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全国に、1600ほどの金光教のお広前があります。海外にもあります。四代金光様が、「ここ(本部広前)が、行っとんでしょうが」と言われたそうですが、本部広前の延長のお広前であっても、いろいろなお広前があります。教祖広前は、森厳なお広前であったということです。佐藤範雄先生が、そう感じられた、と言っておられます。私のお広前は、どんな感じでしょうか?前に、ようこさんが、居心地のいいお広前、と言ってくださいました。はじめて参られる人は、先入観なしで、感じてくださいます。今日、大塚様が、お参りしてくださいました。どんな感じを持っていただいたか、また、コメントしていただけたら、と思います。私は、参ってこられた人が、助けてくださる、と感じていただけるような広前にさせていただきたいです。それには、命を広前に注ぎ込むことがいります。門外不出、結界恪勤とは、命を広前に注ぎ込むことでもあるのです。そういうことに挑戦できる環境を整えることがいります。そして、だんだん整いつつあります。それは、限界への挑戦でもあります。また、新能力の開発でもあります。そういう意味で、ワクワクします。
2007.09.30
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1年ぐらい音沙汰がなかった人から、電話がありました。月刊誌『洗心』などを、その方に送っていましたが、押し付けになってもいけないと思い、もう送るのをやめようと思っていた矢先でした。神様から、その方を助けようとする働きを、やめてはいけない、と言われたように感じました。10年ぐらい熱心に信心が続いていたのに、急に信心をやめられた方もいます。私の不徳のいたすところですが、神様は、まだその方を助けるのを諦めておられないと思います。神様が諦めておられない限り、私も諦めてはいけません。また、信心をされますよう、願わせていただきます。10年でも20年でも。「神は綱を切らぬ。氏子から切るな」というみ教えがあります。神様は、その人を助けるのを諦められはしない。取次者が諦めてはいけない。という意味にとらせていただきました。そういう思し召しだと思わせていただきました。
2007.09.29
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月末は、月刊誌「洗心」の作成で、時間がないのが常ですが、それに加えて来月のご大祭のときに出す教会誌「これから」(月刊誌「洗心」とは別に出す)の作成をしなければいけません。それに加えて、昨日、立教150年のときに出す、結界取次の参考になる冊子の資料が届きました。それは、メンバーが資料集めをしたものをまとめたものでしたので、厚さ1センチ以上の分厚い資料でした。その前にも、資料を頂いています。そんなに膨大な資料を読む時間が、どこにあるのでしょうか?メンバーの先生方も、御忙しい先生ばかりなので、どうされるのだろう・・・?と思います。今度の会議が10月17日、18日なので、それまでに読まなければなりません。しかも、その前日の16日には政治社会問題協議会という会議の出席をOKしてしまいました。そして、10月21日のご大祭には、私が話をさせていただくつもりでいますので、そのお話も考えないといけません。祭詞も書かなければいけない・・・、ちょっと無謀だったか・・・・。ここに至って、時間が足りないことを、突きつけられた感じです。本当は、こんな悠長に、ブログを書いている暇もないのですが・・・。でも、書いています。そのうち、書かなくなったら、忙しいんだろうな~、と思ってください。
2007.09.26
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息子(高3)が、坊主にすることになるかもしれない、と言っていたのですが、昨日、坊主にしてもらいました。信者さんで美容師になっている女性に、そのことをメールで伝えましたら、「おしゃれ坊主にしましょう」と返信がありました。おしゃれ坊主???面白い表現です。バリカンで刈ると、頭の形がそのまま出る坊主になります。頭の形に添わすのではなく、しかも、上のほうは少し長めに残すと、ベッカムのようなおしゃれ坊主になります。その女性は、わざわざ家に来てくれて、息子の髪を切ってくれました。周りから切っていき、最後に上をどのくらい残すかが、美容師の腕の見せ所です。ちょっと長めのおしゃれ坊主になりました。なかなかかっこいいです。私もしてもらおうかと思いましたが、上の髪があまりないので、やめておきました。これで、父と息子が、坊主になりました。金光教の教会が、だんだんお寺化してきました。まあ、それもよしとしておきましょう。
2007.09.25
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今日は、霊祭を仕えさせていただきました。お話の中で、聞きかじりのホメオパシーを取り上げて、病気の原因の半分以上、正確には7,8割が御霊が助かっていないために起こる病気である、と言われている。といったお話から、御霊の助かりを神様に願うことで、おかげがいただける。といったお話をしました。後から、医者である弟から、ホメオパシーが漢方を超える代替医療とされている、ということは聞いたことがない。どこからのデータか?と聞かれましたが、聞きかじりなので、ホメオパシーの協会のようなところでのデータではないか?よく分からない、と答えました。弟によれば、身内のデータは信用に値するものではない、ということです。確かにその通り。それから、先祖の御霊、もしくは本線の御霊が助かっていないための病気、ということは、これも少し問題のある発言であったか、と思いました。教祖様は、先祖の御霊が助かっていないから、病気になる、ということは言われていないように思いますから。これも、十津川教会の先生のお話から、影響を受けたものでした。もう少し、自分の中で消化されたお話をしなければいけない、と感じました。
2007.09.23
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三代金光様は、13歳4ヵ月の時から、本部広前のお結界にお座りになられ、84歳まで生きられた方です。なんと70年間も、お結界に座り続けられたのです。金光教の歴史の半分を担われました。朝3時50分から、終日お結界に座りとおされました。休みの日もありません。現在であれば、就業規則に触れてしまうでしょう。長時間労働ということで、規則に違反することになります。学校もやめて、お結界に座られた。今であれば、問題にされるかもしれません。あの時代であるからできられたのかもしれません。その三代金光様は、私の目標でもありました。私が学院を卒業して、心の支えにしたのが、三代金光様でした。三代金光様に、父親の四神様は、「座っておりさえすれば、楽じゃ(それでいい、大丈夫)」と言われました。私も、大学を卒業しただけで、学院に1年行っただけですから、お結界に座るのは、不安がありました。でも、三代金光様のことを思えば、自分は、まだいいほうだ、と思えたのです。あのような、過酷な中を通られた三代金光様に、私は、あこがれ続けています。少しでも近づかせていただきたい、と思い続けてきました。その三代金光様の向こう側に教祖様がおられるのです。今朝、お参りされた方が、私がご神前でご祈念しているときに、お結界に三代金光様が座っておられた、と感じられたそうです。私が、心の支えにしていますから、座ってくださっているかもしれない、と思いました。そして、とてもありがたかったです。三代金光様と一緒に御用させていただける。お結界とは、ありがたいところです。皆さんも、金光教の教師になって、お結界に座ってみませんか?ありがたくて、ありがたくて、お礼の足りないお詫びばかりしております(三代金光様のお言葉)というようになりますよ。
2007.09.22
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教会では、秋季霊祭を23日に仕えさせていただきます。霊祭では、先祖の御霊様にお礼を申し上げるのが、主目的ですが、先日、気になる御霊様の助かりをお願いしてほしいという要望がありました。改めて、霊祭の趣旨を、神様から教えられた感じがしました。それは、助かっていない御霊様を、神様に助けていただくよう、お願いするのです。助かっていない御霊様は、御霊様をいくら拝んでもいけません。神様に助けてもらわなければいけないのです。御霊様を助けることができられるのは、神様だけです。その神様に、御霊様方の助かりをお願いしていくのです。それから、私たちには、肉体の先祖とともに、魂の先祖、本線の御霊様があります。その本線の御霊様の助かりもお願いさせていただく必要があると思うのです。そのように考えていくと、霊祭とは、肉体の先祖、魂の先祖の助かりをお願いする、大祈願祭のような気がしてきます。霊祭も、神様の御働きを最もいただかなければいけないように思えるのです。
2007.09.21
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前に、クリエイトの研修会で、宮本先生がテキストによるお話を、お結界でされるお話をお聞きして、早速実践させていただいています。私は、安部利見先生の本を使わせていただいています。この本は、信心が分かりやすく説かれています。信心の情熱もあり、奮起させられます。奇跡的なおかげも現れ、読んでいて楽しいです。一応の御取次が終わった後、こんなことを始めたので、ちょっと聞いてください、と言って、話し始めます。読んだ後、私の思うことも加えてお話します。ちょっと新鮮な感じで、いい感じです。宮本先生は、いい事を教えてくださったなあ、と思います。今日は、4人の方に、テキストを元に話させていただきました。そのうち、それが初めての方は2人でした。定時のご祈念に参られた人には、これをしません。すでにお話を聞いてもらっていますから。それに、人数も多いですから、一人ひとりに話す時間が限られますから。今日は、久しぶりに参られた20代の女性にもお話させていただきました。こういうことを始めたので、神様がお引き寄せくださったようにも思いました。神様も、少しでも信心のお話を聞いて、信心を進めてほしいと願われているでしょうから。そのような場には、神様が引き寄せられるのでしょう。
2007.09.19
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金光教の学生会で知り合った二人の結婚披露宴が岡山であり、昨日の夜、19人が教会に泊まりました。その中の一人の女性が、私のこのブログを読んでくれていました。お結界で、そのことを言われました。改めて、このブログは、誰が読んでいるか分からない、と思わされました。その女性は、お結界でキョロキョロ周りを見ながら、「ここで、あの物語が展開しているのですね」と言われました。神様の働きが生き生きと現れているように受けていただけないのではないか、と感じましたので、「ちょっと大げさに書いてますからね」と言いました。大塚様も、あまり期待して参られないようにお願いします。でも、ご神前でしばらくご祈念されていましたので、何か感じられたかも分かりません。そういった感性はお持ちのようです。コメントしてくだされば、と思います。そして、今日は、敬老会がありました。家内は、泊まった人たちの朝食をつくったりして、忙しくしていました。敬老会は、11時半からありましたが、その前に、泊まった人のうち数名のお取次をさせていただき、又、敬老会に参加された方々のお取次や、御宮参りの方のお取次などで、結構忙しかったです。そして、敬老会が終わってから、初参拝の2人の方のお取次と、続けて、ガンが奇跡的によくなっていっている方のお取次をさせていただき、ありがたかったです。ガンの数値が2カ月前には、5000あったのが、先月には、300に下がり、今月は90に下がりました。お医者さんも不思議がっているそうです。神様と御霊様のおかげですから、お礼を忘れないように、と言わせていただきました。こんなことを書くから、どんな広前か、と思われるのですが、普通の広前です。そして、私も普通の人です。しかし、教祖様をいただいていくと、平人なりとも比礼、となるのです。
2007.09.17
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今日は、24回目の結婚記念日でした。とてもありがたいことは、2人とも健康で御用をさせていただいていることです。健康のおかげをいただけていることが、とてもありがたいです。そして、子ども3人とも健康に大きくならせていただいています。このことも、とてもありがたいです。祖父母は、長男を亡くしました。とても優秀な人でした。頭がとてもよく、気持ちも優しく、信心もできた人でした。祖父母も、期待していたことと思います。その子を亡くした悲しみは、とてつもなく大きなものでしたでしょう。祖父は、晩年まで、あの子のことは言うてくれるな、と言っていました。思い出すだけで、たまらなくなったのでしょう。亡くなった時、祖父は、「神様も若い人がいられたのだろう」と言ったといいます。神様が必要であられた、そう思うことで諦める努力をしたのでしょう。人は、深い悲しみを持つことがあります。私は、そういう悲しみを持たずにこられていることが、とてもありがたいです。連れ合いを亡くすこともなく、自分が亡くなることもなく、子どもを亡くすこともなく、生かされている。それだけで、十分ありがたい。それ以上、何を望むことがあるでしょうか。ただただ、神様の前にひれ伏して、24年間のお守りにお礼を言わせていただきたいです。
2007.09.15
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ちょっとロマンチックなタイトルでしょう。このタイトルだけで、もったいぶって、書かないことにしようか、とも思いましたが、やはり書きます。ある先生が、信心上のスランプに陥り、神様がありがたくなく、どうしようもありませんでした。3日ほど徹夜をして、悩み苦しみました。そして、高橋正雄先生の本を読んで、その中の言葉に救われたのです。そうしましたら、苦しみが長かっただけに、とてもありがたくなって、周りの景色が、とても美しく見えたそうです。木の葉一枚が、とてもきらめいて、美しかったそうです。そのことを親先生に言ったら、「そのように美しく見えるときは、何を願っても、すべて願いがかなうよ」と言われました。実際、その先生も、それ以後、そのような状態で願ったことは、すべて成就したそうです。いかに、願うときの心の状態が大切か分かります。私も、ご神前が神々しく見える時があります。そういうときに、難しいお願いでもすればいいのですね。願いがかなうでしょう。教祖様は、そのように美しく見える時間が長かったのでしょうね。
2007.09.13
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教務センター所長会議の2日目が終わりました。新しい当局になって、1年がたとうとしています。教務総長が、全力疾走をして、もう汗も出ない、と今までを表現されましたが、大変だったと思います。教務センター所長も大変ですが、当局は、もっと大変です。本当に頭が下がります。この度の所長会議も、4時半に終り、金光様のおひけを拝ませていただいています。当局の先生方は、朝3時50分の金光様のお出ましも拝んでおられます。昨日の会食のとき、その話をある部長としたのですが、部長の先生方、みんなお出ましを頂かれる理由が違うのだそうです。私は、教務総長の願いに、部長の先生方があわせておられるのかと思っていましたが、そうではないようです。ある部長は、信者さんと本部に出るとき、ちゃんと祈っておるからと約束をしたので、お出ましを頂き、その後の金光様の祈りにあわせて、お祈りをされているそうです。また、ある部長は、奥さんから、本部に出るなら、お出ましぐらいいただきなさいよ、と言われたそうです。それで、お出ましを頂いている。奥様の力は偉大です。また、ある部長は、お出ましクラブという有志の動きがあり、それを中心的にやっておられた延長線で、お出ましを頂かれているようです。やはり、それぞれが、お出ましをいただこうという動機付けがなければ、続きませんよね。私も、昨年の3月28日(29日?)から、教会から、お出ましを頂こうとしておりますが、ついつい遅れがちです。常に15分ぐらい遅れています。何とか、おかげいただきたいと思っています。
2007.09.12
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今日から3日間、教務センター所長会議があります。第1日目が終わったところです。今日は会食がありましたので、遅くなりました。明日も、朝から会議です。あさっても、・・・・。その次の日は、教団施設審議会という会議です。これも朝からです。その次には、教区の輔教集会です。そして、その次の日は、近隣の教会のご大祭です。ちょっと早いご大祭です。そういうことで、ず~~~~と出ずっぱりです。もう、こうなると、されるがまま、といった感じです。もう、どうにでもしてくれ、といった感じです。いやいや、神様どうぞ御使いください、とお願いさせていただきます。信者さんのことも、教会の広前で、御本部広前で、しっかりお願いさせていただきます。精神力が続きますように。集中力が続きますように。
2007.09.11
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芸備教会は、私の曽祖父が御神縁をいただき、祖父が命を助けていただいた教会です。毎月、お礼参拝をさせていただいています。今月は、今日参らせていただきました。帰りに、御本部にもお参りさせていただきました。そうしましたら、御本部広前でクリエイトのメンバーの方にお会いできました。そこで、少しお話が出来ました。神様が引き合わせてくださったのだと思います。人と会うのも、必要必然です。神様の間違いない御働きを感じました。その意味でも、ありがたい芸備教会参拝でした。
2007.09.10
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小野田市教会でご大祭の講師に、木山教会の矢野先生に来ていただいたとき、夜もお話しましょうか、と言われました。そう言われるので、お願いしたのはいいのですが、お参りは1人でした。その1人に対して、矢野先生は2時間以上も話されました。そして、又、別の大祭のとき、呼子の先生に講師に来ていただきました。そうしましたら、呼子の先生も同じように、夜もお話をしましょうか、と言われました。お願いしましたら、又1人の参拝です。前、参られた方とは違いますが、1人です。その1人に対して、又2時間ほどお話をされたのです。この御二人の先生のあられようから、たとえ1人でも、信心を伝えよう、分かってもらおうという姿勢を学ばれたのです。そして、昭和48年に、初めて青年が参りだしました。それまで、御年寄りの信者さんばかりでした。その青年が参ってきて、神様を拝んで、「有難うございました」と言って帰って行きました。その時、呼子の母が来ていて、自分には言いにくかったのでしょう、家内に、「すぐ帰していいのか?何か持たせて帰さないといけないのじゃないか」と言ったということを、後から聞きました。そうしたことから、やはりお結界でお話をしなければいけない、と努力するようになりました。それから、参ってこられて、すぐ帰ろうとされる信者さんをつかまえて、「あの~、ちょっとここへ来られませんか~。お話がしたいのですけど~」といった調子で、信者さんをお結界に呼んで、お話をするようになりました。そして、「安武松太郎教語」という本をテキストにして、少し読んでは、解説をする。ということを繰り返されたそうです。そうすると、お話を聞いた人も喜びますし、まだお話を聞いていない人も、自分も聞きたい、と思われるようです。その本には、誰それはここまでいった、というしるしを人数分つけているそうです。この本を一通り読めば、大体信心の全体像がつかめるようになっているのだそうです。このようにして、お話をすることに力を入れていくに従い、お取次を頂かれる方が、少しずつ増えていったそうです。それが、今では、日に50人から70人お取次を頂かれるということです。平凡なことを続けると、非凡になると言われましたが、本当に非凡なことだと思いました。
2007.09.08
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宮本先生は、甘木教会で修行されたあと、小野田市教会に帰られました。その時は、朝1,2人お参りがあった後は、後1,2人お参りがあるかないかで、これと言ってする御用がありません。そこで、お父さんである教会長に、「何をさせてもらったらいいでしょうか?」と尋ねました。その時は、何も言われなかったのですが、後から、「外で草を取るか、体操をしておけ」と言われたそうです。しかし、そのようなことばかりするわけにいかず、悶々と暮らしていました。そのような中で、夢に安武松太郎先生が出てきてくださいました。そして、筆で木の根っ子を描いてくださり、「根をはれ、根をはれ」と言われました。今は、お参りもなく、苦しい状況であるが、根をはっている時なんだ、と言うことです。そうか、と思い、少し元気が出たそうです。そして、呼子の父(奥さんの父親)と食事をしているとき、「1人でも信心が育ち、1人でも助かれば、それが生きた教会じゃ。いくら信者が多くいても、信心が育たなく、助からなかったら死んだ教会だ」と言われたのです。その言葉で、大きい教会と、小さい教会の距離が、ぐんと近づきました。極端に言えば、一緒になったのです。1人の信者が育ち、助かれば、それでいい、と言うことであれば、自分でも出来るように感じました。
2007.09.07
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宮本先生は、お母さんが亡くなられ、学院に行く直前に結婚されました。ですから、学院に行っている間、奥様は、宮本先生の妹さんと、お父様の御世話をされながら、宮本先生を待たれたそうです。奥様は、呼子教会から来られました。出来た奥様です。そして、1年間の学院修行を終えられて、帰って来られてから、今度は、甘木教会での修行に入られました。117日間の修行でありました。この間に、多くのことを学ばれたようです。甘木教会では、毎朝、カチの音で目覚めます。カチというのは、樫か何かの硬い木でできた20センチほどの角柱2本で、それを打ち合わせて音を出します。カチ、カチと音がするので、カチというのかどうかは知りませんが、カチの音が、広い境内に鳴り響きます。そうすると、多くの修行生が、むくむくと体を起こし、布団の中で、拍手を打ちます。今日も、命を頂いたことを、神様に感謝するのです。それを見られ、宮本先生は、驚かれたそうです。自分は、起きるとき、眠いなあ、とか、今日もしんどいなあ、と思って起きるのが常であるのに、ここの修行生の先生方は、まず、神様にお礼される。まず、命のお礼をされている、すごいなあ、と思われ、自分もまねをするようになられたそうです。このように、形から、入っていかれました。そして、顔を洗ったりするのですが、その時、他の修行生の方に「おはようございます」と声をかけても、返事が返ってこなかったそうです。なぜだろう、と思われたそうですが、しばらくして分かりました。修行生の先生方は、お広前に出られて、お結界で、親先生に「おはようございます」と挨拶されてから、周りの人にも、挨拶されるのです。つまり、お届けの挨拶まで、言葉を慎んでおられたのです。最初の言葉を、お結界で出させていただき、それから、他の人へ言葉をかけるようにしておられたのです。甘木教会は、お広前の周りに、大きな廊下があります。その廊下から、反対側の廊下に行くのに、お広前を通って行けば近いのです。そこで、宮本先生は、雑巾を持って、お広前を横切りました。そうしましたら、親先生が、その時は言われず、後で、修行生を集めてお話をされるとき、「廊下から廊下へ行くのに、雑巾を持ってお広前を横切ったものがおる」宮本先生のことですが、名前は言われません。「これをみんなどう思うか・・・。廊下があるのだから、ずっと回ればいいのに、近道をする。神様の前を雑巾を持って横切るというようではだめである。神様に向かう姿勢がよくない」と注意をされたそうです。ご神前に神様がおられる。それを踏まえた立ち居振る舞いをするように、と厳しく教えられたそうです。又、御神米調整も、何人もの方がされているのですが、皆、黙って、もくもくとされているそうです。しゃべったりする人はいません。御神米調整については、「助かれ・助かれ・助かれ・・・・・・」とご祈念させてもろうて、調整するように教えられたそうです。そのように、細かいところまで、神様を意識しての生活を教えられました。そして、いよいよ、教会に帰るときに、「信者の願いが、何処から出てるか、よう見てな」「帰るんじゃない。ここから布教に出させてもらうんぞ」と教えられました。
2007.09.06
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クリエイトの研修会のお話は、山口県小野田市教会長・宮本和昌先生のお話でした。まず、お祖父さんとお父さんのことを話されました。金光教では、昭和9年10年に「9年10年事件」という、大きな問題が起こりました。「お家騒動」とも、「教団自覚運動」とも言われる、奥の深い問題でした。ここでは、詳しくは述べません。ただ、金光教の教会で、管長派と三代金光様派に、分かれました。そして、お祖父さんは、管長派で、お父さんは、三代金光様派でした。それで、お父さんは、お祖父さんの教会におられなくなり、小野田市の方に出て行かれたのです。そして、小野田市の方には、管長派が多くあり、お父さんのことを、「あいつは、親不孝者だから、参ってもおかげはない」というように、布教の妨害が多くあったようです。そういうこともあり、お父さんの布教は、厳しい状況であったようです。宮本先生は、中学校の教師になり、バスケットも教えておられたそうです。そのバスケットが面白くて、生き生きと教員生活を送っていたのですが、お父さんも病弱であり、歳をとってきたので、自分も学校の先生を辞めようかと思ってきたのですが、やはり生活できるかどうか気にかかります。そして、お下がりのことを聞くこと自体、不謹慎なこと、ご無礼なことと思っていたのですが、自分の生活のこともあるので、思い切って、お母さんに聞きました。「神様は、いくらくださるのですか?」と。そうしたら、お母さんの目が厳しくなって、「神様は、殺さっしゃらん!」と言われました。「殺しはなさらん」「飢え死にはさせない」ということです。このとき、お母さんに、生きた神様を見せていただいた、と言われました。そして、翌年、金光教の教師養成機関の金光教学院に入学されようとしている、直前に、お母さんが亡くなられたそうです。急なことです。ほんとうに悲しかったそうです。でも、亡くなられる直前に、生きた神様を渡された。宮本先生も、聞いてよかった、と言っておられましたが、お母さんの神様への信念を見せていただくことができ、それが、今も生き生きと宮本先生の中で生きているのです。
2007.09.03
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