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新聞やテレビは連日おどろしい事件をつたえている。殺人事件、虐待、暴行、リンチ。その一方で何もないように見える「普通」の日常が続いている。いや、そのような事件も飲み込んで「普通」の日常は続いているのかもしれない。 そのような日常が、あるとき深い裂け目を見せる時がある。石榴のような裂け目。石榴と違うのはその深みの底にみえるものの重さ暗さだ。 橋本治著『蝶の行方』(集英社)は、そのような日常を淡々と描いた短編集である。どの登場人物も私たちの周りにいる「普通」の人物だ。 見捨てられてベランダで餓死する少年も、愛を拒絶しながら愛を探す女子社員も、母子関係に悩む友人の相談に乗る女子短大生も、夫を事件で亡くした妻も、時代の最先端を突っ走っていたつもりがいつか取り残された夫婦とその妻の孤独も、骨折をした母を故郷に見舞う娘も、みんな私たちの周りに「普通」にいそうな人達であり、ありそうな日常だ。 ただ、その「普通」の日常は、深い裂け目を持っている。それは、また、私たちの日常と同じであって、私たちはそれを見過ごし、やり過ごして日々を送っていることを忘れているのだ。 それぞれの短編が、関連を意識して書かれたものかどうか分からない。 だが、『蝶のゆくえ』という絶妙の表題によって、ひとつにまとまっている。どの主人公も、「蝶」=「そこはかとない夢、希望」を求めているのであり、その蝶は登場人物から離れたところを浮遊しているからである。
2005/01/31
沖縄靖国判決については、気になりながらそのままになっていた。先日、友人のホームページを覗いたら「感想」がアップされていた。興味深くまた大切な文章だと思うので、こちらに転載させてもらった。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~(転載)沖縄靖国判決 感想-------------------------------------------------------------------------------- 戦傷病者戦没者遺族等援護法という法律がある。この法律の目的は第1条に「この法律は、軍人軍属等の公務上の負傷若しくは疾病又は死亡に関し、国家補償の精神に基き、軍人軍属であつた者又はこれらの者の遺族を援護することを目的とする」とあるように公務の戦病死を国家で補償することにある。 沖縄戦では、日本兵に壕から追い出されたために米軍の猛攻にさらされ死亡した人、日本兵の足手まといにならないために集団死を選んだ人、集団死を強いられたひと、方言でしゃべっていてスパイ容疑で日本兵に殺された人、日本兵の作戦行動の邪魔にならないためにマラリヤ感染地域に押し込められてマラリヤにかかって死んだ人、など、日本兵の犠牲になった県民がたくさん生まれた。 これらの人々や遺族たちが国家の補償を受けるためには、戦傷病者戦没者遺族等援護法の適用を受けなければ成らない。しかし、これらの人々は軍人軍属ではないから、被害を受けた本人が準軍属であるという認定が必要である。準軍属は何種類かあるが沖縄戦で日本兵の犠牲になった人々は戦闘参加者という認定になるらしい。戦闘参加者というのは、陸海軍の要請に基づいて戦闘に参加した一般人で、沖縄などにおいて、軍の要請により物資の運搬などの軍事行動に参加した者である。要するに日本軍の行動に積極的に協力したもの、という規定である。 だから、日本兵にころされた人の妻なり夫なりが国家補償を受けようとすると、自分の配偶者が日本軍の戦闘に参加し日本兵に協力したと申請しなければならないわけである。生活の糧に困っていた遺族達はそのように申請して国家からの補償(年金や弔慰金)を手に入れざるを得なかったのだ。そんな手続きを取とることになった戦病死者戦没者が6万人いるというのである。 問題をさらに深刻にするのは、この法律で戦傷病者、戦没者と認定されると、厚生労働省から靖国神社にその旨伝えられ、自動的に靖国神社の神として祭られるということである。遺族が望みもしないのに、自分の配偶者が、配偶者を殺した日本兵のならんで祭られるのである。殺人事件で殺された配偶者がとうの殺人犯人と並んでまつられるのである。そして、小泉首相がその二柱の神のまえで礼拝するのだ。 靖国に祭ってくれるなといっても、戦傷病者戦没者遺族等援護法の適用を受けている限りそれはできないのである。靖国に入れば年金をやる、というのである。小泉政治(有事体制)によってまもなく生み出される新しい戦死者の遺族も同じように、援護法をてこにして、無理やり靖国の神に仕立てられるだろう。 A級戦犯が靖国に合祀されていることが最大の問題なのではない。戦争を放棄する憲法のもとで、戦死をたたえる一宗教法人と国家が癒着しているという現実こそが問題なのである。 今回の沖縄靖国判決は、殺人事件の加害者と被害者を同列に並べて参拝する小泉首相の行動も問題としなかったが、戦争準備過程における戦傷病者戦没者遺族等援護法の役割を多くの国民に知らしめたのではないだろうか。-------------------1)厚生労働省は一宗教法人である靖国神社に戦病死者・戦没者に関する情報を流すことをやめるべきだ。2)総理大臣、衆参議長などの靖国神社参拝はやめるべきだ。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~追記 コメントに判決要旨があります。
2005/01/30
経団連の奥田会長は、あれもせよこれもせよと政府に要望を出し続けている。どこまで、強欲なのかと思う。 28日の衆院予算委員会での日銀総裁の答弁によれば、1993年の金利水準が10年間続いた場合とこの間の実際の利子とを比較して受け取る利子が154兆円も減少したという。 この間銀行につぎ込んだ60兆円を含めれば、実に214兆円の国民の金が銀行に注がれたことになる。バブルの時期の放漫経営、経営破綻の責任を誰一人とらず、これほどの金を国民から奪うとは強欲にもほどがある。 奥田氏らは、消費税の引き上げを声高に主張している。ところで、奥田氏はトヨタの会長でもあるが、現在の消費税でも大儲けしているという。 輸出には消費税がかからず、そのため国内売り上げにより支払った消費税との差額が還付されており、その額が2003年度だけで、1700億になるという。これで行けば消費税が上がればあがるほど大儲けすることになる。輸出の花形の大企業群も同じらしい。 今までも大金持ちや大企業への減税が続いていた。その一方では、消費税引き上げ、予定される定率減税廃止、医療費その他負担増など、国民それも庶民、低所得層に負担が掛かる政策が続いてきた。 これらは、財界が要求し、政府が応え、つまり、政官財がいったいになって進めてきたものだ。 政官の財界、支配層重視の姿勢はもちろんだが、財界の強欲、奪えるものは限りなく奪い、国民特に庶民層を切り捨てる姿勢は目に余るものがある。 どこまで奪い尽くせば気が住むのか、どこまで強欲であり続けるつもりなのか。 私たちももう黙って耐えるのをやめたいものだ。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 視聴者の声に耐え切れず、海老沢氏がNHKの顧問を辞任した。それでも3日粘った。 現会長が苦しい言い訳をしていたが、優秀有用な人材などといってこっそりと顧問にした現会長にもあまり期待できないようだ。 NHKを改革するというが、何を改革するつもりだろう。今回の出来事はNHK幹部が視聴者と完全に遊離していることを改めて証明した。
2005/01/29
国籍条項訴訟判決で、反対意見は2人しかいなかった。多数意見は特別永住者としての原告の立場を無視し、国籍要件をことさらに厳しく判断したものだった。 特別永住者に職業選択の自由を保障し、管理的立場にたつ場合にも特別の合理的理由がない限り任用すべきだという少数意見に私は賛成だ。 この裁判は、これまで永住してきた人達をどう受け入れてゆくかという問題だあると同時に、これから増えてゆくだろう永住者とどう向き合うかという問題でもある。 私は、永住する外国人にできるだけ広範な権利を保障し、共存することのできる社会を望む。不寛容に排除する社会を望まない。 多数意見の裁判官たちは、そのような未来と現実が見えていないのではないだろうか。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 桶川女子大生殺害事件での警察の責任について、東京高裁は認めなかった。 事件の経過、その後の警察の謝罪などをつぶさにみれば、警察の責任は当然と思える。 裁判官は、世間の常識から遠く離れたところにいるようだ。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 愛媛県警の裏金作りを告発して警察官がみせしめ、報復、不当人事で異動さされた。 県警があまりにみえみえのことを公然とするのであきれていたら、吉村典子公安委員長は「現時点で異動理由は納得できた」と発言、またまた、あきれさせた。 みえみえの不当人事が見えないのは、名誉職でしかない委員長のかなしさだろうか。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ NHKの海老沢会長が退任した、と思ったら、顧問に就任だという。責任を取るのなら、顧問就任などすべきでない。 高額の退職金、その上顧問料までもらって院政をしこうとは、虫がよすぎる。それを公然とやるところが、裸の王様の面目躍如といったところか。 彼は退任を前に、全職員12000人にメールを送ったという。 A4、5枚分のその文章で、「今こそNHKがその真価を発揮するときです。「巨大化、商業化、民業圧迫」といったNHKの躍進を妬む一部マスコミ等のいわれなき誹謗中傷や不当な攻撃に屈することはありません」と述べているという。 いわれある批判をいわれないと考えて12000人の全職員に訓示するあたりに、まったく反省していない海老沢氏の姿が見えてくる。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ こうした人物が社会の上層部に巣くい、日本を方向付けているかと思うと、危うい感じがする。あの国、この国を笑っている場合ではないようだ。
2005/01/28
雑誌「世界」に途中まで連載され、中断していた。その理由があとがきから分かった。陳真さんは、末期ガンで刊行が急がれていたのだ。その後、陳真さんは亡くなられたことが分かった。この本が間に合ったかどうか。 陳真さんは、日本で少女時代を送り、日本の敗戦で台湾にわたり、台湾国民党軍のテロを避けて、中国に。建設直後の中華人民共和国の放送局で、日本語放送に携わった。 その後、NHKの中国語講座も担当。よく知られた方だったそうだ。 連載が補足され、単行本になって早速一気によんだ。先にも書いたが、日本での差別、台湾でのテロル、中国へ渡ってからの闘病、反右派闘争、大躍進、文化大革命と休むまもなく続いた失政と抗争の中で、時代に揉まれながら、人間への信頼を失わずに生きる姿が美しい。 この本を読みながら陳真さんの生きる闘いに感動しつつ、中国現代史について知らなかったことの多いことにも気づいた。そして、このような時代に揉まれた何億という人々の一人ひとりの生の重み、革命の輝きとそれを達成した後の暗闇との差の深さを思った。 「彼は政治の波風の向こうに、今生きている人間を見る力をもっていた」とは、野田さんの文章だが、こういう力をわたしも持ちたいものだ。 それにしても凄まじい時代であり、生き方だ。歴史はこうしたことを二度と繰り返さないものだろうか。それについても、野田さんはこういう。 「果たしてそうだろうか。私は、まったく同じことは起こらないが、世代が変わり、体験が忘れられると、また似たような時代を呼び込むかもしれない、と思う。個々の人が自分の精神をみつめることなく、上ずった観念によって、傍らに生きている人の感情を見下すとき。しかもそんな人が偶然数人集まり、制度や組織の轍にうまく乗ったとき、燃え上がる火の車を止めるのは容易ではない。」 私もそう思う。今の日本の現状がそのことを証明しているように思える。 最後にもう一度、凄まじい時代とその時代をけなげに気高く生きた一人の人間の生きようとに心打たれる本である。
2005/01/27
NHKが衛星放送を始めた時理由としてあげたのは、「電波の届かない地域」を解消するということだった。だが、その後、衛星放送は第一、第二と拡大し、放送内容も地上波とまったく違ったものになった。 その内、視聴者が衛星放送も視聴するようになると、今度はデジタル放送への切り替え、ハイビジョンん放送の開始とまた新たな放送をはじめた。 デジタル放送などは、家電業界と利権にからむ連中との画策としか思えない。関連会社の拡大も含め、NHKは異常に膨張を続けている。 これは、視聴者の望んだことではない。NHKが一方的に進めていることである。 膨張の傍らで、NHK内部に腐敗が進んだ。NHKと利権にならむ政治家たちとの癒着も進んでいるように思える。 そのような流れの中で、今回の番組改編問題も発生した。NHKは視聴者から遠く離れ、自ら言う公正も危うい状態である。 海老沢会長の退任はこのような状態を幾分か変えうるのだろうか。そうは思えない。 番組改編問題に関連するニュースで中川・安倍両氏の言いたい放題を連日たれながすNHK。膨張を続けるNHK。この体質が変わらない以上何も変わらない。そして、この体質は、会長が変わったくらいでは、決して変わらないだろう。
2005/01/26
愛媛県警の裏金作りについて告発した現職警官に24日、異動が発令された。20日の告発会見からわずか4日後の異動発令、それも本人だけ、というのは、どう見ても異常だ。 本人と関係者は、告発への報復のための異動だと反発しているが、当然だ。 県警の人事異動は普通、3月に一斉に行われる。それが、告発後、本人だけ。 県警の裏金問題については、名誉職化した県の公安委員会は何の対処もとっていない。県民の強い要求を受けてしぶしぶ監査を進めている監査委員会も遅々としてはかどっておらず、監査の聞き取りの際、上司を同席させて批判を受ける始末である。 「つくる会」教科書の採択の際には、教育長に採用を示唆し、その後も活発に発言した知事も、この件では、だんまりを決め込んでいる。 こんな状況だから、県警幹部は県民をまったくなめているようだ。資料はださない。開き直る。木で鼻をくくったような答弁をする。そして、今回の異常な異動内示。 多くの警察官はまじめに仕事に努めている。一部のキャリアや上層部のために、裏金作りの協力者にされ、県民の批判を受けるのはやりきれないだろう。 全国の警察上層部が似たり寄ったりだということを本で読んだことがある。身近な出来事を見ているとやはりと実感する。 悲しいことは、この腐敗が警察だけでなく、あらゆる分野に蔓延しているということだ。 今回の勇気ある告発者が、守られ異動内示が撤回されることを願う。
2005/01/25
それほど多くのメディアに接しているわけではないが、見聞きした範囲では、NHK番組改編問題でのメディアの弱腰が目立つ。 先日も関口サンデーモーニングを見たが、とおりいっぺんの報道で、毎日新聞の編集委員とかのコメントもとおりいっぺんだった。しかも、関口氏が「長井さんという人は変な人ですねえ」と結んだのには驚いた。 その中で、地方新聞が比較的がんばっているのではないかとおもう。 愛媛新聞も今日の社説で問題の本質を的確に指摘している。「弁明で見えてきた公共放送の内実」と題したその社説では、幾つかの問題点を挙げる。 ・果たしてNHKでは放送の独立が日常的に保たれているのか。そんな疑問が膨らんでくる。 ・NHKは「国会議員に予算や業務の説明をする際、放送予定の番組についても説明するのが通常の業務になっている」というのには驚いてしまう。 ・放送内容を事前に説明するというのは、「検閲の機会を自ら提供しているに等しい」背筋に寒いものをおぼえる。 ・政府の要職にある議員で番組のテーマとする事柄に批判的な議員に出向いていって放送内容を説明するというのは、マスコミの常識では考えられない。 ・NHKは、改編は自主的というが、経過からみて不自然である。 そして、「政治家に予算の理解を得るためとはいえ放送内容に関与されかねない糸口を与える。しかもごく当たり前の「通常業務」と言ってのける。これでは放送への信頼は根底的に揺らぎかねない。問題の根っこはこのあたりにある。」とことの本質をずばりと批判するのである。 NHKは、問題が明らかになった後、ニュースの時間を大幅に割いて自己弁明と朝日批判と二人の政治家のコメントを垂れ流す非常識な番組を繰り返し放送した。昨日も二人の政治家のコメントを長々と放映した。相手に根拠や説明を求めながら自らはなんの根拠も説明もない、言いたい放題をである。 他のメディアも似たり寄ったりだ。 私は、朝日には批判的だし、基本的に与党より政府よりだとおもっている。NHKも以前から批判してきた。 だが、今回の問題は、そういう次元とはまた違っているとおもっている。政治家が公共放送の内容を左右していいのかという問題。皆様のNHKという公共放送が、政治家にすりより内容を左右していいのかという問題。メディアの権力からの独立という問題が、その本質なのだ。
2005/01/24
時代の大きな変わり目のような気がして毎日のニュースを読み、見、聞きしていると、目まぐるしい変化と重さに息がつまるような感じになることがある。 先日は10年も前に買っておいてそのままになっていた本を読み終えた。これはこれで面白かったが、かなり重いものだった。 以前は小説をよく読んだが、今はあまりよまない。詩集もよく読んだが、私の好きな詩人がみなさん詩集をださなくなった。それで、過去の詩集をよみかえす。 長田弘さんの『深呼吸の必要』だ。長田さんはまだ現役だが。 深呼吸をしたあとのような爽快さを感じて「後記」を読んだら、「言葉を深呼吸する。あるいは、言葉で深呼吸する。そうした深呼吸の必要をおぼえたときに、立ちどまって、黙って、必要なだけのことばを書きとめた。」とあった。 今回は「あのときかもしれない」が心にすっと入った。懐かしい子供時代と成長ということと、生きるということとが重なって共鳴しているように感じた。 そして、「そのときだったんだ。そのとき、きみはもう、一人の子どもじゃなくて、一人のおとなになってたんだ。「なぜ」と元気に考えるかわりに、「そうなってるんだ」という退屈なこたえで、どんな疑問もあっさりと打ち消してしまうようになったとき。」とか 「そのときだったんだ。そのとき、きみはもう、一人の子どもじゃなくて、一人のおとなになってたんだ。きみが片脚の時計屋さんの言った言葉をはっきりとおもいだしたとき。きみがきみの人生で、「こころが痛い」としかいえない痛みを、はじめて自分に知ったとき。」などということばにしみじみとした痛みを感じたのだった。
2005/01/23
今日は、アジア・太平洋戦争末期、特攻訓練を受けた人の体験談を聞いた。淡々として自身の体験を話された。 お話を聞いて、桜の花の比喩が多用されているのに気づいた。特攻の体当たりのたとえの「花吹雪」。特攻隊の若桜隊、万朶隊、山桜隊、予科練の歌(今歌われているのは戦後の改作だそうだ)三番の靖国の桜。 『ねじ曲げられた桜』(大貫恵美子著)が改めて実感された。権力者たちは、特攻を強いるのに、桜の花の比喩を使うことで美化したのだ。 特攻には陸軍、海軍それぞれに多用な方法があった。今日お話してくれた人は、「回天」の訓練を受けたという。回天は魚雷を改装した潜水艇のようなもので、一度打ち出されると二度と生きてはもどれないようなものだったらしい。操作が微妙で、訓練中に死亡する人も多かったという。 氏は少年兵として海軍に入り、60年後の今でも後遺症が残っているという凄まじい制裁を伴う訓練を受け、半強制的な(つまり長男の氏は免除され得たがとてもそれはいえなかった)志願によって特攻の道を選び、訓練中に敗戦になった。 訓練中に先輩が次々と特攻に出ていったが、不思議となみだはなかったという。それは、自身がやがて行く身だったからだろうと氏は回想する。 15歳当時の氏が作った遺言。「我行かむ 潮馳せ行き 虹に散る ああ壮烈の 兄鷲追うて」。 これは、15歳の少年が作る歌ではない。氏は「教育はおそろしいものですなあ」としみじみと語られた。学校と軍隊での教育が、ここまで特攻による死を当然とする思いを刷り込んだのだ。 氏は幸いに敗戦によって生き延びた。生き延びて高齢を迎えた今思うのは、優れた人材を失った、あの人達が生きていたら今の日本はもう少しましだったのではないかという思い。自分が生き残ったことへの後ろめたさだといわれた。 そして、教育基本法と憲法が大切だということを身にしみて実感すると結ばれた。 氏も強調されたが、特攻で死んでいった若者たちが再び戦争への道を開くのに利用されたはならない。氏は小泉首相の靖国参拝のたびに胸が痛むともいわれた。
2005/01/22
NHKが弁明会見をした。それを報道したNHKニュースは延々と長いものだった。NHKの「熱意」が感じられた。この「熱意」をもっと他の方向に使えばいいのだが。 その番組は、要するに「番組改編の過程」。「あった、あわなかった」ということ。「圧力がなかった、圧力を感じなかった」ということ、が中心だった。 番組改編の過程については、関係者の詳細な証言があるし、『検証 日本の組織ジャーナリズム NHKと朝日新聞』(岩波書店)には詳細な記述がある。(この文章には衆院総務委員会でのこの件についてのやりとりも書いてある。) この会見の焦点は、この過程にあるのではなく、「あった、あわなかった」「圧力があった、圧力を感じた」という問題にある。 「あった、あわなかった」については、朝日による証明記事やその後のコメントを検討すると、安倍氏は本人が認めているが、中川氏もあっていると思われる。 「圧力があったか、圧力を感じたか」は、どのようにでもいえる。衆院総務委員会で圧力を否定している松尾氏とすれば圧力があったとも、感じたとも公にはいえない立場だろう。朝日の取材にあった、感じたと答えたにしても、社会的に公になれば、否定する可能性のほうが大きい。 昨日の記者会見を見ながら、『日本の組織ジャーナリズム』に描かれた松尾のあり方(番組編集最終段階での改編指示や業務命令)や衆院総務委員会での証言を連想するとき、その声高な必死の姿が、「そうだろうな」と妙に納得できた。松尾氏は朝日の記者に一言漏らしたことを不覚だったと「反省」したことだろう。 NHKの会見は、実は、事実関係では、なにも証明していない。だが、証明しないことによって、逆にあることを証明している それは、NHKがある特定の番組を特定の政党、特定の議員に説明に回る組織だということだ。NHKは記者会見で次のように答えている。 Q.放送前に政治家に番組内容を説明することについて(関根総局長)NHKの予算や事業計画などは国会の承認を受ける。国会は国民の代表である国会議員で構成されており、与野党の国会議員に、個別の番組を含め、どういう放送をするかを、きちんと説明する中で、公平中立性を担保していく。誤解があれば、それを解いていく。国会議員に会うことを、「圧力」と短絡的に結びつけられることは残念だ。 この発言には幾つかの仕掛けがある。その一つは与野党の国会議員にという言葉だ。これは先ほどの特定の番組について特定の政党や議員にということに答えず摩り替えている。またそれが、公平中立の担保だといいその根拠が国民の代表であることにあるとしているがNHKは国民一般更にいえば視聴者に責任を負っているのであり、特定の国会議員に責任の担保を得ることは正しくない。 この会見では幾つかのことが分かった。それが収穫だった。 NHKが視聴者を無視し、特定の政党、政治家のほうを向いていること。圧力を圧力と感じず、あるいは、存在したと認めない組織であること。 番組の大幅な改編を国会議員などに説明しながら、あくまでも「自己の判断」で、改編すること。言い換えれば、自己規制が徹底していること。 NHKは、居丈高な会見によって、自らの裸の姿を視聴者の前にさらしたのである。 NHKは、確かにいい番組も作っているが、今まで以上にこれからは、番組の背後にどのような「配慮」「自己規制」が働いているか、そのためにどのような「改編」が行われているか注意しながら見る必要があるようだ。 なお、この番組を通じて二人を含む複数の政治家についての疑惑はますます深まった。 また、内部告発者を守るとして造られた法律が、予想どおり内部告発を抑圧するものであることが証明された。NHKの内部につくられたコンプライアンスなんとかが「公正に」機能するはずがないではないか。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~(メモ) 愛媛県警捜査費不正に関連して「領収書偽造を命じられた」と現職警官が証言。愛媛新聞のスクープ。
2005/01/20
以前の日記に番組改編問題についてフラッシュニュースでみたことを書いたが、その後、詳細が分かった。 17日、「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」会長古屋圭司氏は、NHKの番組改編問題について「放送前にわたしを含む議連幹部の多くがNHKに面会を求められ、番組について説明を受けた。」「圧力は一切かけていない」と言明。同日、平沢勝栄会長代理、下村博文事務局長も17日NHK幹部と会ったことを認めた。いずれも記者会見での発言。 放送当時、中川氏は同議連の会長、安倍氏は同議連の事務局長だった。 NHKも両議員ももみ消しに必死だが、一連の事実経過をみれば、NHKと両議員そして議連に問題があることは、はっきりしている。 なお、発言の経過については、15日の日記に。 この件についての報道は、「日本の前途と轢死教育を考える議員の会」で検索すると関連記事がある。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 日本経団連は18日、改憲提言「わが国の基本問題を考える」を発表し、改憲について積極的な姿勢をしめした。 骨子によると、日米安保の堅持、憲法9条2項で自衛権と自衛隊の保持を明確にし、国際貢献など活動範囲を明示、集団的自衛権を行使できることを明らかにし、96条の憲法改要件を緩和、するなどと述べている。 憲法改正要件の緩和は、現憲法改悪を容易にするのが狙いと思われる。当面とり急ぐ課題を優先したあと、次々と改悪される姿が目に浮かぶ。 自衛隊の位置づけ、集団的自衛権の行使、を急ぐ理由は、文章をみれないので明らかでないが、推測はできる。すでに昨年の八月次のようなことがあったからである。 静岡県小山町で行われていた。日本経団連夏季セミナーで、奥田経団連会長は次のようなことを述べたという。「(東アジアで)リーダーシップを取るには、軍事力充実が必要ではないか」 また、セミナー終了後の記者会見では「徹底的な護憲派はいなかったと思う」「憲法前文や九条などは、より具体的な表現にならないか」「改憲論者と思ってもらってよい」などと答えたという。 つまり、奥田会長は、日本企業の海外進出を自衛隊によって守りたいとこの時点でいっているのだ。今回の提言は、更に踏み込んで自衛隊とアメリカ軍とによって、守ってもらう。アメリカと一身胴体になると彼らとしての願望をより正確に表明したにすぎない。 日米共同宣言以来、重ねてきた軍事法制は、アメリカの世界戦略と日本が一体化し、アメリカが自由に軍事行動をするのに行動をともにする体制を築いている。 経団連の提言は、経済、軍事、政治、文化などあらゆる領域でアメリカと運命をともにする方向を選ぶものだ。 ヨーロッパやアジアの国々がアメリカと行動をともにしながら距離をとろうとしているとき、経団連と政府はその逆の選択をしようとしている。 この選択は、アメリカの行動を見る限りよい選択とはいえない。 アメリカべったりの選択は、世界やアジアからの孤立と新たな不法への加担をもたらすだけではないだろうか。
2005/01/19
【転載】VAWW-NETジャパンプレスリリース「安倍晋三氏の事実歪曲発言について」 NHKの番組改編問題について、一方の当事者である「女性国際戦犯法廷」やバウネット・ジャパンの言い分については、あまり知られておらず、安倍氏らの発言だけが、流れているようなので、ここに同ネットワークのプレスリリースを全文掲載する。-------------------------------------------------------------------マスコミ、関係者各位安倍晋三氏の事実歪曲発言について このたび、政治家によるNHKの番組介入が問題になっており、「政治家」として 名前が上がっている安倍晋三氏と中川昭一氏が、複数のメディアを通じてコメント、 または発言を行っています。中川氏は国内不在ということもあり、彼の発言の多くに 触れることはできませんが、安倍氏はこの間、頻繁にマスコミに登場し発言を行って います。その中で、安部氏は、女性国際戦犯法廷の事実関係について重大な事実歪 曲、誹謗・中傷を続けていますが、それに対してマスメディア側は知識不足、勉強不 足のためほとんど事実の間違いを指摘することができず、そのまま一般市民に垂れ流されているという状況にあります。 歪曲された事実があたかも真実であるがごとく日本の市民の皆様に伝わっていくこ とは、女性国際戦犯法廷と「法廷」を主催した国際実行委員会の名誉を大きく傷つけ るものであり、何より「法廷」に正義を求めて被害8カ国から参加された64名の被害 女性の尊厳を甚大に侵害するものです。「法廷」には世界三十カ国以上から約400名 が参加し、三日間の審理にはおよそ1000人が傍聴し、最終日の判決概要に言い渡しは およそ1300人が傍聴しました。「法廷」の歪曲と侮辱は、こうした多くの人々に対し ても許されない行為です。安倍氏のこうした発言は、自らの行為を正当化するため、番組で取り上げた女性国際 戦犯法廷自体を貶めることで世論を味方につけようとしているものです。問題の論点 のすり替えが「法廷」の事実歪曲をもって行われていることは、今回の事件の真相を 明らかにする上でも大変問題であり、このことは、真実を明らかにする上で危険な流 れであるといえます。マスコミの皆様には問題の核心(番組に対する政治家の介入)を見失うことなく真実 を明らかにし、ジャーナリズムの役割を果たしていただきたく存じます。そのために は女性国際戦犯法廷の事実関係を正確に理解して頂くことは重要、不可欠なことであ ると考え、皆様に正確な事実を知っていただくため、ここに安倍発言の間違いを指摘 いたします。※以下に示す安倍氏の発言は、「報道ステーション」(1/13放送)、「ニュース23」 (1/13放送)、「サンデーモーニング」(1/16放送)、「サンデー・プロジェクト」 (1/16放送)などにおける発言、及び安倍氏が出したコメントに基づいています。1、「被告と被告側の弁護人がいない」⇒ 女性国際戦犯法廷は、「日本国家の責任」を問うため、開催2ヶ月前に全裁判官 の名前で、当時首相であった森嘉朗氏に被告側弁護人(被告代理人)の出廷を要請し た。しかし、開催直前になっても何の応答もなかった。従って裁判官は「アミカスキュリエ」(法廷助言人※)という形で被告側の弁護を取り入れた。「法廷」では3名 の弁護士がアミカスキュリエとして被告側主張を行い、「慰安婦」問題についての日 本政府の立場や主張を明確に紹介し、被告が防御できない法廷の問題点を法廷のなか で指摘した。※Amicus Curiae 裁判所の求めに従い、裁判所に対し事件についての専門的情報また は意見を提出する第三者。英国の制度で、弁護人がいない場合、市民の中から弁護人を要請できるという制度。2、「裁判自体、とんでもない模擬裁判。模擬裁判ともいえない裁判」⇒ 女性国際戦犯法廷は「模擬裁判」ではなく権力を持たない市民の力によって実現 した国際的な民衆法廷である。法廷に出廷した被害証言者も、加害証言者も、被告人 も、判事も、すべて“実在する/した”人物であり、「法廷憲章」作成という手続き を踏んで、膨大な証拠資料と証言に基づいて当時の国際法を適用して裁いた民衆法廷 だった。「国家の法廷」のように「国家」に権威の源泉があるのではなく、大国やエ リートの道具だった国際法を市民の手に取り戻し、被害者を置き去りにしない正義の 実現を目指し、「国家の権威から無縁」であることによって得られる「普遍的正義」 を明らかにしようと、民衆法廷の開催を決意した。本法廷の意義はここにあるといえる。「法廷」は、権力をもたない市民の力で、「慰安婦」被害者に被害をもたらした 加害者と加害事実を明確に示し、その責任を当時の国際法により明らかにした。繰り返すが、女性国際戦犯法廷は民衆法廷であり、模擬法廷ではない。1999年に国際実行委員会を結成。ソウル会議、上海会議、マニラ会議、台北会議など でどのような「法廷」にするのか議論し、準備を進めていった。 まず着手したことは 「法廷憲章」(前文と十五条の条文から成る。※1)の制定であった。「法廷」は 「法廷憲章」に基づき、立証と共に各国の被害者の証言や元日本兵の証言、専門家証 言などを行い、膨大な証拠資料や宣誓供述書を提出し、それに基づいて判決が下され た。判決は2001年12月4日、オランダのハーグで言い渡された。判決は1094パラグラフ (英文265ページ)にわたる膨大なもので、この判決は日本だけでなく世界の国際法 や人権に取り組む専門家、学者たちからもレベルの高さが評価されている。 女性国際戦犯法廷の開催については、国連人権委員会特別報告者クマラスワミ報告書 にも引用(※2)された。また、2003年に発表されたILO条約適用専門家委員 会所見は、「女性国際戦犯法廷」について、より詳細な引用と解説を行った。また、「法廷」は、国際刑事裁判所(ICC、1998年ローマで設立合意、2003年から オランダ・ハーグで始動)に先駆けて、戦争と武力紛争下の性暴力に対して果たすべ き役割を明らかにした世界史的にも意義ある試みであった。※1「法廷憲章」は、前掲のVAWW-NET Japan編『女性国際戦犯法廷の全記録』 緑風出版、27~32頁を参照。※2 2001年。「武力紛争下において国家により行われた、または容認された女性 に対する暴力報告書(1997-2000)(E/CN.4/2001/73)」3、「主催者である松井やより」⇒ 女性国際戦犯法廷の主催は松井やよりではない。主催は国際実行委員会であっ た。国際実行委員会は日本と被害国(6カ国)、国際諮問委員会(第三国から国際法 の専門家6名が委員)で構成され、それぞれの代表者で共同代表が構成された。松井 やよりは日本の代表として共同代表の一人であった。4、「裁判を始める時、主催者の松井やよりさんが、裁判の会場を九段会館に決めたのは悪の根源である皇居に一番近いからだと明言した」⇒ 女性国際戦犯法廷の初日、まず、国際実行委員会の共同代表3人(松井やより、 尹貞玉、インダイ・サホール)が挨拶した。「裁判を始める時」というのはこの時の 挨拶を指していると思われるが、松井はそのような発言は全く行っていない(※)。※VAWW-NET Japan編『女性国際戦犯法廷の全記録』緑風出版、38~39頁を参照。ちなみに九段会館を会場にしたのは、1000名規模の人が集まれる会場と、300名規模 の宿泊ができる施設が併設していたからであり、予約を快く了承してくれる施設はここだけだった。 5、「最初から結論ありきはみえみえ」⇒ 女性国際戦犯法廷は民衆法廷といっても、世界の五大陸から選ばれた世界的に信 頼の高い国際法の専門家や旧ユーゴ国際刑事法廷の裁判官ら(※1)によって、当時 の国際法を適用して、被害者・専門家・元軍人の証言や膨大な証拠資料(日本軍・日 本政府の公文書等を含む証拠文書)に基づき厳正な審理を経て、判決が出されたものである。判決は、まず2000年12月12日に「認定の概要」が公表され、一年の休廷を経て2001年 12月にオランダ・ハーグにて「判決」が下された(※2)。主催者に対しても「認定 の概要」および「判決」は発表まで全く知らされず、「結論先にありき」という発言 は根拠なき誹謗中傷であり、「法廷」の事実に基づかない。また、旧ユーゴ国際刑事 法廷で裁判長をつとめたマクドナルド氏などの本法廷の裁判官たちの名誉を著しく傷 つけるものである。※1 <裁判官> ガブリエル・カーク・マクドナルドさん(アフリカ系米国女性/ 旧ユーゴ国際刑事法廷の前所長)、クリスチン・チンキンさん(イギリス人女性/ロンドン大学国際法教授)、カルメン・マリア・アルヒバイさん(アルゼンチン/アル ゼンチンの判事/2001年国連総会で、旧ユーゴ国際刑事法廷の判事に選出/現国際刑 事裁判所判事)、ウィリー・ムトゥンガさん(アフリカ人男性/ケニア人権委員会委 員長)、インド人男性の裁判官は病気のため欠席※2 <判決文全訳>に関しては、VAWW-NET Japan編『女性国際戦犯法廷の全記録 』緑風出版を参照。6、「(女性国際戦犯法廷)は謀略。当時、拉致問題が問題化しているなかで、北朝 鮮を被害者の立場にすることで、この問題の鎮静化を図ろうとしていた。大きな工作 の中の一部を担っていた」⇒ そもそも拉致問題が問題化したのは2002年9月17日の日朝首脳会談以後のこと で、「法廷」が開かれたのは2000年12月である。2000年12月時点で表面化していない 拉致問題の鎮静化を図るため、北朝鮮を被害者の立場にした工作活動の一環として 「法廷」を開催したなどというのは、事実無根の誹謗・中傷である。日本は朝鮮半島を植民地として支配したが、朝鮮人女性は植民地支配の一環として日 本軍の「慰安婦」にされたのである。 しかし、日本は北朝鮮に対しては2000年当時い かなる意味でも謝罪・補償をしていない。そのため「法廷」の主催者である国際実行 委員会が被害国検事団への参加を呼びかけたのであり、その呼びかけに応じて北朝鮮が参加した。その参加のし方は、他の被害国各国と同じである。7、「検事に北朝鮮の代表者が二人なっている。工作活動していると認定されている人たちを裁く側として登場させているというのも事実」⇒ いうまでもなく“裁く”のは「検事」ではなく裁判官。安倍氏の発言は事実と法 常識を逸脱している。念のため、女性国際戦犯法廷の検事について補足する。まず、 被害国を代表した首席検事はアフリカ系米国女性のパトリ・セラーズさん(旧ユーゴ とルワンダの国際戦犯法廷のジェンダー犯罪法律顧問)と、オーストラリアのウステ ィニア・ドルゴポルさん(国際法学者/国際法律家委員会のメバーとして、「慰安 婦」問題について調査し、勧告をまとめた)。 次に、そもそも北朝鮮検事団というのは存在しない。2000年6月の南北首脳会談 (金大中大統領=当時と金正日軍事委員会委員長)をきっかけに、北朝鮮と韓国は一 つとなって「南北コリア検事団」(韓国から5人、北朝鮮から4人、計9人で構成)が 結成された。南北コリア検事団長は韓国の検事(朴元淳)であった。安倍氏に「工作 員」と名指しされた黄虎男氏は、2000年当時「従軍慰安婦」・太平洋戦争被害者補償 対策委員会の事務局長であった。なお、「法廷」には各国から検事団が参加した。南北コリア(韓国と北朝鮮)だけで なく、ほかに中国、台湾、フィリピン、インドネシア、日本も検事団が参加した。検事団は組まれなかったが、オランダ、東チモールからも被害者の証言が行われた。 (マレーシアはビデオ証言) (補足部分をコメントに転載)
2005/01/18
昨日、こんな話を聞いた。 *その1 ある人から聞いた話。 カナダは消費税が15%もするという。政府が7%、州が(オンタリオの場合)8%。それでも、生活必需品にはかからないし、保険はただだという。税金が国民に還元される割合が高いのだ。 日本の場合、税金が国民に還元される割合が低い。あれこれと増税が続いており、消費税も上げるといっているが、とうてい納得できるものではない。 *その2 こんな話もあった。 朝鮮学校では、自己批判というのを書かされたことがあった。教師が基準をもっており、その基準に合わないと許されないという話だ。 私が考えるに、この構造は、ずっと上までつらなっており、唯一誤りを侵さない首領様まで行くのだろう。こういう構造が社会体制を支える一つになっているのだろう。 更に思うに、かつて日本にも似た構造があった。それは権威の構造で、最後に唯一の存在、現人神である天皇にいきつきつく。よく似た構造だ。 このような社会に未来がないことは、歴史が証明している。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ NHK番組改編問題で、ある議員が発言しているのが、フラッシュニュースで流れた。重大なことなのにフラッシュニュースとは! そのニュースというのは、あの番組に批判的な議員達をNHKは回ったというのだ。私のところへも来たと平沢勝栄議員が言っていた。 かんぐると、民主党岡田代表が弱腰なのも、自党に番組に干渉した議員を抱えているからかもしれない。 いずれにしても、NHKが番組に批判的な議員(彼らはどうして番組の内容をしったのか。批判的な議員をNHKはどのようにして把握したのか)に説明して回ったとなると問題は更に大きくなる。
2005/01/17
昨日、安倍氏が愛媛の松山市に来て講演した際、NHk番組干渉問題についての朝日の報道は「まったくの誤報」「悪意をもった捏造」だと反論した。 どこが、誤報でどこに悪意があるのか。悪意については、北朝鮮問題に熱心な二人への悪意だということのようだが、それとこれとがどうつながるのかよく分からない。問題は、政治と報道の関係のあり方だろう。 今日、途中から見たサンデープロジェクトで、田原氏と安倍氏のやりとりを見た。それを見てまた、幾つかの疑問が浮かんだ。 まず、安倍氏は、あの番組が作られていることとその内容について、かなり詳細に知っていたようであり、自民党内ではかなり話題になっていたということだが、どのようにして事前に番組内容の詳細まで分かったかということ。 森元首相の神の国発言の際、NHKの記者が会見の仕方について詳細な助言をし、それに関する森氏とのやりとりを上層部にあげていたこと。(コピーを置き忘れてばれた。)この事件でも分かるような、癒着が日常的になされている疑いが生じる。 ある政党(ここでは自民党)とNHKの上層部、あるいは職員が日常的に特定の番組についての情報をやり取りし、監視していることは、安倍氏のいう「公正」からいっても問題になる。 二つ目は29日にNHK幹部が安倍氏を訪問したこととその際のやり取りから浮かぶこと。 幹部はなぜわざわざ安倍氏を訪問したのか。安倍氏はなぜあったのか。それは、予算の説明のためだというが、その際、なぜ特定の番組が話題になったのか。 安倍氏はNHK側が「バランスの取れた番組になっています」と説明したというが、なぜ特定の番組をNHKが持ち出し安倍氏に説明する必要があるのか。また、バランスの取れた番組だということは、それ以前の番組に問題があったということが前提になっている。NHKと安倍氏の間で情報のやり取りがあり、その結果をNHKは報告し、安倍氏はそれにたいして「公正に」と更なる要求をしたのではないか。 NHKについても安倍氏についても、「公正」という点でさらに疑惑は深まった感じがする。 追記、「編集権」と「公正中立」をいうNHKが、それから逸脱していることだけは、ますます確信できるようになった。 また、自民党が日常的にマスメディア内部から情報を得ており、監視していることも間違いないようだ。 これらのことを知った上でマスメディアの情報を仔細に検討しながら受け取る必要があるようだ。
2005/01/16
NHKの番組改編をめぐる安倍・中川両氏とNHKのコメントと発表を時間の経過を追って、メモしておく。NHKは例によって全面否定しており、両氏は発言を変えている。 中川昭一氏は10日、朝日新聞記者の取材に対し、番組の放送前にNHK幹部と面会したことを認めた上で「(番組内容を)直しますから、というからダメだと言った」などと話していた。 取材当日、記者は中川氏が出張していた長崎県に出向き、同氏の秘書に連絡。2度にわたって取材内容の確認を受けた後、中川氏側から電話で連絡があり、そのまま取材となった。一問一答の要旨は次の通り。 ――放送内容がどうして事前に分かったか。 「同じような問題意識をもっている我々の仲間が知らせてくれた」 ――それで放送直前の1月29日に、NHKの野島、松尾両氏に会われたわけですね? 「会った、会った。議員会館でね」 ――何と言われたのですか。 「番組が偏向していると言った。それでも『放送する』と言うから、おかしいんじゃないかと言ったんだ。だって(民衆法廷は)『天皇死刑』って言っている」 ――「天皇有罪」と言っていましたが。 「おれはそう聞いた。何をやろうと勝手だが、その偏向した内容を公共放送のNHKが流すのは、放送法上の公正の面から言ってもおかしい。向こう(NHK)は教育テレビでやりますからとか、あそこを直します、ここを直しますから、やりたいと。それで『だめだ』と」 ――(NHKは)どこをどう直すと? 「細かいことは覚えてはいない」 ――放送中止を求めたのですか。 「まあそりゃそうだ」 ――報道や放送への介入にあたりませんか。 「全然そう思わない。当然のことをやった」 ――NHKの予算は通さないとは言われた? 「向こう(NHK)の方が『こういう大事な時期ですから』って言ってきた。それで、おれが『予算の時期だろ』って。おれは(自民党の)部会でも、こんなNHKの予算は通すべきではないという趣旨のことを堂々と言っている」 ――放送内容は放送法に違反すると? 「違反する」 ――(番組は)元のものと比べてよくなった? 「よくなったんだろうけど、元がよく分からないから。しかし連中も、そんなもん毅然(きぜん)として拒否したらいいじゃないか。その方が筋が通ってるんじゃないの?」 朝日12日付け安倍氏・・・「偏った報道と知り、NHKから話を聞いた。中立的な立場で報道されねばならず、反対側の意見も紹介しなければならないし、時間的配分も中立性が必要だといった。国会議員としていうべき意見をいった。政治的圧力をかけたこととは違う。」 朝日12日付中川氏・・・「擬似裁判をやるのは勝手だが、それを公共放送がやるのは放送法上公正ではなく、当然のことをいった。」「NHK側があれこれ直すと説明し、それでもやるというからだめだといった。」 12日の報道を受けての安倍氏のコメント・・・「(女性国際戦犯法廷は)裁判官と検事役はいても弁護側証人はいないなど、明確に偏った内容であることが分かり、私はNHKがとりわけ求められている公正中立の立場で報道すべきではないかと指摘した。」 12日の報道を受けての中川氏のコメント・・・「公正中立で放送すべきであることを指摘したもので、政治的圧力をかけて中止を強制したものではない。」13日、NHK長井ディレクターの記者会見・・・01年1月下旬、中川昭一・現経産相らが当時のNHKの国会担当の担当局長らを呼び、番組の放送中止を求めた。NHKの予算審議前だったこともあり、担当局長は放送前日の午後、NHK放送総局長を伴って再度、中川氏や安倍晋三・現自民党幹事長代理を訪ね、番組について説明。放送総局長は「番組内容を変更するので、放送させてほしい」と述べた。 同日夜、ほぼ完成した番組をNHK局内で局長らが試写。その後、長井さんらに対し、番組内容の変更が指示された。 さらに翌日には、元慰安婦の証言部分など3分間のカットが指示され、通常44分の番組は40分という異例の形で放送されたという。 番組改変の指示について、長井さんは「これまでの現場の議論とはまったく違う内容。現場の意向を無視していた。政治家の圧力を背景にしたものだったことは間違いない」と述べた。 また、長井さんは「海老沢会長はすべて了承していた。信頼すべき上司によると、担当局長が逐一、海老沢会長に報告していた。会長あてに作成された報告書も存在している」と説明した。その上で、「制作現場への政治介入を許した海老沢会長や役員、幹部の責任は重大です」と訴えた。 13日NHKは関根放送総局長の見解を発表・・・「圧力で番組は変更していない」「予算の説明を行う際にあわせて番組の狙いなどを説明した」「中川氏とNHK幹部が面会したのは放送3日後の01年2月2日が最初。安倍氏については、放送前日の1月29日ごろと見られる」 NHKの見解発表後13日の報道ステーションでの安倍氏のコメント・・・「私が呼びつけたわけではない。1月29日にNHK側が予算の問題で説明に来て、そのなかで番組についての説明があった。ずいぶんひどい内容になっているという話を聞いていたので、ちゃんと公平公正にやってくださいねと話をした。」 NHKの見解発表後の中川氏のコメント・・・「当方がNHKを呼んだわけではない。先方がNHK予算について説明に来た際に、この番組についても話が出た」「当方の記録では(番組放送後の)2月2日」「放送内容の変更や中止に関しては一切いっていない。」 15日付け朝日の記事でのNHK幹部の一人の証言・・・「放送前日にNHK幹部が中川、安倍両氏に面会し、一方的な報道はするななどと言われた。圧力と感じた」
2005/01/15
もう四年も経ったのかと思う。四年前、「戦争をどう裁くか」という四回シリーズの番組があった。その第二回は、「問われる戦時性暴力」だったが、その内容に違和感を持った。 登場した米山リサさんの発言が彼女らしくなかったし、秦教授の発言が時間配分から言ってあまりにも長すぎた。 その後、取材に協力した関係者からNHKへの抗議や申し入れがあり、番組が改編されていたことがわかった。 関係者はNHKと話し合いをもったが、NHkは、編集権の問題と一蹴し、裁判になったが、NHKは編集権を繰り返した。 そのころから、外部の圧力が噂されていたが、今回勇気あるディレクターの証言によりそれが事実だったことが証明された。 この事件について考えるとき問題になることがある。 一つはNHKの体質だ。NHKは、以前から上層部と与党・政府との癒着が言われてきた。今回も、その一つではないかということだ。 つまり、政治家の「圧力」を圧力と受け取らず、すぐそのまま受け入れてしまう。一政治家(といっても幹部だが)の意見を判断停止の状態で受け入れてしまう。 「みなさまのNHK]「視聴料に支えられたNHK]といいながら、みなさまに顔を向けず。一政治家、一政党、一政府に顔を向けている。 どこでききつけたのか、番組の内容を事前に知り、それについてあれこれということを「圧力」と感じず、受け入れて当然の要望としてすぐ反応しているのではないかということ、そこまでNHK上層部と与党・政府とが癒着しているのではないかということだ。 第二は、もし「圧力」と感じていたとしたら、自らのいう編集権をなぜ発揮しなかったのか。それほどに、NHKは、与党・政府や外部の力に弱いのかということだ。 第三は、中川、安倍両氏は反論されるけれども、これはやはり「圧力」だということだ。それを圧力と自覚しないところに問題がある。 事前に番組の内容をいつ、どのようにして、誰から知ったのか。「公正中立でない」と判断できる材料はなにで、その根拠はなにか。なぜNHKの関係者を呼んであれこれいったのか。両氏は説明する必要があろう。 両氏は否定するが、事実関係を見ればこれは圧力だ。それを「圧力」と感じないなら、それも問題だ。 これまでさまざまな圧力で消えた番組も多いという。森首相が神の国発言をしたとき、記者会見の方法を教えたのはNHKの記者だったといわれている。NHKの会長と政権党との関係についてもあれこれといわれている。 それでなくても、問題の噴出する現在のNHKである。「みなさまのNHK]という基本に戻って出直してほしいものだ。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 追記1、メディアは、今回告発したディレクターを見殺しにしてはならない。 追記2、書いていた途中で2回も日記を消してしまった。舌足らずだがこれで。
2005/01/14
TUPにインド洋大津波とイラク戦争を比較した痛烈な文章が紹介されていた。その中で特に関心を持った部分を以下引用する ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 津波被害に対する米大統領の当初の「しみったれた」対応について、多く論評された。その中で多かったのが、ブッシュ大統領とイラク占領に米国が日々投じている途方もない額の金を比較したものであった。ブッシュ大統領が、津波被害国に対する援助を1500万ドルから3500万ドルに引き上げると発表した後、ヘザー・ヴォークシュは、次のように書いた。「ブッシュ政権はしみったれというのは、的はずれ。たんに優先順位が違うにすぎない。これまでのところで、ホワイトハウスは2005年財政年度に約一千億ドルをイラク占領に要求している。これは、ひと月当たり83億ドル、一日当たり2億7千万ドルである(同政権の当初の津波被害援助額の18倍以上にあたる)。イラクだけの数字でこれだ。(「しみったれですって? とんでもない、大量破壊兵器と戦争のためなら」)(訳注:ヘザー・ヴォークシュは、オーストリア在住のアメリカ人、フリーランス・ジャーナリスト) http://www.occupationwatch.org/article.php?id=8597 しかし、「有志連合」の片腕である英政府だって米政府と同じだと、ジョージ・モンビオは、イギリス住民の津波被害に対する惜しみない善意(英米政府とはまったく正反対である)を分析して述べている。「これまでのところ、米政府は津波被害者に3億5千万ドル提供すると約束している。これに対し、英政府は9600万ドル。米国はイラク戦争に1480億ドル支出した。これに対し、英国は115億ドル。戦争は、656日続いている。これでいくと、津波被害に米国が約束した金額は、イラクで使われている金の1日半分である。英国が出すといった金額は、英国のイラク戦費の5日半分である。戦費を海外援助総額と比較すると、もっとひどい。英国は、イラク以外の国々の窮状支援のための年支出総額の2倍の金額を使って、イラクに惨状をもたらしているのである。米国の海外援助額はわずか160億ドル余である。これまでイラクで浪費された金額9分の1にも足りない。」(「イラク戦争の犠牲者でもある津波被害者」)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ また、メディアへの痛烈な批判もある。以下引用。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 惨事に直面した米国メディアのもっともらしい二枚舌を痛烈に批判した2つの報道がある。「新聞紙面やテレビの画面は、海にさらわれる数々の死体、浜辺に散乱した変形した死体、ずらりと並んだ膨張した赤ん坊の死体でうめ尽くされている。災害のあらゆる面が、獲物を逃すまいとするメディアのレンズによって、きわめて細かなところまでなめるように描写されている」という事態に対して、マイク・ホィットニーは疑問を投げる。「テッド・コッペル(訳注:米ABCの有名アンカー)はほんの何日か前、メディアは神経質な視聴者に配慮して、イラク報道を自粛していると言ったばかりではなかったか。(コッペルは)死んだイラク人を写すのは「悪趣味」だ、アメリカ人視聴者は、そういう映像を見たら不快になるだろうと、お題目のように繰り返していたのではないか。」(「メディアの二枚舌、イラク対津波」) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ この二つの文章は日本政府や日本のメディアについても当てはまる。日本政府は、サマーワだででも一年間に300億円をこす費用を使っている。これからも継続する費用を考えれば、アメリカやイギリス政府への批判と同じことが言える。 戦争と災害と日米英政府の対応は、戦争を優先するものだが、これをみるだけでも、戦争というもののおろかさ、政府というものが、庶民の安全を考えてはいないということが明らかだ。 メディアについては、日本のメディアはイラク戦争でも自粛し、インド洋大津波でも自粛しているから、少し違うが、真実から目をそらすという点では、似たもの同士だ。 欧米のメディアが二枚舌なら、日本のメディアは、目蓋いをした馬である。見るべきものから目をそらしている。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 追記、NHKの放送番組に自民党幹部が干渉したことが明らかになった。以前から干渉がうわさされ、NHKが否定してきたことが、内部告発で明らかになった。 この件についても書きたいが、今日はここまで。
2005/01/13
共同通信配信「私の視点~改憲を探る・政界編」。今日は平沼赳夫氏だ。氏の文章は勇ましい。「現実世界は国益を愛する諸国民のエゴと横暴がある。それに自分たちの平和と安全を託すのは現実離れしている」とまず憲法前文をこきおろす。 「諸国民のエゴと横暴」という捉え方がまずおかしいし、憲法前文は手放しに平和と安全が実現するといっているのではないことを捻じ曲げている。憲法前文は平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、世界の平和を諸国民とともにする努力によって実現することを「誓って」いるのだ。 「この憲法があったから戦争に巻き込まれずに平和と反映が享受できたというのはおおうそ。」ともいう。実際は米国の核の傘に守られたのだという。 これもおかしい。米国の核の傘の下にいなくても、平和は守られたのではなかったか、むしろ朝鮮戦争、ベトナム戦争で日本が汚い役割を担わずにすんだのではないか。もっとも朝鮮戦争特需、ベトナム戦争特需による繁栄はなかたろうが。 「憲法は法治国家の一番の基本」といいことをいうが、基本を守ることをせず、間違っていたという。そして「今、忌わしき社会現象をたどると、憲法にたどり着かざるを得ない」とまでいうのだ。 自民党政権が戦後一貫して(途中ちょっと政権を離れることもあったが本質は変わらなかった)進めてきた政治の責任は意識的に忘れている。 結局氏が望むのは、「ほんの一瞬でいいから旧憲法の復元を宣言し、その上で時代に即した憲法にし、旧憲法に準拠して直すべきだ」ということだ。 氏は、現憲法の改憲手続きが手続きとして正等になされていることを歪曲する。そこから一時的に旧憲法の復元をというのだ。 だが、氏が本当にいいたいのは、そこにはない。本当に言いたいのは「旧憲法に準拠して」というところだ。旧憲法に準拠するとはどういうことか。それは、日本帝国憲法の骨格を生かすということだろう。 どこの憲法にも改憲の際、絶対手をつけてはいけないという基本原則が定められている。旧憲法に準拠するというのは、現憲法のその基本原則を日本帝国憲法の原則にいれかえようということだろう。 氏の意見が自民党の改憲論のどこに位置するかは、分からない。だが、こういう意見が大臣も務めた党の中核から出されるところに、自民党改憲論議の危うさがある。 氏の意見には、国民の幸福も平和な未来も期待できない。現憲法への憎悪と旧憲法への愛着から生まれる改憲は、たぶん国民にとって災厄でしかないだろう。
2005/01/12
愛媛新聞に「私の視点」というコラムがある。たぶん共同通信の配信だろう。今は「改憲を探る・政界編」で、今日は安倍晋三氏の意見が紹介されていた。 氏の改憲についての議論は雑誌でも読んだことがあるが、この記事でも同じことを書いていた。コラムだから字数制限があるが、氏の見解をしるには、これで十分だ。 氏は論点が三つあるという。 一つは、「憲法について素人の占領軍の若い人達が一週間ちょっとで書き上げたもので内容がよければいいというものではない。」制定過程が問題だという。 二つ目は、戦後60年経過して新しい価値観も生まれ「9条がいい例だが、時代にそぐわなくなった条文もある。」という。 三つ目は、「21世紀にふさわしい憲法を自分たちで書き上げるという精神こそが新しい時代を切り開いていく」「憲法改正は内閣を動かすエンジンとなる」という。 その上で、日米同盟の強化、集団的自衛権の行使は有効だという議論を展開する。 まず、三つ目から触れよう。氏は新しい時代像を明らかにしてない。その上で、新しい憲法をつくることが、希望に見たいた未来を開くかのように、気分的に誘導する。 だが、氏の描く未来像は戦争のできる国としての未来像であり、古色蒼然とした古い国家像を作ることであっても、新しい時代を切り開くものではない。 また、内閣を動かすエンジンになりうる課題は、山ほどある。すべきことで、放置されている課題も多い。改憲を内閣を動かすエンジンにするなどという発想は、迷惑以外のなにものでもない。 次に、一つ目、憲法の素人と玄人の違いをどう考えているのかしらないが、「素人が一週間ちょっとで書き上げた」ものでも、私たちにとっていい憲法ならそれでいいと考える。「内容がよければいいというものではない」という意見は、内容が気に食わないという意見の裏返しでしかない。 憲法には、世界と日本の多くの人の努力の過程の歴史と結果が反映されている。 また、制定過程を含めて私たちはそれを肯定的に受け入れたのである。 次に三つ目、60年たって新しい価値観も生まれたというのは、一般的にいえばそのとおりだ。だが、その結果時代にそぐわなくなった例として9条をあげているのは、詭弁である。 氏は改憲の中心を9条と考えているはずだし、他の場所では、そういっている。9条は「いい例」ではなく、氏の改憲論の中心目標である。 氏が新しい価値観云々とぼかしているが、後の集団自衛権、日米同盟についての意見が証明するとおり、9条こそが目障りなのだ。 要するに氏は、アメリカに更についづいし、アメリカの具世界戦略の片棒を担がせてもらう(集団的自衛権の発効)ために憲法を書き換えようといいたいのだろう。 氏は、集団的自衛権を認め、「日米同盟」を強化し、といった先にどのような明るい未来があるのか、その点については氏は明らかにしない。 アメリカが、世界の資源を我が物にし、経済的、政治的、文化的に世界を支配する、そのために戦力を世界に展開しようとしている。 そんなとき、その一翼を担って、あるいは、しっぽを振ってついていくこと、そのために改憲することは、決していいことではない。 「新しい時代を切り開く」という言葉どおりの希望に満ちた明るい未来を作るとは、現在の憲法を守り、現実のものとして生かす努力をすることだと思う。
2005/01/11
今日の朝日「声」欄に、「洪水の防止は私たちの悲願」という投書があった。兵庫県の円山川と稲葉川に挟まれた地域に住んでおり、台風23号の洪水で大きな被害を受けたという方だった。 住民が河川を管理する国や県に治水の要望を何度も重ねてきたのに、洪水が起こるたびに悲しさを味わってきた。今回の大被害で国は約900億円をかけて、堤防の修復や川床の浚渫をすることになった。この治水事業はその堤防すらないところに住む私たちには最初で最後のチャンスだととらえている。「本当に長い長い道のりを歩んできた悲願の事業だから。」 この投書を見ると堤防が決壊してやっと治水事業に取り組む県や国、堤防さえなくて毎度洪水になかされながら、放置されてきた住民=庶民という構図が伺える。国は庶民の安全を放置しながら有事法制などには熱心で、有事の手引きを各戸に配布する予定だという。 愛媛でも大洲という地域を流れる肱川に堤防のない箇所があってたびたび洪水に会っている。地域の住民は堤防の建設を訴えているが、県や国は、確かな返事をしない。その代わりに住民の反対を押し切って住民が必要ないというダムの建設を強行しようとしている。 兵庫の場合も、住民の要望を聞いておれば900億もの金は必要なかっただろう。大洲の場合も同じことが予想される。 国や県は、住民の安全を真剣に考えるよりも、大土木事業による利権のほうに目が向いているようだ。つまり、本当の有事、本当の安全にはなんの関心もないようである。 ここで浮かぶのが阪神大震災である。この地震については、専門家により早くから予測され、対策が要望されていた。だが、兵庫県と神戸市そして諸政党と多くの学者はこの声を無視した。それは、神戸市の開発中心の行政にとって邪魔なことだった。 早川和男氏の文章によると1974年神戸市役所内で重要な会議があった。それは、大阪市大と京都大が出した報告「臨海部に断層破砕帯があり、直下型地震によって神戸市街に壊滅的被害がある」という指摘に対する対策を検討する会議だった。 この会議で、警告を受け入れて対策を採るべきだという意見があったにもかかわらず、それは押しつぶされた。 それは、空港計画を進めるだめであり、市長や市長を支持する助役やその他の幹部が握りつぶしたのだった。 市長「とにかく、ああいう報告はなかったことにしよう。」 助役「防災基準の見直しはやらない。報告はボツ。これは市長の命令だ。学者があれこれいってきても報告は絶対認めないことにする。わかったな。」 こうして神戸新空港の建設計画と引き換えに防災対策はボツにされ、やがてあの大震災がやってくる。ここに象徴的に庶民、住民無視の行政の姿が見られる。 神戸市は震災後も空港建設を強行にすすめている。 庶民の安全への悲願に答える県は少なく、国は安全といって危機を招く行政を進め続けている。
2005/01/10
子安宣邦著『国家と祭祀』を読み終える。私にとっては無難しい本だったが、論旨は明快で、それ以上に筆者の情熱に打たれた。 その情熱は、あとがきをよんで納得できた。あとがきにいう。「小泉首相による公然たる靖国参拝という自国民とアジアの隣人たちに対する挑発的行為に、思想史家として私は答えねばならないと思っていた。」と。この本は十分その答えになりえている。 この本を読んで、国家神道、伊勢神宮、靖国神社をめぐる思想や言説を歴史的に把握出来、また、その批判も説得的だったが、そのことはここでは触れない。 ただ、この本を読みながら繰り返される次のような言葉に特に深く打たれたということだけをいっておきたい。 「この国家はもはや祀らないという憲法原則は、国家はもはや戦わないという憲法原則とともに、世界的な暴力の応酬のうちにある二十一世紀のいま、殺し合わない人間による国家の原則として大きな意味をもつと私は考えている。」 「だが、戦う国家とは祀る国家である。日本が戦う国家であり、したがって英霊たちを祀る国家であったことのなによりの証拠が靖国神社の存在であるのだ。靖国とともに連続が語られる国家とは戦う国家であり、英霊を祀る国家である。だからこそ自衛隊のイラク派兵を推進する小泉首相による靖国参拝は執拗に続けられるのである。」 「戦う国家とは英霊を作り出す国家であり、英霊を祀る国家であるゆえに、国家の宗教的行為もそれへの関与も憲法は禁じたのである。戦う国家を連続させない意志の表示であった戦争放棄と完全な政教分離をいう日本国憲法の原則は、いまいっそうその意義を増しているといえるだろう。」 このことは、世界的にも意義のあることだと強調する筆者のこれらの言葉に付け加える言葉はない。
2005/01/09
街へ出た帰り、喫茶店でやすんで帰る。そこで、コーヒーを飲みながら購入した本をぺらぺらめくったりして、しばらく時間をすごす。 以前から気づいていたのだが、はやっている幾つかの喫茶店で、もうもうとタバコの煙が立ち込めていることが多い。 先日寄った店でも相変わらず、煙が流れていた。我慢してレジにたった時、ふと見ると禁煙コーナーという表示があった。 奥まった狭い空間がその禁煙コーナーらしい。すると、今まで私が座っていた場所は喫煙可能な場所なのだ。 禁煙可能な場所は広々としているのに、禁煙コーナーはいかにも狭い。経営者は、喫煙者を優遇することで、店の経営を維持しようというつもりかもしれない。 でも、喫煙者も減った時代、禁煙が叫ばれたいる時代、これは逆にしてほしいと思う。タバコを吸うことには賛成できないが、反対もしない。 ただ、喫茶店は禁煙にして、ゆっくりとコーヒーを味わいたい。それが無理なら、喫煙可能の場所と禁煙コーナーの比率を変えてほしい。喫煙者はその逆を思うだろうが。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ インド洋大津波(最近この言い方が増えてきた)への各国の支援金額や個人の大口募金がメディアを賑わしている。 募金はそれぞれの懐と相談してすればいいので、私もほんのわずかだが、募金をした。 それにしても、大口募金をする人もいてそれはそれで感心する。日本では松井選手が5000万円募金した。 その一方で、○○選手や○○選手など、何億もの収入を得ているスター選手が、ゴシップを賑わすけれどもそういうことには一向に反応しないのにまた感心(?)する。 スター選手ばかり上げたが、その他の有名人も同じだ。 大もうけしている大企業も反応は鈍いようだ。 新潟大震災の際には、ボランティア、募金とかなりの人達が協力した。その際にも先ほどあげた人達や企業は冷たかった。 責めるつもりはないけれど、もうすこし社会への関心、社会への還元、お礼を考えてもいいのではないだろうか。 追記、各種団体ほかの動きもなぜか鈍く感じる。アジアだからだろうか。
2005/01/08
ずいぶん冬らしくなってきた。北風が吹くころになると、麦踏のことが思い出される。うちは農家だったから、手伝いをよくしたものだ。麦踏もそのひとつだった。 寒い中、麦畑の畝の上に上がって、体を横にして横にずれながら一歩ずつ踏んでいく。そのうち体がぽかぽかしてくる。頭の中では、あれこれとたわいのない思いが浮かんでは消える。 ずっしずっしと踏んでやると、麦は大地に根を張る。そうしてよくぶんけつする。だから、真っ白な石鎚を見ながら踏んでいく。 そんな光景ももう見られない。第一麦を作付けする農家がすくない。植えても畝を立てず、種は直に機会でばら撒く。もう麦踏は必要ではない。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 18日の党大会で採択する自民党の運動方針案が決まったという。そのなかで、気になったことが二つある。ひとつは教育基本法を年内改正するという方針。もうひとつは、靖国参拝の必要性を記述していること。他にも異論はたくさんあるが、ここでは触れない。 教育基本法はよくできた法であり、改正の必要を認めない。教育に問題があるにしても、それは基本法の問題ではなく、ひとえに社会のあり方と自民党・文部省の教育政策、教育行政に責任があると私は思っている。 靖国参拝は、かつて日本帝国の戦争を支えた神社をそのままに、継続させ、ひいては過去と同じによみがえらせることであり、歴史の見直しと過去の正当化につながっている。 戦争に向かおうとする自民党の諸政策との関連の中に位置づけるとき、どのように意義付けようと賛成できない。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ インド洋大津波で、各国がぞくぞくと支援していることはいいことだと思う。報道には、それぞれの思惑に触れるものもあるし、被害国にもさまざまな問題があるらしいが、それはそれとして確認した上で、必要な援助はすべきだろう。 インド洋大津波の報道を見聞きしていてきになることがある。それは、日本人で連絡の取れない人の数がさまざまにゆれていることだ。 現地や東京で、直接実務に携わっている人たちは、大変だとは思うし、簡単に確認できることではないかもしれないが、外務省にはもっともっと努力してほしいと思う。 一部の報道によると、被害者に帰国証明書を発行するのに諸外国は無料なのに、日本は有料だという。外務省の公金流用まではいわないが、政府として無料にするのが当然だとおもう。証明書を必要とするような人達はかなりのものを失っていると思うからだ。 そのほかにも幾つかの不手際がいわれている。現地で努力している人達は精一杯なのだろうから、本省の役人たちがしっかりとサポートすべきだろう。
2005/01/07
年に一回組(自治会にあたる)を通じて、伊勢神宮の大麻(お札)の頒布がある。私は断っているが、こういうやり方はおかしい。あれこれたくさんある宗教がこのようなことをはじめたら、皆さんどう考えるのだろう。 昨日、ちょっと書いたが、民主党の岡田代表が伊勢神宮に参拝した。民主党は菅代表時代から継続して参拝している。なぜわざわざ東京から伊勢神宮まで参拝に行くのだろう。それも、小泉首相の靖国参拝を批判する党がである。 伊勢神宮は明治以降以下のような存在だった。「そもそも当大神宮は、申すもかしこきことながらも、我皇室の御大祖にましまして帝国最高の御宮なれば、朝廷の御尊崇もまた格別にして、祭主の宮をおきてこれを祀らしめ給い、国家の大事、皇室の吉兆、即ち宣戦、講和、即位、成婚等のごとき必ず先ず、当大神宮に報奏せらるるを例となさるるなり。今や我国は国威八紘に揚がり、御稜威(みいつ)は年とともに盛んなるを見ても、帝国の臣民なるものは誰かこの天祖の鴻業と、大いとくとを仰ぎ尊ばざるものあらんや。」(大正二年『御神徳記』) 伊勢神宮は皇室の祖先を祭る場所であると同時に「帝国の大祀」であって、「国家神道の中心に位置し、国家神道そのものを構成する最高の神的施設」であったし、あろうとしている。 平成五年(1993年)の式年遷宮を前に伊勢神宮から出されたメッセージには「今回で第61回の神宮式年遷宮は、日本民族が、そこで根源的なおのれの始源に立ち帰り、本当の自分に対面する。」とあり、大神宮が「日本民族の始源」だとなお主張し続けているという。 自民党の党首が毎年伊勢に向かうのは、このような思想をなお維持しているからだ。小泉首相の「初詣」も単なる初詣ではない。単なる初詣なら、(それも問題になる可能性があるが)近くの神社でもいいはずだ。 民主党の代表が伊勢へ行くというのも、同じだ。 このような党が改憲をいい、その中で「伝統」をいうとき、危ういものを感じるのは、私だけだろうか。 初詣も国家神道も伝統などではない。それを「伝統」といい国家の支柱としようとする考えが自民党党首や民主党代表の中にあると、繰り返される伊勢神宮初詣に思う。 振り返れば、日本が敗戦したとき、時の天皇(昭和天皇)が最初に赴いて敗戦を報告しわびたのは伊勢神宮だった。 (資料は子安宣邦著『国家と祭祀』から)
2005/01/06
「これまだだいじょうぶじゃろうか?」と連れ合いが聞く。「そこになんと書いてある」と私が聞きかえす。冷蔵庫に詰め込んでいるうちに期限切れになることがよくあるのだ。 そこで「消費期限」と「賞味期限」が問題になった。あちらには消費期限とあり、こちらには賞味期限とあるというのだ。 調べてみると、こんなことが分かった。 「消費期限」は、お惣菜や生菓子など、傷みやすくおおむね製造から五日以内に消費したほうがいいものをいい、この期間内になるべく早く食べてくださいということ。それを過ぎると品質が落ちて危ない。 「賞味期限」や「品質保持期限」は、もう少し長持ちするものでこの期間内だとおいしく食べられるということ。メーカーが自主的に表示するものでこれが過ぎたら食べられないというものではない。 というわけで、消費期限の過ぎたものは捨て、賞味期限の過ぎたものは、ものによって捨てたり食べたりした。 振り返ってみれば、私の子供のころにはこんな表示はなかった。そんなに長持ちするものは少なかったし、大丈夫かどうかは、自分の目と舌と鼻で判断した。 現在の大量輸入、大量製造、大量消費、そして大量に捨てる食生活は、この消費期限、賞味期限と一緒に、つまり防腐剤、添加物とともに、やってきた。これらの言葉は、私たちの大量消費生活とそれと引き換えに失ったものの象徴かもしれない。 考えてみれば、私自身もその文化の中にどっぷりと浸かっていたわけだ。つつましい消費生活を送っているつもりでも気が付いてみれば、これだけ捨てている。 飽食と飢餓が同居する世界、その一方の側に住んで、今日も「期限切れ」の食品を捨てている。 我が家では、食べ余して捨てるということがないのが、まだ救いかなどと自分を慰めながら。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ *小泉首相は、防衛庁の防衛省への格上げについて、なんの問題もないと発言。いかにも、軍事に突出し、災害には目を向けない首相らしい。 *小泉、岡田と自民、民主の党首が、相次いで伊勢神宮に参拝。天皇の祖先神を祀り、戦前国家神道の総元締めであった神社にわざわざ東京から行くことはない。小泉氏の意図は明白なように思うが、民主岡田氏の意図も同じなのだろう。民主、自民、同じ穴のむじなだ。
2005/01/05
自民党の「憲法改正」論議の中で「伝統」が云々されている。論議を通じて浮かんでくるものはあるが、言葉として明確に定義されたものはないようだ。そこにうさんくさいものを感じる。 敗戦以前、家制度というものがあったこれが日本の伝統とされることがあった。実際は、明治憲法下の法制度に基づき、造られたものであった。 大塚英志氏によれば「明治政府がドイツ民法をモデルに導入した「戸主」によって「家」を代表させ、さらに「万世一系」の「天皇」という国家の「戸主」を根拠づけるため」「戸籍」に血統性を導入した結果として、ぼくたちが、今、なんとなく信じている「日本の伝統としての家制度」が出来上がったのである。」(『「伝統」とは何か』ちくま新書) さらにいえば、明治政府は民法をつくり、戸籍法をつくり、平民苗字必称令により苗字を強制して、家を造った。 山下惣一氏によれば「明治民法」の「家」は、祖先から子孫へ主として父の血統によって連続されるものとされ、一家の長である戸主には一家を統轄するための家長権が与えられた。家のうちでは上下の身分関係、長幼の序、男尊女卑、支配と服従、恩と報恩が支配し、これが家や村の秩序となり、さらには天皇、天皇家を本家、国民はその分家、赤子と考えられ、天皇家を宗家とする家族国家観が定着していく。」というわけだ。 自民党の論議の中には、このような家族観も伺える。また、こういったものを伝統のうちに含めているようにうかがえる。 自民党の改憲案の思想の背景にある国家観を支える「伝統」なるものの中身がどういうものであるか。注意しなければならない。 抽象的で美しい言葉の背後に隠された思想に注意したいものだ。
2005/01/04
子供のころ初詣は、今ほど盛んではなかった。地元の稲荷神社は今でもほとんど参る人はいない。 初詣の習慣はもともとなかった、それが普及したのは日清戦争のころからだといわれる。 そもそも一月一日は天皇家にとって重大な祭祀が行われる日であり、学校教育を通じて元旦を祝うという習慣が普及したらしい。これとの関連で元旦の初詣も普及したらしい。 ある神社のホームページには、元日祭、一年の幕開けにご皇室のいやさか~祈念云々とあるという。 皇室の祭祀、学校教育、初詣の習慣化という流れだ。そして今では神社の商売上手とあいまって多くの人たちがなんということもなく参っているということになる。 別にどうでもいいことだが、日本の伝統とか、日本人なら初詣は当たり前という人がいるので(たとえば小泉首相)初詣の習慣はもともとなかったことを一言。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 日本が初詣とテレビの時間つぶし番組で過ぎているころ、インド洋大津波の被災者は大変な時間を過ごしていた。 この日、多くの犠牲者行方不明者を出した北欧諸国は半旗を掲げたり、新年の式典を取りやめるなど服喪の元旦を送ったという。 ここで、あらためて心から哀悼の気持ちをささげたい。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ NHKは、紅白歌合戦などというつまらない番組に浮かれて、大津波の救援募金などの呼びかけをしていない。民放も一部を除いては同じ、新聞も同じだ。どうしてだろう。 もしかして、アジア無視、アメリカべったりのせいなのだろうか。
2005/01/03
新たしき年の初めの初雪の庭に降りしくすがすがし朝 朝方、激しく軒を打つ音。起きて戸を開けると庭一面薄く白く雪が積もっている。降っていた雪もやがてやみ、空は青々と快晴。さすがの私も、新しい年になったという感を持つ。 賀状を読む。皆さん新しい年の希望を語っておられる。さんざんな昨年だったし、今年も更に悪くなると判断されるが、私もささやかながら希望に向かって今年をはじめたいと願う。
2005/01/01
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