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お結界には、人間の力ではどうしようにもない、と思える問題が持ち込まれます。医学的にどうしようもない、経済的にどうしようもない、人間考えでどうしようもない、そうした問題は、神様に働いていただくしかないのです。生神金光大神様の手続きをもって、つまり、お取次を頂いて、天地の神様にお願いすれば、必ずおかげがいただけます。しかし、よりおかげを頂くためには、日参して、毎日お取次を頂くことがいるのです。しかし、日参は言いにくいです。そこで、身代わり修行をしようとも思うのですが、全ての人の身代わり修行としては、神様に受けていただけません。やはり、めいめいの信心があって、その上に、身代わり修行のおかげを加えていただける気がするのです。ですから、めいめいに、しっかり神様に向かっていただきたいのです。何としても、おかげを頂いていただきたいのです。その一番の近道が、日参、聴教、お取次を頂く、ということです。その繰り返しの日々の中で、全体的な助かりのおかげがいただけるのです。そういう意味で、金光教の信心は大変です。ちょこっとお願いしたら、後は先生よろしく、と行けばいいのですが、そうは行かないのです。ある面、覚悟していただかなければいけません。湯川安太郎先生は、本当の助かりに至るには、15年から20年かかる、と言われています。そんなに待てない、と思われるでしょうか。しかし、先祖から子孫まで助かるためには、それだけの時間がかかるのです。
2009.07.31
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ピース(飼い犬)が、そよ風に吹かれつつ熟睡しています。幸せそうだなあ、と思います。私も、あのように熟睡したい、と思います。しかし、寝ている本人は、そんなに幸せではありません。見た人が、幸せそうに思えるだけです。私も寝ているときは、他人が見たら、幸せそうに見えるでしょうが、私自身は、寝たと思ったらすぐ起きる時が来た感じで、睡眠自体に幸せを感じることはありません。そんなものかもしれません。よそから見たら幸せそうだなあ、と見えても、当の本人は、あまり幸せに感じていません。あとから、あの時は幸せだったなあ、と思い出すのは、そういうことなのでしょう。今を喜ばなければなりませんね。
2009.07.30
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私は、天気のことは、極力願わないようにしています。それは、教祖様が、農作業を天気に合わせてしておられ、決して農作業に天気を合わせようとはされなかったからです。自分を神様にあわせるようにされました。そこは、徹底的に謙虚であられたわけです。しかし、神様が天気のことを知らせてくださるので、効率よく農作業をすることができられたのです。三代金光様も、神様に合わせた生活をしておられましたら、神様が「天地が自由になってやる」と言われたそうです。とんでもない世界に出られたものです。そういうことで、天気のことは願わまいと思っていたのですが、桃に関しては、願ってもいいかなと思っています。自分のことで願うのはいけませんが、天気のおかげを頂き、桃がおいしくなることは、生産者にとっても有り難いことですし、消費者にとっても有り難いことですし、おいしくてたくさん消費されれば、卸や小売店などの業者にとってもいいことですし、みんなが喜べば、神様にとってもいいことですので、お願いしてもいいかなあ、と思っています。みんなの幸せのために、お天気をお願いします。
2009.07.29
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岡山の名産に、桃があります。とても甘くておいしいです。しかし、今年は、雨が多く、天気が良くないこともあって、桃が甘くないそうです。大根を食べているようだ、と表現される方もいました。それほど甘くないのでしょう。これから、照って下されば、甘さがのってくるのですが、梅雨明けが8月3日とか。こんなことは、今までありませんでした。7月が終わろうとしているのに、梅雨が明けていない・・・。太陽のお照らしは、大したものです。これから、しっかりお照らしのおかげを頂いて、甘い桃のおかげを頂きたいと思います。私は、基本的には、天気のお願いはしないのですが、ちょっとお願いしたい気がしています。
2009.07.29
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岡山教会の娘さんが阿倍野教会の在籍教師の先生と結婚されたので、昨日、岡山教会から団体で阿倍野教会へ参拝されました。岡山教会の娘さんと、少年少女会などで、仲良くしていた信者さんの娘さんも、その団体に加えていただいて、阿倍野教会にお参りして来ました。帰ってこられて、少し話したのでしたが、願いを持つことの大切さを分からされた、と言っていました。そして、阿倍野教会の信者さんは、よく御用をされるそうです。朝など、みなで掃除を徹底的にされるので、広い境内に塵一つ落ちていないそうです。神様への強い信念を持ち、祈り、そうしたおかげを頂いていることのお礼を御用でしていかれる、そうした教導が行き届いておられるのでしょう。恩を感じる心、惜しみなく働く姿勢、一途な祈り、そうしたものが、人間の徳性なのでしょう。そうしたものを育てることができている教導システム、それを学びたい気がしました。
2009.07.28
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クリエイト21が、今まで続いた理由として、常に今のままではいけない、という思いをもち続けたからであると思います。同じことをしていたのでは、どうしてもマンネリ化してしまいます。一方、いいものが生まれたら、それは持続してやっていくことです。1分間全員スピーチ、お話に講題をつける、例会から例会までの自分の信心の取り組みを話すなどは、続けてやっていいことだと思います。今は、参加者も毎回16人ぐらいあり、活発な意見が出て、楽しく刺激的な例会になっています。しかし、このままでいいとしてしまってはいけません。何とか、もっといいあり方を生み出さなければいけません。進化すること、それが存続するための条件でもあります。
2009.07.27
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今日から、京都で全国信徒会の新しいヴァーチャルセミナー(VEセミナー)を生み出すための会議が行なわれます。その会議で、クリエイト21からも、会活動の報告をさせていただきます。3人のクリエイト21の会員が出席しました。それだけ、クリエイト21の活動が注目されている、ということで、有り難いことと思います。クリエイト21の前身は、「信心継承を考える会」ということで、平成8年から活動してきました。そのきっかけになったのが、岡山でVEセミナーが開かれる、ということでした。VEセミナーは、信心をもっての経営、経営者の次の代へ信心継承をするためのものでした。しかし、岡山には、経営者である信者さんは少なく、そのようなセミナーは開催できない、ということで、一般の人が聞いてもためになるセミナーをしよう、ということで、掃除をすることで、心を磨き、心が磨かれることで、そういう社員がいる会社は成長する、ということを現しておられた、イエローハットの社長の鍵山秀三郎氏を講師に招いて、セミナーを行ないました。そして、そのセミナーに取り組んだメンバーを中心に、「信心継承を考える会」が発足したのです。ですから、クリエイト21の生みの親は、VEセミナーとも言えるのです。そして、今度は、そのVEセミナーを新しく生まれかえらすお役に立たせていただけることも、又、有り難いことと思います。私も8月には、九州にある先生方の会である「元気塾」で、クリエイト21のことをお話に行かせて頂きます。だんだんクリエイト21も有名になってきています。名前に負けないような内容にならせていただきたいと思わせていただきます。
2009.07.27
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昨日は、クリエイトの報告書を作る作業をしてくださり、明日発送することになっています。クリエイトの会員の方には、間もなく到着すると思いますので、楽しみにしていて下さい。クリエイトの事務を進める方も、今少しずつ引継ぎをしています。引継ぎというよりは、増強といってもいいですが。結構、事務量が多いので、多くの人の手助けが必要です。毎回有り難いことです。その御用をされる方々が、その御用を通してお徳を頂き、幸せになっていただきたいと思います。そのことをしっかりご祈念させて頂きたいと思います。
2009.07.26
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今日の月例祭には、直前まで何を話そうか考えていました。直前に学院の話から、みんなが積極的に取り組むことの大切さを話させていただきました。学院の授業で、こちらの話を聞いてもらえなかったという災いを転じて福となすことができました。難はみかげです。そういうように考えると、すべておかげです。おかげ話というものは、みんなそうです。難儀なことがおかげになったことを話すのですから。信心をすれば、難がみかげになってきます。必ずそうなります。
2009.07.26
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月例祭の御供え物が、今日中に済みました。12時までに寝られれば、有り難いです。これが1時ぐらいになると、明日3時半起きが厳しくなります。これから休ませていただきます。どうぞピースが鳴きませんように。明日、遅れないように、起こしていただきますように。お願いして寝れば、起こして下さいます。
2009.07.25
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今日は、忙しい1日でした。朝、6時のご祈念後すぐ、ご本部参拝させていただきました。帰ってから、11時に、クリエイトの報告書の印刷に、Oさんが来られました。そして、午後1時からクリエイトのメンバーが、報告書の発送作業をして下さいました。今回から、新しく1人加わりました。5人で作業をして下さいました。午後2時からは定時のご祈念で、午後3時から楽の練習がありました。みんなが帰られたのは6時過ぎでした。そして、晩7時からのご祈念を仕え、神前拝詞10巻あげると8時過ぎです。それから夕食です。そして、明日は月例祭ですので、その準備があります。これから準備にかかります。忙しいのが花なのでしょうね。
2009.07.25
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学院で、各種活動の講義を2時間してきました。なかなか準備する気がしなかったのは、準備したようにいかないだろうと思っていたからかもしれません。最初、前回のまとめを復習して、KJ法について、小星さんに教えていただいたことを話しました。そして、各種活動の具体的内容として、祈念を私の体験を踏まえて話しました。私としては、面白い内容と思うのですが、それは、祈りの努力をした人にとって面白いのであり、そういうことをあまりしていない学院生にとっては、あまり関心がないことかもしれません。そう言うと失礼かもしれませんね。ただ、私の話が退屈なのかもしれません。私は、寝ることに関しては、寛大なのです。私自身がよく寝ますから。そして、金光様のお出ましを頂いたりしていたら、どうしても寝不足になりますからね。多くの学院生が寝ているのを見て、これは、作業をさせないといけないな、と思いました。それで、2時間目からは、1時間目にした「祈念」を、どのような祈念をすればいいのかを、KJ法で導き出してもらいました。最初は、退屈そうにしていた学院生も、だんだんのってきました。そして、6グループから発表してもらい、次に「儀式」について、10分ほど話し、また、KJ法で、どのような儀式がいいかを導き出してもらいました。このときは、だいぶ、みんなのっています。時間があまりないので、十分な検討はできませんでしたが、みんな楽しかったようです。帰りがけに、何人もの学院生が、「ありがとうございました。楽しかったです♪」と声をかけてくれました。男子学院生も、「KJ法は、おもしれ~の~」と言っていました。本当は、KJ法と言えるものではないのですけどね。しかし、楽しんでもらえて、よかったです。小星さんのおかげです。
2009.07.24
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明日、学院で、各種活動の講義がありますが、なかなか準備をする気になれません。しかし、もう待ったなしです。今朝から、講義録を書き始めたのですが、書いていると、色々問題が見えてきます。やはり、考えれば、考えただけのものは、出てきます。今まで、色々考えてきたことの集大成です。各種活動は、結界取次以外のすべての活動ですから、広範囲です。どこまで言及しましょうか。時間との兼ね合いもありますが、興味を持って聞いてもらえるようにするには、自分が面白いと感じたものでないといけませんから、あまり関心がない分野は、あまり話さないことになりそうです。今回は、私が一方的に話して、次回はKJ法を使って、みんなのアイデアを引き出したいと思っています。
2009.07.23
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教会長信行会の時、休憩時間なども、ほとんど部屋にいたように思います。そして、同室の先生と話していました。その時、なぜか、机のところに座るのが落ち着くのです。その位置も、入り口から入って右手の角のところです。そこがなぜか落ち着きます。よく考えると、お結界に近い場所です。やはり、こういうところに来ても、お結界のような感じのところが落ち着くのですね。一階のソファがあるところには、テレビや新聞があるのですが、行く気になりませんでした。テレビは、しばらく見ていません。ただただ座る。何か、異様な感じもしますが、癖になってきているのでしょうか。
2009.07.22
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排水のつまりが抜けたとき、風呂の追い炊きのボイラーが水没したことを書きましたが、今日、岡山ガスに来ていただき、使えるかどうか点検していただきました。ブログでは、有り難く受けると使えるようになる・・・・?と書きましたが、使えなくなったら、このことには触れまいと思っていましたが、異常なし、ということで、自慢げに書いています。何も、私の手柄ではないのですけどね。こういうところが私にあります。おかげを頂いたら自分の信心のおかげ、おかげがなかったら、そのことは忘れる。祖父が、「おかげを受けたことを話すと、自慢話のように聞こえるが、最初に、神様のおかげで、とつければ、自慢話にならない」と言っていましたが、自分の信心で受けられるおかげなど、ほとんどないことを分からせていただいておかないといけませんね。
2009.07.22
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あさっての学院での各種活動での講義は、具体的な各種活動について述べようと思っています。青本のテキストでは、最初にご祈念があがっています。ご祈念も、各種活動なのです。結界取次以外は、各種活動なのです。祈りについては、言うことが多くあります。それだけ考えてきた、と言えますが、逆に、なかなかできていない分野でもあります。祈りを広く、ということを教えられました。自分の娘の不登校を通して、世界の不登校の子供のことを祈らなければいけない、と気づかされました。しかし、なかなかできていません。昨日の排水のつまりから、抜けたときの鉄砲水のことから、そうした被害がないように祈らなければいけませんでした。そういう祈りが、なかなか出来ません。そうしたできないことを講義しなければならないのも、辛いものがあります。そうしたことを考えながら、今日を過ごさせていただこうと思います。
2009.07.22
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雨漏りがどうなったか・・・・。そんなことはどうでもいい、と思われている方も多いと思いますが、中には、心配して下さっている人もいると思いますし、中には、祈って下さっている人もいるかもしれませんので、顛末を書きたいと思います。雨漏りの原因は、排水のつまりですから、詰まっているところのゴミが取れれば、問題解決なのです。しかし、鉄筋コンクリートの建物で、パイプが壁の中を通っているので、そのつまりをとるのは、難しいです。しかし、一階の天井部分に排水のパイプが出ている箇所があり、そのパイプは90度曲がっています。そこが詰まっている可能性があります。そこで、水道屋さんは、そのパイプをハンマーで軽くたたきました。コンコンコンコン・・・何度かたたいていると、急に下のほうから、水が噴出してきました。パイプをたたくことで、ゴミが動いて、パイプが通ったのです。そして、上には、池のような状態の水が、一気に流れ込んできたので、そこに洗濯機を置いたとき、排水用に開けていたパイプの口から水が噴出してきたのです。「ワ~~」という水道屋さんの声が聞こえました。水道屋さんは、噴出した水を浴びることになったのです。気の毒なことでした。私も、お祈りが十分でなかったと、遅ればせながら、ご祈念させていただきました。本来なら、その部屋が水浸しになるところでしょうけれども、すぐ横に外へ通じる扉があり、部屋と、水が噴出しているところは、少し段差があったので、水は、外へ川のようになって流れていきました。最初だけ、部屋の中に流れ込んできましたが、被害が少なかったです。ただ、お風呂の追い炊きのボイラーが水没してしまったので、これが使えるかどうか、明日、点検してもらわねばなりません。しかし、無事、水も抜け、雨漏りも止まりました。もっとちゃんとご祈念しておれば、もう少しいい結果になっていたかもしれませんが、それでも、神様のおかげで、大したことなく解決できて、有り難かったです。このように、有り難く受けると、ボイラーも異常なく使えることになります。これを、有り難く受けないと、ボイラーを替えないといけないことになるのです・・・?
2009.07.21
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しのつく雨が降っています。午前中に、板金屋さんが来てくださり、見て下さいましたが、何か奥の方に固い塊があるようで、どうしようもない、とのことで、夕方、水道屋さんが来てくださることになりました。ベランダは、水がいっぱいになり、部屋に入るほうが、サッシの桟の分だけ高くなっていますから、部屋の方に入ってこずに、助かりました。あふれた水は、中庭に滝のようになって落ちていっています。部屋の中の雨漏りも、2ヵ所から3ヵ所に増えました。今朝、雨漏りの話をしていたら、次のような笑い話をしてくれました。ある貧乏な家で、雨漏りを受けるのに、タライだけでは足らず、鍋ややかんでも受けていましたが、それでも足りません。困っている親を見ながら、子供が言いました。「おかあちゃん、心配せんでもええで。僕が大きゅうなったら、お金持ちになって、たくさんタライを買ってあげるから」いい話ですね。
2009.07.21
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昨年、クリエイト21で、八尾教会に参拝させていただいて、お話を聞かせていただきました。そのテープ起こしができてきました。39ページもある大部のものです。私が校正させていただきました。昨日は、休日ということもあり、定時のご祈念の時以外は、参拝者も少なく、その校正に多くの時間を使うことが出来ました。一通り校正できました。その内容は、素晴らしいものです。クリエイトの会員で、申し込みをしておられる方は、楽しみにしていてください。一心に祈ることは難しいです。昔の先生は、寝ずのご祈念をしたり、砂利を敷いてその上に座ったり、薪の上に座ってご祈念をして、一心を出す稽古をしておられました。そういうことが出来れば、神様に届くご祈念ができるでしょうが、普通はできません。それを、簡単にできる方法が、お取次を頂くことです。毎日お取次を頂けば、一心に祈ったぐらいのおかげがいただけるのです。お取次を頂くのは、最善のカード(切り札)をきったのと一緒なのです。最善の手を打ったのですから、後はおかげを待っておればいいのです。そのようなお話が分かりやすくされています。皆さんに身につけていただきたい内容です。
2009.07.21
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電話帳を見ていたら、頭に水が落ちてきました。鉄筋の二階建て建物の一階にいるのに、雨漏りとは・・・。驚いて、二階のベランダに行くと、水溜り状態・・・。排水ができず、水がしっかり溜まっていました。この建物は、私が中学生の時、建ったものです。もう35年ほど経っています。父も、鉄筋コンクリートの建物は、雨漏りはないと考えていたようですが、雨漏りはあるのです。しかも、どこから漏っているのか分からないので、厄介なのです。瓦屋根なら、漏っている上を見れば、大体、原因が分かります。鉄筋コンクリートの場合、ヒビを伝って雨漏りするので、原因が雨漏りしたすぐ上ではないのです。結局、全部を防水しなおさなければなりませんでした。日本のような雨の多い国は、陸屋根は向いていません。やはり、斜めになった屋根が必要です。そういうことで、今もポタポタと雨水が落ちていて、それをタライで受けています。雨漏りはタライで受ける。昔から変わらぬやり方です。
2009.07.20
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8月8日から、11月15日まで、立教150年記念の100日信行があります。教会として、どのようなことに取り組ませていただこうか、と考えていて、南八幡教会で行なわれていた朝ご祈念後のお話を、信者さんに順番にしていただくことにしました。少し前から、何日に誰それ、と名前を入れた表をつくっていました。今朝、それぞれの人に、了承を頂きました。皆さん、前向きに受けて下さいました。有り難いことです。でも、8月23日までしか埋まりません。2回目を話していただくことにしようか・・・、後は、私が話させていただこうか・・・考え中です。
2009.07.20
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昨日は、クリエイト21の例会がありました。13名の会員が参加され、やはり、熱心な話し合いができました。信心の目的に、自己の信心の確立を入れることで、たくましい信心になっていくことができます。ゆるぎない和賀心をつくらせていただく。そのために、一切の差し向けがあることが分かったとき、すべてのことを有り難く受けることができるのです。こちらの願いが成就しなくても、神様の願いは成就していっている。それは、ひいては、こちらの幸せに繋がること。だから、すべてを喜んで受けていけばいい。良くせずにはおかないお働き。私たちは、幸せになるしかないのです。参加者13名。そういえば、13という数字、合楽教会初代先生は、ご神願成就の数字である、と言われていたなあ。ご神願は、成就するしかない、ということで、13名が集ったのでしょうね。
2009.07.19
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教会長信行会で思わせていただいたことは、「今そのままがおかげを頂いているとき」ということです。お願い事が叶ったり叶わなかったりしますが、神様に一心にお願いしながら、取り組んでおりさえすれば、神様は、最高のおかげを渡すべく、お働き下さっているのです。そのことを、感謝していけばいいのだと思います。人間側の願いは叶わないにしても、神様が人間を幸せにしようとされる願いは成就していっているのです。そのことを喜んで受けていけばいいのだと思います。
2009.07.19
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三代金光様のご祈念修行を伝えているのは、麹町教会の長谷川雄次郎先生です。長谷川先生が金光中学校に通っておられたとき、教祖様のお塚の前で、三代金光様が、毎夜、深夜1時過ぎるまで、平蜘蛛のように平伏して、祈っておられたのを拝みに行かれたそうです。長谷川先生は、夜の1時に舎監が見回りに来るので、急いで帰られたのですが、金光様のご祈念は、まだ続いておられたそうです。銀座教会初代の湯川先生も、1日1時間の睡眠の修行をされたそうですが、三代金光様は、寝ずの修行をされたのではないかと思わされます。そんなことができるのか、と思いますが、されたのですから仕方ありません。三代金光様のなさることは、身近にいた人にも分からないものであったようです。お宅で御用をされていた人に、奥様が、「あなたが何年ここにいても、金光様のなさることは、分からないでしょう。私にさえ、分からぬこともあるのだから」と言われたそうです。なぞのお方かもしれません。
2009.07.18
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このたびの教会長信行会では、2回1時間ほどの自主信行の時間がありました。最初は、2日目の金光様おひけ後の1時間ほど、2回目は、最終日の奥城参拝後の1時間ほどでした。最初の時間は、三代金光様のビデオを放映するということでしたので、それを見ました。今、朝の教話で、三代様の本を読んでいますし、私の目標でもありますので、関心がありました。2回目は、教祖奥城でご祈念しました。三代金光様が、夜の1時ぐらいまで、毎夜、教祖奥城で平蜘蛛のようになってご祈念しておられたということです。そんなにはできませんが、せめて1時間はさせて頂きたいと思いましたが、45分ぐらいで終えました。石畳の上での正座は、最初は痛くないのですが、だんだんとこたえてきます。しかし、こうした辛抱が大切なのだと思います。信者さんのことを中心に、世界の平和を祈らせていただきました。
2009.07.18
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履物がなくなることについて、私がすぐ思った教えは、「靴なくば 裸足で行けよ 道のため 飢えて飢えざる糧つくりつつ」という歌でした。これは佐藤範雄先生が、高橋正雄先生の結婚式の時に、贈った歌です。履物がなくなった時、やはり先が困難な道であることが予想されます。そこを、ひるまずに突き進んでいかなければなりません。それが、道のためでもあります。その道は、セルリンさんが言われるように、門外不出の道かもしれません。教祖様がとられた道は、その道でした。一心様がメールで下さったお考えは、これは、自分のことについて考えられたことだと前置きをしておられますが、履物がなくなることは、全く違った道へ進みなさい、ということではないか、ということでした。これは、金光教と違う道へ進みなさい、ということではありません。金光教は金光教なのですが、全く違ったあり方になれ、ということです。このお二方の考え方も合わせて考えますと、やはり門外不出の考え方かなあ、という気がしてきました。昨年教務センターを辞めさせていただいてから、結界恪勤を願っていましたが、大祭シーズンには、他教会のご大祭に参列しますし、親教会、ご本部参拝もありますし、会議や研修会もあり、学院での授業まで受けましたから、結構でることが多くなっています。そういうやり方でなく、きっぱりと違ったあり方に変えていかなければならないのかもしれないと思っています。それこそ、死んだと思わないとできません。死んだと思えば、もういないわけですから、出て来いと言われることもありません。しかし、死んでいないのですから、それはけしからん、とお叱りをいただくようなことかも分かりません。しかし、明らかに、はっきり違った道をとるように、ということなのだと思ってます。
2009.07.17
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前に、履物を間違えられた先生に対して、失礼な感じのする物言いがあったところはお詫びを申し上げます。その先生は、80歳を超えておられ、それでも、教会長信行会に出席される情熱は、尊敬させていただいています。そして、今回の信行会は、朝3時10分起床で、金光様のお出ましをお迎えし、奥城を巡拝することから始まり、1日、講義や班別懇談がある、というハードスケジュールですから、ご高齢の先生方には、相当きついものではないかと思うのですが、その中を、前向きに取り組んでおられる御姿を見させていただき、有り難いことと思わせていただきました。そういう、お徳を積まれた先生方の中で、共に信行をさせていただき、お徳を頂けたような気がしております。履物に対して、コメントとメールを頂いています。ありがとうございます。もう少し考えて、そのことにつき、書きたいと思います。
2009.07.17
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教会長信行会では、もう一度、履物に関する事件がありました。夜8時から夜のご祈念と教話があります。そのご祈念に参拝したとき、会堂地下の入り口から入りました。そして、ご祈念・教話がすんで、私はしばらくご祈念していると、お広前係の先生方が横の扉を閉めだしたのです。これでは、地下に置いてある履物を取りにいけなくなります。あわてて階段を下りていくと、下から、ある先生が、シャッターが閉まってしまいました、とあがってこられるではありませんか。階段の上がりがけのところのシャッターが、この時間に閉まるようなのです。仕方ないので、私とその先生は、裸足で正面玄関から出て、会堂地下へ外から入ろうとしました。そうしたら、鍵がかかっていて、入れないではありませんか。私は、以前本部の青少年室に勤めていたとき、ご大祭の時には、お広前係をさせていただいていました。ですから、係員しか知らない、お広前から、会堂地下へ行ける通路を知っていました。そこで、お広前係の先生に事情を言って、その通路を通らせていただき、無事履物を取ってくることができました。もし、私がいなければ、もう一人の先生は困られるところでした。これもお繰り合わせであろうと思いました。しかし、2度も履物にかかわることが起こるのは、どういうことか考えなければなりません。皆さんも考えてみて下さい。そして、教えて下さい。
2009.07.16
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教会長信行会に出席してきました。金光北ウイングを使わせていただき、快適な信行会でした。部屋は、光風館2階で6人の先生方と一緒です。クーラーもあり、涼しく快適です。お風呂も結構広く、入ったときには、人数も少なかったので、悠々と入れました。暑いときですから、湯船には入りませんでした。今回、最初に履物で、事がありました。開会のご祈念お届けを済ませた後、北ウイングに会場を移すとき、私の履物がないのです。誰かが間違えて履いて行かれたのです。全員が出た後に、その近くに残っている履物が間違えた人のものであろうと、待っていました。金光清治先生も、一緒にそれらしき履物を探して下さいました。今回も、スタッフの先生方のてきぱきした動きが気持ちよかったです。しかし、似た履物が見当たりませんでした。私は、正面玄関のところを見にあがりました。普通は、正面玄関のところに脱いで、地下の下駄箱から間違えて履いていかれることは、考えられないのですが、なぜか上を見る気がしたのです。それは、以前、履物を間違えられたとき、正面玄関で脱いだ靴が、地下の出口のところで発見したことがあり、それが頭にあったからでしょう。そして、正面玄関に行ってみると、下駄箱に履物がありました。その履物には、教会名がセロテープではってありました。しかし、それらしき人は、お広前におられませんでしたので、清治先生が、「それを履いて行って下さい」と言われましたので、それを履いてきたウイングへ行き、その履物に書いてある教会の先生を探していただき、無事、履物が戻ってきました。その先生は、ご高齢で、そういうことになられたのでした。その時、間違えられたのが自分でよかったと思いました。私だから、正面玄関に行くことができたのだと思います。そして、その夜にも、履物で事件(と言うほどではないのですが)がありました。そのことは次回書きます。
2009.07.16
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自分の信心が御霊様を助けるもう一つの例を書きます。これも、湯川安太郎先生が言われた例です。ある先生が、湯川安太郎先生に、「湯川先生、私がある人の御霊遷しをしましたところが、この御霊様をたくさんの御霊様が迎えておられるところを見せてもらいましたが、これは一体どういうことですか」と問われました。「それは、おかげですわ。先祖が迎えに来ておられたんだ。お遷しした御霊のおかげで、先祖一同が助けてもらっていたから、その御霊を迎えに来られたんだ」「そうですか。そうしますと、一人の子孫が信心すると、先祖が喜んで、『お前のおかげで、わしらが助かってきた』と言って、迎えに来るようなおかげを被ったのですなあ」「その通りや」以上のようなことです。なくなった時に、先祖が、あんたが信心してくれたおかげで、助かった、と言って、迎えてもらえるようなおかげをいただきたいですね。今日から、教会長信行会にご本部へ行ってきます。2泊3日です。初めて北ウイングに泊まれるかもわかりません。修徳殿かも分かりませんが。どうでも、有り難く受ける修行をしてきます。そして、できる限り、祈りをしたいと思っています。
2009.07.14
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大塚さんのコメントに対して、駄洒落でお徳が進む、と書きましたが、あながちウソではないのです。その証拠に、教祖様も、よく駄洒落を言っておられたようです。外に置いている割木を黙って取っていく人がいるので困る、という相談を教祖様に持ってきた人がいました。それに対して、教祖様は、「それは、持って行ってもいい。他人の悪気(割木)は我が悪気(割木)じゃ」と言って、ハッハッハと笑われたのですが、この冗談、その人に通じたのでしょうか。心配になります。結構、寒い冗談だと思うのですが。こうした冗談を積み重ねて、あれだけの徳者になられたのです・・・?
2009.07.13
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子孫の信心で先祖の御霊が助かる実例を知りたい、という大塚さんの要望もあり、そのことについて、書きたいと思います。と言っても、これは、銀座教会の湯川誠一先生のお話ですので、私が体験したことではありません。もっとも、そのほうが信憑性はありますが。以下のようなお話です。これは、親を亡くされた、あるお子さんの話です。杖とも柱とも頼っていた親を亡くして、その子供さんは非常に悩みましたが、自分の日々の家業に打ち込んでいくことが、信心修行であると一生懸命していました。多分、教会に参り、お届けしながら、家業を一生懸命していたのでしょう。ある日に、湯川安太郎先生が、その方のお墓へお参りされましたら、その子の親の御霊が、「私は子供のおかげで、徳を一段進ませていただきました」とお礼を言われたのでした。以上のようなお話です。湯川安太郎先生が御霊様の声を聞かれたところが、信憑性のあるところです。私が御霊様の声を聞いた、と言うのは、あまり信憑性がありません。幻聴だろう、と言われるのがおちです。このお話から、子供の信心で、親の御霊がおかげを受け、徳を進めていただけることが分かります。ですから、私たちが信心をすればするほど、先祖の御霊様たちが助かっていかれ、喜ばれるのです。そして、神様に、先祖の御霊の徳を進めて下さい、とお願いすれば、進めて下さるのです。もう一例ありますが、それは次にさせていただきます。
2009.07.13
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月例祭は、前日から忙しいです。お供え物を買ってきて、洗って、盛り付けをします。洗うのは、家内がしてくれるので、夜に、盛り付けをするのですが、私は、比較的早いです。実意丁寧にしなければいけませんが、私の盛り付けは、家内から見ると、ちょっといい加減に見えるようです。私は、直感的に、さっさと置いていくので、いい加減に見えるのでしょう。決していい加減な気持ちではないのですが・・・。しかし、はたから見ても、真剣みが見えるような姿勢ではないと思います。その意味では、思い入れが足りないともいえるでしょう。そして、当日の朝、御供え物の仕上げをして、ご神前にしつらえます。又、鯛をくくってお供えします。鯛は、ご神前に二匹、ご霊前に一匹お供えします。そして、イスをいつもより多めにおきます。やはり、お参りの人の8割は、イスに座られます。足が楽ですからね。そして、月例祭に皆さん無事に参られるようにご祈念させていただきます。このご祈念は、数ヵ月前からしだしました。30分ぐらいできればいいです。やはり、このご祈念をすると、月例祭が引き締まる感じがします。そして、月例祭が始まる前までに、お話を考えます。ですから、月例祭の前は、色々なことをしなければいけないので、気ぜわしい感じがします。こちらが苦労する分、月例祭に参られた方には、おかげを頂いていただきたいと思います。おかげの一つは、神徳です。お参りされただけで、神徳を頂かれ、色々な面が好都合に行くようになっていただくのです。もう一つは、お話のおかげです。お話により、気づいていただき、より信心を進めていただくのです。そうなるようなお話をしたいと願っています。今日は、先祖の御霊様がお徳を進めていただくよう、神様にお願いすれば、先祖の御霊様が、実際に助かるという実例のお話をさせて頂きました。このお話で、皆さんが、御霊様の助かりをより願ってくださるようになると、有り難いです。そして、何より、私がそうならなくてはいけません。お話は、話している本人も、聞かせていただくのです。なぜなら、そのお話は、神様がさせてくださっているからです。このブログも、神様が書かせてくださっているのです。時々は、自分が書いていますけどね。くだらないことを書いているときは、自分が書いているのです。
2009.07.12
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これからしないといけないことが、たくさんあります。14~16日まで、教会長信行会に出席します。そこで、司会をしますので、資料を読んでいかなければいけません。その前に、明日の月例祭のお話を考えなければいけません。そして、学院特科の方々に各種活動のレポートを出していただいたものも13日までに採点し、報告しなければいけません。そして、通信共励会の発題をしなければいけません。通信共励会とは、100人ぐらいの会員がいて、毎月、順番に意見を書いて出すことになっています。私は8月に当たっており、締め切りが7月20日までですが、できれば教会長信行会に行く前に出したいです。そんなこんなで、少し焦っているのですが、焦っても仕方ないので、神様にお願いさせて頂きました。そうすると、学院の特科の人の採点は、8割ぐらいできました。そして、明日のお話も、大体決まりました。それは、信心をすることで、先祖の御霊様が助かられ、喜ばれる実例の話をさせて頂きたいと思っています。湯川安太郎先生は、御霊様のことが、よく分かられていました。信心をすると、その人の先祖の御霊様が、いかに喜ばれるのか、そのことがよく分かる話をされています。その話から、信心をする価値が、よく分からされます。その話をさせていただきたいです。信心の素晴らしさを、しっかり分からさせて頂きたいです。
2009.07.11
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祈りの姿は美しいものです。自己を謙虚に、大いなるものの前に自己をさらけ出している。自分の中にもある神の本質が、静かに目覚め始める。生かされている自分であることが分からせていただける。決して自分で生きているのではないことが分からせていただける。そうした神徳に包まれて、自分の姿が現れてくる。ただひたすら、ただ一心に、心の底からのお願いを申し上げる。どうぞ、全ての人が助かりますように・・・。
2009.07.10
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祈りは大切なものです。人が祈りを忘れたら、人でなくなっていくように思います。人が大いなるものに繋がる、大いなる手立てが、祈りです。祈りは、人間に与えられた最大の力です。その最大の力を使わずに、人は何も成し遂げることはできません。人が、祈りをせずに、我が力でしようとするところから、間違いが生じます。めぐりを積み、行き詰ってくるのです。神様にお願いして、させていただくと、物事もうまくいきますし、その人自身に徳が備わってきます。いいことばかりです。しかし、祈りにも、順序があります。まず、お礼がいります。病気をよくしてほしい、という願いがあっても、その願いをする前に、今まで生かしていただいてきたことのお礼がいります。そして、その病気になる前は健康であったわけですから、その健康であったことのお礼がいります。そうしたお礼なしに、お願いから入るのは、よくないです。次に、お詫びです。病気になるようなあり方をしたことのお詫びがいると思います。体に負担になるようなことをしたお詫びがいるでしょう。そして、一生懸命働いていてくれたことに対するお礼がなかったお詫びがいると思います。そのように、御礼をし、お詫びをしてから、お願いをするのです。体の製造元は神様です。壊れたら、製造元にお願いするのが、正しい対応です。病気になったら、治してください、とお願いすればいいのです。そして、できれば、お役に立つために、又、健康にして下さい、とお願いするのがいいと思います。もちろん、健康になったら、お役に立つように努めなければいけませんけどね・・・。
2009.07.10
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以前、南八幡教会初代の松田東吉先生の本を読んでいるときには、修行に燃える気持ちが湧いてきていました。ですから、水行をしたりしていました。しかし、その本を読まなくなって、少し経ってきましたら、テンションが下がってきました。私は、影響を受けやすいのだなあ、と改めて感じています。今、三代金光様の本を読んでいます。三代金光様も、すごいご修行をしておられます。自分も、うかうかしてはおられない、相済まないことである、と思わされます。なぜ、このような激しい修行をされたのでしょうか。人を助けたい・・・。そういう思いだけであられたのでしょう。
2009.07.09
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今日は、午前中3時間、学院で、特科の方9人に、各種活動の授業をしてきました。最初2時間は、ご神願の中身と、各種活動がご神願を担うものであることを、理論的に話しました。そして、KJ法(?)を使って、学院生から、してみたい各種活動をまとめてみました。大きく3つのグループができましたので、それぞれについて、分かれて企画をしていただきました。KJ法と言えるものかどうか分からないのですが、皆さん楽しく取り組めたようで、よかったです。それぞれの教会に帰られて、今日したことが役に立てばいいと思います。ともあれ、面白い授業になりました。小星さん、ありがとうございました。
2009.07.08
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この道は、生神金光大神取次の道です。生神金光大神取次を頂く、ということは、取次の先生をいただくと言うことです。取次の先生を信頼する、ということでもあります。取次の先生を頂かずに、お取次を頂いておかげを頂くことは難しいです。そこが、金光教でおかげを頂く上に、難しいところでもあります。取次の先生も人間です。欠点もあります。なっていないところもあります。普通の人以下のところもあるかも分かりません。しかし、それでも、生神金光大神様と頂いていかなければなりません。取次の先生が、立派でなくても、神様と頂いていけば、おかげが頂けます。それが、生神金光大神取次の道と言われるゆえんです。おかげがあるのですから、仕方ありません。そうとしか言いようがありません。
2009.07.07
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明日は、学院で特科の方々に各種活動の授業をさせていただきます。特科は、1ヵ月で金光教教師の資格を取るコースです。1年行けない事情のある人に開かれたコースです。本科では、8時間話をするのですが、特科では3時間です。ですから、コンパクトにまとめなければいけません。明日の3時間で、伝えたいことを伝えなければいけません。もう、直観でいくしかありません。KJ法も使いたいです。それだけの余裕はないかもしれませんが、最初の2時間で、理論的なところは話して、後1時間は、KJ法で直観力を働かせてみたいと思います。どうなりますやら。なんかいい加減な感じで、申し訳ないです。
2009.07.07
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ガス漏れも、修理していただきました。午前9時から午後4時ごろまでかかりました。途中、水道管まで破り、水も止まりました。ああ、トイレの水が流せない・・・。でも、私は、平気です。いつも、お風呂の残り湯を流していますから。これは、阪神淡路大震災の時、神戸の教会に救援活動で行った時、水道が止まっていて、バケツに水を入れて、それで流していたのを見たから、そのようにしてきました。飲める水をトイレに流すのは、もったいないですよね。21世紀は、水争いの時代だとも言われています。それほど、飲める水というのは、貴重なのです。海に沢山水がありますが、あれは塩水ですから。真水は、本当に少ないのです。それはそうとして、無事ガスも水道も復旧しました。しかし、40年前のもので、地中のどこで、又、漏れるか分からないので、配管をしかえる見積もりを持ってこられるということです。水道もしかりです。水道管の中も錆だらけとのこと。やり変えなければいけない時期が来ているのでしょうか。ちょっと経費が気になります。
2009.07.07
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前のブログに、今日は、色々なことがあり、忙しい一日でした、と書きましたが、ちょっとした事故がありました。一つは、パソコンのメールに関してです。私のメールアドレスで送ってくる迷惑メールがあり、メールをいじっていると、変になってしまいました。その対策にプロの方に来ていただきました。もう一件は、ガス漏れです。怖いですね~~~。爆発するほどの量ではありませんが、ガスが漏れている、ということで、あちらこちらを調べていただき、見つかりましたが、修理できにくいところで、又、明日来てくれることになりました。そこで、今日晩と明朝までは、ガスが使えなくなりました。今日の晩ご飯は、カセットコンロを使って、ラーメンです。おいしかった!!!早くガスが使えるようにならないかな~~~。
2009.07.06
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今日の岡山地区婦人部の委員会で、最初ご祈念をした後、お話を10分ほどさせて頂きました。会長になられた人から、せっかくですので、お話を聞かせてほしい、という要望があったからです。ですので、思うままにお話をさせて頂きました。最初ということもあり、岡山地区婦人部について思っていること、今年が立教150年ということ、その中で結界取次の充実が願われているということ、そのための自分なりの取り組みなどを、思うままに話しました。まとまりはありませんでしたが、サツマイモと話は、筋がないのがいい、と言われますので、ご勘弁いただくことにして、又、次回、ご期待を・・・していない?ということで、今日は、その他、色々なことがあり、忙しい一日でした。
2009.07.06
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今日は、岡山地区婦人部の委員会が当教会で開かれます。今年7月から2年間、会長教会になったからです。岡山地区婦人部では、教会が順番に会長を引き受けるようになりました。そうしないと、会長を引き受ける教会が固定化するからです。そういうことで、会長教会をお受けするわけですが、会長になってくださる婦人の方がおり、助かります。委員会には、私は相談役として出席します。岡山地区婦人部では、毎年、新春講演会を開催しています。200人ほどの参加者がある講演会です。これだけの動員力がある会は少ないです。これからも、いい講演会が開催できるよう、祈らせていただきたいと思います。
2009.07.06
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禅僧の南直哉さんが、次のように語っています。原始仏典の中で、ブッダがこう言うところがあるんですよ。「世の中には、色々な考え方がある。この世はすべて因果で決まっている。運命で全部決まっていると。そう言って、私の考えを否定する人がいる。又ある者は、絶対神がいて、これがすべてを決めていると、私の考えを批判する。又ある人間は、何もかも全部が偶然の産物であると。そう言って、私の考えを否定する人もいる」しかし、ブッダは、いずれの考え方も否定するんです。なぜなら、こうした考え方は、人が努力して精進することを否定しているからです。以上です。ブッダは、賢い人であるなあ、と思います。人がその考えを持つことで、どうなるかまで考えているのです。人の努力精進を否定する考えは、いかなる考えも正しいとはいえません。努力精進は、人間の素晴らしい徳目なのです。努力精進する人は、美しいと思います。そうありたいと思います。今日も、お参りの精進をされ、ありがとうございます。
2009.07.05
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今日は、岡山県の教会が勢を揃えてのご本部参拝がありました。昨日の芸備教会に続いての参拝です。芸備教会には、教会から8人参拝しました。今日のご本部参拝は、最初4人の予定でしたが、7人に増えました。参拝は、お徳を頂きますから、多いほうがいいです。沢山でお参りして、お徳を沢山頂くほうがいいです。今日、ある方から、「願い事がかなわないのは、それだけの力しかない神様なのか」という質問がありました。その時には、それなりに答えましたが、後で考えてみると、この神様は、できられないことは何もないのです。そうした万能の神様ですが、願い事をかなえるためには、その人の徳を使われるのです。ですから、願いが叶うと、お徳が減るのです。ですから、徳を有効に使わなければなりません。神様は先々を見通されているので、ここで徳を使おう、と考えておられるのです。ですから、人間の願いどおりにはいかなくても、神様の願い通りにいっている、とも言えます。人間側は、そのことを感謝して、喜ぶことがいります。そのことで、よりスムーズに神様のおかげを渡す計画がうまくいくのです。愚痴不足の気持ちを持つと、その計画がうまくいかなくなるのです。本当のおかげを頂きたいのであれば、そこまで神様を信じることがいるでしょう。そんなことを考えました。
2009.07.04
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芸備教会御用始め130年祭にお参りして、帰って来ました。落語家の桂かい枝さんの落語があり、文句なく笑わせていただきました。この桂かい枝さんは、芸備教会初代教会長・佐藤範雄先生のひ孫になるのだそうです。そのようなご縁で、このたびの記念祭で落語をされることになりました。桂かい枝さんは、英語落語などにも挑戦され、海外でも活躍しておられます。笑いは世界共通であり、間違いなく人を幸せにしますね。そうした笑いがあふれる環境にして行きたいと思います。しかし、私のジョークは、さむ~~~ということになりやすいのですけどね。
2009.07.03
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ブログを開設して、1000日になりました。これも、読んでくださる人があってのことです。ありがとうございます。金光教は、「あっての」の関係を大切にします。あなたあっての私。親あっての子、子あっての親。神あっての氏子、氏子あっての神。どちらが上ということはありません。お互いがかけがえのない、大切な関係なのです。相手がなければ、自分が存在しません。あなたがいるから、今の私がいるのです。ありがとうございます。
2009.07.02
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明日、芸備教会御用始め130年祭に参拝します。教祖様が立教神伝を受けられ、20年後に、青年の佐藤範雄先生が、結界取次の御用をはじめられたのです。60歳過ぎの教祖様のところに、青年の佐藤範雄先生が参られて、その神徳に打たれたのです。話を聞きたい、と言われる年寄りになれ、と言われていますが、老齢の教祖のもとに、若者たちが引き寄せられ、その若者たちが、教団をつくっていったのです。教祖様の話には、ロマンがあります。そして、人を救いたい、という愛と情熱があります。今朝の「朝日新聞」に、歳をとったオードリー・ヘップバーンが載っています。そして、「私が未来のお話なんて、おかしいかしら?人間はね、未来に希望をもっていることが、いちばん大事なの。もちろん私にもありますよ。ワクワクするような、想いが。私がこれから、恋をするかもしれないでしょ。これから会社を起こすかもしれないでしょ。皆さんにもきっと、ありますよね。愛すべき未来へのキラキラとした希望が。とっても、期待していますからね」と書かれています。人の精神は、いつまでも若いのがいいですよね。それは、未来を見ていることです。ロマンを持っていることです。
2009.07.02
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教会に参拝することで、お徳が頂け、本心の玉が磨かれる、と書きました。ですから、教会には、毎日参拝するのがいいのです。理想は、朝お参りして、一日のお願いをし、夕方お参りして、一日の御礼をすることですが、そこまでは、なかなかでしょう。しかし、それを貫けば、本心の玉が磨かれること、間違いなしです。そして、御結界に行き、お取次を頂くことが大切です。参拝しても、お取次を頂かなかったら、半分しかお徳を頂くことはできません。もったいないことです。そして、本心の玉を磨くには、教祖様の教えを聞くことです。神の一言には、船にも車にも積めぬほどの神徳があります。教えを頂けば頂くほど、神徳がいただけ、本心の玉が磨かれるのです。あるお徳のあられた先生は、毎日、教祖様のご理解百節を読まれていました。毎日、頂いておられたのでした。そのことで、お徳を頂かれたのでした。み教えには、それほどの力があります。
2009.07.01
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