全2件 (2件中 1-2件目)
1
前回の金デモも休まざるをえなかった。また義母が入院したのだ。6月19日の10時ころに救急搬送され、5泊6日の入院で6月24日の午前中に退院した。ようやく家族と一緒に昼食を終えてひと眠りした義母の血中酸素値が夕方になって下がってしまい、訪問医の判断で再入院が必要となった。自宅滞在7時間の後、義母は再び救急車で運ばれていった。 血中酸素量が低いことを除けばどこも悪いところはないという見立てで、今は様子見の入院となっている。115歳になっているのでいまさらのことだが、「ご高齢ですから……」という若い主治医の言葉に頷くしかないのである。 夕食の準備を早めにすまして、義母の病院を経由して勾当台公園に向かう。勾当台公園から一番町へ。(2019/6/28 18:43~18:58) 仙台もやっと梅雨らしくなって、雨の日が多くなってきた。勾当台公園では15人ほどが野外音楽堂のステージに上がって、雨を避けて集会をしている。同じ時間帯に参院選候補者の集会が勾当台公園に隣接する市民広場で開催されている。そちらに参加するスタッフもいて、今日は参加者が少なくなると予想されていたとおりである。 東北電力の株主総会の報告などのスピーチが終わってデモは雨の中を出発したのだが、あっという間に30人ほどの列になった。政治集会の方が終わってこちらの合流してきたのだ。 表小路を通るときには、まだ市民広場に残っていた大勢の人が手を振ってくれたり、なかには駆け寄ってきて拍手をしてくれる人もいた。一番町。(2019/6/28 19:04~19:12) 今年の3月26日付けの『ITmedia NEWS』に〈 “統計的に有意差なし”もうやめませんか」 Natureに科学者800人超が署名して投稿〉という記事が出ていた。「統計的に有意差がないため、2つのデータには差がない」──こんな結論の導き方は統計の誤用だとする声明が、科学者800人超の署名入りで英科学論文誌「Nature」に3月20日付で掲載された。調査した論文の約半数が「統計的有意性」を誤用しており、科学にとって深刻な損害をもたらしていると警鐘を鳴らす。 要するに、二つのデータに有意差がない場合、「差がない」とか「関係がない」という結論をするのは統計学的に間違いであるということである。 低線量放射線の被曝による晩発性障害については、しばしば「データが優位ではない」ことから「被曝の影響がない」という統計学的には誤った結論が原発推進論者によって積極的になされてきた。 この問題については、井田真人さんが『科学』(2017年7月号)に「「有意ではない」と「影響はない」の混同, そして繰り返される100ミリシーベルト問題」という論考を発表している。 井田さんは、2017年2月9日付けの読売新聞の論説の「科学的には、100ミリ・シーベルト以下の被曝による健康への影響はないとされる」という非科学的な主張を批判することから始めて、「有意である」、「有意でない」の統計学的な意味を解説している。かつて100mSv以下の被曝についてのデータが少なかった時代には、データから求められた健康への影響は「有意ではない」とされ、それが統計学的には間違いである「影響がない」という結論へ「意図的に」導かれてきたのである。「有意ではない」から統計学的に結論できるのは、「影響があるかどうかわからない」ということだけである。 もちろん、現在では多くのデータが蓄積され、「有意である」から「影響がある」と統計学的に正しく結論できるようになっていることは言うまでもない。青葉通り。(2019/6/28 19:15~19:24) 義母の入院騒ぎでバタバタしていたので疲れているだろうと思っていたが、雨のデモでも快調に歩くことができた。気分は疲れていても、体は大丈夫らしい。デモに出て、それを確認できただけでも良しとしたい。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也) 小野寺秀也のホームページブリコラージュ@川内川前叢茅辺
2019.06.28
コメント(6)
6月9日付の朝日新聞の「朝日歌壇」に次のような短歌が掲載されていた。大震災八年を経て迷ひつつ「家屋解体申請」つひにポストへ (国立市)半杭螢子(佐々木幸綱選) 私は、2011年3月11日の東日本大震災以降の「朝日歌壇・俳壇」に掲載された原発事故をめぐって詠まれた短歌と俳句をフォローしてきたが、半杭螢子さんは「朝日歌壇」の常連と言っていいほどその短歌が多く採用されている歌人である。 もちろん、私は半杭さんという方の歌を新聞紙面で読むだけで、放射能に汚染された故郷から家族ともども避難され、何度か避難先を替えて、現在は国立市にすんでおられる(らしい)ということぐらいしか知らない。ただただ、原発事故被災者として故郷を離れざるをえなかったその時々の思いを込めて発表されたその短歌に注目してきたのである。 事故から8年経ち、「朝日歌壇・俳壇」には原発事故を詠む短歌・俳句はほとんど見られなくなった。毎週、歌(句)を拾い集めている私の作業もほとんどやることがなくなって来た。それで、原発事故被災者の投稿短歌を個人ごとにまとめてみようと思い立った。その最初の歌人が半杭螢子さんである。まとめてどうしようという特別な理由があるわけではない。ただ、被災者の8年の歳月を時系列に従って読んでみたいと考えただけである。勾当台公園から一番町へ。(2019/6/14 16:41~19:08) 5月31日の金曜日は久しぶりの東京出張で金デモを休んだ。官公庁関連で遠方からの出張を伴うような会議はたいてい金曜日開催で、どうしても金デモと重なってしまう。ときどきは会議が早く終わり、間を置かずにタイミングよく新幹線の乗ることができれば金デモに間に合うこともある(あった)。6月からは夏時間採用でデモ開始時間が30分繰り下げられるのだが、残念ながら5月31日は冬時間で行われた。 次の6月7日は午後に会議が一つ入っていたが、金デモには十分に間に合う時間に終わった。前の週のデモを休んだこともあって、けっこう張り切って自宅を出たのだが、広瀬川に架かる仲の瀬橋(二階建ての橋)の上までの階段を登り切ったら急激に体が重くなってきた。発熱の徴候である。翌日にはずせないだいじな会議が予定されていたこともあって、あきらめて橋の中ごろから引き返した。 今日は金デモ以外の予定はまったくない。 朝晩は涼しすぎるくらいの日が続いたが、今日はいくぶん初夏らしい気温になった。半袖シャツで出かけたが、デモ参加者の多くは長袖だった。半袖だろうが長袖だろうが、快適に過ごせるとてもいい夕暮れである。 25人にデモが勾当台公園を出発する時間になっても、周囲はまだまだ明るい。一番町(1)。(2019/6/14 19:07~19:10)一番町(2)。(2019/6/14 19:12~19:15) 4月末に原子力規制委員会が原発の「特定重大事故等対処施設」が原子炉の工事計画の認可から5年という設置期限の延長を認めないことを決めたというニュースのことはこのブログでも書いた。 現在のところ、九州電力の川内原発1号機の「特定施設」設置期限が来年3月に迫っているものの完成見込みがないため、3月に運転停止せざるを得ないことがほぼ確実になった。川内原発2号機も設置期限の5月には同じように稼働停止になる見込みである。 こんなふうに再稼働している5原発9基もつぎつぎに稼働停止になれば、少なくとも原発重大事故の可能性はいくぶんは減るだろうから、それはそれで喜ばしい。ただ、それは「特定施設」が完成すれば再び稼働が認められるということなので、さほどのことではない。 新規制基準が求める「特定重大事故等対処施設」は、テロ対策が目的で、飛行機の衝突にも耐えられる堅牢な原子炉制御施設の建屋を意味している。最大の問題は、原発そのものには飛行機の衝突に耐えられるような堅牢さをヨーロッパのようには求めていないことである。 原子炉そのものがテロの対象となってめちゃくちゃに壊れてしまったとき、無事に残った「特定施設」から壊れた原子炉の何を制御しようというのだろう。メルトダウンを避けるため冷却水をコントロールしようというのだが、配水系だけは壊されないで残ると想像しているのだろうか。制御というのは、制御する方も制御される方もその機能を万全に保持しているときに成り立つのである。 原子力規制委員会が「特定施設の設置期限の延長を認めない」と「やってる感」満載で力んでみても、それで原発の安全性が向上するとは私には思えないのである。青葉通り。(2019/6/14 19:19~19:21) 青葉通りの欅並木の下に入るころ、仙台はやっと夜の領域に入ったようになった。車のヘッドライトを浴びて浮き上がるように見えるデモの列の風情が何とも言えない。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也) 小野寺秀也のホームページブリコラージュ@川内川前叢茅辺
2019.06.14
コメント(4)
全2件 (2件中 1-2件目)
1