らかにしなければ政策転換は図れない。一番町(2)。(2019/4/5 18:50~18:54) 仙台はすっかり春だと思っていたが、義母の誕生日だった3月30日とその翌日、けっこうな量の雪が降った。春に期待される仕事も遊びもしていなかったのでとくに困ることはないのだが、春との無縁感は少しばかり強くなったような気がした。 道浦母都子の「春の雪」の歌を2首。あやまちのごとく雪降る ひと一人見失いたる春の余白を [1]仄仄と春の雪降る午前二時私有物なる〈われ〉もて余す [2] 青葉通り。(2019/4/5 18:55~19:04) 春から秋までの山登り、山菜取り、茸狩り、渓流釣りと季節に寄り添うしかない遊びばかりをしてきた私のこの春は、季節感のないまま過ぎていくようなのである。3週間ほどまえ漁協や県の関係者の集まりがあって、「渓流釣りの解禁日をすっかり忘れていました」という開会の挨拶をする始末だった。 義母の誕生日の日、「春の雪も冬の雪もなんもかわらんなぁ」とふと思ったとき、この降雪が「春の雪」だったとあらためて気づいたのだ。それで道浦母都子の短歌を思い出したのだが、私が季節の中で見失ったものは何なのだろう。「ひと一人」を見失った覚えはまったくないが、もしかしたら失うべき人の不在感の喪失であろうか。出会うことも別れることもなくなった日々、ということか。[1] 道浦母都子《歌集 ゆうすげ》『道浦母都子全歌集』(河出書房新社、2005年)p. 261。[2] 道浦母都子《歌集 水憂》同上、p. 187。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也) 小野寺秀也のホームページブリコラージュ@川内川前叢茅辺
2019.04.05
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