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娘(小4)の夏休みの自由研究がまだ出来ていないのです。もういい加減にフィニッシュせんか~~~!!と言いたくもなるのは、常にちょこちょこ手を貸さねばならない状態だからです。本業は(?)娘がやるものの、地盤の線引きや、アドバイスなど、私がせねばならないので、もう早く仕上げてほしいのです!!食卓の上は資料であふれたままだし(勉強机を使えない事情があるので)、他の宿題だってまだ残ってるのに!!毎年毎年『夏休みの宿題は計画的にやって、やりやすいものはなるべく早くにやっておくように』と夏休みの始まりに言うのですが、だめなんですね~~~。 私は子供の頃、ドリルものは終業式の午後からやり始めて、早いうちにやっつけました。と、いうのも、工作や絵や読書感想文に苦心せねばならないのがわかっていたので、やれるものは早めにやってしまう習慣がついてました。普段の工作は大好きだったのに、夏休みの工作は妙にプレッシャーがかかって、その上父親が変に手伝うものだから嫌だったな~。自分の想像していたものと違ったものが出来てしまったりで。 夏休みの宿題がなかなか全部出来ない子供って、きっと多いと思うんですが、昔に比べて子供達の夏休みの宿題は年々少なくなってきてませんか?それなのに、なぜまだ全部出来てないの????って、つい思ってしまいます。 ところで、娘の今年の自由研究は、小学校に入って以来初の『まとも』なもの。これまでは(前の学校=漁村)周りの皆もたいしたものをしていなかったから、娘もいい加減なものを(1日で書いちゃって)提出していました。でも、転校してきた学校は、普段の土日休みにもしっかりした自由研究を提出してくる子供がいっぱいいるような、すごい(?)とこ。娘もちょっと刺激を受けてびびったようです。 『まとも』といっても、たいしたことはないのですが、内容的には食物の栄養関係。『思いっきりテレビ』や『あるある大事典』なんかが好きな娘は、食物のパワーやメリットデメリットにものすごく興味があって、以前からよく憶えていて、大好きなトマトを食べながらも『リコピンが・・・』云々、お好み焼きやさんで頼んだトマトサラダのスライストマトを鉄板で焼いて『こうするとリコピンの作用が・・・・』云々とか言ってるんです。 同じやるなら、自分の好きなことをやれ~~~~!!ってことで、『ママ~~、自由研究何したらいいと思う?』(そんなもの自分で考えなさい!!と勿論怒りましたが)と聞かれて食べ物の栄養を勧めました。そうしたら、娘は満面の笑みですぐに着手!食卓に出そうな食物をひとつひとつ調べ始めました。模造紙に書いてゆくのでは使えないので(!?)、大きめの食品カードを作ることにして、絵も描いて、それはそれは結構やり進めると大変な仕事になってきました。お出かけがあったり、なんやかんやもあり、なかなか順調に進まないのも仕方ないのですが、もっと真面目にこつこつやったら、もう数日前には完成してるのに。 きっとよそのお子さん達は、毎年こんな風なのかも、って思いました。4年生にして初めてまともに自由研究に取り組んだってわけです。ふ~、大変。自由研究として、絵や工作を選ぶ手もあったのですが、娘が選ばなかったんですよね・・・・。あ~~~~!!明日には仕上げて!!明日夜主人が赴任先から帰ってくる(夏休み期間中は最後となるお帰り)ので、『自由研究も他のも全部できたよ!』って言って、のびのび遊び狂ってほしい~~~~~!!
August 21, 2002
初恋の人から久々にメールが届きました。お引越しだそうです。ニューヨークからワシントンへと。彼は外国人ではありません。日本人です。いまだに名前を見ると、ちょっぴり胸キュンになる私。 初恋・・・・正確には2度目かな?1回目は幼稚園で3年間思い続け、2回目が小学校6年間思い続けた、その相手からメールがきたんです。 小学校の高学年にもなると、消極的だった私でも周囲が思いに勘付かれたのか、よく彼との事でひやかされたりしましたっけ。でも、中学校が別々だったし、家も遠かったので、小学校卒業後はどうしているのか全く知らない状態で、私はいつしか大学生に。 それまでに好きな人も出来たのですが、やはり彼の事がずっと胸にあったので、大学生になってから通学途中の公衆電話で彼の家に電話をしました。そりゃあ、勇気は要りました。彼のお母さんとは小学校時代に面識はあったので、突然の久々の電話でも私を思い出して下さいました。その日に彼は不在でしたが、近況も教えてもらえたし、後日彼からも電話が来たのです。 彼は中学受験で失敗し、志望校へは行けなかったのですが、第2志望の受験校に進学したのち、大学は第一志望の京都大学へ。私達は互いに映画好きだったため、大学時代に数回友人同士として映画鑑賞に出かけました。 彼は会社社長の一人息子ですが、子供の頃から自立心が強くしっかりしていて、勉強もスポーツも良く出来ましたが嫌味のない(?)ナンバー2。同級生のみならず、上級生や下級生の女の子からもモテモテで、バレンタインデーはいつもたくさんチョコレートをもらってました。でも、消極的な私はチョコなんて一度も渡したことがありませんでした。ただただ心は憧れモード、でも行動は友達モード。一番記憶にあるのは、高学年の時のNHK大河ドラマ『風と雲と虹と』という平将門(字合ってるかな?)を主人公にしたものがちょっとしたブームで、愛好者が集まって劇のようなのをやってみたりして、脚本を書いたり、演じたり、私も彼も同じ輪の中で休み時間に遊んでいました。 恥ずかしくて「好き」なんて一度も言わなかったし、思わせぶりなこともしなかったけど、小学校卒業後長く合わなくても、お互いに友情がしっかり根付いたままだった感じです。 大学時代に映画に数回行って、近況報告をしあって、互いの交際相手の話もしたり、彼の親友とも機会があって食事したりしました。彼はとても性格のいい子で、その親友もまたいい子。なんと、その親友という彼とも、以後ちょっとした文通したり、互いに結婚した後も年賀状やメールのやりとりが続いています。彼もその親友も、私の知り合い(親しい)の男の人の中で唯一?唯二?男前、なのも不思議な話・・・。男前でなおかつ性格もいいなんてね~、そんな男といまだに交友があることを幸せに思います。 そうそう、話がそれましたが、初恋のその彼はその後アメリカに渡り建築家に。今回来たメールでは、州立大学の建築学の助教授になって引っ越すと。アメリカに旅立つ前に、会ってお餞別としてベルトをプレゼントしたのをおぼえています。あれはもう10数年前の事。彼はアメリカ人女性と結婚後も連名でいつも便りやメールをくれます。 彼の親友も、国立大学の経済学の助教授になりましたが、結婚後もかわらず便りやメールをくれ、子供の事をのろけてくれます。 ふたりとも10数年会ってもいないのに、これからもずっと旧友というかんじでいられる気ががします。不思議なものですが、初恋がもたらした不思議な縁、だということは間違いありません。大学生だったあの時、もし彼の近況を知るべく実行に移さなかったら、このふたりには一生会わずじまいだったかもしれないなんて思います。初恋の彼はアメリカにずっといそうだし、この先ももしかしたら、会う機会には恵まれないかも知れないけれど、それでも構いません。今のままで続いてゆけるだけで、宝物です。
August 10, 2002
こういうのは自立心とは言わないのかも知れない。ただのズボラなのかもしれない。小4娘は主人の実家に行ったきり、全く電話もメールもよこさない。初日に電話をよこしてくるなり、『ハピタンのメルアド教えて』ときた。ハピタンとは、バーチャルタウンに部屋を持てるお遊びホームページだ。最近それをやり始めたので、おじいちゃんのパソコンで見るらしい。 その電話以来ぷっつり。こちらからも電話をかけようと思うのだが、気が付くと娘の就寝時間をまわってたり、昼かけても留守になってたり。まったくもって、不愉快。ちょっとくらい、『今日はプールに連れて行ってもらったよ!』とか『盆踊り楽しかったよ』とか言ってくればいいのに。私が実家にいた頃(子供時代~独身時代)、私の娘がしてるようなことをすれば、母に言われたものだ。『生きてるのか死んでるかもわからない!』極端な言い方の嫌みではあるが、それって結局『親しき中にも礼儀あり』に通じているような気もする。 私は子供の頃から、そういうことに対してもやかましく親に教えられた。よそ様のおうちに遊びに行った時に、おやつや飲み物を出していただいたことや、お世話をかけたことなど、その日の内に親に言うようにとかも。そういうことの延長でもあると思う、4泊祖父母の家でお世話になっている間に親に電話することは・・・。 今回4泊するにあたって、おじいちゃんおばあちゃんに100%お世話になることは勿論、母親の私だって、父親の主人だって、いろいろやってこその4泊なのに、行ったら行ったっきり。寂しくないから、言うことないから、なんて言い訳は受け付けない!私だって娘がいなくても寂しくないけど、何にもなしって、何だか無視されているようで。 私は2回おじいちゃんのパソコンに娘宛のメールを送った。娘はメールもパソコンで送れるくせに、バーチャルタウンで遊んでも私へは返事もよこさない。 ちょっと大人気ない感じで娘に対して怒ってる。 今晩10時前に主人の実家に電話をしたら、おじいちゃんが出た。淡々とした受け答えがまた頭に来た。丁寧にお世話になっているお礼も言って、娘の様子もきいているのに、娘はもう床に入ったようで、『何もかわったことはないです』(結婚して11年にもなるのに、まだよそよそしいしゃべリ方)・・・・って。きっと通話時間30秒くらいだったろう。最後に私はうっかり『また明日電話します』なんて言ってしまった。『娘に明日の朝電話させて下さい!』とでも言っておけば良かった。 団体のキャンプや合宿に行ったとか、いつもいつも行ってる近くの祖父母宅なら、事情は違うけど、普段行かないところに数日泊まって、なぜ電話の一つもかけないんだろう。自分の用のあるときだけかけてきて。そんなことまで、事前に言って聞かせておかなければならなかったのか。 大人気ないのはわかっているけど、もう電話で娘としゃべりたくなくなった!!もう勝手にしろ~~~~!!今週の木曜日に私と息子、単身赴任先から主人が、と皆が主人の実家に集合する。
August 6, 2002
昨日の夕方、小4の娘が一人で電車を乗り継いで、主人の実家へ泊まりに行きました。乗り継ぎ駅まで送ってもらって、ひとりで電車で帰ってきた経験はありますが、こちらから一人で行くのは初めての経験。と、行っても、電車で1時間チョットのところなんですけどね。隣県です。 電車の切符も一人で買うのは初めてなので、息子を連れて電車の最寄り駅まで送りました。娘は終始堂々と(?)していて、かつ楽しそうで、電車が発車する時も車内から満面の笑みでずっと私達に手をふってました。 だいたい、主人の実家の方へは年に5~6回行くかな、というほど、近い割りには行かない方で、娘もどっちかというと私の実家やおばあちゃんが大好きで、主人の方の祖父母のことは普段話題にも出さないんです。でも、会ってみると可愛がってもらえるし、まあまあ仲良しなんですね。 今回娘が一人で4泊もするのは主人の発案でした。私はてっきり娘が「え~~~!?」と嫌がると思いました。一人で行くこと、一人で泊まること、主人の実家に泊まること、に対して。小学生になってから、たまに一人で泊まらせはしたのですが、4泊もというのは初めて。 本当は夫婦共に、娘をどこかのお寺の修行合宿(?)のようなのに放り込もうと考えていました。自分の事は自分でする、ということがまだまだ出来ない娘で、3才から始まった反抗期が終わらずに続いたままで、減らず口、屁理屈がすごいんです。勿論、四六時中そういうわけでもなくて、先に書いたように、車内から手を振る笑顔の娘は、全く周囲が目に入らないような無垢な子供なんです。自分の機嫌のいい時は、本当にハイジです。なのに、せちがらい現実世界(!?)の雑多なことに縛られようものなら、持てる知恵をフル回転駆使させて、大人に攻撃してくる感じです。 幼少の頃、初めての子供として生まれ来た娘を、『のびのび』と育ててきました。したいことをさせ、好きなことをさせ、笑顔の絶えない暮らしをさせました。しかし、その中で娘がイヤだったのは『~しないといけない』という躾とかルールとかいったもの。守らないわけではなかったけれど、どうしても自分の心地いい、楽な方へ、と行く子になってしまったようです。 『自分の事は自分でしないといけない』ということも、娘には単に邪魔臭い面倒なこと。必要最低限のことしか自分でしない子、になってしまいました。 『のびのび』して、自由な豊かな発送が出来、想像力も豊かで、弱きを助ける正義感の強い、優しい娘・・・・・・ですが、その長所に気が取られ、ついつい、短所の方を甘く見過ごしていた気がします。 幼少の時期を過ぎて、今は小学4年生。一人で電車に乗って、元気に4泊に出かけてくれただけでも、実はちょっと私としては嬉しいのですが、こんなことで嬉しがってちゃだめなんですよね。他の事でもっと自発的に行動するように、自立心を伸ばしてやるように、遅ればせながら子育ての修正にかからないといけないと思ってます。 娘を叱りながらも、自分を叱る私がいます。生まれ持った娘の性格もあるだろうけど、やっぱり親の育て方が間違っていたからだと。もうちょっと、細やかに日常生活における諸動作を見てやって、適切な指導をしてやればよかった、とか、手出し手助けをしてやりすぎたとか・・・・。 幼少の頃から口答えがひどくて、叱られたら怒り返す娘。そうだから、病気もせずに元気でいられるんだと思いなさい、とは私の母の言葉。言いたい放題言ってるから、内にたまらず、心身元気な子供でいられるんだと。 私は幼少の頃、病気がちで入院も何度もし、一時は死を覚悟させられる難病にも。兄も体の強い方ではありませんでした。私達兄妹は、二人とも、いわゆる『いい子』でした。反抗期らしい反抗期は小6くらいで、それまでは親の言うことをよくきく、とてもいい子、だったのです。だから内にたまって、病気をした、と母は思っています。 そんな話を聞くと、娘の発散として受け止めざるをえないのです。小学校低学年の頃に比べたら、いっぱい成長したところが見られます。他の子供さんよりはかなり幼稚な生活態度かもしれませんが、先に書いた長所の他に、健康で、勉強も出来る、・・・・そんな娘を、気長にぼちぼちうまいこと育てて行くしかないな~と思います。 小学4年の娘について、最後に愚痴ります。 娘はこんなことが出来ません。*毎日だめと言い聞かせているのにやってること入浴後に体を拭きながらリビングに来て濡れたタオルを皮のソファーにほおっておく朝着替えで脱いだパジャマはそのまま裏返ったままほおっておく食事中左手を食器に添えないで片手で食べる(添えないと器が動く)玄関の靴は揃えない言われないとしない歯磨き出したものをそのままほおっておく自分の持ち物を管理しない食事のあとの食器をシンクに持って行かない就寝時間を守らない暗いところで目を近付け読書(視力は今のところいい) 姿勢が悪い食事の用意(食器を並べる程度の)をしないランドセルは玄関においたまま洗髪を邪魔臭がるくせに、かゆいと頭をかきむしる20キロ以上の子は乗ってはいけない室内ブランコに乗る足下に落ちているものも拾わない片付けをしない探し物はまず私に聞き、自分で探すよう言われても上辺しか探さない外出前にトイレに行かない学校でもトイレに行かない落着いてトイレをしない(だから、時々パンツが濡れたと履き替えている:出残り尿がつくのでしょう)はっきりと挨拶しない、し忘れる怒られたら怒り返す説教されても鼻歌をいたっていたり、他の事をしたりする人の話をいい加減に聞いている明日のランドセルの用意の時に鉛筆を削らない給食当番にあたるとマスクを持って行かなければならないのに、平気で一週間マスク無しで通すすぐに『できない』と諦めるなくしものをしても すぐ諦める 下の息子と同じくらい手がかかります。 上の事を書き連ねながら、情けないようで、反面すっとしました。あ~。 元気が何より。確かにそうなんですよね。でも、ほったらかしに野放し子育てはしてられない、もう。最近息子のことに気が取られ、余計娘を『まあいいか』状態にほおってましたが、この夏ちょっと娘に成長をもたらしたいな、と思います。
August 5, 2002
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