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1999年、アンゴルモアの大王が降りて来る。世紀末は不安になるものです。又、2000年問題がありました。コンピューターで成り立っている社会ですので、どういう問題が出るか、恐怖の思いで迎えましたが、ほとんど問題が出ませんでした。よかったです。でも、私には、毎月、月末は、恐怖の大王が降りてきます。月刊誌の締め切りです。だいたい、一杯一杯の生活をしていますので、月刊誌の原稿を書く時間がありません。どうしても、ギリギリになってしまいます。昨日(今日になっていますが)も、書き上げたのが午前2時半でした。これでは、3時50分に起きるためには、1時間20分ほどしか寝られません。お風呂に入るのもあきらめ、パジャマに着替えるのもあきらめ、服のままで、布団に入りました。おかげで、3時50分に起きることができ、金光様のお迎えをさせていただけました。ここしばらくは遅刻することが多かったのですが、今朝は、遅れませんでした。昨日は、少しのどが痛く、風邪菌が入ってきているように感じましたが、今朝ほどは、それも良くなっていました。神様が、ご修行として受けてくださったのでしょう。おかげをくださいました。ですから、恐怖の月末などと言ってはいけませんね。おかげを頂く月末です。楽しい月末です。嬉し涙を流す月末です。こうして、今月も、無事過ごすことができました。
2007.02.28
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以前、教務総長が、「ご霊地から信心の風を全国に送りたい」と話されていました。それぐらいの意気込みで取り組んでくださることは、ありがたいと思っていました。今、当局の先生方は、金光様のお出ましを頂かれています。そうされることで、お広前の様子が変わってきたそうです。朝6時からのご祈念や、晩8時からのご祈念に参拝する人数が増えているようです。ご霊地の信心が、徐々に燃えてきていることを感じます。ありがたいことだと思います。この前の方のお葬儀のとき、近くの教会の若先生が、私のこのブログを読んでくださり、同じように朝4時の金光様のお出ましをご夫婦でお迎えし、一日お結界に座ることに心がけていることを話されたということです。ありがたいことだと思います。私は少しゆるんでいたので、気持ちを引き締められました。こうして、全国で、信心の火が燃え盛ってくると、ありがたいことになると思います。
2007.02.27
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先日亡くなられた方のことを、今回も書きます。24日に告別式がありましたが、中学3年生の長男は、ニコニコして涙を見せなかったそうです。お母さんが、「自分が亡くなっても、悲しまんでな。悔やまれたら、死にきれんわあ。涙は流さないで。よかったねえ、よかったねえと笑って送ってね」と言われていたから、泣かないんだ、ということだったそうです。又、「私は死んでから、ものすごい力で、みんなを助けるけんな」とも言われたようです。死んでから、働ける御霊になる修行を、病気を通してされたのでしょう。お孫さんか誰かに出てこられて、「私は一足先に岡山に行って、お母さんの介護をしているよ」と言われたそうです。信心を強くしていけば、働ける御霊となって、残った人たちの上にも働きをすることが出来るのでしょう。
2007.02.26
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亡くなられた方のご主人から、お電話を頂きました。普通、奥さんが亡くなられたら、落ち込むものです。でも、その方は、落ち込みがないのが、ありがたい、と言われました。その方は、数年前、「ありがとうございます」を何度も言うことに取り組まれました。100万回ぐらい言われたのではないかと思います。その時に、玉水教会、銀座教会のお広前が浮かんできて、ありがたいと言われていました。その稽古で、ありがたい心を生み出すことが出来ていると思う、と言われました。ありがたい、と思おうとしても、稽古をしなければ、思えないものです。その方は、その稽古により、奥様が亡くなるという、とてつもない悲しみの中に、ありがたい、というお礼の心が出てくる、と言われるのです。御霊様の働きも、すでに感じる、と言われていました。その方は、霊感の強い方で、御霊のことも分かられるところがあります。これから、奥様の御霊様とも交流していかれるのではないか、と思われます。生きても死にても天地の間に生かされている私たちです。神様、御霊様と共に、信心生活をさせていただきたいものです。
2007.02.25
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教会へ嫁がれた信者さんが、亡くなられました。この方の娘さんの仲人もさせていただきました。仲人で行かせて頂いたとき、その教会に泊めていただいたこともあります。その時、そのご主人の先生は、一日のうち多くの時間をご祈念しておられました。その姿勢に刺激を受けて、私ももう少しご祈念をさせていただかなければいけない、と思わされたことです。そのように、その先生ご夫妻とは、親しくさせていただいていましたので、その方の告別式には、お参りしたかったです。しかし、教務センターの御用、教会の御用などで、お参りできませんでした。今日の午後1時から告別式です。今日は、ご神前で、お別れをしたいと思います。神様にもお礼申したいと思います。2年前、その方は危篤状態になられました。血液がつくれなくなり、いくら輸血しても、血液の数値がよくならず、お医者さんももうダメです、と言われました。そこをお取次をいただき、多くの人が祈ってくださり、おかげで、また血液がつくられだしました。そして、退院して、教会御用ができるようになられました。ですから、2年の命の接ぎ穂を頂いたのです。もう少し、という思いもありますが、神様がぎりぎり一杯のおかげを下されたことをお礼申したいと思います。ありがとうございました。
2007.02.24
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信者さんの娘さんで、金光教の教会に嫁いでいる方がいます。その方は、長いこと癌と向き合ってこられました。2年前、危篤状態でしたが、おかげで、奇跡的に回復されました。その後、教会で御用をしながらも、癌の数値は上がり続けておりました。しかし、その中に信心がありましたので、前向きに取り組まれました。私も、ずっと祈ってきました。信心させていただいているものは、この祈るということが出来ますので、本当に助かります。祈りをせず、ただ、心配だけするあり方は、本当に悲惨なものです。祈りに祈って、それでも十分な祈りは出来ませんでしたが、祈らせていただけたことがありがたかったです。しかし、ついに、今朝亡くなられました。よく頑張られたと思います。そのことを思うと、涙が出ます。でも、神様が、あの世で可愛がってくださいますから、ありがたい気もします。私も祈らせていただき、ありがとうございました、とお礼申し上げています。
2007.02.23
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いま、金光教の後継者が少なくなっています。教会での生活は、なかなか厳しいところがあります。しかし、信心に打ち込むなら、これほど面白いところはありません。そこに気づけば、後継者が不足することはないのですが・・・。教会に生まれ育った15歳の少年に、越智常太郎先生は、語りかけました。「嫌なのだろう?だがな、教会で生まれ、神様から生かしてもらっている者は、はじめは教会を継ぐのが嫌で、他所へ行っても、結局は教会に帰ってくるようになるのだぞ。お前も今は嫌でも、いつかは修徳殿に入所して、教会を継ぐようになるのだ。神様がそうされるのだ」。教会の後を継ぐ継がないは、嫌かどうかで決められるものではありません。神様の深い思し召しがあるのです。私も、教会の後継については、迷いがありました。でも、神様とかかわった世界のほうが魅力的に思えて、そちらに進みました。しかし、それとても、神様のお計らいが働いてのことです。今は、このお道に引き入れてくださった神様に感謝しています。そして、その後、出会えた人たちのご縁に感謝しています。面白い世界に住まわせていただいて、ありがたいです。
2007.02.22
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神様をお祭りしている前のことをお広前といいます。神様がおられませんと、ただのお広間です。教会は、お広前であるべきなのですが、そうした雰囲気が出ているところと、そうでない所があります。越智常太郎先生が、次のように述べておられます。信者が広前で、世間話をして、軽く見るは、教会長の信念の姿の現れである。各教会においても、種々違った現象がある。一定していない。厳粛な広前もあり、烏合の衆のごとき感のするところもある。神々しきもあり、神いまさぬという感じのする所もある。「守り守り」の力によって、神の現れ方が違うのである。「守り」が神を軽く見ておれば、その広前は、神いまさぬ感がする。「守り」つまり、取次者が、神様に常にまみえている自覚が必要なのです。私も、慣れて、神様をそれほど意識していないことがあります。よくよく注意したいと思います。
2007.02.21
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越智常太郎先生は、多くの弟子を育て上げて、出社を多く出しておられます。ですから、教師向けのみ教えが多くあり、襟を正される気がします。自戒のためにも、掲げさせていただきます。教会の立つ立たぬは、神様の御領分にある。神様の御領分にまで立ち入って心配する必要なし。己が、その身から打ち込んで寝食を忘れて、神務が出来ているか否かを、反省して心配すべし。番頭は勤めを果たさず、給金を請求すれば解雇となる。その家のために性根を打ち込んで精勤する番頭には、給金の請求をしなくとも、給金の上に、賞与まで添えてくださる。以上ですが、自分がすべきことと、そうでない所を見極めることがいるのでしょう。この考えを、一般の人にまで広げることも出来ます。自分がすべき仕事の内容を見極めて、そのことに全力を尽くすことで、給金のほうは、おのずとついてくるのです。自分が何をなすべきか、が大切なのです。
2007.02.20
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昨日、クリエイト21の研修会がありました。大阪の河内松原教会の前田信忠先生に、講師に来ていただきました。前田先生は、朝4時から晩10時までお結界を勤め、3年間帯紐解かず、つまり、横になって寝ない修行をされた先生です。今も、それに近い生活をしておられます。神様のことを優先することで、おかげを頂かれたお話をされました。親教会の御大祭の祭主を、難波親教会から来ていただくのに、信者さんが運転して、前田先生は補助席に乗って行かれました。その時、前の車が急ブレーキをかけて、止まったので、前田先生の乗っている車も、何とか止まったのですが、後ろの車が止まりきれずにぶつかってきました。前田先生は、前にぶつかり、足を骨折してしまいました。その時、自分が最優先しないといけないことは、難波教会の先生を親教会までお連れして、親教会のご大祭を定時に始めさせていただくことである、と考えました。そこで、ぶつかった運転手には、車はなおしていただかないといけないですが、体は神様に治していただきますから、人身事故にしませんので、後はよろしく、ということで、難波教会に、前後がへしゃげた車で祭主の先生をお迎えに行き、親教会までお連れすることができました。前田先生は、足が痛くてひたすら耐えていましたが、親教会で、お母さんがそれを見られ、「御用でおかげを頂き」という優しい言葉で、賛者の御用につかれました。それで、骨折のおかげを頂かれ、痛みが止まったそうです。氏子が神様のことをさせていただけば、神様も氏子のために最大限に働いてくださるのです。その一例を話してくださいました。ここまでのことは、なかなか出来ませんが、もっと小さなことでも、神様のためにと思ってさせていただくと、神様が私たちのためにしてくださる働きが大きくなってくることに間違いはない、と思わせていただきました。
2007.02.19
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越智常太郎先生の弟子の粟津教会の伊藤代一先生が、師匠の思い出を以下のように書いておられます。私が師事した時は、師も34歳の血気旺盛、天を衝く気概あり、猛虎一声百獣すくむ、の勢いであった。信心ご修行も、実に猛烈を極めた。夜のご祈念を終えて、直ちにお結界を立ち、袴を取り、羽織を脱ぎ、何をなさるのかと思うておると、「さあ来い、伊藤。これから横河原まで行軍するのぞ」(教会から横河原まで約4キロ)と真っ先に立って走り、横河原へ到着すると、「さあ、石を担げ」の号令に小さき石を拾うて担ぐと、「そんな小さき石ではいけぬ。もっと大きなのを担げ」と怒鳴り、「さあ、帰るのだ」とトットと走る。4キロの道を走ってきたのであるから、相当疲れている。私も30歳の元気盛りであったが、師の精力には敵わなかった。疲れている上に、帰りは重い石を担いで走るのであるから、たまらない。師は、それが有り難く面白くてたまらんのでやっているのだけど、こちらは耐えられぬ。時々後ろを振り向いて、「オイ、有り難かろうが。面白かろうが」と言われる。私は、「へえ」とは答えたが、内心、有り難くなかった。面白くもなかった。この気違いじみたことをと、腹が立ってたまらぬ。「こんな馬鹿げた修行があるものか。この石放ってやろうか」と幾度も思うた。師は、「若い時には、それ位のことは面白くてたまらんようになくては修行ができぬぞ」と言われる。・・・以上ですが、こんな先生がおられるから、金光教は面白いのです。でも、最近はいないなあ・・・。私も重い石を担いで意味なく走るのは嫌だなあ。
2007.02.18
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私は、金光教の魅力はお結界にある。つまり、取次者にあると思います。越智常太郎先生(私の母の父・川上教会初代)が、次のような教えをしておられます。神様からのお知らせかもしれません。〇取次の命は一応、神が取り上げてある。〇神は取次を自由にし、取次は神を自由にする。神と取次とは、あいよかけよで楽しいもの。ここに、神様に向かう取次者の姿勢が述べられており、また、神様が取次者にかけた思いが表れています。このように、命をかけ合った関係の中に、神様の働きが現れるのです。そこに参ってくる氏子が加わり、神様の働きに触れ、おかげを受け、また、神様の思いに感涙するのです。それが、金光教の魅力でもあると思います。
2007.02.17
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また、四代金光様のおことばを載せます。常に、自分の心を、より清浄に、より素直に、わだかまりのないようにさせていただかねばならぬと思います。心から喜んでいる時には、見るもの聞くものが、みな喜ばしく思われます。うれしくない気持ちでいる時には、言うことも自然ひねくれてきます。そして、そのひねくれていることに気づかない場合が多いのです。うれしくない気持ちで聞いていると、相手の言うことでも、分かり難いことが多く、その分かり難いことでも、自分のせいではなく、相手の話し方が悪いのだ、というふうに、相手のせいにしやすいものです。よく気をつけねばならぬことだと思います。常に自分を省みて、より素直な心で信心を進ませていただかねばならぬと思います。 (昭和六年一月二十七日)気分は、いろいろな条件で、落ち込むことがあります。心がうれしくないとき、どうしたらいいのでしょうか。そうした時は、心が元気になるよう、神様にお願いするしかありません。また、それが最高のやり方ですね。
2007.02.16
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「とかく信心は、地を肥やせ」と言われます。地が肥えれば、おのずと物がよく出来る道理です。そのことを、四代金光様は、信心が太る、と表現しておられます。以下も、四代金光様の21歳のときのおことばです。おかげを受けておると自負しても、腹を立てたり、人の悪口を言ったりしていては、信心は太るものではあるまい。腹を立てたり、人の悪口を言ったりなどするときは、心が神に向かってはいない。教祖様は、信心とはわが心が神に向かうのを信心というのじゃ、とみ教え下されてあります。人を憎んだり、腹を立てたり、人の悪口を言うたりなどする時間の方が、自分の心を神に向ける時間より多い人がある。そんな人は、いくら心を神に向けているとき、大きなお陰がこうむれると言っても、また、人が助かると言っても、信心は太るものではあるまい。本当に救われているとは言えないと思う。 (昭和六年三月二十日)教祖様が、「この方の道は、祈念祈祷で助かるのではない。話を聞いて助かるのである」と言われた意味は、祈念をしていない時間に、腹を立てたり、人の悪口を言ったり、心配したり、愚痴不足を言っていたのでは、助からないぞ、という意味なのでしょう。決して、祈念が意味がない、ということではありません。祈りは大切なものです。一心に願え、と教えられています。ただ、そのほかの時間の心の持ち方が、また、とても大切だということなのです。その心の持ち方によって、地を肥やすこと、信心を太らすことが出来るのです。
2007.02.15
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今日はバレンタインデーですが、あえてそのことには触れないでおきます。今日は、教区委員会で、ちょっと早めに出かけなければいけません。そして、一日会議です。バレンタインデーとは、別世界です。まあ、それもいいです。そういう年齢ですし。また、四代金光様が21歳のときのおことばを載せます。雨降りや曇天がいく日もつづくと、太陽はどうしたのかと思う人もあろう。人の目には直接、太陽の光は見えなくとも、太陽がないわけではない。雲の上に太陽の恵みの光はいつも輝いている。いくら黒雲が出ても、雨が降っても、太陽の光をさえぎり通すことは出来ない。正しき道を踏み、徳を積ませていただけば、大丈夫である。人があれこれと、黒雲のような悪評を立てて、その人を傷つけようとしてもダメである。正しい者は強い。教祖様のお徳を落とそうとかかった山伏も、結局はだめであった。もっともっと徳を積ませていただき、正しく強く生きさせていただきたいと祈っている。 (昭和五年四月二十四日)どんな苦難の中にあっても、隠されているが、厳然とある神様の恵みを感じる、ということでしょう。人がどのように生きるかは、その人がどのように生きたいと、強く願うかによります。その強い思いは、誰もさえぎることは出来ないのです。
2007.02.14
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この前の青年セミナーで、四代金光様を勉強させていただきました。その準備勉強の中で、四代金光様が21歳のときに、「金光教徒」(今の「金光新聞」)に「断想録」として掲載された文章が発掘されました。珍しいものであり、かつ若い金光様の気迫のようなものがこもっているものですので、その中の一つを掲載させていただきます。わが教祖は、「日に日に生きるが信心なり」とみ教え下されてあります。常にわが心を洗醒させたいものと思います。それは徳の光を増すひとつの方法でもあるわけです。われわれの信心は、生神にまで到達する間、停止することは出来ません。怠ることのない日々の信心のはげみ、努力を忘れてはなりません。信心に悪い垢がついたり、錆が出たりすると、信心は死ぬかもしれません。 (昭和五年九月十二日)われわれの信心は、生神にまで到達する間、停止することは出来ません。とは、さすがに高い志を持っておられたことが窺われます。そして、私たちも同じ志をもちたいと思います。さまざまな問題は、私たちを生神にまで高めてくれる、砥石の役割を果たしてくれます。艱難汝を玉にする、です。
2007.02.13
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今日は、朝から信者さんの納骨のため、大阪まで行ってきました。スムーズに行け、車で2時間半ぐらいで霊園に着きました。今日は、穏やかなお天気で、気持ちよく納骨をさせていただきました。御霊様も喜ばれていると思います。帰りは、車の中で、よく寝させていただきました。ここしばらくは4時間睡眠が続いているので、よく昼間、居眠りをしています。睡眠不足を、車の中で補わせていただきました。岡山に近くなって、ガソリンが少なくなってきて、ガソリン切れのランプが点滅したと、運転手の人が言われました。高速のガソリンスタンドがあるサービスエリアが、なかなかありません。高速でガス欠になると大変なことになります。特にトンネルの中でガス欠になると、後続車が気づくのが遅れ、事故になりやすいです。岡山県に入ってからは、トンネルも多くあります。どうぞ、ガソリンが持ちますように、と祈らせていただきました。眠気も吹き飛びました。実は、一度高速でガス欠になったことがあります。もう、10年以上前になりますが、広島に行ったときで、高速にのる時、ガソリンが少ないと思ったのですが、高速の中で、サービスエリアのガソリンスタンドで入れようと思って、高速に入ってしまいました。こうした時には、ガソリンスタンドがないものです。もう10キロでガソリンスタンドがある、というところで、ガス欠で、車が静かに止まりました。あの時の車に力がなくなるのは、何ともいえない感覚です。本当に、スーと動かなくなります。ちょうど緩やかな下り坂で、路側帯も広いスペースがありましたので、そこに駐車できました。そこの前後も、トンネルが多く、もし、トンネルの中で止まったら、と思ったら、ぞっとしました。その時は、近くのガソリンスタンドまで歩いて、ガソリンを買ってきて、また動くようになりました。高速から下りて、一般道のガソリンスタンドが見えたので、そこまで買いに行ったのです。本当に無茶なことをしたなあ、と思います。今回も、そのようなことを思い出しながら、何とかガソリンが持ちますように祈らせていただきました。おかげで、高速を下りて、すぐのガソリンスタンドまで行くことができました。ありがたかったです。前にガス欠になったときも、緩やかな下り坂で、しかも近くにガソリンスタンドがあるところで止まる、というおかげを頂きました。こういうのは、自分の不注意で、神様に心配おかけすることは、非常に申し訳ないことなのですが、しかし、神様は、それでもおかげをくださいます。本当にありがたいです。
2007.02.12
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今日は、東中国教区の青年セミナーがあります。教祖新発見ツアー、歴代金光様シリーズで、四代金光様のことを勉強させていただきます。「お礼を土台に」「御礼をしてから、お願いするように、順序を間違えないように」「実意を込めて、すべてを大切に」といったことを教えてくださいました。そうした信心の基本のところを、もう一度押さえなおさせていただきたいと思います。
2007.02.11
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昨日は、金光教五軒家教会の中桐愛子先生の告別式がセレマ水島シティホールでありました。私は、教務センター所長のお役として、教主弔辞を代読させていただくことになっていました。ですので、時間的に余裕を見て、11時からの告別式でしたが、9時半に出発しました。40分もあれば着くと思いましたので、ちょっと早すぎるかとも思いましたが、そうしました。そして、国道2号線を走っていると、急に全面通行止めになっていました。仕方ありませんので、旧2号線に回りました。そちらも渋滞していました。しかし、仕方ありません。のろのろと流れのままに行くしかありません。時間は、刻々と過ぎていきます。ちょっと厳しいな、と思いました。心の中では、「金光様、金光様、・・・」と唱えさせていただきました。必ず間に合わせてくださる、と信じさせていただきました。こういうときに、信心していてよかったな、と思いました。信心していなければ、心配するだけで、余計に悪い事態に突入していきます。おかげいただける、と信じることで、よりよい方へ事態を持っていくことが出来るのです。旧国道をこのまま走っていくと、完全に遅刻すると思い、もう事故現場を過ぎたであろうと思われるところから、国道2号線に戻りました。おかげで、そこは車が流れていました。ここまで来れば、先が読めます。しかし、時間的には、ぎりぎりでした。そして会場の駐車場に着いたときが、11時2分ぐらいでした。ちょっと遅刻です。そこから、駆け足で式場に向かわせていただきました。玄関のところで、迎えていただき、最前列に案内していただきました。席に着いたのが、11時5分でした。祭主の祭詞奏上の途中でした。教主弔辞は11時20分ぐらいでした。間に合ってよかったです。神様が間に合わせてくださいました。また、比較的穏やかな心のおかげがいただけたことがありがたかったです。夕方、テレビで、国道2号線で、トラックが横転して、毒物が流れ出たことがニュースで出ていました。そうしたアクシデントの中でも、最高のお繰り合わせをくださいました。
2007.02.10
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昨日、岡山地区婦人部の新春講演会がありました。講師は、山口県の小月教会の大久保隆道先生でした。先生は、50歳前後のとき、奥さんを亡くされました。私と同じぐらいの年齢のときです。これはたまりません。奥さんの葬儀を終えて、御本部にお参りしたとき、長男が、四代金光様に、「母が死んで、みんなが泣いております」とお届けしました。金光様は、「死んだ者を思うて、いつまでも悲しんでいては、御霊が浮かばれん。おかげを頂けぬ。残されたものがおかげを頂いてこそ、御霊も助かる。・・・・・子が助からんと親も助からぬ。子が助かれば親も助かる。御霊も共に助かる信心をさせていただきましょう」というお言葉を頂き、みんなが立ち直るおかげを頂くことができたそうです。でも、辛いですね。私だったら、立ち直ることが出来るだろうか、身につまされたことでした。
2007.02.09
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今日は、岡山地区婦人部の新春講演会が、国際交流センターであります。今年で28回目を迎えます。28年間続けられていることは、たいしたことです。参加者も160人ぐらいあります。私も、都合がつく限り参加させていただいています。今年も都合がつきましたので、参加させていただく予定にしています。私の御用は、お結界奉仕が主ですので、本当はお結界におらなければいけないのかもしれません。お結界が常に気になります。何か問題を持って参られないだろうか、新しい人や、久しぶりにお参りの人がないだろうか、などと考えます。教務センターの御用のときもそうです。お結界が気になります。教務センターの御用も、大切な御用ですので、優先してさせていただいていますが、出来るだけお結界御用の時間も多く取れるように願っています。そういう気持ちですので、外出がしにくいのです。教会は、家族旅行などはあまり出来ません。私が子どものときは、ほとんど家族旅行の記憶がありません。そして、そういうものだと思っていました。それほどに、お結界奉仕を重要視しているのです。でも、今日のような講演会には、行かせて頂きます。おかげで、母が御用をしてくださいますので、行くことができます。代わりをしてくれる人がいる、というのは、ありがたいことです。代わりがなければ、外出できません。教祖様は、ほとんど門外不出でした。それだけの思いで、人助けをされました。そういう思いがお結界には込められているので、相当な理由がなければ、お結界をあける気にならないのだと思います。
2007.02.08
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昨日、金光教五軒家教会の中桐愛子先生が亡くなられました。私の祖父の妹になります。102歳と5ヵ月でした。長寿のおかげを頂かれました。その妹になる笠岡教会の斉藤信子先生は、97歳でお元気です。高橋家の女性たちはお元気です。信心のお徳をいただいておられるのでしょう。愛子先生の父親は、私の曽祖父になりますが、「佐藤先生ご夫妻がおらず、金光教がなかったなら、高橋の家はどうなっていたか分からん」と言いました。高橋家は、茂久平が信心してくれたおかげで、子孫がおかげを受けておるのです。長寿の秘訣は、感謝だと思います。毎日、神様に感謝することです。神様に1日何度も「ありがとうございます」と言わせていただきたいです。とてもとてもお世話になっているのですから。
2007.02.07
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先月、御本部に教務センターの御用で行ったとき、全国各地から、偉い先生方が沢山お参りされていました。ちょうど、大阪センター所長とお会いしたので、「今日は何かあるのですか」とお聞きしたら、「近藤藤守先生の90年祭の墓前祭です」ということでした。藤守先生は、亡くなられてからは教祖様のお膝元におりたい、ということで、御霊地に奥城(お墓)があります。90年経って、これだけの人が全国から御霊地の墓前にお参りになる。改めて、藤守先生のお徳のすごさを見せられたように感じました。お徳というものは、亡くなった後に表れるもののような気がします。普通死んだら、1年祭、3年祭、5年祭と式年祭のたびに、お参りが少なくなり、50年が最後で、後はお祭りをされないことが多いのですが、藤守先生は、90年祭でも、これだけの人が参られる。湯川安太郎先生も、毎年2月1日に、式年祭が仕えられるということですが、このお祭りにも、多くの人が参られる。それは、それだけ多くの人を助けられた、ということなのです。「人を助けて己が助かるのお道」と白神新一郎先生が言われましたが、人助けに邁進された先生方の姿勢には、心打たれるものがあります。お徳は目に見えないものだと思っていましたが、後から多くの人に拝まれる、という形で見せていただけるものだと気づかせていただきました。
2007.02.06
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昨日は、娘とのデートも兼ねて、教区の青年フォーラム会議に出席しました。今度2月11日に、青年セミナーで四代金光様を取り上げさせていただく、その内容作りの会議でした。その中で、ある方が、四代金光様のおかげのお話をされました。その方が小学校3年のとき、学校に行かなくなったそうです。お母さんが心配して、四代金光様にお届けをしました。その時、金光様は、「その子が初めてハイハイしだした時、うれしかったじゃろう。その子が、初めて立ったとき、ありがたかったじゃろう。その時のことを思い出して、お礼を申そう」と言われました。お母さんは、心がすっきりして帰られました。その翌日、その子は、自分から学校に行ったそうです。その時のことを、その方も覚えており、なぜか、その日から学校に行くことを、心の中で決めていたそうです。学校に行かないことを苦にするのでなく、今まで大きくなったことを喜び、御礼を申し、ありがたい気持ちになることが、おかげを頂く上には大切なのです。愚痴不足にはおかげがない。和賀心におかげがあるのです。
2007.02.05
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今日は、青年フォーラムという青年の集まりが、教務センターであります。それに娘も参加します。私も、センター所長として参加します。今日は、月例祭もあるので、月例祭がすんだら、一緒に車で行きます。久々の娘とのデートです。娘が高校3年生のとき、夜、塾に行くのに、車で送っていました。道中、話をするので、それがあって、娘と話が出来るようになりました。話をすると、少し近づける感じがします。今日は、行く途中で、昼食もとりたいと思います。こうして、親子で、共有する時間が持てることは、ありがたいことです。これで、また少し、親しくなれたらいいな、と思います。そして、一緒に金光様のお取次をいただきたいと思います。今日は、いろいろと楽しみです。
2007.02.04
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今は、1月4日から1月末日まで、信行期間としていますが、前には、1月4日から2月3日まで、寒修行と言っていました。以前は、寒修行の間だけでも、朝参りをしようという人がいたり、それなりの変化が見られましたが、今は、あまりいつもと変わりません。寒修行も、終わりに近づいて、寒くなってまいりました。今までが暖かかったので、余計にそう感じます。これからが寒修行のような感じです。芸備教会の佐藤照先生は、75歳まで、朝水をかぶっておられました。それも、前の日からたらいに汲んでおき、寒い日には氷がはっているのを割って、その水を、ちょろちょろとかけておられたそうです。バサッとかけるよりも、この方がきついのです。そして、このように勇んで修行が出来ると、元気が出るでしょう、と話しておられます。私は、朝顔を洗うとき、数日お湯を使うようにしていましたら、照先生のその文章を読ませていただき、水で洗うぐらいの元気をださないといけない、と思い、また、水で洗い出しました。水をかぶることはようしませんが、せめて顔を水で洗って、元気を出そうと思います。気力は、エイヤッという気持ちから起こってくるのでしょう。私のせめてもの寒修行です。
2007.02.03
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1月31日に、世界連邦宗教者会議に出席しました。その時、世界連邦の必要性についての話で、サーズや鳥インフルエンザなどのウイルスに対抗する上でも、必要である、という話が出ました。鳥インフルエンザは、たとえば、鳥から豚へ、そして、豚から人へと感染するたびに、毒性を増し、変化していくそうです。ですから、国家でも、タミフルという特効薬を増産して、流行に備えていますが、いざその時に、効くかどうかも分からないそうです。もし、効かない場合には、大変なことになる、といったお話もしておられました。教祖様の時代は、医学が発達していなかったので、神様にお願いして治していただく、ということがあったが、現代は医学が発達したので、その必要はない、という考えの人もいます。しかし、基本的には、神様にお願いして、治していただく。治していただく上に、医学のお世話にもなる、というのがいいと思っています。「祈れ薬れにすればおかげになるが、薬れ祈れになるからおかげにならぬ」と言われますが、これからは、ますます、祈れ薬れにしないといけない時代になるような気がします。
2007.02.02
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今日はお一日ですから、いつもよりお参りが多かったです。そうは言ってもそうは多くありません。ぽつりぽつりとお参りがありました。それでも一人のお取次の時間が長いので、午後3時くらいまでお取次をさせていただきました。ですのでお昼は3時過ぎに食べました。そしてまた、ぽつりぽつりとお参りがあって、7時のご祈念まで、人がおられたような感じでした。それがとてもありがたかったです。ある人は久しぶりにお参りされましたが、ご祈念を一緒にさせていただいて、とてもありがたかったと言われました。お取次をさせていただいて、楽しかったと言って帰られました。楽しいという表現は、少しおかしい感じもしますが、信心のお話はおもしろいのです。楽しい気持ちになって、帰っていただけて、よかったなと思いました。明日も一日、教会にいます。一日お取次をさせていただけることが、ありがたいです。そう思える自分がまた、ありがたいです。
2007.02.01
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