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妄言を繰り返している麻生氏(現外務大臣)が、28日の講演でまたまた妄言を吐いた。それをカバーしたのが、例の安倍官房長官。その発言がまた問題ありだ。 麻生氏の発言要旨(朝日) 「私自身があそこ(靖国神社)で一番問題だと思うのは、祭られている英霊のかたからすると天皇陛下のために万歳といったのであって、総理大臣万歳といった人はゼロですよ。ぼくはそう思うね。だったら天皇陛下の参拝なんだとおもうね、それが一番。何で出来なくなったかといえば公人、私人の、あの話からだから。それをどう解決するかという話にすれば答えはいくつか出てくるんですよ。ぼうはそういった形にすべきだと思っているんで、答えがいくつかないわけではありませんが、そういう問題にしてやっていかないと。」 安倍官房長官のカバー(愛媛=共同) 「安倍官房長官は、30日の記者会見で、麻生氏発言について個人的見解との認識を示すとともに、天皇参拝を「私人としての行為」と指摘。天皇の行為には「国事行為」、外国訪問などの「公的行為」、福祉施設訪問などの「その他」があり、「その他」として法的には問題ないとの見解を示した。ただ、「社会情勢などに考慮しながら、慎重に検討の上、宮内庁で対処してきている。今後も同様だ。」と述べ、現状では天皇参拝の再開はないと強調することで早々に議論の幕引きを図った。」 麻生氏は天皇こそが一番に靖国神社に参拝すべきだと述べている。それに対して安倍氏の発言は、上記の新聞報道でみる限り、麻生氏を援護し、その発言を法的に問題はないと容認している内容だ。「天皇参拝の再開はない」と強調したというが、それも「状況次第」という内容であり、今後に問題を残している。 これらの発言には、いくつもの問題がある。 まず、天皇は象徴であり、国民の総意に基づいて存在する。その天皇が一宗教法人である靖国神社に参拝するということは、政教分離の原則からいって許されないのではないかという問題。 次に、靖国神社には戦犯が祀られており、また、先の戦争を肯定している。ポツダム宣言を受諾し、講和条約で東京裁判をはじめとする戦後処理を受け入れたという以上、参拝することによって、それを否定することは許されないのではないかという問題。 外務大臣の発言は、個人的見解などといって済まされることではない。アジア諸国への配慮を欠く発言は外務大臣として許されないのではないかという問題。 官房長官も政府を代表する立場から「法的に問題はない」などと憲法無視の態度を取ることは許されないのではないかという問題。 ちょっと考えただけでも、これだけの問題がある。これらの問題は、もちろん小泉首相をはじめ靖国神社参拝を繰り替えす政治家たち全員に問われていることだ。 麻生発言には、「天皇親拝」が必須であった戦前、戦中の靖国神社の復活の臭いさえ感じられる。麻生発言は政治家として外相として許されないことだ。安倍官房長官の発言も、基本的に間違っている。 これだけの妄言なのに各政党の批判の声が聞えてこない。厳しい批判の声も少ない。妄言を許しておけば、やがてそれが当たり前の社会がやってくる。
2006/01/31
愛媛県の自民党県議、篠原実氏のパソコンがウィルスに感染し、多数の文書がインタネット上に流出した。その中に、教員採用試験に絡んで口利きしていたことを証明する文書があった。 「県教委の最高幹部にお願いしたが、最後は本人の地力がものをいう」云々というもので、謝礼を受け取ったことまでが書かれていた。 県教委側は、「採用に影響はない」といっているが、県議、県教委ともに、教育にたずさわる資格がないといえそうだ。(篠原氏は文教委員も務めている) 県議他有力者が、教員採用試験や県職員、市町村職員の採用に口利きすることは、以前からもっぱらの噂であった。噂では、口利きの値段まで決まっており、数百万から一千万ともいわれているが、今回はその一端がウィルスのおかげで、証明されたわけだ。 このような口を利く県議と、それを受ける県教委と、こんな人たちをみていると、全国でも珍しい「つくる会の教科書」を強権的に採択したその裏側が透けて見える。
2006/01/30
30日づけ愛媛新聞の報道(多分共同通信の配信)によれば、アメリカのラムズフェルト国防長官が額賀防衛庁長官に、イラクの治安維持やイラク人部隊の訓練に自衛隊が参加することについて打診していたことが分かった。アメリカ政府が日本政府に打診したわけだ。 アメリカ側の言い分は「各国は医療や食糧支援に魅力があるようだが、治安維持任務には躊躇する国が多い。治安の安定なしには経済発展はありえないことは日本も十分理解しているはずだ。」「日本も米国と協力してこのような役割を担うことが有益であり、こうした国々の発展にも寄与する。」「国際機構が弱い現状を考慮すれば、世界第二位の経済大国がさらに一歩踏み出すことが世界の安定に重要だ。」ということらしい。 これに対して、額賀長官(日本政府)は、「将来的には国連が関与する国際平和協力活動のあり方と絡んで検討しなければならないが、現行法では困難だ。」と拒否したということだ。 アメリカ政府の要求は、各国が嫌がっている状況を認め、日本国憲法の制約を承知の上で、国連も無視し、日本がアメリカとの連携のもとに、更に軍事行動へと一歩踏み出すこと、行動をイラク以外にも、現在の限界を超えて行動することを求めた圧力とも取れる。 日本政府が拒否するのは当然だが、「将来的には」と、憲法改悪あるいは憲法の限界を更に超える特別法の制定をにおわせながらの拒否であり、政府のあり方を反映したすっきりしない拒否の仕方となっている。 アメリカ政府=ブッシュ政権の思惑のためなら、法を無視してでも要求を押し付けるのは牛肉輸入問題でも露骨に示された。 アメリカ政府の度重なる無法な要求に「押し付け憲法」をいう人たちは、どう反応するのだろうか。
2006/01/30
下記にアッピールが出された。出来るだけ転載し、広めてほしいということなので、ここに転載する。【アピール】生徒への「日の丸・君が代」強制を一層強化する「通達」に反対し、教育長答弁の撤回を求めることを呼びかける 昨年12月8日の都議会本会議一般質問で、生徒への指導を通達として出すよう要求した自民党議員の質問に対して、中村正彦教育長は、「校長が教職員に対しまして学習指導要領に基づいて適正に生徒を指導するよう、校長連絡会等において一層周知徹底する」方針を再確認し、「卒業式等において学級の生徒の多くが起立しないという事態が起こった場合には、その後、他の学校の卒業式等において同様の事態が発生するのを防止するため、生徒を適正に指導する旨の通達を速やかに発出いたします」と回答しました。 この質問は、生徒の自主的判断に基づく行動を「問題視」し、生徒の思想・良心の自由を踏みにじるものです。すでに都教委は、2004年3月11日に、HRや入学式・卒業式等の予行等で「生徒に不起立を促すなどの不適切な指導」を禁止する)「入学式・卒業式の適正な実施について(通知)」を出していますが、今回の質問は、「通知」を校長への命令である「通達」に“格上げ”し、教職員に「指導」を強めさせ、生徒の自主的判断、行動を力づくで押さえ込もうとするものです。これまで、生徒指導に関わって、多数の教職員、管理職を「不適切な指導」などとして、「厳重注意」「注意」「指導」の「処分」を行ってきましたが、「通達の発出」の“脅かし”により、「適正に生徒を指導する」ことを求める「新職務命令」と合わせて、生徒への強制を強めようとするものです。 先頃発表された、東京都高等学校教職員組合の「『日の丸・君が代』黒書―思想・良心の自由を守り生徒・教職員への強制を許さない」では、都教委の「10.23通達」以降の「日の丸・君が代」の強制で、如何に教育現場が疲弊し、教育活動が阻害されているかが明らかにされています。これまでの私たちや都民の要請に対しては、「回答せず」としながら、東京都教育委員会が一部都議の質問に迎合し、生徒指導での「厳重注意」、「新職務命令」などに続き、「通達」で生徒への強制を強めようとすることは、一層教育現場に困難をもたらす、教育行政の「不当な支配」に他なりません。 私たちは、03年10月の「10.23通達」に続いて、04年9月の校長連絡会で都教委が、生徒への「日の丸・君が代」強制を教員に義務づける職務命令を出すよう口頭で指示したことに大変な危惧をいだき、急遽04年10月1日付けで「生徒の『内心の自由』を押しつぶしてはならない!~東京都教育委員会のあらたな『日の丸・君が代』強制への反対を呼びかけるアピール」を出しました。そして、12月9日に、800名を越える賛同者一覧とともに、生徒への強制反対、「10.23通達」とそれに基づく、不当な処分を撤回することなどの申し入れを行いました。しかし、都教委がその方針を変えない中で、私たちは、一刻の猶予もならないと考え、卒業式の始まる前の昨年2月16日、東京都教育委員会に緊急要請を行い、要請に対する速やかな回答を迫りましたが、都教委は回答を拒んできています。 私たちはあらためて、生徒への「日の丸・君が代」強制への動きを強めようとする都教委に下記の内容を要求するとともに、広く都民の皆さんに、同様の要請を行ってくださるよう呼びかけるものです。 記1.昨年12月8日の生徒指導の「通達」に言及した教育長答弁ならびに生徒への「日の丸・君が代」強制を教員に義務づける職務命令を出すように求めた04年9月の指示を撤回すること。2.卒業式・入学式などでの生徒の「内心の自由」について、東京都教育委員会の責任で周知徹底させること。3.「10.23通達」「実施指針」と、それに基づく不当な処分を撤回すること。2006年1月27日 勝野正章(東京大学) 小森陽一(東京大学) 斎藤貴男(ジャーナリスト) 俵義文(立正大学) 成嶋隆(新潟大学) 西原博史(早稲田大学) 要請先 〒163-8001 東京都新宿区西新宿2-8-1 東京都教育委員会 教育長 中 村 正 彦 様 FAX 03-5388-1733
2006/01/29
今日もニュースのトップはライブドア関連だ。NHKニュースなどは、国会審議については、ついでに報道しれいるといった感じだ。 その裏で重要なことが始まっている。25日には、自公が「与党・教育基本法改正に関する協議会」を開いた。冬柴公明党幹事長は「いよいよとりまとめの段階に入った。国の根幹にかかわる問題であり、しっかりやてもらいたい」と述べたという。 まさに国の根幹にかかわる問題の検討が始まった。 今日27日からは、政府税調が始まった。どのような増税案が出されるか、いずれにしても大増税案だろう。それが、金持ちや企業にとってどうで、庶民にとってどうであるか。特別重要な会議だ。 まだまだつづくと思われる重要課題の提出、あるいは審議。 商品を売る企業としてのあるいは支配の道具としてのメディアのありように留意しながら、しっかりと見つめていたい。
2006/01/27
アメリカが低姿勢で謝りながら、輸入再開を促しているアメリカ牛肉。アメリカの牛の管理、牛の解体処理の際のずさんさ、解体後の使用のいいかげんさは相当なものだ。 アメリカでは、危険部位である脊柱がついたまま市場に出されていることが多というのは、アメリカ政府関係者自身が認めていることだ。アメリカ国内には、BSE牛肉を食べてクロイツフェルト・ヤコブ病を発症している人がかなりいることが隠されている可能性がある。 汚染された牛肉、特に脳や脊髄(脊柱にはもちろん脊髄がある)の繊維が含まれている肉を食べればBSEに感染する。ところがアメリカでは、処理がずさんなだけでなく、脳や脊髄の繊維が、ハンバーガーやミートパイのつなぎとしてよく使われているという話がある。(注)これが事実なだずさんさ以上の問題だ。 ハンバーガーにまで使うとしたら危険認識そのものが基本的に違っていることになる。これは恐い。 アメリカでは、その他いろんな動物の餌の中に、危険部位を使用しているということについては、前に書いた。 まだほとんど解明されていない感染、発病のメカニズム。ずさんなアメリカでの処理。それなのに、謝ったくらいでは輸入再開などできまい。 アメリカ政府や業界は否定するかもしれないが、ハンバーガーなども含めて、詳細な調査と厳密な規制をしてほしいものだ。 人間の場合、潜伏期間、数年から最大30年といわれ、分かってからでは手遅れの恐い病気だから、慎重の上にも慎重になっていいのではないだろうか。 追記、日本政府は強腰の姿勢を見せているように見えるが、あれは、圧力をかけてまで行った自らの自由化政策の誤りを隠すためのように思える。 (注)ロナルド・ライト著星川淳訳『暴走する文明』(NHK出版)の第5章の注41にこうある。 「脳と脊髄の繊維は、ハンバーガーやミートパイのつなぎとしてよく使われる。」
2006/01/26
ライブドア騒動で、耐震不法建築問題もどこかへとんでいった。沖縄の基地問題などは、かげもみえない。 そんな時、朝日が「政治の責任が重くなった」と題して名護市長選について社説を述べた。だが、これも腰砕けの曖昧社説だ。 名護市民の民意は「条件次第では米軍基地受け入れもやむをえない」だ。島袋氏が当選することにより、政府、沖縄県、名護市が「改めてじっくりと話あえる状況が生まれた」だが、問題がいくつもある。政府は名護市や沖縄県の複雑なもつれを解き、地元を納得させるような方針をだせ。というのが大まかな趣旨である。 まず、民意が社説の言うとおりであるとは納得できない。社説では、そういったすぐあとで、選挙の出口調査で79%の人が移設に反対といっているからだ。 島袋氏の基地問題に触れない、地域振興を強調するという選挙戦が功を奏したというだけで、民意は基地を認めてはいない。 とすれば島袋氏の当選によって「じっくりと話し合える状況が生まれた」という肯定的判断も、政府側にたてばそうかもしれないが、本当の民意からすればどうかということになる。 問題点を挙げ、政府に解決策を求めるのもいいが、最も基本的な解決策である基地の廃止、あるいは米本土への移転などについて触れないのは腑に落ちない。 有事法制に賛成し、改革を支持し、増税を進めよという新聞にそれを期待するというのも無理というものではあろうが。 他社に遅れての時期はずれの朝日の社説に触れたのは、すっかり忘れ去られようとしている重要問題がここのもあるということをいいたかったからだ。 メディアは、一色になり、時々に色を変えながら、本当に大切な問題にふれない。沖縄名護市の民意も選挙報道で終わり、その後は隠されてしまった。
2006/01/25
鎌田實の『がんばらない』はずいぶん前からベストセラーになり、テレビドラマにもなっていた。なぜか読まずにいたが、その続編の『それでもがんばらない』をよんで鎌田さんのとりこになった。 『がんばらない』『あきらめない』『それでもがんばらない』『いのちの対話』と4冊を一気に読んだ。 読みながら笑い、何度涙を流したことだろう。鎌田さんの語り口はやさしく、具体的で、ゆったりと心にしみた。 鎌田さんが長く院長を務めた病院のすばらしいスタッフと組織と営み。医師とその他のスタッフと地域が一体となって、患者の立場に立って医療をすすめるという当たり前だが、めったに出会えない場がここに実現している。 そこで患者が「がんばらず」「あきらめず」生きて、死を迎える姿が輝いて見える。それを支える医者をはじめとするスタッフの素晴らしさ。 そうした姿に触れながら、生きること死ぬことについて考える。さまざまな人生がある。それぞれの人生がある。その人生をどう生きるか、そしてどう死をむかえるか、ちょっと考える。そして、元気と勇気を貰う。 ひとつひとつのエピソードがすばらしい。 なみだとわらいでこころを揺さぶられた。私はすっかり鎌田實という人のファンになったようだ。 追記、ここに描かれたようなとりくみが、いろんなところで、いろんな分野で行われたら、世界はすこしはかわるのではないだろうか。
2006/01/24
イサべラ・バードの『日本奥地紀行』をはじめ、外国人の見た幕末明治初期の日本は、私たちが失ったものを改めて教えてくれる。 渡辺京二著のこの本は、そうした外国人の目を通した日本を紹介しながら、現代のあり方を見つめなおさせる一冊である。 幕末から明治にかけての日本のすべての面を描こうとはしていない。あくまで外国人が見聞し、今、失われたものを紹介している。 よく笑う陽気なひとびと、質素だけれど豊かさを感じさせる生活、人懐っこく礼儀正しい振る舞い、庶民のたくましく美しい肉体、裸を恥ずかしがらず人目にさらす人たち、階級差をのぞいた庶民の間に溢れる自由、女達の自由さとたくましさ、とても大切にされるこどもたち、豊かで美しい自然と溢れる生き物、大切にされる動物。 私たちが現代文明の変わりに失ったものが溢れていた時代の風景が「過ぎ去ったよの面影」として描かれる。 もちろん、幕末明治初期には、負の部面も多いが、筆者は触れない。 あくまで、合わせ鏡として自らの忘れた、見えずにいる箇所を照らし出そうとしているからだ。 現代の文明を批判的に見、今と違った生き方がありえたことを思う。豊かな自然に囲まれて、もっと人間味溢れる生き方も選べたかもしれないことを。 なおこの本は、外国人の見た珍しい記録の紹介として読んでも面白い。 追記、茶店のある街道という挿絵がある。これとそっくりの風景が私の子ども時代にまだあったことが懐かしく思い出される。
2006/01/23
アメリカ牛肉の輸入について問題が発生した。除去されているはずの脊柱が除去されていなかったのだ。 それについてのアメリカ農務省長官の弁明に「アメリカでは違法ではない・・・」という部分があった。これは恐いことだ。脊柱はプリオンの蓄積しやすい危険部位なのに、アメリカ人は「普通に」食べさせられているのである。 アメリカ人は、情報を知らされていないのだろうか。わかっていながら、「心配ないよ」と食べているのだろうか。 危険部位が除去されていたないということは、牛以外への加工飼料として使用しているアメリカなのだから、危険の範囲は更に広がる。 日本政府は抗議しているが、そもそも、関係部所に圧力をかけて輸入を早めさせたのは政府だった。現地調査も事前に準備されたところを見て回っただけだというし、調査の態をなしていなかったらしい。 「アメリカでは危険ではない・・・」といいながら身内である自国民に平気で食べさせ、日本にも押し付けるアメリカ政府は恐い。 だが、それに追随して圧力といい加減な調査で、自国民をだます日本政府も恐い。 自由化の名のもとに安全を無視することは危険だ。自由化のごまかしがいたるところで破綻しているが、これもそのひとつだ。 利益のためなら身内もだます。恐い恐い。
2006/01/22
今国会には、問題法案、話題法案がぞくぞく提出される。毎日があげた法案一覧を下に示すが他にも共謀罪、人権擁護法案他、重要法案が目白押しだ。 これほどの法案が、ライブドアや耐震強度偽装問題の陰に隠されて、わずかな審議で通るとすれば、民主主義の死、国民主権の死とまでいっていいと思う。 以下、一覧を掲げるが、・・・以下は私の簡単な感想である。◆通常国会に提出が予定されている主な法案◆<政府提出法案>行政改革推進法案・・・改革という名目で国民は地獄をみることになる。皇室典範改正案・・・これは大いに話題になるだろうが、私は女系で結構。教育基本法改正案・・・政官財の思うままの教育、人間づくりを狙う。このような重要な法案は一年くらいかけて国民的討論を展開してもいい。アスベスト(石綿)健康被害者救済法案医療制度改革関連法案・・・これも内容次第では、国民は見放される。建築基準法改正案米軍再編推進法案・・・米軍と一体になって世界に展開していいのか。防衛省設置法案・・・防衛庁で十分。<議員立法法案>国民投票法案・・・国民主権をどう行使するか。重要な機会だ。国の未来を決める重要な法案だから、一年も二年も、国民全員が知るまで徹底するくらいのつもりで、十分な時間を取って、徹底して周知し、論議を展開するべきだ。だが、自公民は、逆に審議を簡略にするつもりらしい。国会議員互助年金(議員年金)廃止法案・・・なまぬるい。即時完全廃止。官製談合防止法改正案
2006/01/20
国会中継で、自民党の三人の議員の質問を聞いた。三人とも若い。質問は真摯さがどこにも見られない。発表会のようで、予定した質問を読み上げるだけだ。 質問の中身は、新聞や週刊誌の記事の確認だけ。質問時間の全体のほとんど半分がこのように費やされるのは、もったいない。自民党という党の姿勢がよくわかった。 途中でテレビを消し、詩集を読む。 長田弘の『死者の贈り物』。長田さんにとってひとつひとつの詩がひとつひとつの死に向かい合っているのにちがいない。 「イツカ 向コウデ」のつぎのようなことばが心に響く。 「人生は長いと、ずっと思っていた。 間違っていた。おどろくほど短かった。 きみは、そのことに気づいていたか?」 少年の頃、一日は長かった。将来のことなどかんがえなかったが、さきがかすむようなかんじだったはずだ。それからも、長い先のことを疑わずすごしてきた。でも、すぎてみればなんと短いことか。 永遠という時間の長さからいえばすべては一瞬。 こんなことばも心に響く。 「まっすぐに生きるべきだと、思っていた。 間違っていた。ひとは曲った木のように生きる。 きみは、そのことに気づいていたか?」 青年の頃から長い間、そのように思っていた。人生の曲直について考えるようになったのは、ずいぶん遅かった。今は、このことばがすっと胸に落ちる。振り返れば、自分の人生が曲った木のように立っているのをみる。
2006/01/19
昨日の国会中継は、「刑事訴追のおそれがあるのでお答えできません」の連発で、途中で、見るのをやめた。 質問する議員も進行をさばく議長も、答えさせる方法はありそうなものだが、ただ無策に進めるだけだった。 「訴追」を繰り返すことで、真実を隠したようでも、かえって疑惑は深まった。問題は、「強度偽装」などという小さなことではなく、政界もまきこんだ大がかりな不法行為ということだ。 今日の新聞で再度確かめたところでは、自公の議員も絡んでいるようだ。今後は、建設業界全体の問題まで広げて大いに吟味してほしい。(というのは無理か?) ところで、安部氏という人は、要所要所でよく顔を出す人だ。「訴追」されないから、安心して名前を出したのかもしれないが、もし真実なら(「偽証罪」を心配していたから真実なのだろうけれど)こちらも問題だ。 「ストレイドッグ」というサイトにこの件に関しての情報がある。 http://straydog.way-nifty.com/yamaokashunsuke/
2006/01/18
ライブドアに捜査が入った。なぜ捜査の手が入ったのかいまのところはっきりしない。私自身は捜査が入ることに関心はない。 関心があるのは、ああいう人たちが他者を人として認めず、ただ、儲けの対象として切り捨てているということだ。企業を買収し、売り払い、それで汗せずして膨大な収益をあげることが、利口な生き方なのだろう。 彼らには、その企業で汗して働いている人たちについてのなんの配慮もない。そこにある生活の匂い、さまざまな葛藤、汗への想像力もない。あるのは利益、つまり金だけだ。 問題なのは、そうしたあり方、いき方に憧れ、それに習おうとする風潮が強いということだ。 金があればそれにこしたことはない。だが、金がすべて、金でなんでもできる、なんでもする、金至上主義ともいえる風潮が、人々の普通につましく生きる幸せを踏みにじっているかにみえる。 大切なのは安心して普通の生活が出来るということだということを人々がわすれ、漂流する筏の上に我先にのぼろうとして、他者を蹴落とそうとしているようにみえる。 勝ち組、負け組み、などということばがはやり、金万能の風潮が流れる陰で、人々の本当のしあわせを踏みにじる流れが押し寄せようとしていることに人々は気づいていないかのようだ。
2006/01/17
アフガンが問題になった時、何冊が本を読んだ。イラクが問題になったときも、そうした。その都度、日本人の専門家がほとんどいないことに驚いた。 中国問題でも、日本の農業問題を分かりやすく、しかも根本から掘り下げる、ある点ではこわい論者山下惣一さんのような人はまだ見つかっていない。 今、問題になっているイランについてもそのように思われる。アメリカかぶれの学者やキャリアは腐るほどいるのに、必要なところにはいない。 そのイランの核開発問題だが、イランだけでなく世界の国々が核開発などしないほうが望ましい。 ところが、現在核兵器を保有し、核開発を進める国はたくさんある。不思議なのは、イランに圧力をかけている国のほとんどが自らは、核を保有しているということだ。 イランが核開発をし、核兵器を保有することはやめてほしい。そのこととは別に、二枚舌を使っての議論もやめてほしい。 その一番の国はアメリカだが、ぜひ、核開発をやめ、核兵器を廃棄することを率先してやってほしい。 核開発を行い核武装する国がこれ以上増えてほしくない。そのためにも、現在核を保有する国が率先して、開発の中止、廃棄を宣言してほしいものだ。
2006/01/16
15日付け朝日に『マオ』の書評があった。評者は松原隆一郎(東京大学教授)である。私の参考になると考える部分を、ここにメモしておく。 「本書の生命線は、数百人におよぶ関係者へのインタビューと中国・旧ソ連の初出アーカイブ文書。とはいえ、どれほど多くの一次データを掘り起こしても、解釈は他にも可能である。すでに内外の学界で批判が出ているが、父の仇か全責任を毛に負わせて人民を免責する決め打ち風の新説には疑問も多い。百倍もの戦力を有する国民党に勝利した理由を、人民が理想に燃えたからと見るのなら理解できるが、恐怖と偶然だけでは説明として納得しかねる。」 巨大な中国をどう理解するか。難しいことではある。こういわれてみると毛沢東理解についても新たな疑問が湧いてくる。 「中国は脅威」などと単純にくくることなく、総合的多面的な中国をそのままにとらえ、理解することはとてつもなく難しいことだ。 でも、少しでもそのように理解する努力をし、必要な批判はしながらも、友好を築いていくという方向をめざしたいものだ。 『マオ』もその意味でここにメモした点にも留意しながら読むべきなのだろう。
2006/01/15
中国にもアメリカのミステリーのようなものがあるとは驚きだった。それも社会派的内容である。 中越戦争で左足をなくした李狗子はとあるまずしい田舎の森林保護監視員となる。そこには、豊かな美林の国有林がある。 その国有林の木を地方官僚と地元の有力者が不法に切り出し、巨富を築いているらしい。厳正清廉な李は、やがて・・・。 『中国農民調査』でも、地方官僚の腐敗が克明に描かれていたが、ここでも地元有力者と地方官僚の結託した腐敗が描かれている。 ミステリーとしての構成も工夫されており、最後までひきつけて離さない。 ミステリーでは、あるが、中国の内部にある腐敗を大胆に描いていることに感心する。 この本は、週刊文春の「私の読書日記」、米原万里担当、で知った。米原さんの紹介する本には外れがすくない。 張平氏の『十面埋伏』も紹介されており、書店で見た。そのうち読んでみたいと思っている。
2006/01/14
13億の人口のうち、9億を占めるという中国農民。彼らについて知りたくて、題名に引かれて読んだ。夫婦でもある二人の作家が、中国の農業の象徴的な土地であるという安徽省を3年に渡ってくまなく踏査したルポルタージュである。 ルポルタージュといっても極めて物語風に書かれているので、一面読みやすいが、一面焦点がつかみにくい。焦点が多岐にわたりつかみにくいのが中国の農業事情でもあるが。 2段組300ページもあるが、これがダイジェスト版だという。原作の膨大さが想像されるが、現在発禁処分にされているのだという。 膨大多岐な内容なので、簡単な印象だけを以下かいておこう。 中国には農村戸籍と都市戸籍という二重の戸籍制度があり、戸籍の移動は厳重に禁止されている。最近は流動的になってはいるが、原則として農民は都市住民にはなれない。 農民は中国が独立した時は、経済の中心であり、疲弊した国家財政を立て直すために犠牲を強いられた。その後、幾多の変転を経る過程でもそれは、変わらなかった。 改革解放政策が始まってからも、都市、産業へ資本を集中するために農民は犠牲になったようだ。この本は、その後の農村と農民の状況を中心に述べている。 結論から言えば、農村と農民の困窮は変わらなかったようだ。その原因とその現状の克服の努力がこの本では克明にたどってある。 問題は多岐だが、大きな問題の一つに、二重税制の問題がある。国家の徴収する税と、日本で言えば地方自治体にあたる単位からの税と二重の税制が農民を困窮させている。中央政府に納める税は地方にはあまり還元されず、地方は地方の維持、改革のために、(かなりの場合地方幹部の私欲のために)恣意的に膨大な税負担がなされる。 その実態と克服の道がこの本のかなりの部分をしめる。それは、克服されるのだが、こんどは、地方自治体にあたる単位の財政の維持が困難になる。インフラの整備も十分にはできず、劣悪な農村の現状はそのまま放置される。国家税制の根本的な改革、著者は、この問題に焦点の一つをあて、農村問題の克服の課題としている。 さらに、印象に残ったのは、官僚制度の膨張と硬直化と腐敗である。優秀な官僚であっても、それが農村や農民の身になって行政を行うことが、難しい。そこに農村問題解決の一つの焦点がある。 膨大な内容から、二つだけあげるとこういうことになる。 中国の農村、農業、農民はもちろん変化しつつある。富農も生まれる傍ら、極貧の農民も多い。都市への流入もたえない。都市との格差は拡大する一方だ。 13億のうち、9億を占める農民の問題は、中国の未来を決する重大な問題であると著者は強調する。それは、政府の認識でもあり、私にもよくわかることである。だが、どう解決するか、それは、ヨーロッパの基準でいえば数重の国家を抱えていると同じ規模だけに簡単には解決できないだろう。 この本を読みながら、他山の石とも思えたことが一つ。 それは、今日本政府が進めている三位一体の改革が、下手をすると中国の二重税制と同じ格差の拡大と地方の疲弊を生み出しかねないということだ。 中央政府が集めた税を地方に還元することがすくなく、都市や企業に集中的に投入され、地方は地方の財政に任されれば、地方住民の負担は増し、負担しきれなくなり、地方の困窮と疲弊はすすむだろうということだ。 つけたしとして、中国が反日を煽って不満をそらそうとしているという日本の一部の言説については、この本を読む限り、そんなことは、都市住民の一部の層には、可能であっても、9億の農民には、とても通じないだろうと思われる。それほどに、中国の農村、農業、農民の問題は大きく深刻なのだ。
2006/01/13
熊谷組が会社がやまのように不良債権を抱えているのに、自民党に献金して訴えられていた裁判で、高裁は逆転無罪判決をした。寄付額が合理的な範囲に留まるからだという。 一方でチラシを撒いただけなのに、長期拘留、家宅捜索を許可し、これも高裁で逆転有罪判決をだした裁判所もある。拘留延長や家宅捜索許可を簡単に出す裁判所も増えているが、どうなっているのだろう。 裁判所の公平の天秤がゆれにゆれ乱れているようだ。企業や権力に甘く、というより味方し、民を抑圧する。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 防衛庁が無人偵察機を採用する計画だという。無人偵察機で、どこを偵察するのだろう。 無駄な金を削らないといけないときに、それ以上に必要だという理由はなにだろう。へんだ、わからん。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 共謀罪がなぜ必要なのかと思っていたら、テロ対策法を検討するという。この日本にテロ対策法が必要な理由がわからない。 テロ対策をいうなら、イラクから自衛隊を撤退する方が、よっぽど効果があるのではないか。 共謀罪と併せて考えれば、民を抑圧するのが本当の狙いではないか。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 春闘がはじまったのだという。どこかの立派なホテルでスーツにパリッと身を固めた「労」使代表が、対座していた。 「労」組代表がいった言葉に驚いた。「労働者も一生懸命やっております。なにとぞ(賃金引上げについて)ご高配のほどを」云々。 これは、物乞い、召使、奴隷のことばではないか。対等であるはずの労使が、「交渉」する場で、「ご高配」はないだろう。 いくら御用組合連合の代表といっても全国の連合傘下の労働者の目を考えれば、恥というものを感じてもよさそうなものだ。 「こ高配」とは、御用組合のみなさんの「ご荒廃」ぶりを鮮やかにあらわしている。 これは、よくわかる。
2006/01/12
豪雪がつづいている。『北越雪譜』くらいでしか知らなかった大雪の恐さを毎日テレビで目にしている。北越雪譜の作者が書いた『秋山紀行』のあの秋山郷もものすごいものだった。 大雪のせいで、人がつぎつぎと亡くなっている。昨年の台風、豪雨被害にちかづいている。被害者はどちらも高齢者が多い。 雪に閉じ込められた地域も高齢者が多い。重労働、危険な雪下ろしの仕事をする人手はすくない。建物は雪の重みできしんでいる。食糧や燃料も不足しようとしている。 このような状況なのに、政府の動きは鈍い。ろくでもない企業が利益優先でつくった欠陥建築には、すぐに動いたのに(といっても十分ではないが)こちらは、無視されている。 地方のことは、地方へ、自分のことは自分で、などということばで、地方は見捨てられ、高齢者は切り捨てられる。その結果がここにもはっきりとみえる。 私の連れ合いが、ミサイル防衛に数千億、おもいやり予算に数千億、イラク派兵に云々と数え上げながら、なぜ自衛隊はすぐに動かず、必要な予算措置を取らないかと怒る。 それが、小泉氏の進めている「構造改革」というものだと私が答える。小泉氏の目ざす国家像からいえば、自然災害など、地方など、高齢者など、切り捨ての対象、よけいものでしかない。 小泉氏の頭の中には、歌舞伎やオペラやアメリカ追随、財界奉仕以外はなにもないのだ。 私たちはつづく豪雪のようすをみ、被災者の困窮をみているが、それは同時に、小泉自民党を中心とする政官財、言論人その他支配層の目指す「構造改革」の未来をみているのである。
2006/01/11
政治的ビラ配布に、逮捕と起訴が相次いでいる。それに対するメディアや言論界の反応は鈍い。 表現の自由と建造物侵入罪との関連が問われた形になっているが、相次ぐ逮捕、起訴関連づけると表現の自由にたいする抑圧と考える方が妥当に思われる。 そこで興味深いのは、10日の朝日の特集「表現の自由をどう考える」での検察幹部との一問一答だった。 その中で検察幹部は、ビラだけ配っているうちはいいが、彼らの目的は自衛官工作であり、「今度は何をするかわからない」という不安感がある、表現の自由をいいながら明らかに、政治目的を問題にしている。そこには、国家の意思にそむくことへの拒否がみられる。 また、官舎の外ではまくことは出来る、人の家でまくのはやめてくださいといっているのだ、と述べ、表現の自由を狭めようという意図が明らかに見られる。 この幹部は、ビラまき逮捕が議論になることはもちろん予見していた。75日の拘留も予定のうちだった。彼は、記者の「立川の事件後、各地でビラをまいていた人が萎縮しているといわれるが」という質問に「具体的にはよく知らないが、住居の平穏を害する恐れのある態様でのビラまきが自粛されるならよい効果があったのではないか」と応えている。 ある元検事が検察は、起訴までもっていけなくとも、逮捕拘留することでの効果を狙っ逮捕することがあるといっている。この事件の場合、逮捕、拘留され、起訴され、有罪判決まで出たのだから、検察からいえば、大成果ということになろう。 他の一連のビラ事件との関連で言えば、ビラまきが萎縮する効果が生じていることは、大きな成果、効果であるに違いない。「平穏を害する態様での」とこの幹部はいっているが、それは付け足しで、ビラまき萎縮こそ彼らの狙った効果であろう。 検察は国家権力の部分であり、裁判官ももちろん国家権力の部分である。憲法の立場から言えば、主権者である国民の立場に立つべきであり、少数者の権利保護の立場にたつべきだが、実際は、時の権力者、支配勢力の側に立ちがちである。 特に、戦前からの体質をそのまま受け継ぎ、ほとんど厳しい批判にさらされることのなかった司法界においては、それが著しい。 今はビラまき逮捕だが、効果を見極めれば、司法の自由への抑圧は、次第に広がっていくかもしれない。
2006/01/10
グレートマザー物語でケー・ウンスクの母親を取り上げていた。不幸な結婚と子育ての苦労を語っていた。彼女は日本語が上手だった。込み入ったところは、韓国語で話していたが。 彼女は1925年生まれである。朝鮮解放の年には、20歳、ということは、皇民化政策の真っ只中に青春を送ったわけだ。日本語が出来るのも不思議ではない。 今から十数年前、韓国に旅行した時、シージャン(市場)で、路上八百屋の主人につかまったことがある。主人は、仕事をおくさんに任せたまま、延々と苦労話を聞かせてくれた。それも上手な日本語でぺらぺらと。 霞ヶ浦航空隊での差別と虐待、帰国したら朝鮮戦争でまた苦労、話は尽きなかった。彼は私を責めたわけではない。だが、積もる苦しみを日本語で日本人に話せずにおれなかったのだ。 それから、何回が韓国に旅をしたが、高齢の方で日本語の出来る方に出会うことがたびたびあった。その逆に日本語が出来るのに、そ知らぬ顔で、私たちの話を聞いている人もいた。 今は世代も変わり、自分から日本語を学ぶ若者も増えているらしい。 だが、以前、私があった日本語の出来る高齢の方たちは、主に強制されて日本語を身につけたわけだ。 ケー・ウンスクの母親もそのようにして日本語を身につけたのだろう。娘が日本で活躍するようになって、忘れかけていた日本語が生きてよみがえったのかもしれない。 1945年、朝鮮が解放されると一斉に、ハングルの学習が全国で行われたという。植民地時代に失われた母国語の文字を取り返そうとしたのだ。(日本では全国で朝鮮語教室が日本にいる朝鮮人のために開かれた) 他国の民から母語を奪うということの傷跡は長く残った。その傷を抱えて生きた人の思いは、まだ、生きて残っている。
2006/01/09
戦時中のことだが、ある日ある人が、近所の青年によばれた。いってみると青年は、「ぼく戦争にいきたくないんじゃ」といって泣いたのだという。その人は、何かのおりにふとその話をする。 その青年は、輸送船が撃沈されて殺された。その青年の兄弟も殺されたが、その兄弟も「戦争にいったら必ず死ぬ。いきたくない。」と洩らしていたという。 こうして国家権力によって有無を言わさず戦場に行かされ、殺された人を国家は「尊い犠牲」だという。自らは安全地帯にいて、戦争の意味も知らず、殺されることを予見し悲しむ若者を消耗品のように殺しながら。 上に紹介した二人は、靖国神社云々は一切言わなかった。祀られること以前に戦争に行きたくなかった。国家や政治家は、その靖国を利用して、祀ることで癒しを偽装し、戦意昂揚を演出した。また、演出しつつある。 一人ひとりの命についての想像力をもたない、鈍感な政治家連中が、靖国に列をなして行く。それが、憲法違反であろうが、どうであろうが、無視する。「尊い犠牲への哀悼」などということばの裏には、さきに述べたような人たちの姿はない。 あるのは、空疎な、ふたたびの戦争への道だけである。 一度国家が戦争への道を選べば、「ぼく戦争にいきたくない」などという声は、無視され、抑圧される。 今、支配層は、戦争への道を進もうとあらゆる手を使っている。改憲はもちろんだが、小泉氏が靖国参拝にこだわるのもそのひとつである。 小泉氏やそれに同調する連中は、中国や韓国のことばかりをいうが、日本という国の中にもそれを認められない多くの人たちがいるのである。彼らはそのことを無視するが、無視してもらっては困ることなのである。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 中国や韓国の人たちの言い分が分からないと小泉氏はいう。それに同調して、あれこれいう次期総理候補とか言う連中もいる。 中国や韓国の人たちにとって見れば、参拝してくれるなというのは、当然である。それについては、また、改めていつか書こう思っている。
2006/01/08
かつて「ユリイカ」という詩の雑誌があった。「詩学」や「現代詩手帖」などという雑誌もあった。 一間に三つの出版社が同居するという状態で、伊達得夫さんは、書肆ユリイカを維持され、詩人たちを支え、次々と詩人を送り出した。 その頃の詩人たちはもう多くの方が亡くなられたか、老境を迎えている。伊達さん自身も1961年に亡くなられた。1920年の生まれでまだまだ若かった。 その頃、私の村の隣の町にも本屋や古本屋が数件ずつあり、本も今よりは売れていた。そして、あの「ユリイカ」もなぜか並んでいた。 たくさんの詩人が新しいみずみずしい詩を次々と次々と送り出した時代、伊達得夫という貧しいが素晴らしい出版者がいたことを、『詩人たち ユリイカ抄』(伊達得夫)を閉じながら、改めて認識する。
2006/01/07
聞いてから数日たつのに頭の隅から離れない。途中を見たのでなんという番組か分からないが爆笑問題の太田くんが総理役をして討論していた。 その番組で民主党原口議員が、「戦争が最大の福祉なんですよ」と叫んだのだ。 流れからいうと戦争が起こった時に、国民の命を守るのが、最大の福祉になるといいたかったのだろうと親切に推測してあげたのだが、それにしても「戦争が最大の福祉」だとは! 政治家がまず考えるべきなのは、戦争を起こさないこと、問題が生じたらそれを戦争にまで転化させないとことだろう。 どんな理由、原因からであれ、戦争が起これば、国民は犠牲になり、命を奪われる。起こった、あるいは、起こした戦争から国民を守ることを考えるより先にまず、戦争をおこさないことを考えることだ。それは、過去、現在の戦争を思い浮かべれば容易に分かる。戦争は、「福祉」を粉々にする。 この番組では、原口議員と自民党の石原議員が並んで席に座っていたが、いうことも表情までまるでそっくりだった。二人とももちろん憲法を「改正」し、軍隊をもつべきだという主張をする。戦争を起こさない努力をする前に、戦争を起こす、戦争が起きることを前提にして何の疑問も持たない。 自民も民主も、必死になって同じことをいう。嘆かわしい時代になったものだ、と思いながらテレビのチャンネルを切った。
2006/01/06
『となり町戦争』で話題を呼んだ三崎亜記の短編集。一時、SFをたくさん読んだことがあるが、この短編集もSF風の作品集である。 二階扉をつけてください・・・いつの間にか町内すべての二階に扉がついていた。主人公をつけるように注意されて、扉をつけ、鍵を掛ける。ある日ふと町内の回覧板をみていると。 しあわせな光り・・・わずか2ページのショートショート。心温まる。 二人の記憶・・・恋する二人。でも、記憶が微妙にずれていく。それでも。 バスジャック・・・バスジャックが社会的に公認されてゲームとなった社会。バスジャックを他の行為に置き換えて読んでみたらどうなるだろう。 雨降る夜に・・・あめの夜に限って訪れ本を借りて帰る若い女。 動物園・・・・ある方法で、動物をそこにあるように見せる技。それを使って営業する企業。その能力を持った女性は。 送りの夏・・・田舎の更に田舎に住む不思議な人たち。みんな体の自由のない病人を抱えている。 *気楽にすらすらと読めてちょっと考えさせてくれる。動物園では、人間はたえず自らと違った姿を見せて生きているのではないか。そこから自由になることが、果たして自由といえるか。などということもちょっと考えさせる。 送りの夏は、悔やみきれぬ死者を抱えた人が、その記憶をどのように癒していくかという物語。それを映像化してみせる。 もう一つ、生者が死をどのように受け入れていくかという物語をかいてほしいと思った。
2006/01/05
有名進学校と周辺校あるいは底辺校といわれる学校では、親の収入や教育環境が大きく違っているというのはよく知られている。偏差値で輪切りされた学校差と収入や環境差が比例しているというわけだ。 児童・生徒の生得の能力以前に大きな格差がある。 その格差がどんどん拡大しているようである。 文部省科学省によれば、就学援助を受ける児童・生徒の数が04年度までの4年間に4割近くも増えたという。 就学援助というのは、保護者が生活保護を受けている子ども(要保護)にくわえ、市町村が独自の基準で要保護に準ずる程度に困窮していると認定しているこども(準要保護)が対象で、国がさだめる援助対象品目は、学用品、通学用品、給食費、修学旅行費などという。 要するに学習以前に要する費用が不足している児童に対する援助というわけが、ここにも児童・生徒の生得の能力以前の格差が拡大していることがかわる。 最高は大阪府の27・9%、次は東京の24・8%で、実に児童・生徒の3,4人に一人が就学援助を受けていることになる。(全国平均では、12・8%、10人に一人の割合になる) 背景にはリストラや給与水準の低下があり、厚生労働省の調査では、常用雇用者の場合、00年から04年の間に、給与は94%まで低下している。これに非常用雇用者の増加を加えれば、就学援助の増加の背景が朧にみえてくる。 今の社会は競争社会だといわれ、競争が是とされ、勝者がもてはやされる。 だが、スタート地点ですでに大きな差があるという事実は言われる競争が公平なものでないということを証明している。 苅谷剛彦東大教授のコメント 「塾に一ヶ月何万円もかける家庭がある一方で、学用品や給食費の補助を受ける子どもがこれだけ増えているのは驚きだ。教育環境が、義務教育段階でこんなに差があって、次世代の社会は、どうなってしまうのか。こうした中で、国は補助金を一般財源化した。今後、自治体が財政難を理由に、切捨てをするめるおそれもある。機会の均等もなし崩しになっては、公正な競争社会とは呼べない。」 今でもこれだけの格差があるのに、更に切捨てが考えられる社会。私たちはこんな政府を、政策をいつ希望しただろうか。いつまで支持しつづけるのだろうか。
2006/01/04
今日は暖かい。早めに犬の散歩にでる。空は快晴、見回すと380度、全く雲がない。 石鎚が真っ白な姿をくっきりと浮かべている。その隣は笹ヶ峰か。皿ヶ峰連峰の雪はうすくなっている。 真っ青な空を、飛行機雲を引いて、ジェットが飛ぶ。しばらくして一筋、また、一筋。 のどかにまう凧。犬を遊ばせる人の姿も多い。久しぶりの快晴の正月だった。 散歩を終えたら、さて、どの本を開こうか。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 昼間なにげなく、NHKテレビを見ていたら紅白の番組制作の苦労話を放送していた。生放送を時間内にどう納めるか。必死になっている姿が面白かった。 あれだけ必死になって時間内に納めようとするNHKが、編集番組を4分も短くし、それがよくあることなどいうのは、ウソに決まっている。 この番組で必死の姿を見て、幹部のウソが見え透いているようでおかしかった。 私はとてもあんな秒単位で生きる仕事はできない。必死になっている姿を見ながら例の番組改編問題での幹部のウソの救いのなさを思った。
2006/01/03
新年おめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。 さて、正月も二日目。 今日もお雑煮をつくる。お雑煮を食べて、息子は飛行機の便の都合でそそくさと、帰る。安月給で超多忙な仕事のつかの間の休みが終った。 また、連れ合いと二人の暮らしが続く。 今年望むのは、「平安」である。 憲法改正の国民投票法、共謀罪、教育基本法改悪と目白押しの中、せめて自然だけでも穏やかであってほしい。また、競争の中で人々が平安を保てるようにも願う。
2006/01/02
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