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鎌田慧さんが、自給自足で生活する家族を紹介している。(「週刊金曜日600号)心温まるいいルポである。 そのルポの終わりで、鎌田さんはこういっている。 「生産者と消費者を限りなく疎遠にする、米国の「グローバリゼーション」に追随して、BSEと鳥インフルエンザの危険に曝し、食糧の自給率を低下させてきた日本政府は、亡国の政府である。」 確かに亡国の政府だ。その亡国の政府は、アメリカと東京など大都市にしか目を向けず、地方などないかのようだ。 昨日、竹中平蔵氏は、地方交付税削減可能最大6兆円という試算を発表した。06年度の地方交付税総額は15兆9千億円だから、試算どおり削減されたら4割近いカットになる。 今地方交付税なしに財政を運営できる自治体は東京都他、いくつもないだろう。税源移譲がなされてももともとまずしい自治体はますますまずしくなるだけだ。 財政がそのように窮乏化すれば、地方住民の生活と安全は保障されない。災害に無防備になり、福祉は削られ、高負担に生活は追い詰められる。 竹中平蔵氏や小泉内閣には、大都市東京と大企業そしてアメリカ政府しか視野にないかのようである。 切り捨てられる地方、切り捨てられる底辺。東京と地方の距離は疎遠になるばかりである。
2006/03/31
恩田陸さんの常野物語シリーズを読んだ。第二作は『蒲公英草紙』だ。 蒲公英草紙は、とある里村が舞台で、どこかに実在するかのようによく書けている。その村を舞台に超能力を持った常野(とこの)一族の人たちが大切な役割をもって活躍する。 蒲公英草紙の舞台に蒲公英の咲く小さな丘が出てくる。この丘の描写を呼んだ時、なぜか既視感を持った。どこかで、出会ったような。 子どもの頃、川の堤防と川原の間に小さな土の山があった。そこには、さまざまな草が茂っていた。春にはもちろん蒲公英も咲いた。 この小さな丘ともいえない土の山がたぶん、この作品の丘とつながったのだ。読みながら、春の暖かい陽射しのなかに咲く蒲公英の花が浮かんできた。 恩田陸の常野シリーズの三作品は、『光の帝国』『蒲公英草紙』『エンド・ゲーム』だが、完成度もこの順のようにおもう。 だが、蒲公英草紙は、舞台となる村と丘の描写ゆえに、また、違った親しみが持てた。 蒲公英の咲く丘などは、もう、ほとんどないのではないだろうか。 *蒲公英=タンポポ
2006/03/30
世界のみ方はいろいろある。この本は石油というエネルギー資源からみた国際政治について述べる。 ピークオイル論というのがある。世界の石油資源は算出のピークを迎えているという理論である。それについてはさまざまに言われているが著者は、その立場に立つ。 アメリカ政府は、この立場も視野に入れて、石油資源獲得ため、さまざまな戦略を展開している。 「アメリカの最大に戦略的課題は中東、中央アジアにおけるエネルギー資源の軍事的、戦略的確保である。これを果たせば、中東から調達した安い資源を、中国やEUや東アジアといった、今後のアメリカのライバルとなりうる地域に、政治的・軍事的協力と引き換えに供給を保障して、これらの地域に対する影響力も確保することが可能である。」 そのためにアメリカはさまざまな戦略を展開するのだが、特に将来の対抗相手とみなす中国のエネルギー政策を分断し孤立させるためにあらゆる手を打っている。 中国は、その網を破るためまた、さまざまな戦略を展開している。 アメリカの製油資源獲得の欲望は、世界各地で紛争を起こし、分断と介入による統治によって石油資源を確保しようとしている。 以上、筆者の述べることの一端を見ただけでも、石油資源をめぐる世界政治の複雑さが伺える。アメリカ、中国、ロシア、EUといった国々を中心に産油国、その周辺の国々を巻き込んで世界政治は複雑を極める。 筆者は、その複雑な姿を歴史的にまた、現在の政治状況から分かりやすく解析してみせる。 この複雑さが分かれば、わが国の外務省、政府、政治家がうまく乗り越えられるか心配になる。 筆者はいう。 「アメリカ国家財政の危険な状況を考えれば、膨大な国民的貯蓄(郵貯)を持った日本を、アメリカが自国の対中軍事戦略の保証人として引き込もうとしている理由は一目瞭然だ。『なぜ、中国との歴史的対抗関係はともかくとして、日本がこうしたアメリカの政策に唯々諾々と従うのかという点にかんする理由は明らかではない』とアメリカのメディアも首をかしげている。」 この本を読むと、中国を安易に「脅威」としたり(「防衛白書」)、いたずらに刺激しあおることは、アメリカの利益になっても、日本の利益にはならないと思える。 『石油と戦争』エネルギー地政学から読む国際政治 中堂幸政著 現代書館発行
2006/03/29
「自衛」を名目に軍事拡大がなし崩しに進んでゆく。自民党は、「自衛」のための宇宙利用を法制化しようとしている。 下のニュースはヨミウリオンラインからの転載である。この記事によるかぎりでは、自民党は宇宙利用の危険性と膨大な費用(それは軍需産業にとっては利益)の拡大とを曖昧にしている。 あらゆる戦争は「自衛」を口実にする。現在ある憲法違反の悪法でも、ミサイル発射の準備段階での攻撃が可能かどうかが、国会で議論になったことがある。 宇宙利用の解禁は、宇宙からの先制攻撃を可能にするものだ。宇宙からの攻撃は甚大な被害をもたらす。 また、宇宙利用の解禁は産業界に膨大な利益をもたらすだろうが、それは同時に、今でも膨大な借金を背負っている国家財政、つまり国民の負担を更に増大することになる。 この法は、憲法の理念にも反する。 宇宙の軍事利用などどのような名目であれすべきではない。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~(以下転載)「自衛権の範囲」明記、宇宙利用法案を次期国会に提出 宇宙空間の利用を「非軍事に限る」として厳しい制限を課してきた政府の平和利用原則を改めるため、自民党は、「自衛権の範囲内ならば利用可能」とする新法「宇宙活動基本法」(仮称)を議員立法で策定する方針を固めた。 防衛目的や、防災・災害復興などで自衛隊の宇宙利用に道を開くとともに、宇宙産業のすそ野を広げるのが狙い。8月までに具体案を作り、次期通常国会に提出する。 国会は1969年、国連宇宙条約に基づき「宇宙は平和利用に限る」と決議し、当時の政府はこれを「非軍事」と解釈した。このため、自衛隊は自前の偵察衛星を開発できないなど、宇宙での活動が厳しく制限された。国内での宇宙利用は、技術実証や科学研究分野に偏り、宇宙関連産業は停滞している。 これに対し、米欧露などの宇宙大国は条約の趣旨を「攻撃的でない軍事利用」と解釈し、軍が偵察衛星の打ち上げなどで積極的に宇宙を利用。宇宙産業界も共に成長し、全地球測位システム(GPS)など市民の生活にも役立つ技術が生まれ、関連ビジネスも活性化している。 同党は、現状では、利用価値の高い宇宙空間を十分に生かし切れないとみて、対応策を検討してきた。その結果、新たな国会決議は、全会一致が原則で対応に時間がかかるため、法律で宇宙利用を「自衛権の範囲」と明確に規定し、「非軍事」の政府解釈を修正することが最善と判断した。 新法により、自衛隊による高性能の偵察衛星や、弾道ミサイルの発射を検知する早期警戒衛星の打ち上げなどが可能になり、テロ拡大など国際情勢が不安定化する中、国民の安全確保のための手段が増える。世界で起きた災害の復興や防災対策などの国際貢献活動にも道が広がり、宇宙産業の活性化にもつながると期待される。 立法化方針は、あす28日に開く党宇宙開発特別委員会小委員会(河村建夫委員長)で確認し、8月までに具体案を策定する。内閣に宇宙政策を担う特命大臣を置くことも併せて検討する。 (読売新聞) - 3月27日14時40分更新
2006/03/28
日本は迎撃ミサイル網の導入を決めている。テポドン騒ぎなどでそれは北朝鮮に向いて設置されると思っている人が多いのではないか。 ところが喜納昌吉さんは、それは中国へ向いているのだという。アメリカ軍再編成の柱の一つが対中国戦略であり、米中戦争の危機が生じた際、アメリカへ向かう前に撃墜するのが狙いだというのである。 迎撃ミサイルは攻撃ミサイルでもありうるから、日本に導入される迎撃ミサイル網は、攻撃ミサイル網でもあるというのである。 喜納さんによれば、アメリカは戦争の初期には、自らが先頭に出ることがあっても途中で代理戦争をさせるのが常套手段だという。アメリカ軍再編の中での日本と自衛隊の位置づけは、自衛隊傭兵化だという。 座間への司令部移転、沖縄のアメリカ海兵隊再編、辺古野基地の拡大強化は、そう考えると理解できるという。 韓国では、米軍が平澤へ集中され、18度線の前線から引き上げられつつある。これは北朝鮮からの近距離攻撃をさけるためのものらしいが、日本でも新しい戦略武器の使用と司令部の配置、攻撃部隊の再配置により、攻撃を受けることによる損耗を最小のものにしながら、攻撃力をより速く、協力に行使できる体制をつくろうとしているというのだろう。 そう考えると、喜納さんの考えも考えに入れておくべき指摘だと思える。 米軍再編は、全世界的なものといいながら、実質は、アジア地域が中心になっているようだ。アジア全体を米軍の統制下、支配下におくというのがその狙いだと思うが、その際に、日本がアメリカの傭兵として使われる危険性について十分な配慮が必要だ。 その際、アメリカの対中国戦略を見落としてはならないというのが喜納さんの指摘だが、改めて考えさせられた。(注) 喜納昌吉さんとダグラス・ラミスさんの対談『反戦平和の手帖』(集英社新書)のあるページから感じたことを書いた。
2006/03/27
珈琲を飲みながら、ゆったりと読みたい、そんな本だ。長くても4ページ短いのは2ページの短いエッセイを集めた文庫だ。こんなに豊かで、味わい深い、楽しいエッセイ集が495円(本体)だ。 言葉について、出会いについて、毎日の生活のエピソードについて、アメリカに住んでいた頃の思い出について、美しい文章で、ほんわかと温かく包みながら、微笑ませ、笑わせ、ホーッと感心させてくれる。 ビナードという人の著作にというより、人に出会ったことは幸せだ。 この本は、小さな楽しい知識の宝庫でもある。分かりやすい文章の向こうに、筆者の経験と教養の厚みが感じられる。さりげなく、起重機のクレーンがカマキリ(英語でクレーン)に由来することを紹介したりする。 柔軟で視野の広い筆者は、アメリカと日本の社会に起こっていること、政治についてもさりげなく触れる。その指摘は鋭い。 アメリカでは釣堀に似た狩猟センターで、輸入されたライオンやキリンやシマウマといった動物が一頭につき数千ドルはらえば射撃できる。(殺せる) 世論調査がいかにごまかしであるかという批判。 なかでも「戦争とWARの違い」で、戦争と国防を使い分けながら果てしなく戦争を拡大しているアメリカ政府を批判しているのは見事だ。 短い文章を集めた、小さな文庫だが、手に入れて読んで、豊かな気持ちになり嬉しかった本だった。 (注)集英社文庫
2006/03/26
小泉首相は、構造改革がうまくいっているという。その根拠として景気が上向いていることその他を挙げている。 小泉首相は構造改革ということばを定義せず、政策もあいまいなままに声高に叫び続けた。実質、構造改革は財界の意のままの国をつくることになてている。削れるところは削り、すべてを財界に貢ぐというやり方である。 構造改革で国の膨大な借金がなくなると思わせながら、そうはなっていない。国の借金は増える一方だし、地方も中小企業も底辺層も救われてはいない。大企業ばかりが儲けを謳歌している。 繰り返しになるが不思議なのは、国の借金が05年末現在で813兆円にもなり、9月から12月末までだけで14兆1628億円も増えていることだ。国家公務員住宅を売るなどといっているが、ふざけるにもほどがある。 国と地方を合わせると1千兆円を超すという借金を政治家たちはどのようにしてなくすつもりだろう。 さらに不思議なのは、05年末の家計金融資産が1500兆円もあるということだ。預貯金が減り株や国債が増えているということだが、国の借金が増え続けているのだ。 こうみてくると政権党の構造改革が欺瞞だということが分かる。一部上層部を除いた国民から絞れるだけ絞り、借金はしほうだい、その支払いも、多数の国民に押し付ける。 一方大企業を中心とする財界は、肥えふとる。 マスメディアは、こうした「構造改革」を支持し宣伝する。 こうして国の借金は増え続け、偽「構造改革」に財界は潤い続ける。
2006/03/25
ライブドア騒動と偽メール騒動で、メディアも政界も覆いつくされた。その陰で「粛々と」(政治家はこのことばが好きだなあ)予算は成立した。 この騒動で、BSE事件や自衛隊の談合、格差の問題、医療費値上げ、増税その他、無数にあった重要課題がどこかへ消し飛んだ。 マスメディアは、この騒動を増幅することで、政権党の弱みに触れなくてすんだ。というよりも、そうするたまに大騒動を起こしたのかもしれない。 政権与党は、もちろんことさらに大騒動にすることで、すべてを隠すことに成功した。 小泉首相などは、運がいいと露骨に喜んで見せた。 そうした状況を生み出させた民主党と永田議員の責任は大きい。 陰謀説の好きな人なら、前原、小泉とマスメディアの演出を考えるかもしれないほど、稚拙な誤りで政権与党を救った。 隠された、忘れてはならないものに、イラク問題もある。イラク派平三年、派兵された自衛隊が何をしたのか、アメリカブッシュ政権の嘘があばかれ、イラク攻撃の失敗が言われる今、自衛隊派兵の誤りをはっきりとすべきということ。 また、イラン攻撃へが噂される今、日本政府はなおアメリカついづいを続けるのかどうかといった問題も。 笑うのは誰か。それは、あまりにも見えすぎている。
2006/03/24
やたらにカタカナ語を使う人たちにいい感じをもたない。だが、カタカナ語使用自体に反対であったり、不快感を持っているわけではない。 ところが、ジェンダーフリーということばに大変不快感を持ち、使用に反対する人達がいるらしい。それは自由だが、その人たちは、更に言葉狩り、抑圧、言論思想の自由を奪うというようなことをしているらしい。 全国のあちこちでジェンダーフリーということばを使わないように圧力をかけたり、ジェンダーフリーということばが使用される行事を妨害したり、関連して教育の中身に介入してりする。 東京都などは特に熱心で、昨年7月国分寺市内の公民館が講演会に上野千鶴子氏を招くことに決め、都に打診したところ、ジェンダーフリーということばを使わない方針を打ち出している都が、「都の見解に触れるのでは」と再検討を求め、結局講演は中止になったという。(3月23日 朝日) ジェンダーフリーということに反対している人たちは、適当な訳語があればそれで言いということでもないらしい。この人たちは、この言葉の背後にある思想に反対しているらしいのである。 その反対の根拠には、全く性差を捨て去るのだとか歪曲や曲解がある。それ以上に女性はこうあるべきだという思考がある。 自らの考えを是認、前提とし、他の考えを圧迫あるいは排除しようとするのは思想狩りとでもいうべきものだ。 私自身は、ジェンダーフリーというアメリカ語に分かりやすい訳語はないものかと思うもののそれ以上の抵抗感はない。 ジェンダーフリーという言葉を利用しながら、その背後にある考えを排除、抑圧使用としている人たちは、戦前の民法にあるような家族のあり方を理想としているようにさえ思えることがある。 だが、今空騒ぎをしている少子高齢化をちょっと考えても、そんな生き方が出来る世の中ではないし、ジェンダーフリーはこれからも進んでいくと思われる。 とはいえ、恐いのは「日の丸・君が代」強制と連動するかのようなこの動きが更に他の動きと連動して抑圧社会を推し進めることである。
2006/03/23
レイテ島での土砂災害についての凄まじさが「DAYS JAPAN」 4月号に掲載されている。新聞やテレビでは分からなかった凄まじさが一枚の写真によってわかる。 写真に添えられた文章によると、麓の村を襲った土砂は厚さ28メートル、9階建てのビルの高さに相当する量だという。写真には丘のように大きな土砂を掘り起こしている人たちの姿が写っている。 このような災害が起こったのは、天災の要素ももちろんある。複数の断層、2週間にわたり、例年の4倍以上の雨が降ったこと。 だが、以前にも書いた人災の要素も大きい。同じ文章によると、山が容易に崩れた原因に森林をココヤシ農園に変えたためだとある。環境を無視して開発したしっぺ返し、犠牲者は、その開発をした農園主ではなく、住民とその家族だとのべる。 同文章の筆者によれば熱帯雨林の伐採調査をフィリピンで現地調査した際、レイテ島がある中部の島々を小型飛行機を上空からみると、多くの島は赤土の中に緑がかろうじて残っている程度だったという。 森林の木は港に運ばれたあと、日本の商社の審査を受けていたが、木の中に空洞があるとわかって捨てられる木が四割もあり、目の前に数万本の原木が擦れられていたという。 ココヤシにせよ原木にせよ、それは日本に運ばれて消費されるのだろう。フィリピンの自然破壊に日本だけ責任があるとはいはないが、日本の責任も大きい。 この一枚の写真と添えられた文章を読みながら、世界で行われている同じような「開発」と「大量消費」の罪の大きさを思うのである。
2006/03/22
お彼岸できょうだいが集まった。私が一番年下で、私以外は女ばかりだ。話がはずんだ。話はあちこちととびまわり、戦争の時の話になった。姉たちはみな子ども時代に戦争を経験しているのだ。 経験しているといっても女だから、周りの出来事が中心になる。 当時、私たちの村は純農村で、田圃のなかにあちこち集落が固まっていた。その田圃の中で働いている人、あぜ道を歩いていた人も牛などの動物も動いているものはグラマン戦闘機に狙われた。 ある人は家の中に退避していたのに屋根を貫いた銃弾に膝を射抜かれたという。 ある日、グラマンが重信川の川原に墜ちた。そこへ駆けつけた人たちが焼けた操縦士の死体にどのようなことをしたかは、以前に書いたことがある。 さて、今回の話では、焼け残った地図があり、それを広げると一軒、一軒の家、一つ一つの道路まで、詳細に描かれていた。松山にあった航空隊も詳細に描かれていた。 「あれでは戦争に勝てるはずがなかった」というのが、今の姉たちの感想である。 もっとも、姉たちによると、山本五十六の搭乗機が撃墜された時点で父は友人に「特高にきかれたらおおごと」といいながら「日本は負ける」と話していたという。 父はずっと以前に亡くなっている。兵士として応召された兄も亡くなった。予科練を落ちた兄も亡くなった。 こうして戦争の記憶は日々に消えて行きつつある。だが、こうして生き残った者が語るたびに戦争の違った面が見えてくる。 愚かな戦争の愚かさと、それを支持した愚かさについての反省を受け伝えていくことなしに、戦争への暴走はやまない。そんなことを考えながら、姉たちの話に耳を傾けた。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 日本とキューバの決勝戦は見ごたえがあった。私は王さんをずっと応援しているので、勝利はうれしい。 姉たちと話ている途中で試合は終った。両軍の選手たちに拍手。王さんにおめでとうを言った。
2006/03/21
先日、山間の小さな集落に行った。以前は村だったが、今はこんな小さな集落は自治体として存在できない。 山に囲まれた緩やかに傾斜した集落の真ん中を谷川が流れている。幅6,7メートル、深さ4,5メートルにすぎないこの川は、途中でたくさんの谷川と合流しながら、肱川に流れ込む。このあたりはその川の源流地域ともいえる。 昨年、豪雨がこのあたり一体を襲った。水は山から滝のように山肌や斜面を流れくだり、この川があやうく溢れそうになったそうだ。川に掛けられていた橋の一つが流木のために折れ曲がった。 その山山は杉林が多い。昨年は、よくわからなかったが今回は冬の終わりのせいか、杉林の中のようすがよくわかった。 倒木が乱れている杉林が多い。そこに小さな土砂崩れがある。そういう光景があっちにもこっちにもあった。この谷川の源流地域は荒れていることがよくわかった。 ということは、肱川という大河の源流地域のひとつが荒れ果てているということだ。源流地域に溢れるほどになった水は、下流で合流すれば、どうなるか。 肱川は毎年のように氾濫している。それは、昔の氾濫原が開発されて住宅地になったこともあるが、このような源流地域の荒廃が増大させているのではないかと思う。 異常気象のつづく今、こうして人に見捨てられ荒廃した土地の拡大がその被害を増すことになんらかの対策が必要だ。その影響はやがて都市にも及ぶ時がくるだろうが、その時では遅すぎる。
2006/03/20
昨日は講演を聞きに行く。高崎宗司さんの講演だ。植民地時代の朝鮮では、日本人は日本人だけで住み、韓国人と交流することはまれだった。そういう時代に韓国人の立場で、韓国人を擁護した人物、吉野作造や浅川巧や柳宗悦について話された。 吉野は、植民地についてはある程度あきらめていたようだが、3・1独立運動をはじめ韓国人の立場を擁護し、関東大震災の際の朝鮮人虐殺についての詳細な調査を残している。 浅川巧は、朝鮮の山々に木を植える官吏としての仕事をしながら韓国人と生活をともにし、韓国の文化を愛し、守って、今でも深く尊敬されている。 柳宗悦は、浅川からの影響で韓国文化に接し、それを深く愛し、守った。かれも今も尊敬されている人物だ。 この三人について詳細に話された。植民地時代の朝鮮については、韓国、日本双方からさまざまなことが言われているが、このような人物がいたことは、救いであり、誇りである。 とかく政治的レベルで対立しがちな、両国関係だが、このような一般人のレベルでの交流でそれを乗り越えたいものだと考えさせられた。 なお、愛媛には、上甲米太郎や乗松雅休のように植民地時代、韓国の人たちのために献身した人たちもいる。こういう人たちをもっと知ってもらう作業も必要だと思った。
2006/03/19
ずっと以前に、54歳で亡くなった兄は気が弱かった。気の弱い私から見てそうみえるほどだったその兄が予科練に応募したことがある。でも、適性検査で目を回し不合格になったという。 私とその兄は年がかなり開いているので、聞いたはなしだが、よくその気になったものだ。 その後、本で読んだり、人に聞いた話では、周りの雰囲気や教師の勧めが大きかったらしい。いずれもつくられたものである。 弱気な兄はその後、なんとか54歳まで生き延びたのだが、もし合格しておれば特攻隊でいのちを落としていたかもしれない。 戦争が終って、予科練行きを進めた教師は誰も責任を足らなかった。戦争に協力した教師のほとんどが、きちんと総括せず、責任について考えず、知らぬふりをするか、逃げた。そして、ちゃっかりと「民主主義教育」を唱えた。 戦後平和教育、民主主義教育が今、ほとんど覆されようとしているのも、そこに原点があるのではないだろうか。 もっとも、厳しい総括、反省、吟味、責任の追及がなされなかったのは、ほとんどすべての分野にいたる。戦前、戦中の残滓は今もいたるところにのこり、息を吹き返そうとしているかのようだ。 さる雑誌で、元予科練生の投書を読んで浮かんだことである。
2006/03/17
国が教育費について税源移譲をした場合の試算が以前報道されていた。それによると、ほとんどの県が予算不足となり、予算が十分あるいは、それ以上となるのは、限られていた。 今日の朝日に掲載されていた03年度の一人あたり県民所得)をみるとよくわかる。(注)県民所得とは、雇用者報酬や財産所得と企業所得を合わせたもので、各都道府県の経済全体の所得水準を表すもので、個人の所得水準を表すものではない。 これを見ると東京都の426万7千円を筆頭に300万円代が8県、それ以外は、200万円代である。これと教育費不足の県とがおおよそ対応している。 わが愛媛県は42位の232万4千円である。もちろん教育費予算は大幅に不足している。 こうした格差は、東京都と愛媛の雇用者や個人所得水準、企業のありなしやその所得状況を比べるまでもなく、歴然としている。大都市圏とそうでない県との格差は大きい。 地方交付税はこの格差を埋めるという役割があった。官僚や政府が地方自治体に介入しすぎるという面も指摘されたが、産業に恵まれぬ地方を救うという効果もあった。 政府が進めようとしている三位一体の改革は、税源移譲という美名によってこの格差を更に拡大するものだ。 一部の大都市圏を潤し、ほとんどの県を切り捨てる「改革」は改革とはいえない。
2006/03/15
なにかと話題の民主党だが、前原代表が13日、都内のホテルで開かれた内外情勢調査会の講演で、教育基本法について「『愛国心』と書くことに違和感はない」が、「親や友達を思いやる気持ちに欠けている人に一挙に愛国心を持たせるのは無理だ。」「むしろ公共心をしっかり明記すべきだ。」と述べたという。 例によって基本賛成、部分の違い強調という手法だが、公共心云々は安倍官房長官をはじめ自民党も強調しており、違いを述べたことにはならない。 同講演で現憲法について「権利が強く出すぎている」「国民が果たす義務の議論を、憲法改正に合わせておこなわなくてはならない」と述べたことを考慮にいれれば、まったく一心同体といっていい発言だ。 前原代表は、憲法が主権者である国民を守り、権力を縛るものであるという認識がないらしい、それで、権利を抑えて義務をといい、同じ発想で公共心、愛国心をいうのだろう。そこにあるのは、主権者と権力者の立場の逆転だ。 前原代表が、強調したという公共心は違いにはならない。氏は以前から防衛問題、憲法問題でも自民党の上を行く、強硬論で知られていた。 今回の講演についての報道に接すると、4点セットで自民党と対決するといっていたのが、茶番劇のようにさえ思える。偽メール事件以後の動きをみているとますますそう思える。 自民党は、かずかずの失政、悪政によって国民に塗炭の苦しみを味あわせ、更に味あわせようとしている。その自民党と同じ党は必要ない。 だが、前原氏は、その自民党と一心同体の政党のような発言を続けている。
2006/03/14
いぜん岩国基地をぐるっと見せてももらったことがあった。車で走っただけだが、弾薬庫、ずらっとならぶ戦闘機、ジョッギング中の海兵隊員、海兵隊本部などを車の中から見た。沖縄ほどではないが、単独の基地としてはそうとうに広い基地である。 松山空港に管制施設がなく、この岩国基地で管制しているとかいう話を聞いたのはその後だった。岩国基地から飛び立った戦闘機は四国の山中の谷を縫って飛行訓練をしていることもその後に知った。 その後、沖縄の基地をこれは外から見る機会があり、厚木基地で飛行訓練をしているそばを通ったこともあった。 岩国にしても沖縄にしても厚木にしても、狭い地域にそれも町の真ん中や隣接して圧倒しているのは、異常である。その騒音、隣り合わせの危険、戦場を行き来する海兵隊員の犯罪など、生活に及ぼす影響も計り知れないと思えた。 その基地を住民に押し付けさらに過重な負担を加えることに耐えられないという住民の意識はよく理解できる。 政治家の多数はそれに鈍感であり、日本を守ってもらうために我慢せよという。日本の基地のほとんどを占める海兵隊は、専守の部隊ではなく、攻撃の先頭に立つ部隊である。守るより攻めるという本質からいって、アメリカの世界戦略の一環としてのアジア戦略の要として便利なというのが本質だ。それでもなお、政治家が我慢せよというなら、それは、アメリカ追随のため以外にない。 沖縄の基地も岩国の基地も日本には不要である。一歩譲っても、これまでの被害の甚大さを考えれば、これ以上の増強はしてはならない。 岩国の住民が住民投票で反対した気持ちは、理解できる。沖縄の住民も同じ気持ちだと思う。
2006/03/13
ゼロ金利がつづいている。金融緩和というよくわからない政策が変更されてもゼロ金利はつづけるという。つづけるのは直接には日本銀行だが、政官財の意向だろう。 ゼロ金利が始まってから現在まで、銀行は200兆円とも300兆円とも言われる金利を出さずにすましたことになるそうだ。ということは、国民が銀行にそれだけの金を貢いだにひとしい。その上、60兆円もの税金投入だ。銀行はこれだけ、国民から奪って平然としている。どこまで貪欲なのだろう。 テレビ局が盛んに宣伝しているテレビのデジタル化も、政府が212兆円の新たな市場をつくることを目的にするのだという。これも財界への奉仕が大きな目的であり、政官にとってもうまいはなしなのだろう。というわけで、これは、マスメディアが全く報道も批判もしない。 最近では、中古電化製品の販売を禁止するなどということまでする。これも政官財にとってうまい話に違いない。 こうして国民は、膨大な財をむしりとられ、やりたい放題の政官財がつくった膨大な「国の借金」を押し付けられる。政官財はそれで知らぬ顔だ。 こうみてくると、政官財のあまりの貪欲さにあきれる。そして、それにたいして、声をあげる人があまりにも少ないことにも驚く。 小泉首相は、「格差はかならずしも悪くない」という意味のことをいったが、なるほど、このような恩恵を受ける側に立てば、格差は悪いことではないに違いない。
2006/03/12
ある人がなぜヒトラーがこんなに有名になり、こんなに多くの信奉者を得たのかと尋ねた。ピカートは、そこにあった新聞を示して説明した。 その説明はごく簡単にいうと、このような新聞にさらされていると人はこころのなかが支離滅裂の錯乱状態になる、その中にヒトラーが紛れ込めないわけがなく、紛れ込めば気づかれずに人の内部にいるわけで、そうなればあとはヒトラーの手腕次第、ということである。 考えてみればこれは、現代にも当てはまるわけで、今日の新聞紙面にしろ、テレビの番組にしろ、支離滅裂の錯乱状態を作り出す可能性大である。 また、ある人は(これは現代の日本人だが)こういっている。新聞やテレビに溢れる情報に触れていると、頭がぼやけて何も分からなくなると。 毎日流れる情報が、人々を支離滅裂に錯乱させ、ものを見えなくさせたうえで、ある情報が膨大に流されれば、人々が操作されるのは、容易だろう。 昨日書いた二大政党のための小選挙区キャンペーンにしても、その後の小泉政権の「改革」支持にしても、マスメディアの操作は容易だったように思える。 情報が溢れているようで本当に役立つ情報は少ない。その上に意図的な操作が疑われるとすれば、私たちはよほど注意深くふるまう必要がありそうだ。
2006/03/11
いまだに政権交代可能な二大政党制などといっている「ジャーナリスト」や「有識者」がいる。小選挙区制成立時、中山参議院議員が「小選挙区制が、二大政党制を促すというのはウソ、党名だけが違い、中身は同じ政党が事実上ひとつの巨大政党と化し、反対勢力を許さない政治になっていくだろう。」と述べたというがまさにそのとおりになっている今になってもである。 小選挙区制は、細川連立政権のときにつくられた。その際、朝日新聞を筆頭にメディアは小選挙区制こそ政治改革であるかのような論陣をはった。その結果がもたらしたものへの反省は皆無で、いまだに二大政党、政権交替可能をいっている。 政治改革が声高に叫ばれだしたのはリクルート事件を契機としている。その後、政治の世界が清められたという話はなく、汚濁が続いている。 小選挙区制が提起されたとき、時の社会党が積極的に賛成したことも忘れられない。先日その選択は「正しかったとはいえない」という生ぬるい総括をしたが、時すでにおそしである。 このときの国会では、衆院は通過したが、参院では否決になった。その後法案の扱いをめぐって、両院協議が行われたが妥結せず、打ち切りとなった。 だれしもが、これで廃案と思ったとき、衆議院の土井たか子議長が提案し、細川首相と自民党のトップ会談が行われ、小選挙区制は成立が合意される。当時も今も、なぜ議長の責務でもない、他の政党を排除してのトップ会談なるものを斡旋したか疑問である。護憲護憲と叫ぶこの人は、本当は憲法が分かっていないのではないか。 政権政党は、自分達が不利になると土俵である選挙制度を自分達に有利になるように変えてきた。 細川連立政権の際のそれは、保守勢力が生き残りさらに力を強めるためのものだった。それを支持した政党とマスメディアや「ジャーナリスト」「有識者」の罪は大きい。 ここ数年ぞくぞくと成立する悪法、悪政策、保守勢力のばっこをみるにつけ、小選挙区制導入の日のことが思われてならない。
2006/03/10
第一で大戦に飛行機が登場してから。ゲルニカでの無差別爆撃まで、それほどかからなかった。 ゲルニカでは、爆弾を中心に焼夷弾が使用された。ただ、この場合、近距離から出撃し、一過性のものだった。無差別性は驚くべきだったが。 日本空軍(主体は海軍航空隊)の重慶爆撃は、遠距離から、高高度から、都市を無差別に、焼夷弾を多用して、長期間にわたる、「戦略攻爆撃」(日本軍の用語)つまり戦略爆撃をつくったものだった。 この戦略爆撃の思想は、イギリスからドイツへと広がり、ロンドン大空襲、ハンブルグ大空襲、ドレスデン大空襲を引き起こす。 そして、戦局が逆転して、日本本土への戦略爆撃となる。日本がはじめたものが今度は日本の上に襲いかかった。 重慶と日本本土空襲との違いは、より緻密に計画的に大規模になったことで基本的には、変わらない。いずれにしても、市民を爆撃の対象に無差別におこなった。 戦略爆撃は、日本の大都市から、広島、長崎の原爆投下へと展開する。原爆投下こそ戦略爆撃の頂点ともいえるからだ。 こうして展開してきた戦略爆撃の思想は、さらい世界を覆う核兵器へとつながっている。 大まかに言えば、こうした内容だが、叙述は詳細で、兵器の「進化」と戦争についての思想の変化が急速に起こり、戦争の姿のすべてを変えていく恐怖が十分に納得できた。 現在、日本にも戦争について肯定的にあれこれいう人たちがいるが、それは、こうした段階に来ている戦争というものの脅威について盲目であるからだろう。 戦争の思想が、あらゆる人間を対象にし、その攻撃を可能にする兵器が存在する現在、それに目をつむって戦争を云々することはもはや許されない。 たとえどういう形であれ、戦争を防ぐ努力が必要だと理解させてくれる本である。
2006/03/09
旭川国保訴訟の最高裁判決があった。原告敗訴である。この裁判でも感じたが、最近の裁判所はおかしい。 地裁で勝訴しても高裁にゆくと逆転敗訴ということが多い。最高裁までゆくとその度合いはもっとひとい。 それから、警察や検察庁が、たとえばビラまきなどを逮捕する場合にそれを許している。また、その場合の拘留期限が長すぎるが、それを裁判所は認めている。 こうしたことから総合して考えられるのは、裁判所が行政府の側にたち、現政権、権力側に奉仕しているということだ。 判決の前半で原告の訴えを認めながら、後半で行政側にたって敗訴を言い渡すという形が多いのも、原告の言い分を分かった風を装いながら、西遊的に権力側につきますよと宣言しているようなものだ。 最近の裁判所は、戦前の裁判所に戻りつつあるような感じさえする。それは、戦後、裁判官、検察官を初め司法について責任の厳しい追及がなされなかたった結果だろう。 この前の横浜事件再審判決で、「終戦の特殊な状況下で訴訟記録が廃棄され、確定判決が残されていない異常な事態もあって」と、訴訟記録を廃棄し確定判決を隠した自らの責任をしらじらしく無視する姿勢にも現れている。 庶民の感覚や憲法に定められた諸権利の規定から遊離した判決や措置のつづく最近の裁判所はおかしい。 このままでは、暴走する行政をとどめるものはなくなり、庶民を守るよりどころはなくなる。
2006/03/02
にせメールで陳謝する騒動があった。与党は更に圧力をかけようとしている。民主党は、右往左往するばかりだ。 「陳謝」会見の報道を見ても、信じられないようなことばかりだ。メールが持ち込まれた以降の対応、会見での発言、どれをとってみても「政治家」とも思えない幼稚さだ。 これで民主党は大打撃を受けるだろう。前原代表は、代表として残るようだが、党首の座がそれほどほしいのだろうか。 これから考えられるのは、民主党がわずかに与党との差を演出しようとして、批判的な姿勢を見せていたのが消えてしまい、与党にひざを屈してしまう姿だ。 二大政党、それも、ほとんど同じ中身をもった政党が並存するということの弊害がここで現れる。 朝日一面で、星編集委員は、衆院に小選挙区制を導入し、政権交代可能な二大政党制をつくる、それが民主主義を活性化させると多くの政治家が苦難を経てきたのに、「民主党がこの体たらくでは、そうした苦労がすべて無駄になる」といっている。 二大政党制、それも似通った二大政党制をつくるという野望は、小沢や菅といった政治家が公言してきたことだ。それを朝日は(というより朝日を筆頭にした大メディアは)支持し、あおり、応援してきた。 星編集委員のことばは、目の前にあるそうして作り育てた二大政党制の弊害に目をつむるものだ。 全くといっていいほど同じ中身の二大政党が並立すれば、スキャンダル政治が生じることを今回の騒動は証明した。 そして、政治が機能不全に陥った時に、主権者の声を反映する政党が存在しない、あるいは、存在してもあまりに少数であることの弊害が証明された。 改憲、戦争法制、財界奉仕の改革など根本政策で足並みを揃える与党と民主が、この騒動をきっかけに更に一体化していく可能性がありそうに思える。 その先にある未来は、主権者の多数をしめる庶民にとって明るいものではないだろう。
2006/03/01
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