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「雄山荘が焼けたんだってね」「あれって、大田静子が書いた日記を盗作して太宰が斜陽書いたって奴だろ?」「大田静子って誰?おかあさん」「大田治子のお母さん。太宰治の愛人ね」「妾だ」「違うでしょ!妾ってのは、世話になってる人で、愛人は違うわ」「同じようなもんだ。だいたい太宰ってのはいったいどこがいいんだか。単なる女たらしじゃないか」「そこがいいんだよ」「大田治子さんは、太宰のことを書くだけのために生きてきたみたいなものなの」「太宰のこと嫌ってるんだろうね」「でも自分の半分は太宰なんだ」「自慢じゃないが、俺は太宰なんか読んだことない」「走れメロスがあるよ」「あれは教科書に載ってたから」「じゃあ放庇なされた(富嶽百景)は?」「あれも太宰か?富士山には月見草がよく似合うってやつ。あれも教科書に載ってた」「そうだよ。放庇なされたと、富士山には月見草がよく似合う以外なんか知ってる?」「なんも覚えてない」「これだよ。なんて奴だ。走れメロスと放庇なされたしか知らないのに、盗作とか女たらしって、良く言うよ」「太宰って、五男か六男でしょ?最初から期待されることがないから、ああなれるってとこがあるわね。あなたなんか、うらやましいでしょ?」「うらやましい?それ以前に、男の風上にも置けない奴だ」「それで放庇なされた ねぇ...」「だってオヤジは舞姫だって、むつきしか覚えてないでしょ?」「 庖厨(はうちゆう)を過ぎ、室の戸を開きて入りしに、机に倚りて襁褓(むつき)縫ひたりしエリスは振り返へりて、「あ」と叫びぬ だろ?」「それは知ってるんだ」「森鴎外は太宰と違う」「じゃあむつきって何よ?」「下着だよ まさかおむつ一枚でドイツ女が出てくるわけねぇだろ」「郷ひろみの相手役がでかかった」「でかかった、でかかった」「貧乏なのにあんなに太れるわけねぇだろってみんなで言ってた」「へぇ。そんなのやってたんだ」「日経の読書欄見てて、ああこれじゃあ文学目指そうなんてならないんだなって良く分かる」「なんで?」「ベストセラーで、村上春樹が一位なのはいいけど、それ以下は、ダイエット、ハウツー、漫画かファミコンがらみばっか。村上春樹ぐらいにならなきゃベストセラーにならないんじゃやる気なくなるよ」「村上春樹は別格で、あとは、ダイエットとかハウツーが売れすぎるからじゃないかい?」「そうじゃないでしょ」「読めるものを書ける人が居ないんだよ。そんなことなら私の日常生活のほうがよっぽど面白い」「それならいいじゃないか」「面白くもなんともない私の日常より、さらにつまんないことしか書いてないのが問題なの」「オヤジが文学読んでるとこなんか見たことないよ」「自慢じゃないかが、ほとんどない」「三島は読んでたよね?」「ああ。でも、わかった。トム・クランシーのほうが遥かに面白い」「そんなもん同列に置くなよ」「両方ともどうせ全部同じ話しじゃないか」「三島はそんなことないよ。でもね、確かに、三島のは全部ああ破滅的な方向へ行くんだろうなって予測がつく」「三島の文章はすごくきれい。表現、音だけじゃなくて、文字の並びがとてもきれいなんだ」「へぇ?」「このチャーハンうめぇな」「すごいね。いつかの中国飯店のよりおいしい」「ミモザの色合いもきれいだし、全然油っぽくない」「慧(長男)が焚くメシが強いからな。チャーハンはうまくできる」「卵は半熟なんだ。別にやってるの?」「最後に合わせるんだ。なんでもそうだ」「この鮮やかな緑は?」「人参の葉っぱ」「香港のジャルダンで食ったチャーハンに匹敵するな」「あのとき、鳥も食べたね。乞食鶏って言ったっけ?」「塩の中に丸の鶏入れて窯で焼く奴ね。あれはおいしい」「私はこういう和風の味付けがいい」「これは焼き鳥のたれなんだ」「そうだ これは焼き鳥の味なんだ!」「これ、時間かかったでしょう?」「いや30分ぐらいだな」「でも、油すくって上からかけて、ひっくりかえして 大変だよ」「塩と胡椒だけも好きだよ」「これって中まで味がちゃんとしてる」「だって、穴の中にもちゃんとあぶらすくって入れてるんだよね」「どうして、こういうの作り始めたの?」「アメリカ居たとき、クリスマスの七面鳥食って、不味いんでこうやるんだって教えたんだ。あいつらオーブンで焼くだけだから、あぶらとうまみが全部落ちちゃってぱさぱさ」「クリスマスの七面鳥焼くのは、オヤジさんの仕事だからな」「そうだよ。昔は七面鳥つかまえてきて、絞めて羽根むしって...」「うわっ!これって羽根が生えてて、ここに首がついてて....」「やめなさい。食べてるときにそんな話しないの」「スケートだスケートだ」「12チャンネル?」「8チャンネルだよ」「だって、テレビ欄の一番右だよ」「あ 知らねぇな?デジタル仕様になってるから、一番右は8チャンネルなんだ」「そうなんだ」「今井遥ってきれいだね」「時代は変わっていくのね。もうミキティとか真央ちゃんなんか大御所って雰囲気だもんね」「この娘、身体柔らかいのかな?器用なんだろうね。三回転してもジャンプが低い」「高くジャンプしてると足傷めるから、長い目で見るとジャンプ低いのは悪いことじゃない」「中野友加里いいねぇ。渾身の演技だ」「昔からオヤジは中野友加里好きだかんな」「悪りいかよ」「タイツの分点数損するよ」「そうでもねぇだろう」「真央ちゃん 今度はラフマニノフの鐘だよ!この曲じゃキムヨナに勝てない」「あれだけすべれる人に、なんであんなにノリの悪い曲ばかり当てるのかなぁ」「衣装もどうにかしたほうがいいのばっか」「タラソワがだめなんだ」「衣装はタラソワだけじゃないわ。全部なんかおかしい」「あぁ鈴木明子が二位だよ。中野友加里可愛そう」「だからタイツは駄目だって言ったじゃない」「鈴木明子って、あの傲慢な感じが好きじゃない」「この娘のお顔は、お笑い系だね」「そうね。普通の時でもお笑い系の目してるもんね」「関西出身だろう?」「名古屋だよ」「どうして?」「だって名古屋なんだもん。フィギュアの衣装がおかしいのは、だいたいみんな名古屋出身なんだよ」「そうだね。真央ちゃんも、ミキティも名古屋だ」「そう言われりゃぁ、確かに名古屋だ」「......」
December 28, 2009
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しばらく前の、NHKのETV8で「シリーズ 戦争とラジオ」という特集がありました。その中で、知ったのですが、戦前から戦中にかけてのジャーナリストに、清沢冽という人がありますこの人が、戦前の中央公論に「放送の右翼化」という一文を寄稿、「仮に聴手者が朝から晩まで同じ傾向の、同じ感情の、同じ反動的な調子で講演を聞いてゐれば、一ヶ年にしてそのラヂオを通じての精神教育は完成しないであらうか」と問いかけています。 同じ番組の中で、「19世紀は新聞の時代、20世紀はラジオの時代」との表現もありました。これは、戦前のある時代にそのような認識があったということですから、その後の変遷をみると、20世紀前半はラジオ、後半はテレビ、そして21世紀初頭はインターネットの時代ということができると思います。 僕は、携帯と連動させることもあって、Yahooのメールを使用しており、そのため自分のPCのホームは、Yahooにセットしていて、おそらく、同様の理由で、Yahooをホームとしている方も多いことでしょう。その中で、最近気にしているのは、Yahooのニュース配信が産経がメインとなっていることです。僕もその一人でありますが、新聞を読まない人たちは、主要ニュースのタイトルをここで知ることが多い。クリックすればさらに詳しいニュースが見れるので、そういう人たちは、自然、産経の論調を日々目にすることになる。ところが、残念なことに、産経というメディアは、保守を標榜していることはともかく(そのことを問題とするわけではありません)、どうも、朝日がそうである裏返しに、保守反動のおかしな部分にコミットしたきらいを感じてしまう。ソフトバンクの姿勢かどうか、多分、産経のニュース配信条件が一番経済的に有利であるということが背景にあるのだと思いますが、報道のニュアンスには保守反動の匂いを強く感じます。若い人たちが毎日、こういったニュアンスの論調を見続けることは、戦前清沢の言った「精神教育の完成」につながるのではないか? 一方で、日経、朝日、読売は、三紙共同のホームページとして「あらたにす」というサイトを持っています。若い人たちは、私たちが危惧するより遥かに健全で、「あらたにす」のようなインターネットの特質を活かし、いろいろなニュースソースを比較検討し、自分としての考え方を作りあげることも可能ですから、私としてはそちらを信頼していくこととしたい。 しかし、Yahooサイトのニュース配信の在り方には、秘かなる危うさを感じるもので、思いを一つメモしておくことといたします。
December 27, 2009
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ソウル25日の聯合ニュースは、北朝鮮で当局の監視を逃れ、家庭や地下教会でキリスト教を信仰する人々が約40万~50万人に達し、秘密裏にクリスマスも祝っていることがわかったと伝えている。韓国はキリスト教の盛んな国であるが、北朝鮮にキリスト教とは?これまで、韓国のキリスト教は、第二次大戦後の米軍駐留に多くその由来を有すると考えていたが、米軍とはほとんど縁がない(戦争の相手方だった以外)北朝鮮にキリスト教が存するは、そのルーツは1910年から1945年までの日本による大韓帝国併合期にあるに違いない。それは、日本のキリスト者たちによるものなのか、或いは、欧米のミッションによるものか?日本による併合という苦しみの時期に、キリスト教にかの地の人々は救いを求め、それが、現在にまでつながっているものであろう。来年は日韓併合100年。
December 26, 2009
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小学校同級生のまっちゃんのお嬢さんが来年1月末ご結婚なさると聞いた。お相手は、長野の川中島ご出身の方という。まっちゃんの旧姓は松原さん。経堂に多くいらっしゃる苗字。同級生のまっちゃんも、旧姓「松原」だから「まっちゃん」だ。経堂の松原姓の由来は、はっきりしていて、経堂駅の南にあるお寺、「まっちゃん」主催の徳談会が開かれる、経堂山「福昌寺」(きょうどうさんふくしょうじ)開基の松原土佐守弥右衛門の松原である。弥右衛門は中国から帰化した江戸城(徳川家康の入城以前)の医師、世田谷吉良氏の遺臣ともいう。さて、この松原氏。世田谷の地名にある松原の「松原」でもある。松原は、豪徳寺駅から梅ヶ丘駅の北側一帯、西は世田谷線まで、東は、井の頭線を超えて和田堀給水所の北に達し、その南は羽根木の手前まで、北は京王線を超えて甲州街道までの広い範囲。或いは、経堂駅からの本町通りをまっすぐそのまま東(豪徳寺方面)へ行く、本町通りの続き、すなわち古道「瀧坂道」沿い、豪徳寺の北側にあった宿場「松原宿」の「松原」でもある。然らば、松原氏ご一族は、豪徳寺北側一帯にあられるかといえば、さにあらず。松原町内一円の旧家に松原姓は見当たらず、経堂にのみ、多くそのお名前を拝見する。松原のご町内に多いのは上保さんだ。ならば、なぜ「松原氏」の「松原」は、世田谷区松原、或いは、旧松原宿の「松原」なのか?それは、経堂の「松原氏」が、江戸の初期に、松原宿、或いは、松原の一帯を拓いたことによると伝わる。しかし、実は、松原宿はともかく、松原の地を開墾したとは、いづれの場所を指すのか?「それは松原(町名である松原)一帯であろう」と言われるだろうが、実は、江戸時代松原のほとんどは、水利の悪い農地には適さない場所である。現に、明治になっても、松原という村一帯は、ほとんどが山林(明治初期から中期には茶畑としてかなり開墾された)で、低地の田んぼが、川沿いに少々、畑はあまりない場所であった。しかして、松原という町名は、甲州街道が井の頭通りと交わるあたりから、京王線の下高井戸駅付近までかなり広い範囲にまたがる。おそらく、松原さんは、このあたりの甲州街道建設などに貢献された御一族なのであろう。甲州街道は、起点は日本橋というが、実質は江戸城搦め手の半蔵門であろう。そこから、淀橋台を仙川の瀧坂までほとんど高低差なく結び、さらに、府中、八王子を経て、甲府に至る。五街道の一つといっても、参勤交代で甲州街道を通る大名は諏訪、高遠、飯田の3藩のみ。むしろ、江戸城防衛、将軍家の避難を目的として整備された色が濃く、また、江戸市中への水利は、神田上水、玉川上水とも、この甲州街道沿いに整備されている。しかし、そこは土地の繋がり。昔から街道沿いには、長野、山梨方面ご関係の方が多くお住まいになっている。あちらの方が街道沿いにご商売を張られたということもあるのだろうが、旗本のお宅で、領地が甲州街道沿いというお宅も多い。特に、武田家から徳川家にお仕えになった方々は、当然、地縁、血縁は、山梨、長野方面に多くあられた。武田氏は、長野は、川中島にて、上杉氏と戦った。すなわち、川中島まで武田氏の支配下であったわけだから、まっちゃんのお嬢さんも甲州街道で、長野までのご縁がつながっているのかもしれない。
December 21, 2009
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日米合弁の広告代理店会長のBobとは友人であるけれど、直接仕事をしたことはなかった。それが、たまたま昨日、彼のプレゼンに接する機会があり、「さすが」と感じ、こんなことを考えた。彼は、以前から広告代理店業界にあったが、現職の前は「学校で教えていた」という。お父上はダートマスの教授だったと聞くので、おそらく大学の先生だったのだろう。商売柄、電通、博報堂、Asatsuなどの代理店からプレゼンテーションを受けることがあったが、どうも、肩に力が入っていて、クライアントの手前、建前が先行している印象があり、それが、あの業界のイメージであった。それが、Bobのプレゼンは、以前の経験とは、英語と日本語の違いはあるとしても、あたかも学校の先生、それも、優秀な先生の授業を聞いている感じで、非常に心地よく聞くことができた。こういうふうに学校の先生が教えてくれれば、もっと学校が好きだっただろうにもちろん、Bobは、若いころ優秀なAccount Executiveだったことは間違いないところだが、それにしても、人にわかるように話をするための訓練という部分では、日本と米国の間に歴然たる差を感じるところであり、彼のようなOral Presentationの技術は、これからの日本の教育にも、大きく取り入れるべきところではないだろうか。教育とは、教える側が理解していること学ぶ側の知りたいという意欲、興味をかきたてることの両方が必要なのだ。
December 17, 2009
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PRの一分野にVisual MerchandisingというものがあるVisualのV、MerchandisingのMをとってVMと言うが、日本国内では、もともとMerchandisingをMDと略したことに起因し、VMDと言うことが多いようだ。製造業、小売業などにおいて、自社の商品を購買層に対し、どのように視覚表現するかの戦略とでもいうものか?広くは、企業のロゴ、商品のデザイン(デザインそのものはデザイナーの手によるが、デザイン方針は重要な企業戦略である)に始まり、広告表現、ショールームのディスプレイ、ショーウィンドウの展示、店頭の商品の展示方法、或いは、企業本社、支社の接客スペース、さらに踏み込んで事務室内まで踏み込んでのイメージ構成、インテリアの選択、配置なども、この分野に含む場合もある。まだまだ日本企業では、会社の中のデザイン性ということについて、経営、営業といった分野の人たちの理解に乏しいのが現状。かなりの規模の会社となっても、商品デザインは商品デザイナー、それと商品展示スペースのディスプレイヤーはまったく別で連絡が無い、事務所スペースは総務が勝手に予算と相談している、といった事態が実情であろう。しかし、本当は、これは経営者自らが打ち出すものであっても良いし、そうあるべきかもしれないが、組織には、それなりに統一されたデザイン方針というものがあり、組織の商品、店舗、事務所、什器、備品、インテリアといったものは、全てその方針に則って整備されるべきことのように思う。そんなことをやれば、金がかかってしょうがないという人があるだろう。無論、余計な金をかける必要はない。節約に徹すること、即ち全てデザインの基本というのは、立派なデザイン方針である。要するに、組織には一貫したものがあることが望ましく、つまり、それは「社風」そのものなのだ。しかし、分かっているようでも、残念なことに、そういうことは、いつしか、「社訓」とかいう文字の形だけのものにのみ目が行き、それはそれで、相当に心に沁みいるまで、反復して教え込まれる場合もあるのだが、何せ、百聞は一見にしかず。目に見るものが、社訓に書かれているものと何ら関係ないものならば、社訓が形骸化していることを、たちまちに、頭ではなく、身体が認識してしまうのである。さて、そのようなVM部門の統括を担当させられたことがある。偶々、広報部門に置いたことにより、表に出なくなったと経営者が判断したVM部門を、同じクリエイティブ分野ということで、建設不動産担当と統合したことが原因。こちとら、建物、店舗、事務所といったところの設計部門はあるのだが、主たる業務の大半は、拠点整備計画、修繕計画、資金計画、地上げ、交渉、入札、契約、支払いといった、およそ世の中一般のクリエイティブのイメージとはそぐわないものばかり。VM部門の担当であるH君などは「土建屋の下じゃぁVMも終わりだ」と目の前で広言する始末に至った。僕がVM課長のK君に、H君の出張復命書を「いい加減な報告をそのまま持ってくるとは何事だ」と文句をつけたが彼の気に障ったのだった。「これは」まだ血の気が多い時代だったが、ぐっとこらえ「ちょうどいい機会だからVMの打ち合わせをやろう」とK君H君以下に声をかける。ほかにもいろいろとあったのだが、形式だけの出張報告など書くだけ無駄というH君の意見には、もっともと自分も思うところを感じていたこともあり、彼らにとって負担は増すが、関連部門にかけあって、出張報告の書式をVM指導報告に変え、回付先を経理、総務のほか、営業から社長までに変更。さらに半期に一度に総括を営業本部会議で報告し、年一回部門対抗のVM表彰を行うこととした。為に彼らは、一年中出張して回るはめにはなったのだが、全国の300か所以上の拠点を、毎年くまなく回り、営業部門の手の薄さをカバーする機能も果たし、現場からの評価も向上、彼らとともに自分も多いに面目をほどこした。さて、最後に短く本論。このH君、極めて優秀なVM担当で、今は責任者の地位にある。彼は、もともと営業職だったものを、当時の社長(当時)が指名してVM担当に担当替えした人だった。その社長(スイス人)に理由を尋ねたことがあり、「彼は女より男に興味があるからね」と言ったあと真顔で、「彼の実家は八百屋なんだ。八百屋の商品は季節で変わるし、天気でも変わる。場合によっては、一日の中でも変えることすらある。それだけ千変万化のディスプレイを毎日目にしていれば、自然とVMのバランス感覚が鍛えられるんだ」と答えられた。聞けば、ご自身、ご実家はGrocery Storeと。大学は、経済学部の彼が、世界を相手にVMをリードする原点は、ご実家の八百屋さんという、社長の言に、「なるほど」と得心した。「人は人物」であるが、経歴の中に思わぬ才能が隠れている場合があるのだ。
December 13, 2009
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ここ10日ばかり、たてこんでいて慌ただしく過ごしてしまった。東海から関西への出張から戻った翌日(正確には、帰宅は日付が変わってからだったから当日)、朝から定例会、いったん帰宅ののち経堂駅前「経堂図書館」で、「ほほ」主催「大人のための朗読会」今回は、聴くだけでなく、素人お客さまコーナーのゲストとして、多少のモノを読むことになっていて、心を落ち着けておかねば。経堂ということから、徳富蘆花の「みみずのたはごと」は、「都落ちの記」蘆花夫妻が、今を去ること103年前の11月、現在の蘆花公園の地に居を求めて歩いたうち、三軒茶屋から千歳村の粕谷に至るまでを書いたところを抜粋して読む。前後の女性が、それぞれになかなかの読み手で、間に挟まるは、初心者素人としては、厳しいところだが、そこは度胸。恥ずかしげもなくこなし、のちに、前後の緊張感を和らげる効果ありと広言し、己を知らぬところをさらけ出す。自分のあとの、白石さん(小学校の同級生だ)が読む谷崎潤一郎「刺青」は、ただ本を読むだけでは分からぬ凄みがあり、朗読というものが、作品と読み手の共同作業により、あれほどのものとなることを知る。お土産にと、白石さん用意の、地元桜丘中学校元同窓会長田中芳徳さんの「経堂の自然児」を皆さんに差し上げる。翌日は、午前に青山まで行き、とってかえして経堂「福昌寺」は、こちらも小学校同級生の高橋さん主催の徳談会。この日は、児童文学者の岩崎京子さん。この方、恵泉女学園のご出身とは聞いていたが、なんと、昭和4年から終戦まで経堂のお住まいで、しかも、桜丘小学校のご卒業。福昌寺は、ご幼少の頃の遊び場で、お地蔵さまの首に縄をまいて縄跳びもおやりになったとか。六地蔵は、作品だけでなく、遊び仲間でもあられた。前述田中さんは、やはり桜丘小学校のご出身。先年お亡くなりになり、福昌寺が菩提寺の高橋さんのお父上も、桜丘小学校のご卒業と承る。岩崎さん同様、経堂小学校設立前のご卒業。そんなこんなで気がついたら、あっという間に月曜の朝になっていた。
December 12, 2009
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お母上からご支援いただいた政治資金が、献金者を偽り、かつ、脱税であるとして、鳩山さん(ご兄弟ということだろう)への非難がかまびすしい。あげく、母上をお白州に引き出すような総理大臣などという論調もある。僕は、これ、結構深刻だと思っている。親が子へ渡したお金が脱税ならば、お医者さんのお子さんへの予備校費、医学部への入学金、授業料そのようなものが、この鳩山母の献金とどこまで違うものなのか?単に、富裕層(昔はこんな表現はしなかった。お金持ちでいいと思う。お金持ちは、尊敬、羨望だが、富裕層という表現には、どことなく反感、階級意識が垣間見える)だから出来るという羨望でなく、お金持ちというものに価値を置かない、貧しい心をもった人がここまで台頭し、それが当たり前となっていることに、深刻な不安を感じる。お金持ちは貧乏人の貯金箱といったは、エドモントバークと記憶するお金持ちは、お金を使うから価値があるお金持ちが、お金を使わず、それが税金となって、国が金を使う我らが如き貧乏人が金を持っても、それは、雲散霧消させるが関の山。ウソだと思うならば、戦後の農地解放を見よ。農地解放は、当初こそ、都市部への宅地供給に貢献したが、都市部においては、結果、農地を得た人々のほとんどは、それを農業のためでなく、単に、お金に換えていっただけのこと。そう申し上げては失礼だが、どれだけの方々が受け取った農地できちんと耕作を続けられているか。それが、今の都市計画不在の世田谷区を招く。拍車をかけたのが相続税。日露戦争の戦費調達目的が最初の発端。なんと、それは、近代社会で世界初のことであったという。今は、たとえそれが先祖伝来の土地であろうが、新たに農地改革で得たものであろうと、猫の額ほどの土地を超える宅地を勝手に評価し、多額の相続税を請求するがために、世田谷の田園はのほとんどは宅地となってしまった。人々が、耕作への意欲を失い、先祖伝来の土地を失うことは、むろんただ相続税、農地改革のためのみにあらず。しかし、この状態は、どうみても、意図したものとは異なる。あげく、今回の鳩山献金問題は、官僚は、親が子供のためにお金を使うこと(ある意味確かに相続税逃れという部分はある)まで、贈与だと言いだしているということ。首相ばかりを罵倒していると、それが、いつしか自分たちの上に跳ね返ってくることを知らぬ者の言いようばかりで、これでは困るのだが.....:::::::::::::::金原さんが父を高尾山にお連れいただいた。本人は、「良いところであった」とご満悦だが、朝、お約束の時間に起きられず、相当にお待ちいただく羽目に当然、朝食は採れず、低血糖となり、山から下る途中、足許が定まらず、救急車のお世話になった模様。「朝食は食べましたか?」との金原さんの問いに「食べた」と答えたようだが、それはあるまい。忘れているのです。その後、休憩所で、ラーメン一杯と、おにぎり三つをたいらげ、翌日は鎌倉へ出かけていった。高尾山の印象を尋ねたが、「良いところ」というだけで、そのような事故のことは、何も言わなかった。金原さんが心配してお電話をいただいたが、そのときも事故のことは記憶になかった様子。都合の悪いことを全部忘れられるというのは、悪いことばかりではあるまい。だけど、オヤジ、ほかの方と遠出はもう駄目だなぁ。どうしようか。
December 11, 2009
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第三セクター取締役への就任が内定し、面接に行ってきた。非常勤、無給ではあるが、非採算部門の処理、収益力の向上、地域振興への貢献など、多方面にわたり、従来の役所とは異なる立場からの意見を述べることになる。地方自治は、民主主義の学校と言われる。民主主義は、生活に直結する地元市町村の運営への私たちの関与、意識が、基礎自治体から国政にいたるまでの政治への私たち国民の政治への参加の基本にあるとの意味であろう。しかし、現実として、私たち国民の政治への意識は低いと認めざるを得ない。民主主義の主人公、殿さまは国民である。私たちは、しかし、ぶつぶつと文句、不満を言うことはあっても、方向を示さず「良きにはからえ」と言うのみの、人任せ、馬鹿殿であったのが実情であろう。「そんなことはない」という多くの方々に問う私も含めて自分と家族のことはまだしも、投票よりほかに、公共に関する事項について、役所に訴える行動を行った方がどれだけあるか?それもなく、不満を言うことは、無責任でしかない。我々多くの職業選択は、志ばかりでなく、生計の算段もあるし、将来への打算、そして、職業選択時における現実との妥協といった様々なことの結実である。今日、中央、地方を問わず官僚への不満は多い、しかし、彼らの多くも私たちと同じ人間である。馬鹿な経営者に、方向も定めず「良きにはからえ」と言われては、民間企業ならば、そう長くは続くまい。その意味で、官僚の人たちは、良くやってきたのであるが、それだけに病根は深く、改善には相当の苦労が必要である。公共事業、施設、第三セクターといったものは、本来、地域振興、住民利便、生活改善といった善き目的のために考えられた政策の結実である。しかし、その中に、一部の歴代首長、議員、有力者、指導的立場にある官僚、労働組合といった影響力により、作ることだけが目的となり、運用の現場においては、十分な人もお金も与えられぬまま、放置、放任されてきたものも多く含まれる。そのようなことに、どのように関与していくのか。模索は続く。
December 2, 2009
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