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昨日は職場は大盛況で、スタッフ一同、くたくたよ~。リニュアールオープンで盛況じゃなかったら困るので、とてもありがたいことでございます。(笑)忙しい中でも、感じのいいお客様が多くて、これは本当にありがたいことです。 昨日の帰り際、職場のジャイアンが、何やら同僚に断言していました。同僚は、え~っ・・という雰囲気を加えつつ「そうなんだ」と否定はせず・・・という態度だったのですが、それが不満なジャイアンに「なあに?その言い方は」と言われていました。きつい感じではなかったですけどね。 後で同僚が「koalaさん、ジャイアンがねぇ、AをBだっていうのよ。自分がAやBの仕事をほとんどしないから知らないのね。だったら断言しなければいいのに。あれはBよねぇ。」 そういうことでしたか。正解はもちろんBですね。(苦笑) 同僚は軽く怒っていましたが、私が「面倒くさいヒトねぇ」と言うと、「ほ~んと。なんであんなに言い張るんだろう。もういいかな、あの人のこと、考えるのも面倒くさいから」 と言い、私と顔を見合わせて、共犯者の笑みを浮かべました。 ジャイアンと私たちは表立って対立しているわけではなく、その辺は大人の対応で、仲良くおしゃべりして駐車場まで帰りましたよ。 --------------------------------------- しかし、同僚の 「そうなんだ」っていう言葉、対ジャイアンにぴったりだなぁって、変なところに感心しちゃいました。 「それは違いますよ」と返事してもいいけど、絶対に面倒な話になるので、面倒にしたくなかったら、 「そうなんだ」がベストかも。 対ジャイアンに限らず、関わることないなって判断したら、正しいか、間違っているかは度外視して、 「そうなんだ」ってスルーするのは、賢い気がします。 ジャイアンの脳内では、BはAなんですよね。これは単純な問題なので、「Bですよ」と言ってもいい。すぐにBだと証明できます。でも、ジャイアンはその仕事をしないので、正解を知らなくても困りません。脳内の間違いを訂正してあげる必要性は低いです。 --------------------------------------- そういえば、私のシュウトメちゃんへの対応も、そんな感じかも。シュウトメちゃんにとってはそれが真実に思えるなら、そこはちょっと黙っていたくない、一言言いたい、という場合は別にして、振り返ると、「そうですか」という言葉を結構使っている気がします。 若い頃は、シュウトメちゃんの主張する変な価値観を「そうですか」などと言う言葉でごくんと飲み込むのがきつかったです。最終的にそういう態度にならないと、ヒステリーを起こし続けるので、対抗し続ける気力を持つか、飲み込むかという選択を強いられました。 今は飲み込んだ方がうんと楽です。怪しい言葉でいうと、全ての人は自分の分身です。シュウトメちゃんもジャイアンも、面倒くさい人ではあるのですが、別に邪悪な人ではありません。 自分の一部でもあるんですもん、その感覚があれば、 「そうですか」と言うのは、実に楽なことなのでありました。 邪悪な人も自分の分身ではありますが、こちらは飲み込むのもハードルがちょっと高いですね。でも、自分の中にもこういう部分があると認識したうえで、ごくんと飲み込むのがいいのではないかなとは思います。 若いころ、そんな風に飲み込めなかったのは、 決めつける独りよがりの性質というものが、とんでもなく悪いものだと思っていたからかもしれません。 この間の画像とあまり変わりませんが・・・子ツバメちゃん。休憩に行く途中でいつも見上げるのが、最近の癒しになってます。
June 30, 2014
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最近、あまり怪しい日記がないわねと友人に言われました。そういえばそうなのかも。これは私が怪しくなくなったからではないのですけどね。以前は、この世だけが全てだと思っていたので、何かあるたびに心は大揺れしていました。どう対処するのが一番いいのかと考え、迷い、あの時のあの行動は、考えは間違っていた、自分はなんと愚かだったのかと自分を責めました。あの人のこの行為、この言葉もなんとひどい・・と人を責める気持ちもいっぱいでした。どうしてこのような苦しいことが?という問いが、元々不思議な話が好きだった私を、スピリチュアルな方向に向かわせたのだと思います。----------------------------「オーラの泉」という番組が始まって、今まで怪しいオタク系の話題だった(?)ような話が普通にテレビで受け入れられるようになってきて、そういう本もたくさん出版され、興味のあった私は、たくさん読んだものです。友人と、前世を見てもらったりもしました。昔だったら、そんなのに騙されるなんてと一笑に付したでしょうが、この前世の話は、私の心に沁みるものばかりでした。般若心経や禅の教えにも、とても惹かれました。人はなぜ生まれてくるのか?どう生きるべきなのか?そういう問題を、スピリチュアルや宗教の観点で考えるのが私に合っていたのでしょう。----------------------------現在の私は、死後の世界や前世はあるのかも?とか、色即是空は本当かも?とか。パラレルワールドってあるのかも?という疑問は、持っていません。実はそうなのだと実感していますから疑問ではなくなりました。後生大事に育ててきた「koala」という人格も他の人たち、という概念も、時間という概念も、みんな幻だったのだと信じています。実は、全ては空だと体感しています。怪しさが一定限度を超えました。(笑)一定限度を超えたらどうなるかというと、でも私は今、この世にkoalaとして生きているという経験をする世界に生きているでしょう?と思うわけです。私という概念は幻だけれど、この世には存在しています。時間という概念も幻だけれど、この世には存在しています。じゃあ、本当は幻なんだけど、なんて言ってないでいいじゃない。そう思うようになりました。面白いことに、一定以上怪しくなると、逆に、この世での経験、この世で味わう思いというものをもっと大切にしようという気持ちが強まって、地に足が付き、怪しい話をしなくなるんですねぇ。(笑)今日の話は怪しいですが。(爆)----------------------------全ては常に変化していくものなので、今私が書いたようなことも、私の気持ちの中で変化していくものだとは思いますが。昔は、変化しないことに重きを置いて「ぶれていない」と感じ、自分を振り返って「ぶれている」と下に見たものでしたが、上に見たり、下に見たり、そういうことも必要ないのだと腑に落ちた瞬間があって、そういう感覚も変わりました。この世的には、上と下が存在する価値観は存在するので、自分や他の人の中に、その価値観があっても、仕方ないのかもしれないと思います。それが「この世に存在している間は仕方ない」と思っているか、非常に大事な真実の価値観と思っているかで、受け取る側の感情の変動は、大きく変わるとは思いますが。この世に生きているkoalaという人間の役をしている間は、その役をうんと楽しみましょう、と思っています。生きているのがとても苦しいと感じていたころにも、実は私はその役をしっかり味わっていたのだと振り返った今はそう思えます。チキンハートなので、お手柔らかにとは思いますが。(苦笑)----------------------------そういうわけで、私の日記からは、以前より怪しさが消えています。残った人生をしっかり味わうのが大事だと思うようになったので。甘い味わいも苦い味わいも、同じくらい大事です。その甘さや苦さに引きずられる必要はありません。全ては幻であり、この世ならではの大事な経験で、そしてすべては変化していくので・・・と締めくくりまで今日は怪しくてすみません。今日は職場のリニューアルオープンから初の日曜日。いいお天気です。さぞ混むことでしょう。単なるレジ係、商品補充係ですが、お客様との一期一会、大事に経験してこようと思っています。皆様もよい一日を。
June 29, 2014
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今日はオットと鍼治療に行く日。いつも私の治療は、筋膜をはがすというマッサージのみでしたが、今日は鍼治療体験してきましたよ。腰は今日で3回目の治療で、そこそこ良くなっていました。前回から、肩こりの治療も始めていただいていますが、今回、首の付け根から首にかけての凝りが強いと言うと、肩こり治療が中心の治療になりました。 鍼は首の両側に各4本、全部で8本さしました。特に痛くないですが、鍼がささっている間はど~んと鈍い重さがありました。 鍼をさす前にも、さした後にもマッサージがあって、特に首の付け根に重だるい感覚があると言うと、そこをまた念入りにマッサージしていただきました。私にあっているようで、かなり効きます。具体的に言うと、緩んだという感覚が強いです。 前回は、肩周辺のマッサージを受けましたが、それ以降、この1週間、肩こりによる頭痛が皆無でした。いつも、アロマオイルマッサージの間隔があいてしまうと、こういう頭痛が起きやすく、今回もそれだろうと思っていました。アロマオイルマッサージの先生はグアムなので・・・。 でも、すっきりとはいきませんが、ど~んと鈍い重だる感があった 首の付け根から首、肩までのラインから、鈍い痛みが消えました。だるい感覚までは消えないのですが、年期ものの肩こりですからね、治療前、治療後の違いがはっきりわかるだけでもすごいことです。 今日の夜、オットは「肉を焼く会」にご出席だそうです。(苦笑)私は「肉を焼く会は解散して、肉をしぼる会にしてよ。会場は焼肉屋さんじゃなくて、スポーツジムで。」とい言うのですが、肉をしぼるより、 焼いて食べるほうがいいようで・・・・。 ランチは軽くしなくちゃね、と和食屋さんに行きました。本日の日替わりランチはちょっとはずれ。美味しかったですが、塩分過多、野菜ほぼゼロ、おかずもしょぼい。前回ここに行った時のランチは当たりだったけど、残念でした。
June 28, 2014
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少しわかりにくいですが・・・職場にできたツバメの巣からヒナが見えました。 休憩室に向かう道のドアの上にできたツバメの巣。毎日通る道なので、巣が出来そう!という時期から見ていましたが、親ツバメは見られても、ヒナはなかなか見られなかったんです。 せっせとエサを運んで、ヒナを育ててきた親ツバメさん、お子さんたち、大きくなりましたね。 今日の休憩にも、子ツバメちゃんが見られるかな・・・?
June 27, 2014
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子どもたちの小学校時代の造形教室の先生が経営するカフェで、私の友人の友人のお嬢さんが伴奏、そのお嬢さんの大学の先輩が歌を歌うというコンサートがありました。ややこしい?(笑) 焼きたてのスコーンと紅茶の香りが漂っています。私の友人の友人のお嬢さんが、ちらっと写っています。 スコーンとフルーツと紅茶ゼリー、紅茶(写っていませんが)をいただいて、スコーン2つがお土産についていました。 演奏中は写真撮影しなかったので、画像はありません。歌っていらしたのは、合唱団で子供たちに歌を教えていらっしゃる 自らも若いママさんでいらっしゃる女性でした。 お客様は私たちを含めて20人くらい。アットホームな素敵なコンサートでした。 このカフェの2階は、作品展示の場になっていますが、昨日はパッチワーク展でした。 いろいろ展示されていましたが、この左下のゾウとキリンにうっとり。 一緒に行った友人2人と私は、3人とも長男の嫁という立場です。 一人の友人がこの夏に転職すると言うので話を聞くと、 同じ職種なのですが、かなり環境の違うショップに移るのでびっくりしました。 「うちね、男3人が家で茶碗をたたいてご飯を待ってるの。今の職場はすごく忙しいし、通勤にも遠いし…疲れちゃった」 ご飯は「お母さん」に作ってもらえるもの、と 確信している、舅さんとご主人と長男さんの3人が、夜遅くまで働く友人をお腹が空いた、ご飯はまだ?と待っている図を想像すると・・・疲れる。それはとても疲れる。こういう疲れを経験する世代は、私たちの年代で、終わりつつあるとは思うのですけど。 私も今週から「毎週土曜日の晩御飯は各自」ということにしました。オットと鍼灸治療院に通うことにしたのでという理由で。 ご飯作りは嫌ではないですが、土曜日の夕方~夜に家にいなくてもいいし、その前に作って出かけなくてもいいというのは長女は作るだろうけれど、長男は望ましくないようなものを食べそうと思いつつも、ま、自己責任ですし、週に1回なら気が楽でいいです。 多分私とオットとは一緒に外食になるだけなので、オットの家事能力は磨かれそうにありません。この件については、いろいろ頑張りましたが、努力放棄しました。生まれ変わったら、もう少し家事能力のある人と結婚したいですねぇ・・・ 友人の転職がいい転機になるよう祈りつつ、またね!と手を振って見送りました。
June 26, 2014
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八木重吉は明治生まれの詩人です。東京で、農家の次男として生まれました。学生時代、クリスチャンになって洗礼を受けています。わずか30歳で亡くなった詩人です。23歳 現在の神戸大学に英語教師として赴きます。 陸軍の6週間現役兵として入営、短歌や詩を書くようになりました。24歳 熱心なクリスチャン、島田とみと結婚。 2人の出会いは、登美子14歳、重吉22歳の時で、 重吉が一目ぼれしたらしいです。25歳 詩作が増え、手製の小詩集を多く作ります。 長女、桃子ちゃんが生まれます。26歳 長男 陽二くんが生まれます。27歳 千葉県に転任。28歳 結核と診断され、神奈川で入院。 その後茅ヶ崎に家を借り自宅療養に入ります。29歳 10月26日召天。詩作生活は、23歳から亡くなるまでの5~6年。可愛がっていた子供を残して亡くなりました。その2人の子も、同じく結核で1937年に桃子ちゃんが14歳で、1940年には陽二くんが15歳で相次いで夭逝しています。 残された 登美子夫人は、大変な苦労をして 八木重吉の詩集を出しました。防空壕の中に逃げるときも遺作を必死で持ち込み、重吉と親交のあった詩人、出版関係の人々の間を奔走して、詩集を刊行しました。重吉の名が名声を得るのは、その詩が偶然創元社に関係していた小林秀雄の目にふれたことからだそうです。のちに43歳で、歌人の吉野秀雄と再婚し、94歳で亡くなりました。(吉野秀雄氏は登美子さんが63歳の時に亡くなりました) ---------------------------- 桃子よもも子よおまえがぐずってしかたないときわたしはおまえに げんこつをくれるだが 桃子お父さんの命が要るときがあったらいつでもおまえにあげる---------------------------- 陽二よなんという いたずらっ児だ陽二 おまえは 豚のようなやつだときどき うっちゃりたくなるでも陽二よお父さんはおまえのためにいつでも命をなげだすよ---------------------------- 冬妻は陽二を抱いて私は桃子の手をひっぱって外に出ただれも見ていない森はずれの日だまりへきてみんなして踊ってあそんだ---------------------------- 妻よわらいこけている日でもわたしの泪をかんじてくれいきどおっている日でもわたしのあたたかみをかんじてくれ---------------------------- 春朝眼を醒まして自分のからだの弱いこと妻のこと子供達の行末のことをかんがえぼろぼろと涙が出てとまらなかった---------------------------- 静かな 焔各つの 木に各つの 影木は静かな ほのお---------------------------- 赤ん坊が わらふ赤んぼが わらふあかんぼが わらふわたしだつて わらふあかんぼが わらふ---------------------------- 草に すわるわたしの まちがひだつたわたしのまちがひだつたこうして 草にすわれば それがわかる---------------------------- 雨の日雨が すきかわたしはすきだうたを うたおう---------------------------- 光ひかりとあそびたいわらったり哭いたりつきとばしあったりしてあそびたい ---------------------------- ふるさとの川ふるさとの川よふるさとの川よよい音をたててながれているだろう(母上のしろい足をひたすこともあるだろう)----------------------------亡くなる前の重吉は、妻に会いたくて、会いに来てほしいと頼み、来れば妻が家に残してきた子どもたちが気になって、早く帰ってやれと言ったそうです。「桃子と陽二は成人するまで必ず一所に育ててもらい度い」「二人を人間としてよき人間に育ててくれ頼む」重吉が死の直前にノートに書き綴ったノートにあった言葉です。妻子を残して逝かねばならない切なさはどれほどだったか。重吉が亡くなった時、登美子夫人はまだ22歳でした。子どもを食べさせていかねばなりません。最初は、まだ子供が小さいので、勤めに出ることはせず、家の土間を利用して、母と小さなおもちゃ屋を開きながら、洋裁学校に通って、手に職をつけ、縫い仕事などを貰ってきました。しかし、親子3人が食べていけるお金は稼げず、新しくできた百貨店で、朝9時から夜9時まで働きました。2人とも、とてもいい子に育って行ったそうです。しかし、桃子ちゃんは中学2年で結核を発症しました。入院するお金がなく、登美子さんは、わが子が自宅で弱っていくのを見守ることしか出来なかったのでした。10年間働いた百貨店を辞めて、転職し、残された陽二くんと一緒の時間を大事に生きていた登美子さんを、更なる試練が襲います。桃子ちゃんの死後2年、少し落ち着いた頃に、今度は陽二くんが結核にかかってしまいました。陽二くんは、15歳で、大喀血をして、亡くなってしまいました。夫をなくし、長女を亡くし、最後に長男も亡くした登美子さんは、生きてゆく気力も失せ、虚ろな日々を送っていました。そんなある日、夫が書き残したある詩が、登美子さんの目に留まります。 妻よわらいこけている日でもわたしの泪をかんじてくれいきどおっている日でもわたしのあたたかみをかんじてくれ桃子ちゃんと陽二くんが成人したら、登美子さんと3人で、八木重吉の全集を作ろうと話し合っていたそうです。重吉がかつて入院していた茅ヶ崎の病院に、住み込みで働くことになった登美子さんは、詩集を出そうと奔走するようになります。陽二くんが亡くなって2年後、戦時中の統制下のため部数こそ少なく500部ではありましたが、登美子さんの念願叶って、詩集が出版されました。 そして登美子さんが78歳の時、遂に筑摩書房から「八木重吉全集」が出版されました。そこで登美子は「感謝」と題する一文を寄稿しています。「昭和2年10月26日早暁、八木重吉は数え年三十歳で、余りにも早く昇天してしまいました。この朝は実に美しい朝焼けであったと憶えています。あれからもう55年経ちました。私は平凡な女で、八木の全集を編むこともかなわず、年老いてしまいましたが、いろいろな方々のご尽力により、いよいよ出ることになりました。こんなありがたいことはありません。毎年大学の卒業論文に「八木重吉」を書く学生が私を訪ねて来られますが、この全集が出版されたことにより、老いた私がいつこの世を去っても、八木のすべてをわかっていただけるので、本当に安心しました。この「八木重吉全集」がいついつまでも多くの人に読み継がれますようにと、私はひたすら祈り続けております。」(文中中略あり)【人物列伝】18 八木登美子「もうひとつのひとすじの桜 ある詩人の妻の物 語」前編【人物列伝】18 八木登美子「もうひとつのひとすじの桜 ある詩人の妻の物 語」中編【人物列伝】18 八木登美子「もうひとつのひとすじの桜 ある詩人の妻の物 語」後編【人物列伝】18 八木登美子「もうひとつのひとすじの桜 ある詩人の妻の物 語」最後に…
June 24, 2014
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今日、明日は連休にしてあります。明日のお休みは、後からの申請で、お友達に誘われたから。(笑)今日のお休みは、叔母の通院のためでした。 糖尿病で通院している叔母は、この2か月、大好きだったジュース断ち。ちょうど2か月前の診察で、血糖値や中性脂肪がけっこう高く、老人ホームに毎週販売にくるヤクルトさんのジュースを大人買いして、たくさん飲んでしまっているせいでは・・・と思ったんです。 施設のスタッフさんに聞いても、やはり、止めても飲んでしまうようで、病院の先生に少し脅していただいた方がいいかも・・・ということになって、先生に控えましょうと言っていただきました。 叔母はストイックだったんですね~。ぴたりと買うのを止めて、飲み物はお茶に。血糖値も中性脂肪も、正直に下がりました。 -------------------------------------------------------- ところが・・・血圧を測ってびっくり。190!測りなおしたら、それでも170!下の値も100を超えていて、驚きました。 施設では毎朝測っているはずなんだけど・・・高かったら、病院に行く際に、多分一言あっただろうけど・・・ 戸惑いながら病院の先生に相談しましたら、ずっと普通の血圧で、今日だけ高いこともあり得ますが、普段の血圧、わかりますか?と聞かれました。私は冷たいようですが、全然知りません。叔母に聞くと、130ちょっとと答えましたので、それを信じました 病院では、血圧手帳というのを頂いてきて、これに毎日記入して、高い血圧が続くようなら、予約日を待たずに来るように言われました。 -------------------------------------------------------- ところが叔母の話、普段の血圧が130ちょっとという話・・。これ、嘘だったんです~。 老人ホームに送り届けて、スタッフさんと話をしたら判明。この話の際には、叔母は部屋でトイレタイムだったので、叔母は私にばれていることは知りません。普段の血圧測定を、拒否して測らせないというお話でして、お願いだから、たまには測定をさせてと頼んで、メモにある、たまの血圧は、全部160以上。さすがに190という日はなかったのですが、170くらいなら普通にありました。 病院の先生の前で、血圧測定拒否してますなんて叔母も言いたくなかったでしょうが、130くらいだなんて大嘘をつくなんて。血圧の薬を増やされるのが、そんなに嫌なことなのでしょうか・・・。 施設の看護婦さんは、1か月くらい様子を見ればいいですねとおっしゃったけど、いえ、10日間くらい測ってずっと高かったら、薬を変えていただいた方がいいと思います、と申し出ました。とりあえず、病院で、私に血圧手帳が渡されたことで、叔母も血圧測定拒否などはしなくなるのではといい方に考えています。 -------------------------------------------------------- 叔母の老人ホームを出たのは、午後1時くらいでした。帰りに、シュウトメちゃんの施設に寄るつもりでしたので、ちょっと気になっていたカフェでおひとり様ランチをしました。美味しかったですが・・・結構カロリーがありそうなランチで、最近の外食の傾向は高カロリー過ぎる、いかん、いかんと食べた後で心の中でつぶやいたワタクシでありました。もちろん、食べた後でつぶやいても、意味ないのは承知しています・・・。 -------------------------------------------------------- シュウトメちゃんのいる4階のエレベーターが開いたとき、目に飛び込んできたのは、3人のおすもうさん!今日はおすもうさんが来てくれて、記念撮影と握手ができるイベントの日だったみたいです。シュウトメちゃんに近づいて「せっかくだからここにいてね。洗濯物を入れ替えてくるから」と言って部屋に。洗い替えを収納し、洗濯物を持って帰る仕度をしているとシュウトメちゃんが、おすもうさんは帰ってしまったと言って部屋に帰ってきました。しばらくシュウトメちゃんとおしゃべり。 おすもうさんと、握手できるなんて、普通にはないよ!写真も撮ってくれたのね!楽しみだね!シュウトメちゃんの気持ちを盛り上げておきました。(笑) 弟さん夫婦が来てくれた話を聞き、施設の生活の話を聞き、持ってきて欲しいものを聞き、帰ってきて洗濯機を回す私。日記を書いて、洗濯物を干し、少し本でも読んでいたら、夕食を作る時間になるのでしょう。・・・連休でよかった。(笑)
June 24, 2014
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完全遮光日傘というのを買いました。ミントグリーンにしました。思ったよりう~んと地味でしたが、涼しいです。いろいろあるので迷ったんですよ。 職場の駐車場が変更になります。遠くなるので歩く時間も長くなり、遮光性の高い日傘が欲しいと思って。 私の職場は、全体が大きい商業施設で、たくさん店舗があるので、駐車場の場所も様々。このたび、新しいテナントさんが増えて、テナントさん優先ということで、直営職場の私たちは、遠い駐車場にお引越しすることに・・・。 それがまた…遠いんです!(涙)夜は真っ暗になりそうな場所なので、7時以降まで仕事の人は、もっと近い駐車場に停められるとのこと。私たち午後パートは6時までなのでアウト~。 新駐車場使用は7月1日から。 職場まで徒歩10分なんだって。まあ、仕方ないことです。新しい日傘で乗り切りましょう。
June 23, 2014
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先週土曜日に続き、2回目の鍼治療院。私は鍼治療は受けず、筋膜をはがすというマッサージを受けました。効果あります。何だか魔法のようよ~。 オットは私よりうんと重症のようで、今日もたくさん鍼をさしたようです。鍼をさす前に、私と同じようなマッサージを受けたらしいです。施術を受けるベッドはカーテンで仕切られているので、見えないんですよね。 施術後、ランチを。しかし、先週はカレー、今週はステーキと高カロリー食が続いています。こんなの続けてたら、夏の間におでぶになりそう。 ランチの後は、日帰り温泉に行きました。岩盤浴でまったりしたい感じだったので。 オットは強い眠気に誘われて、リクライニングの椅子でよく寝ていました。体が緩むと眠くなりますよね。よほどほぐれたんでしょう。私はそんなに眠くないので、岩盤浴を楽しみましたが。夜11時まで、この日帰り温泉にいました。オットが寝ていたので・・・(爆)明日は私もオットも仕事です。
June 21, 2014
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先日、出勤前に、シュウトメちゃんと叔母の施設のはしごをしました。上の義姉の長男さんが入籍した話は伝えてあります。甥のことでは、私とオットの意見が分かれました。私は、お祝いのお金を持参する時に、シュウトメちゃんを連れて甥に久しぶりに会わせてあげたいと思っていたのですが、オットが難色を示したの。私もムカシニンゲンなので、気持ちはわかります。オットは、入籍しましたと電話してすますというやり方を親戚付き合いを知らない甥はともかく、そういう甥に、挨拶に行きなさいとアドバイスをしない義姉夫婦にムッとしているのでありました。お祝いを持っていけば、お礼の挨拶に来るだろう?オットはそういうけれど、私は実はその辺も疑っています。お祝い金、ありがとうございました、という電話が自宅に入っておしまいかもよ?そうなってから、会わせたいって言える?今なら、会っておめでとうって言いたいって言えるでしょ?オットは、お祝い金を渡してもシュウトメちゃんに会いに来ない可能性を思って、余計ムッとしたみたいです。シュウトメちゃんは、会いに行きたいとは自分から発言していません。そういうもんだと達観しているのなら、刺激しない方がいいですよね。他の孫にお祝い金をいくら渡したか忘れたから適当に渡しておいてくれって言われて絶句。シュウトメちゃんは、本当に、過去3人の結婚した孫に渡したお祝い金の金額、全然覚えていないみたい。とりあえず、甥のお祝い金問題は、シュウトメちゃんの渡す金額を含めて、ちょっと保留。シュウトメちゃんを連れていくか行かないかもしばし保留・・・。-------------------------叔母の場合は、骨折して歩けなくなって、老人ホームに入ったので、慣れるまでは頻繁に通いましたし、買い物もお洗濯も私がしてきましたが、慣れてからは職員さんの申し出もあり、すべて身の回りのお世話、ということでやっていただいています。月に1回行っていた糖尿病の診察も、症状が落ち着いているのと、通うのが身体的にとても大変というので、2か月に1度になり、ますます行かなくなってしまったのでありました。月に2回くらいは行ってあげたいなと思い、そうしていますが、そのくらいの頻度だと、前回行った日を忘れやすいんですよね。メモしないとまずいレベルの私の記憶力・・・。叔母は元気でしたし、ヤクルトさんのジュースが大好きだったのに、検査値が上っちゃったから、飲むのを減らしてねと頼んだら、ストイックにその日から、ジュース購入がゼロになっていました。ちょっとこういうのは、少ない楽しみなのにごめんねと心がチクンとしますが、心から叔母に「すごいね。頑張って止めてるんだね。検査の結果がよくなってるね、きっと」と声掛けをしてきました。叔母はにやっと笑いました。-------------------------ジャイアンはって?昨日、レジの時間帯が同じだったので、レジが終わってすぐにジャイアンのところに行きました。「よろしければ、お先に休憩してくださいね」20分経った頃、ジャイアンに「休憩に行かれました?」と聞きました。「行ったよ~」との答えでした。「そうですか。では、今から私が休憩に行ってもいいですか?」「どうぞ~」ジャイアンの顔はあまり機嫌のいい顔ではなかったのですが、とりあえず、すごく不機嫌ではなかったので、オッケーかな?と思っていました。そしたらね、後から後輩に、私の言い方が失礼だって、文句言ったんだって。「先に行けって言われたと同じじゃない?後から入った人にそんな命令されたくない」ってジャイアンが怒ったそう。後輩に言うのは、koalaとは話したくないから、そう伝えておけ、という意味です。 koala「え~っ。だって、年功序列だって言ったじゃない。あれは先に行かせろっていう意味じゃないの?」後輩「そうなんだけどね、あの言い方はダメだって言われた。レジが終わってジャストの時間に声掛けしちゃまずいのかな。15分以上経った後で、休憩に行かれましたか?って聞かないと」koala「だって、この間、30分過ぎても休憩に行ってなかったじゃない?」後輩「そうなんだけどね・・。15分に聞いて、すぐに行ってもらえれば、帰ってきてから私たち、少しダブって休憩とれば、15分とれるかも。ダメだったら10分になっちゃうけど。」どうでもいいけど、実に面倒くさい人だわ、ジャイアン・・・。毎日、自由に、休憩に行きたい時間を宣言してくれないかしら。下っ端がお伺いを立てないと不機嫌だから無理だけど。昨日は私より少し先輩の人に大声で怒鳴ってて、理由を聞くと実にくだらないし、お客様のいる前で怒鳴るって最低・・。 でもうちの社員さんはこの暴走を止めないんだから仕方ないわね。嫌なら私が職場を辞めるしかないけど、ジャイアンが嫌だからという理由で辞める気はないですね。新しく入ったパートさんがレジの交代に既定の1分前に来たそうで、ジャイアンは2~3分前に来るのが礼儀だと、当人がいないところですごく怒っていたそうです。(後輩が聞かされました)私は以前4分前に行って、早すぎるから出直せと言われましたが、そうか、ジャイアンのルールは2~3分前厳守でしたか。後輩はこの新人さんに教えてあげたところ、その新人さんは「でもジャイアンさん、この間、5分も遅れてきたんですよ。だから、あまり早く後退しない方がいいのかと思って」と言ったそう。「あのね、ジャイアンさんは何してもいいの。自分に甘く、人には厳しい人だから、ジャイアンさんの行動は基準にしないでね」このすごい教え!後輩ちゃん、ナイスです。ひどく面倒くさいけれど、私はシュウトメちゃんに耐えた過去があるので、何とか乗り越えられると思います。だから新人さんも、きっと今後の人生で、面倒くさい人に出会ったときに対処が上手になるレッスンになるからね~。(爆)-------------------------今日はジャイアンはお休みなので、伸び伸びと思いきり働けます。では、気持ちよく家事をして、気持ちよく働いてきます~。
June 20, 2014
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ネットで知り合い、親しくなったEikoさんのお母様からお礼の葉書が届いて感激しました。書をなさる方なのですが、字が上手とか、そういうのではなくて、見て気持ちのいい流れの字を書かれるのです。ワタシニハカケナイ。(笑)---------------------------Eikoさんは以前HPをやっていたのですが、生まれつきの病気があり、そういう病気の人が年を取ると発症しやすい症状というのが出てきて、現在は車椅子の生活をしています。知り合たきっかけは、生れつきの病気を持って生まれたEikoさんが、生まれつきの病気をもって生まれた子供のことをブログに書く私に興味を持って、掲示板に書き込んでくださったことでした。HPはこちら→ Eiko&Mogのお部屋彼女の七宝作品や童話をよろしかったら見てください。作品はクリックすると拡大します。七宝と詩の森 1 七宝と詩の森 2物語の風景(童話)今は身体状況的に、七宝作品を作れなくなってしまった彼女ですが、何かしたいな~と書を始めました。京都は素敵でした↑これは私の過去ブログですが、その書の個展の画像も載ってます。ネットで知り合った後、いろんな話を掲示板やメールで重ねて、意気投合して、私が毎年京都に会いに行くようになりました。最近は毎年ではなくなってしまったけれど、2~3年に1度は会っています。彼女のHPの更新は何年も前から止まっていますが、仲の良い人に、携帯メールでの現状報告ブログのようなものが、たまに届きます。そこに、お母様が入院されたこと、元気でじきに退院されるので心配ないことなども書かれていました。---------------------------Eikoさんに会いに行くと、お母様もいらっしゃるので、私は何度もお母さまともおしゃべりして、けっこうお母様のファンなのです。今はヘルパーさんが来てくださっていますが、そうなるまでの間、お母様が介護していらっしゃったので、介護の話まで弾んだりして。Eikoさんの年齢は私よりすこしお姉さま。なので、お母さまの年齢も介護する側としてはきつい年齢ですが、本当に前向きで素敵な方で、こんなお母さまが育てていらっしゃったから、Eikoさんも、大変なことが多いけれど、ネガティブにならないで、人生を楽しむぞ~という気概をなくさないでいるのだなぁと我が身を省みて、度量の違いを感じ、心から尊敬している、そんなお母さまの入院のお知らせなのでありました。---------------------------小さな、造花のアレンジを送らせていただきました。大きいと邪魔だし、お返しを気にされるかもしれないし、本物のお花だと、今の時期すぐにしおれるし、水やりの手間もあります。安っぽくない、小さいものでお母さまの好きそうなお花を探しました。「何よりも大好きなお花の贈物に 心おだやかに なごやかな日を過ごすことができますこと 嬉しい限りです」そんな言葉も添えられていまして、お人柄をしのびました。---------------------------Eikoさんからはいろいろお母さまのエピソードを聞いています。お母さまはどうしてもEikoさんにかかりきりになったので、若き日のお父さまはけっこうご発展だったようです。「今日は美味しいものを食べに行こうか~」と子供だったEikoさんと連れ立って外食に行った先に、お父さまがいたそうです。若い女性とご一緒だったとのこと。お父さまはきっと背中の凍るような一瞬だったと思うのですが、お母さまはあわてず騒がず、にこりと笑って「こんばんは」と言い、美味しくEikoさんと食事を召し上がったそう。かっこいいわ。私だったらどうなることか?とりあえず、そのお店で夕食なんてとんでもないです。でも、そこで食べる気になっている娘になんて説明する?私に全部大変なことを押し付けて自分は浮気?という腹立ちは?お母さまは、御主人が娘と自分を大事に思っていることも、それでも男としての遊びたい気持ちを御主人が優先しがちなことも、理解していたので、騒がなかったのだと思います。心は揺れたんじゃないか…聞いたことはありませんが。でも、多分、私がその立場になったらなったであろう程は揺らがず、にこっと笑うことで、お灸を据えたのだと思います。この類のエピソードはいくつもあって、聞いた当時、Eikoさんは、「全部、内緒話じゃないから、ブログに書いたってお友達にしゃべったって全然オッケーよ」なんて言ってました。内緒だったのは、Eikoさんの恋バナくらいだったわ。(笑)ジャイアンの悪意くらいで揺れてちゃいかんぜよ、koalaさん。(爆)このタイミングでお母さまからのお礼状が届いたのは素敵ですね。陰と陽はワンセット!(笑)お母さま、陽の爽やかな風、届きました。ありがとうございます。---------------------------お母さまの今回の入院で、家に一人残されたEikoさんですが、「よくぞ車椅子の身になっておいた♪」と思うほど快適だったそう。自分でヘロヘロになりながらでもできる身であったら、こんなにヘルパーさんたちに助けていただけなかった、と言うのです。身体介護も、家事全般、病院と家の往復、全てやっていただいて、私は口を動かしてるだけで快適な生活が送れちゃう♪と書いてました。だから、お母さまが入院する前は、お母さまに何かあったら、いったいどうなってしまうんだろうという不安が強かったのが、その不安が消えたと言います。多分多難である前途に、気分だけはルンルンで立ち向かえそうとも。そして20日(明日ですね!)から、プリンセスクルーズで、北海道一周とサハリンの旅に出ますとありました。彼女にとっては7年ぶりの旅行です。この7年、どんどん身体症状が悪化して、入院やリハビリ、自宅改修など激動の日々だったのですが・・・感慨深いです。7年前の旅行は、世界一周ピースボートでした。とても楽しんできたのですが、帰ってきたら、疲れも無理もあったのでしょう、体がガタガタになってしまったのでした。今回はヘルパーさん付きでの旅行なので、安心です。本当はお母さまとも一緒に行きたかったそうなのですが、その場合はお母さまにもヘルパーさんをつけないといけないと言われ、費用があまりにかかるので、断念されたとか。---------------------------Eikoさん、楽しんできてね~。同様に心の中で声援を送る人、日本中に何人もいると思います。一度、彼女の自宅でお花見会に呼ばれた時に集まった方たちの多くは、病院で彼女に知り合ってびっくりしたと言っていました。自分がリハビリの必要な体になって、うんと落ち込んでいた時に、明らかに自分よりも症状が重い彼女が、誰よりも明るく、リハビリに果敢に挑み、場を盛り上げるムードメーカーにもなっていたと。私は明らかにその場のメンバーから浮いていたのですが、ネットで私が意気投合したEikoさんが、別の場所で意気投合した方々っていうのは、やはり何だか独特の共通点を感じる、熱いハートの方々で、場違いで浮いてて居心地悪いなんて感じたのはほんの最初だけでした。書の個展を開いたのは、地元の京都と東京ですが、東京で開いたのは、友人たちの強力なバックアップがあってこそ。Eikoさんの旅行が素晴らしいものになりますように。退院したお母さまが、ゆったりした時間を過ごせますように。
June 19, 2014
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昨日の日記に書いたジャイアンの一件で、仕返しされてびっくり。ジャイアンの立場に立って、かいつまんで言うと、休憩を取るのに、先輩であるジャイアンを探して、どうぞ先に休憩に行ってくださいと言うのが礼儀なのに、それをしないで、先に休憩に行ったとんでもない後輩koalaに怒ったのです。これだけ読むと、ホント、とんでもない後輩だわ、私。(爆)ジャイアンの脳内ではこの事情しかないでしょうから、怒り心頭なのだとは思いました。私の職場では、その日出勤すると、その日のレジのシフトがわかります。私はジャイアンの後になっていました。別に何とも思いませんでしたが、向うは違ったみたい。レジを交代に行くと、レジ画面にニアエンプティの表示がありました。現在のレジは、機械の中に入れたお釣りを、機械が計算してお釣りとして出してくれますが、残量が少なくなると警告画面になります。もちろん、つり銭の補充が必要ですが、補充中はレジが使えないので、混んでいるときは補充が出来ません。一人のお客様に応対するたびに、警告画面を一時的に消す作業が必要です。----------------------------------昨日は忙しい日ではありませんでした。なのに、100円玉も1円玉も足りないという警告画面が出ていました。私の時に出たのではありません。交代前のジャイアンの時のレジで警告画面が出ているのを私は見ました。交代の時、思わず「ニアエンプティ!」と声が出ちゃいました。こんな状態で交代したことは初めてです。レジ係は、混んでいない時に、何度か機械内のつり銭残高をチェックし、少なめになったら、補充します。補充用のお金が不足していたら、両替依頼をします。1時間ずっと混みっぱなしということはまずないですし、バイトやたまにしかレジをしない社員さんなどは、気にしない人もいますが、普通のパートはチェックします。ジャイアンは1時間に何度かチェックするタイプです。私もそうです。よく使う100円・10円・1円のそれぞれは、50枚~100枚のコインが機械に入っているように調整しています。ジャイアンはこの件については何も言わず「交代ね」とだけ言いました。もしもわざとでないなら、「ごめんね」くらい言うでしょうが、澄まして去っていきました。----------------------------------お客様の対応中にお釣りのコインが不足すると大変なので、その時並んでいたお客様だけこなして、レジを止めました。100円と1円の残量は各18枚。10円も27枚。熟練パートが、こんなになる前に気が付かないはずがないのです。コインの補充用はちゃんとあったので、大した問題ではありません。少しの間レジを止め、補充すればいいだけの話。100円玉と10円玉と1円玉を50枚ずつ補充して、補充用のコインがなくなったので、両替を頼みました。でも、こんなこと、普通はしません。次のスタッフが困らないような状態にしておいて交代する、それが常識ですし、こんな交代の仕方は本当はレジ担当者として恥です。これは「あんたなんか大嫌い」と私に伝えたくてやったこと・・・。最初は頭にきて、仲の良いパート仲間にこのことを打ち明けました。「ええ?ありえない・・」「どれだけ性格が悪いんだろう」と一緒に怒ってくれましたが…後になって、私は気持ち悪くなりました。----------------------------------最初に感じた、私はこんなこと、絶対にしない、という気持ちではないです。もしかしたら、前世、私はこの人にひどいことをしたのかも?と思ってしまうような気持ち悪さでした。ジャイアンは、私以外では、今まで3人のパートさんをすごく毛嫌いして、別の1人については、その娘さんを毛嫌いして、暴言を吐いてきました。暴言で泣いている人も、勝気に言い返している人もいましたが、ジャイアンは自分の正しさをいつも過剰に確信していました。その人たちはジャイアントは無関係な理由で全員もう辞めています。今、ジャイアンが職場で一番毛嫌いしているのが私です。最初に「私、チビの女は大嫌いなの。私みたいにでかいと損ばっかり。チビ女はね、不当に得してるの。あんた、わかってるの?」そう言われた時は度肝を抜かれましたけど、とにかく毛嫌いされています。私も嫌いなので、別にいいですが、これは異常だと感じました。もちろん、こんな意地悪なんか序の口、という世界も世の中にたくさんあるのは知っています。でも私の職場は、そういう意味では、和やかな職場なのですよ。反面、組織としていい加減な部分もありますが、世知辛い職場ではないです。----------------------------------ジャイアンの「怨念」と言っていいかもしれないものを感じました。実際に、私は別にジャイアンに憎まれるようなことをしているわけではなく、チビだとか、ちょこまかしているとか、そんな私の持つ要素が、とにかくジャイアンの怨念をかきたてるのだと感じました。私の中の怪しい直感が、前世で私が何かをしたのだと言いました。ごめんなさい、とっても怪しいのを知っていて書いています。ひどい目にあった魂は、ひどい目に合わせる経験を求めるのでしょうか?それはもしかしたら仕返しではなくて、両方の立場を味わうことでしか、両方の立場を知ることが出来ないからなのかもしれません。結果を重視する教育を受けて育った気がしますが、この年になって振り返ると、過程が、経験が大事だったのだと深く感じるところがあります。----------------------------------ジャイアンが相手とは限らないなら、前世まで遡らなくても、私が不当に嫌な気持ちにさせた人は存在します。朝顔の種をまいて、水をやれば、朝顔は育って花を咲かせるでしょう。私は生きている間に、たくさんの種をまき続けてきたはず。たくさんの自分でまいた種が、次々と咲いてくるなら、ああ、私がまいた種が結果を出したな、と眺めていればいいはず。「仕返しだ!」とジャイアンに意地悪返しをすれば(する気はないですが)それは新たな種になって、また意地悪な花を咲かせることでしょう。私の中にも、意地悪な種はもちろんあるのです。同僚に言いつけたのだって、種まきではありますし。すべての種があると思います。感情のままに、いろんな種をまくのは、そろそろ卒業したいです。怒りを感じるにしても、ああ、私は怒っているんだな、こういうことをされると、私は怒るんだな、そのくらいの距離感で怒れば、怒りに揺すぶられずに済みますね。----------------------------------「先輩、どうぞお先に休憩に行ってください。」後輩は、忙しくても、職場がごった返していても、先輩を探して、これを頭を下げて言わなくては、ジャイアンの気が済まない。それは、よ~くわかりました。しかし、修行の足りない私には、今回の仕返しの奥にある、ジャイアンの怨念は、やはり薄気味悪いのでありました。そんなことばかり考えて過ごしたわけではないんですよ。今日はお休みで、マッサージの先生と一緒に酵素風呂に行き、その後マッサージを受けて体がとても緩みました。ネパール料理のお店に行かない?とランチのお誘いを受けて、先生と、お孫ちゃんと3人で、そのお店に。土曜日にカレーランチをしたばかりですが、これはこれで美味しかったです。この前にスープとサラダが付きましたが画像はありません。(笑)
June 17, 2014
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昨日は、またジャイアンにイラッときた私と同僚でした。愚痴ではないんですよ。ジャイアンはジャイアンの世界の価値観で生きているので、ジャイアンとしては正しいことを言っているだけなんだと新たな認識が出来て、ちょっと気分が変わりました。--------------------------------------私たち午後パートは、15分間の休憩を取ることが出来ます。以前はジャイアンが「今から○○さんが休憩に行って」などと指示していました。その後、ジャイアンの心境の変化で、休憩時間指定はなくなり、現在は「年功序列だから、先輩が行った後後輩が行く」と言い出しました。休憩に行く前に、先輩に、もう休憩は行きましたか?と聞けばいいだけですが、日曜でスタッフ不足というときには、店内のどこにいるかわからない先輩を探して、もう行きましたか?と確認する作業が実に無駄に思えるんですね。その時間にすべき仕事が出来ないと感じて。レジの交代も、レジのシフト時間の数分前からジャストまで、その交代スタッフさんの直前の仕事状況によって変わります。同時にレジを交代するなら、その際に声をかければいいのですが。--------------------------------------後輩である私や同僚は「年功序列というなら、早めに休憩に行ってくれればいいのに。レジとレジの間は基本1時間空いているけど、この中で交代で3人、4人と休憩に行くためには、ロスがありすぎ。私たち、遅い時間になると15分の休憩が10分になっちゃうのに。」こう始終嘆いているのですが、昨日もそうでした。ジャイアンと私と私の少し後輩は、レジの時間が同じでした。3人で1時間の間に15分ずつ休憩をとるわけです。ジャイアンがぱっと探せなかった私は、仕事に忙殺されていました。最近のジャイアンのお気に入りの仕事は野菜をきれいに並べること。野菜コーナーをうろつけば、ジャイアンが見つかるのはわかっていましたが、野菜売り場は広く、お客様でごった返していました。スタッフ不足の日なので、保冷用の氷や段ボールの補充や、置きっぱなしのカートの片付け、レジの両替など忙しく、あのお菓子の店内在庫が少ないとか、ラムネがよく売れて補充しないととか商品を探したり、落し物をしたお客様に声をかけられたりして、ジャイアンを探すことはもういいや、きっと先に行ってくれるよね?そう思っていたんですよ。ところがジャイアンは、多分私が「休憩に行かれましたか?」と聞くまで、行かないつもりだったらしいんです。それを知らない私は、休憩に行けなくなりそうなので、行くと宣言しちゃおうと14時にレジスタッフ時間でなくなってから25分後に見つけたジャイアンに(もう休憩は済んだと思って)「休憩に行っていいですか?」と言いかけた途端、レジの人のコールブザーが聞こえたので、走ってレジに。両替を頼まれたので、行く途中に後輩とすれ違ったので、「先に休憩に行ってね。私、両替だから。」と声をかけたんです。この時すでに30分を過ぎていて、私たち2人が15分休憩をもらうのは無理でした。でも忙しくて疲れたから、10分でもいいから休憩したい・・・。これをジャイアンが聞いていて、後輩に言ったそう。「私もまだ、休憩に行っていないんだけど。」両替の後で、10分の休憩に行きました。10分と言っても、職場は地下1階で、休憩室は離れた場所の2階にあり、従業員はエレベーターを使えないので、往復、階段なんですよ。移動時間含めて10分だと、6分くらい座れるだけ。後輩(少しだけの後輩なんです)が怒っています。「3人で1時間の間に15分休憩に行くってわかってるのに・・・。ジャイアンが年功序列って決めたんだよ。なんで30分過ぎた時点で『私も行ってない』と言えるの?!」「・・・ジャイアン、休憩はどうするって言ってた?」これは私。「知らない。次のレジが終わった時間は今よりもっと忙しいけど、行けなかったからってしっかり行くんじゃないの?私達がそんなことしたら、罵られるよね。4時過ぎは忙しいのに?!って。」「・・・私がジャイアンを探して、『休憩は行きましたか?お先に行ってくださいね』って言わなかった当てつけなんだね・・・。ジャイアンは私に直接はまず言わないんだよね。私の説明は一切聞きたくないっていう感じで。だからあなたに言うんだね。」私が後輩から聞いたことをジャイアンに告げ、申し訳ありませんでしたと言えば、少しはジャイアンの溜飲が下がることは知っていましたが、私はそんなこと、しませんでした。これもきっとジャイアンをムッとさせてるのがわかっていたけど。--------------------------------------私も後輩も、よけい疲れが増した感覚で、短い休憩を終えました。正直、本当に面倒くさいし頭に来ていました。ふっと、こう思いました。(この間、全て鏡という日記を書いたけど、これはどんな鏡なんだろう)私は正しい!という鏡かもしれない、と感じました。ジャイアンは、先輩なので、仕事がとても忙しい中、休憩を取るために、混んだ店内で、後輩が先輩を探すことのストレスを知りません。ジャイアンにとっては「後輩は、先輩にお先に休憩にどうぞと一声かけるのが礼儀。その最低の礼儀も守れないkoalaは最低の女」そんな感じで怒っているのではなかろうか?私だって、すぐに探せれば、ちゃんと声をかけるのだけれど、これだけの人込みで、仕事も次々にあるのに・・・という私の状況はジャイアンには理解不能なのではなかろうか?多分、そうなのですよ。私に言わせたら、想像力の不足だと思うんですが、氷の不足はジャイアンは氷の残量を見に行かないから知らない。小麦粉やお菓子や飲み物の店内商品の不足状況も、ジャイアンは売り場を見に行かないから知らない。ただ、礼儀を知らない馬鹿後輩がちっとも先輩にお先に休憩にどうぞという出来て当然のあいさつに来ないと怒りながら、休憩に行かずに野菜をきれいに並べている・・・そういうことだったんでしょう。ジャイアンから見たら、ジャイアンが絶対に正しく、礼儀知らずの後輩koalaが人間としてありえないのでした。これからも、忙しい日に探すのは難しいから、レジに入る前に、言っておくのがいいかも。「今日は忙しくて探せなくなるといけないので・・・。レジが終わったら、どうぞお先に休憩して下さいね。」まあ、それで怒ったら知らない~。--------------------------------------「私は正しい」という鏡は、気が付いたらそこかしこに。昨日の日記では、とても仲の良いkoala姉弟ですが、両親を介護していた時は、結構黒雲が出ていたんです。私と弟は性格が違うのはわかっていたのですが、「普通はこうするでしょう?」「普通はこう考えるでしょう?」ということで食い違いが大きく、相手が無神経に思えたのですね。父が大腸がんが見つかり、発覚当時、転移して腹水も発生した状態で、余命半年と言われて、私は介護生活に入りました。とはいえ、当時は母が元気だったので、私は時々行くだけでした。弟はアメリカに住んでいましたが、リーマンショック前で、日本への出張も多かったです。奥さんもバリバリに仕事をしている女性で、弟に合わせて、日本への出張をスケジュールに入れ、休みを入れて、夫婦お互いの実家に行けるように計画していましたので、合計10日以上は日本で過ごしていました。うちの両親とは、新幹線の駅前のホテルで1泊という形で、会ってくれていました。父は大腸がんだったので、お腹が急にゆるくなったりしましたし、抗がん剤投与期間だと、疲れも激しかったので、こちらへの到着時間が分かったら、早めに教えて欲しい、大体の時間でかまわないからとお願いしていました。日本に来るときは、いつもレンタル携帯電話を利用するので、こちらでは電話番号もわからず、メールで、今回の電話番号を教えてもらうまでは、連絡の取りようがありませんでした。弟夫婦は、まず東京に泊まります。飛行機が東京着なのと、奥さんの妹さんが東京にいたのです。でも、当日になっても、なかなか時間を教えてもらえませんでした。父は、午前中かもしれないからと、朝から身支度していました。「疲れるでしょう?連絡が入ったらしゃきっとすればいいからちょっと横になっていてね~」と明るく父に言ったりしていましたが、心の中では弟にむかついていました。朝から待った父に、結局、午後3時過ぎに連絡が入り、夕方6時半くらいに着くからと連絡が入ったりしました。弟夫婦がホテルに注文してあった献立が、天麩羅セットだったり。父は、孫と夕食を囲めるのが嬉しくて、幸せな顔で、美味しいなぁと笑顔で食べていましたが、お腹を下してばかりいる人に天麩羅?!と私は心の中で怒っていました。後でお腹を下すに決まってるのに。末期がんの人を待ちぼうけさせないでと頼んでるのにと「私は正しいモード」で頭に来ていました。私の性格では、親が大腸がんの末期だと言われたら、それについて調べますから、こういうことをされることは「ありえないこと」でした。弟にしてみれば、片道17時間の長旅を、小さな子を連れてするわけです。実家のある市の隣の市で仕事があるので、実家のある市の駅前のホテルに泊まり、奥さんは少しでも長く自分の実家にいたいだろうに、弟の実家のある市に1泊してあげてるわけです。それで満足してくれないってありえないことだったのかもしれません。冷静に今振り返ると、事前に私の説明が足りなかったのです。抗がん剤を受けている期間の父が、どんなに体力が落ちるか。どれほどお腹を下しやすいか。食べたほうがいいものと、食べない方がいいものは何か。それを説明しないで、わかるはずと思い込んで、心の中で不満に思っている私は、自分を正しいと思っていました。--------------------------------------常識っていうのは、人それぞれ、結構違うものなんですよね。でも、私の中ではそうじゃなかったのです。「私は正しい」ので、その「正しさ」を理解しない相手が無神経。本当は、私が出来るのは、自分の正しさを押し付けることじゃなくて、自分はどうしたいかを選ぶことだけ。相手には相手の考える「正しさ」があるのだという理解が私には欠けていたなぁと思います。みんな自分の正義を信じて生きているんだよね。その正義は偏っていて、多面体のほんの一部しか把握していないけど、きっとそれはお互い様なんですよね。あることにムカッとする時に、私は何に対してムカッとするのかよくわかります。自分を知る旅に出よう、もう53歳だし。そう感じた6月のワタクシでした。
June 16, 2014
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アメリカ在住の弟が、日本に来ていました。急だけど日曜日空いてる?とメールが来たのは2日前。13時から仕事だったので、その前に会うことにして、弟の泊っているホテルに、オットと行きました。奥さんと長男さんは、奥さんの実家の山口県に行っていて、弟は仕事が終わってから合流するそうです。一緒に両親の永代供養をお願いしているお寺に行くほどの時間はなく、1時間半ほど喫茶店でおしゃべりして帰りました。弟は元気そうでした。日焼けをしていたので聞くと、11歳になる長男さんと野球の練習をするからだとか。父親の幸せですよね、息子とキャッチボールって。それから出勤して、帰宅して夕食を作って食べ、一休み。今からは友人と日帰り温泉に行くことになっています。多分そろそろ、友人からメールが入る頃。皆様、おやすみなさい~。
June 15, 2014
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オットの腰痛が重そうなので、ネットであれこれ検索しました。自分の腰痛の時は、腰痛体操を検索したものですが、オットは痛くて腰痛体操が出来ないと言うのです。私の行っていた接骨院は、運動メインのところでした。その接骨院で、泣いたり呻いたりしながら(誇張じゃないんですよ)運動療法をしている患者さんもいたのですが、オットは絶対いやだって。まあ、そうでしょうね。放置しておくと、湿布を貼っているだけだろうなと思って見ていたら、やはり湿布を貼り換えているだけ。夫婦ですが、こういう時の動き方って全然違うんですよね。かつて私の得た知識では、あまりに動かないと、どんどん固まるだけ。でも、多分いつまで待っても、オットは腰痛体操なんかしない。---------------------------------ネットサーフインしていたら、トリガーポイント療法というのを見つけました。トリガーポイントというのは、緊張を起こしている筋肉のしこりのようなもので、痛みの引き金になる場所のことだそうです。そこを刺激する療法はいくつもあるようでしたが、私は鍼治療の治療院に連れて行こうかなと思いました。薬剤を注射する療法は、副作用もありそうで怖かったのです。私もやってみようかな?という気になりました。治療について聞きたいこともあり、電話して聞いてみました。なかなかいいのでは?という気がしたので、今日はと伺うと、予約優先で、2人受診は予約がいっぱいで無理ですが、1人なら大丈夫と言われ、オットの予約をして出かけました。---------------------------------予約はオットだけでしたが、私も少しだけなら大丈夫と言われて、まな板の鯉状態に。鍼ってやはり痛いのでしょうね??どきどき。結果から言うと、私は、今日はマッサージだけでしたが、ちょっと変わったマッサージで、痛くないですが、明らかに硬かった腰がゆるんだ感覚があって効きました。オットは・・・痛かったようです。でも、効果があったようで、行ってよかったです。来週の予約をして帰ってきました。オットは居間で床にぺたんと座るのが好きでしたが、椅子にしなさいと先生に勧められました。私も「あぐらはヘルニアの敵」「椅子がいいよ」と言ってきたんですが、言うこと聞かないヒトだったんです。しかし、そういう姿勢では治らないとまで言われて、椅子生活にシフトする決心をしてくれました。---------------------------------治療院から車で4分のカフェで遅いランチを。可愛い店内でした。スパイシーなカレーをいただきました。なかなか美味しかったです。家に帰って、椅子生活にシフトするために模様替えしました。良くなるといいなぁ。
June 14, 2014
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下の義姉の長男さんから電話がありました。入籍しましたとのお知らせで、式は挙げないそうです。式を挙げないカップルが増えているとは聞いていました。知り合いのお嬢さんも、式は挙げないんだって、と言っていましたが、自分の身内では初めてでした。そうなんだ!とにかくおめでとう!少子化や未婚の増加とのトリプルパンチで、結婚業界にとっては、厳しい世の中になったわけですが。素敵な結婚式を挙げたいというカップルも多いはずで、式場にお任せというカップルは少ないでしょうね。昔だって、式を挙げると高いお金がかかるから、挙げたくない人もたくさんいたと思うんですが、会社の人の手前、とか、親戚の手前、という言葉が強かったんですよね。今は、そういう「手前」が消えつつあります。もちろん、式が挙げたいけれど、お金がないからとか、挙げたくないけど「手前」が強くて、というカップルもいるでしょうが、最終的にどうするかは、そのカップルの意思によることが多いのでは?式は挙げたくないカップルも、素敵なこだわりの式を挙げたいカップルも、自由に好きにしていいというのが定着したのは、いいことだと思っています。シュウトメちゃんの施設に、本人が報告に行ってくれるかな・・・?私が親だったら、行きなさいって言うけれど、義姉の考えは違うかも。今日にでも、私から報告に行った方がいいですね。この甥には長いこと会っていないので、お祝いのお金を渡しに行く時は、シュウトメちゃんを連れて行ってあげなくちゃね。「お祝いを持って、おばあちゃんも連れていきたいんだけど、いつだったらいいですか?」って、その電話で聞けばよかったのに、その時は思い浮かばなかった…トシだなぁ、私も。もう一度電話で聞けばいいだけの話なんですけど、脳みその老化をはっきり感じました。とにかく、甥っ子夫婦が素敵な家庭を築いていけますように。
June 13, 2014
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昨日は、職場のジャイアンがお休みの日でした。たいてい誰かが「今日は平和だよね」「穏やかな気持ちで仕事出来るね」などと、ちょっとひどいことを言います。「この間、またこんなことがあった」などという愚痴もあったりします。悪いけど、やはり穏やかな気持ちで働けるのは気持ちいいです。ジャイアンのルールで動かないと気に入らなくて、文句ばかり言ってくるのに、当然すべきことをスルーするので、一緒にいるだけで疲れるのでしょう。ジャイアンはいつも自分と周りを比べて、上にいないと気が済まないから、あんたはこういうところがダメ!ここに気をつけなさい!なんでこうしないの?!などなど、とにかくウルサイ。上から目線で注意するのだけれど、その内容は参考にもならないし、自分には限りなく甘い。人に難癖つける前に、もう少しまともに仕事してよねとみんなが口を揃えてしまいます。でもね、こんな話を聞いたんです。○○さんってこういうところが嫌だよね、という悪口で終わってはダメ。そこで起きている自分の気持ちを見つめましょう、って。----------------------------------私を写す鏡の誰かも私だったんだね〜 堀木綿子さんここに書く話は、全文の要約ではありません。とてもスピリチュアルでいいお話で、全文を書きたい気もしましたが、あまりにスピリチュアルな部分を一般向けに要約するのは私には難しいかな?と思って、内容を限定して要約しました。全文を知りたい方は、ぜひ聞いてみてください!お勧めです。この要約とは、話の広がりが全然違うので、目からうろこが落ちますよ。昨日の日記に書いたようなことも、別の視点で見られるようになったけれど、あまりに怪しいので、日記ではスルーさせていただきます。さて、ここからは堀木綿子さんのお話です。----------------------------------自分が望むのものをはっきり知るためには、私たちはどうしても、嫌なものを見なければならない。この人の中の何がそんなに嫌だと感じるのか。私はこのようでありたくない。だったら、どうありたいのか。私はこうしたい、私はこれが欲しい、私はこれを選んでこうするんだ。その望みをはっきりと、徹底的に知るためには、望むものの逆を見せつけられることが有効だから、だからその人が鏡として、そのイヤな部分の役割を演じてくれている。なんであの人はああなの!と怒るだけで終わるのは、その人が鏡になってくれていて、自分に向き合うことを容易にしてくれているのに、そこから逃げてしまっているということ。見えなかったものを見るために、オイ!見ろよ!と一生懸命鏡になって、嫌な役目をして見せてくれているのに。----------------------------------あの人の言い方は命令口調で気に入らないね!と感じたら、では私は優しく、相手のことを思いながら伝えようと思って、それを実践すればいい。私なんてどうでもいいんです、としつこく言う相手にイラッとしたら、でが私ははっきりと自分の気持ちを大事にして表現しよう。私はこうしたいんです、私はこれが欲しいんです、とはっきり言えばいい。鏡になってくれる人を見て、今、私には何が出来ますか? 私は何をしますか? 私は何を思いますか?私たちが自分の心をどう扱うか、それだけ!----------------------------------今、置かれている人間関係の中に、大事なポイントがある。あまりに親に理解がなく、衝突ばかりして、故郷を出た、という場合、故郷から離れるためには、理解のない親が必要だったとも言える。あなたがあなたらしく輝いて生きるために、私が支えて、陰になるよ。鏡の役割をするよ。あなたが本当に輝きだしたときに、私はその役割を終えられる。そしたら、猛スピードで私も輝きだすよ。そんな筋書きが、協力体制が出来ているってすごいこと。もう誰も馬鹿に出来ないよね。そんな話でした。
June 11, 2014
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残念ですが、子供を虐待する親はなくならないでしょう。自分の問題で手いっぱいすぎて、自分の都合しか考えられず、親として、子どもの健やかな成長を願うことなど望めないそこまで精神的に非常に未熟なのに、親になってしまう人がいます。代わりに、周囲の大人が守ることが出来ていたら。餓死した理玖ちゃんは戻ってこないけれど、第2、第3の理玖ちゃんが、今、未熟な親の育児放棄で、苦しんで死にかけているかもしれないと思うと、何とかできないのか?という思いが湧いてきます。こういうことは子供のプライバシーに深くかかわるので、子どもが死んでしまうというような最悪の事態にならないと明るみに出ないのですよね。あの事件を教訓に、各自治体は、健診に来ていない子供たちの調査を強化してくれていると思いたいです。そういえば、あの人には子供が生まれてたはずだけど・・?と疑問を持った人が動いてくれたかもと思いたいです。---------------------------------暗いニュースですがみんな楽しくHappyがいいにこんな記事が出ていました。高松勇医師「エコー検査の精度が高くなったからだ」と言われますけれども、 そういうものではないという事をこれは示しています。6/6小児甲状腺がん89人は異常多発!(内容書き出し)国立がん研究センターの統計です。どれだけ甲状腺がんの患者さんがどの年齢に出ているのか。1975年から2008年まで15歳から19歳に限りますと、日本の発生率の平均値は10万人に0.5人。これを15歳から24歳まで、年齢幅を10歳にしますと、それでも10万人に対して1.1人だそうです。この数字を頭に置いた上で、福島県の数字と比べていただきたいです。---------------------------------福島県で、2011年~2013年に、それぞれの年で、地区を絞って、18歳以下の子どもに行われた甲状腺の検診・手術の結果です。福島県は「発生する筈がないが不安をなくすために行う」と言っていますが。2011年、これは原発事故があった年です。 原発から近くにあった市町村、浜通りの市町村が対象。 約4万7000人の18歳以下の人口。そこから14人の甲状腺がんの患者さんが出て、13人はすでに手術をされています。2012年度、事故の翌年は主に中通り。 福島県の中通りを中心に16万人の18歳以下の人口を対象に検査がされて54人の甲状腺がん。すでに36人の人が手術をされています。2013年、主に浜通りの南東部。いわき市等の南東部と会津地方中心。 人口16万弱の人達を対象。21人の甲状腺がんの人と手術が2名。合計89名の人が癌だと診断され、51人の人が手術を受けています。第一次検診を受けた人は8割足らずで、2割は未検診。さらに二次検診の対象者に対して二次検診の結果が分かっている人は7割ぐらい。2013年、昨年度64%、3分の2の人しかわかっていない。18歳以下のものしか対象にしていない。たとえば20代の甲状腺がん、それ以外の癌などについては対象にされない。それから、甲状腺がん以外の疾患、例えば白血病、様々な心臓の循環器の病気、子どもたちの先天性障害、そういう事については一切対象にされない。そうした条件下で、これだけの数字が出ています。---------------------------------<51人の甲状腺がん手術>「取らなくてよい癌を取っているのではない。リンパ節転移や肺転移などがほとんど」鈴木眞一氏この51人という手術された人数について、「健診して増えたのなら、過剰診断ではないか。」との声があり、リンパ節転移は何件あるのか」「とらなくても良いものはとっていない。「声がかすれる人、リンパ節転移や肺転移などがほとんど」として、放置できるものではないと説明したそうです。「リンパ節転移は何件あるのか」という問いにその場では回答はなかったようですが、「プライバシーに配慮した上で公表すべき」ということになったので、今後、公表の方向に向かいそうです。---------------------------------2日連続で暗い内容の日記になりました。ごめんなさい。子どもは社会の未来だと思います。
June 11, 2014
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5歳の子が父親に放置されて餓死した事件。真相がわかってくるほどに、餓死した子が痛ましくて、救う機会は何度もあったのに・・・と思えてなりません。母親にも父親にも「なかったことにしたい」と思われた何の罪もない幼い子が、飢えて死んでいったなんて。人里離れた所なんかではなく、神奈川県のアパートで。---------------------------------「亡くなる2カ月くらい前は仕事が非常に忙しくて週1、2日しか帰らず、(理玖ちゃんは)がりがりになってしまった。この状態が続くと死なせてしまうかもと思った」「痩せた経緯が分かってしまうのが怖くて、病院に連れて行くことができなかった」「立ち上がることもできず、か細い声で『パパ、パパ』と呼んでいた。その場にいるのが怖くなり、1時間も一緒にいられずに家を出た」父親の供述から浮かんでくる理玖ちゃんの状況はあまりに壮絶です。こういう自己保身しかない親が起こす育児放棄は、これから先も、なくなることはないのでしょう。---------------------------------DVのひどい夫から逃げる母親が連れて逃げていたら。ひとりの母親としてこれは全く理解できません。妻を殴ることがやめられない男のところに子供を残すなんて。子どもの人生を背負うことが大変だから逃げたのでしょう。連れて逃げられなかったことで、後で子供が心配になって、何らかの行動を起こしていたら。育てられないなら育てられないで、手立てはあったはずなのに。裸足で、Tシャツと紙おむつ姿で外にいるのを保護された記録が、誰かの目に留まり、調査されていたら。妻に逃げられた夫が、誰かにぽろっと子供の話をしていたら。すぐに次の女性と知り合って、育児に関心をなくしたらしいけれど、子供の話をする程度の話相手もいなかったのでしょうか。子どもが生まれたことは知っている知人はたくさんいただろうけれど、誰か一人でもいい、あの子はどこに?と思ってくれていたら。隣の部屋に誰かがいるときに、子供が騒いでいたら。これは子ども自身が、他の人に助けてもらえるという可能性など考えていたかったのでしょうね。でも、夜中に助けて、お腹空いた、って大泣きしていたら。父親がせめて生きるのに必要な食糧だけでも与えていたら。この量では足りないとわかっていて、痩せてガリガリになったのを知っていて、それでも、食糧だけでも十分にとは考えない父親だったのだけれど、せめて、飢えたら可哀想でなくてもいい、飢えて騒いだらばれるでもいい、交際相手に子供がいることを隠す人でなかったら。でも、そもそも、とんでもない人なので期待できないですね。健診に来ない子供について、自治体がもっと調査していたら。これは以前からたくさんの虐待事件があるたびに言われていることですよね。両親に問題があって起きるのが幼児の虐待なのですから、自治体の役割は大きいと思っています。何とかならないのでしょうか。---------------------------------たくさんの「もし」があったけれど、どの「もし」も起きませんでした。何とかできる社会にしたいですよね。斎藤理玖ちゃんのご冥福をお祈りします。
June 10, 2014
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今日はシュウトメちゃんの介護レンタル品をすべて、施設入所の間、引き上げてくださる日でした。11時の約束でしたけど、なかなか来なくて、私の前の仕事が長引いていらっしゃるのかな~と思っていましたら、なんと配送業者の人が間違えて、私の家ではなく、レンタル業者のお店の方へ向ってしまったとか。12時過ぎになってしまうかも・・・と恐縮しておられました。私は今日は仕事は休みだし、その後の用事はあったものの時間の約束があるものではなかったので、問題なし。ミスした人、よかったですねぇ。これに懲りて、次回は気を付けて下さいね電動ベッドが消えたシュウトメちゃんの部屋、広くなりました。毛布を3枚も使っていたのを、全部洗えました。羽毛布団はクリーニングに持っていこうかな?冬物は全部タンスにしまったし、ごみは捨てたし、ベッドがなくなったし、ずいぶん部屋がすっきりしました。せっかく2部屋あるんだから、部屋をつなげて、使っていないものを捨ててしまえば、ベッドが戻ってきても、広くて住み心地がいいはずなんだけどと思っても仕方ないことを考えてしまいました。そういう考えは、すぐにポイした方がいいですね。------------------------------シュウトメちゃんの施設に行くと、部屋が変わっていました。何でもトイレの手すりが、左半身麻痺用ではない部屋だったので、替えてもらったそうです。転倒したら施設側の責任になるので、すぐに替えてくれたそうです。それはそうですよね・・・。最初の部屋の同室の人はちょっと頭がおかしくなっていて夜中に騒いだので、一睡もできなかったとか、新しく同室になった人は、性格が悪いとか(おいおい・・・)いろいろ話し出して止まりません。これって、もしかして、幼稚園くらいの子がお母さん、今日ね、幼稚園でこんなことがあってね、○○ちゃんが意地悪なこと言ってね・・なんておしゃべりしたいようなものなのか?失礼だけど、そう思うと、施設の悪口でも何でも、こちらの気持ちが動揺しないでいいかも?なんて思いました。肉体労働が多かったので、疲れちゃった~。
June 9, 2014
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こんなのを見つけたのでご紹介を。とても素晴らしい訳!と思う個所もあれば、元のお経の訳だけでなく、言いたいことが、たくさん付け加えられすぎでは?という気もします。般若心境の簡潔さを愛する身としては、この長さと追加部分が気に入らなかったりしますが、「訳」でなく「心訳」ですからね、そう気難しいことを言うべきではないかもしれません。「般若心境ってなあに?」なんていう若い人が、これを読んで、ピンときて、仏教の教えに興味を持つようになったら、それはとても素敵なことですね。----------------------------------------宇宙(そら)の約束 (「般若心経」山元加津子心訳) 自分の身体のその奥に 確かに確かに座っている 大きな宇宙の約束が いつもいつもささやいている いつかいい日の明日のために、いつもいつもささやいている 忘れないでね 大切なのは 心の目と心の耳をすますこと、そして自分を信じること むかしむかしのことでした 心の目と心の耳をすましたある人が 宇宙の約束とつながって 本当のことに気がついた すべてのものは どれもみんな その約束からできている 約束は 目にも見えず 重さもなくて あるのかないのかわからないけど でも 宇宙の何もかもが この約束からできている 「いいことに気がついちゃった」と その人は 苦しまなくてもいいんだなあ、悩まなくてもいいんだなあと とても嬉しくなりました 宇宙に散らばっている たくさんのつぶつぶは 約束のもとに集まって 海を作り 山を作り 花を作り 人を作る 約束は目にも見えず重さも持っていないけど 風をそよがせ 雨を降らせ ときには星を輝かせる 誰かと誰かを出会わせて 誰かと何かを出会わせて 涙や笑顔を作り出す 私とあなた あなたとお花 お花と 石ころ みんな同じ 同じものでできている 違うのは だれもが持ってる約束の 私が私である場所(とこ)や花が花である場所(とこ)に 光があたっただけのこと スイッチが入っただけのこと あなたは 私だったかもしれないし 私はもしかしたら 庭に咲くたんぽぽや 降る雪だったかもしれないね 約束は私を作り 私の中に宇宙の約束が座っている すべてのものが 約束の中にあり 約束は すべてのものの中にある でもね 忘れちゃいけないの 約束には無駄がなく 必要なものだけを いつもちゃんと作っている 花がそこに咲くことは それが大切だという証 私がここにあることは それが必要だという証 宇宙の約束とつながって 過去と今 今と未来 すべてのことを 見渡すことができたとき きっときっとわかること すべてのことは いつもいつも いつかいい日のためにある 嬉しいことも 悲しいことも きれいなことも 汚れたことも 増えることも 減ることも その約束の現れだけど 現れているすべてのことがいつかいい日のためにある だから思うの 生きていると いろんなことが あるけれど 楽しいことも苦しいこと 悲しいことも嬉しいこと 雨や 雪や 月の光が 空から降ってくるように 手をひろげて受けとめていけばいいんだね 怖がらなくてもいいんだよ、悲しまなくてもいいんだよ だってすべてが大丈夫 すべてがみんな大丈夫 揺れる、歌う、踊る、祈る…… 跳ねる、描く、回る、思う…… 約束とつながっていく方法はいつも私の中にある 揺れて踊って、飛んで思って心の目と心の耳が開いてく そして本当のことを知る さあ明日へ歩きだそう 大切なのは 心の目と心の耳をすますこと そして自分を信じること 花が咲くように 雪が舞うように 月が照るように あなたといたい 鳥が飛ぶように 風が吹くように 海が歌うように あなたといたい 広い宇宙の中で 長い時間の中で あなたと出会えたこと きっときっと宝物 星があるように 山があるように 空があるように あなたといたい (「約束 般若心経は愛の詩」三五館)
June 8, 2014
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シュウトメちゃんは、無事、一時入所いたしました。朝10時半に行くことになっていました。7時に「おはよう~」と声掛けして、少しずつ介助して仕度しました。遅刻しなかったわ着替えの準備は全部本人にしてもらったのですが、下着が何十枚も入っている割に、ズボンは4本だけとか、かなりアンバランスな揃え方でしたが、私が持ち物リストで書き出したもの全ては入っていました。片道15分だし、明日も行く予定だし、忘れ物があったら持っていけばいいやということで、チェックする仕事をスルーしたけど、忘れ物なしでした。しかし、ケアマネさんの話だと、デイサービスでの知り合いと同室になったということでしたが、実際は違いました。まあ、別にいいんですけどね。同室の方とはお目にかかれなかったのですが、いい人であることを祈ってます。家を出たのは10時で、帰宅は12時半でした。-----------------------------元々は今日は、シュウトメちゃんが入所するからと前から休みを取ってありました。でも、みんななぜかこの日に休みたかったようで、深刻な人手不足の日になってしまいました。14時から17時までなら出ますよと言って出勤に変更し、1時半に家を出て仕事に。近い職場なんですよ~。行ってみたら、想像以上の人手不足。確かに疲れているけれど、もう1時間くらい増やすくらいなら平気。というわけで、いつものように18時まで仕事してきました。帰宅して、夕食を作って、食べ終えて、今はまったりしています。明日も仕事ですが、月曜日は休み。月曜は、シュウトメちゃんの介護用品レンタルの一時回収に業者の方が来てくださいます。その後は、シュウトメちゃんの部屋の大掃除の予定。本人がいると、大掃除させてもらえないんですよ。それが終わったら、すっきりするだろうな
June 7, 2014
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入所の仕度で少し忙しくしていましたが、それももう完了し、ほっと一息ついてます。オットと話していたら、ちょっと呆れました。自分の母親の一時入所が、明日だというのも忘れていました。「いつ施設に入るか知ってる?」と聞いたら、「今月だったよね?」と言うのですよ。「・・・明日だけど。」お世話は私に丸投げだし、シュウトメちゃんは母屋、自分は離れで暮らしていて、食事も離れでとるので、お風呂に行くときくらいしか母屋に行きません。朝、オットが出勤する時間にはシュウトメちゃんは寝ているし、オットの入浴時間にもシュウトメちゃんは寝てるという具合ですが、その気があれば、帰宅したときに「ただいま」くらい言いますよね。オットは離れに帰ってきて、入浴時まで母屋に行かないので、オットの「ただいま」を聞くのは猫の大福とkoalaだけ。用事があって子供たちが離れに来れば、挨拶しますけれど。休みの日にシュウトメちゃんの部屋から呼び出しコールがあるとき、私がオットに「代わりに行ってきて」と頼まなければ、一か月に一度も会わないことになりかねない親子なのですよ。--------------------------------------いろいろ騒動が起きる前は、親孝行息子だったオット。義姉さんたちも同様なのですが。今やシュウトメちゃんの実子3人はみんな、顔も見たくないんだよね。でも、オットは、せっかく一緒に暮らしてるんだからとも思い、週に1度くらいはある多忙なオットの会社休みの日に「忙しいから行ってきて」とオットに声をかけて、親子の対面してもらってます。湿布の貼り替えとか、すぐ終わる用事で呼ばれて、そのまま少しおしゃべりするわけでもないようで、じきに部屋に帰ってきます。それでも、全く顔を合わせないよりいいんじゃない?世の中、いろんな人間がいて、いろんな親子関係がありますね。みんなが微笑ましい親子ではいられないというのは物わかりの悪い私にも、だんだん理解出来てきました。ちょっと前までは、こんなのはよくない、なんて裁くヒトだった私ですが・・・。年を取ったからかな--------------------------------------職場でレジをしていても、いろんな老親との親子関係が垣間見えます。年老いて、のろのろしている親(実親か義親か不明ですが)にひどくつっけんどんな人もいますし、見るからに仲のいい感じのお年寄りと中年の方も。でもまあ、わかりませんけどね。毎日面倒みているからカリカリしちゃう人と、たまにしか会わないので、親切に出来る人だったら、比べるほうが酷というものです。レジ係としては、心の中でお客様の幸せを祈るだけよ~。--------------------------------------私としては、朝、腰がとても痛くなる着替えと湿布貼り替え介助や、お粥と刻みおかず・柔らかおかずの準備からしばらく解放されるのが素直に嬉しいです。昨日まで、入所の荷物をまとめたりするのが忙しかったけれど、それも完了したので、肩の荷が下りました。来週の月曜日には、シュウトメちゃんの介護レンタル品を一時返却出来ることになりました。以前、ケアマネさんに勧められ、そ~っと申し出た際には、それはちょっと・・とやんわり断られたのでしたが、ケアマネさんが「レンタルですから、何か月も使わないのがはっきりしていたら一時返却できるはずでは?」とプッシュしてくださったらしいです。電動ベッド、ベッドの柵、マットレス、車椅子とその付随品、3点杖、部屋の段差解消スロープなど全品なので、けっこうなお値段が浮きますし、介護保険の無駄な使用も防げます。加えてお掃除がすごく楽になります。ケアマネさん、ありがとうございます。さて、今日も私は出勤ですが、その前に歯医者の予約が入ってます。とはいえ、歯石を取るだけなのですぐに済みますけどね。皆様もいい一日をお過ごしください。
June 5, 2014
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私は23歳で結婚しましたが、いきなり4人家族の主婦になりました。シュウトメちゃんと、大姑さんとの同居でした。うちは女手がないからと結婚を急いだのはシュウトメちゃんでした。オットは「(シュウトメちゃんの言うことは)気にしないでいい。自分が家事を早くさぼりたいだけだ」なんて言ってました。うちの両親は、この発言にもっとドン引きでした。「うちの娘は気ままに育っておりますので、本家の嫁など今のままではとても勤まりません。少し家で仕込んでからでないと恥をかきますので・・」などと今思えば、一生懸命引き伸ばし発言をしてくれました。家では「同居の結婚は、お前が考えているより、はるかに大変なんだよ。」と私に言ってきましたが、そういう両親は同居した経験がないので、それも想像の話。あまり説得力はなかったのでした。-------------------------------------気ままに育ったドラ娘?の私の目には、(シュウトメちゃんは突然半身不随になっても女手がなく、家事に苦労している気の毒な女性)でしたので、結局23歳で結婚したのでした。私の頭の中には「家事に困っていたのだから家事はしっかりやろう。本家の親戚付き合いやお仏壇やお墓の世話もしよう。」その覚悟だけがありました。しかし、求められていたのは、もっとすごいものでした。「女、三界に家なし!」「主婦はその家のためにすべてを捧げるのが当然!」などなど、ここは何時代?というほど封建的な感覚の中にどっぷり浸かって当然、それをしないのは我儘。全ての我儘を捨てて「嫁」になるべし!というおそろしい価値観がで~んと鎮座していました。振り返ると、古来、多くの日本女性を縛ってきた価値観を少々、追体験させていただいた感があります。昔、縁切り寺に駆け込んできた女性たちの生活は私の比ではなかったですから、ホンの少々の追体験。それでも充分きつく耐えがたい日々でしたから、現代日本は、かなり生きやすくなって進化してますよね。-------------------------------------とにかく、事あるごとに「我儘」を連発されました。自分の娘たちが、いかに立派に我儘を捨てているかを自慢し、私がいかに最低の嫁であるかをくどくど説教し、反論すれば怒鳴り、あるいは黙り込んで数日口を利かなくなり、あるいは、その頃は元気だったので、仲良しの薬屋さんのところへプチ家出していたシュウトメちゃんでありました。今、日記を書いてて気が付いたのですが、2人の義姉はシュウトメちゃんと大姑ちゃんに、女は好きに生きてはいけない、そういう我儘を捨てていい嫁になりなさいという価値観をあまりに小さいころから押し付けられてきたのかもしれません。何しろ、シュウトメちゃんの意見って、浮世離れしていました。独身の頃の友人とは一切会うこともなく、ミセスらしく見えるように若く見られそうな服も髪型もアウト。友達と喫茶店でおしゃべりなんて、浮ついた馬鹿のすること。などなど、ありえないですよ?というレベルでしたが、2人の義姉は、その通りの結婚生活をしていたのでした。シュウトメちゃんがいくら褒め称えても、そんな人生、私には考えられませんでした。気の強い跳ね返り女と罵られた方がマシでした。どうして、家事も親戚付き合いも引き受けてあげたのに、1円も生活費を出さないで、それを出してあげているのに、普通に生きてるだけで罵られなくちゃいけないの?嫌なら出てくよ、ここにいたい気持ちなんかないんだから。それをオブラートに包んで言うと、ヒステリー起こして死んでやるって言うし、これは橋田寿賀子のドラマ?っていう展開でした。-------------------------------------でも多分、「我儘」って罵られることについて、私の中で傷つく部分があったのは、「我儘はいけない」という価値観がやはり自分の中にもしっかりあったためでしょう。あの当時は、そんな風には思えませんでしたが。「我儘だ、いい嫁ではない」という非難に傷ついたのは、1つには、その逆が本当だという確信が持てないため。「私は全く我儘ではない。完璧にいい嫁である」なんて確信、ないですよ。もう1つには、「我儘は悪いことで、人は我慢強くあるべきだ。いい嫁という評価を受けるのは大事なことだ」この価値観があったと思うんです。責められて、私の中の多勢は大声でNO!と言い張ったけれど、、「もっと我慢強くないといけない。いい嫁と言われるような嫁でないといけない。」私の中の一部にそう言い張る声があったから、あんなに傷ついたのかも。現在なら、自分らしく生きるための必要以上の我慢なんて、百害あって一利なし!いい嫁?鬼嫁と呼んでいただいて結構!心からそう言い切れますけれど、若い日のワタクシにはそれはハードルが高くて、いつも悔し涙にくれていたのでした。-------------------------------------昨日の日記に書いたような時間を嫁が持つなんて、もし昔のシュウトメちゃんが知ったら、(今のシュウトメちゃんも知りませんが)憤怒の炎で燃え上がってしまいそうです。シュウトメちゃん自身が、もう少し自分のいいように生きたいとささやかな願いを何度も持ちつつも否定され続けた癒されない恨みつらみの思いからくる憤怒かもしれません。若いころ、我儘が言えなかった分、取り返したいような思いで、老後になって、我儘が噴出してくるのかもしれません。ある程度、我儘が叶わないと、古傷は癒えないのでしょうか?施設ではゲームや工作など、いろいろ考えてくださっていますが、なにしろ利用者も多人数なので、あつれきゼロは難しいです。明後日からの施設で、楽しい思いが多ことを祈るだけです。
June 5, 2014
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昨日は仕事休みでした。酵素風呂にはまっているアロマオイルマッサージの先生と一緒に酵素風呂に行き、帰りに先生宅でマッサージ。これがなかなかすごい!酵素風呂は、重くない砂風呂みたいな感じです。粉末のおがくずの中に、顔を出して埋まるんですよ。気持ちいいので、好きなんですが、長い時間入っていると、疲れすぎるということで、初心者は10分くらいで出るようにと指導があります。重い冷え性の人は5分ほどで出る人も。スタッフさんがこちらの様子を見て決めてくれます。倒れちゃう人がいるので、無理しないでくださいとのこと。慣れてくると、あっという間に汗だくで熱くて仕方なくなるんだそうです。私は2回目で、気持ちいい熱さと感じるだけです。眠れそうなんですけどね、寝たら確実に倒れちゃうのかな?でも、初回はびっくりしました。右のお尻だけ熱く感じて。血行の特に悪いところはそうなることがあるとのこと。2回目の昨日は、温度差を感じる場所はありませんでした。この後、アロマオイルマッサージをすると、すごいんです。更年期で体が固まってくるらしく、すぐゴリゴリになるんですが、そのゴリゴリの取れ方が違います。オイルのしみこみ方も格段にアップするので、先生がどんどんオイルを足してくれますが、それでも、吸収しちゃって、肌がつるんつるん。オイルはベルギーの、医療用に使われているというもので、それを更年期対応のものを調合していただいているので、いっぱい吸収して~と、つい、自分のカラダにエールを送っちゃいます。帰宅して、お腹ペコペコで、ついたくさんランチを。本当はね、マッサージ後は食べたものの吸収がいいので、ランチはマッサージ前がいいんですけれど、私の次の時間は、先生の別の予約が入っていたのです。前回は、一緒にランチしてからマッサージだったんですけどね。体が心地よいだるさで眠くなったので、お昼寝しました。その後、コインランドリーにて毛布を洗いました。洗っている間、自宅に帰ってもいいけれど、近くの公園を少しだけ散歩しようかなって思い、そうしました。日記の最初の画像は、その時のものです。
June 3, 2014
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昨夜、オットに義姉は来なかったけど、シュウトメちゃんはがっかりはしていなくて、会わないほうがいいって言ってたよ~と一応報告しておきました。なんでだ?と言うので、「いろんなことをねじ曲げて解釈してしまうから、会うと嫌なことを言うし、おばあちゃんの話も聞いてくれないって。」と答えると「おばあさんと一緒じゃないですかって言ってやれば?」ってまあ、冗談ではありますが、苦笑いして言っておりました。似てるなぁとは思いつつ、義姉の方がそのレベルは上かも、なんて感じておりましたが、年齢的なものを考えると、一緒かも。シュウトメちゃんは、若いころほどその傾向がひどかったです。今の義姉くらいの年齢のシュウトメちゃんは、ヒステリーの女王でした。そうか、この2人は、そっくり過ぎるから合わないんだわ。お互い、似てるとは思わず、相手が悪いと確信しています。そして、自分の解釈が正しくて相手が間違ってると確信しています。絶対に認めないだろうけれど、でも、実はそっくり。まあ、余計なことは言わないのがいいでしょうね。---------------------------------昨日、デイサービスに行ったところ、入所先の同室の人が、同じデイサービスから行く人に決まったそうです。その人は、シュウトメちゃんが、羨ましくて仕方ない人なんですよ。同じような生涯レベルなのに、デイサービスで、自分は冷遇され、その人は厚遇を受けていると言うんです。今朝の話題は、その人と自分(シュウトメちゃん)の比較で、あの人はいいけど、わしはこうだ、というような話ばかり。わしだって手が痛いのに、わしは自分で着なさいというかんじで放置、あの人は着替えを手伝ってもらえる、という話の類です。「連絡帳に、手がとても痛いので、お風呂の着換えを手伝ってください」って書いておきましょうか?」と言うと「今日で最後だからいい」「最後に優しくしてもらった方が気持ちいいでしょう?」「もういいんだ」そのデイサービスに次回行くのは、残暑が終わったころですから、その時に書くということにしました。その件はね。そのおばあちゃんは、シュウトメちゃんよりもお世話したくなる正確なのかもしれないなぁと思いました。もちろんそんなことで差別してはいけないんですが、人間ですから、ありえますよねぇ。この種の愚痴を、長年どれほど聞かされてきたことか。---------------------------------シュウトメちゃんによると、あらゆる面で、その人はシュウトメちゃんより恵まれているそうです。これを勝手な思い込み、決めつけと説明しても、そう思わないシュウトメちゃんではありますが、つい言葉が出ましたよ。「その人にはその人の不幸があるんですよ、言わないだけで。おばあちゃんは、自分の不幸と人の幸せをすぐ比べて嘆くけど、不幸の形は人それぞれですよ。いちいち人に言わない不幸だってありますよ。見えないからおばちゃんは知らないだけで、あるかもしれないでしょう?義姉さんのことを嘆くけど、自分の娘に先立たれた人だっていっぱいいますよ。おばあちゃんの娘は、元気に生きてるじゃありませんか。この間、○○(甥)が遊びに来てくれたでしょう?いい孫がいるじゃありませんか。ヘンなことをもやもや考えちゃうなら、お仏壇まで車椅子で行って、『南無阿弥陀仏』を唱えましょうよ。年を取ったら、お釈迦様とお友達になったほうがいいですよ。今からお仏壇の前に行きますか?」「・・・疲れるからいい」---------------------------------聞きたくない愚痴を、半ば封印しちゃった。お年寄りが『南無阿弥陀仏』とお仏壇に唱えれば、多分、少しは心が穏やかになる気がしますけど、どうでしょうね。まあ、シュウトメちゃんはきっと大丈夫ですし、生きたいように生きる権利がありますね。今回は「人を羨んで、自分が可哀想と思う時間を過ごすという経験をしたい」という生き方を選んだのかもしれません。暑くてお仏壇の供花が萎れやすくなってきました。今から供花を替えてきま~す。
June 3, 2014
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紫陽花の季節ですね。koala家では、カシワバアジサイが満開です。 アップにしてみました。 こちらも満開。墨田の花火という紫陽花です。他の紫陽花は、まだ咲き始めたばかり。 シュウトメちゃんは、先週、ミスで行きそびれたのとは別のデイサービスにお待たせすることなく、出かけました。---------------------------------待たせないような時間に仕度を終えて、早く玄関先に出て、炎天下はとんでもないですから、日陰で外を眺めながら、余裕をもって、おしゃべりなどすることは、精神衛生上もとてもいいんじゃないかな?と思いました。お日様と風の力って、案外すごいんだと思います。---------------------------------日曜日には出かけないようにと電話をかけてきたという義姉は、結局、昨日は来ませんでした。なんだかんだ言っても、淋しがってるかなと思っていましたが、「あの子は、いろんなことをねじ曲げて解釈してしまう子だから、会うと嫌なことしか言わん。こっちの話も聞かん。だから会わん方がいいんだよ。来なくてよかった。」とのこと。60代でも娘は「あの子」なんだね、シュウトメちゃん。いろいろ事情はあるのだろけど、出かけないようにと電話して、来ないことにしたなら、行けないからという電話一本かけてこないのは、親子の甘えなんだろうか。それとも、曲解して腹を立てている母親への腹いせなんだろうか。私の考えることではないですね。---------------------------------シュウトメちゃんは、次の土曜日に、秋までの入所をします。月・火と行っていたデイサービスは、今日明日でしばらくお休みです。2日間、そこのデイサービスのお友達と名残を惜しんでくるんじゃないかな。普段でも、ちょっとしたことで体調を崩しやすいシュウトメちゃん。梅雨~真夏~残暑の時期を、なるべく体調を崩さずに過ごすには、セントラルヒーティングでもない古い日本家屋に住んで、働いている嫁の片手間の介護という状態では難しいです。元々は、もしもエアコンのない場所で真夏に倒れたら、命にかかわってしまうのに、転倒が多かったこと、酷暑で、本人も心がけて一生懸命水を飲むのだけれど、同じようなデイのお友達が熱中症になったことなどでシュウトメちゃん自身も不安になって始まった夏の入所ですが、「梅雨前に入りたい」ということで、期間が去年よりも延びました。シュウトメちゃんも、ある意味、自宅からの夏休み。私は介護からの夏休み。それなりにお互い、楽しめるといいね。
June 2, 2014
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入江登美子さんという主婦の方がいました。お父さんが心臓発作で亡くなった時、6歳の登美子さんは隣で寝ていました。眠る前、いつものように遅々と遊ぼうと思った登美子さんにしんどいから・・と隣に横になったお父さん。夜中に救急車の気配で目が覚めると、「あと5分早かったら」とつぶやく救急隊員の言葉が聞こえました。自分が気が付いていたら父親は死ななかった!自分は間違いをした!自分は罪の償いに母や祖母を幸せにしなくてはいけない!登美子さんは、素直な感情を出さずに気を遣う、辛い子供時代を送り、淋しい心を抱えて主婦になっていました。----------------------------------登美子さんは、おばあちゃんに可愛がられた子でしたが、欲しくない上等のコートを買ってあげると言われて、がっかりさせないために、喜ぶふりをするような子でした。そんな祖母の死に際して、登美子さんに湧き上がってきたのは、感謝や悲しみでなく、もっとこうして欲しかったという恨みつらみの言葉ばかりでした。自分の感謝のなさに愕然としました。妹の自分よりも、もっと辛かったはずと思っていた姉に聞くと、子供時代幸せだったと真顔で言いました。自分と姉の違いは?と考えたとき、自分の感謝のなさだと思い至りました。あんなに可愛がってくれた祖母に、私には感謝がないの?でも、心の隅々まで探してみても、感謝は見つかりませんでした。いい人として生きてきたと思っていた自分は、人を恨んで感謝すらできない心の持ち主だった。いいとは思わないけれど、これが私の心なんだ・・・それは自分の心を丸ごと受け入れた瞬間でした。子供時代、ずっと、誰か自分の心がわかってくれる大人が欲しいと願ってきた登美子さんですが、6歳の自分の心にしっかり寄り添えたのは自分自身でした。悲しかったなぁ、辛かったなぁと思いきり泣きながら、長年押さえつけてきた感情を感じるのを自分に許していました。その時、驚くことが起きたそうです。お腹の底から、突然、からだ中に響き渡るように、「ありがとう」という言葉が溢れてきたそうです。そして、まったく感謝のない自分の心に感謝が溢れ出したとき、宇宙の感謝の量が、増えたように感じたそうです。----------------------------------突然「宇宙に感謝の量を増やす映画を作る!」と決めていました。映画など作ったことのない、作り方もわからない主婦の登美子さんが。そして「ありのままの生きることの大切さを伝える」ことがしたい、今の自分にはできないけれど、できる人の手伝いをしようと思ったそうです。それが出来る人、山元加津子さんの映画を作ろう!と決めたそうです。決めたというより、それが「わかった」そうです。親交があったわけでも何でもありません。山元先生は、知り合いを通じて、1度会っただけの相手だったそうです。でも「その映画はすでに未来にある!未来でたくさんの人に感動を与えている」それがありありと感じられたそうです。自主映画製作の市民団体(と言ってもその時は1作作っただけ)のメンバー2人と、入江登美子さんの3人で映画製作会議を行い、ホームビデオで撮影、毎月1人1万円積み立てて予算に、という具合でした。音楽は自分で作っちゃおう!と作詞作曲したり、偶然出会ったギタリストに、ギターが弾けるんですか?この映画の演奏、お願いできますか?と頼んじゃったり、ボーカルは、歌手に頼もうと思っていたけれど、自分たちで歌っちゃおうか?と決めたり、「1/4の奇跡」という映画作りがスタートしたそうです。----------------------------------完成し、試写会という運びになった時、大手新聞社の取材の方が「1/4の話は、養護教諭の先生が話しているだけで、お医者様や科学者が語っているわけではないので信憑性に欠ける」とダメ出しを出されました。科学的に証明されていることを調べましたと言ってもダメでした。「世界に伝えるのにちっちゃくまとまってたらあかん!何の制限もなかったら、誰がいい?」自問して出た答えは産婦人科の昇幹夫先生と筑波大学名誉教授の村上和雄先生だ!と2人が浮かびました。普通に考えたら、無理だよ~というレベルの方たちですが、お二人とも、映画の中に出て、お話し下さいました。2007年制作以降、海外でも(自主)上映され、5年で12万人を突破したということで、その後も、「宇宙に感謝の量を増やす映画を作る!」チャレンジを続けています。主婦だった入江登美子さんの肩書は、「映画監督」になっています。肩書などはどうでもいいのですが、この映画作りに関わった一人一人にストーリーがあり、ストーリーがどこかで繫がって、また新しいストーリーが始まります。映画作成中のいろんなエピソードを読んで、人は人に影響を与え合って生きていくのだなと人生のからくりの不思議を痛感したのがとても新鮮でした。
June 1, 2014
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