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犬の話などをして、少しリラックスして、再びKJ法について、質問したいと思います。小星さんのホームページに、ミニラボの建て直しを命じられて、見事ヒット商品をつくられたことを書かれていましたが、その方法は、市場の声をカードにできるだけ拾い上げ、それを分析(と言っても、そのカードの語っている真実を読み取ることですが)することで生まれたものであると思います。ですから、私が金光教の各種活動について、学院生が考えられるものを、できるだけ書き出してもらい、それらから、どのような各種活動が考えられるかを導き出す方法はどうか、と考えているのですが、いかがなものでしょうか。もっと絞らなくてはいけないでしょうか。
2009.06.30
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昨日は、雨も降っていたせいか、ピースはおとなしくしていてくれました。夜中になかずにいてくれました。11時半に寝て、3時半までぐっすり寝られました。眠れない人も多くいます。眠れることは、有り難いことです。その有り難さを教えてくれたのでしょう。眠れたことをお礼をいい、お布団にもお礼をいい、今日も神様、お使いください、とお願いして、一日をスタートさせましょう。今日も、いいことがあります、とウキウキした気分で過ごさせていただきましょう。今日は、一日、教会におれます。しっかり、神様に向き合っていたいです。神徳につつまれて、安心して、皆さんもおかげを頂いてくださり、幸せになってくださる。今日も、ブログ広前にお参りしてくださり、ありがとうございました。
2009.06.30
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我が家の犬(ピース)は、昨日も午前2時半ごろ吠えました。昨日は、12時40分ごろ寝床についたので、ちょっときつかったです。そこから、もう一度寝たので、起きたのが4時半になってしまいました。それから飛び起きて、遅ればせながら、4時40分ごろ金光様をお迎えしました。月末は、月刊誌「洗心」作成で忙しく、昨日は、環境ニュースを新聞から探すだけで、遅くなってしまいました。一応、一つニュースを取り上げたので(あまり満足していないのですが)、今日、それについて書いていきます。ピースの夜の激励を受けながら、頑張って取り組んでいます。ピースは、夜の激励の御用を終えて、今、安らかに眠っています。
2009.06.29
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ここ2日ほど、12時を過ぎて寝るのですが、午前3時ごろ、昨日などは午前2時半ぐらいに、我が家の飼い犬が、吠えるのです。しかも、「ワン」と言って、しばらくして又、「ワン」と言うのを、繰り返すのです。「ワン・・・・ワン・・・・ワン・・・・ワン・・・・」これはたまりません。近所にもご迷惑です。私は、眠たさの中を起き上がり、犬のところまで行き、「コラ」としかって、又、ベッドに戻ります。そのうち3時45分になりますので、金光様のお出ましをお迎えに行かなくてはなりません。そうでなくても、睡眠不足なのに、こういうことが重なれば、相当きついです。しかし、これも、何か意味のあることなのでしょう。こうして、修行をさせてくださる、と喜んで受けようと・・・・そんなこと思えない・・・ワン。今日は、「ワン」はどうなるでしょうか。
2009.06.28
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今、KJ法について、色々考えて、小星さんのコメントに応えていますが、慣れないことで、右脳がうまく働きません。日頃は、右脳ばかりを使っているように思っているのですが、そこから生まれるものは、うまく言葉になりにくかったりして、言葉に置き換える左脳の作業が大変なのかもしれません。そう言っていることも、右脳で考えていることで、理論的ではないのですが・・・。KJ法とは、右脳の訓練かもしれないと思います。それを左脳の作業だと勘違いしていました。成り行きを重んじる考えがありますが、それは、神様が事柄を通して語られる意味を読み取ろうとすることです。それは、右脳を使ってしかできません。信心は、右脳の体操でもあるなあ、と思っています。
2009.06.27
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川喜田二郎博士は、ある使命感を天からの声と感じてKJ法の発明にいたったそうです。ですから、KJ法には、カード分類以上の力があるようなのです。ただ、使い方が、いまひとつ分かりません。例えば、ご神願にかなう各種活動を導き出そうとします。「信心が伝わる」「仲良くなれる」「楽しい」「若い人が集まる」「お役に立てる」「自然に触れる」「楽の練習」「バンド演奏」「ハイキング」・・・などとあげていくとします。こうしたカードを眺めていますと、「リーダーがいる」「信心自体が楽しいもの」といった言葉が浮かんできます。そして、ご神願である「あいよかけよで立ち行く」「人が助かる」「信心が成長する」などを加えて思いつくままにカードを作ります。そうしたカードを分類しながら、どのような活動がご神願に叶うのかを導き出すことができるのでしょうか。これが、KJ法を使っているのかどうかも分からないのですが、何かアドバイスがあれば、よろしくお願いします。
2009.06.26
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小星さんが、ご自分のブログの中で、KJ法について書いて下さいました。非常にためになる内容です。皆さんにも読んでいただきたいです。私のブログのホームの左下の方にBookmarksというのがあり、その中に、ホットアルバムがあります。それをクリックしていただけば、小星さんのホームページに行きます。その中の「社長のブログ」を見ていただくと、KJ法について書かれています。これについては、また改めて書きたいと思います。
2009.06.25
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冗談で、「陽気暮らしの天理教」「その日暮らしの金光教」と言ってみたりしますが、金光教は、「日が暮れたら大晦日と思い、夜が明けたら元日と思って、日々嬉しく暮らせば、家内に不和はない」と言われますように、今日一日を、有り難く過ごそうと心に決めて、一日をスタートさせます。どうぞ、今日一日を、いい一日にさせていただきますように、と祈っています。今日一日は、二度と戻ってきません。その日を大切に、目の前にいる人を大切に、今すべきことを淡々とさせて頂きたいと思います。金光教は、日の良し悪しは言いません。一日一日が神様の恵みのいい日なのです。かけがいのない日なのです。我が身は神徳の中に生かされてあるのです。皆さんの一日がいい日でありますよう、お祈りさせていただきます。
2009.06.25
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学院の講義では、おかげを頂きました。それは、50分の授業を2回したのですが、2回目に、予定したところまでいって、後、話すことがないのに、時間が10分ほどあまったのです。困ったなあ、と思いましたが、その時、南八幡教会でのお話をメモしたものも持っていっていたので、その中の「信心ですべき4つのもの」と「教会に大切な3要素」を話して、ちょうど時間となりました。なんか成り行き任せのお話しで、申し訳ないようなのですが、神様とあいよかけよのお話でもあるので、お許しいただきたいと思います。お話のできは、あまりいいとも思えませんが、終わってスッキリしているので、いいのでしょう。肩の荷を降ろした開放感、何ともいえません。この快感を感じるために、また、重荷を背負うのでしょうか。
2009.06.24
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無事、学院の授業を終えました。理論的な話のところでしたから、ちょっと眠い話だったかもしれません。その中で、小星さんのお話は、具体的でしたので、よかったと思いました。後で、KJ法について質問がありました。教祖様の教えをランダムに選んでも、いいのでしょうか?という質問でした。統計と同じだから、事例が多いほうが正しいものがでてくると思う、と答えました。小星さんは、すべての教えを書き出されたのですが、と言ったのですが、教典のみ教えは膨大ですから、あれをすべてカードに書くことは難しいと思いました。小星さんは、旧教典の教えをカードに書いたのだろうか、と思いました。小星さんが読まれたら、教えていただけたらと思います。よろしくお願いいたします。
2009.06.24
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準備万端とは行きませんが、何とか授業に言いたい事を書き連ねてみました。ただ、時間配分が、さっぱり分かりません。50分授業を2回します。何か途中で時間が来そうです。テレビドラマでも、いいところで終わりますから、それもいいかもしれません。しかし、いいところなしで終わるかもしれません。いやいや、悪い事を言うて待ってはいけませんね。とにかく、学院の授業を済ませたら、「洗心」の原稿作りと、上半期感謝祭の祭詞作りと、信者さんの3年祭の祭詞作りに、即効でかからなければいけません。きついですな~~。これも修行です。これぐらいの修行は楽なものです。もっと厳しい修行をされている方は多いのですから。
2009.06.23
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暑くなってきましたね。修行させていただける季節がやってきました。あ~、いや、水行ではありませんよ。水行は、修行らしくなくなってきて、水浴びとなってきますが、暑さに耐える修行は、修行らしくなってきます。暑くなるに従い、体もしんどくなります。ついつい横になりたくなります。横にならないまでも、お広前の後ろにあるソファに身を沈めて、のびーとしたくなります。これは、快感ですよ。しかし、それをしない修行を・・・・、と書きながら、嫌がっている自分がいる。まあ、そう心がける修行をして行きたいと思います。何事も決め付けてはいけませんからね。そして、暑さに不足をいわない修行。これは大切です。天地の神様のご威光を嫌わないことですからね。
2009.06.23
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私たちは神様に守られています。ですから、怖がる必要はありません。神様のお守りは完璧です。安心してお任せしておけばいいです。悪い事が起きているように思ってはいけません。いいことが起きる前兆だと思えばいいのです。必ずいいようになっていく。神様を全面的に信頼すること。そこから安心が生まれてきます。「本当の神徳を受けようと思えば、死んでもままよ(いい)の心になれ」と教えられています。死んでも死にはしないのですから。ただ、本当の神徳をいただけるだけですから。
2009.06.23
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明後日、学院で各種活動の授業を2時間させていただくべく授業内容を作っていっています。青本と呼ばれている「これからの教会」という本を基礎テキストとして進めていくのです。この本を作るときに、私もメンバーで加わっていました。今は教会であまり活用されていないようですが、その内容(特に天地金乃神の御神願と生神金光大神取次について)は、素晴らしいものがあると思います。そして、少し前の小星さんのお話と、南八幡教会でのお話では、各種活動の理念にかかわる大切なところを教えていただいた気がしました。これも、神様が聞かせてくださったものと思います。神様は、必ずこちらに必要な情報を知らせて下さいます。まさに、生きた神様を信心せよ、です。後、それをうまく料理できるかどうかは、こちら次第ですが・・・。それとても、神様にさせていただくのですから、神様の責任です。私には、全く責任はございません。私の責任は、神様に、よろしくお願いします、とお願いするだけです。平に平にお願いしています。
2009.06.22
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南八幡教会へ研修に行かせて頂き、青少年の育成において、大切なことは、諦めない、やめないことだ、と教えていただきました。最近は、少年少女会へ参加してくれる子供が少なくなって、元気が出ないのですが、信心を伝える、という原点に返って、最初に教祖様のお話をさせて頂きました。それから、バンド練習をしたのですが、太鼓をしている子供たちが勢いづいて、いったん終わってから、自主的に練習をしていました。やはり、こちらの心が変われば、すぐに反応が起こるのですね。神様は、すぐおかげを見せて下さいます。
2009.06.21
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今日の月例祭では、小星さんのお話の、「人を助ける」働きをすれば、自分のことは、神様がいいようにしてくださる、というお話と、南八幡教会での信心継承をしていくことが、人を助け、神様のお役に立つ、という話をさせていただいた。「天地と共に栄える」(南八幡教会のスローガン)ためには、子孫が信心をしていくようになる必要があるのです。今日の月例祭も、初めての参拝の方も含め、多くの参拝者がありました。神様へのお礼の真を表わす月例祭に参拝することも、お徳を頂き、神様が喜んでくださることになるのだと思います。青年の参拝者もありましたが、子供の参拝者は、ほとんどありませんでした。南八幡教会のように、月例祭の参拝者の半分ぐらいが子供たちであるようにならせて頂きたいものです。
2009.06.21
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明日は、月例祭です。月例祭しかお参りされない信者さんもおられます。そういう方に、少しでも信心が分かっていただけるようなお話がしたいです。南八幡教会でのお話の中に、信心とは何をすることか、というのがありました。何だと思いますか。それは、参拝、聴教(教えを聞くこと)、改まり、奉仕ということでした。神様を拝んで、おかげを受けるだけでは、信心をしていると言えないのです。信心即生活、生活即信心、と言われますが、信心は、そういう形態をとって、続けられなければいけません。そこに、子孫繁盛家繁盛のおかげが頂けるようになるのです。やはり、お参りしなくてはいけません。参らずに、信心をすることは、難しいと思いますし、それは金光教の信心とは違ったものになると思います。そして、教えを聞かなければいけません。それは、お取次を頂くことでもあります。教えを聞き、お取次を頂くことで、信心が成長するのです。そして、改まりが大切です。10願うより1つ改まる方が、おかげになる、と言われます。改まりのない信心は、進歩のない信心と言っていいと思います。そして、奉仕が大切です。お世話になっている神様に対して、奉仕をさせていただく。その真心を神様は受けて下さるのです。奉仕のない信心は、本当の信心とは言えません。こうしてみると、信心は難しいものである、と感じられるでしょうか。しかし、神様が本当に有り難ければ、自然にそうなるのです。真に有り難し、という心が大切なのです。それさえあれば、すべてが整ってきます。
2009.06.20
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南八幡教会で学んだことを生かすために、さっそく今度の少年少女会のバンド練習の時、初めに10分ぐらいのお話をしようと思います。何を話そうかなあ、と考えていましたら、教祖様のことをお話すればいい、と思わせていただきました。教祖様のことであれば、お話しすることはいくらでもあります。そうしたお話を聞くことで、子供たちの心が豊かになっていくと思います。
2009.06.20
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前に、このブログ広前の参拝者を1日200人を願いにしている、と書きました。そして、1日4度も書いたりして、257人を記録しました。それからは、そんなことはやめて、1日1度か2度書くようにしていますが、平均1日160人ぐらいの人が参拝してくださるようになりました。200人には達しませんが、以前の80人ほどよりは倍増です。ありがたいことです。このブログは、世界に開かれています。そして、訪れるのに、何の抵抗もありません。生神金光大神の「道を世界に」という願いを、そのまま実践できます。後は、内容です。生神金光大神の内容は、素晴らしいものなのですが、それをふさわしい形で表現できるかどうかです。その内容を、毎日参拝され、読まれている方には、必ずおかげがあると思います。神の一言には、船にも車にも積めぬほどの神徳がある、と言われています。どうぞ、ここにお参りされた方が、神徳を受けられますよう、お願いさせていただきます。
2009.06.19
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自分をどう見るか。神の子である。難儀な氏子である。めぐりの深い自分である。何もできない自分である。すべて正解です。松田東吉先生は、自分を上の「神の子である」以外の者である、と考えておられました。ですから、激しい修行をされるのも、自分のようなものを、神様が使ってくださる、という感激で、修行をせざるを得ない思いになられたのです。有り難い、相済まない、という思いが、東吉先生を修行に駆り立てたのです。あるとき、修行をしていた池の堤に100万円置いてあるから、修行に行け、と言われても、行けるものではないなあ、と言われたそうです。お金のためでは、とてもできない修行であられたのです。自分のためにする、というところがあられませんでした。難儀な氏子が助かるために、また、神様のお役に立つために、という思いだけであられたのです。南八幡教会は、初代が亡くなられた時よりも大きくなってきています。境内地は6倍、信者数も数倍になっています。それは、二代(奥様)が、初代を表わそうとされてきたからです。おかげを頂かなければ、初代に申し訳ない、という思いであられたからです。自分が、自分のためにされたのではないのです。初代のお徳、御霊の働きでさせていただき、初代に安心していただくためにされたのです。この初代あっての自分、という思いが大切なのです。金光教は、相手あっての自分、というところが大切なのです。そうした中に、「あいよかけよで立ち行く」というおかげが現れるのです。自分が自分が、という姿勢では、おかげがないのです。
2009.06.19
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南八幡教会初代・松田東吉先生は、本当の生き方がしたい、と願っておられました。そして、初めて金光教の教会に連れて行かれて、お話を聞いたとき、この道が、自分が求めていた道である、と直観しました。松田東吉先生は、直観の人でした。信心をするのに、大切なものが3つあります。1.天地金乃神様を実感として知ること。2.生神金光大神の取次の道が分かること。3.自分を知ること。この3つができないと、なかなか本当の信心になれません。信心と言うと、神様にお願いして、おかげを頂くこと、と考えられているかもしれませんが、金光大神様の信心は、上の3つが必要なのです。それができるためには、信心の勉強が必要です。学校では、学問の勉強を教えてくれますが、信心の勉強は教えてくれません。しかし、人間が幸せになるためには、信心の勉強が必要なのです。教会は信心の勉強をするところです。南八幡教会では、そのように位置づけ、少年学校、青年学校ということで、子供たちに信心の話をしていったそうです。それを40年続けてきて、今の南八幡教会があるのです。子供たちに信心を教えられる教会になれること。それが、一つの願いになりました。
2009.06.18
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クリエイト21で南八幡教会に研修に行かせて頂きました。玄関を入ると、下は白い大理石の廊下で、らせん状のスロープを上がっていき、お広前に行くのですが、途中にも玄関があります。教会全体が小高い山の上にあるので、二ヵ所の玄関の高さが違うのです。そこをつなぐのに、らせん状のスロープのある建物を増築されたのです。真ん中は、吹き抜けでしゃれた感じに仕上がっています。災い転じて福となす、と言われますが、玄関の高さが違う地形を利用して、モダンなデザインの建物が作り出されたのです。教会長先生は、「このスロープはいいです。まだ、飽きません」と言われていました。行った日に、夜8時ごろからハンドベルの練習があり、20歳代の青年10人ぐらいが演奏をされました。それを私たちは、スロープから下を覗き込むような形で、聴かせていただきました。ハンドベルのきれいな音色が、よく響き渡り、とても素敵な演奏でした。その演奏を聴いてから、別の部屋で、楽の練習をしているのを見に行きました。小学生の子供たちが8人ぐらい前に正座して、声を出し、リズムをとる練習をしていました。こうして、次の後継者を育てるのに、すごく力を入れています。後継者を育てて一人前、と言われました。10年20年、すぐにたってしまいます。早めに後継者を育てなければいけません。南八幡教会は、夜になると、こうした若者や子どもたちがたくさん集まり、各種活動をしています。確実に人が育っているところは、すごいなあ、と思わされました。
2009.06.18
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九州から、無事帰ってきました。危ないところを守っていただいた気がします。南八幡教会のごひれいを見せていただきました。お話も、非常に参考になるものでした。詳しい報告は、また、させていただきます。
2009.06.17
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このブログでも何度か紹介した松田東吉先生の教会へ参拝してきます。クリエイト21のメンバー18人で1泊研修です。東吉先生の御霊様のお働きを感じさせていただきたいと思います。また、南八幡教会は、少年少女育成でも実績を上げています。そこのところも学んできたいと思います。では、行ってきます。
2009.06.16
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明日から1泊で南八幡教会参拝研修旅行に出かけます。クリエイト21のメンバー18人で行きます。車3台で行くのです。その中に岡東教会のワゴン車もあります。今日、ワゴン車にガソリンを満タンにし、高速を走るので、空気圧を高めにしてもらおうと思い、ガソリンスタンドによりました。そうしたら、「左前の空気圧が1.4と少なかったです。ちょっと見たところは釘が立っているようにありませんので、気をつけておいて下さい」と言われました。「気をつけて下さい・・・」と言われても、・・・・。どう気をつければいいのか。「空気漏れがあるかどうか調べてみてくれませんか」とお願いしました。そして、調べていただいたら、パンク修理していたところから、空気が漏れているのが見つかりました。ゾ~~~~。タイヤの空気圧は、いつもは見ません。これで、高速を走ると、バーストしていたかもしれません。そうすると、大事故です。神様が気づかせて下さり、助けて下さいました。4年前の事故の時も、命を助けて下さいました。今度は、私だけでなく、他に6人の命も助けて下さいました。2年前に、合楽教会に参拝させていただいたとき、教会長に、「クリエイトの方々は神様に可愛がってもらっている」と言って下さいました。本当に可愛がって下さいます。完璧に守って下さっている気がします。
2009.06.15
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金光教では、日参が勧められます。お参りすればお参りしただけのお徳が頂ける、とも言われます。教会にも、長年、日参している方がおられます。そういう方々は、やはりおかげを受けておられると思います。しかし、一般からみると、日参するのは熱心な信心と映るようです。ちょっと入れ込みすぎていると・・・。しかし、悪い運命を好転させていただくのですから、相当熱心にしなければ、それだけの変化が起こらない、ということも、常識から考えて、そのように思えます。悪い運命を好転させるには、それだけのパワーが加わらなければなりません。それには、日参するぐらいの情熱がなければいけないように思うのです。もちろん、遠い人や、事情で参れない人は、日参はできません。日参ができないから、おかげにならないこともありません。神様は、遠きも近きも問わず、昼夜も問いません。一心の祈りは、どこからでも届きます。しかし、参れる人が参らないのは、やはりそれだけの気持ちがないからでしょう。そして、日参によって信心も鍛えられて、おかげが頂けるようになるのです。
2009.06.15
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教団独立記念祭に参拝して帰りました。新型インフルエンザが、どうなるであろうかと心配しましたが、日本では沈静化しており、たくさんのお参りでした。信者さん方と別行動になるので、祭典後は、北ウイングの光風館で待ち合わせることにしました。光風館は、涼しく、待ち合わせるには、とてもいいところです。コーヒーも300円で入れていただけます。今日の「あいよかけよの生活運動」の実践発表者の教師は、青木洋(ひろし)先生でした。去年は、私がさせて頂きました。2年連続で、ひろし先生であるな、と思いました。これはどうでもいいことですが。その時の事を思い出しました。私は、自分の体験談をぶつけました。青木先生は、前に発表された信徒の方の発表内容について、だいぶ触れられました。どちらがいいのか、よく分かりませんが、違うなあ、と思いました。教団独立記念祭には、全国から参拝されますので、めったに会えない先生や信徒の方にお会いできます。お会いできると嬉しいです。
2009.06.14
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思い通りに行かない、といっても、自分の思い通りには行かないが、神様の思い通りにいっているかも知れません。神様は、私たちの先々いいように、お計らいくださっていますから、そのことがいいことであるともいえます。ですから、自分の思い通りにならないから、つまらない、と思ってはいけません。これも、神様のお計らいと思って、有り難く受けていけばいいのです。金光教では、信心辛抱が大切なものとしてとかれています。何事も、辛抱なくしては成就しません。もっと楽に、おかげが頂きたい、と考えてしまいますが、そういう考えはよくありません。辛抱強い努力の積み重ね(もちろん、神様にお願いしながら)をすることによって、おかげになっていくのです。辛気臭いかもしれません。しかし、それが天地の道理なのです。
2009.06.14
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今年また金光教学院で、各種活動の授業を受け持つことになりました。今の教団の押さえとしては、生神金光大神取次の中身が、結界取次と各種活動なのです。結界取次と各種活動をもって、生神金光大神取次(ご神願)を展開していく、ということです。閑谷の土地をお借りしたのも、青少年育成のためと、環境を考える場として(どちらもご神願成就において大切なものと押さえています)、お借りしました。以前、生ごみをEM処理して堆肥化して田んぼに入れていました。しかし、田植えをしてからは、田んぼに生ごみを埋めることはできません。そこで、閑谷に生ごみを埋めさせていただき、作物を作ったりしていました。あの頃は、環境問題に必死に取り組んでいました。また、次女が不登校をしていた時、なるべく自然に触れさせてやりたいと、連れていきました。シュタイナー教育をかじり、その知識で、自然のものを使って工作をさせたりしました。子供の教育には、自然に触れさせることは、とても大切なことです。また、信者さん方と、作業と親睦を兼ねての活動に使わせていただいていました。鶯の声を聞きながら、信者さん方と食事を一緒にするのは、楽しい一時でした。しかし、私の意識が、結界取次の方に集中しだし、こうした各種活動の方には向かなくなってきました。結界取次が救済の原点であり、そこがしっかりしない限り、金光教はダメであり、また、自分もそこに力を入れたいと願っていました。そういう中で、また、学院の各種活動の講義を頼まれる、という成り行きを頂きました。これは、どういうことだろうか、と考えています。お試しかもしれません。各種活動は、誰かに任せて、自分は、結界取次に専念するのが、一番いいように思っています。結界取次と各種活動の兼ね合いに悩んでいるからこそ、学院での講義を依頼されたのかもしれないと思います。
2009.06.13
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重要文化財である閑谷学校の近くに、岡山教会の信者さんの土地をお借りして、自然に親しめ、また、青少年の育成も願って、小屋を建て、活動ができるようにしています。少年少女会で、泊り込んだりしていましたが、5年前から、私が教務センター所長になり、また、お結界に座ることに力点を置きだして、あまり行けなくなってしまいました。今日は、久しぶりに、作業に行かせて頂きました。2間3間のパイプテントを立てているのですが、その屋根にトタンや板を載せ、その上にビニールシートをかぶせていたのですが、そのビニールシートが劣化して、ボロボロになっていました。こんどは、UVカット剤が、入っていて、劣化しにくく強いビニールシートを買っていきました。それを屋根にかぶせるのが大きな仕事でした。まず、閑谷に着いて、ご飯を炊き、お刺身と天ぷらを作りました。野外炊事で、お刺身というのは珍しいですが、ご馳走ですから、皆さんが喜ばれます。家内が腕を振るいました。チヌのお刺身や、アジのたたき、タコ、イカのお刺身など、豪華版です。天ぷらは、ナスやオクラ、舞茸などです。とてもおいしかったです。おなかいっぱい食べて、木の枝を切ったり、テントにビニールシートをかぶせる作業をして、きれいにできて、一安心です。お借りしていながら、ほったらかしで、申し訳ない状態でしたから。これからは、2,3ヵ月に1回は行きたいと思っています。本当に、きれいなところで、リフレッシュできます。でも、結界恪勤との兼ね合いが、難しい問題です。
2009.06.12
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三代金光様は、私の目標でもありました。14歳から84歳までの70年間、お結界に座り続けられました。お結界に座るということは、神に向かうということでもあります。それだけ長い時間、神様に向かわれたのですから、頂かれた神徳もすごいものがあられます。そして、1日のお結界奉仕がすごいのです。朝3時50分にお出ましになられてから、おひけになられるまで、食事もなさらず、トイレにもほとんど行かれず、ずっと座っておられるのです。最初の頃は、おひけの時間も定かでなかったようです。お参りしている人がおられると、それが分かっておられたのでしょう。その方を待たれるが如く、おひけになられないのです。しばらくして、その人が参られたら、おひけになる、といった感じです。それから、おひけになられた後、夕食を済まされて、今度は教祖奥城で、夜中まで、じっとご祈念をしておられたということです。そうした、神様への向かわれ方がすごいと思います。教祖様の映画でも、近親のものが、あの人(教祖)は、石になってしまった、という場面があります。神様に向かったら、じっと動かない、ということです。そうしたものがいるのでしょう。そして、その時間は、自分の心の奥深くに、意識が入っていかれるのです。そして、世界は我が心にあり、という感覚になっていかれるのです。
2009.06.12
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今、教師会から帰ってきました。お結界へ行く前に、印象に残ったところを書いておきましょう。金光和道先生が講師でした。お父様である真整先生が、ご理解百節を、毎日一通り読まれて、暗記しておられたそうです。そして、「これを覚えておけば、一生の宝じゃ」と言っておられたそうですぅ。教えは、たくさん知らなくても、毎日毎日、しっかり頂く方が、おかげになるのですよね。私は、ああこのみ教えは知っている、と言って、新しいみ教えを求めるところがありますが、知っていると言うことと、身についているということは違いますから、何度も何度も頂きなおし、しっかり身につけることが大切なのです。そのためには、何度も何度も読んで、心に刻み込むことがいります。そうしておけば、とっさの時に、そのみ教えが生きた働きをしてくれるのです。
2009.06.11
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これから、国際交流センターで行なわれる教師会に行きます。ここのところ勉強会が多いです。勉強ですが、お結界をあけるのは、少し心苦しいです。今日広島の方から、信者さんが12時半ごろ、お参りになられました。お取次ができ、よかったです。このお参りが、ひっきりなしになってくると、教祖様のように、門外不出を言い渡されるのでしょうか。そうならしていただきたいような、ならせていただきたくないような・・・・そんなことを言っていてはいけませんね。冗談ですから。では、行ってきます。
2009.06.11
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人間が人間らしく生きればいい、と教えられます。自分の好きなように生きればいいのです。無理に周りにあわせなくてもいい。自分の心地よいペースで生きていけばいいのです。自分は、こうならなくてはならない、というものはないのです。また、それが持続できるものでもないでしょう。あるがままに生きよ。それでいて、自分は、限りなく愛されているのですから。その喜びに満たされるのです。そして、自分も神であることに気づくのです。
2009.06.10
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この間の教学研究会では、所員の先生3人が聞き取りからの研究発表をされました。私は、その聞き取りを受けた教会の者ですので、どのような発表にまとめられるか、関心を持って参加しました。後の2人の先生は、阪神淡路大震災を経験された信者さんからの聞き取り調査の報告でした。震災という特殊な環境におかれることで、おかげを分からされた、また、神様を分からされた、というお話でした。それは、極限状況の中で、神様を感じることができるからでしょう。大体、おかげ話というものは、極限状態の中で、おかげを頂いた、というものが多いです。私の教会の聞き取り調査の中でも、太田さんに脚光があてられたのは、太田さんが高齢で貧血で、ある面、極限状態の中で、夜中、奥さんの介護をされる。その中で、奥さんに対する意識が、いとおしいものに変わっていかれる。そうしたおかげ話が、調査された先生の関心をひきつけたからだと思います。そういったおかげ話は、今までも多くあったわけですから、それを研究材料にするには、そのおかげを語ることで、自分が変わり、それを聞いた人も変わる、といったその後の展開に、おかげの仕組みを解明していくところに意味があるのだろうと思うのです。極限状態にならなくても、おかげが頂けるようになるシステムを解明していく実践教学に展開していくことを願っています。
2009.06.10
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教学研究会では、東北大学の佐藤先生が、「ヒトガミ信仰の系譜」の話の中で、「人はなぜ同じ人や振る舞いの中に、人間を超えた聖なる存在を見出そうとするのであろうか」という問いを発しておられました。金光教を知っていれば、「人は神様から分け御霊を頂いているから、自分の中に聖なる存在を見出そうとするのは、当然の要求である」と言えるのでしょうが、歴史的現象から、そのことを捉えようとすると、ややこしい感じがしました。金光教でなくても、今の精神世界の方でも、心のあり方について、様々に説かれています。哲学でも、西田幾多郎先生が、「わが心深き底あり 喜びも憂いの波も届かじと思う」と詠まれているように、心の奥深さが示唆されています。心がすべてをつくり出している、という考えもあります。自己実現の考え方では、潜在意識が大きな働きをすると考えられています。このように、心が注目され、心の開発が、幸せをもたらすものである、という動きが、広がっているように思うのです。21世紀は、心の時代だとも言われています。その心をしっかりさせるには、まず自分を認められるようになること、自分を好きになることが大切です。自分を好きになり、認められるようになるためには、人のいいところが見れ、人を褒めることが大切です。そして、それができるためには、神様から愛されていることを感じられることが、大切です。神様は、とてつもなく大きな愛を私たちに注いでおられるのです。私たちが至らなくても、欠点だらけでも、そのままを愛して下さっています。「無信心者ほど神はかわいい」とさえ言われ、信心しなくても、愛して恵んで下さっているのです。そのことを実感することができたら、私たちは、何の心配もありません。絶対的な愛を感じていましたら、自分で自分が好きになり、自分が肯定でき、自分の考えに自信が持てるようになります。逆に、何をしていいか分からない、自分が好きになれない、自分の考えに自信が持てない、という人は、絶対的な愛を感じる必要があるのです。人を愛すること、人のことを祈ること、そのことこそが、人を助ける尊い営みなのです。
2009.06.10
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教学研究会では、東北大学の佐藤先生が、「ヒトガミ信仰の系譜」という講題で話されました。「ヒトガミ」と「イキガミ」は、少し概念が違うと思うし、そのすり合わせには、少し無理がある気がしたが、自分の中では、勝手に思想が広がっていきました。極論をすれば、人は、自分の中に神を求めており、それが完成したものが、生神金光大神ではないだろうか、ということです。これは、勝手に私が考えていることですので、佐藤先生のお話とは関係がありません。このことは、金光教では、人は神の分け御霊を頂いているので、人は神であることは、別に不思議ではありませんし、神になることを楽しみに信心するということも、すんなり受け入れられるのです。そして、生神金光大神は、天地の神と同根なり、と言われたことは、内なる神と外なる神が同じである、ということだったのだなあ、と感じました。内なる神の生神金光大神と、外なる神の天地金乃神は同じなのです。そんなことを考えていました。
2009.06.09
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今日は、朝から教学研究会に出かけます。今日は、うちの信者さんの聞き取り調査をされた研究報告もあります。楽しみにしています。場所は、金光北ウイングのやつなみホールです。イスや机は軽量のものを採用しています。シンプルで金光教らしくていいと思います。その後、芸備教会に参拝して帰ります。教学研究会の内容は、また、報告させていただきます。では、行ってきます。
2009.06.09
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私は、ホームページの私の予定で、自分の行動をお知らせしています。今日は、11時半に出発するように書いていました。しかし、岡山教会にお参りしてから、金光に行こうと思いましたので、30分早く出ることにしました。出る前にお広前にお参りすると、お届けされている人がいました。私が11時半に出るのを見られて、その前にお届けをされようと参られたのでした。その方は、必死で私のお取次を頂こうとされます。その時は、父に代わってもらっていたので、お届けには差し支えないのですが、やはり予定通り行動しなければいけないなあ、と思わされました。そして、今日は、日頃お届けをされたことのない方が、お届けをしに参られました。そういうことがあると、これもお繰り合わせなのでしょうが、お結界に座っていたかったなあ、と思わされるのです。
2009.06.08
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今日の教学研究会では、会って話したい先生が2人いました。1人は、名古屋の先生で、次女の住まいの近くの教会の先生です。次女が、1度参拝したときは、お留守で、又お参りさせていただく、と言ったままになっていました。これからお参りさせていただくので、よろしくお願いしようと思っていました。会場の北ウイングに向かっていましたら、旧正門の付近でお会いでき、お話もできました。もう一人は、近くの先生ですが、最近ホームページを見せていただき、毎日の教話をアップされているので、そのことについて、お話ししたいと思っていました。名古屋の先生とお別れして歩いていると、金悦堂の前でお会いできました。ちょっと驚きました。お話ししながら、北ウイングまで行きました。神様は、よく願いをかなえて下さいます。
2009.06.08
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今日、明日と教学研究会に出席します。金光教には、教学研究所というところがあります。それで、金光教は教学がしっかりしています。外の学者さんからも、高い評価を頂いています。祖父も父も、研究所に勤めていました。私は、勤めませんでした。教会現場の方があっているように感じています。今、研究所の中でも、現場の声を聞くということで、信者さん数人の聞き取り調査をされました。こうしたことは、いい傾向だと思います。実践教学のような部門が開発されればいいと思います。行って意見を言えたらいいと思いますが、どうなりますやら。
2009.06.08
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今日は、月例祭の後、バザーがあり、午後6時過ぎに皆さんが帰られました。今日は、久しぶりで、1日1食になりそうでしたが、6時20分にカレーの残りを少し頂きました。今回のバザーは、よく出て、カレーもほとんど売れて、鍋の底をこさえて1人分とれたのを、家内と分けていただきました。家内も、朝、昼抜きできていました。しかし、8時から、また夕食を頂きますから、2食になります。おなかは、もういいといえばいいのですが、やはり食べたい欲が出ます。このまま今日、食べなければ、仙人の食になるのですが。1日2食は、人間の食。1日1食は、仙人の食、という言葉があるそうです。1日3食は、何の食でしたでしょう?忘れました。
2009.06.07
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今日は、月例祭の後、バザーがあります。少し前から、品物が山のように運び込まれています。有り難いことです。不景気になると、バザーに出るものが少なくなる、と言われますが、そんなことはどこ吹く風のように、品物の山です。それを並べるのが、また大変ですが、ここ1週間ほど、毎日10人ほどの人が、御用して下さいましたので、無事にバザー会場が整いました。この日は、バザーが中心のようになってしまいますが、あくまで月例祭が中心です。神様への月のお礼のお祭りです。心を込めてお仕えさせていただきましょう。
2009.06.07
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今日、11時半ぐらいに東京の方の方から電話がありました。勤め先で正社員になれた、という嬉しい報告です。しかし、この方は、しばらく連絡がありませんでした。メールや電話でのお取次で、ちょっとすれ違いがあったことを感じていました。それだからではなかったようでしたが、私の中では、おかげを頂きたいことでした。それが、今回の電話で、すべて解消した感じがしました。神様は、ずっと働いて下さっており、こうしたおかげにしてくださったのだ、と感じました。明日の月例祭で、このことをお話させていただこうと思っています。
2009.06.06
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小星さんの発表されたことを書かせていただきましたら、ご本人からコメントを入れて下さいました。有り難いことです。その中に、知り合いの方の癌のことも書かれていました。私の教会の信者さんにも、癌になりながら、おかげを受けつつある方が何人かおられます。その人達のことを祈らせていただきながら、同じように癌になられて難儀をされている方々のことを、世界中の癌になられた方のことを祈らせていただきたいと思います。
2009.06.06
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昨日の教会長教師研修会では、立教150年ということもあり、立教神伝の解釈が取り上げられました。それは、「この方のように、実意丁寧神信心いたしおる氏子が、世間になんぼうも難儀な氏子あり、取次助けてやってくれ」というところの解釈の違いです。「この方のように実意丁寧神信心している氏子が、取次ぎ助けてやってくれ」と解釈するのか、「この方のように実意丁寧神信心していても難儀している氏子があるから、そなたが取次ぎ助けてやってくれ」と解釈するかの違いです。高橋正雄先生は、後者のような解釈でしたが、ある方の手紙により、前者に考えを変えられた、というお話でした。しかし、私の祖父(正雄の弟)は、後者の考えでしたし、当時の言い回しから考えると、「実意丁寧神信心いたしおる氏子が」の「が」は、「であって」という意味にとる場合が多く、後者に解釈するのが自然な解釈だったのです。それが、時代を経るに従い、「~が」は、主語にとることが自然になってきて、そちらが有力になってきたように思えるのです。私も、教祖様のように実意丁寧神信心していても難儀をしている氏子が多くいるので、教祖様に取次ぎ助けてやってくれ、と神様が頼まれた、と解釈しています。つまり、お取次を頂くことが助かりになる、ということなのです。
2009.06.05
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昨日は、教会長教師研修会があり、参加させて頂きました。班別話し合いがありまして、そこで司会と発表者を決めます。こういうときには、年功序列ではありませんが、年の若い者がせよ、という感じですので。一番若いのは誰か、と見渡すと、私なのです。もともとは、若い先生もおられたのですが、午前中で帰られたり、他の班に行かれたり、みんないなくなってしまいました。結局、私が発表させていただきました。単なる発表では面白くないと思いましたが、一応まじめに発表しました。しかし、閑古鳥のことは言いたかったのですが、言えませんでした。そこで、ブログに書くことにします。ある先生が、「うちには今、閑古鳥が居座っていて、困っています。皆さんは、閑古鳥を知っていますか」と問いを発せられました。私の次に若く、司会をさせられた先生が、「見たことはないですが、知っています」と言われました。みんな見たことがないのに、知っているもの・・・・神様のようなものだなあ、と思いました。こんなことを言いたかったのに言えませんでした。言わなかった方がよかったとも思えます。
2009.06.05
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このブログを、大塚さんが読んでくださっている、という前提で書かせていただきます。大塚さんが、セルリンさんを通して「かながわ」という教会誌を下さいました。ありがとうございました。この場で、お礼を申し上げます。そのなかに、小星重治さんのお話が載っていました。小星さんは、光り輝く道さんのCDも手がけられましたので、お名前は知っていましたが、信心面は、初めて読ませていただきました。その中で、教祖様の信心の本当に言われたかったことをKJ法で導き出されたのには、驚きました。小星さんは、自律神経失調症になられ、怖くて会社に行けなくなってしまいました。信心もしておられましたから、感謝が大事であるとか、ありがとうと言うことに努めましたが、一向によくなりませんでした。どうも和賀心とは、ありがとうや感謝の心だけではなさそうだと思い、本当の和賀心とは、真の信心とは何だろう、と考え込みました。そして、KJ法を使って、教祖様から、直接お言葉を聴くように、和賀心の意味が分かるかもしれない、と考えました。KJ法とは、文化人類学者の川喜田二郎氏のデータ解析や、発想を展開するやり方です。川喜田二郎のイニシャルの頭文字をとってKJ法と名付けられています。教祖様のご理解をすべてカードに書き取り、それを分類していき、そのグループのピッタリの意味を書いていき、小分類から中分類へ、そして大分類へと進めていきました。そして最終的にまとめられた言葉が、神様が本当に言われたかった一言、和賀心の意味になるのです。それは、次のようなものだったそうです。ちょっともったいぶって、「天地のおかげを知ったら、神様と一つ心になって、おかげのお礼に人を助けよ。お前のことは、神がよいようにしてやる」真の信心とは、和賀心とは、人を助けることだったのです。小星さんは、初めて知ったそうです。おかげのお礼に人を助けて、初めて神様が喜ばれる信心になり、あいよかけよになるのだと、目が覚めたそうです。それから、人を助けるとは、古い徒弟制度の残っている仕事場を、これから入社してくる新人や同僚が助かるようにすることが、自分のすべきこと、人を助けることだと思い、そのことに集中していきましたら、病気のことは、すっかり忘れてしまったそうです。白神新一郎先生も、このお道のことを、「人を助けて己が助かるのお道」と喝破されています。さすがです。金光教教師も、人を助けるご用に立たせていただくからこそ、自分も助かるのです。それは、教師だけでなく、信者さんもそうなのです。神を使うものは多いが、神に使われるものが少ない、と言われますが、神に使われるようになりたいものです。
2009.06.04
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森田健氏が、運命は決まっているけれど、変更は可能である、と言われますが、その変更には、エネルギーを注ぐことがいります。普通の占いは、運命を言い当てるだけで、変更は不可能です。しかし、森田氏が出合った占いの六こう占術は、エネルギーを加えられる占いでした。教祖様も、「無常の風は時を嫌わぬと言うが、この方の道は、無常の風に時を嫌わすぞ」と言われています。ですから、命がない運命であっても、命の接ぎ穂を頂くこともあるのです。神様にお願いすることは、運命にエネルギーを注ぐことになるのです。ですから、未来が変更されるのです。ただ、今の運命が悪いから、と嫌って、運命変更を願うのは、よくなりにくいところがあります。その運命を愛すことから、運命を生かすことができるのです。両手片足を鉄道事故でなくされた中山亀太郎先生が、「運命を愛し、運命を生かす」と言われています。両手片足のない運命を愛すためには、どれほどのところを通られたことでしょう。しかし、その境地に至られました。もし、この運命を嫌い、絶望し、やけっぱちの人生を歩まれたら、そういった運命を歩まれたでしょうが、信仰に出合い、その運命を愛すことで、多くの人を助けられる素晴らしい人生を歩まれました。ある面、運命を変更された方であるように思います。金光教の信心に出合い、人を助ける運命であった、と言われれば、そうかもしれませんが、信仰によって、運命を変えられた、と思えるのです。
2009.06.04
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昨日は、結局、アクセス数257まで伸びました。ありがとうございました。数を問題にするのは、あまりいいことではないかもしれませんが、一つの試みでありました。願えば叶う。その気になれば、その方向での動きが始まる。神様に向かい、一心になる。今月今日で頼む。周り(時空)が総がかりで応援してくれる。そうしたものへの全幅の信頼。そこから無限の世界が開けていく。向こう開けっ放しの世界。そこへ飛び出す時節が近づいています。
2009.06.03
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