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朝ドラ「らんまん」は、最初の妻=牧野猶の存在を隠蔽して、ひたすら牧野富太郎の人生を美化するのでは?!…との憶測もされてましたが、じつは姉の綾のモデルが牧野猶だったのですね。昨年の朝井まかての小説「ボタニカ」が、この牧野猶のことをクローズアップしてるらしい。ドラマの放送がはじまる直前の3月31日には、朝井まかてがラジオ深夜便に出演して、牧野富太郎について話したようです(聴いてないけど)。朝井まかての小説は、朝ドラ「らんまん」と、どういう関係になってるのでしょう?NHKは、朝井まかての「眩」などもドラマ化しています。しかし、今回の「らんまん」にかんしては、朝井の小説を原作にしてるわけじゃありません…。わたしが思うに、朝ドラ「らんまん」と朝井の小説「ボタニカ」は、まったく無関係ってわけでもないのだろうけど、いわば競作のような関係になってるのかなと思います。追記:じつは脚本の長田育恵は、朝井まかてが「眩」を発表したのと同じ2016年に、戯曲「燦々」を書いていて、どちらも葛飾応為の話だったのです!そこでも競作の関係になっている。≫ https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/201709260000/長田育恵にも《歴史作家》としての面があり、上白石萌歌の「ゲルニカ」みたいな戯曲だけでなく、NHKでは「ルソン島、戦火の約束」のようなドラマも書いてます。今回の朝ドラも、そうした長田のオリジナル作品ってことなのでしょうね。長田育恵と萌歌 — ステージナタリー (@stage_natalie) July 8, 2020 そう考えると、朝井まかての「ボタニカ」、いとうせいこうの「われらの牧野富太郎!」、そして、長田育恵の小説版「らんまん」、…この3作が競作関係と見ることもできそうです。いとうせいこうの本には、朝井まかてと長田育恵も参加しています。◇今回の作品は、序盤を見るかぎり、朝ドラに典型的なサクセスストーリーって感じでしたが、ここにきて、かなり史実を踏まえてる感じがしてきた。そこに長田育恵の「作風」も見えてきた気がします。富太郎の両親が早くに亡くなったのは史実だし、いとこの猶の両親が亡くなっていたのも史実のようです。(猶の両親がコレラで死んだのかは分かりませんが)猶のほうが年下なので、ドラマとは逆になってるけど、富太郎と猶はやはり兄妹のような関係だったらしい。そして、祖母は2人を結婚させましたが、実質的な夫婦生活はほとんどなかったのだろうと思う。ドラマでも描かれているとおり、富太郎は酒も煙草もやらず、家業を祖母や猶や番頭に任せきりだったらしいので、猶に家業を継がせる(養女にする)ための、形式的な結婚をさせた可能性もなくはありません。(事実、結果としては猶が家業を継ぐことになっている)祖母が亡くなって、2人が離婚した後に、富太郎が東京の菓子屋の娘と再婚し、猶が番頭の井上和之助と再婚したのも史実です。ちなみに、若い頃の牧野富太郎は、まるで成田凌みたいな美男子です。ぶっちゃけ、神木くんよりイケメンだったかも(笑)。浜辺美波と成田凌 牧野富太郎の2番目の妻となる小沢壽衛は、井伊家の家臣だった父と、芸妓だった母のあいだに生まれ、幼いころは裕福だったものの、父親の死後は、母が芸妓置屋や菓子屋を営んだそうです。牧瀬里穂と浜辺美波の演じる菓子屋の2人が、商売上手で愛想のよいチャキチャキの美人母娘って設定は、その意味で史実にもとづいているのだと思う。きっと江戸育ちの粋な女性だったのでしょう。◇そういえば、第1週では坂本龍馬も登場しましたが、牧野家と坂本家が遠からぬ関係だった事実もあるとのこと。また、牧野富太郎が、自由民権運動の弁士として演説してたのも事実ですが、ジョン万次郎との関係については不明です(^^;
2023.04.30

ペントレの第2話。未来世界への遭難から、2~4日ほど経ったようですが、スマホの電源は切れたものの、あいかわらず、男性にはヒゲが生えてこないし、女性のメイクも崩れていません。◇それどころか!!次週の予告を見ると!!…萌歌と赤楚くんが着替えているw着替えの謎を考察!!#上白石萌歌 #赤楚衛二 #ペンディングトレイン #ペントレ #ペンディングトレイン考察 #ペントレ考察 pic.twitter.com/2waY4fN4ve— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) April 29, 2023意外に快適なペントレライフ?着替えの理由は分からないけど、文明が死滅したとはいえ、文明の遺産はいたるところに残っているのかもしれません。◇とりあえず水場が見つかったので、飲料水だけでなく、入浴とか、洗濯とかも、なんとかなるのかもしれないし、食べられる野草の知識をもった人がいれば、けっこう生き延びられるのかもしれませんし、鍋代わりの器があれば、野草スープを煮込めるかも。◇男性の顔にヒゲが生えてこないのは、脚本の問題というより、演出ぐるみで意図的にやってる可能性が高い。男性がみんなヒゲ面になって、視聴者が画面に耐えられなくなるのを避けてるのか、SNSのトレンド入りを狙って、あえて「ツッコミどころ」を色々とまぶしてるのか、あるいは、なんらかの超常現象で、人間の新陳代謝が止まってるのかもしれないし、じつは「メタバースでした!」ってオチも捨てがたい。はたまた、制作側が「リアリティを追求する気なし!」ってことを、暗に宣言してるのかもしれません。…まったくの余談ですが、Official髭男dismも、そのバンド名のわりには、ヒゲを生やしたメンバーが一人もいないよね。◇ほんとうなら、1~2日ぐらい経った時点で、泣き出す女性や、凶暴になる男性が、もっと沢山いても不思議ではないし、4日も経ったら、泣いたり怒ったりする気力すらなくなって、ほとんど身動きできなくなる人が続出しそうだけど、意外なほどに、まだ理性も精神力も保たれてますよね。夏ではなさそうなので、体臭の問題とか、虫の問題とかは、それほど顕在化しないのかしら?でも、トイレの問題は、そろそろ深刻になってきても不思議ではない。スコップがなかったら穴も掘れないし、水場で汚物を処理できるかも微妙なところです。擦り傷の消毒ができないのも辛いよね。◇人間がいなくなった世界なら、夜には驚くような満天の星空が広がるはずだけど、満月しか見えなかったのは肩透かしです。満天の星空。まあ「満月だったから星が見えない」という理屈も成り立つけど。崖の上からは富士山まで見渡せましたが、水場があるのだから、崖の上が頂上ではありませんよね。そう考えないと物理的に成り立ちません。◇このドラマの最大の不安要因は、「脚本が金子ありさ」ってことなのだけど(笑)いまのところは、まだ決定的に破綻してるとまでは言えない。TBS×金子ありさ×ヒゲダン×上白石姉妹 …といえば、完全に「恋つづ」のフォーマットと同じなので、このままラブコメに移行したら、それはそれで笑えるけどwどうせなら、ミネラルウォーターのペットボトルじゃなく、午後ティーのペットボトルをどこかで拾ってきて、沢のほとりで萌歌&海が飲んでもいいのよね。なんなら白石聖ちゃんもまじえて。
2023.04.30

先週の朝ドラ「らんまん」に、いとうせいこうが植物学者の役で出演したので、1月に見たNスぺ「超進化論」のことが繋がりました。https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202301080000/いとうせいこうが演じる「里中芳生」は、博物学者の田中芳男がモデルになってるようです。いとうせいこう×植物×NHKといえば、ドラマ「植物男子ベランダー」とか、原作エッセイ「ボタニカルライフ」とかが、一般的には思い浮かぶわけでしょうけど、そもそも彼の植物愛って、どこから来てるのかしら?わたしは、やっぱり、スティーヴィーワンダーの「シークレットライフ」じゃないかな、…と思ってるのよね。The Secret Life of Plants/植物の神秘生活俺が先生と呼ぶ音楽家は四人だけ。スティービー・ワンダー先生、ボブ・マーリー先生、マービン・ゲイ先生、そしてスライ・ストーン先生だ!— いとうせいこう (@seikoito) June 16, 2015 何年前だったか、アイゴンとのユニットjust a robberで録音したスティービー『power flower』の日本語詩カバーを急に思い出してデータを送ってもらって聴いた。当時俺は鬱病の底にいて、よくぞ歌なんか歌ったなという超弱ボーカル。それがたまらなくいいw!— いとうせいこう (@seikoito) May 12, 2021 スティービーの原曲は植物ドキュメンタリーのサントラアルバムに収録で、三十数年後、西城さんはEテレ「やさいの時間」にレギュラー出演する。筋が通ってるなあと当時つくづく思ったものです。 https://t.co/03vqQi4unW— いとうせいこう (@seikoito) May 19, 2018いとうせいこうの植物関連書籍はたくさんあって、彼が編集した『PLANTED』という植物雑誌もあったし、そこでも牧野富太郎のことを取り上げてるし、今年の3月には「われらの牧野富太郎!」という本も出てるので、もしかしたら、彼が今回の朝ドラの企画・原案・監修をしてるんじゃないの?とまで思えてきます。
2023.04.29
俗語に「ガタイが良い」という表現がありますが、この「ガタイ」という言葉の語源を調べてみました。※一昨日の記事の最後にこの言葉を使ったからですw「ガッシリしている」「ガテン系」「ガツンと行く」「ガッツがある」…など、最初に「ガ」がくる言葉には共通の語感がありますよね。しかし、結論をいうと「ガタイ」の語源は不詳だそうです。◇比較的あたらしい言葉だと思ったので、「ガテン系」に関係があるのかな?と思いましたが、「ガタイ」のほうはすでに1970年代に用例があって、90年代に使われはじめた「ガテン系」よりもだいぶ古い。がたい〘名〙 (「がかい」と「図体」とが混同してできた語か) 外見の大きさ。図体。がかい。※唐獅子惑星戦争(1978)〈小林信彦〉唐獅子探偵群像「死体(ほとけ)の図体(ガタイ)は大きおますか」https://kotobank.jp/word/%E3%81%8C%E3%81%9F%E3%81%84-463264ガテンは、リクルートから出版されていた求人情報誌の名称。1991年9月創刊。誌名は「合点がいく」と「がってん(OKの意)」を合わせて決定。肉体労働の職種を指す俗語「ガテン系」は、この雑誌名が語源である。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%86%E3%83%B3もともと「合点」と「がってん」は同じですけどね…(^^;◇上に引用したとおり、小林信彦は「図体」と書いて「ガタイ」と読ませてますが、じつは「図体」の同義語に「がかい」という言葉もあるのですね。とはいえ、「図体」も「がかい」もやはり語源が不明です。「がかい」のほうは、東北などの方言で「外観」や「外見」の意味らしい。発音的には、むしろ「外界」に近い気もしますし、考えようによっては「囲い」とか「格好」に似てなくもない。「図体」のほうは、「胴体」が訛ったとの説がありますが、「dotai」と「zutai」ではだいぶ違いますね。かりに「dutai(ドゥータイ)」と発音する日本人がいれば、「dotai」→「dutai」→「zutai」と転じるのかしら?いずれにせよ、「zutai」に「図体」と漢字を当てたわけでしょう。◇わたしの想像ですけど、「図体」の漢字を置き代えて、「画体」という言葉があったとしても不思議じゃない、…という気もします。たとえば画家が、モデルの身体を、「図体がいい」と言わずに「画体がいい」と言ったのかも。まあ、語源俗解の域を出ませんが。◇余談ですが、「ガッツがある」の「ガッツ」は日本語ではなく、「gut」という英語の複数形です。英語の「gut」は、物理的には「内臓」、精神的には「胆力」の意味。ラケットの弦(ガット)と同じ語源です。
2023.04.28

タイトルが「らんまん」ですから、ドラマの要所要所で、花々が爛漫に咲き乱れるシーンが出てくるはずですが、そのなかでも先週のラストシーンはとくに美しかった。満開の桜の花の下を、寿恵子がおみやげを渡しに追いかけてくるところ。淡い夢のような美しさに、思わず胸が絞めつけられて、何度も何度も見返してしまいました。◇寿恵子は、はじめは万太郎のことを忘れていましたが、ふと木から落ちた「カエル様」だと思い出し、遠い四国の田舎へ帰っていくという万太郎に、おみやげを持たせようと追いかけてくるけれど、それ以上の下心は何もありません。牧瀬里穂は九州の人。浜辺美波は北陸の人。2人とも出身は東京じゃありませんが、チャキチャキした東京女の雰囲気とか、愛想がよくて後くされない感じがよく出ています。◇これまでの美波の作品のなかで、いちばん美しいと思ってたのは、日テレの「ウチカレ」のときに、岡田健史が、眠っている美波のメガネを外すシーンだったのだけれど、今回は、それを超える美しさでした。…といっても、それは浜辺美波の美しさというより、なによりも夜店や夜桜の美しさだったのですね。そして、東京の娘への届かぬ片思いを抱きつつ、後ろ髪ひかれながら故郷へ戻らねばならない万太郎の、切なさから来る美しさでした。かるやきが美味しそうに膨らむ カエル様を見つけた寿恵子
2023.04.27
読売新聞や毎日新聞などの社説は、「AIが思考力の育成を妨げる」と主張し、教育現場からAIを排除するように促しています。しかし、そんなことをしていたら、日本はいずれ世界から取り残されます。じつに馬鹿げている。そもそも、チャットGPTの回答を丸写しにするような学生は、AIがあろうとなかろうと、はなから友達のノートを丸写しにしたり、参考書を丸写しにしたり、Wikipediaをコピペしていたに違いないのだから、いまに始まった話ではありません。重要なのは、この機会に教育のあり方そのものを刷新することです。AI時代の教育スタイルを早急に整備しなければならない。◇藤井聡太を見ればわかるように、人間の思考力は、AIを使いこなしてこそ、かつてないほどのレベルにまで養われるのであって、むしろ必要なのは、いかにAIと向き合い、いかにAIを使いこなすか、それを学ばせるためのカリキュラムであり、そのための新しい課題を与えることなのです。それが出来ないのは、ほかならぬ学校と教師の「思考力」が欠如しているからです。変化に対応できないのは頭がボケている証拠です。従来どおりのアナクロな教育慣習を保守するだけなら、学校や教師の役割はもう終了したと考えたほうがいい。すぐにでも廃業すべきです。馬鹿な教師は淘汰され、馬鹿な学校も淘汰されます。◇東大ともあろうものが、「AIを使わずに論文を書きましょう!」などと指導するのは、それを見抜けないほどに教授陣が愚かだからであり、AIにも回答できる程度のテーマしかもっていないからです。そんな教育をやったところで、これからのAI時代には何の役にも立たないし、そんな教育現場はたんに教授自身の自己満足の場に過ぎません。今後は、よりいっそう高度な教育が必要とされます。なんなら学生の査定にもAIを用いるべきです。
2023.04.26

テレ朝日ナイトドラマ「波よ聞いてくれ」。◇面白かったです。けっして一般受けしそうな内容ではないし、小芝風花のキャラ変に馴染めない人もいるだろうけど、わたしはさほど気にならない。このドラマの世界観が好きです。海辺の町のローカルな雰囲気に惹かれるのよね。昔でいうと、長瀬智也の「彼女が死んじゃった」とか、もっと遡れば、斉藤由貴の「湘南物語」みたいな感じ。そういえば、片岡鶴太郎の「海岸物語」とか、中井貴一と小泉今日子の「最後から二番目の恋」とかも、海辺の町が舞台でしたね。◇このタイトルを見て、てっきり横浜が舞台かと思ってましたが、そうではありませんでした。第1話に「舞波町」という地名が出てくる。別れた男は九州男児。主人公は釧路出身。アルバイト先はスープカレー屋さん。Wikipediaによると、原作漫画は札幌が舞台とのこと。でも、札幌に海はないし、一体どこなの?…で、よくよくTVerを見直してみたら、「千葉県沙村市高崎区舞波町」が舞台と分かりました。これは実在しない地名なのですね。原作者の名前が「沙村広明」なので、そこから作った架空の地名だろうと思います。あんまり千葉っぽさは感じないけれど、まあ、架空の港町だと思えばいいのかもしれません。◇原作は読んでいませんが、海辺の町の人間模様を描く物語になるのかな。それほど暗い話にはならなそうだし、気軽に雰囲気を楽しみたいと思います。それにしても、小芝風花は、意外にグラマーなのでびっくり!つーか、けっこうガタイよくね? 肩のあたりとか。彼女がフィギュア選手だったのは知ってますが、なんか格闘家みたいな体型だと思いました…(笑)。
2023.04.25

駆ける子と背で鳴る氷夏囃す わかめ狩り水筒ころがす親父の船 春暁や陣痛室で握る水 背後より歳時記覗く椿あり 水筒の底にゐる春愁の澱 花冷の砂かぶり席売り子駆く 水筒の囀り満たし一息にプレバト俳句。お題は「水筒」。◇キスマイ横尾。花冷の砂かぶり席 売り子駆く売り子駆く 花冷の砂かぶり席(添削後)原句の「砂かぶり」と「売り子」は名詞ですが、字面的には「砂かぶり、席売り、子駆く」と、動詞が3つ並んでるように見えてしまう。いわば、{名詞+動詞+名詞+動詞+名詞+動詞}の形なので、動詞が述語なのか修飾語なのかを読み迷わせる。ちなみに、わたしは、「砂かぶり席」という単語自体を知らなかったので、相撲の場面と誤読することはありませんでしたが。◇梅沢富美男。水筒の囀さえずり満たし一息に水筒はさへづる 囀りの真下(添削後)原句の「囀り」は名詞だけれど、「囀り、満たし」と動詞が2つに見えるし、末尾には「飲む」も省略されているので、これまた、ややこしくて読み迷わせる。そのうえ、何が何を「満たす」のかも不明瞭で、一見すると、ほとんど日本語としての体をなしていません。まあ、「水筒のさえずりをコップに満たして一息に飲んだ」と解説されれば、それなりに詩情も理解はできますが、あまりにも技術的に覚束ないので、結果的には、季語の「囀り」をクサい比喩にしただけの句でした。◇コットン西村。駆ける子と背で鳴る氷夏囃はやす駆ける子と背で鳴る氷 夏の空(添削後)これが今週の1位。詩情の面で評価されたとは思いますが、技術的にいろいろと問題が多い。ちょっと身の丈以上のことをやりすぎてる感じです。最大の問題は、やはり動詞が多いこと。「駆ける」「鳴る」「囃す」の3つですね。世間には「氷夏」なんて造語があったりもするし、どれが主語で、どこで切れるのか、かなり分かりにくい。わたしは「夏囃す」という季語があるのかしら?…などと勘違いしましたが、そういうわけでもありません。結論をいうと、原句には切れがなく、一句一章です。構造的には、主語A:駆ける子と主語B:背で鳴る氷が述語 :夏を囃している※正確には「主語」でなく「主部」、「述語」でなく「 述部」です。というワンセンテンスの句ですね。そのなかで、主語Aの「駆ける子が夏を囃す」という比喩と、主語Bの「氷の音が夏を囃す」という擬人化を、いっぺんにやってる形です。しかし、とくに主語Bの「鳴る氷が囃す」は、修飾語の動詞と、述語の動詞が、どちらも音の情報になって紛らわしい。そのうえ2つの主語の関係は、主語B「リヤカーを引く氷売りの主人公」と、主語A「その横を走ってる子供」というようにも誤読できます。子供自身の背中で氷が鳴っているのなら、「駆ける子と」ではなく「駆ける子の」にすべきです。他方、場所の助詞「で」は、許容範囲内と判断されたのかもしれないけど、わたしなら、やはり「駆ける子の背に鳴る氷」とします。◇村上弘明。わかめ狩り 水筒ころがす親父の船水筒をころがし父の若布わかめ船(添削後)季語の「わかめ狩り(若布刈)」は名詞ですが、字面のうえでは「狩り、ころがす」と動詞が2つ見えるし、とくに「水筒ころがす親父」のように、2つの名詞で動詞を挟んだ場合は、動詞が述語なのか修飾語なのかが分かりにくい。たとえば「犬食べる鳥」と書いたときに、切れの位置によって、「犬が食べている」とも読めるし、「鳥が食べている」とも読める、ってことです。作者自身は、「船が水筒を転がす」という擬人化を意図したらしい。でも、読んだだけでは主語が「親父」か「船」かは分からない。添削でも「父」が主語になっているように見えますね。◇篠原ゆき子。背後より歳時記覗く椿あり歳時記を覗くか 目のような椿(添削後)動詞は「覗く」「あり」の2つ。このぐらいなら許容範囲内だろうと思います。季語の「椿」を擬人化した句ですが、あまりに主観に傾きすぎて無内容に見えるから、まずはやはり客観写生の原則に立つべし、ってことですね。◇春香クリスティーン。春暁や 陣痛室で握る水水筒を握る陣痛 春の暁あけ(添削後)動詞は「握る」のひとつだけ。動詞が少ないと、じつにスッキリして見えます(笑)。原句の「水を握る」というのは、ペットボトル時代ならではの言い方ではあるものの、俳句の表現としては、やや無理があったのかな。(わたし自身は、さほど違和感ありませんが)ちなみに、添削は「水筒」に直してますが、映像でもペットボトルだったし、作者が意図したのもペットボトルだと思います。場所の助詞「で」はちょっと説明的でしたね。◇森口瑤子。水筒の底にゐる春愁の澱おりこれも動詞は「ゐる」のひとつだけ。この場合の「澱」の不気味な擬人化は効果的でした。梅沢も言ってましたが、(「ぴこんぴこん」とか「だってば」とかじゃなく)こっちこそが「森口節」だろうと思います。それにしても、遠足のリュックの底にチョコの染み花疲れ リュックの底の底に鍵春愁をエスカレーター地下へ地下へ…と、なぜ森口瑤子は「底」が好きなのかしらねえ。夫婦ともども、底を覗かずにはいられない性分なのでしょうか。
2023.04.24
日テレ「ドクターチョコレート」。秋元康の企画ってことで、どうも不信感を拭えないけれど、第1話は、予想以上に面白かったです。でもねえ…秋元康の企画って、センセーショナリズムにばかり終始して、結局、中身が何もないまま、たんなる企画倒れに終わってしまいがち。唯一、いままでに満足できたドラマは、テレ東の「じゃない方の彼女」だけです。結局は、脚本家の手腕に委ねられるってことですね。◇でも、まあ、白山乃愛ちゃんをいきなりの主役に抜擢した勇気は買う!東宝シンデレラになって数ヶ月でこれだけ出来るのはスゴイ。彼女は、いま10才なのですね。「レミゼ」のときの山本耕史が10才で、「家なき子」の安達祐実が12才でしたから、そのへんも意識した配役なのでしょう。◇日テレの、しかも東宝シンデレラによる医療サスペンスなので、浜辺美波の「ドクターホワイト」っぽくなるのかと思いきや、雰囲気的には、完全に「ブラックジャック&ピノコ」でしたね。つまり、サスペンスというよりファンタジーの感が強かった。いい意味での漫画っぽさがあって、可愛らしさと楽しさを押し出してる感じ。チームの全員にあだ名をつけたのも分かりやすいし、最後にみんなでチョコレートを食べるのも悪くないと思います。— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) April 23, 2023 ◇ところで、西野七瀬&由貴ちゃんは、テレ東の「言霊荘」につづいて秋元ドラマでの共演。まあ、由貴ちゃんは高井麻巳子の親友だから仕方ない。乃愛ちゃんの後見人って感じもあるし。西野七瀬の美しさも、物語のよいアクセントになってます。↓これは笑ったw — Dr.チョコレート【公式】毎週土曜よる10時! (@drchocolate_ntv) April 19, 2023
2023.04.23
ヤフコメが、AIによる「多様化モデル」を導入したそうです。以下、ニュース記事からの引用。ヤフーは、「Yahoo!ニュース」のコメント欄に、多様なコメントを表示するようにする独自のAIモデル「コメント多様化モデル」の導入を開始した。コメント多様化モデルは、記事に投稿されたコメントの意味・内容を把握し、類似する度合いによってコメントをグループに分けておく。その上で、グループ内の代表的なものをコメント欄の上位に表示する。これにより、ニュースに対するさまざまな見方を提示し、同じ意見ばかり見て、偏りが増幅される「エコーチェンバー現象」の軽減につながる効果も期待されている。https://k-tai.watch.impress.co.jp/docs/news/1494403.htmlわたし自身、1/25の記事で、ネット掲示板などで熟議を促すなら、ひとつのトピックに対し「Yes」「No」など2つのスレッドが必要。…と書きましたが、エコーチェンバーを避けるためには、すくなくとも「両論併記」が必要です。◇それはそうと、エコーチェンバーの巣窟になってるのは、Yahoo!よりも、むしろTwitterのほうだと思います。自己承認欲求をたがいに満たし合うために、「相互フォロー」や「相互いいね」を返礼し合って、同じ価値観の人間だけが狭いコミュニティに自閉している。当人たちの勝手と言えばそれまでですが、そこから荒唐無稽なデマが拡散したり、偏見にもとづく炎上が起こったりするし、スケープゴートを排除するいじめの温床にもなります。しかも、相互フォローや相互いいねが増幅するほど、「数の多さで情報の真偽や価値が決まる」と思い込む閲覧者は後を絶たず、フォロー数やいいね数の多い書き込みを、そのまま真実と信じ、そこに価値があると勘違いしてしまう。そうした指標のありかたにも問題があります。Twitterの「相互フォロー」や「相互いいね」は、年賀状やお中元や義理チョコなどと同じで、相互に承認し合うだけの虚礼行為にすぎませんが、同調性の強い日本人の場合はとくに、そのような虚礼行為に価値があると考えがちです。◇ところで、今年2月に、「Yahoo知恵袋で嘘の回答をした男が逮捕」というニュースがありました。(ニュースソースはネット上から消えてるようです)もちろん、虚偽情報を発信しただけで逮捕はされないので、このときの罪状は、あくまで「企業に対する信用棄損」です。そもそも、デマの拡散を防ぐために必要なのは、虚偽情報に対する取り締まりではありません。ネットから虚偽情報を除去するなんて不可能ですから。だれしも、悪意の有無にかかわらず、虚偽情報を発信してしまうことはあるし、(わたしもしばしば間違ったことを書いて修正している)伝言ゲームが、いつのまにか嘘になることだってあります。さらに、個人だけではなく、マスコミや公共機関でさえ、つねに正しい情報を発信しているとは限りません。イラク戦争のときも、安倍政権の時代にも、嘘っぱちをばらまいたのは、むしろ国家とマスコミでした。誰ひとり、絶対的に信用できる情報発信者ではありえないし、誰ひとり、真偽を判定するための絶対的な資格ももっていません。であれば、せめて「両論併記」をしつづけるしかない。あるいは多様な意見にさらしつづけるしかない。◇ちなみに、Twitterでデマが拡散しやすいのは、短文での投稿やリツイートによる受け売りが、リテラシーの低い層にも利用しやすいからです。論理性を欠いた短文でも容易に発信できてしまう。だからこそTwitterは広く普及したのですが、それだけに、この安易さは諸刃の剣です。経営的に考えれば、リテラシーの低い層にまで訴求するサービスのほうがいい。そのためには、「不都合な真実」にまで目を向けさせるのではなく、せいぜい「都合のよい嘘」に自足させておくほうが、消費者の需要には適っているといえるでしょう。たとえば、「日本が負けている」という真実よりも、「日本が勝っている」という嘘のほうに需要がある。そういう民衆の傾向は、戦時中から変わっていません。実際、リテラシーの低い民衆ほど、不都合な真実からは目を背けたがるものだし、両論併記に耐えられる精神的なキャパシティもありません。…しかし、いまや、ネットメディアにも放送と同等の公共性があります。たんに利益だけを追求する段階ではなくなっています。
2023.04.23
楳図かずお&大森美香の「漂流教室」は、もうどんな結末だったのか覚えていませんが、やたらと絶望的な話だった記憶がある…。でも、あらためてネットで調べてみたら、(すくなくともドラマのほうは)タイムワープによるパラレルワールドの話で、最後はそれなりに希望のある結末だったらしい。◇今回の「ペントレ」では、萌歌が赤ん坊を抱いて走っている場面が、たぶん最後のほうに出てくるはずだから、やはり何らかの希望がある結末になるとは思う。…でも、そこに至るまでの道のりは、かなり苛酷で壮絶なものになるのでしょうね。◇今回は、子供たちではなく大人たちの物語なので、たんにサバイバルが描かれるだけでなく、それぞれの「過去」の物語にも重心が置かれるようです。とくに、主人公と出所した弟との物語が軸になる感じ。杉本哲太は、結婚指輪を投げ捨てて「フリーダム!」と叫んでましたが、そのうち妻と子供が恋しくなるんじゃないの?(笑)◇ちなみにタイトルの意味は、「(時空間に)宙吊りの列車」みたいなことでしょうか。— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) April 21, 2023
2023.04.22

政府は「異次元の少子化対策」と言ってます。出産というのは、動物であれば「交尾して産む」という単純な話で、人間の多くも100年ぐらい前まではそうだったろうけど、資本主義社会が高度になるにつれて、そうそう簡単な話ではなくなってしまったし、とくにバブル期以降は、やたらとお金もかかるようになりました。◇大きく言うと、恋愛、結婚、出産には、それぞれに「経済的」「精神的」「時間的」なリスクとコストがある。それらをすべて取り除かなければ、少子化対策は成功しない。恋愛1.経済的コストデートするにもプレゼントするにもお金がかかりますよね。バレンタインデーにもクリスマスにも誕生日にもお金がかかります。よほどのお金持ちの子女でなければ、学生のうちからお金のかかる恋愛はできません。成人して仕事をもつようになっても、そうした費用を捻出するのは難しくなってると思う。今はそうでもないと思うけれど、バブル期には「男性は車を持ってて当然」みたいに思われてました。2.精神的コスト告白するときも、付き合いはじめるときも、精神的な負担って、半端じゃないですよね。自分の恋愛に対する友達や家族の評判も気になるし、三角関係に悩むこともある。もちろん付き合いはじめてからの気遣いや気苦労もある。失恋の不安もあるし、実際に失恋すれば精神的なダメージはとても大きい。3.時間的コスト学業が忙しすぎて恋愛できない、仕事が忙しすぎて恋愛できない、というのは大きい。とくに女性は、昔よりも忙しくなったはずです。自分の趣味の時間を奪われることや、生活のリズムを崩されることへの忌避感もあると思う。結婚4.経済的コスト結婚式にもお金がかかるし、新婚旅行にもお金がかかるし、新居や引っ越しにもお金がかかるし、男性なら指輪を買うにもお金がかかりますね。5.精神的コスト結婚にまつわる諸々の手続きの面倒くささ。女性なら苗字を変えることの手間とリスク。配偶者との生活上の相性もさることながら、配偶者家族とのお付き合いもあるし、ご近所どうしのお付き合いもあります。6.時間的コスト結婚の準備から新生活に至るまでに費やす時間は、無駄な手続きやイベントが多ければ多いほど増えるし、それによって仕事への影響が出てしまいますよね。出産7.経済的コスト不妊治療をする場合もあるだろうし、出産そのものにも費用がかかりますし、育児費用と、将来に待ち受ける莫大な教育費用があります。政府が「少子化対策」と言ってるのは、実質的にはこの部分だけです。8.精神的コストそもそも女性には身体的なリスクがあります。無事に出産したとしても、自分の人生に苦しんだ人は、子供の人生に責任を負うことへの不安をもつ。先天的な病気や障害だけでなく、毒親のトラウマ、いじめのトラウマ、学業のトラウマ、ハラスメントのトラウマ。自分の子供がそうした苦しみを背負うことへの不安。自分自身が毒親になることへの不安。9.時間的コスト男性であれ、女性であれ、子育てと仕事を両立するのは至難の技です。ふつうに考えれば、どちらか一方を選ぶのが合理的でしょう。つまり、仕事を辞めずに出産する場合は、子育てを第三者に委ねてしまったほうがいいってこと。◇以上、恋愛と結婚と出産には、大きく9つの次元のリスクやコストがあります。前にも書きましたが、個人レベルで考えれば、「恋愛も結婚も出産もしない」という選択が合理的。その点で、ミクロとマクロの利害が相反する。上記のようなリスクやコストを気にせずに、気軽に恋愛したり出産したりできるのは、よほどの金持ちの子女か、たぐいまれなバイタリティの持ち主か、後先を考えない動物的なヤンキーだけですね。政府は「異次元の少子化対策」と言ってますが、実際には9次元のうちの1次元に手をつけたにすぎない。◇わたしは核家族で子供を育てることに懐疑的です。統一教会じゃあありませんが、偽りの家族主義にこそ少子化の元凶がある。…どうせなら、マッチングシステムで引き合わせた男女に、結婚の前提なしに子供を作ってもらって、生まれた子供はすべて国家が引き受けて、一定の年齢まで全寮制で育てたらいいのでは?AIやロボットも活用しながら、子供も、老人も、一緒に暮らさせたらいいと思います。
2023.04.20

ひとつ前の記事で、映画やドラマの「弓道部女子」のことを書きましたが、…ツイッターにそれをまとめてる方々がいました。美波。 一般に、弓道部女子といえば、映画『時をかける少女』の原田知世のイメージが強いけど、おそらく原点は、堀田あけみの小説「1980アイコ十六歳」なのだと思います。1982年のテレビドラマ版では、伊藤つかさが主人公の織田アイコを演じている。他方、筒井康隆の小説「時をかける少女」では、主人公の芳山和子は弓道部ではありません。前の記事にも書きましたが、富田靖子が演じた1983年の映画版『アイコ十六歳』を、大林宣彦がプロデュースしてたので、ついでに同年の『時をかける少女』の原田知世も、弓道部ってことにしてしまったんだと思います。(公開は『時をかける少女』のほうがすこし先)しかし、それが、のちの弓道部女子のイメージを決定づけたのですね。◇以下、ツイッターを参考に年代順に並べてみました。ひまつぶし!(笑)1982 アイコ十六歳(伊藤つかさ)1983 時をかける少女(原田知世)1983 アイコ十六歳(富田靖子)1984 アイコ十六歳(真野あずさ)…2004 冬空に月は輝く(綾瀬はるか/佐藤めぐみ/水川あさみ/沢尻エリカ) 2006 ネスカフェ匠(伊東美咲) 2009 僕の初恋をキミに捧ぐ(井上真央) 2009 Hi-Fi CAMP「だから一歩前へ踏み出して」(川口春奈) 2010 時をかける少女(仲里依紗)2010 ブカツ道(成海璃子)2010 If~今日、恋をはじめます~(高城亜樹)2015 花燃ゆ(黒島結菜)2017 先生!好きになってもいいですか?(広瀬すず)2017 一礼して、キス(池田エライザ)2018 ボキャブライダー選ばれし者(浜辺美波)2018 半分、青い。(古畑星夏)2019 僕の初恋をキミに捧ぐ(桜井日奈子)2019 かぐや様は告らせたい(橋本環奈)2021 ブレイブ -群青戦記-(山崎紘菜)2021 書けないッ!?~脚本家 吉丸圭佑の筋書きのない生活~(山田杏奈)2022 鎌倉殿の13人(新垣結衣)2023 SUZUKIスペーシア(芦田愛菜)まだまだあるとは思いますが…なお、新垣結衣とかは弓道部じゃなくて戦国女子です(笑)。弓道部少女。 pic.twitter.com/rcUv2IYl3M— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) April 18, 2023— ひぞっこ (@musicapiccolino) May 15, 2018 — てす@花粉症😷 (@test84616661) April 11, 2015— てす@花粉症😷 (@test84616661) April 11, 2015 — てす@花粉症😷 (@test84616661) April 11, 2015— てす@花粉症😷 (@test84616661) April 12, 2015 — 左内 円卓倶楽部💉💉💉💉 (@sonthetown) January 17, 2021— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) April 19, 2023 紘菜。芦田愛菜。かつてのスケバン刑事も弓を引いてます!!from 言霊荘(2021)突然のサプライズにびっくりの #斉藤由貴 さん🎂ギフトを見て大喜びの様子がこちら🥰#食パン好きの由貴さんへ🍞#喜ぶ姿がかわいすぎます💕#西野七瀬 #永山絢斗#言霊荘 #10月9日土よる11時スタート pic.twitter.com/JOMjx81suw— 土曜ナイトドラマ『言霊荘』【公式】 (@kotodamasou) September 19, 2021 碧野圭「凜として弓を引く」余談ですが…斉藤由貴にはじまるポニーテール女子については、音楽惑星さんのサイトにまとめてもらってます。http://manzara77.blog.fc2.com/blog-entry-364.html#ponytail
2023.04.19

まずは、武部聡志の45周年ライブ(3月31日)について!わたしは、ネットではクレジットカードを使わない主義なのだけど、ローソンで「Vプリカギフト」ってのを手に入れて、なんとか配信チケットを購入できました。※残高はAmazonのEメールギフトで処理。ちょっと面倒くさかった。◇一青窈は、かつて見たことがないほど素晴らしいパフォーマンス。圧倒的でした。失礼ながら「もらい泣き」を聴いて感動したの初めて。あの曲の良さがはじめて分かった気がした(笑)。デタラメな古語ででっち上げられた「春よ来い」も、一青窈が歌ったら、不思議な説得力がありましたね…。あの曲は、日本より台湾の文脈で聴くべきなのかも。スガシカオの歌声も素晴らしかったです。でも、いわゆる《実力派》ばかりを揃えるのでないところが、武部らしさなのだろうな。ももクロにも胸を打つところがありました。— 武部聡志-TAKEBE SATOSHI- (@takebesatoshi) April 18, 2023 ◇由貴ちゃんは、な、な、なんと「ダンデライオン」を歌った。わたしは3月1日のブログ記事で、≫ 萌音は「Woman」も「ダンデライオン」も歌ってるけど、≫ 由貴ちゃんはまだ「ダンデライオン」を歌ってないよね。みたいなことを書いたばかりだったので、必然?偶然?たったの1ヶ月で実現する?!…さすがに驚きました。でも、「守ってあげたい」でなく、「ダンデライオン」を選ぶところに、やっぱり由貴ちゃんの意向が反映されてた気はします。そして、これにて、ユーミンを歌うのは3曲目、辛島美登里と「卒業写真」をデュエットしてました。他にもあるかも。原田知世を歌うのは2曲目ってことになる。ただ、萌音も由貴ちゃんも、「Woman」は "薬師丸ひろ子の曲" と認識してるようだけど、「ダンデライオン」は "ユーミンの曲" と認識してるっぽい。まあ、一般的にもそういう認識が普通でしょう。でも、わたしに言わせれば、やっぱり「ダンデライオン」は "原田知世の曲" なのよね。あくまでもユーミンが知世のために作った曲だから。— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) May 12, 2022◇じつは以前から、音楽惑星さんと《斉藤由貴と原田知世》について、ガッチリ話そうと思ったまま予定が伸び伸びになってます。おもなテーマは崎谷健次郎の作った「夢迷賦」ですが、他にもいろいろある。原田知世と斉藤由貴は、それぞれに《薬師丸ひろ子の後継》的な位置づけで、ほぼ同時代のアイドルとして活躍したのだけど、わたしの知るかぎり、両者は、共演機会がほとんど見当たらないのよね。由貴ちゃんのほうが1つ年上だけど、デビューは知世のほうが2年早いから、すこし由貴ちゃんが後追いになったぶん、活躍した時期が少しズレたともいえるし、あまりにも立ち位置が近いせいで、事実上の共演NGだった可能性もなくはない。とはいえ、「ダンデライオン」がアイドル期の精神的な支えになった、…という由貴ちゃんの話もあるし、知世の「夢迷賦」と由貴ちゃんの「意味」の関係もあるし、そのほかにも、筒井康隆とか、大林宣彦とか、高橋幸宏とか、かしぶち哲郎とか、中崎英也とか、間接的にはいろいろと共通項があって、林隆三の相手役だったというのもあるし、大森一樹の映画では原田貴和子の妹(!!)だったのもある。そこらへんを、いわゆる「夢迷賦問題」に絡めて話そうと思ってるんだけど、音楽惑星さんとの対話は『LOVE』までたどり着けそうにない(笑)。◇一方、筒井康隆の『時をかける少女』は、原田知世で映画化されて以降、大林宣彦や角川春樹だけでなく、細田守や上田誠などによって様々に変奏され続けていて、もはや筒井自身からは「金を稼ぐ少女」と揶揄される有様なのだけれど(笑)じつは東宝シンデレラたちも、この伝統を引き継いでます。上白石萌音は、細田版『時かけ』のテーマ曲をカバーしてるし、上白石萌歌は、上田版『続・時かけ』に出演してる。それから『時かけ』ではないけれど、山崎紘菜は、最後の大林女優として芳山和子を演じてるし、福本莉子も、やはりタイムリープの少女を演じています。大林宣彦と高橋幸宏の遺作ですねそういうわけで、由貴ちゃんと知世のニアミスもさることながら、原田知世の遺伝子が東宝シンデレラにまで継承されていることは、なかなかに興味のあるテーマなのです。◇◇◇さて、原田知世の話はここまでにして。…由貴ちゃんは、今度の舞台で富田靖子と共演するとのこと。こちらも80年代アイドルどうし。原田知世との共演は見当たらないけど、富田靖子との共演は『浪花少年探偵団』以来2度目かしら?NHKの「新十津川物語」では祖母と孫の関係なので直接の共演シーンはないと思う。彼女も、薬師丸ひろ子に憧れて女優になったらしく、その意味では、知世や由貴ちゃんと同様に、ポスト薬師丸的なアイドルだったといえるし、もちろん初期の大林女優(もうひとりは小林聡美)でもある。デビューは、原田知世より遅いけれど、由貴ちゃんよりは早い。年齢は、由貴ちゃんより3つ下、知世の2つ下です。斉藤由貴と富田靖子といえば、なんといっても「シャア推し」で知られるわけですが、じつは2人とも谷山浩子のファンだという共通点があって、現在はもっぱら、由貴ちゃんと谷山の関係のほうが強固に見えるものの、当時は、富田靖子と谷山の関係も、かなり親密だったっぽい。由貴ちゃんは、「卒業」が発表された1985年の2月21日に、谷山浩子のオールナイトニッポンに出演したのだけど、じつは、その前の週のゲストが富田靖子だったのですね。しかも2週連続で!(「さびしんぼう」のプロモーションです)由貴ちゃんが谷山のラジオ番組に出演したのは、たぶんその1回だけじゃないかと思いますが、富田のほうは、他の番組も含めて5回ぐらい呼ばれてる。富田靖子が谷山ファンだったのもあるけれど、やはり少女漫画オタクでもあったらしいので、その点でも谷山とは趣味を共有できたのでしょうか。◇そんな由貴ちゃんと富田靖子は、2012年の『浪花少年探偵団』のときに共演しています。撮影現場で顔を合わせる機会は、せいぜいのところ1~2日程度だったでしょうが、もし二人に雑談する時間があったとすれば、おそらく『ガンダム THE ORIGIN』の話か、谷山浩子の話だったろうことは想像に難くない。ガンダムを、富野作品と見るか、大河原作品と見るか、安彦作品と見るかは、人それぞれだと思うけれど、由貴ちゃんや富田靖子のように「シャア推し」の人は、やっぱり安彦良和の絵の美しさ、そしてキャラクターの魅力に惹かれる面が強いだろうし、とくに『THE ORIGIN』は、アムロではなく、シャアの物語だったから、2人にとっては見逃せない作品だったはずです。— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) April 17, 2023 ◇由貴ちゃんが、一昨年のBSの『アニソンデイズ』に出演したときには、司会の森口博子に、「水の星へ愛をこめて」のことを話す様子が、予告の映像でチラッと流れたのよね。でも、番組本編では、その話がまるごとカットされていた。わたしが思うに、きっと当時の由貴ちゃんは、コムアイが歌ったヴァージョンが気になってたんだと思う。ちなみに、わたしは、コムアイ版の「水の星へ愛をこめて」を聴いて、一瞬、由貴ちゃんが歌ってるのかと思ったのよね(笑)。独特のエアリーな歌声が。編曲も素晴らしくて、ニール・セダカのメロディの美しさを、幻想的にメランコリックに引き出していました。(なんとなくバート・バカラック的な感じ)由貴ちゃんも、あのコムアイ版には反応しただろうと思う。◇富田靖子といえば、浜辺美波がボキャブライダーで弓道少女を演じたときに、わたしはすかさず「原田知世の引用!」と思いましたが、じつはその原型が『アイコ十六歳』だということに、つい最近になって気がつきました(笑)。— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) April 18, 2023 いちばん最初は、たぶんTV版の伊藤つかさだったはずなのだけど、富田靖子が演じた映画版を大林宣彦がプロデュースしてたので、それを原田知世の『時をかける少女』にも応用したんだと思う。筒井康隆の原作では、芳山和子は弓道部ではありません。そこから、こうした《弓道部少女》の系譜は、綾瀬はるかとか、井上真央とか、2010年に芳山和子を演じた仲里依紗とか、成海璃子とか、広瀬すずとか、池田エライザとか、そして、これも東宝の浜辺美波や山崎紘菜にまで、連綿と受け継がれていくのだけど、その始点に位置してるのが、伊藤つかさと、富田靖子と、原田知世なのよね。≫ 弓道部女子の系譜◇ついでに、由貴ちゃん絡みでいえば、原由子が作曲した「少女時代」の原型も、もとはといえば『アイコ十六歳』への提供曲だった気がします。
2023.04.18
チャットGPTのことがさかんに報道されています。NHK「クローズアップ現代」に出演した東大の松尾豊は、サービス業に従事する人間の労働のほとんどが奪われる…と予想してるみたい。もう「働けない時代の到来」を嘆く段階は終わっていて、むしろ「働かなくても済む社会システム」の構築のほうを、急がねばならないのかもしれません。その際には、「人間には従業や勤労以外にもやるべきことがあるのだ」と、考え方を変えなきゃならない。◇対話型AIは、膨大な文章やダイアローグのパターンを学習して、ランダムに選択肢を変えながら自動生成する仕組みだと思いますが、これは人間が考えたり喋ったりするときの仕組みと同じですよね。人間も、学んだ語彙や文法や概念を使って、ロジックやレトリックを模倣したり、せいぜいそれを組み替えたりしながら、考えたり、喋ったりすることしかできない。わたし自身も、そうやって考えたり書いたりしてます。人間とAIの学習量には雲泥の差があるけれど、誤った情報を学習すれば、誤ったことを話すようになるだろうし、バイアスのかかった文章ばかり読み込めば、バイアスのかかったことしか話さなくなくなる。これも人間とまったく同じ。◇たとえば画像生成するAIに、日本の風景の映像ばかりを学習させると、いかにも日本的な風景の映像を作り出すようになるらしい。下手に世界中の風景などを学習させてしまうと、どこだか分からない無国籍な風景を作り出すようになる。それと同じように、浮世絵ばかりを学習させれば、きっと浮世絵まがいのものを描くでしょうし、印象派ばかりを学習させれば、印象派のような絵を描くことになるでしょう。そして、浮世絵と印象派の両方を学習させたら、その折衷的なスタイルを作り出すのだと思います。◇これは文章の生成も同じで、たとえば、ギャル語ばかり学習させればギャル語で話すようになるし、科学論文ばかりを学ばせれば科学者みたいな文章を作るはずです。そして、ギャル語の会話と科学論文の両方を学ばせれば、きっとギャル語で難しいことを説明するAIが出来上がるでしょう。◇過去の人間のテキストは、多かれ少なかれ、何らかのバイアスがかかっていますから、対話型AIも、何らかのバイアスがかかった文章しか作り出すことができません。人間の自然言語には、数学的な論理性が内在していませんから、いかにAIといえども、絶対的に正しい文章などありえない。たとえば、共和党支持者に都合のいいことを語るAIとか、民主党支持者に都合のいいことを語るAIとか、キリスト教徒やイスラム教徒を怒らせないように、配慮しながら語るAIなどを設計することも出来るでしょう。あるいは、そのつど話す相手に合わせて、バイアスを切り変えるAIを設計することも可能だと思います。しかし、それは、人間のコミュニティの閉鎖性や、社会の分断を助長することにもなりかねない。◇現在の対話型AIは、たんにランダムな選択で文章を生成するのでなく、おそらくは情報の網羅性や正確性のほうにバイアスを置いてると思う。実際のところ、数学や物理学や統計学などの知見を参照しながら、極限的に正しいことだけを語るAIも不可能ではないと思います。しかし、それはそれで、人間にとっては、かえって都合が悪いかもしれない。たとえば、「地球環境のためには人類が滅んだほうがいい」とか、「多数者の利益のためには少数者が犠牲になったほうがいい」みたいにAIが考えるとしても不思議ではない。◇人間の場合は、環境によるバイアスがかかりますし、身体的な欲望ももっています。コンピューターの場合は、身体を与えないかぎり欲望をもつことはありえませんが、学習するテキストによって何らかのバイアスがかかります。もともとコンピューターは、数学のような正確な言語にこそ適していたはずですが、近年の優秀なAIは、人間的な「不正確さ」をも模倣するようになった。それだけに、その「不正確さ」の程度や方向性が問題になってきてると思います。◇さらに、作文や作画や作曲を模倣するAIが、すでに実現してるわけだから、行動や仕草やふるまいを模倣したり、自分で状況判断して行動するロボットも、まもなく出現するのだろうと思います。それによって、産業労働だけでなく、家事や介護や教育なども代替されていくはず。この期に及んで、資本主義社会の発展なんぞを望んでも仕方ないので、むしろAIが政策決定にかかわって、社会課題を解決してくれることを望みます。
2023.04.14

1km四方の巨大なブルーシートを、気球で上空から吊り下げて、大気の流れを遮断すれば、(幅1000m、高さ1000mの山脈があるのと同じだから)上昇気流によって人工雲を発生させて、雨を降らせることができるんじゃないかしら?※空気が湿っていれば。…という夢を見ましたw砂漠を緑化できそう!誰か実現してくれないかな。◇ためしに計算してみたら、10m四方のブルーシートが1枚5kgだとすると、1000m四方のブルーシートの重さは50tになります。調べてみたところ、NASAの気球の積載量は3.6t、ハイブリッド飛行船なら40t、エアロスクラフトなら500tを持ち上げることも可能なようです。
2023.04.12

さほど坂本龍一を熱心に聴いてきたわけでもないのに、死んだ途端に語りまくるってのもどうかとは思うけど、…第3弾ですwジョビンの話。これは外せない。◇考えてみれば、わたしがジョビンを好きになったのも、坂本龍一の影響だったのよね。…と言っても、それは『CASA-Morelenbaum2/Sakamoto』じゃなくて、むしろ『時の輝き:坂本龍一選曲集』の影響です。つまり、坂本龍一がセレクトしたボサノバ作品集。坂本龍一自身も、「ジョビン=ボサノバという観念を取り払うべき」みたいに言ってましたが、わたしも、このコンピレーションを聴いて、ジョビンの音楽を、ボサノバじゃなく、むしろクラシックの観点で聴くべきと理解しました。そして、それはとりもなおさず、「クラウス・オガーマンを軸にジョビンを聴く」ということでもあった。◇そもそも、このコンピレーションは、ジョビンのセレクションというより、オガーマンのセレクションといったほうが正しい。ほとんどの曲に、オガーマンのオーケストレーションが入ってるからです。小室敬幸と伊藤ゴローも以下の動画で話してますが、ジョビンとオガーマンの共同作業によるオケ楽曲は、どちらの作品と見なすべきか判断しがたいところがある。おそらくは、ジョビンの本来のクラシック的な素養が、オガーマンによって引き出されて成長したのでしょう。思えば、わたしと音楽惑星さんの関わりも、いまは斉藤由貴のことが中心になってるけど、いちばん最初は、「オガーマンを軸にしてジョビンを聴く」みたいな発想で共鳴したのでした。 ▶ 音楽惑星さんのサイトにも、オガーマンのページがあります。◇ちなみに、坂本龍一の作品や演奏スタイルには、ジョビンの作曲の影響も、ピアノの影響も、オガーマンのオーケストレーションの影響も、それほど感じられないとは思うけど、大貫妙子の2ndアルバムに入ってる「振子の山羊」は、かなりジョビンっぽい(あるいはオガーマンっぽい)と思う。その昔、坂本龍一と大貫妙子が、「ジョビンのアルバムをふたりで正座して聴いた」みたいなエピソードがあって、それがいつの話だったのか知らないけど、たぶん、この「振子の山羊」の頃じゃないかしら?そして、その後の大貫妙子のアルバムには、宮田茂樹がプロデューサーとして加わり、いわゆる「ヨーロッパ三部作」などが作られ、さらに宮田茂樹は、ジョアン・ジルベルトに繋がっていくわけです。宮田茂樹が書いた以下のコラムを読むと、http://music-calendar.jp/20171208011994年、ジョビンが死ぬ直前に、大貫妙子とジョビンが共演する可能性もあったそうです。なお、ジョアン・ジルベルトは2019年に亡くなり、宮田茂樹も去年亡くなってます。その他の音楽ブログ◇ところで、アルバム『CASA - Morelenbaum2/Sakamoto』は、モレレンバウム夫妻の演奏は素敵なのだけど、坂本龍一のピアノがやかましくて、あまり好きじゃない。ただ、あのアルバムを聴くと、坂本龍一が、ジョビンの曲をボサノバとしてではなく、サンバカンソンとして捉えてるのが分かります。※ Samba-canção(サンバ・カンサォン/サンバ・カンサゥン)です。そうでなければ、ジョビンのトリビュート盤を作るときに、1曲目に「誰もいない海岸/As Praias Desertas」は選ばないでしょう。これってエリゼッチ・カルドーゾの曲ですから。実際、ジョビンは、当初はサンバカンソンの作曲家でした。ヴィニシウスと一緒に、ジョアン・ジルベルトに曲を提供して以降は、「ボサノバの作曲家」と認知されるようになったけど、本来は「想いあふれて/Chega de Saudade」も、エリゼッチ・カルドーゾに歌わせたサンバカンソンだし、それ以降にジョビンが書いた曲も、たとえば「愛の語らい/Falando De Amor」であれ、たとえば「無意味な風景/Inútil Paisagem」であれ、たとえば「白い道/Estrada Branca」であれ、一貫してサンバカンソンだったと思います。◇ジョアン・ジルベルトは、「俺はボサノバじゃなくてサンバをやってるんだ」みたいに言ってたけど、それなら、さしずめジョビンは、「ボサノバじゃなくサンバカンソンを作っていた」と言っていい。かたや、ヴィニシウス・ヂ・モラエスの音楽にも、もとはといえば「黒いオルフェ」のような志向があって、バーデン・パウエルとの共作などを聴いても、けっしてボサノバの枠には収まらない野性味や野蛮さがある。上品なボサノバだけを作っていた文人ではない。先に挙げた動画では、宮田茂樹と伊藤ゴローが、「ジョアンの発想がジョビンに曲を作らせた」みたいなことも話してますが、いわば相互作用の産物としてボサノバが誕生したのでしょう。ただ、基本的には、ジョアンやヴィニシウスが強烈なリズムの人だったのに対して、ジョビンは叙情的なメロディの人だったと言えるし、そういうジョビンの音楽性は、後輩のシコ・ブアルキやエドゥ・ロボにも受け継がれてて、やはり彼らにもサンバカンソンとして聴くべき側面がある。◇じゃあ、最初にジョアンの音楽を「ボサノバ」と呼んだ犯人は、いったい誰だったのかといえば、これはまあ、ジョビンだったことが実証的に言えますwそもそも、ジョアンに「ヂサフィナード/Desafinado」を歌わせたのも、オデオンのレコードの宣伝文句として、「ジョアンの音楽こそがボサノバだ」みたいなことを書いたのも、ほかならぬジョビンですから。そこは疑いの余地がない。しかし、その後のボサノバは、やや安易なスタイルとして広がった面もあるし、ブラジル本国では「米国に媚びを売った金持ちの音楽」と罵られ、しだいに「ボサノバ」と口にすることさえ憚られるようになった。ジョアンが、「俺はボサノバじゃなくてサンバをやってるんだ」と主張した背景にはそういうこともあるし、ジョビンも「ボサノバ」からは距離を置くようになりましたが、そういう政治的な背景は抜きにしても、ジョアンやヴィニシウスの音楽を「サンバ」として、またジョビンやシコやエドゥの音楽を「サンバカンソン」として、さらにはジョビン&オガーマンの音楽を「クラシック」として、角度を変えて捉えなおしていく発想は大事だし、たぶん坂本龍一にも、そういう観点があったでしょう。
2023.04.09

頬紅き少女の髪に六つの花 左見右見風を抱くや鬱金香 ライン引き残してつるべ落としかな 花びらも乗車するなり春隣 えり足に冬の風ありLINE消す 空のあお富士の蒼へと飛花落花 旱星ラジオは余震しらせおり 廃村のポストに小鳥来て夜明け 札止めの墨色の濃さ初芝居 鷹鳩と化すカフェオレの白き髭 白髪の薄色に染め春立ちぬ おひねりや子役の見得に夏芝居 桐の花いつかは来ない紙袋 剪定や鋏の音の霏々としてプレバト俳句。今回は、梅沢富美男の過去作品を回顧していました。2020年以前の句は、このブログでは取り上げていなかったのですが、思いのほか凡句が多いですね…。初期のころは、かなり評価が甘かった気もします。…古いほうから順に見ていきます。いちばん最初の句は10年前らしいです。◇テーマは「12月の風物詩」。頬紅き少女の髪に六つの花これが、初登場にして「才能アリ1位」だったらしい。でも、いま見ると凡句です。冬に「頬紅き少女」ってのは発想が凡庸だし、たんに「雪」と書けば2音で済むものを、わざわざ「六つの花」などと書いて5音も費やしてる。次の句でも、フジモンに「綺麗な言葉詐欺」と言われていましたが、たんに美辞麗句をひけらかして、何か文学的な表現をした気になってるだけで、じつは内容に乏しい駄作でした。◇テーマは「チューリップと遠足」。 左見右見とみこうみ風を抱くや 鬱金香うこんこうおもたげに風を抱くや 鬱金香(添削後)これも典型的な綺麗な言葉詐欺。そしてクサい擬人化。先生からも、ゆらゆらと風を抱くや チューリップと書けば意味は同じと切り捨てられていました。◇テーマは「秋の運動会」。ライン引き残してつるべ落としかな上五の「ライン引き」は、器具ではなく人物だと誤読されかねないし、そもそも名詞ではなく、複合動詞の「引き残す」だとも誤読されかねず、いずれの場合も、グラウンドの光景すら思い浮かべるのが困難になる。一般に、動詞を含む名詞を扱うのは厄介だと思いますが、耳慣れない名詞であればなおさらです。そして、この句もやっぱり綺麗な言葉詐欺。たんに「夕暮れ」と書けばいいものを、わざわざ「つるべ落とし」などと6音も費やし、それで何か文学的なことをやった気になっている。プレバトの俳句査定がはじまった当初は、こういう古い日本語の美しさを、テレビで紹介することの教育的意義もあったでしょうが、おそらく今ならボツにされる可能性が高いと思いますし、分かりやすい口語で詠む村上やフジモンに比べると、こういう梅沢の作風はたんなる虚飾としか見えません。◇テーマは「江ノ電と桜」。花びらも乗車するなり 春隣花びらも乗車す 風ゆらぐ電停(添削後)このあたりからは、これ見よがしな美辞麗句は控えられています。しかし、それに代わって「クサい擬人化」が出始めてますね。◇テーマは「初冬の代々木公園」。 えり足に冬の風あり LINE消す冬の恋終わりぬ 風に消すLINE(添削後)失恋して髪を切った女性を詠んだらしい。句材そのものにはオリジナリティがあり、詩情も悪くないと思いますが、せっかくの内容が読み手には伝わりにくい。たんに「えり足」と書いただけでは、髪を切った後だとは分からないし、たんに「LINE消す」と書いただけでは、恋人との連絡手段を断ち切ったとは分からない。短髪の男性がLINEの交信を終えただけにも見えます。まあ、それはそれで、ひとつの風景にはなりますが。◇テーマは「桜と富士山」。空のあお富士の蒼へと飛花落花鮮やかな映像ともいえますが、句材そのものにはさほどの独創性がなく、リフレインの効果だけで誤魔化されてる感もある。◇テーマは「ラジカセ」。旱星 ラジオは余震しらせおりこれは良い句ですね。率直で無駄のない客観写生になってますし、社会的な句材にも迫真性があります。◇テーマは「郵便ポスト」。廃村のポストに小鳥来て夜明けこれも良い句です。やはり社会的な題材を扱っている。梅沢が、接続助詞の「て」でお茶を濁すのは悪い癖ですが、ここで「小鳥来る夜明け」とせずに、あえて「小鳥来て夜明け」としたのは、まるで小鳥が朝を呼び込んだような面白さを生んでいて、例外的に「て」の使用が功を奏しています。◇テーマは「書初」。札止めの墨色の濃さ 初芝居札止めの墨色の濃し 初芝居(添削後)札止めの墨色ぞ濃き 初芝居(添削後)切れの作り方で添削されたのは惜しいですが、これも率直な客観写生で良い句だと思います。初芝居の期待と目出度さと活力がみなぎっている。◇テーマは「コーヒー」。鷹鳩と化す カフェオレの白き髭またもや文学的表現のひけらかし?…って気もするけど、この句にかんしては、滑稽な場面が季語と響き合ってるし、春の緩んだ空気感も出てますし、なかなか上手く出来てると思います。◇テーマは「美容室」。白髪の薄色に染め春立ちぬ白髪をうすむらさきに春立ちぬ(添削後)原句は「てにをは」がおかしい。「白髪の染まる」or「白髪を染める」のどちらかでなければなりません。◇テーマは「100円玉」。おひねりや 子役の見得に夏芝居おひねりの飴よ硬貨よ 夏芝居(添削後)これも原句は「てにをは」がおかしい。「見得に」が「夏芝居」に掛かっていますが、どう考えても「おひねり」に掛けるべきです。◇テーマは「紙袋」。桐の花 いつかは来ない紙袋読み手に「いつかは来ない」の意味が伝わるのか、ちょっと微妙ですよね。≫ いつか使う日が来るだろうと思ってても、≫ 実際に紙袋のストックを使う日は来ない…ってことなのだけど、読み手によっては、「いつもの紙袋の人がいつかは来なくなる」みたいに誤読されかねない。◇これ以降の句は、過去に取り上げたはずなので割愛します。最後は、今回の締めの一句。テーマは「シュレッダー」。剪定や 鋏の音の霏々ひひとして言葉摘むに似て剪定の鋏の音(添削後)ああ!無内容の極み!この場合の「霏霏」は、《絶え間なくずっと~》みたいな意味ですが、「絶え間なく鋏の音のしない剪定があったら持って来い!!!」ってやつで、上五の「剪定や」以外は、まったく不要な情報です。たんに「霏霏」って言ってみたかっただけ!相も変わらず綺麗な言葉詐欺。なんら成長していませんでしたwなお、比喩をやる場合に、「~ごと」を使う手法は何度も見ましたが、この添削のように「~に似て」も使えるのですね。
2023.04.09

さほど坂本龍一を熱心に聴いてきたわけでもないのに、死んだ途端に語りまくるってのもどうかとは思うけど、第2弾ですw◇渋谷陽一は以前、坂本龍一の音楽について、「音が立ってる」という表現をしてたんだけど、それはやっぱり非常に正しくて、それこそが彼の音楽の最大の特徴であり魅力だと、いま振り返ってみて、あらためて思います。たぶん「尖った音」と言い換えてもいいんでしょうけど、要するに、サウンドの輪郭が明瞭で、きっぱりとした強烈な色彩がコントラストを際立たせて、それが皮肉やユーモアにもなっていて、絵画でいうならポップアートに近い感じだった。結果的に、このサウンドは"時代の音"になっていましたが、それは坂本龍一の「時代感覚」から来ていたというより、むしろ生来の「資質」から来ていた気がするし、70年代末の坂本龍一こそが、それをもっとも先鋭的な形で先取りしていたと思う。まもなく坂本龍一は、大島渚の映画でデヴィッド・ボウイと共演しますが、そういう特性は英国のニューウェイヴにも近くて、また、80年代のサウンドを予告してもいたと思います。◇坂本龍一は、クラシックを基礎にしていたはずだし、作品の多くはインストゥルメンタルだったのに、何故あれほどポップでありえたかといえば、メロディーの抒情性もさることながら、やはりサウンドの「尖り方」に訴求力があったからよね。そして、これはポップスのサウンドだけじゃなく、映画音楽のような管弦楽にも当てはまってて、たとえば88年の『Playing The Orchestra』などを聴いても、やっぱり音がキリリと立ちあがっている。ただ、後年のオーケストラサウンドなどを聴くと、だいぶ音の立ち方は弱くなっていて、演奏によっては寝てしまってる感じもありました。それは時代のせいなのか、本人の年齢のせいなのか、あるいはニューヨークという都市の感覚だったのか分からないけど、(全般に米国の音楽って大きく構えててあまり尖ってはない)その結果、ポップスの市場から遠ざかった面も否めない。
2023.04.08

GYAO!は3月でサービスを終了しましたが、最後に「アイ・アム・ザ・ブルース」という映画を観ました。ドキュメンタリーだけれど、映像がとても美しく、ブルースを育んだアメリカ南部の風土や、ゆったりした時間の流れを体感できた佳作。登場するミュージシャンは年寄りばかりなのに、歌や演奏はほんとうに素晴らしく、ブルース好きならいつまででも見てられる内容でした。狭義のブルース形式の曲だけでなく、ゴスペルも取り上げられていましたし、カントリー風の曲や8ビートの曲が演奏されるのも興味深かった。ちなみに、この映画は、カナダ人によって制作されている。同じくGYAOでは、「ランブル~音楽界を揺るがしたインディアンたち」というドキュメンタリー映画も配信されていて、こちらは米国音楽史における先住民の貢献を探る内容でしたが、やはりカナダ人による作品でした。米国音楽に関するドキュメンタリーなのに、そうした映画を作るのは、なぜ米国人ではなく、カナダ人なのでしょう?わたしは、CBCとNetflixのドラマ「アンという名の少女」が、米国側の事情で打ち切りになったと思っているのですが、それと同じ背景を感じてしまいます。つまり、北米大陸の人種問題の歴史に向き合ってるのは、もっぱらカナダ人ばかりで、アメリカには、いまだ人種間の分断があるということ。プロテスタントの多いカナダと、南部にラテン系カトリックの住民を抱える米国とでは、政治的な姿勢も違うし、歴史的な差異もある。被写体となる黒人や先住民も、カナダの白人であればこそ心を開くのかもしれません。◇もうひとつGYAOで観たのは、「ゴーギャン~タヒチ、楽園への旅」という映画。もともとゴーギャンやルソーの絵画は、ファンタジックでピースフルな雰囲気があって好きだった。その異国趣味は、ドビュッシーやサティの音楽にも通じてると感じてました。しかし、当然ながら、そこには植民地での支配/被支配の関係があるわけで、たんに優雅なコロニアル趣味では済まされない面もある。パリにいながら異国を想像しただけのルソーと、実際に植民地まで行ったゴーギャンを比べても、その暴力性には、だいぶ違いがあるのかもしれません。◇映画では、本国フランスでの理解が得られずに、タヒチへ渡ってサバイバルな生活に挑みながら、画家としての成功も、現地妻の愛情も失って、ふたたび本国へ戻るゴーギャンを悲劇的に描いていました。けれど、ほんとうに目を向けるべきなのは、宗主国の白人が、本国の妻子を捨て置き、植民地のポリネシアで幼い少女を現地妻とし、エキゾチックな視線を向けていくことの暴力性ですよね。それをポスコロ的な視点で描いたら、まったく別の映画になってしまう気がします。山田五郎のYoutubeチャンネルによれば、ゴーギャンの発想は、のちの「フォークロアアート」の先取であるとのこと。しかし、その背景には、やっぱり植民地主義的な暴力性があるわけです。◇カナダの白人と、米国南部のラテン系の白人に差異があるのと同じく、オランダ人の生真面目なプロテスタントだったゴッホに対して、フランス人のゴーギャンは、いわば罰当たりなカトリック信者だったわけで、そこにはラテン気質の野獣的な奔放さがあった感じがします。
2023.04.07

テレ朝「警視庁・捜査一課長」スペシャル9~映えスポット連続殺人事件~ を観ました。シャープな映像にふざけた脚本。ますます独自路線を邁進してました(笑)。青春という名のラーメン?◇ 登場人物は…見た感じを語る三田寛治。特ダネ記者の徳田寧々。強情さが勝る郷城勝。ぽよぽよの大福売ってるぽよの豊福保代。イケイケで行こうの池井景子。勝とうと勝つ気の加藤香月。エグいほどレベチな未来に託した江口未来。エグチの謎を秘める江口姫子。咎は酷いよ外川英雄。才気に欠ける斉木翔。盛りすぎてるな森杉照奈。羽ばたきたいなら羽場滝奈。(演じたのは「ギャル論破王」のみりちゃむです)…て感じ?ぽよぽよの大福売り。白い粉の正体。◇ まさに今回は、ギャルマインドでやりたいようにやったスペシャル版で、難解なギャル語の解明が最大のテーマでした。大岩が電話を受け取ると、「なくなったのは木曜夜8時」だと!…何が?? 以下は、真相のネタバレです。ラスボス"GM"の意味は、「General Manager」でもなければ、「ごめん」や「ギャルマインド」の略でもなく、やっぱり「Gojyo Masaru」の頭文字だったようです。"エグチ"と呼んだ意味も、「エグいほどレベチ」の略ではなく、「江口の未来のぶんを生きている」からでした。あまりにもギャル語に翻弄されすぎていたのですね。スケバンだったかどうかは内緒。◇ ところで、笹川部長ですが、なにやら謎の首輪を嵌められていました。大岩は笹川の額に自分の額を合わせて、これを取り外していました。どういう仕組みなのでしょうか?てっきりメタバース的な装置かと思いましたが、Twitterを見ると、エヴァの「DSSチョーカー」バトロワの「ガダルカナル22号」…などの説があるようです(汗)。◇ こまかいあらすじは次のとおり。12年前に大岩に出会ったころ、エグいほどレベチなギャルのエグチ(江口未来)に、トイプーおにぎりを貰って生き延びていた池井景子は、ともに論破大会を目指したエグチを病気で失った後、GM(ギャルマインド)革命を起こすためにイケイケで行こうと、論破代行会社のGMレボリューションを設立し、未来のエグチになり代わって街中のギャルにおにぎりを配っていました。GMレボリューションのGM(ゼネラルマネージャー)になった加藤香月は、才気に欠ける斉木翔などの秘書を使い捨てる強情なGojyo Masaru(郷城勝)に、論破で勝とうと勝つ気で挑みましたが、勝ちきれませんでした。それどころか特ダネ記者の徳田寧々を殺すように強要されますが、エグチの未来の姿になり代わって殺害を試みたものの、自分を「エグチ!」と呼んだ徳田寧々のことを殺せませんでした。結局、エグチの未来の姿になり代わって、徳田寧々も加藤香月も殺すという酷い咎を負ったのは、強情なGojyoにインサイダー情報を流していた外川英雄でした。エグチの未来のぶんを生きているギャルたちを、おにぎりで支援しつづけていたエグチの母の江口姫子は、池井景子に咎が及ばないように死体を移動したのでした。◇いろいろイミフすぎて、かなりキャパいけど、とりま、空き時間も楽しそうでした。床嶋佳子と仲よさげな由貴ちゃん。◇ じつはカッコいい山本清香のテーマ曲!↓これもカッコいいのよね。↓これも素敵だし。↓これは大福のブルース。
2023.04.06

あらためて「舞いあがれ!」の最終回。柏木や倫子たちは、なぜか東大阪の「ノーサイド」に集合していました。これは大きな謎とされています。◇ひとつの可能性として、国際線のパイロットである柏木が、たまたま関西空港に降りる機会に合わせて、他のメンバーが大阪に集まったとも考えられます。しかし、《かささぎ》の初フライトの現地ならともかく、リモート視聴ならどこででも見れるのだし、航空学校の同窓生にとっては、東大阪なんて縁もゆかりもない場所なのだし、しかも、舞はそこにいないのだから、彼女の兄の義父の喫茶店に集まっても仕方ありません。…ってことで、もしスピンオフが作られるとすれば、そこらへんの謎も明かされるんだろうと思います。ただ、わたしには、もうひとつの仮説もあります。◇舞が五島に着陸するとき、「まもなく1つめの目的地に到着します」と言ったので、わたしはつい、「やっぱり次の目的地は宇宙なのかしら?!」などと考えたのだけど、…よくよく考えてみると、次の目的地はたぶん離陸した最初の海岸であり、そこからさらに、東大阪まで飛ぶんじゃないかと思うのですよね。そうでもなければ、柏木たちがノーサイドに集まる理由は見当たらない。つまり、ノーサイドに集まった面々は、そこから小学校のグラウンドあたりに全員で移動し、舞や貴司や歩の乗った《かささぎ》の着陸を待つのでは?◇実際、《かささぎ》は、「五島列島~本土で就航した」とはいうけれど、その本土ってのがどこなのかは明示されていません。離陸したポイントも、なんとなく長崎の海岸かな~とは思ったものの、ほんとうのところはよく分からない。もしも《かささぎ》が、たとえばドクターヘリみたいに、緊急時に飛ぶことまで想定しているのなら、たんに同じ場所を定時に往復するのではなく、いつでも、どこにでも、フレキシブルに飛べるのでなければならないし、たまたま最初の操縦者は舞になりましたが、ほかにも操縦できる人間がいなければ成立しない。電力で飛ぶ《かささぎ》は、一回の飛行距離がどれほどか分からないし、一回の充電時間がどれほどか分からないけれど、すくなくとも、東大阪で製造した機体を、最終的には五島まで運んだのだから、(トラックや船で輸送したのでなければ)もういちど自力で東大阪まで戻ることだって、出来ないはずがないのよね。なお、五島から大阪までは800kmぐらいあるようで、一般のヘリコプターなら4時間ほどの距離です。◇ちなみに、画面で見るかぎり、《かささぎ》の乗員定数は3人でしょうから、もし東大阪に戻ってくるとしても、ノーサイドに集まった面々と会えるのは、やっぱり舞と貴司と歩の3人だけでしょうね。一部の視聴者は、柏木と若葉が対面することを熱望してますが、残念ながら、若葉を東大阪に連れてくるのは無理です。そもそも、彼女はめぐみ丸を運転しなきゃならないし、東大阪には何の用もありません(笑)。柏木のほうも、国際線のパイロットですから、かりに東大阪で舞に再会したとしても、すぐまた関空から旅立つだろうし、長崎くんだりまで若葉に会いに行く暇などなく、そもそも会いにいく必要もありません。…赤の他人なので(笑)。柏木若葉「silent snow」
2023.04.05

1ヶ月ちょっと前になりますが、東大の研究者が都道府県別の「縄文度」を発表…というニュースがありました。以下、NHKの解説から抜粋です。従来の研究で現代日本人の多くは遺伝子的に1~2割が縄文人由来、8~9割が渡来人由来とされています。今回東大グループは民間の遺伝子検査を受けた全国1万人のデータの分析などから、住んでいる県別の言わば“縄文度”=縄文人由来の遺伝的変異をどれぐらい多く持っているかを初めて明らかにしました。東北地方や鹿児島など濃い青色の県は縄文度が高く、近畿や四国などオレンジ色は縄文度が低い、逆に言えば渡来系の血が濃い人が多いエリアということになります。この地図には沖縄と北海道が入っていませんが、沖縄は他の県より飛び抜けて縄文度が高く、この色分けに収まらなかったとされます。また北海道はアイヌの人たちはとても縄文度が高いと考えられますが、人口の上では明治以降に各地から移り住んだ人が多くを占めるため特徴がはっきり出ないと言います。また、中国地方で島根だけ濃い青、つまり縄文度が高いと言う結果で、はっきりした理由はわかりませんが、出雲の国はオオクニヌシの国作りの神話などがある地域でもあり、もしかすると古くから縄文系の人たちが多く住む国が実際にあったのかも?など古代史への想像も色々と広がる結果でした。https://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/700/480441.htmlこちらが都道府県別の「縄文度」を示した地図。https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/press/2023/8252/◇四国や近畿の「縄文度」の低さは、ヤマト王権が弥生系であることを示していますし、いわゆる神武東征や、四道将軍の動きや、桃太郎伝承の解明にもつながるかもしれません。もちろん、これは邪馬台国論争にも影響する話だと思います。大陸から渡ってきた弥生系の人々は、九州に上陸するよりもまず、まっずぐ瀬戸内海へと入り込んだように見える。追記:東大の発表では「弥生人」でなく「渡来人」と書かれてますが、たぶん「渡来人=弥生人+古墳人」の意味なのでしょうね。三重構造モデルについてはこちら↓https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202504250000/◇一方、縄文人を列島の周縁に追い詰めたのは、大伴旅人や坂上田村麻呂だと思いますが、鎌倉幕府の奥州征伐の影響もあるかもしれません。そう考えると、鹿児島や青森の「縄文度」が高いのは想像がつきますし、そこから海を渡って、沖縄や北海道にまで逃げのびた縄文人もいるのでしょう。あるいは、沖縄や北海道には、はじめから縄文人が先住していたんでしょうか?◇しかし、わたしが、今回の分布図でいちばん興味深いと思ったのは、・東日本では太平洋側のほうが「縄文度」が高い・島根と秋田の「縄文度」が有意に高いってことです。坂上田村麻呂の蝦夷討伐にしろ、源頼朝の奥州征伐にしろ、征夷大将軍が東国へ進出した際に、日本海側の人々の抵抗が弱かったのに対して、太平洋側では、アテルイとか、奥州藤原氏みたいに、頑強な抵抗勢力が多かったんだという気がする。奥州藤原氏は弥生系かもしれませんが、その統治下の人々の多くは縄文系だったのでは?◇かたや、島根と秋田にかんしては、日本海側にありながら有意に「縄文度」が高い。これは第1に、出雲王権が強力な縄文系であった可能性と、第2に、東湖八坂神社の統人行事や、松本清張の「砂の器」や、高橋克彦の「東北=出雲説」が暗示しているとおり、出雲の人々が、国譲りの際に、秋田のほうまで逃げのびた可能性を感じさせます。◇◇◇なお、今回の研究では、縄文人のほうが、遺伝的に身長が低めで太りやすい体質であり、血糖値や中性脂肪が上がりやすいと分かったそうです。弥生人のほうは、ぜんそくなどアレルギーになりやすいそうです。なんとなく、わたしは弥生人っぽい?(笑)とくに母方のほうは。海外では、ホモサピエンスに交わったネアンデルタール人のことも、同様の手法で研究されているそうです。
2023.04.05

テレ東「今夜すきやきだよ」が終了。もともと2人が一緒に住んでた部屋は、家賃の8割をアイコが負担してたから、彼女が結婚して出ていったら、家賃はどうするんだろう?と思ってたけど…まず、アイコは、結婚してまもなく出戻ってきて、いわゆる「別居婚」をはじめましたよね。その後、出産と子育てをきっかけに、ようやく夫婦生活を再開した。その頃になると、トモコのほうも、自分ひとりで家賃を払えるようになったらしく、アイコ名義だった部屋を自分名義に変更しました。◇アイコは、ドラマの序盤で、≫ 恋愛とか結婚に、家事能力ってマストなの?≫ 楽しい会話と幸せなセックスがあればOKじゃないの?と言ってたので、きっと彼女には「通い婚」が合ってるよね~。と思ってたんだけど、…アイコが最初に選択した別居婚は、まさに「通い婚」みたいなものでした(笑)。いまどきの別居婚ってのは、もともと一人暮らしをしていた男女が、その住居を変えないまま婚姻関係を結ぶことなので、平安貴族みたいに、あっちこっちの女のもとへ通うわけじゃないけど、まあ、これも一種の「通い婚」と言えなくはない。双方に経済力があって、生活スタイルも確立してるなら、あらたに部屋を借りて同居をはじめるよりも、従来の生活をたがいに維持するほうが楽なのでしょうね。上沼恵美子みたいに、もともと連れ添った夫婦が、婚姻関係を解消せずに別居することも、(たんに離婚の手続きが面倒だから?)最近では「別居婚」と呼ぶらしいのだけど、その場合にも、やはり経済的な余裕は必要です。◇もちろん同居するほうが経済的には安上がり。しかし、別居婚は、緊急時非難などのセーフティネットにもなるし、人間関係やサービスの多用な選択肢も確保できるし、経済的に余裕があるのなら、生活スタイルもそのほうが安定的な気はする。DVも発生しにくいかもしれません。ちなみにアイコの場合は、結婚を機にトモコと同居していた部屋を出て、いったんは夫の家に引っ越したけれど、すぐに出戻ってきた後は、逆に夫のほうが同じマンションに部屋を借り、同一マンション内での「別居婚」となりました。それでも、それぞれが支払う家賃の総額は、さほど変わらなかったわけですね。トモコはもともとルームシェアだったし、夫も、もともと独り暮らしだったから。一般に、「別居婚」は生活費が倍になるはずだど、それは双方が一人暮らしをすればの話であって、それぞれがルームシェアや実家住まいなどをすれば、意外に安上がりな「別居婚」もありうるってこと。◇若い夫婦が「別居婚」をする場合、子供をどこで育てるかという問題が出てくる。アイコは、夫婦で子育てをする一般的な生活を選びましたが、たとえば、トモコとのルームシェアを維持したまま、そこで子育てする選択だってあり得なくはなかった。トモコも、アイコの子供が可愛くて仕方ない感じだったし、夫が育休を取るよりも、トモコに謝礼を支払って手伝ってもらうほうが、かえって合理的だった可能性もあります。実際、妻が実家に住むような「別居婚」なら、そこで両親と一緒に子育てをすることになる。◇ルームシェアをしていたときに、アイコが生活費を稼いで、トモコが家事を担当したように、それぞれが得意な役割を分担するという発想に立てば、昔の上流家庭における乳母や家政婦みたいに、夫婦の外部で子供を育てていく選択があってもいいと思う。外部に委ねることを「夫婦の責任放棄」と非難すべきじゃない。子供にとっても、核家族のなかで育つことが幸福だとは限らないし、むしろ開かれた人間関係のなかで育つほうが健全かもしれない。実際、子育てにおける「夫婦の責任」といっても、現実に子育てをするのはたいてい妻一人なのだから、それは共依存の不健全な母子関係に繋がりかねないし、かえって非合理な環境での子育てというべきです。すべてを夫婦の内部で完結させるのではなく、「別居婚」によって多用なネットワークが活かせるなら、そのほうがはるかに合理的。それは子育てのみならず、生活全般について言えると思う。◇ところで、アイコが出産するかどうか迷ってた時期がありましたが、あのときの夫との会話を聞いてたら、現在の夫婦が「子供をもつ動機」の弱さを、あらためて感じてしまいました。国家レベルでいえば、「少子化対策ために子供が必要」という理由ははっきりしてるけど、個人レベルでは、子供を必要とする理由って、ものすごく弱い。せいぜい、「子供が好きだから」とか、「家族を作りたいから」とか、そういう感情的で漠然とした動機しかない。あとは「出来ちゃった」という結果論でしょう。昔のように、「跡継ぎが必要」とか、「働き手が必要」といった明確な動機ではありません。アイコの夫は、「子供がいたほうが楽しそう」と話してましたが、それってペットを飼うときの動機と大差ないし、生まれてくる子供にとって幸福なのかも疑問に感じる。むしろ、出産のリスクや、キャリアへの影響や、生活上の負担、経済的な負担などを考えれば、子供を産まない選択のほうが合理的に思えてしまう。◇国家レベルでは「子供を増やす選択」が合理的なのに、個人レベルでは「子供を産まない選択」のほうが合理的。つまり、マクロとミクロの利益は相反する。若い世代からの財政収入を当てにしつつ、子供への財政支出はしないという発想が変わらない限り、この矛盾はけっして解消されません。結局のところ、子供は社会が産み育てていかなければならない。その負担を個人に負わせている限り、この矛盾はけっして解消されない。◇出産の必然性どころか、結婚の必然性さえ、どんどん目減りしています。今回のドラマで明らかになったのは、同居する人との生活上の相性が、セクシャリティやジェンダーとは無関係だってこと。たとえセックスをする相手が異性でも、生活上の役割分担は同性が相手のほうがいいこともある。逆に、アロマアセクの人であっても、疑似結婚のような生活があったほうがいい場合もある。ジェンダーの点からいえば、女性のほうが外で働いて、男性のほうが家事や育児をするのが合理的なこともある。だとすれば、女性の苗字は変えないほうが好都合だったりもする。同性婚や夫婦別姓に反対してるのは、おもに「統一教会」系の保守政治家ですが、これがいかに結婚や出産の妨げになっているかが分かります。◇国は、少子化だけでなく、そもそも未婚率が深刻だと思ってるでしょうが、個人の視点で考えれば、結婚という選択は、セクシャリティの相性だけでなく、ジェンダーの壁を乗り越えて相性を測るのも困難でめんどくさいし、生活スタイルを変えることや、キャリアを失うことのリスクも大きいし、むしろ結婚しない人生のほうが安定的に思えてしまう。こういうことは、学者や、政治家や、官僚が、たんに机上で数字の計算だけをしても解決しません。それが現代の「現実」だと思います。◇◇◇…さて、話はぜんぜん変わりますが!トリンドル玲奈は、NHKの「わたさば」で丸山礼と仲良くなったらしく、民放の旅番組では秩父でふたり旅をしてました。年齢はトリンドルのほうが6つ上らしいけど、二人の関係性がNHKのドラマとほぼ同じだったので、それが可笑しかったです。◇…こういうことを書くと、最近は「差別だ」と言われるかもしれないけど、トリンドル玲奈みたいなフランス人形みたいな人が、家でエプロンしてご飯作って待っててくれるって、それだけで、今回のテレ東のドラマの設定は、おとぎ話みたいなファンタジーだったのよね(笑)。こんどは、萩原利久とのドラマがはじまるようなので、それもちょっと気になってます。甲田まひるの曲もすこし漁りました。アジアンポップとヒップホップがうまく融合してる。
2023.04.04

今朝のニュースで、坂本龍一が亡くなったことを知りました。人が死ぬたびに、さして知りもしないのに追悼してみせたり、これみよがしに冥福を祈ってみせたりするのは、ちょっとどうかと思うのだけど…。たまたま最近「Behind The Mask」のことを考えていたのよね。それは2月の関ジャムで坂本特集をしていたからなのだけど。それにくわえて、昨日は、大貫妙子が代理を務めたラジオ番組をYouTubeでちらっと耳にし、コトリンゴがゲスト出演した井上芳雄のラジオを聴いたりしてて、なんとなく頭の片隅に坂本龍一のことがありました。まあ、そういう符合はよくあることです。YMOがそんなに好きだったわけでもないんだけど、癌の転移の話とかはぜんぜん知らなかったから、メンバー2人が続けて亡くなったのはちょっと驚きです。…と言いつつ、YMOは海外ではまったく売れてなかったとの話もあるので、そこらへんの神話の検証も必要ですね。◇関ジャムでは、番組からの質問に長文の書面で回答してたけれど、すこしでも何か伝えておきたいんだろうなと思った。わたしも何故かスクショを取っていました。◇さて、本人は「Behind The Mask」について、≫ 作曲は10分ぐらいで出来たけど、≫ なぜヒットしたかは何十年考えてもわからない。みたいに言ってましたよね。この曲は、「イントロ~Aメロ~Bメロ~サビ」のような歌謡曲的な構造じゃなく、いわば第1主題と第2主題と第3主題が、ぜんぶ重なって無限にループしつづけるような構造で、ダンスミュージックの様式ですよね。ジェームス・ブラウンのファンクもそうだけど、単純なダンスミュージックの強さがあると思います。サンプリングネタにもなりやすいし、この構造のうえに別のメロディーも自由に乗せられるから、マイケル・ジャクソンやエリック・クラプトンなどは、そういう形でカバーしているわけですね。欧米人からすると、いちばん上のメロディは、変ちくりんなオリエンタルミュージックみたいで、そこも面白いのかもしれません。…てことを、さっき考えました。生前の坂本龍一に教えてあげれば良かったけど、間に合わなかったな(笑)坂本龍一の代表作は、「戦メリ」「Behind The Mask」「ラストエンペラー」の3曲だろうと思う。「energy flow」はつまらないので除外!わたし自身がよく聴いたのは、アルバム『Beauty』『Heart Beat』あたりなんだけど、本人的には不本位な作品だったかもしれません(笑)。ベスト盤の『グルッポ・ムジカーレ』もよく聴いたから、「黄土高原」や「Ballet Mecanique」なんかも好きですね。やっぱりご冥福をお祈りします。
2023.04.03

給与手渡し春宵の喫煙所 ギャラ明細は二行療養の春 鞦韆に退職の日の花束と 保護シール剥がす手応え啄木忌 口座開設朱肉拭き取る夏近し 本採用朧夜の缶チューハイ 春光の起業ゲーミングチェア届く 桜蘂降る陸自の戦車しづか 職を辞したる尾崎放哉鳥曇 我が給与マックのバイトに負けた春プレバト俳句。お題は「給与明細」。◇フジモン。給与手渡し 春宵の喫煙所これが1位。詩情もあって申し分のない句ですが、タイトル戦の優勝句としては、やや意外性に欠けたかも。◇皆藤愛子。ギャラ明細は二行 療養の春療養の春や ギャラ明細二行(添削後)原句は10+7=17音ですが、なんとなく尻すぼみで寸足らずなリズム。それによって、収入のない心もとなさを表現したともいえる。添削のほうが安定感はありますが、それが内容に見合うのかは判断が分かれるかも。◇梅沢富美男。鞦韆しゅうせんに退職の日の花束と退職の日の花束と鞦韆に(添削後)春の季語「鞦韆」はブランコのこと。原句のように、最後に助詞「と」を置くと、共同の意味(~と乗る)か、引用の意味(~と思う)か、すこし読みに迷います。かたや添削句のように、最後に助詞「に」を置くと、「鞦韆に(乗る)」とも読めますが、「花束と鞦韆に(悲しくなる)」「花束と鞦韆に(一人ごちる)」のような読みにも迷いかねない。語順的には、退職の日の鞦韆に花束とのほうが誤読は少ないかもしれません。なお、「鞦韆」は「秋千」とも書きますが、いずれにしても「秋」の字が入る春の季語。語源は「千秋万寿」だそうです。先日は村上が「ふらここ」で詠みましたが、きっと梅沢は「退職」の寂しさなどを、あえて「秋」の字を含む漢字に込めたのでしょう。まあ、わざわざ漢字で書かずとも、片仮名や平仮名でも寂しげな気分は出るし、個人的には、退職の日のブランコに花束とのほうが明瞭でいいかなと思います。◇フルポン村上。保護シール剥がす手応え 啄木忌保護シール剥がす啄木忌の明細(添削後)保護シール強こはし 啄木忌の明細(添削後)兼題写真を見なければ、何の「保護シール」なのか分からないし、添削のように「明細」と書き加えても、やっぱり何のことか分からないと思います。たとえば「保護シール」は、ラベルやディスプレイの保護フィルムかもしれないし、かたや添削の「明細」のほうは、給料明細ではなく、光熱費などの支払い明細と読まれてしまう可能性が高い。◇千原ジュニア。口座開設 朱肉拭き取る夏近し口座開設 拭き取る朱肉 夏近し(添削後)原句は中七・下五でワンフレーズを作って、形式的には整っていると思うけど、添削のほうは三段切れになってしまっている。先生いわく、原句の中七・下五は、「複合動詞+形容詞」で用言が重なって韻律が悪い、とのこと。であれば、最後を体言にして、口座開設 朱肉拭き取る夏隣と直すこともできるし、おそらく韻律上のつまずきを覚えるのは、たんに用言が重なるからではなく、読んだときに、中七の終わりの連体形が、終止形っぽい語感を与えるからだと思うので、口座開設 朱肉拭ぬぐひて夏近しでもいいんじゃないかしら。それでも、あくまでも先生の意図を活かすとすれば、口座開設 拭ふ朱肉の夏近しのように助詞「の」or「に」を加えるべきだし、あるいは、上五・中七でワンカットを作り、季語と取り合わせる二句一章の形式で、口座ひらきて拭き取る朱肉 夏近しみたいにする方法もありますが、これだと動詞が3つも続いてしまいますね。動詞を1つ減らすならば、口座ひらきて拭ふ朱肉や 夏近しとすることもできます。◇森迫永依。本採用 朧夜の缶チューハイ本採用通知 春夜の缶チューハイ(添削後)前回はマンモス句に似てたけど、今回もまたフジモンの句に似ましたね。「給料日の夜のタバコ」と「本採用の夜の缶酎ハイ」。どちらも、独りのささやかな祝いの情景。ただし、こちらの句は、リズムに字足らず感があって、心もとない。数えてみると6+5+6=17音なのだけど、長音などの二重母音が多いせいか、短く感じます。一方、添削は6+7+6=19音ですが、こっちのほうが定型感があります。季語にかんしては「春夜」のほうが暖かな感じですね。◇キスマイ横尾。春光の起業 ゲーミングチェア届く春光の起業 ゲーミングチェア導入(添削後)朝ドラの「こんねくと」みたいに、2人で起業ってこともあるから、べつに社員数が少なくても構わないと思うけど、原句の「届く」が配達の場面なのに対して、添削の「導入」はすでにオフィスに配置された映像になる。その意味でいうと、春光の起業 ゲーミングチェア10脚のように具体的な数などで見せても大差はない。◇立川志らく。桜蘂さくらしべ降る陸自の戦車しづか戦車しづか 桜蘂降る駐屯地(添削後)これは添削に異議なし。戦前には、「貴様と俺とは同期の桜 / 花の都の靖国神社」と歌われたわけだから、この句材は、そんな歴史も想起させます。◇春風亭昇吉。職を辞したる尾崎放哉 鳥曇とりぐもりまたも職辞せる放哉 鳥曇(添削後)これも添削に異議なし。放哉のことを詠んだというより、辞職した自分自身を放哉呼ばわりしているように見えますね。季語の取り合わせも、風まかせな感じが巧い。志らくが8位で、昇吉が9位でしたが、句材でいえば、1位のフジモンの作品よりも、落語家ふたりの作品のほうが迫力があったかもしれない。どちらも、内容はちょっと暗いけど。◇勝村政信。我が給与 マックのバイトに負けた春マックのバイトに追いつきたし 春の我が給与(添削後)サラリーマン川柳ですか?って感じの安っぽい俳諧味。かたや添削は8+6+8=22音と、いっそ短歌にすれば?と思うほどの字余りで、どういうリズムで読めばいいのかしら?ジュニアのように、期待と不安を織り交ぜて、夏近し バイトにおよばぬ初給与でどうでしょうか。
2023.04.03

Eテレの「すイエんサー」が終了。女の子のための理科番組って感じで、コンセプトが面白かったし、子供だったら真似したくなる実験をやってました。14年間も続いたってことで、番組の視聴者のなかには、ほんとにリケジョになった人もいるでしょうねえ。◇最後の「知力の格闘技」は、すいチームがエリート大学チームに勝ってましたが、まぐれ当たりじゃなく、安定的な実力で圧勝してる感じが凄かったです。前にも書いた奥森皐月とか、由貴ちゃんのミスマガの後輩にあたる豊田ルナとかが、(↑この人はなんとなく若いころの薬師丸ひろ子に似てます)このチームにいたけど、やっぱり頭よさそうなのよね。◇過去のすイガールには、清野菜名とか、福原遥もいたとのこと。ちなみに「すイエんサー」って、「サイエンス」のアナグラムだったことを、いまになって、はじめて知りました(笑)。奥森皐月と豊田ルナ。向かい風に負けず飛行機を飛ばそうとする福原遥。隣はガッテンの山根千佳。すでに舞いあがろうとしてる。
2023.04.02

朝ドラ「舞いあがれ!」が終了。てっきり舞は宇宙へ行くものと思ってたのに!地球の大気圏内に留まりました。しかも、だいぶ低空(笑)。とはいえ、朝陽くんは航空宇宙工学を専攻してるらしいし、娘の歩ちゃんは宇宙人とお友達みたいだから、大気圏を超えるのは次の世代に託された感じ?◇まあ、「空飛ぶクルマ」にも夢がありますよね。Wikipediaによると、eVTOL(Electric Vertical Take-Off and Landing aircraft/イーブイトール)は、電動の垂直離着陸機である。人が乗り込める大型の有人eVTOL(空飛ぶクルマ、有人ドローン)の開発も進められている。日本の経済産業省は、eVTOLについて「電動垂直離着陸型無操縦者航空機」を正式名称としている。つまり、電気を動力として、垂直離着陸が可能であり、飛行に航空機パイロットを必要としない航空機を指す。2021年10月29日、日本のスカイドライブが型式申請を行った。2022年9月7日、大阪府は2025年大阪・関西万博での商用運航を目指す「空飛ぶクルマ」について、2023年2月に大阪城公園で有人の実証飛行を行うと発表した。大阪府によると、日本国内での有人の実証飛行は初めてという。機体は米国「LIFT AIRCRAFT」社製の「HEXE(ヘクサ)」の1人乗りの機体を使用し、巡航速度は時速約100キロ。大阪城公園敷地内で離着陸や昇降時の動作を確認する。観覧席も設ける予定。…だそうです。◇アビキルが開発した空飛ぶクルマは、騒音の少ない小型ヘリコプターって感じで、ちゃんとパイロットが操縦してましたが、経産省が目指してるのは、あくまでパイロットの不要な航空機です。なお、経産省に型式申請した「スカイドライブ」は、東大阪ではなく、愛知の会社。やっぱり日本の機械産業は、大阪じゃなくて愛知なんでしょうか?だとすれば、それはやはり、家康が全国の職人を愛知や静岡に集めたからですね。≫ 愛知のトヨタと、静岡のヤマハ◇空飛ぶクルマが普及するために必要なのは、1.衝突や渋滞のない飛行ルートの確保。2.天候悪化や燃料切れや故障の際に緊急着陸できる場所の確保。3.墜落や騒音被害の回避。…ですよね。また、自動車が走るのに道路が必要なように、空飛ぶクルマが飛ぶのには空気が必要ですが、地上の空気は道路ほどには安定していません。つねに無風状態ではないからです。しかし、風の影響を受けない安定的な飛行ができなければ、乗用車に代替するのは難しい。なお、上の「スカイドライブ」のイメージでは、途中まで自動車として一般道を走行し、道路脇の駐車スペースから離陸しているようです。きっと着陸にも何らかの駐車場を使うのでしょう。◇もし空飛ぶクルマが普及したらどんなことが起こるでしょうか?・移動時間の短縮。移動距離の増大。・山や川を越えるのが容易に。・災害避難が容易に。・大陸の国境が有名無実化。・人々が上空からの視野を獲得。人間の世界観が変容。・地上の交通渋滞が解消。もし空飛ぶクルマが乗用車に代替したらどうなるでしょうか?・地上の交通事故が激減。・アスファルトの車道が激減。・都市部のヒートアイランド現象が改善。・既存の車道の土地活用。・建物の玄関は一階でなく屋上に。・屋上の高さが一律になって建物どうしが空中で連結。…などなど。社会は劇的に変わるかもしれません。おつかれだったね~ぃ。画像は「ゆるキャン△2」です(笑)。
2023.04.01
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