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与党は、2日に予算の衆院通過をしたいらしい。十分に論議すべき点が多々あったと思うが、「探偵ごっこ」でとんでしまった。 税負担の問題、医療費の問題、小泉改革の是非、その他、予算案については論議すべき大きな問題が多々あったが、「探偵ごっこ」で明け暮れた。 もうけたのは与党だった。予算の問題点は論議にもならない、民主党はかってにこけてくれる。笑がとまらないだろう。 巨悪は平然とまた公然とまかりとおる。改革競争などをする党には、「小泉改革」の背後にいる巨悪を暴くことなどできない。 改革競争などといって、自公と本質で変わらず、先陣争いをするしかない党は、「違い」を演出するために「探偵ごっこ」をするしかなかったのだろう。
2006/02/27
こどもがいたら声をかけて、頭をなでたりする、こんな風景は、以前はよく見られた。 今でも子ども連れの家族がいたりすると声をかける人もいる。それでも、なんとなく声をかけにくい雰囲気になっている。 それは、児童殺傷事件などに過敏に反応する警察や学校やマスメディアの影響からか、社会にそういう雰囲気がすこしずつ広がっているからだ。 学校や幼稚園では、知らない人に声をかけられた時の対策を教えたりしている。 そんな時、奈良県で「声かけ」禁止条例が出来、それに違反した人が逮捕されることがあったという投書を読んだ。 グーグルで検索してみると下記のとおりの記事のキャッシュが残っていた。 こどもに声もかけられない社会は、相互に監視しあう社会でもあろう。特殊な例を誇張し、原因を探る努力をせず、一人ひとりをばらばらにして統制する社会がじわじわと広がっているようだ。 今のところ、私の住む町では、子ども達が元気に挨拶してくれている。 でも、見知らぬ人が声をかけたらどうだろう。ここでもやはり警戒されるのだろうか。 奈良の条例は、他県のこととして見過ごしにできないことのように思う。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 「声かけ」禁止条例案を可決 奈良県議会 2005年07月01日 子どもに不安を与えるような「声かけ」などを禁じ、罰則を盛り込んだ奈良県の「子どもを犯罪の被害から守る条例」案が30日、県議会で可決された。県によると、全国に例のない内容という。審議の中では慎重論も出たが、最終的に共産党を除く全議員が賛成した。1日に公布され、禁止行為と罰則は3カ月の周知期間後に施行される。 昨年11月に起きた奈良市の小1女児誘拐殺害事件を受けて提案された。13歳未満の子どもに対する(1)惑わしたり、うそをついたりする行為(2)ひわいな発言や、つきまといのほか、(3)13歳未満の子どものポルノ映像や画像の所持、保管を禁止。(2)と(3)に違反すると30万円以下の罰金または拘留、科料の罰則がある。 県警側は不審者情報の中には通常のあいさつを誤解したものも多いと説明。「条例で禁止行為が明確になれば、保護者らが安心できる。(1)は罰則を科さず、見守り運動が後退することもない」と理解を求めた。運用にあたっては、人権を侵害しないよう警察官への指導を徹底すると約束した。
2006/02/26
国会の騒動の陰で、「共謀罪」の成立へ向けて、与党が攻勢をかけているという。 新聞では、修正案により牙が抜かれたかの報道がされたが、実質はなにも変わっていない危険なものであるようだ。 そこで下記のような呼びかけが以前きていたのを転載します。 転載歓迎とのことです。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~15日朝、新聞各紙で、与党が民主党に対して共謀罪法案の修正案を提示して協議を求めたことが報道されました。どの新聞にも「対象を(暴力団などの)組織的犯罪集団に限ることを明記」「客観的な準備行為を要件に加える」といった説明があり、重要な修正が加えられたかのような印象があります。しかし、そうした印象とじっさいに提示された修正案の内容には大きな隔たりがあります。修正案によっても、共謀罪の危険な本質になんら変化がないことを示すために、「キョウボウザイ(共謀罪)ってなんだ?」のサイトでは与党修正案の文面とそれに対するツッコミをアップしました。どうぞご覧になり、どんどん広めてください。http://kyobo.syuriken.jp/http://kyobo.syuriken.jp/syuseian.htm
2006/02/25
ソ連軍が侵攻して来た時、関東軍や満州国、進出していた企業などの上層部はいち早く、逃走した。残されたのは、関東軍の下級兵士と根こそぎ動員された後に残された女子どもと年寄り。 逃げ惑う人たちの混乱と苦闘のなかに、まだ若かった志ん生と円生がいた。この戯曲は、そうした混乱と苦闘を背景に、二人が引き上げる直前までを描いたものである。 井上ひさしは遅筆で有名だが、その遅筆を納得するのに十分なセリフの巧みさ、構成の妙がある。 登場人物のことばのひとつひとつに笑と味わいがあり、特に二人のやりとりはそのまま笑の台本のようになっている。 笑いながら読むうちに、私は、笑の力というものに気づかされた。笑は、権力を越え、ひとびとを力づける。特に弱いものや、苦しむ人たちを。それが本当の笑の力だと思う。 この戯曲はそういう笑に充ちており、そういう笑の値打ちというものに気づかせてくれる。 瑣末なことだが、若い頃の志ん生がテンポの速い語りをしていたというのは驚きだった。晩年の志ん生をラジオで何度も聞いたが、その頃の志ん生は、ゆっくりとしたテンポと絶妙の間で、大いに笑わせてくれたものだ。 ついでにいうと、最近のテレビのお笑い番組には笑いともいえないものが多いように思う。出演者だけが面白がっていて見るものには一つも面白くない、バライティー番組の司会をしている元お笑い芸人の芸無しがやたらにえらそうにしているのも目につく。 高みから見下すようでは、笑の芸人とはいえない。
2006/02/24
民主党の永田議員が議員辞職を申し出た。例のメール問題で話題の人物である。 民主党は臨時議員総会を開いた。前原代表は相変わらず、国政調査権云々といっていたが、鳩山幹事長に一任だという。 昨日の党首討論を見た多くの人は、これは、民主が自民と裏で手打ちをしているのだろうと指摘している。 「だろうという確信」などという変な言い回しをして、質問は討論のおしまいに、尻切れトンボ。証拠を突きつけて追い詰めればいいものをそれをしない。などなど。 これで、小泉政権は安泰で、民主党は転落ということになるのだろうか。 ともかく、根本のところから詰める力も足場ももたないで、瑣末にこだわった結果、ひしめく国政の大問題を見逃す愚策に終ったようだ。
2006/02/23
国会の党首討論を見る。党首討論なのになぜか共産、社民の党首はでない。 民主党の前原氏は討論の後半、二十数分を使って、ライブドア関連の討論を行った。なんともなまぬるく、討論というよりなまにえの質疑だった。 前原氏「国政調査権を行使するなら、持っている証拠を出す。」 小泉氏「確たる証拠を出したらそれですむことだ。国家権力の行使には慎重でなければならない。」 これだ終わり。その前の教育に関する討論(質疑)でも前原氏は公刊されている書物の孫引き的な質問をし、軽くいなされていた。 国会の党首討論で、しかも他の党首はでないのであれば、時間も限られていることだし、焦点を絞って小泉構造改革の真実に迫る根本の所から、攻めあげるべきだ。 もっとも、民主党は小泉政権と構造改革競争をしようという政党だから、それはしない。 というわけで、今日の国会党首討論でも、双方言いっぱなしの全く迫力を欠くものになってしまった。
2006/02/22
茨木のり子さんが亡くなられた。残念でならない。 長く詩やエッセイを愛読してきた。次に出る本が待ちどおしかった。 『見えない配達夫』『人名詩集』『寸志』『食卓に珈琲の匂い流れ』『自分の感受性くらい』『倚りかからず』といった詩集。 『言の葉さやげ』『詩のこころを読む』『ハングルへの旅』『一本の茎の上に』といったエッセイ。 名訳詩集『韓国現代詩選』 分かりやすく、鋭いことばで、はっとこころをうつ詩やエッセイを書かれた。 好きな詩は多いが、どれも長い。 短い詩をひとつ。 「倚りかからず」 もはや できあいの思想には倚りかかりたくない もはや できあいの宗教には倚りかかりたくない もはや できあいの学問には倚りかかりたくない もはや いかなる権威にも倚りかかりたくない ながく生きて 心底学んだのはそれぐらい 自分の耳目 自分の二本足でのみ立っていて なに不都合のことやある 倚りかかるとすれば それは 椅子の背もたれだけ 茨木さんの詩もエッセイもこの詩のとおり自分の耳目、自分の二本足の上にたち背をりんと伸ばしていた。 といって孤高とか独りよがりではなく、人々への愛、社会への鋭い批評眼をもっていた。 もう茨木さんの詩もエッセイも読めない。 返す返す残念だが、お年でもあったし、仕方あるまい。 こころからご冥福をお祈りしたい。
2006/02/21
レイテ島で大災害が発生して、死者は1400~3000人とも言われている。最近連続する災害は死者の数がけた外れに多い。 レイテ島での、山の大崩壊の原因は、山の樹木の不法乱伐にあるとのことだ。不法乱伐がどういう原因によるのかいまのところ詳しい情報はないが、日本も加わった先進国の木材の買い入れがその一端であるらしい。 スマトラ大津波でも、海岸の開発が被害を大きくしたといわれた。海岸の開発は、観光、木材、えびの養殖などが目的であったらしい。そのため、海岸のマングローブの林が残らず取り払われそれが被害を大きくした一因という。 自然災害には地球環境の悪化も一因だが、その原因は先進国を中心とする人間の営みがつくっている。 そして、その被害を更に大きくする原因も先進国をはじめとする国々に、人の営みにある。そしてその被害をもっとも多くこうむるのは、弱者としての庶民である。
2006/02/19
帯にこうある。「北京は感情の坩堝だった。人々は日本を罵った。共産党を呪った。不公平を訴えた。」どんな激烈な本かと思うが、あんに相違して落ち着いた文体で、目配りのきいたしっとりとした本だった。 この本は日本で暮らす中国人の著者が、丁度「反日デモ」の頃、中国の北京に帰って見聞きしたことを出来るだけ、感情を抑えて書いたものだ。北京という大都市での一個人の見聞だが、それを通して中国というものの全体像が垣間見える。 北京は開発ブームに沸いている。そこには発展に乗った富裕層と取り残された人たちと、これから競争に乗ろうとする人たちとでごった返している。 著者は破壊されつつある懐かしい町並みをいとおしみながら、人々を観察し、人々の声に耳を傾ける。 なんでも「金持ちのために」が言われる一方で、都市と農村、そして都市住民のなかで、猛烈な格差が広がっている。そのなかで広がる不満、苦しみの訴え。 「憤青」と呼ばれる怒れる若者たちは、そういう中で育った。いわゆる「反日」にもいろいろあり、日本による侵略の記憶からくるもの、漠然とした怒りから来るもの、とにかく批判の意思を示したかったからとさまざまである。 若者の声はさまざまである。人々の声もさまざまである。その声に耳を傾けながら、著者は、中国と日本の双方を批判する。その批判は冷静であり、説得力がある。 この本を読みながら私が思ったのは、中国も日本もお互いにお互いをあまりにも知らなさすぎるということである。 また、日本と中国とは大きく違いながら、また大きく共通するという矛盾した感想を持った。 著者の中国の人たちへの愛情から生まれている中国の腐敗と巨大な格差への静かな怒りと人々への愛情に共感しながら、日本も程度は違え人々の苦しみと嘆きは共通すると感じた。 このような本がもっと書かれ紹介され、日本の実情もこのように紹介されれば、お互いの理解も深まるのではないか。そう思わせる好著である。
2006/02/18
紀子さん妊娠で沸いたのはつい先日のことだが、今日、関連して興味深い文章を読んだ。 「大藤理子の政治時評」「なぜ12年ぶりにコウノトリがご機嫌伺いをしたか、には、誰も触れない微妙な慶事」(週刊金曜日594号)がそれである。 その中に紹介されていた二人の人物の発言が特に興味を引いた。 その1 2月1日、超党派の保守系議員による「日本会議国会議員懇談会」が開いた皇室典範改正反対集会で、会長の平沼赳夫氏は「愛子さまが海外に留学をされ、恋に落ちられる。青い目の男性とご結婚をなさって、その間に生まれたお子さまが第一子優先で天皇になられる。そういうことは断じてあってはならない。」と発言したという。 大藤さんは「時空も国境も超えたたくましい想像力を披露」と皮肉っているが、私も同感だ。 その2 上智大学名誉教授渡辺昇一氏は愛子天皇の配偶者になろうとする日本人はそういないだろうとしたうえで「おそらく一番手をあげる可能性がある方は、想像ですが、コリア系の人だろうと思う」「(日韓併合の際)韓国の両班という貴族階級が日本の華族として受け入れられ、だいたいが日本の苗字になっているからどこにいるかわからない。その中から手を挙げるのではないかと思う。そうなると韓国の無血占領になりますな。」といったという。 こうなると妄想もきわまれりという感じだが、妄想にしても、事実の誤りが一杯あるのもすごい。 渡辺氏の専門は英語語源学のようだが、これでは、専門のほうも心配になる。 お二方が妄想をされるのはいいが、天皇のあり方は国民の総意にゆだねられているということを忘れないでほしいものだ。
2006/02/17
冬季オリンピックが始まる前、始まってから、メダルメダルと騒がしかった。特にNHKなどの騒ぎようは普通ではなかった。 外国のメディアの予想がおかしい、もっととれますよ、などとコメンテーターが叫んでいる民放もあった。 過熱した報道で、異常だったのは、外国や選手のスポーツ環境を一切無視して騒いでいることだった。なんの根拠もなく、メディアがスターをつくって、そのスターとメダルを既定のこととしてつないでいた。 メディアは、メダルと直結した日本選手しか眼中になかったようだ。それも自分達でかってにつくりあげた仮想ばかりだった。視野狭窄もきわまれりだ。 昨日今日、一、二選手達の置かれたスポーツ環境に触れた記事がでたが、そのような認識があるのであれば、メダル至上主義的にもならず、外国無視、日本唯一主義の視野狭窄にもならなかったはずだ。 世界の現状や選手のおかれたスポーツ環境や、そういった現実に目をつむり、メダルメダルとあおるのは、選手たちにとっても不本意だろう。 選手達は置かれた状況のなかで、精一杯準備してきた。それであれば、あとは、精一杯にプレーすれば、それでよい。メダルや日本などは背負わなくていい。
2006/02/16
「衆院予算委員会は15日午前、米国産牛肉輸入問題に関する集中審議を行った。中川昭一農相は、昨年12月の輸入再開決定について「拙速とは理解していない。手続きは日本側もきちっとやり、それに対して米国も迅速に対応した」と述べ、政府の判断に問題はなかったとの認識を重ねて示した。」(共同通信) 問題のBSE牛肉問題、中川氏の言い方では、まるでアメリカもきちっとやっているかのように聞える。それがそうでないから問題になっているのになにを考えているのだろう。 日本側も手続きはきちっとやったというが、どこがきちっとだろう。拙速とはいえないというのを認めても、あまりのデタラメぶりには、あきれ返る。 中川氏は、NHK問題では論点を変にそらして逃げたが、今回はアメリカ政府への忠臣ぶりを露骨に発揮している。次期総理の準備としてアメリカ政府への忠誠は欠かせないのだろう。 そんな中川氏にかかると具体的に指摘されている数々のアメリカ側のずさんさもみえなくなるようだ。 こんな人物やあんな人物が次期総理候補とは!まさに日本崩壊の道を作るにふさわしい人物たちではある。 最後に、「日本側もきちっとやった」「拙速ではない」というのは、自分達が圧力をかけて輸入再開をやらせたのだから、しらじらしいとしかいいようがない。 こういう誰から見ても分かるような発言しか出来ないところに、彼の人物の底が見えている。
2006/02/15
日本がいまどういう状況にあるか、冷徹な目で見るとき、そこにとてつもない危機があることに気づくだろう。 その危機をミステリーとして描こうとしたのがこの小説である。 経済危機でどうにもならなくなった日本、その中で政権を失いそうになった政権党の幹部が暴走する。その暴走は経済的にはハイパーインフレを引き起こそうとする企みとなり、外交関係では、北朝鮮への挑発となって、世界恐慌と世界大戦の同時発生を引き起こそうとする。 ミステリーなので以下筋の紹介などはしない。 初めてのミステリー作品ということで、細部にアンバランスなところもあるが、その細部がかえって社会的な事件を反映しており、面白くなっている。日本を手玉に取るアメリカという大きな設定もいかにもありそうだ。 経済に関するデータや政界の分析なども事実の分析に立っており、そういう点での面白さもある。 残念なのはこのミステリーで活躍する「全国新聞」や「真実新聞」のようなメディアが存在しないことである。中央大メディアはすべて翼賛的だし。 作品に込めた筆者のこの日本をなんとか救いたいという願いはひしひしと感じられ、共感するところも多い作品だった。
2006/02/14
わが部落(字=あざ)にも自主防災組織ができることになった。自主防災組織が出来るのは、国民保護法との関連があるらしい。 今の所、防災組織ということになっているが、いつどのようにかえられるか分からない。 組織は出来る途中だが、その話し合いで、近くを流れる一級河川の決壊の問題が指摘されたら、一蹴したそうだ。防災といいながら、その災害の中身を勝手に部落の幹部が決めたという。自主といいながら、上からの押し付けなのである。 上からの押し付けでありながら、費用などは自主組織だから、自己負担ということだという。その一方で、避難場所も方法も決まっていないという。 自主ということで安全について丸投げしながら、一方ではしっかりと住民=国民を統制しようとしている意図がみえる。 あらゆる災害を想定して、それへの具体的な対策もしながら、万一の場合の防災ならわかるが、そういうことを一切抜きにして、組織、組織というところが胡散臭い。 政府が方針を出したら、部落(字)、組、という末端まで組織が出来てしまい、それに何の疑問も出ない社会は、民主社会とはいえない。
2006/02/13
犬の散歩の途中で立ち話をした。その人もぎょうぎのいい犬を連れている。 今日は組長会があって、その議題は、子ども神輿をつくることと、リサイクル工場をつくることだという。 リサイクル工場を字でつくるわけがないから、どこかが農地を買ってつくるのであろう。リサイクル工場というが、なにが出来るかわからない。 現に、市街化調整区域なのに、工場や資材置き場、土砂置き場が出来、土砂置き場などは二階家よりも高いものが5個も出来ている。リサイクルという名目で産廃処理場でも出来れば大事だ。 しかし、それが大事だということを字の役員の人たちがどれほどわかっているか疑問だ。字の役員というのは、疑惑の伴う箱物作りで町に大借金をつくった元町長の息子が県議にでるのを戸別訪問して応援するような人たちだからだ。 組長会の議題は、各戸には知らされない。だからリサイクル工場なるものができて初めて知ることになる。 立ち話をしなかったら私にも分からなかった。自分の住んでいる場所なのに、私にはどうしようもないのが歯がゆい。 国から字まで、政治や行政は、主人公であるはずの住民一人ひとりと離れてしまっている。
2006/02/12
愛媛新聞によると、産前産後・育児休業や病気休職の教員に代わる期限付きの常勤教師に対し、県教育委員会が長年にわたって退職手当を払わず、雇用保険にも加入させていなかったことが分かった。 四国四県で講師に失業時の支援措置がないのは愛媛県だけ。県教委は愛媛県高等学校教員組合(愛高教)の改善要求に対し、2006年から運用を改め退職手当を支給することとした。 これに該当する常勤講師は、05年5月現在小中高あわせて611人にもなる。 これまで県教委は、「常勤講師は県退職手当条例の適用者で、雇用保険には加入できない」とする一方で、3あるいは5ヶ月ごとに一時解雇し解雇直後に再雇用。退職手当条例の「勤続期間6ヶ月以上で退職した職員」という勤務条件を満たさないとして退職手当を支給しなかったという。 愛媛県教委が当然支給されるべき手当の支給を惜しんで、恣意的かつ意図的な措置を行い、また、恣意的意図的に法令を運用しんで、不法行為を平然と行い続けてきたことにはまたかという思いである。 このような県教委だからこそ、「つくる会教科書」の採択を強権的に採択し、えひめ丸事件では、被害者を欺いてアメリカ側と取引するのであろう。そのほかにも、県教委の強権強圧ぶりは地元ではよく知られている。このような県教委が教育行政を行い教育を云々することは恥知らずなことだ。 この件を明らかにし、県教委に要求した愛高教は、少数組合だという。ほとんどの高校教職員を組織している愛媛県高等学校教職員組合(高教組)は御用組合でこのような要求は一切しないそうだ。小中には、愛教研という組織があって研究団体を称しながら御用組合的な活動をしている組織があるそうだが、これもこういう要求は一切しないという。 このような行政とそれとつるむ御用団体という構図は、国政においてもみられる。こうして弱者は、切り捨てられてゆく。それに異議をとなえる人たちがいることに敬意を表したい。
2006/02/11
社会保障やセーフティーネットを縮小することには熱心な小泉内閣とその背後勢力だが、膨大な国の借金の解消には、あまり熱心ではない。それどころか、濫費が目に余る。 道路公団の民営化の際、あれほど国費をつかっての新規道路はつくらないかのように宣伝しながら、先日、さっそく税金を投入しての新規道路の建設を決めた。 新直轄方式という税による新規道路は、7区間、123キロ、建設費は1兆9692億円になる。その他高速道全線を建設するというのだから、無駄遣いも、いいところだ。 構造改革の目玉のひとつとしてあれほど騒がしておきながら、すぐ裏切り(もっともあの法律では道路建設の抑止にはならないという批判はあったが、かき消された)何の批判も発言もない。審議した委員のメンバーもそれを利用して政策を進めた政府その他関係者は、その責任をどう取るのか。 と腹を立てていたら、米軍再編による米海兵隊グアム移転の費用9000億を米政府が日本に要求しているという。日本側は、在日米軍再編の中間報告(アメリカ側は最終報告だといっている)で移転費用の負担を約束しているから、そのまま通す可能性が強そうだ。 庶民のための支出は削れるだけ、削り、財界には手厚い配慮をする一方で、このような国費の濫費をし続けている。このようなことでは、国の借金は減ることはなく、ただ、国民が酷政に苦しむだけということになりそうだ。
2006/02/10
皇族の記事をよんでいると、○○さまという敬語を使っている。子どもや赤ちゃんにも「さま」である。 「陛下」ということばも、「さま」という言い方もマスメディアがいつのまにか、使い始めた。陛下などという言い方は現代社会にはそぐわない。 「ご懐妊」などという言い方は、滑稽だ。なんで妊娠でいけないのだろう。私たちが普通に懐妊などというだろうか。懐妊は死語である。 新聞に「ご懐妊」についての海外の反響ということで、記事が紹介されていた。それをみると皇族は、すべて○○さまとなっていた。原文はどうなのだろう。「さま」にあたる表記があるのだろうか、ちょっと疑わしい。 過度の敬語や敬称は、象徴という天皇のあり方にふさわしくない。天皇、あるいは皇族という存在が、巨大な差別を再生産することになるからだ。 「○○さま」の濫用からはじまって、「ご懐妊」まで、特別な用語の氾濫は、勝ち組負け組みも含めて、新たな格差社会、差別社会とうまく適合しているようにみえる。
2006/02/09
対談本は好きでよく読むが、これは内容豊富、談論風発、ずいぶん面白い本だった。これは読んでもうけものだった。 かたや朝鮮総連の活動家で後に組織を離れた父親を持ち、朝高、朝大を卒業後フランスに留学、その後「月はどっちに出ている」「のど自慢」「パッチギ」などを製作。「西便制」や「シュリ」他を輸入し配給した李鳳宇。 かたや駒場中高で学園紛争などに参加、大学卒業後、韓国へ日本語教師としてゆき、その後、映画評論の活動を続けながら、大学教師をつとめ、その傍ら、世界を飛び回り、モロッコ流謫」「見ることの塩」をはじめぞくぞくと快作、傑作を書いている四方田氏。 その二人が、自らの生い立ちから、青春時代、その後の人生を率直に語る。 たとえば李氏の朝高時代の喧嘩に明け暮れた日々、「西便制」を韓国に買い付けに行った時のエピソード、四方田氏が、韓国で日本語教師をしていた時、朴大統領が暗殺された、その時の出来事。など息もつかせぬものがある。 北朝鮮や在日についての問答も参考になる。 国境にとらわれず、国家や政府を超えて生きたい、それが出来なくとも、民衆としてつながりたいというお二人のあり方に共鳴しながら、たっぷり楽しませてもらった。追記、 この本は1998年刊『先に抜け、撃つのは俺だ』に二〇〇五年の対談「韓流から朝流へ」を追加したものだという。『先に抜け、撃つのは俺だ』もずいぶん好評だったらしい。
2006/02/04
アメリカの原潜がえひめ丸に激突して多数の死傷者を出す事件が起こってから五年が経った。当時は、森首相のあきれた対応とともに大規模に報道された。 五年前を振り返るメディアは見られないが、週刊金曜日が前週、今週と記事を載せている。記事で取り上げているのはアメリカ人弁護士、ピーター・アーリンダー氏著『えひめ丸事件』と同氏との対談だ。 氏は、当時の愛媛県、日本政府、アメリカ政府のとった対応に大いに問題があったと指摘する。 最大の問題は、愛媛県と被害者の利益が相反するのに、米海軍との交渉で愛媛県の弁護団が同時に被害者の委託を受けたという事実。これは、アメリカでは、考えられない、弁護士倫理に反した行為だという。 県側と被害者側との利益が反するとは、たとえば、えひめ丸が漁獲優先(収益優先)で、安全を無視していたという事実を争う場合などが考えられる。(事実、県側弁護士に委託しなかった被害者弁護団などはその件で件と争っている) そのようになったのは、愛媛県が意図的に働きかけてそうしたからで県の責任は大きい。 次に問題なのは、愛媛県が米海軍と外務省内で秘密会議を持ち、県側と同じ弁護士らに対米交渉を委託する流れを作ったことだ。 この交渉によりアメリカの責任追及は曖昧にされ、米軍との和解書にも「(今後)被害者が県を訴えても、県は米海軍を訴えない」ことが明記されることとなった。 氏は「日本の外務省は、事故でなくなった高校生ら国民の命を大切にするよりも、アメリカの軍事政策と日米安保体制を守ろうと動きました。ぜひ読者に伝えてほしいのは、もし日本国憲法9条がなくなってしまったら、日本は今のイギリスのように、アメリカが起こす戦争の片棒を担がされるということです。」と訴える。 えひめ丸事件は、これだけの教訓を含んだ大問題だったのだということを改めて思う。
2006/02/03
昨日の予算委員会で、自民党議員の質問に小泉首相はこう答えた。 「格差が出ることは悪いこととは思わない。今まで悪平等という批判が多かった。」「影ばかりだったところに、光りが見えてきた。光りを伸ばし、影にどう手当てをするかだ。」 自民議員の質問は構造改革による地域格差の発生だったが、答えは構造改革に伴う格差全般について触れた。 学者がそういっているということで、「格差はそれほど広がっていない」ともいったが、構造改革の目指す方向をこれほどあからさまに述べたのは珍しい。 現在、小泉首相は「それほど広がっていない」というが、格差は確実に広がっている。一部富裕層や都市中間層と底辺との格差は、あれこれの数値をあげるまでもなく実感できる。 首相の発言からは、構造改革はそれを意識的に作り出してきたのだということが分かる。格差の広がりは、底辺層に多大の苦しみを生じているのに、光が見えてきたという。 さすがに影の部分に手当てをといったが、本音の所は弱者、底辺層の切り捨てにそれほどの抵抗を感じていないように感じられる。 構造改革というもの、それを進める勢力の冷酷を見せてもらった言葉だった。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 小泉首相は、この日の質疑で、靖国問題にも触れ「この参拝がなぜいけないのかわからない。」「(参拝はいけないという意見に)同調する日本人が大勢いることにも私は理解できない。」と述べた。 一国の首相が、分からないではすまないだろう。数々の意見にも耳を傾け、理解すべきであろう。 「同調する」という言い方は、靖国参拝を批判することが、主体的な判断であることをことさらに歪め、他国の影響であるかのようにいう言葉であり、主体的に判断して参拝を批判する多くの人たちへの侮辱である。 また、小泉氏の言い方にある、「日本人なら」という思考方式は、自分と意見を異にするものへの差別と排除の思想を露骨に示している。
2006/02/02
教育基本法改正案が今国会にも提出されるよていだといわれている。現在自公の間で調整をしているらしいが、その中心は「愛国心」のようだ。自公の間では、それをどのような言葉で表現するかが議論になっているという。NHKニュースでは、以下のように報じている。NHKホームページから以下転載 「教育基本法の改正をめぐる自民・公明両党の協議は5か月ほど中断したあと、1月に再開されました。これまでの協議では、教育の目標について、自民党が「国を愛する心」という表現を盛り込みたいとしているのに対し、公明党は「国を大切にする心」という表現にとどめるよう求め、調整がついていません。保利氏の報告書は、協議が中断する直前の去年8月にまとめられ、愛国心の表現の妥協案として、「日本国民としての自覚と責任」という表現が考えられるとしています。また、「国」の意味する内容に、政府や統治機構が含まれないことを明確にすべきだとする公明党の立場に配慮し、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんで来た郷土と国」という文言を盛り込むことも考えられるとしています。保利氏は1日に開かれる与党の実務者による検討会に顧問として復帰することになっており、保利氏の報告書も参考に調整が行われるものとみられます。」 「国を愛する心」にしろ「国を大切にする心」にしろ教育が国民の内面に踏み入り、内面のあり方を規定することには、問題がある。 妥協案の「日本国民としての自覚と責任」がかえってその本音を露呈しているが、それは、日本国民としてのありようを国家が決め、その枠を外れるもの、はみ出すものを自覚と責任を欠くものとして抑圧し、排除しようとするものだ。 現在の教育基本法には日本国憲法を踏まえた教育のあり方の理想が高らかにうたわれている。それで、都合の悪い何があろうか。 多分、異本国憲法改悪を狙う側としては、そういう現基本法の理想そのものが邪魔なのであろう。 愛国心、国を愛する心、国を大切にする心、日本国民としての自覚と責任、表現は変わっても内面を規定することには変わりがない。 そのように規定されたら、「国歌・国旗法」が制定されてから生じているような事態が生じることは目に見えている。
2006/02/01
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