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金光教祖が「神参りをするに、雨が降るから、風が吹くからえらいと思うてはいけぬ。その辛抱こそ身に徳を受ける修行じゃ」と言っておられます。辛抱が身に徳を受ける修行になる、というのです。三宅美智雄先生が、教師の貴族化が問題である、とコメントを下さいました。貴族化できる教会というのも、おかげを受けていればこそですが、社会全体が豊かになるに従い、教会の生活レベルもあがってきていると思います。人の苦しみは、その立場に立ってみないと分からないものです。1日4万人の人が餓死している、ということを聞いても、自分が1日3食食べていれば、その人達の気持ちは分かりません。1食を捧げるチャリティーが行なわれていますが、1ヵ月に1度ではなく、常時1食を捧げるのがいいように思います。つまり、1日2食が人間の食なのです。そして、1日1食が仙人の食と言われます。仙人の食をしてみて、飢えと言うものを実感できますし、餓死する人に対する思いやりも持てるのではないでしょうか。1日3食は畜生の食とも言われますが、餓死する人は可哀想だなあ、と思えても、その瞬間思うだけで、すぐ他の事を考えます。徳を受けていないからです。食の辛抱をしてこそ、飢えた人に対する思いやりの徳が頂けるのです。ですから、お酒を飲んで、ドンちゃん騒ぎをしないまでも、お酒を飲むこと自体に、少し否定的になっています。教会の大祭などでのお直会でお酒を出さなくなって久しいですが、このことは良かったと思います。
2009.10.31
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常盤台教会の三宅先生が、下谷教会の記念祭の感想などをお手紙に書いてきて下さいました。有り難うございました。下谷教会も、従来の式次第を変えて仕えられました。私も、今の祭典式次第がいいとは思っていませんが、変えるほどの妙案もありませんので、そのまま仕えています。三宅先生は、祭典に光と音と香りを取り入れようとされています。そうしたものを効果的に取り入れることで、感動する祭典になっていくでしょう。私は、日々の修行と、祭典をつなげていきたいと思っています。といっても、祭詞の中で奏上するだけですが・・・・。このたび、立教150年100日信行をしてみて、これからも、たびたび信行期間を設け、信心修行に取り組んでいこうと思っています。修行を祭詞で神様と約束したいと思っています。ですから、来年は、1月の信行期間、次には、ご大祭前の1ヵ月を信行期間としたいと思っています。そんなに修行、修行と取り組まなければいけないのか、と思われますが、光陰矢のごとしですので・・・・。
2009.10.30
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今月は、何かと忙しかったです。(毎月そうですが)今月は、18日に立教150年生神金光大神大祭があり、20日締め切りの「わかば」という少年少女会連合本部が出している機関紙の原稿締め切りがあり、27日の学院での講義の準備があり、そうしたことと並行して、11月3日のある教会のご大祭のお話を考えながら、「洗心」の原稿を作るという頭が分裂しそうな中を、ここまで来させていただきました。まだ、ご大祭のお話はできていませんが、後は大体かたがつきました。これもひとえに神様のおかげです。しかし、月末はご大祭や会議が続きました。21日はクリエイト21例会。24日は岡山教会のご大祭。25日は下谷教会のご大祭。26日は岡西教会のご大祭。27日は午前中は学院の講義、午後は岡山地区婦人部の委員会。28日は五軒家教会のご大祭。今日29日も、これから所用で出ます。御大祭月は先(先生)無月になるのが問題ですね。
2009.10.29
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私たちは、働いただけ報酬を頂くことに慣れてしまっています。これだけ働いたのだから、これぐらいは貰わなければ、と考えます。しかし、私たちの働きが、それだけの報酬をいただけるほどのものなのでしょうか。常に、私たちの働き以上の報酬を頂いているのです。米粒一粒つくることができない私たちに、何ができるのでしょうか。ほとんど何もできません。9割9分、神様のお働きなのです。ですから、私たちの働きで、報酬が頂けるようなことは何もしていない、と考えなければいけません。その考えに基づいた働きが、ただ働きです。報酬を貰わずに、ただ一生懸命働く。そこに、天地の神の思し召しに沿う何かがあるのです。ただ働きを喜んでするところに、魂が高められるものがあるのです。
2009.10.28
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私の本当の修行は、11月15日の立教記念日から始まるようです。今までは、その地ならしだったのです。そして、お結界恪勤に近づけていくことになりそうです。下谷教会の記念大祭から受けたものが、「先師に学ぶこと」、「1000人の祈り」と「孤独の中に立て」というものでした。立教の時に感じられた教祖様の孤独を感じます。そして、神様の不退転の思いも感じます。そうした、ぎりぎりの中に自分を置いていく・・・。ある意味、正念場だと思います・・・。
2009.10.27
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下谷教会の記念祭で、東京教会長のご挨拶を頂きました。その中で、教祖様と自分がいれば、信心ができるように思っている人が多いが、それではおかげが頂けない。教祖様と自分をつないでくれている先輩方に対する感謝が大切ですし、先師がどのような取り組みをされ、どのようなおかげを頂かれたのか、又、失敗をされたのかということを学ぶことが大切なのです。信心も、先師の求められたところで、既にはっきりしているところがあるのです。それを土台にして、その上に信心を積み上げさせていただけばいいのです。そうして、人類全体が進歩していきます。金光教には、既に相当高いレベルの信心のノウハウがあります。それを学ばせていただくことが大切なことだと思います。
2009.10.26
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今日、東京の下谷教会の布教90年大祭にお参りして来ました。朝、ご祈念後すぐに出て、今(午後10時半)帰ってきました。東京に行くのだからと、よくこのブログにもコメントを下さる、三宅美智雄先生の教会にもお参りさせて頂こうということで、常盤台教会にもお参りして来ました。連絡なしの参拝でしたから、驚かれたことと思います。そうしましたら、三宅先生も下谷教会にお参りされる、ということでした。そして、お直会も隣の席でした。もう、今日お会いすることは、決まっていたのでした。しかし、三宅先生のご神前にお参りできて、よかったです。立派なお扉のあるご神前でした。下谷教会のご大祭では、何か頂けるのではないか、と思っていました。御祭りの後、大阪教会長と東京教会長の挨拶、そして、下谷教会長の挨拶がありました。その中で、頂くものがありました。しかし、それは、昨日書いた内容と重なるものでした。やはり、そこのところが大切なのだと、思いを新たにしています。
2009.10.25
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私に、何かが始まる、と書いて下さった先生が、その後も、神様のお知らせがあるだろうと予感されていたようです。高橋先生の始まりとは何なのだろう、高橋先生の祈りが天地金乃神様と一心なりとは、どういうことなのだろう、と考えておられたら、「高橋先生が、御霊神様と交流されたらよろしい」とのお知らせがあられたそうです。ああ、御霊様と話をしなければいけないのか・・・、と思っていましたら、御霊神様の書かれたものを読むのがいい、とアドバイスをいただきました。それであれば、ここ数年、ずーとしてきたことです。先覚先師の本を読んでは、元気を頂いてきました。先覚先師の真似をして、修行もしてきました。そうしていると先覚先師の思いが沁みこんでくるように感じるのです。人を助けずにはおかん、という思いになれてくるのです。そういう広前にならせていただきたいです。その天地金乃神様のごひれいが始まってくる・・・。まさに福音ですね。その先生が、よい知らせを伝えて下さいました。
2009.10.24
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27日に学院での授業があります。今月末までに、「洗心」の原稿を書かなければいけません。11月3日のある教会でのご大祭のお話を考えないといけません。これから、ほぼ連日ご大祭があります。時間がありません。こうしたブログを書く時間を省かなければいけないのかもしれませんが、毎日書くことを一つの修行としていますから、それもしたくありません。まあ、思いつかせていただくものから、手をつけていきましょう。自動手記といって、神様が勝手に手を動かして書いて下さるようになれればいいな、と思います。この極限状態で、何かが始まるとすれば、自動手記でしょう。だんだん神がかりになって行きますね。(^_^)
2009.10.23
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ある先生に、御大祭のとき出した、「これから」と「おかげのもと(2)」などを送らせてもらいました。そうしましたら、お礼のメールが来まして、ありがたいことが書いてありました。それは、まず「これから」とナンバーの111号が目に入ったということです。私に何かが始まろうとしている、と感じて下さいました。そして、久しぶりに神様のお知らせがあったそうです。それは、「この方の祈るところは、天地金乃神と一心なり」ということだったそうです。この「この方」というのを、教祖様が自分のことを言われている言葉と思っていたのが、神様が、教祖様のことを尊んで「この方」と言われた、と気がつかれ、この場合の「この方」は、私のことを神様がそう呼びかけて下さった、と書いて下さいました。とても光栄で、本当は、そうではないでしょう、と言いたいのですが、神様は、すべての氏子を、それほど愛おしく思われているわけですから、そのまま受けさせていただくことにしました。そして、そのご期待に沿えるよう、精進していきたいと思っています。「これから」私に、何かが始まる・・・。ドキドキドキ・・・・。
2009.10.22
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今日は、クリエイト21の例会がありました。100日信行のお話をさせて頂きました。修行をすることで、人を助けさせていただけるようになるのです。否、人を助けさせていただくために、修行に取り組むのです。その修行により、神様が働かれるのです。お友達のお母さんが病気の時、お友達が御神米を渡したのですが、その御神米を枕の下に入れると、苦しんでおられたのが、楽になられたり、亡くなられる前には、お棺に御神米を入れてあげたいから、とお供えを託けられたりして、そのお友達も、金光教の信心をすると言われたそうです。又、狐が家に住み着いて、拝み屋さんが拝むと、2匹の狐が噛み付いてきて拝めなかったのが、教会でお話を聞いて、家も神様のものということが分かられ、おことわりをした後には、その拝み屋さんが拝まれたら、狐がいなくなっていた、ということです。その拝み屋さんは、「何かは分かりませんが、大きな力が働かれました」と言われたそうです。そのような、大きなお働きに生かされているのが、私たちなのです。その喜びを、常に表現していたいですね。嬉しい、楽しい、有り難い・・・。喜びいっぱいで生きていきたいですね。
2009.10.21
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今日は、奥城(お墓)参拝をさせて頂きました。高橋家の奥城の近くに、初代教会長の奥城や三代教会長の奥城があります。そして、三代教会長の奥城には、そのご子孫で、熱心に信心されていて、数年前に亡くなられた3人の方も納骨されています。その3ヵ所にお参りするので、結構時間がかかります。特に、今はドングリがたくさん落ちていました。これを拾うのに時間が相当かかりますし、腰も痛くなりました。大体のところで、勘弁いただいて、拝んで帰ってきました。でも、来た時よりは、相当きれいです。ホームページの私の予定では、今日午後3時から5時まで奥城参拝をしますと書いていました。私の予定を見て、参拝される方がいるからです。しかし、今日は、出発が4時を過ぎました。ゴミ袋を探していたら、時間がどんどん過ぎていってしまいました。御大祭で、物を動かしているので、いつもあるところになかったからです。結局ゴミ袋は見つかりませんでしたが、御大祭で先生方にお渡しするお菓子の紙袋が5つ出てきました。その中には、賞味期限が今月の27日のものもあります。今日見つけられなかったら、賞味期限を過ぎていたかもしれません。こういうのも、神様のお繰り合わせ、と言うのです。こちらが、うっかりしているところも、助けて下さいます。そんなこんなで、奥城参拝が遅れた上に、ドングリを拾うのに手間取り、帰ったのが5時半になりました。予定を30分オーバーです。その間に参られた方がありました。申し訳ないことでした。ドングリを拾うことで、思い出したことがあります。九州のある教会に、クリエイト21のメンバーが、参拝したとき、そこの先生が、クリエイト21とは、「栗をエイッと21拾う会かと思った」と言われました。今日は、21どころか、210個ぐらい拾いました。ドングリエイト210・・・・・さぶ~~~。
2009.10.20
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御大祭の前も大変ですが、後も片付けに、なかなか時間がかかります。昨日は、ご大祭後の疲れで、10時から11時ぐらいまで眠ってしまいましたから、それから片づけをして、お風呂も沸いていなかったので、シャワー(最初の十数秒は、水行)を浴びて、寝たのが、午前2時でした。しかし、こうしたことにも慣れてきたのでしょう。もしくは歳をとってきたのでしょう。あまり眠くありませんでした。布団に入ると、いつもは5秒ぐらいで、眠りに落ちるのですが、昨日は、5分ぐらい寝れませんでした。少し興奮していたのでしょうか。今朝、目が覚めたのが4時20分、遅刻も致し方ない感じです。今日は、岡山教会、芸備教会にお礼参りをしました。あまり寝ていないので、家内がほとんど運転してくれました。私は、ちょっとは寝ましたが、あまり眠くありませんでした。あまり眠らずに生きる人々が紹介されていますが、そのように体がなっていくのかもしれません。しかし、睡眠不足は、歳をとって、ガクッとなるということを言う人もいます。真偽を知りたいところです。
2009.10.19
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今日、立教150年生神金光大神大祭を盛大に仕えさせていただくことができました。駐車場も、いっぱいになり、近くの方の駐車場もお借りしました。お広前もいっぱいのおかげをいただきました。又、他教会からもたくさん参拝して下さいました。はらはんさんやりんどうさん、それに、こりんどうさんまで参拝して下さいました。遠い人は、大阪から参拝されました。お礼の真がいっぱいのご大祭で、有り難かったです。祭詞も、よかった、と何人もの方が言って下さいました。苦労しただけあります。そして、願いは、難儀な人の助かりです。一人でも多くの人が、お引き寄せ頂かれ、助かられるよう、願わせていただきました。後片付けも、皆さんが一生懸命して下さり、きれいに片付きました。ここでも、お礼の真が窺えます。信心をすれば、実意丁寧になっていくことを見せていただいたように思いました。
2009.10.18
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いよいよ明日、立教150年生神金光大神大祭です。時間配分を考えて、準備をしていかなければいけません。お手伝いの方も、大勢来て下さいます。その人数によって、進捗状況が違います。私が主にするのが、神饌物(御供え物)です。金光教では、神饌物が豪華です。三宝いっぱいに盛り付けます。これには、少し技術がいります。神様へのお礼の真を込めて、しっかり盛り付けさせていただきます。御供え物とおかげは付きものではないぞ、という教えがありますが、御供え物は、真心の現れですから、おかげが付いてくるところもあります。そして、ご大祭では、お話を聞くことが大切な中身になります。今回は、信徒の方がお話を30分して下さいます。その後、20分ほど、私が話させていただきます。そのお話がまだ出来ていません。ちょっと厳しい状態ですね~~~。
2009.10.17
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18日の立教150年生神金光大神大祭の祭詞を書いていますが、以前のものを参考にすると、その文章にとらわれて、同じようなものになります。本当であれば、一昨日書き上げる予定でしたが、結局、昨日、下書きができました。最近は、パソコンでつくられている先生が多いと思いますが、私は、筆で書いています。今日は、奉書に清書します。内容を、少しは変えたいと思うのですが、願いが同じですので、あまり違ったものになりません。そこで、四苦八苦して、今日までかかりました。願いは、難儀な人がご神縁を頂き、助かられるようになることです。そして、既にご神縁を頂いている人は、信心を進めていただき、助かるようになっていただきたい、ということです。教祖様が言われた、「この方は、人が助かりさえすれば、それでよろしい」ということです。人が助かるお広前にならせていただきたいです。
2009.10.16
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今日、今度のご大祭で信心発表をしていただく小山孝志さんにご神前でリハーサルをしていただきました。そのお話を聞かせていただきながら、思ったことは、やはり「めぐり」です。めぐりについては、以前も書きましたね。重複するかもしれませんがお許しください。めぐりは、目にも見えませんし、はっきりしませんので、言いにくいものですから、みんなあまり言わなくなってきていますが、やはり、大切なキーワードだと思います。めぐりをお徳にしていただくために、信心をするといってもいいぐらいのものだと思います。しかし、この「めぐり」をお徳にかえて頂くには、半端な信心ではいけないのです。人から見て、「信心のぼせ」と言われるぐらいでないと、そこまでの信心はできないのだろうと思います。金光教では、日参をしている人も多くいます。日に2度参りしている人も、おられるでしょう。朝に一日のお願いのお参りをして、夜に一日のお礼のお参りをする。自分は、神様に生かされていることを、心底思っている。そうしたありように、本当の神徳が頂けるのだろうと思います。
2009.10.15
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金光教祖様の御教えには、船にも車にも積めぬほどの神徳がある、と言われます。御教えを読めば、それによって気づかせられたり、又、読むだけでお徳がいただけるのです。ですから、日々、お話を聞けば、お徳がいただけるのです。日参・聴教・お取次を頂くことが、お徳を頂く近道でもあります。お参りすること、お取次を頂くことで、神徳がいただけますし、又、教えを聞くことで神徳がいただけるのです。お金も、神徳のあるお金と、神徳のないお金があります。汗水たらして貯めたお金は、神徳があります。株でもうけたり、宝くじで当たったようなお金には、神徳がありません。そういうものを混ぜておくと、神徳のあるお金まで、なくなってしまいます。なくなるならまだしも、災厄をもたらしたりします。遺産相続で、親族が争うようなものです。教祖様も、「濡れ手で粟のつかみ取りの気を持つなよ」と教えられています。そうして得たお金の恐ろしさを知っておられたからでしょう。労せずして得るお金は、恐ろしいのです。それを羨ましく思うのは、真実を知らないからでしょう。自分の働きに応じて、神様が与えて下さるだけを有り難く受けさせていただくのがいいと思います。
2009.10.14
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10月18日に岡東教会の立教150年生神金光大神大祭が仕えられます。近づいてくると、忙しくなってきます。このブログも更新する時間がなくなってきます。少し前から、毎日更新ができてきました。出来れば、続けたいと思います。時には、「あっ」という一文字だけの日があっても面白いかと思います。(面白くないか・・・)今度の生神金光大神大祭は、立教150年のお年柄ということもあり、「洗心」の「おかげのもと」をいくつかまとめた冊子をお直会に出したいと思っています。信者さんや、クリエイト21のメンバーの熱心なご協力を頂きまして、無事出来ました。そして、毎回出している「これから」という教会紙も今日できました。着々と準備が進んでいます。真心を込めて、準備を進めて、有り難いご大祭をお迎えしたいと思います。
2009.10.13
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以前、次女が小学生だったとき、3年ほど不登校だったのですが、その時、京都の叔父さんが、年賀状に「ボツボツと行きましょう」と書いて下さいました。それが、とても嬉しかったのを覚えています。こういうことは(こういうことでなくても)、焦ってはいけません。天地のリズムの中で、ボツボツと行かなければいけません。天地は、うまずたゆまず、ボツボツと流れていっています。そのリズムに合わせることが大切です。そのリズムに合わせていると、心が和賀心になってきます。その心におかげがあります。おかげは和賀心にあり・・・です。金光教の真髄です。
2009.10.12
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今日は、今度(18日)のご大祭に向けての大掃除をします。大掃除も、真を込めて行なえば、神様が受けて下さいます。大掃除も、あちらもこちらもと思いますが、集まった人数で、できるところまでさせて頂きたいと思います。腰痛も完治までに至っていません。腹筋運動もしていますが・・・・。無理をしないように、しかし、横着にならないように。そこのバランスが大切ですね。会う人すべて(好きな人も嫌いな人も)に、「この人に良いことが雪崩のごとくに押し寄せます」と祈るのがいい、と教えてもらいました。神様に会いにこられる人には、神様がいつもそのように働かれるのでしょうね。今日も、来られる人すべてに、良いことが雪崩の如く押し寄せます。
2009.10.11
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以前、六根清浄祓をあげてみたくなった、と書きましたら、さっそく半兵衛さんから、教会であげておられる六根清浄大祓のコピーを送って下さいました。しかも、速達で。(この場を借りて、お礼申し上げます)できる人は、大体において行動が早いです。私も、すぐする癖をつけたいものです。六根とは、見ること、聞くこと、臭うこと、言うこと、触れること、思うことの六つで、それを心に留めないことが大切であることが説かれています。「目に諸々の不浄を見て、心に諸々の不浄を見ず。耳に諸々の不浄を聞きて、心に諸々の不浄を聞かず。・・・」という語呂が心地いいです。心を常に清らかにしておくこと、大切なことですよね。
2009.10.10
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別の人のブログで斎藤一人さんを知って、CDつき本まで買ってしまいました。そのCDを聞きましたが、自分に起こってくる難儀は、過去世で自分が人にしていることである、と話していました。自分がいじめられたとすると、過去世で自分がいじめていたのだ、というのです。因果応報の法則をそのように説明しています。そして、いじめられることで、そのカルマが解消するので、そのことについて、腹を立て、こだわらないようにすればいい、と話しています。つまり、これでカルマがなくなったと喜べばいい、と言うのです。これが真実かどうか、微妙なところがありますが、自分がしたことが返ってきている、という考え方はいいように思います。金光教にも、そこのところを、めぐりのお取り払い、と言われます。湯川安太郎先生は、子どもさんや修行生を17人亡くされましたが、それは、4代前が海賊でひどいことをしためぐりだったそうです。その4代前と言うのも、肉体の4代前でなく、湯川先生自身の4代前ということでした。つまり、生まれ変わりの4代前と言うことになります。こういうことを言っていると、わけが分からなくなるのですが、要は、全ての責任が自分にある、ということだと思います。
2009.10.09
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昨日、ご本部の立教150年生神金光大神大祭に参拝しました。お直会(のうらい)で、来年の「祈りの手帳」を頂きました。「祈りの手帳」が、お直会(のうらい)に使われたことも嬉しかったですが、もっと嬉しかったのは、祈りのことばの例が復活したことです。「祈りの手帳」は、私が青少年室にいたときに、作ったものです。特に、祈りのことばには、力を入れて作りました。それが、私が青少年室を辞めてしばらくして、青少年室もなくなった翌年だと思いますが、祈りのことばがなくなっていました。あの祈りのことばがない「祈りの手帳」などは、仏を彫って魂入れず、のようなものなのです。文句(ではいけませんね。お願い)を言いに行こうかと思いましたが、そういう考えの人も多いのかと思い、やめにしました。そして、2、3年ほど祈りのことばのない手帳でしたが、このたび、やっと復活したのです。やはり、お直会にするとなると、検討されたのでしょう。有り難いことでした。しかし、こういうことは、それを担当する人の信心が問われます。このたび担当された先生の信心が、有り難いと感じました。
2009.10.08
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今日は、ご本部の立教150年生神金光大神大祭に参拝させていただきます。そうした有り難い日でもありますが、このブログを開設した日でもあります。満3年になりました。有り難いことです。その中で、多くの人と繋がることもできました。これからも、もっと多くの人と深いところで繋がっていきたいと思っています。もっとも、既に皆さんとは繋がっているのですけれど・・・。他の人と自分が一緒であることを分かるのは右脳です。他の人と自分が違うことを分かるのは左脳です。ですから、両方をあわせると、「続いていて切れている」という西田哲学のようになってしまいます。最近は、みんな一緒なんだ、という人が増えてきています。それは、右脳の悟りでしょう。ちょっと極端なように思います。私は、教祖様の言われたように、「人は皆、神の子であり、兄弟である」というのが、真理に近いように思っています。
2009.10.07
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福岡教会の三代教会長になられた吉木辰次郎先生は、子ども時代は、信者の家庭に育ちました。お父さんが、13歳の時に亡くなり、新聞配達などをして、家計を助けました。新聞を配っていると、いろいろなことがあります。ある冬の寒い朝でした。まだ真っ暗な田舎道で、雪解けの小川に落ち込み、眠たさと疲労のために凍死しかけたことがありました。「死」を感じながら、「親があったら、こんな苦労はすまいがなあ」と、しみじみ思って泣いたそうです。そうしたある日、一生懸命ご祈念させていただいて、頭を上げようとすると、なかなか上がらぬ。無理に上げてご神前を仰ぐと、人の手が見えたそうです。それは、ご神前の方から「よう来た、よう来た」と差し出すように伸ばされていたそうです。そうして、「親の気に入る子が来れば、親が帰さぬようなものじゃ」と、心に響いたそうです。辰次郎少年は、「ああ、ありがたい。自分のような者を、神様はこうまで思ってくださる。何とありがたいことだ」と感じたそうです。このような感性が、信心には大切なのです。神様の愛が感じられる、そんな信心がしたいですね。
2009.10.06
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昨日、半兵衛さんとお話をさせていただきながら、面白いと思ったことがあります。それは、少し前から、半兵衛さんが近くの金光教の教会に朝参りをされだしたのですが、そこでは、六根清浄祓や大祓詞もあげているとのことです。その理由として、教祖様もあげておられた、ということでした。ああ、この詞を教祖様もあげておられた、と思いながら、あげさせていただくのは、確かにありがたいことだ、と思わせていただきました。そういう観点で、拝詞を考えたことはありませんでしたので、面白いと思いました。しかも、六根清浄祓のことばは、大切なところを言っているのです。前に、大祓詞をあげたくなった、と書きましたが、六根清浄祓もあげてみたくなりました。
2009.10.05
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腰痛対策で腹筋をしましたら、腰痛はよくなりましたが、腹筋が痛いです。しかし、これは、腹筋が強くなるための過程ですから、痛くても腹筋を続けなければいけません。今日、小星さんがお参りして下さいます。しかし、昨日、一足先に、「金光新聞」の1面に載って、参拝下さいました。こういうところにも、共時性を感じます。
2009.10.04
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少し前から、かすかな腰痛がありました。これは、筋肉が落ちてきているからだと思い、昨日は起きたらすぐ、腹筋運動をしました。やってみて、本当に筋肉の力が落ちていることを実感しました。これから、ちょっと筋肉運動をしましょう。腹筋運動、背筋運動、腕立て伏せなどをしたいと思います。そして、筋骨隆々となろうと思います。健全な精神は、健全な肉体に宿る、とも言われます。これは、筋肉を鍛えさすための言葉でもあろうと思います。運動をすると、すっきりした気分になるのは、筋肉と精神は関係があるのだろうと思うのです。
2009.10.03
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続きの文章を載せます。私は久々のドライブで、とても嬉しかった・・・保健所に着くまでは-。I was excited about the car ride until we arrived at the animal shelter. そこには犬や猫たちの、恐怖と絶望の臭いが漂っていました。It smelled of dogs and cats, of fear, of hopelessness. あなたは書類に記入を済ませて、係員に「この子によい里親を探してくれ」と言いました。You filled out the paperwork and said "I know you will find a good home for her." 保健所の人は肩をすくめて、眉をひそめました。彼らは知っていたのです、They shrugged and gave you a pained look. They understood the realities 歳を取った成犬たちが-たとえ「血統書」付きでも-直面する現実を・・・facing a middle-aged dog, even one with "papers." あなたは、「パパやめて、ボクの犬を連れて行かせないで!」と叫ぶ息子の指をYou had to prise your son's fingers loose from my collar as he screamed 一本一本、私の首輪から引き離さなければなりませんでした。"No Daddy! Please don't let them take my dog!" 私はあなたの子供のことを心配しました。何故なら、あなたはたった今、このことを通してAnd I worried for him, and what lessons you had just taught him about friendship友情、誠実さ、愛、責任、そしてすべての生命への尊重の意味を、彼に教えたのです。and loyalty, about love and responsibility, and about respect for all life. あなたは私の頭を軽くたたき「さよなら」と言いました。あなたは私から目をそらし、You gave me a good-bye pat on the head, avoided my eyes, and 首輪とリードを持ち帰ることさえ、丁重に断りました。politely refused to take my collar and leash with you. あなたにとって守るべき期日があったように、今度は私にも期日がやってきました。You had a deadline to meet and now I have one, too. あなたが去った後、やさしい女性係員が二人やってきて言いました。After you left, the two nice ladies said 「何ヶ月も前からこの引越しのことを知っていたはずなのに、you probably knew about your upcoming move months ago and里親を探す努力もしなかったのね・・・」と。made no attempt to find me another good home.彼女たちは首を振りながらつぶやきました。「どうして・・・?」They shook their heads and asked "How could you?" 保健所の人たちは、忙しさの合間に、とても親切にしてくれました。They are as attentive to us here in the shelter as their busy schedules allow. もちろんゴハンはくれました。でも、私の食欲はもう何日も前からなくなっていました。They feed us, of course, but I lost my appetite days ago. 最初は誰かが私のケージの前を通るたびに、走り寄りました。At first, whenever anyone passed my pen, I rushed to the front, あなたが考えを変えて私を迎えに来てくれたのだと願いました。hoping it was you that you had changed your mind,今回のことが全部、悪夢であってほしいと願いました。-- that this was all a bad dream...そうでなければ、せめて私を気に留め、ここから助け出してくれる誰かが来てくれればと・・・or I hoped it would at least be someone who cared, anyone who might save me. しかし、幼い子犬たちの愛情を求める可愛らしい仕草には敵わないと悟った年老いた私は、When I realised I could not compete with the frolicking for attention of 子犬たちの明るい運命を脇目に、ケージの隅に引っ込み、ひたすら待ちました。happy puppies, oblivious to their own fate. I retreated to a far corner and waited. ある日の夜、係員の女性の足音が近づいてきました。I heard her footsteps as she came for me at the end of the day, 私は彼女の後に続いて通路をとぼとぼ歩き、別の部屋に行きました。and I padded along the aisle after her to a seperate room.しんと静まり返った部屋でした。A blissfully quiet room.彼女は私を台の上に乗せ、私の耳を撫で、心配しないで、と言いました。she placed me on the table and rubbed my ears, and told me not to worry. 私の心臓が、今まさに起きようとしている事実を予期し、ドキドキと鼓動しました。My heart pounded in anticipation of what was to come, しかし同時に、安心感のようなものも感じました。but there was also a sense of relief. かつての愛の囚人には、もう時は残されていませんでした。The prisoner of love had run out of days. 生まれついての性格からか、私は自分のことより、係員の彼女のことを心配しました。As is my nature, I was more concerned about her. 彼女が今果たそうとしている責務が、彼女に耐え難い重荷となってのしかかっていることを、The burden which she bears weighs heavily on her,私は知っていたからです・・・かつて私があなたの気持ちをすべて感じ取ったように-。and I know that, the same way I knew your every mood.彼女は頬に涙を流しながら、私の前肢に止血帯を巻きました。She gently placed a tourniquet around my foreleg as a tear ran down her cheek. 私は、何年も前に私があなたを慰めたときと同じように、彼女の手を舐めました。I licked her hand in the same way I used to comfort you so many years ago. 彼女は私の静脈に注射の針を挿入しました。She expertly slid the hypodermic needle into my vein. 私は針の傷みと、体に流れ入る冷たい液体を感じ、横たわりました。As I felt the sting and the cool liquid coursing through my body, I lay down私は眠気に襲われながら彼女の目を見つめ、「どうして・・・?」と呟きました。sleepily, looked into her kind eyes and murmured "How could you?" おそらく彼女は私の犬の言葉が分かったのでしょう、Perhaps because she understood my dogspeak, 「本当にごめんなさい・・・」と言いました。she said "I'm so sorry."彼女は私を腕に抱きました。そして、「あなたはもっと良い場所へ行くのよ。」She hugged me, and hurriedly explained that it was her job to make sure I went to「ないがしろにされたり、虐待されたり、捨てられたり、a better place, where I wouldn't be ignored or abused or abandoned, 自力で生きていかなけらばならないようなところではなく、or have to fend for myself愛と光に満ちた、この世界とは全く違う場所に、-- a place of love and light あなたが行くのを見届けるのが私の仕事なの・・・。」と、急ぐように説明しました。so very different from this earthly place. 私は最後の力を振り絞り、尻尾を一振りすることで、彼女に伝えようとしました。And with my last bit of energy, I tried to convey to her with a thump of my tail thatさっきの「どうして・・・?」は彼女に対する言葉ではなく、my "How could you?" was not directed at her.あなた、私の最愛なる主人である、あなたへの言葉だったのだと・・・。It was you, My Beloved Master,私はいつもあなたのことを想っていました。これからもあなたのことを想うでしょう・・・I was thinking of. I will think of you そして私は永遠に、あなたを待ち続けます。and wait for you forever.あなたの人生に関わる人すべてが、これからもずっと、私と同じくらい誠実でありますように・・・May everyone in your life continue to show you so much loyalty.終わり・・・THE END 『How Could you.....』 作者Jim Wills氏が不幸な犬が減るために誰でもこの文章を掲載しても良いと許可しているのでDLさせて頂きました。
2009.10.02
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ペットに対する扱いが問題になっています。そのペットの気持ち(?)を書いたものが「惣領智子の母屋」というブログに載っていましたのを転載したいと思います。改めて、ペットの目線で考えてやらないといけないことを思わされます。ワンの物語『How Could You...』 by Jim Wills, 私がまだ子犬だった頃、私はあなたが喜ぶような仕草をして、あなたを笑わせました。When I was a puppy, I entertained you with my antics and made you laugh.あなたは私のことを「うちの子」と呼び、私がどんなに靴やクッションを破壊しても、You called me your child, and despite a number of chewed shoes 私たちは最良の友となりました。and a couple of murdered throw pillows, I became your best friend.私が悪さをすると、あなたは私を指差し、その指を振りながら、Whenever I was "bad", you'd shake your finger at me「どうして・・・?」と問いました。and ask "How could you?" しかしすぐに、あなたは微笑み、私を転がしておなかを撫でてくれました。But then you'd relent, and roll me over for a belly rub. あなたがとても忙しかったので、私の破壊癖は思ったより長く続きましたが、My housebreaking took a little longer than expected, それはお互い時間をかけて解決しましたね。because you were terribly busy, but we worked on that together. あなたに寄り添い、あなたの信念や、誰にも秘密にしている将来の夢に聞き入った夜のことをI remember those nights of nuzzling you in bed 私は今でも覚えています。and listening to your confidences and secret dreams,あのとき私は、これ以上幸せな人生はないと、固く信じていました。and I believed that life could not be anymore perfect.私たちはたくさん散歩をし、公園で走り、ドライブし、途中でソフトクリームを食べました。We went for long walks and runs in the park, car rides, stops for icecream (あなたは「アイスクリームは犬の体に悪いから」と言って、私にはコーンしかくれませんでしたが・・・)(I only got the cone because "ice cream is bad for dogs," you said), 私はいつも陽だまりでうたた寝をしながら、and I took long naps in the sun あなたが一日の仕事を終えて家に帰ってくるのを待ちました。waiting for you to come home at the end of the day. 次第に、あなたは仕事や出世のために費やす時間が長くなり、Gradually, you began spending more time at work and on your career, やがて人間のパートナーを探すようになりました。and more time searching for a human mate. 私は辛抱強く待ちました。あなたが傷付いた時や落ち込んだ時にはあなたを慰め、I waited for you patiently, comforted you through heartbreaks and disappointments, あなたの決断が間違っていても決して非難せず、never chided you about bad decisions, あなたが家に帰ってくると、おおはしゃぎして喜びました。and romped with glee at your homecomings,あなたが恋に落ちたときも、いっしょになって歓喜しました。and when you fell in love. 彼女-今はあなたの奥さんですが-は、「イヌ好き」な人ではありませんでしたが、She, now your wife, is not a "dog person" still I welcomed her into our home, それでも私は彼女を受け入れ、愛情を示し、彼女の言うことを聞きました。tried to show her affection, and obeyed her. あなたが幸せだったから、私も幸せだったのです・・・I was happy because you were happy. やがて人間の赤ちゃんが産まれてきて、私も一緒に、その興奮を味わいました。Then the human babies came along and I shared your excitement. 赤ちゃんたちの、そのピンク色の肌に、またその香りに、私は魅了されました。I was fascinated by their pinkness, how they smelled, 私も、赤ちゃんたちを可愛がりたかったのです。and I wanted to mother them too. しかしあなたたちは、私が赤ちゃんを傷つけるのではないかと心配し、Only she and you worried that I might hurt them, 私は一日の大半を他の部屋やケージに閉じ込められて過しました。and I spent most of my time banished to another room, or to a dog crate. 私がどれほど赤ちゃんたちを愛したいと思ったことか。でも私は「愛の囚人」でした。Oh, how I wanted to love them, but I became a "prisoner of love". 赤ちゃんたちが成長するにつれて、私は彼らの友達になりました。As they began to grow, I became their friend.彼らは私の毛にしがみついて、よちよち足でつかまり立ちをしたり、They clung to my fur and pulled themselves up on wobbly legs,私の目を指で突付いたり、耳をめくって中を覗いたり、私の鼻にキスをしました。poked fingers in my eyes, investigated my ears, andgave me kisses on my nose.私は彼らの全てを愛し、彼らが私を撫でるたびに喜びました。I loved everything about them and their touch--何故なら、あなたはもう、めったに私を触らなかったから・・・because your touch was now so infrequent--必要があれば私は命を投げ出しても、子供たちを守ったでしょう。and I would have defended them with my life if need be. 私は彼らのベッドにもぐりこみ、彼らの悩み事や、I would sneak into their beds and listen to 誰にも秘密にしている将来の夢に聞き入りました。their worries and secret dreams,そして一緒に、あなたを乗せて帰ってくる車の音を待ちました。and together we waited for the sound of your car in the driveway. 以前あなたは、誰かに犬を飼っているかと聞かれると、私の写真を財布から取り出し、There had been a time, when others asked you if you had a dog, that you produced 私の話を聞かせていたこともありました。a photo of me from your wallet and told them stories about me.ここ数年、あなたは「ええ」とだけ答え、すぐに話題を変えました。These past few years, you just answered "yes" and changed the subject. 私は「あなたの犬」から「ただの犬」になり、I had gone from being "your dog" to "just a dog," and 私にかかる全ての出費を惜しむようになりました。you resented every expenditure on my behalf. そして、あなたは別の街で新しい仕事を見つけ、Now ,you have a new career opportunity in another city, みんなでペット不可のマンションに引越しをすることになりました。and you and they will be moving to an apartment that does not allow pets.あなたは「自分の家族」のために正しい決断をしましたが、You've made the right decision for your "family, "かつて、私があなたのたった一人の家族だった時もあったのです。but there was a time when I was your only family.
2009.10.02
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一昨日、徹夜に近い状態で、3時に寝ても、4時過ぎに起きられましたが、昨日は、午後10時過ぎにちょっと横になったら、眠ってしまい、起きたのが午前1時でした。それから、メールの返事をしたり、お風呂に入ったりして、2時ごろ寝ましたら、5時まで寝てしまいました。1日、無理をしたら、後ががたがたになります。今日は、1日(おついたち)で、気持ちを新たにさせていただかない日であるのに、しょっぱなからつまづきました。しかし、そのことも、淡々と受けられるようになりましたので、ありがたいです。そういうこともあるさ、とあまり落胆しなくなりました。それがいいことなのかどうか・・・?又、気を取り直して、精進するだけです。少年少女会連合本部から、「わかば」という機関誌に、「らしんばん」という原稿を頼まれています。(締め切りが10月20日)今まで、あれこれ考えていましたが、そろそろ考えをまとめて、文字にしていかなければいけません。お役に立てるものが書けますよう、願わされます。
2009.10.01
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