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本館の掲示板に、前に書き込んでくださっためいさんのお話が、私の心の中のスイッチを押すらしくて、思い出すたびに泣きたい気持ちになります。 お父様が重病の時、遠くに住んでいらしためいさんは、片道7時間かかる看病に、毎週通われたそうです。とにかく遠いので、病院に着く時間は遅くなり、近くで早く来ている叔父様に、「夕方来たの?」と暗に遅いじゃないかという言われ方をして、悲しかったというようなお話でした。 泣くような話ではないのですが、私には切ない話です。めいさんは少しでもお父様の近くにいたかったでしょう。その切ない気持ちがものすごくわかります。切ない気持ちが私の心のスイッチを押して泣きたくなるのでしょう。 めいさんは私が弟夫婦に傷ついてあしざまに書くので、なだめてくださる意味で書き込んでくださったのですが、私は違う意味で、なだめられました。めいさんの切なさ、それは私にはすごくわかるのだけど、弟夫婦にはわからない。私はそれを責めてた。でも、「切なさを持て」と求めるのは、無理なんですよね。それは求められて持てるものではないから。弟はそれなりに切ないことでしょう。奥さんは無関心でも仕方ないです。私が間違っていた、と思います。 めいさんは遠くに住んでいらして、私は近くにいる。それで毎日会えるのに、贅沢なんですけれど、もっと母に気持ちも時間も割きたいのが本音です。 スキルス胃癌の末期だと言われたら寿命だと思えって、そういう言葉も目にする(PCでね)毎日の中で、抗がん剤開始前の今の時間を楽しんでくださいと優しい主治医にも言われました。 家に帰って、好きな事をする患者さんが多いのです。私に負担をかけたくない母が、帰りたくないと言い、せっかくの時間を、病院で過ごしています。毎日会えることに感謝していますけど、欲張りなのでやっぱり切ないのですよね。 欲張らずに、今出来る事をしようと思うのも本心なら、欲張った事が出来なかった事を一生忘れない、そういう気持ちもどちらも本心です。 先立つだろう親を見なくちゃいけないのは、どうしたって切ないのでしょうね。欲張りじゃなくても。 さあ、今日もシュウトメちゃんの湿布を貼って、処置のために病院に連れて行きます。帰りは義姉に送ってもらうそうだから、お茶していってもいいように、居間を掃除しなくてはね。 母の食べられそうなものを作ってパックに詰めて、元気な顔して母の病院に行くことにします。夫と長男は朝6時半に家を出ましたが、長女はまだ寝ています。 まだ洗濯物を干していないのに、日記を書いてるkoalaでありました~。
June 30, 2007
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私だけで抗がん剤治療の結果を聞きました。素晴らしい結果とも言えませんが、ほっとしました。胃の癌の方は少し大きくなっています。これは母にはナイショにしなくては。『あまり変わっていない』くらいにしておこうかな。でも転移した首のリンパの癌は小さくなり、腫瘍マーカーの値も下がっていました。 2週間の休みの後、抗がん剤治療を再開です。最悪のことも覚悟していたので、嬉しいです。次回は、前回の抗がん剤に別のものを組み合わせるので、薬が少し強くなる分、副作用も出るかもしれないとのこと。 家に帰ってから調べたらTS-1(母が使った抗がん剤)にシスプラチンというのをプラスする事が多いみたい。これも調べてみるとほとんど全例で副作用、悪心・嘔吐・食欲不振を起こすらしい・・・。大丈夫かな。 『効いていないので、治療をやめましょう』と言われるのが、とても怖くて、でもしっかりしてなくちゃと思ってて、母のショックを和らげる言葉もあれこれ考えていました。 それが抗がん剤治療をもう一度出来るというのです。副作用が少ないようにと祈るのはもちろんですが、母が治療中止でがっかりしないことが救いです。 小休止の2週間の間、食べられそうなものを差し入れて、抗がん剤に対抗できる体力をつけないとね。ほとんど全例で、という字を読むとめげるけど。 抗がん剤治療の他に、免疫療法というのをやっています。入院先の病院はとても開けていて、他院の免疫療法の投薬も、薬剤師さんがチェックして、入院先の治療と相性が悪くないか見てくださるのです。相性が悪くなければ、飲んでかまいませんという姿勢です。自分で購入した健康食品や民間療法も同様です。 免疫療法でAHCCとGCPという2種類の処方を受けています。AHCCは免疫を高め、GCPは癌の血管新生を阻害するとか。効いてると信じるのが大事かもしれませんね。 神様、もう少し母にいい時間をくださいね。
June 28, 2007
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私が今日、病院に行った時には、もう胃カメラが終っていました。検査時間がわからないとは聞いていましたが、予約患者の合間にさっと入れて済ませちゃったみたい。なので、麻酔もなしで苦しかったようです。抗がん剤は効いたのか・・・。 結果と今後の話は今日かな?と思っていましたが、胃カメラの前に「長男さんが来てらっしゃるようですが、今度お見舞いにいらっしゃるのはいつですか?結果をお姉さんと一緒にお話しますね。」母はそう聞かれて、とっさに「いつ来るかわかりません。」と答えちゃったそうです。 「東京に行って、大阪に行って、岐阜に行ってから、こっちに来ると思うんですが、いつだったか・・。娘に話してくださればいいですよ。」なんだか長男と仲の悪い母親みたいじゃないですか・・。「聞いた気がするんだけど、呆けてるのか忘れっぽくて。お医者様、呆れてたよねぇ。」 「昨日は東京に行って、子供を預けてから、最終便でこっちに来たんだよ。今日仕事だったから。で、今日は仕事が終ってから東京に行って泊まって、明日は岐阜の奥さんの所に子供連れで行って、夕方から東京で奥さんの一家と過ごすんじゃなかった?大阪?そう、大阪に遊びに行くっていうのはいつだっけ?」私の頭も呆けてるみたいで、頼りになりません。なんで『弟と一緒に結果を聞く』ということが、今まで頭に浮かばなかったのでしょう。呆けてる。 弟は明日はこちらに泊まるので、夜来るんじゃないかな?その時にナースステーションに寄ってもらって、この日なら説明が聞けるという日を伝言してもらおう。 母は弟が話を聞いたって、どうなるものでもないから、私だけ聞けばいいと言いましたけど、来ているのをないがしろにしなくてもいいじゃない?質問したいこともあるかもしれないし。 そう言うと、質問なんかするもんですか、と母。確かにそうだけど、何かすねてる??大阪に遊びに行く話なんかしたせい??そう聞いたら、そんなんじゃない、って言うので、私の見てないところで、何か無神経発言したのかも?マザコンに育たなくてよかったと思えばいいよって言うと、苦笑いしてましたが、理由は言わなかったです。 帰宅したら、親戚から電話がありました。夫の父方の伯母が、腰の骨を折って入院しているとか。他の兄弟に連絡してくださいとのことで、こちらのお見舞いの相談もしなくてはいけません。 可哀想なこの伯母は、犬の散歩中転んだそうで、20日に手術は成功していて、今はリハビリが始まったとか。高齢なのでリハビリも大変だけど、頑張り屋なので、きっと大丈夫。 シュウトメちゃんは相変わらず肩が痛い、痛いと言うし、高3の長女は期末試験に突入したし、勤め始めた長男は疲れた疲れたと言って帰ってくるし、母の事に専念したいんだけど、なかなか難しいですね。家の中がぐちゃぐちゃで気持ち悪い・・・。じゃ、掃除しなさいって?ごもっともです・・。
June 27, 2007
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母のCTを撮る日だったので、結果も今日かと思い、けっこう覚悟など決めていたのですが、明日胃カメラを撮る事になったということでした。両方の結果と多分今後の方針の説明は、明日か明後日になるのでしょう。胃カメラの事を看護婦さんに言われた時は、私は病院にいなかったのです。 覚悟は決めていなくちゃいけません。かつて逸見アナウンサーがかかったスキルス胃癌。一般的な胃癌が、胃の表面に出来るのに対し、胃癌の約1割であるスキルス胃癌は、深い所に出来て胃全体に広がって発見されにくく、進行が早く、転移もしやすいというやっかいな癌なのですね。胃全体が固くなります。以前の胃カメラの写真でも、胃が変形していましたし、出血も見られました。 お世話になっている病院が、余命告知をしないのは、実に正しい、とkoalaは感じています。あれって、あんまり当てにならないのですよね。このくらいで寿命、という医師の判断材料以外の、いろいろなことが作用して、実際の余命になるのでしょう。最初の『長くありません』だけで充分だと思います。実際の話、その話を聞いた1ヶ月前には、6月いっぱいもつだろうか?と思っていました。 いつその日が来てもおかしくないという覚悟のもとに、今日もいただいている命に感謝して生きられれば、そしてなるべく苦痛のない最後の日を、悲しいけれど、感謝と共に閉じられれば、それで素晴らしい一生ではないかと感じます。ただね、それほど人間って強くないはずだから、母には『私の闘病生活はまだまだ続くけど、koalaもいるし、前向きでいなくちゃと思ってもらわないとね。 今日の朝、弟が甥っ子を連れてきました。4歳でとっても可愛いの。母が嬉しそうでした。昨日来た時は、眠くてぐずってたそうです。koalaが今日の子守を断っちゃったので、弟がお昼の新幹線で、東京に連れて行くのですが、その前に病院に寄ってくれたんです。1時間くらい病院で、機嫌よくしていました。 母が後で『昨日、射なくてよかったよ~』と言いました。何でも、昨日いなかった私を弁護しようと思って、朝早くからお弁当を3つ作って、家事も片付けてから毎日来るし、夜だって家事があるので忙しいって、私のことを言ったそうなんです。そしたら『忙しいのに毎日?毎日来なければいいのにね』そう返されて、びっくりしちゃったそうです。 母は怒っていなくて、本当にカルチャーショックだったらしくて、『悪気はないのよね。こんな体になっちゃって、娘が毎日傍にいてくれるだけで心強いっていう、そういう気持ちが多分理解できないのよね。』 『それにね、子供がぐずってS(弟)が抱っこしたの。それをチラッと見て、私のどが渇いちゃった。自動販売機があったわよね、って言って、さっと病室を出ていっちゃったの。売店に行ったみたい。』 お見舞いの間くらい我慢すればいいのにって、そう母が思ったのかなと想像しましたが、『子供を抱っこしているSに、あなたも何か飲む?とも聞かないで、自分だけ飲みに行っちゃったの』 そこがポイント?!我が子が可愛いわけね、お母さん。(笑)でもあの夫婦は、欲しかったら『○△も買ってきて』とかちゃんと頼めばいいでしょ、っていう考えだよ。可愛い息子(甥っ子じゃなく弟。いい年だよ~)が喉かわいたまま嫁に放置されたのが気に入らない母の顔は、何だか子供っぽくて笑えました。 最後は甥っ子が可愛いという話になって、母と笑いながらあれこれ話しました。病気と共存するのに一番必要なのは、こんな風に笑える時間かもしれません。
June 26, 2007
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弟夫婦と甥っ子4歳は、昨日東京に着きました。今日は愛知県の母の病院に来る日です。時間は夕方かな、とメールで来ていたので、シュウトメちゃんの現状を話し、病院に行く日なので、夕方だと家に帰ってるかもと返事をしておきました。 半分は言い訳だったかも。冷たいけどあまり会いたくない。私も忙しい身なので、夕方まで弟夫婦を待って、電話で呼ばれて新幹線駅まで迎えに行き、弟夫婦のお見舞いが終わったら、ホテルまで送る。普通ならそうするところですが、それがイヤになりました。 3時に連絡があり、夜7時くらいに着く予定だとのこと。 1日だけのことじゃないの。礼儀を尽くそう。普段の私ならそう思うはずなのですが、夫に言えば、呆れるのは目に見えているのですが、前日に着いていて、7時に来るのは向こうの選択。向こうも私に会いたくなくて7時にしたのかもしれないし。東京でゆっくりしたかっただけだとは思いますけど。 シュウトメちゃんの肩の骨の炎症で、夕方受診すること、毎朝、母の食べられそうなものを作って病院に行き、夕方には買い物を済ませて自宅で家事してるって、とっても忙しいってメールしておいたのです。それでも7時に来るなら、タクシー代わりに待ってホテルに送り届けるまで付き合うのってストレス。 母が私にいて欲しそうなら考えたのですが、母は「さっと来て、さっと帰る予定だろうから、運転手にならなくていいよ。帰りなさい。」とクールな(?)反応だったので、帰宅しちゃいました。 仲の悪いきょうだいではなかったんだけどね。今だって怒ってるわけじゃないんだけどね。でも、今は疲れてるから、疲れることを本能で避けてるかも。避けちゃったけど、弟にとってもいい時間であることを姉として心から祈っています。可愛い4歳の甥っ子には、絵本を3冊置いて来ました。短い時間でも、4歳の子に病室は退屈だろうから、シール絵本としかけ絵本と普通の絵本。 甥っ子の笑顔で、母の気持ちが癒されますように。ごめんね、こらえ性のない娘が帰宅しちゃって。 抗がん剤、TS-1の投与は今日で4週間分が終了。明日のCTでがんが小さくなっているかどうか調べます。どうか抗がん剤が効いていますように・・・。
June 25, 2007
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シュウトメちゃんは肩の骨が炎症を起こしていて、湿布と痛み止めを使っていますが、痛そうです。骨に炎症、というのがわかったのは金曜日。「ぶつけたの?」と思わず聞いた私。でも、そういうことは何もなかったそうです。 こういう事態を避けたくて、「私がいなくても家事なんかしなくてもいいよ」と言ってきたし、本人もしていないと言うのですが、左半身不随になって長いので、いろんな無理が、出てくる年代になったのかもしれません。 可哀想なシュウトメちゃん。こんな時なので、私もあまり手厚いことはしてなくて、湿布を貼り、慰めの言葉をかけるだけ。 今、シュウトメちゃんの右腕には、肩に2枚、肘に1枚、手首に1枚、計4枚の湿布が。左手が不自由なので、自分で貼ったりはがしたり出来ないので私がやっています。でもね、今は暑い日もあるでしょう?「かゆくなったからはがしたい」と思っても、自分ではがせないんです。辛いだろうなぁ。 今日はかゆかったのではなく、お風呂に入りたい時に、私がそばにいなかったので、貼ったまま入ったんだって。これにはちょっとびっくり。いつも寝る前に入るのに。「今日はずいぶん早くお風呂に入ったんだね。今から入りたいからって呼んでちょうだいね。」 でも、これも難しいのよね。わざわざ呼んで何かしてもらうのって、避けたいのが人情だというのはわかります。私がキッチンで食事の支度をしていた時なので、そんな時に呼ぶのって、呼びつけるみたいで、引け目に感じるんじゃないかなと想像できます。昔のシュウトメちゃんなら平気だったと思いますが、年と共に、どんどん丸くなっていますから。 シュウトメちゃんの痛みが軽くなりますように。最近は願い事ばっかりだわ。
June 24, 2007
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母は4人部屋に入院しています。一度部屋を代わっているのもあって、いろんな人と同室になりました。親しいお付き合いはみんなしていないようですが。 お隣のお婆さんは、看護婦さんでなくドクターに「抗がん剤が残念ながら効いていないのですが・・」と言われていたのが聞こえたそうです。病室で?と驚きました。それも本人1人の時に? 本当は本人の弟さんが聞きにくるはずだったのに、時間を過ぎてもいらっしゃらなかったそうです。「効いていないのですが・・・」の続きは、他の抗がん剤は強いので、今の体調では耐えられない、ということでホスピスを勧められていたそうです。 それを聞いて母は「この間の看護婦さんの話、あれはきっと医者の真似をしてみたかったんじゃないの?でも医者じゃないから他の抗がん剤に耐えられないとか、ホスピスを勧めるとか、そこまでしちゃまずいから、ああいう言い方をしたんじゃない?」そうかもしれないですね。 そのおばあさんは、お見舞い客は時々いらっしゃるけど、そういう話を聞いてくれる身内の方が、いらっしゃらないとは知りませんでした。 そのホスピスは父がお世話になったところで、スタッフの皆さんも施設も素晴らしいところですが、それでもそういう話を1人で受け止めるのは辛い事です。 これからも、そういう立場になる人は、増え続けることでしょう。自分の運命をしっかり受け止める強さを、そういうときのためにも、育てておかなくてはね。「私は大丈夫」なんていう保障は、どこにもないですからね。 母は長男である弟がアメリカで暮らしたいと言った時、存命中だった父と一緒に考えて、息子に好きな道を行かせることを選択しました。既にもう一人の子供である私は、長男の所に嫁ぎ、シュウトメちゃんと、存命中だった大シュウトメさんと同居するという生活を送っていましたから、その時点で「孫に囲まれて暮らす」という選択肢を、放棄したわけで、その後愚痴を言ったこともありません。 私はそういう母を誇りに思いますが、それでも最後くらいそういう生活をさせてあげたかったと、同居でさえなければ、そのくらいさせてあげられるのにと、もちろん口には出しませんが、切ないです。母が孫に囲まれて暮らすことを諦めた事に、そんな未練を私の方が持つのは間違っていると、頭ではわかっていても、何だか母より未練がましい。(笑) 今日は昆布と干し椎茸と削り節で出汁を取っためんつゆと茹でて切った茶そば、戻した麩、それを少量、2つの容器で持っていきました。病院についてすぐ冷蔵庫に入れると、お昼には冷たくて、つるんと食べられます。 熱いものは熱く、冷たいものは冷たく、食べるのにちょうどいい量で、好きな薬味など使って。そういうことが出来るのは病院より家なのですが、2件の家の主婦なんて大変過ぎると母が遠慮する・・・。私も母を1人にする時間が怖い。 抗がん剤投与は月曜日までです。ちょうど弟がアメリカからこちらへ来る日。翌日の火曜日にCTを撮ります。その結果で抗がん剤投与続行かどうか決まります。 抗がん剤が効いていますように。
June 22, 2007
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母は昨日、1階までエレベーターで降りて、売店に寄った後、少し中庭に出ました。中庭を歩き回ったわけではなく、出入り口に近いベンチに腰掛けただけですが、それでも少し前まで「10メートル歩けた」などとそういうレベルにいたので、快挙です。 高栄養点滴は、少し栄養の少ない物に代わり、「その分食べるようにして下さい」と言われています。1回食事の量は、そんなに増やせないにしても、少量の差し入れなど、少しは食べるようになったので、このまま体力がついてくれればと祈っています。 よく暖かいメッセージをいただきます。メールだったり、贈り物だったり。辛いことがあるときに、1人じゃない、励ましてくださる人がたくさんいるというのは、感謝してもしたりないほど、心強いものですね。 父の時も辛かったのですが、その父のいない今、母まで・・・と思うと、本当に辛いものがあります。魂の永遠を信じていて、亡くなる人は、少し先に向こうに行くというだけ・・と信じていても、です。 実家には継ぐ人もいないので、自分の育った家に誰もいなくなると考えるのも、切ないです。今まで「実家に帰る」というのは、そこに当然父母がいて、父亡き後は母がいたのですが、それが建物だけになってしまう。まだそういう時期でないのを感謝しています。そのうちそういう時が来るのを、覚悟しなくてはいけません。 そして、ややこしいのですが・・・。実家の敷地内に母の姉が住んでいます。結婚しないで県外で看護婦長さんまで勤めた人ですが、定年を期に、生まれ故郷に戻り、土地を買うのは大変なので、実家の横の庭の一部に無料で貸すという形で、叔母が小さな家を建てました。 弟夫婦が実家の土地を売ってお金を分けると言った場合、この叔母が困ってしまうのですね。土地の代金分の現金遺産があればいいのですが、お金はないし、これからの母にお金を惜しむ気もないし。 叔母はここに引っ越してから、2回も脳卒中で倒れ、そのたびに後遺症を背負っていますが、わがままに生きていたい人なので、(あきれるほど!)施設のお世話など絶対嫌、だというタイプなのです。ディサービスとヘルパーさんの助けは喜んでいますが。小さな家とはいえ、叔母の退職金をつぎ込んだ家で、もう長いこと住んでいるので、住み心地はいいでしょう。 実家はそのままにしておきたい。叔母を追い出すようなこともしたくない。でもそれには私が土地の代金の半額を払って、その上で空き家の実家を管理しなくちゃいけない。 母の存命中に、そんな余計なことは考えたくもないのですが、弟は頼りにならないし、母に余計な心配はさせられないし、私が考えておかないといけないのだと思います。頭の隅っこにあるだけでのですが、気が重くなるのは確か。 弟とあれこれ交渉すればいいのですが、何だか今、そんなことにエネルギーを使う余裕もありません。弟とは母の状態を伝えるだけのメールにしています。いざとなれば夫が何とかしてくれるだろうと、依頼心もあるのも事実ですけど、自分の希望はこういうふうである、と言えるようにしておかなくてはいけないのも現実です。 気の滅入ることを、えいやっ!と投げ飛ばして、みなさんの励ましを胸にがんばりますね。いつも応援、ありがとうございます。
June 21, 2007
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昨日、外泊帰りの母の足取りが、なんだか少し軽くなっていた気がしたので、今日はお昼ご飯前に、少し歩かせてみました。 一階の売店まで誘ったのですが、嫌がったので、同じ階の休憩コーナーまでにしました。各階に広い窓とソファのある休憩コーナーがあります。ここまで歩くのは初めてでしたが、平気で歩いて、特に疲れた様子もありませんでした。 お昼を食べて、1時間くらいしたら、今から推理ドラマを見てお昼寝するから、今日はもう帰っていいよと私を帰したがる母。前日実家で1泊したので、気にしてるのでしょうね?でも、少しの散歩の疲れが出たんだろうか? 素直に帰る途中で「そうだ、蒲郡に行こう」唐突にそう思いました。目的はありません。母方の祖母の実家が蒲郡にあって、子供の頃、電車で叔母(母の姉)とそこに行った時の話を、帰る直前に母がしていたのです。 そうだ、蒲郡で海でも見てリフレッシュしなくちゃ。そう思って出かけました。私の車にはナビがないので、大きな国道を蒲郡方面にず~っと走っていくことにしました。 走っていると「あじさいの里」の看板を発見。ここには2度、金曜日の遊び友達と来ています。そしてちょうど今はあじさいの時期じゃないですか。 あじさいはとても見頃でした。ここに母を連れてこられないかと真剣に思っちゃった。階段が多いので、歩くのは無理だけど、入り口から上を見上げるだけでもとてもきれい。入り口で車を降ろして、座って見上げたら? でも、暑い日だとそれも疲れちゃう。外出か外泊届けが必要だし、今誘ってもきっと「ごめん。やめとくわ」って言いそうです。元気な時に連れてきてあげていれば、足の達者だった母は、喜んで階段を登ったでしょう。 帰る途中、今度は海岸を示す看板を見つけ、せっかくだから海を見ようと看板どおりに向かいました。見通しのよい坂道を下ると、目の前に海が開けて、そんなに素敵じゃない(爆)海の景色が目に入りました。 あじさいと海を見て、帰り道に長男のいるスーパーに。長男は魚部門を希望したのですよ。元気にお魚を売っていました。この間はここでキンキを買ったけど、今日はアサリと鯵を買いました。『アサリのお客様』とか『アジ5匹のお客様』とか当然ですがそんな呼び方をされて、面白かったです。
June 19, 2007
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抗がん剤は家でカプセルなので、自宅で飲むことに問題はありません。母の外泊は昨日の12時から今日の13時まででした。あれこれ不安を書いたので、病院が悪いようにも、受け取れる日記があちこちにありましたが、??の質問に私や母がショックで黙ってしまっただけで、ほとんどの時間、いい病院だと感謝しています。 毎日優しい声をかけてくださるドクターは、外泊前にもいろいろアドバイスしてくださって、外泊から帰ってすぐに、また会いに来てくださり、困った事はなかったですか、お食事はどうでした?など笑顔で聞いた上で、励ましてくださったし、私の質問にも丁寧に答えてくださいました。 「急に退院だの栄養点滴はずしてだのって、びっくりしますよね。ちょっと急ぎすぎましたね」若くて可愛い女医さんはそうおっしゃいました。「少しずつ外泊して慣らしていきましょうね。どうしても食べられなければ、点滴にたまに通うことだって出来るんですよ。今日から、薬を増やしますが、これで食欲が出るかもしれません。」 母も私もこの言葉にはすごく安心しました。『今の抗がん剤が効かなかったらどうしたいですか?』この看護婦さんの質問のことを聞こうかと思っていましたが、あれはあの看護婦さんが聞きたかっただけだと、直感的に思いましたので、忘れる事にしました。ドクターが帰られてから、母も同じことを言っていました。 外泊の24時間って、すぐ過ぎてしまいました。病院でもうすうす感じてはいましたが、母は空腹も喉の渇きも、全く感じないのですね。『食べなくちゃ』『飲まなくちゃ』という意識はありますが、なかったら飲まず食わずでも平気で、そのまま弱っていきそうな感じです。 一回の食事総量は、それなりに増えていて、お味噌汁やおかず、主食を足せば、子供茶碗の1/3~1/2くらいです。お味噌汁の水分を抜くと、けっこう減りそうですが。母の好物をちまちま作って、みじん切りにして、小鉢や小皿にほんの少しだけ載せるんです。 食べられたわねぇ、と言うと嬉しそうでした。入院前からしばらくは、水を飲んで吐いていたんですから、「あの時期と比べたら、素晴らしいよね」と母に言いました。「ありがたいわねぇ」と母の返事。 それでも心の中では『高栄養の点滴を抜いてこれだけでは絶対に足りない』と少しブルーだったのが、外泊から帰って聞いたドクターの言葉で、まだ慣らす時間もいただけて、点滴に通うことも可能だと、とても安心したので、いい外泊経験でした。 夫もとても協力してくれて、朝のゴミ出しもしてくれたし、朝ごはん用のパンを買ってきてくれて、家族もそれで問題なかったみたいだし。シュウトメちゃんは今日、ディサービスの日だったので、朝はパンだけでも、お昼は施設で出してもらえたし。 母が退院という事になっても、つきっきりでなくても、様子を見て家事に帰ることも出来そうだし、毎日家に帰れなくても、それなりに家族はやってくれそうだし、全部を自分が背負わないといけないような、悲壮感を感じていたのは疲れていたせいだったのかも。 悲壮感を捨てる練習をしないとね。というより自分がそういう状態だって、気がついていませんでした。
June 18, 2007
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昨日、打診された退院の件で、まず外泊からと確かにそういう話をしたのですが、今日さっそく「明日から外泊しませんか?」そう聞かれて、母と一緒にえっ?と驚きました。 今、母は微熱が続いているし、食事もとれていないし、戸惑っていましたが「ではあさってでは?」と言われ、あさっての日曜日のお昼から、翌日のお昼まで、1泊2日だけれど、実質1日の外泊が決定しました。 母は食事さえ食べられれば、入院の必要はない。実際、他の患者さんで、同じ抗がん剤を使う人は、自宅で療養している。だってカプセルを飲むだけだから。 病院はどんどん患者さんが押し寄せるので、ベッドは慢性的に足りない。それは間違いありません。母よりもっと入院を必要としている人が、ベッドが空くのを待っているのは、現実の問題です。 1泊2日なら、別に食べられなくても問題ないので、不安はないのですが、これが練習なのは明らかで、『今月の終わりには退院できるといいですね』とにこやかに言われると、理由はわかるだけに、そんなに早くは予定していませんとは言えません。 『点滴をはずすんだから食べなくちゃダメ』そんなプレッシャーがかかる母を思うと辛い。 加えて『娘の負担を最小限に』というプレッシャー。自分で出来る事は自分でしなくてはkoalaが大変。koalaの家族にも迷惑をこれ以上かけるなんてと、そんな風に母が感じているのが辛い。 私が同居の嫁じゃなかったら、自宅に引き取って、家事のついでに母の面倒だって見れるけれど、本当に、そういうのには憧れるのだけど、シュウトメちゃんのいる限り、それは無理。 家のことはお願いね、と夫や子供に任せることが、夫や子供を精神的に強くするかもしれないけれど、高校3年、受験生の長女はもうすぐ期末試験だし、長男は働き始めたばかりで、余裕がないし、夫も早く出かけて帰宅が遅いわけで、いろいろ考えていると、いいアイデアが浮かばない。 koala家の近くのアパートに引っ越してもらう?でもね、アパート住まいの知り合いに聞いたら、静かな住宅街に住んでいた人は辛いよと、あれこれ話を聞かせてくれました。聞けば聞くほど母には向かないみたい。 シュウトメちゃんがディサービスのときだけ、koala家に来てもらって、自宅の家事をしようかな。他の日はずっと実家にいることにすればいい。 まだ退院が決まったわけではないので、少し頭を冷やして、いい方法を考えたいです。
June 15, 2007
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看護婦さんに呼ばれて、もし抗がん剤の効果が、なかったらどうしたいですか?と聞かれました。抗がん剤は4週間がワンセットになっていて、今は3週目に入ったところです。どうしたいと聞かれても困惑してしまいました。延命治療の希望をお聞きですかとは、なんだか気後れして聞けませんでした。 高栄養点滴で生きているのも、延命治療のうちです。苦痛を伴う延命治療は、看取る側のエゴだと思うので、そういう希望はしたくないですが、母は今いい感じです。一切の延命治療をやめますなんて言えません。まさか、そんなお勧めではないと思いたいですが。 母の抗がん剤はカプセルを朝晩飲むだけなので、抗がん剤が継続になっても打ち切りになっても、その点では退院できることは間違いありません。 ただ、退院は高栄養点滴の打ち切りを意味するのです。母が食事として摂取できているのは、1日100カロリー以下、もしかして50カロリーくらいかも。それなりに頑張ってはいるのですが、無理すると、胃に負担がかかるらしく、脂汗を出して苦しむことになります。 母の食欲不振は、4月の初めからで、途中から吐くのが加わり、水がやっとの時期もありました。高栄養点滴でカロリーが足りるため、食欲が出ないのもありますと言われましたが、母の食欲のないのは2ヵ月半前からずっとです。退院すると気持ちがわかって食欲が出る人もあると明るく言われましたが、今食べているの10倍のカロリーは、生きていくのに必要なように思えます。 12指腸ステントという処置と、強度の貧血のための輸血でかなり体調が快復して、喜んでいたのに、また心配事が出来てきました。 病院側は、食事代わりに飲める高栄養ドリンクを入院前、段ボール箱で処方してくれました。最初の間、味が嫌いにもかかわらず、必死で飲んでは吐いていた母は、ついに限界になって、今ではもう見るだけで心が苦しくなる始末なので、この栄養ドリンクを飲んで、という手も使えません。 いきなり退院は本人も私も怖いので、たとえば1泊の外泊をしてみてという形にして欲しいと、看護婦さんに答えました。1泊2日で点滴をやめ、食事があまり取れなくても、急激に弱るとは思えないので、母も楽しいかもしれません。 母は一人暮らしなので、私がもちろん付き添いますが、私の家庭の心配もするので、食事面(体力面)以外にも、長期の自宅療養は母の精神的な負担になってしまうこと、私も家族がいるので、実家に泊まりこむにも2~3週間が限度だとも伝えました。 そう答えながらも、ああ、もし母が食べられたなら、家で気ままに過ごす時間もあるのだなぁと、家に帰れば、車椅子を積んで近くに出かけ、きれいな風景の中を、お散歩だってできるのに。 ないものねだりだとわかっていても、切なくなってしまう想像でした。 抗がん剤が効いて、癌免疫療法の薬も効いて、奇跡的に食欲と胃の消化能力が戻ってくれれば、そういう時間も夢じゃないのに。病院でトイレとベッドの往復をしているより、それはきっといい時間になるでしょう。 退院の話は、今すぐの事ではなくて、抗がん剤治療期間の4週間が終わり、CTを撮り、その結果、効果があったかという話が出てからのことなので、それまであれこれ聞くべきことを考えたいです。 少量で、栄養価が高くて、強い味もなくて、癌より正常細胞の栄養になりやすい、そういう健康食品がないか、免疫療法の先生に、相談してみようとも思いつきました。
June 14, 2007
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体調のよくなった母は、私を心配して、疲れがたまってるだの、家事がおろそかだと姑さんの機嫌を損ねるだの理由を並べて、もう大丈夫だから帰りなさいとせかします。 1週間前によたよたなんとか歩いた10メートルの距離を、今日はすたすた歩けたので、自信を持ったのです。 あげくのはてに「もう洗濯くらい自分で出来るよ。だってコインランドリーまで歩けそうだから。」そんなことまで言い出したので、困ります。 「あのね、歩けたって、転んだらどうするの?足の骨、折れちゃったら、歩けなくなっちゃうよ。だって、点滴持って、洗濯物と洗剤持って、貧血が治った訳じゃないし、危ないじゃないの。それにね、まだ疲れちゃいけないの!」 そうか、洗濯物持ったら危ないかな、と自信なさげになった母の顔がなんだか幼くて、抱っこして、頭をよしよししたくなった自分が怖い?? 弟からメールがありました。大事な子供を見ず知らずのベビーシッターに、任せるなど考えられないそうで、下関にいる奥さんのご両親が、予定を早めて、東京に住む、奥さんの妹さんのマンションへ行き、子守してくださることになったそうです。 ベビーシッターは、子供を産んだ時考えたそうですが、奥さんのご両親が大反対して怒ったそうです。自分たちが下関で育てるとまで言い出したので、わざわざ日本からアメリカに行きたい子を呼んで、住み込みシッターさんとして雇ってるのに、って。たった1日のことで大げさなんて言ったら、怖そう。 弟の奥さんの予定は最初の通り、実家の母のお見舞いを初日に済ませ、翌日から3日間岐阜で仕事した後、妹と両親とで東京で1週間過ごすのですが、ご両親の予定だけ、東京滞在1週間が、10日間に延びたということで円満解決だそうです。弟夫婦はいつだって奥さんの実家最優先だけど、こんな時くらいねぇとさすがに思います。 東京へ子供を連れていくのは弟なので、実家の母の病院に寄る日が3日間減るのですね。 言いにくかったのだけれど、母は案外けろりとしてて、「その方がいいじゃないの。年取ってからの子供は、もう大事で仕方ないんだよ。あなたが1日面倒見るなんて、疲れ切っちゃうし、転んで擦り傷でも作ったりしたら、嫌じゃないの。その後、仕事で1週間こっちにいるんだから充分。」 弟は冷血漢と言うわけでもなく、あれこれ悲しげなことをメールに書いていました。可哀想に。私が母と遠く離れて住んでいて、いきなり末期癌だと言われ、なかなか会いにも行けなかったらどんなに辛いかな。弟の性格が私のようでなかったのは幸いだったかも。 今後は私の気持ちを説明したりすることはやめて、母の近況だけ、たまにメールしてあげることにします。
June 13, 2007
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このところ、母の顔色がいいので嬉しいです。貧血がだいぶ改善されてきたためだと思います。入院して3週間ですが、12指腸ステントという処置で、胃の中に通り道を作っていただいてからは、母の顔がだんだん明るくなってきています。 食事はハーフ食と呼ばれる、量が半分のもので、お粥とお味噌汁と細かく刻んだおかずが少しずつ。そのハーフ食でも、1割食べるかどうかなのですが、鎖骨の下の血管から高栄養点滴をしているので、カロリー的にはそれなりに足りているのです。水を飲んでも吐いていた頃と比べて、幸せです。 確かにドクターには悲観的なことを言われました。胃の中の通り道は、癌が増えるとふさがってしまうとか、栄養点滴は、最後になると癌の栄養になるだけだとか。でも、そんな言葉を大事に持っているのはやめて、今、苦しみの少ない母の時間を、ただ素直に、一緒に喜ぶ事にしました。 苦痛のほとんどない今日をありがとうございます。 毎日、何度も、そんな言葉を言える時間を、本当に嬉しく思っています。 長男は疲れた~と言いながらも元気に出勤しています。7時出社で午後7時まで勤務なので、結構ハード。夫も娘もシュウトメちゃんも、ちゃんと元気です。 長男が早いので、koalaは5時起きです。でも、朝ごはん5人分(長男はおにぎりね)とお弁当3つ、毎朝作れるのって、やっぱり幸せ。『今日も元気でねっ!』って家族にエールを送れる。 ふっと思い出したのだけど、今年の運勢を、ルビーさんにすぴこんで占ってもらった時、koalaには今年は我慢の年で、1年のテーマは『育てる』だと言われたっけ。家族の変化の大きい年だから、サポートする役だとも、言われたような記憶があります。シュウトメちゃんには淋しい年になるとも言われました。koalaが病院通いで、シュウトメちゃんにかまえなくなって、それで淋しい年になるということだった?? ニコニコしながら占いの言葉を聞いていた、母との時間はまだまだずっと長いって疑いもなかったあの頃の自分がふと懐かしくなりました。 でもね、毎日吐いてる母の背中をさすっていた頃よりも、今のほうがずっと幸せです。
June 12, 2007
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弟とのメールはもうやめたほうがいいようです。私がかちんときた「最初から計画しませんでした」というのは「私(弟)のすることなすことすべてが気に障るようなので、あなた(私)にこれ以上迷惑をかけたくないから」という意味だったそうです。いい加減にしてほしい。弟は多分、あなたのここがいけないなどと指摘されることに全く不慣れなのでしょう。 「私(弟)達家族が行く事を、あなた(私)がとても嫌だったのは知りませんでした」とか「息子(弟の子)をかわいがってくれていると錯覚していました」とか、すごい言葉が並んでました。そういうことは言っていないし思っていないのですが。 長いメールは最後のつもりで、心情を説明し、私に対する怒りはどうかおさめて、子供の心に戻って、母と会ってくださいと締めくくりました。実際、私の願いの一番はそれだったのですから、結果として私のメールがその邪魔をするなら、もうヤブヘビもいいところ。 弟の怒りの基本は「嫌なら断るべきじゃないか」ということだと思うんですね。それは私から見たら、実にアメリカ的発想で、日本人は「こんなことをお願いすると迷惑では?」とまず頼む前に考えるのですよ」と書いたのです。 「嫌でも、仕方なく『いいですよ』と答える日本人は、きっと少なくない、それは感覚の違いなので、そういう人も日本には多いと知った方がいい」これはいつか弟が困るかもと思って書いたのですが、「アメリカ的という色眼鏡で見ないでください」「いやならはっきり断るべきです」とのお返事。う~ん。「いやなら断るべき」という理論が、日本だと通じないことがあるよという意味で書いたのですが。 お互い、暇じゃない身なので、不毛な、メール交換はもうやめます。昨日はちょっと怒っていたけど、もう気が抜けました。いい年の弟に、姉だから言い聞かそうなんて、そういう偉そうな雰囲気があったのかもしれませんね。傲慢な私にさようなら、です。 夜、夫の宴会のお迎えに本屋で待っていました。母のためにえんぴつで歌詞をなぞる本を購入。昔の唱歌などの歌詞が薄く印刷してあり、それをなぞるだけなのですが、退屈しのぎにどうかなと思って。こんなのをやるかどうかは謎。つまんないかも。明日、持って行きます。やらなくても話の種にはなるわよね。(笑)気持ちを切り替えて、母のために笑顔で行こう♪
June 11, 2007
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弟とのメールのやりとりに疲れてしまう。もともとは優柔不断だった私が悪いです。7日のメールで子守を頼まれて、驚いて、はっきり即座に断れば良かったのに、母の具合が悪くなかったらできるかも、と返事しました。 結局9日のお昼にメールして、シッターさんにして、と子守を断り、シッターサービスの会社4つのアドレスを貼って、選んでくださいと書きました。どういうことかわからないと、弟から返信がありました。 私は末期癌の母についていてあげたくて、仕事を辞めて、家族にも協力してもらっているけれど、とても忙しく、疲れもたまっているし、今の状態でとても母をほっておいて子守する気になれないと書きました。 ついでに私と弟が価値観が違うことをあれこれ指摘し、その時言わなかったんだから、文句を言う気はないけれど、この時もこう思ったし、あの時もこう思った、と例をあげ、こういう感情は理解しがたいだろうけれど、私たちはそれほど感覚が違っていて、今回もあなたなら嫌なら即座に断ったと思うけれど、私は困惑しながら1度イエスと言ってしまった。でも、あまりにもプレッシャーになるので断りたい、そういうことなので、理解くださいと書いたのでした。 弟は怒り心頭に達したみたいで、夫婦2人で働いているのに時間を作って、孫を見せに行くのは大変なことだ、そんなに自分たちが行くのが私にとって疲れることなら、「最初から計画しませんでした」と書いてきました。「もう飛行機のチケットは買ってしまったし仕事の日程は決まってしまったし」とも。おまけに最初に私がイエスと言った時点では仕事の計画の変更が可能だったのに、2日後に断られても変更不能だと言うのです。 私は私で「最初から計画しませんでした」に怒り心頭。私が向こうの気になる点を指摘したら、親孝行なんてどうでもよくなるって言うの?母親が生きている間に、あと何回会えるのか、「もう長くない」という母親に会うのに、姉が何か気に入らないことを言うと、そんなの中止しようかって、思うことが出来るのか?変更可能なのに、わざわざ私に子守させるスケジュールを立てたのか? 私が喧嘩腰になってしまうと、母に迷惑にかかる結果になってしまう可能性があるので、言葉を選んでメール。でも、母の残り少ない時間を、少しでも明るくしてあげたいと思わないのか?「最初から計画しませんでした」という言葉が、私には理解できないと書きました。 「アメリカから孫を見せに行くのは大変なこと」その言葉にもひっかかりました。 あなたが大変だというのはわかります、と書きました。あなたは遠くに住んでいるのだから。おじいさんが亡くなるときも、毎日のように通い、最後はホスピス近くの実家に泊まって通い、最期を看取り、お葬式を手配し、一周忌、初盆、三周忌、月命日のお参り、お墓をどうするか、結局永大供養をお願いに行って、親戚一同にも、お墓を守っていける子孫がいませんので、そう説明して、まわりました。私は一度もあなたに『大変だ』なんていったことがない。私が大変でも、それは親のためだったから。亡くなった父と残された母のためだったから。あなたが今回「大変」なのは、母のために大変でもそうしたいからじゃないのですか? もう病院に行く時間です。おお、日記を書いてて、洗濯物がまだ干してない!弟は「来てやってる」と思ってるんだろうか。
June 10, 2007
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この日記を書いてから『斉藤一人さんのHP』に行きました。そこには・・・貴方にとって今が修行のときです。笑顔で乗り越えましょう。と書いてありました。続いての文はこうでした。人間は誰でも何らかの修行をしています。それはもともと人間は何らかの修行をするために生まれてきたからです。修行とはいやなこととか苦手なことと決まっています。得意なことは修行になりませんからね。どんな修行も時間がたてば終わるものです。ただし、笑顔で乗りこえたか苦痛の顔で乗りこえたかをいつも神様は見ています。いくら乗り越えても苦痛で乗り越えた人は罰を。笑顔で乗り越えた人にはご褒美をくれるのです。だから笑顔で乗り越えなくてはだめですよ。なんだかとってもすごいタイミング。罰を?それはどうかわかりませんが、笑顔で乗り切った方が素敵よね。私へのエールだと思って(笑)笑顔になろうっと母の入院している病院には、各階にコインランドリーがあるので、母の洗濯物は、毎日そこでしています。 洗濯機と乾燥機それぞれ各3台ずつで、部屋番号と名字を書くことになっています。そこに記入するとき、いつも「ありがとうございます」って人がいないから出来るんだけど、声を出してしまいます。 母がベッドにいる間に、洗濯機や乾燥機を使える状態であることに感謝しています。トイレもすたすたと自分で行けて、今日は、ちかさんに教わって作っていった根菜スープを少しずつでも飲んでくれました。笑顔でおしゃべりもできるこの時間を、神様、ありがとうございます、と心底思います。 昨日、弟夫婦のワルクチを書きましたが、こういう切ない感謝を知らないアイツラはかわいそうだ。そう思うことにしなくちゃね。 弟の奥さんは初日にお見舞いに来て母に挨拶し、翌日から子供を連れずに3日間仕事で岐阜に行き、子供を迎えに来たら妹の住む東京に行って、東京で7泊するのよね・・・。 それで私に子守を頼むなんて、失礼なヒトだと思います。でもそういう奥さんを選んだ弟も似たもの同士で、母はそういう風でも息子に会いたいわけだから、母が大事なら私はにっこりするしかなさそうです。だから怒るのは自分に禁じてます。母が私が怒ったって聞くと悲しむでしょうから。ベビーシッターサービスを4ヶ所探してメールで送っときました。弟の泊まるホテルに出勤前にお迎えに来てくれるわよって言って。会うたびにストレスのたまるきょうだいって悲しいよね。 母は今日、病室を変わりました。今度は窓際なので、明るいのですよ。
June 8, 2007
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友達のちかさんが野菜スープのレシピを送ってくれました。http://www4.dewa.or.jp/WINS/yasaisutukuri.htm野菜スープの栄養は癌細胞の栄養にならず、正常な細胞の栄養になるそうです。なにより、私が作っていけるところがいいですね。さっそく明日持っていきます。 弟からもメールが来ていました。25日に母の入院先にお見舞いに来るそうです。弟と奥さんと4歳の甥っ子の3人です。 ところが翌26日の朝、奥さんは岐阜に泊まりで行き、28日まで帰ってこられないそうです。仕事がらみにしないと飛行機代が高いので、工夫した結果だとは思います。 奥さんが岐阜にいる期間と重なって、27日から29日まで、弟は出勤なんだって。26日は弟は子守で母の所にはあまりいられないし、27日・28日は2人ともいないので、koalaが子守できませんか?っていうメールでした・・・ 4歳の子守してると、母の病室にいるのは難しい。母の調子がよければ、時々1時間抜けてお散歩とか、そういうのもあり、かもしれないけれど、一体、弟夫婦って、事態を理解しているんだろうか? 返事に困り、その時の母の調子がよければできるけど、それはわからないので、確約できない、それで困るなら、保育所を探した方がいいですかと、そういう返事にしておきました。でも、慣れない日本に来て、いきなり保育所も、甥っ子が可哀想で、困っちゃいました。 母は入院しているわけだから、誰もいなくても別に心配ないと思ったのかな?理屈は確かにそうだけど・・・。何か良いアイデアがないか、思案中です。 今、少し調子が良いので、こんな感じなら、時々病室に寄りながら2日間、子守できるかもと思いつつ、心はちょっと乱れちゃったりしています。
June 7, 2007
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抗がん剤の副作用かと心配していた、母の口の苦さが、投薬で劇的に消えました。なんだか、このままずっと生きていてくれそうな気分。でも、苦みが消えても、食べるのは辛いことみたいで、一生懸命飲み込んでいます。量はほんの少し。 ちょっと頑張ろうね、って言いました。頑張りすぎると、辛くなっちゃうから、って。ヤクルトなら飲めるかなぁと言うので、買ってきたら1本飲めました。これって、快挙だわ。 少し歩くと言って、10メートル弱歩きました。そこには絵手紙と、海の写真が貼ってあります。長いこと、すぐ横のトイレに歩くだけだった母にとって、けっこうなお散歩になりました。 ここ2日は、トイレのすぐ外にある大きな窓から外の景色を眺めるようになっていたっけ。洗面所の椅子をつかの間失敬して、母の実家にいた頃のお散歩コースまで見える窓で、あれこれおしゃべりして気分転換していました。それも、吐かなくなってからのことだと気づきました。 今日は母にとって、少し長めのお散歩になったので、ベッドに帰ってから、蒸しタオルで足を温めました。洗面器で足湯も、疲れない程度に。 もう吐かないから早めに帰りなさいと言って、譲らない母の言葉を仕方なく受け入れて、今日は早く帰ってきました。明日もまたそう言うのでしょう。調子が良くなってきた感じ=娘を楽にしてやれる母の頭の回路には、しっかりそう刻まれているのでしょう。
June 6, 2007
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ネット友のEikoさんにメールしました。http://www.hpmix.com/home/mogeiko/T1.htm彼女は入院中で、私は母の付き添いで病室にいるので、お互いにたまにメールしています。 6月だと思ったら、以前哲学の道で一緒に蛍を見たことをふと思い出して、また見ようねってメールしたんです。彼女は京都に住んでいて、何回か会いに行ったこともあります。 今日退院とのお返事を頂きました。Eikoさんはハンディキャップがありますが、それが悪化したので、入院していました。 メールによりますと、退院を喜んでいて、家に帰ったら、電動車椅子で飛び回り、暴走族になりたいとたくらんでいるそうです。 彼女は体に不自由はあったものの、電動車椅子のお世話には、なっていませんでした。ピースボートという世界一周の船旅をしたくて、昨年11月に船に乗り、2月に帰るまで、彼女は介助の付き添いなしで、旅を楽しんだのです。 帰ってきて、急にあちこちが動かなくなっての入院、自宅では電動車椅子という状況で、暴走族になりたいとたくらんでいる、というメールは、本当に彼女らしくて素敵でした。 その前に、病院のベッドで落し物を取ろうとして、ベッドから転落した時のメールも、タイトルは「本日のニュース!!」転ぶ訓練を以前していたので、どこも打つことなく、見事に着地したという報告があり、そんな風に入院生活をエンジョイしていますとVサイン画像入りで締めくくられていました。 いつか電動車椅子暴走族のEikoさんと、エキサイティングな(?)デートをしよう。
June 5, 2007
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先日十二指腸ステントという処置をしていただきました。胃の癌が大きくなって、詰まりかけているので、水分などでもたまってしまい、それを吐くのです。そこを広げる通路を作るための処置です。 詰まりかけている部分に、最初は細くて、後で太くなる、金属製?の網のようなものを設置したのです。再び詰まる可能性はありますが、それはその時の事。流動食なら食べても吐かないようになると言うことです。この処置で、すっかり吐かなくなった母なのですが、今度は口の中が苦いのが収まりません。食べる物、飲むもの、水でのうがいさえひどく苦く、その苦みが数時間続くと言います。これは抗がん剤の副作用の可能性が高いかも。 1日10時間ほど一緒にいるので、いろいろおしゃべりします。時間が来るとちゃんとお腹が空いて、美味しいなぁと思って物が食べられるというのは、幸せな感謝すべき事だったんだね、って言い合いました。 そんな風に考えたことはなかった、失うまでわからなかった、おじいさん(父)のことだって、文句ばっかり言ってた、いなくなって初めて、あんな風に言わなければよかったとか、こういう風にしてあげればよかったと思うんだよね。淋しそうに母がそう言いました。 おじいさんは天国で「そんなこといいよ」って言ってるよ。そう私が言うと、母は「そうだね。」と笑いました。そしてテレビをつけて、今度はダッシュ村の話をしました。子やぎの姿に、母と一緒に可愛い可愛いと言ったり、巣箱の卵が蛇に食べられなくてよかったと言ったり。 たわいない会話を今日も交わせたことを感謝しました。母がお腹が空いてご飯を食べた頃に感謝したみたいに。残された時間がどのくらいかなんて考えるのはやめて、今日も会えたということに感謝していきたいです。
June 4, 2007
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