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シュウトメちゃん好みのタオルを見つけたので注文しました。このショップさんは6月1日からセールなのですが、注文した商品は、春限定のタオルを売り切ってしまうというアウトレット価格で、いいタオルの割にお値打ちです。昨年の秋バージョン、冬バージョンを持ってますが、四季分を揃えなくてもいいかと、これは未購入でした。毎回、シュウトメちゃんが施設に入るときに、家にある、自分の好みのタオルに勝手に記名しちゃうので、それが友人から私へのプレゼントだったり、思い切って買ったブランドタオルだったりすると、悲しくて頭にきたものです。かといって、これでどうぞと買ってきたりすると、気に入らなかったりしたのでした。これは、ケチな私のことなので、安めのを買ってたりするのがミエミエで、むかついたのでありましょう。私は私で、新品を買ってあげたのに!とムッとしていました。別に100均のタオルで済まそうとしたわけでもないのにって。これは私の愛情不足でしたね。「このへんのでいいんじゃない?」という思いが伝わったのね。(テヘペロ)これは2枚で800円(定価でも1100円)というタオルではありますが、秋と冬のタオルを使ってみた結果、けっこう気持ちいいタオルです。色も刺繍も可愛いし、2色を2枚ずつ買いました。他にはこれを注文しようかなと思ってます。我が家でよく使っているタオルです。この中のライラックとか、ラベンダーがシュウトメちゃんの好みなのです。前回入所の時に、ちゃんと家のタオルのこの2色に名前が書いてありました。新品をもらうと、気持ちいいよね。お値段は、前に見向きもされなかったタオルより安いくらいだけど(・・・・ケチですみません。生活費もらってないんでついケチになる・・・)今回は、いきなり買ってくるんじゃなくて、演出をひねりました。「こういう可愛いのがあったから、注文しておきました。「色も明るいし、花柄も隅にあるだけでしつこくないし、ふかふかのタオルで、気に入ってもらえると思いますよ~」と前置きをかましたのです。嫁が一生懸命迷って決めた感を漂わせてみたのですが、効果あるかなさて、ここまでは朝の早い時間に書きました。----------------------------------------シュウトメちゃんは、今日はデイサービスの日ですが、時間前にすべて仕度を終えて、玄関に出ていました。「遅い!」と文句をつけたおばあさんに腹が立っているので、言われたくないという気持ちで頑張ったのでしょう。でも、話を聞いてみると、そのおばあさんは、たまにカギを忘れ、家族が帰るまで、シュウトメちゃんも長いこと待たされたりしたそうで、「そういう時、誰もその人を責めたりしなかったのに・・・」とそれが特に悔しかったようなのでした。なかなか「あと5分で伺います」という電話が来ないので、車椅子で車庫までシュウトメちゃんを連れていきました。風もなく、いい日なので、寒がりのシュウトメちゃんでも外でのんびりできます。庭の花を眺めながら、おしゃべりして待っていました。----------------------------------------上の義姉が明日来るかもしれないとシュウトメちゃんが言いました。「行くという電話ではなかったんだ。日曜日、家にいなさいよとあの調子で言われた。あの子の喋り方は、いつもいらいらした感じできつい」「施設は遠いから、仕事で疲れて帰ってきたらとても行けない。だから家にいる間に会いに行く、ってあの子は言うんだ。秋まで入っているのに、施設には来る気がないって。でも土日は休みだし、運転できる子供たちもいるんだから、来たくないだけなんだよ。」ぼそぼそっとシュウトメちゃんがこぼしました。そういう電話があったのは知りませんでした。梅雨から夏、残暑の長期間、我が家から15分の施設に入るのですが、その15分のプラスを「遠すぎる」と言われたわけで、誰でも「行きたくない」と翻訳できちゃいますね。義姉の家からkoala家は20分くらいです。もっと以前は自分の娘だから会いたいと思ったようですが、最近は、会いに来ないのも苦痛なら、会っても苦痛らしいです。母と娘の間で、相手の言動にを深く傷ついてしまうと、お互いに優しくされたい、愛されたいと思う存在ゆえ、余計に反発してしまうこともあるのでしょう。----------------------------------------そんな話をしながら車庫で待っていても、電話が鳴らないので、おかしいと思って施設に確認の電話を入れました。・・・シュウトメちゃんは、昨日、「遅い」と苦情を言ったおばあさんと同じバスで施設の往復をするのがとても嫌で休んだのです。施設には「風邪で休む」と本人が連絡しましたが、その際に、明日も休みますと言ったそうなんですね。お迎え、こないはずです。「おばあちゃん、どうも昨日の電話の時に、明日も休むって連絡しちゃったみたいよ。送ってほしいなら送るけど」「そうか。じゃあ、今日は休むよ。疲れたし。」という展開で、シュウトメちゃんは今、ベッドでテレビを見ています。でも、義姉のことを話せてちょっとほっとしてるんじゃないかな。
May 31, 2014
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昨日は出勤前に友人のすみれさんと会いました。同じく友人の麺処のおかみさんのお店で、早めのランチをしながらおしゃべり。すみれさんの長女さんは今月めでたく結婚されました。式のエンディングロールの動画を見せていただいたのだけど、長女さん、すごくおきれい。すみれさんは感動して泣き顔が写ってる。この長女さんは、以前、うちの長女の家庭教師さんをお願いしてたことがあります。元々、目がぱっちりと大きな美人さんだったのですが、恋が更に美しくしたのね~。家から女の子がいなくなると言うのは淋しいものだよと経験者語る、という感じで教えてもらいました。私はその淋しさ、経験したいですけど。我が家の長女は、転職が決まり、元気に通勤しています。1日目の感想が「休憩が1時間もあるってすごいことだね」だって。前の職場が1日15時間勤務もまれではないブラックで、休憩は交代でさっと、食事もかきこんで大急ぎで食べていた長女。今は朝、お弁当を作って出かけ、夕方に帰宅しています。ありがたいことだと思います。------------------------------すみれさんと私は、子供が同じ年齢の保育園ママだったことで知り合いましたが、介護仲間であり、スピリチュアル好き仲間でもあります。本人は、koalaさんほど怪しくないわ~と思っているかもでもねえ、多分、同レベルですよ。お互い、介護していなければ、こんなに働いていなかったかも。家にいると当てにされ、干渉される身。私は腰を壊してから、仕事時間を減らしてもらいましたが、シュウトメちゃんがデイサービスや入所サービスを利用してくれるので、減らしたことでのデメリットはお給料が減っただけです。------------------------------ここから先は、我が家の今朝の介護話になりますが、ストレスがたまるから吐き出したということではありません。むしろ、ストレスから解放される簡単な方法があったという話で、私はとっても元気ですし、同情も全然いらない状態なので、そのつもりで読んでいただけると嬉しいです。------------------------------シュウトメちゃんの今朝の着換えは、肩が痛いと言うので、全部私がやりました。寒がりのシュウトメちゃんですから、エアコンで部屋を温室のようにした中、長そで割烹着、長そでシャツ、長そでカットソーをゆっくり脱がします。不自由な左手から脱がして、次に右手、最後に首から服を取ります。割烹着は、不自由な左手がぶらぶらしないように、ポケットに手を入れるのにちょうどいいんです。夏はこれが袖なしのポケット付きエプロンに変わります。なんでパジャマじゃないんだろう?と思いつつ脱がしました。謎です。肩に2枚、湿布を貼り、心臓の貼り薬を貼り、新しく別の服に着替えます。この後、ズボンとズボン下を脱がして、膝に湿布を貼って、ズボン下を履き替えさせて、膝の部分の装具を装着し、ズボンを履くと、朝の仕度が完成です。シュウトメちゃんは、自分は待つのが嫌なのと、大事にされている実感が欲しいので(この辺、無意識かも?)私に朝の仕度の完成までずっと部屋に付き添っていて欲しがりますが、部屋が温室みたいなので、上半身が限界で、気持ち悪くなってきます。家事も少しずつ合間にもこなしたいのです。以前はこういうことがあると、私の立場や気持ちを理解してもらわないと、と思いましたが、今はそれは放り投げてます。(笑)おまけに「紙パンツを変えてなかった」と言うので、一時退散させていただきました。------------------------------シュウトメちゃんは、自分で紙パンツは変えられます。普通なら、あまり見られたくない部分なのでは?と思いますが、そして正直、私もパンツを脱ぐ部屋にいたくないのですが、シュウトメちゃんは実はその間も、私にいて欲しいのです。履き替えたらすぐズボン下を履けるし、部屋に私がいれば、自分の時間のロスがないからです。「15分したら来ますね」と言って部屋を出ました。10分では無理で、15分でもどうかなというところですが。15分後に行っても早かったので、その5分後に行ったら、シュウトメちゃん、ベッドに寝転んでいました。少し驚いて「転んじゃいましたか?」と聞くと、その言葉が地雷を踏んだらしく、ぎゃんぎゃん怒り出しました。温室のような部屋は、半袖でも苦痛です。自分で出来るところを自分でやる間は、部屋から出ていたいし、特にパンツの脱ぎ着の間は退室していたいです。その間に、洗濯機を回したり、食器洗い機を仕掛けたり、ちょこちょこ家事がしたいのです。でもね、シュウトメちゃんにはそれが「意地悪」にしか思えないみたい。暖房は切っていい、というのですが、切っても部屋は温室なんですよ。------------------------------愚痴を聞きながらの着換えだし、姿勢的に腰も痛いし、温室の中で、疲れるとシュウトメちゃんは「休憩する」と言いますから、少なくても30分以上の着換え介護は、かなりストレスなので、途中で退室時間が私には必要です。でも、自分の休憩の必要性は理解出来ても、嫁の退室時間の必要性が理解できないらしいです。結局は、気分は「嫁に意地悪される可哀想な姑」になっちゃって、「誰からも大事にされない可哀想な自分」と落ち込む・・・らしい。------------------------------「勘弁して頂戴よ~」という気持ちも湧きます。ちゃんとそれなりの介護をしてもらっている、きちんとしたデイサービスのお世話も受けていられる自分に(シュウトメちゃんの感性としては、あまりに不充分なのでしょうが)いいかげん、気が付いてほしいなぁとも思います。嫁だって、人間だもの。(笑)でも、かなり今は精神的に楽になってます。ここから先は怪しいですよ。(いつも通り?)「被害者のシナリオを生きるのは、大変なことだなぁ」もうね、そう割り切ってしまいます。シュウトメちゃんに体現されている、自分勝手も、被害者意識も、全部私の一部だし、それはただ「ある」と思えるから。自分勝手が悪い、被害者意識が悪い、と思うからきついんですよ。これ、大発見だと思ってます。この世から、自分勝手も被害者意識も、多分消える日はこないです。全ては陰と陽なんですから、非常に思いやり深い人、被害者になって相手を責めたりしない人がいるということは、その逆の面を生きないといけない人もいるんだと認識すれば、介護者意識として、すっごく気が楽になりませんか? 目の前の介護相手を見て、この人の自分勝手、被害者意識が結局はこの人を苦しめている、それを何とかしてあげなくては・・・この「何とかしてあげなくては」はポイしちゃっていいんです!私なんて、気が楽で仕方ないわ~。自分勝手も被害者意識も、この世に意味があって存在してるんです。それを変えようなんていうのが多分そもそも傲慢なんですよ。自分勝手で被害者意識の強い人は自分よりレベルが下、なんて見下して心のバランスを取るのも、実は疲れるんです。上も下もない、いいも悪いもない。これが一番楽です。介護者の皆さんで、私に似た感性をお持ちの方、どうぞ一緒に楽になりましょう。怪しすぎてついていけないよという方、いつも怪しくてすみません。(笑)------------------------------シュウトメちゃん、今日はデイサービスの日でしたが、朝からご機嫌が悪く、結局「今日はやめとく!」の結論でした。先日、送迎で同乗するおばあさんに「遅い!」と言われ、「お迎えの5分前に電話があるんだから、待たせるほうがおかしい」と苦情を言われたことが、ずっとずっと腹に据えかねているんです。「あのおばあさんと同じ車で行くと思うと気分が悪い。行きたくない。顔も見たくない」とおっしゃる。家に残っても、私は仕事で出かけてしまうので、お昼を用意するだけの手間で、別に私は困らないんですが、1日寝転んで、テレビを見ながら、悔しかったあの瞬間を繰り返し思い出して腹を立てているだろうと考えると、う~ん、せっかくのいいお天気の日に、あまりに暗い。「人の言ったことに、いつまで引きずられるかは自分で決められるんですよ。」「家でぐちゃぐちゃ考えているより、出かけたほうが気分が変わりそうですけどね。」シュウトメちゃんは、私にも、そのおばあさんの悪口をいっぱい言って欲しいし、傷ついた自分に、ホントは、つきっきりで介護して欲しいのですよ。でも、私は出来る範囲のことをするだけにしました。紙パンツ履き替えの時間には途中退室したし、一緒に悪口を言うなんてごめんですからしませんでした。でも、一緒にいる間は、優しく着替え介助や湿布貼りをしました。これでいいのだ!後は「デイには自分で電話してくださいね~」と放置の嫁koalaです。これでいいのだ!が今日の私のキーワードかな~
May 30, 2014
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大ちゃんは、中学の養護学級の生徒さんとして、先生の山元加津子さんに出合いました。出会った時、大ちゃんは字も書けず、会話はとんちんかんでしたので、いろんなことを知っていて、感じていて、表現したい子供だという認識は、先生は持っていませんでした。漢字はわからないだろうと、ひらがなを教えましたが、それも覚えないようで、ひらがな文字も書けませんでした。そんなある日、先生は大ちゃんにワープロを教えました。大ちゃんは実はいろんなことを知っている子でした。そしてワープロによって「文字は他の人に自分の気持ちを伝えることが出来るものだ」と知ったようです。そのころを境に、大ちゃんは、少しずつ「読める字」を書くようになったということです。-------------------星の光が見える星と僕は知らないもの同志やけど僕の心を動かす力を持ってるんやな-------------------葉っぱだって石ころだってそこにあるだけで心を動かす力があるそれが“ある”ということなんかな-------------------僕だってそこに“ある”“ある”ものはみんな大切なんや -------------------僕が生まれたのには理由がある生まれるってことにはみんな理由があるんや -----------------------------------------この大ちゃんの詩を読んだひとりに「じゅんくん」がいました。じゅんくんには重い障害があって、生れつき手や足を動かすことが難しく、食べる、移動するなどの日常のほとんどのことを家族や看護婦さんにお手伝いをしてもらっています。そのじゅんくんからある日、山元加津子先生に電話がありました。「大ちゃんの詩を読んだよ。僕は何もできないのに、本当に僕が生まれたのには理由があるの?」その答えを出すために、雪絵ちゃんも一緒になって考えてくれました。自分のことを振り返った雪絵ちゃんは、お母さんに質問しました。先日ブログに載せたエッセイの「私、これでいいみたい」の通りです。お母さんとの会話の中に、雪絵ちゃんは、じゅんくんへの答えを見出しました。「私、わかったことがあったの。もし、私とお母さんが逆で、お母さんの体が動かなかったら、私がお母さんがたとえどんなわがままなことを言っても、何でもしてあげたいって思うだろうな。そうだ、人って、愛するため愛されるために生まれてきたんだって思うよ。じゅんくんに雪絵はそう思うよと伝えてあげて」-----------------------------------------そんな風に答えた雪絵ちゃんでしたが、持病が進み、更に体が動かなくなると、何度もじゅんくんのことを考えたそうです。「私、何度もじゅんくんのことを考えるよ。私は今、お世話をかけるばかりで何もできない。私がいて、本当に何かの役に立ってるのかな?」山元加津子先生は、こんな風に書いていました。雪絵ちゃんが亡くなってから書いた文章です。(長いので、略してあります)もしも雪絵ちゃんがいなかったら、どんなにたくさんの大切なことに気が付けなかっただろう、自分の人生も淋しいものになっただろうと思います。雪絵ちゃんは、たくさんの人と強い絆で結ばれ、濃い心の交流をしていました。たくさんの出会いを、雪絵ちゃんはとても大事にしていたし、出会った人々は誰もが雪絵ちゃんの人柄や生き方に惹かれ、心を打たれたことでしょう。雪絵ちゃんは「大きな宇宙」の大切な一齣であったに違いないのです。雪絵ちゃんは自分の人生を懸命に生き、自分で自分の生き方を決め、そして亡くなることさえも、自分で決めたのだと思っています。私は旅をしながらでも、家に帰ってきてからも、まだ時々泣きそうになります。私は雪絵ちゃんとこれからも一緒に生きていくってわかってるのに、雪絵ちゃんは自分で決めた生き方をしたんだってわかってるのに、でも、やっぱりどうしようもなく泣きそうになります。宇宙の秘密について書くようになって、人間もやはり動物なのだということを、よく考えるようになりました。猫は年を取って、自分があと数日で死ぬのだと感じると、飼い主に自分の死体を見せないようにふいっと家から出て行ってしまうというし、象は群れを離れて森の奥で死ぬのだと言います。また、与論島に住んでいる老人は、もうすぐ亡くなるというときになると病院に入っていても、「もうすぐ僕は亡くなるので」と病院を出て、お世話になった人たちに挨拶をして回った後に、家で眠るように亡くなるのだと聞いたことがあります。雪絵ちゃんのお母さんは、延命治療をしないでほしいという雪絵ちゃんとの約束を守りました。だからこそ、雪絵ちゃんは心の声に耳を澄まして大きな宇宙とすながることができたのかもしれません。生まれること、生きていること、亡くなること、それは、大きな宇宙の流れの中ではとりたてて特別なことではなく、本当なら恐れる必要もなく行われることかもしれません。人がいろんなことを自分で決めて生きている。けれど、宇宙の大きな力が私たちに、私たちは今どうするべきなのか、どう生きていくべきなのかを教え続けてくれてるのだと思うのです。----------------------------------------- みち (雪絵ちゃんの詩)今日まで歩いてきたみち、さっき歩いてたみち、明日歩くみち、今歩いてるみち、これから歩くみち。全部私が選んで歩いてるみち。だからこのみちでいいの。このみちを歩きたいの。私の選んでるみちは、いい方に向かってる。だから全て大丈夫。このまま行けば大丈夫。全て大丈夫。-----------------------------------------大ちゃんとじゅんくんと雪絵ちゃん。「生まれるってことには みんな理由があるんや」そんな詩を書いた大ちゃん。僕は何もできないのに、本当に僕が生まれたのには理由があるの?」「大ちゃんの詩を読んで先生に電話した、恐ろしく自由を奪われた体で生きているじゅんくん。「人って、愛するため愛されるために生まれてきたんだって思うよ。じゅんくんに雪絵はそう思うよと伝えてあげて」一生懸命考えて、そう答えた雪絵ちゃん。「自分のことが自分でできることが大事」という視点や「将来、お金を稼げることが大事」というような視点、あるいは「不自由なことがないことが大事」という視点で見たら、この3人は、価値がないことになります。このブログを読んでくださっている方は、そんな風に思われないでしょう。私ももちろんそんな風には思いません。でも、自分の心の中を覗いてみると、そういう視点、価値観はちゃんと存在していると思いました。世の中にそういう視点、価値観が根を張り、広がっているから、雪絵ちゃんも、病状が悪化し、じゅんくんの立場になった時に、「私、何度もじゅんくんのことを考えるよ。私は今、お世話をかけるばかりで何もできない。私がいて、本当に何かの役に立ってるのかな?」という問いかけを、自分自身に何度も繰り返さなければならなかった気がします。亡くなる2か月ほど前に、雪絵ちゃんが先生に言いました。「かっこちゃん、前にね、病気とか障害ってとても大事だって言ったよね。人間はみんな違ってみんなが大事だということも科学的に証明されてるってことも言ったよね。それを世界中の人が当たり前に知っている世の中に、かっこちゃんがして」「何も言わないで。約束してくれるって言ったよね」「それを世界中の人が当たり前に知っている世の中」だったら、「僕は何もできないのに、本当に僕が生まれたのには理由があるの?」という、じゅんくんの問いもいらなくなる・・・・。 ----------------------------------------- 最期に大ちゃんの詩をいくつか心の奥に座っている僕の僕が考えているどっちにしようかとわからんくなったら少し休んでみみできいてしずかにみてたらきっとわかる-------------------僕が生きていること君が生きていることここにこうして いられること僕の上の星時計の上の星君の上の星-------------------僕が今ここにいることは僕の足あとのつみかさねやと思うたくさんの昨日があってたくさんの明日があるたくさんの昨日はいつもたくさんの明日のために歩いている-------------------戦争は手と足じゃ足りなくて心まで持っていくんやな大好きと思ったり一緒にいたいと思ったり心は大事なものやのにみんな持っていくんやな-------------------秋の空気はつぶのすきまが大きくみえる-------------------行ってしまうものさっていくものそしてくるもの出会うものどっちが先ということがなくどっちが後ということもないそれは感じる人が決めること
May 29, 2014
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昨日は仕事休みでした。シュウトメちゃんをデイサービスに送り出した後、歯医者へ。その後、花の苗を買いに行き、寄せ植えしてみました。寄せ植えった言っても、2種類ずつですが。 培養土が重いからと思っていましたが、新製品?を発見。乾燥した培養土で、水をかけると戻るとか。軽いです。もしかしたら、前から売ってたのかな 午後からは、この間の木材処分の続きをしようかと思いましたが、夏日で暑かったし、そこそこ疲れたので、無理しないことにして、日帰り温泉に行ってきました。 自分甘やかし中です。心身のために、そちらの方がいいと思ったらそうしちゃいます。 -------------------------------------- ところで、ネットでポチ、というのは有難いもので、1/4の奇跡関連の本でポチした3冊が全部、 もう手元に届きました。普通は1冊ずつ読んでいくものかもしれませんが、私は昔から、並行読みが好きなので、3冊同時読書中です。 全部外れなく面白いのですが・・・・ 「本当のことだから」 山元加津子さん著 これが、山元さんの実体験に基づいた、ものすごくスピリチュアルな内容でこの間、私が聞きに行ったスピリチュアルリーダー、賢者テラさんのお話の内容ともかなりかぶっていました。起きることが起きてくる。すべて決まっているのでは?という点が特に。 山元さんも賢者テラさんも、自身の経験と直感からそう思うに至ったのですが、話を聞いた時の 私の反応や疑問と重なっていて、このタイムリーさも、とても興味深く感じました。 本の中に出てくる、養護学級の教え子「大ちゃん」 の詩がたくさん載っていますが、これがまた、現代の老子と呼んでいいのではないかと思えるような心の深いところに届いてくる、素晴しい詩なんです。 学校でも社会でも、試験問題が解けるとか、臨機応変に対応できるとか、実際に効率的に働ける尺度でしか「賢さ」は測れません。 でも、大ちゃん(だけではなく、教え子さんが何人も登場し、みんなすごい)の持っている賢さは、その「実社会の尺度には合わない賢さ」 で、怪しい言葉でいえば「宇宙と繋がっている真理に近い賢さ」だと感じました。かなり魅せられています。いい本に出会えて本当に有難いです。
May 28, 2014
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「1/4の奇跡」の本を読み出しました。考えさせられる本なので、ぼちぼち読んでいます。まだ読み終わっていないのですが、ご紹介したいものがあったので載せます。雪絵ちゃんの養護教室の先生だった、かっこちゃんこと山元加津子さんの本ですが、他の方の文章も載っていました。その一人が、先日私がブログに書かせていただいた柳澤桂子さんで,その内容が、やはり先日書かせていただいた神谷美恵子さんの「あなたは代わってくださったのだ」の詩について、個人的感想を書いた内容とすごく似ていました。(そのブログはこちら→☆)私は今、この考えに出合うことになっていたのだろうと運命を感じたような気持ちでいます。-------------------------------本文は長いので、koalaの独断で略しながら抜粋させていただきました。私たち人間は、さまざまな人種がいます。そしてどの人種間でも子どもをつくることが出来ます。それを可能にさせるのは、私たち全人類が、一つの大きな「遺伝子のプール」を共有しているからなのです。遺伝子プールには、突然変異によって生じた、少しずつ違う遺伝子が蓄えられています。遺伝子プールは、過去の環境条件に適応して、一定に保たれてきた状態を維持しようとする、保守的な傾向を持っています。しかし、環境の変化が起こることによって、それまでのバランスが崩れ、ゆっくりと変化するときがあります。その時、生物は進化してきたのです。突然変異が繰り返し起これば、病気をもたらすような変化もときには起こってしまいます。そして、病因遺伝子も、遺伝子プールに蓄積されます。病因遺伝子を持つ人の多くは、子孫を残すことなく死亡してしまいます。そう考えると、病因遺伝子を持つ人の数は、社会全体として減って行ってもよいはずですが、実際にはほとんど減りません。それは病気の遺伝子を含めた「遺伝子の多様性」こそが人間の優秀さを、個性を生む源泉となっているからです。けれども私たちは、遺伝子プールの中から、どの遺伝子を受け取る以下自分で選ぶことはできません。そして必ず誰かが、病気の遺伝子を持って生まれてこなければならない。それが遺伝子プールの構造なのです。個人にとって「悪い遺伝子」というものはあるかもしれませんが、社会にとっての「悪い遺伝子」というものはありません。もし「病因遺伝子=悪い遺伝子」という考え方があるとすればそれはそのような考えを生み出す社会が悪いのです。 あなたに与えられたかもしれない病気の遺伝子をたまたま受け取って生まれた人がいる。その人に、できるだけ快適な生涯を送れるように配慮し、尽くすことは、健康に生まれたものの当然のつとめだと思います。-------------------------------この本に載っていた映画「1/4の奇跡」の感想を1つご紹介します。私の息子は自閉症(先天性の脳機能障害)です。そんな息子に、私はこれまで「大好きだよ。あなたは、大切な存在だよ」と伝えてはいましたが、一方で「なんの生産性もないこの子は、社会にとって、本当に大切な存在なんだろうか」とも思っていました。そんな気持ちを救ってくれたのが、かっこちゃん(山元加津子先生)でした。障害者の存在がどれほど大切なものなのか、ということを話してくれた時、目の前のもやがパッと晴れました。障害を引き受けてくれる人がいなければ、私たちは存在しないんだ。なんという気づきでしょうか。以来、息子に伝える「大切だよ」という言葉に、迷いがなくなりました。息子は、常同行動(同じ行為を何度も繰り返し続けること)としてよく体を揺らしていますが、かっこちゃんは、それを「宇宙とつながるための祈り」と言ってくれました。本当のことは誰にもわかりません。でも、息子は、揺れることで、私たちには見えない「何か大きなもの」とつながっているのかもしれない。そう思うと、息子が愛おしくてたまりません。
May 27, 2014
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シュウトメちゃんの方が私の仕事より早く帰りますが、先日は、私を待ちかねて「えらい目にあった」と愚痴の嵐の予感。(「えらい」は「偉い」ではなく方言で「悪い意味で大変なこと」です。)「悪いけど、ご飯を炊いてないから、ちょっと後で聞いてあげるね。」全部聞いてから晩御飯の仕度を始めたら。晩御飯は何時になることか。しかし、その直後、電話を掛ける気配が。待てないヒトだな~。誰に愚痴電話を・・・と思ったら、デイサービスに苦情電話を入れていました!今までに何度、シュウトメちゃんは施設に苦情電話を入れたことか。多分、施設内でケンカしたんだろうな~と思ってたら違ったみたい。------------------------------------------この日の朝の送迎の時、車に乗り込んだシュウトメちゃんに、待たされたおばあさんが、「遅い!」と言ったそうなんですね。「遅い」とか「5分前に電話があるんだから、待たせるほうがおかしい」と言われ「ひどいことを言われて、心が傷ついた」という電話をしたらしい・・・。そのおばあさんの言うことは、まったく正しいのですが、過去、私がどんなにそれを訴えても、逆切れしてきたシュウトメちゃんです。自分はいいがかりをつけられた被害者としか思えません。その日はそんなにお待たせしていなかったけれど、さんざんお待たせする日も過去たくさんあったので、そのおばあさんは、腹に据えかねていたのではないかと思います。急いでも急げない自分なのに(いえ、早くから仕度すればいいんです)こんな暴言(真実です)を耐えなければいけないなんて、もうデイサービスなんかに行きたくなくなったと抗議電話をしていました。(施設のスタッフさんは「やめれば?」と言えない立場・・・)私がお米をといでいるそのすきにそんな電話を・・・。そして「koalaさん、電話代わって~」というシュウトメちゃんの声。向うは苦情を言われたら、なだめるのがお仕事。遅いと言ったおばあさんは、ずけずけと物を言う人なので、シュウトメちゃんは、あまり気にされないように・・・とのことでした。------------------------------------------そして、先日「杖を車に積み忘れた事件」があったのですが、そのことも苦情の中にあったらしく、再びお詫びの言葉があり、「こちらにある杖を使っていただいてと思ったのですが、強制ではありませんので、ご本人が慣れた杖がいいということでしたら、もちろん、お持ちいただいて結構です」とのこと。あの問題をまた蒸し返しているとは。車椅子でほぼ過ごすデイサービスの一日。個人の杖がなくなったということで大騒ぎで探していただき、結局、お迎えの運転手さんが、シュウトメちゃんを車椅子から車へ移乗させる際、うっかり車の上に置いてしまって、乗せ忘れて発進したため、車の向きを変えた場所に落ちていました。デイサービスの方は平謝りでしたが、ほとんどの方は、施設の杖を借りて、自分の杖でなくては嫌だとは言わないことでしょう。シュウトメちゃんの杖は、特別の杖ではないのですが。「杖がない」と騒ぎになった時も、シュウトメちゃんは「杖を盗まれた。盗んだ人は大体わかってる」そんな物騒なことを言っていたのですが、全部誤解だったわけ。こちらの杖を使ってくださると助かりますと言われたのを、嫌だと突っぱねたシュウトメちゃん。私はシュウトメちゃんに意見することは、ずいぶん放棄しています。杖がなくなったの時も、盗まれるとは思えませんが、と言っただけ。自分の杖でなくてはと言い張った時も、向うの杖をしばらく試して、どうしてもだめだったら自分の杖、ではいけないですかね?と言っただけ。今回の騒動は、私がその程度でも口を突っ込むと地雷を踏むので早くから仕度しないからだなどは決して言いませんでしたよ。------------------------------------------今回「遅い」と言われた件も、自分は全く悪くないのに、意地悪を言われたと思っているのです。気に食わないことを言う人は全部、シュウトメちゃんにとっては意地悪。私もそうだし、ケアマネさんはもっと。「遅い」と言うなんてもっともっと。非難されるストレスを自分で受け止められないと信じてるのかな?早くどこかに非難を投げつけないと、ストレスであふれてしまうって。本当はそんなことないのにね。憂さを晴らすのに、電話に出られた方を煩わせました。スタッフさんは我儘な高齢者には慣れていらっしゃるでしょうけど。意地悪を言った人の性格が悪いのを、スタッフさんに言いふらしたい気持ちもシュウトメちゃんの中にはあったと思うの・・・。でもそれは自分の性格の悪さを言いふらした結果になってると思うの・・・。------------------------------------------もしかしたら、最初の乗車にするかな?と思っていたら、その通りになっていました。以前、「一番先の乗車になると、車に長時間乗っていることになる。自分はとても疲れるのでやめて欲しい」という苦情電話をかけたシュウトメちゃんでありますが、きっとそんなこと、忘れてるね。この時も施設とちょっともめたんですよ。「交代で、誰かが最初になるんですが」って。シュウトメちゃんが、「自分ばかり何回も続けて最初の乗車になった」「これは不公平」だとあまり騒ぐので、「なるべく平等になるようにもっと気を付けます」とおっしゃって、一件落着したのですが、ワガママだなぁ・・・と家族としては、身が縮む思いでした。今はね、シュウトメちゃんは変わらないけど、私の気持ちが変わったので、「身が縮む思い」はしていません。私には責任は持てないことと割り切りました。その人は「遅い」と思ったんですよ。「5分前に電話があるんだから、待たせるほうがおかしい」と思ったんです。シュウトメちゃんはそう思わなかったんです。自分とは違う感覚の人がいるんだなと認識する、それが他の人との係わりの第一歩じゃないですか。自分とは違う意見は意地悪、全排除って、その感覚がおかしいのだけど、嫁になって家族だからって、それを変えるのは出来ないですよ。今日の日記で私が強調したいのはここ!------------------------------------------長い間ずっと、急がせて他の方を待たせない責任とか、やたらな苦情電話をして、スタッフの方を困らせない責任とか、そういうのをずっと感じてきて、本当にストレスだったんです。でも、こういうことに責任のあるのは、やはり本人だけですよね。出来る範囲の協力はしますが。介護される側の何割かは、多分、「私はもっと大事にされたい!」と不満を募らせています。その裏に「大事にされなくて当然かもしれない」という恐れが潜んでいる場合、それを打ち消すエネルギーが働くので、不満(実は不安)は倍増し、誰かに丸投げされます。介護する側に丸投げする可能性はかなり高いです。でもそれは決して介護する側の問題じゃありません。そんなのを丸投げされても困るわと、介護する側は思いますが、小さい頃から「人には優しく」とか「困っている人には親切に」とか「我慢は美徳」などの価値観を刷り込まれて育っていますから、「困っている人を、充分助けていない自分」に罪悪感を持ってしまう場合があるんですよね。「私はもっと大事にされたい!」と心の中で叫んでいる人には、その人自身が自分の価値を認めることでしか問題を解決できないんじゃないかって思うようになりました。その人の問題であって、介護する側の問題じゃありません。「人の問題まで解決できるすごい人にならなくてよろしい!」自分に宣言しちゃいましょう。それは「役に立たない自分を認めたくない」のも含んでます。認めちゃいましょう。介護される側で解決すべき問題を、介護しつつ解決するほどのスーパーウーマンじゃないわって。施設の人や同じ送迎車に乗る利用者さんたちに、「おばあさんもおばあさんだけど、お嫁さんが何とか出来ないのかしらね」と思われたっていいんです。そう思うかどうかはその人の自由です。いいお嫁さんに見られなくてもいい!これも宣言しちゃいましょう。そんなことは、ずっと前から気づいていたという方も多いでしょうし、介護される側の性格がうちの場合と全然違って、全然違うポリシーを持つに至った人も多いでしょう。私は、相手が自分のせいで不幸だとアピールされると、むかつきつつも、罪悪感ゼロではいられない思い込みを持っていたので、そこを突いてくるシュウトメちゃんに恵まれた(?)のかも。ただ介護するだけでも、とても愛している相手の介護でなければ、手間と時間を使うわけで、とても負担を感じるのは人情です。その上、精神的負担を感じるなんて、即、やめちゃいましょう。今日の日記は読む人によっては愚痴日記かもしれませんが、私の感覚だと、介護仲間にエールを送る気持ちの日記なんですよ~。
May 26, 2014
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「ゆきえちゃん」の字を「雪江ちゃん」と勘違いして書いておりました。正しくは「雪絵ちゃん」です。訂正させていただきます。昨日のブログに書いた、雪絵ちゃんの話です。雪絵ちゃんの「お願い」が映画になった「4/1の奇跡」の上映日程はこちらです。お近くで上映予定のある方、ご都合がつけばぜひ・・・。私の住んでいる県では今年の予定はないようですので、本を注文しました。「小学校上映推進プロジェクト 取り組み中」-------------------------------------------雪絵ちゃんは、慢性病などのために学校に行けなくなった病気の子供たちが通う、病院の近くの養護学級の生徒さんでした。先生は、山元加津子さんという方でした。ある日、雪絵ちゃんは先生に「楽になりたくなっちゃった」と言います。「死にたいとか、そんなことじゃないよ。でもね、全然動けないとちょっと疲れるんだよね。暑いから扇風機をつけてほしいなって思っても、誰か探さないといけない。やっとつけてもらっても、どんどん当たっている間に体が冷えてきて今度は消してほしいなって思っても、また誰か通りかかるまで待っていないといけない。それってけっこう疲れるんだよね。動けないくせに、私の体って痛むんだよ。それから痒くもなるんだよ。だからちょっと疲れたから、かっこちゃん何か楽しい話してよ。」先生は加津子さんなので、愛称かっこちゃん、なのでした。その時にかっこちゃんはテレビで見た話をしました。-------------------------------------------あるとき、アフリカのある村で、マラリヤが大流行しました。村人は絶滅しそうになりますが、絶滅しないことがわかりました。マラリアにかからない人が一定数いたのです。科学者や医師が、その原因を調べに行き、マラリアにかからない人は、鎌状赤血球を持っていることがわかりました。今度は鎌状赤血球の遺伝子を持つ人たちの家族を調べたところ、その人たちは3つのグループに分けることが出来ました。1 全体の1/4 鎌状赤血球を持っていて、鎌状赤血球貧血症という病気になり 時には亡くなるほどの障害を持っている人たち2 全体の2/4 鎌状赤血球を持っているけれど、障害は持っていない人たち3 全体の1/4 鎌状赤血球を持っていなくて、障害も持っていない人たちマラリアが大発生した時、3のグループの方はマラリアで亡くなってしまいます。しかし、3/4の人たちはマラリアにかかりません。この村を救ったのは、全体の半分を占める2のグループの人たちでしょう。しかし、この人たちが生き残るためには、1/4は鎌状赤血球貧血症が生まれてこなければいけなかったのです。1のグループの、「鎌状赤血球を持っていて障害を持っている人たち」はいらないんだと、1のグループだけ排除することはできない、1のグループの人たちが生まれなければ、2のグループの、 「鎌状赤血球を持ち、障害は持っていない人たち」も生まれないということです。病気や障害を持った人はみんな大事だという話だと嬉しくなった山元加津子先生は、雪江ちゃんにこの話をしたのでした。8月のことだったそうです。10月に大きな再発が起こり、雪江ちゃんは意識不明になりました。それでも先生が手を握ると、ぎゅっと握り返してくれたそうです。しかし、12月26日、雪江ちゃんはあの世へ旅立ちました。お母さんがおっしゃったそうです。「26日に亡くなって、27日がお通夜で、28日がお葬式なんですけど、この日はあの子が1年で1番大好きって言ってる、あの子のお誕生日なんですよ。だからきっとそのときにお葬式をしたかったんでしょう。あの子はなんてあっぱれな子でしょうね」-------------------------------------------先生は、雪絵ちゃんが亡くなったことをなかなか受け止められず、苦しんでいましたが、あることを思い出しました。大きな再発が起こる何日か前にかわした、雪絵ちゃんとの最後の約束でした。「かっこちゃん、どうしても聞いてほしいお願いがあるの。今から言うことに絶対ダメとかイヤとか言わないでほしい。絶対イヤって言わないでね。」「かっこちゃん、前にね、病気とか障害ってとても大事だって言ったよね。人間はみんな違ってみんなが大事だということも科学的に証明されてるってことも言ったよね。それを世界中の人が当たり前に知っている世の中に、かっこちゃんがして」先生が無理だよと言おうとしたとき、雪絵ちゃんは、「何も言わないで。約束してくれるって言ったよね」と言いました。-------------------------------------------かっこちゃん先生は、その約束を思い出し、本を書いたそうです。-------------------------------------------そして、その後「1/4の奇跡」という自主映画が制作されて、日本中で上映されているそうです。私、今までこの映画のことは全く知りませんでした。映画について書かれた本も出ています。書名はどちらも「1/4の奇跡」ですが、筆者とサブタイトルが違います。上の本の著者は山元加津子さん、サブタイトルは、「強者」を救う「弱者」の話上の本の著者は入江登美子さん、サブタイトルは、もうひとつの、本当のこと映画「1/4の奇跡~本当のことだから~」公式HP上映日程はこちら
May 25, 2014
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この文章を書いた笹田雪絵ちゃんは、もうこの世にはいません。多発性硬化症(MS)という病気で闘病生活を送っていました。時間が経つにつれ、目が見えなくなったり、体が動かなくなる病気だそうです。彼女のことはネットで知りました。 彼女の書いたブログ「すのうレター」の「幸せ気分」より、少し転載させていただきます。(読みやすいように、勝手に行替えをしたり空間を開けたりしました。) ありがとうこの目が物をうつさなくなったら目に、そしてこの足が動かなくなったら、足に「ありがとう」って言おうって決めているの。今までみえにくい目が一生懸命見よう、見ようとしてくれて、私を喜ばせてくれたんだもん。いっぱいいろんな物素敵な物見せてくれた。夜の道も暗いのにがんばってくれた。足もそう。私のために信じられないほど歩いてくれた。一緒にいっぱいいろんなところへ行った。私を一日でも長く、喜ばせようとして目も足もがんばってくれた。なのに、見えなくなったり、歩けなくなったとき「なんでよー」なんて言ってはあんまりだと思う。今まで弱い弱い目、足がどれだけ私を強く強くしてくれたか。だからちゃんと「ありがとう」って言うの。大好きな目、足だからこんなに弱いけど大好きだから「ありがとう。もういいよ。休もうね」って言ってあげるの。多分誰よりもうーんと疲れていると思うので・・・。 (後略) 敵でないの (前略)MSだけど自分を愛していきたい、MSの雪絵をまるごと大好きでいたい・・というような事を言ったとき、即、MSと仲良くしてはだめ、MSは敵だよって言われました。でも私はMSと仲良くするし、私にとっては敵ではなく味方なのです。うまく説明できないけれど、私は決してMSに負けないし、負けたくないし、負けるわけがない。でもね、MSは私のために一生懸命がんばってくれてます、元気でいようとしてくれるけど、時々暴れてしまいます。でもその時も一緒によくなろうとがんばってくれてます。だから私にとって、敵ではないのです。MSの悪口を言われたとき、ちょっと悲しかった。病気になる事が好きなわけではない。けど、けど・・・友達にもうまく言えなかったけど敵ではないの。 身代わりシステム代われるものなら代わってあげたいなんて言われることあるけれど、世の中そういうシステムがなくて良かったと思います。だってもし私が誰かと代われるとしたら、誰にこの病気あげていいか分からないもん。たとえ犬にあげたとしても、その犬が今の私と同じようにしてると思うとどうしていいか分からず、その犬を一生抱っこしてあげなければ気がすまない。かといってアリにあげたとしてもやっぱり嫌。物語に出てくる働き者のアリだからしんどくてもきっと働くのだと思うのです。そんなの見てられない。毎日どうしてるかなって気になってしまう。私が毎日アリに砂糖を運んであげたい。ということで、この病気は誰にもあげられないのです。あげてもいいのにあげられないのもくやしいので、そういうシステムがないのには感謝してます。でも母に、もし目が見えなくなったら片目くれる?って聞くと喜んで「あげる」と言います。私の目はもらったりすることはできないけれど、それをお互い知っててそう言います。なんて答えるか知っててそう聞いて、そして期待通りの返事が返ってくると私はそれだけで充分満足なのです。誰かが私の代わりに病気をするのはちょっと無理。この病気は私にしかつとまらないわー。なんてちょっと大仕事をしているかのような私でした。 私、これでいいみたい学校を卒業してとくにする事もなくつまんないなって思ってた時期がありました。学生の時は学校に行くために、入院した時は病気を治すためにがんばってたけど、今は何をがんばればいいんだろうって。その時、自分のことを聞くのは嫌だったので、お年寄りの方を自分に置き換えて母に聞いたのです。どうして寝たきりのおばあちゃんのために皆がんばるのか?特に役に立つ事しないし、お世話も大変なのにと。これは本心で言ったのではなく、自分でも言いながら、なんて残酷なこと言うんだろうと思いながら。でも役に立たないし、世話が大変というのは実は自分のことだったのです。家にいても特に役に立っているわけでもないし、そしたら母の返事は「おばあちゃんはどうして年をとったか知ってる?」と言いました。子どもを一生懸命育てて、心配もたくさんたくさんしてきたのです。どんなに偉い人でも子どもの頃はあったのだし、その子を育てたのは親です。それを時には一人ぐらしの老人がいたり、老人ホームに入れられたり・・でもそれには仕方のない理由がきっとあるのです。それもわかっているのだけど、もし、役に立たないからという理由で、子どもが立派になったらはい、さよならでは、ひどい話です。自分を育ててくれた親だから、いっぱい心配してくれて、一生懸命働いて、ご飯作って・・・・。大切にしてあげるのは当然の事だと母は言いました。その後、私ってなんてひどい事聞いたんだろう。役に立たないなんてと思いました。でもその日からお年寄りの方がとてもかっこうよく見えてきました。でも私が、聞きたかったのは自分の事です。私は親としてがんばった後の人生ではないから、ちょっと聞きたい事と返事が違っていたけれど、いいこと聞いちゃったって感じです。こういうこと知らない人に教えてあげられたらと思いました。でもどうしてもやっぱり自分の存在が知りたくて、別の日にまた母に私がいなくなったら楽かな?って聞いたのです。そしたら、母は楽かもしれないし、それは分からない、いなかったらいない生活があるし、いればいる生活だし。でももしお母さんと雪絵が逆だったらどうする?いなくなればいいと思う?って言いました。私ははっとしました。またまたばかな事を聞いてしまったと。もし、逆だったら、毎日寝てても泣いていてもわがままばかり言ってても、役にたたなくても、きっと・・・ううん絶対、誰よりも愛すると思う。大切にすると思う。大好きでいると思う。こんな私だけど いいみたい。 今、必要だから友達とおばあちゃんの事で、けんかをしました。友達の仕事は看護婦です。友達の勤めている病院に、80歳くらいのおばあちゃんが入院してきて、100万円の人工骨を入れるという手術をしたのです。足の骨折を治すための手術です。友達はあと何年生きられるか分からないし、せっかく100万円もしたのに、リハビリもあまりせずにもったいない。それならその100万円を別の病気の研究に使えばいいのにと言うのです。 中略本当は友達の言っていることも分かるのです。でもずーっと先のことを考えるより、明日必要だから100万円という高額の手術をしたっていいじゃないって思うのです。私もそうなの。目が見えなくなったら、漢字も字も必要なくなる。でもね。今日、明日と字はまだ私に必要なのです。たとえ、一週間後、必要なくなるとしても、その間必要なの。それを分かってて、私漢字検定を受けました。どうも私は漢字が苦手で、おまけに字もすごく汚いし。そこで、検定を受ければ、覚えるしいいかなと思い、受けました。それと同時に汚い字もなんとかしたいと思い、習字も習いました。いつか必要なくなる字、漢字。だけど、今必要だったので習ったの。でも習うとき、ちょっと考えてしまいました。やっぱり無駄かなって。でもたとえ、明日いらなくなったとしてもいいやと思い、習いました。おかげで漢字も覚えたし、字も習っているときは気をつけて書くようになり、今年の年賀状は格好良く書いて見ようかしら・・なんて調子でした。でも習って、4ヶ月ほどで目が見えなくなり入院。退院するときには入院前と比べると視力は落ちてしまったので、習字は続けられなくなりました。でもね。結構これが私の自慢なのです。すぐやめることになったけど、「私やったよ」って スリル満点私の人生にはタイトルがついています。「人生真剣に生きない」サブタイトルは「善は急げ」です。ずっとずっと病気のいいなりの人生を送っていたような気がするのです。学校卒業後も行きたい学校をあきらめ、その後習いたいと思ってたことも入院のため期間をずらしたり、今日は病院へ行く日だからと用事を断ったり。でもある時からそういうのはやめようと思ったのです。私の人生であって、MSの人生ではないのだから。たとえ無理して出す助けてあぶないぞーという調子も気かず行動して、それがきっかけで入院する事になってもそれはそれはいいと思います。自分のサイコロは自分でふる。そう決めたのです。スゴロクでもあるでしょう。一回休みとか。そうなってもいい。一回休みでも振り出しに戻るでもいい。自分でサイコロをふるいたい。MSにふらせない。でももしかしたら、○○まですすめとかすごいチャンスだってあるかもしれない。だから真剣にやりたい事どうしようって迷ったらだめ。MSに先をこされてしまう。いいな、やってみたいな、行ってみたいなと思ったらすぐ飛びつく。 (後略) -------------------------------------------なんて素晴らしい、成熟した魂のお嬢さんなのだろうとどの文章を読んでも、心が震えました。 >今まで弱い弱い目、足がどれだけ私を強く強くしてくれたか。だからちゃんと「ありがとう」って言うの。>私はMSと仲良くするし、私にとっては敵ではなく味方なのです。>ということで、この病気は誰にもあげられないのです。あげてもいいのにあげられないのもくやしいので、そういうシステムがないのには感謝してます。こんなことが書けるお嬢さんがどれくらいいるでしょうか。深い、深い敬意とともに、読ませていただきました。合掌。
May 24, 2014
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この画像は本文に関係ありません。(笑)ファイティングポーズをとったまま、眠りに落ちていく大福シャッター音で目が覚めたらしい・・・--------------------------------昨日の朝、いつも一時入所をお願いしている施設から電話があり、6月7日(土)からお部屋が用意できますが・・・とのことでしたので、それでお願いしました。毎年、梅雨の時期に、体調を崩すシュウトメちゃんは、梅雨前に入りたいと言っていたので、有難いです。--------------------------------その話とは別に、ケアマネさんの来訪がありました。書類に印鑑を、というのが目的ではありますが、いつもいろんな話で、介護家庭を啓蒙していきたいというあふれる気持ちをいつも感じています。「介護職が長くなると、みんなけっこう統計に走るんですよ」そう言いながら、自分でできることを自分でしようとする人と、丸投げするようになる人との違いを詳しく語って行かれました。ケアマネさんは多分、「あなたは丸投げ傾向があるので、自分のことは自分でしようと思わないとダメですよ」とシュウトメちゃんにくぎを刺そうという意図があったと思うんです。しかし、シュウトメちゃんは、結構自負心が高く、「丸投げにする人はいるけれど、自分はそうではない」ことをその時、誇らしく感じたのが伝わってきました。これはこの場合、いいことです。「あなたはこういうところがダメ」と言われるのと、「あなたはこういうところが素晴らしい」と言われるのと、私だって、そりゃあ、後者の方がやる気が起きますよ。(怪しい補足を少々書きます。最近、スピリチュアルの怪しい話ばかり書いていますが、そちら側から言えば、評価なんて幻想です。否定されたと怒ったり悲しんだりするのは、自分の中の価値観に、自己否定があるからであって、それがなければどんな否定を受けようが、心は常に穏やかだと思います。しかし、自己否定をこれぽっちも持たないほどの境地になったら、もうこの世で生きていなくていいような気がしますね。自分の中にまだ自己否定があるなぁと、少し心が揺れるくらいが人間的でいいんじゃないか?と思うワタクシです。大揺れしたら、自分の気持ちを観察した方がいいですけどね。褒められる側の場合でも、大喜びしたら、自分はそこに執着してますね。それを失ったら、大揺れするということです。ちょっと嬉しい、というくらいは人間的で可愛いと思います。)--------------------------------実際、丸投げにすることと自分でやろうと思うことの割合を考えれば、シュウトメちゃんは自分でやる派だと思います。「そうそう。施設でも、何でも職員さんにやらせる人がいて、こんなことまで頼むのかと呆れるんだよ」とシュウトメちゃん。「そうでしょう?そこなんですよ、大事なのは」とケアマネさん。「自分でできる自分のことを、頼まないで自分でやるのは本当は当たり前のことなんですよ。でも、丸投げにすることを選んだ人は、こんなことまで?とびっくりするようなことも、全部人にやってもらおうとするんです。それは車椅子の身になったからではなくて、丸投げする選択をしたからで、車椅子の人だって、自立した人はいっぱいいますよ。」確かに個人差が大きそうな事柄です。シュウトメちゃんは自信が湧いてきたようです。昔、脳の血管が切れた後遺症で、半身麻痺になってしまった時、シュウトメちゃんの下の義姉は結婚前でした。リハビリで動けるようにならないと、下の娘が自分の介護で、結婚できなくなってしまうと奮起したシュウトメちゃんは、痛いのも苦しいのも耐えて、頑張ってリハビリしたのでした。「あの時、リハビリが嫌で寝転んでいたら、おばあちゃんは今の年齢でここまで動いていられなかったよね。おばあちゃんは頑張り屋だから、大丈夫だよ」私の言葉にシュウトメちゃんは納得してうなづいていました。まあ、あまりに自立心が強いと、それはそれで本人が辛そうなので、まかせて甘えるところもあっていいと思いますが、シュウトメちゃんにはその心配はなさそう。今も、肩が痛いのですけど、とても急ぐとき以外は、少しの補助で、服の脱ぎ着をしています。そうだね、シュウトメちゃんは頑張ってるよね。気が付かなくてごめんね。--------------------------------ケアマネさんは、一時入所の施設で、スタッフさんに甘えすぎて、出来ていたことがたくさんできなくなる事態を避けたいと思って言ってくださっていたのでしょうね。そして、スタッフさんに甘えすぎなくても、少しずつ身体的機能は衰えていってしまうので、そのことに絶望しないで、気持ちをしっかり持って丸投げにしないことが大切で、その気持ちで頑張っていく人に、アドバイスする準備はありますとエールを送りたいというのも思ってくださった気がします。シュウトメちゃんは、このケアマネさんとは相性が悪く、今まではご訪問のたびにブツクサ言ってましたが、今回は背中を押していただいた気がするようでした。
May 23, 2014
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賢者テラさんの夜12時ジャスト更新の今朝?のブログは「因果の呪縛」でした。この人が意識の在りようを工夫したので(原因)、その波動に合った現象を引き寄せた(結果)というのは、錯覚なので、成功哲学はニセモノという内容。1日前のブログはありのままを認めることは不可能2日前のブログは不倒毎日ブログ更新という頻度でこのレベルの高さはすごいと以前はまとめ読みしていたのに、今は毎日読んでます。(笑)---------------------------------------賢者テラさんのライブに行ってから、そこで聞いた言葉が花の種のように私の中で芽が出て膨らんできた気がします。「人生は映画のようなもので、みんなストーリーを真面目に演じている」「陽と陰はワンセット」出来そこないのSFのあらすじと思って読んでいただければ十分です。------------------------------人の一生には、おそろしくいろんなパターンがありますよね?日本で戦国時代の武将の家系に生まれるとか、産業革命時代のイギリスの貧困層に生まれるとか。時代を現代に、国を日本にという大きな限定を設けても、もっと限定してある県のある年齢の人、という狭い世界で考えても、実にいろんな人生があって、みんなその人生を生きています。それがその人専用の映画のキャスティングで、人類全体のレベルで、すべての陽と陰を体験(上映?)するためだったとしたら・・・?------------------------------ここから先は、テラさんに触発されて私に浮かんできた、個人的妄想のようなものです。私たちの能力が実はマルチなものであって、映画のストーリー上、あるキャラを与えられたとします。みんながマルチな能力を発揮していたら、成り立たない映画ばかりです。ある人は、慎重で、気が弱いという映画キャラだったため、無鉄砲で気が強いという能力は封印して生きていきます。おっちょこちょいであまり能率的に仕事がこなせないキャラの場合は、注意深く、効率的に働く能力は封印していきていきます。意地悪で相手の気持ちを考えない人は、優しい気持ちや、相手の立場に立つ能力を封印するという具合に、元々は持っている能力に蓋をしてストーリーを演じています。(途中で、こんなところに蓋が?!と蓋を自らはずす設定も、生涯その蓋が外れない設定もあり、です)想像してみると不思議な気持ちになります。映画キャラに忠実なため、ある能力を封印していると思うと、効率的に動けない人、意地悪な人が目の前にいても、なかなか大変なキャラの映画ですね、お疲れ様、という感じで、こちらに余裕ができませんか?目の前に問題がある場合、それで解決はしないでしょうが、精神衛生上は、いいかもしれません。自分の欠点を罵る必要もないですね。おっちょこちょいキャラの映画なので、注意深さを封印してるのね、ここまで大げさに演じなくてもいいかもね。もう少しだけ注意深くしてもいいけど、基本的にはそういう主人公キャラの映画なら仕方ないわね~、とか。世界のバランスのために、慎重過ぎる、石橋をたたいて渡るような人と、思いついたらすぐ動く、注意不足のおっちょこちょいな人がいるなら、中庸がバランスのとれた状態だなぁという理解とともに、アンバランスな両極の人たちも、善でも悪でもなく、ただそういうアンバランスを体現しているだけ、です。------------------------------能力面だけでなく、環境面も同じ考えが出来るかな。お金には全く不自由しない環境に生まれ育つ人がいればとんでもない貧困層に生まれ育つ人がいます。生まれつき頭がよく、特に科学者の才能を発揮する人がいれば、生まれつき脳に疾患があり、頑張っても数学は解けない人もいます。誰が見ても、輝くほど美しい美貌を持って生まれた人もいれば、その逆の人だって存在するわけです。陽に生まれた人が自慢するのは愚かだし、陰に生まれた人が恥じるのも愚かなのでしょう。お金持ちに生まれたり、貧乏に生まれたりを繰り返しながら、お互いへの理解が出来るといいのだけれど。激しい陰の場合、飢餓で死んでしまったりします。その激しい陰は、激しい陽で中庸に出来るのですけど。ただ、陰を引き受けたらその陰のままで、感謝や幸福を味わるという、ハイレベルな道もあり、その道を歩む人は私たちを感動させてくれますね。------------------------------嫁姑の確執を味わう人生、実の親子関係がうまくいかない人生、誰が聞いても痛ましい事故の被害者になる人生などが存在し、そしてすべてにその逆のパターンの人生が存在します。いろいろな人生がこの世で繰り広げられるためには、ありとあらゆるパターンが生まれる必然があるから。その「ありとあらゆるパターン」こそが前世であり同時に来世であり、パラレルワールドなのかも。人類の記憶として私たちの集合的無意識を創造しているのかも。そのような想像をしたら、自分の陽の部分には、その面の陰を引き受けてくれる仲間に感謝して、謙虚でいられるのではと思います。反対に、陰の部分には、陽の部分を持つ人にコンプレックスを持たずにきっと前世でこの面の陽は経験済みなので、今回は陰の部分の担当になったのだなと納得すればいいかなと思います。何事も深刻にならずに、生きやすくなるかもしれません。------------------------------深刻にならずに済むと書いてすぐ、深刻な詩を持ち出して恐縮ですが、私の頭に繰り返し浮かぶのは、神谷美恵子さんの詩「癩者に」の一節です。なぜ私たちでなくてあなたが?あなたは代って下さったのだ代って人としてあらゆるものを奪われ 地獄の責苦を悩みぬいて下さったのだ突然、今までこの詩に持っていた以上のすごい世界を感じたのです。神谷美恵子さんは、立派な家系のお嬢様として生まれ育った方で、精神科医として、らい病の患者さんたちに尽くしました。良い家柄に生まれついた人の中には、逆の境遇の方々を思い、そのことに罪悪感を持つ人がいます。宮沢賢治や太宰治もそうだったように、神谷美恵子さんも罪悪感を持たれていたのであろう、それが詩の背景だろうと、今までは思っていただけでした。悲惨ならい患者さんたちの苦しみに日常的に接することになって、衝撃を受け、人々に疎まれる病気のこの方々と恵まれた境遇の自分と、命に値打ちの差などありはしない、そういう感覚の表れで、素晴らしい詩であると思っていました。でも、この詩を、陰と陽はワンセットということで読むと、あなたは「らい患者として生きる」という陰の運命を私に代わって生きてくださっているのだ、という風に読めませんか?何だか私にはそういう気がしてきたのです。神谷美恵子さんに詳しいわけではなく、急にそんな気がしただけですので、全くの個人的感想です。よろしければ詩の全文を。------------------------------「癩者に」光りうしないたる眼うつろに肢うしないたる体担われて診察台にどさりと載せられたる癩者よ、私はあなたの前に首を垂れる。あなたは黙っている。かすかに微笑んでさえいる。ああしかし、その沈黙は、微笑みは長い戦いの後にかち得られたるものだ。運命とすれすれに生きているあなたよ、のがれようとて放さぬその鉄の手に朝も昼も夜もつかまえられて、十年、二十年と生きて来たあなたよ。何故私たちでなくてあなたが?あなたは代って下さったのだ、代って人としてあらゆるものを奪われ、地獄の責苦を悩みぬいて下さったのだ。許して下さい、癩者よ。浅く、かろく、生の海の面に浮かび漂うて、そこはかとなく神だの霊魂だのときこえよき言葉あやつる私たちを。かく心に叫びて首たるれば、あなたはただ黙っている。そして傷ましくも歪められたる顔に、かすかなる微笑みさえ浮かべている。
May 22, 2014
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シュウトメちゃんの農作業小屋を整理しています。この木材は、かつて田んぼで藁を干すのにつかったものらしいです。オットが高校生くらいまでは田んぼでお米を作っていたそうなので、30年近く前の廃材なわけですね。 私が嫁いだころは、シュウトメちゃんは「木は使い道があるから捨ててはいけない」と主張していました。元気があったんですね。 もうそんな元気はないので、内緒で捨て放題なんですが、この木材は、主婦が車で処分場に運ぶには、」ちとハードだと思いません? ハードだと思った私は、何年も前から、オットに「これ、片付けてよ」と言い、オットは「そのうちやるよ」と逃げ続け、今は椎間板ヘルニアですからね、頼めないなぁ、自分でやるかぁ、というノリで車に積みました。このノリでずっと生きてきた、主婦koalaの30年を振り返りつつ。 ------------------------------------ この木材は、ゴミ袋に入るサイズにカットすれば、燃えるゴミの日に 近くのごみ収集場に置いてきてOKなんです。のこぎりで私でも切れるので、3袋分はやってみました。しかし、大量にあるんですよ。意を決して、直接搬入した方が絶対に楽です。 今回積み込んだ分は、向うで計量したら60キロでした。田んぼで藁をかけるのに使った木材は、一般ごみと区別され、有料になるのですけどね、60キロで600円でOK。これだけで終わるといいのですが、まだこの倍はあるのよ。 ただ、千里の道も一歩からというのが、今の私のマイブーム。諦め、居直りと呼んで差支えありません。 一気に片付ける体力も気力もないけれど、1日1歩、3日で3歩、3歩歩いて2歩下がる~とこまめにこまめに前に進んでいければいいかなと思っています。 これだけ積むと、左の助手席が木材だらけですからね、左側が見にくくて、運転がちょっと怖いんです。慎重に慎重を重ねて片道40分。疲れました。 昨日はなかなか午後の予定もハードでした。実は2往復しようかと思っていたけど、勇気ある撤退をいたしました。
May 21, 2014
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昨日の日記、賢者テラさんの話の続きです。私が本や講演会(あ、ライブね。笑)の要約を日記に書くと、まるでそれが全部私の意見のように思われがちなのですが、なるべく、そういう誤解が生まれにくいように、テラさんはこう言った、という文章と、私はそれを聞いてこう感じた、という文章、これはどちらの文章かがわかるように書きたいと思います。-------------------------------------テラさんは、人生は映画を見るようなもの、と言いました。人生は全部決まっているということです。あみだくじのようにジグザグに生きる必要がないのは、他の選択をした、別のたくさんの人生も生きて経験するから。これ、面白いなぁと思いました。53歳まで生きていると、「まさか?!」と驚くようなことがいろいろ起きてきました。慣れないうちは、取り乱しました。最近は慣れてきて(?)「そうきたか」と思うようになってきました。映画館で映画を見ていると思っていたら、最初から「そうきたか。ふふふ・・・」と落ち着いていられたのかも。でもこれはねぇ、取り乱す経験も必要だったと思います。-------------------------------------テラさんが言いました。「ガッツ石松と松阪桃季の朝日新聞のCMで、タブレットで新聞を読むようになったガッツ石松が、「人生が360度変わる」というようなことを言い、松阪桃季が「え?360度?」と突っ込むシーンがありますね。あのガッツ石松のセリフ、いいと思います。」いろいろあって、360度人生が変わって、元に戻ってくる。テラさんがホワイトボードに丸を描いたとき、私の中に小さな衝撃が走りました。私は360度回って戻ってきたんだ、と感じたのです。-------------------------------------若い頃から臨死体験の話などが好き、スピリチュアル志向がありましたが、苦しいことがあったから、拍車がかかりました。シュウトメちゃんとの生活は息がつまりそうでしたし、その中で生まれた長男は先天性の病気を背負っていました。子供が苦しむ姿を見守ることはとても苦しいことでした。たくさんの子供がいれば、一部には先天性の病気の子が生まれます。それは理解していました。妊娠中に大姑の介護などしていなかったら病気で生まれなかったかも。シュウトメちゃんとの度重なるストレスがなかったら・・・もっと上手な子育てが出来ていれば、こんな風には・・・あの時、こういう視点が持てていたら・・・長男が苦しみをたくさん背負うことが、避けられたかもしれないのに不注意な母親である私は、避けてあげられなかった。当時の私には、苦しみは避けたいものでしかありませんでした。そんな苦しい気持ちの日常がスタート地点でした。それからたくさんの気づきや納得がありました。起こることは起こり、苦しみを感じるものは感じる、人生は、そういう経験もするように出来ていると理解し、大事なのは効率などではない、失敗という人生はない、比較は必要ない、役に立つことが一番大事なのではないなど、いろんなことがわかってきました。360度人生が変わって、自分の生活を普通に、大事に生きるという実にシンプルな始点に戻ってきました。私の前世は?とか、どうしてこんなことが起こる?とかそんなことを考えなかったところまで戻ったのです。死後の世界も、前世も、あると思っていますが、今、詳しく知る必要もないと思っています。振り返って思うと、私がスピリチュアル大好きになったのは、長男が苦しまないような方向に進むためのHOW TOがそこにあると思ったから、だったんですね。気が付かなかっただけで。今は、人はそんなHOW TOを超えたものに包まれているので、じたばたしないで、現状を生きるほうがいい、都合の悪いことから逃げ回る必要はなくて、宇宙を信じて、そこを生きる覚悟があればいいと思っています。(このあたりは私の気持ちであって、テラさんの話ではありません。)-------------------------------------どうして私がこんな目にの謎解きもどうでもいいです。被害者意識は必要ないですし、因果律はあると思いますが、因が生じたのは過去のこと。果として現れた現象は、現れるべくして現れたこと。原因探しなどは必要ないと感じています。今、この世で肉体を持って生きていること、青空が美しく、夜の月が、星が美しく、家族におはようと言える日々が終わっていない、私の映画がまだ終わっていないことが有難いです。ヘタレなので、あまり苦しかったら有難くないと文句言いそうですが。-------------------------------------陽と陰はワンセット、という話もありました。この場合の陽は、だれが考えてもそれは幸せ、と思うようなこと。気持ちいい、都合のいい感じで物事が進むことで、陰はその逆。陰だけを否定して、陽だけを求めてもそれは無理。例えがまたテラさんらしくジャイアンとジャイ子でした。「ジャイアンが陽、ジャイ子が陰だとすると、ジャイアンの機嫌はしっかり取って、ジャイ子はいじめたとする。そうしたらジャイアンは、自分には機嫌をは取って来る相手だから、ジャイ子がいじめられても怒らないか?と言えば、よくも妹をいじめたな!と殴ってくるでしょう?ワンセットなんですよ。ジャイアンもジャイ子もワンセットで切り離せないものとして受け入れないと無理なんです。」この話もね、私がしみじみ実感していることとドンピシャでした。まあ、ありふれた話だからと言えばそれまでなんですが。都合の悪いこと(普通の人が、こんな風でなければいいのにと思うようなこと)が自分に起きないことを願っても無駄だと思います。そうでなくて、そういうことが起きたときに、自分に起こる反応を変えることが出来る、それが大事だと思います。ラッキーな事ばかりが起きることを願うのではなく、普通に辛いことが起きてきても、振り回されないこと。外側に自分を変えてしまうものがあるわけではないのを知り、宇宙と繋がっていられること。それが大事かなと思う今日この頃です。「映画は最後まで見ましょう。何が起こるかわからない。何かが起こる。」テラさん、素敵なライブをありがとうございました。
May 20, 2014
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土曜日に私が行ったという講演会は賢者テラ ソロライブ「泣かぬなら そういうタイプのホトトギス」講演会って古いのね。今はライブっていうのね。面白かったです!3時間、休憩なしで語り続けたテラさん。私はテラさんのブログのファンなので、時々まとめ読みしているのです。(ファンって言うなら毎日読みなさいよねぇ?毎日午前0時くらいに更新されているようです。)短い小説もたくさんアップされています。普段あまり本を読まない人でもとっつきやすく書かれていますが、私が特に好きなのは、聖書の新解釈シリーズで、特に先日のはすごかったです。ちょっととんでもないキリストの話ちょっとどころではないと思いますけど。テラさんは、実は以前、熱心なクリスチャンで、神学校に通い、途中でスピリチュアルに目覚めさえしなければ、神父になるはずの方でしたので、聖書には精通しています。その神学校は、体育会系だったそうで、日曜日の説教の練習の際には、「そんな話し方では信者さんが飽きる!」「そこ、おかしい!」などの檄がとぶ状況だったとか。テラさんの声はちょっとおばちゃんが入ってる高めの声なんですが、非常に聞き取りやすいのはその修行のおかげ?3時間休憩なしの語りがあっという間だったのも、内容が興味深かったことだけではなく、話術も巧みなのでしょう。多分、教会向きのモードではないですが。(笑)-------------------------------------もしも、人生がマリオのゲームだとしたら、人生のどこでどんなコントローラーを私たちが操作したとしてもOKで、全部想定内だというのが1年半ほど前までの思いだったのが、今は「どこでどんな操作をするか、どんな結果になるかもすべて決まっている」そんな考えでいるそうです。このことはブログで知っていまして、そこが腑に落ちなかったので、聞きたいと思って出かけたといういきさつがありました。テラさんはでもこう言いました。(メモしたわけではなく、記憶で書いていますので多少違う部分はあると思って読んでください)「真実は一つじゃありません。この考えに反発する人は、いや、人生は決まってなどいない、前向きにチャレンジして変えていくんだという選択をしてください。あなたの宇宙ですから、あなたに合うものを選べばいい。どんな内容の話でも、一部の人にはしっくりきて、一部の人には反感を買います。それでいいんです。自分は反感を買う覚悟で発言しています。」「人生を自分の選択でコントロールできるというのが励みになる人も、コントロールできなかった、起きることが起きたということが救いになる人も、両方存在します。自分が目を離したすきに、子供が飛び出して事故で死んでしまった。そんな場合は、自分さえ目を離さなければと自分を責め続けてしまう。・・・すべては決まっていると今の私は思っています。」あみだくじのような線をホワイトボードに描き、自分であみだくじの横線を引くようにジグザグな線を描いて「以前は、こんな風に進むのが人生と思っていました。でもね、この縦線を全部生きるんですよ、われわれは。だから、こんな風にジグザグに進む必要がないんです。」(この説明、すごい!と個人的に思いました。)-------------------------------------「人生を自分の選択でコントロールできるとしなければとても救われないと感じる人、死んだほうがマシと思える人もいるでしょう。しかし、映画は最後まで見ないとわからない。」「途中で、こんな映画、つまらないと言って席を立ってもいいんですよ。退席というのは自殺のことです。でも、映画がつまらないかどうか、最後まで見ないとわからないじゃないですか?皆さん、普通に映画を見に行く時には、どんな映画なのか、おおよそ理解していきますよね?でも、人生という映画は、予備知識ゼロで見に来たんです。だから、先が見えなくて怖いんです。ただね、映画ですから、ちゃんとストーリーがあるんですよ。とんでもないことが起きたとしても、あなたのいるのは映画館の席です。映画が始まっているんだから、最期まで見ましょうよ。きっと何かが起きますよ。」この話の前に、テラさんの今までの話がありました。発達障害が発覚し、リストラにあったり、引きこもりしたり、熱心なクリスチャンになって、神学校に通ったり。ある本屋に、キリスト教関連の本を買いたくて出かけたときに、横が精神世界のコーナーで、間違えてそちらに行ったそうなんです。ストイックなクリスチャンだったので、聖書関連のコーナーにまっすぐに行くタイプだったそうです。精神世界のコーナーで「神との対話」を手に取ったそう。ご存知の方は、キリスト教の本ではないことがわかりますよね。テラさんは、神というタイトルなので、当然キリスト教の話だと思い、手に取って読んで、衝撃を受けたそうなんです。キリスト教の教えよりも、こちらのほうが真実だと思うほどにこの本の内容に感動してしまったんです。その後、スピリチュアルな目覚めを経験し、ブログを始め、それが人気になり、現在に至る、という経緯ですが、まさに波乱万丈です。リストラされる前、発達障害が発覚する前は、自分の能力のなさを感じて辛かったと思います。知らないうちに人を怒らせたり傷つけたりする脳の持ち主と自分のことを感じて、引きこもっていた時に、今の姿を見せられたとしても、信じなかったでしょうね、テラさんは。「今、辛いところにいても、とにかく映画を最後まで見ようと思って欲しいです。何かが起きるから。」-------------------------------------前にテラさんのブログに「死にたいんです」と書き込んだ人がいました。テラさんは、その人が本気で死にたいなどとは全く思っておらず、こちらの出方を試しているだけだとハッキリわかりました。「相手するのが面倒で、死ねば?って返事したら読者がガクンと減りました」って笑って言っていました。そのへんがすごくテラさんらしいと思いました。「人生が苦しくて自分のブログに来るのはわかるけれど、自分はスピリチュアルのことをこんなにわかっている、こんなに高いところにいるぞというのを誇示したくて、優越感を感じるためにコメントする人たちがいるんですよ。そういう人たちに気に入られようとは思わない。」「逆に大好きと言われても、エゴの部分では嬉しいですけど、ちょっと投げ飛ばしたくなりますね。依存しちゃダメだ、あなたが宇宙の王だって言ってる。」「人生は引き寄せの法則だと言って、愛とか夢とか希望とか、そんな言葉をちりばめたほうが売れるのですが、身も蓋もないけど、人生は決まっている、映画を見てるようなものだと思ってます。」この「映画を見てるようなもの」についてはまた明日書きますね。
May 19, 2014
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昨日は午後から友人に会いに名古屋に行きました。私たちの家の中間地点が名古屋なんです。幼馴染の私たちは保育園~中学まで同じでした。彼女はお父様をガンで亡くされていますが、この間、夢で話したそうなんですよ。生きている間、あまり円満な関係を持てなかったことを長い間、父親のあり方に問題があったからだと思ってきました。でも、夢を見て、本当にそうだったのだろうか?という思いが湧いたそうです。父親も娘と仲良くしたかったし、自分だって娘として愛されたかった、親子関係を修復する方向に向かう選択を、父親も選べたし、娘である自分も選べたのではないか?ただ、選べないと思っていただけでは?彼女の話は、私の心にすっと染みていきました。私も両親をガンで亡くしていますが、最期の日々を一緒に過ごす時間の中で、それまで理解できていなかった両親の気持ちが、もう死んでしまうという時期になって、あの時はこんな気持ちだったんだと初めて分かったこともありました。本当に、いろんなことについて、選択肢はいっぱいあったと最近、私もしみじみ感じることが多かったので、人生は選択の積み重ねだったと、お互いの感想を話し合いました。シュウトメちゃんには我慢できないと、家を出る選択だって、離婚する選択だって、私にはできたのだけど、しなかったのです。特に両親が亡くなって実家が空き家になっているのですから、「今日から一人で暮らします」と出ることなんて、本当は簡単なこと。自分がした選択の積み重ねの上に今の自分がいるけれど、違う選択をした人生をいっぱい想像できます。それが良かったとか悪かったとかではなく、そういう選択があった中で、自分はこういう選択をしたのだという事への理解が出てくるのです。----------------------------------------「素晴らしい気持ちになることがあると、心地いいから、ずっとそこに留まりたいって思うけど、できないね。」友人はそんなことも言いました。「できないのよね。すべては変化していくから。」「そうなのよね」すべては変化していくもの。私は庭に出て、陽の光や月や風の音、鳥の声などをただ感じていることが好きなのですが、例えば、この瞬間に見える木の葉も、鳥も、変化し続けていて、何ひとつ変わらないものはないと感じます。遠くに見える山も、手元にあるカップも、私自身の細胞も刻々と変化しているのですよね。「逆もあるけど、どうしてかな?留まりたくない嫌なことを反芻するの。あれは無駄に思えるけど」と私が質問して、愚痴についても、新発見がありました。(彼女は心理の専門家なのです)----------------------------------------少し前の日記に書いた「どうして私がこんな目に!」という気持ちは、嫌な目にあった記憶であり、思い出すのも不愉快なはずです。そんな不愉快な記憶を、あの時は腹が立ったとか、悔しかったとか、何度も反芻して、わざわざ思い出すのはなぜか。留まりたいような心地よい心境ではなくて、忘れたいことなのに。今はそんなことはほとんどないのですが、昔はよくありました「自分が不当な扱いを受けたことで、ムッとするのは当然なんだけど、愚痴を言っている間は、実は、自分が怒るのは正当ではないかも?自分が悪いのかも?という疑いを感じていることが多いの。自分が我慢すればいいんじゃないか、怒るのは間違っていないかって。シュウトメちゃんの愚痴まみれの件は、単なる排泄かな。自分ではこの現実は受け止められないと思いこんでいるから、壊れないために排泄したんだと思う。」なるほど。私は一方的に排泄してくる相手に苛立って、排泄しないように自分を変えろと迫ったから無駄骨を折ったのね。この友人は、私に何度も何度も「人は変えられないよ。変えられるのは自分だけ」とアドバイスしてくれていました。でも私は「問題は外側にある」とその頃は思い込んでいたので、彼女のアドバイスが本当には理解できなかったのです。彼女も、変えられるのは自分だけで、私を変えられなかったわけで、それは私が変わることを望んでいなかったからでしょう。すべてのことに時期があるのでしょう。----------------------------------------私は「どうして私がこんな目に!」と被害者意識の沼に沈んでいた時期を不毛で無駄だったように感じていました。でも、私は意識的には怒りながらも、無意識の中では、「我慢は美徳」とか、「嫁は耐えるもの」というような、不要な価値観を大事に抱えていたのでしょう。「自分が我慢したほうがいい」という気持ちが心の底にある間は「どうして私がこんな目に!」と心で叫ぶ時期が必要だったのですね。無駄な時間なんてなかったんだと目からうろこが落ちました。すべての時間、すべての経験が今の私を作っています。自分にちょうどいい速度で成長していくものなのでしょう。そして、被害者意識は実は心地いい、というのもあるしょうね。自分は正しい被害者で、相手は悪い加害者なんですから。このゲームから抜け出すためには、このゲームの罠が見えなくちゃね。自分が罠に引っかかっているのを発見するため、人がゲームを仕掛けて、被害者意識に沈んでいる姿を見せてくれているのかも。これは実は自分の姿だと発見するまで、根気強く見せてくれていたのかも。----------------------------------------友人とおしゃべりを楽しんだ後、講演会に行きました。朝、時々読んでいるスピリチュアルなブログを訪問すると、その日の午後6時半から、名古屋で講演会があって、当日券もあります、と書いてあったのです。あら?面白そうじゃない?昔なら、行けなかったですよ。主婦が午後6時半から9時半までの講演会に?そりゃ、ダメでしょう、という思い込みがありました。でも、子供が成長し、シュウトメちゃんもとりあえず、晩御飯を用意してあれば大丈夫という状況です。オットが休日出勤していましたが、多分、機嫌は悪いでしょうが、「ごめんね~。急に○○ちゃんと会うことになったので、晩御飯は長女に頼みました」とメールして、出かけました。この友人は講演会には行かなかったのですけどね。えへへ。私がスピリチュアルにどっぷりだと思われるかも知れませんが、実はいろんなことを実感できてしまった今は、しみじみ、今生きているこの人生を生きるのが大事と実感が深まりました。そもそも私は、苦しかったから、スピリチュアルな世界に解決の糸口を求めたんだと思います。今は苦しくないから、というか、苦しいことが起きてきても、あまりたじろがないで、今度はそうきたか、と思えるので、案外、スピリチュアルな話はどうでもよくなりつつあるんですよ。実感としては、始終、体感するようになってきているのですが。しかし、この講演会、とても面白かったです。ブログを読むのも面白いけれど、実際に目の前で話を聞くのは一味違いました。実はブログの中に書かれていることで、よくわからない部分があったので、それを聞きたいと思ったのですが、話を聞いてよく理解できました。講演会の話はまた後日。今日は仕事です。
May 18, 2014
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昨日の工事は午後1時くらいに終わりました。その後、大工さんと入れ替わりに介護リフォーム担当の方がいらっしゃり、書類の手続きを終えても2時くらいでした。4時半から、駅近くで用事がありましたが、おなじ方向に小さな薔薇園のある公園があるのですよ。 ネット友の皆さんが、薔薇を見に行かれた画像を見て、薔薇を見に行きたい気持ちが高まっていたので、思いついて出かけてきました。 薔薇は満開。 風の強い日で、薔薇の花も揺れていました。 こんなに満開なのに、空いてたのは、きっと強風のせい。 何しろ、私の家の物干し台が転倒したほどの強風でした。 薔薇の甘い香りが漂う公園は、強風の日でも素敵でした。 アップの画像もお楽しみください。 風で散った花びらがそこかしこに・・・。
May 16, 2014
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入口が3段になりました。 以前のは2段で、足が弱ったシュウトメちゃんが上れなくて困ったので、ブロックを敷いて、こんな感じでした。 印はリフォームする板の場所の目安です。 少しわかりにくいですが、廊下の右側の壁にずっと手すりを付けました。奥に見えるのは車椅子。 以前は壁に手すりはなくて、平行棒という歩行訓練機のような器具を廊下に設置していましたが、これ、案外使いにくかったみたいでした。 昨年の秋に蜂窩織炎で入院して、足が弱って退院しました。病院ではリハビリもしてくださったのですが、以前に戻るのは不可能で、この廊下が歩けませんでした。 急きょ、どうしよう?!とケアマネさんや業者さんに相談して、これならすぐに対応できますとのことで設置したものです。シュウトメちゃんは、その時には、車椅子には抵抗があったのです。 平行棒はレンタルだったので、返却するだけでした。 玄関右側の手すりはこんな感じになっていて、握ったとき、指になじんで すべりにくいです。 私が試しに段差を歩いてみたところ、かなり違いを感じました。 シュウトメちゃんはまだデイサービスから帰っていませんが、気に入ってくれると思います。
May 16, 2014
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最近とても早寝が多く、起きるのは特に早くないです。元気なんですけど、疲労感が強くて、すぐ寝ちゃう。これって更年期の疲労感っていうものかしら・・・?検索してみました。http://www.drunkatcollege.com/kounenki/toha04.php更年期の女性の約7割は、疲労感や倦怠感を感じているといいます。これはホルモン分泌の急激な減少や、それに伴う自律神経の変調を、体が調整しようとしている結果です。更年期の疲労感は、その程度の大小はありますが、ハッキリと自覚症状が続きます。特に忙しいわけでもないのにどっと疲れてしまう、1日の疲れがなかなか取れない、倦怠感で何もする気が起きないなどの症状に悩まされている人は多い事でしょう。ハッキリと自覚症状が続きます、って書いてありました。何もする気が起きないほどではないけど・・・。疲れやすくて、早く眠くなって、長く寝る疲労感というのは、まだマシなほうなのかもしれないですね。早く寝ちゃうと、自分の自由時間が減るので損した気になりますが、こういう時期だと割り切ってしまうほうがよさそうですね。閉経も近いはずのこのワタクシの卵巣の中には、もう卵胞がない可能性が高いでしょうねぇ。卵胞がなければ、女性ホルモンは出ないでしょうねぇ。出ない状態に体が慣れてくれればいいのかな?早く慣れてくださいな~。(苦笑)
May 15, 2014
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今日は仕事は休みで、歯科治療の2回目。抜歯覚悟で行ったら、大丈夫みたいでよかったです。ざっと表面の歯石だけ取ってもらいました。今後3回に分けて、しっかり歯石を取ってもらいます。別の個所の虫歯が見つかり、次回、麻酔して治療です。何年も歯医者さんに行ってなかったので反省し、来年からは毎年行くようにしようと思いました。こう思うのは、初めてじゃないんですが(汗)、将来の入れ歯をなるべく防ごうと思ったら、今からそうしないと遅い気がしてきました。出かけにシュウトメちゃんが、かかりつけ医で薬をもらってきてくれと言うので、病院のはしご。1週間前に診察に来たばかりでしたので、その時お願いするのを忘れた薬をいただきたくて・・と言うと、シュウトメちゃん不在でも、すんなり出していただけました。病院のはしごをしたらお昼を過ぎてしまったので、私とシュウトメちゃんのランチは帰りに買ってきたもので済ませました。--------------------------------------------------庭の花にアブラムシがついたので、薬を買いに行き、ついでにお花を何か買おうと思って見ていたら、鉢植えのスーパーアリッサムと言うのを見つけました。すごいボリュームで見とれてしまったので、それを購入。上から写すとこんな感じです。花は普通のアリッサムを少し大ぶりにした感じですが、葉っぱの感じが違います。庭に置いたので、こんな感じ。本当は、自分で育ててここまでこんもりさせるのが醍醐味ですが、ちょっと一目ぼれしたので。--------------------------------------------------話は変わりますが、昨日の日記に書いたように、パラレルワールドがあるような幻想を、ふっと味わえたのは、テレビの映画のおかげです。確か1週間くらい前、テレビで「 クラウドアトラス」をやっていました。映画館に見に行って、かなり感動した映画でした。改めて見たら、これ、パラレルワールドの話じゃないですか。(個人的見解ですが。)映画の時間軸がわざとめちゃくちゃになってるのは、時間なんて幻想だよという意味なんだろう、普通に前世、来世があるという話だろうと、映画館では、軽くスルーして見ていました。この映画、時代が違う複数の話が、少しずつ進むんですが、これは複数の世界があって、ある世界で起きることが別の世界に影響を与えているっていう意味だったみたい。(しつこいですが、個人的見解です。)それに気が付いたら、ふわっと、パラレルワールドがあるような感覚に襲われて。かなりリアルな感覚で、面白い経験でした。別にこの世がパラレルワールドであってもなくても、どっちでもいいです。そうかもと思えただけ。確認しようもないです。映画の作り方が上手かったから味わえた感覚かも。昨日の日記の関連で、書き留めておこうと思い追記しました。--------------------------------------------------昨日は友人に誘われて 夜に日帰り温泉に。話が盛り上がって、楽しかったです。とりとめのない日記ですねぇ。私の脳みそみたい?(笑)どうも失礼しました。
May 14, 2014
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和の花もいいですよね。お墓用にたくさん切っちゃって、少なくなりましたが。生き生きしてて、昨日の雨に喜んでいる気がします。------------------------------------昨日の日記の可愛いおばあちゃまが、なぜ可愛いか。「どうしてこんな目に!」という恨みつらみがないと、トゲトゲのエネルギーが飛んでいないので、心地いい、というのも一つの理由かな、と思いました。私はこの「どうしてこんな目に!」という恨みつらみとは、長いこと仲良し(?)でしたよ。シュウトメちゃんに「嫁は家の道具」みたいな扱いを受けて、それはおかしい、そんなのは従えないと反論をして、ヒステリー起こされて退散してきたので、それはもう、「どうしてこんな目に!」という恨みつらみとは、仲良しでした。今は「因果律」なんか信じちゃっていますので、いろいろあっても、起きてくることが起きてきたか、と思えるし、それによって、心が大きく揺らぐということもなくなりました。まあ、小揺らぎくらいはしますけど。これって、少なくとも私に似た人には、幸せに生きやすいコツですよ。------------------------------------それに最近、この人の今の姿は前世の自分かもなどと怪しい思いも湧いたので、余計に大きくは揺らがないですね。昔は,前世など診てもらうのが面白くて、何度か見ていただいたんですよ。「こういうことはどうして起きるんでしょうか?」と聞くと、見える方には、それに対応した前世の様子が見えるらしいです。もちろん、証拠はないので、信じるかどうかの世界です。例えば私は、窮屈な昔風の考えに固まったシュウトメちゃんのいる先祖代々、ずっとこの土地に住み続けている家に嫁ぎました。もっと自由を!と思う環境です。これを見ていただいたときは、前世ジプシーの女性だったと。移住生活に疲れていて、定住して安定した生活を送りたいと思っていたとか。ちなみに、今は、それが真実でもそうでなくても、大したことじゃないと思っています。それが自分の前世であろうとなかろうと、人類の歴史の中で、前世こんな風で・・・と言われたような人生を生きた人が存在したのは明らかです。私たちは集合的無意識でつながってるんだから、自分の前世とか他人の前世とか、分けて考える必要なんかないんじゃないか?という感覚があります。人類にはこういう人生の記憶がある、それで十分じゃない?と思います。おまけに、最近の私はもっと怪しくなってきて、もしかして前世じゃなくて、パラレルワールドかもね?なんてふっと思ったりします。ここ、怪しすぎたらスルーしてください。その人の視点から見た今の私の人生はどんなふうに見えるかな?そこが大事じゃないか、と思います。------------------------------------もっと不幸な人がいるから、幸せだという感覚ではないです。いろいろな因果律により、いろいろな人生があるので。ある人に頭に来たとします。でも、自分もかつてそういう人生を生きたかもしれないです。今回、私はシュウトメちゃんにひどい目にあった時期がありましたが、私が前世、誰かをひどい目にあわせた人生を生きたかもしれません。今生という垣根を取っ払ってしまえば、全然理不尽じゃないでしょう諦めの思想に思われるかもしれませんが、私にとってはそうではなくて、画期的な、小気味いい感覚です。「どうしてこんな目に!」の「どうして」を知りたくて占いを受けたことがあったのですけどね、「どうして」という理由など別に知らなくてもいい、この人生をどうやって楽しむが大事なだけ、というのが今の気持ちです。因果律により、私に起きてくる人生のストーリーはどんなものかは、死ぬまで生きてみないとわからないですね。もし大変な事が起きてきたとしても、「そう来たか!」と楽しめる余裕があるといいなぁと思ってます。
May 13, 2014
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ネット友のブログにおばあさまのことが書かれていました。高齢で施設入所されていますが、こんなことおっしゃるそうです。「こんなに面倒見てもらって、家じゃできないから、もう感謝感謝だよ」なんて可愛らしいおばあちゃまなのでしょうか。私は感動で胸がじ~んとしてしまいました。家族を心配させて自分に興味を向けさせたいっていうのが皆無。。「有難いこと」に意識が向いています。こう言われたら、家族も安心していられますね。このおばあちゃまに、嫌なことが何も起きないわけではないでしょう。でも、被害者意識も皆無。この言葉が始終口から出るというのは、もちろん、いい施設に恵まれ、いい家族に恵まれ、心から有難いと思っていらっしゃることとは思いますが、感謝して生きていくのだという決意の結果だとも思います。-----------------------------------見習いたいです。自分が恥ずかしいです。そういう気持ちで、昨日の日記を読み返したのですが、なんだかんだ言っても、介護の面から言うと、昔よりうんと恵まれた状況にいるのに、義姉を心の中で裁いている部分があるから、昨日の日記にもそれが出ていると感じました。「裁くな」という聖書の言葉を、ずっと前からその通りだと思っているのにね。もちろん、第一の気持ちとしては、私自身は母を亡くしていて、シュウトメちゃんは生きている、というのがあるのです。今ならシュウトメちゃんが、そう呆けてもいないから、いい時間を持てるのに、もったいないという気持ちがあります。でも、きっとそればかりではないんですよ。心の中では、親にあんなに冷たいなんてと裁いている私。お節介が問題というより、その裁きの思い上がりが問題でした。-----------------------------------ネット友のおばあちゃまの「感謝感謝だよ」を私も口癖にしたいです。人に言わなくてもいいので自分の中で、ですけど。冬と夏に長いこと入所してくれるようになって、私の負担は格段に減って、シュウトメちゃん自身の性格もうんと丸くなって・・・・感謝感謝だよ。義姉さんたちがいちいち介護に口を出して、もっとこうしてあげて、こんなことはしないで、とうるさい人だっているのに、私は・・・感謝感謝だよ。いいお天気で、鳥が鳴いてて、花がきれいで、なんて気持ちのいい日。感謝感謝だよ。いくらでも書き続けられそう。(笑)幸せって、とても特殊な、あまりにも過酷な環境の場合は別にして、よくある状況で生きている場合は、環境の問題ではないですね。起きてくることは同じでも、どう解釈できるか、感謝の視点が持てるかどうか、そういう個人の心の方向性の問題かもしれません。
May 12, 2014
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外で見かけた雑草だけど可愛いですね。調べたらモモイロシロツメクサとアカツメクサという2つの名前が浮上しました。モモイロシロツメクサの花は、花ビラの基部ほど桃色が濃い。アカツメクサはその逆で、花びらの基部ほど桃色が薄くなる。モモイロシロツメクサの葉は、シロツメクサ同様の円形。アカツメクサの葉は、ひょろ長い楕円形。これはアカツメクサだと思います。雑草も調べてみると面白いですね。--------------------------------------昨日、用事で出かけた先の近くに「しまむら」があったので、シュウトメちゃんの母の日のプレゼント、ここでいいかも?と思い、年配向けの服があるかな~?と探したら・・・ちゃんとあるんですねぇ。しかもわかりやすく母の日コーナーにまとめてありました。 しまむらの服って安いから、予算内で3枚も買えちゃった。 ジャケットが2900円で買えて、特に安物に見えるわけでもない。(笑)でも、こういうデフレの社会が、若い人の労働環境をすごいことにしているんだとも感じて複雑ですけどね。シュウトメちゃんは母の日のプレゼント、喜んでくれました。--------------------------------------数年に一度くらいは、義姉たちがプレゼントを持って来てくれるんですけど、今年はどうでしょうか。行きますっていう電話はなかったので無理かな。この間、母の日に来てくれたのがいつなのか思い出せないですが、来てくれると、プレゼントがどんなにささやかでも、シュウトメちゃん、すごく嬉しくてお仏壇に供えたりしてました。ソックスをお仏壇に・・とちょっと驚いたことがあるのですが、嬉しいご報告ということだったのですね。そのくらい嬉しいものらしいのです。以前、私の母が末期癌で、私が毎日通っていたころ、シュウトメちゃんは自分が放置されている感じが淋しくて、毎日のように義姉たちに電話して、実の娘に嫌われたんですよ。そして、以前にもまして疎遠になってしまいました。甥や姪が小さい頃は、年に何度もお泊りしていったけれど、疎遠になったのは下の姪や甥ももう20代でしたから。その後、少しは仲が回復したのですけど、年に2~3回会うくらい。電話は多分シュウトメちゃんがかけていて、話はしていると思うのですが、それは私の出る幕じゃないのは承知してきたのですが、状況が変わり、シュウトメちゃんが、多分、呆けに向かって進んでいます。頭がそこそこしっかりしている間に、会っておいた方がと思い、ちょっと呆けが進んできたとオットから伝えてあげては?と言うと、オットはやめておいたほうがいいと言いました。3~4か月に1度しか会わないんだから、それは感じてるはずで、それがどうした?ってことになるだろう?余計なことを言うと、向うを怒らせるだけ、もっと会いに来いという非難と思われるかもしれない、などと。確かに十分あり得るので、お節介は引っ込めました。改めて(私はお節介なんだよ、いつもお節介過ぎる。何様?)と自分に向かってつぶやいたのでありました。--------------------------------------娘は老いた親にもっと会いに来た方がいいというのは、まったくシュウトメちゃん寄りの意見です。私もそこまで言ったほうがいいとは、まったく思いませんでしたが、ちょっと呆けが心配になってきた、ということを告げるのは、同じ意味を持ってしまうのかな。シュウトメちゃんが嫌な母親だったと、向うは怒っているのです。義姉たちが、それぞれ自分の問題で大変だったり疲れていたりするのに、自分があまりkoala嫁にかまってもらえないから淋しいと、聞きたくもない愚痴を垂れ流された被害者は義姉たち。それももう6年前に話になり、怒りも薄れてきた頃。せっかく怒りが薄れた頃に、刺激しちゃいけませんね。母娘関係は、当事者にまかせるのが一番です。わかったと思っていたけど、実はわかっていなくて、呆けていくかもと思っただけでたじろいでしまうレベルでした。お節介は封印しようと思ったのは何度目か?まあ、義姉に直接そんなことを言うことはないので、オットと私の間の短い会話で終わり、実害はないのですが・・・進歩があまりないkoalaでありました。(爆)しかし、今日の日記は、例えば「義姉が毎日のように来て、嫁に文句を言っていく」という人から見たら、贅沢極まりない、何言ってんだという内容ですね。この点は現在、非常に恵まれていて生きやすいです、私。
May 11, 2014
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この日記、老人ホーム入所か?と誤解を与えるような書き方でしたが、梅雨と真夏と残暑の時期を自宅で送るのが困難なための一時入所で、老人ホーム入所ではありません。一部補足しました。シュウトメちゃん、今日は普通でした。私の書いたメモはしっかり読んだようで、デイサービスへの持ち物に忘れ物がないか、口頭でも確認しましたが、「大丈夫だ」と自信ありげな様子だったので、安心しました。このまま呆けていくのか心配でしたが、それほどでもなかったみたい。昨日は、施設で意識から消えていたことに関して、呆けたような反応が出たようなものかもしれません。これが私の書いたメモ。撮影して思いましたが、そっけなくて業務連絡そのものですね。毎日同じようなメモを見ていると、これは本当に明日のことか?と不安に感じることも起きるかも??ちょっとしたイラストを添えたり、色を変えたり、一言を添えたりすることで、変化があったほうがいいですね。これは昨日もらったのと違うと安心できるようなメモにしましょうか。撮影したり、ここに思うことを書いたりすることで、ちょっと視線が変わり、アイデアが出るのはありがたいなぁと改めてブログの意義を感じました。---------------------------------シュウトメちゃんは、施設への冬の入所が長かったです。寒いのに極端に弱いのでそうなりました。その後自宅に帰り、しばらくしたら、施設より不自由なことから心身ともにストレスがかかったようで、胃が痛くなりました。胃薬でも一進一退で、希望してデイサービスに16日間入りました。施設に入っている間は、その日が何曜日だとか考える必要は皆無です。みんなが起きる時間に起き、着替えの介助の人が来たら着替え、出かけることもないので、忘れ物を気にして仕度することも皆無です。薬もすべて施設側の管理になっていて、処方もしていただけるので、手持ちの薬の量を気にする必要も皆無です。そういう生活が長ければ、それに関したことへの能力がどんどんなくなってしまうのは、無理もないのかも。今、少し自宅での生活を送ることで、その感覚が戻ったとしても、また今月下旬に施設に入りますので、出てくるときには、今日は何曜日とか、何日かという感覚は大幅に薄れているでしょうし、病院に行く、デイサービスに行く、という経験を長くしないことで、その感覚を元に戻すのは不可能に近いのかもしれません。呆けの症状ではあっても、致し方ない面があるのだと、1日経って、昨日より冷静な目で見るとそう思います。---------------------------------「自宅で過ごせるぎりぎりのところにいますね」とは、ケアマネさんも、介護リフォームの担当の方も、介護用品レンタルの方も、口を揃えておっしゃいます。ずっと前から同じ言葉を聞いてきた気がしますが。(笑)「施設中心に切り替えていくのは正解ですよ。家にずっといるのは困難なレベルです。本人も疲れて仕方ないし、体調を崩すでしょう。」「車椅子中心の生活を決心して、苦労して作った家の床をはがすなんてできない、などの気持ちを捨てられれば、自宅での期間を延ばすことは可能ですが」ともおっしゃいます。実際、自宅では、顔を洗うだけでも疲れてしまうのです。ベッドから洗面所までの距離は、施設も自宅もごく近くなのですが、どんなに近くても、車椅子で行くのと、杖で歩いて行くのとは違います。今は、何をしても身体が疲れてしまうのが、自宅ですが、その自宅は「わしがお父ちゃんと苦労して建てた家」という思い出とプライドによって美化されています。オットが家を新築したくて、シュウトメちゃんと対立した時も、シュウトメちゃんは断固として譲りませんでした。わしの目が黒いうちは、この家を壊すことはさせん!と怒鳴り、壊すなら殺せ!とめちゃくちゃを言ってたシュウトメちゃん。頭金にと思っていたお金はリフォームに消えていき、頑張って貯める気も失せて、現在に至ってます。あの時、頑張って貯めてたら、今頃豪遊できたか?(笑)床をはがして車椅子仕様にすれば便利なのですが、そんな便利を選ぶと、シュウトメちゃんの気持ちは折れるのです。使わないものは捨てて、場所を広くしましょうよという考えも、シュウトメちゃんの心を折るような思考です。つい最近まで、「このわからず屋!」という気持ちが消えませんでした。でも、この頃は、わからず屋として生きたければ、そうやって生きればいいよね、と皮肉なしで思います。---------------------------------施設では不自由な体で暮らすには、とても便利に作られています。スタッフもたくいんいて、困ったら助けてもらえます。でも、集団生活なので、えばる人も意地悪な人も我儘な人もいます。それをシュウトメちゃんは地獄だと言うのですが、施設の便利さとワンセットになっているので、「嫌な人がいない、便利な施設がいい」という選択はできません。そのうえ「きれいな施設で、リハビリやマッサージもあって、食事もおいしくて、自己負担が安い施設がいい」と言うのですから、そんなのは無理に決まってます。老人ホームの個室に入るのが、一番その条件に合うと思いますが、シュウトメちゃんはやはり嫌だと言います。もちろん老人ホームだって、嫌な人はいると思いますが、ホームからデイサービスに出かけることは自由ですし、届けを出せば、自宅に戻るのも、家族と外出するのも自由です。---------------------------------長いこと、いろんなシュウトメちゃんのないものねだりがあまりにしつこく、被害者意識丸出しだったので、聞くだけで腹立たしく、気持ちも理解できませんでした。家にいて疲れないためには、床をはいで工事することが必要。施設で快適に過ごすには、嫌な人の存在に大きく反応しないで、そういう人もいるけどねと、頭を切り替えるのが必要。お金をかけたくなければ、安い老人ホームに入る決心が必要。全部嫌だという主張はまるっきり何も生まないじゃない?でも最近は、「私がカッとする必要はどこにもない」という当たり前のことに気がつきました。正しいか正しくないか、それが大事だと考えている間は、気が付きにくいことだったのでしょう。シュウトメちゃんは、私にその問題を解決しろと言っているわけではありません。自分はこう思っている、と言っているだけです。私は何度でも復唱してあげればいいだけでした。家は疲れるところが嫌だと思っているんだね。でも、嫌な人はいないから居心地はいいと思っているんだね。施設は便利で助かると思っているんだね。でも、意地悪な我儘な人がいるから嫌だと思っているんだね。普段は復唱して、たまに逆らってみるくらいでちょうどいいのかも。意地悪な人はみんなに嫌われて可哀想だよね。介護保険のできる前のお年寄りは、不便で当たり前だったんだよ。ホテルみたいな施設に年金で入れる地獄ってどんな地獄?あの施設にいる人全員が意地悪なら地獄って呼んでもいいけど?シュウトメちゃんの意識を私が変えるんだ、なんて気負わずに、好きなように思えばいいけど、意識を変えたほうが楽ですよとそんな気持ちでたまに逆らってみるだけにしようかな。---------------------------------日程はまだ決まっていないけど、多分、あと2週間ほどでシュウトメちゃんは施設に入ることになると思います。梅雨と真夏を快適な施設で過ごすための一時入所ですが、残暑が厳しいことが予想されますので、残暑が去ってから家に戻ることになっています。それまでの自宅の時間を、少しでも充実したものにする手助けができれば、と思っています。
May 9, 2014
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庭の百合の茎が伸びてきました。マーガレットが見ごろです。------------------------------------シュウトメちゃんの痴呆が進んできたのを実感しました。今日は医者に行くという本人の希望がありました。デイサービスのない水曜か木曜に行きたいということです。水曜は私の歯医者の診察があったので、木曜にしてもらいました。9時半に介護レンタルの担当の方が来て、10時には介護リフォームの方が来るので、私は家にいなくてはいけないと説明してありました。その前に病院に行っていたほうがいいので、8時半くらいに家を出たいのでお願いね、と説明し、私は介護リフォームの担当の方と打ち合わせが終わったら、病院に行きますからね、とと言ってありました。今までですと、このくらいのことは、前夜によく説明し、当日の朝にまた説明すれば、覚えていてくれました。(8時半に家を出られるかどうかというのは別問題です。)「今日はデイサービスはなくて、曜日は木曜」「介護の担当者さんと話すため、koalaは9時半前には家にいないと困る」この2点は、今までだったら、理解できていたと思います。------------------------------------昨夜、シュウトメちゃんに「明日はね・・・」と何度か今日のことを話しました。朝ごはんをシュウトメちゃんの部屋に運ぶ際に、確認の意味で、もう一度復習してもらいました。「今日は木曜日でデイサービスはないですよ。その代り、病院に行きますよ。私は介護の人と家で会わないといけないから、おばあちゃんを病院に送って、車椅子に載せて、受付で、今日はどういう風かを説明してお願いしたら、一度家に帰りますからね。リフォームの話がすんだら、また病院に行きますからね。8時半に家を出られるように、頑張りましょうね。」しかし、なかなかベッドから出てくれません。私も、燃えるごみの日でもあり、家事をこなしながらもあって、つきっきりではいられなかったので、それもあるのですが、時々シュウトメちゃんの部屋に戻っては、着替えを手伝ったり、湿布を張り替えたり、装具をつけたりしつつ、仕度を早めに進めて行きたかったのですが、本人はぼ~っとしています。そのうち「今日はデイサービスがあったんじゃないか?」と言うので、「今日は木曜日ですよ~。デイサービスはないから大丈夫。」この時は、まだ目が覚めていないのかな?ちょっと急いでほしいけど、いざとなれば私が仕度しちゃおう、そんな風に思っていました。シュウトメちゃんは着替えも済んでいたし、朝ご飯を食べだしたので、ご飯を食べ終わるまで、自分の身支度をしようと思いました。------------------------------------自分の身支度をしていると、呼び出しがありました。「デイサービスに休むって電話しないといかん」と言います。今日は2回も説明していたし、目が覚めていない時間ではないので、「おばあちゃん、今日は木曜日でデイサービスはないんだよ。ちょっと急ごうか。ご飯は食べたよね?じゃあ、お薬飲んでね。」自分の部屋に戻って、着替えとお化粧を終えてから、シュウトメちゃんの部屋に行くと、なんと服を脱いでいました。今朝、私が手伝って着替えたことも忘れた?ちょっとぞっとしましたが、着替えは済んでいたなんて言っても、シュウトメちゃんを混乱させるだけ。さりげなく、再び着替えの手伝いをしましたが、8時半に家を出るのは絶対に無理なことはわかりました。その後、時間的に、このまま私が病院に連れて行って、9時半に一旦家に帰るのは不可能だというのもわかりました。ラッキーなことに、長女が家にいました。長女に病院に送り届けてもらえばいいのです。急いで紙に今日診ていただきたい内容を書いて長女に渡しました。「母が後から来ますからと言って、診察券と保険証とこの紙を受付の人に渡してね。車椅子を借りて、おばあちゃんを乗せて、後からお母さんが来るからって念を押しておいて」------------------------------------介護用品のレンタルの件は、次回の入所は夏が終わるまでで長期なので、値段の高いものは一旦返して、自宅に帰る際に改めて借りるということが出来ることになりました。介護リフォームの件は、直す部分の色見本を見て色を決めました。日程も大工さんの都合で、5月は16日しかないそうで、その日一日で終わるということでした。何とか職場を休ませてもらってその日にお願いすることに決まりました。シュウトメちゃんの机の上に、メモをのせておくことにしました。「明日は金曜日で、○○のデイサービスがあります」「目薬、くすり、メガネ、家のカギを忘れないでね」「○○に5月下旬に入所予定 日にちはまだ決まっていません」A4の紙にマジックで書いておきました。毎夜、翌日の予定を書いて、置いておこうと思います。書き忘れたら、シュウトメちゃんの頭の回路もおかしくなりそうなので、本当は自分でメモを書こうねと責任逃れで言いたいところですが、シュウトメちゃんはそんなことはしてくれないのは理解しています。今までそれは何度も言ってきたことですけど、やってくれないので、前夜と当日の確認を面倒だと思いつつ、やってきたのですから。------------------------------------病院にお迎えに行くと、シュウトメちゃんに診察はすでに終わっていて、お薬待ちということでした。薬は4種類で、うち2種類は胃薬でした。いつものお薬は出ていなかったので、シュウトメちゃんに「いつものお薬はもらわなかったの?」と聞くと、うなづくので、まだ先月いただいたお薬は残っているので、もっと少なくなったころにまた連れてくればいいかなと家に帰りました。お昼ご飯をシュウトメちゃんの部屋に運び、「疲れましたね。ご飯を食べたら、少し休憩しましょうね」と言って、私も疲れたので、自分の部屋に戻ったんですが、呼び出しブザーが。「脳外科の薬がない」と言うんです。「箱の中ですよ」毎日飲んでいるのに・・・とぞっとして言うと、それを忘れたわけではなく、今日はもらってこなかったことを忘れたらしかったので、少しホッとしました。本当はその話だって、病院で私は確認して、それでいいとシュウトメちゃんも答えて・・・それから1時間経っていないのですが、毎日箱の中から出して飲んでいる、そのことを忘れたよりはマシですよね。------------------------------------もしかしたら、自然に呆けていったほうが幸せなのかもしれません。抵抗しようとしても、呆けていくものなのかもしれません。お隣のおばあちゃまが呆けていったのを思い出しつつ、逆らえない流れなのかもしれないとも思いつつ、できれば、呆けて欲しくないと思います。
May 8, 2014
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家事をこなしてから、歯医者に行ってきました。ずいぶん前から歯茎が腫れていたのに、どうも歯医者さんに行くのが億劫で、放置してたんですよ。しかし、歯茎の腫れを甘く見ちゃいけないというのを知りまして、これは受診せねば、と予約を取って行ってきたわけです。今日は腫れの処置をしていただき、抗生物質を処方され、腫れの収まり方を見て、抜歯するかどうか決めるそうです。抜歯かもしれないのね?・・・やはり放置してたのはまずかったです。帰りに買い物を済ませ、シュウトメちゃんと自分のランチを用意して、さあ、あと10分したら出勤です。--------------------------------明日は休みですが、シュウトメちゃんを医者に連れていきます。と言っても、つきっきりじゃないですよ。実は明日は、介護レンタル品の担当者さんと会い、その後、介護リフォームの担当者さんとも会う日なのです。そのために休んだのですが、シュウトメちゃんが頭に湿疹ができて、痒くて我慢できないから病院に行くというのです。GW開けだから、すごく混みますよ?と言ったけど、痒いのは辛いですよね。始終いただいている薬なら、家族でも出してくれると思いますが、長いこと出していただいていない薬が欲しいから受診したいとのこと。シュウトメちゃんは、車椅子に載せた状態で病院に送り届けて、私だけ自宅に戻り、介護関係の話が終わったら、私も病院に行くということにしました。午後3時から、アロマオイルマッサージの予約を入れました。晩御飯の仕度してから出かけるぞ~!と考えています。体がきっとマッサージで緩んで、だらだらになるので、そういう時は緩みっぱなしにして休みましょう、と思って。歯といい、肩こりといい、メンテなしでは暮らせない50代のワタクシであります。
May 7, 2014
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柳澤桂子さんの般若心経の訳より一部抜粋します。10年ほど前に出た本に載っていたもので、当時かなり話題になり、書店に本が並んでいました。----------------------------------------お聞きなさいあなたも宇宙の中で 粒子でできています宇宙の中の 他の粒子と一つづきですですから宇宙も「空」ですあなたという実体はないのですあなたと宇宙は一つです宇宙は一つづきですから生じたという事もなくなくなるということもありません綺麗だとか 汚いという事もありません増す事もなく 減る事もありません「空」にはそのような 取るに足りないことはないのですお聞きなさいだから「空」という状態には形もなく 感覚もなく 意思もなく知識もありません眼もなく 耳もなく 鼻もなく 舌もなく身体もなく 心もなく 形もなく声もなく 香りもなくあなたをさわるものもなく心の対象もありません実体がないのですから「空」には物質的存在も感覚も感じた概念を構成する働きも意志も知識もありません眼の領域から 意識の領域に至るまですべてないのです真理に対する正しい智慧がないということもなくそれが尽きるということもありません迷いもなく 迷いがなくなるということもありませんそれは「空」の心を持つ人は迷いがあっても 迷いのないときと同じ心でいられるからです----------------------------------------この詩を暗記しているわけでは全くないので写しましたが、引用の最初の部分が最近とても思い起こされるのです。あなたも宇宙の中で 粒子でできています宇宙の中の 他の粒子と一つづきです改めて全文を読みました。全文載せようか迷ったのですが、この文にピンときた方がご自身で読まれたほうがいいかなと思いなおしました。気の遠くなりような長い闘病生活の中で、ご本人は、それは「空」の心を持つ人は迷いがあっても 迷いのないときと同じ心でいられるからですという心境に磨きをかけておられることでしょう。それでも病気の肉体を持つ身ゆえの辛苦が、辛いことも心が揺れることもあると想像できるので、なるべくなら柳澤さんの苦しみが好きないことを祈ります。----------------------------------------柳澤さんは短歌もつくられています。ずっと以前、ブログに柳澤さんの短歌を少し載せたことがありますので、よろしければ読んでください。(このブログの内容は短歌中心ではないのですけど)http://plaza.rakuten.co.jp/koalakoala/diary/200803150000/他の短歌もよろしければ。季語のないものもありますが、心に響いたので。我もまた古りゆく身なれば朽ちてゆく石楠花の花日々見守りぬラヴェンダーの野に寝てみたいその次は波打ち際を歩いてみたい髪梳くに足りる力の戻り来て肌に触れる櫛を楽しむ魂をそっと洗って干した日は口から漏れる光の香り寝る前におやすみなさいの握手する老いたる二人昨夜もこの夜も
May 5, 2014
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テレビのスターチャンネルで、たまたまオペラ座の怪人をやっているので、見ながらこのブログを書いております。クリスティーヌちゃんが墓場で歌うシーンです。雪の降る寒い中、胸の谷間を出して歌ってます。風邪引くぞ。ラウルもペラペラのシャツ1枚で胸がはだけてます。めちゃくちゃ薄着で馬に乗って登場。風邪引くぞ。・・・などとおバカな茶々を入れてますが、いい映画です。-------------------------さて、オットのGW休暇は今日まで。今日は、シュウトメちゃんの仕度はとてもスムーズで、お迎えの方を全くお待たせしませんでした!快挙!その後、テルマエ ロマエ2を見に行きました。前作も面白かったけど、続編も裏切らない面白さでした。オットも私も明日から普通の仕事の日々。明日はまだ祝日なので、私の職場、忙しいだろうな~。今日の映画館の混みようは半端なものではなく、人でごった返していました。ネットで席を予約していたので、困りはしませんでしたが。さて、今からはオペラ座の怪人の鑑賞に忙しいkoalaです。皆様はどんなGWをお過ごしでしたか?
May 5, 2014
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長女の小さかった頃、彼女の希望で植えたさくらんぼの木に、結構実がなっていて、可愛らしかったので、長女を呼びました。----------------------------------出勤前にシュウトメちゃんに「あの白い服がない」と言われ、「あの白い服」がイメージできないままに、あちこちのタンスを調べました。これかな?これは?と確認したけど、結局全部違うと言われました。本人は自分が着るから、自分の服のデザインを覚えていて、あの服が着たい、などと思うのですが、私は覚えていないんです。そもそもシュウトメちゃんの服の大半は私からのプレゼントです。ここ10年ほど、誕生日と母の日とクリスマスのプレゼントは、欲しいものをシュウトメちゃんに聞いて買っていますが、そのほとんどは服です。私が選んでいます。その服を着たシュウトメちゃんを見るし、選択して干すし、畳んで収納するのに、白い服」と言われた時点でも、白ならあれとこれと・・・などという風には、デザインが頭に入っていないのですよ。シュウトメちゃんには、その辺が納得いきません。興味ないんだもん。(←心の声)シュウトメちゃんの思いついた服がどんな服か、私にはわかりません。見つからなかったけれど、せっかく別室のタンスをかき回すのですから、今からの時期の、少し薄手のカットソーを15枚ほど出しました。シュウトメちゃんは自分の衣類管理をする気はありません。こうなると面倒くさいなぁって疲れた気持ちになります。----------------------------------何だか疲れたなぁと思いながら庭に出て、疲れたのに草取りなんか始めちゃった私の目に、最初の画像のさくらんぼが映ったのでした。一緒に木からもいで食べたら、甘酸っぱくて美味しかったです。お店で売っているものよりは甘くないけど、さくらんぼの木にありがとうと思いつつ食べる気分は格別なもの。長男は小さなころ、きんかんが好きだったので、植えたのですが、もう鈴なりでも見向きもされません。私はたまに食べます。風邪防止になるんですよね、きんかんって。キンカンの木の下には紫蘭が見ごろ。----------------------------------職場は賑わっていました。仕事から帰って、夕食を作って、ブログを書いて・・・。平和だなぁ。
May 4, 2014
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シュウトメちゃんのデイサービスのお迎えの方を待たせたくない私と気にしないシュウトメちゃん。急がせようとすると怒ったりいじけたりするので、なかなかこれは知能戦なのです。急げないから早めに支度をはじめましょうと言い、頃合いを見ていろいろ介助や声掛けをするのですが、そこに批判のにおいを感じると、ダメみたいです。「わしは急げないんだ!!」とか、「早くできない自分に腹が立つわ!!」とか怒鳴りだしてしまいます。--------------------------------------昨日は全くお待たせしないですんだのです。暖かくなってきたので、玄関に数分早く出ても寒くないからと早めに玄関に連れて行って、靴を履かせました。今日も暖かかったので、その手が使えると思ったんですが、シュウトメちゃんから「今日は寒い」とまさかの言葉が。今日は暖かいですよぉ~。でもシュウトメちゃんは暖房入れてました。玄関で待ってたら寒くて風邪を引くそうです。逆らったって、いい結果にはつながりません。「寒いですか?では電話が来たら部屋を出ましょうね」お迎えの方は携帯電話で5分前くらいに連絡をくださいます。--------------------------------------電話が来たらすぐ、シュウトメちゃんを車椅子に乗せ、玄関まで連れていき、2段の上がりかまちを支えて降ろし、玄関の椅子に座らせて、靴を履かせるというのは、うまくいけば5分ほどで済むし、長くても10分かかりません。今日はオッケーと安心していたのですけどね~。よくあるのは、電話があってから「まだ髪をとかしていない」とゆっくり髪をとかすことで、私は軽くいらっとします。何で起きてすぐにとかさないと思うんですよ。この類のことでイラッとしないようになりたくて、ただ今修行中です。昔に比べると、格段に進化しましたけどね。今日はもっと早い時間に「髪はとかしましたか?」と聞きました。忘れやすいのは目薬と鍵とメガネなので、そのチェックも終えていました。電話が来てからのトイレもないように、少し早目に声掛けしました。--------------------------------------ところが、電話が来たので「車椅子に乗ってくださいね」と言うと、「洗面所に行く」と言うんですよ。「顔も歯も、もう洗いましたよ?」と言うと、「手ぐらい洗わせないか」とシュウトメちゃん。手が汚れるようなことがあったっけ?まあいいや。洗面所は廊下の向かい側ですぐそこですし。手を洗い終わったシュウトメちゃん、そのまま車椅子に座ってくれると思いました。私は洗面所を出た廊下に車椅子とともにスタンバイしていました。しかし、シュウトメちゃんは車椅子を通り過ぎ、部屋に戻って、部屋の椅子に腰かけました。どうしてなの「おばあちゃん、もうお迎えが来ちゃう。車椅子に座ってちょうだい。」「手を洗いに行って疲れたから休憩しないといかん」「車椅子で休憩してくださいよ。もう来ちゃうから」「疲れて今は立てん」--------------------------------------結局、シュウトメちゃんご休憩中に、お迎えの方が。玄関まで連れていき、介助して椅子に座らせて靴を履かせ、デイサービスの車椅子に移動する間、待たせちゃいました。施設の方にとっては許容範囲内の少しの待ち時間だったでしょう。実際、大した時間ではなく、私にできる努力はしました。イラッときますよねぇ。「あはは、そう来たか~」と思える日は近いのか?(謎)せめてゲームと思いましょうか。待たせなかった日は私の勝ち。やられちゃった日は私の負け。次回のゲームは次の月曜日。あんまり勝ち目はないかも・・・
May 3, 2014
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シュウトメちゃんをデイサービスに送り出し、オットと向かったのは、新城市の某旅館です。温泉とランチの予約を入れてありました。家でずっとごろごろしててもつまらないとオットが言いました。でも、私はこういうところが、感が悪いのです。オットが本心でそう言っているのか、私が出かけたいだろうからそう言ってくれたのか、その判断がつきません。どっちなんだろう・・・オットには1か月前から腰痛があります。その痛みがどの程度なのかは、本人しかわかりません。まあ、とても痛ければ、そんな発言はしないでしょうから、県内の静かな場所を予約したのです。この旅館の眺めのいいテラス席。でも今日は日差しが強くてちょっと遠慮したい感じでした。この下には板敷川が流れています。本当は宇連川という名前なんですが、板を敷いたような岩が下に見えるので、板敷川と呼ばれています。新城市は、こういう景色の宝庫なので、私は大好きです。しかも、空いてるので、本当にゆっくりできます。ロビーから外を見るのも気持ちいいです。これが板敷川ですが、どこから写したか、わかりますか?正解は露天風呂からでした。貸し切り状態だったので、こんな写真が撮れました。このお風呂からの眺めはかなり絶景なんです。この地区の旅館は、この川沿いに多く建っているので、みんなこんな眺めが楽しめるのですが、ここはお風呂のすぐ前に、モミジの大きな木があり、目隠しになっているので、景色を遮るような目隠しがいりません。ちょうどモミジの青葉がとてもきれいな時期です。モミジに陽の光が降り注いで美しく、川の眺めも美しく、水は澄んで、川のせせらぎが耳に心地よいそんな露天風呂で寛ぐのは、温泉好きの至福というもの。この旅館の日帰りパックは2回目の利用です。食事がいまいちだったのですが、景色とこの露天風呂が気に入って、今回リベンジの利用でした。ランチは地元特産のコースを頼んだのですが、ちょっと失敗だったかな。入浴+ランチで1人3450円の安いコースなので、仕方ないとは思いましたが、焼きたて食べられそうなコース、これしかなかったので、そのコースにしたんですよ。なのに、焼いてから時間の経った、冷めた魚が出てくるなんて。高いコースを頼んでも、多分、がっかりしたと思います。以前友人と来た時も、ここの料理でがっかりした点がありました。その時は鮎の塩焼きがずいぶん前に焼いてあって冷たかったんです。そういうことは川魚の場合よくあるらしいのですが、私は旅館運がいいのか、あまりそういう目に合わずにきたのですけどね。熱いものはアツアツ焼きたてを食べたいので、自分で焼くプランを選んだのですが、焼いて冷めた魚が出てきて、目の前でもう一度焼いてあたためるのだと言われました。今回、火が弱くてかなり時間をかけてもアツアツではなく、五平餅も焦げ目をつけるのをあきらめたほどでした。ここの露天風呂は割に気に入っていたんですが、もうリピはないです。新城市の他の旅館で、入浴+ランチの良かったところはいくつかあるしね。食後にはお風呂が男女入れ替わったので、このお風呂に。またまた貸し切り状態になったので、写してみました。チェックアウトしてから、付近を散策しました。旅館のすぐ近くのつり橋からの景色が絶景でした。とにかく水が澄んでいてきれいです。深いところはエメラルドグリーン。車で移動して、今度は「阿寺の七滝」へ行きました。私は2回目で、この滝に向かう道が平坦だと知っていました。でも、片道700メートルなので、オットが腰が痛ければ、行かないほうがいいので聞くと、行くとのことだったので。ゆっくり歩けばいいのに、オットは案外速足なんですよね。でも、早く歩けるということは、それほど腰痛は重くないのかな?これが阿寺の七滝。美しい滝だと思います。明日はオットも私も仕事です。オットの職場はGW休暇中なのですけど、とても忙しいので、みんなが交代で出ています。今年が特別忙しいらしく、来年はもう少しマシじゃないかとのこと。私は3日4日と出勤で5日は休み、その後は出勤。例年、とても混んで忙しいです。頑張ろうっと。
May 2, 2014
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昨日の午後は、オットと、車で30分の大府市・大倉公園へ。シュウトメちゃんがいるからどこにも行けないなんてことありません。つきっきりでいなくても大丈夫なのですから、遠出できないだけ。大倉公園は元々、ノリタケの初代社長の別邸がありました。一般的な公園と少し趣が違うのですよ。先日の刈谷市ミササガパークと同様、こじんまりした公園ですが、きちんと管理された庭園が美しく、そして無料です。(笑)緑の木の向こう側に広がるつつじの花こんな道を歩くのも面白いです。つつじの上にはナンジャモンジャの木新緑が美しい季節でもありますその後、げんきの郷という施設に向かったのですが、なんとお休み!毎月1日がお休みだったようです。GWも例外にしないのですね。びっくり。何台も、門まで来て引き返す車を見ました。私たちは同じ大府市の施設にいる叔母を訪問しました。げんきの郷で時間を使わなかったので、ちょうどお茶タイムの訪問になってしまいましたが、おやつの時間は終わっていてよかったです。叔母は元気そうでした。「ジュース飲みすぎてないか見に来たけど、日本茶を飲んでたね~。偉い!」と言うと笑っていました。今日はデイサービスがあるので、スタッフさんのお迎えが来てから、夕食の支度までに戻れば大丈夫。県内の散歩&ランチくらいなら、全然オッケーです。昨日は甥がシュウトメちゃんに会いに来てくれました。パン屋さんに勤めている、上の義姉の長男さんです。手土産にパンを持ってきてくれました。今朝もシュウトメちゃんに言いました。「おばあちゃん、いい孫がいて幸せだね~!孫の焼いたパンを食べられるおばあちゃんなんて、そんなにいないよ?!優しい子だね、おばあちゃんを気にかけてくれて会いに来て。デイのない日は、やることがなくて退屈って言ってたけど、孫が9人もいるじゃないの。一人ずつの幸せを祈ってればいいよ。9人分祈ってたら、結構な時間、使うよ?」笑ってそういうと、シュウトメちゃんも幸せそうに笑っていました。そうですよね。笑う門には福来る。あれもこれもできなくなってきたけど、可愛い孫の幸せを祈ることはできる。9人のうち1人は天に召されてしまったけれど、天国で元気にしているかい?って心のお喋りはできますね。甥っこちゃん、ありがとう。小さなころ、よくkoala家に泊まりに来てたやんちゃなあなたが、もう30代だなんてねぇ。(笑)おばあちゃんは、あなたのおかげで、こんなに笑顔になってますよ。
May 2, 2014
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シュウトメちゃんの車椅子が届いて4日経ちました。しかし、今の日本の介護用品レベル、改めてすごいです。車椅子のレンタルは介護保険が適応するものなので、自己負担は1割。シュウトメちゃんは月700円でレンタルできます。車椅子は大きく分けて、自走用と介助用がありまして、介助用車椅子は、乗った人が手でこぐことはできません。シュウトメちゃんは自走用のものをお借りしました。借りるにあたって、シュウトメちゃんの足の長さにちょうどいい車高のものが選ばれるのは知っていましたが、他にもいろいろ選べるんです。例えばクッションの好みとか。持ってきてくださった担当の方は、てきぱきと、その車椅子を、シュウトメちゃん仕様にしてくださいました。-------------------------------------背もたれの部分は、シートを外すと、2か所のベルトになっていて、そのベルトの緩さを調節できるんです。腰の曲がった人には、その曲がり具合に合わせて、下のベルトを緩くします。背もたれが、ちょうど腰に沿うように。シュウトメちゃんは、左半身がマヒしているので、両手で車椅子をこぐことができません。右手だけで車椅子を進めると、進路が曲がるので、右足を使って、進路をまっすぐに調節します。そのため、足を置く台は、右側にはないほうがいいんです。左足は、足を置く台がないと困ります。シュウトメちゃん用の車椅子はその点を考えて、足を置く台を取り外しできるものを選んでいただきました。台を取り外ししないで、横によけるタイプもありますが、取り外し出来たほうが、より便利なのです。外出した先で、押してもらう場合は必要なので、その際は、付ければいいんです。-------------------------------------車椅子のブレーキは、座ったまま、右手でかけます。ブレーキ棒を前に倒したり、後ろに引いて使いますが、そのブレーキ棒、右側が長いほうが便利なので、施設でも、サランラップの芯にビニールテープを巻いたものを自分の車椅子のブレーキにはめて、長くして使っていました。今回お借りした車椅子は、ブレーキ棒の長さの調節が出来るので、サランラップの芯よりしっかりした(笑)、シュウトメちゃんにちょうどいい長さに調節していただきました。そんな感じで、ありがたいなぁと思ってます。私の祖母の時代には、こんなケアを受けているお年寄りは、そんなにいなかったと思います。-------------------------------------しかし、残念ながら、シュウトメちゃんの力では、玄関から部屋の前までは車椅子で来られますが、スロープのあるわずかな段差を車椅子では昇れなかったです。仕方ないので、車椅子は部屋の前まで。部屋の椅子と車椅子を兼ねようと思ったんですが、少々邪魔でも、車椅子は廊下に置くしかないですね。シュウトメちゃんの部屋は物だらけなので、置けないです。-------------------------------------というわけで、昨日はシュウトメちゃんの部屋の椅子を買いに行きました。お値段以上、ニトリ♪で。座り心地が良ければいいというものでもないんですよ。座った状態から、立ち上がることが、大変なのですから、奥行きのある、安定感のある椅子は立ちあがりしやすさから言えばNGです。キャスターのついた椅子も、動いちゃいますから、NGです。もちろんキャスターを外せばいいのですが。たくさんの椅子を見て、座ってみて、今までの食卓用の椅子を単品で。でも、ニトリって、組み立て家具のような場所をとらないもの以外の、家具の在庫は置いてないんですって。日曜日の開店時間までには取り寄せできるみたいなので、それまでは、部屋に車椅子を入れるのは家族の誰かがやらなくちゃ。玄関の段差を少なくする工事の方も、昨日は大工さんが来てくれて、使う木材を実際に見せてくださいました。最終的な打ち合わせが終わったので、見積もりを待つことに。-------------------------------------シュウトメちゃんのお昼ご飯を早めに作って出して、椅子を買いに出かけ、帰り道にランチしました。平日ですが、会社がGW休み中のところが多いのでしょう、最初に寄った2件は、駐車場が満車。2件目のすぐ近くにあったお店に入りました。ささやかなkoala夫婦のGWは淡々と過ぎていくのでありました。私は3連休をいただいたのですが、シュウトメちゃんの介護リフォームなどの打ち合わせのために取ったようなものでしたから、それでいいんですけどね。もう打ちあわせはほぼ全部(GW明けに2度ほどありますが)終わったので、明日はシュウトメちゃんのデイサービスがあるので、近場の温泉&ランチです。
May 1, 2014
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