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カザフスタンで使われている言語はカザフ語とロシア語です。旧ソ連時代にロシア語の使用が広まり、多くの人が両方の言語を話せます。初めてカザフスタンを訪れたときは「行く」という単語すらわからず、地図と身振り手振りでのコミュニケーションで、なんとかやっていたのですが、生活するとなるとそういうわけにも行きません。ましてや、現地の人にリハビリテーションを!なんて、とても無理。ということで、ロシア語猛特訓が始まりました。まずは、本屋さんでテキスト選び。2列も3列もある英語コーナーを素通りし、すみっこにあるロシア語コーナーに・・・。英語のテキストはあまりに種類が豊富で選ぶのに苦労しますが、ロシア語の初級者用テキストは3種類ぐらいしかないので、すぐに選べます。寂し・・・(;_;)はじめはキリル文字や単語・数字などを勉強。キリル文字には、なかなか慣れませんでした。「ロシア語のP」は「英語のR」の発音で、「ロシア語のH」は「英語のN」の発音で・・・と英語とごちゃ混ぜになります。単語は英語と似ているものは覚えやすいです。テレビは「てれびーぞる」、トイレは「とありやっと」とか。語源が一緒なんでしょうね。でも、ほとんどのものは何度聞いても書いても覚えられません。鏡は「ずいえるから」、タオルは「ぱらちぇんつえ」なんですよ~。語呂合わせも出来ない!英語だと、初めて調べた単語でも、実は以前テレビや映画のタイトルに使われてて、「あ、知ってる!」という単語もあるんですが、ロシア語ではまず無いんですよね・・・。もう脳細胞も若くないので、つらいです。(つづく)
2005年02月28日
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フライパンでパンを焼くと、どうもオヤキになってしまうのが気に入らない。ところが、よくよくトースターを見てみると、なーんと温度調整が可能で、240度まで設定できるではないですか!何で気づかなかったんだろ・・・(^^;)。230度15分で、ああ、憧れのふわふわパンが・・・!!ということで、現在はトースターでおいしいパンが焼けるようになりました。粉は、カザフスタンで売っているものは中力粉のみのようで、強力粉と薄力粉は見たことがないです。だからケーキもパサパサなのかなあ・・・。あとは、イースト菌もいろいろ試して、よく膨らむのを見つけました。パン作りはイースト菌と発酵温度に左右されるので、毎回膨らみ具合が違うんですねー。これも駐在生活で得られた技術の一つですね!まずいパンしか売って無くてよかったのかも??
2005年02月26日
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さて、パンを作ろう!とは思いましたが、うちにはオーブンがありません。駐在してすぐに電気製品を買いに行ったのですが、そのときはまだ、自分で作るなんてこと考えもしなかったので、オーブンは高いしな~と、トースターを買ってしまったのです。ということで、まずはフライパンで挑戦してみました!フライパンにオーブンシートを敷き、ごくごく弱火で暖まったら火を止めてその上で2次発酵させます。2倍に膨らんだら、弱火でそのまま10分焼き、さらにひっくり返して10分焼きます。この温度調整が難関で、温度が低いとなかなか発酵せず時間がかかるし、あまり熱すぎるとイースト菌が死んでしまって膨らまないし。そして、焼きあがりはパンというよりはオヤキ・・・どうしてもひっくり返さないといけないので、仕方ないですね。(つづく)
2005年02月25日
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よろりんはカザフスタンに来てから、パン作りを始めました。小さいころに母が作っているのを手伝った記憶はあるのですが、ほとんどクリームパンのクリームをなめていた・・・という記憶しかありません(^^;)。日本だと、100円でおいしいパンが買えるし、特に作りたいと思ったこともなかったんです。ここにきて、なぜ作り始めたかというと・・・・まずいんです、パンが。こちらに到着して1週間で、ホームベーカリーを買ってこなかったことを後悔。モッサリしてるんです。モッチリじゃないんです、モサモサなんです!見た目はおいしそうでも、いつも期待を裏切られ、口の中がモサモサしてしまうので水で飲み込まないといけません。あと、レーズンパンは数えられるほどしかレーズンが入っていない。もっとたっぷりレーズンの入ったパンが食べた~い!!(握りこぶしで!)いろんな店で買ってみて、まだましかな・・・と思うパン屋さんで購入していたんですが、「自分で作ればいいんじゃないの!?」ということに気づき、よろりんのパン職人への道!(おおげさ)が始まりました。(つづく)
2005年02月24日
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約1週間の事前調査を終えて帰国しました。数週間後に某カザフ系クリニックから事務的な仕事であれば採用できますという返事が。また、某外資系クリニックからは時々リハビリテーションの必要な患者さんもいるので、駐在時に再度問い合わせてほしいという返事をいただきました。駐在したとしても、私に出来ることが何もないという状態だけは避けたかったので、うれしくもありました。でも、実際に私のやりたいこととは現地の人に対するリハビリテーションなので、やりたいことからは離れているなあ・・・。まあいっか、なんとかなるだろー。これらのクリニックに所属しながら、現地の医療制度を知って、現地のリハビリテーションに関する情報も仕入れて、それからだな・・・・なんてことも考えていました。こんなちょっと甘い考えが、後々苦労を引き起こすことになるのですが・・・。(つづく)
2005年02月23日
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この事前調査の旅では、某外資系クリニックと某カザフ系クリニックを訪問し、その際に地元の病院なども少し見学することが出来ました。その中でわかったことをまとめると・・・1. 私の活動できる可能性訪問したクリニックは仕事に来ている駐在者や現地の労働者を対象にしているので、リハビリテーションが必要な人はそう多くはない。それよりは現地の人を対象とした病院や学校にニーズがあるのではないか。2. 現地の医療事情の悪さ医療者の給料が非常に安い(平均月50~100ドル!1日じゃないです、月です!)ために、勉強や改善に対する意欲が低いこと。これに関しては、どうやって生活しているのかいまだに不思議。設備がソ連時代のままで老朽化してしまっていること。実際に病院を見たときは、目が点でした。部屋はそれなりにきれいに掃いてありますが、階段などはホコリだらけ。治療用機器類は、お目にかかったことが無いような年代物。パラフィンは鍋で煮ている・・・・。3. 「リハビリテーション」の認識現地の人には「リハビリテーション」=「針やマッサージ、温浴など行いながらゆっくり休養すること」という認識。「リハビリテーションセンター」というものは無く、「サナトリウム」で数週間過ごしながら治療する。もちろん、作業療法士といっても通じない。実際には、リハビリテーションセンターは存在したのですが、このときは「そんなの無いよ」と言われました。作業療法士についても、同じ仕事内容と思われる職種は存在します。知名度が低いのか・・・(つづく)
2005年02月22日
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2003年はうちのだんなさん(まるお)は、日本とカザフスタンを1~3カ月おきに行ったり来たりしていました。本当は夏休みは旅行に行こう!と計画を立てていたのですが、見事に帰国することが出来ず、あえなくキャンセル・・・とほほ。日本企業は家族を大切にしないよねえ。代わりに(?)、「就職活動をしにカザフスタンにやって来い」という命令がまるおより下されたのでした。職場に無理を言い、10日間の休みを取って、いざ初カザフスタン! 当時は韓国-アルマティ間をカザフスタンエアが飛んでいたのですが、これがすごい機体を使っていて(ツポレフというらしい)、椅子が勝手にリクライニングして倒れていってしまうし、3列シートのはずなのに、真ん中の椅子が無い!・・・・そして、アルマティ空港は超おんぼろ(2003年当時。今は新しくてきれいな空港になりました)。国内便への乗換えが早朝ですごく寒いのに建物の中に入れてくれず、ずっと外で待たされて初日から冷たい扱い・・・こんなわけで不安がいっぱい募ってしまったのですが、一番不安に思ったのは英語がまったく通じない!ことでした。カザフスタンではカザフ語、ロシア語が使われていますが、「駅」とか「行きたい」なんて言葉も知らなかったため、バスに乗っても私はどこに行っているのかもわからない状態だったんです。(つづく)
2005年02月21日
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まずは、図書館で本を探すことにしました。外務省で出している「海外生活の手引き ロシア・NIS諸国編」はカザフスタンの歴史、政治・経済、医療事情、一般情報などが載っていて、「カザフスタンの医療は欧米のレベルから比べると非常に遅れている」という情報を得ることが出来ました。そしてさらに、インターネットで情報収集。世の中便利になったのね~。大使館や旅行関係のHPを見ても、一般情報しか得られなかったのですが、そのうち、nursatというHPを見つけました。これはカザフスタンに住む外国人在住者のためのページ(もちろん英語あり!あーうれしい)で、病院やクリニック、ボランティアの情報なども出ています。これは、私の活動の場がありそうだ!と期待が高まったのでした。そして、実際に現地のことについて聞いてみよう!と載っていたアドレスにメールを送ったところ、某外資系クリニックからは「ぜひお会いしたい」、ボランティア団体からは「詳しい人に聞いてみるので、カザフスタンに来る前にまた連絡ちょうだい」という内容の返事が来て、ますますやる気満々になったのでした。(つづく)
2005年02月19日
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よろりんは作業療法士という国家資格を持っていて、日本では病院で障害を持つ方のリハビリテーションを行っていました。高校生のころから、「海外で働くってかっこいい~」と単純にあこがれていて、そのまま大きくなり、海外で働くには何か技術がいるらしい!と気づいて(かなり遅い・・・)作業療法士になったのでした。そして、JICAの青年海外協力隊に参加するぞ~と、ひそかにパンフレットを集め、説明会に参加し、英語の勉強にいそしんでいたのです。そして、「そろそろ機は熟したな、協力隊に応募しようかな~」と思っていると、だんなさん(まるお)のカザフスタン駐在が2004年4月から約2年の予定であると聞かされたのでした(2003年4月ごろ)。そのころの二人の会話。よろりん「2年間カザフスタンに駐在している間、わたしは協力隊に行ってくるよ」まるお「協力隊は、すでにお膳立てされた状態で、つまらないんじゃない? それよりカザフスタンで、一から始める方がおもしろいと思うけどなあ。」よろりん「・・・・・確かに。おもしろそうかも。」ということで、せっかく集めたパンフレットは本棚に押しやられ、カザフスタンの情報収集を始めることにしたのでした。(つづく)
2005年02月18日
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みなさま、こんにちは。よろりんと申します。 2005年2月現在、カザフスタンという国に住んでいて、作業療法士としてボランティア活動を行っています。この経験を何か記録に残しておきたいと思って、ブログを始めることにしました。また、家族や友人から何やってんの?と聞かれることが多いので、このブログがみんなへの手紙代わりになればと思います。まずは、ボランティア活動を始めるまでの道のりから、つらつらと書いていきます。
2005年02月17日
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