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中国から輸入した食品で中毒した事件に関連してCOOP(生協)の名前が出ていた。え!生協も。と思うとともにやはり生協もと思ったことだった。 当地に○○生協が出来た頃から我が家は会員である。出来た当時は班をつくらないと会員になれなかった。生協の本部は、班を増やそう、会員を増やそうと熱心だった。 売っている商品は食品が中心で、「安心・安全」を標語にして、会員も「安心・安全」のために参加していた。 今、○○生協は、大生協となっている。会員はもちろん、各地に支所ができ、班をつくらなくても会員になれるし、店舗も構えている。 大生協になってから、おかしいと思うことが増えた。量販店と同じ商品が、増えた。幅広く商品を扱うようになったが、生協発足時の「安心・安全」はどこかに消え、価格も「安全・安心」の価格から、普通の商品としての価格となった。 生協の職員も、臨時、パートが大幅に増えた。労働者の非正規化を積極的に進めているようにみえる。 ○○生協は、利益第一主義の普通の企業とほとんどおなじになったようにみえる。生協が今回のような事件に巻き込まれる可能性は、この時点で高くなっていたのである。 大規模ショッピングセンターが郊外にぞくぞくとできる時代、大量消費の時代に、生協の生きる道は厳しいだろう。だが、生協発足時の精神を忘れては、生協としての存在価値がなくなり、一企業として消えていくことになるのではなかろうか。
2008/01/31
豊かな国アメリカというイメージが溢れているが、アメリカは貧困大国でもある。以下、いくつかの数字を挙げてみよう。 ・貧困人口(貧困の定義:4人家族の世帯年収2万ドル=220万円以下)…3650万人(貧困率12・3%) ・飢餓状態を経験した人…2005年で3510万人(全人口の12%) ・フードスタンプ(貧困者向け食糧支給カード)受給者…2006年で2619万5449人(ただしこれでも必要とする人6割) ・無料ー割引給食プログラム(世帯年収が貧困ラインの130%までの生徒が対象)…2005年で3002万6000人 ・1日7ドル以下の収入で暮らしている人…2006年度6000万人 ☆こうしてみるとアメリカがいかに貧困大国であるかがわかる。こうした貧困者、低所得層を食い物にして大企業・富裕層は大もうけしている。たとえば、貧困層低所得層をターゲットにした食品産業は、120兆円も売り上げ、貧困者ほど肥っているという現象を生み出している。 ☆ブッシュ政権は、アメリカ国民をこうした状況に放置するだけでなく、たとえば2008年度予算で低所得層向け医療保障を今後5年間で、78億ドル削減。児童向け医療保障制度も大幅削減。等々を始めとして低所得層、貧困層向けサービスを中心に削減し続けている。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 富裕層の優遇…こうして低所得層、貧困層が飢餓まで経験している中で富裕層は大いに優遇している。 ・2007年所得上位20%の富裕層が世帯所得全体の50・5%を得ている。 ・2001年減税は1兆3500億ドルだが、そのうち50%は最上位1%の高額所得者への減税であった。 ・2001年の減税で遺産税の課税免除額を大幅に引き下げ、2010年には廃止することとした。これによって富裕層は大きな恩恵を受けた。 ・2003年投資から得られる配当およびキャピタルゲインに対する税率を引き下げた。これによって富裕層はまた大きな恩恵を受けた。 ☆こうして見るとブッシュ政権が一貫して低所得層、貧困層の切捨て、保障削減をする一方で、富裕層に対する驚くほどに厚いサービスを提供していることがわかる。 ブッシュ政権は、軍事予算に50兆以上の予算を投入、更にイラク、アフガン戦争に巨額の予算を追加投入している。これも大いに富裕層を潤していることだろう。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ アメリカの後を追う日本自公政権 ☆こうしてアメリカ政府のやっていることを見てくると、日本の自公政権がやっていることとそっくりなのに驚く。 社会保障、低所得層、貧困層切捨て、負担増、その一方での大企業、富裕層の厚遇は日本でもそっくりそのままやられている。構造改革、規制緩和、痛みにタエヨということでやれれてきたのはこういうことであったのだ。 富裕層への厚遇の場合も日本の自公政権のしたことは、アメリカブッシュ政権のしたこととそっくりそのままである。所得税の最高税率の大幅引き下げ、配当税率を半分にした大幅引き下げ、相続税の大幅引き下げ。全く同じである。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 追記 医療制度改悪に関連して、在日アメリカ商工会は「病院における株式会社の経営参入早期実現」を日本政府に要望しているという。 日本の医療制度をアメリカ並みにしてアメリカの保険会社、医療関連企業などの利益を確保しようということらしい。 アメリカの富裕層、企業の利益のために日本の医療制度が犠牲になる可能性がここにもある。 参考:堤未果著『ルポ貧困大国アメリカ』(岩波新書) 『世界』2月号 「ブッシュの保守主義政治はアメリカに何を残したのか」砂田一郎
2008/01/30
堤未果さんの『ルポ貧困大国アメリカ』(岩波新書)は驚きの連続である。今回は医療に関係する部分をメモしてみる。 アメリカでは公的医療が年々縮小され、自己負担が増大し、民間保健医療と保険外診療が拡大しているという。その結果、年間17000億ドルもの金(国民総生産の15%以上)を医療サービスに支払いながら、医療サービスのレベルでは世界37位(日本10位)で、医薬品の購入代金では世界1の金額を支払っている。 アメリカでは、民間保険の掛け金がすこぶる高い。四人家族の平均掛け金額は、年額115000ドルにもなる。だから高負担を嫌う企業も多く全企業の65%しか医療保険を提供していない。残りの人は、高い民間保険に入るか無保険者になるしかない。 無保険者は2007年で4700万人である。(うち子ども900万人) メディケアという高齢者向け医療サービスを受けている人は2005年度で4230万人。 (もちろん事前に保険料を支払っておく必要がある。) メディケイドという低所得者医療扶助を受けている人は5340万人。(これを受けるためにはすべての貯金を使い果たし貧困ライン以下に入らねばならない。)(貧困ラインは4人家族で世帯年収2万ドル(220万円)以下。) というわけで、すこぶる高い医療費とこれまた超劣悪な医療保険制度のもとで、大多数の人は医療を受けられないか、不十分な医療を受けるかということになる。そして一部の人だけが世界最先端の高度医療を受けられるのである。 アメリカの医療費はものすごく高い。 盲腸の手術代の場合 日本…手術代64200円、最高レベルのサービスを受けた場合の入院費1日12000円 アメリカのニューヨークの場合…手術代243万円、入院費が高いので平均入院日数は1日。 ニュウヨークのマンハッタン地区の場合…初診料150~300ドル(専門医の場合は300~500ドル)入院費(部屋代のみで)1日2000~3000ドル。 出産の場合…入院出産費用15000ドル。(入院すると一日4000~8000ドルと入院料が高いので日帰り出産が多い) 脳卒中の場合…1日100万円ほどかかる。だから平均入院日数が7日以内と短い。 産科医は不足している主な理由は医療過誤に伴う訴訟費用の負担を避けるためである。 保険会社は、評価システムを作り、医療機関を評価している。評価が低いと保険会社の対象医療施設から外すので猛烈な競争を生み、負担を増している。保険会社は、病気一つ一つに使用する医薬品からはじまって細かな規定をもうけそれ以外は支払わない。医療サービスは抑えられることになる。 ☆以上、メモしてみたが、政府が国家レベルでの社会保障制度、ここでは医療制度を極度に縮小しており、ほとんどを民間に任せているため、極度に高い医療費、保険料を国民は負担しなければならなくなっている。 その結果、その負担に耐えられない人たちが膨大な数になっており、扶助制度にたよるか無保険者として医療を受けられない層が増大している。 高い保険料、高い医療費の反面、保険会社は器量サービスの提供に細かなタガを嵌めており、十分な医療を受けられない。 以上の結果世界でも劣悪な医療環境となっている。 ☆アメリカの医療制度に驚いていてはいけない。日本政府は日本の国民皆保険制度をなし崩しに崩壊させ、アメリカの医療制度に近づけようとしているからだ。そのために社会保障費の負担増を宣伝し、消費税増税を大声でいっている。それには、負担増と社会保障、医療制度縮小という二つの狙いがある。 それは、アメリカと日本の医療産業、保険産業の狙っていることろでもある。 すでに、リハビリ日数の短縮、療養病床の大幅削減、介護病床の廃止、後期高齢者保険制度の創設と、定額医療費制度の制定などつぎつぎと進められている。 多田富雄さんが、リハビリ日数削減はすべてのはじまりであると指摘したとおりである。
2008/01/29
大阪府知事に橋下氏が当選した。テレビに出まくったおかげであろう。だが、テレビに出まくった人というだけで投票した「主権者」とはいったいなに? 橋下氏は、弁護士としてもどうかといわれていた。人権を守るという弁護士としての第一条件に氏は外れるような発言を繰り返していたようであるし。 橋下氏は、サラ金業界が中心の弁護士であったそうだ。連戦連勝を自慢していたが、サラ金業界の弁護をして連戦連勝ということは、それだけ底辺の人が泣いたということでもある。 橋下氏は、最近は弁護士というよりもタレントであった。私には弁護士の知人もいるが普通の弁護士であれば、3億などという収入など夢だし、多忙ゆえテレビに出る隙など考えられない。聞くところによると弁護士にもピンから切りまでいるというが、氏は切りであるように思う。 テレビは商売である。テレビ業界も大資本の一つであり、利益を上げることが第一だ。利益が上がればどんなことでもする。要するに視聴率が上がり、広告収入が増えればあとはどうでもよい。 いや、ドウでもよくないことが一つある。それは、大資本の基盤である資本主義をゆるがせることだけは避けたい。資本主義などと大きなことでなくても、儲けを失うことだけはさけたい。 そこで番組はそれなりの番組が中心になり、出演するタレントもそれなりの発言をする人物となる。結局今の体制を支える人なり内容となる。 と考えれば、橋下氏ほどぴったりの人物はいないだろう。 ということは、大方の「主権者」にとって、これだけ望ましくない人物はいないということである。氏の発言をあちこち拾ってみるのに大阪の人たちにとっても、他県の住民のための政治家を望む人たちにとっても最悪の選択のように思われる。 とはいえ、圧倒的多数で大阪の人たちは橋下氏を選んだ。他県にいる私たちとしては、数年後だまされたなどと言わないことを願うだけだ。 もっとも、私たちの県でも、あんまり違わない選択をしているのであるが。
2008/01/28
「貧困ビジネス」というと言葉がある。NPO法人「もやい」の事務局長湯浅誠さんの造語で、貧困者をターゲットにして市場を拡大するビジネスをいう。湯浅さんの著書には、その具体例が豊富にあげられている。 サブプライムローン問題というのがある。私はよくわからなかったのだが、堤未果さんによるとアメリカの中流階級の消費が飽和状態になったとき、ビジネスがつぎのターゲットとして狙ったのが低所得層であったという。 アメリカの住宅ブームが勢いを失い始めた時、業者が目をつけたターゲットが不法移民と低所得層だったというのである。 サブプライムローンの対象者は、アメリカ金融監督当局の通達によると以下の4項目のうちどれかに当てはまるものが対象になったのだという。 1、過去12ヶ月以内に30日延滞を二回以上、又は過去24ヶ月以内に60日延滞を1回以上している。 2、過去24ヶ月以内に抵当権の実行と債務免除をされている。 3、過去5年以内に破産宣告を受けている。 4、経済負担額が収入の50%以上となる。 これをみると、まるで貸金業者が多重債務者名簿で対象を絞り、更に金を貸して暴利をむさぼるのににている。 始めから支払い能力のないものを対象にした一種の詐欺である。住宅のほしい対象者は、セールスマンの甘言に載せられ、欲望に勝てず、手を出したのであろう。 破綻は始めから目に見えている。これを債権化して売り、それにファンドや銀行が大量の投資をおこない、破綻して大損失を出し、世界の経済に悪影響を与えていることの責任は自らの(経済界の)「貧困ビジネス」にこそあるのではなかろうか。 詐欺行為に踊った金融筋の責任はそれとして、その影響をもろにうける低所得層は、二重三重の被害に苦しまねばならない。 新自由主義経済、市場原理主義者の暴走には目に余るものがある。 (注)堤未果さんの『ルポ貧困大国アメリカ』(岩波新書)を読んだ。日本がまさに貧困大国アメリカの後をそっくりまねして追随していることを知り、ぞっとする。明日は医療も続けて紹介したい。
2008/01/26
人生に一本の薔薇を 長田弘 小さな町に生まれた。 古い大きな家に育った。 偏屈だった。 友人はいない。 町の誰とも話さなかった。 生涯どこへもゆかなかった。 おそろしく単純な人生だった。 独身で、髪は短くつめて、 教会の窓ガラスに描かれている天使に似て、 どこか悲劇的で、澄みきっていて、 「かわいそうな人」と みんなは噂したけれども、 彼女は気にもしなかったのではないか。 どんなときも昂然としていて、 近づきがたくつむじまがりだったが、 一度だけ町の薬屋にでかけていき、 「砒素をください」 薬屋の目をまっすぐに見すえて言い、 それきり、何もいわずに、 頭蓋骨と大腿骨を組みあわせた印のある 薬を一箱、手にして帰っていった。 「自殺するつもりなんだ」と みんなは噂したけれども、 彼女は自殺なんかしなかった。 そのまま世代から世代へと世を過ごして、 何事もないかのごとく歳をかさねて、 鉄灰色の髪の老いた少女のように、 或る日、静かに死んだ。 一本の薔薇を。ー 人生のぞむべきはそれだけである。 ☆本屋で「本の時間」という小冊子を開いたら、この詩があった。 一読むねをうたれた。 人生には一本の薔薇で十分だ。いや一本の薔薇がなくとも、 人生は生きるかちがある。
2008/01/25
NHKの職員の株取引が問題になっている。報道から思うのだが、あんなことは民放などにもありふれているのではないだろうか。範囲を広げて考えれば、ああいうことはもっともっとあるだろう。それが、知られず、糾明されないだけだろう。 お金持ちの人脈なども、そういうことを考えていないといえばウソになるのではないか。富裕層や支配層が縁戚関係はクモの巣のように複雑に絡み合っているが、互いに情報のやり取りをすることも狙いのひとつとみていいだろう。 だからといって、NHKの職員がインサイダー取引をしたことが許されるということでもないが。 この事件に関連して、NHKの会長は自民党や民主党を回って頭を下げたそうである。かんじんの視聴者には放送を通じて謝ったと聞かない。これはどうしたことだろうか。 NHK幹部の姿勢がよくわかる事態ではあった。
2008/01/24
こんなことがあったそうだ。議員の劣化はますます進んでいるようだ。 議会傍聴の報告などを聞くと、まさに学級崩壊状態。小泉チルドレンなどというわけの分からない議員集団もあった。 こんな議員が「美しい国」とか「希望」とか、「道徳」とか、「教育」とかいっても滑稽なだけだ。自らを省みてほしいものである。
2008/01/23
「では手許に残されている民主主義に、人間解放という概念を委ねることがだきるかというと、これはどう見ても不可能である。ジル・ドゥルーズならずとも、「人類の貧困を生産する作業に加担して、骨の髄まで腐っていないような民主主義国家は存在しない」と言いたくなる光景がいたるところに広がっている。それにまた、政治体制としての民主主義はいまのところ資本主義という経済体制としっかり結びついているわけだから、その民主主義に、労働の疎外からの、私的所有からの、階級支配からの人間解放を求めるのは木に縁って魚を求むるようなものである。人間解放などという言葉を持ち出したら民主主義の方で顔を赤らめるだろう。」 『思想の冬の時代に』1992年刊 海老坂武 岩波書店 第5章「いま民主主義をどう考えるか」
2008/01/22
自衛隊がまた「インド洋」へいった。石破防衛大臣は、訓示のなかで「国益」のためだといった。中東の原油に依存するわが国にとって輸送ラインが絶たれるということは死活にかかわる。国益のために奮闘せよということであった。 自衛隊の給油がいつから、日本とアラブの輸送ラインの防護に変わったのだろう。テロ特措法はあくまでアフガンにおけるテロとの戦いへの支援であったはずである。私はその虚妄をいい、新法にも反対した。それが、中東の原油の輸送ラインの防護である。 もはや理由のないアフガンでのテロとの戦争は意味がない。なんのつみもない住民を殺し続けることは許されない。それを支援する給油はさらにしてはならない。 アメリカのテロとの戦争が実は「国益」のための戦争であることが分かってきている。そこへ、石破防衛大臣の「国益」である。 日米の「国益」のために住民を犠牲にしてはならない。
2008/01/21
ヒロポンというのは覚せい剤である。私が小さかった頃、大人がうわさをしているのをきいたり、ラジオで聞いたりして恐ろしいものだと知っていた。ヒロポンを使った人が殺人をしたなどという話もあった。今より殺人事件がずっと多かったころである。 そのヒロポンが日本人によってつくられたということをはじめて知った。ヒロポンは第日本製薬の商品名。ヒロポンのもとになるメタアンフェタミンを漢方薬麻黄から世界ではじめて抽出したのが東大教授の長井長義で、彼が日本政府の命を受けてつくったのが大日本製薬。 ヒロポンで驚くのは、戦時中に、特攻隊員に注射用アンプルが、軍需産業などで十数時間労働をさせられていた学生などにはヒロポンに茶の粉末を混ぜた猫目錠が与えられたのだという。特攻兵士が、ヒロポンなどで昂揚させられてと考えるとむごい。 戦後、予科練崩れなどと呼ばれた若者が、ヒロポンを打って暴れた背景がここにあったのだと今になって分かった。 ナチスドイツも使用したということだが、日独だけでなく、連合軍も使用した。(名称は違うが)連合軍はノルマンディー上陸作戦の際、1億錠もの錠剤が兵士に処方されたという。 それほど戦場での戦闘は、正気ではおれないものだということだ。 ヒロポンは国家権力の都合によって作られた。そして国家権力の都合によって取締りの対象となっている。ヒロポンというものを通じても国家というものを信じるということの危険性を認識させられる。(注) 花村萬月さんの『沖縄を撃つ!』の記述を参考にした。
2008/01/20
人権擁護法案を、しつこく再度提出する準備をしているという。もちろん自民党がである。憲法に人権の項目が多すぎるとなんくせをつける自民党が、本気で人権を守るつもりなどないであろう。 自民党が狙うのは、人権擁護を名目に国民の人権にばっさりと網をかけることであろう。個人情報保護法と同じである。 今回の法案では、マスメディアに関する条項を削除するという。これはワナである。 マスメディアを外すことで、マスメディアは特権を得、それによって報道を鈍らせるということを狙っているのであろう。マスメディアが自らが関係する法案などで、自らが外れるということにだけ、焦点をおくという習性を見透してのことである。 人権の擁護なら、現行法を忠実に実行すれば足りる。それを怠りながら、というより人権をあらゆる場で狭めながら(ビラ配布での逮捕、落書きでの逮捕などなど無数にある)人権擁護などとどんな顔をしていえるのであろう。 自民党の狙いは分かっている。
2008/01/19
新テロ特措法が成立した。それにたいする民主党の対案「テロ根絶法」は継続審議となった。これが継続審議となるにあたっては、自民と民主との「水面下」での談合があったらしい。 民主党の法案は、テロ根絶といいながら、実質はアフガンでの治安維持活動に参加する、それに当たって武器使用を大幅に緩和するということと、恒久法をつくることと、二つの見逃せない憲法違反の条項がある。 国会議員秘書の吉田有里さんはこれを「憲法論議なしでなし崩しにする「壊憲法案」といい、辻元清美議員は民主党案には「「基本的な法制の整備を迅速に行う」との条文がある。「基本的な法制」が「基本法」を「迅速に」が対案(民主党案}の期限である1年以内とよめば、この条文を根拠に自民・民主が手に手を取って恒久法つくりに突き進む目論見も透けて見える」と指摘する。 10年前に辻元さんは「保保連合は悪魔の選択」という論文を書いたといい、現在その危険性があることを指摘しているが、私も全く同感である。 新聞もテレビもほとんど触れないことだが、私たちの十分な監視が必要であろう。
2008/01/18
政府が日本に長期滞在する外国人の入国や在留資格審査に日本語能力を加える方向で検討に入るという。共同通信によると以下のとおりである。在留資格審査に日本語能力 外務、法務両省が検討 [ 01月15日 13時24分 ] 共同通信 高村正彦外相は15日、日本に長期滞在する外国人の入国や在留資格審査に日本語能力を加える方向で検討に入ることを明らかにした。近く外務、法務両省の課長級で勉強会を立ち上げ、協議を始める。高村氏は「日本で生活する外国人には、日本語能力は生活の質を高めるために大切だ」と指摘。長期的には、現在事実上受け入れを禁止している外国人単純労働者の受け入れ「部分解禁」を検討する狙いもありそうだ。 日本政府は外国人の入国に際して、世界でもアメリカしか実施しておらず、そのアメリカでも非常に評判の悪い、顔写真の撮影、指紋登録をしている。アメリカではそれを嫌って国際会議などの減少が見られるという。 今回の措置は、長期滞在者に限るとはしているが、入国や在留資格審査に日本語能力を加えるとしている。ということは、日本語能力によっては入国や在留を認められない場合も生じるということである。 世界にこんなアホなことを決めている国があろうか。アメリカなどでは、出身国の言葉しか話せない人も多く、日本人だって、移民がさかんに行われていた頃、入国する国の言語能力を持った人などほとんどいなかった。 長期滞在する以上、本人が日本語を必要とし学習することはあるだろう。だが、日本語言語能力を入国や在留の資格にすることは、世界にもまれな珍行政であり、排外主義そのものである。 政府が行うべきは、むしろこの逆で、日本に来る人を大いに歓迎し、本人が望むなら無料で日本語学習の機会を保証することではなかろうか。 政府のやろうとしていることは、世界から国を閉ざす愚行である。 追記 政府がこれで能力の高い人材、労働力だけを受け入れようと考えているとしたら、これも愚かな考えである。逆に能力の高い人材が逃げていく可能性の方が高いだろう。
2008/01/17
PAC3の発射能力を確認する調査が東京都の新宿御苑で行われたという。十数年前、戦時中の写真雑誌などを古書店で入手したことがあるが、そこに写ってい写真を連想し、懐かしくも怖い思いをした。 PAC3は弾道ミサイル防衛(BMD)を構成するミサイルだが、カバーできるエリアは極めて狭いという。それに、実際に防衛可能などというのは夢物語だという。 だのに、現在約1兆円もの必要経費を予定しているらしい。一度進めだしたら、これでも不十分ということで更に予算は膨らむだろう。それにこうした兵器はたえず更新しなけでばならない。将来BMDだけで、10兆円にも膨らむと予想する人もいる。それはありうることである。 BMDなど、アメリカと日本の軍需産業と利権にからむ政官財を富ます以上の意味はない。 こわいのは、こうして軍事予算が膨張し続け、兵器で重武装した軍隊が出来することである。それは、庶民の福祉の削減と負担増を更に進めるだろう。 更に、こうした事態が着々と進んでいる一方で、それに対応する法整備が準備され、軍事国家としての姿があらわに実現しようとしている。 自公民は、民主党の提出した「テロ根絶法案」を継続審議にしたという。このテロ根絶法案は、治安活動などでテロとの戦争に全面的に参加するとともに、海外派兵の恒久法をつくることをうたった法案だった。 新テロ特措法が通ったのだから、民主党の提案はそのまま廃案になるのが道理だと思うが、自公民がそれを継続審議にしたというのは、海外派兵恒久法を作るということで、自公民が一致し、それを実現するために合意した結果であろう。 新テロ特措法で、対立して見せたのは茶番だった。自公と民主の間には、恒久法を作る方向でのシナリオが出来ていた。大連立の談合は、その確認でしかなかった、とも推測できる。 小沢氏は、新テロ特措法は違憲だといったが、海外派兵恒久法が、それ以上に違憲の法律である。自民党が熱く願っていた法律でもある。 民主党は、大連立はしなかったが、実質連立しているのと同じ行動をしている。新テロ特措法に反対するなら、恒久法制定など提案すべきではなかった。 そんな法律をつくることで、自公民が一致をしたことは、極めて危険なことである。 民主党はその政策と、その行動において、自由・民主党=第二自民党である。そんな民主党と与党の自公が茶番のシナリオに従って表立っては対立を装い。基本的なところでは一致し、軍事国家化の道をすすんでいる、 自公民の恒久法での合意は、戦時中の大政翼賛会を連想させ、怖い。
2008/01/16
今朝は冷え込んで、初霜を見た。初霜といってもちょっぴりだ。 子どもの頃は霜柱がよく立った。歩くとざくざくと音を立てた。 それが楽しくで下駄をはいて歩いたりした。 子どもの頃は雪もよく降った。そして積もった。何センチも積もることがあった。 今は、ほとんど降らない。積もることもない。 暖房らしいものはコタツと火鉢しかなかったが、寒さに震えたという記憶がない。 たぶん記憶がないだけなのだろうが、なんだか今の方が寒がりのようにも思う。 大雪が降った最後は十数年前だ。路面が凍結して渋滞した。自転車や単車がころころ転んだ。 今年のように暖冬ぎみでありながら寒暖の差が激しいとかえって体調が狂う。 でも、季節は確実に動いている。庭の梅が三、四輪咲いた。
2008/01/15
「「人間をおとしめる」とはどういうことか -沖縄「集団自殺」裁判に証言して、という文章が雑誌「すばる」2月号に出ている。大江健三郎さんの文章である。 この文章には、『沖縄ノート』のテーマや、裁判の経過、きわめて政治的な裁判の狙いなどにも触れながら、自らの証言について触れている。それらの記述のなかで一番印象に残ったのは次の部分である。 「秋山弁護士から私が読むように求められたのは、『ある神話の背景ー沖縄・渡嘉敷島の集団自決』の一節である。曽野氏は、「集団自決」が行われた際、赤松嘉次大尉のもとで中隊長だった富野稔少尉が、いま自衛隊一佐として勤務する土地を訪ね、次の談話をとって、あからさまに著者自身の思想を代弁させている。 〈むしろ、私が不思議に思うのは、そうして国に殉じるという美しい心で死んだ人たちのことを、何故、戦後になって、あれは命令で強制されたものだ、というような言い方をして、その死の清らかさを自らおとしめてしまうのか(自らは、原文のママ)。 私はいった。-このようにいう者らこそ、人間をおとしめていると信じます。」 「初めてそのときになって、私にはこの訴訟全体の、原告側の(あるいは原告たちを巻き込んだ}政治的主題が露骨につきつけられるようであった。 つまり渡嘉敷島の集団自決をとげた老若男女について、かれら彼女らのことを「国に殉じるという美しい心で死んだ人たち」だと言い張り、幼児らもふくむかれら彼女らの集団自殺が、軍の命令で強制されたものではなく、自発的に行われる、みずから望んだ「死の清らかさ」のものであった、と歴史に書き込み、これからの日本人をあらためてその方向へ教育しようとする者らの、退屈なほど単純な企てで、この訴訟があったこと、あり続けていること… これに対して、そのような企てに参加する者らこそが、人間という普遍的価値をおとしめている」 これで大江さんの言いたいことはほぼ尽くされているのだが、大江さんは附記でさらに補足する。 弁護士に読むことを求められそれに基づいて証言した曽野綾子氏の文章の前掲の部分について、大江さんは、まず、その文章の主格を確認する。「自らおとしめてしまう」の主格は、「戦後になって、命令で強制されたものだと言い出した者ら」であると。これは当然そうなる。 次に大江さんは主格がそうであるなら「自ら」というはどうなるのかという疑問を投げかける。清らかな死をとげたとされる自殺者であるとすることは「文法的に」できない。 そこでともかくも文法的に成立する、もう一つの解をもとめると、「渡嘉敷島で(談話の主の、またそれをこの文に起こした曽野氏の考えでは〉「そうして国に殉じるという美しい心で、清らかな死をとげた人たちのことを」で文章を切ってしまうことです。実際の死者について棚上げしてしまう。」「そして国のため家族ぐるみで殺し合って死ぬ死を、(やはりかれ、彼女の考える〉日本人の死の独特なかたちとします。日本人の規範的な死に方とはこのようなものなのだ。ところが渡嘉敷島の死者たちを、あれは命令によって強制されたものだ、という者らがいる。それは、日本人の死者のうちに、国に殉じるという美しい心で死ぬことを嫌がる者もいる、と言い張ることであって、それは日本人の総体をおとしめることだ。そのように言い張る日本人であるとするなら、かれは日本人である自分を、自らおとしめている…」大江さんは「自ら」という語にこめられた意味をこう汲み取る。その上で最後に「あなたのなかの普遍的な「人間」をこういう特殊な言い方で自らおとしめる者とならないでください!」という呼びかけでしめくくる。 私は訴訟をおこした人たちの狙いが大江さんのいうとおりであると認める。それが藤岡信勝氏らの行動からはじまるきわめて政治的な狙いをもったものであることも。 大江さんの言葉に付け加えることはない。「戦う国家とは祀る国家である」という子安宣邦氏のことばがここでもよみがえるだけである。清らかな殉国の死をいう人たちは、清らかな死者として祀ることで、戦争の罪を隠し、天皇の罪をみえなくし、さらなる戦争に人びとを動員しようとしているのであろう。
2008/01/14
新テロ特措法が成立した。これが今国会の最大の課題だという人たちがいるが、本当にそうだろうか。新テロ特措法は、アメリカ政府に奉仕することでしかない。アフガンの人たちがもとめているのはもっと別のものである。 中村哲医師がペシャワール会のホームページに現地報告をしている。その「迫り来る大凶作」という報告を読むとアフガンの現実とアフガンの人たちが求めているものがよく分かる。 アフガンの人たちが求めているのは、年間数千人もの民間人が殺されている「テロとの戦争」を続けることでも、それに加担することでも、戦争を支援することでもない。 福田首相は日本が給油活動をしなければ、「国際社会」にどうみられるか分からないなどというが、国際社会は別になにも思わないだろう。問題は、それをアフガンの人たちが求めているか、アフガンの人たちがどう思うかである。アフガンの人たちを無視して国際社会などというのは、本末転倒である。 中村哲医師の報告の末尾の次の文章をしっかりと受け止めたいものである。 「遅々として進まぬ復興、実のない内外の議論、外国軍の横暴に対して、もはや忍耐は限界を超えました。これ(sowon注 迫り来る大凶作に備え、水路を整備すること)は緊急事態であり、吾々の戦であります。いたずらに農民を殺戮する外国軍の「対テロ戦争」と対決し、一人でも多くの命を守る戦いであります。 もちろん日本人ワーカーたちの安全には極力配慮し、ギリギリまで留まって私たちの「命を守る平和の戦い」を完遂し、日本人の心意気を示したいと存じます。日本にあって、平和を祈り、命が脅かされる現地の実情に心痛める多くの良心、その絶大な支援に衷心から感謝申し上げます。 どうぞ、寒風の中で餓えに苦しむ多くの人々のため、彼らと命運を共にするPMSの現地職員のため、お祈り下さい。」 このような文章を前にして、議員たちが自らの愚かさに気付くようであってほしいと思う。アフガンを見ず、本当の国際社会に目を閉ざして、国会の内部だけで、日米両政府だけに通じる話をしている議員自らの愚かさに気付いてほしかったと思う。 今アフガンに必要なもの。それは新テロ特措法による給油では絶対にない。
2008/01/13
小沢民主党代表が新テロ特措法採決の総会を欠席した。憲法違反の対決のといいながら、総会欠席とは無責任きわまる。 小沢氏は欠席の理由について沈黙している。沈黙しておれば、憶測を呼ぶのは仕方がない。 小沢氏は自民党の辣腕幹事長であった。自民党幹事長がアメリカ政府の支配から自由であるはずがない。民主党が政権をとるにあたってもアメリカの支配は無視できまい。 新テロ特措法に反対してみたものの、アメリカからの強圧に対応に迷ったというのが真実ではないだろうか。 民主党のいわゆる対案である「テロ根絶法案」にもその努力のあとがにじんでいる。アフガンに自衛隊を投入し、治安維持活動にも参加させ、場合によっては武器使用もする、さらに海外派兵恒久法を整備する、などといった内容は、給油活動以上にアメリカに加担する法案である。恒久法の提案など自民党が小躍りして喜びそうな内容である。 大連立の話し合いは、落としどころを打ち合わせる談合であったのではないか。対案がこのようなものであるのだから、新テロ特措法に反対する理由がないからである。 民主党が政権を担える党になるためにもアメリカの支持は欠かせないというのが、小沢氏をはじめとする民主党の大方の考えだろうし、また、国民の支持も欠かせない、その間で迷走したのが、今回の小沢氏の行動であったのではなかろうか。 小沢氏にとっては新テロ特措法を採決する総会にいることなどなんでもなかった。国会である程度の抵抗の姿勢を示して国民に訴える姿勢をみせれば、後はアメリカの支持をえるための行動に出るだけだ。そのための手は二重三重に打ってある。総会欠席はそのつけたしに過ぎない。 大新聞には民主、自民を中心にした保守二大政党制を熱心に進めているものがある。それで満足せず、大連立を画策する新聞もある。 だが、今回の小沢氏の行動をみて、それが私たちにとってどれだけの損失であるかがよくわかった。
2008/01/12
ある人が「私は日本語は美しい」といった考えにはくみしない、といっている。フランス語は美しい、英語は美しい、というような言語自体が美しいものとしてある、という考え方の否定である。 伝統を強調し、「日本古来の○○」などという人がおうおうにして「日本語は美しい」といい独自性を強調する。 現実の言語を見てみるとさまざまであることがわかる。日本語そのものがなにを日本語と規定するか迷う。沖縄語は日本語なのか、地方の言葉はどうか。 日本語は美しいというとき、沖縄語はどうか、アイヌ語はどうなのか。 こう考えただけでこういう言い方の胡散臭さがわかる。 そして現実の生きて存在する日本語を見るとき、これも実にさまざまであることが分かる。既定の美しい日本語などは存在しないのである。 そこにあるのは、美しくも醜くも使われ、人それぞれに美とも醜とも受け取る日本語である。 国会議員のなかにはさかんに日本の伝統をいい、美しい日本語などという人がいるが、議場で使われる日本語は奇奇怪怪で、聞くに堪えないことがおおい。放言、妄言の類に至っては論外である。 バライティー番組を筆頭にテレビなどで使われる日本語もそうとうなものである。 こうみてくると、やはり、言語というものは、美しく使われる場合があり、あるいは受け手が美しいと感じる瞬間があるだけであると思える。 テレビで議員の言葉をきいて、こんなことを考えた。
2008/01/11
池澤夏樹さんの『叡智の断片』をよんでいると、なっとくすること多々。今日もいくつか紹介しよう。 ・組閣について…「二つの場合がある。他に誰もいないか。あるいは適材は他にいるか。」(ノーマ・ブルックス卿)←まことどこやらの政府もこのとおり。 ・19世紀のアメリカでの話。議員のために祈ってほしいと頼まれて…「この議員たちをみていると、国のために祈りたくなる。」(ある牧師)←わが国の議員も同じ。あの議員たちに任せて私たちの将来は大丈夫だろうか? ・「効率のよい政府を求めると結局は独裁制になる。」(トルーマン大統領)←ねじれ国会などといって困ったもののようにいっているが、効率よく法案が通ったりしないほうがほんとはよい。 ・銀行について…「銀行を創設する奴に比べたら、銀行強盗などケチな犯罪者だ。」(ブレヒト)←ゼロ金利政策などで何百兆円も国民から奪う。銀行強盗など小さい、小さい。 ・戦争に関連して…「戦時には、真実という名の姫はあまりに大事なので、ウソというボディーガードで周囲を固めておかなければならない。」(チャーチル)←アメリカの「テロとの戦争」もウソだらけだった。日本の防衛省もウソまみれだ。 ・教育について…「みんな、心配することはないよ。試験の成績がどんなに悪くても進級はできる。試験の成績はただきみたちの将来の社会的地位や裕福の度合いを決めるだけだ。」(シンプソンズの漫画の一場面)←まったく、今の日本の教育の現実とぴったりだ。しかも、成績のいいこどもは親からいろいろな意味での資産を受け継いでいる場合が多い。 ・平和について…「よい戦争というものはないし、悪い平和というものもない。(ベンジャミン・フランクリン)←フランクリンはなかなかいいことをいっている。悪い戦争をよい戦争だといってさんざんやっているアメリカ自身にも、戦争戦争と勇ましい連中にもかみ締めてもらいたいものだ。
2008/01/09
退屈?じゃあ、こうするといい。 1、車の鍵を右手に持つ。 2、左手で友人の誰かに電話を掛けて、夕食の約束をする。 3、電話を切る。 4、鍵を探す。 これで30分はつぶれる。 こんな話をスティーブ・マーティンという人が書いているそうだ。 車の鍵ではないけれど、こういうことはしょっちゅうある。 メガネを掛けてメガネを探したことも一度だがある。一度だけというのが救い。 人の名前はなかなかでてこない。 読んだ本もすぐ忘れるから、100冊ほどの本を順番に繰り返し読めば本を買わなくてすみそうなくらい。 しょっちゅう何かを探していると退屈しない。いや、やはり退屈するかな。 ☆引用は、池澤夏樹『叡智の断片』(集英社)から。この本はずいぶん笑わせ、かなり考えさせてくれる。
2008/01/08
共生という言葉がよく使われるようになった。他の生物との共生というだけでなく広く使われている。 この共生という言葉は生物学の用語だろうが、生物学では、互いに利益を得ている状態の「相利共生」と一方だけが他方を利用する「単利共生」というのがあるのだという。 最近、政府筋がよく使う共生は「強制」であったり、政府にだけ都合のいい「単利共生」である場合が多いような気がする。政府が本来なすべき施策を「共生」というお題目をかくれみのに、地域に押し付ける。 共生は自らの力で生み出すものであり、ましてやある勢力の都合のための「単利共生」であってはならないだろう。共生という場合、相互に利益を得る「相利共生」だありたいものだ。 「共生」という言葉が一番よく使われる他の生物との共生もそうで、人間だけが利益を得るのではなく、他の生物も利益を得る形での共生が望ましい。 地球環境だけでなく、政治、経済、その他、さまざまな場で使われる「共生」であるが、そこに関わる相互が利益を得るような「共生」でありたいものである。
2008/01/07
「命の叫び」という帯の言葉がぴったりである。脳出血による重い障害を持ち、癌をも患う多田さんの命をかけた訴えである。凛とした厳しい文体がそれを支える。 厚労省は、2006年4月から、リハビリ期間を発症から最長で180日と限定した。リハビリが必要な人でも一部の例外措置をのぞき、原則としてそこで打ち切るとしたのである。 障害は、一つ一つがすべて違っている。それを一律に打ち切る、さらに、重度の障害を持つ人の機能維持に必要なリハビリを一切認めないということは、障害を持つ人に死ねと宣告するようなものである。 多田さんは、そのような趣旨から、右半身不随、構音障害によって話せない身でありながら、障害のないひとの十倍もそれ以上もの苦労をしながら、パソコンを打ち、厚労省の不当を社会に訴える。この本はその訴えを集めたものである。 厚労省の措置によってリハビリ難民といわれる人びとが20万人以上も生じたという。多田さんをはじめ40数万人の署名が短時日であつまり、厚労省に持ち込まれ訴えられるが、厚労省はそれを無視する。厚労省のいつもにかわらぬ非道さが、そこで浮き彫りになる。 多田さんは繰り返し、訴えるがその中で何回も例に挙げているのが社会学者鶴見和子さんの場合である。 鶴見和子さんも左半身不随の重い障害を持っていた。だが、まさに苦闘ともいえるリハビリを通して生命を維持していた。ところが、リハビリ打ち切りを宣告されたあと、寝たきりになり、急速に弱り、なくなられた。鶴見さんは「小泉が殺した」といってまさに恨みを抱いてなくなられたという。 その鶴見さんの歌二首がこれも繰り返し引用されている。 ・政人(まつりごとびと)いざ事問わん老人(おいびと)われ生きぬく道のありやなしやと ・ねたきりの予兆なるかなベッドよりおきあがることのできずなりたり 厚労省はリハビリを打ち切り、介護医療にそれを任すという。だが、介護制度にリハビリのちゃんとした施設、サービスがないことは自明である。介護制度そのものが崩壊に瀕しているのである。多田さんは厚労省のそうしたごまかしも鋭く批判する。しかし、厚労省はあらる手を使って(法の巧妙な悪用などなど)サービスの削減を進める。 多田さんの闘いは、まさに命の尊厳をかけた闘いであり、厚労省のしうちは、命の尊厳を踏みにじり、命を切り捨てる行為である。 この本は、その荘厳ともいえる闘いと多田さんのさけびを十分に伝えている。 多田さんがその厚労省のしうちの先に見たものはこのようなものである。 「ここに隠されている厚生労働省の意図は、今後保険診療の上限を決めて、それ以上の給付を打ち切りにする。あとは裕福な患者だけ、自由診療の民間病院に任せるという考えであろう。保険制度は崩壊し、一部の巨大医療資本と、保険会社が儲かるという構図である。そこから洩れた弱者は死ねということらしい。」 「私は、こうした弱者切捨ての政策の背後に、巨大な医療資本の影を見る。国民皆保険制度が崩壊した後、儲かるのは誰かと考えると、今立ち行かなくなった国立病院などを安く買い漁っている、医療資本が顔をのぞかせている。保険制度が崩壊して、一部の裕福な人たちが、特権的に先進医療を享受する社会を目指しているとすれば、難民がでるくらいなんでもないかもしれない。後は外資系保険会社が、甘い汁のおこぼれにあずかるだけだろう。背筋の凍る筋書きである。」 今厚労省は、あらゆる方法を使って巧妙にあるいは大胆に、社会保障の切り捨てや労働者の権利の保護の剥奪などを進めている。社会保障の分野でも、労働問題の分野でも、命の切捨ては目にあまるものがある。 多田さんの訴えは、そうした政策の行き着く先を示し警鐘をならしていることでもある。障害者のリハビリの縮小が示す未来を私たちはしっかりとみつめねばならない。 多田さんのこの本は、できるだけ多くの人に読んでほしい本である。 『わたしのリハビリ闘争 最弱者の生存権は守られたか』 多田富雄著 青土社 追記、 厚労省の一連の政策は、平和の否定であり、戦争につながるものであるという認識を多田さんはしておられるが、私もまったく同感である。
2008/01/06
スマトラ沖大地震の際、マングローブの林の伐採が問題になったことがある。エビ養殖や観光のために広大なマングローブ林が伐採されたのが、被害を大きくしたというのである。 あの報道で、私たちの食べているエビとマングローブ林とのつながりをはじめて知った人も多かったのではないか。あらゆる食が食品となって食べられる形で店頭にならぶ今、食の経路に注意を払う人はすくないだろう。 エビの場合、養殖が大幅に増えている。東南アジアなどの養殖の場合には、マングローブの林を切り開き、養殖池をつくり、稚魚をはなち、エサをやり、成長させ、収穫し、それを冷凍し、あるいは頭をとって開いて、冷凍し、あるいはそれにメリケン粉をつけ、あるいはさらに油であげて、飛行場に運び、飛行機で輸送し、空港から、店に運ばれ、さらに手を加えられて店頭にならぶ。この経路が見えないのである。 経路が見えないということは、生きものの育つ場所、さまざまな人手、育つ生き物の命、などといったものがすべて消えてしまうことになる。 それは、食の生まれる場の自然というものへの配慮、それに関わった多くの人びとの姿、そしてなによりも私たちの食となる生き物の命への無関心となる。食の経路は食との距離が遠ざかるほど、薄くなるようだ。 食との距離とは、地理的な距離だけを意味しない。たとえば牛の場合。私たちはその経路への意識を普通は持たない。従ってその距離は果てしなく遠い。私たちは普通そこに生きものの命と言う物を見ない。 だから、ペットや鯨に必要以上の感情移入をするくせに、食べられる牛を始めとした命にはなんの意識ももたない。食べられるためにだけ狭いケージに縛られている生き物たちのことは考えない。 あらゆる食が食品となり商品となっている現在こそ、食の経路への意識が必要なのではないだろうか。 私も肉を食べ魚を食べる。そんな私だが、ただ食べられるためだけに育てられる生き物がいることや、私たちが他の命によって生きさせられていることを忘れたくないとは思っている。 食べ物の話をしていて思ったことである。
2008/01/05
「カナリア理論」というのがある。鉱山で危険を感知するのに使われるカナリアのように、小説家や詩人といった文学者は時代の危機をいちはやく察知してそれをつげるという説である。 でも、文学者がすべてそうでわるというわけではない。むしろ少ないのではないかと思う。 文学者でもハシブトガラスのように、ゴミをあさり、大声を出して騒がしい人たちのほうがめにつくように思われる。 文学者だけでなく、学者、知識人、文化人などとよばれる人たちにまで範囲を広げるとおこぼれに群がるハシブトガラスが群をなしている姿が望見されるように思う。 「カナリア理論」という言葉に触れてちょっと感じたことである。
2008/01/04
予想というものは大方外れるものである。だが、時には、感心する予想がある。自公連携をはるか以前に予想した人がいたが、自公政権ができた時には感心した。 野坂昭如氏が1982年8月号の「週刊朝日」に書いていた「オフサイド」という連載エッセイで〈右傾化〉の実体を5つに整理しているという。 1、軍事予算の聖域化。今日ではこれがアメリカに握られている。予算の膨張に伴い軍人が君臨し始め国家統制と国民精神の統合が進む。 2、憲法9条だけでなく、それ以外の条項をも改めさせようとする動き。人権をチェックする。公共の福祉の名のもとに私見を制限しようとする。狙いは教育勅語、家族制度の復活で、これは国家至上主義につながるであろう。 3、靖国神社の国家護持の動き。この動きを推進している連中にとって、戦死者などどうでもいいこと、彼らは、この先、若者が死地に追いやられたときに国家が死後も面倒をみてやるよ、という「靖国保険のセールスマン」にすぎない。このセールス活動を支えているのは「国家のために死ぬことが最高の美徳という考え方」で、これは右傾どころか、「前近代的もの狂い」である。 4、教科書問題。侵略を進出といいかえ、朝鮮人の強制連行の「強制」を削除させようとする文部省の動きである。 5、臨調。自立、自助を強調しながら不況を予測しての全体主義国家への一里塚、組合潰しである。 この5点を2008年の現在の時点で見直してみると、どれもいい点を指摘していることがわかる。 1の軍事予算は、まさに聖域化し拡大しつづけている。アメリカに握られているのも最近の防衛省をめぐる動きからよくわかる。自衛隊幹部は、その影響力を増している。国家統制も司法を含めて進められている。国民精神動員は、教育基本法改悪をはじめとして強力にすすめようとしている。 2は国民投票法の成立がある。自公民が共同して改憲する可能性すらある。すでに先にも触れた教育基本法の改悪と国民投票法の成立で9条だけでなく憲法の理念の全面的な改悪が進められようとしている。 3は小泉政権を通じて強力に進められてきた。福田政権は控えているが、この動きは止まったわけではない。4と関連してなお動き続けている。 4は「つくる会教科書」の採択、沖縄戦における「強制集団死」=「集団自決」についての「軍の強制」の削除がある。教育全体が、支配勢力の都合のいい方向へ強引になじまげられようとしている。 5は、これらの経済的背景。福祉の切捨て、大企業、大資本中心の国家づくりが進んでいる。組合潰しはほとんど完全といっていいくらいに成功しており、労働者の諸権利の保護もほとんど外されようとしている。 このようにみてくると野坂氏の指摘がなかなかに的を射ていることが分かる。他にもあるかもしれないが、大筋は外してはいない。 2008年が始まるにあたっての予想は私にはできないが、このような流れを断ち切る動きがもっともっと大きくなることを期待したい。
2008/01/03
先日、ある人物評で、彼は大衆からかいりしていた。彼は言葉ではいいことをいったが、要するにエリートの立場からの発言にすぎなかったというのを読んだ。 年末から読んでいる本のなかにその同じ人物についてこういう事実が書いてあった。 「工場の前で、背の低い○○が樽の上に乗って労働者に語りかけている映像である。聴衆はまばらであるが、それでも熱を込めて語り続ける67歳の○○。それは見方によっては喜劇的でさえあった。括弧つき〈ノーベル賞作家〉である○○と工場労働者の間には何の接点もないように思われる。しかし、ピエロとなることも辞さない、という知識人としての覚悟のくくりかたもある。」(名前は分かる人には分かると思うがここには必要ないので略す。) 先の人物評はある面であたっているのかもしれない。だが、この文章を読まなかったら、たとえそうであったにしてもそれを超えようとした知識人としての○○のありようを知ることはできなかった。 生身の人間を見るときもそうだが、書物などを通してみる時には、特にさまざまな視点があることを意識しておく必要がありそうだ。 もちろん人物評だけでなく、あらゆるものの見方についてもそうであるが、断定的にあるいは、一つの視点からしかいえない場合でも意識のなかには、それを意識しておくこと。 ちょっとした読書のあいまにそんなことを思った。
2008/01/02
謹賀新年 今年も賀状を今日書いている。年末に賀状を書いて出すというのはなにか気が乗らない。ただの、野良かもしれないけれど。 新年だからといって特別の感慨はないが、最近思っていることはある。 人類という進化の永い歴史のほんのごく最近に発達した生きものが他のあらゆる生きものの障害になっている現状は改めなければならない。「他の存在は人間が使うためにつくられた」といった思想は誤りである。人間はそんなに傲慢であっていいことはない。 人類というよりも人間の社会に、カネが最高の価値であるかのような妄想が広まっている。カネで人が人を支配し、カネで自然までも破壊しつくしてしまう。カネをもつものが優れた存在であり、勝者である。カネを操作する人が他の人を支配し操作する、そんなことは、間違っている。 自然の多様性、文化の多様性、そのなかにあるさまざまな可能性のなかから今と違った道を探らねばならない。 特に日本の支配層、富裕層のなかにあるアメリカ中心主義は滅びの道である。 西洋文明西洋文化とは別のあり方、アメリカ文明アメリカ文化とは別のあり方、日本回帰ということではなく、世界にあるあらゆる可能性のなかから違った道を探し出す。 私にそれを示すことなどできないが、考えることならできる。思うことならできる。 最近思っていることはそんなことである。
2008/01/01
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