全2件 (2件中 1-2件目)
1
![]()
イギリスの科学者チャールズ・ダーウィンは、1809年にイギリスのシューズベリで生まれの自然科学者です。 ”ダーウィン 「進化論の父」の大いなる遺産”(2024年7月 中央公論新社刊 鈴木 紀之著)を読みました。 ”種の起源”を著して進化論を提唱し、自然淘汰による進化という考え方で生物学に革命をもたらした、ダ-ウィンの生涯を紹介しています。 一般に生物学者と見なされていますが、自身は存命中に地質学者を名乗っていました。 1831年にケンブリッジ大学神学部を卒業し、イギリス海軍測量艦ビーグル号に乗り組み世界一周の航海に出ました。 1836年に航海より帰って、1839年に航海記が出版されました。 1858年にロンドンのリンネ学会で、生物学ウォーレスの論文とともに進化論を発表しました。 そして、1859年に”種の起源”が出版されました。 これにより、全ての生物種が共通の祖先から長い時間をかけて、自然選択のプロセスを通して進化したと明らかにしました。 進化の事実については、存命中に科学界と一般大衆に受け入れられました。 しかし、自然選択の理論が進化の主要な原動力と見なされるようになったのは1930年代です。 ダーウィンは科学に革命をもたらしましたが、大発見は進化論にとどまりません。 人類の起源、感情の由来、性淘汰、動物の心理、新種の化石の発掘、サンゴ礁の形成、家畜・作物の品種改良、花と昆虫の関係などなどたくさんあります。 鈴木紀之さんは1984年神奈川県横浜市生まれ、専門は進化生態学と昆虫学です。 2007年に京都大学農学部を卒業し、2009年から日本学術振興会特別研究員等を経験しました。 2012年に京都大学大学院農学研究科博士課程を修了し、農学博士となりました。 2014年に立正大学地球環境科学部助教、2016年に米カリフォルニア大学バークレー校研究員などを歴任しました。 2018年より、高知大学農林海洋科学部准教授となりました。 チャールズーダーウィンは、1819年に10歳でシュルーズベリーの寄宿制のパブリック・スクールに入学しました。 狩猟に夢中になり、1825年6月に父より学校を退学させられました。 10月に、医学を学ぶためにエディンバラ大学に入学しました。 1828年に19歳でエディンバラ大学を中退し、1829年にケンブリッジ大学のクライスト・カレッジに入学しました。 ここで植物採集に開眼し、植物学者ヘンズローに気に入られました。 1832年1月に23歳でケンブリッジ大学の学士号を取得して、6月に同大学を卒業しました。 8月にビーグル号への搭乗を持ちかけられ、12月にイギリスのプリマスから乗船して出航しました。 以後、カナリア諸島のテネリフェ島、アフリカのサンチャゴ島を経て、ブラジルを始め南アメリカ東岸・西岸を回りました。 イギリスを出発してから、3年半が過ぎていました。 東太平洋上の赤道下にあるエクアドル領のガラパゴス諸島では、ウミイグアナやガラパグスフィンチなどに出会って観察や実験を行いました。 続いて太平洋に行き、タヒチ、ニュージーランド、オーストラリアなどを回りました。 最後に、インド洋、喜望峰を回って、もう一度ブラジルに立ち寄りました。 そして、4年9か月におよぶ長旅を経て、1836年10月にイギリスに帰国しました。 1839年1月に30歳でエマ・ウェッジウッドと結婚し、5月に”ビーグル号航海記”を出版しました。 ダーウィンは進化論を提唱した人物として知られ、自然淘汰による進化という考えは生物学に革命をもたらしました。 今では多くのゆるぎない証拠によって、その妥当性と普遍性か確かめられています。 19世紀のヨーロッパで支配的だったのは、人間と生き物は神によって創造されたとする宗教観でした。 聖書の教えと対立した進化論という考え方は、後代の人々の思想や社会にも影響を与えつづけました。 ダーウィンの生涯は、科学史の観点から語られることもよく見られます。 注意すべきは、進化論が優生思想と結びつくと差別を正当化する科学的な根拠と見なされてしまうことです。 自然淘汰という考え方は、弱肉強食の論理とも言われてきたからです。 進化論とともに、ダーウィンの名は広く世に知られています。 しかし、そのダーウィン像は実際のほんの一部を反映しているにすぎません。 実際には、進化論の提唱者としてのイメージの何倍もの著作を書き上げ、何倍もの科学的価値を後世にもたらしました。 ダーウィンには進化論に匹敵するような発見がいくつもあったこと、に気づかされるそうです。 サンゴ礁の形成、古生物の化石の発掘、作物と家畜の品種改良、フジツボの分類、動物の心理と表情、人類の進化、花と昆虫の共進化、植物の反応と動き、ミミズと土などなど。 これらのテーマは一つ一つが重いもので、どれかひとつでもダーウィンと同じレベルで取り組むことができたら開拓者として不朽の名を残すであろうといいます。 ダーウィンはそれらすべてを、大学に所属することもなく自宅で研讃し成し遂げました。 また、性淘汰などのアイデアに関しては、その重要性に気づくまでに数十年かかったものもあります。 性淘汰とは、異性をめぐる競争で有利な形質が子孫に伝わることで生じる進化です。 自然淘汰は生存に有利になるように働き、性淘汰は繁殖に有利になるように働きます。 さらに、現代でもまだ検討されていない驚くべきアイデアが著作の中に散見されるそうです。 ダーウィンの書いた本や手紙を読めば、研究者にとっては宝探しのような体験を味わうことができるといいます。 そこで本書では、進化の考え方をわかりやすく解説しつつ、ダーウィンの生涯と科学的功績を振り返っていきたいとのことです。序章 ダーウィンが変えたもの/第1章 ビーグル号の航海/第2章 『種の起源』の衝撃/第3章 人間の由来と性淘汰/第4章 植物と生きた晩年/終章 もしダーウィンが現代に生きていたら[http://lifestyle.blogmura.com/comfortlife/ranking.html" target="_blank にほんブログ村 心地よい暮らし]ダーウィン 「進化論の父」の大いなる遺産 (中公新書 2813) [ 鈴木紀之 ]【中古】 進化論の不思議と謎 進化する「進化論」~ダーウィンから分子生物学まで / 山村 紳一郎, 中川 悠紀子 / 日本文芸社 [単行本]【メール便送料無料】【最短翌日配達対応】
2025.02.15
コメント(0)
![]()
アルベール・カミュは、1913年にフランス領アルジェリアのモンドヴィ、現、ドレアン近郊で生まれました。 ”アルベール・カミュ 生きることへの愛 ”(2024年9月 岩波書店刊 三野 博司著)を読みました。 史上2番目の若さでノーベル文学賞を受賞したフランスの小説家・劇作家・哲学者・随筆家・記者・評論家であったカミュについて、アルジェリアでの出生から不慮の死までを紹介しています。 19世紀初めに祖父がフランスからアルジェリアに渡ってきて、父親は農場労働者でした。 生まれた翌年に父がマルヌ会戦で戦死し、以後、母と2人の息子はアルジェ市内の母の実家に身を寄せました。 この家には、祖母のほかに叔父が一人同居していました。 聴覚障害のあった母親も含め、読み書きできるものは一人もいませんでした。 カミュはこの家で育ち、貧しいものの自然に恵まれた幼少期を過ごしました。 カミュの著作は、不条理という概念によって特徴付けられています。 不条理とは、明晰な理性を保ったまま世界に対峙するときに現れる不合理性のことです。 不条理な運命を目をそむけず、見つめ続ける態度が反抗と呼ばれます。 人間性を脅かすものに対する反抗の態度が、人々の間で連帯を生むとされます。 病気、死、災禍、殺人、テロ、戦争、全体主義など、人間を襲う不条理な暴力と闘いました。 一貫して、キリスト教や左翼革命思想のような上位審級を拒否しました。 何よりも時代の妥協しない証言者で、あらゆるイデオロギーと闘い、実存主義、マルクス主義と対立しました。 超越的価値に依存することなく、人間の地平にとどまって生の意味を探し求めました。 そして、父としての神もその代理人としての歴史も拒否しました。 三野博司さんは1949年京都生まれで、1974年に京都大学文学部仏文科を卒業しました。 1976年に、大阪市立大学大学院修士課程を修了しました。 1978年に同文学部助手となり、1983年に講師となりました。 1985年に、フランスのクレルモン=フェラン大学博士課程を修了し、文学博士となりました。 1986年に大阪市立大学文学部助教授、1991年に奈良女子大学文学部助教授、1996年に同教授となりました。 2010年に同文学部長となり、2015年に定年退任し同名誉教授となりました。 1982年の日本カミュ研究会設立以来代表を務め、2007年に国際カミュ学会副会長となりました。 カミュは1918年に公立小学校に入学しましたが、貧しいサンテス家では高等学校へ進学する希望はありませんでした。 庇護者を失った子どもは、アルジェの貧民街で少年時代を過ごしました。 そして、17歳のときには、当時まだ治療薬のなかった結核を発症して死を覚悟しました。 しかし、教諭のルイ=ジェルマンはカミュの才能を見抜き、家族に進学を説得しました。 これにより、カミュは1924年にアルジェの高等中学校リセ=ビジョーに進学しました。 この時代にリセの教員ジャン・グルニエと出会い、文学への志望を固めていきました。 その後、1930年より結核の徴候が現れて喀血し、病院退院後もしばらく叔父の家で療養生活を送りました。 そして1932年にバカロレアに合格し、アルジェ大学文学部に入学しました。 在学中の1934年に、眼科医の娘であったシモーヌ・イエと学生結婚しました。 これをきっかけに結婚反対の叔父と疎遠になり、アルバイトやイエの母親からの支援を受けながら学生生活を続けました。 しかし派手好きなシモーヌとの生活はやがて破綻し、後に離婚することになりました。 1935年に、グルニエの勧めもあって共産党に入党しました。 しかし党幹部とアラブ人活動家たちとの間で板ばさみになり、最終的に党から除名処分を受けました。 第二次大戦が始まると、レジスタンスに参加してナチズムと闘い、反抗と連帯の価値を見出しました。 しかし、戦後は対独協力者の粛正をめぐり殺人と正義の問題に直面しました。 第二次世界大戦中に刊行された小説”異邦人”やエッセイ”シーシュポスの神話”などで不条理の哲学を打ち出しました。 戦後は、レジスタンスにおける戦闘的なジャーナリストとして活躍しました。 戦後に発表した小説”ペスト”は、ベストセラーとなりました。 東西冷戦の時代には、歴史を絶対視する思想と左翼全体主義を批判しました。 エッセイ”反抗的人間”において、左翼全体主義を批判しました。 1957年に、史上2番目の若さでノーベル文学賞を受賞しました。 受賞時に行った講演で、芸術の偉大さは、美と苦しみ、人間への愛と創造の狂熱、拒否と同意、こういったものの絶えざる緊張関係にあると述べました。 カミュを読むということは、この緊張関係に身を置くということです。 カミュはノーベル賞記念講演の出版の際に、ルイ=ジェルマン先生へとの献辞を添えました。 1960年に交通事故により急死し、未完に残された小説”最初の人間”が1994年に刊行されました。 東日本大震災とそれに続く未曽有の大惨事は、日本人がカミュの”ベスト”を再発見する機会ともなりました。 この小説は、単に第二次大戦のレジスタンスを疫病との闘いに読み替えるだけではありませんでした。 それはより広く深く、人類を襲う不条理な暴力との闘いの物語でした。 それから9年後、この小説は世界中で再読されることになりました。 しかも、コロナウィルスと同じ速さで世界中を駆けめぐりました。 この小説を再読することが、今日の状況を理解するために有効でした。 適切な対策を講じることができない政府のあわてふためきから、医療者の勇気ある献身的行動まで、すでに小説のなかに描かれていました。 まさに、現実のほうがフィクションを模倣しているように思われました。 この小説が時代を超え読み継がれているのは、ペストをあらゆる不条理の象徴として意図的に描かれたからです。 時代ごとに、ふさわしい読み方ができるのです。 カミュはこれまで、それぞれの時代が抱える課題のなかで読み継がれてきました。 カミュは生前も死後も一貫して、一般読者から見放されることが一度もなかった作家です。 1989年のベルリンの壁の崩壊は、左翼全体主義を批判したカミュの立場の正しさを立証しました。 90年代から続いたアルジェリアのテロは、テロリズムについてカミュの考察を再発見する機会をもたらしました。 今日フランスにおいては、あらゆる場所でカミュが引き合いに出されています。 カミュは、時代の趨勢に流されない明晰な目をもっていました。 超越的な価値に依存することなくこの世界に生きることを愛し、人間の次元に立って不条理に反抗しました。 成功の確信や救済の約束がないとしても、人間が自分の職務を果たすのを受け入れることがメッセージでした。 世界の美しさと人間の苦しみと、その双方に忠実であろうとしながら生きる意味を探求し続けました。 時をこえて私たち自身の生をも映し出し、その現代性はいまも失われていません。 ここでは、個々の作品論や主題別の論孜を執筆するのではなく、カミュの全体像をどのように提示したいといいます。第1章 アルジェリアの青春ー「節度なく愛する権利」(貧民街の少年/習作から最初の出版へ/地中海の霊感)/第2章 不条理の時代ー「世界の優しい無関心」(『異邦人』-戦時下パリ文壇への登場/パリの劇作家)/第3章 反抗の時代ー「われ反抗す、ゆえにわれらあり」(レジスタンスから解放へ/『ペスト』-長い労苦の果ての成功作/反抗と正義の戯曲/冷戦時代の論争)/第4章 再生へ向けてー「孤独と読むか、連帯と読むか」(失意の時代とアルジェリア戦争/『転落』-周囲を驚かせた傑作/ノーベル文学賞)/第5章 愛の時代ー「私の夢見る作品」(不慮の死と遺作/『最初の人間』-未完の自伝的小説) [http://lifestyle.blogmura.com/comfortlife/ranking.html" target="_blank にほんブログ村 心地よい暮らし]アルベール・カミュ 生きることへの愛 岩波新書 / 三野博司 【新書】カミュ伝(インターナショナル新書)【電子書籍】[ 中条省平 ]
2025.02.01
コメント(0)
全2件 (2件中 1-2件目)
1
![]()

